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愛知県護國神社文書『回議録  自昭和十六年 至昭和廿四年 愛知神社』について

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けているが残りを した) 。 官祭招魂社は、県知事が「靖國神社 合 本県出身者合 」としているように、神社としてに祭神としてっていたもので はなかった () 。 一 九 三 五 年 四 月 に 官 祭 招 魂 社 は 第 三 団 工 ( 現 愛 知 縣 護 國 神 社)に移 した () 。さらに、一九三八年十月には神社会は内務大 に「招魂社改 整備要」を 申した。招魂社はこれまで によって 祭が持 行される一神社とはされ、 の宗という に けることになっていた。 申では、招魂社を一神社と し、招魂社の 祭(戦者霊)を の宗として させ、戦 の をることを 的とするものであった () 。 一 九 三 九 年 三 月 に 内 務 省 令 第 十 二 号「 招 魂 社 護 國 神 社 と 改 称 」 、 第十三号「護國神社祭、祭合祭祭 詞定 」が出され て、 官 祭 招 魂 社 は 愛 知 縣 護 國 神 社 と な っ た。 詞 は「 社 司( 社 ) 」 の ほ か、 「 進」 「 官(市町 ) 」までがめられていた () 。 愛 知 縣 護 國 神 社 の 社 殿 は、 一 九 四 五 年 三 月 十 九 日 の 空 襲 に よ り 焼 失 し た。 その後、仮社殿を建設の五月十四日の空襲でこったでした。八 月十五日に 戦祭、八月二十三日には「大戦 戦者霊祭」が行 われた。この霊祭には 本 一県知事ら一〇〇〇人がした。 GHQの「神 令」により、の神社と様に の護をれ、愛知 一   愛知縣護國神社愛知神社の概要 愛 知 縣 護 國 神 社 資 料 は 号 で し た『 書 類   官 祭 招 魂 社   四十二年   十一年』があるが () 、もう一つの記『議   愛知神社   十六年   四年』を本号で する。 に 愛 知 縣 護 國 神 社 の 概 要 を 記 し て お く。 愛 知 縣 護 國 神 社 の 前 身 は、 二(一八六九)年にがった忠社であり、愛知名 にあっ た。 戦 で の 戦 死 者、 者 二 六 人 が 祭 神 と し て ら れ て い た () 。 資 料 「 愛 知 神 社 」 に よ る と、 の 内 は ( 現 名 市 名 町)からりけたとされている。その後、一八七五年には招魂社と改名さ れ、一九〇一年には官祭招魂社となった。 戦 、日戦 、日戦 の 軍者を合していくで軍の霊の組 織としての が大 くなった。一 、一八九五年には県知事が会である 表忠会が設立され、招魂祭を第三 団とともに行った。一九一八年に第三 団 場(現名)に社殿が完成すると第一合祭が施行された。 第一五 団がになると、一九二六年の第五合祭では三部の戦死者 ( 一 八 六 九 一 九 二 一 ) を 合 し た。 ま た、 日 戦 が ま る と 名 部霊祭が行われ、一九四五年一月の第四十四霊祭まで九の合祭 を れると四一三一六人以の合が行われた(表、五の字が 資料

 

 

 

 

