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住民による健康増進活動の形成(その1)―長野県「八千穂村」における実践から―

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日本福祉大学社会福祉論集 第 114 号 2006 年 3 月

<はじめに>

戦後, 日本人の平均寿命は劇的に延びた. 敗戦直後に 50 歳代であった平均寿命は, 現在, 男 性 70 歳代後半女性 80 歳代前半に達し, 日本は世界最高レベルの長寿国となった. 長寿者の増加 にしたがって, 人々は, 単に長生きするのではなくいかにして健やかに老いるかに関心を寄せつ つある. こうした 「健康長寿」 への願望が高まる一方で, 「健康不安」 が広がっている事実も見 逃せない. 壮健な若者や壮年を標準化した社会では, 高齢化に伴う心身機能の低下は, 生活困難 を想起させ人々を不安に陥れる. 現代社会に生きる誰もが抱く不安を背景に, 今さまざまな領域で 「健康づくり」 が展開されて いる. 1990 年代に始まった国による健康増進活動は, 2002 年には 「健康増進法」 として法制化 された. 同法は, 健康の自己責任を明記した上で, 疾患を予防し 「健康長寿」 を実現するための 数値目標を示し, 国民一人ひとりの生活にまで踏み込んだ内容を含んでいる. しかし, 個々の身体状況や生活はそれぞれ異なっており, 画一的な基準にはなじみにくい. 国 が細かい基準値まで設定した背景には, 急速に進む高齢化に伴う医療・介護費の増大を抑制する という経済的要請がある. だが, こうした行政主導の方法で効果があがるのか疑問視する向きも 少なくない. 個人が与えられた一般的な情報を受け入れるだけでなく, 自分の健康を管理できる 意識と方法をもたなければ健康づくりの実効はあがらない. 長野県 「八千穂村」1) では, 高度成長初期の 1959 年から村ぐるみの健康管理事業を開始し, 住民による健康づくりを進めながら 「健康長寿」 を実現しつつある. 本稿では, 地域における行政・専門機関 (職) の機能に着目しながら, 人口数千の村において, 役場と病院主導で開始された健康管理活動が住民の間に定着していく過程を検証し, 住民主体の 活動を生み出した要件を明らかにする.

住民による健康増進活動の形成 (その 1)

長野県 「八千穂村」 における実践から

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【1】八千穂村における全村健康管理

 村ぐるみの健康管理の開始 八千穂村は, 1959 年に全住民を対象とした健康管理事業を開始した. その直接の契機となっ たのは, 国民健康保険自己負担分の窓口徴収制度である. それまで, 医療費の 50%の自己負担 分を村が一時立て替え, 患者は収入のあった時に支払っていた. ところが, 法改正により, 1957 年から受診時に窓口で支払うことになり, 現金収入の時期が限られている農民にとって利用しに くい仕組みになってしまったのである. 農民を中心とした国保の被保険者の収入は, 米の供出と養蚕によるものが主で, 盆暮れしか現 金が入ってこない. 盆暮れ勘定で生活していた当時の人々は, 医者に現金をもっていく余裕がな く, 軽い病気には薬売りから入手した配置薬を飲み, 病気が進行してどうにもならなくなってか ら医者にかかるという状況であった2). 村では, 窓口徴収制度によって住民の受診が減り潜在疾病が増えることを危惧して反対運動を 展開した. 村長は, 何度も県に出向いて粘り強く交渉したが, 法改正を阻止することはできず, 窓口徴収を実施せざるをえなくなった. この事態に直面して村の打ち出した対策が, 病人を作らないことを目指す健康管理であった. それまで医療と無縁であった農村地域の人々の病気の治療がようやく可能になった 1950 年代に, はやくも予防に取り組んだのである. この斬新な構想は, すでに村で保健・医療活動を開始して いた佐久病院の協力を得て推進された. 佐久病院は, 敗戦直前の 1944 年, 八千穂村のある南佐久地域の臼田町に農業会の組合病院と して設立された. 1945 年に若月俊一が赴任して院長となってからは, 病院における診療だけで なく, 地域へ出向く巡回診療を開始した. 村長は予防の必要性を説く若月の提言を容れて 「病気 になった人を何とかしようとして窓口徴収反対運動をしてきたが, それよりも病人をつくらない ように佐久病院の援助をうけて, 村をあげて, 健康を守る運動をやろうじゃないか」3) と村民に 呼びかけ, 健康管理を始めた. 村ぐるみの健康管理開始の経緯には, 二つの注目すべき点がみられる. まず, 法改正によって 生じた医療保障の課題に対して, 行政機関である村と医療機関である佐久病院がスムーズに連携 したこと. そして, その対策が医療費支払いの方法の工夫ではなく支払わない方法の創出, つま り治療よりも予防を目指したことである. この二点を可能にした背景には, 佐久病院が, 戦後初 期から村で展開していたプライマリ・メディカルケアとプライマリ・ヘルスケアを結合させた幅 広い地域保健医療活動の実積があった.  健康管理活動の 2 本柱 「健康管理」 という言葉は, さまざまな場面で使用され, その内容には幅がある. 国が, 達成

