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『落窪物語』の食 : 姫君と道頼の結婚を中心に

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Academic year: 2021

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─ 1 ─   はじめに   『落窪物語』内で落窪の姫君(以降、落窪の姫君の呼称は「姫君」 とする)の侍女のような存在であるあこきは、聡明さと快活さ、人 懐こさをもつ魅力的な人物として描かれている。その魅力を存分に 発揮し、姫君と道頼を結婚に導いたわけだ が (1 ( 、あこきの活躍が最も 目立っているのは、姫君と道頼の結婚四日間であろう。既に指摘さ れ て い る よ う に、 『 落 窪 物 語 』 は 婚 姻 儀 礼 を 詳 し く 叙 述 し て い る 物 語である が (2 ( 、姫君の身なりを人並みに整え、婚姻儀礼の準備をし、 きちんと道頼を迎えて朝には道頼を送り出すなど、あこきの奔走の 様子も、その叙述の一端を担っている。そしてあこきの奔走は、食 べものの所望や三日夜餅・朝の粥の用意というように、食との関連 が高い。   本稿では、姫君と道頼の結婚四日間におけるあこきと食の関連を 見 て い く こ と で、 『 落 窪 物 語 』 の 食 が 何 を 描 き 出 そ う と し て い る の かを考察していきたい。   食べものの所望   道頼が突如中納言邸へ忍び込み、強引に姫君と一夜を共にしたた め、あこきは急遽結婚の準備に追われることになる。中納言邸で虐 げられている姫君は、十分な調度品を持っていないため、あこきは 和泉守の妻である裕福な叔母に所望の手紙を出し、几帳などを借り ることで、結婚二日目の夜に備えている。   さて、結婚三日目である。あこきは姫君と道頼のために「 今宵、 餅、 い か で 参 る わ ざ も が な 」( 五 七 頁 ) と の 思 い か ら、 叔 母 の も と へ手紙を送る。 いとうれしう、聞こえさせたりし物を賜はせたりしなむ、喜び 聞こえさする。また、あやしとは思さるべければ、 今宵、餅な む、いとあやしきさまにて用侍る 。 取り交ずべき果物など侍り ぬべくは、少し賜はせよ 。客人なむ、しばしと思ひ侍りしを、 四十五日の方違ふるになむ侍りける。されば、この物どもは、 しばし侍るべきを、いかが。盥、半挿の清げならむと、しばし 賜はらむ。取り集めて、いと傍らいたけれど、頼み聞こえさす

