︻ 論文 ︼
宮沢賢治文学
における
地学的想像力
︵
十一
︶
基礎編
:﹁
︹
地質調査
ルートマップ
︺ ﹂
の
検証
︵
その
二
︶
︱
賢治
が
採取
した
岩石標本及
び
地学的考察
︱
鈴
木
健
司
本稿 は ﹁ 宮沢賢治文学 における 地学的想像力 ﹂ という テーマ の 下 に 企図 された 、 連作論文 の 一 つである 。 これまで 、 ︵ 一 ︶ ﹁ 基礎編 : 珪化木 ︵ Ⅰ ︶ 及 び 瑪瑙 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 21 -2号 ︶ 、 ︵ 二 ︶ ﹁ 基礎編 : 珪化木 ︵ Ⅱ ︶ ﹂ ︵ ﹁ 言語文 化 ﹂ 第 20号 、 文教大学言語文化研究所 ︶ 、 ︵ 三 ︶ ﹁ 基礎編 :︿ まごい 淵 ﹀ と ︿ 豊沢川 の 石 ﹀ ﹂ ︵ ﹁ 注文 の 多 い 土佐料理店 ﹂ 第 12号 、 高知大学宮沢賢治研究会 ︶ 、 ︵ 四 ︶ ﹁ 応用編 : 楢 ノ 木大学士 と 蛋白石 、 発展編 : ジャータカ と 地学 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学 文学部第 22 -1号 ︶ 、 ︵ 五 ︶ ﹁ 応用編 : 修羅意識 と 中生代白亜紀 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 22 -2号 ︶ 、 ︵ 六 ︶ ﹁ 応用編 : 第三紀泥岩 と 影 ︱ 朔太郎的不安 との 類似性 ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文教大学国文 ﹂ 第 38号 ︶ 、 ︵ 七 ︶ ﹁ 基礎編 : ﹃ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹄ の 検証 ︵ その 1 ︶ ︱ ﹃ 五間 ヶ 森 ﹄ とその 周辺 ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 23 -1号 ︶ 、 ︵ 八 ︶ ﹁ 応用編 :﹃ 岩頸 ﹄ 意識 について ︱ ︿ 現実 ﹀ と ︿ 心象 ﹀ ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 23 -2号 ︶ 、 ︵ 九 ︶ ﹁ 基礎編 : 安山集塊岩 ︱ 花巻農学校 での 土性調査実習 にからめて ︱ ﹂ ︵ ﹁ 宮沢賢治研究 annual ﹂ № 20︶ ︵ 十 ︶ ﹁ 基礎編 : ﹁ 盛岡附近地質図 ﹂ の 検証 ︱ 飯岡層 の 扱 い を 中心 に ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 24 -1号 ︶ を 発表 している 。 本稿 は 、 ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ の 検証 ﹂ ︵ その 2 ︶ として 、 ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ に 記載 されたほぼすべての 岩石標本採取 ポイント に 対 し 、 実地調査 を 試 みた 報告 である 。 賢治 が 採取 したと 推定 される 岩石 の 種類 を 確認 し 、 必要 に 応 じて 地学的考察 を 加 えていく 。 本調査 に 際 し 、 紫波町在住 の 地質学者 、 照井一明 ︵ 理学博士 ︶ 氏 の 全面的協力 をいただいたことをここに 申 し 添 えてお く 。 照井氏 はほぼ 全行程 を 同行 してくださり 、 岩石標本採取 ポイント の 確定作業 や 各調査地域 の 地質学的特徴 などもご 教 示 くださった 。 また 、 盛岡市在住 の 泉澤竹男氏 、 花巻氏在住 の 岩田安正氏 にもお 世話 になった 。 ほぼ 毎回 ご 同行 いただき 、 熊対策 ︵ 鈴 ・ 爆竹 ︶ などもしていただいた 。 今回 のような 山岳地帯 の 調査 は 、 崖崩 れなど 常 に 危険 が 伴 っており 、 私 のよ うな 山 にも 地質 にも 素人 の 者 が 、 無事 に 調査 を 完了 できたのも 、 照井 、 泉澤 、 岩田各氏 のご 協力 あってのことで 、 改 めて 感謝 の 意 を 表 したい 。 照井一明氏 は 、 本来 ならば 著者 の 一人 として 遇 すべきであるが 、 岩種 の 判断 において 照井氏 のご 指導 と 多少異 なる 点 が あるため 、 最終的 な 責任 はすべて 鈴木 にあることを 考慮 し 、 単著 とした 。 また 、 本研究 では 、 調査費 として 文教大学学長調整金 を 使用 させていただいている 。 キーワード : 宮沢賢治 、 地質 、 ルートマップ 、 豊沢川 、 石英斑岩
− 作品 ﹁ 泉 ある 家 ﹂ に 見 られる ﹁ ルートマップ ﹂ の 作成法 賢治 の 作成 した ﹁︹ 地質調査 ルー トマップ ︺﹂ の 分 析 ・ 復元 に 取 りかかる 前 に 、﹃﹁ 短編梗概 ﹂ 等 ﹄ に 収 録 されている ﹁ 泉 ある 家 ﹂ に 触 れておきたい 。 天沢退 二郎 ︵ 筑摩版文庫版全集 ﹁ 解説 ﹂︶ は ﹁ 泉 ある 家 ﹂ を 最 も ﹁ 小説 ﹂ に 近 い 作品 として 紹介 している 。 鉱夫 を 売春客 としてとることがある 娘 と 祖父 との 二人暮 し 、 という 山 あいの 家 が 作品 の 舞台 である 。 地質調査 のた めに 山 に 入 った 富沢 と 斉田 の 若者二人 は 、 偶然 その 家 に 泊 めてもらうことになる 。 地質調査 の 仕事 が 、 若者 二人 を 鉱夫相手 の 曖昧宿 という 現実 に 出会 わさせたの であり 、 素材 の 特異性 が ﹁ 小説 ﹂ という 手法 に 近 づか せたのだろう 。 ﹁ 泉 ある 家 ﹂ は 、 賢治 の 実体験 が 投影 されていると 考 えてよい 。 その 意味 で 、 賢治 がどのように ﹁ ルート マップ ﹂ を 作成 していったか 、 作品 の 主題 への 興味 も さることながら 、 本作品 は 、 ルートマップ の 作成法 に 関 し 多 くの 情報 を 提供 してくれる 。 素材 となった 地質 調査 だが 、 天沢 は ﹁ 一九一八年 の 土性調査行 きの 体験 を 素材 にしたと 考 えられている ﹂︵ 前出 ︶ と 推定 して いるが 、 内容 をよく 吟味 するなら 、﹁ 一九一八年 の 土 性調査 ﹂︵ 稗貫郡地質及土性調査 ・ 大正七年 ︶ ではな く 、 その 前年 ︵ 大正六年 ︶ の 夏休 みに 友人 と 三人 で 実 施 した ﹁ 江刺郡地質調査 ﹂ が 素材 と なっていると 考 え た 方 が 適切 である 。 それは 、 鉱山 の 名 とされる ﹁ 青金 鉱山 ﹂ が 、 下書稿段階 で 、 実在 する ﹁ 赤金鉱山 ﹂︵ 現 在 の 江刺市赤金 ︶ と 記 されているからである 。 この 点 に 関 してはすでに 、 宮城一男 ︵﹃ 宮沢賢治 の 生涯 │ 石 と 土 への 夢 │ ﹄ 昭 55・ 11、 筑摩書房 ︶ や 、 亀井茂 ︵ ﹁ 宮 沢賢治 と 盛岡高等農林学校断片 ︵ 六 ︶ │ 宮沢賢治江刺 郡地質調査 の 動機 と 目的 をめぐって │ ﹂︵﹁ 早池峯 ﹂ 第 21号 、 平 7 ・ 3 ︶ の 指摘 がある 。 では 、﹁ 泉 ある 家 ﹂ には 、 どのように 地質調査 の 方 法 が 書 き 込 まれているのか 、 以下 に 抜 き 出 してみる 。 ・ これが 今日 のお しまいだろう 、 と い 云 いながら さいた 斉田 は 青 じろい 薄明 の 流 れはじめた 県道 に 立 って がけ 崖 に 露出 した せきえいはんがん 石英斑岩 から 一 かけの 標本 をとって 新聞 紙 に 包 んだ 。 富沢 ︵ とみざわ ︶ は 地図 のその 点 に だいだい 橙 を 塗 っ て 番号 を 書 きながら 読 んだ 。 斉田 はそれを 包 みの 上 に 書 きつけて はいのう 背嚢 に 入 れた 。 二人 は 早 く 重 い 岩石 の 袋 をおろしたさにあとは だまって 県道 を 北 へ 下 った 。 ・ 二人 とも 巨 きな 背嚢 をしょって 地図 を 首 からか けて 鉄槌 を 持 っている 。