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すべき指標やモデルを提示して, 施策として国民の健康を管理する場合もあれば, 企業が, 人事 管理の一環として従業員の健康をチェックする例もある. 管理という語からは, 為政者や経営者 が人々をコントロールするという側面が想起されやすい. 八千穂村の健康管理は, こうした上からの管理ではなく, 個々の人間が自分の健康状態を把握 して良好に保つための活動として開始された. 村や病院が主導する形で始まったが, その目的は, 「医療から見はなされ, 健康を犠牲にしている貧しい農民の健康を守ること」4)におかれた. この 目的を達成するために, 活動の二つの柱が設定された. まず, 全村民の健康診断を確実に行うこと. これによって, がまんしたり気づかなかったりし て村民の間に潜在している病気を発見し早期治療に結びつけることが可能になる. さらに, 予防医学的な健康教育を行うこと. 病気の予防に必要な知識や生活の改善方法などを 示すことで病人をつくらないことを目指すわけである. この 2 本柱は, 活動の両輪として位置づけられ, それぞれについて多彩な実践が積み重ねられ た. 佐久病院健康管理部のスタッフとして初期から継続して健康管理活動に取り組んできた松島 松翠 (現名誉院長) は, 事業開始後約 10 年の活動をまとめた論文の中で, 健康管理の二つの側 面を図 1 のように表した5). ここでは, 健康診断と健康教育という 2 本柱は, それぞれ技術面と 運動面という二つの側面として示されている. 健康診断と健康教育は, 分立する 2 本の柱ではなく, 相互に連関する健康管理の両面を成して いるわけである. 医療などの技術を用いて健康診断を行い疾病を早く見つけ出して治すことは, 治療にとどまらず健康に関する知識や意識の向上につながる. 健康教育が健康づくり運動として 展開される中で, 人々の健康意識が高まり疾病の早期発見・治療を可能にする. 健康診断と健康 教育は, まさに車の両輪として機能したのである. 技 術 面 健 康 診 断 運 動 面 健 康 教 育 (松島松翠他 「農村の健康管理―八千穂村健康管理の 10 年間の実績を中心に―」 日本農村医学研究所年 報 1 1973) 図 1 健康管理の二つの側面 疾病の 早期発見 早期治療 予防衛生 知識の普及 健康意欲の 向上

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 活動内容 全村民を対象とした健康管理が始まる 10 年以上前から, 村では佐久病院による巡回診療が行 われていた. 手遅れ患者の減少を目的に, 病院での受診に至らない無医地区の人々のもとへ医療 スタッフが出かけていく試みである. この活動では, 当初から, 診療とともに保健・医療情報を わかりやすく伝える衛生講話や演劇などが組み合わされ, 診断・治療と教育の両面を含んでいた. 健康管理活動は, それまでの佐久病院の活動を活かしつつ, 村の事業としてさらなる発展をみ せた. 住民には, 健康診断の数値とともに自らの生活と健康状態を記入する欄を設けた 「健康手 帳」 が配布された. 手帳は, 検査結果の記録ノートにとどまらず一人ひとりの 「健康日記」 とな り, 住民が自分の健康を顧みる契機を作った. 役場と病院には, 定期的に行われる集団検診の結果や生活環境の年次推移を記入する 「健康台 帳」 が備えられた. 台帳は, 個人健康台帳, 世帯健康台帳, 部落 (地区) 健康台帳と三つに分か れ, 個人のデータに加えて, 世帯の経済状態, 家族構成, 部落の自然環境や衛生状態も記録され た. こうした記録方法から, 健康を, 個人だけでなく世帯や部落まで射程に入れて捉えようとす る幅広い視点が読み取れる. 全住民を対象とした検診は, 生活環境の問診から始まり, 検尿・検便, 身体測定, 血圧測定, 診察と続き, 最後に健康相談が行われた. 健康相談では, 一人ひとりに対するきめ細かな保健指 導が実施され, その過程で, 住民は, 少しずつ自らの生活や健康について考える意識を高めていっ た. 検診終了後に整理・分析された結果は, 地区ごとに開催される報告会で住民に伝えられた6). 報告会は, 単に検診結果を報告するだけでなく, 結果をもとにした住民の 「健康教育」 の場でも あった. 検診で判明した地区の健康状態が, グラフや図などでわかりやすく示され, 問題を改善 するにはどうすればよいのかが話しあわれた. 数値や活字を使った結果説明に加えて, 保健・医 療知識の紹介には演劇や映画を用いるなど住民に受け入れられやすい方法がとられたことも注目 される. 健康管理事業の内容をみると, 健康診断が検査と治療に終わらず健康教育につながるように, さまざまな工夫がなされていることに気づく. 自己記入式の健康手帳, 検診における個別健康相 談は, 住民にとって, 自分の体や生活について考える具体的機会となった. 特筆すべきは, 一人 ひとりの健康が個々に孤立したものではなく, 環境との関係の中に存在することが強調されたこ とである. 結果報告会では, 一人ひとりの健康と地域社会との関連が詳しく説明され, 住民は社 会の中で自分の健康を考える視点を獲得していった. それまで医療と無縁な状況におかれていた住民たちに働きかけるにあたって, わかりやすく具 体的な方法が試みられたことも活動の定着に大きく寄与した. さまざまな病気の症状や予防方法 を演劇によって表現したり, 食生活を改善するための調理方法を実演して試食会を行うなど視覚 や味覚に訴える実践は成果をあげた. 活動内容を概観すると, 全村健康管理は, 技術的側面から有病率の低下や医療費の縮減といっ

