哲学的制作論(IV)
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(2) . 昭32和年8月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第8 巻 第1号. 哲. 学. 一--. 的. 制. 作. IV) 論 (. 食衣住における時間と空間 -- 野. 辺. 地. 東. 洋. 北海道学芸大学岩見沢分校哲学教室. ing 1 1 i く Toy。 N( )BFズ;Hr; Ph osophi caー Theory of Ma .(W) ion, --一 d Habi tat 1 hi ---一 Time and sPace in Food , C ot ng an. 本篇は (1) の第一節において概 観された問題について、 やや詳しく、 ことに時間 -空間論の観点から、 扱 われたものである。. あらたなる空間 人間の作る働きは、 自然として流れる時間のまにまに変化するものを切断して、 ‘ ‘. ”. あっ て. は じめ に 全 体 と して 存. , 、 を形成する 動き で あ る。 こ の あ らた な る空 間 は 作 ら れた 空 間 で あ の も で ができる 在す るところの根本空間からみるならば、 第二次的空間として規定されること じく全体のう る。 根本空間は全体であるから、 そのなかにはもちろん時間も含まれている。 また同 時間によって流され :間とともに流れている。 人間は ちに存す る人間は有限なる存在として、 この時 態を与 つつも、 その断つ働きによって流れる時間を切断し、 これを固定化し、 これに何らかの 形 ではない。 それは運 え、 第二次的空間にかたちづくるのである。 もちろんこの切断は絶対的な切断 向に流され の力は流れる方 、 鋭利な匁物 命時間 のもつ運命的な流れに流されているのである。 切断 しかしながら も鈍化するのであり、 切られ る時間はその表面の部 分でしか傷をう けないのである。 な わ れ、 そ こ に 停 が とも かく そ の 切 断 され た か ぎ り に おしゞて、 流 れ に 対 す る 何 ら か の せ き と め お こ. 静止 が 実 現 す 滞によるあたらしい形態が作られるのである。 相対的 ではあるが流動は否定され、 よる作品である ” 。 行為 る。 “作られた空間 はそのまま作られたものをあらわす。 すなわち制作に はす べて流れる時間を断つことであり、 そのいみにおいて行為はすべて制作である。 行為の結果は のにかかわりをもってい る。 すべて何らかのいみにおいて作られたものであり、 また作られたも 実が流れる 人間の制作はまず身体の維持のためにおこなわれる。 それは、 自然として存する木の の 木 の 実 は そ の ま ま の状 態 に 時 間 に おい て 流オtてい る こ と を 否 定 さ れ る こ と か ら、始 め られ る。自 然. 身体の維持の あっては、 成熟するものである。 連続的な運動の状態に あるのである。 人間はこれを しなければなら ために食物に作らなけれ ばならない。 つまり自然としての木の実であることを否定 ない。 ひとは木の ない。 そこで人間は実を木から切断するのである。 そこには断絶がなければなら を も っ て い く の は、 動 物 の す る こ 実 を なっ て い るま ま 食 べ は しな い。 な っ て い る 木 の 実 に 向 っ て 口. 動物は木の実を食物 とである。 動物はそれ自体自然であるから、 木の実とのあいだに断絶がない。 時 間 に お け る 実 で あ る こ とを に 作 らな い の で ある。 ひ とに よ る 断 絶 の 瞬 間、 木 の 実 は 自 然 の 流 れ る. の過程を加え やめて、 作られた食物となる のである。 場合によっては、 いな、 通常は、 さらに制作 - 1 -.
(3) . 野. 辺. 地 東. 洋. な けれ ば食 べ ら れ な い であ ろ う。 しか し木 か ら実 を も ぎ と る と い う こ と は 食 物 の 制 作 の 第 一 歩 で 、.. ある。 もちろん木の実は食物となってからも、 流れの時間の変化をやめはしない それが木にある 。 ときと変化のしかたは違ってはいるが、 やはり自然物と しての変化にゆだねられている つまりそ 。 れは植物的成長の過程からは離れたのであるが、 そのものは変質して腐敗するという変化の運命に あるのである。 これ運命時間のいたすところである。 しかしながら人間の制作の第一歩は それの 、 植物的変化を停止 して、 食物としての形態を与えるというところにあったのであって 食物の変質 、 や腐敗という変化を拒否してそれ以前にそれを食するということは 制作の第二歩である 人間は 、 。 これを食して、 身体維持の資とす るのである 。 飲 料 に 関 して も、 そ れ は 問 題 なく 食 の 領 域 に は い る こ と で あ る ひ と は 川 の 水 を 飲 も う と して 。 、 口 を川 の 流 れ に 浸 す こと は しな い こ れ を す る の は 牛 馬 の た ぐい で あ る ひ と は 掌 を も っ て あ る 。 。 、. いは何らかの器具をもって、 これに水を移し、 水を流れではないものに作る このようにして自然 。 の水 巴 人間 の 飲 みも の と さ れ る 。. さて食物 は時間の切断によ る空間化によって作られたものではあるが いまだ時間の要素を比較 、 的 多く 含 ん だも の で あ る。 そ れ は 形 態 の う え に お い て も 固 定 化 に 乏 しく し ば Lば そ の も の と して 、. 流動し、 また固形のものであっても、 ひとたび身体のなかにはいれば 流れるものとなる それは 、 。 流 れ る時 間 と と も に 変 化 し、 や が て 自 然と して の 身 体 を な して い く の であ る 。 2. 食物が自然としての身体のなかにはいり、 ついに身体の一部となってこれを内から維持するので あ る のに た い し、 こ れ を外 部 か ら 包 む こ と に よ っ て 維 持 し し か しな が ら そ れ 自身 は 身 体 と な る こ 、. となく、 ついにその固定化を保つものは衣服である。 ひとは自然のままの草や木の葉に身をゆだね て、 こ れ を 身 体 の 被 い と す る こ と は な い。 ひ と は 自 然 の ま ま の 動 物 の毛皮をもって身を包むことば ない。 ひとはそれらの自然性を否定し、 それらを自然から断ち切って衣服に作るのである 草や木 。 の実を切 りとって、 これを身体 にあてがい、 さらに草を編み多くの葉を蔓草で綴りあわせ ることに よって、 加工の程度を高める。 あるいは動物の自然から毛皮をはぎとり、 さ らに裁断し身体の形態 にあうように縫合する。 鉱物質のものについても同様である。 それは相当の加工を へなければ衣服 とはなりえない。 いずれにしても衣服は食物とちがって、 その空間的固定 性を豊富にもち 外部か 、 ら身体を被うことの ためにその形態は身体にかたどられている。 もっとも身体を維持する必要の程度に応 じて、 衣服の空間的固定性には多くの変化がある 暑い 。 地方にあっては、 体温の維持への配慮はそれほど必要でなく、 したがって身体を被う必要はあまり 感ぜられず、 む しろ日光の直射から皮膚を守るために、 白衣を身にまとうことを必要とする かか 。 る場合は通風への配慮の方が切実となり、 衣服は身体に密着することの少いよう に作られる すな 。 わち身体の形態に反することが望ましいようになる。 このような地方にあっては 衣服は布の小片 、 で足 り、 あるいは長い布を身体にゆったりと巻けばすむということになる 南方諸地域において用 。 い ら れる サ ロ ンや ル ー ソ ギ、 あ る い は イ ン ドの サリ ー な どは、 そ の 代 表 的 な も の で あ ろ う こ の よ 。. うな種類の衣服は裁断や縫合 に乏しく、 制作の過程の低いものであり、 形態も固定せず したがっ 、 て流れる性 質を多分にもったものである。 空間的ではあっても二次元的であり 身体に附着して い 、 るかぎり三次元的に立体性を保つにすぎないものである。 ひとたび身体を離れるとたちまちに平面 化し、 完全なる空間性を維持しえない。 また身体に附着して いるときでも 身体の形態のとおりに 、 密 着 して い な い か ら、 多く の 部分 は 流 れ る 性 質 を も ち、 風 の ま に ま に 流 動 して い る 。. これにたいして寒い地方における衣服は、 身体を維持する必要を多くにない、 そのためその形態.
