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ペスタロッチ-における「人間」について

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Academic year: 2021

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(1)ペ ス タ ロッチ ー に お け る「人 間 」に つ いて 鰺. 第 1章. 人. 第 1章 第 1節. 人. 間. 第 1節. 人 間性 の尊厳. 第 2節. 自 発. 第 3節. 自己統合性 と調和的発展. 第 2章 終. 夫. 坂. 自. 性. 然. 章. 間. 人間性 の尊厳. フ リー ドリッ ヒ・ マ ン Friedrich Mannに よれば ,ペ ス タ ロ ッチ Tは その 「 隠者 の夕暮」 を1779年 の冬か ら,1780年 にか けて 書 いて い る。 それ は ,ノ イホ ー フにおけ る彼 の貧 民学校が解散 した時か ,少 くも解散 に直面 して い る 頃 で あ った。 それ 故 に ,彼 を支配 して いた重 苦 しい気分 は ,こ の書 の上 に も 現われ て い る。 その意味深 い格言 のなかに ,我 われ は ペ ス タ ロ ッチ ーの教育 体系 の 計画 と解答 ,即 ち ,一 人 の天才的建築家一― ただ惜 しむ ら くは彼 に は その設 計図 によ って ,そ の建物 を完成 し得 る運命 が恵 まれなか った一― の価 値 あ る設計図に も比す べ き もの を見 出す。 この書 の著者 は ,苦 難多 き労働 に よ って ,向 上 の努力を続 け る人類を見た。 しか も人類 は何 ほどの満足を も得 る ことな く凋ん で しま う。 そ こで は彼 は熱情を傾 けた忠告 を与 えて ,国 民 の 牧者 と人類 の賢者 に対 し,彼 らが人 間 の本質 と使命 とを探究 し,人 間 の 内面性 を満 たす に必要 な真 の要求を知 るよ うに訴 えて い る。 ニ ーデ レル Nitterer によれば ,こ の 書 は次 のよ うにその内容 の 分析 を試 み ることが 出来 る。. 1,教 育 の一般 的課題。教 育者 の出発す べ き根本動機.

(2) 338. ペスタロッチーにおける「人間」について. 2,人 間 の本質を満足 させ るための資料 と方法 の源泉 ,す べ ての教育 の基 礎 づ け。. 3,教 育 の 目的 と範囲。 4,人 間 の発達 にお け る自然の本質 的過程。 5,精 神 的教育 ,或 は知的陶治。 7,心 の教 育 7,家 庭教育 8,宗 教教育 9,国 民的及び公民的教育。 この豊J期 的 と言 い得 る著書 の 冒頭 において ,我 われ は印象 的な次の文字 に 出会 う。. 「 玉座の上にあって も,茅 屋 の蔭 にあって も,そ の本質 において人間たる ことにかわ りなき人間よ。汝は一体 ,何 者であるか。何故 に賢者は我われに それを告げないのか。何故に哲人は人間の本質が何であるかを明 らかに しな いのか。農夫 は牡牛を使役 しなが ら,そ の性質を知 らないのか。牧者 はまた 2). 自分 の 羊 の天性を 究 めな いの か。 」 彼 はその 声を励 ま して為 政者をた しなめ る如 く語 りつづ け ,為 政者が その 国民を恰 か も牧者が羊に対す る如 く心を尽 して い るか否か を 問 うて い る。 そ う して ,再 び人 間本質 へ の深 い 間を投 げか け ,「 人 間 の本質を なす もの ,彼 が求め る もの ,彼 を高 め る もの ,彼 を卑 し くす る もの ,彼 を強 くし,ま た弱 くす る ものは何 で あろ うか。 それ はま こ と に 国民 の牧者 た る者 に も ,卑 しき小屋に住 む人 々に も不可欠 の もので あ る。 至 るところに人 間 は この必 要を感 じて い る」 と問 うて い る。 ここに は ,ニ ーデ レル も言 う如 く,ペ ス タ ロ ッチ ーの人 間 の一 般性 につ い ての基 本 理 念 と教 育 の根本動機が 伺われ る。 そ うして我 々の だれ もが感ず る こ とは ,人 間がそ の本 性 において 平等であ るとの 信念が ,ペ ス タ ロ ッチ ー に おいて不動で あ った とい う こ とで あ る。彼 によれば ,治 者 も被治者 も人間の本 性 において 考察 され るとき ,そ こに何 らの 差別 はないのであ る。「 す べ て の 人間 はその本質 において 同 じで あ る。 而 して ,こ れを満足せ しむ るに はただ.

(3) 鯵 坂 二 夫. 一 つ の道が あ るばか りで あ る。 それ 故 に純粋 に私 の本質 の最 内部 か ら汲み と 4). られた真理 は ,人 間一般 に共通な真理 となるであろ う」人間性 に対する徹底 した信頼 の言葉を我 々はここに聞 くことが出来 る。 そ うして このよ うな人間 性 の解明を教育 の根本動機 とした点において ,彼 の優れた教育実践の知的背 景が理解 され得 る。人間性は平等であ り,そ れは共通の真理を生み出す もの であるが ,し か し,そ れは決 して先験的な意味においてではない。「 人間は 自らの切なる要求に励まされて ,こ の真理へ の道を彼の本性 の奥底 に発見す る。 」「 わが救であ り, わが本性 の完成 にまで我を向上せ しめる真理よ。 如 何なる方法 ,如 何な る道において ,私 は汝を見出すであろうか。わが本性 の 5). 」 とい うのが その立 場 で あ 奥深 きと ころに , この真理 へ の 開発 の道が あ る。 った。深 い 自覚 反省 の根底 に現在す る体験 と して ,自 己の根源が体得 され. ,. 真理 へ の道 が見 出され るとい うので あ る。 このよ うな考 へ 方 に対 して は ,或 は人 間性をめ ぐる極端な楽天主義 で あ るとの批判が成立 つ か も知れな い。 そ して確か にそ うなので あ る。教 育 の歴 史 において彼 ほ どに ,人 間性 へ の 深 い 信頼を示 した人 は少 な い。 しか し ,こ の信頼 な しに は ,シ ュタ ンツの孤児 院 も ,イ ッフ ェル テ ンの学 園 も成立 しなか ったで あろ う。 あたか も夢見 る人 の 如 く,或 は何物 か に憑 かれた ものの如 く,打 続 く失敗 に もたゆまず ,彼 を勇 気 づ けた もの は実 に この人間性 へ の信頼 で あ った。 「 生活 の立脚点 ,人 間 の個人 的使命 ,汝 こそ は 自然 の 書 で あ る。汝 の うち に こそ この賢 明な る指導者 の力 と秩序 とが存在す るので あ る。 このよ うな人 6). 間教育の基礎 の上に築かれない学校教育 は誤 りに楽 く」「 その最内部におけ る人間本質 の満足よ。我われの 自然 の純粋なる力よ。汝は我 われの存在 にと って祝福であ り,決 して夢ではない。汝を求 め ,汝 を研究することは ,人 間 7)「. 性 の 目的であ り,義 務 で ある」. 人間性 のすべての純粋なる浄福 の力は ,技. 第 1節 (註 ). 1)PeStalozzi,J.H.Abendstunde eines Einsiedlers,Ausgewahlte Werke一 S6∼ 7 2) 3)Ibid一 ―S.8. 4) 5) 7) 8)Ibid一 ―Se 6)Ibid一 ―S.10. ll.

(4) ペスタロッチーにおける「人間」について. 34θ. 巧や偶然 の賜物 で はな い。 す べ ての人 間 の本質 の 内部 に ,そ れ は根源的素 質 とと もに横 たわ って い る。 その完成 は人 間性 の一 般的要求で あ る」 な どの言 葉 は ,人 間性 へ の深 い信頼 な くして発せ られ る言葉 で はない。 第 2節. 自 発. 性. ペ ス タ ロ ッチ ー は ル ソー と同 じく啓蒙期 の主知的人 間観 に反 対 して ,全 体 と して の人 間 ,即 ち ,知 的 ,情 意的 ,な らびに感覚 的存在 と しての人 間 を説 いた。 そ う して ,こ れ らの諸 々の素質 の根底に ,自 ら発展 し活動 しょうとす る内面的衝迫 ,即 ち ,自 己活動性を見た。 彼 によれば ,そ れ は自己の外 な る 意志 や努力 で はな く,自 己内に固有な意志 で あ り努力 で あ る。 またそれ は外 部 か らの 附加や注入 によ って 与 え られ るのでな く,自 己自身 の根源的能力 の 自己発展 においてのみ理解す ることがで きる。 それ は明 らか に 自 律 的 で あ り ,自 己法則的で あ るので あ る。 このよ うな 自発 的能力 の 有機 体 で あ る人 間 の 中 に現われ る諸力 は ,自 立 的 に ,そ の 固有 の法則 に従 って 内面か ら発展す る。 これ らの諸力 とは ,精 神 的 能 力 ,道 徳的能力 ,及 び身体的能 力 で あ る。精神 的能力 は悟性的概念理解 の 素質 を ,道 徳 的能力 は道徳的宗 教的能力を ,身 体 的能力 は身 体的並 びに技 術 的能力を包合す る。 そ うして これ らの能力を統合す る中心能 力 こそ 自 己活動 性 の源泉 で あ り ,人 間教 育 の根源力 であ るとい うの が ペ ス タ ロ ッチ ーの立 場 で あ った 。 この立 場 は ,ナ トル プが説 くよ うに ,カ ン トの「 道徳 的本質 と し ての人 間 は ,自 己自身 の創造 であ り ,自 己自 ら法則を与 え ,こ の 自律性及び 道徳的人格 によ り、人 は決 して単 に他 の 目的のた めの 手段 と してでな く,自 己目的 と して取扱 われ べ きで あ る」 の思想 とその根本見解 において一 致 して い る。 ただ ペ ス タ ロ ッチ ーにあ って は ,そ れ は カ ン ト的意味において 先験的 な純粋 自我を意味 した もので もな く,ま た ,単 な る五感を意 味 した ので もな い。 彼 は明 らか に人 間 の ,そ れ 自身にお いて 不可分的な ,精 神感覚 的な全体 を把握 しょうとして いたので あ る。換言すれば ,ペ ス タ ロ ッチ ー にお ける自 己活動 的人 間 は ,決 して抽象的な人間でな く,具 体的経験 的人 間 を 意 味 し.