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た健康に関する数値指標の改善だけを目指すのではなく, 住民の健康意識向上を基軸に組み立て られていったことがわかる.

【2】健康管理活動の展開

 活動を担う人々 村の健康管理は図 2 のような組織によって運営された. 中央の囲みの部分が実務に携わるスタッ フを示しており, 佐久病院健康管理部がその中核となっている. 従業員組合 (労働組合) の出張 診療班の応援を受けながら医師, 看護師, 保健師, 事務職などによって検診班が編成され, 村役 場の衛生係や保健師とも協力して活動が進められた. スタッフには, 住民から選出された衛生指導員が含まれていた. 村役場や病院の行政職や専門 職とともに住民代表が活動の重要なメンバーとして当初から位置づけられていたことは, 健康管 理が住民主体の活動へと発展していく原動力となった. 衛生指導員の端緒は, 1950 年代前半に村で赤痢が流行した際に生まれた環境衛生指導員にあ る. 県の指示に基づいて配置された 8 名の指導員は, 伝染病予防の防疫や害虫駆除などに従事し た. 村の健康管理事業開始にあたって, これらの指導員が, 環境衛生整備だけでなく, 健康に関 する幅広い業務を担当する衛生指導員になったのである. 発足当初の指導員は全員青年男性で, 農業に従事しながら健康管理活動に参加し, 専門職とと もに活躍した. 彼らは, 病院の医療職から予防医学の研修を受けて専門知識を身につける一方, 地域を熟知した住民の立場を活用して検診の受診率向上に努め, 村や病院と一般の住民との間に 立って独自の活動を展開した. 地区の衛生部長や婦人会の会員も, 検診や報告会で活動の牽引役となってめざましい働きをみ せ, 活動には地域住民がスタッフとして参加した. また, 検診で異常が見つかった人の治療を開 業医に依頼する例が増えるに従って, 地域の中で行政や医療機関相互のつながりもしだいに深まっ ていった. 健康管理事業は, 村と病院が主導して開始されたが, 活動の推進者はそれらの機関の職員にと どまらなかった. 婦人会など既存の団体や衛生指導員などの住民代表が一定の役割を担ったこと は, 活動が住民全体へ浸透する大きな力となった. また, 地元医師会との連携のもとで開業医と の協働も進んだ. 見逃せないのは, 活動に参加したさまざまな機関や関係者の間に横のつながりが芽生え, 村ぐ るみの健康管理を支えるネットワークが形作られていったことである. 事業の展開過程では, 関 係機関 (者) 相互のやりとりが重ねられ, 村や病院を中心とした放射線状のつながりではなく網 の目のような地域内の結びつきが実現した.

