A. S. マカレンコの美的教育について
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(2) . 第1 5巻 第 2 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部C). 昭和3 9年12月. A.S . マ カ レンコ の 美 的教育 につ いて 広. 川. 正. 治. 北海道学芸大学函館分校教育学教室. Sho i HIROKAWA j 〇n the Aes i thet i on of A.S c Educat akar enko , M[ .. 目. 次. まえがき. 3 . 集団主義の規律 4 . 規律の美的性格. 1 . 長 調 性 2 . 軍隊化の伝統. 5 , 道徳性と芸術性 ま と め. ま. え. が. き. われわれがマカレ ンコの美的教育に関心をもた ざるをえない一つの理由は, 彼が自分 にと って もっとも大事 なものと して考えていたと思われる人間の 「幸福」 ということに, それが直接 につ らなっていく 性質のものであろ うと推察するからである. 彼が書きあげようとして計画 していた 第四巻は, 彼にと って 「一番大事 な本」 であったが, それは 「いやでもおうでも人 間 が幸福にな ) るた め に は, ど う 教 育 せ ね ば な ら ぬ か と い う テ ← マ」1. の も の で あ っ た. あ え て マ カ レ ソコ に ま. つまでもなく, 人類のも っとも一般的な・共通な願いは 「幸福」 ということであろう. これはま ず誰しも否定 しえない共通の理想ということが出来よう. しかし困ったことに, それは要すると ころ各個 人によ って感じられるものであるという意味で, もっとも主観的なも のとして理解され る. したが って今まで幸福を探求して来たと思われる多くの女学も, 外的条件としてはむしろも っとも不幸な状態や条件をこそ描き出 した .たとえば, 「ロミオとジュルェ ット」 の愛情におけ るそれのように, 不安な条件のなかであればこそ, そこでの満足は相対的 に幸福と感じられるの である. 日常の美食においてよりも, 渇せる状態 に おけ るひとすくいの清水こそ, われわれに幸 福感を味わせてくれるという具合に, 愛情の幸福でさえも, そうした相対的 な幸福は, 幸福とし て感じうれるものであればこそ, かすかな影 にすぎず, 「生活の嵐に, たちまち, みるかげもな ) く ふ き と ば さ れ て しま う」2. も の で しか な か っ た. こ う した い わ ば い つ わ り の 幸 福 で は な く て,. 真の幸福を め ざす教育こそ, 彼が果たそうとしていた一番大事な仕事であった であろう. そして それは いうまでもなく, 彼の集団主義教育以外のものではありえな い. ) 矢川徳光氏が指摘 しているように3 ,マカレソコの教育を わが 国に最初に紹介してくれた三一書 房 の マカ レ ン コ 著 作 集 は, 「美 学」 を 「倫 理」 と 誤 っ て 訳 し て い る の で あ る が, そ の こ と に 単 的 - 1 ー.
(3) . 広. 川. 正. 治. ・道徳主義 ・的義務意識の潰し に示されているように, 彼の ゴーリキー的楽天主義が, いわばカソ1 に誤解される危険 性をも っ ている. 集 団 主 義 を全体主義的な 暗さをも って理解したり, 明日の 「喜び」 に支えられてこそ成り立つ規律, それのも つ 「明るい美しさ」 が後退して, 点検のきび しさと罰とが表面的に問題にされて しまう危険性が多かったのも, ひとえに彼の美的な観点が理 解されて いな か ったことによるであろう. 彼の集団主義教育の美的な観点, それが教育の, そ し て ま た 人 間 の 理 念 的 願 い で あ る 「幸 福」 へ と 連 っ て い く も の で あ ろ う. こ の 仮 説 に 立 っ て, マカ. レソコの 「美」 の概念を教育的に確かめて見よう。 美的教育とは, 美を充分に知覚 し, 正しく理解する才能を育成することであり, 美にたいする ) 愛と周囲の現実に美を創造的にとりいれる才能とを育成する ことである4 .その場合, マカレソコ の教育における美は, 芸術における, また は自然におけるそれではなくて, 主として社会におけ る美であり, 日常生活における美である. ここに彼の美的教育が, 社会における人間生活の幸福 との, したがっ てまた, 道徳教育との不可分な関連をもた ざるをえないゆえんもあるであろう. 1.. 長. 調. 性. マカレソコの教育的努力の対象であっ たソ ビエト的児童集団のも っとも 特徴的なスタイルは, ) 明るい調子としての長調であった5 . 集団生活のなかに常に流れている明るい調子, 生活の調子 のその明るさは, 彼に大きな影響を与えたマキシム・ ゴーリキーの確信に充ちた楽天主義にもと づ く も の で あ ろ う. ゴ ー リ キ ー は マカ レ ソ コ に と っ て, 生 活 の 指 導 者 で あ り, さ ら に 彼 自 身 の み. な らず, 彼の生徒たちにと っても, マルクス 主義的世界観の組織者であった. ゴーリキーは彼 ら に, 歴史をみる新しい目を用 意し, 憎しみと情 熱とより大きな楽天主義へ の確信と, 「嵐よふき ). し た が っ て そ の 明 る さ は 決 つ の れ」 と い う 願 い と そ の 大 き な 喜 び を め ざさ せ て く れ た の で あ る6. して, 一時的に生じては消えゆく泡沫に似た明るさではなくて, 歴史的・社会的な実 証に裏づけ られた, ま さ にマルクス主義的世界観に立つ科学的な確信から来る楽天主義であり, その確信の ゆえにおのずから生じてくる明るさである. いいかえれ ばそれは, マカレソコが強調する 「見通 し路線」 から来る喜びにもとづくものであり, マルクス主義の科学的歴史観に もとづいた将来へ の見通しから来 る希望の喜びであり, 明るさである. 「人間生活のほんとうの刺戟になっている )が, その喜びを科学的見 通しに立って組織することによ っ て, 集団生 7 ものは明日の喜びである」 活に おける長調が生まれて来 る. ゴーリキーの楽天主義は何よりも決 定的なものであるが, 「彼 ・出すからだ が楽天主義者であるのは, 未来に幸福な人類をみているとか, 嵐の中にも幸福を見し けではなく, 彼のところではそれぞれの人間が善良だから」 であり, しかもその 「善良とは, 美 ) であっ たように, マカレソコの見通し路線に立つ長調は ゴーリキ←的楽天主 8 しさと 力の意味」 義として, つねマ乙子どもたちに幸福を見いださせるばかりでなく, 彼らのうちに美しさと力とを 育 て て い く も の で あ る で あ ろ う. な ぜ な ら 彼 の 初 め の 教 育 施 設 コ ロ ー ニ ヤ は ゴ ー リ キ ー の 名 を か. ぶせたほど, 彼の施設の生徒たちは 「ゴーリキー人ュ をめ ざして教育され, 育 っ ていったのであ るから ,「集団における長調は, きわめて落ついたしっかりした姿をそなえていなければならな い. それはなによりもまず, 内的な確信ある落着きのあらわれであり, 自分の力にたいする, 自 ) したが って彼の児 童 9 分の集団の力にたいする, 自分の将来にたいする確信のあらわれである。 」 集団にあたっては, ヒステリ ックな わめきや, 金切声をあげて走り騒 ぐような動物的行動を許さ ないし, その必要がないのである. 陰気な顔つきや不満な表情 がなく, いつも変 らぬ元気な・陽 気な気分がその集団のスタイルの特徴をなしているのである. - 2 ー.
