強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂
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(2) 98. (桃山法学. 第25号 ’15). 【事実の概要】 被告人は,平成18年2月11日午後7時過ぎころ,駅構内で見かけたA女 (当時16歳) に声をかけ,同女とともに電車に乗り込み会話を続けるうち に,性的欲望を次第に募らせ,同女を利用して射精したいなどと考えるよ うになった。同女と降車した後も,並んで歩きながら,繰り返し同女に話 しかけていたが,同女から「ほんまに無理。」などと全く相手にされなかっ たため,同女に強いてわいせつな行為をしようと企て,同日午後8時50分 ころ,第1現場において,同女に対し,その左肘付近を掴んで同女の身体 をガードレールに押し付け,その背後から強く抱きつき,両手で同女の着 衣の上からその両乳房を弄んだところ,同女が身体を左右に激しく振るな どして抵抗したことから,「おまえ,ほんま犯すぞ。」などと語気鋭く申し 向け,次いで,被告人を畏怖する余り抵抗を諦めた同女の手を引いて第2 現場に連れ出し,同女に対し,「黙ってこっち来い。大きな声出すな。」な どと再度語気鋭く申し向け,同女のスカートをまくり上げてパンツを覗き ながら自慰行為をするなどしていたが,さらに,同女を人気がなく暗い第 3現場に連れ込み,同女に「脱げ。」などと申し向けながら,そのパンツ を脱がせ,同女の臀部を手で撫で回し,その陰部に手指を挿入するなど, 強いてわいせつな行為をしているうちに,著しく性的欲望を募らせ,この 上は,同女を強姦しようと決意し,同女の身体を背後から両手で強く押さ え付け,あるいは地面に仰向けに押し倒し,同女に対し,「俺が一方的に やったら犯罪になるので,おまえが入れろ。」と申し向けるなどして,強 いて同女を姦淫しようとしたが,被害者が自己の陰茎をその陰部に容易に 挿入することができないでいるうち,同女から口淫することで許してほし い旨を告げられるなどしたため,それに応じ,口淫によって射精したため, 姦淫を遂げなかった。.
(3) 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 99. 【判旨】 有罪 (強姦未遂罪)。懲役2年6月 (求刑懲役5年)。確定。中止未遂の 成立を任意ではないとして認めなかった。以下,判決理由の重要部分を引 用。 「被告人が,被害者を姦淫することを決意し,被害者の身体を背後から 両手で強く押さえ付け,自己の陰茎を同女の陰部に挿入しようとした後, 同女に「俺が一方的にやったら犯罪になるので,おまえが入れろ。」と命 じて自己の陰茎を同女の陰部に挿入させようとした際,被害者の口淫の申 出に応じて,それ以上同女に姦淫を求めることなく立ち上がり,その後も, 同女に対して姦淫行為には及んでおらず,強制わいせつ行為をしたに止まっ ているという本件事実経過に照らすと,強姦の実行の着手後,その既遂に 至らないうちにこれが中止されたことは明らかである。」 「被告人は,上記認定のとおり,被害者に命じて自己の陰茎を同女の陰 部に挿入させようとしたが,容易に挿入することができなかったため,強 い射精欲求が満たされずいら立っていたところへ,第2現場においては被 告人に対する手淫行為さえ拒否していた同女から,予期せぬ口淫の申出を 受け,一刻も早く射精したいとの思いで,同女に口淫させることにしたも のである。また,被告人は,その後,泣き出した被害者に対し,謝罪しつ つも警察に通報しないよう懇願し,泣きやんだ同女が立ち去ろうとした際 には,再び性欲を募らせたことから,自己が射精するまで帰らせない旨告 げて,同女に自己の陰茎を手淫させ,あるいは同女の乳房を舐めるなどの わいせつ行為を繰り返し,結局射精し,自己の性的欲望を充足させるに至っ ている。その一方で,被害者が上記申出をしたのは,夜間人気がなく暗い 梅畑内の,倉庫の陰に隠れた人目につきにくい場所で被告人の命令により 今まさに姦淫されそうになった同女において,被告人を畏怖する余り,そ の要求を拒絶することが極めて困難な状況に陥っていたことから,被告人 から無理やり姦淫されるという女性として最悪の事態を回避すべく,被告.
