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貨幣と賃労働 : 貨幣的アプローチの理論的射程

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(1)「貨幣と賃労働 一貨幣的アプローチの 理詩的射程一 ". 」. 片岡. 浩二. 牟 Ⅰ O ea Ar 1 a C Ⅰ tⅠ. d an. Money. Koji@ KATAOKA 1. 問題の所在 深刻な不況に 直面した 90年代の日本では、 経済学者たちの 間で経済政策をめぐって 激しく論争さ. れ、 数多くの文献が 世に出された。 けれども、 その中で大勢を 占めるのは、 不況の原因が 日本特有 の ルールや慣行に. 支えられた経済的な 構造にあ り、 それを根本的に 改革すること、 すなわち「構造. 改革」こそが 重要課題だという 見解であ る。 その改革のためには、 市場の活力を 最大限に利用する ような規制緩和や 民営化が必要なのだと 声高に叫ばれている。 こうした発想の 根底にあ るのは、 「市場メカニズムの 貫徹と深化」 考える新古典派的な 市場観であ. ( 伊藤・佐藤 る"。. 1999, 10頁 ) こそが我々の 目指すべきゴールであ. 市場経済には 本来的に完全雇用を 達成し、 効率的な状態を 生. み出す自己調整能力が 備わっているというヴィジョンのもとでは、 ムを 阻害する様々な 要因によって. ると. 不況がそのような 市場メカニズ. 発生すると考えられ、 それらの阻害要因を 除去することが 重要な. 課題となる。 こうした市場メカニズムに 対する信頼は、 かつてないほどに 高まっていると 思われる。 しかしながら、 そもそもこのく 市場メカニズム》とはいったい 何であ るのだろうか. ?. 社会主義経済. 体制の終焉が 告げられた 20世紀を経た現在においては、 なおさらこの 問いが重要となってきている。 現代の新古典派経済学では、 その内部ですでに 多くの批判が 提示され、 その中から、 新しい 衣 しいミクロ経済学. ). を着たケインズ 派. たい何をもって「新古典派」と ( 脇田 1998.. 呼び、. ( ニュー・ケインジアン ). (新. までもが登場し、 もはや、 「いっ. 「ケインジアン」と 呼ぶかはうまく 定義できなくなっている」. 17頁 ) のが現状であ る。 しかしながら、 彼らに共通して 言えることは、 たとえ衣替え. そしても、 依然として根本的には 同じ誤った市場観 把握すること. が共有されているということであ. 自由で独立した 個人から出発し 市場社会を り、 われわれが J. カルトゥリ ェ の「貨幣的 ア. プローチ」に 着眼するのも、 彼がこうした 市場観に代わるものを 純理論的に提供しようとしている からであ る。. われわれは、 前稿において、 代替的な市場経済理論としてのカルトゥリ を 取り上げ、. な様式. エ の「支払システム」論. その解明を行った "0 支払システム 論は、 貨幣を市場のコーディネーションの. ( 制度 ). 中心的. として捉えており、 その様式についてわれわれは 検討したのであ るが、 彼の「支払. システム」論がいかなる 理論的系譜に. 属し、 また、 新古典派経済学. ( 一般均衡論 ). にどのような 批判を行えるのかに 関しては、 十分に述べることができなかった。. に対して具体的. この点を明らかに. することが本稿に 課せられた課題であ る。 カルトゥリ エ は、 ニュー. ・ケインジアンや 新古典派マクロ 経済学とは根本的に 対立し、 異端的な.

(2) 36. 片岡. 浩こ. 理論を展開しているケインジアンたちを 総称して《ラディカル・ケインズ 主義 肪と 呼んでいる. (Carteherl995a,p.116)0 このラディカル・ケインズ 主義者として、 自らも含め次のような 経済学 者達の名を挙げている。 V.Chlck 、 S.Dow. や J.Kregel 、. そして、 P.Davldson,や H.P.Mlnsky. たイギリス や アメリカなどのポスト・ケインジアンたち、 Ⅲ tt@@Benetti-Carteliei¥@ Aglietta-orlean@@. さらに、 フランスの A.Barrere. Deleplace-Boyer-Gil. Ⅰ. rd @@@@ <@ , @@ U@ 7@A ・. R. Bellofioreまた M. Messon といった貨幣的アプローチやサーキット 成している多様な 異端的経済学者たちであ る。 カルトゥリ. ェ. といっ. 、 B.Sch, Grazi ni ,. 学派等と呼ばれる 学派を形. は、 これらの経済学者達の 非アカデミッ. クな思想は、 濃淡はあ るが、 ほとんど常に 次の「姉つの 要素」に依拠しているのだと 述べている。 であ る。 この 「経済の貨幣的性格、 企業家と賃労働者の 非対称性、 期待と慣習の 重要性」 (ibid.) 「ラディカル・ケインズ 主義」の共有財産として 挙げられた三つの「理論的選択」. (ibid.) のうち、. 特に本稿で取り 上げるのは、 前の二 つ 、 「経済の貨幣的性格」と「企業家と 賃労働者の非対称性」. についてであ る。 カルトゥリ. も含め、 上で挙げられた 著者たちは、 多かれ少なかれ、 マルクス、. ェ. ケインズ、 カレッキらに 強く影響されている。 本稿では、 カルトゥリ ェ の支払システム 論がいかな. る点で上の三者. ( 本稿では特にケインズ. カル」 な プロジェクトを. ). の影響の下で 主流派の議論を 根本的に批判し、. 「ラディ. 構想しているのか、 という点に焦点を 当てながら、 二つの理論的選択につ. いて解明していくことにしよう。 そのことによって 今後. ラディカル・ケインズ 主義 ) が進むべき. 理論的方向性を 探っていくことにしたい。 本稿の構成は 次の通りであ. る。 まず、 第 Ⅱ節では、 彼の支払システム 論について、 上記の目的に. 関わる点に重点を 置いて検討していくことにしたい。 第 Ⅲ 、 Ⅳ節では、 カルトゥリ. ェ. がケインズの. 経済学の本質的な 仮定やテーゼをどこに 見出しているのかについて 論じることにしよう。 そこで 鍵. となる概念は、 貨幣と賃労働という 二つの概念であ り、 画師では、 それぞれの概念についての 力ル トゥリ ェ のケインズ理解の 特性を解明する。 最後に、 暫定的な結論として、 支払システム 論が有し. ている「ラディカル」. は プロジェクトの. 方向性が示されるであ ろう。. Ⅱ・支払システム 論 カルトゥリ. エ が支払システム. 論を展開している 最大の理由は、 経済学の理論的支柱をなしている. 価値論一円に 、 彼が念頭においているのは 一般均衡論であ 柱を提供することにあ. る. の批判とそれに 代わる理論的支. る。 なぜなら、 価値論によってはわれわれの 経済社会の基礎を 構成している. 市場諸関係や 賃労働関係を 適切に描くことができないからであ 拠はそれが現実主義的ではない、. る。 もっとも、 彼の価値論批判の 根. という点にあ るのではないことに 留意しておく 必要があ る。 彼の. 議論は価値論と 同じ高い抽象レベルで. 展開されており、 現実の経済に 適応した形で 価値論の種々の. 仮定を緩めることによる 仮定の修正や 適用範囲の拡張を 試みる議論とは 異なっている。 すな ね ち、 問題というより. これまで、 価値論や価格理論をめぐる 論争では、 新古典派やマルクス. 派あ るいはネオ・リカード 派. が対立してきたが、 そのことがかえって、 「古くからの 根本的な対立を 隠蔽してきた」のであ り、. その対立とは、 「富が個人的で 実物的であ ると主張する 者と富を貨幣的現象とみなす 者」 (Cartelierl995e, p.3) との間の対立、 すな ね ち、 く 実物的アプローチタとく 貨幣的アプローチ》. ト l. も、 むしろ、 諸仮定の背後にあ るヴィジョンの 転換を純理論的に 図ることに力点が 置かれている。. 。Ⅰ. 彼の価値論批判は、 一般均衡論などの 諸仮定の経験的妥当性やリアリティといった.