(4) . A.S ,マカレソコの美的教育について. このような生 活の調子は, 特別な方法によ って創り出されるも のではな く, いわんや偶然 にそ うなるのではない, それは彼の教育の全体的成果なのであり, 集団のすべての仕事 の 結果な ので l o ) つ ま り そ れ は, 集 団 生 活 の 本 質 の 表 現 と し て の 長 調 な の で あ る そ し て こ の こ と は ま た あ る。 .. 彼の 「規律」 が教育の結果でありながら, その規律が集団を, 集団の成員で ,ある子どもたちを教 育していく ことになるように, 長調という集団生活の調子が, 逆にまた集団を, その成員たちを 教育していく. こ .の意味において長調を集団生活のなかに形成していく 諸てだては, そのまま彼 の教育の方法 であり,・教育のあり方であるとみることができるであろう. かかる側面にわれわれ は マカ レ ソコ の 「美 的」 教 育 を み る の で あ る.. 教育はつねに全面的な働 きであり, またそうなければならない. 自然および社会の本質をただ 知的に認識するだけでは足りない. それを行動によって実現し, 表現せずにはおられぬほどに感 じとられねばならない. その点にスタイルにおける長調のもつ楽 しさ・明るさ・快さの教育的意 義があるであろう, 2.. 軍. 隊. 化. の. 伝. 統. マカレソコの教育施設では, どのよう にして集団生活の長調, すなわち生活のスタイル の楽し さ・明るさ・快 さが形成されて来たのであろうか. その点でまずわれわれの関心をよぶものが「軍 隊化」 である. ところで彼の集団主義教育を軍国主義教育・全体主義教育と誤解させる原因にな っ て い る も の も, こ の 「軍 隊 化」 で あ る. し た が っ て, こ の 問 題 に つ い て は 深く 検 討 し な け れ ば. ならない・ い ま そ れ を一 応, ジ ェ ル ジ ソ ス キ ー ・ コ ム ー ナ で, ス タ イ ル と し て 伝 統 に な っ て い た も の に つ. いて確かめることにする. ゴムーナ (工場併設学校) の編成は寄宿舎生活をよりどころに して, 「部隊」 編成にな っている, 全校集団の単位集団である部隊の責任者は・「隊長」 と呼ばれる. コ ムーナの 毎日の運営は 「日直」 隊長の責任において進 められる. 生活を律する合図はすべて 「ラ ッパ」 によって行なわれる. 学校集団の統合の象徴は 「旗」 である. それはまさに軍隊 におけ る 軍 旗と 同様, 「旗手」 に よ っ て 捧 持 さ れ, 「衛 兵」 に よ っ て 守 ら れ る. ま た ゴ ム ー ナ の 入 口 に は. 「銃をも っ た歩哨」 が立って出入者の点検をしている, といっ た具合に 「軍隊化」 されてい る. このような 「軍隊化」 は伝統として形成され, コムーナに継承されて来ているものなのである が, この軍隊化の 伝統を, マカレンコは 「遊びの伝統」 という. だからこそ, それはまた 「美学 の有効性」 をもつものとみたのである.H) それは軍隊の規則の単な る反復・物まねではなくて, 軍隊生活.ソ連赤軍の生活のなかにある 「美しいも の・人びとを魅惑するもの」 を児童集 団の生 活のなかに生かそうとしたのである. ここにわれわれは, 彼が美しいも のを 「人びとを魅惑する もの」 と考えていること, だからこそ 「軍隊化」 を 「遊びの伝統」 として育成しようとしたのだ ということが理解できよう. 一般に 「美」 というとき, それは通俗的 には, まず感性的なも の, 主観的に快いものと理解さ れている. 美的価値を有するものは, 最低少く ともわれわれに快感を与えるものでなければな ら ない. マカレソコ が形式を問題にし, 「形式はそれが美しいものであり, それが快 適 であ るとき に は じめ て よ きも の で あ る」 と い い, 「子 ど も た ち は 人 び と に び っ く り さ れ る ほ ど に 美 し い, 精. 1 2 ) というとき, 重要なことは 「快適な美しさ」 なので 彩のある服装をして いなければならな い」 ある. 服装のみならず, 花があり, . 部屋は清潔で, 履物も亦清潔であること, 「靴はいつも ピカ 3 ) と いわれ ピカ さ せ て い なく て は な らな い」1 , 「子 ども た ち の 生 活 は, 心 地 よ い, 美 しい 家 具 の.