・ ︵ 郡 から 土性調査 をたのまれて 盛岡 から 来 たの ですが 。︶ ︵ 田畑 の 地味 お 調 べですか 。︶ ︵ まあそんなことで 。︶ ・ 二人 はそこにあったもみくしゃの 単衣 を 汗 のつ いた シャツ の 上 に 着 て 今日 の 仕事 の 整理 をはじめ た 。 富沢 は 色鉛筆 で 地図 を 彩 り 直 したり 、 手帳 へ 書 き 込 んだりした 。 斉田 は 岩石 の 標本番号 をあら ためて 包 み 直 したり レッテル を 張 ったりした 。 右記 の 引用 から 得 られる 情報 をまとめると 、︿ 採取 地点 での 作業 ﹀ と ︿ 宿 での 作業 ﹀ とに 分 けられる 。 ︿ 採 取地点 での 作業 ﹀ は 、 まず 、 採取地点 を 決定 する 。 次 に 、 岩石標本 を 採取 し 岩石名 を 確認 する 。 そして 、 岩 石標本 を 新聞紙 に 包 む 。 それから 、 地図 に 採取地点 を 橙 で 塗 る 。 さらに 、 地図 に 番号 を 書 き 込 む 。 最後 に 、 新聞紙 に 番号 を 書 き 込 み 、 背嚢 に 入 れる 、 となるだろ う 。︿ 宿 での 作業 ﹀ は 、 色鉛筆 で 地図 を 彩 り 直 す 。 手 帳 へ 書 き 込 む 。岩石 の 標本番号 をあらためて 包 み 直 す 。 レッテル を 張 る 、 などである 。 ︿ 採取地点 での 作業 ﹀ で 理解 しにくいのは 、﹁ 地図 に 採 取地点 を 橙 で 塗 る ﹂ であろう 。 この 作業 は 何 を 意 味 するか 。 坂幸恭著 ﹃ 地質調査 と 地質図 ﹄ ︵ 朝倉書店 、 平 5 ・ 4 ︶ で 確認 してみると 、﹁ 岩相 の 記載 ﹂ の 箇所 に 、﹁ 露頭 ごとにそこに 現 われている 岩石 の 種類 をあ らかじめ 定 めてある 色 で 表示 する . 詳細 は 地点番号 を 設 けて 野帳 に 記載 する ﹂ とある 。 つまり 、 岩相 ︵ 岩 の 種類 ︶ は 色 で 示 されるのである 。 ﹁ 石英斑岩 ﹂ が ﹁ 橙 ﹂ で 塗 られたことは 、 後 に 示 す ﹁︹ 地質調査 ルートマッ プ ︺﹂ で 、 賢治 が 流紋岩 を 赤系 で 彩色 したことと 同 じ と 判断 できるだろう 。 石英斑岩 と 流紋岩 は 同 じ 仲間 の 岩 である 。 成分的 には 花崗岩 とも 同 じで 、 形成 された 場所 が 石英斑岩 の 場合 、 花崗岩 と 流紋岩 の 中間 であり 半深成岩 とよばれている 。 成分 として 二酸化珪素 の 含 有 が 七 〇㌫ を 超 えると 同 じ 仲間 として 分類 される 。 こ こでは 、 採取場所 を 点 ︵ おそらく 色鉛筆使用 ︶ として 記録 していることが 理解 される 。 ︿ 宿 での 作業 ﹀ は 、 一 つ 一 つの 確認 が 必要 である 。 参考 のため 、﹃ 地質調査 と 地質図 ﹄︵ 前出 ︶ の ﹁ 宿舎 での データ 整理 ﹂ の 項 を 見 ておきたい 。﹁ 一日 の 調査 を 終 えたら , かならずその 日 のうちに データ を 別 の 地 形図 に 写 し 換 えておく . 野外 で 得 られた 日 々 の 生 の デ ータ が , こうして , その 地位図 に 蓄 積 されていく . こ れが 地質図 の 土台 となるもので , 野稿図 と 呼 んでいる . ルート に 沿 う 地質柱状図 ︵ 後述 ︶ や 断面図 も 作製 して おこう . データ が 蓄積 するにつれて , 野稿図 はしだい に 地質図 に 近 づいてくる ﹂ と 記 されている 。 これらの 知識 を 前提 にすると 、﹁ 泉 ある 家 ﹂ で 富沢 たちのおこ
なっていた 作業 の 意味 が 理解 しやすくなる 。 まず 、﹁ 色鉛筆 で 地図 を 彩 り 直 す ﹂ だが 、 なぜ 塗 り 直 すのか 。 採取 ポイント に 付 した 色 の 確認 の 意味 もあ るだろうが 、 次 のような 考 えも 成 り 立 つのではないか 。 同 じ 岩相 の 露頭 が 続 いた 場合 、 色 を 点 としてでなく 、 幅 を 持 った 面積 とし て 塗 っておく 必要 がある 。 最終的 な 地質図 では 調査 ルート に 沿 って 、 面 として 色 の 塗 ら れるのが 普通 である 。 次 に ﹁ 手帳 へ 書 き 込 む ﹂ だが 、 これは 、 岩 の 種類 を 採取地点 の ナンバー と 共 に 記録 するためだろう 。 その 他 、 記録 すべきことがあればすべて 、 手帳 に 書 き 込 ん でおくことになる 。﹃ 地質調査 と 地質図 ﹄︵ 前出 ︶ で は 、﹁ 露頭 での 観察事項 のすべてを 地形図 に 書 き 込 め るものではない . そこで , 露頭 ごとに 地点番号 を 設 け て , 地形図 にその 番号 を 記入 し 観察事項 を 野帳 に 記載 しておく ﹂ とあり 、﹁ 手帳 へ 書 き 込 む ﹂ ことの 重要 さ を 知 ることができる 。 ﹁ 岩 石 の 標本番号 をあらためて 包 み 直 す ﹂ だが 、 こ の 目的 としては 、 第一 に 岩石 の 種類 を 確認 し 手帳 に 書 き 込 むことが 考 えられる 。 また 、 胚嚢 いっぱいになっ た 岩石標本 は 、 それ 自体 の 重 みで 擦 れ 合 い 、 岩石 を 包 んでいる 新聞紙 を 破 ってしまうこともあるはずである 。 その 場合 は 、 当然 、 包 み 直 しや ナンバー の 書 き 直 しが 必要 となるだろう 。 ﹁ レッテル を 張 る ﹂ とは 、 採取 した 岩石標本自体 に あらかじめ 用意 しておいた 岩石標本用 の ラベル を 張 る 作業 のことだろう 。 地学 の 専門家 である 井上克弘 ︵ ﹃ 石 っこ 賢 さんと 盛岡高等農林 ︲ 偉大 な 風景画家宮沢賢治 ︲ ﹂︵ 地方公論 、 平 4 ・ 5 ︶ は ﹁ 岩石標本 に 直接 ラベ ル を 張 ることは 珍 しい ﹂ と 述 べている 。 岩石 に レッテ ル ︵ ラベル ︶ を 張 ることは 、 賢治 の 時代 を 示 す 作業 で あったようだ 。 二 ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ とは 賢治 が 作成 した ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ がど のようなものであるかについては 、 すでに ︵ 七 ︶﹁ 基 礎編 : ﹃ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹄ の 検証 ︵ その 1 ︶ ﹂ で 紹介 を 済 ませている 。 したがって 本稿 では ﹁︹ 地質 調査 ルートマップ ︺﹂ の 掲示 ︵ 図 1 ︶ のみにとどめ 、 説明 ・ 解説的部分 は 、 論 の 展開 に 応 じ 随時補足的 にお こなうとしたい 。 現地調 査 の 結果 いろいろな 問題 が 見 えてきたが 、 ま ずは 、 岩石標本採取 にいたる 前段階 の 問題 に 触 れてお きたい 。 宮沢家 に 残 されていた ﹁︹ 地質調査 ルートマ ップ ︺﹂ は ﹁ 稗貫郡地質及土性調査 ﹂ に 用 いられたも のの 一部 である 。 稗貫郡全体 を 調査 するためには 、 五 万分 の 一 の 地形図 を 九枚必要 としたはずだが 、 他 の 八 枚 の 存在 に 関 しては 不明 である 。 一枚 だけでも 残 され たことは 幸 いであったと 考 えたい 。 その 地形図 は ﹁ 新
