ME 鬮OIRS OF SHO旧A四 INSTrTUTE OF TECHNOLOGY Vo1
.
30,
No.
1,
1996 エド
マン
ド
・ウ
ィル
ス
ン:
そ
の
批
評
の
鍵概
念 (
2
)
「癒
し
」
と
「歴
史 的想 像 力
」
上
原 慎 吾
*Edmund
Wilson
:The
Key
Concepts
ofhis
Criticism
(
II
)
一 “
Healing
”
and“
Historical
Imagination
”
一
Shingo
UEHARA
Following
the
Part
I
ofthis
thesis
,
I
take
upEdmund
Wilson’
s essay“
The
Historical
[nterpretation ofLiterature
”
and flrstly try to make its content explicit to the readers because we don’
t have so far hadits translation into
Japanese。
The essay was originaUy delivered at Princeton University in 1940,
andlater
included
in
the
book
The
T
巨μ2Thinhers.
It
musthave
been
conceived andformulated
nearly atthe time or
just
before
he
wrote“
Philoctetes
:The
Wound
and theBow ”
whichI
analyzedbefore.
This
was also around the time he had published To the Finland
Station,
and therefore we can easily detect thereverberations of its scheme
,
that is,
the tradition of historical criticismdating
back
to theItalian
philosopher
Vico
in
the
eighteenth century.
Looking
back
onit
from
now,
I
thinkit
remarkable thatWilson had already paid attention to the importance of
Vico,
who is now becoming a larger and largerfigure in the history of ideas
,
In his life time,
Vico stated his ideas from the anti−
Descartes point of vlew,
and laid the theoretical
foundations
of history indefense
of the humanitles,
He
sought the authenticity of thehumanities
in
his
famous
theorem“
verum etfactum
convertuntur”
and the common senses〔
“
sensus communis”
}that all humans share.
I triedin
this thesis to regard Wilson himself as one of thedisciples of Vico ranging with such historians
,
philosophers and rnen of letters asJules
Michelet,
Wilhelm
Dilthey,
Benedetto
Croce,
Erich
Auerbach
andJames
Joyce
.
And
at the conclusionI
have
borrQwed the idea from a
Japanese
philosopher,
Yujiro Nakamura and defined the characteristics ofWilson’
shistorical
imagination
as‘
‘
the clinical approach.
”
承 前
1
ウィル ス ンの 『重層 的思 想 家』 (The Tripte Thinhers )
が
1938
年に初めて 出版さ れ た と き,
こ こ で取り上げ る エ ッ セ イ 「文 学の歴史的解 釈」は まだ収 録さ れて いな かっ た。 後に こ の本の 拡 大・
改 訂 版が 1948 年にOUP
か ら出 た 際に,
末 尾に付 け加 え られ た一
章であ る。
本 来 は40
年の 10月 23 日 にプ リン ス トン大 学で行 わ れた講 演の際の原稿で あ っ て,
明くる年に ド ナル ド・
ス トー
フ ァー
が編 集し た文学 論 集 『批 評 家の 意図』の なかに収 め ら れ た1〕。
念の ため30
年 代の末か ら40年 代の始め に * 教 養 課 程 講 師 平 成7
年10
月31
日受付 か けて の彼の 日記と書 簡 集を調べ て み た が,
こ の講 演な い しエ ッ セ イにつ いての言 及 は 全 然 見 られ な がっ た。 講 演の 日時か ら して,
こ の内 容が構 想 さ れたの は 「傷 と 弓ニ ピロ ク テ テ ス」の執 筆の 時期とほぼ 重 なる か, あるい は 少し前で あ ろ う こ と は容易に推察で きる。 こ の時 期は ま た 「フ ィ ン ラ ン ド駅へ 』を上 梓して 間 も ない時で あ る だ けに, 考え方の 枠組みに は か な り共 通 し た部 分が見 られ る。
具 体 的に は ヴィー
コ に淵 源 す る ミ シ ュ レ,
ル ナ ン,
テー
ヌ,
サ ン ト・
プー
ヴ,
マ ル ク ス,
エ ン ゲル ス, ロ シ アの知識 人に い た る歴 史家 /思 想家の 流れ をお もに取り上 げて い る点で あ る。 特に ヴィー
コ の 名 前が変 奏 曲に お け る主 題の よ う に繰り返 し現れて い る ことは注 目に値 する。 こ こ で先 ず ヴィー
コ の 考え方の特 質を略述しておい た湘南工科 大 学 紀 要 第
30
巻 第1
号 方が,
今 後の論 を 進め る ために は良い と思う。 ヴィー
コ は,
言う まで もな く,
近 代 歴 史 哲 学の 嚆矢 と して近年 注 目 を集め,
ま す ま す その評 価を高めつ っ ある思 想 家であ る。 彼の基 本 的 な 立場は,1710
年に刊 行さ れ た 『イ タリ ア人の太 古の知 恵 』に表明さ れて い る 厂真なる もの と 作 られた もの と は相互に置 換さ れ る」 (verum etfactum