(5) . 広. 川. 正. 治. 1 4 ) といわれるのもこの意味において、 であり, 総じて装飾が彼 なか でおく ら ,れなければな らない」 5 ) 「美 しい」 も の は 「心 地 よ い」 も の な の で あ り 子 ど も た ち にと っ て 「美学」 で あ る わ け も,1 , ,. に 「魅力あるもの」 と して, 彼らをひきつけるところにあるであろう. 一般的なスタイル, 絶えまない集団的な運動や内容のうえにきずかれているスタイ ルが存在す るところには, 外的な丁 寧さ ,の形式が, おそらくは軍隊化をいささか思 いおこさせると しても, では必要であり そういう形式が, 児童集団 , 有益であ って, 集団をこのうえなく 「美しく してい 1 ) 6 く」の で あ る が, そ の こ と は つ ま り,集 団 を「魅 力 あ る も の に して い く」と い う こ と な の で あ る.. マカレソコは学 校の教師集団を組織する場合にも, 「せめて一人の美しい若い男教師, 一人 の ) と い う そ して そ の こ と によ って 生 徒 7 美 しい 若 い 女 教 師 が ど う し て も い な く て は な らな い」1 . , 7 ) と い う の も そ の 恋 愛 が 「み た ち が 「い さ さ か 恋 愛 を す る よ う な こ と が あ っ て も か ま わ な い」1 ,. るからに心地よい, ある種の美学となる」 こ と を 期 待 して い る か ら で あ り, 「集 団 の な か で は や 1 7 ) だからあっ た. はり美学が, 美が子どもたちを魅する ことが必要」 マカレンコ が集団を組織する場合, 集団生活のスタイルと して軍隊化 を問題にしたのは, 以上 見て来たことによ って明らかな ように, 子どもたちをひきつけるものと しての美しさ, 美学を軍 隊的形式,つまり子どもた ちにと っ ては遊びと しての形式において見たからにほかならな い. 集団 生活の価値・ 内的本質に子どもた ちをひきつけるところに教育的な意義を認めていたのであり, それが心地よく, 魅力あるものとしての美学であ った. しか し形式そ のものが何の条 件もなしに 美なのではない. そうではなくて, 集団生活の展開の過程 で, 次第に一般的なスタイルが存在す るようにな っ たとき, 集団の絶え間ない運動や内容のうえに次第にスタイルが存在するようにな ったときに, 集団生活の諸行動がある種の形式 をそなえるようにな ったときに, すなわち日常生 活の積み重ねの結果として形成された形式そ のものが 「より高い女 化の標識」 となったときには 6 ) こ と に な る の で あ る. しか し 「の ち に は こ の 美 学 を そ れ 自 体 が じ め て, 「美 学 に到 達 した」1 ,. 1 ) と見なすようにな る. こ こに彼は, 軍隊的な形式を 集団生 6 教育の働 きを行なう要因 である」 , 活の内的な本質的 なものに子どもたちをひきつける魅力あるものとして, 教育的に価値あるもの と見たのである. マカレソコ が遊びを, 美的なものと して, 教育的に価値あるも のとして理解す るのは, 遊びが子どもたちにとって, 「自分のなかの何物かを少 しばかり表現しているというこ 8 ) という と」,彼 らは 遊 ん で い る の で は あ る が, 「自 分 が 何 か し ら少 し高 い も の に な,っ て い る」1 ‐こ. とを, 子どもたちに感じさせるものであるからであった. 遊びは子どもの現実的欲求を表現して い る と と も に, そ れ は 子 ども た ち を よ り価 値 的 に 高 め る も の と して ひ き つ け る も の で あ る. こ こ. ・どもの集団的生活 での遊びが 「軍隊化」 をお の に遊びが美学であるゆえんがある. そしてま た千 ず か ら要 求 した と い う と こ ろ に, マ カ レ ンコ に と っ て は,.児 童 集 団 に お け る 「軍 隊 化」 の 伝 統 の. 教育的意義 があるのである. 軍隊化の伝統は, つまり遊びの伝統であった.”) マカレソコにと って伝統とはいかなるもので あろうか. かれのゴ ムーナの教育実践のなかで, 始めは校長たるマカレンコが日直隊長を連れて 寄宿舎の各寝室を点検していた.,そのさい校長はコムーナの長として 「気をつけ」 の号令と敬礼 とで迎えられていた. ま た点検の結果によ っては, 彼は責任者,として罰をくだす権利さえもって :E Iみずから点検に出ることができなくなっ いたのである, ところが校長が次第に多忙となり, ダ リ た. そこでそういう場合には,.「明日はでられないから, 点検は日直隊長が行なう」 と通知して いた. この形式がしだいに習慣的にな っていった結果, ついに 「点検のときは日直隊長をコムー ) こ の よ う に し て しだ い に た と え ば 1 9 ナ の 長 と して 迎 え る, と い う 伝 統」 が で き た の で あ る. , , ← 4 -.