(4) . 哲学的制作論 ( 1の は身体のそれにはなはだ近ずき、 通風を防ぐために身体に密着している。 したがってその空間的固 定性は大きく、 流動的な要素はほとん どない。 それはたとえ身体の密着から離れた場合、 すなわち 脱 がれ たと き でも、 三次 元 性 を 保 と う と して お り、 も は や 平 面 化 して 畳 む こ と の で き る よ う な も の. ではない。 われわれは西欧人の服装にこれをみることが できるであろう。 その上衣は襟といい、 袖 と い い、 胴 と いい、 す べ て 身 体 に 密 着 して いる。 も ち ろん 下 着 が も っ と も 密 着 する よ う に作 られ 、 外 部 のも の に なる ほ ど 幾 分 か の ゆ と り をも つ よ う に 作 られ て あ る こ と は 当 然 の こ と で ある 最 も 、 。. 外部に着るものにあっては、 外観を整えるために装飾的な部分をもつようになるが、 これは必ずし も身体の形態をもち身体に 密着するということを、 必要としない。 むしろ身体の形態に反し、 かく することによって単調を破り、 あるいは流動をもつことによって固定化}ご背き、 外観に変化を与え よ う と す る も の である。 背 広 服 の 襟 の 折 返 し、 ネク タイ、 ネ ッ カ チ ー フ の た ぐ い は こ れ で あ る 。. また下衣は腰や脚の形態にかた どられ、 ター ナッ プのごときわずかの装飾的部分を除いてすべては 身体に密着し、 あるいは密着に近い状態 にある。 上衣はその立体性を、 たとえ身体から離れたとき でも保つように作られ、 とくに立体性を維持し、 またときとして誇示するに必要な肩の部分の固定 性ははなはだしい。 このような上衣は脱がれたさい、 平面化されて畳まれることはむしろ困難であ る。 した が っ てひ とは こメむを ハ ン ガー に よ っ て そ の ま ま 吊 る して 保 存 す る こ と を つ ね と す る 下 衣 。. のうち外部に着るもの、 すなわち ズボンは、 腰部は身体に密着しているとはいえ、 脚部は現代のも のにあってはややゆとりがあり、 これの直線美を誇示するために、 これが脱がれた場合はまったく 平面化され、 そのうえ圧力を加えられて縦に押目を鋭くつけられることをつねとする。 したがって ズボンは上衣よりは立体性を失ったも のとなる。 これは円筒型の両脚を二本の線のごとく 見せよう とする 努力 の あ ら われ で あ る。 主 と して 女 子 の用 い る ス カ ー トは、 身 体 へ の 密 着 か ら は 遠 く 形 態 、. は身体的なものからまったく遠ざかり、 したがって身体維持の目的から距っている。 それは通風が よく、 保温には適当しない。 それは固定性よりも流動性を多くもち、 女性にふさわしいやわらかい 流動美をあらわすために作られたものとおもわれる。 ここでいわゆる和服について一言するならば、 これは寒暑両地帯の中間における服装と して作ら れている。 それはただ一片の布ではなく、 外くの小片がいくぶん身体の形態にあわせて縫合されて .いる。 し か しい わゆ る洋 服 に お け る ほ ど身 体 の 形 態 に 忠実でなく、 身体への密着の程度が低い。 そ. れはある程度温く、 ある程度涼しく身体を保っように配慮されたものである. 固定性の度が高く な いために、 流れる性質が大きく、 これを .固定化させるために固い帯や多くの紐を用いている。 袖は 通 風と 流 動 美 を 豊 か に す る た め に、 とく に 杖 を 設 け て い る。 ま た 洋 服 の ス カ ー トに 類 似 す る も の と. して袴が用いられることもある。 これは身体の形態に反するものであるが、 それでもこれは洋服に おけるスカートとは逆に、 裾の流れるのを 固定化するものとして、 比較的固定性を示す場合に用い られる。 それほどに和服というものは固定性に乏しいわけである。 袴にも普通、 行燈と馬乗りの二 種があり、 男子の用いる馬乗りは、 ズボンのように幾分高めの橋があり、 身体の形態に近づき、 そ れ だけ 固定 性 を 増 して い るこ と に な る。 こ の よ う な 袴 を用 い な い 姿 を ”着流 じ’ というが 和服の 、 固定性の少い流れる性質をいいあらわ したものである。 ひとはしばしば、 指先を使って襟や裾の着 くずれをなおしていを光景を、 目撃するであろう。 和服は流オむやすい衣服なのである このような 。 衣服は、 脱がれた場合、 その立体性を失ってまったく 平面化し、 完全に畳まれることができる性質 のも の で あ る。 3. 食物はそれ自身多くの流動する性質をもち、 また身体の内部に接飯されて、 流れる自然としての - 3 -.
