韓半島沿海捕鯨と資料の問題 ; 2
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(2) 2. 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. ・文化的 システムの制度疲労 ,さ らにおそ らくは鯨類資源減少や気象変動 な どのファクターが複合 され,慢 性的な不況 に陥 つていた。明治期 に日本沿岸 域 の海洋哺乳類資源利用 を一貫 して報 じて きた唯一の水産業界誌 『大 日本水 産會報 (告 )』 の各種調査報告 は,現 在捕鯨 を地域 アイデ ンテ ィテ イのシン ボルとして使用す る地域の捕鯨 が,慢 性的な不漁 に苦 しんでいたことを示 し てい る。 この苦境 に対 して,1870年 代 頃か ら鯨類 をふ くむ新 たな海洋哺乳 類資源利用技術 の開発 と漁場開発 が始 まる。 この動 きは当初 ,個 人的で散発的な試みに過 ぎなか ったが,や がて官民 を 巻 き込んだ産業運動へ と展開 され,半 官半民 の漁業団体 である「大 日本水産 会」,地 方政府 の水産関係部局,政 府水産関係省庁 が種 々の試 みを実行 して い く。その一つ,そ して もっとも「成功」 を治めたものに「朝鮮通漁」 の動 きに乗 って新 たな漁場 を韓半島沿海域 にもとめる動 きがあ った。 ただ,「 韓 1〕 」 で も述べ たとお り,こ の動 きに関する研究 半島沿海捕鯨 と資料 の問題 〔. は多 くの課題 を残 したままであ り,一 連 の動 きの具体的 「事実関係」 です ら 未解明の点が多 い。今 まで,日 本 にお ける捕鯨史研究 は韓半島沿海捕鯨 のテ ーマ をほとんど対象 として扱 えなか った。 とはいえ,韓 半島沿海域 の捕鯨活 動 に関 して基本的な記録や先行研究がい くつかある。 当時最大 の捕鯨会社 だった東洋捕鯨株式会社社史 の 『本邦 の諾威式捕鯨 誌』 (1910),F大 日本水産會報』 に収録 された記事や作家江見水蔭 『実録捕 鯨船』 のような ドキュメンタ リーは記録 として も重要だ。 またアメリカ自然 誌博物館学芸員 で,20世 紀初頭 の 日本列 島及 び韓半 島 の捕鯨基地 を訪 間 し,捕 鯨産業 の現場 を映像資料 とともに記録 した Roy Chapman Andrewsの. L物 ル″ κ′g″ たG“ 4 ακご働 ι (1916)な どの検討 も必要 となる。ちな jκ. j′. ““ “ みに,こ こには,紀 伊大島や宮城県鮎川,韓 国慶尚南道蔚山などに水揚げさ れる鯨類 の資料. (と. りわけ Korean Gray Whaleと 呼 ばれる コク鯨 アジア系. 群)と 捕鯨活動 が写真 とともに記録 されてい る。 これ以外 にも相 当数 の記録 1〕 」 で捕鯨関 ドキュメン トがあ り,す でに「韓半島沿海捕鯨 と資料 の問題 〔. 連 日本側資料 として 4グ ループに分類 しておいた。 また研究書 としては,例.
(3) 森. 田. 勝. 昭. えば,1979年 に石田好数が 『日本漁民史』で,日 本 の捕鯨勢力が韓半 島東 海岸域へ進出する過程 を,植 民地化 プロセス とい う大 きな コンテクス トと零 細漁民 と巨大漁業資本 の対立 を軸 に描 き出 した ことが あ った (石 田,1979)。 近年 は,鳥 巣京一が九州地方 の捕鯨関連資料 を発掘 し,ロ シアによるノルウ エー式捕鯨や韓半島沿海域へ進出する日本 の捕鯨会社 の記述 に着手 してい る 鳥巣 ,1994,1999〕 。 ただ研究 の数 自体 まだ少な く,ま た日本語資料 の批判 〔 的利用 とい うプロセスが不十分 なうえ,韓 国側資料利用 にいたってはほとん ど進んでい ない とい うのが実情 であ る。 「韓半島沿海捕鯨 と資料 の問題 〔 1〕 」 では,韓 国語資料 とい う視点 を導入 する手始めに,釜 山水産大学校 の■. 子 り教授 による『韓半島沿海捕鯨史』. (1995)で 言及 される韓国語資料 とこの韓国研究者 による捕鯨 史 の一端 を紹 介 した。 ここで もこの作業を引 き続 き行 なう。. 1.Kttzerlingの 捕 鯨 活 動 (2):捕 鯨 特 許 契 約 1894年 か ら 1898年 まで Kttzerlingの 捕鯨活動 は,正 式 の捕鯨特許契約 を 締結 しない ままい わば「違法」 に行 われてい た。■ はその 間,Kttzerling捕 鯨船団が次第に成績 をあげていったこと,ま た鯨体解剖 のため不法 に各地 の 港 に侵入 した こと,そ れに対 して韓国政府 が抗議 を繰 り返 していたことを報 告 してい る。彎 はこの期間を Kqzerling捕 鯨 の「前期」 とし,捕 鯨基地租借 捕鯨条約締結 ,事 業 の株式会社化 ,母 船式技術導入 , 日露戦争 による打撃. ,. 廃業 にい たる 1899年 ∼1912年 までを「後期」 とす る。後期 に関す る記録 は はるかに多 く,韓 国語資料 も増加 してい る。 さて,「 後期」 の Kttzerling捕 鯨 を見 てゆこう。 ロシアによる捕鯨特許契約締結 にむけた「力」 による交渉の過程 を,■ は 主 として韓国政府資料 ,韓 国語新聞, 日本政府外交資料 を利用 して再構成 し てい る。韓国側 の資料 としては ロシアの強硬 な要求 に対応す る韓国政府 の記 録 「各部請議書存案」,「 俄案」,そ の経緯 を伝 えるジャー ナ リズム「号U型.
