フランスにおける Gensduvoyage(移動する人々)
の定住化問題
奥田 和子
はじめに
第 1 章 . 定住政策までの経緯
1.「Gensduvoyage」の定義
2.「移動する人々」の管理の実態
1)20 世紀初頭-ノマドの管理
2)戦後の高度成長期-移動許可証の交付
3)共産主義体制の崩壊-大量流入時代
第 2 章 .移動許可から定住への政策転換
1.住居の設置義務
2.「移動する人々」の受け入れ施設をめぐる動き
第 3 章.住居の設置か強制退去か
1.住居設置の問題点
1)設置の要請
2)強制退去と人権
3)強制退去の合法性
2.「移動する人々」の権利の拡大
1)移動の権利
研究ノート
2)教育の権利
3)労働の権利
おわりに
参考文献
判例
参考資料
はじめに
パリにはフランス国内からだけでなく、諸外国から多くの労働者が集まり、
住宅不足が常態化している。欧州諸国の経済が停滞し、フランスの 2011 年度
の経済成長率は 1,7%、2013 年は 0,3% と予測されているが
1)、パリの 2013 年
前期のマンションの販売価格は前年と比べて 1,2%、一戸建住宅は 1,8% の下落
に留まり
2)、70 平米の住居を購入するには、平均給与の 9,4 年分が必要となっ
ている
3)。賃貸住宅も同様で、家賃の下げ幅も、前年に比べて 1,3% に留まっ
ている
4)。こうした住宅価格の高止まりのため、低所得者達はパリ及びその近
郊の民間住宅には住めなくなってきている。そこで低所得労働者の住宅不足を
解消するため、公営住宅の建設が奨励されている。
2000 年 12 月 14 日に公布された「連帯と都市再生に関する法律」は、住民
の社会階級の多様化を目指し、2020 年までに、首都圏における 5 万人以上の
都市圏共同体の、人口 1500 人以上の市町村は、セカンドハウスを除いた住宅
数の 2 割に相当する数の公営住宅を建設しなければならない(第 55 条)と規
定した。しかし、高所得者が人口の多数を占める市町村では、低所得者が隣
人となるのを嫌がり、公営住宅の建設が思うようにはかどっていない。パリ
市における公営住宅は、全住居数に対して、2001 年には 13,4% であったのが、
2012 年 1 月 1 日には 17,38% に上昇しているが
5)、目標数にはまだ到達せず、
近隣では公営住宅数の割合が 1% にも満たない市町村が数多く存在する。
この法律に先立って、2000 年 7 月 5 日、ある特定の人々ための住居建設を目
指した、もう 1 つ別の法律が成立した。それが、「住居不定者の収用及び住居
に関する法律」である。この法律は、5000 人以上の人口の市町村に、「移動す
る人々」用の住居の建設を要請するものである。「移動する人々」は、何台も
のキャンピングカーを無許可の場所に駐車し、ごみを燃やし、付近の住民の庭
先の物を盗む等、行く先々で住民との摩擦を生んでいる。「移動する人々」の
定住用住宅建設は、公営住宅建設よりも更に歓迎されていない。
「移動する人々」への差別と人権をめぐる問題はすでに 100 年前から始まっ
ていたが、その問題はどこから生じたのか、そして問題を解決するためにどの
ような政策が取られているのか検討していく。そのために、まず第 1 章では「移
動する人々」の定義と、東西冷戦終結後、大挙してフランスに流れてくるまで
の政策の変遷を論じる。1990 年以降現在に至るまで、「移動する人々」の定住
政策として、住宅設置が行われているが、目標に達するにはまだまだ時間がか
かりそうである。第 2 章では、そうした政策の概要と、住宅建設の実現を阻む
問題を提示する。そして第 3 章では、「移動する人々」の強制送還に関する人
権侵害の問題ついて論じ、問題解決のための政策について弁明する。
第 1 章 . 定住政策までの経緯
1.「移動する人々」の定義
「移動する人々」とは、1 ヵ所に定住しない人々のことを指し、特定の民族
のことを指す語ではないが、「Roms」と同義語として使われていることが多
い。この語は、「移動販売活動及び定住せずにフランス国内を移動する人々に
適用する法律」により、行政が特定の生活様式をする人々を定義したことから、
「Nomade」に代わって使われるようになった。
EU 構成国の中で「移動する人々」が使用されているのはフランスだけで、
他の構成国では、「Roms」または「Tsiganes」という語が使用されている。「Rom
は、ロマ語で「ロマ族」を意味し、東欧、中欧、バルカン半島に住みついてい
る人々のことを指す。1971 年 4 月にロンドンで開催された「ジプシー世界大会」
で、「Tsiganes」から「Roms」と呼ぶようになった。「Tsiganes」は「不可触
選民」を意味し、欧州審議会が軽蔑語になるので使用を控えるよう呼びかけて
いるが
6)、ハンガリーやロシアでは肯定的な言葉としてとらえられているよう
である
7)。「Gitans」は、9 世紀にエジプト人がギリシャに移り住み、そのコミュ
ニティーが「小エジプト」と呼ばれたことから由来した言われている。スペイ
ンでは「Gitanos」、イギリスでは「Gypsies」と呼ばれている。多くはドイツ
やベネルクス諸国に住み、フランスでは、南部のアルル近くのカマルグに住む
人々が「Gitans」と呼ばれている
8)。
「移動する人々」は、アイルランドと英国にそれぞれ約 15 万人、ベルギー、
スイス、オランダにそれぞれ約 8 千人、スペインには 50-60 万人居住している
とみられるが
9)、18 世紀後半から定住化が進み、社会に同化しているため、住
民との摩擦があまり表面化していない
10)。
ドイツには、人口の 0,1% に満たない約 7 万人のロマが生活していると推定
されている。しかし、人種、民族等の指標で測った統計は禁じられているので、
正確な人数は把握できていない。大中都市では「移動する人々」のためにキャ
ンピングカーを駐車するスペースが設けられ、そうした都市では、キャンピン
グカーの駐車に関する行政警察規則が採択されているが、ドイツの場合、社会
保障を受けるために、大部分のロマは定住している
11)。
フランスでは、2010 年現在、約 24 万人から 30 万人の「移動する人々」が
国内を移動しているとみられている
12)。特に夏のバカンスシーズンになると、
移動遊園地や屋台などの興業のため、何百台ものキャンピングカーで何千人も
のロマが集まる。2012 年の夏には、ニースやカンヌなどの有名観光都市の周
辺には、1 千台以上のキャンピングカー、3 千人以上の「移動する人々」が集まっ