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っている (7) 。 二   文書の概要 この資料は、愛知縣護國神社の成立から、空襲で社殿が焼失するなどを経 て、一九四七年に社殿が再建される時期の資料二五四ページからなっている。 まとまった部分を抽出して、年代順に並べておいた。また、漢字は常用漢字 に直したが、固有名詞は旧漢字を用いた。また、振り仮名は原資料にあるも のを付けた。 〔1   護國神社の整備〕 官祭招魂社は社名を変えて愛知縣護國神社となった が、 そ れ 以 降 に も 神 社 の 整 備 が 進 め ら れ た。 湯 殿 仮 殿 は、 神 社 の 行 事 の お り、沐浴するための施設であった。御羽車の注文は、戦死者の霊(御神体) を移動するための輿であり、靖國神社に倣ったものであろう。休憩所は軍人 援護会愛知支部が改装を申し出たとされているが、この財団は一九三八年に 設立されたもので、愛知県支部は一九三九年に機関誌『銃後』を発行してい る。拝殿並びに廻廊の模様替えについては、県知事の書類が残っており、工 縣 護 國 神 社 は、 一 九 四 六 年 十 一 月 に は「 宗 教 法 人 」 の 届 出 を 提 出 し、 翌 年 十二月には社名を「愛知神社」と改称した。 愛 知 縣 護 國 神 社 は 一 九 四 六 年 五 月 に は 宗 教 法 人 令( 一 九 四 五 年 十 二 月 二十八日、勅令第七百十九号)による崇敬者総代に伊藤次郎左衞門ほか三人 を就任させた。これは表忠会の代わりになったと思われる。護國神社は氏子 がいない神社から、一九四八年五月には「愛知講」を組織するなど、信徒の 組織拡大に努めた。一九五二年十二月には宗教法人「愛知神社」設立登記が 完了し、一九五五年五月には、社名を「愛知縣護國神社」と復称した。資料 「 社 殿 改 築 の 必 要 な る 理 由 」 に 出 て く る「 追 進 農 場 」 は、 一 九 一 〇 年 に 設 立 さ れ た「 農 商 務 省 愛 知 種 馬 所 」 ( 現 岡 崎 市 美 合 町 ) が 前 身 と な り、 一 九 三 四 年に「愛知縣追進農場」と改称した。現在の「愛知県立農業大学校」の前身 である。 また、一九四六年十一月、神社本庁が召集した護國神社宮司が協議を行い、 「 護 國 神 社 の 存 続 に 関 す る 陳 情 書 」 を G H Q に 提 出 し た。 こ の 宮 司 た ち の 組 織は一九五一年五月に浦安会設立になり、一九五六年五月には全國護國神社 会(本部靖國神社内)と改称し、定期的に会合を持つなど、密接な関係を持 愛知県護國神社に合祀された祭神数 ᖺ ᭶ ៘㟋⚍࣭ྜ♭⚍ ⚍⚄ᩘ 1868 12 ᡓṚ⪅ᣍ㨦⚍ 25 1869 5 ᪖ᛅ♫㙠ᗙ⚍ - 1877 9 す༡ᡓதᡓἐ⪅ 143 1884 㸫 ிᇛ㸦⏥⏦㸧஦௳ 3 1895 11 ᪥Ύᡓதᡓἐ⪅ 483 1900 㸫 ໭Ύ஦ኚᡓἐ⪅ 5 1905 㸫 ᪥㟢ᡓதᡓἐ⪅ 4,025 1928 㸫 ῭༡஦ኚᡓἐ⪅ 14 1937 10 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨1 ᅇ៘㟋⚍ 121 ࠉࠌ 11 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨2 ᅇ៘㟋⚍ 182 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨3 ᅇ៘㟋⚍ 227 1938 2 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨4 ᅇ៘㟋⚍ 337 ࠉࠌ 3 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨5 ᅇ៘㟋⚍ 297 ࠉࠌ 4 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨6 ᅇ៘㟋⚍ 370 ࠉࠌ 5 ➨11 ᅇྜ♭⚍ 155 ࠉࠌ 7 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨7 ᅇ៘㟋⚍ 54 ࠉࠌ 9 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨8 ᅇ៘㟋⚍ 96 ࠉࠌ 11 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨9 ᅇ៘㟋⚍ 67 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨10 ᅇ៘㟋⚍ 71 1939 4 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨11 ᅇ៘㟋⚍ 322 ࠉࠌ 5 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨12 ᅇ៘㟋⚍ 178 ࠉࠌ 5 ➨12 ᅇྜ♭⚍ 1,832 ࠉࠌ 6 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨13 ᅇ៘㟋⚍ 187 ࠉࠌ 7 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨14 ᅇ៘㟋⚍ 198 ࠉࠌ 11 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨15 ᅇ៘㟋⚍ 93 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨16 ᅇ៘㟋⚍ 159 1940 2 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨17 ᅇ៘㟋⚍ 135 ࠉࠌ 3 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨18 ᅇ៘㟋⚍ 171 ࠉࠌ 5 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨19 ᅇ៘㟋⚍ 182 ࠉࠌ 5 ➨13 ᅇྜ♭⚍ 596 ࠉࠌ 8 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨20 ᅇ៘㟋⚍ 156 ࠉࠌ 9 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨21 ᅇ៘㟋⚍ 234 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨22 ᅇ៘㟋⚍ 342 1941 2 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨23 ᅇ៘㟋⚍ 253 ࠉࠌ 5 ➨14 ᅇྜ♭⚍ 659 ࠉࠌ 8 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨25 ᅇ៘㟋⚍ 357 ࠉࠌ 11 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨26 ᅇ៘㟋⚍ 230 1942 2 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨27 ᅇ៘㟋⚍ 508 ࠉࠌ 3 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨28 ᅇ៘㟋⚍ 215 ࠉࠌ 5 ➨15 ᅇྜ♭⚍ 896 ࠉࠌ 5 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨29 ᅇ៘㟋⚍ 632 ࠉࠌ 7 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨30 ᅇ៘㟋⚍ 363 ࠉࠌ 10 ᨭ㑣஦ኚ௨㝆ᡓἐ⪅៘㟋⚍ 9,559 ࠉࠌ 10 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨31 ᅇ៘㟋⚍ 㸫 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨32 ᅇ៘㟋⚍ 㸫 1943 2 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨33 ᅇ៘㟋⚍ 515 ࠉࠌ 4 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨34 ᅇ៘㟋⚍ 㸫 ࠉࠌ 5 ➨16 ᅇྜ♭⚍ 1,233 ࠉࠌ 6 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨35 ᅇ៘㟋⚍ 㸫 ࠉࠌ 10 ኱ᮾளᡓதᡓἐ⪅៘㟋⚍ 4,957 ࠉࠌ 10 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨36 ᅇ៘㟋⚍ 㸫 ࠉࠌ 10 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨37 ᅇ៘㟋⚍ 428 ࠉࠌ 11 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨38 ᅇ៘㟋⚍ 2,600 ࠉࠌ 12 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨39 ᅇ៘㟋⚍ 323 1944 3 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨40 ᅇ៘㟋⚍ 386 ࠉࠌ 5 ➨17 ᅇྜ♭⚍ 765 ࠉࠌ 5 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨41 ᅇ៘㟋⚍ 491 ࠉࠌ 8 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨42 ᅇ៘㟋⚍ 900 ࠉࠌ 9 ➨18 ᅇྜ♭⚍ 855 ࠉࠌ 9 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨43 ᅇ៘㟋⚍ 813 ࠉࠌ 10 ኱ᮾளᡓதᡓἐ⪅៘㟋⚍ 5,628 1945 1 ྡྂᒇ⾨ᡀ㒊㝲➨44 ᅇ៘㟋⚍ 398 ࠉࠌ 9 ➨19 ᅇྜ♭⚍ 590 ͤᒾ⏣඾୕㑻ࠗ⿵ゞឡ▱⦩ㆤᅧ⚄♫ᖺ⾲࠘㸦ឡ▱⦩ ㆤᅧ⚄♫ࠊ㸧࡟ࡼࡿࠋྜ♭⚍ࡣࠊ1918 ᖺ 4 ᭶ ࡟᪂♫Ẋᘓタ᫬࡟➨1 ᅇྜ♭⚍ࡀ࠾ࡇ࡞ࢃࢀ࡚࠸ ࡿࡀࠊ1937 ᖺ 4 ᭶ࡢ➨ 10 ᅇࡲ࡛ࡣࠊྜ♭ࡢᩘࡣ グ㍕ࡉࢀ࡚࠸࡞࠸ࠋ