(3) 37. 「貨幣と賃労働一一貫 格的 アプローチの 理論的射程一一」. の間の対立であ る。 この対立の構図こそが 正統派と異端派の 真の境界線を 作り上げるのであ る。 そ して、 カルトゥリ ェ がマルクスやケインズあ るいはカレッキの 重要なテーゼを 継承しようとしてい. るのも、. あ. くまでも、 貨幣的アプローチによって 開かれた地平線上においてであ る。 彼は、 これら. 三者が提唱するテーゼに 共通するものとして、 「企業家と賃労働者の 根本的な非対称性」を 別棟 ているが、. このき け寸称性. もまた、 貨幣 的 アプローチ. ( 支払システム. し. 論 ) による基礎づけによっては. じめて理解可能となる。 この節では、 非対称性のテーゼそれ 自体については 後述する. ( 本稿 第 W. 節. 参照 ) ことにし、 その土台となるべき 支払システム 論の特徴について 簡単に説明することにしよう。 カルトゥリ エ の言う「支払システム」とは、. 「制度としての 貨幣」という 見地からの諸ルールの. 総体を指す。 それは次の三つの 要素から成るの。 Ⅲ「共通の計算単位」、 (2) 「貨幣鋳造」の 様式、 そ して. (3) 「収支残高清算」の 様式の姉つであ る。 ここでは、 現代の支払システムであ る信用システ. ム におけるこれら 三つの要素に 言及することにしょう。. Ⅲの共通の計算単位は、 制度としての 貨幣の本源的なルールとして 挙げられているの。 信用シス テム では、 名目的な計算単位が 共通の計算単位であ る。 例えば、 1 ドルは 1 ドルであ る。 市場で表現. される数量が 名目的な大きさであ るドルによって 表現されることを 示す。 カルトゥリ ェ によれば、 「諸個人は貨幣的表現によって 把握される」. (Cartelierl985,p.97)のであ り、 「市場諸関係は、 明. 白な特性、 すなわちその 量的な特徴によって 他のすべての 諸関係と区別される」 (CartelieⅡ 995b,. p.233)。 つまり、 市場経済では、 諸個人は貨幣 額 として把握され、 その数量を通してはじめて、 社 金的存在としての 諸個人の表現が 可能となる。 計算単位は、 市場経済の共通言語であ る。 概念的に は 言語 よ り先に個人が 存在しないのと 同様に、 共通の計算単位は、 市場に登場する 諸個人に先行す る 概念であ. る。. 「ラカンの有名な 表現を敷桁して 言 うと 、 無意識が言語として 構造化されているのだとすれば、. 市場経済の個人は 貨幣として構造. ィヒ. されているのであ る。 (ibid.p.235) 」. しかしながら、 共通の計算単位だけでは、 諸個人は市場で 取引を行 う ことはできない。 諸個人は. 市場に参入することができないため、. 彼は市場でアクターとして 存在しえない。 したがって、 一般. 的に受領される 支払手段、 すな ね ち、 計算単位を移転し、 取引の清算を 行う手段が必要であ る " 。 この支払手段は 信用システムでは、 銀行システムによって 創造される。'。 この創造過程を 形成する. のが貨幣鋳造 ". の 様式であ. る。 諸個人は貨幣的表現によって 把握されるのであ るが、 その存在は、. 「会計的な支払の 制約」あ るいは「支払能力」 な 行うためには、. 前もって支払手段を. (Cartelierl985,p.97)に立脚している。 市場で取引. 人手していなければならない。 経済の働きの 機動因は諸個人. の支出の決意とその 遂行であ る。 このアイデアはケインズの 有効需要の原理と 符合する。 市場にお ける諸個人の 行動能力は、 その個人の私的な 実物的 富 によってでなく、 一般的支払手段に 対するア. クセスによって 規定される。 他者の支払を 待つことなく、 市場で諸個人が 分権 的な仕方で行為する ためには、 自分で支払手段を 創造することができないかぎり 行. う. ことができないことが 貨幣経済の特質であ. は 異なる行為により. る. 自らの債務証書で 最終的な決済を. 、 私的な個人からの 受取. ( 市場での交換 ). 支払手段を人手するほかない。 これが貨幣鋳造の 原理であ る。 この原理により、. 他の諸個人の 支払に従属することなく、 独立して自由に 市場に参入し、 取引を行 る。. と. う. ことが可能とな. 彼は 、 真の意味での 分権 的主体となるのであ る。. 「個人は他者にとって、 ここでは市場において、 彼が一定量の 支払手段へのアクセスを 有してい る 限りでしか存在しない。. それぞれの個人によって 他者に対して 支払われる支出は 彼を社会的な 大.

(4) 38. 片岡. 浩二. きさとして決定するための 唯一の手段であ る。 (Cartelierl995b,p.246-7) 」. カルトゥリ. ェ. は、 実物的 富 ではなく、 資本を支払手段へのアクセスを 可能とする「貨幣鋳造の 元. (Cartelierl996a, p.75参照 ) 。 この資本とは、 将来の予想された 抽象的な 富であ り、 将来収益の現在価値として 評価される。 彼のプロジェクトが、 将来利潤を生み 出すかど うかについて 銀行が合意した 場合に支払手段が 銀行によって 発行される。 だが、 この評価が事前に 手 」として規定している. 正しいかどうかを 判断する客観的な 基準は存在しない。 資本の評価は 将来の予想に、 一般的には 慣 習 に基づく㏄一般理論』の 第 12章参照 ) 。 この評価の不安定性は 現代の信用システムの 脆弱性と関. 係している。 以上のように 貨幣鋳造原理を 通じた個人の 独立した支出によって 分権 化を描写しようとするカル トゥリ ェ の見地は、 一般均衡論とは. 異なる視点を 提供している "0 市場での取引は、 n 個の財が存在. 個の市場が存在し、 それぞれの市場は 独立したものとなる。 ここでは一般均衡論的な 諸市 場の相互依存的関係は 成立しない。 それぞれの市場で 行われる取引は、 小麦と鉄の物々交換とは 異 なる。 物々交換では、 小麦の販売は 鉄の購買から 独立していない。 鉄が小麦の価格となっているか らであ る。 諸市場が異なる 市場として分離されるがゆえに、 分権 的な主体にとって、 購買 ( 支出 ) と 販売 ( 収入 ) が独立した行為となり、 一方の購買が 他方の販売の 条件とはならない。 購買と販売 の分離は、 諸市場間の分離と 結びつく。 このことは、 諸主体の行為間の 相互両立性、 また、 諸市場 すれば n. 間 の一般的相互依存関係という 視角の拒否へと 導くだろう。. 「貨幣経済では、. に成功しても、 不足のために 大麦を購 買 する ( 販売する ) ことができないことは 十分に起こりうる。 あ る主体にとって、 購買と販売は 様々 な市場に特有の 条件に依存しているがゆえに 独立している。 (Cartelierl996b, p.203) あ. る主体が小麦の 販売. (あ. るいは購買 ). 」. 通常の考えによれ ば 、 購買と販売の 分離は次のように 捉えられることになるであ ろう。 取引がす べて同時に生じるがゆえに. 流れの中で生じ. 貨幣が必要でないか、. ( 購買と販売の. あ. るいは取引が 連続的な時間. ( 歴史的な時間 ). 分離 ) 、 支払手段が価値貯蔵 手段でなければならないのか、. の. という. 設定が想定される。 そして、 後者が貨幣経済の 特徴を表すことになる。 こうした問題 の 設定は新古典派的枠組みへの 貨幣導入の方法、 すな ね ち、 貨幣のプラスの 価値あ るいは貨幣のプ. 二者択一的な. ラスの需要の 問題を解明する 際に考案される 世代重複モデルなどと 同じ枠組みで 貨幣を捉えること と. なろ. う。. その場合、 貨幣は耐久的な 資産と共通する 属性を有する 価値貯蔵 手段となる " 。 だが、. ここで重視すべきことは、 貨幣というモノの 特質や運航的な 時間の導入,。 ' よりむしろ、 貨幣を前提 とした市場のコーディネーションであ る。. また、 貨幣鋳造の様式を 介した分権 的な取引によって 引き起こされるのは、 均衡からはずれた 取 引の実現であ る。 実現された取引の 結果は、 諸個人の支出とそれによって 決定された収入の 関係と して描写される。 すな ね ち、 貨幣 額 で表された諸個人間の 支払のネットワーク コ 支払マトリックス (. 行に支出をとり、 列に収入をとる 「網目や網の 隠 喰は 、. あ. ). が形成される。. らゆる個人. ( 網目の一つ一つ ). が、. 彼らが形成する 人的ネットワーク. を除いては考えられない、 ということの 助けとなるであ ろう。 (Cartelierl997a, p.l0) 総支出は総収入と 必ず等しくなるが、 個々人の収入は 自分で決定することができないため、 個々. (網 ). 人の収支残高がゼロにはならないという. 」. 事態が一般に. 起こりうる。 また、 個々の取引では、. 物々交. ,誰も取引が等価で行われているかどうかを 知ることはできない。 「貨幣は財の 価値に等しい 価値を有しているがゆえに 財を購買するのではない。 貨幣は他の財を. 換とは異なり.

