社会化による個性化をめざす道徳教育の創造 : 「自己形成」メディアとしての体験活動を通して
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(2) 目次. はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 1. 第1章 問題の所在と研究目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 2. 第1節 学校教育のひずみ・・・・・・・・・・・…. .’・”9”●’”曝2. 1「規範意識の低下」への問題意識・・・・・・・・・・・・・・・・・… 2「規範意識」とは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 2 2. (1)「規範」の語義と「規範意識」 (2)「価値意識」と「規範意識」. 3 子どもの規範意識の低下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 5 (1)学校教育にかかわる「規範意識の低下」の現状 (2)調査結果から見えてくるもの (3)学校教育における「規範意識」の問題への取り組みに向けて 第2節 道徳教育の現状と課題・・・・・・・・・・・・・・・・… ・ ..13 1「道徳」とは何か∼近代に生み出された「道徳」∼・・・・・・・・・… 13. 2 社会性と道徳性・・・・・・・・・・・・・・・…. .. ’ 14. (1)内的なものとしての道徳 (2)社会規範としての道徳 3 規範意識の低下と道徳教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 16 4 道徳教育の現状と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 17 (1)中学校における道徳学習の推進状況と課題 (2)個性の重視と道徳教育 (3)体験活動と道徳教育 (4)体験活動を生かした道徳学習の境状と課題 第3節 近代教育の諸前提・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 24 1 近代社会の成立と「子ども」・「学校」・・・・・・・・・・・・・・・… 24 (1)アリエス『〈子ども〉の誕生』 (2)フーロー「権力=知の装置としての学校制度」 2 言葉とものの分離によって生じる教育の困難さ・・・・・・・・・・… 25 ・ … 。 ・ 麿 8 ・ 願 墨26 3 近代教育の課題∼教育と日常生活の分離∼・… ・ ・ 暫 ・ ・ 窮 ● 胃 9 6 ・27 4 近代教育の課題の克服に向けて・・・・・・… (1)教育的行為の伝統的モデル (2)教育的行為の相互主体的モデル. 第2章 社会化による個性化をめざす道徳教育の創造に向けての基礎理論・・・・・・… 32 第1節 コミュニケーション的行為の理論の基礎的諸概念・・・・・・・・・・・・… 32 1 コミュニケーション的合理性・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 32 2 灘ミュニケーション的行為・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 33 (1)社会的行為の類型 (2)相互行為の調整としてのコミュニケーション的行為 (3)コミュニケーション的行為の行為類型 3 コミュニケーション的行為と生活世界・・… 亀・・・・・・・・・… 37 (1)資源としての生活世界 (2)生活世界の再生産過程への寄与と再生産の病理現象 (3)歪められたコミュニケーションと生活世界の植民地化 (4)生活世界の合理化 第2節 道徳意識とコミュニケーション的行為・・・・・・・・・・・・・・… ’44 1 ディスクルス倫理学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 44 (1)ミードによる討議倫理学の基礎づけ (2)カント・ヘーゲル問題の再構成に向けて (3)理想的な人間関係の共同体∼「理想的発話状況」∼ (4)討議原則と普遍化原則.
(3) 2 相互行為の発達∼道徳性と社会性の発達∼・・・・・・・・・・・・… 49 (1)発達理論の諸課題 (2)道徳性の問題∼灘一ルバーグ「道徳的認知の構造」∼ (3)社会的パースペクティブの取得∼セルマン「社会的視点取得能力」∼ (4)ハーバーマスの「相互行為の段階」. 第3節社会化による個性化をめざす「自己形成」と道徳教育・・・・・・・・・… 60 1 生活世界の合理化と道徳教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 60 2「社会化による個性化」をめざす「自己形成」・・・・・・・・・・・・… 61 (1)生活世界の意味の再構成と「自己形成」 (2)「社会化による個性化」 (3)社会化による個性化をめざす自己形成と道徳意識の発達 3 ほミュニケーション的行為の理論に基づく道徳学習・・・・・・・・… 67 (1)意味の解釈のプロセスとしての道徳学習 (2)行為調整という実践としての道徳学習∼「教室という社会」∼ (3)合意形成と自己形成 第3章 「自己形成」メディアとしての体験活動の基礎理論・・・・・・・・・・・… 74 第1節 「生活世界」と「学び」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 74 1 「言葉とものの分離」再考・・・・・・・… 噂・・・・・・・・… 74 2 経験と体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 75 3 学びの意味基盤の喪失・・・・・・・・・・・・・… 8・・・・… 77 第2節 「新教育の地平性」とデューイの経験概念・・・・・・・・・・・・・・… 79 1 「個性の尊重」と「体験活動」の展開・・・・・・・・・・・・・・… 79 (1)「新教育」のなかでの「個性の尊重」と「体験活動」 (2)「薪教育」と今日の道徳教育 (3)「新教育の地平性」. 2. デューイの経験概念とその課題・・・・・・・・・・・・・・・・・… 82 (1)デューイの経験の理論 (2)デューイの社会的探求とその限界 「自己形成」メディアとしての体験活動・・・・・・・・・・・・・・・… 87 第3節 1 「メディア」社会のなかで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 8ア 2 メディア理論の展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 87 (1)社会理論のなかのメディア論 (2)教育のなかのメディア概念 3 W,ベンヤミンの「経験のメディア」・・・・・・・・・・・・・・・… 91 (1)言語とメディア (2)経験のメディア (3)メディアと教育 (4)「開かれた解釈」を可能にする経験のメディア (5)「メディア」と「体験活動」. 4. 体験活動とコミュニケーション的行為∼ハーバーマスとメディア概念∼… 98 (1)言語メディアと言語行為メディア (2)行為遂行的な解釈のプロセス (3)「体験活動」を生かした「道徳の時間」 (4)メディアとしての体験活動 (5)「体験活動」と「個性の重視」の関連性. 第4章 体験活動を生かした道徳学習の構想・・・・・・… 一・・・・・・・… 106 第1節 体験活動を生かした道徳学習の構想に向けて・・・・・・・・・・・・・… 106. 1 メディアとしての体験活動と了解・・…. 一一・一一・一・・106. 2 経験の個別化の克服・・・・・・・・… 一… 一・・・・… 107 第2節社会化による個性化をめざす道徳教育の基本モデル・・・・・・・・・・… 112 1 道徳教育におけるメディアとしての体験活動の位置づけ・・・・・・… 112.
