七如来の顕現 : 寛正飢饉と施食の風景
著者
西山 克
雑誌名
関西学院史学
号
38
ページ
83-112
発行年
2011-03-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/00025743
七
如
来
の
顕
現
│
│
寛
正
飢
饉
と
施
食
の
風
景
│
│
西
山
克
は
じ
め
に
八 月 一 五 日 に 京 都 の 夜 を 彩 る 五 山 送 り 火 の ﹁ 大 ﹂ の 字 が 、 大 施 餓 鬼 の ﹁ 大 ﹂ を 意 味 す る こ と は ま ず 間 違 い な い こ と で あ ろ う 。 そ の 大 施 餓 鬼 の 本 尊 で あ る 七 如 来 に つ い て 語 り た い と 思 う 。 臨 済 宗 が 施 餓 鬼 の 経 典= 儀 礼 マ ニ ュ ア ル と し て 用 い る ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ は 、 中 峰 明 本 の ﹃ 幻 住 庵 清 規 ﹄ 付 録 ﹁ 開 甘 露 ︵ ! ︶ 門 ﹂ を 祖 型 と し て 、 そ の 多 少 の 改 変 に よ っ て 成 立 し た も の で あ る と さ れ る 。 そ の 臨 済 宗 ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ の 儀 礼 次 第 は 次 の よ う な も の で あ る 。 す な わ ち │ │ 、 ① 題 目 に よ っ て 甘 露 の 門 が 開 か れ 、 ﹃ 華 厳 経 ﹄ に 基 づ く ② 破 地 獄 偈 に よ っ て ﹁ 一 切 唯 心 造 ﹂ の 真 理 が 語 ら れ る と 、 ③ 帰 依 三 宝 と ④ 縁 起 衆 に よ っ て 、 仏 法 僧 と 、 施 餓 鬼 の 縁 起 に 関 わ る 釈 迦 ・ 観 音 ・ 阿 難 へ の 帰 依 が 宣 言 さ れ る 。 そ の 後 、 ⑤ 焔 口 陀 羅 尼 ・ ⑥ 施 甘 露 水 陀 羅 尼 ・ ⑦ 施 乳 海 陀 羅 尼 の 各 陀 羅 尼 が 誦 さ れ 、 甘 露 の 法 水 が 乳 海 の よ う に 溢 れ る 幻 想 の う ち に 、 こ の 儀 礼 の 本 尊 で あ る ⑧ 七 如 来 の 聖 号 が 唱 え ら れ る 。 八 三図 1 韓国国立中央博物館(旧龍岸寺)蔵甘露幀 七 如 来 の 顕 現 八 四
さ ら に ⑨ 往 生 呪 に よ っ て 阿 弥 陀 へ の 帰 依 が 高 ら か に 謳 わ れ 、 往 生 へ の 期 待 の も と に 、 ⑩ 浄 食 加 持 偈 に よ っ て 、 ガ ン ジ ス 川 の 川 辺 の 砂 の よ う な 無 数 の 鬼 神 た ち へ の 飲 食= 法 食 が 準 備 さ れ 、 ⑪ 四 句 回 向 ︵ 散 飯 偈 ︶ に よ っ て 施 食 さ れ る 。 最 後 に ⑫ 八 句 回 向 ︵ 修 行 祈 願 偈 ︶ と ⑬ 四 句 回 向 ︵ 結 願 回 向 ︶ が 唱 え ら れ 、 施 餓 鬼 の 功 徳 に よ る 救 済 と 仏 道 成 就 が 語 ら れ た 後 、 ⑭ 普 通 回 向 に よ っ て 、 三 世 一 切 の 仏 た ち へ の 帰 依 を 再 確 認 し て 儀 礼 を 終 え る 。 こ の 過 程 で 、 儀 礼 の 浄 域 に 顕 現 す る ⑧ 七 如 来 は 、 宝 勝 如 来 ・ 多 宝 如 来 ・ 妙 色 身 如 来 ・ 広 博 身 如 来 ・ 離 怖 畏 如 来 ・ 甘 露 王 如 来 ・ 阿 弥 陀 如 来 の 七 体 の 仏 た ち を 指 し て い る 。 七 如 来 に つ い て の 一 般 的 な 説 明 で は 、 最 初 の 宝 勝 ・ 多 宝 の 二 体 は 同 体 、 最 後 尾 の 甘 露 王 ・ 阿 弥 陀 の 二 体 も 同 体 で あ っ て 、 教 義 上 は 五 如 来 で 充 分 と さ れ る こ と も あ る が 、 本 稿 で は そ れ で も ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ の 本 尊 が 七 如 来 で あ る こ と に こ だ わ っ て お き た い 。 そ れ は 施 餓 鬼 の 本 尊 が 仏 教 諸 宗 派 に よ っ て 必 ず し も 同 じ も の で は な い か ら で あ る 。 曹 洞 宗 現 行 の 施 餓 鬼 テ ク ス ト ﹃ 甘 露 門 ﹄ は 、 面 山 瑞 方 の ﹃ 施 餓 鬼 作 法 ﹄ 一 巻 ︵ 享 保 十 二 年 ・ 一 七 二 七 跋 刊 ︶ に 拠 っ て 創 出 さ れ た も の で あ り 、 不 空 訳 ﹃ 施 諸 餓 鬼 飲 食 及 水 法 " 手 印 ﹄ を 参 考 に し て 手 を 加 え ら れ た も の で あ る 。 ︵ 中 略 ︶ 面 山 は 臨 済 宗 の 影 響 を 受 け た 当 時 の 施 餓 鬼 会 を 正 し い 形 に 戻 す た め に 、 臨 済 常 用 の ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ に 増 入 さ れ た と 思 わ れ る 偈 文 ・ 呪 を 削 除 し 、 七 如 来 を 五 如 来 に 戻 し た と さ れ る 。 ︵ ! ︶ と さ れ て お り 、 五 如 来 ︵ 多 宝 ・ 妙 色 身 ・ 甘 露 王 ・ 広 博 身 ・ 離 怖 畏 ︶ を 本 尊 と し て い る の で あ る 。 ち な み に 不 空 訳 ﹃ 施 諸 餓 鬼 飲 食 及 水 法 " 手 印 ﹄ は 真 言 宗 で も 重 用 さ れ て お り 、 真 言 宗 現 行 の ﹃ 施 餓 鬼 略 作 法 ﹄ で も 、 同 様 の 順 序 で 五 如 来 七 如 来 の 顕 現 八 五
︵ ! ︶ の 聖 号 と そ の 功 徳 が 称 え ら れ て い る 。 他 方 で 、 中 国 明 代 末 期 の 様 相 を 色 濃 く 残 す 黄 檗 宗 の 晩 課 の テ ク ス ト ﹃ 蒙 山 施 食 文 ﹄ で は 、 変 食 真 言 ︵ 焔 口 陀 羅 尼 ︶ ・ 甘 露 水 真 言 ︵ 施 甘 露 水 陀 羅 尼 ︶ ・ 一 字 水 輪 呪 ・ 乳 海 真 言 ︵ 施 乳 海 陀 羅 尼 ︶ と 浄 食 加 持 偈 の 間 で 、 ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ と 同 じ ︵ " ︶ 順 序 で 七 如 来 の 聖 号 が 唱 え ら れ て い る 。 こ の ﹃ 蒙 山 施 食 文 ﹄ は 中 国 明 代 の 僧 │ │ 、 雲 棲 袾 宏 ︵ 一 五 三 五 ∼ 一 六 一 五 ︶ の ﹃ 諸 経 日 誦 ﹄ 巻 上 ﹁ 暮 時 課 誦 第 二 ﹂ 所 掲 の ﹁ 蒙 山 施 食 儀 ﹂ を そ の ま ま 援 用 し た も の ︵ 下 略 ︶ ︵ # ︶ で あ り 、 黄 檗 宗 の ﹃ 蒙 山 施 食 文 ﹄ の 場 合 は 、 中 国 明 代 末 期 の 七 如 来 信 仰 が そ の ま ま 反 映 さ れ た も の と な っ て い る の で ︵ $ ︶ あ る 。 こ の よ う に 、 施 餓 鬼 の 儀 礼 の 本 尊 が 七 如 来 で あ っ た り 五 如 来 で あ っ た り す る の は 、 施 餓 鬼 の 縁 起 を 語 る 経 典 、 た と ︵ % ︶ え ば 不 空 訳 ﹃ 仏 説 救 抜 焔 口 餓 鬼 陀 羅 尼 経 ﹄ ・ 実 叉 難 陀 訳 ﹃ 仏 説 救 面 然 餓 鬼 陀 羅 尼 経 ﹄ な ど の 記 述 が 、 す で に 区 々 で あ る か ら で あ る 。 前 者 に は 四 如 来 が 現 れ る が 後 者 に は 全 く そ の 記 述 が な い 。 ま た ﹃ 仏 説 救 抜 焔 口 餓 鬼 陀 羅 尼 経 ﹄ と 関 係 す る 不 空 訳 ﹃ 瑜 伽 集 要 救 阿 難 陀 羅 尼 焰 口 軌 儀 経 ﹄ に は 七 如 来 が 登 場 す る 。 そ の 意 味 で は 、 七 や 五 の 数 字 は 、 ア ジ ア の 仏 教 的 世 界 に お け る 歴 史 的 な 選 択 の 結 果 で あ る と も 言 え よ う か 。 と こ ろ で 、 中 国 に は こ の 施 餓 鬼 と ほ ぼ 同 義 の 施 食 の 儀 礼 と し て 、 水 陸 会 ︵ 水 陸 斎 ・ 水 陸 道 場 ︶ と 呼 ば れ る も の が あ ︵ & ︶ る 。 施 餓 鬼 の 儀 礼 が 前 掲 ﹃ 焔 口 餓 鬼 経 ﹄ な ど で 語 ら れ る 焰 口 餓 鬼 ︵ 面 然 ︶ と 仏 弟 子 阿 難 の 出 逢 い に 直 に 依 拠 す る の に 対 し て 、 水 陸 会 は そ の 出 逢 い を 継 承 し つ つ 、 中 国 梁 の 武 帝 と 宝 誌 和 上 の ペ ア を 縁 起 の 主 人 公 と し て い る 。 七 如 来 の 顕 現 八 六
武 帝 の 受 け た と さ れ る あ る 高 僧 の 夢 告 │ │ 、 六 道 四 生 、 受 苦 無 量 、 世 有 水 陸 広 大 冥 斎 、 普 済 含 生 、 利 楽 幽 顕 、 諸 功 徳 中 、 最 為 殊 勝 、 宜 以 羞 設 ︵ 四 明 石 芝 沙 門 宗 暁 編 ﹃ 施 食 通 覧 ﹄ ︿ 卍 続 一 〇 一 ﹀ に 引 く 東 川 推 官 楊 鍔 ﹁ 水 陸 大 斎 霊 跡 記 ﹂ に よ る ︶ 、 は 、 水 陸 会 の 役 割 を よ く 伝 え て い る 。 水 陸 会 こ そ 六 道 で 流 転 し 続 け る 衆 生 の 無 量 の 苦 し み を 救 い 、 そ し て そ の 功 徳 の 最 も 優 れ た 斎 会 と さ れ て い る の で あ る 。 武 帝 は 宝 誌 に 託 し て 水 陸 儀 文 を 作 成 す る 。 ︵ ! ︶ こ の 中 国 に お け る 普 渡 儀 礼 の 成 立 に つ い て 、 松 本 浩 一 氏 が ﹁ 中 元 節 の 成 立 に つ い て ﹂ で 興 味 深 い 指 摘 を し て い る 。 初 期 の 施 餓 鬼 経 典 の 上 で は 、 餓 鬼 と 婆 羅 門 仙 に 七 七 斛 の 食 を 供 す る だ け で あ っ た 儀 礼 か ら 、 あ ら ゆ る 孤 魂 ・ 厲 鬼 に 広 く 供 養 し 、 こ の 世 に 祟 り を 起 こ さ せ な い こ と を 目 的 と す る 普 渡 へ の 変 化 に つ い て で あ る 。 松 本 氏 は 道 教 の 黄 籙 斎 と 仏 教 の 水 陸 斎 に 関 す る 儀 軌 を 検 討 し た 結 果 、 ﹁ 宋 代 に は 仏 教 に お い て も 、 道 教 に お い て も 、 そ れ ぞ れ の 普 渡 儀 礼 の 基 本 的 な 形 が 出 来 上 が っ た と 考 え ら れ る ﹂ と し 、 さ ら に ﹁ 施 餓 鬼 の 思 想 は 仏 教 に 由 来 す る の か も 知 れ な い が 、 普 渡 と い う 考 え 方 は 中 国 的 で あ る よ う に 思 わ れ る ﹂ と 述 べ た 後 で │ │ 、 孤 魂 や 厲 鬼 が 旱 魃 や 様 々 な 災 害 の 原 因 と な る と い う 信 仰 は 、 中 国 で は 古 く か ら 現 れ て お り 、 彼 ら の 苦 し み を 解 く た め の 儀 礼 や 、 彼 ら を 神 に 祀 る 事 例 も 見 ら れ る 。 そ の よ う な 信 仰 を 背 景 に し て 、 施 餓 鬼 と い う 仏 教 に 由 来 す る 考 え 方 を 基 に 、 仏 教 ・ 道 教 が 相 互 に 影 響 し あ っ て 、 中 国 的 な 普 渡 が 形 成 さ れ て い っ た も の と 思 わ れ る 。 七 如 来 の 顕 現 八 七