(5) 39. 「貨幣と賃労働一一貫 格的 アプローチの 理論的射程一一」. 購買すること. (あ. るいは、 支出を行. う. ために契約された 負債を破壊すること. ). を可能とするがゆえ. に、 財 とひき換えに 受領されるのであ る。 諸個人間の取引それぞれにおいて、 交換における 等価性 を 確証することは. 何の意味もない。 等価性を遵守しているかどうかは 流通の総体の 水準において、. すなわち支払マトリックスの 水準においてしか 確証されえない。 (Ag,lietta/Cartelierl998, p.138) 」. 貨幣とは、 「価値の法則に 従属する特殊な 財ではない」 (ibid.p.133) のであ るから、 「価格を与 えられるべきものではなく、 富 として扱われえない」. D. ここでは、 「価格を持つのは 財であ って貨幣. ではない」 (lbld.p.139)0. 支払マトリックスの 水準での残高の 存在は、 行為の結果を 事前に知ることができない 分権 化の証 であ り、 この等価性の 侵犯であ る残高は清算されねばならない。 残高は市場の 期末において 自らの 富の最終的移転によって 清算されるか、 金融市場を媒介として 次の期間に持ち 越されることにな る ",。. この結果、 社会的に承認された 個人の貨幣的富の 総額が決定される。 産出物の販売による 収. 入額は、 その販売者の 分権 的行為の社会的妥当性を 確認する。 ここで次のことが 明らかとなる。 分 権 的な経済では、 貨幣的な予算制約は 全体的な水準において. ( 支払の事後的な. 結果において. ). しか. 課されないがゆえに、 予算制約がみたされることなく、 市場価格が決定されてしまうことになり、 この市場価格は 不均衡価格にこでは 予想価格 る。. であ っても成立する、 ということであ. 市場価格は諸個人の 予想価格とは 一般に異なるので、 予算制約が厳密に 遵守される均衡価格. ( 予想価格二市場価格、 る。. チ 市場価格 ). 収支残高は自生的にゼロとなる. ). は特殊なケースであ ると言うことができ. 信用システムにおいて、 貨幣鋳造過程へのアクセスに 成功した個人は、 予算制約を遵守するこ. となく、 市場で独立して 行為することが 可能となるのであ る。 もちろん、 期末において「市場の サ ンクション」を 受ける一一意図せざる 赤字の結果としての 破産一一というリスクを 抱えているので あ. るが。 それでは、 以上のような 支払システム 論は、 カルトゥリ ェ が示唆を受け、 貨幣的アプローチの 系. 譜に位置づけているケインズの 経済学をどのように. 基礎づけることができるのだろうか。 次節では、. カルトゥリ ェ のケインズ解釈、 特に、 第一の「理論的選択」であ る「経済の貨幣的性格」について みていくことにしよう。. Ⅲ・. 第. はじめに貨幣あ りき 1. 節で述べたように、 カルトゥリ ェ は、 ケインズの経済学の 中の三つの「理論的選択」が 、 現. 在 においても重要な 示唆を与え続けていると. 強調している。 第一に、 「経済が最初から 貨幣的であ. り、 利用される唯一の 大きさは、 貨幣的大きさ、 あ るいは貨幣的大きさの 商であ る」、 ということ、. 第二に、 『一般理論』の「第 2 章で主張される 企業家と非企業家の 根本的な非対称性は 有効需要の 理論を理解可能とする 条件であ る」こと、 最後に 、 「ケインズは 市場の根本的な 不確実性の結果と. して慣習その 他のゲームのルールに 中心的役割を. 与えた」. (Cartelierl995a,p.36) ことであ る。. こ. れら「理論的選択」のそれぞれは、 ケインジアンたちによって 多様に議論され 多くの文献が 蓄積さ れているが、 紙面の関係上ここではカルトゥリ. エ のケインズ解釈のみを 対象とし、 彼の議論を追跡. していくことにする。 カルトゥリ ェ は、 ケインズの経済学が 貨幣的経済学であ ること、 すな ね ち、 「ケインズの 経済学. は、 最初から貨幣経済の 中で推論しているのであ り、 「貨幣の価格理論への 統合」を常に 探し求め.

(6) 40. 片岡. ている支配的な 理論が陥る袋小路を 免れている」. 浩二. (Cartellerl995a, p.8) ことを高く評価している。. ケインズにとって、 貨幣は前もってそれなしに 構築された価格理論の 補完 物 として存在している のではない。 経済 ( そしてまた経済学 ) の言語は財 ( 自然 ) によってではなく、 政治的創造物によっ て構築される。 ㌃貨幣論 冒頭で、 ケインズは「計算貨幣」を「本源的な 概念」 ( ケインズ 1979,3 頁 ) として規定し、 そして、 「本来の貨幣」は「計算貨幣に 照応しその引き 渡しによって 契約あ る いは債務を履行する」ことができる「国家貨幣」 ( 同上, 6 頁 ) であ ると主張している。 銀行貨幣は 、 「単に計算貨幣で 表示される私的な 債務の承認にすぎない」のだが、 それは「国家の 負 う 債務を表 す」ものとなり、 「国家はその 表 持主義的特権 を行使して、 この債務それ 自身が負債を 弁済するも コ. のとして受領されるべきことを 布告する」 ては明白であ. ( 同上 ) 。. 貨幣理論における 国家の存在はケインズにとっ. り、 現代の貨幣は 常に多かれ少なかれ 管理されている。. このことは強い 意味で理解さ. れねばならない。 国家の存在は 新古典派におけるように 外生的な貨幣 量 といったものには 還元され ない。 この点について、 カルトゥリ. ェ. は次のように 指摘している。. 「ケインズは、 国家を貨幣当局として、 経済の貨幣的側面を 管理することに 貢献するルールや 制. 度の総体に位置づけている。 (Cartelierl995a, p.14) 」. 新古典派の一般均衡論では、 自由で独立した 諸個人やその 木 り己 的な選択行為に 論理的に先行しう るような経済制度が 存在する余地がない。 たとえ政治的な 制度が認められるとしても、 そのような. かバーター か、 等. によって解決される。 この見地は 、 幾つかの選択肢の 中から選択する 独立し. @@@t. (Cartelierl997b,p.8) にすぎない。 それに対し、 ケインズにとって 貨幣から出発するこ. Ⅰ. ジョン」. 神話の新しいヴァー. @@@. た 諸個人によって 行われる自発的で 自由な意思決定から 社会が生じるという「古い. 111. 制度は、 経済社会の覚部に 位置し、 それから独立して 思考されうる。 また、 近年では新古典派でも 制度についての 研究が盛んに 行われているが、 制度によって 提起される問題は、 代替的な複数の 均 衡の比較 協調の費用に 応じて協力するか 競争するか、 あ るいは、 取引費用に応じて 貨幣的交換. とは、 個人の自由を 抹殺する全体主義的な 見地を採用しているのではなく、 貨幣経済での 個人の自 由が「相互依存的関係の 特殊な形態」 (ibid. p.14)をとることを 意味するのだと 解釈される。 諸個 人の経済的行為の 自由や社会的妥当性と 制度としての 貨幣. (あ. るいはその中心に 位置づけられる 主. は 強調しているのだとカルトゥリ ェ は主張する。. ところで、 ケインズは、 「貨幣に関する 技術的な詳細は 背景に退いている」. ( ケインズ. 1995, xx. 伍. ・。1・1・・. 権 ) は密接に関連しているという 論点を経済学は 決して手放してはならな ず 、 そのことをケインズ. (. 同上, 41頁 ). を提案してい. 812)。 この単位の選択は、 正統派理論に 支配的な、 根本的公準を 拒否することを 含意している。 なね. ち、. 財についての「 / マンクラチュールの 公準」. (Cartelierl985, p.70)であ り、 それは特定. 0 社会的フレームワークから 独立して考察される 物的特性によって 確認されるものであ. 準は、 実物的な財. 化. す. る0. この公. 財のリスト ) を与件として 貨幣を排除する 一般均衡論にとって 第一義的な役割. を 果たし、 経済的諸関係は. 基づいて考察される。 主流派の議論では、 財のユー クリッド的空間であ る R" から出発して、 もっぱら実物価格のみが 取り扱われるのであ り、 諸個人 は 、 社会の外部で 定義された財のリストや 通好に基づいて 描かれる。 貨幣は、 貨幣が重要ではない こと ( 貨幣の中立性 ) を確認するためにあ とから導入される。 それに対し、 ケインズが拒否したの はこれらの概念であ り、 彼が利用する 経済且からアプリオリに 確認されるすべての 物質的基盤を 奪 財の物的な客観性に. 圧 ・Ⅰ. すなわち貨幣価値と 雇用量のみを 使用すること」. ,. 基本的な数量単位、. 貨幣から出発することを 明言している。 彼は第 4 章で、 「ただ二つの. 1. 1@. 頁 ) 仁一般理論Ⅰにおいても、.

