IJPCプロジェクトを再考する (特集 世界の資源外
交 -- 日本の戦後史と資源外交)
著者
鈴木 均
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
211
ページ
32-35
発行年
2013-04
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003729
●はじめに
一九七八年の夏を過ぎるころか ら日本ではイラン情勢に関する報 道が急増し、やがて年が明けた二 月には国王モハンマドレザー・パ フラヴィーが国外に出てアーヤ トッラー・ルーホッラー・ホメイ ニーがパリから帰国、イラン革命 が﹁成就﹂した。 イラン革命の当時、日本にとっ てイランは中東地域における企業 進出の最前線であり、一九七〇年 代に入ってから在留日本人の数も 急増していた。変化の指標として テヘラン日本人学校の生徒数をみ ると 、一九六八年には一九名で あったのが一九七三年には九八 名、革命直前の一九七八年には二 七四名となっている。ちなみに革 命後の一九七九年には九名と激減 し、イラン・イラク戦争中の一九 八五年には六名まで落ち込んでい る。現在は核開発疑惑に発する欧 米の制裁と戦争の危機が続くな か、生徒数が再び一桁まで減少す るような状況である。 イラン革命の前後における具体 的な経緯を我々が決して忘れえぬ 歴史的事実として記憶しているこ と自体、その背景のひとつにIJ P C︵ Iran-Japan P etrochemi-cal Co. Ltd ︶プロジェクトとい う戦後日本にとって未曾有の海外 投資計画があったことは、現在の 視点から考えれば当然のことであ る。 だがその当時大学に入学した私 などの世代にとってはこのような 遠いテヘランの日本人社会の急激 な拡大が視野に入るはずもなく 、 ただメディアの報道によって伝え られるイランの情勢変化にいちい ち驚き、その過程で伝えられた政 治・社会的風土の﹁新しさ﹂に魅 せられるようにしてイラン研究に 足を踏み入れたというのが実際の ところであった。 それだけに我々がいざ自らの研 究の足取りを振り返ろうとすると き、一九七〇年代以降のイランの 歴史的な転機における日イ関係の 象徴的存在であったIJPCの歴 史的経験と、それが今日でも孕ん でいる問題を何らかの形で考察す ることは不可欠であり、また必要 でもあることは改めていうまでも ない。 現在の日本とイランの関係を考 える際に、この三四年も以前の未 完に終わったプラント建設プロ ジェクトが影を落としているとい う事は、いささか奇異に映るかも しれない。だがIJPCについて の基本的な事実を少しでも確認 し、その日イ関係に与えた影響の 広さと深さに想像を及ぼしてみれ ば、このプロジェクトが結果的に 背負っている我々にとっての意味 の重さを了解することが可能にな るだろう。●
日本とイランにとっての
I
JPC
IJPCは元々ペルシャ湾岸の Bandar-e Shāhpūr ︵ 現 Bandar-e Emām Khomeinī ︶に 大規模な石油化学コンプレックス を建設することを目的とした、日 本側︵三井物産グループ︶とイラ ン側 ︵国営石油会社と傘下の企業︶ の共同出資事業である。 一九七一年一〇月に基本合意が 締結され 、一九七三年のオイル ショックを経た一九七六年秋から 本格的なプラント建設工事が始 まった。ところが一九七九年二月 のイラン革命成就により工事は中 断。その後革命政権の強い希望を 受けて日本側はナショナルプロ ジェクト化するも、一九八〇年九 月に勃発したイラン・イラク戦争 で石油化学プラントはイラク側か らの標的のひとつにされ、一九八 八年八月の休戦協定までに施設は 甚大な被害を受けた。 このような事態を受けて日本 ・ イランの双方はIJPCの今後のIJPC
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日本の戦後史と資源外交