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事は県知事のが必要であった。 〔   〕 、代料支のは、一九四二年二月に料 がまり、神官の料が で なくなって「代料」が支されていた。 一九三八年の のが施行されて以、一九四一年四月には 必資令のもとで次 にが定されることとなった。こ の で、 靖 國 装 は、 岡 ら の 名 財 が 付 を 集 め、 ら の の も と で さ れ る こ と に な っ た と 思 わ れ る。 「 軍 必 子 組 」 は、社会が行ったもので、 郎は名のので、 戦後も名 協会の代表を務めていた。その名 協会ほかが 集 し た『 お の 組 』 ( 一 九 五 一 年 ) は「 十 年 以 の 組 を り まとめ」たとのことであるが、この は記されていない。名財の 集まりである九日会(一八九四年設立)が、にを れ、らをて た。 〔   〕   お よ び の 出 は、 一 九 四 一 年 八 月 の 類 令によって進められた。 からは などあら るものが出の となった。 では などが出されたが、神社の様は記されるこ とは なかった。名市が神社のを提出させた。愛知縣護國神 社には、神馬 、模などがあり、名市は「人」を して を 進 め た。 神 社 は「 出 祭 」 を 行 し た。 資 料 に は れ な か っ た が、 ほ か の り い は 九 五 で、 は 二 四 一 五 九 二 で、 「資 工事」が七八〇 、 「 工事」九二五 か かり、神社の は 七一〇 九二 であった。 〔   の 〕 愛 知 縣 護 國 神 社 の 大 発 は、 資 料 に よ る と 一九四三年十一月以降のもの と思われる。 の表をると、日戦 以 の戦死者の合者は、二八〇〇〇人をえていた。大 は「 一 体」とされている。愛知縣護國神社は、大 のは、名市 町 内会 てに出されている。は一九二六年にと所がされてい るが、一九四二年には内務省によって、県の出 機関として 事務 所 が 設 さ れ た。 こ の「 」 は 分、 事 務 所 の こ と と 思 わ れ る。 一九四四年の は市町 と 町内会 てになっている。その大 は、戦後も一九四五年と四六年に行われている。 〔   社 〕 軍 に よ る 空 襲 は、 一 九 四 五 年 三 月 以 降、焼がになっていた。三月十九日の空襲は前二時にまり、 前四時五〇分まで続いた ( ) 。愛知縣護國神社は焼の直をけ、本殿、拝 殿、 廻 廊 な ど を 焼 失 し た。 五 月 に な る と、 仮 殿 の 建 設 が ま っ た が、 五 月 十 五 日 の 空 襲 で 建 設 の 仮 殿 が し た。 そ の 後、 六 月 に は「 社 殿 並 社 務 所」の空の工事があり、戦後の八月十八日には仮殿を 工させて、九 月一日には三人に「 」が行われた。 〔   の 〕 愛知縣護國神社には、出があった後、 ま 戦の などが残っており、された。資料 には「 」があり 、体、 、動車など一四が ら れていて、この は愛知縣護國神社の社務所にかれていた。この は のであり、直五、さ六八 で一九四四年七月二十四日に、 軍部が したものであった。この は、一九四六年八月 に に され、神社は 代をけっている。なお、GHQは の分を め、この分をっての資料が残っているが、 愛した。 〔   神 社 の 社 〕 愛 知 縣 護 國 神 社 は、 戦 後 の 一 九 四 七 年 四 月 に は、有財付申書を提出し、まで りに神社としての用を申し出 て、されることとなった。一九四七年十二月には愛知神社となったが、 一九四八年十一月には社殿改築と崇敬者 所建設を文部省の宗務 て