『落窪物語』の食

──姫君と道頼の結婚を中心に

鹿

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るままに(五八頁) この手紙に対し、叔母は様々な品物とともに、次の手紙をあこきへ 送る。 昔の人の御代はりは、あはれに思ひ聞こえて、女子も侍らねば、 娘にし奉らむ、身一つはいとやすらかにうちかしづきて据ゑ奉 らむと思ひて、さきざきも御迎へすれども、渡り給はぬこそ、 恨み聞こゆれ。物どもは、いとよかなり、いかにもいかにも使 ひ給へ。盥・半挿奉る。あな異やう。宮仕ひする人は、かやう の物、必ずは持たるは。なきか。今までは頼まざりつる。身に なきは、いと見苦しきを、いとあやしきこと、奉る。餅は、い とやすきこと、今ただ今して奉る。 物の具・餅など召すは、御 婿取りし給ひて、三日の設けし給ふか 。まめやかに、いかで対 面 も が な。 い と 恋 し く な む。 何 ご と も、 な ほ の た ま へ。 「 時 の 受領は、よに徳あるもの」と言へば、ただ今その ほ どなめれば、 仕まつらむ(五九~六〇頁) あこきは三日夜餅を所望するために叔母へ手紙を書いているが、手 紙 の 中 に は 結 婚 を 表 す 直 接 的 な 文 言 は な い。 「 今 宵、 餅 な む、 い と あやしきさまにて用侍る」と述べただけである。それにも関わらず 叔母は、夜に餅が必要なこと、盥や半挿の要求などから「物の具・ 餅など召すは、御婿取りし給ひて、三日の設けし給ふか」と、鋭く 結婚を察している。   さて、あこきの所望に対し、叔母はどのような品物を送ってきた のだろうか。あこきの所望「取り交ずべき果物など侍りぬべくは、 少し賜はせよ」に対して「大きなる餌袋に、い米入れて、紙を隔て て、 果 物・ 乾 物 包 み て 」( 六 〇 頁 ) を 送 っ て き て お り、 「 果 物 」 に 「い米」 「乾物」が追加されている。語り手は「いとくはしくなむお こ せ た り け る 」( 六 一 頁 ) と 好 意 的 に 評 し て い る が、 あ こ き も ま た 「 今 宵 は た だ を か し き さ ま に て 餅 を 参 ら む と 思 ひ て、 取 り て、 よ ろ づ に、 果 物・ 栗 な ど 掻 き 居 た り 」( 六 一 頁 ) と、 有 効 に 利 用 し た よ う だ。 『 新 版 落 窪 物 語 』 に は「 い 米 」 に つ い て「 底 本「 い こ め 」 未 詳。 【三八】の注一四に、 「かの白き米」とあるから、 「白米」 (白い 米 ) の 誤 り か 」 と あ り (( ( 、 こ の 注 釈 に 従 う と、 「 い 米 」 は 結 婚 四 日 目 の朝、道頼と姫君に食事を供する際、精進落としの料理と交換する の に 使 わ れ た よ う で あ る。 そ し て 餅 は、 「 日 や う や う 暮 る る ほ ど 」 (六一頁)に、 「草餅二種、例の餅二種、小さやかにをかしうして、 さ ま ざ ま 」( 六 一 頁 ) に 送 ら れ て き た。 今 宵 餅 が 必 要 だ と い う こ と で、あえて日が暮れてきた頃に送ってきたのだろう。しかも、三日 夜餅としても使えるよう、様々な餅を用意している。配慮が行き届 い た こ れ ら の 品 物 に、 あ こ き も 感 激 し た よ う で、 「 す べ て、 聞 こ え さすれば、世の常なり」 (六一頁)とお礼の返事を出している。   それではなぜ叔母は、配慮が行き届き、あこきからも感謝される ような品々を、送ることができたのだろう。叔母が気配りのできる 性格であったから、というのももちろんそうであろうが、あこきの ことを実の娘のように恋しく想っていたからではないだろうか。先 ほ ど の 叔 母 の 手 紙 を も う 一 度 見 て み る と、 「 昔 の 人 の 御 代 は り は (中略)恨み聞こゆれ」 「いかで対面もがな。いと恋しくなむ」とい

