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ペスタロッチ-における「連続性の原理」について

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Academic year: 2021

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(1)95. ペ ス タ ロ ッチ ー に お け る 連 続 性 の原 理 」につ いて. 小 野 寺 律 夫 は じめに 標題 に あ る 「 連続性 の原理 (KOntinuiぬ tsprinzip)」. とは,Ed.シ ュプ ラ. ンガーがその著 『 ペ ス タ ロ ッチー の 思考形式 (Pesta10ZZis DenkfOrmen, 1959)』 に 所収 してい る 論文「 ペ ス タ ロ ッチー 探究 』の分析 (Pesta10ZZis 『. ,,NachfOrschungen``.Eine Analyse,1935)」. の 中で用 い る概念 で あ る。 シ. ュプ ラ ンガーは,J.H.ペ ス タ ロ ッチ _の『 探 究 (Meine NachfOrschungen. iber den Gang der Natur in der]Entwicklung des Menschengeschlechts, 1797)』 の この哲学的分析 において ,『 探 究 』思想 の基本的な論理的枠 組 と し. て「 連続性 の原理」な るものを抽 出 0設 定 し,も って『 探 究 』思想 の論 理 的 な基 本構造 を,単 に三 分法 的な非連続性 の枠組 と してのみな らず ,連 続性 の 枠組 において も把握 しよ うとす る。その限 りにおいて 何 の異存 もない。 しか しシ ュプ ラ ンガーがその論文 において ,非 連続性 の枠組 を副次的な もの と相 対化す る一 方 で連続性 の枠組 を拡大解釈 し,そ うす る こ とによ って『 探究 』 の人 間学 を もっぱ ら,い わゆ る「 地上的な」人 間学 と して展 開 しよ うとす る ので あれば,彼 の言 う「 連続性 の原 理」 な るものを検討 0吟 味 しないわ け に │ま. いかす ょい。 したが って ,本 稿 で は,シ ュプ ラ ンガーの言 うペス タ ロ ッチー『 探究 』に. おけ る「 連続性 の原 理 」を『 探究 』テキ ス トに したが って厳密 に検討・ 吟味 し,そ の意味 と権能 の範 囲 とを限定 したい と思 う。そ して『 探究 』思想 の論 理 的な基本構造 が相対的な独 自性 を もつ 連続性 の枠組 と非連 続性 の枠組 との.

(2) 96. ペスタロッチーにおける「連続性の原理」について. 二 重構造 であ る こ とを明 らか に した い。 シ ュプ ラ ンガ ーの ペ ス タ ロ ッチ ー研 究 は,こ れ までわが国 の ペ ス タ ロ ツチー研究 に多大 な影響 を与 えて きた。 し か し今 や ,シ ュプ ラ ンガ ーの ペ ス タ ロ ツチー解釈 も又 ,批 判 的 に吟 味 され. ,. 新 たな ペ ス タ ロ ッチー解釈 が模索 されなければな らない と考 え る。. I.「 感性 的な もの」 によ る媒 介 まず ,シ ュプ ラ ンガーは,「 連続性 の原理」を次 のよ うに説 明 してい る。 「 自然的 な もの と道徳的な もの との結合 ,衝 動的な もの と自由 との結合 環境所与 的な もの と内的独 立 との結 合 ,こ れをわれわれ は これか らペ ス タ ロ ,. ッチーの連続性 の原 理 と呼 ぼ うではないか。それ は徹底 的 に非 カ ン ト的だが. ,. しか し,ペ ス タ ロ ツチーに とって 徹底 的 に重 要 で あ る。 とい うのは,ペ ス タ ロ ッチーは この連続性 の原理 によ ってのみ ,自 律 的な人 間 の尊厳 とい う不毛 1)」. の高 みか ら彼 の世界 へ ,す なわ ち愛 の世界 へ 立 ち戻 ってゆ くか らであ る。. 「 連続性 の原 理 」 とは,「 感性的 な もの」 と「 道徳的 な もの」 とを結 合関 係 において把握す る思想 の論 理 的な枠組 ない し原理 であ るの『 探究 』の連続 性 の契 機を「 連続性 の原 理」 と して抽 出. 0設 定 したのは,こ うして シ ュプ ラ. ンガーで あ る。 しか し,こ の連続性 の契機 その ものはつ とに指摘 されて きた。 た とえば , P。 ナ トル プが「 人 間 の道 徳的醇化 は決 して 権利 と真理 の純粋 な 概念 に 由来す るので はな く,必 然的 に最 も身近 な感覚的な諸 関係 ,す なわ ち 母子 間 の感覚的な愛 な らびに普通 の 肉体的労働 に 由来す る。. 2)」. と指摘す る. Acブ ッヘ ナ ウが「 動物 か ら市民 を経 て人 間へ と至 る道 3)」 と語 るとき,そ こに …… これ は発展 の連続性 の思想 と呼ん で よかろ う。 とき, あ るいは又 ,. は『 探 究 』の人 間学 にお け る連続性 の契機 へ の洞察 がある。 それは以 前か ら ので ある。 『 探究 』の思想的特質 と して 認 め られ て きた とすれば,シ ュプ ラ ンガ ー言 う「 連続性 の原理」 は,そ う した研究 の流れ の単 な る繰 り返 しにす ぎない のか。そ うで はない。彼 は この連続性 の契機 を 単 に『 探 究 』の中心思想 と して把 え るだけではな く,『 探究 』思想 の論 理 的.