と し て い る 。 こ と を 水 陸 会 に 限 れ ば 、 釈 迦 と 阿 難 に 仮 託 し て 施 餓 鬼 の 起 源 を 語 る 漢 訳 仏 典 が 、 中 国 的 な 王 権 の 装 い の も と に 再 編 さ れ 、 新 た に 死 霊 救 済 の た め の 国 家 的 な │ │ 全 社 会 的 な │ │ 法 会 が 生 み 出 さ れ た の で あ る 。 そ の 盛 行 は 宋 代 以 降 の こ と に な る 。 梁 武 帝 の 関 与 は 歴 史 的 な 事 実 で は な い が 、 そ う し た 指 摘 に は ほ と ん ど 意 味 が な い だ ろ う 。 少 な く と も 縁 起 が そ の よ う に 語 り 、 そ の 法 会 が 華 夷 秩 序 の 周 縁 部 に お い て も 、 実 修 さ れ る よ う に な っ て い っ た か ら で あ る 。 明 代 の 水 陸 会 マ ニ ュ ア ル で 最 も よ く 知 ら れ た も の は 、 南 宋 の 天 台 僧 志 磐 の ﹃ 法 界 聖 凡 水 陸 勝 会 修 斎 儀 軌 ﹄ ︵ 一 二 六 九 年 以 前 に 成 立 ︶ で あ る が 、 そ の 最 古 の 版 本 ︵ 跋 文 一 四 七 〇 年 ︶ が 韓 国 全 羅 南 道 順 天 市 に あ る 名 刹 松 広 寺 に 伝 来 し て ︵ ! ︶ い た ら し い こ と は 、 す で に 私 も 書 い た こ と が あ る 。 そ こ で は 五 如 来 の 聖 号 が 唱 え ら れ て い た 。 国 家 的 な 宗 教 政 策 に お い て 崇 儒 抑 仏 を 規 範 と し た 朝 鮮 も 、 仏 教 儀 礼 を 無 視 す る こ と は で き な か っ た 。 特 に 水 陸 会 の 儀 礼 マ ニ ュ ア ル に 関 す る 版 本 が 、 時 代 を 朝 鮮 前 期 に 限 っ て も 相 当 数 残 存 し て い る こ と か ら 、 そ の 盛 行 の 様 子 を う か が う こ と が で き る 。 現 実 に も 、 崩 御 し た 国 王 ・ 王 妃 ・ 世 子 の 亡 魂 や 、 戦 死 者 ・ 刑 死 者 な ど 総 じ て 横 死 し た 者 の 孤 魂 を 対 象 と し て 、 繰 り 返 し 水 陸 会 が 行 わ れ て い る 。 な か で も 、 孝 寧 大 君 が 漢 江 の 河 畔 に 設 壇 し て 挙 行 し た 水 陸 会 は 、 朝 鮮 社 会 の 水 陸 会 の 典 型 を 示 す も の と し て よ く 知 ら れ て い る ︵ ﹃ 世 宗 実 録 ﹄ 世 宗 一 四 年 ︿ 一 四 三 二 ﹀ 二 月 一 四 日 条 ・ 三 月 五 日 条 ︶ 。 日 本 の 場 合 も 同 様 で あ る 。 朝 鮮 王 朝 の 始 祖 、 太 祖 李 成 桂 が 高 麗 王 家 の 死 霊 救 済 の た め の 水 陸 会 を 設 け る こ と を 決 め ︵ " ︶ ︵ # ︶ た 年 が 、 室 町 殿 義 満 に よ る 施 餓 鬼 実 修 │ │ 明 徳 の 乱 の 死 霊 た ち の た め の │ │ の 年 ︵ 明 徳 三 年 、 一 三 九 二 年 ︶ の 三 年 後 で あ っ た こ と は 、 意 味 深 長 で あ る 。 こ れ ら は 決 し て 偶 然 の 出 来 事 で は な く 、 東 ア ジ ア が 、 国 家 的 な 、 あ る い は 全 社 会 的 な 死 霊 救 済 の 儀 礼 を 必 要 と す る 段 階 に あ っ た こ と の 現 れ と い う べ き だ ろ う 。 七 如 来 の 顕 現 八 八
以 下 、 室 町 期 の 五 山 施 餓 鬼 会 と 七 如 来 の 顕 現 に つ い て 考 え た い 。
一
、
室
町
期
の
飢
饉
と
施
食
室 町 幕 府 の 主 催 す る 国 家 的 な 施 餓 鬼 ︵ あ る い は 水 陸 会 ︶ 、 そ れ も 大 規 模 な 戦 乱 の 死 者 を 鎮 魂 す る と い う 目 的 の た め の 施 餓 鬼 だ け で は な く 、 同 時 代 に は 大 飢 饉 や 疫 病 な ど の 災 害 時 に お い て も 、 施 餓 鬼 の 執 り 行 わ れ る こ と が あ っ た 。 そ の 典 型 は 、 室 町 殿 義 政 治 世 下 の 寛 正 年 間 に 五 山 の 僧 衆 に よ っ て 執 り 行 わ れ た 法 会 で あ る 。 長 禄 四 年 ︵ 一 四 六 〇 ・ 寛 正 元 年 ︶ は 例 外 的 な 気 候 不 順 の 年 で あ っ た 。 藤 木 久 志 編 ﹃ 日 本 中 世 気 象 災 害 史 年 表 稿 ﹄ の ︵ ! ︶ 同 年 条 に は 、 天 下 飢 饉 ・ 大 風 ・ 久 雨 ・ 洪 水 ・ 蝗 ・ 疫 病 な ど の 悲 劇 的 な 言 葉 が 書 き 連 ね ら れ て い る 。 ﹃ 経 覚 私 要 鈔 ﹄ 同 年 四 月 三 日 条 に ﹁ 余 寒 甚 事 、 超 冬 至 先 後 ﹂ と あ り 、 同 九 月 二 八 日 条 に ﹁ 且 大 雪 也 ﹂ と あ る よ う に 、 こ の 年 は 一 年 を 通 じ て 気 温 が あ ま り あ が ら な か っ た 。 そ の う え 際 限 な く 長 雨 が 続 き 、 さ ら に は 台 風 と お ぼ し い 大 風 洪 水 に も 繰 り 返 し 襲 わ れ た 。 他 方 で 日 照 り を 伝 え る 史 料 も あ る 。 諸 種 の 記 録 に 何 度 も ﹁ 不 熟 ﹂ の 文 字 が あ ら わ れ る が 、 こ の 熟 語 は 近 未 来 を 覆 う 悲 劇 の 実 態 と 人 び と の 不 安 を よ く 表 現 し て い る だ ろ う 。 確 か に 五 穀 は 実 ら な か っ た │ │ 。 翌 寛 正 二 年 に か け て 膨 大 な 餓 死 者 が で 、 大 量 の 飢 民 が 首 都 社 会 に 押 し 寄 せ る こ と に な っ た 。 餓 死 者 の 増 加 は 路 傍 を 死 骸 で 埋 め て 衛 生 状 態 を 悪 化 さ せ 、 さ ら に は 疫 病 の 蔓 延 を も も た ら し た 。 そ の 結 果 、 加 速 度 的 に 死 者 の 数 が 増 え た 。 公 武 政 権 も 手 を こ ま ね い て い た わ け で は な か っ た 。 特 に 室 町 殿 義 政 は 乞 食 た ち へ の 施 行 を 思 い 立 ち 、 首 都 社 会 に も そ れ を 支 え る 動 き が あ っ た 。 願 阿 弥 と い う 勧 進 聖 の 存 在 は な か で も よ く 知 ら れ て い る 。 や が て 挫 折 し て 施 餓 鬼 の 厳 修 七 如 来 の 顕 現 八 九へ と 事 態 は 推 移 す る が 、 そ の 施 行 の 展 開 か ら し ば ら く 記 録 を 追 っ て み よ う 。 室 町 殿 義 政 が 餓 死 の 危 機 に さ ら さ れ て い る 乞 食 た ち へ の 施 行 を 思 い 立 っ た 理 由 を 、 ﹃ 経 覚 私 要 鈔 ﹄ 寛 正 二 年 ︵ 一 四 六 一 ︶ 二 月 七 日 条 が 奇 妙 な 文 章 で 伝 え て い る 。 楠 葉 新 右 衛 門 語 云 、 去 月 十 八 日 夜 室 町 殿 御 夢 ニ 、 普 広 院 殿 束 帯 ニ テ 御 枕 ニ 令 レ 立 賜 テ 云 、 吾 存 生 時 罪 ヲ 犯 事 依 レ 多 レ 之 、 受 レ 苦 事 非 レ 一 、 然 而 又 善 事 ヲ 沙 汰 事 モ 多 端 、 依 レ 之 重 可 レ 生 二 将 軍 一 者 也 、 付 レ 其 只 今 乞 食 多 以 及 二 餓 死 一 、 吾 苦 ヲ 可 レ 助 者 、 彼 乞 食 ニ 施 行 ヲ シ テ 可 レ 助 レ 悲 之 由 、 分 明 ニ 被 レ 申 ト 覚 テ 御 夢 覚 了 、 依 レ 之 願 阿 ト 云 者 ニ 被 二 仰 付 一 、 六 角 堂 ノ ︵ 仮 ︶ 辺 ニ 一 町 分 渡 屋 ヲ 被 レ 立 、 乞 食 ヲ 悉 被 二 入 置 一 、 大 釜 ヲ ア マ タ 被 レ 塗 、 雪 水 ヲ シ テ 毎 日 被 レ 引 レ 之 、 日 々 分 千 五 百 疋 至 二 夏 時 分 一 可 レ 有 二 御 沙 汰 一 云 々 、 難 レ 有 御 夢 想 也 、 広 大 御 利 益 ニ ア ラ ス 哉 、 可 レ 尊 ! " 、 ︵ 寛 正 の 飢 饉 に つ い て は 同 正 月 二 二 ・ 二 九 日 条 を 参 照 。 願 阿 に つ い て は 三 月 二 六 日 条 を 参 照 ︶ 楠 葉 新 右 衛 門 元 次 の 語 っ た 話 で あ っ た と い う 。 同 年 正 月 十 八 日 の 夜 、 義 政 は 嘉 吉 の 乱 で 非 業 の 最 期 を 遂 げ た 父 ﹁ 普 広 院 殿 ﹂ 義 教 が 束 帯 姿 で 枕 上 に 立 ち 、 乞 食 た ち へ の 施 行 を 訴 え る と こ ろ を 夢 見 て め ざ め た 。 義 教 は 生 前 の 業 因 に よ っ て 冥 界 で 恐 ろ し い 責 め 苦 に あ っ て い る が 、 善 い 行 い も ま た 多 か っ た た め に 、 あ ら た め て 将 軍 に 転 生 す る こ と が で き る の だ と い う 。 こ の と き 室 町 殿 義 政 に は 実 子 が い な か っ た 。 の ち の 九 代 将 軍 義 尚 が 誕 生 す る の は 寛 正 六 年 十 一 月 二 十 三 日 の こ と で あ る 。 義 教 の 転 生 と い う 夢 に 、 義 政 が 実 子 誕 生 の 倒 錯 的 な 願 望 を 抱 い た 可 能 性 も 捨 て き れ な い だ ろ う 。 そ こ で 義 政 は 願 阿 弥 に 命 じ て 、 頂 法 寺 六 角 堂 の 辺 り に 一 町 分 の 仮 屋 を 建 て て 乞 食 た ち を 収 容 し 、 数 多 の 大 釜 を 築 い て 湯 を 沸 か し 施 行 に あ た ら せ た 。 七 如 来 の 顕 現 九 〇