convertuntur ) とい う 有 名な公理 に端 的 に 語 ら れて い る2レ 。 これ は認識の 次元に話 を 移せば, もの事を十全に 理 解で き るの は そ れ を 作 り出 した人物だけ で あ る と いうこ と だ。
例えば,
人 間に よっ て作 ら れ た数 学や機 械 学 は,
人間が作っ た知的シ ス テ ムで あ る か ら当 然 理 解 す るこ と が で きる。 だ が,一
切の要素を 含 む 神によっ て作ら れた こ の自 然 界 は,一
切の要 素 を 包 摂 しえない人間に よっ て は記述し尽 くすこと はで き ない,
唯一
それ がで きる の は 神の みであ る, とい う考え方で あ る。 実 在 (リア リ テ ィー
)の究 極の支配 者は神で あ り,
人 間 は 自 ら作 っ た フ ィクシ ョ ン の世 界に対して なら その支 配 権 を 主張でき るの で あ る。 そ れ なら ば,
言 わ ば 自 然 界 と数 学の両 方の世 界に ま た が る 我々人間の世 界につ い て はど うなのか。 人間の 社 会 は認識 可 能な の か ど う か,
ま た そ れ は どの よ うに して可 能な の か, こ の点を中心に 論 じてい るの が彼の主著r
新 しい学 』 (1725 年 )で ある。 彼は次の よ う に述べ て い る。 「こ の社 会は確 実に人 間に よっ て 造ら れたもの であるか ら,
その原 理は我々 の人間精 神そ のもの の変化 様 態の な かに求める ことが で き,
ま た そうで な くて は ならない こ と で あ る。……
自然 界 を 創っ たもの は神であるか ら, そ の学を もち うるの はひ とり神のみであるが,
これに たい して,
諸 民 族の世 界即ち文 明 社 会を造っ た もの は人間な の だか ら,
こ の 『学』を究める ことが で きるの は人間な の で ある。
」3} そ して この よ うな 「学」の 確か さ を保 証 し て くれ るもの と して ヴィー
コが措 定してい るの が 人間の 持っ 「共通 感 覚」 (sensus ・communis )であ る 。 人間 社会 の歴 史 的事 実は人 間 自 身 が 創 造 した もの で あ る か ら,
各 自の 「共 通 感覚 」を働か すことに よ っ て対 象の な か に入 り込 み,
言 わ ば 内 面 か ら理解すること が可能なのだ,
と い うのが彼の確 固た る信 念であっ た4)。 そ して 人 間の歴 史認 識の範 囲は時間的に も空間的に も広い領 域にまで及 ぶ こ と がで き る と して,
彼は黎明の時 代の 人 間 精 神 を 支 配 して い た神 話や言 語 活 動に まで その 考察の範 囲を広げ て い る。 各時 代 時 代の慣 習,
神 話,
言語,
法 律, 宗教な どを 手 掛かりに,
それ らを 歴 史 的に考察することに よ っ て, 過 去の 文 明の盛 衰を説明 する こと が可能で,
こ のよ う な歴 史 の洞察か ら 生 じ る 「知 恵 」(sapientia )こそ が ヴィー
コ が確 立 し よ う と して いた もの で あっ た5)。2
ヴィ
ー
コ につ い て は また後 で触 れる ことに なる が,
「文 学の歴 史 的 解釈」 と題 す るこ の エ ッ セ イで は,
ヴィー
コの 系 譜に連な る考え方が主役の位置 を 占めて い るの で ある。 そ してこ の系譜の な かで彼が もっ とも親 近 感を 込 めて語 っ て い るの は19
世紀な か ばの フ ラ ン ス の批 評 家 イッ ポ リッ ト・ テー
ヌ (1828−93
)であっ た 。 ウィ ル ス ン に よれ ば, 彼こそ は ヴィー
コ の原 理 を 「専ら文学に捧げ ら れ た作品に組 織的に かつ 大 規模に適用 し た」6) 最 初の 批評 家なの であっ た。 この テー
ヌに関して は,
彼は後 年「さ さ や かな 自 己賛 辞 」(
AModest
Self−
Tn’
bute) と題 した 別の エ ッ セ イ の な かで 次の ように述べ てい る。 「文 芸 批 評 家と して の 私の 仕事 を 読 み 解 く第
一
の 鍵は,
私が15
才の 頃に父 親の 書 斎で イッ ポ リッ ト。 テー
ヌ の 『英 国文学 史 』の素 晴 ら しい翻 訳を見付け たこ とに あ ると思 う。」 7)こ の よ う に述べ て い る くらい で あ る か ら
,
明らか に ウ ィ ル ス ン は ヴィー
コ か らテー
ヌを貫く流 れに自 己を置 いて 見て い るの であるが,
この エ ッ セイで は まずそ う し た流 れ か らい さ さか外れ た考え方を紹介す る とこ ろか ら 始めて い る。 非 歴史的批 評の一
例と して,
彼が ま ず 取 り上 げるの は T.
S.
エ リ オ ッ トの批評で あ る。 ウィル ス ンに よれ ば, エ リ オッ ト は まず自己の知 り え た 範 囲で の 文 学全体の展 望 をい わ ば 「永 遠の相 」の も とに措定 する こ と か ら始め る。 次に そ れ を 異 なっ た時代, 国々の 作品と比 較 して,
文 学 がいかにあるべ きかに つ い て一
般 的な結論 を 引 き 出そ う とする。
とは言っ て も,
勿 論,
彼は我々 の文 学につ いて の 考え方, 見 方が,
時代に よっ て変 化 してい くこと を十 分に 理解して いる。 常に文 学の総 体は時の歩み と と も に その分 量 を 増 大 させ て ゆ く し, 分量の み な らずその 実 態 も,
その 時代時 代の享 受 者にとっ て変 貌を 遂 げつ つ あ る。
例えば,
我々 の見るソ フ ォ クレス はア リ ス ト テ レ ス の 目に 映っ た彼 とは異なっ てい る し, ベ ン・
ジ ョ ン ソ ン,
ド ラ イ デ ン,
ジ ョ ン ソ ン博士に とっ ての シェ イ クス ピ ア は そ れ ぞ れに異なっ た相 貌 を 呈 して い る。 こ のよ う に作 品と批評家の間に介 在 す る総 体と して の文 学の た め に,
作 品 自体の見 え 方が変 化 して行 く訳であるが,
エ リ オ ッ ト の特 徴は これ らの 全体を あた か も神で あ る かの ご と く展 望 して, そ の前に個々 の作 品を引き出し,
最 後の一
140一
エ ドマ ン ド
・
ウィ ル ス ン:その批評の鍵 概 念 (上原 慎 吾 ) 審 判を下す点に あ る, とい う。 こ の種の手 法によ っ て,
これ まで見えて いな か っ たものが見 えてくるとい う事実 も実 際に あっ たの で あっ て,
例え ば周 知の事 実 として,
19
世 紀フ ラ ン ス の象 徴主 義の詩 人 た ち とジ ョ ン・
