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図2−1脱中心化概念の渡邊による図式化

   〈生活世界の意味の再構成〉

われわれにとっての生活世界の意味の構成

(社会的規範の構成・社会の規範構造の組換え)

       〈合意形成〉

「かかわり」(相互行為)による意昧の妥当性の確証の場

(コミュエケーション的行為としての教育活動、学習活動)

      〈自己形成〉

生活世界の連関の中に生きる自己の意味の構成

〜相亙主体的な関係性における主体性の形成〜

図2−2 教育における合意形成、生活世界の意味の再構成、自己形成

(2)「社会化による個性化」

 筆者は、上述のような生活連関の中での子どもの成長の過程を、「社会化による個性化を めざす自己形成」の過程とみなす。「社会化による個性化をめざす自己形成」とは、「相互 主体関係における相互行為としてのコミュニケーション的行為を通じて生活世界を構築し、

自己の経験の意味を再構成していくプロセス」である。図2−3は、この過程をハーバーマス のコミュニケーション的行為の理論に基づいて筆者が図式化したものである。ここでは、

相互行為の慣習的段階から脱慣習的段階への移行を「社会化による個性化」として示して いるが、この段階が中学校の道徳教育における生徒の発達段階に照らしたとき、最も重要 な意味をもつからである。

脱 慣 習 的 段 階

慣 習 的 段 階

x

z、

自 我(1)

自由意志(自律的存在)

代替不可能な本質帷趨

 合理化

個性化

共同社会化

〈われわれ〉

(学級・学年・学校)

(家庭・地域・社会)

自 我

  合理化

  個性化

自由意志(自律的存在)

代替不可能な本質帷一性}

すべての共同社会化された他者の他我(Me)ぐ一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一レ共同社会化された自己の他我        自律した行為者として相互を承認する

実  道 存  徳 的  的

責任ある行為者としての生活形式の磯

〈自己〉

  (生徒)

機  煙 毒  定 的  的

〈コミュニケーション的行為〉

 実践的討議および問主観的な相互承認

実  道 存  徳 的  的

〈他者〉

  (生徒)

省的な行為者としての生活形式への同調

機  落 子  定 的  的

自 我  ①

役割取得・規範適合   個(差異)

 他者の他我(Me)

自 我

他我の規範的に一般化された行動予期を取り入れる     (社会化)(反省的自己意識形成)

役割取得・規範適合   個(差異)

 自己の他我

 ハーバーマスは、ミードのシンボリック相互作用論に基づく「社会的固体化」の概念を、

コミュニケーション的行為の理論によって発展的に継承し、「社会化による個性化」という 独自の概念を提唱する。ミードによれば、人間が自律的な主体としての自我同一性を確立

していく過程は、自己活動的主体が孤独と自由のうちで遂行する自己実現ではなく、①社 会的存在として他者との関係性を築きながら(社会化)、②他者との言語に基づく了解(間 主観的な相互承認)を媒体として、③自己の生活史を通じて主観内部で自己自身と了解し 合う過程であるく7δ)。これは、図2・3の慣習的段階に示した自己と他者という相互主観的な 人格関係の中で、自己が「他者(第二人称)の視座」から他者の他我としての自己 Me を形成し、その Me が自己の自我 1 を制限していくという反省的自己意識の形成過 程のことである。またミードによれば、このような過程を経て行動をコントロールする審 級(価値・規範)を内面化していくことで、個人は良心を形成し、自律性を獲得し(道徳 的自己)、自らの生活史を「個性化」していく(実存的自己)とされる。しかし、ハーバー マスは、ミードが社会的な自我同一性成立の過程を言語論によって解明したことを肯定し ながらも、その過程が役割取得のレベルにとどまっている点と、③の過程が意識論に陥っ ている点を批判する。つまり、 Me による 1 の制限という自己意識の活動は、行動予 期の取り入れによって反省的に自己を見つめ、現存する生活形式に同調することを可能に するが、それは、生活形式に責任をもって関与していく行為者としての相互主体的な自己 の在り方ではない。また、主観内部における自己意識の活動では、他に代替することが不 可能な「個性化」した本質をもつ存在者としての自己を確証することができないのである。

