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ソクラテスについて

著者名(日)

末次 弘

雑誌名

井上円了センター年報

11

ページ

173-187

発行年

2002-07-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002735/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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ソクラテスについて

末次弘

﹂ミ§Cミ§ミ   一  哲学堂祭での講演の話が廻ってくるたびに、自分の専門は現代フランス哲学だからと言って、わたしは逃げを うってきました。言うまでもなく、真の意味で哲学がその人から始まったとされるソクラテス︵。り。ζ巴。°。︶にか んして、﹁専門が違う﹂と言うのは明らかに口実です。しかし、ソクラテスとはどのような人物で、どのような 主張をした哲学者であるかを話せと言われますと、わたしは困ってしまうのです。今回も、﹁他の人に﹂と言っ たのですが、考えてみれば、三〇年このかた、わたしは﹁哲学館﹂をもって始まった東洋大学で哲学を教えてい るのです。﹁専門が違う﹂などという口実はもう止めにしようと決心し、恥を曝す覚悟で、ここへ参りました。  覚悟はしたものの困惑が解消されたわけではありません。ソクラテスという哲学者は本当に、困った人なので す。彼は自分では一冊の本も書いてはおりません。文字通り、業績はゼロなのに、哲学の祖であるからです。ソ クラテスの人となり、考えを知るには彼について書かれた著作によるほかありません。ところが、そうした著書 や論文となりますと、山のようにあって、どこから手をつけたらよいのか分らない始末です。さしあたり、ソク ラテスにかんする著作のうち、彼と同時代の人によって書かれたものを一次資料、それ以外のものを二次資料と 173 ソクラテKについて

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して区分けし、 次資料だけを残しますと、資料の山はだいぶ小さくなります。  一次資料にはソクラテスの弟子であったクセノフォン︵×雪・菩○旦とプラトン︵コ巴。コ︶によって書かれたい くつもの著書、それに喜劇作家・アリストファネス︵︾﹁⋮°・9菩①詫゜。︶の﹃雲﹄があります。アテネの軍人で、歴史 家でもあったクセノフォンのものはさしあたり、﹃想い出﹄、﹃ソクラテスの弁明﹄と﹃饗宴﹄、プラトンのものは ﹃ソクラテスの弁明﹄と三〇近い対話篇があげられます。これらを補足するものとして、ソクラテス死後、既存 の資料に基づいて書かれたアリストテレス︵﹀﹁団oρ︷Oけ6ω︶の﹃形而上学﹄とディオゲネス・ラエルティオス ︵90σq雪①゜・冨〇三〇乙・︶の﹃ギリシャ哲学者列伝﹄を加えるべきでしょう。  これらの資料を読むことは大変ですが、不可能ではありません。しかし、すべてを読んだとしても、わたした ちはソクラテスについて確かなことを言えるようになるわけではありません。と言いますのも、第一に、これら の著作に表現されたソクラテスはあくまでも作者たちによって、それぞれの仕方で捉えられ、理解された限りの ものであって、それをそのまま、ソクラテスであると主張することはできないからです。たとえば、ソクラテス を偲んで書かれたクセノフォンの﹃想い出﹄を読んだときのソクラテス像と、プラトンの対話篇のどれか一つを 読んだときに得られるソクラテス像との間には大きなずれがあります。第二に、プラトンは八〇歳で死ぬまで著 述を続けましたが、思索の深まりにつれて作品に描かれるソクラテスは変化を遂げておりますので、プラトン  人にかぎっても、統一したソクラテス像を取り出すことは大変な仕事になるからです。  こうして、たとえ資料を一次的なものに限りましても、わたしは困惑からまだ抜けだせません。ソクラテスに ついて確かなこと、あるいは、せめて確からしいことをこれらの資料から引き出すためには、さらなる限定をし なければなりません。そこで、わたしは紀元前三九九年に行われましたソクラテス裁判に注目しようと思いま 174