東 福 寺 霊 隠 軒 主 太 極 の 日 記 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ 同 年 二 月 一 七 日 条 で 語 り 出 さ れ る ﹁ 客 ﹂ の 情 報 に よ る と 、 願 阿 弥 は 越 中 国 の ﹁ 漁 蜑 ﹂ す な わ ち 海 人 の 子 で 、 殺 生 の 報 い を 覚 っ て 出 家 し た 後 、 寺 院 僧 堂 の 廃 跡 を 修 理 し 、 橋 を 架 け た 。 と く に 久 し く 失 わ れ た ま ま に な っ て い た 京 都 ﹁ 五 条 坊 之 長 橋 ﹂ を 、 勧 進 で 布 施 を 募 っ て 架 け 直 し た の は 、 首 都 社 会 で 願 阿 弥 の 名 の 知 ら れ る 大 き な 業 績 と な っ た で あ ろ う 。 こ の 寛 正 の 大 飢 饉 に 際 し て も 彼 は 主 体 的 に 勧 進 集 団 を 率 い て 動 き 出 し て い た 。 あ る い は 室 町 時 代 の 勧 進 活 動 の 典 型 を し め す か も し れ な い こ の 願 阿 弥 の 動 き と 、 室 町 殿 義 政 の 倒 錯 的 な 夢 が 、 危 機 に 瀕 し た 乞 食 た ち へ の 施 行 と い う 一 点 で 交 錯 し た の で あ る 。 室 町 時 代 の 宮 廷 社 会 は 非 日 常 的 な 行 為 の 動 機 付 け に し ば し ば 夢 を 利 用 し た か ら 、 楠 葉 元 次 が 経 覚 の も と に 持 ち 込 ん だ こ の 情 報 は 、 ま っ た く 荒 唐 無 稽 の も の と も 思 わ れ な い 。 仮 に こ れ ま た 室 町 時 代 の 都 市 社 会 を 特 徴 づ け る 物 語 的 な 巷 説 で あ っ た と し た ら 、 義 政 の 大 規 模 な 施 行 と い う 情 報 が 都 市 社 会 に 着 地 し て い く 回 路 を も 示 し て い る こ と に な る だ ろ う 。 激 烈 で 腐 臭 に 満 ち た 災 害 で あ っ た に も か か わ ら ず 、 こ の よ う な 動 機 付 け を 想 定 し な け れ ば な ら な い ほ ど に 、 こ の 時 代 の 幕 府 政 治 は 公 共 の 色 彩 が 薄 く 、 私 的 な 色 彩 の 強 い も の だ っ た と い う こ と だ 。 ﹃ 経 覚 私 要 鈔 ﹄ の 筆 者 で あ る 経 覚 は 有 難 き 御 夢 想 と い い 、 広 大 の 御 利 益 で は な い か と 尊 ん で い る が 、 本 来 な ら 災 害 時 の 国 家 的 な 賑 恤 は シ ス テ ム 化 し て い る べ き で 、 そ れ が 為 政 者 の 夢 想 に 集 約 さ れ る と こ ろ が 室 町 的 で あ る と も い え よ う か 。 い ず れ に し て も 、 餓 死 の 危 機 に 瀕 し た 乞 食 た ち へ の 施 行 が 始 ま っ て い た 。 そ れ を 主 導 し た の は 室 町 殿 義 政 と 願 阿 弥 で あ っ た が 、 ﹁ 幾 千 万 と い う こ と を 知 ら ず ﹂ と い わ れ る 膨 大 な 困 窮 者 の 群 れ を 前 に し て 、 事 態 は 予 想 外 の 方 向 に 転 が っ た 。 同 じ ﹃ 経 覚 私 要 鈔 ﹄ 同 年 三 月 二 十 六 日 条 に つ ぎ の よ う な 記 事 が 書 き と め ら れ て い る 。 自 二 正 月 一 日 一 自 二 室 町 殿 一 被 レ 引 二 施 行 一 五 六 日 、 然 而 余 多 之 間 、 早 被 レ 止 レ 之 、 其 後 願 阿 ト 云 者 、 勧 二 衆 人 一 六 角 堂 ノ 七 如 来 の 顕 現 九 一
︵ 噌 汁 ︶ 北 ニ 一 町 分 仮 屋 ヲ 打 テ 入 二 置 乞 食 一 、 毎 日 二 ケ 度 粥 ・ 味 曾 津 ヲ 引 之 処 、 食 レ 之 死 者 共 毎 日 三 百 人 五 百 人 云 々 、 仍 廿 日 計 沙 二 汰 之 一 、 令 二 退 屈 一 止 了 、 其 内 ニ 営 レ 之 願 阿 弟 子 二 人 死 去 了 、 又 願 阿 モ 万 死 一 生 病 之 間 、 弥 閣 レ 之 、 正 月 元 旦 か ら 始 ま っ た 室 町 殿 義 政 の 施 行 は 乞 食 た ち の 数 の あ ま り の 多 さ に 数 日 で 頓 挫 し て し ま っ た 。 こ の 未 曾 有 の 飢 饉 に 数 日 で 準 備 不 足 を 露 呈 し た 義 政 の 施 行 の 目 的 が 、 楠 葉 元 次 の 情 報 の よ う に 父 義 教 を 悪 道 か ら 救 済 す る こ と に あ っ た の だ と す れ ば 、 義 政 に と っ て 重 要 だ っ た の は 施 行 の 形 式 を 整 え る こ と で あ っ て 、 そ の 停 止 を 彼 自 身 は 頓 挫 と も 失 政 と も 思 っ て は い な か っ た か も し れ な い 。 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ 同 年 二 月 晦 日 条 は 、 大 量 の 遺 骸 が 鴨 川 に 転 が っ て 流 れ を 塞 ぎ 、 そ の 腐 臭 が 耐 え ら れ な い と 記 し た あ と で 、 京 中 の 死 者 が 八 万 二 千 人 を 超 え る と い う 推 計 を 書 き と め て い る 。 八 万 四 千 本 の 小 片 の 卒 塔 婆 を つ く っ た 僧 が 、 そ れ を 死 骸 の 上 に 順 次 に 置 い て い っ た と こ ろ 、 わ ず か に 二 千 本 し か 残 ら な か っ た と い う の で あ る 。 誇 張 の あ る 数 字 で は あ る だ ろ う が 、 そ う し た 膨 大 な 死 者 の 周 囲 に 、 さ ら に 数 倍 す る 飢 民 の 存 在 を 読 み 取 る こ と は で き る で あ ろ う 。 一 方 の 願 阿 弥 も あ き ら か に 挫 折 を 余 儀 な く さ れ て い た 。 彼 は 都 市 民 の 信 仰 生 活 の 拠 点 で も あ っ た 六 角 堂 の 北 に 仮 屋 を 建 て 、 一 日 に 二 度 、 味 噌 汁 と 粥 を 施 行 し た が 、 飢 民 た ち の 餓 死 寸 前 の 体 に 急 激 に 摂 取 さ れ た 食 事 が 思 い が け な い 大 量 死 を ま ね い た 。 し か も そ れ に 悪 疫 が 追 い 打 ち を か け た の で あ る 。 願 阿 弥 の 弟 子 た ち に も 死 者 が で 、 彼 自 身 も 罹 病 、 か ろ う じ て 一 命 を と り と め る 始 末 で あ っ た 。 同 日 条 に 、 施 行 者 第 一 慈 悲 也 、 然 如 レ 此 在 之 間 、 一 業 所 感 者 共 、 依 二 業 力 一 令 餓 死 一 之 処 、 垂 二 慈 悲 一 施 行 、 哀 背 二 冥 慮 神 慮 一 ︵ マ マ ︶ 之 由 謳 哥 云 々 、 此 死 人 共 五 条 河 原 ニ 堀 ヲ 堀 テ 三 町 計 埋 云 々 、 京 少 路 ニ モ 所 々 被 レ 埋 レ 之 、 七 如 来 の 顕 現 九 二
と あ る よ う に 、 人 び と は 、 餓 死 者 は 業 因 に よ っ て 餓 死 す る の で あ り 、 慈 悲 の 施 行 は か え っ て 冥 慮 神 慮 に 背 く と う わ さ し あ っ た と い う 。 餓 死 者 自 体 に 餓 死 の 悪 因 を 想 定 す る 仏 教 的 な 言 説 で あ る 。 世 間 謳 歌 の う わ さ に 過 ぎ な い と い え ば す ぎ な い が 、 室 町 期 の 都 社 会 が な お 現 世 の 生 者 で あ る は ず の 乞 食 た ち の 救 助 を 放 棄 し た 言 説 と し て 、 受 け 止 め て み た い 。 こ の 段 階 か ら 都 社 会 の 興 味 が 死 者 の 救 済 に 向 か う よ う に 見 受 け ら れ る か ら で あ る 。 ち な み に 、 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ 二 月 二 五 日 条 か ら は 、 願 阿 弥 の 施 行 に 硬 軟 さ ま ざ ま の 批 判 が 浴 び せ ら れ て い た こ と が わ か る 。 願 阿 弥 が 施 行 の た め に 設 け た 大 釜 は 一 五 口 、 そ の 面 は す べ て 北 を 向 い て い た と い う 。 お よ そ 兵 器 で あ れ 雑 具 で あ れ 、 北 面 す る の は 不 祥 と い う 俗 説 が あ っ た 。 北 は ﹁ 陰 ﹂ の 方 角 で あ り ﹁ 陰 ﹂ に 向 か え ば 死 を 招 く 、 と 。 さ す が に ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ の 筆 者 で あ る 太 極 は こ の 風 水 ば り の 主 張 を 斥 け 、 飢 民 の 死 亡 を 段 階 を 踏 ま な い 摂 食 に よ る も の と し て い る が 、 い ず れ に し て も 願 阿 弥 の 挫 折 が 、 急 激 な 死 者 の 増 加 を 事 前 に 察 知 で き な か っ た こ と に 起 因 し て い た こ と だ け は 間 違 い な い 。 ﹃ 経 覚 私 要 鈔 ﹄ な ど の 同 時 代 の 日 記 は 夥 し い 死 者 た ち が 五 条 河 原 な ど に 堀 を 掘 っ て 埋 葬 さ れ た と 伝 え て い る 。 ﹃ 大 乗 院 寺 社 雑 事 記 ﹄ 同 年 五 月 六 日 条 に よ る と 、 死 者 た ち は 鴨 川 に か か る 四 条 橋 ・ 五 条 橋 の 下 に も 穴 に 投 げ 込 ま れ る よ う に 埋 葬 さ れ た と い う 。 こ の よ う な 急 激 な 餓 死 者 ・ 疫 死 者 数 の 増 加 は 、 非 業 の 最 期 を 遂 げ た 霊 魂= 冤 魂 の 偏 在 と い う 不 安 を 、 都 社 会 に も た ら す こ と に な っ た 。 喫 緊 の 課 題 と な っ た の は 死 穢 の 充 満 で は な く 冤 魂 の 偏 在 で あ る 。 そ の 本 質 的 な 救 済 へ の プ ロ セ ス は 、 た と え ば つ ぎ の よ う に 語 ら れ る こ と も あ る 。 東 福 寺 霊 穏 軒 の 軒 主 太 極 の 日 記 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ 寛 正 元 年 ︵ 一 四 六 一 ︶ 三 月 一 六 日 条 の 以 下 の よ う な 記 事 │ │ 。 七 如 来 の 顕 現 九 三