(3) 小野寺律夫. 97. な枠 組 と位置 づ け た。連続性 の契機 は,単 な る中心思想 と してだ けで はな く, 『 探究 』の人 間学 の思想を通底す る論理 的枠組 ない し原 理 と して抽 出. 0設 定. され るが故 に,「 連続性 の原 理」 と称 されな くて はな らな か ったので あ る。 シュプ ラ ンガーの着 眼 には鋭 い ものがあ る。 しか し,着 眼 の鋭 さは,必 ず しも『 探究 』分析 の成功 を保障す るわけでは ない。 シ ュプ ラ ンガ ーが「 連続性 の原理 」 の枠組 を援用 して導 出 した解釈. ,. まず如上 の 引用文 の 後半部分 の次 のよ うな言及 一一「 ペ ス タ ロ ツチーは この 連続性 の原 理 によ ってのみ ,自 律 的な人 間 の尊厳 とい う不毛 の高 みか ら彼 の 世界 へ ,す なわ ち愛 の世界 へ 立 ち戻 ってゆ く」 さ らに又 ,こ れを うけて 論文 の最 後 の部分 で述 べ てい る次 のよ うな結論的 な言及一一 「 ペ ス タ ロ ツチーは 彼 の無限 の愛 がそ こで燃 えた ち,ま たそ こへ 戻 ろ うとす る現 世 へ 立 ち戻 らざ るを得 ない。. 4)」. __と い う言及 に当惑せ ざるを得 ない。. ど う して「 愛 の世. 界 へ の立 ち戻 り」や「 無 限 の愛 の現世 へ の立 ち戻 り」が「 連続性 の原 理」 の 枠組 か ら 論 理的 に 導 かれ る帰結 と して 語 られなけれ ば な らな いのか。「 連 続性 の原 理」を思想 の論 理 的枠組 に 設 定す る 卓見 を 認 め るものの, 一 体. ,. で の 「 自律 的な人 間 の尊厳」 が「 不毛 の高 み Jで あ って ,「 愛 世界」 はない とい う こと,そ して ,前 者 か ら後者 へ 回帰す るとい う思想 が,ど うして「 連 続性 の原 理 」か ら 導 かれ る 帰結 な のか 。「 自律的 な 人 間 の尊厳」 は 決 して 「 愛 の世界 」 に戻 ってゆかなければな らな い「 不毛 の高 み」で はない。. こう. 理 解 されな くてはな らな い。 この理 解 は,ま さに「 連続性 の原 理」 その もの を吟味す る ことによ って得 られ るのだ 。 シ ュプ ラ ンガ ー との こ うした理 解 の くい違 いは,「 連続性 の原 理」 の意味や権能 の把握 の違 いにあ りそ うに思 わ れ る。 『 探 究 』 において 連続性 の 契機 が 語 られ る の は, いわゆ る 「 純粋道徳 (reine sittlichkeit)」 の否定 の文脈 において で ある。 では一 体 ,「 純粋道 徳」 とは どの よ うな道徳 で あ るか。端的 に言 えば,純 粋実践 理 性 のみ に根拠 を求 めて ,動 物的欲求 や感覚・ 感情 な らびに社会 的諸 関係 とい った「 感性 的 な もの」すなわ ち身体性 を捨象す る抽象的な道徳 ,こ れが「 純 粋道徳」 であ.

(4) 98. ペスタロッチーにおける「 連続性の原理」について. る。「 純粋道徳 」 の 当為 は,な るほ ど「 何 を食 べ よ うか ,何 を飲 もうか と 自 分 の命 の ことで 思 いわず らうな」 と命 じ, ひたす ら幼子 の よ うな 「 無邪気 (UnSChuld)」 のみ を求 めよと命 ず るイ エ ス 0キ リス トの教 えで ある。5)し か し『 探究 』は,そ れがた とえ イ エス の教 えであ って も「 純粋道徳」 にとど まる限 り,不 満 を隠 さない。『 探究 』は「 純粋道徳」を次 のよ うに批判す る。 「 完全 に純粋 な道 徳を要求す ることは,社 会 的状態 の堕落 に生 きる私 に,す で に失 われたわた しの本性 の無邪気 に実際 に対 して あ るよ りも,よ り近 くに 対 してい るかの よ うに思 わせ るだ ろ う。完全 に純粋 な道徳 は,動 物的堕落 に 由来 す る苦悩 や東縛 の真直 中 にい るのに何 の禍 い も知 らない夢 の 中 にわた し を眠 りこませて ,生 活 へ の全 き無頓着 へ と導 くで あろ う。6)」 と。 「 純 粋道徳」 は,経 験 的現 実 の苦悩 や東縛 か ら眼をそ らせ る欺 1蘭 的道徳 と して批判 され る。それ は,決 して容認 されない道徳 で あ る。 しか し「 純粋道 徳 」 はよ り根本的 には,人 間 の 自然性 に背馳す るが故 に人 間 の道徳 と して は そ もそ も不可能 なのだ とい う。一体 ,人 間 の生 は全 体性 と して あ る。 これが 人 間 自然で ある。「 純粋道徳」 は,「 動物的 ,社 会 的 ,道 徳的な諸力が分 離 されず に きわめて 密接 に互 いにか らみ合 って あ らわれ るわた しの 自然 の真理 に もとる7)」. ので あ って ,そ もそ も「 純粋 に道 徳的 に,す なわ ちわた しの動. 物 的本性や わた しの社会的諸関係か ら完全 に 自由に感 じ考 え行 う こ とはで き 8)」. ない. の だ とい う。『 探究 』は生 の全 体性 の立 場 か ら,も っぱ ら実践理 性. ない し良心 の 自己立法 と して定立 され る抽 象的な「 純粋道徳」を不可能 な こ とと して これを否定 し,動 物的欲求 ,感 覚・ 感情 ,社 会的諸 関係 とい う「 感 性 的な もの」 との一定 の結合関係 において道徳 を把 握 す る こ とを 自らの主張 に掲 げ るのであ る。連 続性 とは,こ こで主張 され る「 感性的 な もの」 と「 道 徳 的な もの」 との結 合関係 に他 な らな い。 シュプ ラ ンガーは,こ の連続性 の 契機 を『 探 究 』 の人 間学 の論 理 的な枠組 と して設定 して ,こ れを「 連続性 の 原 理」 と命名 した とい うわけな のだ 。 さて ,当 面す る問題 は これか ら先 の ことで あ る。「 感性的な もの」 と「 道 徳的 な もの」 との結 合関係 と して の連続性 は,具 体 的 に どの よ うな もの と し.

(5) 小 野 寺 律 夫. て語 られ て い るか。 この連続性 の具体 的展 開 を論 理 的 に辿 る こ とに よ って. ,. 「 連続性 の原 理」を 吟味 し,そ の意味 を把握 しうるのだ 。『 探究 』は,連 続 性 を「 道徳的 な もの」 の「 感性 的な もの」 による媒介 と して ,次 のよ うに展 開す る。「 感覚 的快楽 と社会的権利 と道徳 とが互 いに対 して あ る状態 は,子 9)」. ども時代 と青年 時代 と成年 時代 とが互 いに対 して あるよ うな状態 にあ る。. て は,人 間 「 わた しの子 ども時代 の錯覚 やわた しの徒弟 時代 の無権利 な くし 1° )」 と。 ここで「 感覚 は真理 と権利 におけ る独立 に高 まる こ とはで きな い。 的快楽 」 は,な るほ ど道徳的真 理 の観点 か らすれ ば「 錯覚」 にす ぎないか も 知れな い し,ま た「 社会的権利」 も道徳 的権利 の観点 か らすれば「 無権利」 に等 しいか も知れ ない。に もかかわ らず ,『 探 究 』は次 のよ うに言 う。「 そ れ で も,わ た しがただ その錯覚 とい う迷夢 によって ,又 ,そ の無権利 とい う 橿格 によって ,わ た しの現在 の師匠 の真 理 とわた しの現在 の 師匠 の権利 に達 しえた のは真実 で あ る。. 11)」. と。「 師匠 の真 理 と権利」 は,「 子 ど も時代 の. 錯覚」 と「 青年 時代 0徒 弟 時代 の無権利 」 を経 由す る ことによ って は じめて 存在 しうるとい う,「 道徳 的な もの」 の「 感性的 な もの」 によ る媒介 とい う ヘ 思想 が ここに展開 して くる。 この媒介 の思想 が先 に挙 げた , A.ブ ッ ナ ウ の言 う「 発展 の連続性 の思想」なので あ る。 「 感性的な もの」 と「 道徳的な もの」 との結合 関係 と して の連続性 は,こ の よ うに して「 感性的 な もの」 による媒介 の思想 と して具体的 に展開す る。 と ころで ,こ の媒 介 の思想 をテキ ス トに したが って論理 的 に吟味 してゆ くと, 「 連続性 の原 理 」 は,シ ュプ ラ ンガ ー が把握 した意味 とは異 な る意味 を担 っ て 浮 び上 って くるので ある。. Ⅱ.「 道徳 的情調」 の醸成 「 感性的 な もの」 による媒介 の思想 が展 開 してい るの は,『 探究 』 の「 わ た しの最 も本質 的な観点 の最初 の表 明」 とい う標題 が付 された叙述部分 の第 二 項「 道徳 的状態 においてわた しは何 で あ るか」 においてで ある。 この第 二.