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す。皆さんもご承知のように、ソクラテスは訴えられ、死刑の判決を受け、毒杯を岬って死にました。罪状は ﹁青年を腐敗させ、国家の認める神々を認めず、別の新しい鬼神︵ダイモーン︶のたぐいを祭る﹂︵−︶というもの でした。この悪評高い裁判に限定してソクラテスに接近しようとするのは次のような理由からです。  第一に、クセノフォンも、プラトンも共に﹃ソクラテスの弁明﹄という題の著書を書いております。第二に、 どちらもソクラテス死後、一〇年以内に書かれたと推定されており、裁判に関係のあった人たちの多くがまだ生 存しているため、大きく事実に反することは書かれていないと見なされております︵2︶。第三に、プラトンの手 になる﹃ソクラテスの弁明﹄によれば、ソクラテスは最初の告訴と後でなされた告訴とを区別し、二段階にわけ て弁明をいたしますが、最初の告訴は告発人の名前さえ解らない、古くからの、いっそう手強い偏見であると見 なされています。ただし、そこに一つだけ、アリストファネスの名前があり、彼の﹃雲﹄という戯曲のうちに最 初になされた告訴の内容を、わたしたちは窺うことができるからです。   ニ  ソクラテスにかんする第一次資料のうち、まず、アリストファネスの﹃雲﹄という作品を取り上げることにし ます。  ﹃雲﹄は紀元前四二一二年、ディオニュソス祭の競演のとき、初演され、最下位の三位になりました。アリスト ファネスは不評だったこの作品に手をいれますが、改訂された﹁雲﹄は上演されなかったようです。現存するテ キストは手を加えられた方であると考えられています。﹃雲﹄上演のとき、アリストファネスは二二歳、ソクラ テスは四六歳にあたります。 175 ソクフiスについて

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 最初に、﹃雲﹄という作品を簡単に紹介し、次いで、この作品においてソクラテスがどのように描かれている かを見ることにします。﹃雲﹄は喜劇ですので、物語の筋と言えるほどのものはありませんが、おおまかに言え ば、以下のような内容です。  主人公は一人の田舎紳士です。彼の息子が馬を飼い、戦車を走らせるという金のかかる紳士の遊びに夢中にな り、お金を使いまくるので、田舎紳士は借金をこさえ、返済を迫られ、裁判に訴えられそうで、困り果てていま す。一晩考えたすえ、彼は隣にあるソクラテスの道場に息子を入れ、弁論術を習わせ、息子が黒を白と言いくる める能力を身につけることで、窮地を切り抜けようとします。ところが、息子は父親の頼みを聞き入れません。 それで、彼自身が道場に行き、コ文も支払わない方法﹂を教えてくれるよう、ソクラテスに頼み、入門します。  田舎紳士は道場でいろいろなことを教わり、訓練を受けるのですが、習ったことを片端から忘れてしまうの で、ソクラテスは匙を投げてしまいます。途方にくれた紳士は神様にすがり、嫌がる息子を道場に連れてきま す。そして、彼はソクラテスに、﹁あらゆる正当な弁論の反駁術﹂を息子に教えて欲しいと頼みます。  道楽息子がどのくらい道場に居たのか示されていませんが、借りた金の利子を払わなければならない丁度その 日、田舎紳士は謝礼をもって、息子を迎えにソクラテスのもとへ行きます。帰り道、利子の支払いのことを心配 していた父親は息子が道場で身につけた誰弁を使うのを見て、すっかり喜びます。二人が家に帰ると、さっそ く、借金取りが来ます。しかし、田舎紳士は自分も誰弁を弄して、彼らを追い返してしまいます。気をよくした 父親は息子と一緒に酒を飲み始めますが、酒盛りの最中、父親が息子に歌を唄うよう求めたことから口論にな り、ついに、息子が父親をめちゃくちゃに殴ります。田舎紳士がどうして親を殴るのかと詰問すると、息子はソ クラテスの道場で身につけた﹁精妙な議論と思索﹂でもって、子供が父親を殴ることの正当性をまくしたてたあ 176