ダン の 時代の英 国 詩との間の根 本 的な類似 を 発 見 したの はエ リ オ ッ ト で あっ た。次に同 じく非歴史 的批 評の
一
例 と して取り上 げるの は,
ジ ョー
ジ・
セ イ ン ツ ベ リー
に代 表される鑑 定批評と で も称 すべ き あり方で ある。 セ イ ン ッ ベ リー
自身ワイン の鑑 定家 (a connoisseur of wines )で もあ っ た が,
ちょ う どワインを鑑 定す る が 如 く作 品を味わい,
そ の ヴィ ン テ ッ ジにっ い て読者に語 りかけ る。 彼 自 身はか なり強い 社 会 的偏見 と ゆ る ぎ ない政 治 的 信 条の 持 ち 主で あっ た が,
文学 作 品を批 評する にあ たっ て は,
出 来る だ けそ れ ら を排 除 して作 品の 美 質 を 読 み 取 り,
目配 りの行き届い た誰に で も納 得の い くような評 価 を 下 し続け たの であ る。 いわ ゆる学 者批評家に決して引けを取ら ない膨大な 読 書 量 を 背景に しつ つ,
かっ ま た学 者の陥りが ち な無 味 乾 燥 な年代 記で はな く,
気 難しい確 固と し た彼 自身の好 み を終 始貫きつ つ批 評活 動を展 開する あ り方で ある。 だ が, こ う し た批評の場合,
その最 終 的な追 求 目 的 は 文 学 の 「楽しみ」に あるの で,
物事の成 り立 ちや文 学の歴 史 的 背 景な ど はか な らず しも興 味を引 く主 題 と は な ら ない 傾 向が あ る。3
こ の よ うに ウィ ル ス ンは彼の考え る 「非歴史 的批評 」 の 実 例 を 解 説し た後に,
本筋で あ る歴史 的批 評の系 譜を た ど り始め る。 ま ず は ヴ ィー
コで あ る。 1725 年に出 版 さ れ た 『新しい学』 (La
Scienza
Nuoval を 取り上 げて,
そ の中に彼は文学作品 を社 会と関連 さ せて解 釈 し よ う と する最 初の試み を見て取 るの であ る。 こ の 『新しい学 』の第3
巻は 「真の ホ メ ロ ス の発 見」 と題さ れて い て,
プ ラ トン以 来ホ メロ ス を解釈し よ う と する多 くの学 者たち を 悩 ませ て きた 「イ リァ ス」と 『オ デ ュ ッ セ イ ア』の 2っ の 作 品の もっ 性 格の違い,
神々 を 対 象に して い る割に は威 厳が欠 如していて余りにも卑 俗 な描 写が多い点,
な ど に対する回答を ヴィー
コ なりに提 供し ようとするもの で ある。 第 1 部の 「真の ホ メ ロ スの 探 求 」で 先 人の説 を 批 判 的に紹 介 した後に,
第 2 部の 「真の ホ メ ロ ス の発見 」で ヴ ィー
コ は彼 な りの解 釈を提 出 する。 その説の ポイ ン ト は作 者で あ るホ メロ ス を どの よ う な 人物 像と して捉え る か に あ っ て,
彼は ホメ ロ スを一
人の個人と して で は な く,
ギリシア諸 民族の群 衆の な かに埋 没 する 「語り部た ちの一
典型,
も し くは英雄的象 徴人格」8}と して 集 合 的に捉 え,
『イ リ ア ス』と『オデ ュ ッ セイア」の間に数 世 紀にわ たる成立年 代の ず れ を想定 し て い るの で あ る。 ウ ィル ス ン に し て は珍しく長々 と引 用 して い る箇 所の一
部 を 引 く とこ うなる。 「(集合 的 )ホ メ ロ スは若い頃に 『イ リア ス』を作っ た とい うことに な る。
な ぜ な らそ の当時, ギ リシ ア は若く,
した が っ て誇り,
憤 怒,
復 讐 欲 とい っ た崇 高な情 熱が煮え たぎっ て お り,
それ らの情熱は偽り を容 赦せず,
その代わ り気 宇の壮 大 さを愛して い たの で,
暴 力の英 雄であるア キ レウスを賛 美し たの であ っ た。一
方,
ホ メロ ス は後年, 老い てか ら 『オデ ュ ッセ イァ』 を 作っ たとい うこと に な る。 つ ま り,
その 頃にな る と,
ギ リシア はすで に慎重さの母で あ る反 省 知に よ っ て い くぶ んかは精 神の熱 を冷や して い たの で,
そ の結 果 知 恵の英 雄で あ るオデュ
ッ セ ウ スを愛 し た の であっ た。
」9〕 今日の我々か らする と幾 分 稚 拙に も思 わ れる比 喩 的 表 現が気にな る とこ ろだ が,
ヴィー
コはこ の よ う に一
文明に お け る賞 揚 さるべ きモ ラ ル や習俗の変 遷 から時代の流れを想 定し,
文 明の盛 衰 を 跡 付 ける循環 史観を提示 するこ とによっ て,
よ く言わ れ る よ うに シュ
ペ ン グラー
や トイン ビー
の 先駆と なっ たの で あっ た。 彼 は また これ ら2っ の作 品の 間に,
時 代とい う時 間 軸のみ な らず,
空間軸に そ つ た懸隔をも見て取 っ て,
「自分の国 で起こ っ た トロ イ ア戦 争を歌っ た ホ メ ロ ス は,
ギ リシ ア 北 東部の 出 身であ り, ま た一
方,
南 西 部に王 国を (イ タ ケ) を 有 して い たオ デ ュ ッ セ ウ スの こと を歌っ たホ メ ロ ス は, ギ リシ ア の南 西 部の 出 身で あ るこ と も証明され た」1°〉 と し て,
両 者の地理的な起 源の違い を想 定 して い るの で あ る。 文学作品の特 質を こ の よ うに時 代の流 れ や 地 理 的 条 件 か ら解 釈しよ う とする試み は,
ウ ィル ス ンに よ れ ば,
そ の 後18
世紀後半か ら 19世 紀に か けて 隆盛 を 迎え る こ とに な る。 かの ジョ ン ソン博 士 (1709−84
)ですら, その シ ェ イ クス ピァ論のな か で ヴィー
コ と同様に 「民族の幼 年 期 」とい っ た概 念 を 用い て いる し, ヨー
ロ ッ パ大 陸に 目を転ず れ ば,
ヘ ル ダー
か らヘー
ゲル に至る ド イッの歴 史 哲 学,
また先 述の ミシ ュ レか らサ ン ト・
ブー
ヴに至る19
世 紀フ ラ ンス の 歴史 家・
批 評 家の作 品な ど, 歴 史 主 義を具 現し た精 華に はこと欠かない。 この 辺は ウ ィ ル ス ンの概 説を待っ までもなく,
ほぼ文 学 史の常 識 的事 柄に 属 するの で これ以 上 言 及 しないが,
テー
ヌにっ い て は先 程 述べ たウィ ル ス ン の偏愛ゆ えに,
彼が ど う捉えて い る湘南工科大学紀 要
第
30
巻第
1
号 の か を見て お きたい と思う。 文芸思 想家と して の テー
ヌ の名声 を今日まで支 えて い るの は, 彼が1863
年に発 表 した 『英 文学 史』の序 文に 述べ ら れて い る文学の捉え方, つ まり,
「時 代 」 「人 種 」 「環境」 の3