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の 申 を 行 い、 「 社 め 旧 護 神 社 が よ り 軍 で な く 日 本 建 設を して 軍 的存在て に努して」いることを し て い る。 な お、 現 在 の 愛 知 縣 護 國 神 社 の 内 に は、 軍 人 の 以 に 官、のなどがかれている ( ) 。 ( )   成「 『 書 類   官 祭 招 魂 社   四 十 二 年   十 一 年 』 に つ い て 」 『 愛 知 県 』第二三号(愛知県   二〇一九年) ( ) 靖 國 神 社 に は「 の に 軍 し、 戦 死 し く は 死 し た 者 で、 そ の 死 場 所 び 死 の を く も の 」 と し て 一 五 三 人 が ら れ て い る が、 そ の 内、 名 は 一 一 人 で あ り、 二 六 人 に は っ て い な い( 『 靖 國 神 社 忠 魂 』 第 一 第 二 、 靖 神 社 社 務 所   一 九 三 五 年 ) 。 ま た、 現 在 の 愛 知 縣 護 國 神 社 で は 二 五 人 が ら れ て い る が、 軍 の 一 人 が し た と も え て い る の で、 さ れ た と 思 わ れ る( 『 忠 社 』   名 市 立 第 二 商 業 学 校   一 九 三 八 年、 四 八 ペ ー ジ ) 。 『 靖 國 神 社 忠 魂 』 第 一 に も そ の 軍 の 名 前 は記されていない。 ()前、五八ページ ( ) 『愛知県     代』 (愛知県、二〇一九年、四四〇 四四一ページ) ( ) 「 県 護 神 社 法 と 一 県 一 用 」 『 四 日 市 大 学 集 』 第 25 第 号( 四 日市大学学会経学部部会   二〇一三年、四一ページ) ( ) 『 神 社 祭 関 係 法 令 類 』 ( 書 行 会、 一 九 八 六 年、 六 五 七 二、 二 〇 四 二〇九ページ) ( 7) 五 十 年 誌 集 会 『 全 國 護 國 神 社 五 十 年 』 ( 全 國 護 國 神 社 、 一 九 九 七 年、 二 二 二四、 四九ページ) ( ) 『 戦 時 愛 知 の 記 』 ( あ い ち の た め の 戦 行 会、 二 〇 一 五 年、 一三六 一三七ページ) ( )『 「戦者霊」と代日本』 ( 出、二〇一五年、二四〇ページ) (代第 部会   人 大学岡崎学 学校教) 資料 1   護國神社の整備 十六年九月一日   日   日施行 社司   代    社      係     湯殿仮設工事施行 社社務所 十年 建築 時進 進 用湯殿 設備 時 改 祭 進 定 前陳 次第 用湯殿 社拝以在九 月二十一日 祭 湯殿 設 必要 時資 料続 関係 施有、 建設 付 仮設湯殿 建設 以社御用人 崎六名 以書提出 付左記 以人施行成   追本工事本年 出 追付経理支        記 一百 五   湯殿仮設工事 (書)       文書 一御羽車    二八 二六 八        