(4) 4. 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. 是」 (独 立新聞),「 皇城新聞」, 日本語 としては交渉の経緯 を外交活動 レベ ル で伝 える「中韓 日本公使館記録」 などがある。 1899年 ,ロ シア捕鯨船 の鎮浦不法 入港問題が持 ち上が っている頃,ロ シ アは「合法的」捕鯨 を実現す るために,韓 国政府 に捕鯨特許契約 (租 借地間 題 の解決が含 まれる)の 承認 を迫 っている。 このプロセスは簡単なものでは 子 りは「皇城新聞」 の記事 を引用 して,こ の要求 に対 しては韓国. な く,■. 政府内で極 めて強い反対意見があった ことを明 らかに してい る。 しか し結局 は,12ケ 年 を期限に 12箇 条 の捕鯨特許契約が成立す ることになる。契約文 子 りはその うち「駐韓 日本公使館記. 書 は漢文,露 文 ,英 文で作成 され,■. 録」 に残 された英文契約書 の写 しを確認 してい る。契約 の主な内容 は,① 捕 鯨基地 の設置場所 ,② 民有地 の 占有問題 ,③ 基地施設,④ 労働者雇用問題. ,. ⑤特許期間,⑥ 基地使用料,⑦ 特許の譲渡,③ 税官吏派遣問題,⑨ 密輸防 止,⑩ 税金及び罰則 となっている。これで Kttzerlingに とつて,韓 国で捕獲 及び解剖が「正式」に可能になった。. 2。. (3):株 式 会 社. Kttzerlingの 捕 鯨 活 動. と して の. 再 出発 と船 団 の 構 成 Kttzerlingの 大平洋捕鯨会社 は捕鯨特許契約 を締結後 ,事 業 の拡大 を目指. して株式会社組織へ と改編 される。彎. 子 りは Emst Webennan(Webennan. 1914)に 拠 りなが ら,株 式会社 の設立 目的,業 務内容 ,資 本金規模 などを略 述する。「韓半島沿海捕鯨 と資料 の問題. (1)」. で も述べ た とお り,ロ シア本. 国での動 きに関 しては,ほ とん どが ロ シア人研究者 Emst Webennan(■ 子 暉は Veberrnanと 表記)と ノルウエー人捕鯨史研究者 の Jo N.Tφ nneSSen と A。. 0。. Johnsenの 記述 によつている。それによれば,新 しい株式会社 はオ. ホー ツク海,ベ ー リング海,東 海. (日. 本海)一 帯 で捕鯨 をは じめ とす る各種. 漁業お よび水産加工業 を目的 としていた。資本金 は 150万 ルーブルだった。 Kttzerling捕 鯨船団は徐 々に成長 し船数 を増や してゆ く。■. 子 りは Emst.