(4) 2. 了解を志向した道徳学習の基本モデル・・・・・・・・・・・・・・… 114 (1)実践的ディスクルスに基づく学習展開モデル (2)実践的ディスクルスの成立への手立て 3 「開かれた解釈」を可能にする体験活動の条件・・・・・・・・・・… 116 4 従来の体験活動を生かした道徳学習との相違 ∼総合単元的道徳学習との比較∼・・・・・・・・・… 117 「職場体験」を生かした道徳学習の構想・・・・・・・・・・・・・・・… 121 第3節 1 社会的な視点と体験活動・道徳学習・・・・・・・・・・・・・・・… 121 2 自己形成メディアとしての「職場体験」・・・・・・・・・・・・・・… 121 3 「職場体験」を生かした道徳学習モデル・・・・・・・・・・・・・… 123. 第5章 体験活動を生かした道徳学習の実践∼「職場体験」の事例∼一… 一… 127 第1節 実践の概要および生徒の実態・・・・・・・・・… 一・一・・・… 127 1 実践の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…. 2 生徒の実態・・一・・…. 127. 一・一一一一・一一一一127. (1)社会的視点取得能力検査による生徒の実態調査 (2)「働く」という行為についての生徒の意識 (3)「職業」についての生徒の興味・関心. 第2節 授業展開例・一・・・・・・・・・… 一・・一・・・・・・・… 133 1 総合的な学習の時間における「職業」学習の主なねらいと内容・・・… 133 2 「職場体験」を生かした道徳学習の具体的な学習内容・学習活動・・… 133 3 「社会化による個性化」をめざす道徳学習の授業展開例・・・・・・… 133 第3節 授業分析および実践後の変容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 142 1 意識化の観点からの授業分析および変容・・・・・・・・・・・・・… 142. 2 反省化の観点からの授業分析および変容・・… 一・・一・・… 144 3 合意形成の役割と発達段階の観点からの授業分析および変容・・・・… 146 (1)了解を志向した話し合い活動(合意形成) (2)発達段階の差∼「行為の意味の再構成」と「価値・規範の意味の再構成」∼ (3)新たな意味の生成から意味の再構成へ 第4節 実践の結果および考察・・一・・・・・・・・・… 一・・。・・… 152 1 「ディスクルス」と経験の意味の再構成の関係についての考察・・・… 152 (1)話し合いを分析するための発言カテゴリー (2)話し合いにおける発言分析 (3)了解志向の話し合い(合意形成)による経験の意味の再構成(自己形成) 2 メディアとしての「職場体験」と道徳学習の関連づけに関する考察・… 157 3 社会的視点取得能力の変容・・・・・・・・・… 一一・・・… 159. 第6章 総合考察および今後の課題・・・・・・… 一… 一・一・・・… 162 第1節 理論的考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 6・・・・… 162 第2節 実践的考察・・・・・・・・・・… 一・・一・・・・・・・・… 168 1 「職場体験」を生かした道徳学習の成果と課題・・・… 一・一・・168. 2 体験活動と関連づけた道徳学習の課題の克服に向けて一・一一… 169 3 実践的ディスクルスにかかわる課題・・・・・・・・・・・・・・・… 170 4 今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 171 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 173 引用・参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 174 附記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 179 Appendiκ.
(5) はじめに. 今目の社会は価値多様化の時代にあって、価値観や信念が異なる異質な人々の間での共 生が求められている。そして価値や社会が多様化しているからこそ、新しい道徳が必要と されている。多様化の進行のなかで、道徳は個人的なものではなく社会的なものとして、 社会的規範のさらなる普遍化が求められているのである。このような社会状況の中で、差 異ある人々が人間関係を構築していくために、積極的に求められる新しい道徳・社会規範 はどのようにとらえられなければならないのであろうか。道徳教育は、規範・価値の獲得 と普遍化に資するために何ができるのであろうか。. このような社会的な要請の下、道徳教:育と体験活動の重要性が学校教育の中で叫ばれる ようになって久しい。筆者も、これまでに体験活動を取り入れた教育実践に取り組んでき た。「豊かな体験活動を教育活動に生かしてきた目的は、生徒に「自ら課題を見つけ、そ の課題解決のために自律的、主体的に判断し行動する力」や「他者と協調しながら自他の よさを生かす力」を育成するためであった。また、それらの力の基盤となる規範意識と道 徳性を培うために道徳教育にも力を入れ、生徒が意欲的に取り組む学習活動を展開しよう と、指導方法の工夫や改善に力を注いできたのである。ところが、このような道徳教育の 実践において筆者が常に考えていたことは、「いかにして生徒を道徳的価値に迫らせるか」 ということであった。最も効果的・効率的に生徒の道徳的心情を高めるために、感動的な 内容の資料を選択し、発問を考え、学習活動を工夫するのである。体験活動も、道徳授業 における生徒の道徳的価値:の追求を成立させるための「手段」として取り入れたのである。 また、生徒の規範意識や道徳性に関しても、それは、生徒一人ひとりが自分の心の中に培っ ていくものであると考えていた。「∼人ひとりの感じ方や考え方を大切にする」ことによっ て、生徒諸個人が道徳的に高まっていくとみなしていた。道徳を個人的なものに還元して 捉えていたのである。その一方で、道徳教育を推進することによって、生徒同士の社会的 な入間関係の構築や改善を図ろうとしてきたのである。 他方、生徒指導上の諸問題は、勤務校でも例外なく深刻であった。授業の不成立、不登 校生徒の増加、暴力の問題など、道徳教育において目標とした生徒像とはかけ離れた状況 が生じていた。筆者は、暴力やルールを無視した行為に関しては、高圧的な態度と教師の 権威性を示すことで生徒と「対決」してきた。その一方で、リーダー育成にカを入れ、生 徒同士の話し合いに基づく「自治の力」による諸問題の解決に取り組むこともあった。し かし、生徒の規範意識を高め、人間関係を構築する力の育成をめざしているにもかかわら ず、教師主体、生徒客体という関係性の中での教育実践では、その目標とは程遠い結果に 陥らざるを得なかった。そして、子どもをめぐる諸問題の原因は、嫁庭の教育力の低下」 の問題であると責任転嫁してきたのである。このような自らの教育実践を振り返ったとき、 授業や生徒指導という教育実践そのものが、理念と実践の不統一に陥り分離していたので ある。小手先だけの授業改善や対処法的な生徒指導によってではなく、自らの主観的な教 育に関する信念や理念こそを根本から見直さなければ、子どもをめぐる諸問題を克服する ことは不可能ではないかという思いに至ったのである。 道徳教育の現状や今艮的な社会の状況を踏まえた上で、筆者はこれまで取り組んできた 道徳学習と体験活動のあり方を問い直し、薪たな転換の方途を探ることを試みた。まず、 学校教育そのものを問い直し、規範意識の低下の問題に対する取り組みにおける現在の教 育活動の限界性について考察する(第1章)。その限界性をふまえた上で、道徳教育におい て規範意識の獲得と個性化の問題に関してどのように取り組まれなければならないのかを 理論的に考察する(第2章)。そして、「社会化による個性化」をめざす道徳教育の創造に かかわって体験活動がもつ意義を、「経験のメディア」という概念を手がかりに探っていく (第3章)。さらに、それらの基礎的な理論を基に体験活動を生かした道徳学習を構想し、 授業実践の分析を通して、本論の妥当性と課題を明らかにしていく(第4・5・6章)。 本論は、教育、学び、子どもの人間形成という自明とされてきた事実を問い直し、道徳 教育を再構成していくための基礎的理論の構築と実践構想をめざすものである。 1.
(6) 第1章. 問題の所在と研究目的. 第1節 学校教育のひずみ 1 「規範意識の低下」への問題意識 現代社会において、子どもから大人まであらゆる世代で「規範意識」が低下していると 言われる。特に、子どもをめぐる規範意識の問題は、いじめ、不登校、学級崩壊、非行問 題、自殺、殺人などあらゆる子どもの問題や事件との関連において論議されている。近年、 「凶悪化」する傾向にあるとされた少年犯罪に歯止めをかける手段として、「少年法の改正」. が行われたこと(2001年)は記憶に新しい。. また、教育、特に学校教育関係者の間でも、心血意識をどう育むのか」が課題の一つと なり、実際に、「心の教育」や「道徳教育」として取り組みも行われている。2002年度から. 施行されている中学校学習指導要領においても「教育課程の基準の改善のねらい」の第1 に、「豊かな人間性や『社会性』」(1)の育成が挙げられ、道徳教育においては、「特に、社会. 生活上の『ルール』や基本的な『モラル』などの『倫理観』」(2)の育成などに留意して、指 導の一層の充実をはかることが求められている。. しかし、果たしてそもそも「規範意識」とは何なのか。何と比較したとき規範意識が「低. 下した」と言われているのか。槻範意識を育む」や「規範意識を高める」とは、子どもや 社会の何がどう変化することを意味しているのか。そのことを明確にすること無しにさま ざまな教育活動を展開しても、問題状況の解決には至らないのではないだろうか。学習指 導要領の言葉を用いれば、ゼ社会性」とは何か、「モラル」や「倫理観」とは何なのか、そ してそれらを育んでいくとはどのようなこと意味しているのかを明らかにしていくことが、. 学校教育、なかでも道徳教育にたずさわる一教師として問題状況の根本解決を図るために は必要なのではないだろうか。その上で、理論的な根拠を基盤にして、教育実践としての 道徳教育が「子どもの規範意識」の問題について「何ができるのか」「何をなすべきなのか」 を追求していきたいと考えた。. 2 「規範意識」とは何か (1)「規範」の語義と「規範意識」. 教育思想事典によれば、規範(norm)とは、「社会的(対人的)行為を規制する原理の総. 称であり、直接的には、妥当な行為様式に関する指示(指令)と、指示への同調性を高め るためのサンクション(賞罰の体系)とから成る。一つの社会集団に属する成員が共有し ている、一定の状況下で、何をなすべきか、また何をしてはいけないかをいうことについ て自他の行為を評価する上での行為基準である1(3)とされる。また、同書によれば、「規範 は、価値が特定の行為様式を通して発現したもの」(4)であり、「規範は価値によって基礎づ けられて」(5)おり、「規範がかかわる価値は社会的行為にかかわる価値(端的にいえば善と いう価値)」(6>である。. 2.