(5) 鯵. 坂. 二. 夫. た 。 彼 は従来 の教育 のよ うに 一 つ の理想的人間を想定 し,そ の概念を児童 に 適用 し,そ れに従 って 教育す る こ とを欲せず ,却 って 児童 の能 力 の 中 に存す る もの を児童 にお いて 実現 しよ うと したので あ る。 彼 にあ って は ,教 師 とは ソ クラテ ス的意味にお いて ,児 童 の 精神的 自主性 ,人 間的個性 の助産婦 と し て考 え られた ので あ る。従 って 教 師 の第 一 の役割 は ,子 供 に対 して ,人 間的 能 力を与 え るに先 立 って ,外 的 な 強制が人 間本性 の 内面 的発展力を阻止 しな いよ うに ,或 は ,人 間 の本性 に固有な能力 の発展が ,自 己自 らの法則 に従 っ て その道 行を見 出す よ うに配慮す ることで あ った「 。 人 間 の 陶治 は窮極 にお い て 自 らの力 の 自 己発展 に外 な らな い。 それ は決 して外的な事物 ,或 は ,他 人 か らの形式 の分与 ,強 制 で はな い。 事物 は彼 に加工 さるべ き素材以外 の何物 9). を も与 えない。他人 の助力 は ,自 助 へ の単 な る助力で あ り得 るのみで あ る」 また ,ペ ス タ ロ ッチ ーの教育 思想 の奥底 に見 られ る道 徳 や宗教 の境 地 も. ,. 自発性 の立 場か ら解 された。 彼 によれば人 間 は自己内部 へ の深 き 直 観 に よ り ,即 ち ,自 己自身の 自己活動 によ って 神を見 出す ので あ る ,し たが って宗 教 の本質 は 自 己自身の 内面的判 断に よ って 現 らはにな る もの と し て 解 さ れ た。 それ 故 に人 間 は彼が人 間を ,即 ち ,彼 自身を知 る限 りにおいて神を認 識 す るので あ り ,神 は人 間に とって は ,人 間 によ ってのみ ,人 間 の神 で あ り. ,. 「 神 の信仰 は人 間性 の純 粋陶治 へ の 自然 の道で あ り ,人 間性 において ,そ の 本質 に刻 み こまれ て い るので あ る。 善 悪 に対す る感覚 の如 く,正 ,不 正 につ いての 消 し難 い感情 の如 く,そ れ は人間教育 の基 礎た る私 の本性 の 内部 に不 変 的 に 存在 す る:Tの であ った。 ナ トル プは 自発性 の根底 に感 情を お き ,そ こに宗教 的人 間性を根拠 づ けて い るが:1)ペ ス タ ロ ッチ ー にあ って は 自発性 そ れ 自身が宗教 的道 徳的 で あ ったので あ る。 また ペ スタ ロ ッチ ー の方法を して教育史上劃期的な らしめた直 観 の 原 理 も ,自 発性を核心 と して考 え られた。彼が陶治 の基礎 と して の直観を説 く場 合 ,認 識す る存在 と しての人 間 は ,単 に精 神 的 で もな く,ま た ,感 覚 的で も な い ,精 神感覚 的な存在 と して うけ と られた。直観 は一面 において感覚 的で あ るとと もに ,他 方 ,自 ら法則を与 え る もの と して 自律的精神 を もた な けれ.

(6) 342. ペスタロッチーにおける「人間」について. ばな らない。認 識構造 の基礎 は自己活動的 精神 の 中にあ る。教授 の形式 は. ,. 人 間精神 の普 遍的 根拠 の上 に基礎 づ け られ る。悟性 は感 性が 自然か ら受容 し た ものを ,そ の統 一 の表象 に ,即 ち ,或 る概 念 に把握す る。 あ らゆ る言 語. ,. 数 量 は ,豊 かな直観 によ って産 み 出された悟 性 の成果で あ る。 この よ うに し て ,自 己認 識 はす べ て の人 間 の教授が 出発 しな ければな らな い所 の 中心であ る。 ここに言 う自己認 識 とは ,本 質的 に 自己の物 理 的本性 の認 識 ,並 に ,そ の 内面 的 自律性 の認 識 ,自 己の 意志 ,及 び義 務 の 意識 ,そ れ故 に道 徳 的 自律 性 の 意識が意味 されて い る。 そ うして ,こ の よ うな感覚 的な もの と精 神 的な もの との 調和統 一 は ,人 間本性 の本質的要求で あ ると解 された。 この よ うに して ,始 めて 具体的な認識を生 じ,直 観 によ り自発性 の原理 は具 体的行為. ,. 現実 的作用 の原理 とな るので あ り ,こ の直観 の統 一の 中心 こそ「 汝 自身」 で あ ったので あ る。 ペ ス タ ロ ッチ ーの教 育 は ,人 間 の諸 々の能力か ら生 じ,生 命 あ る ,創 造的 な ,換 言すれば ,自 己活 動的人 間 ,調 和 と統一 の ある ,自 己自身の法則 に従 い ,内 面か ら発展す る人 間を 目指 して いた。 彼 にあ って は人 間 はそれ 自身 自 発 的 で あ り,方 法 は人 間 の外 にあ るのでな く,彼 自身 の 中 にあ り ,彼 自身 こ そあ らゆ る認 識 の 中心 点 で あ った。 それ は道 徳的宗教的立場 において は愛・ 感謝・ 信頼 と して あ らわれ ,知 識 の立 場 において は認 識或 は理性能 力 と して 現われ る。 ただ 自発性 は ,そ れ 自身 と して認 識 し得 る もので はな くして ,真 の 自発性 ,真 実性 と して人 間性 の根底を なすのであ る。 それ は知 識が そ こに 於 て 成 立 つ 信仰で もあ り確信 で もあ った。 第 3節. 自 己統 合性 と調和 的発展. 自己統合性。 自 己活動性 ,或 は自発性 は ,そ の活動 の 中心点 を何処 に見 出. すであろうか。「 隠者の夕暮」にも「 人間よ,汝 自身 ,汝 の本質と汝の諸能 第 2節 (注 ). 9)Natorp,P.Pestalozzi,Sein Leben und seine ldeen 1927-S.42 10)PeStalzzi,J.H.Abendstunde eines Einsiedlers,Ausgewahlte werke一. ― S。 15. 11)Natorp,Po Religion innerhalb der Crenzen der Humanitat― 一s.35-39.

