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十二支の役者見立絵一 はじめに十二支という概念は 中国で十二宮(黄道の南北に八度ずつの幅をもつ帯状部分(獣帯)を考え 春分点を起点として黄道に沿って十二等分したもの 古代から太陽 月 惑星の運行を示す座標として使われた)にそれぞれ獣を当てたのに基づくとされ 日本でも早くは正倉院御物として十二支の動物

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Academic year: 2021

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十二支の役者見立絵 一、はじめに   十 二 支 と い う 概 念 は、 中 国 で 十 二 宮( 黄 道 の 南 北 に 八 度 ず つ の 幅 を も つ 帯 状 部 分( 獣 帯 ) を 考 え、 春 分 点 を 起 点 と し て 黄 道 に 沿 っ て 十 二 等 分 し た も の。 古 代 か ら 太 陽、 月、 惑 星 の 運 行 を 示 す 座 標 と し て 使 わ れ た ) に そ れ ぞ れ 獣 を 当 て た の に 基 づ くとされ、日本でも早くは正倉院御物として十二支の動物を大理石にかたどった「白石鎮子」などが残されている。   江 戸 時 代 の 庶 民 に と っ て 十 二 支 は 年 を 示 す だ け で は な く、 日、 時 間、 方 角 な ど 様 々 な こ と を 指 し 示 す た め に も 用 い ら れ る、 身近なものであった。   十 二 支 の 動 物 は 個 別 に 絵 画 化 さ れ る こ と が 多 (註一) く 、 牛 や 馬、 犬 な ど の 身 近 な 動 物 は も ち ろ ん、 日 本 に は 存 在 し な い ト ラ や 想 像 上 の 動 物 で あ る リ ュ ウ も 襖 絵 な ど で お 馴 染 み の 画 題 と な っ て い る。 動 物 は 神 の 使 い と さ れ る こ と も 多 く、 ネ ズ ミ は 大 黒 天、 牛は天神、トラは毘沙門天、ヘビは弁財天、サルは日枝大社と、十二支の動物でもそのイメージは強い。   興 味 深 い こ と に、 江 戸 時 代 の 浮 世 絵 版 画 に は「 十 二 支 」 と 銘 打 っ た 揃 物 が 数 種 類 存 在 す る が、 そ れ ら は 動 物 そ の も の を 描 く の で は な く、 そ こ か ら 連 想 さ れ る 日 常 の 風 習 や 行 事、 歴 史 上 の 武 者 た ち の 伝 説、 歌 舞 伎 の ス ト ー リ ー な ど と 関 連 付 け て 表 七五

十二支の役者見立絵

  

藤 

澤   

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十二支の役者見立絵 七六 現 し、 享 受 者 が そ の 関 係 性 を 読 み 解 い て 楽 し む、 と い う タ イ プ の 作 例 が ほ と ん ど で あ る。 あ る 物 か ら 別 の 物 を 想 起 し て 表 現 す る 方 法 を「 見 立 」 と 呼 ぶ が、 十 二 支 の 場 合、 そ の 枠 組 み を 使 っ て 別 の 広 が り を も っ た 世 界 へ と 発 展 さ せ る 手 法 を と っ て い るといえる。   本 稿 で は 主 に 歌 舞 伎 に 関 す る 見 立 絵 を 取 り 上 げ、 美 人 画、 武 者 絵 の シ リ ー ズ の 画 題 と の 比 較 も 交 え て、 当 時 の 人 々 が 十 二 支からどういう連想を楽しんだのかという点に注目したい。 二、浮世絵版画に見る十二支の揃物   庶 民 文 化 の 華 と 称 さ れ る 浮 世 絵 は、 多 く が 版 画 作 品 で 占 め ら れ て お り、 現 在 の 出 版 社 に あ た る 板 元 が 企 画 を 立 て て 絵 師 に 作 画 を 依 頼、 絵 師 の 下 絵 を も と に 彫 師 が 板 木 を 完 成 さ せ、 摺 師 が 摺 る、 と い う 手 順 で 作 成 さ れ る。 画 題 と し て は、 庶 民 の 大 人 気 の 娯 楽 で あ っ た 歌 舞 伎 に 取 材 し た 役 者 絵、 遊 女 な ど 美 し い 女 性 を 描 い た 美 人 画 が ま ず 確 立 さ れ、 歴 史 上 の 武 将 な ど を 描 い た 武 者 絵、 風 景 画、 花 鳥 画、 子 ど も 絵 な ど 多 様 な 作 品 が 楽 し ま れ る よ う に な っ た。 こ こ で は、 ま ず ど の よ う な 十 二 支 の 揃 物が確認できるか、主題ごとに例を挙げ、便宜上、アルファベットをつけておく。 〈動物自体を描く〉 Ⓐ  礒田湖龍斎画「風流十二支」安永二~四年(一七七三~七五)中判錦絵 〈子ども絵〉 Ⓑ  石川豊雅画「十二支」一七七〇年代   中判錦絵 Ⓒ  礒田湖龍斎画「風流小児十二支」安永二年(一七七三)頃   中判錦絵

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十二支の役者見立絵 七七 〈美人画〉 Ⓓ  礒田湖龍斎画「風流十二支」明和七~安永元年(一七七〇~七二)   中判錦絵 Ⓔ  勝川春潮画「浮世十二支」寛政期(一七八九~一八〇〇)   中判錦絵 Ⓕ  「風流娘十二支」文化四年(一八〇七)   中判錦絵 Ⓖ  二代歌川豊国画「風流東姿十二支」   文政(一八一八~三〇)末   大判錦絵 Ⓗ  二代歌川豊国画「十二支全盛松の粧」   文政(一八一八~三〇)末   大判錦絵 Ⓘ  三代歌川豊国・万亭應賀「浮世十二支」弘化頃(一八四四~四八)   小判錦絵 Ⓙ  三代歌川豊国画「意勢古世身   見立十二直」弘化四~嘉永五年(一八四七~五二)   大判錦絵 Ⓚ  三代歌川豊国「艶姿花の十二支」元治元年(一八六四)   大判錦絵 〈戯画〉 Ⓛ  歌川国芳画   「道化十二支」   天保十二年(一八四一)頃   小判錦絵 Ⓜ  歌川国芳画   「道外十二支」   安政二年(一八五五)   小判錦絵 〈武者絵〉 Ⓝ  歌川国芳画「武勇見立十二支」   天保十二年(一八四一)頃   大判錦絵 Ⓞ  歌川国芳画「英雄大倭十二士」   安政元年(一八五四)   大判錦絵 〈役者絵・歌舞伎〉 Ⓟ  歌川国芳画   「美盾十二史」   弘化二年(一八四五)頃   大判錦絵 Ⓠ  長谷川貞信画(上方絵) 「忠孝十二支之内」嘉永二年(一八四九)頃   中判錦絵 Ⓡ  五粽亭広貞画(上方絵) 「見立十二支」    嘉永四年(一八五一)頃   中判錦絵二枚続

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十二支の役者見立絵 七八 Ⓢ  歌川国芳画   「見立十二支」    嘉永五年(一八五二)   大判錦絵 Ⓣ  三代歌川豊国「擬絵当合十二支」嘉永五年(一八五二)※文久元年(一八六一)の図も含まれる   大判錦絵 Ⓤ  歌川国員(上方絵) 「拾二支之内」    安政五年・六年(一八五八 ・ 五九)   中判錦絵 Ⓥ  二代歌川国貞画「楽屋十二支之内(見立楽屋十二支之内) 」万延元年(一八六〇)   大判錦絵 Ⓦ  一養亭芳瀧(上方絵) 「見立十二支之内」文久二年(一八六二)   中判錦絵 Ⓧ  五粽亭広貞(上方絵) 「十二支ノ内」元治元年(一八六四)   大判錦絵 Ⓨ  歌川国周画   「俳優見立十二支」   明治二年(一八六九)   大判錦絵 Ⓩ  歌川国周画   「奇術十二支之内」   明治十年(一八七七)   大判錦絵   管 見 の 限 り で は、 石 川 豊 雅 と 礒 田 湖 龍 斎 の 作 が 早 い 例 と 思 わ れ る。 特 に 子 ど も 絵 に 分 類 さ れ る Ⓑ「 十 二 支 」 は 興 味 深 (註二) い 。 絵 師 の 豊 雅 は 同 じ 頃 に「 風 流 十 二 月 」 と 題 し 十 二 か 月 の 風 物 を 描 い た 子 ど も 絵 の 揃 物 を 刊 行 し て い る が、 Ⓑ の 十 二 支 の 図 も 実 は 十 二 か 月 と い う 枠 組 み と シ ン ク ロ し て 作 画 さ れ て い る。 具 体 的 に は、 「 子 」 が 一 月、 「 丑 」 が 二 月 と い う よ う に、 十 二 支 の 動 物 を 一 月 か ら 順 に あ て は め る 方 法 を と る。 「 未 」「 申 」 以 外 の 十 図 に は 月 の 名 が 明 記 さ れ、 描 か れ る 内 容 も そ の 月 に ち な ん だ も の が 多 い。 十 二 か 月 の 行 事 を 描 く「 月 次 絵 」 は 古 く か ら の 画 題 だ が、 同 じ 十 二 と い う 命 数 か ら「 十 二 支 」 を 導 き 出 し、 見 立 や 揃 物 の 主 題 を 広 げ て い っ た い う こ と が で き る だ ろ う。 こ の 揃 物 は、 十 二 支 を 枠 組 み に し た シ リ ー ズ を 考 え る 上 で も 重 要であるため、 【表 1 】に図の概要を挙げて確認しておきたい。   一 例 と し て【 図 1 】 に「 十 二 支  丑  如 月 」 を 掲 載 す る。 牛 に 乗 る 子 ど も は 菅 原 道 真 に 見 立 て ら れ て い る。 道 真 と 牛 は、 次に示すように関わりが深い。   ①  誕生日(承和十二年 [ 八四五 ] 六月二五日) 、命日(延喜三年 [ 九〇三 ] 二月二五日)が丑の日であった、