(5) . 野. 辺. 地. 東. 洋. 身体そのものをかたちづくる。 したがって非常に時間的で ある。 衣服は身体に附着しているときは そ の ま ま で移 動 し、 附 着 して い な い と き、 つ ま り 脱 が れ て あ る と き で も 運 ば れ る こ と が で き る も の. である。 そのいみで、 いま だ流れる性質をまったくは失っていない。 これに反して住居は身体の外 部にと どまることは衣服と同様であるが、 完全に一つの地点に固定 し、 移動することのできないも のである。 そのいみからいって、 それは時間的な要素がなく、 まったく空間的なものといえるもの である。 もちろんそ の空間性は完全である。 つまり三次元性をもつものである。 それは 脱 が れ た り、 畳 ま れ た り、 運 ば れ た り す る こ と の で き な い も の で あ る。 身 体 をタ卜部 か ら 維 持 す るも の で は あ. るが、 身体に附着することなく、 身体がその内部において移動することが可能であるように、 そし て 身 体 がそ の 内部 に 必 要 に 応 じ て は い り、 そ こ か ら必 要 に 応 じ て 出 る よ う に 作 ら れ て ある。 も っ と. も畳まれる家や運ばれる家もないわけではないが、 それらは何らかの便宜からきた仮り の 姿 で あ り、 本来の住居といわるべきものではない。 天幕や組立家屋、 ないし車や船による移動 性 の 住 居 は、 住居本来のいみからは遠く、 いずれにしても仮りのも のである。 その生活は固定性をもたず、 ” 流 浪 性 のも の と して 流 れ て い る の で あ る。 ”家 を 畳 む と い う 言 い か た も あ る が、 これ も そ の あ と. にくるものは流浪生活であるというい みである。 かっ 周知のごとく狩猟・遊牧の生活を人類 がおこなっていた時代には、 固定した住居は存在しな た。 人類が一定の土地に鋤をうちこんだとき、 住居も固定したものが作られたのである。 自然の洞 窟の利用から、 傾斜面に水平の横穴を掘って作られた空洞を 住居とする横穴住居、 また地面に竪に 穴を穿ち、 被いをかぶせた竪穴住居、 次に地を掘らずに地表の上に四壁をめぐらし、 その上に被い をのせた平地住居な ど、 種々の段階をへて発展して いるが、 いずれも固定した空間として形成され たものである。 あるいは熱帯のある地方のごとく樹木 の上に居をかまえる場合もあるであろうし、 わが国のごとく大地から離れて柱の途中に床を張り、 その上に住む高床住居の様式もある。 これら は気温や湿気に対処し、 あるいは住居を侵害 せんとする動物にかまえる態度のあらわれである。 い ずれにしても固定的空間形成であって、 そこには少しの流 動性もみいだされない(追記1を参照)。 住居の空間形成はそれ が密閉されたときが完全 であることはいうまでもない。 しかしながらある 程度の空間限界の欠除は、 出入のさいに時に臨んで必要となるばかりでなく、 衣服の場合 と同じよ うに、 寒暑の程度に応じて必要となっている。 すなわち暑い地方の住居は開放的であり、 内外の限 界がときとして不明の箇所があり、 外部の自然の一部を住居のなかにとりこんだような 場 合 も あ る。 ヴェラソ ダあるいは縁側のあたりにおいては、 家屋は流れて外部 の自然に溶けこみ、 また庭園 は住居の内部に侵 入し、 両者の境界はあいまいとなる。 また窓は広くあげ放たれ、 降雨のおそれの ない土地では屋根 さえも欠除して建物の内部は大空に直接している。 このように内外の限界の不 明 ト部に塀 な住居において、 なお空間形成の意図を比較的に実現せんとする場合には、 庭園のさらにタ ごとく開放的な要素 をめぐらして、 それをもって住居的空間形 成の最前線とする。 わが国の住居の に富んだものにあっては、 塀の発達が著しくみられるわけである。 塀の内部の庭園は、 降雨をいと 部 わな い 家屋 の 一 部 分 と み ら れ る こ とも で き る の で あ る。 ま た こ の よ う な 家 屋 に あ っ て は、 そ の 内. においてもその空間を さらに細分することなく、 全体を一箇の空間としておく。 た だ必要に応じて 襖.障子のごときも のによって臨時の細房空間を形成する。 もちろんそれとてもはなはだ不完全な 宅にあって ものであって、 部分空間の独立化にはほとん ど役立たない。 わが国の平安時代の公家住 )、 その四囲はすべて蔀によって作られ、 これがまったくおろ されることによって空間形成は 完 は1 びその 全となり、 これがす べてかかげられることによって空間形成がまったく失 われて、 四隅およ 中間の柱を残すのみとなる。 また隼龍による簡単な細房空間をその内部にもつ場合のあるほかは、 が住宅 細 房をもたない。 かかる建築は歴 史的にみれば、 ア ジア大陸からわが国にはいった宮殿建築.
(6) . v 哲 学 的 制 作論 ( ) l 建築に移行したものであり、 日常は住居に用いられていても時に臨んで元来の儀礼的な催しや大き な集合にも用いられるという便宜にもよるものであるが、 根本的にはこのような建築様式を許して いる気候風土に原因があるのである。 これに反して寒い地方においては、 家屋内外の限界を厳重にし、 流れる部分を排除し、 四囲を厚 い壁をもってまったく固定化するのみならず、 床も天井も充分厚くして空気の流れをせきとめる。 なおそればかりでなく、 家屋の内部も細房に区切って、 そのおのおのを独立 の家屋であるかのごと き空間とする。 このような家屋全体はまったく外界から隔離されているから、 その空間形成は充分 であり、 もはやその周囲に塀をめぐらす必要 がない。 もしそのような 住宅に庭園が附属するとすれ ば、 それはまさしく附属のかたちであり、 決して家屋と融合したものではない。 それは家屋とは 関 係なく、 まったくそれとは独立に存するものである。 あるいはせいぜい家屋の外景を飾る装置にす ぎない。 一般に欧風の住宅建築はこの種のものである。 もっともその場合でもわが国では、 北海 道 のようなあたらしい土地以外のところでは、 伝統的な習慣から、 また近隣の和 風住宅との調和とい う点から、 やは り高い塀をめぐらすことをっねとする。 しかし本来のそれにあっては塀は用いられ ず、 敷地の境界を示す程度の棚 すないしはこれの発達したものが設けられるのが普通である。 住居は立体的に 固定したものであるから、 その内部は階層に分けることができる。 住居は土地に たいして 固定性を求めるものであるから、 地平線に沿うて横にその空間性 を拡大することができる と同時に、 地平にたいして垂直の方向にその空間性を延長することができる。 これは地表から上方 ま た は 下 方に ま す ま す そ の 長 さ を 増 す こ と で あ る。 そ の こ と に よ っ て 階 層 も 豊 富 に な る こ と が で. き、 必ずしも土地に直接しないでも住居を作りうるのであり、 細房 の発達とあいまっていわゆる集 団住宅というものも可能なわけである。 このような重層的な建築は高度の固定性を前提として成立 するものであるから、 内外の限界のあまりはっきりしない、 和 風建築では成立の可能性が少く、 洋 風 建 築 に お い て こ れ を み る こ と が で き る。. もっとも二十世紀にはいってからの洋風建築にあっては、 資材と技術の発達により、 固定性とと も に 豊富 な 開 放性 を とも な っ た も の が、 あ た ら し い 様 式 と して 現 れ て き て い る。 ワ ル タ ー ・ グ ロ ピ ) そ れ ら の も のに は・ ウ ス や ル ・ コ ル ビ ュ ジ ェ な どの 作 品 によ っ て 代 表 さ れ る も の が これ であ る2 。. かつて重量を支えなければならなかった壁が鉄骨組織とコンクリートの発達によ って不要となり、 したがって内外 の空間を区分するものがはなはだしく欠除することが可能となり、 空間は相互にい りくみ、 全体としての開放性はいちじるしく増大してきたのである。 また空間形成をおこなう必要 のあ る 点に つ い て は、 重 量 を支 え る こ と を 免 れ た ガラ ス が 豊 富 に 用 い ら れ る よ う に な っ て い るo こ. のガラスはそれ自身透明なものであり、 あるいは透明感を与えるものであるために、 視覚上の開放 感を助長するうえに大きな働きをするものである。 また高床式建築をおもわせるがごとき ピロティ の発達は地表を解放して、 建築の大地にたいする固定性をいち じるしく失わしめたような印象を与 えている。 これらの点は結果的には、 従来の和風建築の様式と原理的に一致してきたも のといえよ う。 しかしながらその開放性は日常の必要によって完全にまで許されることはできないのであるか ら、 従来の厚い不透明な壁にとってかわったガラスが、 どれだけ必要なる閉鎖性を満足させる こと ができるかは、 今後の問題である。 またガラスのもつ開放性はそれを透過することのできる光線に ついてのみいわれうるものであって、 人間の行動そのほかの点については、 いわれることができな い。 た と え 透 明な ガラ ス に よ っ て 四 囲 を 作 っ た に して も、 空 間 形 成 と い う こ と に関 しては、 そ れ は. 閉鎖的であって開放的とはいわれることができない。 視覚を基礎とする立場からのみ開放性 がいわ れ る の で あ る。 わ れ わ れ は ガラ スを 破 壊 す る こ と な しに は、 そ の空 間 に はい る こ とも、 ま た そ こ か )、 ら 出 る こと も で き な い で あ ろ う。 した がっ て しば しば い われ る が ご と き ガラ ス に よ る 開 放 性 は3 - 5 -.