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げくに、母親をも殴ると言いだす始末です。父親は困ってしまい、自分のしたことを後悔し、隣に行って、ソク ラテスの道場に火をつけます。  ﹃雲﹄に描かれたソクラテス像の特徴としては次の二点を取り出すことができるでしょう。  第一に、ソクラテスはソフィストとして描かれています。彼は道場を持ち、入門した弟子たちから謝礼をとっ て、彼らに教育をしています。彼の道場で行われる教育はこんなふうに表現されています。﹁人の噂ではあの人 たちのところには二つの理論があるという、強い方と劣った方とだ。その中の、劣った方を、悪いことを弁じな がら勝たせると言うことだ﹂͡3︶要するに、﹁金さえ払えば、この人たちは弁論で、正しいか正しくないかおかま いなし、勝つ術を教えてくれる﹂︵4︶のです。実際、喜劇の終わりの方で、息子を迎えに来た田舎紳士はソクラテ スに謝礼を渡し、息子が反駁術を学んだかと尋ねると、ソクラテスは﹁体得した﹂、﹁だからお前はどんな訴訟で も逃げられる﹂͡5︶と答えます。  第二に、ソクラテスは自然探究者で、アテネの神々を否定し、︿雲﹀を神と信じる者として描かれています。 田舎紳士が入門を決意し、道場を訪ねたとき、ソクラテスは建物の上で移動式の籠に乗り、空や太陽を観察して います。何故、そのようなことをしているかと聞かれて、ソクラテスは答えます。﹁まことに、わが精神をば宙 にかけて、鋭き思索を同類の大気と混合せずんば、天空の事象を正しく見取ることはかなわぬ﹂︹6︶また、ソクラ テスは雲の女神を信じていることになっています。﹁天つ雲の女神⋮⋮この女神がたは判断、対話法、理性をわ しらに与えてくださる、それから法螺貝式威圧法、椀曲法、粉砕術に把握術﹂︵7︶も。﹁このかたがただけが神さ まだ、ほかのみんなはたわ言だ﹂、﹁ゼウスなんかいないよ﹂︵8︶と、ソクラテスは田舎紳士に言います。  最後に、ソクラテスの風貌は次のように描かれています。﹁髪もからず、油も塗らず、身体を洗いに風呂にも 177 ソクブ[スについて

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行ったことがない﹂︹旦、﹁悪漢どもですね、知っていますよ。あの法螺吹き、なまっ白い顔の、裸足の連中だ、 あの情けないソクラテスにカイレポンの連中だ﹂︹10︶  ﹃雲﹄はフィクションですから、当然、歴史的な事実を在るがままに表現しませんし、喜劇というジャンルか らして、誇張や当てこすりなどが含まれているはずです。それでも、この作品は当時のソクラテスを素材として いる以上、なんらかの程度において事実を、少なくともアテネの人々によって捉えられたソクラテス像の或る面 を映していると思われます。それはともあれ、驚くべきことにこの作品には二四年後、ソクラテスがアテネの法 廷に訴えられたときの罪状が既に三つとも示されています。 178   三  弟子たちによって書かれた二つの﹃ソクラテスの弁明﹄をゆっくり紹介する時間がありませんので、わたしは それぞれがどのように構成されているかを、次いで、どのようなところに特徴があるかを手短に示そうと思いま す。  まず、クセノフォンによる﹃ソクラテスの弁明﹄ですが、これは ○頁ほどのごく短い作品です。クセノフォ ンは若い頃からソクラテスの弟子でした。紀元前四〇一年、三一歳のとき、彼は友人のすすめで、ペルシャ王の 弟、キューロスのバビロニア遠征に非軍人として参加します。ペルシャ軍の敗北で友人が殺されたとき、クセノ フォンは生き残ったギリシャ人兵士のすべてを率いる将軍に選ばれ、たいへんな危険と戴難を嘗め、途中、スパ ルタの傭兵として戦ったりしながら、七年後にアテネへ帰ってきます。ところが、その年、彼はスパルタびいき の答でアテネを追放されてしまいます。それを知ったスパルタ王は恩義に報いるべく、彼をスパルタに迎え入