(7) 343. 鯵 坂 二 夫. カ の 内的感情 は教育す る 自然 の最初 の主 題 で あ る」 ヒ述 べ ,内 的感情を人 間 陶治 の基 本課題 と して把握 し,「 よ り近 き関係 の教育 された力 は ,よ り遠 き 13). 関係 のための人 間 の知 恵 と力 との源 泉 であ る」 と して ,近 き関係 の根源性 を 説 いて い る。 そ うして ,こ の近 き関係 の うち ,最 も近 い 関係 は人 間 の 自 己自 身 に外 な らなか った。「 ゲ ル トル ー トは如 何 に してそ の子 らを教 うるか」 に おいて も ,「 人 間本性 の発展が ,そ れ に従 うと ころのす べ て の これ らの法則 は ,そ の全範囲にお いて一 つ の 中心 点 に輻合す る。 それ は我 われの全 存在 の 中心点 に輻 合 し,そ う して ,こ の 中 心点 は我 われ 自身 で あ る。友 よ ,私 の存 在 ,私 の欲す るもの ,ま た私 が ま さにあ るべ きす べ て は ,私 自身か ら生ず る。 14). 」 と述 べ ,諸 々の 関係 私 の認 識 もまた私 自身か ら 発す べ きで は なか ろ うか。. ,. 諸 々の 力が ,自 己自身 に最 も近 き関係 ,即 ち ,彼 自身 に輻合す るとい う立場 を強調 した。 と くに ,方 法や直観 において ,こ の 原理 はその意味を明瞭 にす る。 即 ち ,「 メ トー デ」 において物 的・ 自然的機制 の法則 と して. ,. 第 1に 物 的遠近 の法則が人 間 の直観 ,そ の職業 の発展 ,人 間 の徳性 の あ ら ゆ る特質を決定す ると主張 し. ,. 第 2に ,こ の物 的遠近 の法則が ,人 間 の全存在 の 中心点 に集 中 し,こ の 中 心点が汝 自身 で あ ると説 いて い る。 また ,自 己に発 し,そ の最 も近 き隣人 関係 と して の家庭―― それ は社会 の 基礎 で もあ る一― を第 一の ,か つ ,最 も優れた 自然 関係 で あ ると見 るの も. ,. この一切 の 中心を 自己 と見 ,一 切が 自己に輻合 す るとい う立場 の あ らわれ と 見 て よい。宗教 につ いて 語 る場合 で も ,ま た ,そ うで あ る。 即 ち ,「 神 は人 間 に最 も近 い 関係 で あ る」 ので あ り ,ま た ,「 人 間よ ,汝 自身 を 信 ぜ よ. ,. 16). 汝 の本質 の 内的意味を信ぜ よ。 さ らば汝 は神 と不死 とを信ず るで あろ う」 で あ った。人間が 自己自身を信ず る時,絶 対者を知 るとい うペ ス タ ロ ッチ ーの 神秘主義的思想 は ,人 間 の 自覚 が ,神 の 自覚 に ,道 徳的世界が宗教 的世界 に 直結す ること ,そ の 同一 化 ,同 一 性を提 唱 して い る もの と理解 して よい。 そ う して ,そ れ は一 つ の 原理 ,即 ち ,人 間性 の統合 の原理 の示唆 で あ ると解 さ れ よ う。.

(8) 344. ペ ス タロ ッチー におけ る「人間」 につ いて. 調和 的発展。 自発的人間本性 のな か に ,ペ ス タ ロ ッチ ー は調和的発展 の可 能 ,統 一 ,秩 序 を見 よ うとす る。 彼 において は ,陶 治 の合 自然性 は三 つ の根 源 的能力 ,即 ち ,道 徳的能力 ,知 的能力 ,身 体的能力が相互 に緊 密 に 結 合 し,相 扶 け ,支 持 し合 いつつ 調和的に発展す ることを予想す る。 知的能力 と 道徳 的能力 は ,互 に内面的能 力 と して結 合 し,こ れ と外面 的活動性 と して の 17). 身体的能力が調和的 に結 合す る もの と考 え られ「 白鳥 の歌」 におけ る諸力均 衡 の 原理 の立 場 が あ らわれ る。 この書 のな かで ,基 礎陶治 の理念 につ いて 論 ず る時 の ペ ス タ ロ ッチ ーの見解 はつ ぎのよ うで あ る。 人 間 の本性 は何か。 まず彼 はそれを 問 う。人 間 の本性 の 固有 の本質 ,そ の 特徴を探究 しよ うと して ,そ れを他 の生物 との比 較 において ,即 ち ,人 間 の 本質を他 の動物 の 具有 しな い本質 や能力 ,た とえば肉や血や情欲でな くて. ,. 人 間的心情 の素質 ,人 間的精神 ,人 間的技能 において人 間 の本質を形成す る ヾ 己 もの を見 よ うと した。 従 って ,基 礎陶治 の理 念 は ,こ の人 間的 ノ 情 ,人 間的 な精神 ,人 間的技能 の能力や素質 の合 自然 な開発 にかかわ る理念 と して考 え られた。 そ う して ,彼 は ,動 物 的な本性 の要求を ,こ の 心 情 ,精 神 ,技 術 な どの 素質 の もつ 内面的本質 ,神 的本質 の崇高 な要求 に従属せ しめ ることを 要求 して い る。 それ に加 えて ,こ れ らの三つ の諸能力 の基礎 に一 つの生気 に み ちた 内的感情を予想 して い る。 そ うして ,こ れ こそ永劫 不 易な法則 に基 づ いた もの ,或 はそのあ らわれ と して考えて い る。 しか も ,こ れ らの諸 々の 力 は一 つの 共同能力 と して把握 さるべ き こ とを述 べ ,「 人 間本性を ,こ の 共通 能 力に おいて ,即 ち ,心 と し ,精 神 と し,手 と して理 解す る ものの みが ,真 に人 間を合 自然 に 陶治す る」 と述 べ て い る。 もし,こ れ らの諸能力が ,単 に そ の一 つ において の み ,把 握 され るな らば ,諸 力均衡 の力を失 い ,陶 治 は極 めて 不 自然 な ものにな って しま う。我 々の諸能力 の一つ の ,一 面 的 な 開 発 は ,決 して 真実 な合 自然的な陶治 で はな い。「 真実 の合 自然的陶治 はそ の本 質 において人 間 の諸 力 の完全性 の努力 に ま で 導 く」 とい うのが ,彼 の立 場 で あ った。 それで は ,如 何 に して道 徳的生活 の基礎 ,即 ち ,愛 と信仰 とが合 自然的 に 陶.

(9) 鯵 坂 二 夫. 治 され るで あろ うか。 この 間に対す るペ ス タ ロ ッチ ーの解答 は「 母 の力」 と 「 母 の誠実」 とで あ った。物 的に も ,ま た ,精 神 的に も ,最 初 の平和 は母 の 神聖 な配 慮において成立 つ 。 その 配慮 の如何 によ って ,父 親 の力 の もつ 働 ら き も ,ま た ,兄 弟姉妹 の もつ 教 育的な意味 も ,家 庭生活 に存在す る教育的祝 福 も ,芽 生 えた り ,凋 んだ り して しま う。 しか も人 間性 の本質 は実に この平 和 においての み発展す る。母親 は ,し か し,単 に盲 目的 にその 子 に奉仕す る ので はな い。 賢明 に して思慮深 い母親 は彼 女 の愛 の奉仕 において ,子 ど もの た めに生 活す る。 か の女 は子 ど もの気紛 れや動物 的な我侭 に は決 して 奉仕 し な い。 この よに して ,子 ど もは母 の愛す るものを愛 し,母 の信ず る もの を信 ず るに至 るで あろ う。感覚 的 ,人 間的 に も ,ま た ,神 的宗教 的に も,子 ど も は母 の言葉を信 じ,そ の母 の手 において ,子 ど もは合 自然的 に感 性 的 な 信 と ,感 性的 な愛 か ら,人 間的な信 と愛 に ,更 に ,真 のキ リス ト教 的信 と愛 に ま で 高 め られ るので あ る。基 礎的陶治 の理念が ,子 ど もの道徳 的宗教的生活 を ,そ の揺笙 か ら人 間的に基 礎 づ けよ うとす るの は ,こ の方法 によ ってで あ る。 ペ ス タ ロ ッチ ー晩年 の作 で あ る「 白鳥 の歌」 に見 る母 親 の教 育的立場 の 重要性 は ,す で に「 隠者 の 夕暮」以来 の彼 の教 育思想 の立 脚点 で あ った。 つ ぎに ,人 間 の精神生活 の基礎 ,そ の思惟 能力 ,熟 慮 ,討 究 ,判 断な ど の 基 礎 は如 何 に して 合 自然的 に我 われ の本性 において発 展す るので あろ うか。 この第 2の 課題 に対 して は ペ ス タ ロ ッチ ー はつ ぎのよ うに答 えよ うとす る。 即 ち ,我 われ は我 われ の思考 力 の 陶治が ,あ らゆ る対象 の直観が我 われ に与 え る印象 か ら出発す ることを 知 って い る。 それ らの対象 は ,そ れが我 われ の 内的及 び外的な感覚 に触れ る時 ,我 われ の精神力 に内在す る本能を 自 ら開発 す るよ うに刺激 し鼓舞す るので あ る。思考能力 の 自己本能 によ って 鼓舞 され た直観 は ,そ の本性 上 ,直 観 の対象が我われ に与 えた 印象 の 意識を ,そ う し て ,そ れ と共 に ,対 象 その ものの感性的認 識を完成 す る。 この直観 は ,つ ぎ に ,直 観 の 印象が我 われに与 えた 表現 の要求 の 感情 ,な かんず く摸倣 の要求 の 感情 ,ま た更 に ,言 語能力の要 求 の感情を生 み出す。 即 ち直 観か ら出発す る知的 陶治 は ,合 自然的 な言 語教授 において その最初 の助 けを求 め る。 知的.