(5)

   総 立御 御四廻 御 付二    五 文   十七年三月二十日         愛知縣護國神社社司     会社 装御 令社第六四九三号         名市町        愛知縣護國神社 十七年四月九日拝殿並廻廊模様替    十七年四月十七日        愛知県知事   六 十七年九月十五日   日   日施行 社司   代    社      係     内移 内五本、霊祭、招魂祭 建設 成付 左記 移 工事施行成      記 一、   九八 五 一、支出 残   第一第六 第二 百九 五 一、人   名市 町六 二   七 十七年十二月十五日   日   日施行 社司   代    社      係     休憩所 ー 工事施行 拝者休憩所 財団 軍人援護会愛知県支部 改装 成 、時経 関係 成 拝者 付 書 ー 工事施行 成      書   一百九    愛知県護神社仮休憩所 ー 工事   以御申    十七年十二月十日    名市種種本町二 四十四         建築 業           種 86一三五八   愛知縣護國神社社司   殿   十七年三月三十日   日   日施行 社司   代    社      係     、代料支 社第九 一年 一一五 支 成本年二月 料 施行成 神社 支 付左記 代料 以支成   追 支 合有本年 、 支

(6)

     記   代料   一分     代料   五分   四   一付八         以 十八年四月一日   日   日施行 社司   代    社      係     靖國装 装 成靖國並 装左記 成       記 一、靖國()装      四     百 一、    ( )装      四     百八 一、 装            九八 七   合四五百六 七    第一社第一祭 第二 支出       岡 十名 定 付 日時   十九年二月七日(第四日 )前十時   所      町      護   國   神   社     軍 必        子   組    ()             社               会     御神前          (前十時) 大戦必祭        会一                (前十一時)     一        宗          子      (三百十三)         神 文    八 郎   忠        郎                藤 六 郎         郎          愛 三 郎        三                 子    子          三郎           信 子    神 代子     子組   ()      社務所         郎    崎 郎          内 藤            次郎         次 一   八               次郎         市         三          大 一 二        三         子                  信 子        藤 六 郎         美子            八 郎          門         岡登子    藤 六 郎         次 一   安        忠        次郎         内 一         伊 藤 市                   次郎         忠 五段

(7)

          十七年九月九日        名市神会   藤    会殿 大戦 完 軍備 進 用 軍備 拡 並 的 大 務 以本年 年続 類 施 成就 神社 氏子崇敬者総代 愛 振 出 ジ以 要 十分 的 成 御 御 御 知 神社 概 左 一、 、 、 神 、 ( ) 、 、 、 、 、 表、 建 設 、戦、子、、 、、 、用、 、、 、 子、、子、 行、書、 、、、七 、 機、 、文、、 、、提   二、   内建 並社殿装   類 要美定   、   由必要   代替 神社 内備付 神馬時 的出動 様 出 注 出 神 馬 総信 以 祭 行 祭 了 車 神氏子総代年団 神社関係者 集合所 、 所 集所 的 場合神任 以一 様 以原 様御 本県 御 知   追集所 日時追所 御 知有 付御     十七年十月         名市 町   内   会   年団 殿    第二次名市類 施要    並 施 変 に就いて の左記の 変 並しました町内会 に知の出 に支のない様御 さい       記 (一 五   ) 六、 、御神馬 市工事者 日本 会社    (、定、 成後日行    ) (七、 八   ) (表 ) 十七年十月