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れ、広大な荘園を贈ります。この地で、クセノフォンは著述を始めるのですが、ソクラテスの裁判のとき居あわ すことができなかったので、彼は友人のヘルモゲネス︵=隅∋oひq窪6c。︶から事情を聞きます。ヘルモゲネスはソ クラテスの忠実な弟子で、師の裁判や死に立ち会った人物です。  クセノフォンによる﹃ソクラテスの弁明﹄は序にあたる部分を除けば、ω法廷に出頭する以前のソクラテス、 ②法廷におけるソクラテス、③法廷を後にしたソクラテス、これら三つの部分で構成されています。言うまでも なく、クセノフォンは法廷における弁明の記述に一番多くの頁を割き、ソクラテスが潔白であることを証明して おります。しかしそれと同時に、彼は法延におけるソクラテスの言葉がたいへん高慢であったことに説明を与え ようとしております。彼の解釈はほぼ次のようにまとめられるでしょう。︿ソクラテスは人生の終わりにさしか かっており、彼を待っているのは老いからくるさまざまな不都合と悲惨なことだけである。それで、今、死ぬこ とはこれらを避けることができるし、彼にとっても一番受け入れやすい上に、愛している人々から最も惜しまれ ることだろう。つまり、ソクラテスは﹁死を生よりもずっと望ましいものと考えた﹂それゆえ、自分の言葉が陪 審員の人々を不快にすることがあっても、彼にとってそれは少しも重要ではなかった﹀︵11︶  プラトンによる﹃ソクラテスの弁明﹄は﹃クリトン﹄、﹃パイドン﹄と共に、ソクラテスの裁判と彼の死を扱っ た三部作の一つであります。古代ギリシャの昔、テセウスが勝利を獲て帰国したことを感謝するため、アテネで は毎年、デロス島のアポロン神に供え物をするのが習わしとなっていました。ちょうど、ソクラテスの裁判が行 われる前の日、祭使を遣わす船がデロス島へ出港しましたが、この船がアテネに戻ってくるまで、市全体を清浄 に保つ意味で、刑の執行などは行われませんでした。﹃クリトン﹄という対話篇はデロス島に向かった船が三〇 日ぶりに、戻ってくるとの知らせを聞き、友人のクリトンが朝早く、獄中のソクラテスのもとにきて、脱獄をす 179 ソクフテスについて

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すめる話です。また、﹃パイドン﹄は翌日、ソクラテスが毒を飲んで死ぬその一日を描いた対話篇で、これはプ ラトン中期の作品になります。  ﹃ソクラテスの弁明﹄の構成は、ω告訴にたいする弁論、②有罪決定後の刑量にかんする弁論、③死刑確定後、 陪審員たちにたいしてなされる弁論、これら三つの部分から成り立っています。分量の点では②の刑量にたいす るソクラテスの申し立てが最も少なく、一頁足らずで、③の死刑確定後になされる彼の発言は全体の三分の一程 度です。こうして、分量の上でも、内容から見ても、ωの告訴にたいするソクラテスの弁明がこの作品の中心で す。それで、法廷における彼の弁明がどのような順序で為されたかを、ざっと、見ておくことにします。  ソクラテスの弁明は既に触れましたように、旧くからの告訴にたいするものと、メレトス、アニュトス、リュ コーンによってなされた正式の告訴にたいするものとの二つに分けて行われます。旧くからの告訴、つまり、旧 くからの弾劾はソクラテスが賢者で、自然探究者であり、悪事をまげて善事となし、これらのことを他人に教え ているというものです。こうした誹諸は以前から、多くの人々によってなされ、信じやすい若者に偏見を抱かせ ることになったものです。それは匿名であるので、手の打ちようがなく、正式の告訴よりもいっそう、手強い と、ソクラテスは考えております。彼は自分が自然探究者でないし、この種のことを他人に教えたりしたことは ないと述べたあと、裁判に訴えられるほどの悪評と名声とが自分に向けられるようになったのは友人のカイレフ ォンのもたらした神託をめぐって始まったことを話します。次いで、正式の告訴にたいして、ソクラテスは告訴 人の一人・メレトスを直接、尋問することによって、訴状にあげられているような罪を何一つ、犯していないこ とを証明します。古代ギリシャの法律では、被告は法廷において原告に直接、尋問することが許され、また原告 はこれに答える義務がありました。そして後半で、ソクラテスは自分が罪を着せられるとすれば、なにより、多 180