(7) 「貨幣と賃労働 -- 貨幣 的 アプローチの 理論的射程 -一リ. 41. うことによって、 ケインズは初めから 貨幣を前提とし、 貨幣経済から 出発して考察している③のだ として、 カルトゥリ エ はこの点を次のように 評価している。. 「アプリオリに 与えられた. 自然 ) からではなく、 貨幣経済から 出発することは、 経済的諸関係. がタブララサの 上に築けないのだと 認めることを. 意味する。 さらに正確に 言えば、 これは市場経済. における経済的諸関係があ る種の制度的文脈に 組み込まれており、 富の形態が貨幣的であ ることを 認めることであ る。 (Cartelierl995a,p.37) 」. ケインズにとって 諸個人の支出は 貨幣的であ り、 価格は貨幣価格であ クリッド的な 空間で規定された 一定の欲求と す 欲望であ. る 14)0富への欲望は、. ユー. 関連しているのではなく、 むしろ不確定な 欲求を満た. り、 そのような不確定性は 近代社会の富の 本質を表す。 この重商主義的な 真実こそ、. ケ. インズが復権 させたものであ る。. 財の. 「. ノ. マンクラチュール」ではなく、 貨幣を理論の 前提として選択することは、 有効需要の理. 論の名の下でケインズによって 定式化されたゲームのルールを は、. 特徴づける。 経済に現れる 期首の量. 企業家によって 決定される投資水準と 雇用水準であ るが、 これは同じ単位. 算単位 ニ ケインズが『貨幣論』で 定義した計算貨幣. ). ( 共通の名目的な. 計. で表現されているがゆえに、 同質的であ り、. 市場で表現されるがゆえに 有効であ る。 また、 投資と消費の 区別についても 同様のことが 言える。 すな. ね. ち、 投資と消費の 区別は 、 必ずしも財の 特性に依存しているのではない。 経済的取引は 前提. された物質的内実に. 応じてではなく、 その取引に関与している 主体の性質に 応じて規定される。. ケ. インズの言うように、 投資と消費の 区別の「基準はもちろん 消費者と企業者との 間に線を引くのと 対応していなければならない」 は、. ( ケインズ. 1995. 62頁 ) のであ る。 この点について、 カルトゥリ. ェ. 「投資は企業家間で 遂行される支出に 与えられた名前であ るのに対し、 非企業家に対して 企業. 家によって行われる 支出は要因費用. ( そのうち最も. 重要なのが賃金. ). であ る。 企業家に対する 要因. (CarteIierl995a,p.37) と述べている。 そして、 カルトゥリ エ によ. 所得の支出は 消費を規定する」. れば、 次節で強調されるように、 この主体の性質についても 貨幣的に規定されるのであ る。 以上のように、 カルトゥリ Ⅰ一般理論 口. ェ. は、 ケインズの貨幣的経済学のポジティブな 面を引き出しているが、 第 17章での貨幣の 特質についてのケインズの 議論であ る。. の中で特に批判的なのは、. これまで一部のケ イン ジァンを除いて 無視されてきた 17章についてカルトゥリ. ェ. がどのように 捉え. ているのかを 検討することにしよう⑤。 流動性選好説を 重視しているポスト・ケインジアンたちが. 依拠する貨幣概念は、 基本的には. (も. ちろん、 論者によって、 解釈の違いや 一定の留保があ るが ) 、 『一般理論』の 第 17章「利子と貨幣の 基本性質」における 貨幣の特質に 関する議論に 基づいている '。'。 例えば、 浅野栄一はこの 章が与え. る意義について 次のように高く 評価している。 「「貨幣は不可欠かっ 特有な仕方で 経済機構のうちに 入りこむ」という 観点から、 貨幣の理論と 財の理論との. 統一を主張するためには、 貨幣 と財 とを統一的に 捉えるための 一定の論理を 必要とし. よう。 両者がまったく 異質の存在でしかないならば、 一万が他方に 影響することなどあ りえないか らであ る。 かくて、 この観点からは、 貨幣 と財 との間に、 相違性とともに 同一性を見出さなくては. ならない。 マルクスはこの 同一性を、 両者ともに労働生産物であ るという点で 捉えたが、 ケインズ はこれを両者ともに 自己利子率をもっという 独特の形で捉えたのであ るⅢ. 1984,105頁 ). は、 第 17章でストック 分析が展開される 際に示 されるケインズの 議論は誤った 方向に導くものと 考える。 浅野が述べているように、 貨幣と財に 労 このような浅野の. 評価とは反対に、. ( 浅野. カルトゥリ ェ.

(8) 42. 片岡. 倒生産物としての「同一性」を 「貨幣. 浩二. 見出して、 貨幣商品説を 展開するマルクスと 同様に、 ケインズが. と財 との間に」同一性を 見出しているということ、 端的に言えば、 貨幣が特殊な 財であ. ると. 示唆していることに 問題が存する。 第 17章で含意されているのは、 貨幣はストックとしてのみ 重要 であ り、 それは特殊な 財だということであ る。. 貨幣は、 その収益が流動性プレミアムと 完全に結びついている 特殊な財として 捉えられている。 貨幣の特性は、 (1) 生産の弾力性がゼロまたはきわめてⅡ はほとんどゼロに. へ. さいこと、 (2) 代替の弾力性がゼロあ るい. 近いこと、 (3)持越 費用が無視しうるほどに /Jさいこと、 の中に読み取られる。. しかし、 カルトゥリ. へ. ェ. は、 こうした貨幣の 三つの特性が 生じるのは、 ケインズの視角とは 異なり、. それが財ではなく、 制度あ るいは組織の 様式であ るからだと考える。 貨幣の特質のうちの 第一の属性としてゼロの 生産の弾力性については、 それはあ る状況における 射 にとっての生産の 特殊な困難を 表現しているのではなく、 まさに、 一般的支払手段たる 貨幣が生 産の私的なロジックに 属さない、 ということに 起因している。 しかしながら、 ここでケインズが 念 頭においているのは、 貨幣当局ではなく、 私的企業の活動であ る。 また、 たとえ貨幣当局が 価格の. 変化に対応して、 貨幣を容易に 生産することができないとしても、 それは貨幣当局の 技術的な問題 によるものではない。 これは最後の 貸手の存在と 関係しているのであ って、 この貨幣の特質に 関す る 問題は、 生産上の問題とは 無関係であ り、 むしろ、 その正統性や 信認に関する 問題に属している。 ノーマル な 状態が不均衡状態であ る経済. ( 貨幣経済 ). では、 経済の存続. (あ. るいは再生産 ) は 、 特. 味 な社会的ルールを 仮定することなしには 思考されえない "'。 貨幣主権 は、 そのようなルールを 定 義. ( 布告 ). し、. そのルールが 練り返し再生産されるよ. う. に貨幣経済秩序の 安定性を保っことに 従事. するのであ り、 また、 そのように行動することにより、 私的な経済諸主体が 主権 に対して、 また社 会的ルールに 対して信認を 抱くことができるのであ. る。 そして、 最後の貸手の 正統性は、 最後の貸. 手が私的な利潤のロジックに 従属していない、 というまさにこの 事実に立脚しているのであ る。. 次に代替性ゼロも 同様に、 貨幣が形成される 方法がいかなる 財にも代替されえないような 技術的. 起因しているのではない。 それは一般的支払手段が 定義により、 決済のた めの一般的手段であ るということに 起因している。 このことが含意しているのは、 市場での諸個人. 特権 をもっていることに の 取引の結果が ( 赤字 ). 不均衡の結果に 終わることにより、 市場が閉じる 際に顕現することになる 収支残高. を最終的に清算し. ろ. るのは一般的支払手段だけだ、 ということであ る。 この特性の根底に. あ るのは、 使用価値の特性ではなく、 社会的ルールであ る。 最後の無視しうる 持越 費用については、 組織の様式やルールあ るいは慣習と 結びついた非物質的 な 性質を表しているにすぎない。. 以上のカルトゥリ エ の 17章の解釈は、 貨幣の概念的規定についての 根木的な理解を 要求している。 先に引用した 浅野の言明とは 反対に、 貨幣の特性としてケインズによって 挙げられた三つの 要因は 、 財 としての貨幣の 特性というよりも、 貨幣が財ではないことを 認識させるべきものであ ると考え ろ. れる。 むしろ、 それらの要因は、 制度としての 貨幣の特性を 表現したものとして 捉えられるべきな のであ る。 このような混乱は、 ケインズが貨幣と 資本の区別の 問題について 理論的に展開すること ができなかったことに 起因している。 多くのケインジアンもまた、 流動性遠野 論 、. あ. るいは資産選. 択の理論において 資産、 あ るいはストックとしての 貨幣を中心に 据えた。 その際にしばしば 引用さ. れるのは、 「貨幣の重要性は 本質的にはそれが 現在と将来を 結ぶ連鎖であ ンズ 1995. 294 頁 ) というケインズの 主張であ. る0. ることから生ずる」. ( ケイ. だが、 経済が本質的に 貨幣的であ るということ.