(5) 森. 田 勝. 昭. Webennanの 論 文 か ら 1900年 の船 団 の 組織 と乗 組 員 の 実 態 を再構 成 して い る。■ の記述 を翻訳 してお く。. ゲ オ ルギ号 とニ コ ライ号 は捕鯨船 として KaZedingが 事 業 に着手 して以 来使 用 して きた の もの だ。 この 双子 の 捕 鯨 船 は立 派 な造 りの 汽船 で あ り,そ の装飾 は華麗 な までだ った といわ れ る。船室 には近代捕鯨 の創始 者 ス ヴ ン・ フ ォイ ンと皇帝 の 肖像 が 飾 られて い た。 ゲ オ ル ギ号 の乗 組員 は 13名 だ った。船長 チ ジ ェルマ ンは ロ シア人 で 月給 200ル ー ブル を支 給 され て い た。砲 手 は ノル エ ー 人. H.G.メ. ルソ. ンで ,月 給 125ル ー ブル ,さ らに鯨 1頭 につ き 20ル ー ブ ルの ボ ー ナ ス が つ い た。 ロ シア人機 関± 2名 はそれぞ れ 月給 85ル ー ブ ル ,鯨 1頭 当 た り 15ル ー ブルのボ ー ナ ス を受 け た。 そ の他 の乗組員 は,50ル ー ブル の 月給 と 1頭 当 た り 5ル ー ブル を支給 され る 甲板 長 ,95ル ー ブ ルの 月 給 と 1頭 当 た り 18ル ー ブ ルの ボ ー ナ ス を 4等 分 す る 4名 の 水 夫 ,2名 の 火夫 ,25ル ー ブル と 6ル ー ブルでそれぞれ 50カ ペ イカ の ボ ー ナ ス を 受 け る調理員 とボ ー イで構成 されて い た。賃金支払形態 と しては船長 を の ぞ き,固 定給 に出来高払 いの歩合給 を付 加 ヒ ンた混合歩合制 を とった。 地位 の高 い乗務員 は砲手 1名 をのぞ きす べ て ロ シア人であ り,主 にバ ル ト海 出身だ った。 それ以外 の乗組員 は外 国人 であ り,韓 国人 5名 人 2名 だ った。韓 国人 はその 名前 が. (ロ. ,中 国. シア風 に),ホ ン ウス ニ ,ミ シ. カ,マ ンバ ニ ,火 夫 チ ムス ナグ,ヤ ンプ ンギ とな ってい る。 この 中 の 2 名 の名前 は,ホ ン・ ウソ ン,キ ム ・ス ナ ックだ つた ら しい 。 ニ コ ライ号 に も船長 を含 めて 13名 の乗 組員 が い た。船長 は ノル ウエ ー人. C。. ア ム ンゼ ンで ,後 に ロ シア人 キ ップシ と交替す る。 アム ンゼ ン. は砲 手 とな った。 ニ コ ラ イ号 に も中国人 2名 と韓 国人 6名 が乗 って い た。船員 4名 ,火 夫 1名 ,ボ ー イ 1名 でゲ オルギ号 と同様 で あ り,す べ て下級船員 だ った。賃金支払法 はゲオルギ号 と殆 ど同 じである。 ア レクサ ン ドル号 は輸送船 だ った。乗務員 は 200ル ー ブルの 月給 を受.
(6) 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. ける ロ シア人船長 の レベ ル ドビッチ ,そ れぞれ loル ー ブル と 50ル ー ブ ルの 月給 の ロ シア人 副船長 ,月 給 125ル ー ブ ル と looル ー ブルの ドイツ 人機 関士 ,こ れ以外 は 月給 の 少 ない大 工 1名 上すべ て ロ シア人)と. ,水 夫. 1名. ,火 夫 2名. (以. ,中 国人料理 人 1名 で あ る。. シビリ号 は汽帆 の輸送船 だ った。 同船 は 1900年 に船長含 めて 39名 の 乗組 み だった。船長 と航 海士 は,そ れぞれ 150ル ー ブル と looル ー ブル の 月給 を支 給 され ,そ れ以 外 に 1頭 当 た り少額 の ボ ー ナ ス もあ った。2 名 の機 関士 の 月給 は 60ル ー ブ ル と 25ル ー ブルで ,そ れ以 外 の乗組員 は 甲板長 1名 要員 20名. ,水 夫 4名 ,鍛 冶工. 1名. ,料 理 人,大 工 ,火 夫 各 1名 ,解 剖. ,塩 蔵職 人 5名 である。韓 国人 の機 関±. 1名. (月. 給 25ル ー ブ. ル)と 水夫 3名 も乗組 んで い た。解剖 要員 は全 て 中国人 ,塩 蔵職 人 は全 て 日本 人だ った。 以上が船 団 の 中心 をなす船舶 だが ,こ れ以外 に ヨ ッ ト・ニ コ ライ号 レスニ ック号 ,大 洋丸 ,コ ル リジ ャ号 ,カ メラ ン号 ,ベ ラ号 ,大 福 丸. ,. ,. 蛭子丸 な どが あ った。 ヨッ ト・ニ コ ライ号 はオ ッ トセ イ密猟 中に拿捕 さ れ株式会社 に残 った もので 船長 は 日本 人だ った。 レス ニ ック号 は輸送船 と して レンタル して い た。 1900年 には乗 組 員 7名 だ ったが ,船 長 の ロ シア人 をのぞ き残 りは全 て韓 国人 だ った。コル リジャ号 は 1900年 に 973 ルーブル 50カ ペ イカで購 入 した船 で ,乗 組員 は 1900年 当時 ロ シア人船 長 と日本 人 甲板長 だけだ った。. 1900年 当時 の船 団 は,2隻 の捕鯨船. (キ. ャ ッチ ャー ボ ー ト)と 大型輸送船 2. 隻 ,そ の他小型 の輸送 0運 搬船 5か ら 7隻 とい う構成 だ った。輸送船 の うち. 1隻 は,解 剖 要 員 20名. (中. 国 人 )と 塩 蔵職 人 5名. (日. 本 人)が 乗 組 んで い. る。 日本 人塩蔵職 人 は解剖 と解剖 後 の 鯨 肉部位 の種 分 けお よび加 工 ,そ し て ,主 として 日本 向けの食 肉用鯨 肉の塩蔵作業 を行 な った。 韓 国釜 山朝鮮漁業協 会 が 『大 日本水 産會報』 第 212号 に よせ た「韓海捕鯨 之 一 斑」 (1900)も 同 じ時期 の ロ シア捕鯨船 団 の 実態 を報告 して い る。 ただ.