要 素か ら作 品を解 釈すべ き だ と して , その 見 解 を 実際に 自分の著 作で 実 践して み せ て い る点に あ る。 彼は自分を科学 者に なぞ ら え,
化 学合 成の実験であ る かの ように,
文 学 作 品を分析し て見せ る。 化学者 と批 評 家の違い は,
化 学者が要 素を結 合して合成 物を作り出 すの に対し て, 批評家はすで に出 来 上がっ た現象を前に して 分析するとい う プロ セ スの逆 転に あ る。 だ が, テー
ヌは実際に は読 者に対 し て 「時 代 」 と 「人種」と 「環境」 の3
要 素 を 用意して それら を組み合せ, これこれの状 況 か らはこ うい っ た作 家が要 請さ れるこ とに なる と して,
例えばシ ェ イク ス ピア と か ミル トンと かバ イロ ンの名 前 を持ち出す とい う手 法 を 採 っ て いるので あ る。 こ こ に ウ ィ ル ス ンは あ る種の欺 瞞,
詐 欺 的 行 為を見て取 る の で あ るが,
そ れに もか か わ らず, 実 際の彼の文 芸 批 評を ウ ィ ル ス ン は高く評 価 し てい る。 その理 由 は,
彼 自身 す ぐれ た芸術 家と し て の資 質を もっ て いた か らであ り,
作 品それ 自体に対 する愛 情と強い倫理的 確信が彼の著作に 力 強 さ を 与えて いた か ら で あ る。 ま た余りにも単 純 化さ れ た分 析に も か か わ ら ず, 彼の解 釈が説 得 力 (an ex−
planatory value )ll) を もっ て い る か らで もあ っ た。 かっ て文 芸 史 家の ウ ォル ター ・
ジャクソ ン・
ベ イ ト は テー
ヌ の手 法を論じて 次の よ うに言 っ たこ と が あ る。 「テー
ヌの批 評者た ちは, し ば しば彼
自身の方 法をテー
ヌ に適 用 して,
彼をその国 家 と時 代 と環 境の産 物だ と見 な して き た。つ ま り,19
世 紀半ばの フ ランス にお ける極 端な科 学 的実証主義の産物であると。」 12)方 法 論を単 純 化 して 言うと ま さ に そ の通 り であっ て,
ウィ ル ス ンが テー
ヌ の次に取 り上 げて い るマ ル クス とエ ンゲル ス は,
ほ ぼ 同 じ時 代に同じ方 向で, 新た に経 済の要素 を 歴 史 現 象の議論に大き く取り入れた思 想家であっ た。
文学にお ける階級 性の問 題 はマ ル クス の み な らず, 例えばテー
ヌ の場 合には, ノル マ ン人の征 服に よ る新た な階 級の誕 生 がノ ル マ ン人とサ ク ソ ン人の文学の違いに反映してい る とい っ た解 釈と か,
ミシ ュ レの 場 合に は, ア ベ・
プ レ ヴォー
の 『マ ノ ン・
レス コー
』が 革 命 以 前の地 主 階 級の 視 点を表 して い る文書と し て取り扱われてい るとい っ た 具 合に,
他に も視 野に入れて論じ て い る人々 は いたので ある。
だが,
マ ル ク ス とエ ンゲル ス によっ て新 たに取 り 入 れ られ た 視 座 は,
主と して生産手段を所 有してい るか 否かによ る社 会階 級の相 違で あ っ て,
文 明に とっ て基本 的に重 要なの はこの点で の経済の 発展段 階なの で あ る と い う。 ウ ィ ル ス ンの マ ル クス ・ エ ンゲル ス に対す る 見解の特 徴 は,
彼らの いわ ゆる弁証法 的唯 物論が実 際に は そ れ ほ ど 唯 物論に徹 して い ない と いう点の指摘に あ る。 ヘー
ゲ ル の観 念論の要素をか なり引 きずっ て い て,
先 程の テー
ヌ の機 械 論 的 もの の見 方に比べ れ ば徹 底を欠い て い る と ウィ ル ス ンは述べ て い る 。 文 学 作 品 と か れ らの言 う 「経 済 的基礎」との関連は, テー
ヌ における 「時 代 」 「人 種 」 「環境」 との相 関 関 係に比べ れ ば 大分 単純である し,
芸 術,
政 治,
宗 教,
哲 学,
文 学な どの いわ ゆる 「上 部構造 」 自 体 が,
その担い手 を 含めてお 互い に,
そして 「経済的 基 礎」その ものに影響を与え る可能 性も除去されて はい ない。
こ の点で もテー
ヌ の ような首尾一
貫し た唯物 論 者 と比較し て, 彼らは一
般の印象とは裏腹に,
その第一
原 理 を貫く際にた め らい と予盾 を 抱 えて いたの である。 マ ル クス もエ ンゲル ス も,
その政 治 的 見解と は別に, ドイツ の知識人特 有の文 学に対する一
種の崇 敬の念 を 抱 い て いた。
事 実,
彼ら共 通の知 的ア イ ドル はゲー
テで あっ た。 エ ンゲル スが ゲー
テ にっ い て書く と き,
出身階 級の 「俗物根性」(philistinism)に陥っ て い る点を批 判し っ っ も,
あ た か もプロ メ テウス に対するごと く, 当 時の ド イ ッ とい う時 代の桎 梏に搦め と ら れ た ゲー
テ の天 才に 対して同情の念 を禁じていない。 こ の一
事から して も,
文 学 者は政 治 的 役 割 をに なうべ きと か,
政治 的行 動に比 べ れ ば芸術 作 品は無 価値だ とい っ た考え方は, 本 来の マ ル クス主義と は別物で あ るとウィ ル ス ンは主 張 してい る。 こ うし た考え方が一
般 的に なっ たの は, マ ル クス主 義がロ シ ア を 通過す るこ と によ っ て 生 じた の で ある と述 べ て い る。 亡命ロ シ ア人である ナ ポコ フとの論争 を 引 き 合い に 出す まで も な く,
ウ ィ ル ス ン はロ シ ア語 とロ シ ア 文 学に精通して い た。 従っ て こ の エ ッ セ イで もか な り詳 しくロ シ ア文学の伝 統と言っ て もい い政 治 との係 わ りあ い につ い て歴 史 的に論じて い る。 し か し,
そ こに はマ ル クス主義を越え た文学の歴史 的 解釈にっ い て の新た な視 点が提示さ れ て い る訳で はない の で,
こ こ で は紹介し な い ことにする。 た だ,1935
年か ら クレム リンの指 示で,
ソヴィ エ トの作家たちの大 掛 かりな 投 獄 が 始 まっ てい た こ と をウ ィ ル ス ンが すで に察 知 してい たこ と,
こ の 講演 の行 わ れた1940
年の時 点で, 彼が, ソ ヴィ エ トを明確 に 「全体主義 国 家」 と規 定 して い るこ と,
ま た,
.
ニ コ ラ イー
世の時代の プー
シキンか らス ター
リン時 代の マ ヤ コ一 142一
エ ドマ ン ド
・
ウ ィ ル ス ン : その 批評の鍵 概 念 (上原慎 吾) フ スキー
に 至 る ま で.