た。観光客が多く訪れる都市では、犯罪の増加を理由にロマは歓迎されざる人々
である
13)。
「移動する人々」の問題は、最近顕著になったわけではない。ロマのフランス
への大量流入は、19 世紀後半に始まった。
2.「移動する人々」の管理の実態
1)20 世紀初頭 - ノマドの管理
「ロマ」は、ビザンティン帝国時代にインドからペルシア、アルメニア、小
アジアを経て中央ヨーロッパに移動し始めた。オスマン帝国及び中央ヨーロッ
パでは差別を受け、特に、ワラキアとモルダビア
14)では農奴として扱われて
いた。西ヨーロッパでも迫害を受けていた。18 世紀の「啓蒙の世紀」におい
ても、スペインでは居住地が限定され、オーストリア・ハンガリー帝国では強
制的に同化させられたが、ロシアでは、他の臣民と平等に市民権が与えられた。
19 世紀には、ロマは東・中央ヨーロッパから他のヨーロッパに居住地を広げ
ていった。1860 年には、ルーマニアでロマの奴隷制度が廃止されたが、旧オー
ストリア・ハンガリー帝国の地域では、20 世紀の初頭に差別が激化した。第
二次大戦中は、ロマへの差別が頂点に達した。ナチス・ドイツの下、4-50 万人
のロマが虐殺されたと推定されている
15)。
フランスでもロマは差別されていた。1682 年 7 月 11 日のオルドナンスでは、
ロマを「盗人」とみなし、国から一掃するために漕役刑に科すと規定していた。
近代になっても、住居の定まらないロマは「犯罪と盗難のプロ」とみなされ、
移動を管理する必要に迫られた
16)。
1912 年には「ノマドの移動営業及び移動の規則に関する法律」が採択され、
13 歳以上のノマドは取り締まりの対象となり、「身分識別手帳」の携行が義務
付けられた。「ノマド」は移動を管理され、市町村に出入りの日時や住居の住
所等の詳細を、県及び市町村に届けなければならなくなった(第 1 条、2 条)。
経済活動の許可の事前申請を怠たったり、受領証に不備がある場合は 5 フラン
以上 10 フラン以下の罰金が科され、更に、1 日以上 5 日以下の禁固刑を科さ
れることもあった(第 1 条)。
1912 年法では、移動しながら行商、事業または専門職を営む者は、国籍を問
わず、フランス国内に居住、または定住地がある場合は、県庁または群庁に、
氏名、生年月日、出生地、居所、住所を届けなければならなかった(第 1 条)、
居所、住所を持たないフランス人が、フランス中を巡回して行商または興業を
行う場合は、氏名、生年月日、出生地、居所、住所を記した写真付きの身分手
帳の携行が義務付けられた(第 2 条)。行商、興業、事業、専門職など特定の
経済活動を行わず、フランス国内に居所も住所も持たず、フランス国内を移動
する者は、国籍を問わず「ノマド」と定義された。ノマドは身分識別手帳を携
行する必要があった。フランス国籍を持たないノマドがフランス国内を移動す
るには、身分識別手帳によって身元を確かなのが確認されなければならなかっ
た(第 3 条)。
この法律は 1913 年 1 月 16 日に施行されたが、その直後の 2 月 16 日に、「流
浪者の移動営業及び移動の規則に法律の施行のための行政規則に関するデク
レ」が出され、翌月から施行された。このデクレは第 3 章がノマドの規定に充
てられ、身分識別手帳の要件が更に細かくなった。身分識別手帳には、氏名、
通称名、出身国、生年月日のみでなく、身長、胸囲、胸幅、頭の長さと幅、顔
の幅、右耳の長さ、左手の中指及び小指の長さ、左手の肘の長さ、左足の長さ、
目の色、指紋を記載し、横向きと正面の写真を添付することが義務付けられた
(第 8 条)。身分識別手帳とは別に、家族単位の身分証明書も申請しなければな
らず、家族全員の法的書類(出生証明書、婚姻証明書、離婚証明書、16 歳以上
の家族の構成員の指紋、経済活動に使用する車の登録番号、その車の経済活動
での使用許可番号、家族構成員各々の身分識別手帳の登録番号)が記載された
手帳を家長が携帯しなければならなかった(第 9 条)
17)。
2)戦後の高度成長期 - 移動許可証の交付
次の大きな波は、60 年代の高度成長期である。ユーゴスラビアから出稼ぎ
のロマが大量にフランスに流れ込んだ。フランス国内に 6 ヵ月以上定住せず、
または商売の本拠地を置かず、あちこちに移動して活動を行う者に対して、新
たに厳しく取り締まる必要があった。そこで、1912 年の法律を廃止し、新た
な法律「フランスに住居も住所も持たず移動する人々及び経済活動に関する法
律」が 1969 年 1 月に施行された。これにより、フランスに 6 ヵ月以上居所も
住所も持たない 16 歳以上の外国人には、身分識別手帳に変わり、1970 年 1 月
1 日からパスポートのような手帳の携行が義務付けられた。しかしこの手帳は
パスポートに代わるものではないため、国境を越えるには、別途パスポートが
必要である。
移動許可手帳には 3 種類ある。
①特別移動許可証:フランス人でなければ移動しながらの経済活動はするこ
とができず、移動して商売する場合には、16 歳以上のフランス人には移動特
別許可証の携行と、同行者にも同様の手帳の携行が義務付けられている(第 2
条)。
②移動許可証:16 歳以上の外国人が移動して商売を営む場合は、6 ヵ月以上
定位置に滞在し、キャンピングカーなどの車に恒久的な方法で居住しているこ
とが条件で、定期的に収入を得ることを証明しなければならず、雇用者の給与
証明などが必要である。また、最低 3 ヵ月毎に行政機関の担当窓口で証印を押
してもらう必要がある(第 3 条、4 条)。
③移動許可手帳:②と同じ条件だが、定期的な収入がなく、収入の証明がで
きない場合は、行政機関の担当窓口で、毎月証印を押してもらわなければなら
ず、怠った場合には、3 ヵ月から 1 年の禁固の罪に科される(第 3 条、5 条)。
移動許可証を交付する関係市町村は、移動許可手帳を有する人々の人数を、
人口の 3% 以内に調整しなければならない(第 8 条)とあり、1 つの市町村に
滞在する「移動する人々」の人数が制限された。
3)東西冷戦の終結 - 大量流入時代
1977 年の法改正で、「フランス国内に居住または住所を持たない」は、「欧
州共同体加盟国の国民でない」に、また、「フランス人でなければ移動して経
済活動をすることができない」は、「フランス人または欧州共同体加盟国国民
でなければ移動して経済活動をすることができない」に改められた。
第三の移動の波は、共産党の支配が終わった 90 年代にやってきた。東西の