取り扱いをめぐる交渉を戦時中か ら開始、結局一九八九年一〇月に なって日本側が出資金七二二億円 とローン一二五〇億円を放棄する ほか、清算金として一三〇〇億円 をイラン側に支払う条件で合弁事 業解消の合意が成立し、日本側投 資会社のICDCは一九九一年一 二月二〇日に清算結了した。 以上の経緯を一瞥するだけでも この事業がもっていた規模の大き さとそれが現在の両国関係にまで 及ぼしている影響の深さを想像す ることは容易である。だがIJP Cの経験を我々が全体としてどの ように受け止め、イランをはじめ 日本との経済関係がますます進化 しつつある各国との関係に生かし ていけるのか、基本的な部分にお いてすら合意が形成されてはいな いように思われる。私自身は数年 前に池内氏から今回のプロジェク トへのお誘いを受けたとき、一〇 余年前にアジ研で手がけた﹁イラ ン革命の再検討﹂ ︵一九九六年度︶ および﹁日本人の経験したイラン 革命﹂ ︵一九九七年度︶の研究会 でのいささか未消化に終わった経 験と、それにも拘らず同様のテー マで改めてIJPCを中心に調査 研究を進めることの意義を改めて 考えさせられた。 だが恐らく私自身が池内氏のプ ロジェクトに参加することを積極 的に引き受けたひとつの理由は 、 日本および関係国の ﹁資源外交﹂ の歴史的比較考察というプロジェ クトのより大きな問題意識に魅力 を感じ、IJPCの問題をそのな かに位置づけることに研究上の新 たな可能性を見出したからに他な らない。 こうして未整理のままになって いたインタビュー資料の整理から はじめ、関係する方々への新たな インタビューなどを行ってきた 。 これに加えて今回新たに試みてい るのがIJPC関係資料に関する イラン側へのアプローチである 。 IJPCプロジェクト自体は周知 のように一九七九年の革命以前に 時のパフラヴィー国王の意向を受 けて推進されていたものである が、革命後もイランの国益に合致 するものと判断され、革命政権か らプロジェクトの完成を強く求め られた。 これが上述のように多額の清算 金を支払ったとはいえ日本側の手 による完成をみなかったことにつ いて、イラン側はどう受け止めて いるのであろうか。だがこうした 危惧は、少なくとも現在のところ 杞憂に過ぎないようである。我々 がイラン国内で多少ともアプロー チできているのは外務省系の関係 者等であるが、現在までのところ イラン側としてはむしろIJPC の問題が今後将来にわたって日イ 関係を阻害することのないように との配慮すら感じられる。 こうしたことを前提に、我々と しては今後とも日イ双方の資料に 基づく事実関係の整理・分析を中 心とした調査研究を比較的長期に わたって進めていく積りである 。 だがその際に恐らく問題になって くるのが、時間の経過にともなう 直接の証言者の減少と、特にイラ ン側についてはこの間に革命と戦 争を経験していることによる証言 者の追跡の困難さであろう。 その意味では別稿でケイワン ・ アブドリ氏が翻訳・紹介している バーゲル・モストウフィー氏のイ ンタビュー資料は貴重な突破口で あり、今後の研究の可能性を大き く開く可能性をもっているものと 考えられる。
●
IJPC
の経験をどう引き
継ぐか
一般的にいって、現時点におい てIJPCプロジェクトの問題を 調査研究することの現在的な意味 はどこにあるのだろうか。筆者と しては①企業および政府のリスク 管理、③国家の資源外交、②日本 の対中東関係の在り方の三点に収 斂するものと考えている。 まず第一のリスク管理について であるが 、先般のアルジェリア ・ イナメナスにおける日揮の石化プ ラント建設プロジェクトでの悲劇 的な邦人殺害事件を目の当たりに して、我々はIJPCの経験が果 たしてその後の日本の企業進出に 際してのリスク管理上の教訓とし て十分に共有され生かされている のかどうか、改めて自問する必要 に迫られている。 もちろん今回のアルジェリアの ケースとIJPCとでは背景や条 件など様々な点で異なっており 、 単純な比較はできないであろう 。 だがこうした負の経験のなかから 共通の問題点を探り、やがて普遍 的なリスク管理上の教訓を蓄積し ていくことは当事者となった企業 やこれから海外進出を考える企業 にとって必要不可欠の作業である と考えられる。 こうしたリスク管理についての 問題意識は、当該の企業や政府のIJPCプロジェクトを再考する