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くの人たちの中傷と嫉妬によるものだと言い、こうした中傷と嫉妬のもとになったであろう自分の使命がどのよ うな性質のものであるかを語ります。最後に、彼は自分も人間から生まれた者であって、家族もあり、幼い子供 を含めて三人の息子があるが、こうした家族や友人たちに法廷へ出てもらい、哀訴嘆願しない理由を述べており ます。というのも、当時の習慣として被告人は有利な判決を勝ち取るため、家族や友人たちを陪審員の前に並 べ、感情に訴え、嘆願するのを常としたからです。  プラトンによって書かれた﹃ソクラテスの弁明﹄はクセノフォンのそれより、分量も多く、構成も緊密で、ソ クラテス自身の活動と考えとが一層、豊かに、また自伝的要素をまじえながら、生き生きと描かれております。 そこでは、神から与えられた使命をなによりも第一に、またどこまでも果たそうとするソクラテスが人々に馴染 んだ﹁ありあわせの言葉でもって﹂、力強く、自信に満ちてひたすら﹁真実﹂のみを語っています。   四  紀元前三九九年に起ったソクラテスの裁判という歴史的出来事に焦点を絞ることによって、わたしは彼にかん する一次資料のうちから三つの作品を選び、それらを概略的に見てきました。これからいよいよ、ソクラテスそ の人に近づかなければならないのですが、手掛りとなるものが必要です。どこにそれを求めたらいいのでしょう か? クセノフォンも、プラトンも共に言及しているような出来事があれば、それを手掛りにするのが恐らく好 ましいでしょう。そのようなものとして、ソクラテスの友人・カイレフォンが或るとき、デルフォイの神殿に赴 き、﹁ソクラテス以上に知恵のある者がいるか﹂との伺いを立てたことがあげられましょう。カレイフォンの伺 いにたいするアポロン神の答えは巫女をとおして告げられましたが、その内容はクセノフォンの伝えるものとプ 181 ワンララ.Aについこ

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ラトンのそれとの間にいくらかの違いがあります。しかし、﹁ソクラテスよりも知恵ある者は誰れもいない﹂と いう答えは両者とも共通しています。また、カレイフォンから神託の話を聞いて以来、ソクラテスが知を求める 彼独自の活動を始めたことも、それぞれの仕方で述べられております。したがって、カレイフォンがデルフォイ の神殿に行き、伺いを立てたという出来事は歴史上の事実と見なされうるでしょう。  さて、ソクラテスが神託をどのように受け取り、どのような活動を展開したかについて、プラトンは詳しく述 べていますが、クセノフォンは旦ハ体的な仕方では何も書いていません。それで、これらのことはプラトンの手に なる﹃ソクラテスの弁明﹄にそって見ていくほかありません。  自分が何事においても知恵ある者でないことを自覚していたソクラテスはデルフォイ神殿の神託をカレイフォ ンから聞いて、当惑します。﹁いったい何を神は言おうとしているの﹂︵12︶か知ろうと、彼は永い間、思い迷った すえ、神託を次のような仕方で受け止めようとします。﹁それは誰か、知恵があると思われている者のうちの一 人を訪ね⋮⋮ほら、この者のほうが、わたしよりも知恵があるのです。それだのに、あなたはわたしを、知者だ と言われた﹂︵13︶と言って、ソクラテスは神託に反駁しようと考えたのです。ところが、知者と問答しているう ち、知恵ある人と思われ、自分でもそう思いこんでいるらしいその相手が実は、そうではないことに気づき、ソ クラテスはそのことをはっきりと解らせようとして、憎まれる結果になります。それでも、彼は知恵があると思 われる人々を次々に訪ねては、問答を重ねていきます。﹁いまもなおわたしが、そこらを歩きまわって、この町 の者でも、よそ者でも、誰か知恵ある者だと思えば神の指図に従って、これを探して、しらべているわけなので す。そして知恵があると思えない場合には、神の手助けとして、知者でないそということを、明らかにしている のです。﹂︵14︶ 182