癸 巳 、 赴 二 春 公 之 招 一 、 日 落 而 帰 時 、 歴 二 六 条 街 一 、 有 二 一 老 婦 一 、 抱 レ 子 亟 呼 二 其 名 一 数 声 、 連 続 遂 放 レ 声 哭 レ 之 、 余 因 見 レ 之 、 其 子 已 死 、 母 慟 而 仆 レ 地 、 路 人 問 曰 、 何 許 人 、 曰 、 河 州 流 民 也 、 三 秊 大 旱 、 稲 梁 不 レ 登 、 県 官 酷 虐 、 索 レ 租 不 少 二 貸 一 也 、 若 不 レ 出 者 遭 二 刑 戮 一 、 繇 レ 是 流 二 離 它 州 一 、 餬 口 乞 食 、 然 而 此 子 不 二 得 給 一 、 形 餒 心 勦 、 殆 至 二 此 極 也 一 、 語 已 又 大 哽 噎 、 余 乃 出 二 囊 中 ■ 金 之 余 一 、 与 レ 之 曰 、 汝 以 二 此 金 貨 一 一 男 以 # レ 之 、 余 必 帰 二 吾 房 一 、 而 授 二 三 帰 五 戒 一 、 以 安 レ 名 、 且 薦 二 彼 冥 祐 一 云 、 母 喜 レ 之 、 余 ! " 悲 歎 、 太 極 は 日 暮 れ 時 に 京 都 六 条 街 で 死 児 を 抱 い た 老 婦 と 出 会 う 。 三 年 に わ た る 旱 魃 で 彼 女 は 故 郷 の 河 内 国 を 離 れ 、 流 民 と し て 都 に 流 れ つ い て い た 。 都 市 京 都 の 外 辺 を な す 六 条 通 り 辺 り は 、 極 悪 な 生 活 環 境 に 耐 え き れ ず 、 イ エ や 共 同 体 か ら 離 脱 せ ざ る を え な か っ た 流 民 た ち で 、 恒 常 的 に ス ラ ム 化 し て い た 可 能 性 が た か い 。 太 極 は 老 婦 に 死 児 を 葬 る た め の 金 銭 を 与 え 、 み ず か ら は 自 房 で 、 死 児 に 三 帰 五 戒 を 授 け て 戒 名 を 付 与 し 、 そ の 冥 祐 を 薦 度 す る こ と を 約 束 す る 。 都 の ス ラ ム で 餓 死 せ ざ る を え な か っ た 幼 い 魂 の 救 済 の 企 て で あ る 。 母 は こ れ を 喜 ん だ と い う 。 そ の 死 霊 薦 度 の 企 て を 、 死 者 個 人 の レ ベ ル を 超 え て 、 全 社 会 的 に 行 っ た の が 五 山 禅 院 で あ っ た 。 彼 ら は 死 者 た ち を 埋 葬 し た 橋 の 上 で 大 施 餓 鬼 を 実 修 し た │ │ 。 ﹃ 大 乗 院 寺 社 雑 事 記 ﹄ 寛 正 二 年 五 月 六 日 条 に 、 三 月 晦 日 、 於 五 条 橋 建 仁 寺 行 之 、 四 月 十 日 、 於 四 条 橋 相 国 寺 行 之 、 七 如 来 の 顕 現 九 四
四 月 、 於 五 条 橋 東 福 寺 行 之 、 四 月 十 七 日 、 於 同 橋 万 寿 寺 行 之 、 四 月 十 九 日 、 於 四 条 橋 南 禅 寺 行 之 、 四 月 、 於 法 輪 寺 橋 天 龍 寺 行 之 、 と あ る よ う に 、 建 仁 寺 ・ 相 国 寺 ・ 東 福 寺 ・ 万 寿 寺 ・ 南 禅 寺 ・ 天 龍 寺 の 五 山 禅 院 が 相 つ い で 橋 の う え で 大 施 餓 鬼 を 行 っ た 。 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ 同 年 条 か ら も 、 若 干 の 相 違 は あ る が 、 そ の 実 修 が 確 か め ら れ る 。 三 月 二 十 九 日 相 公 命 二 建 仁 寺 之 一 衆 一 、 開 二 施 食 会 於 第 五 橋 上 一 、 以 薦 二 飢 疫 死 亡 之 霊 一 、 且 書 レ 牌 曰 、 尽 法 界 汝 亡 霊 、 是 日 、 平 旦 作 二 是 会 一 也 、 若 午 而 作 レ 之 、 死 屍 爛 壊 之 臭 不 レ 可 レ 触 、 故 急 二 務 之 一 云 、 四 月 十 日 以 二 源 相 公 命 一 、 相 国 寺 一 衆 率 二 其 派 等 持 寺 ・ 等 持 院 ・ 真 如 寺 等 之 衆 一 、 於 二 四 条 坊 橋 上 一 開 二 施 食 会 一 、 以 薦 二 饑 疫 死 亡 之 霊 一 、 四 月 十 二 日 本 寺 東 福 之 衆 、 就 二 四 条 坊 橋 上 一 開 二 水 陸 会 一 、 赴 二 其 会 一 者 三 百 余 員 也 、 以 二 前 亡 後 没 各 々 幽 霊 之 八 字 一 、 書 二 霊 牌 一 、 相 国 以 二 三 界 万 霊 十 方 至 聖 一 為 二 牌 字 一 也 、 四 月 十 七 日 万 寿 寺 一 衆 於 二 第 五 橋 上 一 開 二 水 陸 会 一 、 書 レ 牌 以 二 河 沙 餓 鬼 各 々 幽 霊 之 字 一 、 四 月 廿 日 南 禅 之 衆 、 於 二 四 条 坊 橋 上 一 開 二 水 陸 会 一 、 以 二 它 界 此 界 一 切 亡 霊 一 書 レ 牌 、 見 二 其 会 一 之 人 曰 、 唱 二 七 如 来 之 号 一 、 而 小 手 磬 破 而 失 レ 声 、 維 那 乃 失 、 挙 唱 之 節 云 、 四 月 二 十 二 日 天 竜 之 衆 、 率 二 臨 川 ・ 宝 幢 一 而 赴 二 度 月 橋 一 、 而 有 二 水 陸 会 一 云 、 七 如 来 の 顕 現 九 五
大 飢 饉 と 悪 疫 に よ る 不 遇 な 死 者 た ち の た め の 霊 魂 薦 度 の パ フ ォ ー マ ン ス と し て 、 こ れ ほ ど 適 当 な 場 所 が あ っ た だ ろ う か │ │ 。 ﹁ 相 公 ﹂ 義 政 の 仰 せ を う け た 建 仁 寺 の 一 衆 は 、 あ ろ う こ と か 五 条 橋 の う え で 施 食 会 を 開 い た 。 五 条 橋 周 辺 は 仮 設 の 埋 葬 地 と な っ て い た し 、 建 仁 寺 の 所 領 に は 五 条 以 北 ・ 七 条 以 南 ・ 六 道 以 東 ・ 河 原 以 西 の い わ ゆ る 六 波 羅 の 地 が 含 ま れ て い た か ら ︵ ﹃ 京 都 坊 目 誌 ﹄ ︶ 、 五 山 の 先 鞭 を き っ て 建 仁 寺 が 施 食 会 を 行 う に は 五 条 橋 が も っ と も 適 当 な 場 所 だ っ た と い う こ と だ ろ う 。 し か も そ こ は 上 ・ 下 京 と い う 都 市 社 会 の 此 岸 か ら 外 へ と む か う 境 界 の 地 で も あ っ た 。 以 下 、 相 国 寺 ・ 東 福 寺 ・ 万 寿 寺 ・ 南 禅 寺 ・ 天 龍 寺 派 の 僧 た ち が 、 相 つ い で 四 条 坊 橋 ・ 五 条 橋 ・ 渡 月 橋 の う え で 施 餓 鬼 を 実 修 し た 。 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ は 施 食 会 ・ 水 陸 会 と 二 様 の 表 現 で こ れ を 伝 え て い る が 、 特 に 儀 礼 の 目 的 に 差 異 が あ っ た よ う に は 見 え な い 。 建 仁 寺 ・ 相 国 寺 が 施 食 会 と あ っ て 室 町 殿 の 関 与 を 明 記 し 、 東 福 寺 ・ 万 寿 寺 ・ 南 禅 寺 ・ 天 龍 寺 が 水 陸 会 と あ っ て 室 町 殿 の 関 与 を 明 記 し な い の は 気 に な る と こ ろ で あ る が 、 ﹃ 蔭 凉 軒 日 録 ﹄ 同 年 三 月 二 十 二 日 条 に ﹁ 仍 諸 五 山 施 餓 鬼 可 勤 之 由 被 仰 出 也 ﹂ と あ っ て 、 い ず れ に し て も 五 山 全 体 に 義 政 の 意 思 が 伝 え ら れ て い る 。 霊 牌 の 墨 書 は ﹁ 尽 法 界 汝 亡 霊 ﹂ ︵ 建 仁 寺 ︶ ﹁ 三 界 万 霊 十 方 至 聖 ﹂ ︵ 相 国 寺 ︶ ﹁ 前 亡 後 亡 没 各 々 幽 霊 ﹂ ︵ 東 福 寺 ︶ ﹁ 河 沙 餓 鬼 各 々 幽 霊 ﹂ ︵ 万 寿 寺 ︶ ﹁ 它 界 此 界 一 切 亡 霊 ﹂ ︵ 南 禅 寺 ︶ と ま ち ま ち で あ っ た 。 首 都 社 会 の 権 力 と 諸 階 層 を 不 可 避 に 巻 き 込 ん だ 災 害 。 そ の 死 霊 を 弔 う 施 食 の 儀 礼 に 際 し て 、 五 山 禅 院 の 内 部 に 細 部 に わ た る 詳 細 な マ ニ ュ ア ル が な か っ た よ う に 見 え る の は 、 い く え に も 興 味 深 い 。 そ う し た な か で 、 ﹃ 碧 山 日 録 ﹄ は き わ め て 重 要 な 証 言 を し て い る 。 七 如 来 で あ る 。 四 条 坊 橋 で 実 修 さ れ る 南 禅 寺 の 水 陸 会 の 場 で 、 ﹁ 七 如 来 之 号 ﹂ が 唱 え ら れ て い た と い う の で あ る 。 儀 礼 の 進 行 係 と し て ﹁ 挙 唱 ﹂ を 担 当 す る 維 那 の ミ ス で 、 手 元 の 小 手 磬 ︵ 引 磬 ︶ が 壊 れ て 音 が 出 な い と い う ア ク シ デ ン ト が な け れ ば 、 記 録 に は 残 ら な か っ た で あ ろ う 。 七 如 来 の 顕 現 九 六