(4) 100. (桃山法学. 第25号. ’15). 人の性欲を口淫により減退させることを意図したためであることは明らか である。 そうすると,被告人は,被害者を利用して早急に射精の目的を遂げるこ とによって自己の性欲を満たすことができさえすれば,その手段としては 姦淫行為に必ずしもこだわるものではないという心理状態のもとで,自己 の陰茎を被害者の陰部に挿入できないという犯罪遂行の物理的な障害に遭 遇した際,同女から予期していなかった口淫の申出を受けて,今すぐにも 可能な口淫により一刻も早く射精の目的を遂げようと考えてその方針を転 換したにすぎないのである。このような事情にかんがみれば,被害者の上 記申出は,性欲が著しく昂進していたという被告人の当時の心理状態のも とで,十分犯罪遂行の外部的障害となり得るものであったと評価できるし, その後,被告人が,被害者に対して執拗に口淫や手淫をさせ,実際に射精 していることに照らしても,上記申出に基づく被告人の中止行為が何ら反 省,悔悟,憐憫等の心情に基づくものでないことも明らかである。 したがって,本件において,被告人が自己の意思によって強姦行為を中 止したとはいえないから,被告人に中止未遂は成立しない。」. 【検討】 はじめに (1). 本件は強姦未遂について中止未遂の成立を自己の意思によるものではな いとして否定したものである。結論には賛同するが,理由に異議があるの で,以下に検討したい。. 1)本判決の構造 本判決は,中止未遂の成立を否定している。その理由は,「自己の意思 によって強姦行為を中止したとはいえないから」すなわち任意性がないか らであるとしている。 そこで,本判決の判断構造を明らかにしてから,任意性に関する裁判所.
(5) 101. 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. の判断の当否を検討しよう。 本判決は,任意性を否定するにあたって,ふたつの理由を挙げている。 それは,①被害者の申し出が「性欲が著しく昂進していたという被告人の 当時の心理状態のもとで,十分犯罪遂行の外部的障害」となるものであっ たこと,②「被告人の中止行為が何ら反省,悔悟,憐憫等の心情に基づく ものでない」ことである。 ①の判断は,学説上主観説と呼ばれる判断方法である。主観説は,外部 的障害がないのに行為者が自由な意思決定に基づいて中止した場合を任意 (2). とし,外部的障害を認識して止めた場合を不任意とする見解をいう。行為 者の立場にたって,「私は,たとえできるとしても,やるつもりがない (Ich will nicht zum Ziele kommen, selbst wenn ich es )」を任意, 「私は,たとえやろうとしても,できない (Ich kann nicht zum Ziele (3). kommen, selbst wenn ich es wollte.)」を不任意とするフランクの公式によっ て表現されるのがこの主観説である。行為者にとって「できる ( )」 か否か (ob ich es kann) すなわち外部的障害の表象による行為選択に関す る主観的自由の有無と「するつもりである (Wollen)」か否か (ob ich es will) という行為者の主観面によって任意性を判断するという立場であ (4). る。 ②の判断は,その文言から限定的主観説の立場であることは明らかであ る。限定的主観説とは,「中止行為が反省・悔悟・憐憫・同情といった動 (5). (6). 機による場合」に限り任意性を肯定する見解である。 このように,本判決は,主観説と限定的主観説のコンビネーションによっ て,中止の任意性を否定しているのである。. 2)本判決の位置づけ それでは,このような主観説と限定的主観説のコンビ―ネーションによっ て任意性を否定する本判決は,これまでの判例の流れの中でどのように位 置づけられるのだろうか。 判例は古くは主観説によって任意性を判断していた。たとえば,大審院.