体制の違い はあっ ても文 学 者 が 検 閲 と戦わ ね ば な らぬ のが彼の 国の通 弊である と断 じて い る点など を 指摘してお こ う。4
マ ル クス の時 代以来, 文学の歴史 的 解 釈に新 た な 視 座 を 提 供 し た の は,
ウ ィ ル ス ンに よ れば,
フ ロ イ トの精 神 分 析学であ る。 な ぜ歴史 的か と言え ば,
作 品の発 生の 時 点に まで さかの ぼっ て プロセ スを読み解こ うとする か ら で あ る。 同 じ よ う な研 究は 以前か らもあ っ て,
例 え ば 18 世 紀の ジョ ン ソ ン博 士の 『詩 人 伝 』や,19
世紀の この手 の批評の 代 表選手であ っ たサ ン ト・
ブー
ヴの,
作 品を もっ ぽ ら作 者の 性格か ら照 ら し出そ う とする試み な ど が そうで あ る。 フ ロ イ ト は ただその よ う な 解 釈 を よ り厳 密 で よ り組 織 的な方 法に基づ か せ たの で あっ た。
彼 自 身に よ る代表 的な実 例は レオ ナル ド・
ダ・
ヴ ィ ンチに つ いて の エ ッ セ イで あるが,
ウィ ル ス ンが そ れ より も高く評 価 してい るの は 同 国ア メ リカの 先 輩 批評家ヴ ィ ン・
ワ イ ク・
ブル ッ クス の 『マー
ク・
ト ウェ インの試 練 』 (1920 年 )である。
こ のな かで ブル ッ ク ス はト ウ ェ イ ン の少 年 時代に お け る一
事 件を,
その後の生 涯 を 理 解 する上で決 定 的に重要な 鍵で あると して,
ト ウ ェ イ ン自 身が語っ て い る父 親の 死の 床を前に して の母 親か らの訓 戒 を 特 別な 体 験 と して取 り上 げて いる。 文 芸 批 評 史の上で は こ の ブル ッ クス の試み はフ ロ イ ト を文 学の 解 釈に適用 した初 期の 代 表 的な例と さ れて い る。 そ の次の世 代を代 表するのが 他ならぬウ ィル ス ン自 身で あっ て,
そ の成 果を編 纂し たの が本 論の第 1部で論 じ たエ ッ セ イ 「ピロ ク テ テス :傷 と 弓 」 が収 録さ れてい る評 論 集 「傷と弓』(1941 年 )で あ るこ と は想 起さ れて おい て い い。 こ の本 に つ い て は, 新 批 評が ま だ勢力 を 保っ て いた60
年 代の 初め に編 纂さ れ た文芸批評の選 集 の な かで,
編者の ウ ィ ル バー ・
ス コ ッ トが 次の ように述 べ て い る 。 「ウィ ル ス ン の 「傷 と 弓 』 に収め ら れ て い る エ ッ セ イ は,
作 家の抱えて い る 個 人 的な問 題の み な ら ず,
その著作の 背 後に あ るパ ター
ン を 理 解 する の に,
こ の ア プロー
チ が い か に有 効であるか を具 体的に示 してい る。
」13〕 この よ う に精 神分 析の手法は,
成 功 して い る事 例にお い て は,
作 品 解 釈の上に お いても,
ま た 人間学的 な 洞 察 におい て も,
興 味深い 成果が期 待で き るの で あ るが,
そ こ に は またや や も すれ ば陥りが ちな陥 穽も潜ん でい る。 ウ ィ ル ス ン の指 摘に よ れ ば,
ブル ッ クス 自身,
後 年.
自 分が か つ て 用い た精 神 分 析 的 解 釈を撤 回して い る とい う。 そ の理由は,
あ る作家につ い て しっ かりと し た精 神 分 析的 診 断を下 すに足る だけの知 識を持っ の は,
担 当の 分 析 医 以 外に は不 可 能で あ る か らだ。 また,
作 家の生 涯 や作品につ い て,
事 実と文献に密 着 すること な く,
わず かな根 拠に基づ い て,
た だ機 械 的に精神 分 析の パ ター
ン を 当て嵌めて事 足れりとい う危 険性もあ る。 だ が,
こ う し た陥穽に もか かわ らず,一
人の作 家の作 品に繰 り返 し 登場する態度や強 迫 観 念や情 動のパ ター
ン は,
歴 史 的 な 批 評を志 す もの に とっ て は実に興 味 深い。 な ぜ な らば,
「これ らの 態 度やパ ター
ンは,
そ の社 会 や 歴 史 的 時 代に 深く組み込ま れて い るものであるか ら,
細 胞の一
っ一
っ が組 織全体の 状態 を 示 して い るの と同 様に,
その理想 と 病 理を同時に指し示 して い る か も知れ な い か ら だ。」 14) ウ ィル ス ンは こ う述べ た上で,
最近の批 評 界に はフ ロ イ トの方 法をマ ル クスの それ と結びつ けたり,
精 神 分析 を人類学と結びつ け よ うとする試みが 見 ら れること を 指 摘 して,
文 学の歴 史 的 解 釈の概 観を終えて い る。 とこ ろで,
ウ ィ ル ス ン の この エ ッ セ イ 「文学の歴 史 的 解釈 」の なかで,
と言うより も,
彼の全 著 作の な か で,
もっ と も興味深い箇所は,
こ の概 観に続い て彼が あた か も弁 明する かの よ う に述べて い る部 分である。
それは文 学 作 品の 価値 判 断に 係わ る事 柄だ。 精 神 分 析的解釈 と 言 っ て も,
例 え ば,
神 経 症 を 病んで い る 患者が,
同 じよ うな神 経 症に悩んで い た ドス トエ フ スキー
と同じ く, 人 類に とっ て の財 産と言え るよ う な作 品 を もの で きる訳で は な い。 む し ろ ま わ り の人間に迷 惑 を か けるだ け か も知 れ ない。
これ はっ とに フ ロ イ ト自身が レオナル ドにつ い ての 自分の研 究に関して , その 方法が レオナル ド の天才 を解き明かそ う とするもの で は ない と述べ て い ること と 同 断で あ る。 事は精 神分 析だ け に限ら ず,
マ ル クス の経 済 的 要 因 や,
人 種的,
地理的要 因か らの解 釈につ い ても 同 じこと が言え る だ ろ う。 良い作 品と そ う でない 作品,
第一
級の文学とそ うで ない もの を分け隔て る もの,
この 点につ い ての 判 断が ない限 り は 文 芸 批 評 はそ もそも成 り 立た ない。 さも な け れ ば 文 学の テ ク ス トは単にその 当 時 の 社 会や政 治を反映し た文 献にす ぎ な くな っ て し ま う し,
学 問の 体 裁を とっ た極 端な場 合に は, 単なる作品年 表に収 歛して し ま うこと になりかね ない。
こ の ような疑 問を呈し た上で,
ウィル ス ンはあ えて美 学の領域に踏み込み,
或るテ クス トを一
つ の 文学 作品 と 認 定 する条 件にっ い て 語 り始め る。 「わ た し の見解で は,
我々人 間の知 的 活 動は,
どの分 野に於い て であ れ, 我々湘 南工科大学紀要 第
30
巻 第1
号 の経 験し た こ と に一
っ の 意味を与え ようとする試みで あ る。 つ ま り,
そ れ は より良く生きようとすることで あ る。 とい うの も,
我々 は もの事を 理解する こ とに よっ て,
生 き長 らえ るこ と を 可 能に し,
な ん と か もの事の な かでう ま くやっ て い こ うとす るか らだ。」 t5} こ う述べ た後で,
ウィ ル ス ン は古 代 ギリシ ア に範 を と り,
ユー
ク リッ ドの 幾 何 学も,
ソ フ ォ ク レ スの悲 劇も,
そ れ ぞ れ取り扱う対 象は,