(10) 346. ペ ス タ ロ ッチーに お ける「人 間」 につ いて. 陶治 は ,更 に高 度 の基 礎を要求す る。 それ は直観 によ って 認 識 せ られ ,そ れ 自身 において明瞭な意識にま で もた らされた諸 々の対象を 自 ら結合 し,分 離 し,比 較 し,そ れ らの対象 の本質 や 性質を ,真 実 な思 考能力 にまで高 め る諸 能 力 の合 自然的 な 開発 へ の技 術的手段 を要求す る。 知的陶治 ,並 びにそれに 依存す る人 間 の教養 は ,人 類が数千年来 認 識 し,利 用す るにまで至 った我 わ れ の思 考能力 ,探 究能 力 ,判 断能 力 の合 自然的な開発 へ の論理 的な技 術手段 の絶 えざ る完成を要求す る。 そ うして この直観 によ って認 識 された対象を論 理 的 に加工す る能 力 は ,ま ず ,計 算 し,測 量す る能 力 にお いて 最初 の萌芽を 見 出す。 数 の教 え と ,形 の教 えが それで あ る。 彼 は これを ブ ル グ ドル フに お け る最 初 の実験 に於 て 成功 した と語 って い る。 ペ ス タ ロ ッチ ー は更 に続 けて 間 う。第 3に 人 間 の精神 の所産を外部 に表現 し,人 間 の心 情 の本能 に外部 的 に効果 と効力 とを与 え ると こ ろの技術 の基礎 は如何 に して発展す るで あろ うか。 そ うして ,つ ぎのよ うに答 え よ う と す る。 この技術 の基礎 は内的 で あ ると共 に外 的 ,精 神 的 で あ ると共 に物 的 で あ る。 また ,あ らゆ る技 術能力 ,職 業能力 の完成 の 内的な本質 は ,人 間 自然性 の精神能力 の完成 ,直 観能力 の合 自然的な完成 か ら生ず る思 考判 断 の能 力 の 完成 によ って成立す る。基 礎的 に仕組まれ た形 の教 え は ,そ の性質上技 術能 力 の 特有 な精神 的 (知 的)な 技能 と見 られ るよ うに ,外 的な技 術 の熟練 の達 成 に必要 な感覚 や 手足 の機械 的な練習 は ,反 対 に ,技 術能力 の 物 的な技能 と考 え られ る。技 術能 カーー 職業能力 は この能力 の単 に特殊 な個人 の 身分 や 境遇 に応 じた応用 と見倣 され る一― の基礎的な達成 は ,こ のよ うな 二つ の本質 上 異 った基盤 に立 つ ので あ る。 ここで注意 しな けれ ばな らな い こ とはつ ぎ の こ とで あ る。 即 ち ,感 覚 や 手足 を使用 しょうとす る自然 の衝動 は ,本 質 的に動 物 的 ,本 能 的に触発 され るが ,そ の本能 的な触発 を道徳 的 ,精 神 的な基 礎 の 法則 の下 に従属せ しめよ うと して い ることで あ る。 ペ ス タ ロ ッチ ーに於 て は 精神 的 (知 的)な もの と物 的な もの とが並 び 用 い られ て い る。 しか し究極 に おいて精神的な ものの優位が主張 し続 け られ,物 的な もの は否定 され は しな いが ,下 位的存在 と して扱われ て い る。.

(11) 鯵. 坂. 二. 夫. 「 ゲ ル トル ー トは如何に して その子 らを教 うるか」 にお いて も ,「 自然 は 本 来的 に盲 目で あ る。 それ 故 に ,自 然 は洞 察 にみ ちた精神 的道徳 的人 間 の本 性 とは調和 し得ず ,ま た調和 しよ うと試 み得ず ,調 和 し得 る こ との不可能 な 自然 で あ る。反対 に感覚 的な 自然 と調和 し得 る境地 にあ って ,調 和 し得 る能 力を もち ,ま た ,ま さになす べ き義務 の あ るの は却 って 精神 的道徳的 自然 で あ る。我 々の感性 の法則 は ,我 々の 自然性 の本質 的要求 に従 って ,道 徳的精 神 的生 の 法則 の下 に従 わさせ られな ければ な らな い。人 間 はそ の精神 的 内面 的生活 によ ってのみ人 間それ 自身 で あ る こ とが 出来 る。 彼 はそれ によ って の み 自律的 で あ り,自 由であ り,満 足で あ る。 感覚 的 自然 は人間を その境 地 まで は導 かな い。感覚 的 自然 はその本質 において は盲 目で あ り ,そ の道 は暗黒 の 道 ,死 の 道であ る。人類 の 陶治 と指導 は ,盲 目的な感覚 的 自然か ら,ま た. ,. その 暗黒 と死 の影響 の手か ら奪 い と り ,我 われ の道徳 的精神 的本 質 の 手 に. ,ま た ,そ の聖 な る永劫 の ,内 的光明 と真理 の手 に 置か な ければ な らな い」 と説 かれて い る。 人間を精神 的能力 ,心 情能力 ,技 術能力 の全人格的統合 に於 て 見 よ う と し ,そ の諸力 の根源を それぞれ 特殊 な基礎 にお こ うと した ペ ス タ ロ ッチ ー に あ って は ,人 間 は常 に一 つ の 具体的全体 ,物 心相 即的全体 と して把握 されて いた こ とを ,そ う して ,そ の 際 ,物 的な もの は ,精 神 的な ものの下 におかれ て い る こ とを見た。教 育 の 対象 と して の人 間を単 にその精 神的 ,価 値 的狽1面 において の みな らず ,明 らか に物 的 ,自 然的存在 と して見 る面を 伴 うと こ ろ に彼 の教 育思想 の 具体性 と調和性が残 され る。 このよ うな人 間観が ,更 に一層 段階的展開 の道程を経 た もの と して ,我 々 19). は1797年 の「 人類発展 にお け る 自然 の道行 につ いて の 討究」 を見 る こ と が で きる。 ペ ス タ ロ ッチ ーの著書 中最 も哲学 的 で あ ると言 はれ るこの著 におい て ,彼 は人間 の発展 の道 行を 三 つ の段階 で考察 した。 それ は自然的段階 ,社 会 的段階 ,及 び道徳 的段階で あ る。 そ う して これ らの三 つ の段階 に即 した真 理 と正義 とが論ぜ られ る。 即 ち ,第 1の 自然的段階 に於 て は ,真 理 は この世 の す べ てを 自 己のた めに奉仕 させ よ うとす る利 己的な原理 であ る。第 2の 段.

(12) 348. ペ ス タロ ッチーにおける「人間」につ いて. 階 の社会 的真理 とは ,こ の世 のす べ てを人類相互 の契約 関係 に於 て 見 よ うと す る社会 的 ,功 利 的原理 で あ る。 そ うして ,第 3の 道徳的真理 は ,前 2者 と 無 関係 に ,万 物を 自 己内面 に純 粋化す る契機 と して見 られ て い る。 この二つ は段階が融然 と一体化 された と ころに ,人 間 の 現実相が あ るとい うの が彼 の 立場で あ った。 自然人 の生活 は感覚 的本能 的で あ り,社 会人 の生活 は外面 的 強制 の生活 で あ り ,道 徳人 の生活 こそ 自己自身 の生活 で あ り ,自 己完成 へ の 希 望 と努力 の生活 で あ る。 即 ち ,ペ スタ ロ ッチ ー によれ ば ,人 間 の 意志 の 自 由 によ り ,人 間 の 動物 的本性 の 調和 の根底を 向上 し,人 間 の意 志 の 自由を動 物 的我 欲か ら要求す る ことを完全 に放棄 す ることによ り人 間 は道徳的で あ る ので あ る「 。道 徳性 によ り ,私 は私 自身を最高 な る ものに高 め ,自 己の本性を 完成 に導 き ,子 供 に も似 た無邪気 さ ,ま た は ,神 の如 き力 ,神 の 恵みにまで 至 らしめ る。教 育や律法 は動物 的好意を家庭生活を通 じて人 間 的 好 意 に 変 じ,更 らに社会的状態 の要求す る真実 と信仰 とを通 じて ,こ れを保持 しな け ればな らな い。 そ うして最 後 に ,没 我克 己によ って 無垢 の本質を再び 自己自 20). 身 の 中 に打立 て 得 る力 に ま で 高 めな ければな らな い」 しか し ,純 粋 な 道 徳 的状態 は人間 の根源的要求か ら出て ,理 想 と して希求 され る状態 で あ り ,そ れ は人 間にお いて 具体的 に実現す る こ とはむ つ か しい。人 間 は常 に社会 的状 態 の 暗黒によ って 悩 ま され るので あ る。 ペ ス タ ロ ッチ ー 自身 この ことを「 純 粋 な道徳性 は ,動 物 的 ,社 会 的 ,道 徳的能力が未だ分離 せ ず に内面的に織込 21). まれている如 く見える私 の本性 の真理性 に対 し矛盾す る」 と 述 べ て いる。 このよ うな ,純 粋 に魂 の内部に起 る過程 としての道徳性 は ,永 遠 の生成であ り,所 与でな く課題である。 そ うして ,こ の課題は人間が中間的 存 在 で あ 22). ることによ って 必 然的 で あ る。 デ レカー トは巧みにそれを教 え て い る。 即 ち ,ペ ス タ ロ ッチ ーの理性 ,自 然 ,自 我 ,精 神 は ,半 面 において は形而上 学 的 に ,他 の半面 において は心理学 的に解 され る。 そ うして ,自 然 の客観 的合 目的性 は ,そ の形 而上 的立場 にあ って も ,ま た心理 的立場 にあ って も,そ れ は同等 で あ ると して扱 はれ る。 もしこの合 目的性を見 出そ うとす る人 は同 時 に 二つ の道 を歩 まなけれ ばな らな い。 それ は互 に遠 く離れ て いて も ,同 一 の.