(6) 102. (桃山法学. 第25号. ’15). 大正2年11月18日判決は「外部的障害」があることを理由として中止未遂 (7). (8). の任意性を否定しており,同様の判断は大審院昭和11年3月6日判決にも 受け継がれている。ここでいう主観説は,行為者が外部的障害をすこしで も認識したら任意性を否定するという厳しい意味における主観説であり, 大審院の判断はほぼこの主観説で一致していた。 ところが,戦後,判例は客観説への転換をみせたといわれるようになる。 「犯罪の完成を妨害するに足る性質の障害」を問題にした最高裁昭和32年 (9). 9月10日決定にはそのような客観化の契機が含まれており,外部的障害の (10). 有無の判断を「一般の経験」に求めた東京高裁昭和39年8月5日判決では 明らかに客観的基準が表現されている。 このような流れをみれば,判例は主観説から戦後に客観説へ転換したと いえそうにも思えるが,実はそうではない。 このことは, 戦後のいくつか の判例をみてみれば明らかになる。判例の立場はまったく一貫していない (11). のである。下級審においては「哀れみ」,「愛情」を認定して任意性を肯定 (12). した限定的主観説による判決も,逆に中止の動機が「憐憫の情にあったか ……によって中止未遂の成否が左右されるという見解は,当裁判所の採ら ないところである」とまで断言して限定的主観説を明示的に否定した判決 (13). もみることができる。それどころか,客観的基準と限定的主観説とをミッ (14). クスして判断する判決すら散見される。戦後の判例には,客観説によった もの,限定的主観説によったもの,客観説と限定的主観説とを混ぜたもの の3種類が主にみられるのである。本判決は,客観的基準は一切示さず, 主観説と限定的主観説のコンビネーションによって判断したという点に若 干の特色がある。 それでは,本判決はこれまでの判例の主流から外れるものであるかとい えば,否である。統一された判断基準が確立されておらず,判断が場当た り的に行われてきた以上,このような判決は,さほど奇抜なものではない といえるだろう。障害が当人にとってなのか (主観説),一般人にとって なのか (客観説) という点はあまり意識しないまま判決しているようにも 思われるため,客観的基準が「一般に」や「客観性」という言葉でもって.
(7) 103. 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 明確に用いられていないからといって,一概に判例の流れから外れた判決 であるとはいえない。むしろ,判例の場当たり的な判断の在り方を良く表 しているとでも評すべきである。. 3)任意性判断 ところで,本判決が任意性を否定したことは妥当であっただろうか。 たしかに,限定的主観説のいうような動機は被告人に認められない。限 定的主観説を採るならば任意性は否定されるだろう。しかし,そもそも刑 (15). 法に倫理判断を持ち込もうとする限定的主観説は妥当ではない。この点, (16). 現在の学説においては大まかな一致をみているといって良いだろう。限定 的主観説の基準は任意性を否定するために判例では好んで用いられるもの の,そのような基準自体不当であるというべきである。 それでは,主観説によって任意性を否定できるかといえば,これもまた 困難であるように思われる。というのも,たしかに陰茎の挿入をうまく行 いえなかったという事情はあるものの,それは,挿入を被害者に任せてい たためであり,被害者が口淫の申し出をした後もあるいは射精後もなお被 告人には被害者を強姦することは可能だったからである。本判決は被害者 の口淫の申し出を「十分犯罪遂行の外部的障害となり得るものであった」 というが,姦淫はなお可能なのだからそのような認定は妥当ではない。と なれば,強姦については「私は,たとえできるとしても,やるつもりがな くなった」にすぎないのであって,フランクの公式にいう「私は,たとえ (17). やろうとしても,できない」には当たらないといわなくてはならない。 となると,本件では. 主観説を採る場合には. 任意性は肯定される. べきことになろう。 では,主観説以外を採れば任意性を否定できるかというとそうではない だろう。客観的基準をとってもそれが任意性を否定する経験上通常の障害 かといわれれば,必ずしもそうはいえないと思われる。口淫の申し出を受 けた一般人が姦淫を中止するか否かの経験則は明確な形で存在しないから である。 このような曖昧な場合に, 行為者に不利な判断をすることは難し.