垣根がなくなって移動が容易になったことと、ユーゴスラビアの内戦が引き金
になった。
1990 年の調査では、フランスにおける「移動する人々」は 22 万人から 25
万人で、うち、完全な移動型は 7 万人、一部定住型は 6 万 5 千人、定住型は
10 万 5 千人であった
18)。半数がすでに定住しており、移動して生活している
人々も、子供たちの教育や、衛生等の問題が深刻化してきたため、定住の必要
性が叫ばれた。
第 2 章 . 移動許可から定住への政策転換
1.住居の設置義務
彼らの経済的自立のためにも定住させる必要があった。ロマ特有の問題を検
討し、社会に組み込むための最良な提言をするために、「フランスにおけるロ
マのコミュニティー諮問国家委員会の設置に関するアレテ」により、1988 年 2
月 21 日、内務省の中に、フランスにおけるロマのコミュニティー諮問国家委
員会が設置された。こうして、ロマの定住化に政策が移行していった。
ロマの定住用住居の設置は、1990 年の「住居に入る権利の実行を目指す法律」
第 28 条により、5000 人以上の人口を抱える市町村を対象に、「移動する人々」
のために、土地の整備や居住条件などの詳細を記した県の基本計画を作成する
ことが義務付られた。2000 年 7 月 5 日の「移動する人々の住居の関する法律」
は先の法律を廃止し、5000 人以上の人口の市町村に対して、「移動する人々」
の住居建設を義務化させた。そして、基本計画には、建設予定地を明確にし、
基本計画の作成から 2 年以内に計画の実行が図れるよう、国の関与の条件を規
定することとなった。
2 年の期限内に収容施設が建設されない場合、及び、知事の催告から 3 ヵ月
経っても何の改善もされない場合、国は収容施設を建設するための土地を用意
し、市町村の費用と責任で用地を整備し、工事を着工させることができる(第
3 条)が、「都市と都市再開発の計画と方針の法律」は、人口 2 万人以下の市
町村で、人口の半分が優先的に都市政策を行わなければならない貧困・失業問
題の多い地区に住んでいる場合は、「移動する人々」の住居設置義務の例外を
認めている(第 15 条)。
しかし、ただ建物を建てればいいという訳ではない。彼等はキャンピング
カーで生活しているので、仮に収容施設を作っても、施設内にキャンピング
カーが止められる駐車場がなければ、敷地外にキャンピングカーを止めること
になる。1990年代後半は、「移動する人々」の駐車スペースは数百台分でしか
なかったが、2008年後半には、1万 7千台分が必要になった
19)。トイレやシャ
ワーなどの衛生施設も十分に備えられなければ、「衛生と設備に配慮して土地
を整備しなければならない。人間としての尊厳を尊重し、すべての人が住居を
有することは、憲法の原理である」とした 1995 年 1 月 19 日の憲法裁判所の判
決
20)に鑑みても好ましくない。「移動する人々」の収容施設を建設するために
は、キャンピングカーの駐車場を設けるのに適した土地を用意する必要があり、
彼らの生活スタイルに適した施設を建設することが望まれる
21)。
2.「移動する人々」の受け入れ施設をめぐる動き
パリ市は、2000 年 7 月 5 日法を適用するため、「移動する人々」の住居を建
設する基本計画を 2004 年 4 月 22 日に承認した。基本計画は、第 1 条 III 項の
規定により、6 年後に見直され、各方面との協議が重ねられた。基本計画によ
ると、パリの東西 2 ヵ所に「移動する人々」の住居が設置される。1 ヵ所はブ
ローニュの森(16 区)で、0,67 ヘクタールに 35 台分のスペースを作り、もう 1 ヵ
所はバンセンヌの森(12 区)に、0,53 ヘクタール、28 台分のスペースを設ける。
パリ審議会は 2013 年 2 月 11 日この 2 つの計画に対し、開発許可を出した
22)。
ブローニュの森、バンセンヌの森の両方とも、設置予定地は競馬場近くの使わ
れなくなって放置されている駐車場だが、散歩やジョギングする人等も行き来
する場所である。特にバンセンヌの森の設置予定地付近には、学校等の施設が
あり、子供たちの通学路になっている。
バンセンヌの森の東に隣接するサン・マンデ市は、面積 900m
2、人口 2 万 2
千人(2009 年)、総住宅数が 11,463 戸の小さな市だが
23)、「移動する人々」の
ための住居建設に反対している。市長は 2000 年にパリ市長に対し、犯罪が増
えるので計画を白紙に戻してほしいとの書簡を送っている。サン・マンデ市
は、公営住宅の建設にも消極的で、2005 年から 2007 年の期間に、180 戸の公
営住宅建設の目標に対し、37 戸しか建設しなかった。罰金を科されるのを避
けるために、2009 年から 2011 年には 250 戸の住宅を建設し、メインの住宅総
数の 8,65% にまで増やしているが
24)、「連帯と都市再生に関する法律」の定め
る 20% にはまだ遠く及ばない。サン・マンデ市は、近隣のサン・モール市
(6,35%)と共に公営住宅率の低さを常に争っているほど公営住宅建設に消極
的である
25)。バンセンヌの森に隣接する 5 市町村は、2013 年 2 月 19 日、パリ
市が許可した「移動する人々」用の住居建設計画の取消を求め、パリ行政裁判
所に提訴した。
訴訟に踏み切った理由は 3 つある。
①パリ市審議会が近隣の市町村に事前に計画を知らせず、情報も提供されな
かったため、パリ審議会の決定に瑕疵があること。
②建設予定地が子供たちの通学路に含まれていること。
③バンセンヌの森は景観保護地区に指定されているが、計画は森の自然を破
壊し、景観地区保護を定めた都市計画法及び 2003 年にパリ市長と近隣の市町
村長が調印した「バンセンヌの森の持続的整備」憲章に反すること
26)である。
都市計画法により、市町村は都市計画に保護森林地区を指定することができ
る。この地区は森林の保護が目的であるため、地区内では、大規模な鉱山資源
開発等の例外を除き、目的に反する行為を行うことは禁止されている(L.130-1
条)。つまり、保護を指定されている地区では、新しい建物は一切建設するこ
とができない。バンセンヌの森 991 ヘクタールのうち 84%が保護地区に指定
されている
27)。
パリの周辺は宅地化が進み、ロマのために使用できるような空地がほとんど
ない。そのために、国や市が私有している公有地の森や公園が設置の候補地に
なっている。
パリの西の郊外にある 460 ヘクタールの広大な国有地でも、ロマの滞在施設
