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創造都市の公共政策

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創造都市の公共政策

−2000年のボローニャ−

佐々木 雅 幸

はじめに―「創造都市」研究の背景と系譜 Ⅰ.「創造都市」ボローニャのフレキシブルな生産と社会システム Ⅱ.ボローニャの文化政策と文化協同組合 Ⅲ.ボローニャの福祉行政と社会的協同組合 Ⅳ.分権化と広域的環境管理―ボローニャの創造的行財政システム

はじめに―「創造都市」研究の背景と系譜

2つの世紀が交差し、21世紀の幕開けをむかえた今日、本来なら人類社会にとって輝かしい 将来のイメージが我々に前に判然と浮かび上がってくると予期されたにもかかわらず、明確な ビジョンが見えてこないばかりか、逆に世界はますます混沌と化しているように見える。 日本社会は10年越しの未曾有の経済危機からの出口を見出せず、大企業や銀行・生命保険会 社などの倒産の波は収まるどころか、金融システムの根本的な崩壊現象から抜け出せないでも がいている。そして、「2 1 世紀はアジアの世紀となる」と楽天的に喧伝されてきた一方で、 1997年に突如発生した金融・経済危機がアジア社会の未来に暗雲の如く覆い被さったままであ る。 他方で、唯一、9年連続の好景気を謳歌してきたアメリカ経済も、バブルの警戒水域をはる かに越えたウォールストリートとナスダックの株式市場がともに乱高下を繰り返し、金融危機 の再来が避けられなくなってきた。好景気を支えた企業のダウンサイジング戦略によって、す でに勤労者の多くは不安定雇用状態におかれて所得が減少し、貧富の格差はかつてなく広がっ ており、IT革命に浮かれすぎたアメリカ社会の将来も決して明るくはない。10年前の日本を思 い起こせと警告を発してきた“ニューヨークタイムズ”の記事が見事に的中する状況となって きた。 そのような前世紀末から引き続く閉塞状況の中で、欧米でも日本でも困難な現状を打開する ためのキーワードとして「創造性」が話題になっている。例えば、欧州創造都市研究グループ

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がまとめた『創造都市』The Creative Cityという冊子が1995年に出版されている。これはヨー ロッパ社会において製造業が衰退し、青年の失業者が増えており、従来採用されてきた福祉国 家システムが日本よりも早く財政危機に直面して、この見直しが行われるという状況の中で、 国家の財政的支援から自立してどのように新しい都市の発展の方向を見いだすかという問題意 識で書かれている。その際、芸術文化が持つ創造的なパワーを生かして社会の潜在力を引き出 そうとするヨーロッパの都市の試みに注目し、その経験を分析したものである。その後、イギ リスでは“ニューレイバー”を標榜するブレア首相が登場して、大規模な行政改革が行われて いるが、そのポイントの一つは、社会の創造的な力を引き出す芸術文化政策への転換というこ とである。 アメリカでは1997年2月に芸術・学術に関する大統領諮問委員会が答申した『クリエイティ ブ・アメリカ』Creative Americaと題する冊子において、アメリカ社会のクリエイティビティ をどのように高めるかという問題を投げかけている。その中で芸術・学術が持つクリエイティ ビティこそアメリカ社会に多様性をもたらし、アメリカの民主主義社会の基礎を強化するもの であるという理由から、芸術・学術を「(準)公共財」として位置づけ、積極的に推進する政策 が必要であると述べている。 日本でも中央政府の新規事業に例えば『中小企業創造法』のように「創造的○○事業」なる ものが増加しており、公共政策に「創造」というキーワードが多用されるようになってきた。 また、経営学者の野中郁次郎が『知識創造企業』The Knowledge-creating Companyを1995年 に出版し、企業サイドから見た知識創造を課題としてマイケル・ポラニーMichael Polanyの 「暗黙知」や「創発」という概念を使って議論を展開し国際的に注目されている。彼はリスト ラを名目にした企業の闇雲の人員削減は、株主が期待する企業収益を短期的には回復させるが、 長期的に見るとむしろ企業の存立を危うくするものであると批判し、労働者の創造性を引き出 す「知識経営」こそ、今、求められるものであると主張している。 野中は最近の論文の中で「創造する力は単に個人の内にあるのではなく、個人と個人の関係、 個人と環境の関係、すなわち『場』から生まれる」と述べ、知識創造の「場」を重視した企業 経営論を展開し、国際的に注目されている。この「場」とは、空間と時間とを併せ持った概念 であり、「現在の知識が十分に作用しないとき、または新たな生存のレベルを打ち立てねばな らないときに、知識の創造が主体的に生まれる」と言っている。(野中、1997) 一体、どのような意味で彼は「新たな生存のレベル」を問題にしているのだろうか。グロー バルな金融危機の迫っている中で、単に「企業が存在し続けられるか」という認識であれば狭 すぎよう。今、まさに地球環境が危機的な状況にあるという認識のうえに立って、「人類が生 存し続けられるか」というレベルの問題を創造的に切り開いていくことが我々に突きつけられ ているのではないだろうか。 したがって、我々の視点からすると、創造の「場」という点から見れば、企業はもちろんの こと、まず、企業が存在し、労働者が生活する都市や地域そのものが創造的でなければならな いと考えられる。そのような視点に立って、創造都市の定義を試みると、「創造都市とは、『創