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 住民主体の活動への動き 行政主導の施策が上から 「指導」 するかたちで進められると, 住民は受身になりがちで, 主体 的な取り組みは生まれにくい. とりわけ, 衛生状態が悪く無医村状況にあった地域への公衆衛生 施策を開始する際には, まず最低限必要な医療の供給が求められるために, 専門家主導の 「指導 型」 が目立つ. 八千穂村における健康管理では, 医療と無縁な生活をしてきた人々に対して検診を行い基本的 な保健・医療の情報を提供する際に, 専門家が非専門家に知識を授けるという形に終始しなかっ た. 住民は, 村や病院のスタッフから書き方を教わりながら, 自ら手を動かして自分の健康状態 を手帳に書き込む 「作業」 を積み重ねた. 住民代表の衛生指導員は, 専門家から学びながら村の 事業に参画し, その中で力をつけて地域の保健・医療のリーダーとして活躍するようになった. 年 1 回の検診の実施と報告会の開催, 病院スタッフによる結果の整理と事後指導といった健康 管理の流れが定着していく過程で, 住民の中に, 病院主導から脱して主体的取り組みを企画しよ うとする機運が現れた. 健康管理が開始されて 20 年を経た 1980 年代, 衛生指導員は, 医師を講 師とした講習会のような受身の形ではない取り組みについて検討を重ね, 「健康まつり」 を立案 した. 1984 年 7 月, 衛生指導員を中心に, 農協, 婦人会, 公民館, 社会福祉協議会など地域の 諸団体の関係者による実行委員会が開かれ, 11 月に第一回の健康まつりが開催された. 7 月から 11 月までの準備期間の動きには, 健康管理活動の中で蓄えられた住民の力が随所に 発揮されている. 全体の会議で役員を決め, 内容に関する多様な意見を検討するために小委員会 が設置された. 会の進め方については, 「企画専門部」 「展示発表部」 「健康づくり部」 の 3 つの 専門部会で議論されプログラムが作られた7). 肩こりや腰痛解消のためのストレッチ体操の実演, 映画上映, 各種展示など多彩な内容の中で 注目されるのは 「体験・研究発表」 である. 病気治療の体験や健康法の紹介, 衛生指導員が行っ 南佐久郡医師会 佐久総合病院 医 院 健康管理部 出張診療班 青年団 婦人会 衛生部長 衛生指導員 保健婦 衛生係 国保係 佐久保健所 農 協 健康づくり 推進協議会 八 千 穂 村 (農協青年部)−(農協婦人部) 部 落 図 2 健康管理の組織と運営図 八千穂村 村ぐるみの健康管理二十五年 1985. 内実務的担当組織

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たアンケートの結果報告, 有機農業の実践と食生活に関する考察など住民自身の体験がひとりひ とりの言葉で表現された. こうした地域住民による発表は, 専門家の講演では得られない共感を 呼ぶ. 健康まつりは, 1996 年から 「福祉と健康のつどい」 となって幅を広げ, 現在まで継続して開 催されている. 実行委員, 参加団体, 参集者のリストには, 地域の住民グループ, 病院や保健所, 社会福祉協議会や学校の PTA, 民生児童委員会など約 60 にも及ぶ団体が名を連ね, 地域の住民 と保健・医療・福祉関係者が一堂に会する場となっている. 健康まつりの発案と定着は, 村と病院がイニシアチブをとって始められた健康管理が住民一人 ひとりによる健康を守る活動へと発展していく過程を示している.  活動の成果 全村健康管理事業は, 国民健康保険医療費の窓口支払いというきわめて現実的な問題への対応 を契機に始まった. その目的は, 疾病の早期発見・治療によって医療費を縮減するだけでなく, 住民の健康に対する意識を高めて予防につなげることにあった. 健康管理開始後 10 年の活動を振り返って, 松島はその結果と評価を二つの側面から詳細に報 告している8). 健康診断の技術的な面では, がまんしたり気づかなかったりして治療に結びつか ない潜在疾病や農夫症9)の減少が示され, 農民の健康状態の改善が明らかになった. 健康診断による早期発見・治療によって, 手遅れで重症化したり死亡する患者が減少したこと は医療費にも反映された. 国民健康保険医療費 (1 人当たり) の年次推移 (図 3) を見ると, 健 康管理開始から 2, 3 年は, 発見した病気を治療するために受診数が増え医療費も多いが, その 後は下降し, 全国, 長野県, 南佐久郡の他町村のいずれよりも低くなっている. 現在も, 八千穂 村の老人保健医療費は全国平均をかなり下回っており健康管理の成果の持続が認められる. 図 3 国保医療費 (年間 1 人当り) の年次推移 (歯科を除く) 八千穂村 村ぐるみの健康管理二十五年 1985.

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技術面に比べると, 健康教育の運動的な面の結果は数値に表しにくい. 松島らは, 「健康に対 する知識と意識」 に関する調査を行うことによってその評価を試みている. 健康知識として, 自 分の血圧値の認識, 農夫症および破傷風についての理解, 高血圧の食事上の注意についての知識, 精神病と遺伝についての理解を問う 5 項目, 健康意識として, 定期的検診の必要性, 健康を守る 仕事への自発性, 医療費の公費負担, 疾病の社会的要因, 政治と健康生活に対する認識をたずね る 5 項目, 計 10 項目についてインタビュー調査が実施された. 調査データは, 八千穂村とほぼ環境を同じくする K 村と比較検討され, 年代別, 所得階層別 に分析が加えられた. その結果について, 松島らは, 健康知識は若干増え, 健康に対して注意す るものの率は上がったが, 健康意識の点ではそれが個人的なものにとどまり, 社会的な認識まで 発展していないと評価した. そして, 健康管理活動を通じて, 農民による健康生活を守る運動を もりあげていく方法の工夫が課題として強調されている. その後, 行政・専門職と住民が一体となって地道な活動が続けられ, 1980 年代には, 健康ま つりにみられるような住民の主体的動きが現れた. 現在, さまざまな領域で住民による活動が展 開され, 行政・専門機関による健康管理事業を支える基盤を形成している. 活動開始後 10 年の時点では十分とはいえなかった住民の健康意識は, しだいに高まり, 40 年 あまりの実践を経た現在, 技術面だけでなく運動面においても健康管理の成果がはっきり認めら れるようになったのである.