(7) 森. 田. 勝. 昭. し■ 子りはこの記事 に言及 していない。固有名などをそのまま表記するこ とに して,そ の報告 をまとめると次のようになる。 ニコライ号 (捕 鯨船 ,汽 船 ,49ト ン)13名 乗組 み 船長 :カ クテ ン,砲 手兼運転手 :ノ ル ウエー 人 (1名 ) 機 関士 :ロ シア人 (1名 ) 水夫 ,火 夫 :韓 国人 (8名 ) 料理人 ,ボ ー イ :中 国人 (2名 ) ギ オルギ号 (捕 鯨船 ,汽 船 ,49ト ン)13名 乗組 み 船長 :シ リワ リ,ロ シア人 ,砲 手兼運転手 :ノ ル ウエ ー 人 (1名 ) 機 関士 :ロ シア人 (1名 ) 水 夫 ,火 夫 :韓 国人 (8名. ). 料理 人 ,ボ ー イ :中 国人 (2名 ) シベ リ号. (タ. イ解船 ,汽 帆船 ,250ト ン)15名 乗組 み. 船長 :イ ワノフ,ロ シア人 機 関士 :ロ シア人 (1名 ) 運転手 :ロ シア人 (1名 ) 解剖 要員 :ロ シア人 (1名 ) 水夫 ,火 夫 :韓 国人 (4名 ) 料理 人 ,ボ ー イ :中 国人 (2名 ) 塩蔵手 :日 本 人 (5名 ) (タ イ解船 ,帆 船 ,130ト ン)7名 乗組 み ヘ (長 崎 キ イ会社 よ リチ ャー ター). 大洋丸. 船長 :吉 田増太郎 , 日本 人 その他 日本人 (6名 ) 賞効 丸 (運 搬船 ,汽 船 ,500ト ン)19名 乗組 み (函 館 野 田某 よ リチ ヤー ター ). 船長 :近 松利吉 ,日 本 人 そ の他 :日 本 人 (18名. ).
(8) 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料 の問題 〔. ゴー リッツ (運 搬船 ,帆 船 ,200ト ン)8名 乗組 み 船長 :カ セノベ スキー,ロ シア人 運転手 :日 本人 (1名 ) その他 :韓 国人 (6名. ). レミックス (運 搬船 ,帆 船 ,200ト ン)8名 乗組 み 船長 :コ ー シユ,ロ シア人 そ の他. :?(7名. ). カメラ ン (役 員搭乗船 ,帆 船 ,45ト ン)乗 組 員数未定 (現 在 26名. 船長 :(欠. ). ). 支配人代理 :ク ゴー,ゲ ーセル リング 元山海開出張員 :陸 奥小次郎 ,日 本人 人足頭 :ロ シア人 (1名. ). 鍛冶屋 :ロ シア人 (1名. ). 水夫,料 理人 :日 本人 (2名 切解夫 :中 国人 (20名. ). ). 合計 109名. この よ う に ,■. 子 電 が Emst Weberrnanの 論 文 に よって 再 構 成 した船 団. と,韓 国釜 山朝 鮮 漁 業協 会 が 『大 日本水 産會 報 』 第 212号 に よせ た 「 韓 海捕 鯨 之 一 斑 」 とい う報 告 とで は ,船 団 を構 成 す る船 数 ,船 長 な どの 固有 名 ,民 族 性 か らみ た 構 成 比 率 で 若 干 の 食 い 違 い が 見 られ る 。 お そ ら くは韓 国釜 山朝 鮮 漁 業協 会 が 入手 した資 料 とそ の 理解 に 問題 が あ った こ とが 推 測 され るが. ,. 問題 は違 い とい うよ りむ しろ,こ の二つの資料が指 し示す共通点 にあるとい える。詳 しくは後述す るが,KttzeJing捕 鯨船団の特徴 として次 の点 を指摘 してお こう。 まず技術的な点では,シ ビリ号が一種 の「母船」 の役割 を果た してい る点 である。 ロシアは既 に述べ たように,不 法 に韓国の港へ 強行入港 しそ こで鯨 体解剖や鯨肉処理 を行 なうことが問題 となっていた。捕鯨特許契約 はこの操 業 を合法化するものだったが,こ の時期 の船団 は海上での鯨体処理 と製品化.