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十二支の役者見立絵 七九   ②  道真が大宰府に落ちる途中で命を狙われた時、白牛に助けられた。   ③  「車を牛に引かせ、辿りついた所に葬ってほしい」との遺言に従い大宰府天満宮が造営された。   以 上 の こ と か ら、 後 述 す る よ う に 歌 舞 伎 を 扱 っ た 十 二 支 の 揃 物 で も、 丑 は 道 真 を 主 人 公 に し た「 菅 原 伝 授 手 習 鑑 」 に 取 材 し た 作 品 と 結 び 付 け ら れ る 作 例 が 多 い。 ま た【 図 1 】 で は、 「 天 満 宮 」 と 記 し た 万 度 の 上 に 梅 の 花 が 描 か れ る 点 も 興 味 深 く、 梅 を 愛 好 し た 道 真 ら し さ を 示 す と と も に 季 節 感 も ち ょ う ど 合 っ て い る。 別 の 例 で は「 寅 」 の 図 に、 和 藤 内 に 扮 し て 芝 居 ご っ こをする子が描かれており、十二支と動物を結び付ける考えがすでに確認できるのは興味深い。   豊 雅 の ほ か に 重 要 な 作 例 を 残 す の は 湖 龍 斎 で あ る。 子 ど も 絵 の Ⓒ「 風 流 小 児 十 二 支 」、 美 人 画 の Ⓓ「 風 流 十 二 支 」 の ほ か、 動 物 そ の も の を 表 現 す る Ⓐ「 風 流 十 二 支 」 を 残 す の は 興 味 深 (註三) い 。【 図 2 】 と し て、 ヒ ツ ジ を 描 い た 図 を 掲 載 す る。 ヒ ツ ジ は 十 二 支 の 中 で 最 も 当 時 の 庶 民 に 馴 染 み が な か っ た 動 物 と 思 わ れ、 こ の 図 の よ う に 丸 み を 帯 び た 角 と ヤ ギ の よ う に 長 く 真 っ す ぐ な 毛 で 表 現 さ れ る こ と が 多 い。 管 見 の 限 り、 同 趣 向 の 揃 物 は 外 に 確 認 し て い な い が、 当 時 の 人 々 が ど の よ う に 動 物 を 認 識 していたかを知る重要な手掛かりになるといえるだろう。   美 人 画 で は、 日 常 の 中 の 風 俗 や 習 慣 な ど を 描 き 出 す 作 例 が 多 い が、 例 え ば 二 代 歌 川 豊 国 の Ⓗ「 十 二 支 全 盛 松 の 粧 」 の 場 合 遊 女 の 紹 介 を 目 的 と し て お り、 ま た 三 代 歌 川 豊 国 画 の Ⓘ「 浮 世 十 二 支 」 に は 各 生 ま れ 年 の 守 り 本 尊 等 を 盛 り 込 ん だ、 戯 作 者 の万亭応賀による文章も楽しめる工夫があり、様々なバリエーションが見られる。   歌 川 国 芳 は、 得 意 と し た 武 者 絵 や 戯 画、 そ し て 歌 舞 伎 に 取 材 し た 揃 物 も 二 種 類 刊 行 し て お り、 後 述 す る よ う に、 演 目 や 役 柄 の 取 り 合 わ せ に 意 外 性 を 持 た せ る な ど、 十 二 支 の 枠 組 み を 巧 み に 使 用 し て い く 姿 勢 が う か が え る。 歌 舞 伎 に 関 す る 作 例 は 天 保 の 改 革 以 降 と な り、 他 の ジ ャ ン ル に 比 べ て 時 期 が 下 が る も の が 多 い が、 広 貞、 国 員 ら 上 方 の 絵 師 に よ る 作 品 も 含 め、 点 数 と し て は 最 も 多 く 描 か れ て い る と 考 え て よ い だ ろ う。 十 二 支 そ の も の を 題 材 に し た 株 伊 の 演 目 は ご く わ ず か (註四) で 、 他 の 美 人 画 や 武 者 絵 と 同 じ く 干 支 ご と の 連 想 か ら 芝 居 や 役 柄 を 導 き 出 す 方 法 を と る。 役 者 絵 は 明 和( 一 七 六 四 ~ 七 二 ) 頃 か ら 似 顔 表

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十二支の役者見立絵 八〇 現 が 用 い ら れ て お り、 「 美 盾 十 二 史 」 の 一 部 を 除 き、 こ こ に 挙 げ た 作 品 の す べ て が、 そ の 役 を 演 じ る の に 相 応 し い 役 者 を 当 て は め て 似 顔 絵 で 描 か れ て い る。 実 際 の 上 演 と 同 じ 配 役 で 描 か れ る 作 品 も あ る が、 多 く は 架 空 の、 理 想 の 役 者 を 描 く も の で あり、当時の役のイメージや役者の得意芸を知る上でも参考になる。 三、歌舞伎における十二支 ― 揃物の比較と検討   で は、 歌 舞 伎 に 取 材 し た 役 者 見 立 絵 を 確 認 し て い こ う。 こ こ で は 次 の 四 つ の 揃 物 を 主 に 扱 う こ と と し、 そ れ ぞ れ の 概 要 に ついて述べておきたい。 Ⓟ  歌川国芳画   「美盾十二史」   弘化二年(一八四五)頃 奢 侈 禁 止、 風 俗 粛 正 を う た っ た 天 保 改 革 の 出 版 規 制 に よ り、 天 保 十 三 年( 一 八 四 二 )、 役 者 絵 や 色 数 の 多 い 華 美 な 摺 は 禁 止 さ れ た が( 役 者 絵 は 弘 化 三 年 の 末 ご ろ か ら 復 活 し 始 め る )、 こ の 揃 物 は 干 支 の 動 物 か ら 連 想 さ れ る 歌 舞 伎 に 取 材 し た 内 容 が 大 部 分 を 占 め、 美 麗 な 摺 も 印 象 的 で あ る。 「 十 二 支 」 を「 十 二 史 」 と 表 記 し た の は、 歴 史 上 の 人 物 に 関 す る、 堅 い 主 題 で あ る こ と を 印 象 付 け る 狙 い が あ っ た と 思 わ れ る が、 例 え ば【 図 3 】( 女 形 の 七 代 目 岩 井 半 四 郎 を 山 姥 に 見 立 て る ) の よ う に 似 顔 表 現 も 用 い て お り、 出 版 規 制 が 行 わ れ る 中、 少 し で も 従 来 の 役 者 絵 に 近 い 作 品 を 提 供 し 享 受 者 の 希 望 に こ た え よ う と し た と考えられる。 Ⓢ  歌川国芳画   「見立十二支」   嘉永五年(一八五二) 干 支 に ち な ん だ 演 目 や 役 柄 を 導 き 出 し、 そ の 役 に 合 う 役 者 の 似 顔 絵 で 描 く。 主 と な る 人 物 を 大 き く、 関 連 す る 人 物 を そ の 後 ろ に 描 き( 「 亥 」 の み 役 者 は 一 人 )、 タ イ ト ル を 囲 む 枠 取 り に 干 支 の 動 物 を 描 く 形 式 を と る( 【 図 6 】 参 照 )。 役 者 絵 は 弘 化 三 年( 一 八 四 六 ) 末 ご ろ か ら 復 活 し、 嘉 永 五 年 に は 役 者 似 顔 絵 を 用 い た 見 立 揃 物 が 大 量 に 出 版 さ れ 始 め る。 本 図 も そ の 流 れ の