の建設が予定されていた。2011 年 11 月 17 日、サン・クルー市は、国有地は
自然保護地区で建設禁止であるのにかかわらず、ロマ受け入れ施設の建設とし
て、南側のセーブル市との境界近くに、総床面積 7 千平米、高さ 10 メートル
の 3 階建の建物建設計画を決定し、サン・クルー市の都市計画に盛り込んだ。
この都市計画は、先だって採択された「領域整合都市計画」を手直ししたもの
である
28)。しかし、国有地は全域が歴史的建造物及び自然保護地区に指定さ
れており、しかも用途地域は国に指定されていることから、この計画には矛盾
があった
29)。
結局、知事と国有地の南に隣接するセーブル市が反対意見を表明したため、
サン・クルー市議会は 2012 年 7 月 5 日、「移動する人々」受入施設建設計画を
白紙に戻した
30)。
第 3 章.住居の設置か強制退去か
1.住居設置の問題点
1)設置の要請
「移動する人々」用の住居の必要性が叫ばれている一方で、様々な理由から
建設が困難になっている。
目標では、1,867 の恒久施設に 41,569 台分のスペースのと350 ヵ所の短期滞
在施設を設置しなければならないが、2009 年 12 月 31 日現在では、840 ヵ所の
常設施設に 19,936 台分のスペース(48% の目標達成率)と、91 ヵ所の短期滞
在用施設設置(26% の目標達成率)しか設置されていない。フランスに 93 あ
る行政県の内 45 県が目標の 50% 以下しか達成をしていない
31)。
2012 年 1 月 1 日現在、246 の 市町村、196 の コ ミューン 間広域行政組織
(EPCI)
32)が義務を果たしていない
33)。それでも、短期滞在用施設設置のた
めに、2012 から 2017 年にかけて、89 県が県の基本計画を改正する予定になっ
ている
34)。
設置遅延の主要な原因のひとつが、設置費用の問題である。
2000 年から 2011 年の 10 年間に、「移動する人々」の住居建設に、6 億 3200
万ユーロ(約 822 億円)が投じられたが
35)、国からの補助の申請は 2008 年 12
月 31 日で打ち切られた。2008 年に申請された補助金は 2011 年まで支給され
たが、年々段階的に減額された。
★1ヵ所当たりの平均投資額(2008年から2011年)(単位:Euro) 2008 2009 2010 2011 2008-2011 新設 36,170 30,930 47,048 25,714 34,393 補修 35,836 11,159 12,890 - 28,950 短期滞在 2,223 3,289 2,605 2,446 2,827出典:Courdescomptes,L’accueil et l’accompagnement des gens du voyage,octobre2012,p.59.
2007 年には、新たな受け入れ施設 1 ヵ所毎に 10,050 ユーロ(約 130 万円)、
2008 年には 9,228 ユーロ(約 120 万円)補助されていたが、2009 年には 7,458
ユーロ(約 97 万円)に下がった。改修への補助額は 1 ヵ所あたり、2007 年が
6,393 ユーロ(約 83 万円)、2008 年 が 6,253 ユーロ(約 81 万 3 千円)、2009 年
には 4,573 ユーロ(約 59 万 5 千円)になった
36)。新しく施設を建設するのには、
2008 年から 2011 年の平均で 34,393 ユーロ(約 450 万円)、改修には 28,950 ユー
ロ(376 万円)もかかるため
37)、補助金打ち切り以降の分については、資金援
助をしてくれる機関を探さなくてはならなくなった。
しかし、せっかく「移動する人々」にキャンプの土地を整備して提供しても、
問題が発生する。それらの人々が周辺の治安を乱し、住民の財産に損害を与え
ることがあるからだ。国務院は、そうした事態を市長が知りながらも、彼らの
取り締まりの権限を行使せず、損害に対する責任も取らないのは、市長の過失
責任と判断している
38)。
市長が公供の土地の使用や公衆衛生の悪化を理由として、不法に公有地を
占拠している 500 人以上の「移動する人々」と 100 台以上のキャンピングカー
の強制退去を裁判所に要請した場合はどうであろうか。裁判所は、「移動する
人々」に代替地が用意できる場合や、「移動する人々」の一時滞在所としてト
イレやシャワーなどの施設を設置できる場合は、技術的にも金銭的にも簡単な
方法であるため、その方法を優先すべきとしている
39)。
しかし、過半数のフランス人は、「移動する人々」が不法に土地を占拠して、
キャンプをするのを望ましいとは思っていない。2010 年夏に IFOP が行った
世論調査によると、フランス人の 79% は、不法に占拠しているキャンプの解
体に賛成している
40)。
2)強制退去と人権
2000 年 7 月 5 日法第 9-1 条は、県の基本計画を作成し、① 2 年以内に施設を
建設している市町村、②法律の義務は果たしていないが「移動する人々」の受
け入れ施設がある市町村または③施設の設置を予定している市町村は、公衆衛
生、公衆の安全及び治安を脅かすキャンピングカーの違法駐車に対して、市長、
土地の所有者または土地の使用者に、退去を命令するよう要請できるとしてい
る。しかし、退去命令ができるのは、車輪が付いて動かすことのできる車の住
居であって、いくらキャンピングカーの住居であっても、車輪が無く動かすこ
とができない場合はこの法律は適用されない
41)。また、公衆衛生に問題があ
るだけでは、公共の秩序が脅かされているとは言えない
42)。県知事は、トイ
レやシャワーなどの衛生施設の問題があり、キャンピングカーの駐車場が近隣
の住宅地に接しているために緊急車両の通行が困難になる等、公衆衛生、安全
に問題がある場合にのみ、キャンピングカーの住居に対し 24 時間以内の退去
を命令することができる
43)。そして、この強制退去は、「移動する人々」の住
居を設置する義務のある市町村が義務を果たしていなくても、公衆衛生、安全
に問題があり、緊急性があれば命令できる
44)。憲法裁判所も、公共の秩序の
維持と市民の自由の均衡が崩れたときのみの利害調整の手段なので、憲法に反
した条文ではない、と判断している
45)。
2007 年以降、サルコジ政権は、違法キャンプを理由に、ロマをルーマニア
及びブルガリアに強制送還する政策を進め、ロマの違法なキャンプは、①所有