(9) 43. 「貨幣と賃労働一一貫 格的 アプローチの 理論的射程一Ⅰ. は 、 ケインジアンたちが 主張しているよ. るということを 意味しない。 貨幣. う. に、 「現在と将来を 結ぶ連鎖」が 貨幣の本質的属性であ. ( 貨幣経済 ). の特質の描写は、 諸個人の富の 選択の問題には 還元. されえない。 むしろ、 富の選択の双提となっているルールやコーディネーションの. 様式が問題なの. であ り、 そもそも富は 市場の分業を 通して生み出され、 市場によって 諸個人の富の 大きさが社会的 に 決定されるのであ る。 一定の財のリスト. ( 自然 ). ことが意図しているのは、 貨幣が、 市場の分業 均衡や需給法則のようなルール. (あ. ( 市場メカニズム ). ではなく、 貨幣. ( 制度 ). を理論の前提に 据える. るいは市場の 取引 ) を成立させる 正統派の一般 と同じ次元に 属しているのだということであ る。. 換言すれば、 貨幣と市場の 分業は同じコインの 裏 表の関係にあ る。 それでは、 以上のようなカルトゥリ エ によるケインズ 経済学の第一の 理論的選択についての 解釈. と第二の理論的選択、 すなわち「企業家と 賃労働者の非対称性」はどのように 結びついているのだ ろうか。 換言すれば、 貨幣と賃労働という 二つの概念はいかなる 関係にあ るのだろうか。 これが次 節の課題であ る。. lV. 企業家と寅男曲者の 非対称 性 『一般理論』の 第 2 章でケインズが 古典派の 2 つの公準を定義し、 一方 他方. ( 第 2 公準 ). ( 第 1 公準 ). を受け入れ、. を拒否したことは 周知の通りであ る。 第 1 公準とは、 「賃金は労働の 限界生産物に. 等しい」というものであ り、 他方、 第 2 公準は、 「一定の労働量が 雇用されている 場合、 賃金の効用 はその雇用量の 限界不効用に 等しい」. 典派経済学では、. 「第 1 公準は雇用に. ( ケインズ. 1995, 5 頁 ) というものであ る⑧ 0 したがって、 古. 対する需要表を. 与え、 第 2 公準はその供給表を 与え、 雇用量は. 限界生産物の 効用が限界雇用の 不効用と均衡する 点において決定される」. ( 同上, 7 頁 ). になる。 第 1 公準については「私の 仲間であ る経済学者たちに 向けて書かれた」. ということ. ( 同上,. xxi 頁 ) が. ゆえに、 採用された慣習的な 仮定であ るが、 カルトゥリ ェ はケインズによるこの 第 2 公準の f 巨否を ニ. 一般理論 コの 最も重視すべき 理論的戦略であ. インズの経済学が ワ ルラス法則. ると考えている。 なせなら、 このことを通して、. ( 超過需要関数の. 総価値が相殺されゼロとなる. ). ケ. の拒否を先鋭な 仕. 方で行っているからであ る。 通常の『一般理論』の 解釈とは異なり、 第 2 公準の拒否は、 企業家と 賃労働者の根本的な 非対称性を表現しているがゆえに、. ワルラス法則を 根本的に批判する 理論的視. 点を提供している、 というのであ る。. 「ケインズが 仁一般理論 コの 第 2 章から次のことを 主張していたのは 正しい。 すな ね ち、 均衡で 非自発的失業が 存在し. ぅ. ることを理解するための 唯一本質的な、 標準的な理論と 彼との差異は 、. 「古典派の第 2 公準」の f 三盃に見いだされねばならない. ,. 。 したがって 、 「ケインズの 推理」の. 根底にあ るものは、 貨幣でも不確実性でもなく、 また実質賃金でも 不完全競争でもなく、 特に予算 制約に関して 他の主体. ( 特に企業家 ). と比べた賃労働者の 異質性であ る。 (Cartelier2000 , p.120) 」. カルトゥリ ェ は決して貨幣や 不確実性の概俳が 重要でないと 考えているわけではない。 彼は二つ 0 集団の非対称性こそがケインズの 経済学を貫いている 基軸をなしており、 またそれゆえに 支払シ ステム論によるミクロ 的基礎づ け 、 あ るいは貨幣的基礎づけを 必要とするのだと 主張しているので あ. る。 ケインズの経済学の 解釈における 数多くの誤解は、 市場のワーキンバにおける 硬直性や不完. 全性の仮定に 依拠した方向へのミクロ 的基礎づけに の ケインズ経済学の 取り込み. ( 包摂 ). 由来している。 こうした新古典派の 拡張として. の方向では、 均衡での失業は、 市場を効率的でないものとす.

(10) 44. 片岡. る 制限的な仮定の. 浩二. 結果として以外には 理解されないものとなろう。 ニュー・ケインジアンの 経済学. は、 価格や賃金の 硬直性を内生化しようとし、 注目すべき議論を 展開しているが、 て、. このことはかえっ. そのような確信を 強化することになった。 競争の不完全性も 価格や賃金の 硬直性も非自発的失. 業を得るために 不可欠な根本的仮定ではない。 新古典派マクロ 経済学では、 制限的な仮定となる 不 完全性や硬直性を 除去することが. 政策課題となろう。 この場合規制の 緩和や自由化. ( 伸縮化や流動. 化 ) が目指される。 だが、 こうした理解は、 ケインズの経済学を 根本的に誤解しているのであ る。. 確かに、 不完全競争や 価格や賃金の 硬直性については 現実主義的な 仮定として適切であ るかのよう に思われるが、 それでは正統派経済学に 対するケインズの 根木的な批判を 理解することができない。 カルトゥリ エ によれば、 ケインズの根本的な 批判は、 ワルラス法則が 彼の経済学では 妥当しないこ とを示そうとしたことにあ り、 一般均衡論のような 経済諸主体の 同一的な地位の 仮定の否定こそが. 重要だということになる。. すな ね ち、 企業家と賃労働者が 同じ種類の予算制約に 属していないとい. う非対称的な 関係に力点が 置かれる。 ケインズの経済学における 均衡は 、 決して全ての 主体に対し て 同じ仕方で関係しているのではなく、. 企業家にのみ 関与しているのであ る。 経済主体の地位の 同. 一性の f 巨否は 、 ワルラス法則を 妥当化させない。 その点を見てみよう。 ケインズ的均衡を 考えるために 必要な ワ ルラス法則の 再検討は、 上述の企業家と 賃労働者との 間 の 異質性の仮定を. 必要とする。 ワルラス法則では、 労働市場での 不均衡は 、 必ず 財 市場での反対の. 符号をもっ不均衡を 伴 う 。 ケインズ 的 均衡、 すな ね ち、 財 市場. (あ. るいは債券市場 ) での均衡と岡. 時に、 労働市場での 不均衡 ( 超過供給 ) を語ることはできない。 逆に、 ケインズの経済学では、 諸 市場間の相互依存的関係に 立脚する れているのであ. ワ. ルラス法則とは 異なる市場についての「ヴィジ ,ン」が語ら. り、 それは企業家と 賃労働者の非対称性によって 規定された経済的諸決定の 継起的. なプロセスに 立脚している。 まず、 企業家は利潤最大ィ. ヒ. を目指して. (第 1. 公準の受容 ) 、 投資水準. と 雇用水準を決定する 瑚。. 雇用水準が実質賃金を 決定する。 雇用水準の決定は、 通常の意味での 市 場で行われるのではない、 という点が重要であ る。 等しい地位をもっ 諸主体が実質賃金と 雇用水準 ような市場. ( 労働市場 ). は存在せず、 雇用に関する 非対称的な決定が 存在する。 その. 決定は、 第一公準の受容からも 明らかなように、 完全競争下での 企業家の利潤最大化を 前提するこ とでそれに照応する 実質賃金を確立することへと 至る。 すべては企業家が 雇用量を決定しょうとす る仕方に依存している。 これが有効需要の 理論の対象であ る。 非自発的失業の 存在は、 労働市場で の 均衡のプロセスを 生じさせない。 ここで注意しておきたいのは、 ケインズによる 第. 2. | ﹃・Ⅰ ト t.@. う. l@. の 交渉を行. 公準の拒否. が賃労働者の 労働の供給を 無視することを 意味するのではない、 ということであ る。 労働の供給は 、 財 市場や債券市場へのアクセスの 必要条件 ( 労働者にとって. 望ましい ). 労働の供給は、. ( 十分条件ではない ). であ るとみなさねばならず、 また、. 非対称的な地位にあ る企業家の労働の 需要と同じ重要. 性 をもっていない。 賃労働者は雇用に 関して明確な 願望をも っているが企業家にはそれが 考慮され ずに決定されてしまう。 正統派経済学では 労働者の予算制約が 方劫の供給と 結びついているが、 雇. り、 賃労働者は自らの 予算制約 を制御することができず、 彼の財や債券の 需要は労働の 供給に遡及的効果を 及ぼさない。 労働の供 給は財と債券の 需要に影響を 与えないため、 労働市場と財 ( あ るいは債券 ) 市場との間に 断絶が生 用水準を介して 賃労働者の予算制約を 決定しているのは 企業家であ. る。 また、 新古典派経済学での 均衡は全ての 主体に. 関係しているが、 ケインズの経済学では、 企業家のみと 関係している。 賃労働者が企業家によって. 4. 非自発的失業の 存在の可能性を 生み出すのであ. Ⅰ. じる。 したがって、 このような予算制約の 非対称性、 異質性こそが、 ワルラス法則を 成立させず、.