(7) 規範の種類としては、一般に、慣習(custom)、道徳(mora1)、法く1aw)の3つが挙げ られる。これらの「規範が、外的な強制力によって遵守されるのではなく、良心あるいは フロイトのいう超自我が形成されることによって、自発的に遵守されるようになること」(7) を「規範の内面化(internalization)」(8)という。規範はこのようにして行為者にとって. 外在的であることをやめ、内なる行為原理もしくは「規範意識」へと転じていく。 (2)「価値意識」と「規範意識」. 「規範」は「価値」に基礎づけられる。まず、見田の『価値意識の理論』に依拠しなが ら、「価値」「規範」「価値意識」「規範意識」の諸定義を概観し、規範と価値:の関係を明確 にしておく。. ①「価値」と「価値意識」. 見田は、C。クラックホーン(1905−1960)らの研究成果を基に、価値を以下のように定 義する(9)。. (a) 価値を「主体の欲求をみたす、客体の性能」と定義する。 (b) 価値:の一般的な機能は、意識的行為における選択の基準となることである。 (c) 価値は元来、人々の選択的行為から推論された構成概念である。. 見田によれば、主体が下すく価値判断〉にかかわる諸概念は、以下のようにまとめられ る(10)。. ○「価値意識」…個々の主体の、多くの客体にたいする、明示的もしくは黙示的な価値: 判断の総体によって、主体の側に構成されるもの。 ○「社会的価値」…個々の客体が、多くの主体によって下される、明示的もしくは黙示 的な価値判断の総体によって、客体の側に構成されるもの。 ○「価値空間」…価値判断の「基準」と「準拠」。個々の価値判断において、価値主体が 考慮に入れる諸要因の総体によって構成される。 ○「価値判断の基準(価値基準)」…個々の具体的状況における価値判断の底にある、尺. 度、座標、ものさし(例えば、快楽、利益、正義な どを基準とする)。 ○「価値判断の準拠」…価値判断を「信託された価値主体」。他の個人、集団、思想体系、. 著作、伝統、世論など。信託しない人の場合は、信条がこれに あたる。 価値判断は単なる「好み」や「願望」とは区別され、「のぞましさ」についての意識的選 択である。価値判断は、人間の欲求を基盤とするが、単なる感情的な快楽のみを基準とす るのではない。「選亥子」とは区別される価値判断とは、「時間的パースペクティブの中でく. 現在〉をいったん相対化し、行為者が、〈今ここにある自分を〉乗りこえく未来〉にむけ てひろがる」(11)とき、同時に、「社会的パースペクティブの中でく自己〉をいったん相対化 し、〈社会〉にむけてひろがる」(12)とき、すなわち自己の直接的な衝動をいったん客観化. するときにはじめてあらわれるものである。したがって、個人の恣意的な主観に基づく判 断とは区別される。このような「価値」や「価値意識」は、次のような4つの次元におい て社会的存在としての人間にとって重要な役割と機能をもつ(13>。. 3.
(8) a)個々の「行為の構造」の次元 b)一個口価値主体による諸行為のパターンとしての「パーソナリティ構造」の次元 。)一群の諸個人によっておこなわれる「文化の構造」における次元 d)文化・政治・経済を含む総体としての「社会構造」における次元 価値や価値意識の「行動性」(行為の方向づけに及ぼす影響の大小)は、aの次元の機能 が考察されるときに問題となる。価値:意識の「固定性」(かたさ)は、bの次元の機能の考 察において問題となる。価値:の「普遍性」は、cの次元との関連において問題となってくる。. さらに、価値:や価値意識の形成は、dの次元との関連において問題となってくる。これら4 つの構造は複雑な連関をもっており、それぞれが独立して存在しているわけではない。 ②「規範」と「規範意識」. 見田によれば、価値意識は「欲求性向」と「規範意識」とを包括する上位概念であり、 しかも、人間の欲求とその欲求に厳しく対立する規範意識は矛盾無く統一される(鋤。規範 や規範意識の概念は、以下のようにまとめられる。. 規範. ・あれこれの規範は、それぞれの社会において少なくとも一部の人々には「のぞまれて」 おり、その人々の欲求を反映するものであるとき、存続し、有効に機能しうる。 ・あれこれの規範は、それぞれの個人において、少なくともその規範を尊重し、同調しよ うとする欲求と結びついたとき、保持され、有効に働きうる。 ・すべての規範は、それぞれの個人において社会的な承認を得、生活に一貫した意味をも たせようとする欲求によって支えられている。 このような「規範」には、価値判断の主体としての側面と客体としての側面がある。「規. 範」がある出来事をプラスかマイナスに「価値づける」場合、規範は価値判断の主体とし て考えられる。一方、規範が「好ましい規範」「時代遅れの規範」などとして「プラスかマ. イナスに「価値づけされる」場合、規範は価値判断の客体と考えられる。この客体として の規範が、性向欲求によって価値づけされてある個人に受け入れられている場合に「性向 欲求」と「規範意識」は相互に結びついたと言えるのである。つまり、「規範」の妥当性が 承認され、個人に受け入れられたとき、規範意識が形成されるのである。この「性向欲求」. と「規範意識」の結びつき方には、4つのパターンが考えられる㈲。 1)単なる手段(「適応」への欲求との結びつき) 規範が、社会に適応していく(社会的承認を得る)必要上、尊重されるに過ぎない。 2)規範の遵守それ自身が、満足をもたらす(「統合」への欲求との結びつき) 3)習性となった規範を破ることへの不快感(「パターンの維持」への欲求との結びつき) 4)規範の完全な内面化(規範意識そのものが性向欲求の一部となる). 4.