(6) . A.S .マカレソコの美的教育について. 「日直隊長の報告は点検されるべきでない」 と いう伝統 衛生委員に は 「かならず年下のきれし 、 , ずきの女子が選ばれ る」 という伝統が形成された さらにまた 総会を開く こと のできるものは , . 日 直 隊 長 で あ る こ と, 総 会 の た め の 合 図 は ラ ッ パ で あ り そ れ に 従 て オ ← ケ ス ト ラ に よ る ニ つ , っ. の行進曲が奏せられること, 第一 の行進曲は聴くためのものであり 第三の行進曲が終るまでに , は校長もホ←ルに来ていなければならない のであり 校長の命令「旗のもとに起立!気 を つけ!」 , がかかって始めて, 旗が入場するのであり, その上ではじめて 日直が 「総会 開始」 の宣言を , , す る の で あ る, と い う 総 会 開 始 の と き の 伝 統 が つく られ て い た の で あ る 2 ) っ .0. 以上のような彼の具 体的な伝統を検討してみるとき, 諸伝統に共通する本質的な特質として , 2 1 ) であり, 第二に集団生活の 「時間とエネル ギーを それは第一に, 「集団をかためて いくもの」 2 2 ) ものであり, 第三 に 「生活を美しく する」 節約する」 2 2 ) も のである と要約することができる , で あ ろ う.. 軍隊化の伝統もまた, そうした特質を保ちながら 特に第三の点が強調され る すなわち軍隊 , . 化の伝統の教育的意義は, 「集団を美しくする (ウクラシャ ーチ 飾る) もの 集団生活を美し , , く, 魅力あるものにする外的な骨組」 2 3 ) であ ること, 美学・正確を育てること 集団の力を保持 , し, 不明確なぶか っこうな運動, 運動のだらしなさ 運動 のみだれを防ぐも の」 ) という点に あ 1 2 , ●. る.. ,. 形式が形式と して美しく あるのは, 形式がも りこんでいる内容 の価値によるであろう 価値あ , る内容を, も っとも妥当な形で表現する形式 であるときに その価値ある内容を その意味で必 , , 然的に表現しているかぎりでの形式が美しい のである マカレソコ の軍隊化の伝統が 集団を美 , , しくす るものであり, したがってまた魅力あるものであると いうとき 伝統とな た集団生活の , っ スタイルとしての形式が表 現して いるであろう内容 は何であろうか 軍隊化の伝統が集団 の運動 . の不明確なぶかっ こうさ, だ らしなき, 乱れという集団の弱 化を防ぎ 集団の力 =規律性を保持 , し, 強 化 す る と こ ろ に,つ ま り 集 団 を ニ カ ワ す る と こ ろ に そ れ の 美 学 が あ る と い え る で あ ろ う. ,. マカレンコにとって教育するとは, 群を集団に組織することであり 集団 の組織化の結果 形成 , , された集団生活の流れが規律であった. したが て軍隊 化の伝統が表現 しているはず の本質的内 っ 容は, 集団の統一的力と しての規律性であるとい えるであろう . 軍隊化の伝統は 「全集団的運動 の意義を強調するような美的 秩序の組織 的外形」 2 ) であると考 4 えられているのであるが, そのなかでも特に赤旗が伝統のためのすば らしい内容であるとい われ るのは, それがコムーナの集団の象徴であり, 「学校で旗を尊敬すること --これはも とも豊 っ ) からである 軍隊化の伝統の中核をなすものは この赤旗で 2 3 かな教育的手段である」 . あったと , いえるであろう. ゴム←ナの最高決定機関は総会であるが, 前述したように 総会開始 の伝統を , 見て も, その中心は校長であるよりは旗である. 校長といえども 旗には敬 礼しなければならな , い. また旗手はコムーナに 在籍するかぎりその任にある「終身 官」であ て 総会に よ て選出さ っ , っ れたも っとも立派なコムーの正会員 である. 旗手は罰しられることはない 旗手には別室が与え . ら れ て お り, 彼 が 旗 を 捧 持 し, , あ る い は 旗 の も と に 立 っ て い る と き は,. 他 のコム ーナ員は彼を. 「君」 呼ばわりすることが できない. また旗は一分といえども衛兵をつけないでおかれてはなら ず, 旗を移動する場合には, 全集団を整列させ, オ ーケストラが奏せ られなければな らないこと 2 9 ) こうした伝統は何を意味するので あろうか 集団がその象 徴と しての にな っていたのである. . 旗を尊敬すると いうことの教育的意義は, 集団の本質である規律性=団結力を価値 づけ ること , それを強化することにある. そこにこそ集団主義教 育の目的もあるのだから しかもそうした伝 . 一 5 ー.
(7) . 広. 川. 正. 治. 統が美学 でもあるわけは, 子どもたちにと って軍隊化の伝統が魅力ある遊びであるということだ けによるものなのであろうか. 決してそれだけ でない. というよりは, 旗を中心とする伝統 が子 どもたちにと って遊びの伝統として, 彼らをひきつける魅力あるものであるためには, すでにふ れたように, その形式そのものが 「より高い文化の標識」 として教育的に価値あるものの表現で なければな らない だろう. そうした価値ある内容が集団の規律なの である. 旗が 「赤い」 から美 しいの ではなくて, 日直隊長の腕章 が赤い絹地 で出来て いるから美しいの ではなくて, たとえば 総会の開始の伝統的儀 式に表現される通り, コムーナの全員が真に, 自分たちの共通の目的を実 現するための, 集団の団結力の表現として旗を迎え, 自分たちがそれに依拠し, それにおいて自 由であり, それにおいて守られているその集団の権威にたいする尊敬のおのずからなる現われと して, 旗に敬礼するとき, そうした集団生活の全体の中に位置づけられている, またそうした意 味をも っている 「赤旗」 であるか ぎり, それは 「美しい」 のである. 同様にまた, 日直隊長の腕 章にしても, その腕章が今日一日のコムーナの運営の全責任を総会から委託されている責任者 で あることを示すもの であり, その腕章をつけている者の命令に従うことは, 自分の願求をも含め たコムーナ全集団の権威に従うこと, その権威をい うそ う価値づ け, 強 化することであり, それ に従わない ことは, 自分を含む全集団の権威を弱め, 低くめることであると, 集団の全成員に感 じ と られ て い る か ぎ り, そ の 赤 い 腕 章 は 美 しい の で あ る.. また逆 にそう した意義をもち, 集団の成員の多く によ って, その意義が確認され, ま さに感得 されているもの であれば あるほど美的なものとして, 子どもたちをその価値へと誘い込む力・魅 力 を も つ の で あ る,. 