(13) 349. 鯵 坂 二 夫. 目的に終 るもので あ る。前者 は「 私 の本性 の 奥深 きと こ ろに ,こ の真理 へ の 開発 の道が あ る」に見 られ る立 場 であ り ,後 者 は ,「 リー ンハ ル トとゲ ル トル ー ト」 に見 られ る「 人 は ,も し生 の全体を理解 しよ うと欲す るな らば ,自 己 自身を知 らな ければな らな い」 の立 場 で あ る。 この二 つ の道 の上 に ,ペ ス タ ロ ッチ ーの「 生 活 は陶治す る」 が成立す る。 彼 は ,人 間 の社会 的状態が道徳 の世界を暗 くす るのに反 し,人 間 の 自然的 状態 は道徳的状態 と調和 し易い と考 えてい る。 彼 は言 う。「 私 は ,私 自身 の 力 によ って道 徳 的 にな り得 るので あ る。私 の利 己が ,私 の好意 と調和す ると い う こ とは ,私 の心 情を導 いて道徳 を 私 の性情 に可 能 な らしめ る こ と で あ る」 と。 そ うして ,そ れを可能 な らしめ る最 高 の もの が宗教 で あ った。言 い か えれば ,道 徳 の行手 に宗 教 が存在 した。 その場合 ,彼 は必 らず しも宗教 と 道徳 との 関係を 明 らか にす るとい う態度 でな く,む しろ道徳 と立法 との 関係 を論 じて道徳 の章を結 んで い る。 彼 の説 くと ころによれば ,国 民 の道徳 は常 に立 法 的知恵 ,即 ち ,権 力を 正 義 に ,利 己性を好意に従わせ る立法 的知性 の結 果 に基 づ くので あ る。 これに反 し,国 民 の 不道徳 は常 に立法 の誤 りの 結果 で あ ると解 された。 また ,道 徳性 の発展 に対す る作用 の面 で は ,義 務 の 観会 よ りも ,む しろ人 間 に感 覚 的 ,動 物 的 に近 く存在す る ものの方が切実 であ る。 た とえば ,父 と しての義務 の観念 よ りも ,子 ど もた ち の微笑や涙が ,人 間 の 道 徳 心 を増進す るので あ り ,純 粋な政治 の根本 原理 が社会 の硬 化 か ら人 間 の 心を 保護す るのでな く,人 間 によ り感覚 的 に近 く存在す る社会 の喜 びや悲 し みが ,そ れを保護す るので あ り ,権 力 か ら導 かれた結果 と して の 社会 的義務 の観念 よ りは ,む しろ人間の 自然性か ら生ず る素朴 な好 意 こそ道徳性を増進 させ る ,と い うの が ,社 会的 ,国 民的道徳 の源泉 につ いて の彼 の見解 で あ った。 宗教 と道徳 との 関係 につ いて の 明快な推論 を欠 いた点 に批判 の余地を残 し なが ら,し か し,我 われ は ここに ペ スタ ロ ッチ ーの一つ の根本原理一― 物 的 遠近 の 法則が堅持 されて い ることを知 る こ とがで きる。 隠者 の 夕暮 のなか に 「 よ り近 い関係 の教 育 された 力 は ,よ り遠 い 関係 のための人 間 の 知恵 と力 と 23). 24). の 源泉 で あ る」「 父の家よ,汝 こそは道徳 と国家との学校である」「 人間.

(14) ペ ス タ ロ ッチ ーにお ける「人 間」 につ いて. 35θ. 25). の家庭的関係は,第 1の かつ最 も勝れた自然関係 で あ る」 と説かれ,ま た 「 ゲル トルー トは如何にしてその子らを教うるか」 に も「 子どもの最初の教 育は,決 して頭のことでな く,理 性のことで もない。それは永劫に感覚のこ 26). とで あ り ,心 情 の こ とであ り ,母 の ことで あ る」「 人 間 の教 育 は ,た だ徐 々 に感覚 の修練か ら判 断 の修練 へ と進む。 それ は理性 の こ ととな る前 に ,永 ら く心情 の ことと して続 き ,男 性 の ことに な りは じめ るに先立 って女性 の こと と して 続 く。」 と述 べ られ て い る。 また ,そ の 遠近 の法則 の基 礎的関係 と し て ,幼 児 と母 との間に存在 す る 自然関係 ,即 ち揺笙 の 中か らの教 育を と りあ げ た こ とを ,我 々 は同 じ書 の第 14信 の 中 に 読み とる ことがで き る。 第 2章. 自. 然. ペ ス タ ロ ッチ ーの多 くの著作 の なかで ,我 われ は ,し ば しば「 自然 Natur」 とい う文字 に触れ る。 た とえば「 自然 の道 」 Der Weg der Natur「 自 然 の 書」 Das Buch der Natur「 自然 の 力」 Die Kraft der Natur「 教 育 の合 自然 ′ 陛」 Die Naturgemassheit der Erziehung「 自然 の模 fta」 Die Nachahrrlung. der Natur「 自然 の陶冶」 Die Bildung der Naturな どのよ うな ,い ろい ろ な形 において「 自然」 とい う言 葉が用 い られて い る。 それ は ,多 く,我 々が 目に見 ,耳 に 聞 く感覚 的 自然 で あ る場合が多 く,ま た しか し時 と して人 間 の 自然性 ,本 性 とい うよ うな価値 や理 念を 合 めて語 られ る場合 の あ ること も見 第 3節 (註 ). 12)13)Pesta10ZZi,J.Ho Abendstunde eines Einsiedlers,Ausgewahlte werke一. ‐ S。 13. 14)Pesta10ZZi,J.Ho Wie Gertrud ihre Kinder lehrt,Ausgewahlte werke一 ―S.185 15)16)Ibid一 ―S.17 17)Pesta10ZZi,」 .Ho Schwannengesang,Ausgewahlte werke 18)PestalZZi JoH.Wie Gertrud ihre Kinder lehrt一. S.258∼ 259. 19)20)Pesta10zzi,」 .H.ⅣIeine:Nachforschungen uber den Gang der iNatur in der Entwickelung des hfenschengeschlechts,Ausge、. rerke vtthlteヽ ハ. 21)Ibid― ―S.169. 22)Delekat,F.J.H.Pestalozzi 1926 S.110∼ 111. S.13 23)24)25)Pesta10ZZi」 .H.Abendstunde eines Einsiedlers一 ― 26)27)PestalZZi,J.H.ヽ Vie Gertrud ihre kinder lehrt一 S.287.

(15) 鯵 坂 二 夫. 逃 せ な い。 この「 自然」を ペ ス タ ロ ッチ ーが ,ど のよ うに理解 し,ど のよ う に用 いたかを尋ね る こ とは ,彼 の教 育思想を究 め るための一 つ の方法 で あろ う。 教 育史上 ,自 然を重視 した人 々の 中で我 われ はル ソーと コメ ニ ウスの 名を 忘 れて はな らな い。 コメ ニ ウスの 自然 は外的 自然 を意味 した 場合 が多 く,そ の 場合 ,人 間 は自然の傍観者 ,或 は通 訳者 の立 場 にお いて考 え られ た。客観 的 自然主義 の 名 のあ るゆえんで あ る。 これに対 し,ル ソーの 自然 は主観的で あ ると言 はれ る。 それ は人間 自然 の衝 動 ,人 間 の本性 ,或 は神 の別 名とも解 さ れた。 ル ソーの 自然が理想 と して の 自然 で あ った と言 はれ るの もその故で あ ろ う。 ペ スタ ロ ッチ ーの場合 は ,前 二 者 とお もむ きを異 にす る。 それ は極 め て 具体的 ,現 実的な「 自然」 で あ り ,そ れが人 間 の 自然性 とい う形 に用 い ら れ るときには ,精 神感覚 的な人 間本性 と して ,超 越 的な るとと もに内在 的な る もの と して扱 はれて い る。 また ,ル ソーにあ って は自然 と文化 とは対立 関 係 におかれ ,互 に排 斥す る もの と して 考 え られた のに対 して ,ペ スタタ ロ ッ チ ー に於 て は文化 は必然的 に 自然を根底 と し,ま た 自然 は文化 によ って その 実を結 ぶ もの と解 されてい る。 この よ うな「 自然」 の 名 の もとに ,ペ ス タ ロ ッチ ー は何を意味 し,理 解 し ,表 現 しょうと試 みたで あろ うか。 べ い つ 「 基 礎教育 の理 念 に関す る見解 と経験」 の 中で 彼 は ぎのよ うに述 て る。「 それを通 じて子 ど もが愛 と活動 へ と刺激 され ,日 覚 ま され ,陶 治 さるべ き最初 の もの と して 父母 が与え るこの世界 にお いて ,子 ど もの感覚を触発す る全 自然界 ,即 ち ,一 切 の生物 die belebte Natur及 び無生物 die tOte Natur )「. が直接 に結合す る」. 人間 の本性. Naturの 崇高 な る感 情 が ,母 親 の誠実 と. 父親 の 配慮 とによ って深 く基礎 づ け られた子 ど もは ,す でにそれだけで も善 良 であ り温和 で あ る。 そ うして ,更 に 自然. Naturの 印象 ,即 ち ,神 の御業. で あ る天 と地 の状態 は一層彼を温和 にす る」「 自然. Naturは ,母 親 の誠実. と愛情 とによ って 温和 にされ崇 高 に された子 ど もに対 し彼 の 中 に 存 在 す る 30`. ). 愛 と実行力 とを刺激す る」 ここに語 られた 自然 とい う言葉 は ,一 つ の 例外一―「 人間 の本性 の崇 高 な.