、それが 隔 が生 その部分を誰が ︵あ ﹁ 国家の資源外交﹂ の視点であるが、この問題につい ての研究的な考察は恐らく当該プ ロジェクトの当事者などから提供 された資料の分析というよりも 、 そこから更に一段跳躍した思考力 こそが求められるのではないか。 その意味ではIJPCの当時に ジャーナリストの視点から関係者 に取材した美里泰伸﹃ドキュメン ト ・ イラン石油化学プロジェクト 三井物産の苦悩﹄ ︵日本経済新聞 社、一九八一年︶の一節は象徴的 である。この本は現在でも関係者 への徹底取材による資料的な価値 を減じていないが、こと﹁資源外 交﹂という事に関係して﹁ICD C︵イラン化学開発︶設立の翌七 二年二月の 、石油部の多湖 、﹃ イ ラン石油化学開発室﹄の冨尾およ び佐藤の三人に対する、若杉から の社長表彰状﹂の文面として以下 のように引用しているのである。 ﹁この契約 ︵ロレスタン地区 の石油開発利権のこと、引用者 注︶は将来、当社の原油取り扱 いの発展に大きく寄与するもの と思われます。⋮⋮以上二つの プロジェクト︵ロレスタンおよ び IJPCプロジェクトのこ と、引用者注︶は、同国資源の 有効利用に資するとともに、同 国における当社の名声を高揚 し、かつ商内︵ママ︶拡大に貢 献するものであり 、⋮ ⋮ ﹂︵同 書一〇二ページ︶ 。 ここから明確に伺われるかに読 める三井物産の企業としての﹁資 源外交﹂への貢献の意識は、しか し関係者の視点からすればIJP Cプロジェクトが国家的な﹁資源 外交﹂の一環として進められたと するための根拠としてはあまりに 薄弱であるという。要するにこの ような文献証拠的なアプローチで は解明することのできない﹁全体 状況﹂についての歴史的・巨視的 なアプローチこそが求められるの である。 最後に第三の日本の対中東関係 については、以下のような幾つか の側面が考えられるだろう。①I JPCの調査研究を通じて一九七 〇年代に転記を迎えた日本の対中 東関係の在り方について具体的な 再検討をする、②IJPCの調査 研究の過程そのものを、中東︵こ の場合はイラン︶との関係の再構 築に繋げていく。このうち前者に ついては前述の第一および第二の 点と重なる部分も多いが、それに 加えて幾つかの点、すなわち合弁 プロジェクトとしては未完に終 わったとはいえ、その間に進行し たソフト面でのイラン側との人間 的な関係の構築過程を再検討する こと、とりわけ技術移転や人材育 成の検証とそれをIJPCの遺産 として将来的に継承していくため の積極的な取り組みが求められよ う。だが後者の方に関してはこの プロジェクトでも前述のようにそ の端緒についたところであり、ま さに本格的な取り組みはこれから という段階であろう。 ことIJPCプロジェクトの調 査に関する我々の先行例として は、梅野巨利の﹁イランジャパン 石油化学事業案件誕生前の前提状 況│﹃一九六八年訪イラン経済使 節団﹄を中心に﹂を始めとする一 連の論考のなかで同氏がイラン側 関係者に対しても一定のアプロー チを行ったことを示唆している。 だがそれはあくまでも﹁情報を 取る﹂という側面からのアプロー チに留まっているようであり、さ らに進んで関係資料の発掘と共 有、さらに調査活動そのものを通 じての日イ双方での共通認識の形 成といった方向までは必ずしも意 識されていなかったように思われ
る。 IJPCプロジェクトはそれ自 体としてはイラン側の革命と戦争 による未完成のままの撤退という 極めて不幸な結果に終わったこと も事実である。だがそれは日本と イランというエネルギーの需給に よって分かちがたく関係する両国 に、ある種の特別な歴史的共通体 験を強いることにもなったという 事は否定できないであろう。 これまで日本側は、この間の経 緯を負の遺産としてのみ捉え、イ ラン側との新たな関係の構築につ いてややもすれば消極的な姿勢を 貫いてきた側面があるのではない か。これを少なくとも長期的には 将来プラスに転じるために、たと え細々とではあれIJPCの資料 の発掘・検証などの活動を通じて 信頼関係の貴重な芽を残しておく ことは不可欠であろう。