3 . 集 団 主 義 の 規 律 集団主義的規律は新しい社会体制に 特有な規律であり, したがってまたそれは新しい原則にも と づく規律である. それは本来的には, 「労働者と貧農の組織を信頼するという規律, 同志的な )である. 社会 2 5 規律, 万人を尊敬するという規 律,自主的に創意を発揮してたたかうという 規律」 主義社会を建設するとい う革命的歴史的経験のなかから レーニンがすでに要約してくれているよ うに, 集団主義的規律は, 第一に人民大衆を「信頼する」という規律であり, 万人を 「尊敬する」 という規律である. それは万人が民主的にひとしく主人であり, ひとしく幸 福でありうる条件を もつ社会を建設するという大目的に向って, それを妨げるものと断固として 「たたかう」 ための 同志的 規律である. それはみずから立てた願求に, みずから服従することを要求するおきてであ る. 他のものから, 自己の日的や 願いとは違 った立場から支配されるおきてではない. それに従 うことによ って, 目的のより効果的な達成をかちとらねばならないために, 定められた秩序を守 るに しても, 命令を遂行するに しても, 自分の義務を果たすにして も, 自分の責務に服従するに しても, 自主的に 創意を発揮せずには おれない性質の規律である. 革命前の階 級的・敵対的社会における 規律の本質は, 「人民の圧倒的多数が少数支配者に服従 6 ) であった. したが って 2 することであり, 幾百万の勤労者 が搾取者たちの意志に服従する こと」 その規律は 「支配の形 式 .個人 を抑圧する形式」 であり, 「統御の方法・権力の諸要素にたいし 2 ) であった. しかし, それとはま さに反対に, 集団主義の規律は, 各 7 て個人を従順にする方法」 人が自由な 状態において, 自主的に確 認した, みんなに共通な願求と して, 「集団の目的をも っ 2 8 ) であ り, 各人が真に人間として, また人格と して成長発達するための ともよく達成する形式」 不可欠の条件でもある. そしてまた, 前者は他律的で, 教育の手段であ ったのにたいして, 後者 一 6 ー.
(8) . A.S ,マカレソコの美的教育について. は自律的で, 教育の結果と して形成されるものである. しかも集団主義の規律で注意しなければ な らない点は, それが決して個々の特別な方策の結果ではなくて, 「全」教育課程の結果であり, 2 9 ) ということであ る. したが って, その規律を守るものに 教育的作用の 「総和」 の産物である, とっては, それの意 義・必 要性に ついて自覚的であ りながら, しかもおのずからな るものとして 「意識的」 規律である. 9 0 ) であ るといわれる ように, 規律は社会主義道徳の中 核にな 「規律は道徳的・政治的な現象」 規律 こ っている. したが ってまた, 道徳教育の中核的 徳目が規律である. マカレソコの の意識的 て 在のわが国にと 乱状態にある現 っ , 育成と しての道徳教育について は, 特にその点について混 考 えさ せ ら れ る多 く の も の が あ る が, こ こ で は ふ れ な い. し か し, 彼 が か か げ て い る と こ ろ の,. 道徳教育の根拠となるべき規律の一般的命題について は, ここでふれ ざるをえない. それはつぎ の四点 であ る.. ) 2 8 (1) 政治的・道徳的福祉の形式としての規律を集団に要求する こと. (2) 規律は, 個々の人格を, 個々の人間を, よりよく防衛された状態に, よりいっそう自由な 8 ) 状 態 に おく も の で あ る.2. 3 1 ) (3) 集団の利益は個人の利 益よ り高い. 2 ) (4) 規律は集団を美しくする3 以上の一般的命題と して示された規律こそ, 集団主義の道徳の中 核をなすもの であり, 集団主 義教育の本質 であるとい えるであろう. マカレソコにと っても, 教育と は集団に組織することで あり, その教育の総合的な成果が規律であったのだからである, 4 . 規 律 の 美 的 性 格 i nn) とか感情 (Emp6nden) といわれるものの科学である,“) といわ 美学は何よりも感能 (S れるように, 美はわれわれの感能や感情に訴える性質 である. 少く ともわれわれに快 感を与え, わ れ わ れを 魅 力 を も っ て ひ き つ け る も の で あ る と い う 点 に 美 的 価 値 を も っ て い る. ・マ カ レ ソコ の. 「美学」 には. そうした側面があり, また積極的にその点から工夫されたもの であ った. それは すでに軍隊化の伝統によ ってわれわれの確かめた ことである. 美しいものは感性的な快感・喜びを与えるもの であり, それに重要な特質がみられはするが, た だそれだけで止ま るもの ではな い. それは気持のよい感情 よりも遥かにデリケートであり, 物 の有用 の認識よりもより豊かであり, また 鮮明である. 人間の他の多くの心的経験よりも, い っ 3 4 ) 美しいものは, 美しい性質をもっている存在とし そう高尚であり, 興奮させるものでもある. て, われわれの外に, われわれとは独立に存 在する. それが美的な感情や観念の形式において, われわれの意 識 に反映するのである. すべて心的経験は客観的世界の反映であるよ うに, 美的経 験もその例外 ではありえない. 問題は, 美的経験が他の心的経験よりも,よりデリケートであり, より豊かであり, より高尚であり, 興奮させるもの であるというその理由は何か, という こと に ある美しさが問題になるのは, 直接にはその表現形式 にあるが, それが何の表現形式なのか, つ まり, 内容が不可分に結びついた意味での形式でなければならない. 美が客観的世界の反映であ るかぎり, それには一般的合法則性がなければならない だろう. しかし, 問題の本質は 「美学的 9 5 ) と い う こ と に あ る. つ ま り, 美 の 美学 的 特 性 に 美 な る も の は, つ ね に個 別 的 で, 二 つ と な い」. は, 与えられてい る具体的な内容をどのように外的・物的に具体化した 形式であるか, 内的なも のがどのように具体的な表現のなかで組織化されているかにある, ー 7 ー.