(6) 100. ペスタロッチーにおける「 連続性の原理」について. 項 の 中で も,と りわけ二つの箇所 が重要で あ る。以 下 ,そ の二 箇所 にふ くま れ る叙述 内容 を前後 の文脈 の 中で読 み とる こ とによ って,媒 介 の思想を 吟味 し,も って 連続性 がいかな る意 味 を担 って『 探究 』 の人 間学 の思想 の論 理 的 枠組 と して設定 され うるかを検討 してみたい 。 まず ,第 一 の箇所 は次のよ う にあ る。 「 自然がわた しの動物的存 在 (mein tierisches Dasein)を 道徳的対象 (ein Sittlicher Gegenstand)に よ り近 く結 びつ ければ結 びつ け るだ け,… … それだ けわ た しは この道徳 的対象 の 中 に,道 徳 へ の刺激 や動 機や手段 を見 つ け る ことが多 い。 自然 がわた しの動物的存 在 を道徳 的対象 か ら遠 ざければ 遠 ざけ るだ け,そ れだ けわ た しはそ の道徳的対 象 の 中 に道 徳 へ のそのよ うな 刺激や動機や手段 を見 つ け る ことが少 ない。 それ 故 ,社 会的な義務 は個人 と して の わた しに動物的に近 い諸対象 (Gegen‐ standen,die meiner lndividualitat tierisch nahe stehen.)に じてわた しの道徳 を促進す る。. 12)」. 基 づ くに応. (文 中下線は筆者による). この箇所 は,文 中 の「 それ 故」を境 に して ,前 段 後段 二つの段落 か ら成 る。 この箇所 の理 解 に とって重要 なのは,下 線を付 した「 道徳 的対象」 と「 動物 的 に近 い諸対象」 とい う言葉 の指示 内容 で あ る。 まず ,後 段「 動物的に近 い 諸対象」 につ いて は,シ ュプ ラ ンガ ー は これを「 最 も身近で特殊な生活諸 関 係 (die naChSte besondere Lebensbezige)」. ,端 的 に「 環境. (Milieu)」. ぁ. るいは「 境遇 (Umstande)」 だ と指摘 し,「 動物的 に近 い諸対象」 とは,「 奇 妙 な (SeltSam)」. 13)。. 呼 び方 だ と語 る. しか し, ここで 「 動物 的 に近 い諸対. 象」を一括 して「 環境」 あ るいは「 最 も身近 な生 活上 の諸 関係」 だ と規定す る シ ュプ ラ ンガーの考 え方 は正 しくない。 「 動物的 に近 い」とい う言葉 と「 諸 対象」 とい う言葉 とを まず分 けて考 え, しか る後 にそれ らが結 合 した場合 の 指示 内容 を規定す るのが妥 当だ と考 え る。 まず ここで『 探究草稿 (Entwirfe. zu den,,NachfOrschungen“. )』. の該 当箇所 を照 合す ると,そ こには「 動物的. な諸 関係 (Beziehungen)」 とい う表現 が見 られ る14)。 これか ら考 え ると「 動 物 的 に近 い諸 対象」 の「 諸対象」 とは「 諸関係 (Beziehungen)」 で ある。.

(7) 小 野 寺 律 夫. ここで「 諸関係」 とは,社 会学的 には,個 々の相互 作用 を と りか こむ環 境 と して の社会的諸 関係 であ り,そ の 関係態 には,ま ず家族 があ り,近 隣 の地 域社会 があ る。 シュプ ラ ンガーが「 動物 的 に近 い諸 対象」を「 最 も身近 で特 殊 な生活諸 関係」な い し「 環境」 だ と指 摘す るとき,彼 は この「 動物的 に近 い」 とい う言葉を「 最 も身近 で特殊 な」 とい う意味 に解 した のでは あ るまい か。 そ してその「 環境」 と しては,実 質 的 に「 最 も身近 で 特殊 な」環 境 と し ての 家族 や ,近 隣社 会 を考 えていたのでは あ るまいか。 「 動物的 に近 い」 とい う言葉 が何 を意味す るかを理解す る ことは きわめて 重要 である。 しか しその意 味 は,シ ュプ ラ ンガ ー が理解 したか も知れな いよ うな環境 ,す なわ ち社会的諸 関係 の近接性 にあ るので はない。「 動物的 に近 い諸対象」 とい う言葉 につ いて ,そ の「 諸対象」 とはそれ 自体 で,「 環境」 と して の社会 的諸 関係 を意味 し,「 動物的 に近 い」 とい う言葉 は,如 上 引用 文 の前段 の 内容 を受 ける。 そ して ,前 段 の 内容 を担 った上 で「 諸対象」 とい う言葉 に結合 してい ると考 え るのが妥 当で あ る。 どう して そ う言 え るの かは. ,. 以下追 って説 明 してい きたい。 次 に問題 とな るのは,前 段 の下線 を付 した「 道徳的対 象」 とい う言葉 で あ る。 この言葉 は この箇所 に唐突 に, しか も何 の説 明 もな くあ らわれ ,こ の箇 所以 降 の数頁 の文 中 に 「 道徳 的諸対象 (SittliChe Gegenstande)」. と複数形. にな って数 度登場す る。 この「 道徳 的 (諸 )対 象」を どのよ うに解 した らよ いか 。如上 引用 中 の前段 の,「 わた しの動物 的存 在 を道徳的対象 によ り近 く 結 びつ け る…… 」 とい う文言 か ら,と もすれば この「 道徳 的対象」 を,シ ュ プ ラ ンガ ー が「 連続性 の原 理 」 を規定す る際 に用 いた概念 ,す なわ ち「 自然 的な もの」 「 衝 動的な もの」 「 環境所与的な もの」 に結 合 され ると ころ の「 道 徳 的な もの」 「 自由」 「 内的独立」 がそれで あ ると解 した くな る。 しか しそ う で はない。「 道徳 的な もの」 「 自由」 「 内的独立」 とい うのは,す で に道 徳 的 自由をあ らわす概念 で あるか ら,こ れ らが「 道徳 的対象」 と して「 動物的存 在 」 に結合 し,「 道徳 へ の刺激 や動機や手 段」 にな るとい う こ とはあ り得 な い。「 道徳 的対象」 とは,「 道徳的」 とい う規定 を付 され ると して も,決 し.