権の侵害、②安全・衛生条件が容認できない、③同化政策と相入れない、とい
う理由で、違法キャンプの撤去に向けて動き出した。「違法キャンプ対策」と
題された内務省及び移民省の通達が出され、2010 年 8 月 5 日には、内務省は
警視総監、警察局長、憲兵局長及び知事に対して、「移動する人々」に違法に
占拠されている 300 ヵ所の土地を、3 ヵ月以内に明け渡すようにという大統領
通達が出され、2010 年の 9 月までの間に、8 千人以上のルーマニア及びブルガ
リア国籍の「移動する人々」が本国に送還された。7 月 28 日から 8 月 17 日に
送還された 979 人のうち 828 人は、300 ユーロ(+子供一人毎に 100 ユーロ)
を受け取る代わりに「自発的」に国外退去に応じた
46)。
国連人種差別撤廃委員会はロマの大量送還を憂慮し、8 月 27 日、フランス
に対し、ロマの強制送還は差別的政策であり、送還するより同化政策を取るべ
きだ、と提言した。同時に、人種差別や外国人排斥の機運に歯止めをかける
ための対策を強化すべきだ、とも呼びかけた
47)。欧州社会人権委員会も、欧
州社会憲章 31 条(住居を得る権利)2 項(段階的なホームレスの減少)及び 9
条(移民労働者及びその家族の保護と支援の権利)8 項(国の安全を脅かした
り、公序に反したのでない限り、合法的に滞在している労働者を追放しない保
証)に違反していると非難し、強制送還させられたロムへの住居の返還と、強
制送還で被った損害を賠償すべきだと警告した
48)。
人種差別・ユダヤ人排斥運動及びあらゆる差別と闘うために 1984 年に設立
された非政府組織「SOS 人種差別」は同年 9 月、フランス憲法前文及び第 1 条、
人権と基本的自由のための条約第 4 追加議定書、欧州連合基本権憲章に反する
として、2010 年 8 月 5 日の通達の廃止を求めて提訴した。国務院は 2011 年 4
月 7 日、「SOS 人種差別」の訴えを受け入れ、2010 年 8 月 5 日の通達の廃止を
決定した
49)。
欧州議会は 2010 年 9 月 9 日、「ロマの現状及び欧州連合の人の自由移動に関
する欧州議会の決議文を 337 対 245 で採択し、欧州連合の差別撤廃の原則
50)に反するため、即刻ロマの強制送還を中止するよう求めた。
欧州社会権委員会も、2011 年 1 月、2007 年以降に行われた 1 万人以上のロ
マの大量強制送還と、特に 2010 年 7 月に大統領が発表した違法にキャンプし
ているロマの強制退去の方針に対し、欧州社会憲章 19 条 8 項及び 31 条 2 項、
人権と基本的自由のための条約及び社会権及び人権のあらゆる規定に抵触する
ものだとして抗議した
51)。
フランスのロマの大量強制送還後、2010 年 8 月 27 日と 31 日には、リー
ルの行政裁判所がルーマニア人に対する強制退去の知事命令を取り消す判決
を出し
52)、2012 年 5 月左派政権が誕生して以来、強硬政策は緩和されてきて
いる。
政府は 2012 年 8 月に、通達を出し、違法キャンプの解体には裁判所の判決
を尊重し、困難な状況に陥っているすべての人々を平等に扱い、尊厳を保証す
るよう促した。強制退去の命令を出す前に、各々の「移動する人々」を分析し、
子供の教育や、衛生管理や、施設の設置等、その人々に合ったきめ細かい対策
を取ることが必要になった。
しかし、「移動する人々」の退去は、フランスだけ限らない。イタリアやデ
ンマークは強制退去を否定していない。イタリア議会は、2007 年 10 月 31 日、
犯罪・軽犯罪を犯したすべての欧州市民の即時追放を許可する法律(2007 年
11 月 1 日法律第 181 号)を採択し、11 月 2 日から施行し、ロマの強制退去に
適用されるはずだったが、3,000 人以上のロマが法律の廃止を訴えた。翌年 4
月、欧州議員が欧州連合の市民の自由移動の原則に反するとイタリアを非難し、
この法律は事実上廃止された。一方、ドイツとスイスは、コソボと協定を結び、
ロマの帰国を促している。
3)強制退去の合法性
2013 年 10 月 9 日、15 歳のロマの女子中学生が学校の遠足に行く途中、警察
官にバスから降ろされ、両親、5 人の兄弟と共にコソボに強制送還させられた。
父親はコソボ生まれのロマで、フランスに来る前にイタリアに滞在し、母親と
6 人の子供はイタリアで生まれ育った
53)。しかし、フランスで難民申請をする
ためにイタリアに滞在していた事実をフランス当局に隠していた
54)。家族は
2009 年 9 月からフランスに非合法に滞在し、合法的な滞在を知事に申請して
いたが、2013 年 6 月 19 日に請求は拒否され、フランス国内から退去すること
を通告されていた。
この事件にフランス中が同情した。中高生は、デモ行進をし、学校を閉鎖し
て、自分たちと同じ年の少女とその家族の強制送還を抗議した。少女は「自分
の祖国はフランス」と主張し、フランスでの教育の継続を望んだ。大統領も介
入し、少女の帰国を許可したが、彼女のみで家族の帰国は許可しなかった
55)。
少女は、フランスへ一人で戻ることを諦めたが、両親は、2013 年 10 月 28 日、
行政裁判所にフランスでの合法的滞在許可を請求した。
しかし、2014 年 1 月 28 日、ブザンソン行政裁判所は、「両親は社会に同化
せず、仕事の斡旋があるにもかかわらず就職もせず、フランス語も理解しない。
両親が故郷で生活をするのに何の障害もなく、子供達もコソボで教育を受ける
ことができる」とし、子供たちがコソボで学校に通うのが可能であれば、「児
童の権利に関する条約」に違反するとは言えず、知事に「明白な評価の誤り」
はないとして、請求を棄却した
56)。
少女の家族はコソボ人の父親だけがコソボで生まれ育ち、1973 年か 74 年に
イタリアに渡り、子供達は全員イタリアで生まれ育った。イタリアに送還され
ないようにすべての書類は破棄し、「コソボからの難民」と偽っていた。
裁判所は、以下の 5 つの理由により、滞在許可の交付を拒否した。
①父親が社会に同化せず、就職しようとしなかった。
②母親がほとんどフランス語を解せず、社会に溶け込もうとしなかった。
③子供たちはほとんど学校に行っていかなかった。
④イタリア滞在歴を隠していた。
⑤コソボでの教育や家族の生活に何の支障もないことが認められた
57)。
社会への同化は滞在での絶対条件だが、それ以外にも合法的滞在が拒否され
た理由として、両親が居住地の近くで窃盗を働いていたことや、父親が 2 人の