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十二支の役者見立絵 八一 中 で 出 版 さ れ て お り、 絵 師 の 国 芳 が す で に Ⓟ「 美 盾 十 二 史 」 を 手 掛 け て い る か ら か、 本 作 は 意 外 性 の あ る 発 想 豊 か な 図 が 多 く描かれている。 Ⓣ  三代歌川豊国「擬絵当合十二支(絵当合十二支) 」  嘉永五年(一八五二) 干 支 に ち な ん だ 演 目 や 役 柄 を 導 き 出 し、 そ の 役 に 合 う 役 者 の 似 顔 絵 で 描 く。 主 と な る 人 物 の ほ か、 こ ま 絵 に 関 連 す る 人 物 を 描 き、 タ イ ト ル を 囲 む 枠 取 り に 役 者 文 様 を 配 す る 形 式 を と る( 【 図 5 】 参 照 )。 国 芳 の Ⓢ「 見 立 十 二 支 」 と 同 じ く 嘉 永 五 年 の 刊行だが、 「卯」 「未」 「戌」の三図については文久元年(一八六一)の検閲印があり、その時期の刊行と思われる。 Ⓥ  二代歌川国貞画「楽屋十二支之内(見立楽屋十二支之内) 」  万延元年(一八六〇) タ イ ト ル に「 楽 屋 」 と あ る が、 舞 台 上 の 演 出 や 黒 衣 の 動 き 等、 舞 台 裏 に あ た る 部 分 に 的 を 絞 っ て 描 か れ る。 例 え ば「 子 」 の 仁 木 弾 正 役 で は 花 道 の ス ッ ポ ン、 「 辰 」 の 雪 姫 で は 滝 を の ぼ る リ ュ ウ を 黒 衣 が 手 で 操 る 様 な ど が 描 か れ る。 新 藤 茂 氏 に よ る と( 註 一 参 照 )、 売 れ 行 き が 芳 し く な か っ た た め か「 牛 」「 卯 」「 未 」「 犬 」 の 四 点 に つ い て は「 豊 国 補 助 」 と い う 落 款 が あ り、 師匠の三代豊国がテコ入れしたようだとの指摘がある。   【表 2 】は役者見立絵の描写を確認するために、主だったシリーズの内容と見立てられる役者を記載したものである。 参 考 の た め、 美 人 画 の Ⓚ 三 代 歌 川 豊 国「 艶 姿 花 の 十 二 支 」、 武 者 絵 の Ⓝ 歌 川 国 芳 画「 武 勇 見 立 十 二 支 」 に つ い て も 掲 載 す る。 ま た、 江 戸 以 外 の 歌 舞 伎 の 情 報 と も 比 較 す る た (註五) め 、 上 方 で 刊 行 さ れ た 役 者 見 立 絵 の 中 か ら、 広 貞 画 の Ⓡ「 見 立 十 二 支 」( 嘉 永四年 [ 一八五一 ] 頃、二枚続)の内容も併記しておく。   各 図 の 描 写、 内 容 は【 表 2 】 に 説 明 を 付 し た が、 役 者 見 立 絵 に つ い て、 歌 舞 伎 の 演 出 等 に 関 す る 補 足 を し つ つ 確 認 し て い こう。

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十二支の役者見立絵 八二 ①子   Ⓝ の 武 者 絵 に 描 か れ る 頼 豪 阿 闍 梨 は 読 本 や 鳥 山 石 燕 の『 画 図 百 鬼 夜 行 』 な ど の 妖 怪 を 描 い た 作 品 で も お 馴 染 み の キ ャ ラ ク タ ー で、 歌 舞 伎 化 さ れ て も い る が、 役 者 見 立 絵( Ⓢ Ⓣ Ⓡ Ⓥ ) に は す べ て「 伽 羅 先 代 萩 」 の 仁 木 弾 正 の 妖 術 が 選 ば れ る の は 注 目 さ れ る。 歌 舞 伎 で い か に こ の 作 品 の イ メ ー ジ が 強 い か が う か が え る。 ま た Ⓟ の「 美 盾 十 二 史 」 に 見 ら れ る「 祇 園 祭 礼 信 仰 記」は、ネズミ以外にリュウが現れる場面も良く知られるため、 「辰」の見立に複数登場する。 ②丑   先 に も 触 れ た よ う に「 菅 原 伝 授 手 習 鑑 」 と の 結 び つ き が 強 く、 歌 舞 伎 を 題 材 に し た Ⓟ、 Ⓣ、 Ⓡ が 確 認 で き る が、 丑 の 刻 参 り や 牽 牛 な ど の 別 視 点 か ら の 図 も あ る。 特 に Ⓥ の 牽 牛 は、 刊 行 の 前 年 に 上 演 さ れ た 舞 踊 劇 を 題 材 に、 配 役 も そ の ま ま 描 い て いることから、その人気のほどがうかがえよう。 ③寅   日 本 に は い な い ト ラ は、 中 国 や 朝 鮮 で の ト ラ 退 治 の 逸 話 が よ く 知 ら れ て お り、 Ⓝ の 武 者 絵 で は 膳 巴 提 便、 Ⓥ で は 歌 舞 伎 の 加 藤 清 正 の ト ラ 退 治 が 描 か れ る。 ト ラ 退 治 で 当 時 よ く 知 ら れ て い た の は「 国 性 爺 合 戦 」 の 和 藤 内 で あ る が( 先 述 し た 石 川 豊 雅 の 子 ど も 絵( Ⓑ ) に 登 場、 【 表 1 】 参 照 )、 幕 末 の 歌 舞 伎 の 記 録 を 確 認 す る と こ の 場 面 の 上 演 は 少 な く、 変 化 舞 踊 の 一 部 に 取 り 上 げ ら れ る 程 度 で あ り、 そ の 結 果 が 見 立 絵 に も 反 映 さ れ た の で あ ろ う。 Ⓣ で 描 か れ る「 傾 城 反 魂 香 」 で は 舞 台 上 に 着 ぐ るみのトラが登場する。また見立絵では大磯の虎(Ⓟ、Ⓡ)や虎蔵(Ⓢ)など、名前からの連想も確認できる。 ④卯   山 の 神 と さ れ、 因 幡 の 白 兎 や か ち か ち 山 の 昔 話 が 有 名 な ウ サ ギ は、 歌 舞 伎 で は「 玉 兎 」 と い う 舞 踊 劇 が よ く 知 ら れ る。 だ が こ こ に 挙 げ た 見 立 絵 で は、 Ⓟ や Ⓡ の よ う に 怪 童 丸( 足 柄 山 の 金 太 郎 ) と た わ む れ る 姿、 あ る い は Ⓝ の 武 者 絵 と 同 じ く Ⓣ、 Ⓥ に は 相 馬 良 門 と 伊 賀 寿 太 郎 と の 逸 話 が 描 か れ る 点 は 興 味 深 い。 ま た Ⓚ の 美 人 画 に 描 か れ る 亀 戸 天 神 の 妙 義 社 の 初 卯 詣 で は