(8) 102. ペスタロツチーにおける「連続性の原理」について. て道 徳 的 自由 の レベル に帰属す る対象 ではない。道 徳的 自由 に関連す る対象 を指示す ると解す るの が妥 当で あ る。では,一 体何 を指示 してい るの か。 そ れ は環境 と して の「 社会 的諸 関係」 を指示 してい ると考 え られ る。 この「 道 徳 的対象」 とい う言葉を これが使用 されてい る文脈か らその指示す ると ころ を 引き出す な らば ,そ う考 え ざるを得 ない。で は,ど う して そ う考 え ざるを 得 ない の か。 「 道徳的対象」 を「 社会的諸 関係」 と解す る こ とは,如 上 引用 中 の下線 を 付 した二つの言葉 ,す なわ ち「 道徳 的対象」 と,「 動物的 に身近 な対象 Jの 「 対象」 とが同一 内容 を指示す るとい うことで あ る。だか ら「 道徳的対象」 が「 社会 的諸 関係」 を意味す ると考 え ざるを得 ない根拠 は,「 道徳的対象」 と,「 動物的 に近 い諸 対象 」 の「 対象」 との 同一 性 を示せ ば よい。 しか るに 両者 の 同一 性 は,如 上 引用 に続 く文 中 において 三 度 に渡 って登 場す る「 動物 的 に近 い道 徳 的諸対象. 15)」. とぃ ぅ言葉 によ って説 明 で きる。 まず ,こ の「 動. 物 的 に近 い道 徳 的諸対象」 とい う言葉 は,「 道徳 的」 とい う規定 の有無 に無 関係 に,「 動物的 に近 い諸対象」 とい う言葉 と同一 で あ る。 しか るに「 動物 的 に近 い道 徳 的諸対象」 の「 道徳 的諸対象」 とは,如 上 引用 中前段 の「 道徳 的対象」を複 数形 で表 わ した もので あ る。故 に,如 上 引用 中前段 にあ る「 道 徳的対象」 と,「 動物的 に近 い諸対象」 の「 諸対象 」 とは同一 で あ って ,両 者 は共 に環境 と して の「 社会 的諸 関係」 を意味す ると考 え る こ とがで きる。 こ う考 え るの が 自然 で あ る。又 ,こ う考 え る ことによ って ,結 果 と して ,当 面す る叙述部分 は,文 脈上整合的 に理解で きるので あ る。 と ころで 不思議 な ことに,シ ュプ ラ ンガ ー は この「 道徳的 (諸 )対 象 Jに つ いて一言 も触 れない。な るほ ど「 動物的 に近 い諸 対象」 とは「 最 も身近 で 特殊 な生活諸 関係」 だ とは語 る。 それだ けで あ る。 これを「 道徳的対象」 と の 関連 で語 らな い。 もちろん語 るに足 りな い と考 えた ので あろ う。実際 その 通 りで あれば何 の異存 もな い。 しか し,こ の点 につ いて語 らな い とい う こ と には大 いに異存 の あ ると ころで あ る。 とい うのは,前 段 の「 道徳 的対象」 と 後段 の「 動物的 に近 い諸対象」 とを関連 づ け る ことによ って ,後 段 の「 動物.

(9) 小 野 寺 律 夫. 的 に近 い諸対象」 が,前 段 の「 わた しの動物的存 在 を道徳的対 象 によ り近 く 結 びつ ける…… 」 とい う文言 の意味を うけて ,そ れを 簡潔 に言 い換 えた表 現 で あ るとい う こ とが理 解 され るか らで あ る。「 動物的 に近 い諸 対象」 の「 諸 対象」 と前段 の 「 道徳的対象」 との両者 が 同一 であ るとの理 解か ら こそ. ,. 「 動物 的に近 い諸対象」 とい う表現 が「 わた しの動物 的存 在 を道徳 的対象 に よ り近 く結 びつ け る」 とい う文 言 の要約 的な表現 で あ るとい う ことが了解 さ れ るのだ。「 動物的 に近 い諸対象」 の「 動物的 に近 い」 とい う言葉 は,決 し て「 最 も身近 で特殊 な」 とい う意味ではない。 前段 の「 動物 的存 在 を よ り近 く結 びつ ける」 とい う文言 の意味を担 ってい る。「 動物的存在 とよ り近 く結 合 した道徳 的対象」 とい う前段 の文言 の意味を,後 段 で は「 動物 的 に近 い諸 対象」 と表現 したのだ。 シ ュプ ラ ンガーは「 動物的 に近 い諸対象」 を「 奇妙 な」 呼 び方 だ と語 った。 しか し,こ の言葉 が前段 の文言 を受 けた要約 的表現 だ とい う ことが論理 的 に 明 らかにな るとき,と りた てて「 奇妙 な」 とい う印象 は受 けない。 もちろん. ,. 「 奇妙 な」 とい う シ ュプ ラ ンガーの合蓄 が もう一 つ は っき りしない の だが。 ここで は「 動物的 に近 い諸対象」 が「 動物的な もの」 と「 社会 的な もの」 と の結合 と しての「 感性的な もの」す なわ ち「 感覚的な社会 的諸 関係」 を指 示 す る言葉で あ る ことを確認す ることが肝要 で あ る。 さて , 更 に『 探 究 』の テキ ス トを辿 ってゆ くと,「 動物的 に近 い (道 徳 的 )諸 対象」 は,「 道徳的諸 対象 の動物的 な接近 (die tierische Naherung sittlicher Gegensぬ nde)」 とい う言葉で表現 され ,こ の 道徳 的諸対象 の動 「. 物 的接近」 とい う言葉を主語 に して ,「 感性 的な もの」が媒介 しうる範 囲を 述語 的 に限定す る箇 所 に到達す る。 この箇所 は媒介 の思想 を吟味 し,検 討す る場合 に重要 な第 二 の箇所 で あ る。 「 道徳的諸 対象 の動物的接近 ,そ の際 この接近 が社会 的人 間を導 いて もた らす ,わ た しの我欲 の感情 と好意 の感情 との結合 (Vereinigung)… … わた しの我欲 とわた しの好意 との こ う した調和 (HarmOnie)は. , それ 自体 と し. て は,道 徳―一 わた しの純化 され高 め られ た好意 の わた しの我欲 に対す る優.