(9) 「規範」や「規範意識」は、上述の価値意識の構造とのかかわりでは、主として「パー ソナリティの構造の次元」と関連づけられている。このパーソナリティ構造の中で、規範 意識は次の4つの社会および他者への志向から成り立っている⑯。 イ.期待の意識…権威者や周囲の人々の期待に対して「適応」しょうとする志向 ロ.原理の意識…内面化された道徳体系や信念によって、自己の行為に首尾一貫した意 味的な「統合」を与えようとする志向 ハ.慣例の意識…伝統や慣習によって水路づけられた既成の行為パターンをかき乱すこ となく「維偏しようとする志向 二.欲求性向の一部となった部分…規範の遂行が、それ自身欲求の「充足」であり「享 受」であるような部分 「規範意識とは何か」という論点は、以下のようにまとめられる。. 第一に、規範意識は「行為の構造」に具体的に表象される場合もあれば、無い場合もあ るという形で「行為の構造」にかかわる。. 第二に、規範意識は「パーソナリティの構造」に深くかかわり、その機能や役割におい て人格形成や主体形成の問題に影響をおよぼすものである。. 第三に、規範意識は(他者や社会への志向から成り立つという意味において)社会的な 起源をもつ。したがって、規範意識の形成や規範内容の問題は、文化や経済、政治をはじ めとするあらゆる「文化の構造」や「社会構造」の次元とかかわる。. 3 子どもの規範意識の低下 (1)学校教育とかかわる「規範意識の低下」の現状. 「子どもの規範意識の低下」の問題は、上述のような規範意識の何がどのように変化し たことを意味しているのであろうか。まず、子どもの規範意識の低下という状況を学校教 育とのかかわりで調査研究している深谷らのデータをもとに子どもの現状を概観する。. ①逸脱行為の経験率 表1・1は、中学生の「逸脱行為」として調査されたものである。見田は、「逸脱行為」に ついて、「一定の集団において支配的な価値体系は、その遂行に際しての、具体的な状況、. 個性、役割に基づいた解釈のために、大なり小なりの『許容範囲』をもつ。この許容範囲 を外れたものを『逸脱』とよぶ」〈17)としている。表1−1に「逸脱行為」として挙げられて. いる中学生の行為は、法で禁じられているもの、大人から見て子どもとしては望ましくな いと思われるもの、学校の校則や規則に照らして違反とされるものが混在している。いず れにせよ、中学生の「行為」のなかでも「個々の行動」において、「学校教育にかかわる教. 師を中心とする関係者の中での支配的な価値体系」から「逸脱」したものについての調査 結果である。深谷は、「ゲームセンターへ行くこと」や「学校に漫画を持っていくこと」な ど、学校の規則や大人の許容範囲を超えた行動を軽度な逸脱行為とし、「万引き」や「タバ. コをすう」という法律違反の行為を中学生にとっては逸脱度の高い行為であるとしている (18)。そして、全体として中学生の規範意識が低いと結論づけている。. 5.
(10) 表1引 逸脱行為の体験「したことがある」(中学生). 割合(%). 全体. 中1. 中2. 中3. 6.6. 4.4. 5.1. 10.3. 他人の傘を無断で使用 万引きをする 深夜盛り場でふらつく. 11.3. 9.3. 10.0. 14.6. 12.0. 20.0. 22.1. 23.7. タバコをすう. 12.2. 10.5. 11.0. 15.0. 40.9 45.6 392 家で酒を飲む 4L9 56.4 51.1 54.5 63.0 学校に漫画を持っていく 84.4 81.9 ゲームセンターに行く 762 8α8 『モノグラフ・中学生の世界 VbL 54「規範感覚といじめ」』ベネッセ教育研究所、1996隼. ②規範意識の変化 表1・2は、中学生の規範意識の変化についての調査結果である。すべての項目で「とても. 悪い」と答えた中学生の割合が減少している。しかも、1995年の調査で「とても悪い」と 答えた項目が過半数を超えたのは、「万引き」と「学校でタバコをすう」の2項目だけであ る。. 表1−2 中学生の行動として、悪いと思うか「とても悪い」 1989年. 割合(%). 1995年. 86.3 82.3 万引きをする 学校でタバコをすう 83.1 76.7 59.4 37.3 深夜に盛り場をふらつく 38.1 家でお酒を飲む 55.1 199 45.3 部分的にパーマをかける 8.0 23.4 ゲームセンターなどに行く 17.5 10.7 学年に漫画を持っていく 7.5 2.5 学校に教科書を置いていく 『モノグラフ・中学生の世界VbL54「規範感覚といじめ」』ベネッセ教育研究所、1gg6年. ③教師から見た生徒の規範意識 表1・3からは、学校内での逸脱行為の発生状況がうかがえる。「よくある」「ときどきある」. をあわせた割合からは、学校内での生徒の逸脱行為が教師にとって珍しいものではない状 況であることがうかがわれる。また、表1−4の結果からは、「時間にルーズ」な生徒や、「ルー. ルを守らない」生徒がとても増えていると感じている教師の割合が高い。そして、嫁庭で の基本的なしつけ」を問題視している教師が過半数を超えており、「家庭の教育力」の問題 を規範意識低下の要因とみなす教師の姿勢が示唆されていると言えるであろう。. 表1−3 学校での生徒の逸脱行為一教師調査から一㈹ 先生に対し略書をはかれたりする お金や靴が盗まれる トイレなどにタバコの吸殻がある 傘や自転車を無断使用する. 割合(%). よくある. ときどきある. 小計. 5.1. 18.6. 23.7. 4.9. 26.5. 31.4. 9.9. 22.9. 32.8. 7.1. 292. 36.3. 深谷昌志編集『子どもの規範意識を育てる』教育開発研究所、2002年. 6.
(11) 割合(%). 表1−410年前と比べて一教師から見た生徒一「とても増えている」 職名. 全体 15.0. 7.5. 撫. 養護教諭. 教師に反抗的 時間にルーズ ルールを守らない. 15.0. 23.1. 339. 2◎.8. 34.4. 48.7. 40.3. 18.9. 42.0. 5a4. 家庭で基本的なことがし ツけられていない. 55.9. 43.4. 56.4. 64.1. 管理者. 『モノグラフ・中学生の世界Vbl.68「中学教師は訴える」』ベネッセ教育研究藤、2001年. 遅④「授業の荒れ」に見る子どもの規範意識 表1−5は、中学生が授業中に行っている逸脱行為である。深谷は、このような逸脱行為の 割合から、学級において「ざわつき」の情況(①と②の割合から)、「荒れ」の情況(③と ④の割合から)、「崩壊」的な情況く⑤と⑥の割合から)が皆無でないことが分かるとして. いる。他方、表1・6から、そうした行為を「絶対ダメ」であると感じている生徒は7割を超 えている。. 割合(%). 表1−5授業中に逸脱行為をしているか(中学生) 何度も. 時々. 小計. 1削2回. 全然. ①教科書を出さない. 5.9. 22.0. 27.9. 25.3. 46.8. ② おしゃべりをやめない ③ トイレや保健室に行く. 4.6. 14.6. 19.2. 28.6. 52.0. 2.9. 9.4. 12.3. 23.1. 64.6. ④消しゴムをなげる. 2.8. 8.0. 10.8. 17.6. 71.6. ⑤先生に反抗 ⑥先生を無視. 2.4. 4.4. 6.8. 12.4. 80.8. L9 L9. 4.8. 6.7. 14.3. 79.0. ⑦教室内を立ち歩く. 4.6. 6.5. 10.9. 82.6. ⑧ 漫画を読む. 2.5. 2.9. 5.4. 5.6. 89.0. ⑨紙飛行機を投げる. 1.4. 1.9. 3.3. 5.5. 91.2. 深谷昌志編集『子どもの規範意識を育てる』教育開発研究所、2002年 割合(%). 表ト6品詞中にすることへの評価(中学生). 絶対ダメ. まあいい. 仕方ない. 19.5. 41.0. 39.5. 10.1. 28.1. 61.8. 23.1. 66.1. 10.8. 11.6. 20.0. 79.9. ⑤先生に反抗. 7.5. 19.4. 73.1. ⑥ 先生を無視. 7.2. 18.4. 74.4. ⑦教室内を立ち歩く. 7.1. 15.8. 77.1. ⑧ 漫画を読む. 9.9. 12.8. 77.3. ⑨紙飛行機を投げる. 7.4. 12.8. 79.8. ①科書を出さない ②おしゃべりをやめない ③ トイレや保健室に行く ④ 消しゴムをなげる. 深谷昌志編集『子どもの規範意識を育てる』教育開発研究所、2002年. (2)調査結果から見えてくるもの 上記の深谷らの調査結果に対して、以下の点が指摘できる。. ①「逸脱」の程度が問題なのか 表1−2や表1−4から以前の中学生と比較して「逸脱」とされる行為に対して「悪」と考え. 7.