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─ ( ─ うように、あこきを娘として引き取りたかったことや、恋しく想っ ているので会いたいという気持ちが綴られている。あこきを実の娘 のように恋しく想うからこそ、あこきの状況や気持ちを慮り、行き 届いた品々を送ることができたのだろう。あこきが叔母に餅と果物 を所望する場面からは、叔母のあこきに対する、母親(代わり)と しての想いが読み取れるのである。   ところで、叔母があこきを娘のように想っているのと同様に、あ こきも叔母のことを実の母親のように想っているのだろうか。それ はいささか考えにくい。叔母が「昔の人の御代はりは(中略)恨み 聞 こ ゆ れ 」「 い か で 対 面 も が な。 い と 恋 し く な む 」 と、 あ こ き へ の 想いをはっきりと表明しているのに対し、あこきは物を送ってくれ たことに感謝はしているものの、叔母のことをどう思っているのか については、表明していないからである。この、やや一方通行とも いえる母娘関係については後述するとして、次に帯刀が自分の母親 ( 道 頼 の 乳 母 ) に 食 べ も の を 所 望 す る 場 面 を 見 て み よ う。 結 果 と し て結婚一日目となった日の出来事である。   中納言一家が石山詣でに出かけた日、帯刀は中納言邸へ向かうこ とになったのだが、中納言邸には食料が無いであろうと、気を利か せて果物を届けようとする。そのため「をかしきさまならむ果物一 餌 袋 し て 置 い 給 へ れ。 今 た だ 今 取 り に 奉 ら む 」( 三 三 頁 ) と い う よ うに、母親へ果物を所望する。帯刀が母親のもとへ使者を送ると、 母親から「餌袋二つして、をかしきさまにして入れたり。いま一つ の大きやかなるには、さまざまの果物、色々の餅、薄き濃き、入れ て、紙隔てて、焼米入れて」 (三四頁)が届く。   母親から届いた餌袋に対して、語り手は「さうざうしげなる気色 を 見 て、 い か で は か な き 心 ざ し を 見 せ む と 思 ひ て し た る な り け り 」 ( 三 五 頁 ) と、 好 意 的 に 見 て い る よ う で あ る。 し か し、 あ こ き は 少 し 違 う。 あ こ き は 餌 袋 を 見 て「 「 い で、 あ や し。 ま め 果 物 や。 け し からず。そこにし給へるにこそあめれ」と怨」じており(三五頁) 、 特に「まめ果物」が届けられたことに対して、少なからず困惑し、 帯刀を怨んでいるのである。 『新編日本古典文学全集』の頭注には、 「 焼 米 は 本 来、 旅 行 な ど に 携 帯 す る 実 用 的 な 食 物 で、 菓 子 の 類 で は な か っ た。 だ か ら こ こ で は、 焼 米 を、 「 ま め( 実 用 の 意 ) な 菓 子 」 と 言 っ た 」 と あ り (( ( 、「 ま め 果 物 」 と は「 焼 米 」 の こ と を 指 し て い る と考えられる。 『うつ ほ 物語』 「国譲中」巻には、正頼が実忠の北の 方のもとへ焼米を贈る場面があるの で (( ( 、誰かに焼米を贈るという行 為が失礼に当たる、というわけではないらしい。それではなぜ、あ こきは焼米が届けられたことに対して困惑しているのだろうか。   こ こ で、 「 ま め 果 物 」 の 焼 米 に つ い て 考 え て み よ う。 語 り 手 が 「 さ う ざ う し げ な る 気 色 を 見 て、 い か で は か な き 心 ざ し を 見 せ む と 思ひてしたるなりけり」と述べているとおり、帯刀の母親は食料が 無くて困っているだろうから手助けしたい、という純粋な気持ちか ら焼米を送ったのかもしれないが、あこきはその行為を「息子(帯 刀)の食事の世話ができない嫁」だと姑に思われている、というよ うに解釈したのではないか。本来、夫の世話は妻及び妻の家族が行 うものであるから、夫の実家から間食用などではない実用的な食べ