(10) 104. ペスタロツチーにおける「 連続性の原理」について. 越一一 がわた しの本性 に可能 とな る情調 (Gemitsstimmung)へ の感覚 的 動物的 な導 き以外 の何 もので もな い。. ,. 16)」. ベ の 『 探究 』 の ペ ス タ ロ ッチーは,シ ヤフツ リー,バ トラーな ど ,18世 紀 イギ リス倫 理思想 の基本概念「 自己愛 」な らびに「 社会愛」 を援用 して ,自 ら「 我欲」 と「 好意」 とい う二つの根本情動 を設定す る。 これ ら二つの根本 情動 が結 合 0調 和す ると ころに醸成 され るのが,「 道徳 が可能 とな る情調」 す なわ ち「 道徳 的情調」 であ る。 この「 道徳 的情調」 とは,上 述 の イギ リス 倫 理 思想 が説 いた「 道徳 的感情」 で あ って ,カ ン トの言 う道徳法則 へ の尊敬 の 感情 と して の「 道徳的感情」 とは区別 され る。『 探究 』は,こ の「 道徳的 情調」 を醸成す る「 我欲」 と「 好意 」 の結 合. 0調 和 を導 くのが「 動物的 に近. い (道 徳的 )諸 対象」す なわ ち「 感覚 的な社会 的諸 関係」 だ とい う。「 感覚 的な社会 的諸 関係」す なわ ち「 感性 的 な もの」 は,「 道徳的情調」 へ の「 感 覚 的 ,動 物 的な導 き」 の手段 で あ る。「 感性 的な もの」が媒介す るのは,こ う して「 道徳的情調」 な のだ 。 しか るに,こ の「 道徳的情調」 とは,傾 向性 や衝動 との 関連 の故 に,い まだ道徳的 自由ではない。道徳的 自由が可能 とな る感覚 的な道徳的感情 で ある。媒介 の思想 を辿 る ことによ って ,『 探究 』に お け る連続性 とは,道 徳的 自由 が可能 とな る感覚 的感情 と して の「 道徳的情 調」が「 感性的な もの」 によ って媒介 され るとい う意味 にお け る,「 感性 的 な もの」 と「 道徳的 な もの」 との一 定 の結 合関係 だ とい う ことが ,こ う して 明 らか とな るので あ る。. Ⅲ .連 続性 と非連続性 ・ 『 探 究 』は,「 道徳的情調」 の醸成 に有効 にはた ら く社会的 文化的手段 と して宗教 と国家 につ いて言及す る。 この二 つ はいずれ も我欲 と好意 の結合 ・ 調和 を導 き,も って「 道徳 的情調 」を醸成す る手段 だ と して並置 されてい る17)。. しか しそ の手段性 の レベル はそれぞれ異 な ってい る。 まず , 宗教 が. で 「 道徳的情調」醸成 の手段 で あ るとは,「 感覚 的な社会 的諸 関係」 がそ う.

(11) 105. 小 野 寺 律 夫. あ るの と同一 レベル の手段性 であ って ,宗 教が もつ手段性 とは,「 感覚 的な 社会 的諸関係」 がそ うで あ るの と同様 に「 道徳的情調」 へ「 感覚 的 ,動 物 的 に導 く」 まさに その 当体 と して の手段性 で あ る。 これ に対 して ,国 家 の手段 性 は,「 道徳 的情調」 へ「 感覚 的 0動 物 的 に導 く」 当体 であ る「 感覚 的 な社 会 的諸 関係」 を 自らの立 法行 為 によ って 組織 し,市 民 の「 道徳的情調」 を醸 成す るところにあ る。要す るに宗教 が直接 の手段 であ るのに対 して ,国 家 の 立法 行為 は「 感覚 的 な社会 的諸 関係」 の組織化 にかかわ る間接 的な手段 な の で あ る。 本稿 は これ まで , 媒介 の思想 と して展開す る 連続性 の契機 を 『 探究 』 の 「 わた しの最 も本質 的な観点 の最初 の表 明」 とい う標題 が付 された叙述部分 の範囲 で考察 して きた。 この叙述部分 は『 探究 』を二部構成 に分解 した シ ュ プ ラ ンガーの構成表 18)に したが って言 うと,「 第 Ⅱ部」 にあた る。 この「 第 Ⅲ部」 に連 続性 の契機な い し媒介 の思想 が主題 的 に展 開 されてい る。 「 第 Ⅱ部」 の 内容 は,「 動物 的 に近 い (道 徳的 )諸 対象」 と して の「 感覚 的な社会 的諸 関係」 と内面的・ 道徳的 自由との結合関係 に関す る叙述 で あ る。 したが って ,こ こで 国家 の立 法行為 に言及す るのは文脈上 きわめて 自然 で あ る。 しか し,こ の文脈 に宗教を もち出す のは どう考 えて も唐突 であ る。不 自 然 で あ る。 に もかかわ らず ,こ こに宗教 を もち出 した のは,お そ ら く,「 宗 19)」. 教 は こ うした情調 へ の導 きの ,わ た しの 自然 に可能 な最高 の力 で あ る. が. ためで あろ う。 とい って も,こ こでの宗教 へ の言及 は,思 考 をいち じる しく 混乱 させ る ことには変 りはない。宗教 が有す る「 道徳 的情調」醸成 に対す る 手段性 の理 解 は,こ の「 第 Ⅲ部」 の叙述 にではな く,シ ュプ ラ ンガー の言 う 「 第 I部 」 と「 第 Ⅲ 部」 の「 宗教」 の項 の叙述 に求 め ざるを得 ない。「 第 Ⅱ 部」 で理 解 しうるのは,国 家 の立 法行為 の手段性 につ いてだけである。 に もかかわ らず ,宗 教 が この「 第 Ⅱ部」 で 取 りあげ られ てい る意義 は重要 で あ る。 この「 第 Ⅲ部」 は「 感覚 的 な社会 的諸 関係」を媒介 とす る「 道徳的 情調」 の醸成 につ いての叙述で あ る。 ここで「 感性 的 な もの」 とは「 感覚 的 な社会 的諸 関係」 を指 してい る。 しか るに,こ の「 第 Ⅱ部」で宗教 が取 り上.