(9) 森. 田 勝. 昭. とい う方式 ,つ まりいわゆる「母船式」へ の過渡的な形態 を示 している。 ま た,船 団では追尾 ,捕 獲 ,解 剖処理 ,輸 送 ,物 資供給 といった捕鯨活動 の分 業化が進んでい ることも特徴 である。第 2の 特徴 として,船 団構成 の多国籍 性 ,と い うよ りむ しろ多民族性があげられる。実は筆者 の関心 の 中心 はこの 点 にある。つ まり,朝 鮮通漁 ,大 型沿岸捕鯨 ,多 民族性 ,植 民地 をキー ヮー ドとして,東 アジアの現代社会 を分析 にまで至る ことが,一 連 の研究の 目的 の一つである。. 3。. Kttzerlingの 捕 鯨 活 動 (4):. ロシア捕鯨船団の「多民族性」とエスノネッ トワーク ■. 子 り は Emst Webenmanの 論文 に よ りなが ら 19oo年 の ロ シア捕鯨船 団. の構 成解 説 に続 い て ,日 本側 資料 に 目を転 じ,『 大 日本水 産含 報』第 232号 の記事 「朝鮮 海通漁組合聯号調査 :朝 鮮捕鯨業」 お よび東洋捕鯨株式会社社 史 の 『本邦 の諾威 式捕鯨 誌』 か ら,そ の 翌年 1901年 の船 団 を再 構 成 す る。 『大 日本 水 産會報』第 235の 記事 によれば,そ の船 団 は次 の よ うにな る。 捕 鯨 船 ニ コ ライ. 捕 鯨 船. 解 剖 船. 解 剖 船. ゴー リッツ レシニ ック. ゲオルギ. 貯 蔵 船. 運 搬 船. 供 給 船. アレクサンドル カマ ラ ン. ベ ラ. ロシア汽船 ロシア汽船 ロシア帆船 ロシア帆船 ロシア帆船 ロシア汽船 ロシア帆船 登録46ト ン 登録49ト ン 登録60ト ン 登録87ト ン 登録144ト ン 登録57ト ン 登録45ト ン 乗組員 13 乗組員 13 乗組員 29 乗組員 9 乗組員 8 乗組員未詳 乗組員未詳 船長 (口 船長 (口 船長 (口 ) 砲手 (ノ ) 砲手 (ノ 運転手 (口 機関士 (口 機関士 (口 ) 解剖係 (口 ) 水火夫 (韓 ) 水火夫 (韓 解剖夫 (中 ③ ③ ⑩ ボー イ ボー イ その他 (韓 ). ). ). ). ). ). (中. ). *(口 *○. (中. ). ). 船長 (日 船長 (口 運転手 (日 運転手 (口 その他 (韓 その他 (韓 口 口)⑥ ). ). ). ). 元山海関官 吏 (日. ). 船長 (口 ) 機関士 (口 運転手 (口 その他 (韓 中)数 名 ). ). 船長 (口 ) 運転手 (口 ) その他 (韓 中)数 名. ). 口中)⑥. ):ロ シア人,(ノ ): ノルウエー人,(韓 ):韓 国人,(中 ):中 国人,(日 ):日 本人。 内の数字 は人数を示す。記載がないのは 1名 。.
(10) lo. 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. 『大 日本水 産會報』 第 235号 の記事 「朝鮮 海通漁組合聯号調査 :朝 鮮捕鯨業」 は前年使用 され て いた シベ リ号が座礁沈没 した こと, 日本 か らのチ ャー ター 船 ,大 洋丸 と賞効丸 は解雇 された こ とを記 して い る。 この よ うに,■. 子暉. の調査 や『大 日本水 産會報』をは じめ とす る 日本語資料 は ,当 時 の KaZerling 捕鯨船 団 が 多民族 の構成 を とって い た こ とを示 して い る,船 団 の民族構成 と 職種 あ るいは職階 はおお よそ次 の よ うになる。. ① ② ③ ④. 船団 の上 層部 を構 成す る ロ シア人 グルー プ。 捕鯨技術 を提供す るノル ウエー 人 グループ。 主 に操船 の単純労働部分 を担 当す る韓 国 人 グルー プ。 鯨体 の 部位 解体 とい う単純 作 業 や船 の 雑 用係 ボ ー イの 中国 人 グ ルー プ。. ⑤. 輸送船 団 と日本 向け鯨 肉製品加 工 を担 う日本人 グループ。. 捕鯨船団では① と②のグループが上層部を形成 し,待 遇面でも他 を圧倒 し ている。 まず① の ロ シア人 グループは主 としてバ ル ト海地方 出身者 で 占め られて い た。 また汽船 の場合 ,機 関士 もロ シア人 グ ループが 担 当 した。 ただ し,東 ア ジア海域 での捕鯨技術提供 ,ま た鯨 肉 の市場 と しての 日本 とい う固有 の事情 か ら,輸 送船 の上 層部 に 日本 人 グループが入 り込 む こ とが あ った。表 中の レ ス ニ ック号 は 『大 日本水 産會報』 第 235号 に よれば 「解剖船」 だが ,船 の大 きさや人員配備 か らみて ,輸 送船 とい う可能性 も高 い。. ② のノルウエー人グループは,現 代捕鯨 の基本的技術 となるいわゆるノル ウエー式捕鯨技術 を伝 えるプロフェッショナル・グループである。 ノルウエ ー式捕鯨技術開発当初 はノルウエー北部 フインマル ク地方 の沿岸域 でのみ採 用 されていたが,そ の圧倒的 な効率 と鯨油 に対す る需要の伸 びから,急 速 に 各地へ伝播 してい る. (Tφ. nneSSen,1982)。. その際,新 技術 を担 って移動 した. のがノルウエー人砲手たちで,北 海海域 はもちろん,北 米北方海域 や東アジ.