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ものが送られてくるということは、夫の食事の世話をできない妻だ と姑からみなされていると受けとれる。あこきもそのように受けと り、妻としてのプライドを傷つけられたのではないだろうか。だか らこそ、焼米が届けられたことに対して困惑しているのだと考えら れるのである。後で詳述するが、姫君と道頼の結婚四日間で、あこ きは姫君と道頼へ食事を供することに執着している。帯刀の母親か ら 焼 米 を 送 ら れ て き た こ と を き っ か け に、 「 妻( の 家 族 ) が 夫 の 世 話をする」という意識が強まったのかもしれない。   先 ほ ど、あこきが叔母へ食べものを所望する場面では、あこきの 所望「取り交ずべき果物など侍りぬべくは、少し賜はせよ」に対し て「 大 き な る 餌 袋 に、 い 米 入 れ て、 紙 を 隔 て て、 果 物・ 乾 物 包 み て」を送ってきており、 「果物」に「い米」 「乾物」が追加されてい る、と述べた。これは、あこきの状況や気持ちを慮った行為であり、 あこきは感謝の気持ちを抱いている。一方で、帯刀が母親に食べも のを所望する場面では、帯刀が「をかしきさまならむ果物一餌袋し て置い給へれ」と所望したのに対し、母親は「餌袋二つして、をか し き さ ま に し て 入 れ 」 た も の を 送 っ て き て い る。 「 を か し き さ ま 」 は 帯 刀 の 依 頼 通 り だ が、 「 一 餌 袋 」 の 依 頼 に 対 し て 母 親 は「 餌 袋 二 つ」を送ってきており、ここから母親のお節介な性格が見受けられ る。さらに、焼米を送ってあこきに困惑されている様子からは、相 手の気持ちを慮れず、自身の考えや行動が相手のためになり、正し いことであると思い込んでしまう人となりが窺えるのである。なお、 帯刀の母親のこれらの性格は、後の道頼と右大臣の娘との縁談でも あらわれている。帯刀の母親のもとに持ち込まれた道頼と右大臣の 娘 と の 縁 談 を、 道 頼 が 断 っ た に も か か わ ら ず、 「 道 頼 の た め 」 と 勝 手に推し進めるのである(道頼と帯刀が帯刀の母親へ抗議した結果、 縁談が成立することはなかった) 。   帯刀が母親に食べものを所望する場面では、あこきと帯刀の母親 の、いわゆる嫁姑関係を垣間見ることができる。また先述したとお り、あこきが叔母に餅と果物を所望する場面からは、叔母とあこき の、まるで実の母娘のような関係を読み取ることができた。このよ う に、 『 落 窪 物 語 』 の 食 べ も の を 所 望 す る 場 面 で は、 食 べ も の を 所 望された人物の性格及び人となりや、食べものを所望した人物と所 望された人物の関係が、描かれているのである。   三日夜の餅 朝の粥   第二節で触れたように、あこきは姫君と道頼の結婚三日目に「 今 宵、餅、いかで参るわざもがな 」との思いから、自分の叔母に餅を 所望する。次に掲げるのは、あこきが三日夜餅を姫君と道頼に供す る場面である。 あこき、この餅を箱の蓋にをかしう取りなして参りて、 「これ、 いかで」と言へば、君、 「いと眠たし」とて起き給はねば、 「な ほ 、 今 宵 御 覧 ぜ よ 」 と て 聞 こ ゆ れ ば、 「 何 ぞ 」 と て、 頭 も た げ て見上げ給へば、餅ををかしうしたれば、少将、誰、かくをか しうしたらむ、かくて待ちけりと思ふも、されてをかしければ、 「 餅 に こ そ あ め れ。 食 ふ や う あ り と か。 い か が す る 」 と の た ま