(12) 106. ペスタロッチーにおける「連続性の原理」について. げ られた とい う こ とは,「 感性 的 な もの」 が単 に「 感覚的な社会 的諸関係」 とい う特定 の対象を指す のみ な らず ,宗 教を も合 めた よ リー 般 的な意味 での 「 感性 的な もの」, す なわ ち「 感性 的な もの」一般 に指す と の理 解 を 可能 に す るのだ。『 探 究 』の人間学 にお け る媒介 の思想 は,「 感覚 的な社会的諸 関 係」 の みな らず「 宗教」 に も関与す る。それは特定 の「 感性 的な もの」 の あ れ これ に 関連す る特定 の思想ではな く,『 探究 』 の人 間学 を一 貫 して通底す る論理 ない し思考 の枠組 なので あ る。 シュプ ラ ンガーが「 連続性 の原 理 は宗 教 に も適用 され る。. 2の. 」 と語 るとき,「 探究 』におけ る連続 性 の契機を単 に. 特定 の対象 に関わ る媒 介 の思想 と して把握す るだ けで はない。『 探究 』の人 間学 の思想 を通底す る基本的な論理 の枠組 と して把握す る洞察 があ った。だ か ら シ ュプ ラ ンガーは,連 続性 の契機を「 連続性 の原理」 と称 しなければな らなか った ので あ る。 さて ,「 第 I部 」 に眼を転 じると,そ の「 宗教」 の項 では,宗 教 とは「 わ た しの 本性 の最 も大胆 な 冒険 , わた しの 本性 の 動物 的限界 を越 えて 想像力. (Traumkraft)が 高揚す る こと」 で あ り,「 道徳 の世界 へ の動物 的な導 き」 で あ る21)と 規定 され る。「 第 Ⅲ 部 」 の 「 宗教」 の項 には 次 のよ うにあ る。 「 真 の宗教 の本質 が前提 とす る情調 に達す るには感覚 的,動 物 的な動機や刺 激 や手 段 が必要で あ る。 ……迷信 も狂信 もいず れ も,一 般 に道 徳 な らびに真 の宗教 の萌芽 に最初 の養分を与 え る。22)」 と。以上 を要す るに,宗 教 は,た とえ迷信 ,狂 信 で あ って も想像力 の高揚 で あ り,こ う した感覚 性 と して の宗 教 は,「 真 の宗教」 た る道徳 がそ こにおいて 可能 とな る「 道徳 的情調」を醸 成す るとい うわけで あ る。『 探究 』における「 宗教」 の問題 につ いての主 題 的な検討 は稿 を改 めたい。 国家 の立法行 為 の手段性 につ いての論 究 こそ,「 第 Ⅱ部」 の主題 の一 つ で ある。一体 ,市 民 の権利・ 義務 が道徳的情調 の醸成 に作用す るとすれば,そ の権利・ 義務 が「 動物 に近 い (道 徳的 )対 象」す なわ ち「 感覚 的な社会 的諸 関係」を基底 にす る場合 であ る。た とえば,義 務 は,理 性 の命令 や政治上 の イデオ ロギーや ,社 会 的役割 関係 によ ってのみ課 せ られた抽象 的な義務 と し.

(13) 小 野 寺 律 夫. 107. てではな く,「 そばに居 る子 どもの笑顔 や涙」 へ の共 感 を基底 とす る父 と し て の義務 ,あ るいは「 祖 国 の苦 しみ・ 祖 国 の喜 びへ の共感」 を基底 とす る祖 国 へ の義務 で あ るとき,す なわ ち義務 は,社 会 的 な諸 関係 にお け る喜 びや苦 しみ へ の共感 を基底 とす るとき,道 徳 がそ こで 可能 とな る「 道徳的情調」 の 醸成 に作用 しうるの だ とい う。. 23)「. 道徳 的対象 の動物 的幸福 や動物 的不幸 が. わた しをよ り多 くの点 で感 動 させ れば させ るだ け,そ れだけわた しはそ の道 徳 的対象 の 中 に, 道徳 へ の刺激 や 動機や 手段 を 見 つ ける ことが多 い。. 24)」. 『 探究 』は このよ うに語 る。 ここで言 う「 道徳的対象」 とは,す で にみた よ うに環境 と しての「 社会 的諸 関係」 で あ り,「 動物 的幸 0不 幸 」 とは喜 びや 苦 しみ・ 悲 しみ とい った感 情 で あ り,こ れ に対す る共感 とい う感覚 的な感受 が「 感動」 で あ って ,「 道徳 へ の刺激」 に言 う「 道徳」 とは,「 道徳 的情調」 で あ る。 市民 的義務 につ いて言 え る ことは,市 民 的権利 (自 由)に つ いて も言 え る。 市民 的権利 (自 由 )も 「 個人 の心 情 にとって好 ま しく,価 値 あ るもの」す な わ ち「 家屋敷 ,妻 子 ,祖 国」 へ の共感感情 を基底 とす る権利 (自 由)で あ る とき,そ れ は「 我欲 」 と「 好意」を結合 し,も って「 道徳的情調」を醸成す るとい う。 それ故 ,国 家 の立 法 の課題 は,「 家屋敷 で ,妻 子 の と ころで ,村 や町 において父 ら しくふ るま う以外 に何 もな しえず ,ま た父 ら しくふ るま う 25)」. こと以外 に何 も欲 しないよ うな 自由. を 法律 的 に 確保す る こと で あ る。. 又 ,家 族 や近 隣社会 にお ける感覚 的な人 間関係 を解体 して ,個 々人 を ペル ソ ナ と して の 国家公民 へ と抽象化せ ん とす る権力 の暴力 を規制す ること も立法 の課題 で あ る26)。 こ ぅ した国家 の立 法行為 によ って道徳的情調 が醸成 され る と『 探究 』は語 るので あ る。 しか し問題 はそ の先 にあ る。『 探究 』は以上 につづ けて 次 の よ うに言 う。 「 宗教 その ものがな しうる最高 の事柄 も,そ れ 自体 と して は社会的人 間 その ものを道徳的 にす る ことは で きない。同様 に国家 が,社 会 的人 間 の我欲 と好 意 と の均衡 を保 つ ために試 み るす べ ての こ と も,社 会 的人 間 その もの を道徳 的 にす る こ とは で きない。. 27)」. と。 ここに至 って ,「 感性 的 な もの」 と「 道.