町 ︵ 秋田四号 ︶﹂︵ 陸地測量部発行 ︶ で 、 稗貫郡西部 山岳地帯 が 広 い 面積 を 占 める 地形図 といえる 。 賢治 は 苦労 して 山 や 沢 に 分 け 入 ったと 想像 され るが 、 後 に 郡役所 により 刊行 された ﹁ 岩手県稗貫郡主要部地 質及土性略図 ﹂ では 、 残念 ながら 、 実際 に 調査 した 区 域 の 三分 の 一 にも 満 たない 範囲 しか 記載 されていない 。 稗貫郡 の ﹁ 主要部 ﹂ から 外 れるためだろう 。 ただ 、 ﹁ 岩 手県稗貫郡地質及土性調査報告書 ﹂ の 方 を 詳 しく 読 む ならば 、 豊沢川流域山岳地帯 の 調査結果 も 少 しは 報告 されており 、 賢治 の 仕事 が 全 くの 徒労 でなかったこと が 理解 される 。 大正七年七月十七日付 、 父政次郎宛書簡 によれば 、 ﹁ 今回 の 調査 は 石 を 負 ふ 事 もなく 里程 も 少 く 横道 にも 入 らず 誠 に 容易 に 御座候 ﹂ とあり 、 賢治 が 岩石標本 を 持 ち 帰 らなかった 可能性 も 考 えられる 。 ただ 、 各 ポイ ント で 岩石 を 確認 した 事実 は 変 わらないので 、 持 ち 帰 ったかどうかに 関 し 本稿 では 問 わないこととする 。 父 宛 の 手紙 なので 、 父 を 心配 させまいとする 賢治 の 配慮 もうかがわれる 。 この ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ の 問題点 、 疑問 点 を 整理 しておく 。 1 、 採取地点 の ナンバリング 賢治 の ナンバリング の 仕方 を 見 ると 、 いったん 沢 の 奥 まで 入 り 、 そこから 沢 の 入 り 口 に 向 かって 歩 き 出 し 岩石標本 の 採取 を 始 めたかのようである 。 沢 の 奥 の 数字 が 大 きく 入 り 口 に 向 かって 数字 が 小 さくな っているからである 。 しか し 、 現実問題 としては 、 沢 の 最深部 がどこなのか 突 き 止 めることは 困難 で 、 調査 も 沢 の 最深部 からおこなわれているわけではな い 。 岩石標本 の 採取 は 沢 の 入 り 口 から 行 われていっ た 、 と 考 える 方 が 自然 であるように 思 う 。 この 推定 を 裏付 ける 事例 として 、 瀬 の 沢川 の 場合 を 挙 げることができる 。 瀬 の 沢川 では 、 沢 の 入 り 口 から ﹁ 5 ・ 6 ・ 7 ・ 8 ﹂ と ナンバリング されている 。 つまり 、 沢 の 入 り 口 から 順 に 数字 が 大 きくなってい るのである 。﹁ 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ﹂ の 数字 の 記載 がな く 気 になるが 、 1 ∼ 4 は ﹁ 花巻 ﹂ の 地形図 に 書 かれ ていたとの 推定 も 可能 である 。 ともか く 、 瀬 の 沢川 だけが 小 さな 数字 から 大 きな 数字 へと 記載 されてお り 、 他 はすべて 、 沢 の 入 り 口 の 番号 が 大 きく 、 沢 の 一番奥 が 小 さな 番号 となっている 。 このような 事実 から 推定 されることは 、 この 地形 図 は 調査 に 携行 されたものではでなく 、 書 き 直 しを 経 た 中間段階 か 、 最終段階 のものではないかという ことである 。 標本採取 がすべて 終 わった 時点 で 、 一 気 に ナンバリング し 直 した 結果 なのではないだろう か 。 2 、 使用 されている ペン ﹃ 新校本宮沢賢治全集 ﹄ では 、︽ 筆記具 ︾ として ﹁ ブルーブラックインク ﹂ と 記載 されているが 、 使
用 ペン の 異 なりは 指摘 さ れていない 。 しかし 、 使用 された ペン は 二種類確認 できる 。 ナンバリング に 使 われている ペン はやや 太 く 、 色 あせも 指摘 できる 。 それに 対 し 、 岩石 の 種類 の 記載 や 、 地学的 な 書 き 込 み 、 また 、 訂正箇所 などに 用 いられた ペン は 、 細 く 濃 い 印象 である 。 少 なくとも 、 太 さの 異 なる 二種類 の ペン が 使用 され 、 太 い 方 が 先 に 、 細 い 方 が 後 から 使用 されたことは 確 かと 思 われる 。 ナンバリング に 使 われている ペン と 、 岩石 の 種類 を 記載 した ペン の 種類 が 異 なることは 、 やはり 、 この 残 された ﹁︹ 地 質調査 ルートマップ ︺﹂ が 、 岩石採取地点 で 直接作 成 されたものでないことを 示 し ているように 思 う 。 地形図 に 岩石 の 採取地点 のみ 記入 し 、 後日 、 岩石 の 種類 を 書 き 込 んだともいえなくはないが 、 何度 も 沢 に 持 ち 込 まれた 地形図 であるなら 、 とても 現存 する ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ のようなきれいな 保 存状態 ではありえないだろう 。 3 、 水彩絵具 の 使用 ﹃ 新校本宮沢賢治全集 ﹄ では 、︽ 筆記具 ︾ として ﹁ ブルーブラックインク ﹂ 以外 として 、 ﹁ 水彩絵具 ﹂ の 使用 が 記 されている 。 色 としては 二種類 で 赤 みが かった 着色 は 流紋岩系 で 、 茶色 がかった 着色 は 安山 岩系 を 示 すと 推定 される 。 地質図 において 岩相 を 色 で 表 すことはすでにふれたが 、 なぜ 、 安山岩 と 流紋 岩地帯 に 着色 したのかという 理由 を 考 えておきたい 。 基本的 に 、 この 五万分 の 一 の 地形図 の 主要山岳地 帯 は 、 矢櫃層 ︵ 湯口層 ︶、 大石層 、 大荒沢層 ︵ 幕館 層 ︶ といった 凝灰岩 を 基本 とする 地層 から 成 ってい ることを 知 っておく 必要 がある 。 地層 の 名 は 賢治 の 当時 は 付 けられていなかったが 、 凝灰岩地帯 だとい うことは 、 当然賢治 の 知識 にあったはずである 。 そ の 凝灰岩層 を 下 から 突 き 破 るように 噴出 したのが 、 安山岩 や 流紋岩 であった 。 賢治 はそれを 示 すため 、 茶 や 赤 で 着色 したと 考 えられるのである 。 逆 に 言 え ば 、 着色 されていないところは 凝灰岩類 ということ になる 。 凝灰岩類 はあまりにも 当 たり 前 にあちこち 存在 しているので 、 表面積 の 少 ない 安山岩 や 流紋岩 を 着色 したとの 推定 が 可能 である 。 着色 の 様子 を 詳 しく 見 ると 、 寒沢川 の 中流域 は 、 微妙 に 茶系 と 赤系 が 混 じっている 。 それは 、 その 区 域 が 流紋岩地帯 とも 安山岩地帯 とも 捉 え 得 る 、 とい うことを 意味 しているのだろう 。 茶色 の 濃 い 部分 は 明 らかな 安山岩地帯 、 赤 の 濃 い 部分 は 明 らかな 流紋 岩地帯 を 示 している 。 三 賢治 が 調査 した 川 、 沢 など 山岳地帯 の 地質調査 をする 場合 、 川 や 沢 に 沿 って 調 査 を 進 めるのが 一般的 である 。 それは 岩石 の 露頭 を 見 つけやすいためで 、 尾根 を 歩 くこともなくはないが 、