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十二支の役者見立絵 八三 通 に 人 気 が あ っ た と い い、 国 芳 の 役 者 見 立 絵 Ⓢ に も 初 卯 詣 で の 小 さ ん、 金 五 郎 が 描 か れ る の は 注 目 さ れ る。 こ れ は 本 図 刊 行 の二年前に上演された芝居と同じ配役で描かれており、享受者にとっても記憶に新しい主題選択であったのだろう。 ⑤辰   リ ュ ウ は 想 像 上 の 動 物 で あ る が、 「 龍 虎 相 搏 つ 」 と い う 諺 も 知 ら れ る よ う に、 ト ラ と と も に 表 現 さ れ る こ と も 多 く、 ま た ヘ ビ と 同 一 視 さ れ 水 を つ か さ ど る 神 と し て の 印 象 が 強 い。 そ の た め、 Ⓝ の 武 者 絵 で は 八 岐 大 蛇 退 治 と 結 び 付 け ら れ て お り、 歌 舞 伎 で も「 祇 園 祭 礼 信 仰 記 」 に お い て 水 の 神 で あ る 竜 が 滝 を 登 っ て い く 場 面 が 多 く 選 ば れ る の で あ ろ う。 Ⓥ の「 楽 屋 十 二 支之内」では、滝をのぼっていくリュウを黒衣が操る姿が描写され、舞台裏を知る上でも興味深い。 ⑥巳   先 に 挙 げ た 石 川 豊 雅 の 子 供 絵 Ⓑ に も 登 場 す る よ う に、 ヘ ビ は 弁 財 天 の 使 い と し て よ く 知 ら れ、 美 人 画 の Ⓚ に も 描 か れ て い る。 歌 舞 伎 の 場 合、 具 体 的 に ヘ ビ が 連 想 さ れ る 蛇 遣 い が 複 数 登 場 し て い る が、 江 戸( Ⓟ、 Ⓣ ) と 上 方( Ⓡ ) で 取 材 狂 言 や 役 柄 が 異 な る の は 興 味 深 い。 ヘ ビ と い え ば、 そ の 執 着 が 白 拍 子 に と り つ く「 道 成 寺 」 が す ぐ 連 想 さ れ そ う で あ る が、 順 当 す ぎ るため、あえて主題として回避されたのだろうか。 ⑦午   Ⓚ の 美 人 画 に 描 か れ る よ う に、 一 般 的 な 風 習 と し て は ま ず 稲 荷 神 社 の 祭 礼 の 初 午 が 結 び 付 け ら れ る で あ ろ う。 歌 舞 伎 で は 武 士 や 旅 人 の 乗 り 物 と し て よ く 登 場 す る た め、 ウ マ の 見 立 絵 は 最 も バ リ エ ー シ ョ ン に 富 ん で い る。 特 に 暴 れ 馬 を 操 る 小 栗 判 官( Ⓣ ) や 馬 上 で の 熊 谷 次 郎 と の や り と り が よ く 知 ら れ る 敦 盛( Ⓥ ) は 連 想 し や す い。 Ⓢ に み ら れ る よ う に、 平 将 門 や 相 馬 氏 の 繋 ぎ 馬 の 紋 も 芝 居 で は お 馴 染 み で あ る。 Ⓟ の お 三 輪 は 少 し 意 外 性 が あ り、 官 女 た ち に 馬 子 唄 を う た わ さ れ て 辱 め ら れ る 場 面 が 想 定 さ れ、 さ ら に お 三 輪 の 恋 す る 男 性 の 名 の「 求 女 」 を「 求 馬 」 と も 表 記 す る こ と な ど が 背 景 に あ る だ ろ う。 Ⓥ の「 楽 屋 見 立 十 二 支 」 の 場 合、 馬 子 の 小 ま ん が ひ く 馬 は、 前 足、 後 ろ 足 担 当 の 二 人 の 役 者 が 縫 い ぐ る み に 入 っ て い る も の で、

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十二支の役者見立絵 八四 蹄の部分が水色の足袋で描かれているのは臨場感がある【図 4 】。 ⑧未   『 和 漢 三 才 図 会 』( 正 徳 二 年[ 一 七 一 二 ] 序 ) に、 戯 れ に 紙 を や る と 喜 ん で 食 べ る と い う 記 載 が あ る よ う (註六) に 、 ヒ ツ ジ に と 紙 は よ く 結 び 付 け ら れ る。 美 人 画 の Ⓚ「 艶 姿 花 の 十 二 支 」 で は ヒ ツ ジ を「 執 事 」 と 言 い 換 え( 江 戸 の 人 が「 ひ 」 と「 し 」 を 逆 に 発 音 す る 場 合 が あ っ た こ と も 関 係 し て い よ う )、 奥 女 中 が 紙 の 支 度 を す る 様 が 描 か れ る。 Ⓟ の「 美 盾 十 二 史 」 の 図 も 手 紙 の 束 を 入 れ た「 諸 国 状 さ し 」 と 書 か れ た 書 状 入 れ が 描 か れ て お り、 加 え て 本 図 で は お 駒 の 恋 人 の 才 三 郎 が 髪 結 い で あ る た め 「 紙 」 か ら「 髪 」 へ と 連 想 が 働 い た こ と も 読 み 解 き の ヒ ン ト と な る。 国 芳 の 戯 画 Ⓜ「 道 外 十 二 支  か み ゆ ひ ど こ  未 」 に も、 紙屑屋が髪結い床に来るという趣向の作がある。歌舞伎でヒツジが登場するのは、 Ⓣ、 Ⓥ、 Ⓡに描かれる「富岡恋山開」 (寛 政 十 年( 一 七 九 八 ) 初 演 ) く ら い で あ る。 見 世 物 小 屋 の ヒ ツ ジ が 偽 証 文 を 食 べ る く だ り は、 寛 政 年 間 に 行 な わ れ た 興 行 で、 女 相 撲 の 相 手 に ヒ ツ ジ が 選 ば れ た こ と を 取 り 入 れ て い る。 ヒ ツ ジ が 珍 し い 存 在 で あ っ た こ と や、 新 し い も の を 積 極 的 に 取 り 込 む 歌 舞 伎 の 作 劇 法 も わ か る 例 で あ る。 ま た Ⓢ の 図 に「 未 の 刻 」 か ら の 想 像 で「 阿 古 屋 」 が 描 か れ る の は 面 白 く、 後 述 す る ように本シリーズは意外性のある作例が多く、その特性がここにも表れている。 ⑨申   サ ル は 山 王 権 現 の 使 い と さ れ、 賢 い こ と か ら 猿 廻 し が 芸 を 仕 込 む こ と で も よ く 知 ら れ る。 サ ル は ウ マ を 守 護 す る 動 物 と さ れ、 正 月 に 大 名 家 な ど の 厩 を 清 め る た め 猿 廻 し た ち が 活 躍 し た。 歌 舞 伎 で も そ の イ メ ー ジ は か な り 強 く、 Ⓟ、 Ⓣ、 Ⓥ、 Ⓡ で は す べ て「 近 頃 河 原 達 引 」 の 猿 廻 し 与 次 郎 が 描 か れ て い る。 Ⓢ の 猿 嶋 惣 太 は、 名 前 の 連 想 で あ る。 な お、 Ⓝ の 武 者 絵 で『 西 遊記』の孫悟空が選ばれるのも興味 深 (註七) く 、中国白話小説の人気、浸透ぶりも伝わる。 ⑩酉   ニ ワ ト リ は 歌 舞 伎 で は い く つ か の 演 目 に 登 場 す る が、 夜 明 け を 告 げ る 動 物 と い う 印 象 が 強 く( Ⓟ、 Ⓣ、 Ⓥ )、 特 に お さ ん

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十二支の役者見立絵 八五 や 松 月 尼 な ど 鶏 娘 の 趣 向 が 描 か れ る の は 見 た 目 の イ ン パ ク ト の 大 き さ も あ る だ ろ う。 【 図 5 】 は、 三 荘 太 夫 の 悪 事 の 因 果 で 鶏娘となった娘おさんの姿が描かれ、鶏冠をかたどった髪の飾りや鳥の羽を模した衣裳もまた細やかに表現されて い (註八) る 。   こ こ で 興 味 深 い の は、 Ⓢ の「 見 立 十 二 支 」 に 八 代 目 市 川 團 十 郎 扮 す る 綱 五 郎 と い う 役 が 描 か れ る こ と だ【 図 6 】。 こ の 役 は ニ ワ ト リ と の 関 わ り が 確 認 で き ず、 少 し 難 解 な 図 と い え る が、 本 図 が 描 か れ る 前 年、 嘉 永 四 年 九 月 に 江 戸 市 村 座 で 上 演 さ れ た「 源 氏 模 様 娘 雛 形 」 に 取 材 し た 役 者 絵【 図 7 】 と 構 図 等 が か な り 類 似 し て い る 点 は 注 目 さ れ、 こ こ に 酉 と 結 び つ け る 手 が か り が 隠 さ れ て い る。 【 図 7 】 に は 八 代 目 團 十 郎 が 二 役 で 演 じ た 綱 五 郎 と 成 田 不 動 明 王( 中 央 )、 そ の 脇 侍 で あ る 制 咤 伽 童 子( 右 )、 矜 羯 羅 童 子( 左、 大 き な 綱 を 持 つ ) が 配 さ れ て い る。 【 図 6 】 は こ の 場 面 に 取 材 し て お り、 綱 五 郎 と 矜 羯 羅 童 子 が 描 か れ て い る。 実 は 酉 と 関 わ る の は 酉 年 の 守 護 神 と さ れ る 不 動 明 王 で あ る が、 前 年 の 芝 居 を 記 憶 し て い る 人 々 に と っ て は、 す ぐ に 読 み 解 く こ と が で き た で あ ろ う。 人 気 の 芝 居 に 取 材 す る こ と で 享 受 者 の 興 味 を 引 く 意 図 が あ っ た と 推 察 さ れ る が、 背 景 の 滝 の よ う な 表 現 は、 同 じ く 不 動 明 王 に 関 わ る 文 覚 上 人 を 描 い た 国 芳 自 身 の (註九) 図 の 描 写 も 取 り 入 れ て お り、 国 芳 の 独 自 性 を 際立たせる手法もとられている。 ⑪戌   江 戸 庶 民 に 身 近 な 動 物 で あ っ た 犬 は、 Ⓚ の 美 人 画 に 描 か れ る よ う に 安 産 の 守 り 神 と し て も 知 ら れ、 Ⓝ の 武 者 絵 に 描 か れ る 畑 六 郎 左 衛 門 の 逸 話 も『 太 平 記 』 な ど で お 馴 染 み で あ る。 だ が 何 と い っ て も イ ヌ は 曲 亭 馬 琴 の 読 本「 南 総 里 見 八 犬 伝 」 の イ メ ー ジ が 大 き く、 Ⓟ、 Ⓣ、 Ⓥ、 Ⓡ で 取 り 上 げ ら れ て い る。 八 犬 士 の 中 で 人 気 の あ る 犬 塚 信 乃 を 描 い た 図 は 二 つ あ り、 江 戸 ( Ⓥ ) と 上 方( Ⓡ ) で 描 か れ る 場 面 が 異 な る の も 面 白 い が、 Ⓥ「 楽 屋 見 立 十 二 支 」 で は 信 乃 が 瀕 死 の 飼 い 犬 与 四 郎 の 首 を 斬 る と「 孝 」 の 玉 が 飛 び 出 る と い う、 犬 そ の も の が 登 場 す る 場 面 を 選 ん で い る 点、 玉 を 黒 衣 が 動 か す 様 を 実 際 に 描 く と こ ろ な ど に シ リ ー ズ の 特 性 が 表 れ て い る。 ま た 国 芳 の Ⓢ「 見 立 十 二 支 」 が「 東 海 道 四 谷 怪 談 」 の 夢 の 場 に 取 材 す る の は 意 表 を つ い ているといえよう。この演目は十二支の動物との関わりが深く、 ネズミ(子年生まれのお岩の化身、 ネコを襲う場面もある) 、