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造の場』に富み、グローバルな人類社会の課題、あるいはローカルな地域社会の課題に直面し て、生存の危機を乗り越えるために知識の創造を主体的内発的に行うことができる都市である」 と言えよう。 つまり、全世界的に、クリエイティビティが新世紀を切り開くキーワードになってきたので ある。すでに、サステイナビリティという言葉がキーワードとして提起されているが、サステ イナビリティとクリエイティビティとは、おそらく21世紀の初頭にかけて人類社会が共通して 課題とするキーワードだろうと思われる。そこで、「持続的で創造的な都市」の在り方とその ための公共政策を探求する事が本稿での我々の課題となる。 さて、「創造都市」研究の系譜についてみると、上記の欧州創造都市研究グループの共通の 問題意識として、「福祉国家の解体」に直面し、社会福祉政策と伝統的な自治体経営の見直し、 さらに製造業雇用の減少という深刻な問題に各都市が直面していることが挙げられる。従来は、 連邦や中央政府の補助金に依存して、これらの問題に対応してきたものが、EU通貨統合への 参加の前提として国家財政の再建が優先される中で都市の自立が求められ、都市自らが、新し い産業を創造し、問題解決能力を持った都市行政システムへと転換する事がヨーロッパの都市 の共通課題となっているのである。つまり、経済のみならず文化や福祉、行財政システムにお いて「創造性に富んだ都市」をどのようにして形成していくのかが重要課題となっているので ある。この課題にアプローチする際に芸術活動のもつ「創造性」に着目して、自由で創造的な 文化活動と文化インフラストラクチュアの充実した都市こそは、イノベーションを得意とする 産業を擁し、解決困難な課題に対応した創造的な問題解決能力を育てることができるとする理 論仮説が提示されてきたのである。 この研究においては、産業のイノベーションとインプロビゼーション(即興演奏のような改 良)を得意とする都市を「創造都市」と呼ぶ、アメリカの都市研究者であるJ.ジェイコブズ に影響を受けて「創造性」を空想や想像よりも実践的で、インテリジェンスとイノベーション の間にあるものとして、つまり、芸術文化と産業経済を繋ぐ媒介項として位置づけていること が特徴的であり、従来までの都市経済基盤の再構築の際に創造的な都市文化がどのような役割 を演じているのか、という問題意識で比較都市研究を続けており、都市経済と創造的な芸術活 動との内的連関の解明が今後の研究の課題となっている。 本稿ではこうしたアプローチをさらに発展させ、産業政策のみならず文化・福祉の分野で協 同組合や非営利組織と公共部門との連携・協同の取り組みが住民の自発性・創造性を引き上げ る「創造の場」を提供することによって、財政危機を創造的に克服し、「ポスト福祉国家」の 分権社会を再構築していくプロセスを検討してみたい。 1990年代の西欧社会における新しい中道左派政権(ソ連型社会主義と一線を画し、市場万能 のグローバリゼーションに対抗する「第3の道」路線を歩み出した)誕生のきっかけとなった 「オリーブの木」連合を産み出したイタリアのボローニャ市を「創造都市」の典型として取り 上げて、産業・文化・福祉の領域で住民の創造力を引き出す公共政策が如何にして実験的に展

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開されて来たのかを見ていこう。

Ⅰ.