(8) 104. (桃山法学. 第25号. ’15). (18). い。 私見は消極的折衷説を主張しているが,その立場からも任意性を否定 することは困難である。本件のような事案においては,限定的主観説か不 (19). 合理決断説を採らないかぎり,任意性は否定できないだろう。 それでは,任意性を否定できないからといって,本件に中止未遂の成立 を認めて良いのであろうか。否である。その理由を以下に述べよう。. 4)欠効未遂の概念 本件は,任意性を検討するまでもなく,欠効未遂 (fehlgeschlagener Ver(20). such) の特殊類型として中止未遂の成立を否定すべき事件であった。以下, 欠効未遂概念を概観する。 欠効未遂の中心的な定義は「目的達成の (現実的あるいは錯誤による) (21). 不可能性のために,もはや放棄も後戻りもできない未遂」というものであ る。 刑法43条但書は中止未遂について「自己の意思により犯罪を中止した」 と定めているが,「中止した」とはどういう意味であろうか。「中止した」 とは,論理的当然として「止めない選択肢もあったにもかかわらず止めた」 という意味である。たとえば,犯行を警察官に発見されて取り押さえられ た状況においては,行為者がいくら「悪いことをしてしまった。心から反 省し犯罪を止めよう」と主観的に思っていたとしても,任意でないという (22). 以前に「中止した」には当たらない。警察官に取り押さえられた時点で, 中止行為の論理的可能性は消滅したのである。このように,中止行為の前 (23). 提として「中止の可能性」が考えられなくてはならない。最初から中止の 可能性がない事案,すなわち未遂そのものが中止される前に失敗に終わっ た事案においては,任意性を判断するまでもなく,中止未遂成立の可能性 (24). は排除され障害未遂となるのである。このような未遂を欠効未遂という。 (25). (26). 我が国では欠効未遂概念を否定する見解が圧倒的に通説であるが,欠効 未遂概念が必要であることおよびその大まかな内容については私はかつて (27). 論じたことがあるので,必要性と内容の議論はそちらに譲る。本稿では, 欠効未遂を本件事案に適用するのに必要な範囲で言及しておきたい。.
(9) 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 105. 欠効未遂は,行為者がその欠効性を認識することによって成立する。た とえば,イェシェック・ヴァイゲントは,「中止未遂は,行為者が既遂に 至ることがなお可能だと思っていることを常に前提としている。これに対 して,行為者が,すぐ利用できる手段によって事象をそのまま継続しても もはや結果を達成しえないと確信するに至った場合には,欠効未遂となり, もはや実現されえない故意を放棄することはできないので,そこからの中 (28). 止は不可能となる」という。そしてこの欠効性の判断は,これまでは任意 性の主観説に用いられる公式であると考えられてきたフランクの公式によっ (29). て行われる。「やろうと思ってもできなかった」と行為者が認識した場合 が欠効未遂なのであるから,その判断は原則としてフランクの公式による ことになるのである。 すると,本件については,主観説を採用しても任意性を認めなければな らないはずだと批判したとおり,やはり欠効未遂も認められないというこ とになりはしないだろうか。そう結論づけるのは早計である。たしかに, 本件は欠効未遂の基本的な類型,すなわち「やろうと思ってもできなかっ た」には該当しない。しかし,行為遂行の不可能性を行為者が認識したと いう基本類型に該当しなくとも欠効未遂が肯定されるべき特殊な場合がい くつか存在するのである。この欠効未遂が特別に認められるべき場合につ いてさらに検討を進めよう。. 5)行為基盤の欠如による欠効 ロクシンによれば,欠効未遂は基本型である①構成要件実現の不可能性 が行為者に認識されたときの他に特殊な場合として,②行為対象の性質が 行為計画と合致しないとき,③行為対象が行為者の期待に沿わないときに (30). 成立するという。後者2つは,いわゆる「所為遂行の無意味性による欠効」 (31). といわれる事例群である。このような場合,BGH は行為遂行は事実的に (32). はなお可能であることを理由として欠効を認めていないが,学説において (33). は欠効を認める見解が多数である。 欠効未遂の概念を認める多くの学説は,たとえば,一定のまとまった額.