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十二支の役者見立絵 八六 ヘ ビ( 小 仏 小 平 の 指 が ヘ ビ に 変 わ る、 五 幕 目 の 場 面 が 蛇 山 庵 室 ) 等 を 連 想 し や す い が、 あ え て 戌 に 見 立 て た と こ ろ に、 他 と は一線を画す意図がうかがえる。 ⑫亥   歌 舞 伎 に お け る イ ノ シ シ は「 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 」 五 段 目 の 印 象 が 強 く、 Ⓣ、 Ⓥ、 Ⓡ で 取 り 上 げ ら れ て い る。 イ ノ シ シ は 荒 々 し く 獰 猛 な 印 象 が 強 い が、 Ⓚ の 美 人 画 や Ⓢ の「 見 立 十 二 支 」 に も 描 か れ る よ う に、 武 士 の 守 り 神 と さ れ た 摩 利 支 天 が 乗 る 動 物としての印象が強かったことも伝わってくる。 四、 十二支を描く際の傾向 ― まとめにかえて   【表 2 】に関する以上の検証をふまえた上で、十二支を描く際の傾向について考えたい。 (一)役者絵の主題選択   役 者 見 立 絵 の 場 合 は、 前 提 と し て 歌 舞 伎 で 上 演 さ れ る 場 面 や 役 柄 を 選 択 す る 場 合 が 多 い。 【 表 2 】 で 比 較 し て み る と、 美 人 画( Ⓚ ) で は 初 卯 詣 で、 初 午、 酉 の 市 な ど、 干 支 の 名 に ち な ん だ 行 事 が 描 か れ る 傾 向 に あ り、 干 支 か ら の 連 想 の 典 型 的 な も の が 描 か れ る 印 象 が あ る。 「 初 卯 詣 で 」 な ど は 国 芳 の Ⓢ に も 関 わ っ て く る が、 役 者 見 立 絵 と 重 複 す る 部 分 は 少 な い。 武 者 絵( Ⓝ ) で は 素 戔 嗚 尊 の 八 岐 大 蛇 退 治 や、 雄 略 天 皇 の イ ノ シ シ の 逸 話 な ど に も 取 材 し、 古 か ら の 神 や 天 皇、 武 将 た ち の 姿 を 描 き 出 し て い る 点 が 興 味 深 い。 「 卯 」 の 伊 賀 寿 太 郎 の 逸 話 は 役 者 見 立 絵( Ⓣ、 Ⓥ ) で も 取 り 上 げ ら れ て い る が、 「 子 」 の 頼 豪 や「 丑 」 の 鬼 童 丸、 「 戌 」 の 畑 六 郎 左 衛 門 等 の 歌 舞 伎 で も 登 場 す る 人 物 で も、 役 者 見 立 絵 に 取 り 上 げ ら れ て い な い 点 は、 歌 舞 伎 な ら で は の 主 題 選 択 と い う こ と が で き よ う。 個 人 の 逸 話 を 描 く 武 者 絵 と は 異 な り、 芝 居 全 体 の 面 白 さ や 上 演 頻 度、 ま た その役を当たり役とする役者がいるかという点も、浮世絵として描く際に重要であったのである。

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十二支の役者見立絵 八七 役 者 見 立 絵 の 場 合、 特 に「 子 」( 伽 羅 先 代 萩 )、 「 辰 」( 祇 園 祭 礼 信 仰 記 )、 「 未 」( 富 岡 恋 山 開 )、 「 申 」( 近 頃 河 原 達 引 )、 「 戌 」 ( 里 見 八 犬 伝 )、 「 亥 」( 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 ) な ど は 複 数 の 役 者 見 立 絵 に 描 か れ て お り、 歌 舞 伎 に お い て は、 か な り イ メ ー ジ が 固 定されるものもあることが実感される。 (二)動物の描写の有無について   十 二 支 に ち な ん だ 歌 舞 伎 で は、 す べ て の 動 物 が 舞 台 上 で 演 じ ら れ る。 だ が、 見 立 絵 の 中 に は 動 物 自 体 を 描 か ず に、 役 者 の み を 示 す 例 も 多 く、 あ く ま で も 主 体 は 役 者 で あ る こ と が わ か る。 例 え ば 国 芳 の Ⓢ で は、 デ ザ イ ン 的 に タ イ ト ル を 囲 む 枠 に 干 支 の 動 物 を 配 す る の を 別 に し て、 動 物 自 体 は イ ヌ と 掛 け 軸 の 中 の イ ノ シ シ し か 描 か れ て お ら ず、 三 代 豊 国 の Ⓣ で も、 「 巳 」 の 図( 蛇 使 い の お 六 に 巻 き つ く ヘ ビ ) し か 確 認 で き な い。 Ⓥ の 場 合 は、 舞 台 裏 を 見 せ る と い う コ ン セ プ ト の た め、 「 子 」 「 辰 」「 午 」「 未 」「 申 」「 戌 」 の 六 図 に は 実 際 の 舞 台 と 同 じ 姿 で 表 現 さ れ る が、 Ⓡ の 上 方 絵 で も 動 物 そ の も の は ま っ た く 描 か れ て い な い。 こ の よ う な 傾 向 か ら、 十 二 支 と い う の は あ く ま で も 枠 組 み で あ り、 動 物 が 登 場 す る 場 面 を 正 確 に 描 く と い う よ り、役者のブロマイドとしての用途を優先させた手法をとることが明らかとなるだろう。 (三)役者の見立について   ま た 役 者 を 見 立 て る 際 に は、 当 時 の 人 気 役 者 を 主 に 描 い て い る が、 国 芳 の Ⓢ「 辰 」 に 描 か れ る 五 代 目 瀬 川 菊 之 丞 や 三 代 目 坂 東 三 津 五 郎、 三 代 豊 国 の Ⓣ「 巳 」 に 描 か れ る 五 代 目 岩 井 半 四 郎、 「 亥 」 に 描 か れ る 三 代 目 尾 上 菊 五 郎 は す で に 鬼 籍 に 入 っ て お り、 特 に 前 者 の 二 名 は 活 動 時 期 を 考 え て も か な り 昔 の 名 優 と い う 印 象 が あ る。 Ⓢ や Ⓣ が 描 か れ た 嘉 永 五 年 に は 役 者 見 立 絵 が 大 量 に 出 版 さ れ て い る が、 そ の 多 く が 過 去 の 役 者 も 含 め て 描 い て い る こ と も、 十 二 支 の シ リ ー ズ に 影 響 し て い る の で あ ろう。 (四)揃物ごとの傾向   こ れ ま で に も 触 れ て き た が、 国 芳 の 作 品 の 主 題 選 択 に は 注 目 さ れ る。 Ⓟ「 美 盾 十 二 史 」 が 役 者 絵 を 禁 じ ら れ た 時 期 に 作 成