(7) . 野. 辺. 地 東. 洋. 開かれた窓や扉のごとくに絶対的なものではなく、 単なる仮象にすぎない。 われわれの 見 地 か ら は、 ガラ ス によ る 空 間 形 成 を も 閉 鎖 性 と い う 同 一 の 原 理 を も っ て 扱 う こ と が で き る の で あ る 。 ー) このような建築様式については、 関野克氏著 ”日本住宅小史” 第13版、1954 参照 { 。 ‘S ace Time and Archi 2 ) これらの人の作品については S, Giedion の ‘ i tec ture p , le Growlh ofa nLW ,t 3 の論 述を参 照 i ionP I954 Trad t 。. 3) グロ ピウスがガラス壁の開放性を説いていることをもって、 この場合の一例 としよう。 The Jew Ar ture and the Bauhause 29 t ec chi . ,1937 ,p. 住居 の- 部における人間の姿勢ということば、 一つの重要な問題を構成する それは人間が自己 。. の身体をもって自己自身の空間を形成することであり、 しかも自 己を他のものとともに包容する空 間たる住居のうちにあって、 この住居にたいして人間がどのような空間を自己自身で形成するかと いう問題 である。 いいかえれば人間の自己空間形成の問題である。 人間はもともと身体をもってい る。 そ して そ れ は 独 得 の 形 態 を な Lて い る。 しか し身 体 は そ の も の と して は 自 然 で あ る 自 然 の 流 。 れ の 一 部 で ある。 決 して 作 ら れ た も の で は な い。 と こ ろ が 姿 勢 は作 ら れ た も の で あ る 自 然 な る 身 。 体 をも って 作 り だ さ れ た 形 態 で あ る。 ”ポ ー ズ” を と る と い う こ と は 人 間 のみ のな し う る こ と で あ っ て、 自然 と して の 動 物 に は で き な い こ と で あ る。 ポ ー ズ は 人 間 が 身 体 に よ っ て 作 り だ した と こ ろ. の空間である。 住居 に含まれてあるものは、 すべてこの人間の自己空間形成とかかわりをもっ たも の で あ る。しか も人 間 を 中 心 と して す べ て は そ の 位 置 ず け を も っ て い る。 人 間 の pose lung , Einstel i i S l l は 同 時 に 住居 内 の す べ て の も の を そ れ ぞ れ の pos t t i l l on t e en す る こ と な の , e e に poser ,ens で ある。 こ こ で ま ず わ れ わ れ は 住居 空 間 の な か に あ っ て、 ど の よ う な 基 本的 姿 勢 を と る か と い う こ. とを考えてみなければならない。 これは人間の位置決定の基本的なるものをかたちづくっているこ と が ら で あ る。. 一般に平地住居のなかにあっては、 人間は座するときに臨時に小さな高床のごときものを設け 、 そのうえに腰をおろす。 すなわち椅子に腰掛けるのである。 床に腰をつけることは身体を冷やすこ とになり健康上に有害であり、 採光のための窓は雨水の流入をおそれてあま り低くすることができ ないから、 したがって床にあまりに近く位置するわけにいかず、 また住居の外部の者 (通常直立し た姿勢である) に接する場合、 位置をはなはだ低くすることとなって不都合をきたすからである。 しかしながらもともと高床住居のうちにあっては、 もはやそのうえにさらに高床のごとき椅 子を用 いることは、 いま述 べた健康上そのほかの点にとって不必要なことであり、 外部の者に接する場合 に位置を高く保ちすぎる不都合をきたすので、 かかる住居においては腰を 床におとして座する姿 勢 がとられる。 すなわち座礼である。 わが国における屋 内の伝統的な習慣はこれである1 )。 それは平 地住居の側からみれば、 住居一面の拡がりをもった椅子のうえに腰をおと しているようなものであ る。 また平地居住者がたとえ横たわる場合にあっても、 小さな高床すなわち寝台を用いることによ って、 本来の床とのあいだに距離を保つのである。 平地居住者のこれらの姿 勢と位置はまた、 人間 が屋内の温度の比較的高い上層部により多く存在することによって、 寒い地方におけ る身体維持の 目 的 に適 当 した こ と と も な っ て い る。. 以上は住居内における人間の基本的な姿 勢についてであるが、 次に人間が関係するところの、 住 居内におかれてあるものについて考察 しなければならない。 人間は食 べるため、 着るため、 住むために、 食物や衣服 や住居を作るが、 これらの制作のために は制作用具がなければならない。 もっとも原始的な制作にあたっては、 道具は不必要であろう。 容 - 6 -.