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─ ( ─ へば、あこき、 「まだやは知らせ給はぬ」と申せば、 (道頼ガ) 「いかが。一人ある間は食ふわざかは」とのたまへば、 (あこき ガ )「 切 ら で、 三 つ と こ そ は 」 と 申 せ ば、 ( 道 頼 ガ )「 ま さ な く ぞあなる。女は、いくつか」とのたまへば、 (あこきハ) 「それ は、御心にこそは」とて笑ふ。 (道頼ガ) 「これ参れ」と、女君 に 参 り 給 へ ど、 恥 ぢ て 参 ら ず。 い と 実 法 に 三 つ 食 ひ て、 「 蔵 人 の 少 将 も、 か く や 食 ひ し 」 と の た ま へ ば、 「 さ こ そ は 」 と 言 ひ て居たり 。(六九~七〇頁) 道 頼 は、 世 間 で「 い み じ き 色 好 み 」( 二 一 頁 ) と 噂 さ れ て い る 割 に は、三日夜餅の食べ方を知らないようで、あこきに食べ方を聞いて いる。そしてあこきに言われたとおり、律儀に餅を三つ食べている。   こ の 場 面 で 道 頼 は、 「 蔵 人 の 少 将 も、 か く や 食 ひ し 」 と あ こ き に 尋ねている。蔵人の少将とは、姫君の異母姉・三の君の夫である。 あこきが三の君の侍女であるため、三の君と蔵人の少将が三日夜餅 を食べた様子を、あこきに尋ねたのであろう。道頼の質問に対し、 あ こ き は「 さ こ そ は 」 と 答 え て い る が、 「 さ こ そ は 」 に は「 さ こ そ は(ありけめ) 」と、 「ありけめ」が省略されている可能性があり、 その場合はあこきが「そうでございましょう」と推量で答えている ことになるので、実際に三の君と蔵人の少将が三日夜餅を食べたか どうかは定かではない。また、物語内で三の君と蔵人の少将が三日 夜餅を食べる場面も描かれていない。   これら二組の夫婦の婚姻関係であるが、姫君と道頼が生涯に渡っ て関係を持続させたのに対し、三の君と蔵人の少将の婚姻関係は破 綻している。あこきに三日夜餅を供され、それを食す場面がきちん と描かれている姫君・道頼と、三日夜餅を供され食す場面が描かれ な い 三 の 君・ 蔵 人 の 少 将 夫 婦。 『 落 窪 物 語 』 で は、 妻 方 の 人 物、 特 に母親が食べものを供し、婿となる男がそれを食する場面を描くこ とで、持続する夫婦関係を表しているのではないだろうか。   もちろん、あこきは姫君の母親ではない。けれども、姫君の母親 のような存在だとみなせるのである。そのことは、朝の粥を供する 場面から確認できるので、順番に見ていこう。まずは、結婚三日目 の朝である。   あこき、 御手水・粥、いかで参らむと思ひて 、御厨子にや語 らはましと思へど、お ほ かたにもおはしまさねば、御粥もよに せじと思へど、行きて語らふ。 (中略)   男 君、 起 き 給 ひ て、 御 装 束 し 給 ひ て、 「 車 は あ り や 」 と 問 ひ 給ふ。 (従者ガ) 「御門に侍り」と申せば、出で給ひなむとする に、 ( あ こ き ガ ) い と 清 げ に て、 御 粥 参 り た り 。 御 手 水 取 り 具 し て 参 り た り。 ( 道 頼 ハ ) あ や し う、 便 な し と 聞 き し ほ ど よ り は と 思 す。 女 君 は、 い と あ や し う、 い か で と 思 ひ 給 へ り。 ( 五 五~五七頁) 結婚三日目の朝、本来であれば男は夜が明ける前に女の家を出る。 しかしこの日は雨が降っていたせいもあって、なかなか道頼が帰ろ うとしなかった。あこきは御厨子所の下女に相談し、粥を用意する。 供 さ れ た 粥 を、 姫 君 は 道 頼 が 帰 っ た 後 に「 少 し 参 り て、 臥 し 」( 五 七頁)たようだが、道頼が粥を食べたかどうかは、この原文からは

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確認できない。しかしながら「あやしう、便なしと聞きし ほ どより は」と思っていることから、供された粥を受け入れたことは確認で きる。さらに、道頼が帰ったからとはいえ、姫君が粥に手をつけた のだから、道頼も粥に手をつけていた可能性が高いだろう。   次に、結婚四日目の朝の様子を見てみよう。   (道頼ハ) 「いかでか出でむとする。人静かなりや」など言ひ 臥し給へる ほ どに、あこき、いといと ほ しきわざかな、石山へ も、今日は帰りおはしぬらむ、人もこそふと来れと思ふも、静 心なくて、 御粥・御手水など思ふに 、急ぎ歩けば(中略)   女、かく隠れもなき所に、人もこそ来れ、いかにせむと胸つ ぶれて、いと恐ろし。あこきも、いと慌たたしくおぼゆ。 合は せいと清げにて、粥参り 、御手水参り、急ぎ歩く(中略)   御膳も出で来にければ、 (あこきハ)御厨子所に来て、 「あが 君、あが君」と言ひて、かの白き米多くに代へて、御台参りに 来ぬ。   ものきりは見馴らひたれば、少将の君、便なしとのみ聞きし に、 い と 心 憎 く 思 す。 女 君 も、 い か な る な ら む と。 ( 七 二 ~ 七 四頁) 中納言一家が石山詣でから帰ってきたことで、精進落としの膳が用 意されたことから、あこきは道頼と姫君に朝の粥を供した後、精進 落 と し の 膳 も 供 し て い る。 道 頼 は「 を さ を さ 参 ら ず 」( 七 四 頁 ) と いうことで、少しだけ手をつけたようだが、姫君は「はた起き居給 はねば」 (七四頁)と、まったく手をつけなかったようである。   さて、本節の波線部を見て ほ しい。三日夜餅について「今宵、餅、 い か で 参 る わ ざ も が な 」、 朝 の 粥 に つ い て「 御 手 水・ 粥、 い か で 参 ら む と 思 ひ て 」「 御 粥・ 御 手 水 な ど 思 ふ に 」 と、 あ こ き の「 道 頼 に 食事を用意したい」という思いが明確に語られている。しかも「い かで」という副詞が使われることにより、 「「何としてでも」食事を 用意する」という、強い意志が感じられるのである。なぜ、そこま で食事の用意に執着するのだろうか。三日夜餅は婚姻の儀に必要な ものであるから、儀式を成立させるためにも必要であっただろうし、 朝の粥は姫君に恥をかかせたくないという思いで用意したのだろう が、理由は他にもありそうである。   姫君の母親代わりとして、婿である道頼の食事の世話をきちんと 行いたい。このような責任感があったからこそ、食事の用意に執着 したのではないだろうか。あくまであこきは姫君の侍女──正確に は三の君の侍女であるが、あこきは姫君に仕えたいと思っている─ ─である。けれども、結婚の準備や朝の粥の用意に奔走するあこき の姿は、侍女としての分際を超え、あたかも母親のようである。   ここでもう一つ朝の粥の場面を見てみよう。四の君と面白の駒の、 結婚四日目の朝の様子である。   ( 中 納 言 邸 ノ 人 々 ハ、 面 白 の 駒 ニ 対 シ テ ) 巳、 午 の 時 ま で、 手も洗はせず、粥も食はせで 、ありとある限り、その御方にと て多かりし人々も、誰かその痴れ者に使はれむとて出で来にも 出で来ず。 (中略)   少 輔( = 面 白 の 駒 )、 い つ と な く 臥 し た り け れ ば、 お と ど