【3】住民による健康増進活動の進展

住民が, 個々の身体状況への関心をもつだけでなく, 健康を社会的視点からとらえ, 地域の健 康づくりに取り組むまでには長い時間を要した. 健康管理開始当初, 村や病院が活動を企画・推 進し, 職員は住民に対して教育・指導にあたった. 活動の定着につれて, 行政・専門職は助言や 情報提供を行う場面が増え, 側面からの支援や調整を担うようになる. その間の実践を子細に検 討していくと, 行政・専門機関 (職) の機能の変化とともに, 住民主体の活動を生み出す要件が 浮かび上がってくる.  活動を育む 「基盤」 の存在 住民による活動の誕生を可能にした要件として, まず挙げられるのは, 戦後初期から積み重ね られた地域医療保健活動が培った 「基盤」 である. 医療と衛生をめぐる環境整備, 実践の中で形 成された関係機関のネットワークそして, 行政・専門職と住民の間に成立した信頼関係が住民の 活動を支える土壌となった. 戦後の混乱が終息しつつあった 1950 年代に入っても, 八千穂村の住民の多くは, 生活用水を 河川に頼り, 体調を崩しても医者にかかることは難しかった. 村は, 1953 年と 1955 年に起こっ た赤痢の集団発生を機に衛生環境の改善に取り組み, 1960 年頃までには各地区に上水道が整備

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された. 全村健康管理開始後は, それまでがまんしたり気づかずにいて治療に結びつかなかった疾病の 早期発見・治療が進み, 住民の潜在疾病は減少した10). 佐久病院は, 地域における保健医療活動 の一方で, 高度先進医療を積極的に取り入れた. 「最新のガン治療を農民に」 という考え方に基 づいて, 1956 年にアイソトープ, コバルト 60, 1968 年にベータトロンが導入され, 村には, 都 市部同様に最新の医療技術や設備を享受できる医療環境が形成されていったのである. 健康管理活動の定着とともに, 健康づくりのための生活改善も進んだ. 脳卒中や高血圧の要因 となる冬の寒さを防ぐストーブ暖房, 「成人病」 の前駆症状を示す 「農夫症」 を予防するための 「農民体操」, 食生活の工夫などが促進された. これらの活動は, 行政・専門職の指導のもとに開 始されたが, 実践を重ねる過程で, 住民の中には自らの健康を顧みて生活を見直す機運が少しず つ育まれていった. 村ぐるみの健康管理は, 村と病院による検診の実施だけでなく, 地域の多くの機関・関係者と 住民の連携・調整・協働に基づく地域保健活動として展開された. 活動の積み重ねは, 関連機関 とスタッフ相互の関係を深めると同時に, 行政・専門機関と住民との間の信頼醸成にもつながっ た. 住民は, 難しい疾患を鮮やかに治療する医療者の 「技」 に感嘆するとともに, 村のすみずみ まで足を延ばして健康相談を続けるスタッフの姿勢に共感を示した11). 村や病院は, 上からの健 康管理者ではなく, 一人ひとりに健康づくりの方法を教えてくれる頼りになる存在として, 村の 中に根づいていった. 八千穂村の人々は, 整った医療・衛生環境のもとで, 健康を考え生活を見直す視点を身につけ, 行政・専門機関・職員と良好な関係を取り結ぶことよって, 健康づくりに取り組む態勢を固めて いったのである.  ゆるやかで柔軟な組織形成 村ぐるみの健康管理開始にあたって, スタッフがまず取り組んだのは, 活動主体としての女性 の組織化であった. 健康づくりには, 日常生活を支える主婦の力が欠かせないと考えた村の職員 と保健師は, 婦人会の若い主婦を中心とした若妻会を立ち上げた. この若妻会を母体として 1957 年に食生活の改善に取り組む 「栄養グループ」 が誕生した. 1980 年代に入ると, 国の健康増進推進対策構想12)に基づいて, 村には健康づくり推進協議会 が設置された. 協議会の活動を実践する 「婦人の健康づくり推進員」 や 「食生活改善推進員」 と なったのは, 既に村で活動を展開していた諸グループ13)のメンバーであった. 特筆すべきは, 住民組織の構成メンバーがしばしば重複していることである. 人々は, さまざ まな組織との関わりを, 各自が紡ぎ出す人間関係の中で, 生活に必要な要素として組み合わせな がら暮らしている. 病院や施設で活動するボランティアグループに参加する一方, 自宅で病人や 障害者を介護している人の支えあいの会を運営している人もいれば, 有機農業に取り組みながら 食の安全を追求し子どもの食育に関わる人もいる.