(12) る者は減少しており、規範意識が希薄化している傾向は見られる。しかし、法的に規制さ れている行為などに関しては、子どもの規範意識は依然として高いと評価することもでき るのではないだろうか。逆に言えば、深谷が「逸脱度の軽いもの」と表現した行為につい て、中学生が「大人にとっての許容範囲」から逸脱しているのである。この「大人にとっ ての許容範囲」を普遍的な「規範」とみなすことが果たして妥当なのかどうかが問題とな る。. ②「規範意識の低下」の要因は何か 例えば、深谷は授業崩壊には、表1・6にあるような行為について「まあいい」「仕方ない」. と態度を曖昧にしてしまう子どもたちの存在が大きな影響を与えているとみなしている。 この曖昧さが、規範意識の低下を物語っているとされている。しかし、深谷自身このよう な「曖昧さ」を有している生徒がすべて実際に「逸脱行為」に走るわけではないと考えて いる(20>。そして、授業中に逸脱的な行為を「する生徒」と「しない生徒」とに分け、それ. ぞれの背景を分析している。その結果が、表1−7である。ア∼カの項目に着目したとき、逸. 脱行為を行う原因が、生徒個々人の性格や学業の問題に置き換えられてしまっている。果 たしてこれは、槻範」にかかわる生徒の意識の問題を語っていると言えるのであろうか。. 仮に、これらが規範意識の低下の要因であるとすれば、規範意識の低下は、生徒個々人の 個別的な悶題や教師個々人の授業や学級経営の力量、教師と生徒との人間関係の問題に還 元されてしまうであろう。. 前述のように、「規範」とは所属集団によって承認され、構成されたものである。したがっ. て、規範意識は個別的な個人の性格の問題などに還元してしまうことはできない。現在問 題になっている「規範意識の低下」の問題は、このような個別的な問題の解決では対処で きないからこそ、社会的な問題に至っているのである。深谷らの議論では、子どもをめぐ る様々な問題状況が、規範意識の低下に起因しているとしながら、規範意識が低下した理 由については、十分に説明することができないという結果に陥っているのである。永井は、 今日の「規範意識の低下」に関して、大人たちが青少年の規範意識の状況を理解できずに、. 理解できないものへの恐怖が先行してセンセーショナルな扱いをしている点こそが問題で あるとしている(21)。「普通の子」が犯罪を犯し、授業崩壊やいじめの原因をつくることや、. 大人から見れば「悪い」と思えるととに対して「どうでもいいじゃん」としか答えない子 どもたちを理解できない大人たちが、「規範意識が低下、希薄化」していると説明すること によって、どこか安心感を得ているのである。 表1−7 授業中に逸脱的な行為をする生徒・しない生徒(22). 割合(%) 全く しない. 逸脱行為をよくする ア.学校生活とても楽しい イ.自任はとても頼れる ウ.学業成績「中の上」以上. 22.3. く. 3L8. 20.5. く. 36.5. 22.7. く. 41.0. 工四丁すぐカッとなる(とても). 21.3. 〉. 9.1. オ.体調・疲れやすい(とても) カ.体調・肩がこる. 27.5. 〉. 15.2. 24.9. 〉. 14.0. 8.
(13) ③教え込む「規範」への疑問∼構成される「規範」∼ 見田は、「規範」は「客体」としての側面をもつと指摘する。すなわち、槻範」そのも のが一定の社会集団の中で生活する人々によって「価値づけされ」、「規範」の妥当性が問. われる場合があるのである。先述のように、規範や価値は「構成概念」であって、その時. 代や集団にとって「事実的」なものであっても「実体」ではない。見田によれば、主観的 (相互主観的)に価値を付与されたものである。上述の①・②において筆者が指摘した深 谷らの調査の問題点は、規範や規範意識を「既存の社会的事実への適応」の問題としてと らえていることに起因している。「構成されるもの」としての「規範」への着眼が不十分な のである。. 他方、個々人がバラバラに抱いている信念や信条は、個々人にとって価値:あるものでは あっても「規範」とはならない。「多様化」したと言われている今日の溶湯においてこそ、 :事実としてある「規範」の意味を問い直し、今日の社会やわれわれにとって共有できる「価. 値ある」規範をつくり出す(構成する)こ:とこそが重要なのである。換言すれば、上述の 調査結果に示された行為を、「悪いことである、逸脱である」と理解させて、そのような行. 為をさせないように生徒に事実としての「規範」を教え込み、行為への構え(態度)をつ くることが重要なのではない。むしろ、大人にとっても中学生にとっても行為の基準とな りうるような「規範」を共同で創出していくことが重要な課題であり、そのために事実と しての「規範」の妥当性をひとつひとつ吟味していくような活動が、学校教育にも求めら れているのである。以下のような永井の指摘と、表1−8に示された「クラスで話し合ったこ とは守るべきだ」に対する半数を超える中学生の「規範感覚」は、「規範の構成」への可能 性を示唆していると欝えるのではないだろうか。. i豊かな社会、消費を絶え間なく刺激する商業主義、大人と子どもの境界の不明確化、1 }さまざまな新しいメディアの影響といった状況が存在するのが現実である。今日の学校1 }は、そうした社会的条件を前提として問題に取り組むほかはない。新しい社会を担う規1 }範意識のあり方を養し、旧態然とした社会規臨を押しつけようとするのではなく、1. 塵麓雛懇聯窪く・できるかぎり面部を図ること配欄 表1−8学校における規範感覚「とても÷わりとそう思う」 納得はできなくても先生の指示には従う. ラきだ 納得のできない校則は守らなくていい クラスで話し合ったことは守るべきだ. 割合(%). 全体. 中1. 中2. 中3. 33.0. 46.7. 29.3. 242. 24.1. 182. 27.8. 25.9. 556. 659. 48.3. 53.3. 『モノグラフ・中学生の世界Vbl,69「居場所としての学校」』ベネッセ教育研究所、2001年. ④「家庭の教育力」の問題か 表1−4において、教師は、十分にしつけができていない家庭が増えていると感じており、. 規範意識が家庭の「しつけ」によって育まれていないことを指摘している。中学生の逸脱 行動の原因に「家庭の教育力」の問題が存在していることを示唆するものである。尾木は、. 9.
(14) 「家庭の教育力は低下したのか」という問題意識に基づき、さまざまな調査、分析を行い 「家庭の教育力」の問題の背景をまとめている(24>。この尾木の報告から、「家庭の教育力」. の問題について以下のことが指摘される。. 第一に、親の教育力そのものの問題である。尾木は、今日の若い母親の間における子育 ての問題を次のようにまとめている(25>。. 1)子どもの基本的な生活習慣づくりの意義がわからず、「食べる」「寝る」f遊ぶ」とい う基本のしつけがおろそかにされていること。. 2)子どもに対して愛情を感じることができずに悩んだり、何を話しかけていいかわか らずに戸惑うなど、親になった動揺が浮き彫りになっていること。. 3)親同士がコミュニケーション不全に陥っており、お互いに孤立した子育てを余儀な くされていること。. 親自身の迷いや親子の愛着の喪失が、子育てやしつけを困難にし、子どもへの虐待にも 結びついているのである。. 第二に、尾木は、このような親の出題は、今日の家庭、家族の在り方そのものに起因し ているとする。本来、共同の生活の場であった家庭がいわば「プチホテル化」し、「弧食」. や自分の空間(個室)に閉じこもりTVを私事化するという「個別化」の状況が広がり、家 庭や家族の共同性が喪失しているのである(26)。近年では、携帯電話の普及も相まって、親. 子のニミュニケーションよりもメディアの中の謙ミュニケーションに閉じこもる子どもが 増えている。このような家庭や家族関係の中では、子どもたちの事物に対する判断基準は、. 親を素通りして、物欲を煽る消費文化や流行文化に置かれることになり、親の教育力は生 まれてこないのである。. 第三に、そのような家庭の状況を生み出した背景に、家庭と地域社会の関係の希薄化、. 家庭の地域社会からの孤立化が指摘される。家庭同士の間にコミュニケーションが成り 立っていた共同体としての地域社会においては、さまざまな子育ての情報が交換され、ま た、地域で子どもを育むということが可能であった。しかし、地域の共同性の喪失が、親 同士の識ミュニケーション、大人と子どものコミュニケーションを成立させなくなってき. たのである。その結果、家庭が孤立化し子育てに悩む親が誰にも相談できずに、一般化さ れ普遍的だとされている子育て情報に振り回され、学校で子どもたちに教えられる価値が 家庭にまで侵入してくる「家庭の学校化」という状況を生じさせているのである。. 第四に、情報化社会、大量消費社会の進展のなかで、伝統的に「しつけ」「規範」として. 伝達されてきたものが社会の変化に対応できなくなっていることである。確かに、子ども は、大人と共同生活を送るなかで、社会のなかにある規範や知識を学びとっていく。しか しながら、大人は、大人社会の生活形式を直接的にすべて子どもに見せていたわけではな く、フィルターをかげながら、その時々の子どもの発達に合わせて提示してきたのである(27)。. 尾木は、現代の日本において、子どもはあまりにも簡単に、しかも無造作に大人社会の生 活形式に接触できる環境になり、子どもに十分な「子ども期」が保障されず、子どものパー. ソナリティの発達に大きな影響を与えていることを指摘している。情報メディアのなかに. 10.