﹁ 尾根 は 一般的 に 露出状態 が 不良 であるため 、 沢 ほど には 重視 されない ﹂︵﹃ 地質調査 と 地質図 ﹄ 前出 ︶。 賢治 の 調査 した 場所 も 、 ほとんどが 沢 である 。 川 の 名 を 持 つものもあるが 、 山 に 入 れば 川 も 沢 もそれほど の 違 いはない 。 ナンバリング の 若 い 順 に 沢 ・ 川 を 以下 に 整理 する 。 ① 瀬 の 沢川 ︵ 5 ∼ 8 ︶ ② 三 ッ 沢川 ︵ 9 ∼ 14︶ ③ 寒沢川 ︵ 15∼ 29+ a.b ︶ ④ 大沢川 ・ 下 し 沢 ︵ 30∼ 42︶ ⑤ 白沢 ︵ 48∼ 60︶ ⑥ 西 の 又沢 ・ 東 の 又沢 ︵ 61∼ 68︶ ⑦ 出羽沢 ︵ 69∼ 77︶ その 他 として 、 高倉山北方 ︵ 43・ 44・ 45︶、 鉛 か ら 葛丸方面 に 抜 ける 山道 ︵ 48︶、 幕館 から 山中峠 にむ かう 尾根道 ︵ 78・ 79・ 80︶ がある 。 表 1 は 、 ① ∼ ⑦ の 沢 ・ 川 ごとに 、 賢治 が 岩石標本 を 採取 した 場所 ︵ ナンバー で 示 す ︶ と 、 賢治 がそこに 書 き 込 んだ 岩石 の 種類 、 さらに 、 今回 の 調査 で 同 じ 場所 から 採取 された 岩石 の 種類 を 書 き 込 んだものである 。 その 結果 、︵ 1 ︶ 賢治 の 記述 した 岩種 と 同 じものが 採 取 された 場合 、︵ 2 ︶ 賢治 の 記述 した 岩種 とは 異 なる ものが 採取 された 場合 、 また 、︵ 3 ︶ 特徴的 な 岩石 の 露頭 があるにも 関 わらず 賢治 が 岩石標本 を 採取 してい ない 場合 、︵ 4 ︶ 採取地点 の 地層 を 上下 に 見 た 場合 、 岩種 が 異 なっており 、 賢治 はその 一方 を 採取 している 場合 、 などのあることが 判明 した 。 なお 、 未調査 の ポ イント が 数 か 所残 されたが 、 今後機会 を 見 つけて 補 っ ていきたいと 思 う 。 ただ 、 沢 が 深 く 断念 した ポイント が 少 なからずあり 、 再調査 の 難 しい ケース もある 。 ① 瀬 の 沢川 ︵ 5 ∼ 8 ︶ 1 ∼ 4 の ポイント は 、 地図上 にない 。 おそらく 、 ﹁ 花 巻 ﹂ の 地図 に 記載 されていたと 推定 されるが 、 その 区 間 には 大 きな 露頭 はなく 、 見出 せる 岩石 はほとんどが 凝灰岩類 である 。﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ で 、 賢治 が 凝灰岩類 をあまり 記載 していないことはすでに 指摘 したが 、 整理 ・ 書 き 直 しの 段階 で 凝灰岩類 を 省 い ていった 可能性 も 考 えられる 。 本稿 では 、 仮 の ポイン ト ︵ 1 ?、 2 ?、 3 ?、 4 ?︶ を 設定 し 、 岩石標本 と して 提示 した ︵ 写真 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ︶。 5 、 6 の ポイント は And. ︵ 安山岩 ︶ である 。 5 ︵ 写 真 5 ︶ には 賢治 の 記述 はなく 、 6 ︵ 写真 6 ︶ は 賢治 の 記述 と 一致 する 。 正確 には Propy . ︵ 変朽安山岩 ︶ とい うべきか 。 ☆ 1 ︵ 写真 7 ︶ は 賢治 の 採取 ポイント では ないが 、 火山礫凝灰岩 で 貝化石 を 含 んでいる 。 この 凝 灰岩地帯 ︵ 大 石層 ︶ が 海中 で 生成 されたことを 示 して おり 興味深 い 。 8 の ポイント は 沢 のかなりの 奥 で 林道 もないため 、 採取 を 断念 した 。 賢治 は ポイント 8 の 岩 種 を Q. Porph . ︵ 石英斑岩 ︶ と 記述 している 。 石英斑岩 はこれまでの ポイント では 露出 しておらず 、 もし 転石
として 見出 せるなら 、 ポイント 8 付近 からの 転石 と 考 えることもできる 。 そこで 沢 に 入 り 探索 したところ 、 石英斑岩 の 転石 を 見出 すことができた ︵ 写真 8 ︶ 。 直 接 ポイント 8 を 調査 することはできなかったが 、 沢 の 上流 に 石英斑岩 の 露頭 のあることは 確認 できた 。
表1 採取した岩石の対照表 賢治の 調査地 賢治の 採取 ポイント 賢治の表記 調査結果(岩石名) 一 致 度 写 真 瀬の沢川 1 存在せず (火山礫凝灰岩) 1 2 存在せず (凝灰岩) 2 3 存在せず (角礫凝灰岩) 3 4 存在せず (安山岩) 4 5 変朽安山岩 5 6 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 6 ☆ 火山礫凝灰岩・貝化石 7 7 変朽安山岩 ☆ 石英斑岩 8 8 Q. Por. (Quartz Porphyry・石英斑岩) 未調査 三ッ沢川 9 角礫凝灰岩 9 10 デイサイト 10 11 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 11 12 存在せず 13 変朽安山岩 12 14 変朽安山岩 13 ☆ 火山礫凝灰岩・貝化石 14 ☆ 凝灰岩 15 ☆ 火山礫凝灰岩 16 ☆ ☆ 変朽安山岩 緑簾石 17 18 寒沢川 15 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 未調査 16 And. (andesite・安山岩) 未調査 17 And. (andesite・安山岩) 未調査 18 Conglomerate (礫岩) 石英斑岩 × 19 礫岩 20 19 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩・凝灰岩 △ 21 22 20 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 23 ☆ 角礫凝灰岩
賢治の 調査地 賢治の 採取 ポイント 賢治の表記 調査結果(岩石名) 一 致 度 写 真 21 Compact andesite (かたい安山岩) 変朽安山岩 △ 24 22 Compact andesite (かたい安山岩) 変朽安山岩 △ 25 23 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 26 24 花崗岩・変朽安山岩 27 28 25 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 29 26 Granite (花崗岩) 花崗岩 30 断層 31 27 変朽安山岩 32 28 Lip dyke (流紋岩の岩脈) 流紋岩 ○ 33 29 Lip dyke (流紋岩の岩脈) 流紋岩 ○ 34 流紋岩の岩脈 35 a 流紋岩 36 b 流紋岩 37 変朽安山岩 38 ☆ 変朽安山岩 39 大沢川から 30 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 40 五間ヶ森・ 下し沢川へ 31 And. (andesite・安山岩) 流紋岩 × 41 32 変朽安山岩 42 33 Compact andesite (かたい安山岩) 変朽安山岩 △ 43 34 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 44 35 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 45 36 Tuff(凝灰岩)質Conglomerate (礫岩) 浮石凝灰岩 46 ☆ 凝灰岩・貝化石 ○ 47 ☆ 砂質凝灰岩 48 37 Lip (Liparite・流紋岩) 流紋岩 ○ 49 38 Tuff (Pumiceous浮石質凝灰岩) 浮石凝灰岩 ○ 50 39 Lip (Liparite・流紋岩) 球顆流紋岩 ○ 51
賢治の 調査地 賢治の 採取 ポイント 賢治の表記 調査結果(岩石名) 一 致 度 写 真 40 存在せず 41 存在せず 42 Lip (Liparite・流紋岩) 流紋岩 ○ 52 ☆ 黒曜岩 53 高倉山の 北方 43 And. (andesite・安山岩) 未調査 44 Propyr (propylite・変朽安山岩) 未調査 45 Tuff (凝灰岩) 未調査 46 存在せず 47 存在せず 白沢 49 (48) Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 54 49 変朽安山岩 55 50 石英斑岩 変朽安山岩 56 57 51 変朽安山岩 58 52 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 59 53 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 60 54 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 61 52 対岸 石英斑岩 62 53 対岸 石英斑岩 63 55 火山礫凝灰岩 64 56 Lip (Liparite・流紋岩) 凝灰岩 × 65 57 変朽安山岩 66 58 Propyr (propylite・変朽安山岩) 石英斑岩・変朽安山岩 △ 67 59 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 68 60 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 流紋岩 △ 69 70 ☆ 流紋岩 (転石) 71