(11) 森. 田 勝. 昭. ア海域 ,20世 紀 に入 る と南氷 洋 まで活動範 囲 を広 げ てい った。20世 紀初頭 に 日本 で本格化 す る大型捕鯨 で も,捕 獲技術 はノル ウエ ー人砲手が 担 った。. 1910年 代 の 日本 の捕鯨 会社 で は,9o%近 くが ノル ウエ ー人砲 手 で 占め られ ていた. (Tφ. nnesSen,1982)。. 日本人が ノルウェー人技術者 に完全 にとってか. わるのは 1930年 代 を待 たなけれ ばな らない。探鯨 ,追 尾 ,発 砲 ,捕 獲 の一 連 の活動 を円滑 に実行す るため,ノ ルウェー人砲手が運転手 を兼 ねることも 多 かった。 ③ の韓 国人 グル ー プに関 してはほ とん ど何 も明 らか にされて い ないが ,こ の ロ シア船 団 の場合 ,操 船 にかかわる単純労働 を韓 国人 グルー プが担 った ら しい 。筆者 は この グ ルー プに大 きな関心 を持 ってい るが ,資 料 的 な困難が大 き く,作 業 は遅 々 と して進 まないの が 実状 であ る。彎. 子 り もこの グルー プ. に関 して は,『 大 日本水 産會報 』 をは じめ とす る 日本語 以 外 の 資料 を使 って い な い。 ただ,ロ シア捕鯨 や ロ シアの後 を追 って資源争奪競争 に加 わった 日 本捕鯨 ,あ るいは朝鮮通漁 の現場 で は ,韓 半 島 の極 めて重要 な 「文化接触環 境」 (コ ン タク トゾ ー ン)が 形成 され て い た こ とは 間違 い な い。朝鮮通漁 を 媒介 と した 「コン タク トゾ ー ン」研 究 自体 これか らの分野 で あ り,日 本研 究 者 に よる ものはほ とん どない。韓 国 の先駆的 な研 究 と しては司」勾等 の グル ー プ に よる「巨文 島」研 究が あ る. (司. ,1990)。 筆者 の今 後 の研 究 の 大 きな. テ ーマ の一 つ で ある捕鯨 に関与 した韓 国人情報 を もうす こ しだけ 日本語資料 に見 てお こ う。 ロ シア捕鯨 と前後 して韓半 島 の鯨類資源 を独 占す る こ とになる東洋捕鯨株 式会社 の捕鯨船 では ,船 長 ,機 関長 ,砲 手 な どをノル ウエ ー人が担 っていた が ,一 般船員 と して韓 国人 ,そ の リー ダー と して 日本語 と英語 を話すや は り 韓 国人 の水夫長 ,ボ ー イ として ノル ウエ ー人少年 とい う構成 を取 る船が あ っ た (江 見 ,1907)。. もちろん 日本 人船長 の捕鯨 船 もあ ったが ,砲 手 はノル ウ. エ ー人であ り,単 純労働 を韓半 島出身者 が担 った よ うで あ る。解剖 ,製 品調 製 ,保 存 な どを行 う陸 上 の解剖 場 で は解剖手 と して 40∼ 50名 の 日本 人 とと もに,運 搬 な ど重 労働 を担 う韓 国人 グル ー プ とその リー ダー の韓 国人 が配置.