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 このように、知者と見なされている人々を掴まえ、詮索し、知恵があると思えないとき、知者でないことを相 手に明らかにするという活動を、ソクラテスは神から与えられた命令として受け取っています。彼は目上の人に よってどこかの場所に配置された場合、死も他のいかなることも勘定に入れず、その場に踏み止まり、危険を冒 すべきだと考える人ですから、それが神の命令であるとき、次のような言葉もけして誇張ではないでしょう。 ﹁この仕事が忙しいために、公私いずれのことも、これぞと言うほどのことを行う暇がなく、ひどい貧乏をして いるのですが、これも神に仕えるためだったのです。﹂︵15︶  わたしはソクラテスが神託をどのような仕方で、またどのようなものとして受け取ったかを見てきましたが、 そのなかで既に彼がどのような活動を行ったかが示されました。すなわち、ソクラテスの活動とは知者と思われ ている人々を訪ね、問答することをとおして、相手が本当に知恵ある人であるか、ないかを詮索し、知恵がない と思われるとき、そのことを相手に明らかにするというものです。それにしても、ソクラテスの活動は知恵があ ると思われている人々を詮索することに尽きるのでしょうかP 彼は知者と思われている人々としか問答を行わ なかったのでしょうか?  法廷における弁論で、ソクラテスはこんなことを言っています。﹁しかし誰かが、わたしの本業としての、わ たしの話を聞きたいというひとがあるなら、老若を問わず、その何びとにも、聞かせることを惜しんだことはい まだかってありません。⋮⋮金持ちからも、貧乏人からも同じように、質問を受けることにしているのであっ て、またもし希望があれば、むしろ答え手になってもらって、わたしの言わんとするところを聞いてもらうこと にしているのです。﹂︵16︶また別なところで、彼はアテネの町を歩き廻って、﹁諸君のうちの若い人にも年寄りに も、誰にでも﹂︵17︶次に要約するような彼の考えを説いているのだと語っております。︿魂ができるだけ優れたよ 183 ソクラ〒1につ」・て

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いものとなるよう気をつかわねばならない。魂よりも先に、もしくは同じ程度に、身体や金銭のことを気にして はならない。なぜなら、金銭をいくらつんでも、それによって魂のよさは生まれてはこないし、金銭やその他の ものが人間のために善いものとなるのは魂のよさ︵徳︶によるのだから。﹀︹18︶そして、ソクラテスは次のような 人々を非難しております。︿魂に気をつかうといういちぼん大切なことをいちばん粗末にし、つまらないことを 不相応に大切にしている人々、評判や地位のことは気にしても、思慮と真実には気をつかわず、魂をすぐれたよ いものにするよう、心に用いないような人々を﹀︹19︶  これらの言葉を見ますと、ソクラテスの活動は神託との関連で始まった知者と思われる人を詮索するものと、 アテネの人々すべてに魂にたいする配慮を説くものとの二つから成り立っております。そして、これら二つの活 動は彼にとっては一つの源から出たものと言えましょう。それは次に要約する彼の喩えによる話がよく示してお ります。︿ここに一匹の馬がいるとして、それは素性のよい大きな馬であるが、大きいため、かえって、鈍いと ころがあり、眼を醒ましているのにはアブが必要である。ちょうどそのように、神はわたしをアブのようなもの として、このアテネにくっつけたのではないかと、思われる。つまり、わたしはあなた方を目覚めさせるため、 どこへでもついて行って、一日中説得したり、非難したりするのだ﹀︹20︶  こうして、ソクラテスの活動は身体や金銭のこと、評判や地位などを不相応に大切にすることで魂が曇らされ たり、眠りこむことのないよう、また思慮と真実に気をつかうことによって魂を優れた善きものとするように、 自分自身、努めつつ、人々に語りかけることであったと言えましょう。これらの活動こそがソクラテスにとっ て、知を愛し求めること、すなわち、︿哲学すること﹀であったのです。 184