(10) 106. (桃山法学. 第25号. ’15). が欲しくてハンドバッグを奪った窃盗行為者がその中にわずかな金銭しか 発見しなかった場合,そのわずかな金銭を窃取することは可能であっても, 欠効が認められると解する。所為のさらなる遂行が行為者にとって意味を 失ったからである。また,暗殺者が銃撃して重傷を負わせた相手が標的と していた政治家でなかったことに行為者が気づいた場合も. 争いはある. (34). ものの. 同様に考えることができよう。このように,行為者が客体に失. 望し,それ以上の行為遂行が無意味になった場合に欠効未遂が認められる と学説の多くはいう。なぜならこれらの場合には行為者の行為遂行を動機 (35). づける「行為基盤が欠如する (Wegfall der . .
(11) . )」からであ る。このような場合,行為者がさらなる行為遂行を行わないのは,「自己 の意思による行為遂行の放棄」とはもはやいえない。行為者が行為の遂行 を決意する選択肢が外部的要因によって失われたからである。したがって, 犯罪遂行中に何らかの事情によって行為者にとって行為をさらに遂行する 基盤が欠如した場合には,「自己の意思による行為遂行の放棄」の前提が 欠如するため,欠効未遂の成立を認めるべきなのである。 これにくわえて,中止未遂の成立を排除すべきか否かについてさらに問 題となる事例群がある。それは,犯罪遂行中に行為者の目的が達成されて しまった場合や,他の方法によって容易に目的達成できることに行為者が 気づいたため,当初予定していた構成要件的行為の遂行が最後までなされ なくなった場合である。たとえば,射精を目的とする行為者が,当初計画 の姦淫よりも被害者の申し出た口淫によってより容易に目的達成可能であ ると認識するにいたったため,当初計画していた姦淫の遂行を行わなかっ た場合や,姦淫前に射精してしまったため目的を達成し姦淫行為の遂行を (36). 行わなかった場合などである。 このような場合を欠効未遂という名で呼ぶか否かは別として,法的効果 としては欠効未遂と同様に中止未遂の成立が排除されるべきであるという 学説が唱えられている。それは,目標達成の場合も,行為者にとって当初 予定していた所為の遂行が無意味になった場合であるといえるのであり (37). 「行為基盤が欠如する」からである。.
(12) 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 107. 私見も,行為者の計画にとって重要な目標が別の手段で達成できる場合, 当該手段を放棄し,別手段に移ることは,「行為者の計画にとって (当初) (38). 行為の遂行が無意味になった」場合に該当すると解する。したがって,こ のような場合にも欠効未遂と同様の法的効果を認め,中止未遂の可能性を 排除すべきである。これを欠効未遂と同様の効果をもたらす欠効未遂では (39). ないものとして整理することもできようが,「行為基盤が欠如し,行為者 にとって遂行が無意味になった」という理由も中止未遂の成立を排除する という効果も同じなので,私はこれを行為基盤が欠如するタイプの欠効未 遂に含めて理解したい (これはただの名称・分類の問題である)。. 6)本事例へのあてはめ 本事例においては,被告人の行為目的は被害者を利用した射精である。 被告人が,当初はわいせつ行為と自慰行為によって射精を試みようとした ことからもその点は明らかであり,本判決も「被告人は,被害者を利用し て早急に射精の目的を遂げることによって自己の性欲を満たすことができ さえすれば,その手段としては姦淫行為に必ずしもこだわるものではない という心理状態」の下で「今すぐにも可能な口淫により一刻も早く射精の 目的を遂げようと考えてその方針を転換したにすぎない」と認定してる。 それゆえ,被害者による口淫の申し出は,被告人に対して姦淫より少ない 抵抗で目的を達しうる新たな選択肢を提供し,それにより被告人にとって 姦淫の遂行にこだわること自体を無意味化し,その行為基盤を失わせたも のと評価されるべきである。となれば,本件は行為基盤の欠如による特殊 な欠効未遂に該当するというべきであっただろう。 したがって,本判決が中止未遂の成立を否定した結論は正当であるが, その理由については問題があるといわなければならない。任意性を検討す るまでもなく,中止の前提を欠くため「中止していない」というべきであっ た。.