(8) . 哲学的制作論 ( 1の 易に 手 のと どく と こ ろ に 実 の っ て い る 木 の 実 を と っ て 食 物に 作 る た め に は、 何 らの 道 具 も 必 要 と き. れない。 一枚の木の葉を身につけるためには、 道具を用いる必要はない。 洞窟に入りその入口をあ りあわせの石でふさくためには、 道具はいらない。 しかしながら手のとどかぬ高所になる木の実を 落とすための棒切れは最初の道具である。 自然の流れを切断するための匁物は、 植物を薙ぎ伏せる ことに始まり、 動物を屠って肉を刻み、 繊維を編んだ布や皮革を裁断し、 樹木を伐り倒し、 石を切 り砕くのに用いられる。 切断された流れはあらたな空間形成へと向けられる。 時間性の豊富な食物 は、 容器の助けによって固定化作用をうける。 衣服は糸によって固定化される。 建築を固定化する も の は 釘 や 鋲 であ り、 セメ ン トや コン ク リ ー トで あ る。 糸 を通 す 道 具 は針 で あ り、 釘 や 鋲 を う つ 道 具 は ハ ンマ ー で あ り、 セ メ ン トや コ ンク リ ー トは ミ キ サ ー に よ っ て作 ら れ る。 こ れ ら 制 作 の た め の. 道具はじつに多種多様であるが、 すべては自然の流動の切断とあらたなる空間形成への固定化のた め の も の で ある。. :間的契機のもっとも多く残存する これらの制作のうちで制作過程の低度のもの、 いいかえれ{灘崎 食物は制作が容易 であり、 もっとも高度のもの、 すなわち空間的固定化のもっとも発達した建築は 制作が困難であり、 衣服はそれらの中間に位置するといえる。 したがって制作上の専門化は食物か ら住居に向ってますます進み、 現代では、 食物は多くの住居内でその最後の制作過程がおこすわれ るのに反して、 もっとも簡易な建築ですら専門技術家の手に委ねられるという状態となっている。 ビフテキを焼くために最新式の電熱天火を購入する富豪といえども、 物置小屋を増築するためにみ ずから釘を買うことはしないであろう。 さらに食衣住の制作のために道具が必要であるばかりでなく、 作られたそれらのものを扱うため にも道具が用いられる。 すでに述べた容器は、 食物の制作のためのものであるとともに、 制作され たものを維持し、 身体にもたらすためにも用いられる。 鉢、 皿、 碗などである。 なお食物を身体の 入口に運ぶための道具も用いられる。 箸、 匙のた ぐいがこれである。 これらは食器とよ ば れ て い る。 また制作のための素材、 制作されたもの、 あるいは食器などを保存するためには立体的な箱が 用 い ら れ る。 これ は 人 間 に お け る 住居 の ご とく、 内 部 に 他 の も の を 包 接 し、 出 入 の た め の 開 閉 ロ を. もったところの空間である。 冷蔵庫や食器戸棚がこれである。 また衣服に関しても、 食物の場合の 戸棚のごとく、 それを包接する特定の空間が用いられる。 脱がれてただちに平面化し、 畳まれるも の は い わ ゆる 箪 笥 の た ぐ い のも の に しま わ れ る。 しか し洋 服 の 上 衣 の ごと く 平 面 化 し に く いも の に あっ て は、 ハ ン ガー に か け て 衣 服 の 立 体形 を 破 壊 す る こ と な く、 そ の ま ま 戸 棚 のな か に し ま わ れ. る。 いずれにしても衣服に関する道具は、 それを保存するためのものがその主体をな している。 衣 服は身体を外部から蔽うものであるが、 身体を蔽うておくとい5空間形成のために必要な道具、 つ まり紐やバ ンドのたぐいは、 すでに衣服の一部とみな されている。 それは本来の衣服といわれる部 分とともに身体に附着して移動すものだからである。 実際に蔽ぅにさいして用いられる道具として ある も の は、 靴 箆く ら い な も ので あ ろ う。 食 物 の 場 合 に は、 こ れ を 身 体 の 内 部 にし・れ る た め に、 せ. めても身体の入口にまで運ぶ道具は、 かなり発達している。 われわれは定食用のフオークの形と用 途が豊富であることに驚くであろう。 空間形成の不安定なものを、 しかも身体の内部にまでもたら すことは、 はなはだ骨のおれる仕事なのである。 これに反して身体の外部に空間的に固定した衣服 をつけることはきわめて簡単であって、 それには道具はほとん ど不必要なのである。 この容易さは 衣服の固定性に比例している. した がっ て 洋 服 の 方 が 和 服 よ り も 容 易 で あ る こと は 当 然 で あ る。. 食物の場合といわず衣服の場合といわず、 これらを包接し保存するための立体形のものは、 家具 とよばれている。 それらは家屋内の空間のどこかに固定してすでに家屋の内部空間を形成している 道具であるために、 ”家” の具と考えられてさしつかえないからである。 さて、 さらに家屋内の空.
(9) . 野. 辺 地. 東. 洋. 間形成のみを目的とした道具について考えよう。 それは食衣住の最後のものに直接関係したもので ある。 扉風や衝立のたぐいである。 家屋内の空間形成は壁によっておこなわれるのが普通であり、 これ によ り一 つ の 家屋 の な か に さ ら に 小 さ な 家 屋 と も い う べ き部 屋 が で き る の で あ る。 こ の 場 合、. 壁は完全に固定していることによって、 部屋の空間も固定したものである。 ところが扉風や衝立は 自由な移動 が可能なので、 随時に必要に応じて不完全ながら家屋内に、 しかも小さな家屋たる部屋 の う ち に、 さ ら に 小 さ な 部 屋 を 作 る こ と が で き る の で あ る。 な お ま た 住 の 道 具 と して 住 居 そ の も の. の部分のうちで考えられるものをあげてみよう。 壁という住居の部分は道具たりえない。 これは固 定 した も の だか ら で あ る。 ル ー ト ウイ ッ ヒ ・ノ ワ レな ど の 指 摘 す る ごと く 道 具 の特 性 と し て 交 換. ということがあげられるがの、 交換はそれが可能なためには移動というこ と を 必 然 ノ。 ところが固定して移動を許さない壁は道具としての特性を欠いたも 的に含まなければならない3. i ion Subst tut. のである。 しかるに移動する 壁なるものがある。 これを移動することによって、 家屋内の空間形成 ・建築の一部 に変化が生ずるのである。 それは扉風や衝立ほどには自由に移動しえない。 すでに住居 だ か ら で あ る。 そ して 移 動 の 方 式 も 軌 道 の ご と きも の に よ っ て 一 定 し、 制 限 さ れ て い る。 こ の “動. く壁” を片隅に移動す ることによって二つの小さな部屋が一つの大きな部屋となり、 またもとの方 向に移動することによって一つの大きな部屋が細分されるということになる。 引戸・襖・障子のた ぐいがこれである。 また家屋そ のものの空間形成のもつ本来の固定性に変化を与えるものは、 窓で あ り、 出 入ロ の扉 で あ る。 