し か し 間 違 い な く 、 未 曾 有 の 危 機 的 状 況 に あ っ た 室 町 期 の 首 都 の 水 陸 会 に お い て 、 七 如 来 を 幻 視 し た 人 び と が い た の で あ る 。 繰 り 返 す が 、 七 如 来 が 気 に な る の は 、 七 と い う 数 字 が 歴 史 的 な 選 択 の 結 果 だ っ た に 違 い な い か ら で あ る 。 施 餓 鬼 の 経 典 類 、 た と え ば ﹃ 瑜 伽 集 要 救 阿 難 陀 羅 尼 焰 口 軌 儀 経 ﹄ と ﹃ 瑜 伽 集 要 焰 口 施 食 儀 ﹄ は 七 如 来 の 聖 号 を 唱 え 、 日 本 曹 洞 宗 の 施 餓 鬼 テ キ ス ト ﹃ 甘 露 門 ﹄ が 参 考 に し た と い う ﹃ 施 諸 餓 鬼 飲 食 及 水 法 并 手 印 ﹄ で は 五 如 来 、 ﹃ 仏 説 救 抜 焰 口 餓 鬼 陀 羅 尼 経 ﹄ で は 四 如 来 の 聖 号 を 唱 え る 。 清 ・ 康 煕 三 二 年 ︵ 一 六 九 三 ︶ に 成 立 し た ﹃ 瑜 伽 ! 口 ﹄ で は 六 如 来 が 顕 現 す る 。 こ の よ う な 経 典 類 に 依 拠 す る か ぎ り 、 施 餓 鬼 の 本 尊 は 七 如 来 で も 五 如 来 で も よ か っ た の で あ り 、 そ の 意 味 で 、 室 町 時 代 の 水 陸 会 が 七 如 来 の 顕 現 を 待 っ た の は 、 や は り 歴 史 的 な 選 択 の 結 果 だ っ た と 言 う べ き な の で あ る 。 日 本 臨 済 宗 の 施 餓 鬼 の テ キ ス ト ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ は 七 如 来 の 存 在 を 明 記 し て い る か ら 、 少 な く と も 室 町 時 代 の 五 山 が す で に そ の 選 択 を 行 っ て い た 、 と い う こ と に な る 。 室 町 時 代 の 四 条 坊 橋 の う え 、 お そ ら く は 壮 麗 な 祭 壇 の 上 方 に 飛 来 す る こ と を 期 待 さ れ た 七 如 来 と は 、 な に か 。
二
、
朝
鮮
前
期
の
七
如
来
│
│
甘
露
幀
の
世
界
か
ら
│
│
い ず れ に し て も 室 町 殿 義 政 の 指 示 を う け た 建 仁 寺 以 下 の 五 山 の 僧 衆 は 、 境 界 の 橋 の 上 に 祭 壇 を 設 け て 、 七 如 来 の 聖 号 を 唱 え て い る 。 金 属 製 の 打 楽 器 が 打 ち 鳴 ら さ れ て い た し 、 香 も 焚 か れ た で あ ろ う 。 非 常 事 態 の さ な か と は い え 、 大 堰 川 や 鴨 川 の 両 岸 に は 物 見 高 い 市 民 た ち が あ つ ま り 、 喧 噪 が 貴 顕 の 桟 敷= 見 物 席 を も 飲 み 込 ん で い た に 違 い な い 。 大 七 如 来 の 顕 現 九 七飢 饉 の 餓 死 者 や 病 死 者 の 膨 大 な 霊 魂 が 甘 露 の 水 を う け 、 や が て 浄 土 に 引 導 さ れ て い く 様 を 、 彼 ら の 縁 者 も ま た 凝 視 し て い た こ と だ ろ う 。 こ う し た 水 陸 会 の 実 修 を 東 ア ジ ア の 薦 度 儀 礼 と い う 文 脈 に も ど し て み た い 。 注 意 し て お い て よ い の は 、 ほ ぼ 同 時 期 の 朝 鮮 社 会 で も 類 似 し た シ チ ュ エ ー シ ョ ン の な か で 七 如 来 の 顕 現 が 期 待 さ れ て い た こ と で あ る 。 興 味 深 い こ と に 、 朝 鮮 社 会 で は 七 如 来 の ビ ジ ュ ア ル イ メ ー ジ が 日 常 的 に 人 々 の 目 に 触 れ る 場 所 に 配 置 さ れ て い た 。 前 近 代 日 本 で は 七 如 来 を 描 い た 仏 画 は 管 見 に な い が 、 朝 鮮 社 会 に は あ る 。 ︵ ! ︶ 朝 鮮 時 代 の 仏 画 で あ る 甘 露 幀 の 画 面 の 上 部 に 、 典 型 的 な 七 如 来 の 顕 現 が 見 ら れ る の で あ る 。 霊 駕 薦 度 を 目 的 に し て 甘 露 図 を 描 い た 幀 画 、 す な わ ち 甘 露 幀 と い う 仏 画 ジ ャ ン ル の 成 立 と そ の 特 徴 に つ い て は 後 述 す る が 、 韓 国 の 諸 寺 院 に お い て は 、 現 在 で も こ の 幀 画 が 新 作 さ れ る こ と が あ り 、 仏 教 信 者 の 奉 拝 す る 重 要 な 宗 教 的 ア イ テ ム と な っ て い る 。 し か し 、 そ こ に 見 ら れ る 七 如 来 に つ い て は 、 一 九 三 一 年 に 編 纂 さ れ た 韓 国 仏 教 の 儀 礼 テ キ ス ト ﹃ 釋 門 儀 範 ﹄ か ら も ︵ " ︶ そ の 典 拠 を 見 い だ す こ と が で き な い 。 甘 露 幀 は 一 般 に 水 陸 斎 と い う 儀 礼 に 関 わ る 絵 画 と さ れ て い る 。 そ こ で ﹃ 釋 門 儀 範 ﹄ の 第 十 章 ﹁ 齊 供 篇 ﹂ の 水 陸 無 遮 平 等 齋 儀 の 項 目 を 見 る と 、 宣 揚 聖 號 篇 に 、 上 来 迎 請 既 周 供 養 方 畢 今 為 汝 等 諸 佛 子 衆 稱 五 如 来 名 號 及 五 佛 神 呪 等 次 第 宣 揚 汝 等 諦 聽 ︵ 傍 線 は 西 山 ︶ と あ る よ う に 、 多 寶 如 来 ・ 妙 色 身 如 来 ・ 廣 博 身 如 来 ・ 離 怖 畏 如 来 ・ 甘 露 王 如 来= 五 如 来 の 聖 号 の み が 宣 揚 さ れ て お り 、 七 如 来 の 招 請 は 語 ら れ て い な い の で あ る 。 こ こ で ひ と ま ず 甘 露 幀 の 実 例 を 紹 介 し 、 そ の 成 立 と 特 徴 に つ い て 述 べ 七 如 来 の 顕 現 九 八
よ う 。 図 1 は 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 所 蔵 の 甘 露 幀 で あ る 。 こ の 魅 力 的 な 作 例 は 、 京 都 の 浄 土 宗 寺 院 龍 岸 寺 で 伝 来 が 確 認 さ れ 、 住 職 江 島 孝 導 師 の 好 意 と 決 断 に よ っ て 、 昨 年 、 同 博 物 館 の 所 蔵 に 帰 し た も の で あ る 。 日 本 の 諸 寺 院 に 伝 え ら れ て き た と 思 し い 甘 露 幀 は 、 韓 国 に 里 帰 り し た も の を 含 め て 六 点 に 及 ぶ 。 高 麗 仏 画 や 朝 鮮 前 期 の 仏 画 の 多 く が 日 本 で 保 存 さ れ て き た こ と は よ く 知 ら れ て い る 。 甘 露 幀 も そ の 一 部 で あ り 、 朝 鮮 半 島 で 一 五 八 〇 ∼ 九 〇 年 代 に 制 作 さ れ た も の が 、 畿 内 と そ の 近 国 で 集 中 的 に 見 つ か っ て い る と こ ろ に 特 徴 が あ る 。 韓 国 で 現 存 す る も の ︵ ! ︶ を 含 め る と 、 お よ そ 七 〇 点 ほ ど の 残 存 例 が あ る が 、 一 七 世 紀 以 降 の 作 例 で 日 本 国 内 で 見 つ か っ た も の は 一 点 も な い 。 日 本 に 関 係 す る 六 点 の 法 量 と 制 作 年 を 示 す 。 ① 韓 国 個 人 所 蔵 本 ︵ 旧 蔵 不 詳 ︶ 一 三 一 、 五 × 一 一 一 、 〇 一 五 八 〇 年 ② 神 戸 市 薬 仙 寺 ︵ 時 宗 ︶ 一 六 九 、 三 × 一 五 八 、 二 一 五 八 九 年 ③ 大 津 市 西 教 寺 ︵ 天 台 真 盛 宗 ︶ 一 三 九 、 〇 × 一 二 七 、 八 一 五 九 〇 年 ④ 松 阪 市 朝 田 寺 ︵ 天 台 宗 ︶ 二 四 〇 、 五 × 二 〇 八 、 〇 一 五 九 一 年 ⑤ 明 石 市 光 明 寺 ︵ 浄 土 宗 ︶ 一 二 九 、 〇 × 一 一 三 、 六 一 六 世 紀 ⑥ 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 ︵ 旧 龍 岸 寺 ・ 浄 土 宗 ︶ 二 四 五 、 二 × 二 三 九 、 二 一 六 世 紀 以 上 の 六 点 が 現 在 ま で に 確 認 さ れ て い る 作 品 群 で あ り 、 ① ∼ ④ は 画 面 最 下 端 に 配 置 さ れ た 画 記 に よ っ て 、 文 禄 ・ 慶 長 の 役 直 前 、 一 五 八 〇 年 代 か ら 九 〇 年 代 の 制 作 に か か る こ と が 確 認 で き る 。 ま た ① 韓 国 個 人 所 蔵 本 と ④ 朝 田 寺 本 の 画 記 に は 、 同 一 人 と 思 わ れ る 絵 師 の 名 前 が 記 録 さ れ て い る 。 ﹁ 畫 員 祖 文 比 丘 ﹂ が そ れ で あ る 。 祖 文 の 生 涯 や 事 蹟 七 如 来 の 顕 現 九 九
を た ど る こ と は で き な い が 、 現 在 ま で に 確 認 さ れ て い る 最 古 作 で あ る ① を 彼 一 人 で 、 ま た 大 幅 の ④ を ﹁ 畫 員 ﹂ 師 程 と 二 人 で 、 描 き 切 っ て い る こ と か ら み て も 、 初 期 甘 露 幀 の 制 作 や 普 及 に 彼 が 重 要 な 役 割 を は た し た こ と を 想 定 す る こ と が で き る 。 さ ら に 画 記 の 失 わ れ た ⑤ 光 明 寺 本 も 、 ① ④ と 極 め て 類 似 し た 画 面 構 成 と 図 像 を も っ て い る こ と か ら 、 同 一 工 房 の 制 作 に か か る こ と が 予 想 さ れ る 。 ひ る が え っ て ⑥ 旧 龍 岸 寺 本 で あ る が 、 こ れ も 画 記 が 失 わ れ て い る け れ ど 、 ① ∼ ⑤ と 同 時 期 の 制 作 と 考 え て 大 過 な い よ う に 思 わ れ る 。 韓 国 の 甘 露 幀 研 究 者 で あ る 朴 正 原 氏 は 、 旧 龍 岸 寺 本 の 様 式 分 析 か ら こ れ を ﹁ 一 六 世 紀 後 半 に 制 作 さ れ た も の ﹂ と 推 定 し て い る 。 た と え ば 仏 菩 薩 の 身 体 表 現 上 で 、 顔 が 小 さ く 身 体 が 細 長 い 。 如 来 の 相 好 は 目 が 細 く て 長 く 、 目 尻 が 上 が っ て い る 。 口 は 鼻 の 幅 を 超 え ず 、 墨 線 で 毛 根 を 描 写 す る 。 彩 色 技 法 で は 二 重 彩 色 を 広 範 囲 に 使 用 す る 。 ま た 雲 は 図 案 化 さ れ た 形 態 で 描 か れ 、 彩 色 し た 後 、 そ の 際 を 白 色 で ぼ か す 、 な ど 。 こ う し た 特 徴 は 概 し て 一 六 世 ︵ ! ︶ 紀 後 半 の 仏 画 の 特 徴 で あ る と い う 。 旧 龍 岸 寺 本 の 麻 地 の 四 方 は 刃 物 で 丁 寧 に 裁 断 し た と は 思 え な い ほ ど 乱 れ ︵ 図 2 ︶ 、 朝 鮮 寺 院 の 堂 内 か ら 乱 暴 に 剥 ぎ 取 っ た か の よ う な 体 裁 を 残 し て い る 。 一 部 に 焼 損 し た よ う な 傷 も 残 さ れ て い る 。 旧 龍 岸 寺 本 が 文 禄 ・ 慶 長 の 役 に 際 し て 略 奪 行 為 を 受 け 、 日 本 国 内 に 持 ち 込 ま れ た 可 能 性 が な い と は 言 え な い 。 い や 可 能 性 と 言 え ば 、 ① ∼ ⑥ の 作 例 す べ て に 言 え る こ と で あ る 。 一 五 七 〇 年 代 以 前 の 作 例 は 世 界 レ ベ ル で 確 認 さ れ て い な い 。 八 〇 ∼ 九 〇 年 代 の 作 品 群 は 例 外 な く 日 本 に 伝 来 し て い る 。 そ し て そ の 日 本 に 一 七 世 紀 以 降 の 作 例 は 一 点 も 見 つ か っ て い な い の で あ る 。 こ れ ら の こ と は 、 ① ∼ ⑥ の 日 本 伝 来 が 、 一 六 世 紀 と 一 七 世 紀 の 境 の 時 期 に あ っ た こ と を 強 く 示 唆 し て い る だ ろ う 。 さ て 、 そ の 旧 龍 岸 寺 本 の 画 面 上 部 に 七 如 来 が 顕 現 し て い る ︵ 図 3 ︶ 。 七 如 来 を 乗 せ た 雲 は 右 後 方 か ら 漂 い 来 る よ う 七 如 来 の 顕 現 一 〇 〇