(16) 352. ペスタロッチーにおける「人間」 について. る感情」―一 を 除 いて ,す べ て 単 な る自然を意 味 して い る。そ こで は生 物界 ,無 生物界 即 ち ,自 然界 の一 切を ,す べ て 自然 Naturの 語 の もとに包合 して い る。 ペ ス タ ロ ッチ ーが この 書簡 で述 べ る児童 教 育 の 環境 は ,ま ず第 一 に人 間 の世 界 で あ った。 特 にその両親及び縁者が最 も近 き もの と して挙 げ られ ,続 いて 子供が親 と共 にその 中 にい る隣人 ,社 会 の人 び と ,種 族 に ま で 及ん で い る。 そ して ,自 然 は第 2の 環境 で あ る。 自然 は第 1の 環 境 であ る人 間 と直 結 して 人 間関係 の基礎であ る父母 の愛 育 の賜物 と して の子 ど もの愛 と実行力 とを触 発す る力を もつ もの と して 考 え られ て い る。教 育 に対す る環 境 の もつ 意義を 強調 した もの と了解す べ きで あ ろ う。 しか し我 われ はつ ぎのよ うな彼 の 特殊 な考 え方を見逃 して はな らな い。 それ は ,こ の よ うな神 の業 と し て の 自 然 も ,も し子 ど もが両親 の愛 育にお いて 不充分な場合 に は ,ほ とん ど何 の影響 力を も有 ち得 な い とい う考 え方 で あ る。環境 の 中で ,と くに人 間 は環 境 ,な かんず く父 と母 と子 とのつ なが りを基礎 的 と考 え ,そ こに環 境 の与 え る影 響. 力 の最大の鍵を与えたところに彼 の教育観が現われる。 即ち彼は言 う。 「 愛が その父母 によって眼覚まされない子どもにとっては ,す べての世界観はただ 動物的で ある。このよ うな子どもは愛を装 うのみで真の愛を有たない。その装 31). い もまた動物 的 で あ って ,彼 の特徴 で あ る世界 観 とも一 致す る。 」「 この よ うな子 ど もに対 して は ,生 物界が その愛 と実 行 とを確実 にす る影響 力を有た な いよ うに ,無 生物 もまた このよ うな 子 ど もに対 し,印 象を与 え ることは不 可 能 で あ る。 」 と。 このよ うな 自然 と人 間 との 教育的関係を さ らによ り方法的 に明確に した も の が その著「 メ トーデ」 で あ る。「 メ トーデ」 において「 自然 はま こ とに人 間 に対 し大 いな る働 きをす る。 に もかかわ らず我 われ はその 自然 の道 か らか 33). けはなれている」 と言 ったペスタロッチーは「 自然その ものの直観は,人 FB5 34). 教授 の真 の基 礎 で あ る」 と言 い切 って い る。 そ うして「 自然 は人 間 の境遇 と 要求 と関係 とを通 じて ,認 識 の感性的基礎 と ,そ の 職業 の基 礎 と ,さ らに道 35). 徳 の基礎 とを築 きあげる」 と説いている。 ここで は人間教育における自然の 能力 ,作 用 ,影 響力が語 られ ,そ の際 ,人 類数千年 の経験が ,人 間に言語 と.

(17) 鯵. 坂. 二. 夫. 描画 と書 き方 と数 え方 と測定 の 術を 通 じ,自 然 の この影響力を強 め ,そ れに よ って 自然的機構 の法則が調和的 に人 間 に把握 され ると教 え る。 ペ ス タ ロ ッ チ ーによれば ,人 間を と り巻 くす べ て の事物 の 自然的 遠近 の法則 が人間 の直 観 と職業 の発展 と人間 内面 の道徳性 におけ るあ らゆ る特 質を 決定す るので あ り ,し か も ,こ の 自然 の 法則 も ,人 間 の全存在 の 中心点 」 即 ち「 汝 自身」 に 集 中す るとい うので あ る。 また ,自 然 の機構 は ,こ れを全体 と して 見 るとき は極 めて 高遠 で あ り ,し か も同時に その過程 は単純 であ ると説 く。恰 も巨木 の種子か ら,小 さな芽 が崩 え出でて ,人 目に は分 らな い成長 によ って 幹 の基 礎 ,小 枝 の基 礎が現われ ,遂 に末枝を 出す よ うに ,大 自然が如何 にそ の 個 々 の部分を培 い ,保 護 し ,新 らしい部分を古 い部分 の確か な生命 に結び つ け る かを参考 にせ よ と教 えて い る。 即 ち ,彼 は感性的な人間性 の機構 は ,そ の本 質 において 自然が 一 般 にその力を伸 ばす の と同 じ法則 に従 うと考 え ,そ の こ とによ って ,教 授 の基 礎 において も ,人 間が暗 い直観 か ら明晰 な概念に到達 す る機械的法則 に従 う こ とを信 じ「 私 は自然 に従 う」 と卒直 に告 白 した。 ここに語 られ る自然 Naturは ,す べ て感 覚 的に我 われ の 眼前 に存在す る自 然 で あ る。 そ うして この 自然 の もつ 法則 に従 い ,自 然 に倣 う こ とは ,い わゆ る合 自然的方法 の第 1の 意味で あ った 。「 隠者 の夕暮」 において彼が書 き残 した つ ぎの文字 は ,こ の 意 味 の 自然 と人間 の 陶治 との 関係を如実 に示す もの で あ った と言 う こ とがで きる。「 自然 の力 Die Kraft der Natur]は ,抵 抗 し 難 い力を もって人 間 を真理 に導 き ,そ の導 きに は何 らの頑迷 さ もな い。鶯 の 声 が暗 らい 闇 の 中に響 けば ,す べ て の 自然物 は気持 よい 自由 のなかに動 き立 ち ,抑 圧す るよ うな秩序 の 黒 い影 は ,何 処 に も存在 しな い」「 自然 の軌道」. Die Bahn der]Naturか ら逸脱 した もの と して あげ得 るの は ,人 間 の能 力を. ,. かた くなな教 師 の 意見に従 わせ る こと ,流 行 の教育法 の小技巧を用 い る こ と な どで あ り」「 それ 故 に 自然 の教育法 Die Lehrart der Naturは 抑圧的 で は な い」. )「. 人間教育 におけ る 自然 の秩序 Die Ordnung der Naturは 人 間 の認. 識 の 素質 ,天 賦 の 才能 を応用 し ,実 行す る力 で あ る」「 人 間 よ ,汝 自身 ,汝 の本質 と汝 の能力 との 内的感情 は陶治す る自然 Die bildende Naturに と っ.