こ れ も 自 由 に 移 動 す る 性 質 の も の では な く、 そ の 運 動 は 一 定 してし・る。. これがまったく閉鎖されているときには、 家屋は完全に固定化し、 いくぶんでも開かれているとき には、 その程度に応じて建築は外部の空間とのあいだに、 交流をみることができるのである。 この ような建築の移動する部分は、 道具とも考えられることによって建具とよばれている。 ”建“ 築の 具だからである。 7頁。 1 ) 関野氏前掲書、 1 i 2) Ludwig Noird ne Bedeutmg 焔r di e Entwi ungsgesChi chte der Mens ch- ckl ,Das werkzeug und se i he 0 1 7 1 t 1 8 8 三枝博音氏訳 頁による . 。 , 、 道具と人類の発展、 上, 3) 建築を生活のための道具ととることもできる。 この場合の道具は移動することがない が、 かわりに人間 が移動することによってその他 ;格を引受けるのである。 移動不可能の巨大な 機械装置についても同様の ことがいわれうる。 いまの場合はそこまで考えるには及ばない。. 5. そもそも道具の手近なものは、 いずれも身体の直接的な延長として作られたものである。 それら はいわばとりはずしのできる身体である。 とりは ずしができるから、 それだけで移動させられるこ と が でき る し、 ま た 身 体 は 他 の 道 具 を も ち か え る こ と が で き る。 そ して そ の と り は ず し の き く ”身 体 部 分” は、 身 体 の 形 態 を そ の ま ま 模 写 して 作 ら れ て い る。 エ ル ソス ト ・ カッ プ やノ ワ レな ど の い )。 こ の よ い 例 を わ れ われ は 食 器 に お い て も i ekt on) が こ れ で あ る1 う ”器官 投 影“ (organ‐Proj と める こと が で き る。 皿 や 碗 は 掌 を 写 した も の で あ り、 箸 や フ オ ーク は 指 を 模 した も の で あ る。. これは衣の方面においては、 ハンガーが肩をかたどり、 上半身を代表している。 包接的な空間すな わち容器的なものにおいては、 もはや身体の投影はみられない。 ひろいいみで容器である住居にお いても同様である。 このように内部の空虚が用いられる物体にあっては、 身体の形態を写しだすわ けにはいかない。 むしろ身体部分を投 影した食器を包容する食器、 戸棚、 身体の形態をそのまま保 ちつつ包容 される上衣のための洋服箪笥、 あるいはまた身体そのものを包接する住居の 内 部 空 間 は、 その空虚な部分についていえば、 身体の形態とはむしろ逆の陰の身体型を形成する わ け で あ - 8 ー.
(10) . ▽ ) 哲学的制作論 ( 1 )を る。 ア リス トテ レスが トポ ス に つ い て 考 え た、 あ の 陽 の 形 態 と 陰の 形 態 と が 組 み あ う ”場 所“2 ここに 現 出 す る の で あ る。. さて、 人間自身が一定の固定した土地に住居をもって生活していることの結果として生ずる一つ の事情について、 考えなければならない。 それは交通ということである。 人間の生活地点の固定性 が交通を必要とする。 すなわち人間は生活地点から他の地点に臨時に移動する必要をもつ。 人間の 生活に固定した地点がなく、 さだめなき移動をしているのが人間の生活であるならば、 あらためて 交通ということはおこらない。 水草をおう流浪の民には交通はない。 船の動きとともに生活地点を かえる水上生活者には交通はない。 しかし一定の箇所に生活の本拠をかまえる人間にとっては、 か えって他の地点にいって用事をはたす必要が生じるのである。 これが交通である。ところで交通は、 陸上はある程度徒歩でもはたせるであろうが、 このための道具を用いることによって、 交通を容易 にすることが、 考えられる。 あたかも自己の住居がそのまま目的の箇所へと移 動するがごとき方式 をとることが、 もっとも容易なやりかたである。 これがいわゆる交通機関であり、 車綱、 船舶、 航 空機のた ぐいである。 それらは何らかの仕方で住居空間を似せて作られてある。 このよ′ うな、 住居がそのまま移動するかのごとき交通機関は、 空虚な容器にたいして陸上の移動 に便利なための車輪 をつけたもの、 容器ごと水面に浮かび、 これに推進用具をつけたもの、 あるい は容器に翼と推進装置をつけて空中の飛行に便利ならしめたものなど、 各種のものがある。 これら はいわば ”動く住居“ である。 これらは一定の箇所に居住する人間を運ぶものであるが、 他方また 作られたも のも運ばれることが必要とされる。 作られたものは自然物のごとくに流動するものでは なく、 むしろ流動を切断されたもの である。 固定した空間において作られたものである。 これらを それぞれ目的に従った箇所において用いるために、 人間はそれらを運ばなければならない。 そのた めには作られたものの容器、 すなわち戸棚に模した運搬機関が用意されなければならない。 人間が 運ばれる場合に、 “動く住居” があるがごとく、 ものが運ばれる場合に、 h動く戸初r がなければ ならない。 これが貨車その他の運搬機関である。 このように交通・運搬は食衣住にともなった現象 として、 注意されなければならない。 8頁以下参照。 1) ノ ワレの前掲訳書、9 ika 2) Aristoteles, Phys . ,2ー2a ,30 6. 救用財の制作は ”… のた めむご’(ト・ フ ウ ・ ヘ ネ カ)と い う 目 的 を 外 に も つ と こ ろの 制 作 で あ る。 これが作られたものの数用性であり機能であるが、 この機能を充分にもった妓用財が、 なおかつ美 しく ある よ う に制 作 す る こ と が、 工 芸 品 の 制 作 で あ る。 か く して 作 ら れ た も の は、 役 に 立 つ こ と に お い て 欠 く る と こ ろ が な い と 同 時 に、 そ の も の の 形 成 す る 空 間 性 は 美 しく あ ろ う と す る の で あ る。. いいかえれば作られたものの機能上の形態がそのまま美的形態 でなければならないようなものが、 工芸品である。 もっとも造形美は人によって作られた効用財のすべてにその実現を欲する。 われわれは食衣住の それぞれについて、 これをみていかなければならない。 しかしなおそれ以前に、 人間そのものがも っているところの形態における美的制作に触れる必要がある。 それは身体におけるものである。 身 )。 それは決して作られたものではない。 体は生まれたものとしての人間の構成契機をなしている1 したがってたとえこれに美的な工作がおこなわれたにしても、 それは数用財における制作とまった く 同 じも の と み な す わけ に は い か な い。 そ れ は い か に 美 しく 仕 上 げ られ たむ こして も、 工 芸 品 と い う. わけにはいかない。 工芸品は根本において制作されたものでなけ ればならないからである。 とわい - 9 -.