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十二支の役者見立絵 八八 さ れ、 山 本 勘 助 の 逸 話 な ど 武 者 絵 の 主 題 に な り そ う な も の も 取 り 入 れ る の は 興 味 深 い が、 特 に Ⓢ の「 見 立 十 二 支 」 は 定 番 と 思われる演目をわざと外して選んでいるように感じられる。次に挙げるように、様々な工夫がある。 ・干支に関する行事=初卯詣で   「卯」小さん、金五郎 ・信仰=酉年の守り神の不動明王   「酉」綱五郎 ・刻限の名称=丑の刻参り   「丑」平内左衛門         未の刻   「未」阿古屋 ・名前からの連想=「辰」お辰        「申」猿嶋惣太        「亥」亥之助   こ う し た 例 か ら、 「 見 立 十 二 支 」 が 他 の シ リ ー ズ と は 選 択 基 準 が か な り 異 な る こ と が 見 て 取 れ る。 ま た【 図 6 】 と し て 直 近 の 芝 居 に 取 材 し た 例 を 挙 げ た よ う に、 記 憶 に 新 し い 演 目 を 取 り 上 げ る こ と で、 享 受 者 の 興 味 を 引 く こ と に も 成 功 し た の で は な い だ ろ う か。 Ⓟ「 美 盾 十 二 史 」 と の 重 複 を 避 け こ の よ う な 主 題 選 択 を し た 可 能 性 も あ る が、 十 二 支 と い う 枠 組 み を 自 在 に活用した国芳の個性もまた、浮き彫りになるのである。   Ⓣ の「 擬 絵 当 合 十 二 支 」 の 場 合、 嘉 永 五 年 の 検 閲 印 を 有 す る も の が 大 部 分 を 占 め る が、 文 久 元 年 の 印 が あ る 作 品「 卯 」 「 未 」「 戌 」 の 主 題 が、 「 楽 屋 十 二 支 之 内 」( Ⓥ ) の う ち 三 代 豊 国 自 身 が 手 が け た と 思 わ れ る 作 例 と 重 な っ て お り、 主 題 を 再 選 択 し て い る 点 は 興 味 深 い。 刊 行 年 に つ い て は こ れ か ら も 検 討 し た い が、 文 久 元 年 の 図 が す で に あ る 版 木 を 利 用 し た 彫 り 直 し であるならば、このシリーズや「十二支」という主題自体の人気を示す材料にもなるだろう。   Ⓥ の「 楽 屋 十 二 支 之 内 」 は 舞 台 裏 を 描 く 点 に 面 白 味 が あ る が、 ト ラ 退 治 を 連 想 さ せ な が ら も ト ラ の 描 写 を 避 け る 等、 図 に よって変化をつけていることもうかがえる。

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十二支の役者見立絵 八九   十 二 支 の 揃 物 の 一 部 だ け を 取 り 出 し た 形 に な る が、 そ れ ぞ れ の ジ ャ ン ル で、 自 由 に 連 想 を 働 か せ て 作 画 し て い る 様 子 が 確 認 で き た。 こ う し た 見 立 絵 が 商 品 と し て 成 立 し た 背 景 に は、 連 想 を 楽 し む、 と い う 江 戸 時 代 の 文 化 の 特 徴 が あ り、 人 を う な ら せ る 作 品 を 作 る こ と は、 浮 世 絵 師 や 歌 舞 伎 の 作 者 に と っ て も 腕 の 見 せ ど こ ろ で あ っ た。 今 後 は 十 二 支 だ け で な く、 様 々 な 動物を描いた作例も取り上げ、歌舞伎や浮世絵などを通じて江戸時代の動物観にせまっていきたい。 (註) 一、十二支の動物や絵画に関しては、主に次の文献を参照した。    高久久『歌舞伎動物記   十二支尽歌舞伎色種』近代文藝社   一九九五年    佐藤健一郎『十二支の民俗誌』八坂書房   二〇〇〇年    『日本民俗大辞典(上・下) 』  吉川弘文館   一九九九・二〇〇〇年    『精選   日本民俗辞典』   吉川弘文館   二〇〇六年    府中市美術館編『動物絵画の 2 5 0 年』 (展覧会図録)府中市美術館   二〇一五年    国立劇場絵葉書「楽屋十二支之内」新藤茂氏による解説 二、このシリーズは、ボストン美術館に全図が初蔵されている。 三、 本 シ リ ー ズ は、 鈴 木 重 三 氏 に よ り 七 図 が 確 認 さ れ た こ と( 『 シ ン ド ラ ー・ コ レ ク シ ョ ン 浮 世 絵 名 品 展 』 № 21~ 25、 一 九 八 五 年 )、 そ の 中 の 図 が 橘 守 国 画 の『 絵 本 写宝袋』 (享保五年(一七二〇)刊、 湖龍斎が参照したのは明和七年(一七七〇)に江戸の再版本とされる)から構図を借りていることが指摘されている。また、 同 シ リ ー ズ の「 戌 」 図 に つ い て は、 所 蔵 す る 山 口 県 立 萩 美 術 館・ 浦 上 記 念 館 の イ ン タ ー ネ ッ ト 上 の 図 版 解 説 で も『 絵 本 写 宝 袋 』 を 参 考 に し た こ と が 指 摘 さ れ て いる。 四、 「 十 二 支 」 そ の も の を 題 材 に し た 歌 舞 伎 作 品 に は、 文 化 文 政 期 を 代 表 す る 舞 踊 の 名 手、 三 代 目 坂 東 三 津 五 郎 が 演 じ た 所 作 事「 寄 三 津 再 十 二 支 」( 文 化 十 一 年 (一八一四)三月江戸中村座初演)があり、次のように踊り分けられている。    子=小松引き・丑=大原・寅=外郎売・卯=かちかち山・辰=乙姫・巳=江の島座頭 ・ 午 = 王 子 参 り・ 未 = 紙 き ぬ た・ 申 = 猿 田 彦・ 酉 = に は 鶏 娘・ 戌 = 四 つ 竹 ふし・亥=仁田の四郎(表記は絵本番付による) 五、 江 戸 と 上 方 で は 上 演 頻 度 の 高 い 演 目 も 異 な り、 例 え ば【 表 2 】 の「 子 」 の 項 目 に 掲 載 し た「 伽 羅 先 代 萩 」 の よ う に、 同 じ 演 目 で も 江 戸 と 上 方 で 役 名 を 変 え る 場 合もある(上方では荒獅子男之助を松ヶ根鉄之助、仁木弾正を斎原勘解由とすることが多い) 。 六、 『和漢三才図会   6 』東洋文庫四六六   平凡社   一九八七年。 七、 【 表 2 】 に 掲 載 し た Ⓝ「 武 勇 見 立 十 二 支 」 の「 未 」 図 に 描 か れ る 関 羽 も『 三 国 志 演 義 』 で 知 ら れ る 武 将 で あ り、 武 者 絵 の テ ー マ に 中 国 小 説 が 好 ん で 選 ば れ る こ とがうかがえる。 八、 本 図 に は 嘉 永 五 年 の 検 閲 印 が あ る が、 お さ ん 役 と し て 描 か れ る 三 代 目 沢 村 田 之 助 は ま だ 役 者 と し て 活 動 し て い な い 時 期 に 当 た る た め、 本 図 も 他 の 文 久 元 年 ( 一 八 六 一 ) の 印 を 有 す る 作 品 と と も に、 同 時 期 に 描 か れ た も の で は な い か と 推 測 し て い る。 な お こ の「 擬 絵 当 合 」 シ リ ー ズ で は、 本 図 と「 申 」「 亥 」 の 三 図 の タイトルが「絵当合」となっている。 九、歌川国芳画「文覚上人」 (嘉永期、竪三枚続) 。滝で荒行する文覚のもとに不動明王の脇侍の矜羯羅童子と矜羯羅童子が助けに来る逸話を描く。

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十二支の役者見立絵 九〇 (付記)   本 稿 は、 第 二 十 回 国 際 浮 世 絵 大 会 秋 季 大 会( 二 〇 一 五 年 十 一 月 七 日、 於 國 學 院 大 學 ) に お け る 発 表 を も と に し て お り、 そ の 際 に ご 教 示 い た だ い た 方 々、 ま た 図 版 の掲載をご快諾いただいた諸機関にお礼申し上げます。

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十二支の役者見立絵

九一

【図1】石川豊雅画「十二支 丑 如月」

Ⓒ Trustees of the British Museum

【図2】礒田湖龍斎画「風流十二支」

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十二支の役者見立絵 九二 【図3】歌川国芳画「美盾十二史 卯 足柄山の姥」 早稲田大学演劇博物館蔵 101−6267 【図4】二代歌川国貞画「見立楽屋十二支之内 午  奴小まん」   早稲田大学演劇博物館蔵 120−0230

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十二支の役者見立絵 九三 【図5】三代歌川豊国画「絵当合 酉 三荘太夫  娘おさん」   早稲田大学演劇博物館蔵 006−2461 【図6】歌川国芳画「見立十二支之内 酉 綱五郎」   国立国会図書館蔵