(18) ペ ス タ ロ ッチーにお け る「人 間」 に つ いて. 354. 40). て は最初 の主 題であ る」「 汝 は地上 に 自己一 人 のために生活 して い るので は な い。 それ 故 に 自然 Naturは 汝を外部的関係 のために ,ま た外 部的関係 によ 41). って教育す るのである」「 自然の気高 い道 Die Erhabene Bahn der Natur は真理に導 く道であ り,そ の真理は人間本性 の力であ り,陶 治で あり,充 実 42). であ り,情 調である」「 生活の立脚点 ,人 間の個人的使命よ。汝 こそは自然 の書 Das Buch der Naturで ある。汝の うちに こそ賢 こき指導者の力 と秩序 とが存在する。かか る人間致育の基礎の上に築かれないすべての学校教育は 43). 誤 りに陥 る」 ペ ス タ ロ ッチ ー は ,し か し,自 然 の 名 の もとに この よ うな意味だ けを見 よ うと したので はな い。 ペ ス タ ロ ッチ ーの 自然 は ,人 間 の本性一― 単 に理 性だ け でな く,感 情 や宗教的領域 に もひろが る人 間性 の豊 かな ,調 和的な ,発 展 的な成長 の過程を含んだ 自然 で もあ った。「 隠者 の夕暮 」 の 中で も「 人 間性 44). の純粋な る陶治である自然の力よ ,汝 は何処にあるか」「 最 も深 き と こ ろ に於け る人間本質 の満足よ。我われの 自然の純粋な力よ。汝 こそは我が存在 45). の 浄福 で あ って ,そ れ は決 して夢 で はない」「 我 が本性 (自 然)の 奥 深 き 46). と ころに ,真 理 へ の開発 の道 が あ る」「 我 が教 え で あ り ,我 を 我 が 本 性 (自. 然)の 完成 に ま で 向上 せ しめ る真理 よ」「 神 の 信仰にまで の 自 然 の 教. 育」 な どの如 き個所 に見 られ る自然 Naturの 合む意味 は ,み なそのよ うな響 きを我 われに与 えず に はいな い。 その響 は感 覚 的 自然 と人 間 の本質 と して の 理 念を合 み もった 自然 との 具体的統合調和 に導 く自然 の調 べ で あ る。 しか も 彼 にあ って は感覚 的 自然 はその感覚 性 の 故 に 決 して よ り低 き もの ,よ り卑 し き もの ,或 は ,よ り無価値 な る もの と して捨て 去 られ ることはない。 感覚性 はそのままに ,そ の純 粋性 において 直 ちに理 念的な る もの精神 的な る ものに 調和 し統 合され るので あ る。 カ ン トの倫 理学 において は 自然的衝 動 は道徳的 法則性 と相矛盾 す る もの と して対立 させ られた。 ま た多 くの倫理説 において 我 われ は このよ うな 対 立の 姿を見 ることが 多 い。 しか しなが ら ,ペ ス タ ロ ッ チ ー におけ る 自然 は ,感 覚 を含み もちつつ ,極 言すれば ,本 能 や感覚 その も ので あ りつつ ,す でに理 念的 な る もの との統 合を示唆す る如 き実在 と して考.

(19) 鯵 坂 二 夫. 355. て え られ る。一切 の道 徳性 ,一 切 の 陶治 の根源力 は ,こ の 自然を基 盤 と し 極 めて弾 力 的 に発展す るので あ って ,自 然 は母性的性格 を もた されたま さに産 の もそ みつつ あ る 自然 と して考 え られ た ので あ つたO愛 と信仰 と 宗教 的本質 の萌芽 をまた 自然 にお いて 育 まれ るのであ る。 このよ うな立場 は ,或 は 自然 の理性化 ,内 面化 ,精 神化 と して 理 解 さ れ る先験的 る。 その際注 意 しな ければな らない ことは ,そ れが な され るの はあ に架橋が な 超越 的な原理 によ ってで はな い とい う ことで あ る。彼岸 か ら此岸 の され るので はな い。彼 にあ って は ,あ くま で も此方 の 自然 か ら,そ 合 自然 発性 や直観 性 によ って ,理 性 の彼方 に橋 がか け られ るので あ る。 その際 ,自 によ っ の が方法 の 媒介 に はな るで あろ う。 しか し,そ の何れ もが 自然 根源力 て 支 え られ て い る。す べ て合理 的な る もの と ,非 合理 的な る もの とが ,自 然 の 中 に包合 され る。 ペ ス タ ロ ッチ ーが 自然 の模倣 と言 い ,自 然 の機制 ,機 関 に内部 とい う時 ,そ れ は単 な る自然 の模倣 や機 関を 意味 した ので はな く,常 の に倉1造 的根源性を含 み もって いた。模倣 とはその根源性 の合法 別的発展 可 る こ とLで あ 能 を含む 自然 の模倣 で あ った。模倣 とは自然 の合法性 に一致す の作用 が 自発 り ,所 与 の 中 に本質 を うつ す ことに外 な らな い。 そ う して ,そ で あ ると説 的 で あ り ,そ の作用 の仕方 は直観的 ,そ の作用 の法則 は合 自然 的 って調和的統合 かれ ,ま た作用 の発展 の方 向は ,そ の本質 の 内的必然性 によ 的 で あ ると解 された ので あ る。 それが精神感覚 的調和 と言 はれ. る場合 で も. ,. 的な ものの融 合 と言 また ,頭 と心 と手 の統合 ,或 は ,精 神 的 ,心 情 的 ,技 能 はれ る場合 で も ,常 に内的な統一性を含蓄 す る ことに変 りは な い。 そ う し て ,こ のよ うな統 一 性を平衡 とい うの は決 して無理 な表現 で はな い。合 自然 の 性 の法則 は ,諸 力均衡 の 原理 なのづ あ る。 この原理 はル ソーの説 いた 自然 べ 中に も読 み とれた。 しか しル ソーの場合 は ペ ス タ ロ ッチ ー に比 て 未 だ原始 ーの 自 ロ ペ 性を脱 し切れ なか った と言 うべ きで あろ う。 この意 味 で ス タ ッチ 然 は ,ル ソーの 自然 の発展 の高 き段階 と考 え る こ ともで きよ う。 この際 ,高 い とは ,具 体性 と方法性 を含む こ との異 った表現で あ って ,彼 が合 自然 ,平 通じ 衡 の 原理を メ トー デの中心 にお い た の も ,そ れが 自発性 ,直 観 ,方 法を.

(20) 356. ペ ス タ ロ ッチーにお ける「人間」 に つ いて. て の 具 体的方法で あ った か らで あ る。 ここに ,コ メニ ウスの 自然 とペ ス タ ロ ッチ ーの 自然 との 間 の相違が見 られ る。 コメニ ウスは神 の 中に 個人を見た。 ペ ス タ ロ ッチ ー は個人 の 自然性 ,そ の本性を通 じて神 と神性 とを見た。 コメ ニ ウ スの神 は彼岸 に あ り ,人 に 間 対 して 超越 的な ,仰 ぎ見 るべ き神 であ った。 ペ ス タ ロ ッチ ーの神 は人 間に最. も. 近 い 隣人的存在 で あ った。 コ メ ニ ウス は人 間存在 に 対 し,目 的的超越 的な神 を説 いたので あ った が ,ペ ス タ ロ ッチ ー は根 源的な 自己の 内面 において神 の 姿を把握 しよ うと した。神 に 到 ることが コメ ニ ウスの教 育 の 目的であ った と すれ ば ,ペ ス タ ロ ッチ ーのそ れ はど こまで も人 間 の本質を徹底 して 実 現す る こ とで あ った と言 うこ とがで きる。道 徳 と宗 教 との内面的連続性を. 信 じた彼 に とって はそれ は当然な こ とで あ り ,彼 が 自然 と言 い ,合 自然的法則を 説 い た の は ,こ のよ うな立場か らで あ った。 さて ,所 与 にお け る本質的な る ものの 内面的発 展 ,或 は 自己陶治 のな か に 教 育 の使命を見 よ うと した ペ ス タ ロ ッチ ーの立 場か ら言 えば ,教 育 はこの本 質 的な るものの発展過程 と して ,一 方 において 自己創 造 的 自 己 形 成 と ,他 方 ,他 者 によ る有意的計画的教授を予想 す る。 しか も両者 は互 に 浸 透 し あ い ,教 師 と児童 との交渉 は ,単 に意 識的 に行 われ るばか りでな く,し ば. しば. 半 意 識的 に ,或 は無 意識的な関係 において 行 はれ ,し か も ,む しろこの 半意 識 ,或 は無 意 識 のな か に こそ人格的 内容 に と って 根源的な ものが 存在す るの で あ る。 ペ ス タ ロ ッチ ーが説 いた愛 や 信仰を この 立 場 において 考 え るこ とは 左程無理 な推 論で はない。 彼が説 いた 自然の陶治 Die Bildung der Naturが それ を我 われ に教 え るで あ ろ う。 自然 の 陶治 は ,深 く人 間本性 ,神 性 の 陶治 に至 らぎ るを 得 な い。 そ う して ,こ の最 も内面的な 陶治 の 場合を ,子 ど もに 最 も近 く,最 も卑近 な ところに ,た とえば 父母 の家 ,即 ち ,家 庭 関係 におい て見 よ うと した と ころに ,ペ ス タ ロ ッチ ーの高 貴な る通 俗性 ,平 常性が うか がわれ る。 い と高 き ものが ,い と近 きところに見 られ ,解 き難 く超え難 い も の が ,平 常 の愛 と信頼 の生活の 中に実現す ると考 え られ ,そ うして ,教 育の イデ アが この よ うな最 も具 体的な教 育現実 において 見 られよ うとす る。 自然.