(15) 生まれ育ち、利益追求のために子どもの物欲を刺激し続ける大人社会の経済原理に巻き込 まれているのが、今日の子どもたちの状況である。今目の家庭が置かれた状況を考慮:すれ ば、「家庭の教育力の低下」に子どもたちの規範意識低下の原因を追求しても、問題は解決. できない。善悪の区別や礼儀など、伝統的な日本社会で家庭生活のなかで伝達され育てら れてきた規範意識は、今目のように変化した家庭の生活様式や情報化した社会においては、. 伝達することそのものが困難になってきているのである。すなわち、文化や社会の構造の 変化に伴い、社会における「規範」、およびそれを支えている生活形式の在り方(規範構造). そのものが見直されなければならない状況が生じているのである。. 見田が指摘するように「規範意識」は、他者や社会への志向から成り立ち、パーソナリ ティ構造の中で重要な機能を果たしている。「規範への同調や内面化」において、基本的な 生活習慣の「しつけ」など、家庭が重要な役割を果たすのは事実である。しかし、「期待の 意識」「原理の意識」「慣例の意識」は、少なくとも家庭の中だけで育まれるものではない。. 尾木が指摘するように、それらは、共同性に基づく社会そのもののなかで、他者とともに 社会に生活する存在者としての規範意識として育まれていく。つまり、文化や社会の構造 とパーソナリティ構造とは密接に結びついているのであり、規範意識の低下の要因を「家. 庭の教育九の問題だけに還元することはできないのである。親や家庭の教育力の低下を 指摘するだけでなく、このような親、家庭、子どもを取り巻く社会環境の変化に目を向け、. 共同性の喪失を克服し、規範意識を育むために何ができるのかを考えなければならないの である。伝達という図式だけでは不可能になった子どもの規範意識の育成に関して、学校 教育に求められることは、「家庭の教育力」の背景にまで遡り、社会の規範構造を組替える という根源的な問題解決にかかわっていく力を、子どもたちのなかに育むことなのである。. (3>学校教育における「規範意識」の間題への取り組みに向けて 深谷らの研究データとその現状分析は、規範意識を既存の社:会に個人が適応するという. 側面に重きを置いた概念として捉えていると言える。これに対して、見田、永井、尾木ら が指摘していることは、規範や社会の規範構造を人間がつくり出していくという側面に重 きを置いた規範意識の概念である。門脇は、現代の若者に欠けているのは社会への適応能 力というより、自らの意思で社会をつくっていく意欲とその社会を維持し発展させていく のに必要な資質や能力である(28)とし、そのような資質や能力を「社会力」と呼んでいる。. 筆者は、この門脇の「社会力」という概念に、価値観の多様化や規範意識の相対化が叫ば れる中で、現代社:会における規範意識や価値意識にとって重要な示唆が含まれていると考. えた。門脇は、人間が他の動物と区別されて社会的動物と呼ばれるのは、人間が言葉を介 して二人以上の人間の間で行う相互行為(hlteraction)(29)によって、相互に影響を及ぼし 合いながら役割を遂行し、選択的に行為することで「現実の意味」や「状況の定義づけ」(30). を共有し合うからであるとする。そのようにして「共有」された意味や状況の定義によっ て、相互行為はいっそう滑らかにかつ安定して展開されていくことになり、秩序ある社会 生活を営むことができるのである。これは、見田が「価値・規範は構成されたもの」であ. 11.
(16) るとみなしたことを、「相互行為」という観点から説明したものである。また、表1・8に示 した「クラスで話し合ったことは守るべきだ」という中学生の意識には、「相互行為」に支. えられた社会的な入間としての在り方を大切にしていこうとする槻範意識」が現れてい ると言えるであろう。. 情報化社会のなかに生まれ育ち、さまざまなコミュニケーションのツールを駆使するこ とができながらも、社会への関心を無くし、社会とのかかわりを避けようとする若者が増 えていると言われる今日、問題とされているのは、社会への適応不全による子どもたちの. 規範意識の低下ではない。それは、人間関係における規範や社会そのものをつくりあげて いく相互行為のカの低下の問題なのである。学校教育における「いじめ」「学級崩壊」「不. 登校」などの諸課題は、子どもと子ども、子どもと教師、子どもと家庭、子どもと地域社 会、学校と家庭・地域社会などのさまざまな関係性における「相互行為」不全の問題とし て読み替…えていくことができるであろう。したがって、学校教育の場で「規範意識」の問. 題に取り組むとは、入間関係や社会を築き上げていくような資質や能力、すなわち相互行 為の力を備えた主体を育成することである。梱互行為の力を育むことが、新たな人間関係 や学級・学校という子どもたちの「社会」の在り方に変化をもたらすことにつながるので ある。それによって、危機が変革の可能性へと展開していくと思われるのである。. 12.
(17) 第2節 道徳教育の現状と課題 規範意識の低下が叫ばれる中で、心の教育の要として位置づけられているのが道徳教育 である。近年では、特に、体験的な活動を生かしながら道徳的価値の自覚と人間としての 生き方の主体的な自覚を図ることにより、豊かな人間性・社会性・道徳性を育むことが強. 調されている。平成10年の中央教育審議会答申第4章「心を育てる場として学校を見直そ う」においても、道徳教育に関して以下のように記されている(31)。 (2>②道徳教育を見直し、よりよいものにしていこう一道徳の時間を有効に生かそう (a)道徳教育を充実しよう 1 (b)もっと体験的な道徳教育を進めよう i (c)子どもたちの心に響く教材を使おう i. (d)よい放送翻ソフトを翻として有効鷹肌よう. (g)地域住民や保護者の助言を得て道徳教育を進めよう. 1. i. 」. また、善悪の区別をし、悪を悪として毅然と退ける正義感や倫理観を養うことも今目の 道徳教育に求められている課題である。しかも、子どもの実践に向けての態度(道徳的実 践力)の育成にとどまらず、実践(道徳的実践)そのものが志向されている。. 本節では、道徳教育の現状を明らかにしながら、学校教育の諸課題の克服に向けて、今 日行われている道徳教育が果たしてその期待に応えることが可能であるかどうかを吟味し、 課題や矛盾点を考察していく。. 1 「道徳」とは何か∼近代に生み出された「道徳」∼ 「道徳(鵬oral)」とは、慣習(custom)や法(law)とともに「規範(norm)」の中の 一種である。道徳の語源を調べてみると、ラテン語で習俗を意味する1noresからmoral〈道. 徳的)という語が、ギリシャ語のethos(慣習)からethica1(倫理的)の語が、ドイツ語 のSitte(慣習)から8it宙ch(人倫的)の語が派生している(32)。道徳はもともと集団や社. 会によって承認された慣習としての規範を意味しているのである。規範意識の低下の問題 が道徳の問題、道徳教育の問題に位置づけられるのはこのためである。. 道徳の原初形態は、血縁集団や家族共同体における政治・経済・宗教等々の「実践」の 中に埋め込まれていた。その後、社会的行為の基準が集団規範として対象化されるにいたっ. て、はじめて「道徳」に相当する人間的糊度」が成立する。しかし、慣習としての道徳 は依然として、法・宗教・政治などの諸制度と未分化のまま一体化していた。古代の道徳 はこのような慣習道徳であったが、それらはタブー、儀式や祭典、詩歌や装飾などによっ て言語的・芸術的表現の形式や物理的な力の行使を通じて伝達・再生産されていた。. さらに個人の意識が慣習道徳と葛藤・対立し、慣習道徳が「反省的思考」の対象となる につれて、道徳の制度は他の関連する諸制度から次第に分化し、道徳そのものについての. 13.