(9) . 広. 川. 正. 治. マカ レソコが美的教育の領域と してとりあ げている社会 的日常 生活の面に関していえば 政治 , 的 ・道徳的 現象と しての規律 にこそ 美学的問題が横たわ ていると いえるであろう 現象は普 , っ . 通の外的・内的 世界のうち に 直接的な感性やさま ざまな事情 ・条件・性格 , の気ま ぐれにまつわ り つかれて, 混沌たる偶然性の形体において現象する この現象からうつろ い易い世界の仮象と . 虚構とをとり去 って, それらの現象 が現象 している本質 面を 感性的 に表現し そのことによ , っ , てわれわ れをひ きつけ, その本質的表現にわれわれが近づくことに喜びを感ず るような現象が美 なのである.%) 社会的 現象面の現象が 美しいといえるのは それが社会的生 活における本質的側 , 面を感性的『二快いもの ・親しいもの・魅 力ある, ものとして具現しているからである. そうした表 現が人間の自由な意図的な働きと して創造さ れるところ に芸術があるの であろう . マカ レンコが 「規律は集団を美しく する」 というとき 日常生活における子 どもたちの具体的 , な生 活に見られる規 律ある態度 が 集団生活の社会的 ・政治的 ・道徳的本質を具現 しているがゆ , えに, そうした生 活態度 .がそれに接する人び とを快く ひきつけるのである 集団生活におけ る規 . 律ある態度が形成されることによ って 集団内の成 員はもとよ り その集団 に接する他の人びと , , をも感 性的 にひきつけ, 集団のも ている社会的生活の本質に親しませて くと ころに, 規律が い っ 集団を美しく するというゆえんが あるのである . すでに見て来たように, マカ レソコ の伝統は集団 における日常生活の具体的なあり方である . しかもそれが伝統といわれて集団に ひきつがれ発展 して来ているあり方は まさに集団生活の本 , 質的側面を表現しているも のであ る. だからこそ伝統は生活を美しくするのである 軍隊化の伝 , 統が集団を美化するものであるわけは したが て外面的には軍隊生活がもつ 子どもにと て , っ , っ の 遊びという側面であ ったで あろう. 何よりも 子 どもの感覚に快く感じ られる側面に その美学 , は存在する. しか し決 してそれだけに止まらない 彼が一般 に伝統の意義と して美学 の有効性を . 主張するのは, それにもまして 伝統のもつ 日常生活の形式が スタイルが 集団生活の本質的 , , , 側面をも同時に具現して いるかにほかな らない それが・ 「有効性」 であるわけは, 子どもたちを . 教育の目的である集団生活の本質 =規律性に魅力をも てひきつけ 子どもた ちがおのずからそ っ , れに親しさ をも って近ずく ように働きかけ る性質をも ているか らである っ . 浮浪児社会の無政 府状態で苦しんだことのある 子どもたちこそ 規律のも とも立派な 味方で , , っ あり, 規律のも っとも 熱烈な防衛者 であ ったわけは 規律のない状態と比べて 規律ある環境に , , おいてこそ, 理屈ではなくて, 感覚的 に より防衛さ れた状態 より自由な状態のあることを感 , , 得できたか らにほかならない. そこ に規律ある具 体的生活のあり方の美的要素がある し, その点 3 7 ) の教育的意義もある. 前述 した日直隊長の伝統, その軍隊化の伝統 彼のすべての命令は 異議なく 遂行され るという , こと, 日直と してはそれ について夕方 「報告」 すればよ いということ そのさい誰も彼に反対し , , たり, 日直の報告内容を点検す ることができな い という伝統 それがまた立派な絹の赤い腕章 , , によ って感性的に表現さ れてい るのである. その赤 い腕章は 「一日の秩序を単独責 任制で指導し 3 8 ) という 日直隊長の集団的 「権能の公 の標識」 ていく」 3 9 ) ,なのである. 赤旗・旗手 にたいする伝 統は, すでに論ずるまでもなく, 集団の質と しての団結の象徴であり 旗にた いする したが , , っ てまた旗手にた いする尊敬の表現は, そのまま, 眼には見えな いそれの 本性である集団の権威 ・ 集団の団結の力 にたいする尊敬 であり, 信頼を意 味する 理性的意義 においてのみ存在する集団 . にたいす・ る尊敬と信頼とを, 単 に抽象的観念的に不安定な状態に止めるのでなく 具体的実践的 , に強化し, ニカワしていく働 きが伝統の形式であり, 規律の美である ,.