(14) 108. ペスタロッチーにおける「連続性の原理」について. 徳的 な もの」 との連続性 は頓座す る。両者 の非連続性 が明確 とな る。「 実際. ,. 人類 は,わ た しの意志 の 自由 に よ って ……動物 的我欲 の あ らゆ る要求 を もつ わた しを ,わ た しの意志 の 自由 と この意志 が もつ 純化 された好意 の 自由と に したがわせ る ことによ って ,常 に この優越 によ って道徳的 にな る。. 28)」. と。. 非連続性 の契機 はます ます明 白と な る。 「 道徳的情調」は,我 欲 と好意 とが結合・ 調和す ると ころに醸成 され る心 理 的状況 で ある。『 探 究 』は,我 欲 と好意 の基本的情動 の結合・ 調和 に 由来 す る この心理 的状況 を「 思 いや りの あ る善良 な好意 的気分 和 な善良 な好意 的情調. 30)」. 29)」. ぁ るいは「 平. な どと表現 して い る。 しか し,こ の「 道徳的情調」. は,い まだ道徳的 自由で はない。道徳的 自由とは,我 欲一好意 の枠組 で言 え ば,「 我欲 に対す る純化 された好意 の優越」 だ と『 探究 』は言 う。 ここに言 う「 純化 された好意」 が優越す ると ころ の行為 や 存在 の あ り方 が ,道 徳 的 自 由 なので あ る。 しか るに,こ の「 純化 された好意」 とは,傾 向性 や衝動 か ら 自由 な「 愛 」 で あ る。 それは もは や情動 ではない。 その可 能根拠 は実践理 性 の 意志 の 自律 にあ る。それ故 ,「 自律 的 な人FEDの 尊厳」 は決 して「 不毛 の高 み」ではな く,意 志 の 自律 に基 づ く「 愛」 に満 ちた世界 なので あ る。 この意 志 の 自律 に根拠 を有す る「 純化 された好意」 の我欲 に対す る優越 において. ,. 人 間 はは じめて道徳的 で あ りうると『 探究 』は語 るのだ。『 探究 』はそれ故 その最 後尾 において次 のよ うに結 論 づ け な ければ な らなか った。「 道徳 は個 人 において は,彼 の動物 的本性 および彼 の社会的諸 関係 ときわめて密接 に結 び 合 わ されてい る。 しか し,道 徳 の本質 は全 くわた しの意志 の 自由 に基 づ い て い る。 31)」 と。 この結論 的言及 には,一 方 で道 徳 が動物 的本性 や ,社 会 的諸 関係 と結合す る こ と (連 続性 )が 語 られ る。 しか し他方 で ,道 徳を可能 な ら しめ る本 質 的 な 根拠 が意志 の 自律 で あ る こ と (非 連続性 )が 語 られ る。道徳 の本質 が意志 の 自律 にあ るとい う こ と,こ れ は,『 探究 』の人間学 の動 か しがたい立場で あ る。 シ ュプ ラ ンガー も,非 カ ン ト的 な連 続性 の契機を指摘す るだ けで はな い。 カ ン ト的 な 自律思想 が展開す る箇所 につ いて も言及す る。 しか し彼 は. ,. ,.

(15) 小 野 寺 律 夫. そ う した 自律思想 につ いて は結局次 のよ うに決着 を つ け る。いわ く。「 自律 理 論 は ペ ス タ ロ ッチーの実子 で はな く,養 子 にす ぎない。 32)」 「 自律 も当為 も法則 もそれが カ ン トや フ ィヒテ の思考様 式 の上壌 か らペ ス タ ロ ッチーの人 33)」 と。 格 に移植 され る こ とによ って全 く別 の ものにな らざるを得 なか った。. こ う して シ ュプ ラ ンガーは 自律思想 およびそれが拠 って立 つ非連続性 の枠組 を副次的な もの と相対化 し,そ して ,そ の一 方 で「 連続性 の原理」を不 当に 拡大解釈す る。 その よ うに した上 で ,こ の「 連続性 の原 理 」を『 探究 』 の分 析 に援用 し,『 探究 』 の人 間学 を もっぱ ら「 地上 的 な」人 間学 と して 展開 し よ うとす るのだ。 しか し,い かに して も『 探究 』 の非連続性 の枠組 は軽視 さ れ えない し,又 ,「 連続 性 の原 理」を拡大解釈す る こ とも許 されない。 『 探究 』は,人 間 の現存在 を「 水夫」 に喩 え,「 水夫 は,海 と空 の嵐 によ って船上 を コロコロ ころが されなが ら暗雲 の陰 に光 明を北 と南 の方角 に見 る のだ 。 34)」 と語 る。 この沈 みゆ く船上 において水 夫 が仰 ぎみ る光 明 とは何 か。 それ は道徳 的 自由 と して の「 無 邪気 (Unschuld)」 で ある。 現存在 が志 向す る超越 的理 念 で あ る。 しか るに この道徳的 自由 (無 邪気 )は ,実 践 理 性 ない し良心 において は じめて 可能 とな る。「 道徳的 自由 (無 邪気 )」 一 実践 理 性 (良 心 )の 地平 と「 道徳的情調 (感 情 )」 ― 感性 の地平 との 間 には,断 絶 があ. る。「 連続性 の原 理」が 関与 しうるのは「 道徳的情調」一 感性 の地 平 で あ る。 す で にみた よ うに,連 続性 とは,道 徳的 自由 が可能 とな る感覚 的感情 と して の 「 道徳 的情調」が「 感性 的な もの」 によ って媒介 され るとい う意味 にお け る, 「 感性 的な もの 」 と 「 道徳的な もの」 との一 定 の結 合関係 で ある。 だか ら 「 連続性 の原 理」 とは,感 性 の地平 にその意 味 と権能 とが限定 され る思想 の 論 理 的枠組 な のだ 。 それ 故 ,『 探究 』 の人 間学 の思想構造 につ いては,「 連続 性 の原 理 」 とい う枠組 と共 に,こ の枠組 に並 行 的 に関連す るいわば「 非連続 性 の原 理」 とい う枠組 が指 摘 されな けれ ばな らな い。『 探究 』思想 の論 理 的 構造 は,連 続性 と非連続性 ,す なわ ち相対 的独 自性 を もつ 連続性 の枠組 と非 連続性 の枠組 との二 重構造 なので ある。 ここに至 って ,「 連続性 の原 理 」 の論 理 的帰結 と して シ ュプ ラ ンガ ー が示.