に 描 か れ 、 こ の 如 来 た ち が 儀 礼 の 祭 壇 の う え に 顕 現 し た こ と を 示 し て い る 。 大 半 の 如 来 は ﹃ 水 陸 無 遮 平 等 斎 儀 撮 要 ﹄ に い う 変 食 印 を 結 ん で い る よ う に ︵ ! ︶ 見 え る 。 如 来 た ち の 造 形 に 大 き な 変 化 は 認 め ら れ な い が 、 気 づ く の は 、 左 端 に 配 置 さ れ た 如 来 の 左 掌 に 宝 珠 が 載 せ ら れ て い る こ と で あ る 。 同 じ く ﹃ 水 陸 無 遮 平 等 斎 儀 撮 要 ﹄ に よ れ ば 、 水 陸 斎 の 導 師 が 水 輪 観 印 を 結 ん で 甘 露 の 法 水 を は じ く 際 、 器 を 載 せ た 左 掌 に 毘 盧 遮 那 仏 の 種 字 が 浮 か び 上 が る 。 毘 盧 遮 那 仏 は 宝 珠 や 蓮 華 に 言 い ︵ " ︶ 換 え ら れ る こ と が あ る が 、 左 端 の 如 来 の 宝 珠 も あ る い は そ う し た 象 徴 物 に 関 わ る も の か も し れ な い 。 七 如 来 の 顕 現 す る 下 に は 祭 壇 が 置 か れ て い る ︵ 図 4 ︶ 。 甘 露 幀 の 特 徴 と も い う べ き 花 々 と 百 味 の 飲 食 で 飾 ら れ た 壮 麗 な 施 食 壇 で あ る 。 そ の 右 手 に は 梵 唄 の 僧 侶 た ち の 姿 が 見 え る 。 そ の 前 に は 導 師 や 施 主 た ち も 描 か れ て い る が 、 現 世 の 人 々 の 姿 は 基 本 的 に こ の 儀 礼 に 集 う 僧 侶 と 施 主 た ち の み で 、 画 面 下 段 に 夥 し く 描 き 込 ま れ た 他 の 人 々 は 、 み な 多 様 図 2 旧龍岸寺本 下辺 図 3 旧龍岸寺本 七如来 七 如 来 の 顕 現 一 〇 一
図 4 旧龍岸寺本 祭壇 図 5 旧龍岸寺本 帝王たち 図 6 旧龍岸寺本 餓鬼 七 如 来 の 顕 現 一 〇 二
な 死 者 た ち の 姿 な の で あ る 。 こ う し た 死 者 た ち の 図 像 に は 、 皇 帝 ・ 王 ・ 后 妃 や 高 僧 た ち か ら 始 ま っ て 、 社 会 の 末 端 を 生 き る 、 流 浪 民 や 芸 能 者 な ど 社 会 の 底 辺 を 生 き る 人 々 に い た る ま で 、 画 面 は 世 俗 の 国 家 的 な 身 分 秩 序 が 来 世 に ま で 反 映 し て い る こ と が 示 さ れ て い る 。 図 像 グ ル ー プ を 身 分 別 に 衝 立 の よ う な 雲 形 で 囲 う の は 、 そ の 如 実 な 現 れ だ ろ う ︵ 図 5 ︶ 。 表 現 手 法 と し て は 、 こ の 身 分 別 の 分 節 化 は ス ペ ー ス ︵ ! ︶ ・ セ ル と 言 う べ き で 、 そ の 影 響 は 一 六 ∼ 一 七 世 紀 の 境 に 日 本 列 島 で 出 現 し た ︵ " ︶ 熊 野 観 心 十 界 図 に ま で 及 ん で い る 。 祭 壇 の 下 方 左 手 に は 三 体 の 魁 偉 な 餓 鬼 が 姿 を 現 し て い る ︵ 図 6 ︶ 。 緑 色 の 身 体 に 赤 い 炎 の よ う な 髪 を 持 っ た こ の 焰 口 餓 鬼 た ち は 、 右 手 に 甘 露 の 粒 を 満 トレース図 1(西教寺本) 七 如 来 の 顕 現 一 〇 三
た し た 容 器 を 持 っ て い る 。 注 意 が い る の は 、 上 部 に 位 置 す る 巨 大 な 餓 鬼 が 、 指 を 弾 く よ う に 左 手 を 前 方 に 伸 ば し て い る こ と で あ る 。 西 教 寺 本 の 餓 鬼 が 頭 光 を 戴 き 、 白 い 甘 露 の 法 水 を 撒 き 散 ら し て い る こ と を 想 起 し て み よ う ︵ ト レ ー ス 図 1 ︶ 。 龍 岸 寺 本 に お い て も 、 そ の 絵 師 は 、 あ ら ゆ る 孤 魂 ・ 厲 鬼 に 甘 露 の 法 水 を 撒 き 散 ら す 餓 鬼 の 姿 を 描 い た と 考 え ら れ る 。 こ こ に は 、 焰 口 餓 鬼 図 の モ チ ー フ が 投 影 さ れ て い る 。 後 述 す る よ う に 、 甘 露 幀 は 中 国 明 代 の 水 陸 画 を 構 成 し 直 し つ つ 成 立 す る が 、 中 国 明 ・ 清 代 に は 、 そ の 水 陸 画 と 折 り 重 な る よ う に 焰 口 餓 鬼 の 単 独 像 も 描 か れ て い る 。 そ れ が 焰 口 餓 鬼 図 で あ る ︵ 図 7 ︶ 。 そ こ に は 焰 口 餓 鬼 が 単 独 で 薦 度 儀 礼 の 本 尊 化 し た 姿 が 表 現 さ れ て い る の で あ る 。 焰 口 餓 鬼 図 の 画 面 の 上 段 に は 、 無 数 の 黒 い 霊 魂 た ち が 救 済 さ れ 、 エ ス カ レ ー タ ー の よ う に 上 方 に 昇 っ て い く 姿 を 見 取 る こ と が で き る 。 甘 露 幀 に お い て そ の 役 割 を 担 う の は 、 た と え ば 龍 岸 寺 本 の 画 面 上 段 左 に 配 置 さ れ た 引 路 王 菩 薩 で あ る 。 龍 岸 寺 本 で は 天 人 の よ う に 虚 空 を 舞 う 姿 で 現 さ れ て い る が 、 一 般 的 に は 立 ち 姿 で 描 か れ る 。 こ の 菩 薩 は ガ ン ジ ス 川 の 川 辺 の 砂 の よ う な 数 限 り な い 死 者 の 魂 を 、 儀 礼 の 場 に 誘 導 し 、 さ ら に 浄 土 に 引 摂 す る 。 以 上 の よ う に 、 甘 露 幀 は 明 ら か に 普 渡 儀 礼 に 対 応 し て 成 立 し た 絵 画 で あ る 。 そ の 成 立 時 期 は 、 現 在 確 認 さ れ て い る 最 古 本 で あ る 韓 国 個 人 所 蔵 本 の 一 五 八 〇 年 を そ れ ほ ど 遡 る こ と の な い 、 一 六 世 紀 後 半 の 早 い 段 階 で あ ろ う 。 明 宗 ︵ 在 位 一 五 五 〇 ∼ 六 五 年 ︶ の 母 文 定 王 后 の 垂 簾 聴 政 期 に 仏 教 の 復 興 し た こ と が 、 宮 廷 仏 画 の 影 響 下 に 形 成 さ れ た 民 間 仏 画 図 7 宝寧寺本 焰口餓鬼図 七 如 来 の 顕 現 一 〇 四
1 1 2 2 33 4 4 5 5 6 6 77 88 9 9 1212 10 10 11 11 1 1 2 2 3 3 4 4 5 5 6 6 7 7 8 8 9 9 12 12 13 13 14 14 10 10 11 11 ︵ ! ︶ の 絵 師 た ち に 、 高 麗 ・ 朝 鮮 仏 画 で は 他 に 類 例 の な い 新 た な 創 造 へ の エ ネ ル ギ ー を 与 え た こ と を 、 私 は 想 定 し て い る 。 先 述 し た よ う に 、 普 渡 儀 礼 は 孤 魂 ・ 厲 鬼 を 野 放 し に せ ず 、 そ の 救 済 を 国 家 的 ・ 社 会 的 な 平 安 に 変 換 す る 儀 礼 で あ っ た 。 人 々 が 寺 院 の 祀 堂 で 霊 壇 ︵ 下 壇 ︶ 幀 を 拝 す る の が 、 直 接 に は 祖 霊 の 追 善 へ の 欲 求 か ら で あ っ た と し て も 、 そ の 追 善 の 妨 げ を な す 無 縁 の 孤 魂 ・ 厲 鬼 へ の 気 配 り は 当 然 あ っ た は ず で あ る 。 そ の 意 味 で は 、 朝 鮮 社 会 の 飢 饉 ・ 疫 病 に よ る 図 8 毘盧寺壁画 后殿南壁東側 1.引路王菩薩 2.往古帝王文武官僚衆 3.往古忠臣良将 4.往古孝子順孫 5.往古比丘等衆 6.往古道人等衆 7.往古儒流賢士 8.往古九流百家一切街市 9.為国亡軀忠臣烈士 10.往古堕胎産亡 11.八寒地獄諸鬼神衆 12.讐冤報恨等衆 図 9 毘盧寺壁画 后殿南壁西側 1.啓教大師 2.面然鬼王 3.往古后妃等衆 4.往古宮人女官 5.往古優婆塞衆 6.城隍五道土地衆 7.五湖百川等衆 8.往古賢婦烈女 9.往古自刑自縊 10.炎天署熱 11.身促盗路 12.獣咬虫傷 13."蛇毒害 14.(欠字) 七 如 来 の 顕 現 一 〇 五
死 者 の 増 加 が 、 甘 露 幀 成 立 の 一 つ の 要 因 で あ っ た こ と は 確 か で あ ろ う 。 そ の 点 で は 、 室 町 期 の 日 本 社 会 が 施 餓 鬼 会 ・ 水 陸 会 を 必 要 と し た の と 似 て い る 。 し か し 新 た な 絵 画 ジ ャ ン ル の 成 立 に は 絵 師 の 想 像 力 が 必 要 で あ る 。 そ の 想 像 力 の 源 泉 と な っ た の は 中 国 ︵ ! ︶ 明 代 の 水 陸 画 で あ っ た 。 特 に 著 名 な 宝 寧 寺 ︵ 山 西 省 右 玉 県 ︶ 水 陸 画 の よ う に 膨 大 な 連 幅 で は な く 、 毘 慮 寺 ︵ 河 北 省 石 家 荘 ︶ の 水 陸 壁 画 の よ う な 、 大 量 の 図 像 で ﹁ 一 枚 ﹂ の 画 面 を 構 成 す る 作 例 の 方 が 、 甘 露 幀 の 直 接 の 源 泉 で あ っ た と い う べ き だ ろ う 。 連 幅 で 孤 立 し て 描 か れ て い た 図 像 が 、 ﹁ 一 枚 ﹂ の 画 面 に 構 成 し 直 さ れ た と き 、 ス ペ ー ス ・ セ ル の 分 節 が 立 ち 現 れ て く る か ら で あ る ︵ 図 8 ・ 図 9 ︶ 。 甘 露 幀 の 分 節 と 比 較 す トレース図 2(薬仙寺本) 七 如 来 の 顕 現 一 〇 六