(11) 「貨幣と賃労働一一貨幣的アプローチの 理論的射程一一」. 決定された今期の 活動水準に満足しているかどうかは. このようにカルトゥリ. ェ. 45. 当期において 影 昔を及ぼさない。. それでは、. によって解釈された 企業家と賃労働者の 非対称性はそもそもいかなる 理論. によって基礎づけられるのであ. ろうか。 ケインズはこの 点については 明示していない。 この論点は、. 賃労働関係を 伴う貨幣経済における 諸個人の行為のコーディネーションの 解明と大きく 関わって い るのであ り、 これがケインズの 経済学のミクロ 経済的基礎の 追究へとつながる。 第 Ⅱ節の議論が 介. り、 そのことによりケインズの 経済学の再構築の 足がかりをえる。 ところで、 新古典派経済学にとっては、 諸商品問の交換とそれに 擬せられるものとしての 労働と 商品の交換には 根本的な差異は 存在しない。 もちろん、 より低い抽象の 水準では、 情報の問題、 あ るいは契約の 問題が指摘されていることは 周知の通りであ る。 しかしながら、 どのような場合でも、 独立した諸個人による 自発的交換、 あ るいは自発的な 非交換 ( 交換の f巨否 ) が原則であ り、 それが 市場メカニズムを 特徴づけている。 労働は、 土地と同様に、 生産されたものではない 商品、 あ るい は 生産要素であ る。 労働はすべての 人が有している 初期賦存の構成要素であ り、 市場において 需給 在するのはここにおいてであ. され、 賃金が労働の 供給の対価として 決定される。. しかしながら、 他方、 リカード派やマルクス 派の伝統的な 見地が存在している。 それは企業家と 賃労働者は同じ 地位を有しておらず、 賃労働関係は 自発的な関係ではない、 という見地であ る。 こ のような地位の 非対称性は、 新古典派理論が 支配的な理論となるにしたがって 忘却され、 現代にお いてこのような 主張を行う異端派の 見地が特異であ るかのように 見える。 けれども、 あ る意味では、 自由で独立した 諸個人の水平的関係から 出発する新古典派の 見地の方が経済思想の 系譜から見れば 特異であ ると言った方が 適切であ. るかもしれない。 それでは、 われわれは古典派やマルクス 派の伝. 統 的見地に戻るべきなのだろうか f?カルトゥリ エ はこの問いに 対しては否定的な 答えを導き出して いる 19, 。. カルトゥリ エ は、 「賃金関係」. (Cartelierlg91, p.266)を説明するのに. 不可欠な二つの. 特徴、 す. (Cartelierl995d,p.2). なね. ち、 平等であ ると同時に不平等であ るという「二重で 逆説的な側面」. をあ. げている。 賃労働者は、 いったん賃金を 獲得すれば、 他の主体と同様に、 市場で取引を 行うこ. とができるが、 そのためには 他者による賃金の 支払に依存しなければならない、 ということであ る。 この二つの特徴をみたす 賃金関係をどのように 理論化することができるのだろうか. ?. ( ネオ ). リ. カード派では、 賃労働は技術的役人物として 生産システムに 入ってくる。 そこでは、 「賃金 稼 侍者 p.4)諸商品のべクトルとしての 実質賃 は馬や蒸気機関と 全く同じように 把握されている」 (ibid. 金は 、 家畜やエンジンの 使用と関連した 技術係数の概俳と 一致している. 0. 馬を干Ⅰ用することと 同じ. で彼らに食料を 供給することを 意味している. 0. たとしても、 それは「賃金 稼 侍者は人間であ. るという考えにリップサービスを. において重要な 役割を果たさない」. 実質賃金が歴史的・ 道徳的要素を 含んでいると 言っ. 与えているが、. 理論. (ibid.)のであ る。. それでは、 マルクスについてはどうであ ろうか。 カルトゥリ. ェ. によれば、 「マルクスは 賃金 稼 侍. るが、 しかしながら「賃金 稼そ与 者の地位についての 彼の解釈は矛盾している」 (ibid. p.5)。 というのも、 ( 実質 ) 賃金の決定に 関 しては、 マルクスは全くリカード 的であ る。 賃労働者は私的な 商品所有者として 自らの労働力商品 と交換に財 ( 実質賃金 ) を得る。 彼は企業家 ( 資本家 ) と同じルール、 すなわち価値法則に 従属し ている。 その価値法則が 適用される商品とは、 彼の労働力であ る。 賃労働者は、 市場 ( 労働市場 ) において他の 諸個人と同様に、 商品 ( 労働力商品 ) を販売し、 そこに体化された 労働. 者の地位についての 議論では他の 誰よりも先に 進んでいる」のであ.

(12) 46. 片岡. 定 きれた価値と 交換する. ( 等価交換 ). 換を行うと考える 新古典派経済学と. 浩二. のであ る。 その意味では、 彼は同じ地位の 主体が自発的な 交. 同じ道へと進んでいる。 だが、 他方でマルクスは、 生産手段を. 所有していないがゆえに、 賃労働者は目ら 生産を行い、 生産物を販売することができないことを. 強. 調している。 すな ね ち、 賃労働者は、 市場の分業から 排除されているのであ る。 カルトゥリ エ が マ ルクスの議論の「矛盾」を 決別するのは、 この二つの視点を 調和させることが 不可能だからであ る。 一方で労働力を 商品とすることは、 たとえそれが 特殊な商品であ るとしても 用 契約が特殊であ ることを否定しないだろう. )、. 雇. その商品の所有者を 市場に参加させることは、 彼. を市場社会を 構成する私的な 個人として現れさせることになるだろう。. されているがゆえに. ( 現代の新古典派も. ( 生産手段を所有していないがゆえに. )、. だが、 市場の分業から 排除. 彼らは賃労働者なのであ る。 したがっ. て彼らは、 私的で独立した 個人ではない。 たとえ擬制的であ っても、 労働力商品 という概念が 賃労 口. 働 関係の基礎 づ げにふさわしくないのは、 Ⅰ資本論Ⅰ冒頭の 商品交換の論理. によっては決して 賃金関係を適切に 把握することができないからであ 概念も資本. (あ. るいは賃労働 ) 概念も起点としての 商品概俳. 諸個人が貨幣を 入手する条件. ( 貨幣創造の条件 ). ( 価値論 ). ( 労働価値説の. 論理 ). る 獄 。 L 資本論Ⅰでは、. 貨幣. によって支配されている。. も賃労働者が 貨幣を入手する 条件も 、 彼は商品交. 換 によって把握しようとした。 そこに彼が袋小路に 陥る難点が存しているのであ り、 また、 このこ とは新古典派にも 同様に当てはまる。 マルクスは、 貨幣入手の行為が 、 実は、 特殊な社会関係によっ て 規定された. ( 市場での交換とは. 異なる. ). 社会的行為であ ること、 また、 賃労働者が貨幣を 入手す. 8 行為も市場の 交換とは異なることを 十分に認識することができなかった。 賃労働者は賃金が 支払. われるときではなく、 支払われた賃金を 用いて市場で 取引を行うときに 交換関係をもつ。. したがっ. て 、 カルトゥリ エ の言うように、 「本質的な認識論的障害をなしているのは 価値論に由来する 個人. の概念であ は、. る」. (Cartelierl995b,p.238)。 というのも、 「異質な集団が 存在することを 認めること. 等価の関係が 異なる集団に 属する諸個人の 間には存在し 得ないこと、 また、 交換関係は経済的. 諸関係のすべてを 汲み尽くさないことを 認めることであ る。 その場合、 異なる階級の 諸個人間で結 ばれる関係は 特殊な理論の 対象とならなければならない」. そこで、 カルトゥリ. ェ. (Cartelierl996a, p.86)0. は、 支払システムにおける 貨幣鋳造の様式こそ、 企業家と賃労働者の 非 対. 称 性を真に基礎づけることができるのだと. 主張する。 その様式に基づいて 支払手段を入手できる 者. 生産することができる。 二つの集団の 分割基準は、 銀行の合意をと りつ け支払手段を 獲得できるかどうか、 であ る。 すな ね ち、 賃金 稼 侍者はそれを 行 う ことができな い者として規定されるが、 この分割基準による 二つの集団の 境界線は絶対的なものではない。 貸方. だけが財の販売を 見込んで財を. 勘者は、 自らのプロジェクトが 富を生み出すのだということについて 銀行を説得することに 成功す. れば、 彼は賃労働者であ ることをやめ、 企業家あ るいは市場で 自発的な行為を 遂行する者となる 可 能 性をもっている。 カルトゥリ ェ は、 このように規定された 賃金関係を「貨幣的従属関係」. (Cartelierlg91, p.267)と表現している。 マルクスの場合は、. 両者の分割基準を 生産手段の私的所. 有の有無に求めた。 確かに、 生産手段の私的所有と 貨幣へのアクセスは 非対称性を導くための 二つ の異なる表現であ る。 だが、 前者の基準について、 カルトゥリ ェ は次のように 指摘している。 「生産手段の. 所有は、 貨幣鋳造過程の 利用ほどの意義をもっておらず、 市場システムに 特有のも. のではない。 生産手段の所有は、 マルクス自身が 本源的蓄積のテーゼで 明らかにしているように、 市場社会にとっては 外生的であ る。. あ. まりにも一般的で 漠然としたものよりも、 経済諸主体を 分か. つ内生的な基準をもつ 方がよいと思われる。. 」. (Cartelierl995d,p.7).