(13) 108. (桃山法学. 第25号. ’15). おわりに 任意に行為を中止したといえるためには,行為者が行為を遂行すること になお可能性と意味を見出していることが前提とされなくてはならない。 そうでなければ,「中止した」と「失敗した」の区別がつかなくなってし まうからである。これは,「中止した」との文言から導かれる論理的な帰 結である。 今後も,女性がせめて姦淫を避けたいという思いから口淫や手淫等の申 (40). し出をしたため姦淫を遂げなかった同種の事案については,行為者の目的 が射精にあるかぎり,任意性を検討するまでもなく中止未遂の成立を否定 すべきである。 (了) 注 (1). 中止未遂の任意性については,江藤隆之「中止未遂における任意性に ついて」桃山法学第16号 (2010) 1頁以下参照。. (2). 小野清一郎『新訂刑法講義総論』(有斐閣,昭和23・1948年) 186頁。. (3). Reinhard Frank, StGB, 1930, 46 II.. (4). Michael Strafrecht, AT., 1996. S. 480.. (5). 西田典之『刑法総論』第2版 (弘文堂,平成22・2010年) 321頁。. vom Versuch freiwillig ?, Straf(6) Paul Bockelmann, Wann ist der
(14) rechtliche Untersuchungen, 1957, S. 183. (7). 大判大 2・11・18刑録19輯1212頁。. (8). 大判昭11・3・6 刑集16巻272頁。. (9). 最決昭32・9・10刑集11巻9号2202頁。. (10). 東京高判昭39・8・5 高刑集17巻6号557頁。. (11). 江藤・前掲注 (1) 13頁以下。なお,本判決を解説している判タ1240 号345頁は,実務は任意性を客観的事情と主観的事情をともに考慮して 判断しており,その流れに本判決も位置づけられるという。しかし,客 観的事情をどのように考慮するのか,たとえば客観的事情を行為者が受 け止めるのかそれとも一般人か,主観的事情をどのように考慮するのか, たとえば広義の悔悟は必要か否か,などによってその中身はまったく異 なってくるのであって,単に客観的事情と主観的事情を考慮しているか ら一貫しているとも,本判決がその流れに位置づけられるともいえない.
(15) 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 109. だろう。たとえば「外部的障害」を考慮するにしても,「一般人をして 外部的障害」(客観説) なのか「行為者にとって外部的障害」(主観説) なのか「行為者の受け止め方を加味しながらも一般人にとって外部的障 害」(折衷説) なのかではまったく異なるのである。 (12). 大阪高判昭33・6・10裁判特報5巻7号270頁。. (13). 浦和地判平 4・2・27判タ795号263頁。 横浜地川支判昭52・9・19刑裁月報9巻 9・10号739頁,東京地判平 8・3・28判時1596号125頁。. (14). (15) Alexander Peter Gutmann, Die Freiwilligkeit beim vom Versuch und bei der . .