賢治の 調査地 賢治の 採取 ポイント 賢治の表記 調査結果(岩石名) 一 致 度 写 真 東ノ又沢・ 西ノ又沢 61 流紋岩質軽石 72 62 Lip (Liparite・流紋岩) / Tuff (凝灰岩) 流紋岩質凝灰岩 ○ 73 63 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 石英斑岩 △ 74 75 64 Granite (花崗岩) 石英斑岩 × 76 65 Granite (花崗岩) 石英斑岩 × 77 66 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 78 67 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 79 68 And. (andesite・安山岩) 変朽安山岩 ○ 80 出羽沢 ☆ 流紋岩 69 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 81 ☆ 凝灰岩 70 凝灰岩 82 71 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 83 72 Propyr (propylite・変朽安山岩) 変朽安山岩 ○ 84 73 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 85 ☆ 流紋岩 74 石英斑岩 ○ 86 75 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 87 76 Q. Porph (Quartz Porphyry・石英斑岩) 石英斑岩 ○ 88 77 変朽安山岩 89 尾根筋 78 Lip(Liparite・流紋岩)質Tuff (凝灰岩) 未調査 79 未調査 80 Lip(Liparite・流紋岩)質Tuff (凝灰岩) 未調査
② 三 ッ 沢川 ︵ 9 ∼ 14︶ ポイント 9 、 10と 賢治 の 記述 はないが 、 角礫凝灰岩 ︵ 写真 9 ︶ と デイサイト と 推定 される 岩種 ︵ 写真 10︶ であることが 判明 した 。 ポイント 11は 賢治 の 記述 どお りで 安山岩 ︵ 写真 11︶ であった 。 ただ 、 変質作用 を 受 けているので 、 変朽安山岩 と 判断 した 。 ポイント 12は 数字自体 ルートマップ 上 での 記載 がない 。 ポイント 13 ︵ 写真 12︶ 、 14︵ 写真 13︶ は 賢治 の 記述 はないが 変 朽安山岩 であることが 判明 した 。 13と 14の 間 に 火山礫 凝灰岩地帯 ︵ 大石層 ︶ があり 、 ☆ 2 貝化石 ︵ 写真 14︶ が 確認 できた 。 その 後 の 三 ッ 沢川 は 、 河口 に 近 づくに つれ 凝灰岩地帯 ︵ ☆ 3 、 ☆ 5 ︶ になる ︵ 写真 15、 16︶ 。 ☆ 4 は ☆ 3 ☆ 5 の 間 に 露出 する 変朽安山岩 ︵ 写真 17︶ だが 、 ガス 穴 には 緑簾石 が コケ 苔 のように 、 びっしりと 成 長 していた 。 作品 ﹁ 台川 ﹂ に 賢治 が コケ 苔 を 緑簾石 と 見間 違 える 場面 があるが 、 確 かに コケ 苔 のように 見 えることが 納得 された ︵ 写真 18︶ 。 ③ 寒沢川 ︵ 15∼ 29+a.b︶ 寒沢川 は 、 奥深 い 沢 で 、 一日 で 調査 することはでき ない 。 私 たちは 二日 かけたが 、 それでも ポイント 15︵ 石 英斑岩 ︶、 16︵ 安山岩 ︶、 17︵ 安山岩 ︶ は 未調査 とな った 。 ポイント 15、 16は 私 たちの 歩 いた 林道 と 谷 を 挟 んだ 反対側 で 、 谷 が 深 く 断念 せざるを 得 なかった 。 賢 治 は 私 たちよりもずっと 低 い 水際 の 道 を 歩 いていたの かもしれない 。 また 、 ポイント 17はさらに 沢 の 奥深 く にあり 、 断念 した 。 ポイント 15、 16を 含 め 、 ポイント 17まで 調査 するには 、 私 たちは 野営 をしなければなら なかっただろう 。 ポイント 18は 賢治 の 記述 では Conglomereate すなわ ち 礫岩 ということになっているが 、 礫岩 らしきものを 見出 すことはできなかった 。 一帯 は 石英斑岩 ︵ 写真 19︶ であった 。 礫岩 ︵ 写真 20︶ が 確認 できたのは 20∼ 21の 間 で 、 火山礫凝灰岩 と 似通 ったものが 多 い 。 ただ 、 写 真 20は 角 のとれた 礫 が 含 まれており 、 火山礫凝灰岩 と は 区別 されると 判断 できる 。 ポイント 19は 賢治 の 記述 の 通 り 、 石英斑岩 ︵ 写真 21︶ が 確認 された 。 ただ 、 ポイント 19は 崖 になっており 、 水際 が 石英斑岩 で 、 その 上 の 地層 は 凝灰岩 ︵ 写真 22︶ である 、 賢治 は 石英斑岩 を 採取 し 、 凝灰岩 の 方 は 採取 しなかったことが 分 かる 。 20は 賢 治 の 記述通 り 石英斑 岩 ︵ 写真 23︶ である 。 ポイント 21、 22は 賢治 の 記述 では Compact andesite となっている 。 緻密 で 硬 い 安山岩 を 予想 していたが 、 私 たちが 歩 いた 水面 すれすれの 林道 は 、 石英斑岩地帯 というべき 岩相 であった 。 安山岩 が 存在 するのは 崖 の 最上部 ︵ 幕舘層 ︶ で 、 水面 から 20㍍∼ 30㍍ の 高 さとな る 。 転石 でも 拾 わないかぎり 、 安山岩 を 見 つけること はできない 。 賢治 が 崖 の 上 の 安山岩地帯 を 歩 いた 可能 性 は 林道 の 関係 から 考 えられないので 、 賢治 がなぜ Compact andesite と 記述 したかは 不明 である 。 参考 ま で
に 転石 の 安山岩 ︵ 写真 24、 25︶ を 示 す 。 ポイント 23では 賢治 の 記述 どおり 、 石英斑岩 ︵ 写真 26︶ を 確認 した 。 ポイント 24は 賢治 の 記述 がない 。 観 察 されたのは 、 花崗岩 と ︵ 写真 27︶ 変朽安山岩 ︵ 写真 28︶ であった 。 ポイント 25は 賢治 の 記述 のとおり 、 石英斑岩 ︵ 写真 29︶ であった 。 ポイント 26は 花崗岩 と 記述 されている 。 私 たちが 確認 したのも 花崗岩 ︵ 写真 30︶ であった 。 こ この 花崗岩 の 露頭 はかなり 変質 をしており 、 黄鉄鉱 な どの 析出 も 目立 った 。 照井氏 の 観察 により 25と 26の 間 に 花崗岩 と 変朽安山岩 との 逆断層 の 存在 するこ とが 確 認 された ︵ 写真 31︶ 。 ポイント 27には 賢治 の 記述 はな いが 変朽安山岩 が 確認 された ︵ 写真 32︶ 。 ポイント 28、 29は 賢治 の 記述 では 、 Lip . dyke ? ︵ 流 紋岩 の 岩脈 か ? ︶ となっている 。 岩脈 の 境目 などは 確 認 できなかったが 、 確 かに 両 ポイント は 流紋岩 ︵ 写真 33、 34︶ であった 。 