娘に体罰を加えていたことも指摘されている
58)。フランスでは子供に体罰を
加えることは許されない
59)。法に反することをする場合は、情状酌量の余地
がなくなるのは当然である。
それにしても、家族は不法滞在であったが、政府から様々な資金が援助され、
計 1 万 2 千ユーロ弱(約 168 万円)も支払われていた
60)。
2.「移動する人々」の権利の拡大
1)移動の権利
「移動する人々」の身分証明書については、2012 年 10 月 5 日の憲法審議会
が 1969 年 1 月 3 日法の一部を違憲と決定したのを受けて、移動しながら経済
活動を営むフランス人及びその同行者が携行すべき「特別移動許可証」と定期
的収入を証明できない者が携行する「移動許可手帳」は廃止され、「移動許可
証」に統一された。その理由とは、1789 年の人権宣言
61)第 1 条の「人は、自由、
かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同
の利益に基づくものでなければ、設けられない。」及び第 5 共和国憲法第 1 条「フ
ランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フラン
スは、出生、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等
を保障する。」、人権宣言第 6 条「法律は、一般意思の表明である。すべての市
民は、みずから、またはその代表者によって、その形成に参与する権利を持つ。
法律は、保護を与える場合にも、処罰を加える場合にも、すべての者に対して
同一でなければならない。すべての市民は、法律の前に平等であるから、その
能力にしたがって、かつ、その徳行と才能以外の差別なしに、等しく、すべて
の位階、地位および公職に就くことができる。」及び、「法律は、基本的人権の
ために市民に付与された基本的な保証に関する規則を定める。」としているか
らである
62)。この移動許可証は、一年に一度証印を受けるだけになった。
憲法裁判所は 2012 年 10 月 5 日、1969 年 1 月 3 日法の一部を違憲と判断す
るに留めたが、この決定の 2 年前、2010 年 12 月 15 日に、「移動する人々」の
差別的待遇をなくすための法案が社会党のグループから国民議会に提出されて
いた。その議員立法でも、移動に必要な身分証明書類の廃止や、3 年の帰属期
間をフランス人と同一にすることを求め、1969 年 1 月 3 日法の廃止が提案さ
れていたが、2011 年 1 月 19 日、元老院で否決された。
1969 年 1 月 3 日法では、「移動する人々」の選挙権は、同一市町村で 3 年以
上継続して移動許可手帳の手続きしてもらった場合に登録できたが、2012 年
10 月 5 日の憲法裁判所の違憲判断以降は、フランス人と同じ条件になり、6 ヵ
月以上同じ市町村に帰属するだけでよくなった。
2)教育の権利
2000 年 7 月 5 日法の「移動する人々」の住居の建設の目的の一つは、一か
所に滞在する期間を長くして、子供達に教育を受ける機会を与えることである。
半数以上の「移動する人々」の子供たちは、一度も学校に行ったことがないか、
もしくはほとんど行ったことがない。「連帯」組合によると、ロマの子供の就
学率は 10%に満たない
63)。これは生活の場が一定していないことや、学校か
らフランス語を話せないことや、クラスに空きがないことを理由に登録を拒
否されたりするからだ
64)。また、親も、子供が学校でいじめに遭ったり、ロ
マの伝統文化とは違う基準を身につけることを憂慮して、積極的に子供を学校
に行かせないことが多い。特に女の子だと、親の反対で学校に行けないことも
少なくない。先述した 15 歳のロマの少女も、2013 年 9 月 3 日の新学期から 10
月 9 日の強制送還までの 36 日間に、21 日も半日欠席している
65)。親に命令さ
れて、街で物乞いをしたり、窃盗などの犯罪を犯したりする子供も少なくない。
パリ及びその郊外では、軽犯罪を犯している 9-17 歳のロマが約 200 人いると
推定されている
66)。
仮に子供を学校に行かせても、親も教育に熱心ではないため、勉強の遅れが
目立ち、落第する子も少なくない
67)。多くのロマが成人しても読み書きがで
きず、社会に適応できなくなっている
68)。2002 年の「移動する人々及び定住
しない家族の子供の就学に関する通達」では、定住していない家族の子供たち
ができるだけ定期的に学校に通えるよう、親と一緒に移動する子供の受け入れ
条件の詳細を定めている。すべての子供は、たとえ定住していなくても、6 歳
から 16 歳までは学校に行く義務があり、学校は他の子供たちと同じように教
育を受けさせる義務がある。そのため、期間を限定した入学を許可したり、教
育を継続させるために、子供たちの生活パターンに合った就学を受け入れる
必要があると示達している。しかし、実際には効果が見込めなかったため、10
年後の 2012 年には、外国語を母国語とする「移動する子供達」の言葉の壁や、
教育からのドロップアウトなどの問題の改善を狙いとして、3つの通達が出さ
れいる
69)。
3)労働の権利
フランスに住むロマは、キャンピングカーで生活しているが、本国の家族は、
普通の住居(一戸建やアパート)に住んでいる。本来はノマドではない。彼等
は本国からバスや列車を乗り継ぎやってきて、夜露をしのぐために、もうほと
んど動かなくなった中古のキャンピングカーを安く入手する。多くのロマは、
商売人や職人であるが、季節によって職業を変えたり掛け持ちしたりする者も
多い
70)。しかしフランスでは、ルーマニア人とブルガリア人は、労働の機会
が制限されており、自由に職業を選択できるのは、修士以上の資格を有してい
る者のみで
71)、それ以外は、労働省のアレテにより、職業が限定されていた。
それでも、就労できるのが 2008 年には 7 つの分野(①建設、公共事業、②ホ
テル・レストラン・食品、③農業、④機械、⑤金属業、⑥加工業、⑦販売)の
150 業種だったのが
72)、2012 年の 10 月には約 2 倍の 291 業種に拡大された
73)。
労働許可が下りないロマは、不法労働でしか稼ぐことができない。赤信号で止
まった車の窓を拭いたり、ゴミ箱から売れそうなものをあさって、露店で売っ
たりしてわずかな収入を得ている。
ロマの大半はルーマニア人とブルガリア人であり、2007 年 1 月 1 日から欧