(11) . 野. 辺. 地. 東. 洋. えこの身体を土台として、 これに工芸における美の実現と似たものを、 われわれはみることができ る。 身体は与えられている。 これにたいする美的工作はひたすら美の実現だけが意図されるにすぎ ない。 まずもっとも眼につきやすい身体部分にたいする美的工作が考えられる。 すなわち容貌を美 しく す る こ とで あ る。 ふ つ う 美 顔 術 と い わ れ る も の で あ る。 こ れ に よ っ て 生 ま れ な が らの 醜 女 も あ. る程度 の修正がほどこされ、 それがおこなわれる以前よりも美しいものとなる。 それはいわゆる顔 料を用いる ことによる修正のみならず、 外科的整形による修正の方法もありうる。 次は身体全体の 容 姿 を美 しく す る こ と が 工 夫 さ れ る。 い わ ゆ る美 容 体 操 の ご と き に よ る も の で あ る。 の み な ら ず こ. れにも外科的方法があり、 たとえば腹部や脚部の皮下脂肪を手 徹によ っ て 除 く と い う こ と が お こ な われる。 しかしながら身体にあっても美の実現のために身体の機能に欠けるところが生じてはなら ないのである。 小さな足を美として誇るために歩く機能 がそこなわれるようなことがあってはなら ない。 もっとも纏足を意図したことは、 歩く機能を不要とした結果と一致するものであったのでは あろジが。 (追記2を参照) さて、 われわれはいよいよ本来の工芸の領域にはいらなければならない。 工芸的制作は食 て住の うちの最初のもの、 すなわち食物においてあらわれ る。 それは調理とよばれるものであるが、 それ によって作られた食物は、 前にも述べたように、 時間性の濃厚なものであり、 いまだ固定化に乏し く、 造形性はきわめて不充分である。 したがって、 食物の美しさはその形態によって鑑賞されるよ りも、 むしろこれが流れる状態において賞美されることとなる。 すなわちその美しさを亨受する 感 覚器管は、 視覚ではなく して味覚である。 食物の美 しさは美味としてあらわされる。 このように食 物における美しさは充分に造形美となることができず、 またそもそも造形 生の 乏 しい も の に お い て 工芸美を求めることは不可能に近い。 しかもその美味といえども、 食物が身体の内部に接版 された だちに身体の一部になることによって、 それがあまりに身体なる自然に近接 しているこ と の た め に、 単に感覚器管の要求を満足せしめるにすぎず、 したがって高度の美しさとして高く評価される こと が で き な い。. 次にわれわれが求めるところの工芸美は、 衣服において現象する。 衣服における造形性はよく工 芸美をなすのに充分である。 それは紡績、 機織、 染色、 デザイ ンな ど、 各種の面に 及ぶものである が、 とくにこの場合の必要から形態に関する点について述 べなければならない。 衣服の形態は前に 述 べておいたように、 身体のそれを基調としたものである。 身体は固定した形態を保っているため に、 衣服の形態も一応固定している。 しかしながら他面において身体はまた移動するものである。 移動せず土地に固着した身体というものはありえない。 そこで身体の移動ということに応じてまた 衣服には、 流動性というものがなければならない。 それはつまり身体が移動するさいに、 それに伴 って起るところの衣服の流動現象である。 これが前に触れ たところの衣服の流動美である。 すなわ ち狭や裾さばきにとくに著しくみられる、 和服の流れる形態、 あるいはまた洋服におけるスカ←ト の現象である。 衣服そのものの形態は固定しているとはいえ、 身体の移動するのに伴って起る衣服 の流動現象の存する方 が、衣服をより美しいものとするのである。 一般に移動をつねとするものは、 たとえ固定した形態をもったものであっても、 その形態は流動をあらわした形態であることが、 よ り美しいのである。 いわゆる流線型という形態は、 この原理から生まれたものと考えられる。 これ と同 じいみからいつて、 流動に忠実な形態をそなえた和服が、 世の多くの種類のなかにあって、 そ の美 し さ に お いて 高 い 地 位 を えて い る こ と は、 自 然 の な り ゆ き で あ る。 しか も 和 服 が、 暑 い 地 帯 の. 服装と寒 い地帯 のそれとの中間をゆくものとして、 適度の固定性と適度の流動性とを機能的にも保 ち、 この両者を巧みに調和せしめたものとして、 機能美としての工芸美がよく あらわされたものと いう べきである。 洋服における男装は、 かりに身体が移動しないものとみた限りにおいて美をあら - IQ -.
(12) . 哲学的制作論 ( 1の わすように形づくられたものとして考えられる。 それには流動性がほとんど欠乏し、 完全に近く固 定 したも の と して の 美 し さ が工 夫 され て い る。 した が っ て 何 ら か の 儀式 に お け る ご と く 身 体 を 硬 、. 直させて動かさなくてもすむような場合において、 また確固不動の精神を示さなければならないよ うな場合において、 それにふさわしく固定美をあらわすように形 づく られ、 その美は流動美 の優美 にたいして、 むしろ壮厳美といっていいものである。 一般に流れやすい和服においても、 かかる美 が要求される場合、 あるいはかかる階級に属するひとびとにあっては、 かつて峠や袴によって和服 の実質的な、 また形態的な固定化作用がおこなわれたのである。 住居ない し建築一般にあってはもはや事情が異なる。 それはそれ自身固定したものであるのみな ら ず、 土 地に た い して 固 定 性 を も っ た も の で あ る. それの形態は完全に 固定性をあらわしたも のと なる。 この場合は 固定的形態こそが美しいのである。 流線型は住居の移動形式である交通機関にあ ってこそ美 しいものであるが、 建築においては決して美しいものではありえない。 和風建築は壁に よ っ て支 え られ る こ と 少 く、開 放 性 に 富 み、高 い 床によ っ て 掲 げ ら れ て い る こ と に よ っ て、 高 度 の 軽. 快性を有しているが、 それにもかかわらず基本的にはやはり比較的大きな屋根の圧力によって示さ 1 れ る 固定性 を 保っ て い る。 コ ル ビユ ジェ の 五つ の 原 則、 す な わち ( l i ) Les pi 2 ot s 柱、 ( ) Les toi ibre 自 由 な 平 面 、 ( 3 4 s‐ iardins 屋上庭園、( ) La fenetre en longueur 水 平 窓、 )Le plan l 2 ) 5 L l i ( f d b ) a a r e 自由な正面 ae に代表される現代洋風建築も、 その開放性と軽快な点で和風 g 建築と同様であるが、 もしそれが基本的な固定性を忘れていたず らに動的な方向に走るならば、 い )。 ところで形態の固定性をあらわす重要な要素は直線であ われなきわざといわなければならない3 る。 こと に 土 地 に た い す る 固定 性 は 地 平 線 と 並 行す る 直 線 に よ っ て 強 く あ ら わ さ れ る。 フラ ンク ・. ロイ ド・ライトの作品が示すがごとくである。 ただ直線による単調を破る必要のある場合にのみ曲 線が用いられる。 