(21) 鯵 坂 二 夫. 357. の もつ 多面性 ,多 義性 は却 って 具体的根源性 と して 教育 の 事実を証明 しよ う とす る。一 見 ,そ こに何 らの 系統 な きが如 く見 え ,し か も枯渇す る ことを知 ら な い 陶治 の泉が ,演 々 と して湧 き出 るのを我 々 は しみ じみ と感ぜ ざるを得 な い 。苦 節 80年 の 彼 の生涯 は ,こ のよ うな教 育 の泉 によ って常 に潤 され ,常 に 新 らた に ,し か も純 粋 で あ った。 彼 の説 いた 自然が ,彼 の人 格 の「 自然」を 反 映 して余 りあ り と言 わな ければな らな い。 早 立. 終. 人 間教 育につ いて の ペ ス タ ロ ッチ ーの考 え方 の 中 に ,我 われ は二つ の異 っ た人 間像 を さ ぐる こ とがで きる。 一 つ は現実態 におけ る人 間 で あ り,そ れ は 多 くの場合 ,貧 しき人 び とや悪 し く教 育 された人び とへ の 深 き愛情 に根 ざ し たそ の甦 生 の 計画 と して の 教 育論を 呼び起 こ し ,他 の一 つ は ,そ のよ うな 際 に も ,つ ね に 背後 に描かれ て い る理想的人間像 で あ り ,全 人的調和的人 間形 成 の理 念を生 んだ。 この二つ の人 間観 は ペ ス タ ロ ッチ ーにお いて は常 に結合 した形 において あ らわれ る。従 って人 間陶治 の基礎理念 は何れ の場合 に も透 徹 した一 つ の傾 向を も って い る。我 われ はそれを「 ゲ ル トル ー トは如何 に し て その 子 らを教 ふ るか」 の 中 に明確に見 る こ とがで きる。. 「 私が この民衆を見れば見るほど,い よいよ私は民衆のために書かれた本 第 2章 (註 ). 28)Pesta10ZZi,J.H.Ansichten und Erfahrungen,die ldee der Elementarbildung betreffend,Ausge wahlte werke von Fo Mann一 S.346 29)30)Ibid― 一S.348 31)32)Ibid― 一S.352. 33)34)35)Pesta10ZZi J.Ho Methode S.10 36)37)38)Pesta10ZZi」 .H.Abendstunde eines Eirsiedlers一 ― 39)Ibid一 ―S.312. 40)41)Ibid一 ―S.31 42)Ibid― 一S.15 43)Ibid一 ―S.10. 44)45)46)47)lbid一 一S.11.

(22) 358. ペ ス タ ロ ッチー にお ける「人間」 につ いて. の 中で は強 く流 れて い ると見 えた ものが ,村 や 教場 で観 察 します と ,ま るで 霧 のよ うに蒸発 して しまい ,そ の ため じめ じめ した 陰気 さは ,民 衆を濡 らし もせず ,乾 か しもせず ,し か も昼 の恵み も夜 の恵 み も与 えない とい う事実を 見 るので す。私が実 際 に行われ て い るのを 見 た 学校教育 は ,多 く庶民 と最下 層 の民 衆階級 に とって ,少 くと も私が見た限 りで は全 く何 の役 に も立たな い とい う こ とを 私 は隠す こ とが 出来 なか ったので す。 私 の知 った 範囲で は学校教 育 とい うもの は最上 層 は高 級 な完 成 した芸 術 に 輝 いて はい るが ,極 めて僅かな人達 だ けによ って 占め られて い る一 つ の大 き な家 のよ うに私 に は思われ ま した。 中階 に はい くらか の 者 は住ん で は い る が ,そ の人達 が人 間 らしい仕方 で上 に昇 り得 る階段が ないので ,も したれか が必 要 に迫 られて上 の階 に昇 ろ うと考 えで もした ら,見 つ か り次第 にそれ 相 当な罰を うけ ,場 合 によ ると昇 る時 に使用 した腕 や脚を切 断 され ることす ら あ るので す。 そ う して最 後 に最 低 の階層 に は多 くの人畜群が住んで いて ,彼 らは 日光 と新鮮 な空気 に対 して は上 に住んで い る者 と同 じ権利を 有 って はい るが ,窓 の ない随屋 の不快 な 暗 らさの 中 に放 置 されて い るばか りでな く,更 に加 うるに 目隠 しや 目つ ぶ しで彼等 の 目は この上 階を仰 ぎ見 る力を失 った も 48). の とされて い るので す。 」 貧 しき者 に対す るペ ス タ ロ ッチ ーの この よ うな同情や義憤 は ,し か し,決 して 何等 の方法を伴 はない空 しい絶叫で はなか った。彼 は このよ うな人 々を 陶治 し,真 の 意味で 救済す る教 育 の方法 と して 次 のよ うにその 信念を述 べ て い る。 「 友 よ。事物 の かか る見 解 は ,当 然私を ,ヨ ー ロ ッパ の大部分 の人 間を去勢 して い るこの学校 の罪悪を単 に糊塗 す るだ けで な く,そ の根本か ら治癒 す る こ とが重 要か つ 緊急 で あ り ,従 って この基準 の 半分 は 2皿 目に は 1皿 目の作 用を抑 え得な いばか りか ,2倍 もの作用をす るに違 い ない毒 物 にな り易 い も のだ とい う確信 に導 きま した。私 がそのよ うな こ とを望 まなか ったの は勿論 で す。 その うちにか の人間 の精神が感覚 的直 観か ら明晰 な概 念 にまで 高 ま る 基準 で ある永遠 の法則 にあ らゆ る教 育 の機械的形式を従 わせ ない限 りは ,こ.

(23) 359. 鯵 坂 二 夫. の学校 の 罪悪を大 現模 に永続的 に除去す ることは ,本 質 的に不 可能 で あ ると 」 そ う し て , この こと い う感情 が私 の 内に 日増 し に芽生 え は じめま した。 は彼 の教授論 の 中心課題であ る合 自然的方法 ,調 和的方法 とな って あ らわれ た ので あ る。 それ は明 らかに人類 の発展 の 過程 と人 間個人 の成長 の過程 ,並 びに教授 の 進行す る過程 とを同 じ体系 の 同 じ方 向へ の方法 に包 もうとす る ペ ス タ ロ ッチ ー独 自の 見解 であ った と言 わな ければ な らな い。 貧 しき者 の救済 を教 育に於 て認 め ,そ の方法を直 ちに万 人 に通 ず る方法一― 階級 を超 え ,世 間的貧富を超 えた ,言 わば普遍 的原理 に基 づ いた 方法 に求 めた ことは彼 の如 き愛 と方法 との具現者 に して は じめて よ くな し得 ると ころで あろ う。人 間 の 尊巌 につ いての 不動 の信念が彼を して そ うせ しめた ので あ る。 彼 は当時 の教 育を批判 し,つ ぎのよ うに述 べ て い る。「 その方法 が良 い 裁 師 ,靴 屋 ,商 人 ,兵 士を育て る こ とは可能 で あ るとい う ことを 私 は否定す るもので はあ りません が ,高 い意 味 にお いて一人 の人 間 で あ る裁縫師 や 商人 50). 」「 一人の を育てあげることができるということは否定せざるを 得 ません。 人間である裁縫師……」我われはこの言葉に注意しなければならない。 ここ にい う「 人間としての……」 は直ちにつぎの言葉につながる。「 われわれ は ただ綴字学校 ,筆 記学校 ,ハ イデルベルグ学校のみをもっているのです。そ 51). う して ,こ こで 必要 な の は人 間学校 なのです」 人 間 の尊 むべ く信頼す べ き本性が ,た だ ちに ,そ の教 育 の出発点 とな り , 中心点 とな りま た推進力 とな るばか りか ,方 法 上 の課題 もそ こか ら説 かれ. ,. そ こに帰 一 しょうと して い ることを ,わ れわれ は「 ゲ ル トル ー トは如何 に し て その子 らを教 ふ るか」 のなかに 明確 に読 み とる こ とがで きる。人間性 の尊 厳を確信 して揺 るがない立 場が人 間救済 の発願 とな って あ らわれ ,そ の 救済 の方法 が人間 の教育 ,人 間学校 の 要請 と して方 向づ け られ ,そ の 教 育 方 法 が ,同 じ人間性 の合 自然な道行 によ って打 ち立 て られ るとい う二 重の構造を そ こに見 ることがで きるの は この書を経 く人 び とに与え られ る喜 こびで あ ろ う。 ペ ス タ ロ ッチ ー は愛 の人 で あ った。如何 に して 合理 的 に ,方 法 的に人 の 子.

(24) 3σ θ. ペ ス タロ ッチー におけ る「 人間」 につ いて. を導 くかに終始 した彼の教育の「 メ トーデ」 の根抵には ,つ ねに湧き出でて 枯渇することを知 らな い愛 の泉があ った。数多 い彼の著書に触れて我われは それがはた して「 方法の書」 であるか ,或 は「 愛 の書」 であるかに迷わされ るのである。. 終. 章 (註 ). 48)Pesta10ZZi,J.Ho Wie Gertrud ihre Kinder lehrt一. 49)Ibid S.179∼ 180 50)Ibid S.255 51)Ibid S.275. S。. 179.

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