空間との諸 関 係, 人間の様々な錯 綜する諸 感情と 異なっ て い て も,
そ れ ら との間に折 り 合い をっ け,一
方 は 定 理,
も う一
方 は 宿 命 とい っ た形で パ ター
ンを 形 成 し,
安 定 した状態 を作り出そ うとする点で は変わ り がな い もの とする。 文 学の 方に引き付けて言え ば,
ソ フォ ク レ ス の悲劇の よ うな人を暗譫た る思 索に引き 込む類いの もの で は ない作 品,
例え ばサ ッ フ ォー
の叙 情 詩な ど も,
感 情に一
っ の パ ター
ンを与えるこ とで,
そ れ が実 人生で はどん な にっ らい感 情であろう と も,
それ を 秩 序 だっ た 心地の良い形式に変え て し ま うの で あ る。 感 情や衝動を 含め た もの事と の不 協 和(discord
)が解 消さ れ,
異 物 (anomaly )が秩 序(discipline
)に とっ て 代わ ら れ る。 詩 人がか た ちに創り あ げた感情は,
そ れ を受け 取 る 読者に も 伝 え ら れ,
読 者 は 自 分の 感 情 を 御 すこ とが可 能 とな る,
とも述べ てい る。
ウィル ス ンは最 後に再び個人 レ ヴェ ル の話か ら歴史的 観 点に 目を転じて 次の よ うに語っ て い る。 「こ の地上に 於け る人類の経 験は人 間が発 達 するにつ れて常に変 化 し て い る。 そ して新 しい要素の組み合わ せに対 処 し なけれ ばならな い。
作家は先 人の言っ たこと を 単に繰 り返 す 以 上の こ と を しよ うと 思っ た ら,
これ までに表現された こ とのないなにか を常に表 現しな け れ ば ならない。一
連の 新 しい現 象に立 ち向かっ て そ れ を統 御 し な け れ ば な ら な い。 人 間の 知性が,
歴史であ ろ う と,
哲 学であ ろ う と,
詩 歌であろう と,
これ らの分 野で 勝 利を収めるご とに,
我々 は深い満足を覚え る。 つ まり, 不協 和の痛み を癒さ れ,
理解不能な出 来 事の の しか か るよ うな重 圧か ら解 放 され るのだ。 こ の解 放 感が力 と喜び を与えて くれ,
第一
級の 文 学 作 品に 出 会 っ た とい う実 感が生 じ るの で あ る。」 16〕 お およ そ ウィル ス ンが 書いた もの のなかで,
これほど 率 直に人 生観とと もに文 学の価 値 判 断の基準と なるもの を語 っ て い る箇 所は ない と思う。 人 間の 知 的活 動の 基本 は経 験に意 味を与え ること だ と して,
この観 点か ら文学 も 歴 史 も 思 想 もその意 義 を 解 明 しよ うとす る。 文 学に 限っ てい え ば,
最 初 は 創 作の レヴェ ル の話か な と思っ て 読ん でい る と,
最 後には 読 書 経 験の質を決定 する議論に まで敷 衍 さ れてい る ことに気 付く。 つ まりこ こ で は作 家 も 読者も 同 等 の扱 い を 受 けて い るの で あ る。 作 家は,
言 っ て みれ ば, 創 作に よっ て生の経 験に意 味を与え, 読 者 は 読 書 とい う間 接 的な経 験に解 釈に よ っ て意味を与え るの だ。 そ して その経 験か ら得 ら れ る解 放 感と力と喜び こそ,
第一
級の作 品が与 えてくれ る もの だ と,
読 者の立 場か ら論じて い る。一
見 これ は 「実感 」の レ ヴェ ル に 立っ たナ イー
ヴ な議 論の よ う に も思え る が, 美学の歴 史 か らす れ ば,
ア リス ト テ レ ス の 「カ タル シス」の概念に っ ら な る見方で あ ろ う と思 う。5
以 上 見て きた よ うに 「文学の歴史 的解 釈」は, 表題に つ い ての著 者の見 通 しを 語っ てい るば かり で はな く, 基 本 的 な もの の 見方を披瀝 して い る点で,
ウ ィ ル ス ンを 理 解する に はもっ とも重要なエ ッ セ イ であ る と 思 う。 そ れ で は歴 史 的 批評に つ い て こ のよ う な 見方を して い た彼 が,
実 際に どの よ うな歴 史 的 批 評 を もの して い た の であ ろ う か。 精 神 分析 学を用いた批 評につ い て は, 先に述べ た よ うに 「傷 と弓』がその代 表 作で あう た。 これをしも ウィ ル ス ン 自身が言 う よ うに歴史 的 解 釈と す る な ら ば,
再び 『傷と弓 』を取り上げなければな ら な い だ ろ うが, 文芸 批評の 今日の常 識か らす れ ば,
それは別の 範 疇に入 るもの と言っ た方が良 さ そ うで あ る。 文学 作品 を対象と して歴 史 的な解 釈 をほ どこ し た 例 と して は,
こ の エ ッ セ イが 収 録されてい るの と同じ著 書 『重層 的に考え る人』 に含ま れ て い る 「フ ロー
べ一
ルの 政治学」が興味深い作 品だ と思うが,
それは個別的に過 ぎ るの で別の機 会に 譲っ て,
こ こ で は端 的に歴 史に取 材 した作 品 を 取 り上 げ てみ よ う と思 う。 彼の代 表作の一
っ と言っ て い い 『フ ィ ンラ ン ド駅へ 』で ある。 先に述べ た ように 「文学の歴 史 的解 釈」 と か な り共通 した対 象 を 取 り扱 っ て い る し,
彼 の 「歴史 的想像 力 」の特 質 が 端 的に見て取 れ る か らであ る。
こ の作 品は 1962 年 出 版 さ れ た 『憂 国の血 潮」(Patriot−
ic
Gore
)と と もに,
ウ ィ ル ス ン の全 業 績の なかで も大 き な 峰 を な して い る長 大 な評伝風の ド ラマ である。 内容的 に は社 会思想の歴 史を人 物 中心に叙述 し た もの で, 第一
部で は ヴィー
コ を再 発見 する ミ シ= レが冒頭に登 場し,
次いで ル ナン,
テー
ヌ,
アナ トー
ル・
フ ラ ン スな ど を介 して,19
世 紀の フ ラ ン ス にお け る 革 命 思 想の盛 衰が語 られてい る。
第二部はバ ブー
フ,
サ ン・
シ モ ン,
フー
リ一
144一
エ ドマ ン ド
・
ウ ィル ス ン :その批評の鍵概 念 (上原慎 吾 ) エ,
ラ サー
ル,
バ クー
= ンな ど を挿 話 的に扱いっ っ,
主 と して マ ル クス とエ ン ゲル スの演ずる思 想 的 ドラマ を 克 明に描い て い る。 最後の第三部で は,
レー
ニ ン と トロ ッ キー
を登 場させ,
1917 年の ロ シ ア革命に際 して長い亡 命生 活 を 終え た レー
= ンが ドイッ国 内を通 過 して無事に ペ トロ グラー
ド に到着する まで の現 代 史の一
場 面を描い て い る。 批 評 作 晶と して の構 成の見 事さ,
思 想の演ず る ド ラマ の ま さ に ド ラマ チッ クな語 り口,
人 物 描 写の 巧 み さ とい っ た点で,
多 くの評者が言う よ う に彼の膨 大な作 品の 中で も抜 群の 出 来 映 えと言え る だ ろ う。 以ドが その 書き出しの 部 分であ る。
One
day
in
theJanuary
of 1824.
a young Frenchprofessor named
Jules
Michelet,
who wasteach・
ing philosophy and
history,
found the name of
Giovanni
Vico in a translator’
s note to abook
hewas reading
.