(13) 「貨幣と賃労働一一貫 格的 アプローチの 理論的射程 --. 貨幣的生産経済では、 企業家の支出計画づ 貨幣鋳造過程 づ M. ( 支出 ). 47. 」. づ生産 づ M.. ( 収入 ) づ 支. 払マトリックスの 形成 づ 収支残高清算というシークェン ス こそが適切な 表現であ り、 それは、 企業. 家の意思決定からスタートしており、 まさにこの表現こそケインズの 有効需要論を 特徴づけるもの であ る。 経済活動の水準を 決定するのは 支払手段を入手することに 成功した者として 定義される 企 柴家であ り、 企業家の支出の 計画とその実行こそが 経済の機動因となるのであ る。 逆に、 賃労働者 はこのシークェン ス を決定する権 限を有していない。 ここで企業家による 支出は、 賃金はもちろん. であ るが、 利潤も含まれていることに 留意しておきたい。 企業家は利潤の 支出を行い、 それを 稼 得 するのに対して、 賃労働者は賃金を 稼得し、 それを支出するのであ る。 それでは、 こうしたシークェン ス の中で、 マクロ経済的に 利潤はどのように 規定されるのだろう か。. このことは、 企業家と賃労働者の 非対称性を規定するルールであ る貨幣鋳造の 原理における ァ. クセスの条件であ る資本の一般化を 問うことを含意している。 個々の企業家のレベルでは 予想覚の 利潤や損失、 すな ね ち、 非ゼロの収支残高が 発生するが、 均衡でも不均衡でもマクロ 経済的な利潤 を確実なものとする ロジ,ク とは何であ ろうか。 企業家と賃労働者の 予算制約の異質性がそのロジッ クを 与える。 この点についてカルトゥリ エ は次のように 述べている。. 「収入と必要な 支出との間の 差によって利潤を 定義しよう。 議論は必要な 支出の定義に 依存して いる。 主観的な要素を 排除するために、 必要な支出は、 市場それ自体が 必要であ ると証明する 支出 を 示すのだとしょう。. 全ての主体が 貨幣鋳造過程へのアクセスを 有する経済一一純粋市場経済一一. では、 全ての支出は 必要であ る。 全ての人にとって 支出と収入が 等しい均衡では、 全ての支出は 社. 会的に必要な 支出であ る。 その結果、 収入と必要な 支出の間に差が 存在しないため、 利潤を稼 得す るものは誰もいない。 シャッ製造者によって 消費のために 購入されたキャビアやシャンペンは、 衣 服と同様に必要であ るのは、 市場の法則がそれらを 同様に認めるからであ る。 不均衡では、 あ る 主 体は他者の被った 損失に等しい. 利潤を稼得するだろう。 その結果、 経済全体では 利潤は現れない。. Ⅰ賃労働が現れると 話は変わる。 均衡でも不均衡でも、 賃金は費用であ り、 そのようなものとして 必要な支出であ る。 わがシャッ製造者が 企業家となる 場合、 彼に雇われた 賃金縁侍者は 自分の賃金 以上に支出することはできない。 その結果、 賃金. ( および衣服 ). は必要な支出の 額を正確にはかり、. 均衡でも不均衡でも 収入と必要な 支出の差の計算を 可能にする。 今や、 総収入と必要な 総支出の間 のマクロ経済的なギャップを 手にすることができる。 これは企業家が 自分の期待利潤を 支出する ケ一 ス. であ ろう。 (Cartellerl995d,p.l0) 」. この引用文から 分かるように、 カルトゥリ エ が念頭においているのは、 ゑ 企業家は支出したもの を稼 得し、 賃労働者は稼得したものを 支出する》と 要約されるカレッキの 原理であ る 柑 。 マクロ経. 済的な水準では、 利潤は「自己実現的な われは、. ヵ. 予言」. (ibid.)として捉えることができるのであ る。 われ. レッキの利潤決定原理やケインズの 有効需要の原理で 中心的な場を 占めている企業家と. 賃金縁 得 者の非対称性の 貨幣的基礎づけをここに 見出すことができるのであ る。 最後にカレッキの 原理を、 非常に単純な 例を用いて示し、 この節を締め 括ろう。 政府も賃金からの 貯蓄も存在しない 閉鎖経済における 利潤と投資の 恒等式から出発することにし よ. う. 。 その際に. ヵ. レッキは、 利潤が投資を 決定するのか、 それとも逆であ るのかを問い、 次のよう. に 答える。 投資が利潤を 決定するのであ って逆ではない、 と材 。 企業家は最初に 彼らの期待に 基づ. いて望ましい 活動水準. ( 支出の水準 ). を決定するだろう。 その場合、 二種類の支出が 区別されねば. ならない。 第一のものは、 企業家に向けられるもの. ( ケインズはこれを. 投資と呼ぶ ) であ り、 第二.

(14) 48. 片岡. のものは、 非企業家に向けられるもの 支払 額 のみとする. )。. 浩二. ( ケインズによれば. 要因費用 ) であ. ( ただしここでは. 賃金. この場合、 消費を超える 所得の超過部分として 定義された貯蓄は、 費用. (賃. る. 金 ) を 超える収入の 超過部分に等しく、 これは企業家の 貯蓄を定義する。 すな ね ち、 ここで、 投資 と貯蓄の恒等式が. 見出されるだろう。. ケインズ や カレッキにとって、 投資と貯蓄は「社会全体にとっ ( ケインズ 1995. 75頁 ). ては、 同じものの異なった 側面にすぎない」. 派にとっては、 貯蓄と投資は 均衡条件であ るが、 ここでは、. のであ り、 必ず等しい。 主流. 均衡であ ろうと不均衡であ ろうと、 成. 正 する恒等式であ る。 したがって、 企業家による 支出二期待利潤. 十 賃金Ⅰ収入という. 関係が得られ. るだろう。 賃労働者の貯蓄を 考慮に入れれば、 それは企業家の 赤字となる。 賃労働者の貯蓄は 、 金. 融の形態をとり、 貨幣鋳造の様式とは 異なる収支残高清算の. 様式に基づく 複雑な金融仲介のシステ. ムの考察を要する。 しかしながら、 企業家が支出したものを 稼 得し、 賃労働者は稼得したものを 支 出するという 非対称的な関係こそがマクロ 的な利潤決定の 原理を支えていることに 変わりはないの であ る。. V. 拮ぴ にかえて カルトゥリ. ェ. が提起する支払システム 論は、 ワルラス的な 一般均衡論とは 異なる枠組み. 済についての 異なるヴィジョン ズ 経済学のミクロ. ). ( 市場経. を提示しており、 また、 それゆえに、 支払システム 論は、 ケイン. 的基礎づけによる 新古典派経済学へのケインズ 経済学の包摂というプロジ ,クト. の批判を手にすることができる。 支払システム 論は、 ケインズ や カレッキの現代においても 色捜 せ. ていない重要なテーゼを 真に基礎づけることを 可能とするだろう。 ケインズやカレツキの 経済学は、. 基礎づけられねばならない。 一般均衡論 行う交換行為の 相互両立性、 諸市場間の同時的な 相互. 本来一般均衡論のような 枠組みとは異なる 枠組みによって. では、 同じ地位を有する 経済主体が自発的に 依存的関係によって 市場 メ. ;. 二ズム が特徴づけられる。 そこでは、 一方での経済諸主体の 意思決定. の 結果を示すマクロ 的な諸関係と. 他方での意思決定が 行われ実際に 遂行されるための 諸原理との間. に明確な区別が 存在しない。 両者が混同されているのであ る。 一般均衡は、 諸個人の経済的行為の 相互両立性の 状況を示し、 方程式体系の 解が価格と数且を. 決定し、 したがって、 ましい行為が 同時に実現される。 均衡は、 取引が行われた 結果であ ると同時に、. めの条件. ( さらに言えば、. 市場が働くためのルール. ). あ らゆる主体の 望. 取引が行われるた. でもあ る。 ここで取り上げられたケインズの. 経済学はこのような 方法論を f日召している。 彼の経済学は、 第一に、 経済が木質的に 貨幣的であ. こと、 第二に、. 企業家と非企業家. ( 賃労働者 ). る. の間には非対称的な 関係が存在していることの 二つ. の特徴によって 表される。 この二つの特徴は、 一般的相互依存性や 相互両立性の 考えとは対極に 位 貴 している。 本論で述べたカルトゥリ ヱ によるケインズの 経済学の貨幣的. 0. ミクロ経済的. ). 基礎づ. けは、 企業家による 活動水準 (支出水準 ) の決定をより 鮮明に描き出しており、 そのため、 ケインズ の 有効需要の理論、 あ るいは企業家経済の 分析に適しており、 また、 最後に述べたような ヵ レッキ. ろう。 この議論は 、 誰も何も決定す ることができない 静態的均衡の 枠組みでは意味をなさない。 その場合、 すべての者は 彼らの計画の. の利潤決定の 原理の基礎づけの 役割を果たすこともできるであ. 相互両立性に 依存しているがゆえに、 企業家は利潤を 決定する能力を 持たない。 対照的に、 諸個人 0 行動が支払システムによってコーディネートきれる 貨幣的アプローチの 文脈では、 企業家は 、 貨 幣 鋳造過程への 排他的なアクセスを. 有しており、 支出を決定する 能力を持ち、 「自分自身の 運命の.