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役割と機能を明確にして分立する行政機関の組織とは異なり, 住民組織は, 領域ごとに分立す るのではなく, 幾重にも重なりあっているのである. 行政・専門職は, 健康増進活動を進めるに あたって, 地域で培われてきた人間関係や組織のあり方をふまえ, それを活用しながら住民の組 織化を促した. ゆるやかで柔軟な組織づくりが, 多様な集団・組織の重層的活動を胚胎し, 住民 の主体的活動の基盤となった.  行政・専門職の適時・適切な支援 活動を育む 「基盤」 と組織が形成されても, 行政・専門職の支援なしには住民主体の活動は実 現しない. 八千穂村では, 行政・専門職が連携しながら活動の発展段階に応じた適時・適切な支 援を行い, それが住民自身の動きを喚起した. 村の衛生状態や医療環境が不十分な戦後初期の支援は, 医療に無縁だった住民を診療し手遅れ で重症化した疾患を治療することや, 基本的な衛生知識を伝達することから始まった. この時期 には, 行政・専門職が住民に対して 「指導」 する場面が多く, 時には強いリーダーシップも必要 となる. 健康管理開始当時, 健康に留意する余裕なく働き続けてきた農民にとって, 検診や受診は非日 常的な行為であった. 村や病院は村民に検診参加を強く呼びかけ, 衛生指導員は自分の担当地区 の各戸を訪問して受診を促した14). 検診費用 100 円のうち村が 70 円を負担するなど, 費用面で の配慮も怠らなかった. 住居や食生活改善も, 村と病院の強い働きかけによって進められた. 暖房の普及に際しては, まず病院が実験的にストーブを導入してその効果を示し, 農夫症予防のためには, スタッフが工 夫した農民体操をモデル地区で継続して行った. この段階では, 行政・専門職の強力な 「指導」 や働きかけが目立つが, 上からの 「啓蒙」 ではなく, 住民の生活の中に入り込んで意識の変化を 促そうとする具体的な行動がとられたことが注目される. 検診の定着と, 村の医療・衛生環境の改善に伴って, 支援の方法も変化を見せる. 1960 年代 後半から 1970 年代にかけて住民の組織化が進むと, 行政・専門職が活動を側面から支援する場 面が増えた. 佐久病院は, 住民代表として活躍する衛生指導員に対して, 学習会15)を開催して専 門知識を学ぶ場を提供し, 活動のさまざまな場面で助言を行った. 役場職員は, 住民グループの 活動場所や資金の確保に努め, 保健師や栄養士などは住民による調査や報告作成に協力した. 行政・専門職の支援は, 活動の進展に応じて 「指導」 から 「助言」 や 「協力」 へと変化し, そ れにともなって, 住民は 「学習」 から一歩ふみ出した独自の活動に取り組むまでに自律性を高め ていった. 具体的な実践を検証すると, 村の事務職と保健師などの医療職が連携して住民を支援 している場面が多いことに気づく16). 病院の医師や看護職, 栄養士なども村の担当者と共に活動 に関与しており, 住民を取り巻く関係者相互の連携と役割分担が適切な支援を可能にしたのであ る.