岩脈 の 実例 として 、 照井氏 の 観 察 により 、 ポイント 22と 23の 間 の 地点 で 石英斑岩 を 抜 いている Lip . dyke ︵ 流紋岩 の 岩脈 ︶ が 確認 された ︵ 写 真 35︶ 。 a 、 b という 記述 がある 。 なぜそのような 表記 をし たのか 理由 は 判然 としない 。 ポイント a は 流紋岩 ︵ 写 真 36︶ であった 。 ポイント b では 流紋岩 ︵ 写真 37︶ と 変朽安山岩 ︵ 写真 38︶ が 確認 でき 、 流紋岩 から 安山 岩 への 岩相 の 移 りが 推定 される 。 ポイント b よりも 河 口近 くの ☆ 7 では 変朽安山岩 ︵ 写真 39︶ のみの 岩相 で ある 。 ④ 大沢川 ・ 下 し 沢 ︵ 30∼ 42︶ この 区域 に 関 しては 、︵ 七 ︶﹁ 基礎編 : ﹃︹ 地質調 査 ルートマップ ︺﹄ の 検証 ︵ その 1 ︶ ︱ ﹃ 五間 ヶ 森 ﹄ とその 周辺 ︱ ﹂ で 、 ある 程度報告 が 済 まされている 。 本稿 では 重 なりを 承知 で 、 採取 ポイント にしたがって 報告 しておく 。 ポイント 30∼ 35は 大沢川 にそそぐ 北 の 又沢 にある 。 ポイント 30は 賢治 の 記述通 り 、 変朽安山岩 ︵ 写真 40︶ である 。 ポイント 31は 、 賢治 は 安山岩 としているが 、 確認 されたのは 流紋岩 ︵ 写真 41︶ である 。 ポイント 32 は 賢治 の 記述 はないが 、 変朽安山岩 ︵ 写真 42︶ が 確認 された 。 ポイント 33で 、 賢治 は Compact andesite ︵ かたい 安山 岩 ︶ と 記述 しているが 、 確認 されたのは 、 硬 くない 変 朽安山岩 ︵ 写真 43︶ である 。 ポイント 34、 35は 賢治 は 安山岩 と 記述 している 。 たしかに 安山岩 には 違 いな いが 、 私 たちの 確認 したのは 変朽安山岩 ︵ 写真 44、 45︶ である 。 豊沢川流域 の 安山岩 は ほとんどが グリーンタ フ 変質 を 受 けており 、 新鮮 な 安山岩 を 見出 すことはな い 。 その 意味 で 、 賢治 の ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ への 書 き 込 み ﹁
more or less Propyritized
﹂︵ 多 かれ 少 な かれ 変質 している ︶ は 、 正 しい 観察 といえる 。 賢治 は この ポイント 30∼ 35での 調査結果 をもとに 、 ﹁ ︹ 地質
調査 ルートマップ ︺﹂ においてこの 付近 を 茶色 に 着色 したのであろう 。 ポイント 36は 賢治 は Tuff Conglomerate ︵ 礫岩質凝灰 岩 ︶ と 記述 している 。 確認 できたのは 浮石凝灰岩 ︵ 写 真 46︶ である 。 ﹁︹ 地質調査 ルート マップ ︺﹂ を 見 れ ばわかるように 、 この ポイント は 大沢川沿 いで 、 かな り 河口寄 りといえる 。 この ポイント は 火砕流 から 成 る 男助層 で 、 もう 少 し 沢 を 深 く 入 ると 大石層 が 現 れる 。 安山岩 の 層 を 覆 うように 火山礫凝灰岩層 があり 、 そこ には ☆ 8 貝化石 ︵ 写真 47︶ が 含 まれている 。 逆 に 、 ポ イント 36の 男助層 を 少 し 河口側 に 進 むと 、 湯口層 の ☆ 9 砂質凝灰岩 ︵ 写真 48︶ が 確認 できる 。 湯口層 は 湖底 での 堆積 といわれ 、 層理 が 発達 している 。 海底 での 堆 積 である 大石層 や 、 火砕流 の 男助層 と 区別 される 。 ポイント 36の 男助層 と 関連 づけられるのが 、 ポイン ト 38の 男助層 で 、 賢治 は Tuff ︵ Pumiceous ︶ ︵ 浮石質凝 灰岩 ︶ と 記述 している 。 私 も 浮石質凝灰岩 であること を 確認 した ︵ 写真 49︶ 。 ポイント 37、 39は 五間 ヶ 森 の 中腹 である 。 賢治 はと もに 流紋岩 ︵ 写真 50、 51︶ と 記述 している 。 39の ポ イント は 沢筋 で 、 球顆流紋岩 であった 。 いわゆるそろ ばん 玉 の 空洞 を 多数内包 しており 、 白色 の 石英 の 残滓 がわずかに 確認 できる 。 ポイント 40と 41は ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ 上 に 存在 していない 。 ポイント 42は 下 し 沢 である 、 下 し 沢 は 湯口層 を 削 って 流 れているが 、 標本 としては 五間 ヶ 森 の 裾 に あたる 流紋岩 ︵ 写真 52︶ が 採取 されている 。 ☆ 9 は 黒曜岩 ︵ 写真 53︶ で 、 ﹁︹ 地質調査 ルートマッ プ ︺﹂ では 、 37と 39の 間 に Obs . ︵ 黒曜石 ︶ として 記述 されている 。 どのような 理由 でか 、 その 付近 から Obs . を 見出 すことができない 。 私 たちが 確認 したのは 、 下 し 沢 の 上流 で 、 流紋岩 に 沿 うように 露出 した 黒曜石 で ある 。 岩石名 としては 黒曜岩 と 表記 することが 多 い 。 ⑤ 白沢 ︵ 48∼ 60︶ 白沢 での 最初 の ポイント 49だが 、 49が 2 箇所 あるの で 、 賢治 の ナンバリング の 原則 にしたがい 、 沢 のより 奥 を 48としておく 。 白沢 にそそぐ 沢 で 、 その 沢 の 名 を 確認 できないが 、 花崗岩 の 転石 が 諸所 にある 。 この 沢 で 賢治 は 花崗岩 を 採取 していないが 、 それは 花崗岩 が 転石 であるためであろう 。 沢 の 入 り 口 から ポイント 48 までの 間 、 花崗岩 の 露頭 は 見出 せなかった 。 私 は 念 の ため 48の ポイント よりさらに 奥深 く 数百 メートル 入 ったが 、 花崗岩 の 露頭 は 見出 せなかった 。 さらに 奥 な のだろうか 。 この 沢 は 、 石英斑岩 と 変朽安山岩 が 交互 に 露出 して いる 。 ともに 変質 が 著 しい 。 おそらく 石英斑岩 の 割 れ 目 を 安山岩 が 下 から 抜 いた 結果 と 推定 される 。 この 近 一帯 は 幕館層 ︵ 大荒沢層 ︶ である 。 幕館層 は 地上形成 と 考 えら れており 、 他 の 幕館層 での 観察 から 推定 され ることは 、 石英斑岩 と 安山岩 との 形成順序 として 、 石
英斑岩 がまず 形成 され 、 その 後安山岩 の マグマ の 噴出 があったと 考 えられる 。 基盤岩石 は 、 中生代 ︵ 白亜紀 ︶ に 形成 された 花崗岩 である 。 その 一部 は 寒沢川上流地 帯 で 、 頻繁 に 露頭 として 確認 することができる 。 ただ 、 基盤 としての 花崗岩 と 石英斑岩 、 安山岩 との 関係 は 明 確 でない 。 それを 判断 する 材料 がない 。 例 えば 、 花崗 岩 と 石英斑岩 との 断層箇所 などが 観察 できれば 、 ある 程度 のことがいえるはずである 。 また 、 石英斑岩 の 絶 対年代 が 判明 すれば 、 中生代 ︵ 白亜紀 ︶ に 形成 された ことの 分 かっている 花崗岩 との 関係 がつかめるだろう 。 この 点 については 後 に 触 れる 。 ポイント 48だが 、 賢治 は 変朽安山岩 と 記述 している が 、 私 たちもそれを 確認 した ︵ 写真 54︶ 。 ポイント 49、 50、 51は 賢治 の 記述 はない 。 49では 変朽安山岩 ︵ 写真 55︶ を 確認 した 。 ポイント 50では 石英斑岩 ︵ 写真 56︶ と 変朽安山岩 ︵ 写真 57︶ が 接近 して 露出 しており 、 両 方 を 採取 した 。 ポイント 51は 変朽安山岩 ︵ 写真 58︶ で あった 。 ポイント 52からは 、 白沢 の 本筋 にもどる 。 最奥地 が 52で 、 沢 の 豊沢川 への 合流点 に 近 い ポイント が 60とな る 。 52∼ 54は 賢治 はすべて 変朽安山岩 と 記述 している 。 