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  五  ソクラテスの人と思想に近づくため、わたしは二人の弟子によって書かれた﹃ソクラテスの弁明﹄に即し、ソ クラテスをその活動において捉えることにしました。それを終えた今、わたしは次のような帰結を引き出すこと ができるように思います。すなわち、ソクラテスとは生涯、人々の問で自由な問答を行うという仕方で知を愛し 求め、また人々に魂への配慮を倦むことなく、無償で説いた活動そのものである。ところで、出発にあたって、 わたしは三人の同時代人の著作に問いかけるという方法を採りましたので、最後に、これらの作品をとおして浮 かび上がってくるソクラテス像をそれぞれ取り出し、それらが一つのものに結ばれ得るものなら、そうした上 で、結びにしたいと思います。  まず、プラトンは﹁ソクラテスの弁明﹄において、師・ソクラテスを描くさい、神託との関連で始まった知者 と思われる人を詮索する活動に力点をおいていますので、それを読むとき、真実のためには死をも辞さない、使 命感の強い正義の人というソクラテス像が立ち現われます。クセノフォンによる﹃ソクラテスの弁明﹄をとおし て、清廉潔白な、無欲で誇り高いけれど、死刑の判決に涙する弟子を優しく慰める円熟した、あるいは老いの気 配さえ漂うソクラテス像が浮かび上がります。また、アリストファネスの描くソクラテスは狡賢く、怪しげな人 物に映ります。  三つの著作をとおして得られるソクラテス像はそのうちのどれか一つだけが真実であると見なすよりも、それ ぞれがソクラテスその人を三様に伝えていると考える方が妥当なのではないでしょうか。そうだとしますと、次 のようなソクラテス像がわたしには想い描かれるのです。すなわち、真実を語り、真実のためには死をも辞さな いけれども、この力強さは優しさによって裏打ちされており、それでいてどこかデモーニッシュな異様さの漂う 185 噛ノ ク ラ r /〈こ〆2Lirご

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人として。もしこれにデイオゲネス・ラエルティオスの伝えるクサンティッペについての逸話を加えるとします と、ソクラテスはユーモアのある感性豊かな人でもあったと言えましょう。始めのうちはガミガミ小言を言って いたが、ついにソクラテスに水をぶっかけた妻にたいして、︿ほうら、クサンティッペがゴロゴロと鳴りだした ら、雨を降らせるぞと言っていたではないか﹀︹21︶このように、彼は応じたというのです。  井上円了先生は四聖人︵22︶を﹁その人物人格、その性徳言行、いずれもが⋮⋮模範とし手本とすべき人﹂︵23︶とし て、ここ、哲学堂に祭られました。けれども、わたしは知を愛し求める活動においても、妻にたいする態度にお いても、ソクラテスを﹁模範とし手本﹂とすることはとてもできません。でも、﹁人間の知恵というものは何か もうまるで価値のないもの﹂︵24︶という知の絶対化の拒否、つまり、善美のことがらについて何も知らないから知 らないと思っていると・王張する﹁無知の知﹂を徹底的に生き抜いたソクラテスを、せめて、﹁手本﹂にしたいと 思っております。 186  本稿は、 す。 二〇〇一年二月三日に東京都中野区の哲学堂公園で挙行された哲学堂祭の記念講演で話したもので

AAAA 

旦旦旦↓注

    一

プラトン全集ω六八頁︵岩波書店 一九七五︶ ﹃裁かれたソクラテス﹄T・C・ブリックハウス、 ﹃雲﹄↓五頁︵岩波文庫 一九五七︶ 同 一四頁 N・D・スミス︵東海大学出版 一九九四︶

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  A   A    A   A   A    A    A    A    A   A    A    A   A       A    A    A   A   A 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9  8  7  6  5 )    )   )    )    )    )    )    )    )    )    )    )    )    )    )    )   )    )    )   

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八二頁 二二頁 二八頁 三二頁 六三頁 一四頁 ×国ZO℃=○之出讐五已2ー>Oo言笹oαoo∩o自巴o プラトン全集ω六一頁

同同同同同同同同

﹃ギリシア哲学者列伝︵ヒ︶﹄一四七頁︵岩波文庫 釈迦、       カント 井上円了選集②六九頁︵東洋大学 一九八七︶ プラトン全集ω六六頁 六一頁 六六頁 六六頁 九二頁 八四頁 八四∼八五頁 八四頁 八六∼八七頁 ]〇九∼一一〇頁︵ピo°・出Φ=①⑩[①江目゜。℃①﹁尻、 ]九六一︶ 一九八二︶ 187 1ノフラテス}こ’)し1’こ

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