州市民となっている。2013 年 12 月 31 日に移行期間が終了し、2014 年 1 月 1
日からは、ルーマニア人とブルガリア人にも欧州指令 2004/38CE が適用され、
他の欧州市民と同じく域内を自由に移動する権利を享受することができるよう
になった
74)。しかし、シェンゲン協定に関しては、一部の加盟国の反対により、
欧州理事会で可決されず、二カ国のシェンゲン協定加盟は延期された
75)。こ
のため、身分証明書またはパスポートを所持するルーマニア人及びブルガリア
人に対しては、基本的にフランスではすべての職業
76)に就くことができ、地
方選挙
77)及び欧州議会選挙
78)の選挙権・被選挙権を行使できるが、身分を証
明できない「移動する人々」は従来通り、何の恩恵も受けられない。
おわりに
フランスでは 2010 年に 3,212 人、2011 年に 9,396 人、2012 年には 11,803 人
がルーマニアまたはブルガリアに強制送還されているため
79)、現在の人数は
過去数年の水準より減少して入るが、まだ 20 万人ほどの「移動する人々」が
滞在していると推定されている。パリ周辺では、そのうち約 1 万人が生活し
ている
80。INSEE の調査によると、2007 年には、パリ市の人口 219 万人のう
ち、約 20%の 44 万人が外国人、首都圏では人口 1160 万人に対し外国人は 199
万人(17,1%)であるので
81)、数からすると決して多くはない。しかし、子供達
を使った組織的な犯罪も多く、市民からは厄介な存在とみなされている。実際、
ルーマニア人の犯罪は、2010 年、18 ヵ月で 259% も増加した
82)。銀行のキャッ
シュディスペンサーにおける現金のすりの 80% はルーマニア人の犯行である
83)。
2009 年には、被害額は 15 万 4 千ユーロ(約 2 千万円)以上にも達した
84)。パリ
のルーブル美術館では 2013 年 4 月 10 日、東欧出身の子供たち
85)の館内での
犯罪の蔓延に抗議するため、職員がストを決行した
86)。パリ市内でのロマの
子供たちの犯罪は、2011 年には前年に比べて 78% も増加した
87)。そこで 2012
年からルーマニアの警察と協力してパトロールを強化している。
違法滞在の「移動する人々」の強制送還は、欧州社会人権委員会や国連から
人権侵害だと抗議されているが、2012 年の第三四半期には 1,582 人、2013 年
の第一四半期には 2,883 人、第二四半期には 5,482 人が強制送還されている
88)。
自主的に本国に戻る場合は、フランス政府が大人一人当たり 300 ユーロ、子供
は 100 ユーロ支払うため、2011 年は 1 万 4 千人が帰国した
89)。しかし彼等は、
数週間後にまたフランスに舞い戻ってくる。なぜなら、ブカレストからパリに
は片道 80 ユーロ
90)の長距離バスがあり、家族で短期間「働きに」来るのが容
易だからである
91)。
2012 年 12 月 7 日、内務大臣は「帰国支援金」の支払いがかえって不法滞在
のロマを増やすとして、支払いの停止を発表した。2013 年 1 月 16 日に帰国支
援に関するアレテが出され、2 月 1 日以降、支給額は大人が 50 ユーロ、子供
は 30 ユーロに減額されることになった(第 2 条)。
「移動する人々」の定住化は容易ではない。なぜなら、現在「移動生活」を
している人々は、定住して社会に溶け込むことを望んでいないからだ。ロマ
は、「待遇の良い暮らし」ができるように、あちこちの国に移り住むことも珍
しくない
92)。定住は、安定した職業を得るためにも必要不可欠であるが、まず、
多くの市町村が受け入れ施設の建設に消極的である。そして、主な送り出し国
であるルーマニアやブルガリア、旧ユーゴスラビアは、フランスやドイツ等に
比べると生活レベルが低く、著しい経済成長も見込めない。ルーマニアの経済
成長率は、2012 年には 0,7%、2013 年は 1,6% の見込みである
93)。ブルガリアは、
2013 年の成長率は 1,2% と予測されるが、失業率は 2010 年の 9,2% から 2012 年
末には 12,5% と悪化している
94)。
ルーマニアは経済立て直しとロマの社会復帰対策として、2009 年に欧州社
会基金と IMF から 200 億ユーロ(約 2 兆 6 千億円)の融資を受けた。しかし、
未だに有効な対策を取っていない
95)。法的整備も遅れているため、ルーマニ
アの国内法の多くは欧州法に合致していない。
ヨーロッパで約 1200 万人と推定される「移動する人々」の問題を解決するには、
もはや 1 国の問題に留まらず、欧州全体で、住居、労働、健康、教育等の分野
に取り組まなくてはならなくなってきている
96)。
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Couradministratived’appeldeVersailles,1erdécembre2009,M. Istfan,n °07VE03227,4ème
chambre
TribunaladministratifdeLille,27août2010,Mme V,n°1005249
TribunaladministratifdeStrasbourg,6septembre2012,Ville de Metz,n°1204032
TribunaladministratifdeBesançon,28janvier2014,M. et Mme Dibrani,n°1301378-1301379,1ère
chambre
欧州社会権委員会:
Forum européen des Roms et des Gens du Voyage (FERV) contre France,Réclamationsn°64/2011,28
332
参考資料:
1.1912 年 7 月 16 日法で義務付けられたフランス人「大道商人」用の身分証明書
参考資料:
333
2-1.1912 年 7 月 16 日法で義務付けられたノマド用の身分識別手帳
334
335
3-1.1912 年 7 月 16 日法で義務付けられたノマド用の家族単位の身分識別手帳
336
1)Comptesnationauxtrimestriels-Premiersrésultatdu4èmetrimestre2013»,inInformation
Rapide,n°34,INSEE,14février2014,p.1.