る と そ の こ と が よ く わ か る ︵ ト レ ー ス 図 2 ︶ 。 朝 鮮 仏 画 甘 露 幀 の 独 創 は 、 施 食 の 儀 礼 そ の も の を 視 覚 化 し た こ と に あ る 。 中 国 の 水 陸 画 は 儀 礼 の 場 に 掲 げ ら れ る 。 祭 壇 と 導 師 、 梵 唄 の 僧 侶 た ち と と も に 、 水 陸 画 は 儀 礼 の 場 を 構 成 す る 。 し か し 甘 露 幀 は そ の 儀 礼 の 場 そ の も の を 内 在 化 し て し ま う 。 そ れ は 儀 礼 の 外 在 を 必 要 と し な い 絵 画 で あ る 。 さ て 、 問 題 の 発 端 は 七 如 来 で あ っ た 。 甘 露 幀 の 本 尊 は 概 ね 七 如 来 で あ る 。 こ こ で 概 ね と 書 く の は 、 特 に 五 如 来 の ケ ー ス が あ っ た か ら で あ る 。 興 味 深 い の は 現 存 最 古 本 の 韓 国 個 人 所 蔵 本 が 五 如 来 を 選 択 し て い る こ と で あ ろ う 。 成 立 が 一 六 世 紀 に 遡 る 甘 露 幀 の 諸 作 例 の う ち 、 五 如 来 を 選 択 し て い る の は こ れ の み で 、 あ と は す べ て 七 如 来 を 描 い て い る 。 韓 国 個 人 所 蔵 本 の 絵 師 祖 文 も 朝 田 寺 本 で は 七 如 来 を 描 い て い る 。 韓 国 に 残 る 多 様 な 水 陸 斎 マ ニ ュ ア ル │ │ た と え ば ﹃ 法 界 聖 凡 水 陸 勝 会 修 斎 儀 軌 ﹄ や ﹃ 水 陸 無 遮 平 等 斎 儀 撮 要 ﹄ な ど │ │ は 、 甘 露 幀 の 絵 相 と 多 く の 共 通 点 を 持 っ て お り 、 帝 王 か ら 民 衆 に い た る 死 者 の 姿 を 列 挙 す る に も か か わ ら ず 、 そ の 本 尊 は 五 如 来 で 、 甘 露 幀 の 祭 壇 の 上 方 に 浮 か ぶ よ う な 七 如 来 で は な か っ た 。 甘 露 幀 を 拝 す る 朝 鮮 社 会 の 民 衆 も ま た 、 阿 弥 陀 と 甘 露 王 、 宝 勝 と 多 宝 の 重 複 に も か か わ ら ず 、 朝 鮮 の 山 野 を 越 え て 顕 現 す る 、 よ り 多 く の 如 来 の 存 在 を 希 求 し て い た と い う べ き だ ろ う か 。
お
わ
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最 後 に 、 ﹃ 大 施 餓 鬼 集 類 分 解 ﹄ に 触 れ て お く 必 要 が あ る だ ろ う 。 室 町 時 代 を 代 表 す る 施 食 の 注 釈 書 で あ る こ の 本 ︵ ! ︶ は 、 相 国 寺 徳 渓 軒 の 開 基 に あ た る 原 古 志 稽 ︵ 一 四 七 五 年 没 ︶ の 著 し た も の で あ る 。 そ の 冒 頭 に は 天 龍 寺 慈 済 院 の 東 岳 七 如 来 の 顕 現 一 〇 七澄 昕 に よ る 長 禄 三 年 七 月 の 序 が つ け ら れ て お り 、 掉 尾 に は 相 国 寺 鹿 苑 院 で 僧 録 と な っ た 竺 雲 等 連 に よ る 寛 正 三 年 一 一 月 の 後 序 が つ け ら れ て い る 。 つ ま り ﹃ 大 施 餓 鬼 集 類 分 解 ﹄ は 文 字 通 り 寛 正 大 飢 饉 の 直 前 に 成 っ た も の な の だ 。 寛 正 水 陸 会 の 実 態 を 考 え る と き に 、 他 に 類 を み な い 比 較 の 材 料 を 提 供 す る こ と に な る だ ろ う 。 注 意 し よ う 。 ﹃ 大 施 餓 鬼 集 類 分 解 ﹄ は つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 。 幻 住 の ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ は ﹃ 焔 口 経 ﹄ の 四 如 来 に 甘 露 王 如 来 を 加 え て 五 如 来 と 為 す ︹ 小 施 餓 鬼 は 之 れ に 従 う ︺ 。 ︵ 中 略 ︶ 如 如 居 士 の ﹃ 施 食 文 ﹄ に は 七 如 来 有 り 。 今 の 大 施 餓 鬼 は 之 れ に 従 う 。 こ こ で 原 古 志 稽 が 述 べ て い る の は 以 下 の こ と で あ る 。 ① ﹃ 焔 口 経 ﹄ す な わ ち ﹃ 仏 説 救 抜 焰 口 餓 鬼 陀 羅 尼 経 ﹄ の 四 如 来 は 多 宝 ・ 妙 色 身 ・ 広 博 身 ・ 離 怖 畏 の 各 如 来 で あ る 。 ② 日 本 臨 済 宗 が 使 用 す る ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ の 親 本 と な る ﹃ 幻 住 庵 清 規 ﹄ 附 録 ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ は 、 こ れ に 甘 露 王 を あ わ せ て 五 如 来 と す る 。 ︵ ! ︶ ③ 他 方 で 如 如 居 士 顔 丙 ︵ 一 二 一 二 年 没 ︶ の ﹃ 如 如 居 士 語 録 ﹄ 中 の ﹃ 施 食 文 ﹄ に は 七 如 来 が あ ら わ れ る 。 ④ 五 如 来 は 小 施 餓 鬼 に 、 七 如 来 は 大 施 餓 鬼 に 対 応 す る 。 最 後 に 整 理 さ れ た ④ が 重 要 で あ る 。 小 施 餓 鬼 が イ エ の 祖 霊 薦 度 に 結 び つ け ら れ る と す れ ば 、 大 施 餓 鬼 は 普 渡 儀 礼 に 七 如 来 の 顕 現 一 〇 八
対 応 す る だ ろ う 。 そ の 大 施 餓 鬼 の 本 尊 こ そ が 七 如 来 な の だ と 志 稽 は 語 っ て い る の で あ る 。 寛 正 水 陸 会 の 実 態 に ふ さ わ し い 理 解 で あ り 、 そ れ は そ の ま ま 朝 鮮 社 会 や 中 国 明 代 の 社 会 に 繋 が っ て い た と 考 え る べ き だ ろ う 。 注 ︵ 1 ︶ 野 口 善 敬 編 著 ﹃ 開 甘 露 門 の 世 界 お 盆 と 彼 岸 の 供 養 ﹄ ︵ 禅 文 化 研 究 所 、 二 〇 〇 八 年 ︶ 。 私 は こ の ﹃ 開 甘 露 門 の 世 界 ﹄ か ら 、 施 餓 鬼 の 儀 礼 マ ニ ュ ア ル に つ い て 多 く の こ と を 学 ん だ 。 学 恩 を 感 謝 し た い 。 な お ﹃ 開 甘 露 門 ﹄ の 引 用 は す べ て こ れ に よ る 。 ︵ 2 ︶ 注 ︵ 1 ︶ ﹃ 開 甘 露 門 の 世 界 ﹄ 一 七 二 頁 。 な お 、 尾 崎 正 善 ﹁ 施 餓 鬼 会 に 関 す る 一 考 察 ︵ 1 ︶ ﹂ │ 宗 門 施 餓 鬼 会 の 変 遷 過 程 │ ﹂ ︵ ﹃ 曹 洞 宗 宗 学 研 究 所 紀 要 ﹄ 八 、 一 九 九 四 年 ︶ ・ 同 ﹁ 施 餓 鬼 会 に 関 す る 一 考 察 ︵ 2 ︶ │ 真 言 宗 と の 比 較 を 通 し て │ ﹂ ︵ ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 四 三 │ 一 、 一 九 九 四 年 ︶ 及 び 同 ﹁ 施 餓 鬼 会 に 関 す る 一 考 察 ︵ 3 ︶ │ 諸 仏 光 明 真 言 灌 頂 陀 羅 尼 と 大 宝 楼 閣 善 住 秘 密 根 本 陀 羅 尼 に つ い て │ ﹂ ︵ ﹃ 曹 洞 宗 研 究 員 研 究 紀 要 ﹄ 二 六 、 一 九 九 五 年 ︶ を 参 照 の こ と 。 ︵ 3 ︶ こ の 点 、 平 山 真 悠 氏 の 御 教 示 に よ る 。 ︵ 4 ︶ ﹃ 禅 林 課 誦 ﹄ ︵ 其 中 堂 ︶ 所 収 本 に よ る 。 ︵ 5 ︶ 注 ︵ 1 ︶ ﹃ 開 甘 露 門 の 世 界 ﹄ 一 六 五 頁 。 ︵ 6 ︶ 中 国 で は は や く 永 明 延 寿 ︵ 九 〇 四 ∼ 九 七 五 ︶ の ﹃ 智 覚 禅 師 自 行 録 ﹄ ︵ 卍 続 一 一 一 ︶ に 七 如 来 を 念 ず る こ と が 記 さ れ て い て 、 ﹁ 焰 口 系 の 経 典 か ら 別 行 さ れ た 七 如 来 の 信 仰 ﹂ の 存 在 し た こ と が 知 ら れ る ︵ 注 ︵ 8 ︶ 、 千 葉 論 文 を 参 照 ︶ 。 第 五 十 八 昼 夜 六 時 、 普 為 一 切 法 界 衆 生 、 念 七 如 来 名 号 、 念 宝 勝 如 来 、 願 一 切 衆 生 積 劫 塵 労 悉 皆 清 浄 、 念 離 怖 畏 如 来 、 願 一 切 衆 生 離 五 怖 畏 得 涅 槃 楽 、 念 広 博 身 如 来 、 願 一 切 衆 生 咽 喉 広 大 禅 悦 充 足 、 念 甘 露 王 如 来 、 願 一 切 衆 生 飲 甘 露 味 成 大 菩 提 、 七 如 来 の 顕 現 一 〇 九