The reference toVico
interested
hirn
so much that he immediately set out to learnItalian
.
’7 }ほ とん どミ シ ュ レその 人の 『フ ラ ン ス革命 史 』 を 彷 彿 と
させ るよ う な
,
高 揚 し た引き締まっ
た文 体で,
思想の ドラマ の始まりを 生 き生 き と物 語 っ て い る。 ウィル ス ン自
身はこの よ う な手法 を
“
the spotlighting method”
と呼ん でい るのであ るが
,
ま さに言い えて妙で あ る と思 う。 この 冒 頭の部 分 に続い て,
ミ シ s レが その 当時お か れて い た状況, 生活,
社会 情 勢な ど が描か れ,
な ぜ彼が埋 も れ て い た ヴィー
コ を 発 見 して取 りっか れ たよ うに その 世 界に没 入し,
主要著書を 翻 訳 するに まで いた っ たの か が 目配りの き た筆致で説 得 力豊かに語 られ る。 以 下 も同 様 の 手 法で,
ほ ぼ 100 年にわたる社 会 思 想の移 り行 き と そ の 担い 手た ちの ドラマ を,
そ の最終 的な帰 結で あ る社 会 主 義 革 命の勃 発に向か っ て小 気 味よ く描き進め て行 くの である。
最後は,
列 車か ら降りた レー
ニ ンが,
民 衆の肩 に担が れて歓呼に答え な が ら深 夜の ペ トロ グラー
ドの 街 を練り歩く場 面で,
ま さに スポ ッ ト ライ トで 照 ら し出す よ う な臨 場 感 に満ち た描 写だ。 1972 年に こ の作 品が改 訂 出 版 され た際に,
政 治学 者の マー
シ ャ ル・
バー
マ ンが 「ニ ュー
ヨー
ク・
タ イム ズ』 の書評 誌で 「19世 紀 型の最 後の 偉 大な小 説」 とか 「『戦 争と平 和 』の嫡 子 」18}と 評 し て い た が,
ま さ に そ の通り であると思 う。
全 体 と して は 人 物 を 通 して ド ラマ 化さ れ た社会 思 想の 絵 巻 物 と 言 え る。 だ か,
こ の よ う に全体 的に は俯瞰 的な構 成の堂々 と した 印象が際 立っ もの の,
個々 の思想 家の取扱い に は,
その 内 面に入り込ん で心理的に 内側か ら記述するとい っ た特 色が ある。 ミ シュ レ の場 合もそ うで あ っ た が,
こ の 作 品で 最 大の紙 数が割か れて い るマ ル クスに つ い て も 同 様の扱いが 見 られ るの であ る。 ウ ィ ル ス ンの マ ル ク ス主 義との係わ り合い は,
こ の 時 代の 知識人の一
っ の典 型 を 示 し てい る。
30年 代の 半 ば に彼が こ の著 作に取 り掛 かっ た 当 時 は,
明 らかに彼 自 身 マ ル クス主義に コ ミッ ト して いた。
しか し書 き上 げるの に要し た7
年の間に, ス ター
リン治 下のソヴィ エ トをっ ぶ さに 見て回 っ たこ ともあっ て,
40 年代の 初めに は政 治 体制と して の マ ル クス主 義に は完 全に決 別 して し まっ て い る。 こう した彼自身の政 治 観の揺 れ 動 き は,
しか し な が ら,
この著 作に は ほ と ん ど 影響を与えて い な い と 言っ てい い。 とい うの も,
この 作品で は,
彼の興 味の中 心 は社 会主義思想そ のもの で は な く,
思 想とそれ を 生み 出し た人間との係わ り合い にあ るか らで ある。 革 命思想 と し て のマ ル クス主義その もの よ りも,
マ ル クス とい う 人 物の方に むし ろ力点が置か れて い ると言 っ てい い。
特 に疎 外 論の初 期マ ル ク ス に は,
青 年 期の詩 作 品の 分 析を 始め と して様々 な ア プロー
チ が試み られて い る 。 な かで も目 立っ の は,
マ ル ク ス をユ ダヤ思想の流れの な かに於 い て 理解し よ うとする姿勢で,
彼の詩の な かに登 場 す る プロ メ テ ウス とル シ フ ァー
を二律 背 反 的なもの で は な く,
彼の な かに存 在 するヤ ヌ ス的な 二面性と して捉え,
その イメー
ジの背 後に道 徳 的なユ ダヤ人と して の メ シ ア 的理想 主 義 を 見て 取るの で ある。
そ して,
ウ ィ ル ス ン に よ れば, マ ル クスが労 働者に よ る独 裁の時 代の到 来を夢 見たの は,
ま さ に メシ ア的 理 想 主 義の現 れであるとい う こ とに なる。 また,
資 本 主 義に対する彼の嫌 悪の背 後に あ る の は,
ユ ダヤ人=
高 利 貸 し とい っ た 自 己の 出 自に係 わる イメー
ジへ の反 発であっ て,
そうし た もの はマ ル ク ス に とっ て資 本 主 義 と ともに消え去る運 命に あらね ば な らない の で あ る,
と い う具 合に心 理的な解 釈をほどこ し て い る。
こ の ように 『フィ ンラ ン ド駅へ 』の基 調 を 貫 く もの は,
ウ ィ ル ス ン 自身かつ て そ うで あっ たように,
社 会 正 義の 実現に腐心 し た人々 の人 物 像に対 する興 味で あ っ た。 か っ て 篠 田一
士は 「ア クセ ル の城』を 論 じて,
「思 想 とい い,
歴 史 とい っ た ところで,
こ うし た もの が,
個々の 人 物の な か に影を投じ,
その映 像が人物の ドラマ を 形づ く るよ うになっ て,
は じ めて ウ ィ ル ス ンの 批 評 的興 味が動 き だ す」19 〕と 語 っ た が,
こ の 作 品で も ま さに同 じこ と が 言 え る。 何より も人 物に対 する興 味が彼の批評を 主導す るの であ る。
比 較 的 早い時 期に,
研究 書と して ま と まっ湘南工科大学 紀 要 第 30 巻 第 1 号 たウ ィ ル ス ン論 を 上 梓 してい るシ ャ
ー
マ ン・
ポー
ル も, こ の 作品 を プル ター
クの 『英雄 伝 』に なぞ ら えて,
「伝 記 が 本 書の基 本で あ る。
人々 の生涯 が事件に見 通 し を与え る の だ。 そ し て こ の故に,
ウィ ル ス ン の場合,
心 理 学 が 歴史と結び付 くの で あ る」20)と述べ て い る 。 彼は さ らに こ の ような心 理学的なアプロー