  ハーバーマスによれば、社会的個体化とは、存在者が他のすべての事物から質的規定 によって区別されることであり、自己は社会化の過程の中で単に自律的存在者としてだけ でなく、ユニークさと代替不可能性を備えた存在者として早く自我)を他者が承認するこ とを要求する(76)。この要求によってもたらされるのは、図2・3の脱慣習的段階に達した同 一性である。このレベルにおいて 1 と Me の関係は逆転する。すなわち、 1 はもは や Me からの制限を受ける衝動的な自我ではなく、社会的な生活形式に自ら責任ある行 為者としてかかわり、他者とともに共有される生活形式を構成し、合理化していこうとす る「自由意志としての自己」となる。その際、合意形成をめざす実践的討議(ディスクル ス)が、「自由意志としての自己」を確証する場として想定される。この実践的討議におけ る合意とは、社会的な生活形式について自らの意志で一致の態度を示したことであり、同 時にそれは他者とともに達成された一致でもある。これが、ハーバーマスが「共同社会化」

(77)と呼ぶ過程である。また、そこで合意され生み出された生活形式は、「われわれ」にとっ ての生活形式となり、 Me はこれを自らが責任を持って行った意思決定の産物であるとみ なし、自分の生活史を「個性化」する原理として引き受ける。一方、実践的討議の過程に おいて、ディスクルスの倫理主体として、自己は「われわれ」にも「他者」にも解消され ない自己の独自性(代替不可能性・唯一性、自由)を見いだす。これが、「すべての共同社 会化された他者」の他我としての自己 Me であり、実存的存在としての私の生活史であ

る。この生活史を批判的かっ反省的に継承し、自己の主体としての連続性を確証していく ことを、ハーバーマスは「個性化」と呼んでいる。そして、この「個性を備えた本質とし ての自己」を相互に承認し合うことができるのも、実践的討議を含む「理想的ニミュニケー ション的共同体」の場においてのみなのである。

 ハーバーマスの「社会化による個性化」の過程とは、絶えず相互主観性という関係性の なかで自他の主体性を確証していくことを意味している。それは、生活世界における生活 形式を合理化しようとする過程に責任ある行為者として関与しながら、生活世界の合理化 の程度によって主体の個性の在り方も絶えず変化を続けていくという、経験の意味の再構 築、すなわち「自己形成」の過程である。これを、学びの過程にあてはめてみると、生徒 は言語を媒体とするコミュニケーション的行為によって、他者の視座を取り入れ自己と他 者の差異を承認し合う。しかし、この差異が単にモナド的、個別的な存在としての差異で

はなく、「個性化」された本質を備えた自己、他者として相互に承認されるためには、学級 から地域社会に至るまでの生活世界に責任をもった行為者として関与しようとする主体性 が求められる。

 道徳教育や道徳の時間における学びとは、まさにこの生活世界の生活形式への意識的な 関与の過程である。そして、それは、生活形式(価値や規範)を再構成していく了解を志 向した討議(実践的ディスクルス)を中核とした学習活動を展開することを通じて、代替 不可能な道徳的かっ実存的な自己の「個性」を形成しつづける過程なのである。「社会化に よる個性化をめざす自己形成」とは、このように合意形成というフィルターを通して、共 同社会化と個性化が同時に進行していく、より合理的な経験の意味の再構築なのである。

(3)社会化による個性化をめざす自己形成と道徳意識の発達

 社会化による個性化をめざす自己形成という概念は、道徳教育という観点からとらえると き、「道徳意識」の発達に関連づけて考えられなければならない。図2・3に示すように、中 学校段階においては、主として慣習的段階における自己形成の過程を達成することを目標 にする。ハーバーマスの相互行為の段階における第4段階をめざすのである。その際、ヴィ ゴツキーらの最近接領域(78)の概念などによって一段階高次の段階の視座を設定することが 有効とされている。そのため、一段高次の脱慣習的段階の準拠基準であるディスクルスを 道徳の時間の学習過程に取り入れ、自己形成をめざすのである。また、ハーバーマスの「相 互行為の発達段階」は、社会性と道徳性の相互発達、社:会と個人の相互発達を説明する上 で、以下のような意義をもつ。

 ハーバーマスの社会という共同体を視野に入れた相互行為の発達段階は、人間形成が単 に個体の能力という観点からのみ説明されるものではなく、また、何らかの既存の道徳的 価値を内面化するというプロセスによって捉えられるものでもないことを示唆している。

「社会化による個性化をめざす自己形成」という絶えず変化する成長の過程は、子どもが 社会的な相互行為に参加することによって、差異ある他者との間に共通の意味を構築する

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