念 妙 色 身 如 来 、 願 一 切 衆 生 離 醜 陋 形 相 好 円 満 、 念 多 宝 如 来 、 願 一 切 衆 生 永 離 貧 窮 法 財 具 足 、 念 阿 弥 陀 如 来 、 願 一 切 衆 生 離 悪 趣 形 神 栖 浄 土 、 こ れ は 智 覚 禅 師 が 日 課 を 記 し た な か の 一 つ で あ り 、 水 陸 会 な ど の 儀 礼 に 際 し て の こ と で は な い 。 し か し 無 限 の 時 間 の な か の 数 限 り な い 苦 し み を 清 浄 に し て 五 怖 畏 を 離 れ 、 咽 喉 を 広 げ て 甘 露 味 を 飲 み 、 醜 陋 ・ 貧 窮 ・ 悪 趣 を 離 れ て 浄 土 に 住 む と い う 過 程 が 、 七 如 来 の 聖 号 を 念 ず る こ と に よ っ て 実 現 す る の で あ れ ば 、 そ れ は 水 陸 会 の 儀 礼 の 構 造 と 相 似 形 で あ る と い え よ う 。 ︵ 7 ︶ ﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 ﹄ 第 二 一 冊 に 収 め ら れ て い る 。 ︵ 8 ︶ 千 葉 照 観 ﹁ 現 中 国 で 最 も 盛 大 な 仏 教 儀 礼 │ 水 陸 会 │ ﹂ ︵ ﹃ 大 正 大 学 綜 合 佛 教 研 究 所 年 報 ﹄ 一 五 、 一 九 九 三 年 ︶ 及 び 同 ﹁ 瑜 伽 焔 口 と 水 陸 会 ﹂ ︵ 大 久 保 良 順 先 生 傘 寿 記 念 論 文 集 ﹃ 仏 教 文 化 の 展 開 ﹄ ︵ 山 喜 房 佛 書 林 、 一 九 九 四 年 ︶ を 参 照 。 ︵ 9 ︶ 松 本 浩 一 ﹁ 中 元 節 の 成 立 に つ い て │ 普 渡 文 献 の 変 遷 を 中 心 に │ ﹂ ︵ ﹃ 現 代 中 国 学 方 法 論 と そ の 文 化 的 背 景 二 〇 〇 五 年 度 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 論 集 ﹄ 愛 知 大 学 二 一 世 紀 C O E プ ロ グ ラ ム 国 際 中 国 学 研 究 セ ン タ ー 、 二 〇 〇 六 年 ︶ 。 ︵ 10 ︶ 西 山 克 ﹁ 朝 鮮 甘 露 幀 と 水 陸 会 を め ぐ る 断 章 ﹂ ︵ 小 峯 和 明 編 ﹃ 漢 文 文 化 圏 の 説 話 世 界 ﹄ 竹 林 舎 、 二 〇 一 〇 年 ︶ 。 な お 、 こ の 版 本 は 現 在 、 ソ ウ ル の 東 国 大 学 校 図 書 館 の 所 蔵 品 と な っ て い る 。 ︵ 11 ︶ 注 ︵ 14 ︶ の 姜 友 邦 ・ 金 承 熙 編 ﹃ 甘 露 幀 ﹄ に 、 朝 鮮 実 録 お け る 水 陸 斎 の 記 録 が 集 成 さ れ て い る 。 太 祖 四 年 二 月 二 日 条 に ﹁ 上 命 水 陸 斎 於 観 音 堀 、 見 巌 寺 、 三 和 寺 、 毎 春 秋 以 為 常 、 為 前 朝 王 氏 也 ﹂ と あ る 。 ︵ 12 ︶ 西 山 美 香 ﹁ 五 山 禅 林 の 施 餓 鬼 に つ い て │ 水 陸 会 か ら の 影 響 │ ﹂ ︵ ﹃ 駒 澤 大 学 禪 文 化 研 究 年 報 ﹄ 一 七 、 二 〇 〇 六 年 ︶ ・ 同 ﹁ 儀 礼 か ら み る ︿ 死 ﹀ の 思 想 │ 禅 宗 の 場 合 ﹂ ︵ 吉 原 浩 人 編 ﹃ 東 洋 に お け る 死 の 思 想 ﹄ ︵ 春 秋 社 、 二 〇 〇 六 年 ︶ 。 ま た 日 本 禅 宗 と 中 世 社 会 と の 関 係 に つ い て の 刺 激 的 な 研 究 に 、 原 田 正 俊 ﹃ 日 本 中 世 の 禅 宗 と 社 会 ﹄ ︵ 吉 川 弘 文 館 、 一 九 九 八 年 ︶ 及 び 同 ﹁ 五 山 禅 林 の 仏 事 法 会 と 中 世 社 会 │ 鎮 魂 ・ 施 餓 鬼 ・ 祈 禱 を 中 心 に │ ﹂ ︵ ﹃ 禪 学 研 究 ﹄ 七 七 、 一 九 九 九 年 ︶ が あ る 。 ︵ 13 ︶ 藤 木 久 志 編 ﹃ 日 本 中 世 気 象 災 害 史 年 表 稿 ﹄ ︵ 高 志 書 店 、 二 〇 〇 七 年 ︶ 。 な お 、 こ の 時 期 に 都 社 会 を 襲 っ た 飢 饉 に つ い て の 先 駆 的 な 研 究 に 西 尾 和 美 ﹁ 室 町 中 期 京 都 に お け る 飢 饉 と 民 衆 ﹂ 七 如 来 の 顕 現 一 一 〇
︵ ﹃ 日 本 史 研 究 ﹄ 二 七 五 、 一 九 八 五 年 ︶ が あ り 、 最 近 で は 清 水 克 行 ﹃ 大 飢 饉 、 室 町 社 会 を 襲 う ! ﹄ ︵ 吉 川 弘 文 館 、 二 〇 〇 八 年 ︶ が 、 応 永 飢 饉 を 中 心 に そ の 社 会 背 景 を 解 説 し て い る 。 ︵ 14 ︶ 甘 露 幀 に つ い て は 、 姜 友 邦 ・ 金 承 熙 編 ﹃ 甘 露 幀 ﹄ ︵ 藝 耕 、 一 九 九 五 年 。 た だ し 二 〇 一 〇 年 に 新 版 が 出 て い る ︶ ・ ﹃ 韓 國 佛 畫 ﹄ ︵ 聖 寶 文 化 財 研 究 院 ︶ 全 四 〇 巻 ︵ 一 九 九 六 ∼ 二 〇 〇 七 年 ︶ ・ ﹃ 朝 鮮 時 代 甘 露 幀 甘 露 ﹄ 上 下 巻 ︵ 通 度 寺 美 術 館 、 二 〇 〇 五 年 ︶ な ど 、 良 質 の 図 録 が 出 て い る 。 ま た 、 ﹃ 甘 露 幀 ﹄ ・ ﹃ 朝 鮮 時 代 甘 露 幀 甘 露 ﹄ に 収 録 さ れ た 金 承 熙 氏 の 解 説 は 、 甘 露 幀 研 究 の 水 準 を 示 す も の で あ る 。 な お 金 氏 に は ﹁ 朝 鮮 時 代 甘 露 図 の 図 像 研 究 ﹂ ︵ ﹃ 美 術 史 学 研 究 ﹄ 一 九 六 、 一 九 九 二 年 ︶ な ど 、 包 括 的 な 甘 露 幀 研 究 の 論 文 が あ る 。 さ ら に 近 年 、 甘 露 幀 下 段 の 社 会 史 的 な 価 値 が 注 目 さ れ て お り 、 李 慶 禾 ﹁ 朝 鮮 時 代 甘 露 幀 画 下 段 画 の 風 俗 場 面 考 察 ﹂ ︵ ﹃ 美 術 史 学 研 究 ﹄ 二 二 〇 、 一 九 九 八 年 ︶ ・ ﹁ 朝 鮮 時 代 甘 露 幀 画 下 段 場 面 と 社 会 相 の 相 関 性 ﹂ ︵ ﹃ 韓 国 文 化 ﹄ 四 九 、 二 〇 一 〇 年 ︶ な ど の 論 文 が 公 刊 さ れ て い る 。 ま た 、 第 二 回 圭 章 閣 韓 国 学 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム ﹃ ﹄ ︵ ソ ウ ル 大 学 校 圭 章 閣 韓 国 学 研 究 院 、 二 〇 〇 九 年 ︶ に は 、 甘 露 幀 に つ い て の 興 味 深 い 報 告 が 掲 載 さ れ て い る 。 こ れ に つ い て は 田 中 俊 光 氏 の 御 教 示 を 受 け た 。 ︵ 15 ︶ こ こ で は 二 〇 〇 一 年 に 発 行 さ れ た ﹃ 新 編 増 註 釋 門 儀 範 ﹄ ︵ 法 輪 社 ︶ を 使 用 す る 。 ︵ 16 ︶ 龍 岸 寺 本 と 韓 国 個 人 所 蔵 本 を 除 く 一 六 世 紀 の 甘 露 幀 に つ い て は 、 ﹁ 日 本 所 在 朝 鮮 一 六 世 紀 水 陸 会 仏 画 、 甘 露 幀 ﹂ ︵ 注 14 ﹃ 朝 鮮 時 代 甘 露 幀 甘 露 ﹄ 上 巻 所 収 ︶ を 参 照 。 ︵ 17 ︶ 朴 正 原 ﹁ 朝 鮮 前 期 甘 露 王 図 図 像 研 究 ﹂ ︵ 第 五 三 回 歴 史 学 大 会 美 術 史 部 口 頭 発 表 、 二 〇 一 〇 年 五 月 二 九 日 ︶ 。 ︵ 18 ︶ 韓 国 個 人 所 蔵 本 ・ 西 教 寺 本 ・ 光 明 寺 本 な ど に 描 か れ る 七 如 来 ︵ あ る い は 五 如 来 ︶ は 合 掌 す る の み で あ る 。 ︵ 19 ︶ 不 空 大 灌 頂 光 真 言 ︵ 光 明 真 言 ︶ が そ の 典 型 で あ る 。 ︵ 20 ︶ ﹃ 文 学 ﹄ 一 〇 │ 五 ︵ 特 集= 語 り か け る 絵 画 、 岩 波 書 店 、 二 〇 〇 九 年 ︶ の 座 談 会 ﹁ 絵 の 読 み 方 │ イ メ ー ジ ・ テ ク ス ト ・ メ デ ィ ア ﹂ に お け る 太 田 昌 子 氏 の 発 言 ︵ 一 〇 頁 ︶ を 参 照 。 ︵ 21 ︶ 朝 鮮 仏 画 甘 露 幀 と 熊 野 観 心 十 界 図 と の 関 係 に つ い て は 、 西 山 克 ﹁ 熊 野 観 心 十 界 図 と は な に か │ 朝 鮮 ﹁ 甘 露 幀 ﹂ の 受 容 七 如 来 の 顕 現 一 一 一
を め ぐ る 精 神 史 │ ﹂ ︵ ﹃ 日 本 史 研 究 ﹄ 五 五 一 、 二 〇 〇 八 年 ︶ を 参 照 。 ︵ 22 ︶ 文 定 王 后 期 の 仏 画 制 作 に つ い て は 、 ﹁ 朝 鮮 前 期 明 宗 代 の 社 会 変 動 と 仏 画 ﹂ ︵ ﹃ 美 術 史 学 研 究 ﹄ 二 三 一 、 二 〇 〇 一 年 ︶ ・ ﹁ 朝 鮮 前 期 明 宗 代 の 社 会 変 動 と 仏 画 ﹂ ︵ ﹃ 美 術 史 学 ﹄ 二 三 、 二 〇 〇 九 年 ︶ を 参 照 。 ︵ 23 ︶ ﹃ 毘 盧 寺 壁 画 ﹄ ︵ 河 北 美 術 出 版 社 、 一 九 八 四 年 ︶ 、 ﹃ 宝 寧 寺 明 代 水 陸 画 ﹄ ︵ 文 物 、 一 九 八 八 年 ︶ ・ 北 京 市 文 物 局 編 ﹃ 歴 代 中 国 人 物 画 精 粋 明 清 水 陸 画 精 選 ﹄ ︵ 北 京 美 術 撮 影 出 版 社 、 二 〇 〇 五 年 ︶ ・ ﹃ 中 国 寺 観 壁 画 経 典 双 書 毘 盧 寺 壁 画 ﹄ ︵ 河 北 美 術 出 版 社 、 二 〇 〇 七 年 ︶ な ど 。 ま た 、 カ ロ リ ヌ ・ ジ ス= ヴ ェ ル マ ン ド ﹁ 明 、 景 泰 五 年 在 銘 ﹃ 水 陸 斎 図 ﹄ を め ぐ る 図 像 学 的 研 究 ︵ 明 神 洋 訳 ︶ ﹂ ︵ ﹃ 佛 教 藝 術 ﹄ 二 一 五 、 一 九 九 四 年 ︶ を 参 照 。 ︵ 24 ︶ こ こ で は 禅 文 化 研 究 所 編 集 部 訓 註 ・ 編 ﹃ 大 施 餓 鬼 集 類 分 解 ﹄ ︵ 禅 文 化 研 究 所 、 一 九 九 五 年 ︶ に よ る 。 読 み 下 し 、 人 名 な ど も こ れ を 参 照 し た 。 ︵ 25 ︶ 如 如 居 士 顔 丙 と そ の 語 録 に つ い て は 永 井 政 之 ﹁ 南 宋 に お け る 一 居 士 の 精 神 生 活 │ 如 如 居 士 顔 丙 の 場 合 ︵ 一 ︶ ︵ 二 ︶ │ ﹂ ︵ ﹃ 駒 澤 大 学 佛 教 學 部 論 集 ﹄ 一 五 ・ 一 六 、 一 九 七 四 ・ 五 年 ︶ を 参 照 。 そ の な か で 永 井 氏 は ﹁ 顔 丙 の 語 録 は 聖 一 国 師 円 爾 ︵ 一 二 〇 二 │ 一 二 八 〇 ︶ に よ る 将 来 の 可 能 性 が 強 い ﹂ と 指 摘 し て い る 。 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 ︵ 旧 龍 岸 寺 ︶ 蔵 甘 露 幀 の 全 図 写 真 は 同 博 物 館 の 提 供 に よ る 。 部 分 図 は 水 野 真 澄 氏 の 撮 影 に よ る も の で あ る 。 毘 盧 寺 壁 画 ・ 宝 寧 寺 焔 口 餓 鬼 図 は 注 23 の ﹃ 毘 盧 寺 壁 画 ﹄ ﹃ 宝 寧 寺 明 代 水 陸 画 ﹄ か ら 引 用 し て い る 。 毘 盧 寺 壁 画 の ナ ン バ リ ン グ は 西 山 に よ る 。 ま た 西 教 寺 ・ 薬 仙 寺 本 甘 露 幀 の ト レ ー ス 図 は 井 手 愛 子 さ ん の 作 成 に よ る も の で あ る 。 お 世 話 に な っ た 関 係 者 の 皆 様 に 御 礼 を 申 し あ げ ま す 。 七 如 来 の 顕 現 一 一 二