(10) . A.S .マカレソコの美的教育について. 「集団の利益は個 人の利益より高い」 という集団のもっとも道徳的な本質を, 集団の成員たち に感性的な具体性と親しさをも って, おのずからうけ入れさせるところに規律の美の教育的意義 」規律の美学の有効性があるのである. そして個 人の利益にたいする 「集団の利益の優先」 とい う則律 こそ, 実は集団の成員個々人の 利益を結果的に守り, 個 々の人間的発展, より幸福な条件 の獲得を保障するものであると いう ことを, 感覚的 ・具体的・実践的に体験させるものが規律の 4 0 ) 美的性格なのである, 5 . 道 徳 性 と 芸 術 性 美の表現形式が内包 している本質が集団生活の本質としての規律であるとすれば, それは一般 には, 美は道徳的善を表現 していることとも通ずる であろう. 社会生活における 人間関係に限定 して いえば, 美の内容は善であり, 対象が善を表現する限りにおいてのみ, また善を表現する程 4 ) 1 度に従 ってのみ美である. 美は物象のなかに出表された善を意味する. 規律についての第四の定理は 「規律は集団を美しくする」 ということであった, しかし集団を 美しくすると いう規律のもつ美は, .規律が教育の総合的結果であるかぎり, 教育実践の第一段階 に お い て 見 る こと の で き な い も の で あ る. し た が っ て, 「規 律 を 快 適 な も の ‘魅 力 あ る も の ・ 生 2 ) と マカ レンコ も い 気 あ ら しめ る も の に す る と い う 問 題 は, ま っ た く 教 師 の 技 術 の 問 題 で あ る」3. っているように, 前述した軍隊化の伝統の遊び的・感性的側面から始 めて, 徐々に形成組織して いかなければならない教師の教育技術の問題なの である.・規律が教師の多くの方途や手段の成果 として創造され るものであるという意味において, 規律の美は教師の精神的努力 によ りて生み出 された美として, 一種の芸術美と見る ことも出来るであろう. 美なるものは, 社会的 ・集団的生活の本質を表現しているもの, われわれがかくあるべきだと 考えるような生活を描いているもの, そうしたあり方を思い起させるものであり, そのゆえにま たわれわれ に喜びの感情をよび起させ るもので あった , 規律の美はそうした集団生活の本質面を 表現しているものと して, われわれをひきつけ る力をもっており, その意味でまた教育的 に価値 あるものである. 規律は道徳性である. その規律は教育的手段と しての 「きまり」 を集団生 活の なかで設定しつつ, それらの諸きまりを守らせなが ら, 生活のスタイルが 「伝統」 と して集団に 定着 していく のである. すでにみて来た通り, その伝統は形成されつつある規律の, また形成す べく 見通されている, あるべき規律の具体的表現として, 集団生活の実践的形式として, 芸術性 を意味する. 「規律」 という 「道徳性」 は, 「伝統」 という 「芸術性」 において表現されるので ある. 集団主義教育のいわば目的という性格をもつ規律は, 義務的にあえてせざるをえない当為 性を も つ も の で あ る. そ れ に 対 して, 伝 統 は マ カ レ ソ コ の 多 く の 実 践 例 が 示 し て い る よ う に, 単. 的には軍隊化の伝統がそ うであるように, 子どもたちにと っても無理なく自然に, おのずか らな る遊び的滑らかさをも って実践出来るという 自然性がある. 伝統は集団にあるべき規律の表現形 式として教育的に創り出さねばならないのであるが, だか らこそ芸術的性格をもつも のと見られ るのであるが, そのためには 「なにか しらわずかばかりの本能的な保守主義といったようなもの 1 ) と マ カ レ ソコ は い う を 利 用 せ ねば な らな い」1 . 「保 守 主 義」 と い っ て も, そ れ は よ い 種 類 の も の で あ る. つ ま り 「昨 日と い う も の に た い す る 信 頼」 と い う べ き も の で あ る. す で に 先 輩 た ち に. よ って創り出されている価値, それに従 って生活していけば正しく, 誤りなく前進 できるような l iられたもの, 今日の自分の個人的・÷ 時的気ま ぐれによってはその集団的価値を破壊すること 倉 を望んでいないような, そういう集団 にたいする 信頼というものを, 彼は 「保守主義」 といって 一 9 ー.
(11) . 広. 正. 川. - i治. いるの である. かかる保守主義は, 換言すれば自然的・感性的なものを意味す る. だからこそま た 「本能的な」 保守主義と いわれるのである. しか し同時にそれは本能的といわれるものが一般 にそ うであるように, 直接的には感性的・衝動的ではありながら, 結果的には合理的であり, 理 性的でさえある. 直接的・端緒的には感性的・自然的でありながら, 間接的・結果的には理性的 ・当為的であると ころに芸術性がある. 理性的・当為的にはあえてせざるをえない困 難性をもつ ものであればあるほ ど, しかもそれを, より容易に, より自然にひき込み, 誘い込むものとして おのずから実現できるように両極を調和 ・統一するところに, 芸術性の高 さがある. 芸術が 「理 性と感性との, 性向と義務との調停者として, これからのはげしい闘争を行なっている両極の間 2 ) 見 ら れ る の も, 以 上 の よ う な 理 由 に よ る で あ ろ う. の 仲 介 者 と し て」4. マカ レソコが一面ではモラルの理論や, それを教える教科課程を否定しながら, 他面で伝統の もつ美学の有効性によって規律を教育していったことのなか に, われわれ は彼の道徳教育と美的 教育 (芸術的教育) との関連性をみるのであり, またそ こに彼の教育のす ぐれた特徴をみるので あ る.. 規律の美は教師の教育技術の問題と して実践的に形成 されるものであった が, マカ レソコは規 9 ) やも っ とも苦しいいやな作業を一番立派 律の美学的側面の計画として, たとえば時間厳守の淀4 4 )によ って訓練している. 前述した通り, 訓練であるかぎり, それは道 な隊に委託するとい う伝統4 徳的にあえてする働きでありなが ら, それはまた伝統としての芸術性のゆえに子 どもたちをその 訓練内容に誘い込んでいく教育方法の計画である. そうした計画にもと づく教育実践の結果, 「規 律性の最後の精巧な仕上げ」として形成される成果が集団の美意 識である. マカレソコは「わたし はなんの疑いもいだかず, なんの弁明も しないで, ま さ にその隊にそれを (一番立派な隊に-番 苦しい作業 を) 委託するのであるが, そうするのは, それが最優 秀であるし, また, それがこの 信頼を感 じと っているからである. その隊はこの ことのなかに特別な美を,美意識を感じと ってい 4 4 ) といい, また 「自分にと って愉快な何事かを人が遂行しなくて はならない場合, るのである.」 彼はいつもそれを 規律がなくとも遂行するので ある. 自分にと って不愉快なことであ って, 喜ん 4 4 )とも説明 」 で人が遂行するとき, まさにそうい う場合に, 規律があらわらわれて いるのである, して い る.. I的そのものでもある. したが って規律性の最後 規律性は集団主義教育の本質的性格で あり, E の精巧な仕上げと しての美意 識は教育成果の最高段階といえるであろう. それは規律性と美意 識 一であり, つまり道徳性と 芸術性との調和である. との統‐ ま. と. め. 現実社会のいかなる困 難にあっても, なおその上に 「嵐よ吹かば吹け」 と いう楽天主義がマカ レソコの教育を貫いている長調性であるが, それは教育者自身の思想的 基盤としては科学的な社 会 主 義, マ ル ク ス ・レ ー ニ ン 主 義 の 理 論 に よ り て, 明 る い 未 来 を 確 信 して い る と こ ろ か ら 来 る も. のであること はいうまでもないことではあるが, 被教育者たる子どもたちのうちにその長調性を 一貫 して育成 していく ところにマカ レソコの集団 主義教育の特質があ った. それはすでに見て来 たように, 美的教育の側面である. 人間生活のほんと うの刺戟とな っているものは, 明日の喜び である. この明日の喜 びを, 今も っている現実の喜びをひき出すこ とから始めて, 最も苦しい任 務をこそ, も っとも誇り高き喜びをも っておのずから遂行せずにはおれない美意識へと形成組織 していく仕事が, 彼の美的教育である. 内容的に集団の団結の力を育成するために, 形式的に集 - 10 -.