(15) 「貨幣と賃労働 --. 支配者」. ( カレツキ. 貨幣 的 アプローチの 理論的射程 --. 49. 」. 1984. 14 頁 ) となる。 カルトゥリ エ の支払システム 論の意義はまさにこの 点に. 見出される。 カルトゥリ. ェ. による貨幣的基礎づけは、 真に分権 化された経済の 働き、 あ るいは、 賃. 労働関係を描くためには 不可欠な作業であ り、 ケインズの経済学は、 新古典派の枠組みに 包摂され るべきではなく、 新しい. (. ラディカル な ) 枠組みに基づく 再構築を要求していることを 想起させず. は はおかないのであ る。. 1) 例えば、 「労働市場の 流動化」を推奨する 八代尚宏は次のように 述べている。 「日本経済の 構造 改革が成功するかどうかの ヵギ は、 市場機能を最大限に 生かす規制緩和の 進展であ るが、 それはと くに労働市場において 重要となる。 しばしば「規制の 緩和が必要なものは 経済的な規制であ り、 社 全的規制は別」という 見方も根強いが、 市場における 労働力需給の 調整を効率的に 行うためには、 過去の状況に 合わせて作られた 社会的規制の 大幅な緩和がより 重要となっている。. 」. ( 八代 1997, 7. 頁 ) 本稿はこのような 政策提言に対して 直接批判を行うことを 目的としていないが、 カルトゥリ エ. の貨幣的アプローチの 解明を通して 一般に流布している 新古典派的な 市場観の変更を 促すことをね ち いとしている。. n¥. + 出稿. (1999) 参照。. 3) この三つの要素の 説明としては、 カルトゥリ エ (Cartelierl995c,1996a, 1997a) を参照。 また、 彼の議論を説明したものとしては、. 海老塚胡地 (1999) の 策 1 章 、 拙稿 (1999)、 小湊章夫 (1999)、. 坂口明義 (2001) の第 3 章を参照されたい。. 4). カルトゥリ エ の支払システム 論によって示される 貨幣認識は、 R. G. ホートリ一のそれに 非. 常に類似している。 本稿では検討する 余裕がないが、 ホートリ一の 貨幣論について 示唆に富む研究 として小島 専孝 (1997) 参照。 ホートリ一の 貨幣認識とカルトゥリ エ の支払システム 論の比較検討 という興味深いテーマについては 今後の課題としたい。. 5). この一般的支払手段の 受領性は均衡の. 確立に従属しない。. 6) 消費者信用といった 異時点間の所得の 配分は考慮されていない。 それを導入しても、 スト一リー に 大きな変化を 与えることはない。 ここでは、 当該市場期間の 生産物の販売によって 返済される貸. 付けが仮定されている。. 7). この「貨幣鋳造 (monnayage, mintage) 」という語を 信用システムに 適用することは 相応し. くないかもしれない. 0. 「創造 (creation)」あ るいは「発行 (emission)」と呼ぶ方がむしろ 適切で. あ ろう。 だが、 彼があ えてこの「貨幣鋳造」という 語を使用しているのは、 次の理由からであ ると. 推測される。 貨幣を通して 自由で独立した 個人が生み出され、 それらの水平的関係が 創造されるの であ るが、 同時に 、 忘れてはならないのが、 もう一つの軸を 形成している 垂直的関係であ り、 貨幣 と主権 ( 君主・中央銀行 ) が密接に関係しているということであ. る。 もちろん、 貨幣は単に政治的. 領域に還元されえないとはいえ、 経済的領域にのみ 属する制度ではない。 その点について、 彼は次 のように 楡 えている。 「貨幣は経済的領域と 非経済的領域を 分かっドアであ. る」. (Cartelierl996a,p.. 94) 、 と。 8) 以下の議論については、 カルトゥリ エ (Cartelierl996b) 参照の 9) 一般均衡論における 貨幣の取り扱いの 難点については、 M.F. Hellwlg (1993)、 K.D. Hoover (1996)、 さらに C.Benettl (1996) 参照。.

(16) 50. 片岡. 浩二. 10) ここでは不連続な 時間の導入の 方が適切であ ると思われる。 カルトゥリ. エ の提示する基本モデ. ルでは期間分析. が仮定される。. 11) あ. ( 論理的時間でそれ. 以上分割されないひとまとまりの 時間 ). この水準で現れる 最後の貸手の 存在はシステム. (あ. るいはルール ) の存続にとって 不可欠で. る。. 12) 雇用量は二つの 貨幣 且 ( 賃金支払高と 単位賃金 ). の商. として得られるがゆえに、 貨幣 量 とし. て表現される。. 13) ただし、 後述の通り、 『一般理論Ⅰ 17章を除くという 限定付きであ るが。 14) 市場価格 ( 貨幣価格 ) の決定について、 カルトゥリ ェ はケインズのⅠ貨幣 論 Ⅰから示唆を 導 き. 出している。. それは 第 10章の基本方程式における 市場価格決定に 関する理論であ り、 それを彼は. 「カンティ コ ン・ルール」あ るいは「カンティ コ アニスミス・ルール」と 呼んでいる。 そのルール は 端的に言えば、. 市場価格が「市場で 支出された貨幣且を 市場に持ち込まれた 財の量で割った 商 」. (Aglietta/Cartelierl998, p.137)として定義される。 の カンティ. コ. であ. る。. 『貨幣論」の. 基本方程式は、 2 商品. ン・ルールの 定式化として 解釈されるものと 捉えている。 このカンティ コ ン・ルール. については、 Benetti/Cartelier(1998) 、 Deleplace (1999) の第 3 、. 5 章を参照されたい。. 15) 以下の議論については、 Cartelier (1993, p.547-9) に基づく。 16) 例えば、 渡辺良一 (1998) 参照。 17) 「信頼は、 しばしば貨幣に 関して援用されるが、 全ての人の相互依存関係によって 形成され る集団への帰属の 確証であ. る。 諸個人の私的性格は 、 他の人々も支払システムを 構成するルール. そこから生じる 市場のサンクションを 受け入れるという 信念によって 維持される 遺 する過程は、 経済的行動のみに 尽くされない 表象や態度を. や. だが、 信頼を創. 0. 必要とする。 主権 の概念が介在するの. は 、 とりわけここにおいてであ る。」 (Cartelierl997a,p.l1). 18) 実際には、 この二つは公準ではなく、 より根本的な 仮定. ( 経済的選択の. 一般的性質を 規定す. る極大化原理 ) によって 演経 されたものであ る。 この点については Leontief (1947)を参照。. 19) ここでは、 名目賃金は一定と. 仮定される. ( 企業家と労働者の. 一定量の労働の 引き渡しを意味していないということが、. 集団的交渉など. スティバリッツ、. あ. ). 。 賃金の支払は. るいはボールズ、. ボ. ワイ エ らによって広く 研究されてきた。 カルトゥリ エ は名目賃金について 次のように指摘している。. 「なるほど、 価格についての 予想に加えて、 名目賃金は労働者にとって 実質賃金の水準を 推測する ための手段であ る。 だが、 ケインズが絶えず 念を押しているように、 賃労働者はく 労働市場 ) では、. 実質賃金を決定する 手段をもっていない。 したがって、 賃金がケインズの 経済学に介在するのは. 名. 目的な大きさとしてであ る。 賃金は、 企業家に対する 賃労勘者の従属の 表現であ ると同時に、 経済 の貨幣的性格の 表現でもあ る。 (Cartehierl995a,p.54) 」. 19) 以下の試論は、 Cartelier (1991, 1995d) に基づく。. 20). マルクスの労働力商品論の 限界については 向井 公敏. (2001)参照。. 21). ケインズもⅠ貨幣論Ⅱにおいて 類似の議論を 展開している. ( いわゆる「寡婦の. なお、 カレツキの原理については、 アイクナー (1980)61-63 頁参照。 22) カレッキ (1984) 第 7 章参照。. 壺」の議論 ) 。.

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