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十二支の役者見立絵 九四 【図7】三代歌川豊国画 嘉永四年上演「源氏模様娘雛形」 早稲田大学演劇博物館蔵 101−1758 〜 1760

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十二支の役者見立絵 九五 【表1】Ⓑ 石川豊雅画「十二支」シリーズ各図の概要 干支 月 描かれる内容 子 睦月 正 月 の 様 子。 ネ ズ ミ を 使 い と す る 大 黒 天( 打 出 の 小 槌 と 袋 を 持 ち 米 俵 の 上 に 座 す 姿 が 一 般 的 ) に ち な み、 打 出 の 小 槌 を 持 ち 大黒に扮する子ども、袋の中から現れる多くの白ネズミ、米俵に米を入れる子ども等が描かれる。 丑 如月 牛 に 乗 り 天 神( 学 問 の 神、 菅 原 道 真 ) に 見 立 て ら れ る 子 ど も と、 「 天 満 宮 」 と 書 か れ た 万 度 を 持 つ 子 ど も 達。 二 月 二 十 五 日 は道真の命日。 【図1】 寅 弥生 歌 舞 伎「 国 性 爺 合 戦 」 ご っ こ。 ト ラ の 描 か れ た 屏 風 絵 に 乗 り、 隈 取 を し て 虎 退 治 を す る 和 藤 内、 捕 り 手 や ツ ケ 打 ち 等 に 扮 す る子ども達。 卯 卯月 龍 田 明 神( 龍 田 大 社 ) の 幟 と、 餅 を つ く ウ サ ギ を 配 し た 幣 帛。 烏 帽 子 に ウ サ ギ 模 様 の 着 物、 白 い 狩 衣 姿、 太 鼓 や 笛 で は や す 子ども達。 辰 仲夏 強壮剤「地黄丸」の店先。端午の節句の飾り物としてリュウを描いた幟を持つ子ども達。 巳 水無月 鳥居の後ろの岩窟の中に弁財天の像(滝野川の松橋弁財天か)と、木の枝に弁財天の使いのヘビ。それを見る子ども達。 午 文月 川で馬を洗う子ども達。 未 八月の風物である萩の花と満月(中秋の名月) 、ヒツジに紙を食べさせる子ども達。 申 猿廻しに扮する子ども達。 酉 神無月 ニワトリと遊ぶ子ども達。 戌 霜月 子どもの喧嘩と野良犬。 亥 極月 画面上部に描かれるイノシシを脅かすため鹿威しを鳴らし、法螺を吹き、太鼓を打つ子ども達。

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十二支の役者見立絵 九六 【表2】シリーズごとの比較凡例   一、役者名の代数は〈 〉内に記載した 二、図と同じ配役での上演が確認できる場合のみ※を伏して示した 三、干支ごとに記載し、上段には図に記されるタイトル、役名、役者名、下段には「 」内に取材した演目を記し描かれる内容の解説を記し た 十二 支 【美人画】Ⓚ 艶姿花の十二支 【武者絵】Ⓝ 武勇見立十二支 【歌舞伎】Ⓟ 美盾十二史 【役者見立絵】Ⓢ 見立十二支 【役者見立絵】Ⓣ 擬絵当合十二支 【役者見立絵】Ⓥ 楽屋十二支之内 【役者見立絵】Ⓡ 見立十二支(上方) 子 子の日小まつ引 頼豪 雪姫 荒獅子男之助=市 川團十郎〈8〉 仁木弾正=市川海 老蔵〈5〉 荒獅子男之助=市 川團十郎〈8〉 仁木弾正=松本幸 四郎〈5〉 仁木弾正=初代河 原崎権十郎〈1〉 鉄 之 助 = 中 村 歌 右 衛 門 〈4〉 ・ 斎 原 = 五 代 目 市 川 海老蔵〈5〉 正月の子の日の遊 び 怪鼠となり延暦寺 の経典を食い荒ら す 「祇園祭礼信仰記」 祖父雪舟の故事に 倣い花びらを集め 足で鼠を描く 「伽羅先代萩」 仁木弾正がネズミ の妖術を使う 「伽羅先代萩」 仁木弾正がネズミ の妖術を使う 「伽羅先代萩」 仁木弾正がネズミ の妖術を使う 「伽羅先代萩」 仁木弾正(上方では斎原 勘 解 由 と す る こ と が 多 い)がネズミの妖術を使 う 丑 牛御前のちらし 鬼童丸 桜丸 粂の平内左衛門= 嵐 吉 三 郎〈 3〉 ・ 松若丸=中村福助 か 舎人桜丸=坂東竹 三郎〈1〉 女房八重=岩井粂 三郎〈3〉 牽牛星=河原崎権 十 郎〈1〉 ・ よ ば い星=市川小團次 〈4〉 しようじよう=三枡大五 郎〈4〉 ・ 梅 王 丸 = 片 岡 我童〈2〉 牛の御前(向島の 牛島神社)の撫で 牛 源頼光を討つべく 市原野で牛の皮を かぶり待ち伏せる 「菅原伝授手習鑑」 牛車で斎世親王と 苅屋姫を逢引させ る 「隅田川花御所染」 平内左衛門が丑の 刻参りをする 「菅原伝授手習鑑」 加茂堤の場。牛車 で斎世親王と苅屋 姫を逢引させる 「日月星昼夜織分」 七夕の晩、牽牛と 織女の逢引のさな か雷夫婦の喧嘩を 注進する □※ 安 政 6 年 9 月 市 村座「日月星昼夜 織分」 「菅原伝授手習鑑」 天拝山の場面。 黒牛に乗り安楽寺へと向 かう。 ※ふつうは梅王丸ではな く白太夫 寅 寅の日のさんけい 膳臣巴提便 曽我十郎祐成 虎 蔵 = 岩 井 粂 三 郎〈3〉 ・ 鬼 一 = 関三十郎〈3〉 土佐将監=森田勘 弥〈11〉 ・ 吃 又 平 =市川小團次 〈4〉 佐藤正清=片岡仁 左衛門〈8〉 曽 我 十 郎 = 三 枡 大 五 郎 〈4〉 ・ 曽 我 五 郎 = 嵐 璃 珏 〈2〉

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十二支の役者見立絵 九七 毘沙門天詣で(聖 徳太子が物部守屋 を討つ際毘沙門天 に祈り勝利したの が寅の年、 日、 刻) 百済で我が子を襲 ったトラを退治す る 「寿曽我対面」 恋人の名が大磯の 虎 「鬼一法眼三略巻」 名前の虎蔵 「傾城反魂香」 屏風に描かれたト ラが抜け出る □※ 嘉 永 元 年 3 月 市 村座 「昔語稲妻帖」 「八陣守護城」 朝鮮出兵の折の加 藤清正の虎退治の 伝承 十郎の恋人の名が大磯の 虎で、虎が石を担ぐ姿 卯 はつ卯のおごり 伊賀寿太良 足柄山の姥=岩井 半四郎〈7〉 金五郎=市川團十 郎〈8〉 ・ 小 さ ん =坂東しうか 〈1〉 平太郎良門=市川 市 蔵〈3〉 ・ 伊 賀 寿太郎=坂東亀蔵 〈1〉 平太郎良門=中村 芝翫〈4〉 山 う ば = 山 下 金 作〈4〉 ・ 怪童まる=中村玉七 〈1〉 亀戸妙義社の初卯 詣で(正月の初め ての卯の日に参詣 する) 相馬良門と天下を 狙 う 密 約 を 交 わ し、金烏玉兎に擬 え鴉と兎の血をま ぜた酒を飲む 「嫗山姥」 怪童丸と遊ぶ足柄 山のウサギ □※ 嘉 永 3 年 9 月 中 村座 「盟結艶立額」 「英 うとふ一諷」 相馬良門が放った 矢で玉兎石が二つ に割れる 「英 うとふ一諷」 相馬良門が放った 矢で玉兎石が二つ に割れる 「嫗山姥」 怪童丸と遊ぶ足柄山のウ サギ 辰 しかけのもやうの たつ 素盞雄尊 辰夜叉姫 徳兵衛女房おたつ = 瀬 川 菊 之 丞〈 5〉・ 釣船三婦=坂東三 津五郎〈3〉 松永大膳=嵐吉三 郎〈3〉 ・ 狩 野 の 雪 姫 = 尾 上 梅 幸 〈4〉 雪 姫 = 中 村 芝 翫 〈4〉か 大 膳 = 中 村 歌 右 衛 門〈 4〉・ 雪姫=中山南枝〈2〉 着物に竜を描く 八岐大蛇退治 名前が辰夜叉姫 「夏祭浪花鑑」 名前がお たつ 「祇園祭礼信仰記」 名刀倶梨伽羅丸の 奇瑞で竜が現れる □※ 嘉 永 3 年 9 月 市 村座「月雪花蒔絵 見台」 「祇園祭礼信仰記」 名刀倶梨伽羅丸の 奇瑞で竜が現れる 「祇園祭礼信仰記」 名刀倶梨伽羅丸の奇瑞で 竜が現れる 巳 巳 江のしまべん てん 仁田四良 土手のお六 唐木政右衛門=中 村 歌 右 衛 門〈4〉 ・ 沢井又五郎=松本 幸四郎〈6〉 土手の於六=岩井 半 四 郎〈5〉 ・ 道 心者願哲=松本幸 四郎〈6〉 石登米武助=中村 芝翫〈4〉 じねん生おさん=中村大 吉〈3〉 ・ 山 形 屋 儀 平 = 中 村 雀 右 衛 門〈1〉 ・ 蛇 遣イお市 弁財天の使いが白 蛇とされる 頼朝の命で富士の 人穴を探索、蛇に 出遭う 「杜若艶色染」 両国の見世物小屋 の女蛇使い 「伊賀越乗掛合羽」 巳年生まれの男児 の血で眼病治癒/ 蛇が二つに切られ 刀のありかが発覚 「杜若艶色染」 両国の見世物小屋 の女蛇使い 「伊賀越乗掛合羽」 巳年生まれの男児 の血で眼病治癒/ 蛇が二つに切られ 刀のありかが発覚 「傾城染分総」 女蛇遣い

