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久遠本仏と諸仏との関係 (第二十六回 日蓮宗教学研究大会紀要)

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Academic year: 2021

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(1)

分身諸仏は見宝塔品において初めて現われるが、それら 分身諸仏は現に十方世界にあって説法しつつあるものとさ れている。分身とは釈尊が神通力によって化作した仏であ り、釈尊と全く同形の仏であるが、釈尊と異なる点が一つ ある。それは、釈尊は分身に対して命令を発する地位にあ り、分身は釈尊の命令を受ける地位にある、ということで ある。同時に存在する諸仏に於て命令をするものとされる ものとの格差が生じたのは見宝塔品が初めてである。釈尊 の命令は白毫の一光を放つという形をとって発せられ、こ の命令に従って分身諸仏は還って一処に集まるのであるが ﹁還る﹂ことが命令によって行われた以上、﹁往く﹂こと も命令によって行われたと見るべく、分身諸仏は釈尊によ って化作され、十方世界に派過されたと見るべきであろ う。この派遮の時期は見宝塔品以前法師品以後であり、そ の派遣の叙述は省略されたと見るべきであろう。 見宝塔品以前の説相に従えば、十方世界には分身諸仏が

久遠本仏と諸仏との関係

村野宣忠

派遣される以前に既に現在諸仏が居られる。分身諸仏の派 過によって十方世界の諸仏は増員されたのか。分身諸仏と 現在諸仏との関係如何。 これらの問題を解決するに当って、十方世界は有限であ るか無限であるかを先ず考える必要がある。見宝塔品に ﹁仏白毫の一光を放ちたもうに、東方五百万億那由佗恒河 沙等の国土を見たてまつる﹂とあるが、これは﹁東方にあ る無限の世界のうち見えたのは五百万億那由佗恒河沙等の 国土だけであって、その先にある国土は見えなかった﹂と いう意味ではなく、﹁東方には五百万億那由佗恒河沙等の 国土があり、それが全部見えた﹂という意味であろう。数 の表現は如何に大きくとも、十方世界の国土の数は有限で あると見るべきであろう。一国土には一仏しか存在しな い。唯我一人能為救謹の句の成立する所以である。十方世 界の各国土には既に現在諸仏の一仏が居られる。余仏の入 る余裕はない筈である。しかるに実際において分身諸仏は 十方世界に到って説法された。これは如何にして可能であ ったか。 化作は創造ではない。法師品の﹁化の四衆﹂は仏が創造 した四衆という意味ではなく、現実に存在する四衆が仏に 化作されたという自覚を持った場合の呼称と見るべきであ (130)

(2)

ろう。これと同様に、分身詣仏とは現在諸仏が﹁私達は釈 尊の分身である﹂と宣言した場合の呼称と見るべきであろ う。分身諸仏は現在諸仏と別個の存在ではなく、現在諸仏 と全同である。釈尊が分身を化作したということは、釈尊 が﹁私は現在諸仏の本仏である﹂と宣言したことを意味す るものであり、これは叉同時に、現在諸仏が﹁私達は釈尊 の分身である﹂と宣言したことを意味するものでもある。 本仏という概念は空間的に現在諸仏を統一したものとして 既に見宝塔励に現われていると見るべきであろう。 多宝如来はその誓願にも不拘法華経を説かれた日月灯明 仏や大通智勝仏を讃歎されなかった。その理由はこれらの 諸仏はその出世当時の現在諸仏の本仏であることを宣言さ れなかったからであると見るべきであろう。釈尊が現在諸 仏の本仏たることを宣言された時多宝如来は初めて出現し て釈尊を讃歎された。讃歎はその仏の所説が真実であるこ とを認めた時初めて可能である、真実であるか否か不明の まま讃歎するものはいない。﹁証明を作して讃めて善哉と いわん﹂という場合の証明は讃歎の一部を存するものであ る。事務的に発行される証明書に使用される証明には讃歎 の意味は伴わない。讃歎という語があれば証明という語が なくとも証明が含まれている。 多宝如来は﹁この経を聴かんがための故に﹂﹁法華経を 説くを聞かんがための故に﹂﹁来至せり﹂とあり、﹁証明 のために﹂とはない。多宝如来の証明は法華経の真実性に 不可欠のものではない。釈尊が十方現在の諸仏の本仏であ るという真理は多宝如来の証明がなくとも微動だもしな い。ただし一般大衆にとっては、多宝如来という過去仏が 現在仏である釈尊を讃歎したことは釈尊の本仏としての資 格に客観性が与えられたものと受取られたであろう。この 限りにおいて多宝如来の出現は効果があったといえよう。 しかしこの効果はそれ以上には出なかった。釈尊の次の課 題は過去仏を統一することにあった。そのためには多宝如 来の存在はむしろ障害ですらあった。寿量品において多宝 如来の存在が完全に無視されているのはこのためである。 一尊四士説はこの寿量品の説相に論拠を求めようとするも のであり、一塔両尊四土説は寿量品の前後の諸品の説相に 論拠を求めようとするものである。 ︵以下略︶ (131)

参照

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