しかもそれは地平線に並行する部分においてではなく、r これに垂直の方向におい て で ある。 つ ま りア ー チ と かノ脊底 型 の 戸 口 や 窓 に つ い て で あ る。 も っ と も ゴロ シ ウ ム や 塔 の ご と. く、 平面図が曲線をもってあらわされるようなものは、 固定性を失うようなことはない。 ただしそ の場合でも、 暁観 した場合を予想 して、 曲線は円のごとく完結したものであることが、 建物のもつ 固定観を破壊しないのである。 このように完全なる固定性を要求する建築でも、 上方の虚無の空間にたいしては流動の暗示が許 されている。 この暗示は土地への固定化を少しも妨げるものでもなく、 左右への動揺をいみするも のでもないからである。 この場合の流動は建物の上部、 すなわち主として屋根においてあらわされ て い る。 ビザ ンティ ン・ ドー ム や 流 れ 造 の ごと き反 り の あ る屋 根、 あ る い は 唐 破 風 な ど に み られ る. 曲線などがこれである。 これらの曲線はもともと固い感じをもっている建築にたいして、 それを柔 げ、 優美 感 をも た しめ て い る も の で あ る。 た と え 曲 線 を用 い な く て も、 ゴ シッ ク 寺 院 の 尖 塔 の よ う. に天を突くような感じのするものは、 無 限に夫 界へ延ぴんとする直線的流動化暗示した も の で あ る。 固定性も上方に向って破られることは、 建物の特 性にとって何ら妨げとならない。 それは垂直 の方向の問題であって、 左右への動揺を示すものではなく、 またたとえ上方に延びるものであって も、 それは土地から離れることをいみせず、 むしろ建物空間をより大きく見せる効果となるからで あ る。. さて、 次に食器・家具・建具などの ごとき屋内用具および交通運搬機関における工芸について考 察 しな けれ ばな らな いが、 そ のた め に は 稿 を 改 め る こ と と す る。 1 ) このことについては他の機会に詳論したのでいまは省略する。 ier e t 128 2 e de l910一1929 ) Le Corbus , oeuvrecompl . ,p 3) ギーデイ オソは前掲書で次のようひ こし・っている。”ゴシック時代の釣合関係は形式的に閉ざさ れ た ヴオ ー 11 -.
(13) . 野. 辺. 地. 東. 洋. リュームの関係であった。 今日では、 われわれは、 填充されたものと空なる ものによってつくり出され たもっと動的な空間概念の方へと動きつつある。”(太田実氏訳書、 且.568頁). l 〔追記 1 二 現代における住居の固定性は農耕生活にその根源をもっている。 一定の土地を耕しはじめること によって人類は狩猟採拾の移動的な生活様式を脱して固定した住居をもつようになった。 興味 の あ る こ とには、 動詞 bauen が den Acker ba uen (田畑を耕す) と eine・ W ohnung bauen (住居 を 建 てる) と の 両 義 を も っ て い る。 こ れ は 一 定 の 土 地 を 耕 作 す る こ と と、 住居 を 制 作 す る こ と と が 根源 に お い て 一 つ で あ る こ と を 示 して い る も の で あ ろ う。 そ して そ の 住居 は と り も な お さず 固定 し たも の で ある こ と を い み 、す る も の で あ ろ う。 bauen はもと中高 ドイツ語で buwen, 古 高 ドイ ツ 語 で buan と い い、 後者にはゴート語 bauan が相当する。 語根は前ゲルマン語の bhu で あ り、 そ ” れの原義は ”存 在 す る、 生 成 す る、 成 立 す る、 生 産 す る と い う と こ ろ に ある。 こ の 語根 に は 古イ i i (現 存)、 ギリ シ ャ 語 の phyma (作物、 植 物) s (自 然) ン ド語の bhumi(土 地)、 bhut 、 phys 8 S 1 1 5 ~ t r sch, p, erb な どが 関 連 す る の で あ る (K1uge .deut .d , 9 ,)。 , Ethym. Wご. 将来の人類がこの住居の固定性を打 破するにたる生活上の変化をもつにいたるかどうかはわから ない。 制作的空間の一つの中心が農場から工場へと完全に移り、 その工場が移動性を求めるように なれば、 住居の移動性が恢復されるかもしれない。 すべての建築様式が移動性の原理のうえに成立 するにいたるかもしれない。 しかし移動的工場様式の一つとしてこれま で存した水産加工船ですら 住居 性 は も っ て い な い。 トラ ンス フ ァ ー ・ マ シ ー ン の 発 達 に よ り、 制 作 と 運 搬 と を 一 体 化 した よ う. な制作様式は今後ますます現れるであろう。 しかしこのことは、 いまだ住居の固 定性をおびやかす 根拠となすにはたりない。 現在においてはまだ将来における住居の移動性を見透すべき原 理はみい だされていないようである。 かかる原理が確立されていなければ、 将来の建築における流動性を唱 える こ と も、 空 想 と ま で は い わ れ な い に して も、 少 く と も 学 問 的 な 説 明 と は な らな い。 伝 え ら れ る リ シツ キ ー の ”大地へのつながりを克服することがさらに進んで引力そのものを克服するにたり、 ‐ e Revolu 浮僻する物体、 物 理 的 に 動 的 な 建 築 に 到 達 す る” と い うす ば ら しい 理 念 も(Sedlmayr ,Di 8 0 i d 1 5 ド K 9 5 一 よ る 引 に よ る レ d 間 接 用) レオ ニ ー ton er mo emen uns t 頁に フ , 石 川 公 氏 訳、 、 ,. ーニン研究所の、 球状で空中に高くそびえる講堂の設計も (同上、 83頁参照) 、 現実性からは、はな はだ遠いものといわな ければならないであろう。 〔追記 2〕 われわれは古代ギリシャにあって、 容貌や身体の美しさがいかに理想とされたかを知ることにお い て、 こ と 欠 か な い。 トロ ヤ戦 争 の 発 端 と な っ た 物 語 に つ い て。 ま た オ ル ケス テイ ケ ー と 称 す る 舞 踊 術 に つ い て。 あ る い は ま た 若 く して 美 しき 詩 人 ソフ オ ク レス が 分れ=品 の ま え で 詩 を 吟 じ つ つ 踊 る. ために身体をあらわしたことについて。 美 しき肉体はじつに神的なものとみなされ、 また神々は美 しき肉体の持ち主でもあった のである。 シケリアのある都市ではとりわけ美 しい若者がその美しさ のために崇められて、 その死後多くの祭壇がこの青年のために築かれたということである。 テーヌ こみたのであるが、 それの基礎観念を身体美にた はギリシャにおける美 の表現をとりわけその彫刻を いする崇 拝とい う 点 に も と め た ほ ど で あ る (Hipo 82頁以下参照)。. ine losophi te Ta t ede rar . 広 瀬 樹 士 訳、 , Phi. - 12 一.
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