(18) 反省的考察く倫理学、道徳哲学)も登場する。ここにおいではじめて、他の領域から相対 的に独立した「道徳」が成立することになる(33)。. 共同体の実践の所産として慣習や習俗によって支えられていた「道徳」は、近代になる と慣習から切断され、共同体から引き離されるようになる。近代科学と資本主義の成立に. 伴って、伝統的共同体とそれに支えられた慣習や習俗の解体が急速に進むのである。一方 で、啓蒙思想の普及とともに、個人主義や自由主義が、旧体制・旧秩序への批判のために. 伝統に依拠しない普遍的な根拠を要求するようになる。市民革命から産業革命の時代、啓 蒙主義が広がりを見せる中、道徳は共同体の維持と再生産への寄与のためではなく、個人 の自己統治や自律のための「道徳原理」へと根本的転換を図るようになる。道徳の飼人主 文化、生活世界の連関からの脱文脈化が進み、道徳そのものが普遍的・抽象的な道徳原理 へと還元され、理性による正当化を志向するようになる(34)。. このように、道徳は近代社会が生み出したものである。道徳は、そもそも共同体という 社会の中における諸個人の実践に組み込まれた「社会的な秩序としての規範(社会的なも の)」であると同時に、「個々人の行為原則(個人的なもの)」でもあった。しかし、近代社. 会への移行に伴って道徳は「個人の行為原則」へと還元され、理性によって正当化される よう方向づけられ、個人は社会的存在としての自己の在り方を探る上での拠り所を失い、 重い責任倫理を背負うことになったのである。社会の秩序と個々人の行為原則の不融合(35) が生じ始めたのである。. 2 社会性と道徳性 (1)内的なものとしての道徳. 丁ホッブズ(1588・1679)は、各人の自己保存のための普遍的な「自然権」を社会契約に. よって保証することで道徳の根拠を認め、道徳とは利己主義と利他主義の調和であると説 いた。ホッブズの啓蒙主義特有の道徳観(36)は、よベンサム(1748−1832)、」.S.ミル (1806−1873)らに受け継がれ、快や選好を究極的な善とみなし、「最大多数の最大幸福」 を普遍的な道徳原理とする功利主義の基礎となった。. 一方、功利主義の枠組みに対抗したのが1.カント(1724・1804)である。カントは、人. 間の理性による統一的理念を打ちたてる方向を決定づけたとされる。カントの「道徳性 (Moraht菖t)」という概念は、意志を直接規定する根拠としての道徳法則である。カントは、. それまでの「善悪が意志を規定する」という考え方に対抗して、道徳性が人間の意志(意 識的選択)を規定するとみなし、善悪は、意志の是認と否認の対象であると捉え直す。こ こに道徳的な理性としての「道徳性」が、対象としての客体の善悪(のぞましさ)を決定 する(付与する)ようになる。. カントの考えでは、それまでの「意志」と「対象」の関係が逆になっており、そうする ことによって人間と社会の不確かな現実に道徳的行為をゆだねるのではなく、人間の理性 のみをよりどころとし、理性によって要求される普遍的な原則に道徳的行為や判断を従わ せようとする(37)。つまり、道徳性の自立が確保されたのである。このカントの道徳性の概. 14.
(19) 念が、今日に至るまで大きな影響力をもつことになる。入間の主体性によって道徳をうち たて、混乱した社会の中で人間性の実現を図ることは、近代社会にふさわしいものであっ た。同様に、今日の社会においてもこのカント的な道徳性への期待はますます増大し、一 律的な人間」としての生き方・在り方が望まれている。. しかしながら、個人的・主観的倫理としてのカントの道徳性は、現実の社会においては さまざまな問題があることも事実であった。このカントの道徳性を批判し、共同体倫理と しての「人倫(Sittlichkeit)」の概念を提唱したのが、αW:Eヘーゲル(1770・1831)であ. る。ヘーゲルは、カントの道徳は普遍性の基に構想されているが、それは理性による感性 の支配的統一に過ぎないとする。つまり、カントの道徳性の概念は、人間の内面において 意志を規定する普遍的な道徳を主張するあまり、共同体蕊社会という日常生活の場にある さまざまな規則や、その規則に共同で従うことの意義を軽視した考え方であるとみなされ るのである。. (2)社会規範としての道徳. 道徳とは、2人以上の個人が存在する社会において必要なものである。すなわち、道徳 は喰己一他者」、「個人一社会」の関係において成立する社会的な規範としての概念と、. 個人の内面的原理という個人の意識や意思に働きかける内的規範としての概念の2つを含 意している。しかもこの道徳の2つの概念は、本来ニインの表と裏のように表裏一体の切 り離せないものなのである。「社会的な」側面と「個人的な」側面の2つを併せもつ道徳概 念を、ヘーゲルは「人倫」(社会的な慣習や制度として具体化された倫理のあり方)と「道 徳性」(個人の主観《良心》に基づく倫理の在りかた)に区分した。ヘーゲルは人間が社会 的存在であることを示し,「人倫」という概念を値人の社会的統合にとって不可欠なものと みなしたのである。. 現実のわれわれの社会において、「人倫」という概念に相当するものは一般に「社会規範」. (80cial norm)と呼ばれる。これに従うことによって、人々の間に無益な衝突が生じない. ようにしたり、一定の祉会秩序が保たれたりするのである。この道徳の社会的側面に注目 し、「社会化された個人主義」(38)の主張に基づいて道徳と教育の革新を説いたのが、E.デュ. ルケーム(1858・1917)である。デュルケームの社会のとらえ方の特徴は、社会が個々人の. 集合としてのみ成立しているとは考えないことにある。デュルケームにとってカントの道 徳性は、「社会からではなく孤立した個人から演繹しようとする」ものであり、個人の尊厳. がアノミーへと転じていく要因であるとされる。デュルケームにとって重要なことは、そ の個人の尊厳としての自律性と自由が、他者によっても共有され、社会的にも確固たる「価 値」としてうちたてることであった。つまり、個人の人格の:尊厳が、同時に人々を結びつ. けることのできる究極の価値く道徳)であることによって、個人の自律と社会的連帯が同 時に達成されることを彼は主張していたのである。「道徳とは、連帯の源泉であるものすべ て、人間をして他者を尊重すべきことを強制するものすべて(中略)である」(39)という彼. の主張は、道徳の決定的本質が、社会と個人をつなぐ役割のうちにあるという考えに基づ 15.