(16) 110. ペス タ ロ ッチーにお け る「 連続性 の原 理 」 について. した次 の よ うな言及一一 「 ペ ス タ ロ ッチーは,自 律 的な人 間 の尊厳 とい う不 毛 な高 みか ら彼 の世界 へ , す なわ ち 愛 の世界 へ 立 ち戻 ってゆ く。」 あるいは 「 ペ ス タ ロ ッチーは彼 の無限 の愛 がそ こで燃 えた ち,ま たそ こへ 戻 ろ うとす る現世 に立 ち戻 らざるを得 ない。」―一 とい う 言及 は成立 しない とい う こ と にな る。なぜ な ら,こ の言及 は「 連続性 の原 理 」を「 道徳的情調」― 感性 の 地平 を超 えて ,「 道徳的 自由」一 実践 理 性 の地平 に 関与 しうる思想 の枠組 だ と拡大解釈す る こ とに よ って 成 立す る言及で あるか らだ。 いかに 愛 の超越 的・ 形 而上学的措定 を拒 否 し,愛 を「 地上 的なJす なわ ち感性 的・ 経験 的な 人 間学 と して展開 しよ うと して も,『 探 究 』の非連続 性 の枠組 は,「 道徳的 情調 」 に お け る愛 と道徳的 自由 におけ る愛 とを区別す る。決 して ,後 者 が前 者 か ら成長 し,成 長す るや「 不毛 の高 み」か らそれの成長 して きた地上 的世 界 に 回帰す る こ とはない。 それは話 と して は興 味深 いが,「 連続性 の原 理 」 」 の 意味 と権能 の誤 った拡大解釈 に もとづ く『探究 』 の誤 った解釈 で ある。 シ ュプ ラ ンガ ー はそ のよ うな誤 ちをな してい るかに思 われ る。 なぜ そ うな った のかは判 然 と しない。 「 動物的 に身近 な (道 徳的 )諸 対象」 と「 道徳的情調」 との間 の論 理 的導 出関係 に 関す る吟味 の欠 除 にその誤 ちの原 因があ るか も知 れな い。 シ ュプ ラ ンガー も, もちろん ,こ の「 動物 的に近 い諸 対象」が「 道 徳 へ 導 く手段」 「 人 間 の うち に 内面的独 立を 呼 びお こす心理 的 に有効 な手段 」 35)。 で あ る こ とにつ いて は語 る. しか しそ の手段性 が「 道徳的情調」 の醸成 に. あ る こ との吟味 はない。 そればか りか彼 は一 言 も この「 道徳的情調」 に言及 していない。 もちろん ,こ の「 道徳 的情調」 とい う概念 を取 りあげてゆ けば. ,. シ ュプ ラ ンガーの立論 それ 自体 が破綻 して ゆ くこ とは避 け られない。 「 連続性 の原 理 」 とい う思想 の論 理的 枠組 は,『 探究 』の人 間学 を「 理 性 が感 性 に うち克 つ 」 あ るいは「 理 性 が感性 的衝動 か ら独立 して意志 を純粋 に 形 相的 ,法 則的に規定す る」 とす る三 元論 的 な道徳 が 陥 る リゴ リズムや理想 主 義的抽象か ら解放す る。 しか し,『 探究 』は,経 験 的現実 の 中で身体 とい う状 況 の 内 に生 きる人 間 の 内部 に,自 らの行為 のあ り方 を 自らの意 志で選 び と り,も って存在 の充 実 を求 め る精神的志 向性 を認 め る。 こ う して『 探究 』.

(17) 小 野寺律夫. 111. の主題 は,経 験 的現実 にお ける身体 とい う状況 の 中で ,超 越 的 な根源 か らの 呼 びか け に対す る主 体 的な応答 と しての「 道徳 的 自由」が いか に して実現 さ れ うるか につ いて の人 間学 的考察 で ある。 この主題 は連 続性 と非連続 性す な わ ち,相 対 的な独 自性 を もつ 連続 的 の枠組 と非連 続性 の枠組 との二 重 の論 理 構造 において 展 開 され な ければな らなか ったので ある。. 語. 結. 以上 で ,い わゆ る「 連続性 の原理」 の意味 と権能 とを 吟味す る こ とによ っ て『 探究 』思想 の論 理 的構造 を二 重構造 と して明 らか にす るとい う本稿 の作 業 を終 了す る。 テキ ス トの読 み方 や ,シ ュプ ラ ンガーに対す る批判等不備 な 点 があれば, よろ しく御指 導 をいただ け た ら幸 いであ る。 残 された 問題 は 多 々あ る。た とえば,「 道徳 的情調」 と「 道徳 的 自由」 との 関係 ,「 道徳的 自由」 と信仰 との関係 ,そ して これ らの人 間存在 の 内面性 の 問題 を『 探究 』 思 想 の歴史 的 0社 会 的文脈 の 中 で 把握す る こ と等 であ る。 これ らの 問題 につ いて は,今 後一 つ一 つ扱 ってい きたい。. 《注 》. 1)Spranger,Ed.Pestalozzis Denkformen,1959,S.100(玉 川大学版『 ペス タ ロ ッチ全集 6』 所収 ,虎 竹 正之 訳『 ペ ス タ ロ ッチ ーの探究一一 その分析 』参 照. ,. 以下 略す。). 2)Natorp, Po Pestalozzis ldeen uber Arbeiterbildung und soziale Frage, 1894, S. 17f.. 3)Buchenau, A.Pesta10zzis SOzialphilosophie, 1919, S.174. 4)Spranger, Ed.a.a.0。 ,S.114. 5)Pesta10ZZi, Sa]mtliche Werke, hrs.v.A.Buchnau, Ed.Spranger, H. Stettbacher(以 下 SWと 略す。), Bd.12,S.110(玉 川大学版『 ペス タ ロ ッチ 全集 6』 所収 ,虎 竹正之訳『 ペス タ ロ ッチ・ 探究 』を参照 した ことを断 って お き たい。以下 略す。 ). 6)a.a.O..

(18) 112. ペ ス タ ロ ッチ ー に お け る「 連 続 性 の 原 理 」に つ いて. 7)a.a.0。 ,S.109f. 8)a.a.0.,S.109 9)a.ao O.,S.106 10)aoao o。 ,S.108. 11)a.a.o. 12)a.a.0。 ,S.113. 13)Spranger, Ed.a.a.0。 ,S.100 14)SW。 12, S.221 15)ao a.0。 ,S.115. 16)a.a.0。 ,S.118 17)ao a.0.. 18)こ の 表 は ,Edo Spranger,Pestalozzis Denkformenの 巻 末 に 添付 され て い る。 19)SW.12, S。 118 20)Spranger, Ed.a.ao O.,S.109. 21)SW。 12, S.40f 22)a.a。. 0。. ,S.152. 23)a.a.0。 ,S.120f 24)a.a.0。. ,S。 113. 25)a.a.0。 ,S.102 26)a.a.0。 ,S.120 27)a.a.0。. ,S。 118. 28)a.a.0。 29)a.a.0。 ,S.101 30)ao a.0。 ,S.162. 31)a.a.0.,S.165 32)Spranger, Ed.a.ao O。 ,S.108 33)a.a.0。 ,S.107. 34)SW。. 12, S。 111. 35)Spranger,Ede a.a.0。 ,S.100.

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