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 住民全体への活動の普及 住民による活動の中には, 特定の問題に関心をよせる一部の人の実践もあれば, 強力なリーダー が他の住民を牽引していく例もある. 一つの地域の住民のあり様は実に多彩で, 全体が問題意識 と情報を共有しながら活動を進めることは容易ではない. 八千穂村の健康管理では, 当初から, 住民全体に事業を浸透させるための働きかけがみられた. 村や病院が, 住民全体に対して通知を配布したり検診結果を郵送したりする方法ではなく, 村内 22 の各地区できめ細かな活動が展開された. 検診後は, 村と病院の職員がすべての地区をまわって報告会を開催し, 一人ひとりに検診結果 を渡して健康相談を実施すると同時に, 地区の健康状態を説明した. 衛生指導員や食生活改善推 進員などの住民代表は, 学習会や講習会などで得た知識や情報を自分の地区に持ち帰って伝達講 習を行っている17). 留意すべきは, 村や病院による全住民を対象とした 「教育」 によってではなく, 住民代表を中 心とした住民相互のコミュニケーションを通して, 健康づくりが村全体へ普及していった事実で ある. また, 活動の舞台が村役場ではなく, 人々が生活を共有できる各地区の公民館や集会場で あったことも見逃せない. 行政・専門職が, このような住民の動きを引き出す環境づくりを行っ たことが, 人々が自らの健康を生活の中で見直す動きにつながったと考えられる.  生活を見直す環境づくり 八千穂村では, 健康診断を実施したり健康に関する教育を行うだけでなく, 健康づくりの基本 である生活の見直しを積極的に進めた. 注目されるのは, 生活改善の諸活動において, それまで 地域で営まれてきた生活を前近代的なものとして一方的に捨象することなく, 問題点を明らかに した上で見直すプロセスがとられた点である. 健康の基本である食生活の改善を進めるために, 村の衛生担当や保健師は早くから住民による 「栄養グループ」18) を組織した. グループは, 検診の結果貧血が多いことが分かると, 保健師や 栄養士の指導のもとで栄養調査を実施し, その分析に基づいて食生活改善の取り組みを始めた. 貧血をなくすための方法には, 野草の調理や大豆加工など地域が蓄積してきた生活の 「知恵」 が活かされた19). グループのメンバーは, 栄養士や保健師から学んだ栄養に関する知識をもとに, 地域での生活の中から解決方法を編み出していったのである. 行政・専門職が, 知識を上から伝授して地域の生活を近代化していくのではなく, 必要な情報 を提供した上で住民自身が問題を発見し解決の途を探る道筋をつけ, 生活を見直す環境を作った ことが住民の主体性を生み出した. 講習を受けるといった受身の活動ではなく, 自ら調査して地 域の実態を把握する実践の中から, 借り物ではない改善策が生まれた. さらに, 栄養グループは, 専門職の指導を受けながら調査結果をまとめた報告を発表して厚生大臣賞を受賞した. こうした 実践の中で, 住民は生活全体へと視野を広げ, 栄養の補給や料理の工夫だけでなく, 生活全体を 見直す活動を展開することになる20).

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<おわりに>

住民主体の活動を生み出した要件を概観すると, 住民と直接対峙する自治体レベルの活動展開 のあり方が重要な意味をもつことがわかる. 本稿で検討した八千穂村の健康増進活動を, 国と個 人の間に位置する地域・自治体レベルに位置づけると, 図 4 のような関係がみられる. 行政が健康増進事業に取り組む直接の契機は, 医療費をめぐる財政問題であった. 八千穂村で は, 国保の窓口支払いをきっかけに, 1950 年代末に病人をつくらない健康管理が開始された. 国の施策は, 1978 年の第一次国民健康づくり対策を皮切りに, 1988 年の 「アクティブ 80 ヘルス プラン」 を経て, 2000 年には 21 世紀における国民健康づくり運動 「健康日本 21」 へと発展する. 2002 年には健康増進を国民の責務と定めた 「健康増進法」 が制定された. 法整備の根拠とし て, 急速な高齢化の進展と疾病構造の変化に伴う国民の健康増進の重要性が掲げられているが, 年々増加する医療費の縮減要請が制定への推進力となった側面も見逃せない. 八千穂村では, こ うした国の施策の流れの中にあっても, 村がそれまで培ってきた独自の活動方法を活かして 「健 康長寿」 への途を切り拓いている. 国が, 統一基準のもとに達成すべき目標値を設定して国民の健康管理を企図する中で, 八千穂 村は, 村が住民の健康管理をするのではなく, 住民が個々の健康を管理する力をつける環境づく りに取りくんだ. トップダウンの政策の流れの中でボトムアップの動きを作り出し, 住民主体の 健康づくりを進めたことが活動の成果につながったといえよう. 現在, 各地で独自の健康増進活動が展開されているが, 健康教室を開催して住民を教育したり, 健康診断で 「正常値」 からはずれた人をチェックするだけでは, 実効はあがらない. 住民一人ひ とりが自分なりの健康づくりができる環境の整備が不可欠である. その具体策を考察するために, 次稿では, 村の健康管理事業の中で生まれた 「栄養グループ」 が住民による地域活動グループへ と発展していく過程を検証し, 住民主体の活動を生み出す行政・専門職の支援方法について論じ 国 レ ベ ル →トップダウン→ 地域・自治体レベル ⇔ボトムアップ← 個 人 レ ベ ル 課題‖ 増大する医療費抑制 国保財政悪化改善 健康不安の解消 方法‖ 健康増進法 全村健康管理 自己健康管理 ・自己責任 ・個人の健康意識喚起 ・健康意識向上 ・統一基準提示 ・地域特性にあった方法 ・予防・生活改善 国による個人の健康管理 → 住民主体の健康管理 ⇔ 自主的な健康づくり ▽ 実効ある健康増進活動 図 4 健康増進活動の三つの位相