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─ 7 ─ ( = 中 納 言 )、 「 い と ほ し。 か れ に 手 洗 は せ よ、 物 呉 れ よ。 か か る者に捨てられぬと言はむは、また、たてもなくいみじかるべ し。宿世や、さしもありけむ。今は、泣きののしるとも、事の 清 ま は ら ば こ そ あ ら め 」 と の た ま へ ば、 北 の 方、 「 あ た ら 吾 が 子を、何のよしにてか、さる者に呉れては見む」と惑ひ給へば、 (中納言ハ) 「悪しきこと、なのたまひそ。かかる者に捨てられ ぬと言はれむは、いかがいみじかるべき」 。北の方、 「来ずなら む時や、さも思はむ。ただ今は、させま ほ しくぞある」とのた まへば、未の時まで、人も目見入れねば、少輔、苦しうて出で て往にけり。 (一七七~一七九頁) 中納言邸の人々は、面白の駒に粥や手水の用意をすることを拒否し ている。見かねた中納言が継母に忠告するも、面白の駒へ粥や手水 が供されることはなかった。中納言邸の人々は、継母の意を体して、 粥などの用意をしないのである。この場面から、婿となる男の朝の 粥は、妻の母親の責任において供するものと考えられる。   あこきが母親のような立ち振る舞いをするようになったのは、姫 君の発言「故上おはせましかば、何ごとにつけても、かく憂き目見 せ ま し や 」( 四 六 ~ 四 七 頁 ) に 影 響 さ れ た か ら だ と い え る だ ろ う。 道頼が忍び込んで来たのはあこきが手引きをしたからだと勘違いし た姫君が、その時みすぼらしい姿で道頼を迎えてしまったことにつ い て、 あ こ き に 向 け て 発 し た 言 葉 で あ る。 「 母 上 が 生 き て い ら っ しゃったならば、何ごとにつけても、このようなつらい目にあわず にすんだでしょうに」と二度と姫君に思わせない。この決意から、 姫君の母親代わりとしての責任感が芽生えたのだと考えられるので ある。   さらに、婿である道頼の食事の世話をきちんと行いたいという思 いは、第二節で触れた、帯刀の母親から焼米が届けられた出来事も きっかけとなって生じたのではないだろうか。この出来事を思い起 こしてみると、帯刀の母親から焼米が届けられたことで、あこきは 困惑していた。困惑の理由は、夫の食事の世話をできない嫁だと姑 からみなされていると受け取り、妻としてのプライドが傷つけられ たからだと考えられる。姫君の母親代わりとして、二度とそのプラ イドを傷つけられないようにするために、食事の用意に執着したの だろう。   なお、先 ほ ど掲げた結婚四日目の朝の場面に続いて、姫君と道頼 が残した精進落としの膳をあこきがきれいに整え直して、帯刀に食 べさせる場面がある。この場面で帯刀は「ここらの日ごろ候ひつれ ど、かくおろしなどや見えつる。な ほ 、わが君(道頼)のおはしま す け な り け り 」( 七 四 頁 ) と 語 っ て い る が、 こ れ は 立 派 な 食 事 が 供 さ れ た こ と に 対 す る、 冗 談 め か し た 発 言 だ ろ う。 「 普 段 は こ ん な に 立派な食事は供されない」ということは、逆に言えば、普段は立派 でないながらも食事が供されていることの証ともとれるし、あこき が わ ざ わ ざ「 い と 清 げ に し て 」( 七 四 頁 ) 供 し て い る 様 か ら は、 あ こきの帯刀に対する愛情が感じられる。ここでの二人の会話からは、 仲睦まじい夫婦の様子が伝わってくるが、単に仲睦まじさを表すだ けではなく、あこきが妻としてきちんと帯刀の食事の世話をしてい