チが, ウ ィル ス ン の よ う な批 評 家に とっ て 非 常に重 要である理 由 を,
「それが批 評 対 象の 内 側に 入 り込む際の 同一
化 (identification)に 役 立っ か らで あ り, こ の よ うな方 法に よ っ ての み過 去の 生 活 を 再 構 成 する材 料を自己の経 験の なか に見 出すこ と が で き る か ら だ」とも述べ て い る。 こ の評言はウ ィ ル ス ン の 批 評 装 置 とも言 うべ き 「歴 史 的 想 像 力 」の特 質 を じ つ に 的 確に指 摘 してい る。
思 想 や 文学 作品 を 人物と 切り 離すこ と な く, 感情移 入を内実と す る想 像 力によ る同一
化の な かで, 対 象を内側か らそ の発生の現 場で理解し よ うと するのが,
ウ ィ ル ス ンの手 法なの で あ る。6
先にわた しは本論の第一
部で 『傷 と 弓 』 所 収の タ イ ト ル・
エ ッ セ イ 「ピロ ク テ テス :傷と弓」 を取り上げ,
そ の な かの登場人物ピ ロ ク テ テ ス と ネオ プ トレモ ス の関 係 が作家と批 評 家の 関 係に対 応 して い るこ とを 跡づ け た。 ネオ プ トレ モ ス=
批 評 家は, 相 手の能 力に対する敬 意と その能 力の 代償た る傷に対する共 感,
痛みの共 有によ っ て, 豊か な創作 活 動を引 き出し,
な お かっ その作品の享 受 者た る読 者との間で媒 介者と な るこ と に よ っ て,
二重 の意 味で 文学 (単に テ ク ス トを指すの で は な く, 作家に よ る その創 作 と読者による その享 受を内包 した意味で の 文 学 活 動 )の活性 化に貢献する, これがピ ロ クテ テ ス の 寓 話 に仮 託 して ウ ィル ス ン が語ろ うとし た ことであっ た。 こ こ で簡単に彼の文 学活 動の跡 を振り返っ て みよ う と 思 う。 彼は20
年 代の初めに文 壇に デ ビュー
して以 来,
もっ ぱ ら文芸時
評家(reviewer critic)と して活 躍し,
学 生 時 代 か らの友 人 フ ィ ッ ッ ジェ ラル ドをは じめ 「失わ れ た世 代 」の文 学 者と文字通 り時 代を共 有して,20
世 紀 前 半の ア メ リ カ文 学の活 況を導い た立て役 者の一
人で あ っ た。 批評活動を通 して 時代の流れに参 画 し,
彼が ネ オ プ ト レ モ ス的な働 き を 文 学 界に おいて果 た したことには,
ほ ぼ異 論は ない だ ろ う と思 う。 だ が, 興 味深 い こ と に,
『傷 と 弓 』 や 『フ ィ ン ラ ン ド駅へ 』 を 上梓し た40 年代の 初め頃から,
時 代との乘離が 目立 ち始め る。 大きな契 機 と な っ たの は,
よ く言わ れ る よ う に,
彼が第二次世 界 大 戦に際して孤 立 主 義 的な態 度 を とっ たこ とにあると思 う が,
戦 後は こ の乘 離 が ま すますは な は だ し く なっ て,50
年 代の半ばに ケー
プ。
コ ッ ド の ウ ェ ル フ リー
トに移り住 んでか ら は,
隠栖といっ た趣を強めて くる。60
年 代の半 ばに ウェ ル フ リー
ト の 浜辺で ウィ ル ス ン の 散歩 姿を見 掛 けた批 評 家の ア ル フ レッ ド・
ケ イジンは,
彼の存 在その もの を象 徴 的な意 味を込めて 「偉 大な時 代 錯 誤 」(the great anachronism )と評 して い る くらい で ある21} 。 著 作の方もこ の頃 か ら時 評 的 な もの が 大 分 少 な くなっ て, 次 第に身の 回 りの 世 界 と歴 史にの め り込んで ゆくよ うに な る。 1955 年の 『死 海 文 書』,60
年の 『イロ コ イ族へ の 弁明』,62
年の 『憂 国の血 潮』 とい っ た歴史に取 材 した 比較 的 大部の著 作が出版され る のが こ の頃である。
そ れ と同 時に 自分 自 身の 記 憶,
家 族の思い出,
= ユー
ヨー
ク 州北部の タル コ ッ トヴィ ル に遺 さ れて い る祖 父伝 来の 石 造 りの 家 を 介 し ての 先 祖へ の言及 が 目立っ よ うに な る。 自己本 来の資 質を確か める よ う な手 付きで次 第に自己の ルー
ッ に溯 行して行く姿が,
読 者に とっ て の 晩 年の ウ ィ ル ス ン像で あ る と言 っ て も過 言で は な か ろ う。 生 涯の 前 半は同時代 とい う歴 史に密着し,
後半は時代 離れ を して 歴 史に没 入 して い るので あ る。 だ が, 20 年代,30
年 代の時 代と ともに歩ん だ ウィ ル ス ン も,40
年代 以降の,
時 代に背 を 向 けてもっ ぱ ら過去 の世 界に 目を向けて い たウ ィル ス ン も, その批 評の あ り 方に おい ては一
貫 してお り, 外 部か らなん らかの基準を 当て はめた り,
時を 超 越 した原型 (アー
キ タ イ プ)や形 式を探 求するこ と な く,
あ くまで も歴 史の な かで対 象に 内側か ら入り込み,
その 生成の現 場に立 ち 合 っ て記 述 す る とい う手 法を採っ た。
こ の よ う な批 評 態 度 を 端 的に表 現 する言 葉をわたしは久 し く捜 して いたのだ が,
中 村 雄 二郎 氏の 『臨 床の知と は何か』 を 読 むに い たっ て,
その 言 葉に出 会っ たよう な気が した。 科学の知 と対 比し て中 村 氏 が 次の よ う に 「臨 床の知 」につ いて語る と き, これ まで述べ て きたウ ィ ル ス ンの批 評 態度とほぼ重な り合う こ と が見て取れ るで あ ろ う。 すな わ ち,
科 学の知は,
抽 象 的な普遍 性によっ て分 析的に因 果 律に従う現 実にかか わ り,
そ れを 操 作 的 に対 象 化 する が,
それに対して, 臨床の 知は, 個々 の場 合や場 所を 重視して深層の現 実にか かわ り,
世 界や他者が わ れ わ れ に示す隠さ れ た意 味を相互行 為 の う ちに読み取り, 捉え る働き をする……
こ と ば を換えて い え ば,
科 学の知が冷や や か なま な ざ しの知,
視覚 独 走の知で あ るの に対 して,
臨 床一 146一
エ ドマ ン ド