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第二次名 類 施事務         名市         大 会名市支部         名市 年団           次 一、第二次名市類 施要 二、第二次名市類 施 三、事務分 事 四、類有申(記 一) 五、(記 二) 六、 (記 三) 七、 表 八、資 書 様   資 書様       類用定所一表   用 様   工事者書様 (以) 十七年十一月二十六日        名市     内神社殿    神社 類関 記 関 御 存 申 次第有付出 代替 必要 表 出 整理 用 要場合左記様 書 申成   追   表 出後 整理 以 出代 以 様御注 成 様 十八年一月九日        名市所     神     殿   神馬 申 一月十一日 施第二次類 関係神 社 場合 (市 ) 人 成期日 事付 左 (記 ) 御申 御 知        記   一、 神 社 名 並 名 記 市 所 振 社 ( ) 類係 書申     こ の 文 書 は ー を 用 い て い る が、 で な い 文 字 が あ り、 文 書 の か ら 一 行 分 が けている。 十八年一月十日   日   日施行 社司   代    社      係

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   出祭内 拝 御 陳 て御 成 出の 関しては大 の御御協をく御申就ては出の期日もし 付十八日前十時より出祭行と存御成 御内申     敬   追て 備の合も有御御の有 し御   十八年一月十日        愛知縣護國神社社務所     名 (復はか )      者所氏名   ()    出祭    一月十八日 一、 十一時行     者   社   社   社     者           次郎代理           一 後 藤 三 郎   三郎 子 二 市 藤 國 一              名 十八年五月二十九日   日   日施行 社司   代    社      係     出代本財 付 者 申進 左 施行成     一         成 大戦 完 殿 御協 出 付 社本 申 進     十八年六月一日        愛知縣護國神社   名( )        者氏名 名 者氏名 備 神馬 二八八二六 子 藤國 文二 ( 名) 三五四三一 次郎 三五四三一 後藤三 五七一三 一郎 五七一三   定 五七一三 会社 名支 五七一三

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  の 十八年十一月十五日 社司      社      係     御祭神 大 社御祭神 大 門 祭 一 就左 施行成      一   一体 一 法   県 市町 (名市町内会) 発        出名 以持        大 一体付一 書付      一、 拝 御安時 なる務に御の の 御 のに存 ます。 社御祭神の御 に して社の大 を にておりし ていた いと存 ますが、分にもの御 のことでもあり、 時 資 人 も く、 に し て お 届 け す る こ と が で 御 い ま す。おしいをにので御いますが 御協をはり左記 の 法にりしいと存 ます。お届けさる うおい申 ます。     敬      十八年十一月    日        愛知縣護國神社社務所   市殿   町 殿   名市町内会殿         記 一、社御祭神は    愛知県に本 を有せられた で、    以の戦者    本年 までに靖國神社に合せられた神霊   をおりしてあります 一、 内の 御祭神の御 を御され、おの (成るべく年内 に)社社務所までお しを 、お持のおちいた いと存 ま す。      二、 書 おの に一身を られました の御霊は、靖國神社に神としてら れておいでになりますかりでなく、護國神社にもおり申 まして、 日 なお祭をしてりますと に、三百愛知県の崇敬をけられ まして、日 の拝者は、にも でります。 様 に 名 の 戦 死 を な さ れ た は、 あ な た の「 御 人 」 で あ り「 お さ 」 「 お さ 」 で は あ り ま し た が、 で は 人 の を は な れ た、 い 「 の 神 」 と な っ て お い で に な る の で あ り ま す。 こ の 神 様 を お 祭 り す る 五七一三 神 六一七六 神 会 模 一九九五 國 会社 七五二 一 子 一三三 郎 大 四八六四 國在軍人会 分会名町

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には、神日本の からの振につての神 様をお祭りすると 神 で拝していた か なりませ 。 就 ましては、社の大 をお届けすること しましたが、は い護 の忠霊の大 神でありますから、お の神におりさつて、お を 、おを立て 、 が の 護神として、 のとして崇め、一 の がく るく とした をつ けてさい。 そして戦死せられた祭日には、そのい い御 をしのびつ 、からの お祭をしていた いと存 ます。 おりの について、お分りにならないことは、氏神様の神の に 御さら、くおさる で御います    十八年十一月     日        愛知縣護國神社社務所    御 十九年一月三十一日    日    日施行 社司      社      係    御祭神 大 関 再 拝 御 陳者 年御申 り社御祭神御 に し 社大 をに大部分のを了しに就ては御 の に のに 御の御の 社務所まで御 しされ て御申   敬   十九年一月三十一日         愛知縣護國神社 務所   市 町 町内会  二十年十二月一日    日    日施行 社司      社      係    大 年 左記 大 成        記 一    社祭神戦者 全部 一     四 一 法    市町 順次      拝 御安 陳者年の り社大 に就ては御務 にのに御 内にける社御祭神( 以の戦者)をめ の戦 者御 の総し御はり御申、 御を 次第大 御 申 御 の に 御 御成 せて御申 御御    敬    二十年十二月五日         愛知縣護國神社社務所   県 市町 二十一年一月十八日    日    日施行 社司   代    社       係      戦者 大 関 再 拝 御