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十二支の役者見立絵 九八 午 はつうままつり 曽我五良 おみわ 辰夜叉=坂東しう か〈1〉 ・ 良 門 = 市川團十郎〈8〉 小栗兼氏=中村福 助〈1〉 ・ 照 手 姫 =尾上菊次郎 〈2〉 奴小まん=沢村田 之助〈3〉 熊 谷 次 郎 = 尾 上 多 見 蔵 〈2〉 ・ 無 官 太 夫 敦 盛 = 嵐 璃珏〈2〉 稲荷神社の祭礼で ある二月の初午を 描く 馬に乗り兄十郎の もとへ急ぐ 「妹背山婦女庭訓」 御殿で官女たちに 馬子唄をうたわさ れる 平 将 門 や 相 馬 氏 ( 良 門 ) が 用 い た 繋ぎ馬の紋 「世界花小栗外伝」 馬芸に秀で、鬼鹿 毛という荒馬を手 なずける 「恋女房染分手綱」 関の小万 「一谷嫩軍記」 黒 い 馬 に 乗 る 熊 谷 と 敦 盛。 未 執事(しつじ)の 御やかた 関羽 白木屋おこま 阿古屋=岩井粂三 郎〈3〉 ・ 岩 永 宗 連=五代目市川海 老蔵〈5〉 玉屋新兵衛=片岡 我 童〈2〉 ・ 産 毛 の金太郎=中村福 助〈2〉か 茨原の藤兵衛=嵐 冠 五 郎〈1〉 ・ 玉 屋新兵衛=市川市 蔵〈3〉 うぶ毛の金太郎=実川延 三 郎〈1〉 ・ 玉 屋 新 兵 衛 =片岡我童〈2〉 奥女中の姿。ヒツ ジが紙を好むこと にちなみ、紙の支 度をする様を描く 典拠不明 「恋娘昔八丈」 お駒の恋人才三郎 は髪結い(紙と髪 をかける)/状さ しに多くの手紙 「壇浦兜軍記」 遊女阿古屋が恋人 である景清の詮議 を受ける刻限が未 の刻 「富岡恋山開」 見世物のヒツジが 偽証文を食べる 「富岡恋山開」 見世物のヒツジが 偽証文を食べる 「富岡恋山開」 見世物のヒツジが偽証文 を食べる 申 さる若のひやうば ん 孫悟空 與次郎 猿嶋惣太=尾上菊 五 郎〈3〉 ・ 清 玄 尼 = 岩 井 半 四 郎 〈5〉 猿 廻 シ 与 次 郎 = 尾 上 多 見 蔵〈2〉 ・ 芸者おしゆん=岩 井半四郎〈6〉 猿廻シ与次郎=市 川小團次〈4〉 与 次 郎 = 中 村 歌 右 衛 門 〈4〉 ・ つ り か ね や 権 兵 衛 =中村友三〈2〉 ・ 井づゝ や 五 郎 兵 衛 = 市 川 市 友 〈1〉 ・ わ ち か い や 八 兵 衛 =中山文五郎〈1〉 浅草にあった芝居 町、猿若町での歌 舞伎見物 『 西 遊 記 』 に 見 ら れる猪八戒との決 闘の場面 「近頃河原達引」 与次郎は猿廻し 「隅田川花御所染」 名前が 猿 嶋惣太 「近頃河原達引」 与次郎は猿廻し 「近頃河原達引」 与次郎は猿廻し □※ 嘉 永 3 年 5 月 中 村座「猿廻門出の 一諷」 「近頃河原達引」 与次郎は猿廻し

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十二支の役者見立絵 九九 酉 酉のまち 怪童丸 宿根太郎 綱五郎=市川團十 郎〈8〉 三荘太夫=片岡市 蔵〈1〉 ・ 娘 お さ ん = 沢 村 田 之 助 〈3〉 松月尼=中村芝翫 〈4〉 淀 屋 辰 五 郎 = 片 岡 我 童 〈2〉 ・ け い せ い 吾 妻 = 中 村大吉〈3〉 浅草の鷲神社の 酉 の市(十一月の酉 の 日 に 開 催 さ れ る) 鶏合の行司をつと める 「菅原伝授手習鑑」 菅相丞を出立させ るため鶏に夜明け を告げさせる 「源氏模様娘雛形」 綱五郎を救う不動 明王が酉年の守護 神 「由良湊千軒長者」 三荘太夫の悪事の 因果で娘おさんが 鶏娘になる 「天満宮菜種御供」 妹の恋人斎世親王 に恋慕、鶏に夜明 けを告げさせまい として自らが鶏に 変化 □※ 万 延 元 年 7 月 中 村座「天満宮利生 神籬」 「けいせい揚柳桜」 足利家御用達の淀屋長五 郎が金鶏の印と軍資金を 栄飛騨守に差し出す 戌 御いぬのりやく 畑六良左エ門 犬田小文吾 神 谷 伊 右 衛 門 = 市 川 團 十 郎〈8〉 ・ 秋山長兵衛=市川 広五郎 里見伏姫=坂東し う か〈1〉 ・ 金 鞠 大輔=沢村長十郎 〈5〉 犬塚信乃=市村羽 左衛門〈13〉 勇 利 金 太 = 中 村 友 三〈 2〉・ ぬ か 助 = 中 村 歌 右 衛 門 〈4〉 ・ 信乃=片岡我童 〈2〉 水天宮の安産祈願 ( 狛 犬 の 像 が 描 か れる) 犬を使い足利の城 を お と す 逸 話 が 『 太 平 記 』 に 見 ら れる 「南総里見八犬伝」 八犬士の一人で一 番の勇力 「東海道四谷怪談」 夢の場 伊右衛門と田舎娘 ( お 岩 ) が 出 逢 う 場面で登場 「里見八犬伝」 里見家の伏姫が犬 の八房と富山で暮 らし八つの玉を身 ごもる □※ 嘉 永 5 年 1 月 市 村座 「里見八犬伝」 「里見八犬伝」 八犬士の一人で、 飼い犬の与四郎の 首を斬ると「孝」 の文字の玉が飛び 出る 「里見八犬伝」 信乃の隣人の糠助は八犬 士の一人、 犬飼現八の父。 大塚村の場 亥 亥の日のしんこう 雄略天皇 山本勘助晴吉 亥之助=沢村長十 郎〈5〉 斧定九郎=市川海 老 蔵〈5〉 ・ 早 野 勘平=尾上菊五郎 〈3〉 斧定九郎=市川市 蔵〈3〉 仁 田 四 郎 = 市 川 当 升〈 1〉・ 十 郎 祐 成 = 実 川 延 三 郎 〈1〉 掛軸に描かれる摩 利支天(仏教の守 護神でイノシシに 乗 る 姿 が 描 か れ る) 『 日 本 書 紀 』 に 猪 を踏み殺す逸話が ある 猪狩りの際に眼を 負傷 「升鯉滝白籏」 名前が 亥 之助。掛 軸に描かれる摩利 支天がイノシシに 乗って描かれる 「仮名手本忠臣蔵」 猟師となった勘平 が猪と間違えて定 九郎を撃つ 「仮名手本忠臣蔵」 猟師となった勘平 が猪と間違えて定 九郎を撃つ 「けいせい曽我鎌倉 」 仁田四郎は富士の御巻狩 でのイノシシ退治の逸話 が著名

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参照

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