(16) Reue, 1963, S. 120. 吉田敏雄『未遂犯と中止犯』(成文堂,平成26・2014年) 188頁は,限 定的主観説が「広義の悔悟がなくとも,行為者の法秩序にかなった生活 への回帰が認められることを見逃して」いると批判する。 (16). 西田・前掲注 (5) 321頁のように支持者がいないわけではないが, きわめて少数であるといえる。. (17). Vgl. BGHSt7, 296. 本事案は,行為者が被害者を強姦目的で押し倒し たが,被害者が時間稼ぎのために機転を利かせて「暴力を使わないでし てくれたらよかったのに。ちょっと休んでから,それでもまだ性交がし たいなら,乱暴なしでどうぞ」と申し向け,行為者は被害者の言うとお り強姦を中止したところ,通りがかった者に被害者が助けを求めたとい うものであるが,BGH は「行為遂行はなお不可能ではない」としてい. る。 (18) (19). 江藤・前掲注 (1) 18頁以下。 不合理決断説は,行為者にとって中止が不合理な選択であるにもかか わらず中止を決断したときを任意とする山中敬一の見解である。山中敬 一『中止未遂の研究』(成文堂,平成13・2001年) 26頁以下及び75頁以 下。山中は「状況の好転」による中止を明確に任意ではないとしている。 同43頁以下。. (20). Mareike Herrmann, Der im Strafrecht, Eine kritische Analyse. .
(17).
(18) de lege fernda, 2013, S. 50 ff ; 24 StGB de lege lata und Markus Kampermann, Grundkonstellationen beim vom Versuch, Zur Abgrenzung von fehlgeschlagenem, unbeendetem und beendetem Versuch in 24 Abs. 1 StGB, 1992, S. 1 ff. 園田寿「 欠効未遂』について」 法学論集第32巻第 3・4・5 号合併号 (1982) 404頁,江藤隆之「欠効未 遂の概念について」法学研究論集第23号 (2005) 1頁以下。邦訳として.
(19) 110. (桃山法学. 第25号. ’15). は,失敗未遂,失効未遂とも。斉藤誠二「いわゆる失効未遂をめぐって (上) (下)」警研第58巻第1号 (1987) 3頁以下,第58巻第3号 (1987) 3頁以下,金澤真理『中止未遂の本質』(成文堂,平成18・2006年) 170 頁以下, 鈴木一永 「失敗未遂について」 法研論集140号 (2011) 185頁以 下など。 (21). Claus Roxin, Strafrecht AT. Bd. II, 2003, S. 502.. (22). これを任意性の問題であるとする見解が我が国においては圧倒的通説 的であるが,失当である。行為者の身体が取り押さえられている場合, 行為者の主観面の問題などではなく,中止行為の問題であることは明ら かであろう。. (23). Matthias Bergmann, Einzelakts-oder Gesamtbetrachtung beim vom Versuch ?, ZStW, Bd. 100, 1988, 331 f.. (24). たとえば,行為者が離れた場所にいる被害者に向け殺意をもって弾丸 を一発しか込めていない銃を撃ち外れた場合,他の殺害方法もとりえな いならば, これはもはや任意性の検討に入るまでもなく中止できないと いうべきであろう。Vgl. Frank Zieschang, Studienprogram Srafrecht AT., 2. Aufl., 2009, S. 136.. (25). たとえば金澤・前掲注 (20) 192頁。なお,町田行男『中止未遂の理. 論』(現代人文社,平成17・2005年) 191頁以下は,原則として客体の不 存在に限って欠効未遂 (町田の用語法では欠効犯) を認めるという。 (26). そもそも多くの教科書では欠効未遂概念の要否について検討すらされ ていない。. (27). 江藤・前掲注 (20) 1頁以下。ただし,本稿で論ずる「行為基盤の欠 如」の場合については未検討の課題であった。. (28). Hans-Heinrich Jeschck / Thomas Weigend, Strafrecht AT., 5. Aufl., 1995, S. 542 f. 邦訳として西原春夫監訳〔鈴木彰雄訳〕 ドイツ刑法総論』(成 文堂,平成11・1999年) 422頁を引用した。. (29) Vgl. Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 503. (30). Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 505 ff.. (31). Kristian . , Strafrecht AT., 7. Aufl., 2012, S. 536 f.. (32). Diethelm Klesczewski, Strafrecht AT., 2. Aufl., 2012, S.179.. (33). Vgl. Christian
(20). Strafrecht AT., 4. Aufl., 2003, S. 250.. (34) . a. a. O. (Anm. 31), S. 537. Vgl. Hans Joachim Rudolphi, Systematischer Kommentar, 7. teilweise. 8. Aufl., 2003. S. 40. (35). . a. a. O. (Anm. 31), S. 537. また「動機の欠如 (Wegfall des.