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ることを表す場面となっているのかもしれない。   結婚四日目の朝の粥が供されなかった面白の駒は、結局、四の君 と離婚することになる。娘の母親が婿に食事を供することを拒絶す ることで、娘夫婦の結婚生活が破綻するのである。一方、あこきと 帯 刀 は、 物 語 終 盤 に 夫 婦 円 満 で 子 沢 山 で あ る こ と が 語 ら れ る。 『 落 窪物語』では、妻方の人物、特に母親が食べものを供し、婿となる 男がそれを食する場面を描くことで、持続する夫婦関係を表してい るのではないだろうかと先述したが、それはこれらの場面からも証 明できるのである。   おわりに   当然のことではあるが、結婚は夫婦関係を築くための儀式である。 しかしながら、 『落窪物語』の姫君と道頼の結婚四日間の場面では、 食を通して夫婦関係以外の家族関係も描かれている。第一節で見た ように、結果として結婚一日目となった日に、帯刀が母親に食べも のを所望する場面では、あこきと帯刀の母親の嫁姑関係が浮き彫り になった。   けれども、結婚四日間の場面で最も注目すべき家族関係は、母娘 ( の よ う な ) 関 係 で あ ろ う。 あ こ き の 叔 母 は あ こ き を 娘 の よ う に 想 い、あこきは姫君の母親代わりとして仕えている。おもしろいのは、 これらの関係がどことなく一方通行であることだ。前述したとおり、 叔 母 は あ こ き に 対 し て「 昔 の 人 の 御 代 は り は( 中 略 ) 恨 み 聞 こ ゆ れ 」「 い か で 対 面 も が な。 い と 恋 し く な む 」 と い う よ う に、 あ こ き を娘として引き取りたかったことや、恋しく想っているので会いた いという気持ちを表明している。一方であこきは、物を送ってくれ たことに対して感謝の気持ちを述べてはいるものの、叔母に対して どのような気持ちを抱いているかは表明していない。また、あこき は姫君に「わが君に仕うまつらむと思ひてこそ、親しき人の迎ふる に も ま か ら ざ り つ れ。 何 の よ し に か、 異 君 取 り は し 奉 ら む 」( 一 八 ~一九頁)と、泣きながら仕えたいと気持ちを訴えている場面があ るが、姫君があこきをどう思っているかを描いている場面はあまり ない。あこきが叔母に対して、そして姫君があこきに対して、少な からず好意を持っていることは間違いないであろうが、叔母があこ きを想い、あこきが姫君を想う ほ どには、熱心さが見受けられない のである。けれども、この一方通行気味の母娘関係が、姫君と道頼 の夫婦関係を築く重要な鍵となっているのだ。   それでは、なぜこれらの関係は一方通行気味なのだろう。叔母は あこきを想い、あこきは姫君を想うことで、姫君は苦境を脱するこ とが可能になる、という物語の仕組があるのだろう。あるいはまた、 このような一方通行気味の関係が、自然な母娘関係を表現している からかもしれない。親が子供を想う ほ どに子供が親を想わないこと は、ごく一般的ではないだろうか。この二組は本当の母娘ではない けれども、一方通行気味の関係で描くことで、あたかも本当の母娘 のように表現されている。   なお、どことなく一方通行でありながら、完全な一方通行ではな いことに注意が必要だ。例えば、あこきが叔母に調度品や食べもの