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陳者 年御申 戦者御 全に し社大 をく に大部分のを了りに就ては御 の にのりに 者御 知成 て御申 敬    二十一年一月十八日        愛知縣護國神社社務所     市町 会   御   社 愛護第一五号     社殿焼失届         愛知縣護國神社 二十年三月十九日 空襲社本殿左記社殿焼失御 届   追御霊代 第十三部御安所       記 一、焼失社殿     本殿     門   拝殿   廻廊   所   神所   神所 一、記 三月十九日一時三十五分 発令 時社信直出社 直 社 備就 一時四十五分空襲発令 時 第十三部 五名 、三時三十分一機 焼 全 内 、就拝殿 三 拝殿廻廊 時 施 以社信本殿 御霊代 ジ社務所 所 以 第十三部御安所 一 第二部 出動 前記社殿 有 二十年三月二十日         社   司                崇敬者総代         愛知県知事      信次         名市      藤         愛知県町 会     愛知県知事   信次殿 二十年三月二十日    日    日施行 社司      社      係      愛護第一六号     御 進 焼失付御届 十年四月御宮 御 進 御 二十 年三月十九日空襲 拝殿 焼失 御届    二十年三月二十日        愛知縣護國神社社司     宮    宮内事務官殿

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愛護第二二号      仮殿建設        愛知縣護國神社 社本殿以社殿三月十九日焼失付 設書並設 仮殿建 設御成御    二十年五月九日        社司                崇敬者総代        愛知県知事      忠        名市      藤        愛知県町 会     愛知県知事   忠 殿 愛護二八号   二十年五月十五日         愛知縣護國神社社司   愛知県知事   忠 殿     建設設 戦 神社 殿焼失 仮殿 就 設並 工事 申 定期日    二十年六月十五日      本殿   詞殿   拝殿   仮殿 愛護第二三号   二十年五月十五日        愛知縣護國神社社司     愛知県知事   忠 殿       空襲 届 十四日 空襲 左記 有御届       記 一、建設 仮殿 一、 料 一部焼失 一、門 一、拝者休憩所焼 焼失        以 令第四三〇号        愛知縣護國神社 二十年五月九日仮殿建設    二十年五月二六日         愛知県知事   忠 愛護第三一号   二十年六月二十日        愛知縣護國神社社司   愛知県知事   殿    空築工事設 時左記空 築就 設並工事 申        記

(14)

一社殿並社務所空 愛護第二二号    仮殿 届        愛知縣護國神社 二十年五月十六日令第四三〇号仮殿建設工事本日 御届    二十年八月十八日        社司                崇敬者総代        愛知県知事             名市      藤        愛知県町 会     愛知県知事   殿 二十年九月一日    日    日施行 社司      社      係     仮殿建設付 仮殿建設 書 成       記   五百     愛知県会      一郎     設 一   百     神      岡三     設   百     () 務官     関       工事進関   の 第八三八号   二十年十一月十日         愛知県内部   愛知県護國神社 司殿        神社 内 戦関 神社 内 戦 概 存神社 存 関 時 様司 ( ) 御 成   追本文御 焼 成申 愛護第四三号   二十年十二月一日        愛知縣護國神社社司   愛知県知事 本 一殿       工 申 左記出 御 申         記 一、十二   農     七 一、           二 一、     類       一   追 内大 愛知県内部名 以 付

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  申   一月十九日   号   二十一年七月十一日        愛知県経部   信殿    のに関する に提出せられましたに関する申 の左記のものを として合軍 司令部 してありますのでを安全に全し あ る に分を らる様御 します。 一、   五 )     第号    書 一、   五         愛知縣護國神社所有 はとして合軍 司令部のにりをす 現 に すべし   二十一年八月三日           愛知県知事       書 一、   五      二一年八月十九日      名市町         会社         原      一七百九 九八      出 代       内     八 百八七 五 年 代     八九百 四八 年七月十日         代    二十二年二月五日         名市町六        愛知縣護國神社         宮司    信   会社御   神社の社 愛護第八三号   二十二年四月二十一日         愛知縣護國神社宮司   信 名財務殿