(21) 強姦罪における行為基盤の欠如による欠効未遂. 111. Motivs)」 とも。Vgl. Georg Freund, Strafrecht AT., 2. Aufl., 2009, S. 346 f. (36). なお,通常はこの問題は未遂の終了/未終了の区別において問題とさ れている。たとえば,「懲らしめる」のが目的である行為者が未必の殺 意をもって被害者を刺突した後,「懲らしめる」目的は達成されたと感 じて立ち去った場合,その立ち去りが中止に十分であるか否かという観 点から議論されている。Denkzettel-Fall : BGHSt 39, 221. しかし,これ. は中止の可否の問題として取り扱うべきであろう。Vgl. Wolfram Bauer, Die Bedeutung der Entscheidung des Strafsenats des BGH vom 19. 5. 1993 die weitere Entwicklung der Lehre vom strafbefreienden.
(22) . NJW, 1994, S. 2590 ff. Bauer, a. a. O. (Anm. 36), S. 2590 ff.. (37) (38). ただし,ロクシンは動機の欠如の場合,動機は所為外の要素であるた め,所為を無意味なものにしうるがそれをもって欠効となることはなく, あくまで任意性の問題であるという。Roxin, a. a. O. (Anm. 21), S. 516. しかし,大金を手に入れようとしてわずかな金銭しか見つけられなかっ た場合に欠効を認める際に考慮されているのも実は「当該客体を手に入 れたい」ではなく「大金を手に入れたい」という所為外の要素であるこ とを見落としてはならないだろう。行為が無意味になったのなら,行為 者が行為を遂行することは考えられなくなるのであるから,それは行為 者にとって選択肢がなくなったのであって,任意の中止といいうる前提 を欠くことになるというべきであろう。任意の中止は,論理的に行為者 にとって行為遂行がなお可能でありかつ意味があるときにのみ行いうる のである。 なお,ロクシンは予防の必要性が消滅することによる答責性消滅事由 として中止未遂を理解し,その任意性について規範的観点から「犯罪者 の理性説」を主張している。このような規範的考慮によればたしかに動 機の欠如の事例を任意性の問題としても,任意性を否定できるため 理論上はともかく. 実際上の問題は起こらない。ところが,ロクシン. のような規範的色彩を強く帯びた任意性判断を採用しない見解によれば, 動機の欠如について欠効性を認めないかぎり,中止未遂の成立を肯定す る不当な結論にいたりかねないだろう。 (39). Bauer, a. a. O. (Anm. 36), S. 2590 ff.. (40). たとえば,東京地判平14・1・16判時1817号166頁では,被害者が姦淫 を避けるために自ら手淫や口淫をしており,このようにせめて姦淫だけ は避けようと行為者の性欲の減退を企図する被害者は多い。なお,東京.
(23) 112. (桃山法学. 第25号. ’15). 地判平14・1・16で姦淫が未遂に終わった理由は,主に,①被害者の抵 抗によって行為者が射精しないままに陰茎が萎えてしまった,②行為者 が「被害者とは友達になれるかもしれないと思うようになり,嫌がって いるのに強姦してしまうと友達になれないと考え」るにいたったからで あるが,①については基本的な欠効未遂であり,②については行為者が 「被害者と性交ができる関係を維持できる (他の方法で目的達成できる)」 と考えて. 実際にこの行為者は後日自ら被害者に電話し,花火見物に. 誘っている (待ち合わせ場所で逮捕). 姦淫しなかったのだから,②. の理由を強調したとしても行為基盤の欠如による欠効未遂である。.
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