(12) 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. され た。 さらに例 えば通訳 の よ うに,会 社 と地域 社会 とを結 ぶ韓国人 もい た。 ④ の 中国人 グループは 19世 紀 か ら 20世 紀 にかけて ,東 アジア海域 の 海洋 活動 に しば しば登場す る。そ の役割 は海洋活動 のいわば最下層 を担 う単純労 働 者 で あ る場 合 が 多 い。例 えば ,19世 紀 後 半 ,横 浜 をベ ース に千 島列 島 や カムチ ャ ッカ半 島 な どオホ ー ツク海域 で ラ ッコお よびオ ッ トセ イ猟業 を経営 した イギ リス 人. H.J.Snowは ,一 貫 してアジア系 の船 員 を単純労働 用 に リ. クルー トしてる。Ho Jo Snowは 当初 ,単 純労働 者 と して横 浜や函館 で 日本 人 を リクルー トした。 やが て ,外 国船 で働 く日本 人問題 が政 治問題 と して ク ロ ーズ ア ップ され ,1880年 代 に法 的規制 が実施 され る と,H.J.snOwは そ の 対抗措置 と して上海で中国人 を リクルー トして い る (SnOw,1910)。 ⑤ の 日本 人 グルー プは,地 理的 な条件 か ら容易 に 日本船籍 の船 をチ ャー タ ー で きる こ と,ま た 日本市場 へ 運 ぶ さい好都合 で あ る とい う理 由か らロ シア 捕鯨 の一 翼 を担 う こ とになった。 また, 日本 には鯨 肉市場が存在 し世 界 で も 有数 の鯨 肉消費地が控 えて いたので , 日本 向け の鯨 肉製品 を製造す る特殊技 術 (塩 蔵技術 )を 提 供 す る 日本 人 グ ルー プが 不 可 欠 だ った。 19o3年 ,世 界 初 の 捕 鯨 母 船 ミハ イ ル 号 が ロ シ ア船 団 に加 わ った と き,ヨ ー ロ ッパ 人 30 名 ,中 国人 50名 いる. (『. ,韓 国 人 10数 名 ,日 本 人 10数 名 とい う編成 が 記 録 され て. 大 日本水 産會報』 260,1904)。. 東 アジア海域 の 〈非 アジア系 〉勢力 に よる海洋活動 で は,実 は こ う した 日 本 人船員が リク ルー トされ るの は特殊 な例 で は い。 1880年 代 の 北 米 を母港 とす るオ ッ トセ イ猟船 には ,相 当数 の 日本 人が乗組 んで い た記録 があ る。彼 らは横 浜や函館 ある いは北米各地 の港 で リク ルー トされ た。 オ ッ トセ イ猟船 の場合 ,密 猟容疑 で拿捕 した結果 ,船 長以外全員 が 日本 人だ った とい う例 も 報告 されて い る (森 田,1998)。 中 には 日本 人 と船 上 層 部 との 間 にた って. ,. 両者 の 関係 を調整す る役割 を担 うもの も出て きた。彼 らは明確 にプ ロ集 団 で あ り,船 員社会や船社会 で独特 の 地位 を保 持 して い た。 なか には船 の 中 で特 別 な ステー タス を獲得 し,全 ての社会集団が親愛 や尊敬 の念 で接 して い た例.
(13) 森. 田. 勝. 昭. も報告 されてい る (Snow,1910)。 た とえば レスニ ック号 の船長 は 「吉 田増 太郎」 とい う人物 で,1900年 の段 階 では傭船 「大洋丸」 の船長 として記録 されてい るが,大 洋丸解雇 の後 もロシア捕鯨船団 に残 り船長 として活動 を続 けた。. 4。. 叶. Kttzerlingの 捕 鯨 活 動 (5):操 業 実 態 と資 料. 子 りは Kttzerling捕 鯨船団の操業実態 を解明するさい,ロ シア語資料. の Emst Webennan論 文 ,韓 国語新聞,お よび 日本語資料 を使 っている。 日 本語資料 としては F大 日本水産會報』,外 務省 の 『通商彙纂』な ど公 的報告 書 ,岡 庸 一 『最新韓國事情』 のような日本人の手 になる韓国研究書が中心 に なる。『最新韓國事情』 は韓半島植民地化 のプ ロセスの一翼 を担 った「韓国 研究」 に関す る出版物中で も重要なもののひとつであ り,従 来 の政治的プロ パ ガンダをはなれ,貿 易 ・通商 をめ ぐる経済的議論 へ 大 きく踏み込 んで い る。 こう した資料か ら■. 子 りは Kqzerling捕 鯨船団の,操 業実績. (捕 獲頭. 数),合 法 的 に租借 した「馬養 島」,「 長箭」,「 長生 浦」3個 所 の 基 地 の 地 理 ,面 積 ,設 備 ,使 用時期 などの情報 をまとめ,さ らに鯨体 の処理 ,製 品の 種類 ,市 場 と価格 に も言及す る。■. 子 電が もっ とも頻繁 に参照す るのは. 『大 日本水産會報』だが,最 後 にここで 1900年 か ら Kttzeningの 捕鯨会社 が 解散す る 1912年 まで 『大 日本水産會報』 に取 上げ られた ロシア捕鯨関連紀 事 をまとめてお こう。 ・第 212号 「韓海捕鯨之一斑」 (韓 国釜山朝鮮漁業協含 ,1899) ・第 213号 「朝鮮海水産業 の賞況」 (朝 鮮漁業協會 ,1899) ・第 218号 「三十二年下半季漁業情況報告」 (朝 鮮漁業協會 ,1899) 0第 222号 「諾威式捕鯨法一斑」 (松 牧三郎 ,1899) ・第 226号 「諾威式捕鯨賞験談」 (松 牧三郎 ,1901) ・第 227号 「諾威式捕鯨賓験談」 (松 牧三郎 ,1901).