私 たちも 変朽安山岩 を 確認 した ︵ 写真 59、 60、 61︶ 。 ただ 、 沢 の 対岸 を 調 べると 、 52も 53もともに 石英斑岩 ︵ 写真 62、 63︶ であった 。 賢治 の 通 った 沢 の 道筋 が 、 たまたま 変朽安山岩地帯 であったということになる 。 石英斑岩側 には 歩 ける 道 はなかった 。 ポイント 55は 賢治 の 記述 なしだが 、 火山礫凝灰岩 ︵ 写真 64︶ を 確認 した 。 ポイント 56だが 、 賢治 は 流紋 岩 と 記述 しているが 凝灰岩 ︵ 写真 65︶ であった 。 ポイ ント 57は 賢治 の 記述 はないが 、 変朽安山岩 ︵ 写真 66︶ を 確認 した 。 ポイント 58は 賢治 はの 記述通 りで 、 変朽 安山岩 ︵ 写真 67︶ を 確認 した 。 ポイント 59も 賢治 の 記 述通 り 石英斑岩 ︵ 写真 68︶ を 確認 した 。 ポイント 60は 賢治 は 変朽安山岩 と 記述 している 。 われわれも 同地点 で 変朽安山岩 ︵ 写真 69︶ を 確認 したが 、 流紋岩 ︵ 写真 70︶ も 近 くに 露出 しており 、 参考 までに 両方採取 した 。 白沢 では 、 赤 みがかった ☆ 10流紋岩 の 転石 ︵ 写真 71︶ を 諸処 に 見 ることができる 。 同 じ 色 の 流紋岩 の 露頭 を 私 たちは 調査中確認 できなかったので 、 おそらく 、 52 の 標本 ポイント のさらに 奥 に 、 流紋岩 の 大 きな 露頭 が 存在 するので はないかと 推定 される 。 ⑥ 西 の 又沢 ・ 東 の 又沢 ︵ 61∼ 68︶ ポイント 61、 62は 、 照井氏 のご 教示 によれば 、 ウル 葛丸火山 の 噴火 に 起因 する 凝灰岩 である 。 61には 賢治 の 記述 はないが 、 流紋岩質軽石 ︵ 写真 72︶ を 確認 した 。 62は 賢治 の 記述通 り 、 Lip . Tuff ︵ 流紋岩質凝灰岩 ︶ を 確認 した ︵ 写真 73︶ 。 ポイント 63は 、 賢治 の 記述 は 変 朽安山岩 だが 、 変朽安山岩 ︵ 写真 74︶ とともに 石英斑 岩 ︵ 写真 75︶ も 確認 されたので 、 両方採取 した 。 ポイント 64、 65は 賢治 の 記述 によれば Granite ︵ 花崗
岩 ︶ である 。 しかし 、 確認 でき たのは 変質 した 石英斑 岩 ︵ 写真 76、 77︶ であった 。 林道 など 当時 と 異 なる ことが 多 いため 、 崖 を 20メートル ほど 下 り 、 沢底 まで 詳 しく 調査 したが 、 花崗岩 の 露頭 はもとより 転石 も 見 出 すことができなかった 。 この ポイント の 石英斑岩 は 変質 のしかたが 特徴的 で 、 赤系統 の 斑 が 目 をひく 。 豊 沢御影 と 呼 ばれるこの 地域 の 花崗岩 は 長石 が 赤系 で 、 賢治 が 見間違 えたとも 考 えられなくはないが 、 その 可 能性 は 低 いというべきだろう 。 なぜ 、 賢治 が 花崗岩 と 判断 したかは 不明 としておく 。 ﹁ 岩手県稗貫郡主要部 地質及土性略図 ﹂ を 見 ると 、 この ポイント は 花崗岩地 帯 と 表 わ されている 。 賢治 としては 自信 を 持 って 花崗 岩 を 採取 したのであろうが 、 それを 確認 することはで きなかった 。 ポイント 66、 67、 68では 、 賢治 が 記述 したとおり 、 安山岩 ︵ 写真 78、 79、 80︶ が 確認 された 。 ただし 、 かなり 変質 しており 、 変朽安山岩 というべきであろう 。 ⑦ 出羽沢 ︵ 69∼ 77︶ ポイント 69は 賢治 の 記述 した 通 り 変朽安山岩 ︵ 写真 81︶ であった 。 ポイント 70には 賢治 の 記述 はないが 、 凝灰岩 ︵ 写真 82︶ であることを 確認 した 。ポイント 71、 72、 ︵ 写真 83、 84︶ は 賢治 の 記述通 り 、 変朽安山岩 であった 。 ポイント 73、 74、 75、 76は 賢治 は 石英斑岩 と 記述 している 。 私 たちの 調査 でもすべて 石英斑岩 ︵ 写真 85、 86、 87、 88︶ であることが 確認 された 。 この 一帯 は ポイント が 近 い 距離 で 連続 しており 、 岩種 との 対応 が 定 かでない 点 がある 。 ポイント 77は 変朽安山岩 ︵ 写真 89︶ であることを 確認 した 。 ① ∼ ⑦ の 調査 に 含 まれない ポイント として 、 高倉山 北方 ︵ 43・ 44・ 45︶ 、 鉛 から 葛丸方面 に 抜 ける 山道 ︵ 48︶、 幕館 から 山中峠 にむかう 尾根道 ︵ 78・ 79・ 80︶ がある 。 これらの ポイント に 関 しては 、 今回 の 調査 では 、 日程 上 の 都合 や ポイント へ 向 かう 困難 さから 、 未調査 とい うことになった 。 完全 な 調査 を 目指 したが 、 残念 なが ら 9 割弱程度 の 調査 となった 。 それでも ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ を 把握 するための 岩石標本 は 揃 えら れたと 考 える 。 四 石英斑岩 に 関 する 地学的判断 これまでみてきたように 、 賢治 の ﹁︹ 地質調査 ルー トマップ ︺ ﹂ には 、 いくかの 不可解 さが 残 されている 。 だが 、 繰 り 返 し 調査 してもその 不可解 さを 解 き 尽 くす ことはできないように 思 う 。 そもそも 、 私 が ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ に 興 味 をもった 契機 は 、 ﹁ Opaline ﹂ という 書 き 込 みを 見 つ けたか らであった 。 三 ッ 沢川 に 注 ぐ 中 ノ 又沢 の 源流付 近 に 書 き 込 まれた ﹁ Opaline ﹂ の 語 。 宮城一男 の ﹃ 農民 の 地学者 宮沢賢治 ﹄︵ 築地書館 、 昭 50・ 2 ︶ には 、
﹁ オパール ︿ 蛋白石 ﹀ が 密集 して 存 するところといっ た 意 ﹂ と 解説 されていた 。 私 はそのころ 童話 ﹁ 楢 ノ 木 大学士 の 野宿 ﹂ にこだわっていて 、 とくに 、 オパール の モチーフ の 出所 に 頭 を 悩 ませていた 。 私 は ﹁ オパー ル ︿ 蛋白石 ﹀ が 密集 して 存 するところ ﹂ に 行 ってみた いという 思 いに 負 け 、 中 ノ 又沢一帯 を 調査 してみるこ とにした 。 しかし 、 はじめは 、 どの 沢 が 中 ノ 又沢 なの かもわからず 、 最終的 には 中 ノ 又沢 を 確認 できたもの の 、 問題 の オパール らしきものはどこにも 見出 すこと はできなかった 。 私 は 宮城 が 現地 を 調査 せずに 書 いて いたことに 気 づき 、 そこが オパール の 産地 であること を 諦 めることにした 。 それしても 、 なぜ ﹁ Opal ﹂ でなく ﹁ Opaline ﹂ なのか 。 ﹁ そらを 行 くのは オパリン の 雲 ﹂ ︵ 詩 ﹁ 実験室小景 ﹂ ︶ という 賢治 の 用例 があるが 、 それにしたがえば 、 ﹁ Opaline ﹂ は オパール のような 乳白色 を 意味 する 形容 詞 となる 。 それとも 、 名詞 としての ﹁ 土壌 の 生成過程 で 形成 される ミクロ 単位 の オパール ﹂︵ 参照 、﹃ 新版 地学事典 ﹄ 地学団 体研究会編 、 平凡社 、 平 8 ・ 10︶ の ことか 、 この 解釈 をあてはめることも 現実的 でない 。 結局 、 賢治 が ﹁ Opaline ﹂ と 記述 した 意図 は 、 不明 とせ ざるを 得 ないのである 。 ﹁ Q. Porph ﹂ という 岩石名 がある 。 ﹁ Quartz Porphyry ﹂ の 略 で ﹁ 石英斑岩 ﹂ のことである 。 この ﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ で 最 も 特徴的 なのは 石英斑岩 だろう 。 サンプリング の 数 としては 変朽安山岩 のほうが 多 いが 、 半深成岩 の 石英斑岩 は 、 おそらく 他 の ﹁︹ 地質調査 ル ートマップ ︺﹂︵ 現存 せず ︶ にはあまり 記録 されてい ない 岩種 であるように 思 う 。 それ は ﹁ 岩手県稗貫郡主 要部地質及土性略図 ﹂ を 見 れば 知 ることができる 。 そ こで 、 ここでは 、 石英斑岩 の 形成時期 について 疑問 を なげかけ 、 新 たな 推定形成時期 を 提示 したいと 考 える 。 まずは 、 賢治 が 執筆 したとされる ﹁ 岩手県稗貫郡地 質及土性調査報告書 ﹂ の 第一章 ﹁ 地形及地質 ﹂ を 見 て おく 。 第一節 ﹁ 岩石及 び 地質系統 ﹂ 第二項 ﹁ 火成岩 ﹂ に 、 石英斑岩 に 関 し 、 次 のような 解説 がある 。 二 、 石英斑岩 ︵ 酸性準深造岩 ︶ 微細 ナル 斜長石 及石英 ヨリ 成 レル 灰白淡黄乃至淡青灰色 ノ 緻密 ナ ル 石基中 ニ 石英 ノ 斑晶 ヲ 散点 シ ︵ 時 ニ 之 ヲ 欠 ク ︶ 、 概 ネ 多少変化 シテ 外観 陶土状 ヲナス 、 本岩 ハ 花崗 岩及流紋岩卜同質 ノ 岩漿 ニ 由来 スルモノニシテ ? 前者 ニ 漸化 シ 又往 々 後者 ニ 酷似 ス 石英斑岩 ハ 本部 西部山地 ノ 中央及南方 ニ 於 テ 稍大 ナル 面積 ヲナシ テ 露出 シ 花崗岩卜同 シク 中生代 ニ 迸発 セルモノヽ 如 シ 。 解説中 の ﹁ 石英斑岩 ハ 本部西部山地 ノ 中央及南方 ニ 於 テ 稍大 ナル 面積 ヲナシテ 露出 シ ﹂ は 、﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ での 調査 そのものから 導 かれた 見解
であろう 。 賢治 はその 石英斑岩 の 形成 が ﹁ 花崗岩卜同 シク 中生代 ニ 迸発 セルモノヽ 如 シ ﹂ と 判断 している 点 に 注目 したい 。 この 地区 の 花崗岩 は ﹁ 本郡西部山地 ノ 北方 ニハ 肉赤色 ノ 長石及緑化 セル 雲母 ヲ 含 メル 美麗 ナ ル 花崗岩 ヲ 産 ス 、 之 レ 温泉 ノ 作用 ヲ 受 ケテ 変質 シタル モノニシテ 紫緑化 ノ 一例 ヲ 示 ス ﹂ と 解説 されており 、 賢治 は 深成岩 である 花崗岩 に 付随 して 石英斑岩 が 形成 されたと 推定 しているのである 。﹁ 岩手県稗貫郡主要 部地質及土性略図 ﹂ において 、 花崗岩地帯 の 縁 を 囲 む ように 石英斑岩地帯 が 描 かれていることにも 、 賢治 の 見解 を 読 み 取 ることができる 。 石英斑岩 の 形成 が ﹁ 花 崗岩卜同 シク 中生代 ニ 迸発 セルモノ ﹂ ならば 、 少 なく とも 中生代白亜紀 の 終 わる 六千五百万年以前 の 形成 と いうことになるだろう 。 ただ 、 今回 の 調査 では 、 石 英 斑岩 と 花崗岩 との 関係 を 確認 できる 直接的 な 証拠 を 見 出 すことができなかった 。 例 えば 、 花崗岩 に 接 して 石 英斑岩 の 存在 する 露頭 が 観察 できれば 、 おおよその 推 定 が 可能 になる 。 花崗岩 と 変朽安山岩 、 変朽安山岩 と 石英斑岩 の 関係 については 露頭 の 観察 からおおよその 結論 を 得 ることができた 。 花崗岩 は 変朽安山岩 よりも 古 いこと 、 石英斑岩 は 変朽安山岩 よりも 古 いことであ る 。 残 された 課題 は 石英斑岩 と 花崗岩 との 関係 である 。 考 えられることは 、 賢治 が 推定 するように 、 石英斑岩 と 花崗岩 とは 同 じ 中生代 に 形成 された 、 という 見方 。 もう 一 つは 、 石英斑岩 は 花崗岩 より 遅 れて 形成 された 、 という 見方 である 。 この 課題 を 解決 するために 、 放射 性元素 を 用 いた 絶対年代 の 測定 という 方法 がある 。 花 崗岩 の 形成期 が 中生代 ということは 地質学者 の 一致 し た 見方 で 、 おそらくそこは 問題 がない 。 奥羽山脈 に 露 出 する 花崗岩 で 絶対年代 が 測定 されている ケース では 、 すべてが 中生代 を 示 している 。 いまだ 正確 な 報告 のな されていないのが 石英斑岩 である 。 そこで 、 石英斑岩 の 絶対年代 を 測定 することにした 。 測定用 の 石英斑岩 を 選 ぶ 上 で 大 きな 障害 となったのが 、 岩石 の 変質 であ る 。 K -Sr法 を 用 いるため 、 岩石中 の 斜長石 の 鮮度 が 重要 となる 。 この 地域 の 岩石 は 新生代新第三紀中新世 の 激 しい 火山活動 により 、 グリーンタフ 変質 というも のを 受 けている 。 火成岩 も 同様 で 、 賢治 は 石英斑岩 に 関 し ﹁ 概 ネ 多少変化 シテ 外観陶土状 ヲナス ﹂ と 記述 し ている 。 絶対年代 の 測定 を 依頼 した 蒜山地質年代学研 究所 に 、 かなりの 数 の 石英斑岩 の 標本 を 送 ったが 、 そ のほとんどが 測定不能 という 判断 であった 。 賢治 が 採 取 した 場所 で 測定可能 な 石英斑岩 は 、 寒沢川 の 中流 に ある ポイント 20︵ 写真 90︶ 一 ヶ 所 のみであった 。 一 ヶ 所 では 心 もとないので 、 賢治 が 採取 した 場所 に 限定 せ ず 、 調査区域付近 で 斜長石 の 新 鮮 な 石英斑岩 を 探 すこ とにした 。 結果 として 、 出羽沢 に 入 ってほど 近 い 出羽 沢橋 の 手前 にある 石英斑岩 の 露頭 ︵ 写真 91︶ から 採取 した 標本 ︵ 写真 92︶ が 測定可能 ということが 分 かった 。
測定可能 な 石英斑岩 が 、 これで 二 ヶ 所 ということにな った 。 寒沢川系 と 出羽沢系 ということで 、 採取地 の バ ランス もよい 。 蒜山地質年代学研究所 から 送 られてきた 測定結果 は 、 ナンバー 20の 石英斑岩 が 一千二百八十七万年前 ︵ 誤差 ± 六十四万年 ︶、 出羽沢橋手前 の 石英斑岩 が 一千五百 九十万年前 ︵ 誤差 ± 百七十万年 ︶ ということであった 。 地質年代 でいえば 、 両標本 とも 新生 代新第三紀中新世 である 。 変質 を 受 けている 石英斑岩 と 変質 を 受 けていない 石 英斑岩 との 間 に 、 何 らか 本質的 な 違 いがあるのか 。 例 えば 、 形成期 の 大幅 な 違 いなどが 存在 するのか 。 厳密 に 考 えた 場合 、 課題 として 残 らざるを 得 ないように 思 う 。 ただ 、 蒜山地質年代学研究所 からの アドバイス と して 、 同一地域 に 存在 する 半深成岩 ということを 前提 とすると 、 変質 して 測定不能 の 石英斑岩 もほぼ 同時期 の 形成 と 推定 することは 、 それなりに 根拠 のあること だとはいえるだろう 、 ということであった 。 少 なくと も 、﹁︹ 地質調査 ルートマップ ︺﹂ 上 で 石英斑岩 と 判 断 され た 岩相 の 一部 は 、 賢治 の 推定 するような 、 中生 代 ︵ 白亜紀 ︶ に 花崗岩 とともに 形成 されたものでない ことだけは 証明 されたことになる 。 参考 のために 、 ポイント 20の 標本 と 出羽沢橋手前 で 採取 した 標本 の 薄片顕微鏡写真 を 提示 する ︵ 写真 93、 94︶ 。 * * * 石英斑岩 の 形成期以外 にも 、 さらに 詳 しく 調査 すべ き 課題 はあるが 、 地学 を 専門 としているわけでない 私 にとって 、 これ 以上 の 調査 は 必要 でないようにも 思 う 。 宮沢賢治 の 地質学者 としての 仕事 のおおよそを 再現 で きたことをもって 、 よしとしたい 。 ︵ 了 ︶
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