(20) くものである。. デュルケームの考えに依拠すれば、道徳はまず個人のものというよりも、むしろ社会規 範として社会の成立と維持の基盤にあり、個人はその社会に生まれ育つなかで社会固有の 規範を獲得することによって、自己の道徳的あり方をつくりだすことができる。社会性と. 道徳性は不可分のものとして相互に発達するのである。見田も指摘するように、価値・規 範(道徳)は人間が構成し、つくり出したものであり、人々によって承認・共有されたも のである。したがって、道徳は、カント的な道徳性のように個人の内面のみに包摂される ものではなく、社会の成立と人間存在の基盤としてとらえられなければならないのである。. 3 規範意識の低下と道徳教育 社会規範の獲得は、自律した個人の道徳性にとって不可欠である。社会規範と個人の道 徳性の両面を統合した人間形成をめざすのが、道徳教育の役割である。しかしながら、や やもすると道徳は個人を社会に一体化させるというイメージで捉えられてしまい、道徳教 育は社会規範や価値を外的なものとして個人に押しつけるという印象をもたれてしまう。. そのために多くの場合、カント的な道徳性に依拠した個入主義的・主観的倫理観にもとつ く道徳教育が主流となっている。. しかし、規範意識の低下の問題を振返ってみたとき、今日の教育の状況においてまず求 められているのは、社会規範の獲得であり、デュルケームが主張する「個人の尊厳に基づ く社会的連帯」の創出である。社会規範は、確かに姦人にとっては外的なものとして捉え られる。しかしながら、見田が指摘するようにそれは「実体としてあるもの」ではない。 したがって、近代教育に特有であった「伝達」という教授方法だけでは、規範意識を育む. ことは困難なのである。規範は社会の所属員によって承認され、共有されてはじめて「規 範」としてのサンクションをもつ。従来のような内的・個人的な道徳性の育成に終始する のではなく、社会のなかに生きる個人として人々や生活形式とかかわり、その中で社会規 範を獲得していくことが求められるのである。しかし、社会全体のモラルや規範意識が問 われる現代社会において、個人はどのようにして社会的統合を図っていけばよいのかとい う疑問も生じてくる。この点に関して、山下によれば,ミードは人間には次のような2つ の社会的結合の仕方があることを示しているといわれる(40)。. (a)同じ反応傾向をもつことから生じる結合、皆同じだという連帯感からくる結合. (b)異なる他者たちが相互に違う役割を果たしながら分業し、社会としてはひとつの 有機体をなしているという感覚からくる結合 (a)の結合は、「我々は皆一緒だ」という意識で、面心の者」とは結合するが「異質 な者」とは結合できない。これに対し(b)の結合は、他者と異質であることを前提とす る結合である。すなわち、成員はそれぞれ異質であるがゆえに、他者には果たせない機能 をそれぞれ負っている。他者は自分とは異なる機能を果たしてくれるがゆえに、その他者 16.
(21) の存在なしにニミュニティの存在はありえない。そして自分自身もまたコミュニティへの 貢献によって、他者にとってなくてはならない、尊重されるに値する存在となる。(a)は 他者を排除する原理としてはたらくが、(b)は調停へと向かう意識(41)なのである。. 今日われわれの社会に求められるのは、この(b)に基づく規範意識であろう。(b)の 意識が、多様化する社会の中で、価値観や倫理観の対立を調整していくことを重視する考 え方につながるのである。特に、中学生は、自我意識が高まると同時に、自分自身と仲間、. 大人、社会といった自己と他者の関係について深く考え、自明とされる価値・規範に対し て疑問を感じるようになり、時には対立することもある時期である。だからこそ、「なぜ、. その規範が自己や他者、社会にとって大切なのか?」ということが吟味され、妥当性を承 認し合うということが必要になってくるのである。見田の論に依拠すれば、その吟味にお いて重要:な観点は以下の3点であると思われる。. i)価値:判断には、「客観化」の態度が必要とされる。したがって、自己の考え方および. 規範の吟味に際しても、その正当性についていったん留保する態度をとることが求め られる。. 五)「異質な者」の結合を可能にする規範とは、相互主観的に妥当性を付与された「規範」. である。したがって、「規範」の吟味においては、その「妥当性」の基準を確立するこ とが求められる。. 遣)「規範」の吟味においては、諸個人の行為の局面に限定された規範に対する意識構造 を論じるだけでなく、その構造と密接に関連をもつ社会の規範構造を問い直していく ことが求められる。. 今艮の道徳教育や道徳学習が、果たして上述のような規範意識の形成に資するものに なっているかどうかが問われることになるのである。. 4 道徳教育の現状と課題 (1>中学校における道徳学習の推進状況と課題 文部省の調査(平成10年度)によれば、道徳の時間の年間授業時数平均は、小学校33.3 単位時間、中学校31,0単位時間と年間標準授業時数であり、35単位時間に達していない(43)。. また、道徳の時聞に対する児童生徒の受け止め方についての学校の評価からは、表1・12に. 示すように高学年になるほど道徳の時間を「楽しいあるいはためになる」と感じる児童生 徒が減少している。. 中学生段階において、道徳の時間を自分のためになると感じている生徒が減少する理由 は明らかにされてはいない。単に授業方法や学習活動が「楽しい」というのではなく、「価 値や規範がなぜ大切なのかが分かる」という価値や規範の意味の獲得、意味の再:構成がな されているかどうかが十分に検討されなければならないであろう。. 17.
(22) 表1−12道徳の時間を「楽しいあるいはためになると感じている」児童生徒の割合 (%) ほぼ全員. 区分 小学校. 中学校. 低学年 中学年 高学年. 第1学年 第2学年 第3学年. 3分の2. 半分くらい. ュらい. 3分の1 ュらい. ほとんどいな. @ い. 45.0. 4L8. 11.4. 1.7. 0.1. 22.4. 51.1. 23.5. 2.9. 0.2. 14.2. 39.8. 35.6. 10.0. 0.5. 8.2. 35.7. 39.8. 152. 1.2. δ.1. 26.1. 44.1. 22.8. 1.8. 4.9. 23.. 41.1. 27.0. 3.1. また、「社会規範としての道徳」と「個人の内面的なものとして道徳」という2つの道徳 の統合という観点から道徳学習を振返ったとき、内容項目として学習指導要領に記されて いる道徳的価値:に関しても偏った学習指導が行われているのではないかと思われる。. 表1・13に示すように、筆者の在籍校で3年間継続して行った道徳性発達調査(Moral一 ■)の結果からは、「主として社会にかかわる」価値や規範に関する道徳性が、他の項目に. 比べてかなり低いことがうかがえる。道徳の時間において取り上げた「主として社会にか かわる内容」の取り扱いが、他の項目に比べて少ないことが、原因の1つであると考えら. れる。視点1から視点3までの内容項目は、主題とされる道徳的価値の内容が心情的に訴 えやすいものであり、また、道徳的価値の内容を教師自身が理解しやすい。しかし、視点4. で取り扱う道徳的価値は、それが「社会」にかかわるものであるために、内容も視点1か ら視点3の中で取り扱った道徳価値と複合的に絡み合った内容構成になっており、1つの価. 値に限定して生徒に学習させることが難しくなってくる。そのために、視点4にかかわる 主題の取り扱いが少なくなってしまうと考えられるのである。. また、教材となる道徳資料を分析したところ、視点4にかかわる内容を取り扱った資料 は、登場人物の心情を追求することでは道徳的葛藤の解決に結びつかない内容になってい るものが多い。「感動」や「気持ちを推し測る」ことを駆使して行われる道徳学習の方法で. は、課題追求ができない資料が多く、教師が資料選択の際に視点4にかかわる内容を敬遠 しているのではないかと思われる。さらに、視点4には社会規範(法の遵守、公徳心、連 帯、正義、公正・公平など)を直接取り扱う項目が多く、「規範の押し付けになる」として. これらを避けているのではないだろうか。その結果、道徳学習はますます「社会的なもの としての道徳」から遠ざかり、道徳学習の個人主義化を招いてしまう。このことからも、. 道徳の「社会的な」側面を意識し、意図的にそれを組織していくような道徳学習の在り方 を追求する必要があるように思われる。. 表1−13 道徳性発達調査の結果(全校生徒平均) 年度. 対自的価値. 対他的価値. i視点1). i視点2>. 対超越的価値 @(視点3). 対社会的価値 @(視点4). 10. 6.6. 6.9. 6.7. 5.5. 11. 6.3. 6.9. 6.5. 4.4. 12. 6.5. 7.1. 7.2. 4.6. 「かなり癸達」=10点,「やや発達」=8点,「未発達」竺◎点として点数化し、その平均を恭した。. 18.
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