2)NotairedeFrance,Note de Conjoncture immobilière,n°20,juillet2013,p.1.
3)«Immobilier:LondresetParis,villeslespluschèresd’Europe»,Le Parisien,20juin2013. 4)«Immobilier:lahaussedesloyersaralenti,mêmeàParis»,Le Parisien,22mai2013. 5)APUR(Atelierparisiend’urbanisme),L’accès au logement social à Paris : Analyse de la
demande de logement social et bilan des propositions et des attributions de logements sociaux à Paris en 2012,septembre2013,MairiedeParis/PréfecturedeParis,p.9.
6)Conseildel’Europe,Glossaire sur les Roms et les Gens du voyage,2010,p.6.
7)«PetitlexiquedesTsiganes,Roms,gensduvoyage»,Le Monde,17octobre2012. 8)«Lesgensduvoyage:quelquesdéfinitions»,La Croix,27juillet2010.
9)SecoursCatholique,En route avec les Roms et les Gens du voyage,octobre2002,p.2.
10)«AccueildesRoms:«L’hébergementd’urgencen’estpasadapté»,Le Monde,14mai 2013.
11)Sénat,Le Stationnement des Gens du voyage,LesdocumentsdetravailduSénat:Série Législationcomparée,n°LC145,avril2005,pp.11-12.
12)HÉRISSON(P.),Gens du voyage : Pour un statut proche du droit commun,Rapportau Premierministre,Sénat,juillet2011,p.8.
13)«Gensduvoyage:troublesdanslesAlpes-Maritimes»,Le Figaro,5juillet2013. 14)現在のルーマニアの地方。
15)Conseildel’Europe,Le Conseil de l’Europe : Protéger les droits des Roms,septembre2011,p.5. 16)FILHOL(E.),«Laloide1912surlacirculationdes«nomades»(Tsiganes)en
France»,Revue européenne des migrations internationales,vol.23,n°2,2007,p.6.
17)この法律はロマに対して差別的だとされながらも、約 60 年間改正されなかった(1945 年 11 月 2 日のフランスの出入国の条件に関するオルドナンス第 8-3 条の外国人の指 紋押捺義務 の 規定 は、公共 の 秩序維持 と 指紋押捺 と 比較考量 す る と、指紋押捺 が 重 すぎるという理由から、1997 年 4 月 22 日、憲法裁判所に違憲と判断された(Conseil constitutionnel,22avril1997,Décisionn°97-389DC,Journal officiel du25avril1997,p. 6271))。
18)CourdesComptes,L’accuiel et l’acompagnement des gens du voyage,octobre2012,p.20. 19)VANDEWALLE(Y.)(UnionpourunMouvementPopulaire),Questionn°916,Question
oralesansdébat,13èmelégislature,QuestionpubliéeauJOle:19/01/2010page:425, RéponsepubliéeauJOle:29/01/2010page:634.
20)Conseilconstitutionnel,19janvier1995,n°94-359DC,Journal officieldu21janvier1995,p. 1166.
21)Couradministratived’appeldeNancy,4décembre2003,n°98NC02526,Commune de
Verdun,3èmechambre,Formationà3.
22)«Desairespourlesgensduvoyagedanslesboisparisiens»,Le Figaro,7février2013. 23)INSEE, Commune de Saint-Mandé ( 94067 ),www.insee.fr/fr/bases-de-donnees/est/
comparateur.asp?codgeo=com-94067,2014 年 1 月 28 日.
24)«Lavilles’engageàcréerplusdelogementssociaux»,Le Parisien,11mars2009. 25)«Denouveauxlogementssociaux»,Le Parisien,23février2013.
26)«Lesadversairesdéposentunrecoursautribunal»,Le Parisien,16avril2013.
27)Directiondel’urbanismedelaMairiedeParis,Protéger et aménager les espaces verts et les
bois parisiens dans le Plan local d’urbanisme,mai2009,p/11.
28)BOUET(J.),DECANCHY(J.),Le domaine national de Saint-Cloud : La situation sociale, Versionavecoccultation:loidu17juillet1978surl’accèsauxdocumentsadministratifs, MinistèredelaCultureetdelaCommunication,InspectiongénéraledesAffaires culturelles,n°2013-03,janvier2013,p.13. 29)«Saint-Cloud:LenouveauPLUeffraielesamoureuxduparc»,Le Figaro,31janvier2012. 30)«RéponseduMinistèredelaCultureetdelaCommunication»,Journal officiel,Sénat,1er novembre2012,p.2477.
31)LAPORTE(P.),Les aires d’accueil des gens du voyage,Rapportn°007449-01,Conseil généraldel’environnementetdudéveloppementdurable,octobre2010,p.7.
32)2011 年 1 月 1 日現在、フランス本土には 36,368 の市町村、35,041 市町村が EPCI を構成 している。
33)Courdescomptes,L’accueil et l’accompagnement des gens du voyage,octobre2012,p.49.
34)«Gensduvoyage:oùmanquentlesplacesenairesd’accueil?»,Le Monde,24juillet2013. 35)Courdescomptes,L’accueil et l’accompagnement des gens du voyage,octobre2012,p.58. 36)Ibid.,p.57.
37)Ibid.,p.58.