(14) 14. 2〕 韓半島沿海捕鯨 と資料の問題 〔. ・第 228号 「諾威式捕鯨責験談」 (松 牧 三 郎 ,1901) ・第 229号 「諾威式捕鯨責験談」 (松 牧 三郎 ,1901) ・ 第 230号 「諾威式捕鯨賞験談」 (松 牧 三郎 ,1901) ・第 234号 「朝鮮捕鯨業」 (朝 鮮 海通漁組合聯号會調査 ,19o2) ・第 235号 「朝鮮捕鯨業」 (朝 鮮海通漁組合聯号會調査 ,19o2) ・第 260号 「 日露両国人 の韓海捕鯨状況」 (1904) ・第 272号 「韓海捕鯨業 の状況」 (1905) ・第 287号 「韓海捕鯨業 の近況」 (1906). 以上 ,主 と して彎. 子 電の研 究 にそ って ,ロ シアに よる韓半 島沿岸捕鯨活動. に関す る資料 の 問題 を検 討 して きた。KttzeJingの 捕鯨 業 が 株式会社組織 ヘ 移行 した ころ,長 期 間 の調査 と試行錯誤 をへ て ,日 本 の漁業資本 による韓半 島捕鯨 が 始 まって い る。次 回 は,そ こ にい たる までの経緯 とノル ウエ ー式 を 採用 し韓半 島へ 進 出 して行 く日本 の捕鯨 産業 をめ ぐる資料 を検討す る。. 参考資料 日本語文献 石田好数 1979『 日本漁民史』三一書房 江見水蔭 1907『 実地探険捕鯨船』博文館 :. 岡 庸- 1903『 最新韓國事情』高山堂 外務省通商局 1894『 朝鮮近海漁業視察概況』 下啓介,山 脇宗次 1905『 韓國水産調査報告』農商務省 大日本水産會 1882∼ 1893『 大 日本水産會報 (告 )』 第 1∼ 235号 韓海捕鯨之一斑 (韓 國釜山朝鮮漁業協會,1899,212) 朝鮮海水産業の賞況 (朝 鮮漁業協會,1899,213) 三十二年下半季漁業情況報告 (朝 鮮漁業協會,1899,218) (松 牧三郎,1899,222). 諾威式捕鯨法一斑. 諾威式捕鯨賞験談. (松 牧三郎,1901,226). 諾威式捕鯨賞験談. (松 牧三郎,1901,227). 諾威式捕鯨賞験談. (松 牧三郎,1901,228). 諾威式捕鯨賞験談. (松 牧三郎,1901,229).
(15) 森. 田. 勝. 昭. 諾威式捕鯨 賞験談 (松 牧 三郎 ,1901,230) 朝鮮捕鯨 業 (朝 鮮 海通漁組合聯号會調査 ,1902,234) 朝鮮捕鯨 業 (朝 鮮 海通漁組合聯号會調査 ,1902,235) 日露両 国人 の韓海捕鯨状況 (1904,260) 韓海捕鯨 業 の状況 (1905,272) 韓海捕鯨 業 の近況 (1906,287) 東洋捕鯨株式會社編 1910『 本邦 の諾威式捕鯨誌』東洋捕鯨株式會社 鳥巣京 -. 1993『 西海捕鯨業 の研 究』九州大学 出版会 1999『 西海捕鯨 の 史 的研 究』九州大学 出版 会. 森 田勝 昭 1994『 鯨 と捕鯨 の文化 史』名古屋大学 出版 会 1998「『大 日本水 産會報 (告 )』 にお け る外 国船籍 捕鯨 船 及 び 海獣猟 船 関 連 記 事 ―明 治 15年 (1882)か ら 明 治 26年 (1893)ま で 一」 甲南女子大学英文学研 究第 34号 韓 国語文献 ■. 子電. 1995. 韓半 島沿海捕鯨 史. 司. 」月. 1990. 日帝 時代 ―漁村 釧文化変容. 慶 尚南道誌編纂委 員會. 1963. 固書 出版民族文化. 慶 尚南道誌. 釜山. 亜細亜文化社. 川音. 中. 欧文献 Andrews,Roy Chaprlan。. 1916 Whale Hunting with Gun and CaIIlera。. Davis,Lo E.&Robert Eo Galllrlan 1993 `AILCriCan Whaling, 1820-1900: Dominace and Decline' In Bo L. Basberg ed。 , Whaling and History: Perspectives on the Evolution of the lndustry.Sandeflordo Kolmlrlandor Chro Christensens Halfangstrlu―. Tφ nneSSen"N。. &A.Oo Johnsen 1982 The History of Modem Whaling.Berkeley.Uni―. versity of Califonlia Press..
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