(12) . A.S ,マカレソコの美的教育について. 団生活のスタイルや調子の美を生み出していく 教育が美的教育である. それは集団主義教育の本 質である規律性を, 美的秩序の組織的形式として の伝統を創造する芸術性において育成 していく 教育である. 集団形成の最初の段階では, 遠く未来を科学 的に見通す力をまだも っていない子 どもたちの集 団では, 一時的・現実的興味や快感的喜びを, 見通 し路線に従って方向づけ, 組織し, それに生 命を与えていく教育, 「お いしい食事からでも, サーカス見物からでも始 めながら, しかしつ ね に生活に向って鼓舞し, 全集団の見通 しを漸進的に拡大し, それを全ソ連邦の見通 しにまで導 い 5 ) ていく4 」 教育, そこに, すでに検討して来た遊びの伝統としての軍隊化の教育があ った. 人間 を教育するとい うことは, 人間のうちに見通 し路線を育てることである. そ して, 個人的な 見通 し路線と集団的な見通 し路線とを調和させるところに, 美的教育がある. 身近かな明日の喜びを科学的見通 し路線に従 って方向づけながら, すなわち, 集団の共通の目 的を実現するための「きまり」を, 伝統を創り出 していく集団的営みを通して守り守 らせながら, おのずと政治的・道徳的 「福祉」 の形 式としての規律を身につけさせていくのである. その結果 と して集団の規律 性にた いする美意識が集団の成員として の子どもたちのうちに 生み出されてい く とき, それこそまさに福祉が成就したのである. そこでは, 個人の仕合せは同時 に集団全体の 利 益 に よ っ て 支 え ら ら れ, 保 障 さ れ て い る の で あ る. マ カ レ ン コ が め ざ して い た 「幸 福」 と は, ま さ に こ の よ う な も の で あ っ た の で は な か ろ う か.. 註 「マカレソコ七巻著作集」モスクワ. 1 1) ロ シ ′・ソ ビエト連邦社会主義共和国教育科学アカデミ ′版, 9 58 . V.ct p .280. I 2) 同 上, VI p.31. .ct. 46 3) 矢川徳光 「集団主義と教育学」p .2 . 参照. 読「教育学」 4) ロシヤ・ソ ビエト連邦社会主義共和国教育科学アカデミャ版, イ・ァ・カイーロフ主写 , モス ク ワ, 1956. Ctp 参照. .294. ‐. t 5) マカレソコ前提書, V,c 13 p .2 . 1 6) 同 上, VI p ,ct .297. 7) 同 上, V.ct p .74. I tp 8) 同 上, VI .c ,299. 9) 同 上, V.c tp .82, V.ct p .214. V.c t p .129, V.c t p ,132 . 同 上, V.c tp .221 . 同 上, V.c t p .493 . 同 上, V.ct p .494, t 同 上, V.c p.219 .. 10) 同 上, 11) 同 上, 12) 同 上, 13) 14) 15) 16). 17) 同 上, 18) 同 上, 19) 同 上,. V.c tp ,183. V.ctp .220. V.ct p .125, 126 . 参 照.. t 0 2 0) 同上, V p .c .13 , 参照. 21) ,同 上, 22) 同 上, 23) 同 上,. V.c tp .125. V,c t p .127.. V.c t p.131.. 24) 同上v V工l ctp,413. 25) ソ同盟共産党中 ,央委員会付属マルクス・エンゲルス・ レーニン研究所編集 「ヴェ・イ・・レーニン全集」 第 四 版, Tom.27, c t p.475.. 6) B 2 t p .E . グムールマソ 「学校における規律」c .5 . 27) マカ レ ンコ, 前 提 書, V,ct p ,134.. - 11 -.
(13) . 広. 川. 正. 治. 司上, V,ct 28)1 p .137 , 138, 29) 同 上, V.ct p .135. t 30) 同 上, V.c p .134 . tp 31) 同 上, V.c .140. t 145. 32) 同 上, V.c p . ,. l 1 t er Band esun一 i tgarら 1953, zw6 s l ockner che werke 33 , vor ) G. w. F. Hegel: samt , Stut , von G1 k. Ers he ber di i t i t t er Band e Aes gen i . S .19.. t 1 p 34 ) G,L .3 . .c . エルマン 「科学としての美学の特性について」 モスクワ, 196 t 35) 同 上, c p .19, bi d. Vg 1 l 36) Hege .S .27 ,,29. ,i t 37) マ カ レ ソ コ, 前 提 書, V.c p .138一140, 38) 同 上, 39) 同 上,. V.c t p.141. V.c tp .38.. 40 ) 「集団の利益の優先」 という命題の具体的説明については日直隊長イワノフのラジオ受信機窃盗事件の t 44 ) を参照されたい。 顛末 (V.c p .141-1 7 41) 阿部次郎 「美学」 大正6年, 岩波版, p .63 ,6 . 参照. l b d i 42) Hege . S .23, ,i ノコ, 前 提 書, v.cば 43) マ カ レシ ) .145‐146・ 4 7 1 44) 同 上, V.cば ) . . ・ tP 45) 同 上, v・c .75.. (以 上). - 12 一.
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