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─ 9 ─ を所望した訳は、それらを入手する手段が他になかったためである。 しかし、手助けしたいという気持ちから焼米を送ってきた姑に、困 惑をおぼえたあこきである。切羽詰まったからと言って、助けてく れそうな人なら誰にでも泣きつくわけではない。あこきにとって、 亡き母の妹である叔母は、やはり母に近い人であり、いざという時 には頼りにできる人なのである。また姫君は、継母によって物置の ような部屋に閉じ込められた際に「君、げに、頼む方なく、はらか らとても、あひ思ひたることなし、はしたなげにのみあれば、その 人と言ふべきこともおぼえず、いみじう悲しくて、ただ頼むことと は、 涙 と あ こ き と ぞ、 心 に か な ひ た る も の に て 」( 一 三 五 頁 ) と、 思 っ て い る。 あ こ き も 姫 君 も、 本 当 に 困 っ た と き に は 母 親( 代 わ り)を頼りにしており、これも一般的な母娘関係に当てはまる。ど ことなく一方通行のようで完全な一方通行ではないという複雑さが、 より現実的な母娘関係を描き出し、実の母娘でないながら実の母娘 のようであるという、独特な母娘関係を表出しているのである。   『 落 窪 物 語 』 の 中 で、 食 に 関 す る 場 面 は あ ま り 多 く な い。 そ し て そのあまり多くない食に関する場面は、姫君と道頼の結婚四日間に 集中していて、独特で多様な家族関係を描き出しているのだが、そ の家族関係の中心にはあこきが存在する。あこきが食を通じて独特 で多様な家族関係を築くことで、姫君と道頼の夫婦関係も、強固に 構築されるのである。 注 1   拙稿「 『落窪物語』の恋愛──あこきの手紙が有する力──」 (『成蹊大 学人文叢書 14   文化現象としての恋愛とイデオロギー』 、成蹊大学文学 部学会編、風間書房、二〇一七年三月 ( を参照のこと。   2   服 藤 早 苗 氏 は、 「『 落 窪 物 語 』 に み る 婚 姻 儀 礼 ─ 平 安 中 期 貴 族 層 の 結 婚 式」 (『埼玉学園大学紀要(人間学部篇 (』第 6 号、二〇〇六年一二月   四 五頁 ( の中で、 「平安中期の貴族層の婚姻儀礼史料は思いの他少ないもの の、 『落窪物語』には、大変興味深い婚姻儀礼記事が多い」と述べている。   3   『 新 版   落 窪 物 語   上   現 代 語 訳 付 き 』( 室 城 秀 之 訳 注、 角 川 文 庫、 二 〇〇四年二月 ( 六〇~六一頁。   4   『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集   落 窪 物 語   堤 中 納 言 物 語 』( 三 谷 栄 一・ 三 谷 邦明校注・訳、小学館、二〇〇〇年九月 ( 三四頁。   5   『新編日本古典文学全集   うつ ほ 物語( 3 (』 (中野幸一校注・訳、小学 館、二〇〇二年八月   二四〇頁 ( に拠った。 ※  『落 窪 物 語 』 原 文 の 引 用 は『 新 版   落 窪 物 語   上   現 代 語 訳 付 き 』( 室 城 秀 之訳注、角川文庫、二〇〇四年二月 ( に拠り、その頁数を記した。 (しかのや・ゆうき   大学院博士前期課程修了)

参照

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