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    有財付申書 左記にり有財付成 申します       記 一、 的の所在び並に現在用     名市町六 六     九百六八     愛知縣護國神社 内 二、用せ とする理由     り神社 内として宗教 動を行は とす 三、用 的     前に 四、用期     現在より分完了 五、用料     内 愛社第一二号   二十四年十一月五日        愛知神社宮司   信 文部省大官   宗務   原 殿    社殿改築並に崇敬者 所建設につ 御 社社殿は 二十年三月十九日戦 により焼失後直ちに を以て仮殿を 建築しましたがにの 月を経て しく社の 的 成の ため崇敬者 所の建設を必要としますので の り社殿改築並に崇敬 者 所の建設をしました びますところでは 合軍総司令部にては旧護國神社 に関して御 とのことで いますが社め旧護國神社か より軍 的存在でな く日本建設を して 軍 的存在て に努してあ ることは官にてもおめをいた いてること 信 ますが本 現に し 御理と 御支援とをはりますようにお 申 ま す 社、社殿改築並に崇敬者 所建設の必要なる理由び を御にします      愛知神社 社は 二年五月二日 が愛知 (名) (の 名市 名町)に社殿を して忠社と号け、 のに 羽 の にて戦死した二十五の神霊をめるためにしたのがり である。その後次 の事変戦にける戦者の神霊を合してたが 二十二年十一月「社会 の にした人 の霊」を合すること した。 社名は 八年十月十三日内務省第百三十二号 にいて招魂社と改め に 三十四年六月十四日社第二十号 によつて官祭招魂社と称するこ とになつた。その後 十四年招魂社が改めらる こと なり年三月 十五日の内務省令第十二号にいて四月一日から愛知縣護國神社と称するこ と なつた。 二十二年十一月二十六日付神社本庁理のを て社名 を愛知神社と改め年十二月二十九日神社名変 の登記を完了した。 より 二十一年二月二日神社と に の 理をれ宗教法

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人として存立すること なり年七月二十五日神社本庁所の宗教法人とし て成立の届出をした。 内は社立のの七八(二百八)をけて社有 とし四年知令発後七八を現 内に定された。七年三月官 により官有第一種なつた。 大七年四月二十七日 日 字一(の名市 町)名 軍 場の一を りて移 、旧 内は 内として 有した。 十年 軍省所 の現 内一九百六十八を内務省所 に 理の と名の旧 ( ) 内とをし この名市所有の 接二を のとせて三九百六十八を 内として移 改築した。 二十二 年法第五十三号にいて現 内の有にする一九百六十八に する申書を 二十三年四月二十五日大大 提出した。 二十年三月十九日戦 により社務所、、 を残したので社 殿全部を焼失したので直ちに仮殿を建築日に でいる。 持経 については社 団体たる愛知講が成され続 講の申があ りこの講の 財を以て社殿 の整備を期し一御祭神の御神を体して の社会事業を経 し日本建設のなる殿 とすべくである。      社殿改築の必要なる理由 社にてべたく現仮殿は 二十年三月十九日焼失後直ちに 工時 も戦時なりしを以て十分な資を く後第二次第三次の をも して な社殿をとの のもとに めて な仮殿を建設し にそのま 日に で るが、 五年の を経て が を用し たこと て しくなる ではに合は に立つて る と に模 めて で祭 行につてこのなく 改築を必要と する 愛知県所有岡崎市追進農場内殿の建が用となつたのでを 社殿として移築するをてたが、前所有者愛知県にては一日も く 建のを要してり崇敬者 からは社殿改築の以て 現しないの は者のであるとするすらりつ ある でかくては崇敬者の崇 敬にもするなしとせ 社殿の改築は のにられて る      所建設の必要なる理由 神社が 戦後戦後 の 理をれてその持経 を ら崇敬者の発的 崇敬につこと なつた県 よりの拝者、に団体による崇敬 者 者の拝が 次 の であるが よりの拝者は を するがい、 の拝者に し 持の に し る設備を提 して一 を て し事を追すると に日本建設の理を合 ことは社として も さはしく要なことであり、一この建を 用して の社会事業を経 して社の 的 成に努めたい るに現社務所は に十人を れるにるのの めて なもので 書の 建を必要とする

参照

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