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たい. * 本稿は, 2003 年度日本福祉大学課題研究 「「健康長寿」 を可能にする要件の研究―八千穂村 における健康増進活動を中心に―」 および 2004 年度科学研究費補助金研究 「地域保健活動に おけるエンパワーメント―長野県八千穂村における健康づくり活動を中心に―」 の成果の一部 である. 注 1 ) 長野県八千穂村は, 2005 年 4 月に佐久町と合併して佐久穂町となった. 本稿では, 旧八千穂村を八千 穂村と記す. 2 ) 八千穂村 村ぐるみの健康管理二十五年 p17, 1985. 3 ) 井出幸吉 「健康管理をはじめるまで」 八千穂村健康管理 5 年のあゆみ 佐久総合病院 1964. 4 ) 若月俊一 「健康管理の意義について」 前掲 八千穂村健康管理 5 年のあゆみ 5 ) 松島松翠, 寺島重信, 磯村孝二他 「農村の健康管理―八千穂村健康管理の 10 年間の実績を中心に―」 日本農村医学研究所年報 1, p259, 1973. 6 ) 報告会資料には, 検診によって明らかになった疾患罹患者総数, 地区 (部落) 別受診率, 有病者率, 潜在疾病率などの一覧表に加えて, 高血圧や腰痛などに対する簡単な治療的注意事項が記載された (「昭和 35 年度八千穂村健康手帳検診結果報告」 1961). 7 ) 佐々木房子 「「健康まつり」 開催までの経過」 前掲 村ぐるみの健康管理二十五年 pp.211-212. 8 ) 前掲 「農村の健康管理―八千穂村健康管理の 10 年間の実績を中心に―」 日本農村医学研究所年報 pp.263-278. 9 ) 肩こり, 腰痛, 手足のしびれ, 夜間多尿など働く農民に多発する不定の症候群を, 若月は 「農夫症」 と名づけ, その規準を示した (若月俊一 農村医学 pp65-67. 勁草書房, 1971). 10) 前掲 「農村の健康管理―八千穂村健康管理の 10 年間の実績を中心に―」 日本農村医学研究所年報 p284. 11) 健康まつりの資料集に掲載されている住民の 「体験発表」 には, 共に活動に取り組むスタッフへの感 謝と期待が記されている. 12) 1978 年に厚生省は第一次国民健康づくり対策として, 生涯を通じた健康づくりの推進 健康づく りの基盤整備 健康づくりの啓発・普及を提示し, 市町村には健康づくり推進協議会が設置された. 13) 村では, 栄養グループが発展したボランティアグループ 「ときわぎ会」 や農村高齢者の生活改善グルー プ 「ひまわり会」 などが活動していた. 14) 初代衛生指導員の手記には, 検診率を上げるために, 家庭訪問して検診の必要性を粘り強く説明した ことや, 歩けない人を背負ったりリヤカーに乗せて運んだ経験が記されている (前掲 村ぐるみの健康 管理二十五年 pp.37-38, 1985.). 15) 佐久病院の医師や保健師が講師となり, 人体の解剖や具体的な病気の症状や予防についての知識が講 義された. 衛生指導員は競って勉強に打ち込み, 習得した知識は検診活動で活用された (「衛生指導員 ものがたり 12 毎月一回の学習会に取りくむ」 農民とともに No 96, 2001.). 16) 農業改良普及所の生活指導員 (荻原節子氏) は, 住民の生活改善グループ 「ひまわり会」 の活動に関 わった際に, 役場職員や村の保健師など地域の関係者の協力を得やすかった経験を語り, 全村健康管理 活動で形成された人々のつながりの重要性を指摘している (2004 年 8 月 9 日佐久病院において聞き取り 調査). 17) 栄養グループが活動を始めた 1950 年代後半から 1960 年代初頭にかけて, 伝達講習会は, 外出の機会 の少ない農家の若い主婦の楽しみでもあった (前掲 村ぐるみの健康管理二十五年 p23, 1985.).

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18) 村の衛生担当と保健師が, 1957 年に婦人会の若い主婦を集めた 「若妻会」 を組織して食生活改善の取 り組みを始め, 翌年二地区に分かれて活動していた会が合同して 「栄養グループ」 となった. 19) 栄養グループのメンバーは, 畑にあるゲンノショウコやどくだみの葉をてんぷらにしたり, 大豆味噌 漬けや梅漬けを作って不足している栄養を補った経験を語り, お金がなくても肉を食べなくても栄養改 善はできると強調した (2003 年 8 月 28 日八千穂村公民館において聞き取り調査). 20) 栄養グループは, 1980 年代にボランティアグループへと発展し, 地域の高齢者問題に取り組むように なる.

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