「創造都市」ボローニャのフレキシブルな生産と社会システム

J.ジェイコブズが「創造都市」として注目するボローニャ市はイタリア北部のロンバルデ ィア平原を西から東に横断し、アドリア海に注ぐ大河、ポー河流域の平野の南端に位置し、ア ペニン山脈を南に控え、東はアドリア海に面し、エミリア・ロマーニャ州の州都として発展し てきた。その歴史は紀元前1000年、エトルリア時代に遡り、ローマ帝国以来、北イタリアと南 イタリア、ヨーロッパと地中海を結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしてきたことが、今 日の経済的発展につながっているとともに、仕事熱心でかつ陽気な、プラグマティクでかつ寛 容な、商才に長けかつ知識に貪欲なボローニャ人の個性というものを培ってきたと言われてい る。 人口は約40万人、イタリアで7番目の都市であり、生産基盤の豊かさ、生活の質、社会サー ビスとインフラストラクチュアの普及度、そして都市環境の面においてもトップにランクされ ている。住民1人あたりの企業数と事業所数の集積度では第1位で、その活動性と銀行預金量 では第2位であり、多くの重要な国際見本市が開催されている。ボローニャは中世の家畜の市 以来、見本市が隆盛で、都心からやや離れた見本市地区には近代的なツィン・タワーが聳え、 1994年には年間23件の見本市と1500件の出展件数を数え、60万人の観光客も含めると130万人 の訪問者を迎えている。 都市経済は第3次産業の比重が大きく、エミリア・ロマーニャ州のサービス首都としての役 割を果たしている。従業者の51%はサービス業が占め、27%が工業と農業、22%が商業に従事 しており、近年、製造業雇用が減少しているが、これは製造業での技術革新と自動化の進展の 結果であるとともに、ボローニャ都市圏内ではあるが、郊外部へ工場が移動しているためでも ある。 16世紀から栄えた伝統的な繊維産業が衰退した後は、エンジニアリング産業がボローニャの 主要産業セクターとなった。特定の消費財(生活財)の生産を特徴とするイタリアの他の「産 業地区」とは異なって、食料品・飲料・タバコ・薬品等の自動包装(パッケージング)機械から フェラーリやデュカティに代表される高品質の自動車・オートバイ等の幅広い分野のエンジニ アリング産業とそれを支える高品質の部品生産を担う多数の小・零細企業からなるダイナミッ クな「産業地区」を形成している。1970年代から80年代にかけて、ベンチャー企業が次々とス ピンオフを繰り返し、その発展ぶりは世界的に注目を集め、アメリカのシリコンバレーと比較 されて「パッケージングバレー」と呼ばれるほどである。近年は、データロジック社に代表さ れるハイテク企業が成長を遂げ、さらにマルチメディア・コンテンツのマイクロ企業を育成し て「マルチメディア産業地区」を発展させることをめざしている。 この都市産業システムの特徴は「第3のイタリア」現象、つまり、巨大企業による大量生 産=大量消費システムに代わるポスト・フォーディズムのフレキシブル・スペシャリゼーショ

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ン(フレキシブル生産システム)として世界的に注目されるものであり、包装機械、精密機械、 そして繊維工業などの分野の無数の職人企業や中小企業が水平的なネットワークを組んで多品 種少量の創造的なものづくりを展開しつつ内発的に発展していくと同時に、世界市場競争など 外部環境の変化に伴い新たな基幹産業を産みだし、都市経済構造の再構築がフレキシブルに行 われている点に特徴がある。(職人企業とは1956年にその保護のために制定された法律によっ て定義されたイタリア独特のマイクロ企業であり、現在では生産活動または手を使うサービス 活動を行う零細規模の企業をさす。製造業での規模は機械化工程で12人以下、準機械化工程で 22人以下、洋服および伝統工芸で40人以下の企業を指し、①家族経営、②個人経営、③合名会 社の3形態が一般的であり、株式会社はこれに含めない。) ボローニャの包装機械工業の発展メカニズムは、次の3つにまとめることができる。 第1は「模倣と補完」である。包装機械の先駆けとなったACMA社のような母工場から独立 する技術者たちは母工場と直接融合しない分野で新規創業し、最初の企業が食料用包装機械で あれば、2番目の企業はタバコ包装機械、3番手は薬品用包装機械、四番目は飲料品充填機械 という具合に、先行する技術を模倣しつつ補完する関係に立つ。 第2は「生産の分権化」に従っていることである。最初は単一の工場で全て生産されるが、 次第に小企業に下請委託されるので、中核企業は従業員数200∼300人規模の中規模企業にとど まる。 第3は「専門特化」である。多数の職人企業などの小企業が特定の部品を製造し、特定の技 能を発揮し、しかも複数の中核企業と関係を持って仕事をするため、小規模であっても自律性 が高い。 以上のような特徴をもつボローニャの生産システムは約150社の中核的メーカー企業とそれ を取り巻く小企業群とで構成され、最終製品を生産する中核企業と独自技術をもつ多数の小企 業との関係は、特定企業との専属下請けではなく、水平的な取引関係に基づくものであり、フォ ーディズム型の垂直的生産システムとは異なる水平的なネットワーク型集積となるのである。 ボローニャ大学教授カペッキ(V. Capecchi)はボローニャの都市経済システムをフォーディ ズム型生産システムと区別し、次のようにまとめている。(Capecchi,1996) 第1に、特定の顧客を対象にした生産財や消費財を生産する中核企業と小企業群とが相互に ネットワーク型に結合して特定の地域に集積しており、フレキシブルにそして相互補完的に生 産を行っている。 第2に、小規模で相互補完的生産システムであるため多様な熟練を必要とし、また、地域内 での技能の普及が進んでいるため、フォーディズム型生産システムに比べて労働者の技能レベ ルが高い。 第3に、以上のような構造の結果、親会社で一定の経験を積んだ技術者や熟練工達が容易に 独立開業する機会が極めて多く、企業家の社会的移動性が高い。 小企業の創業の容易さ、熟練労働者の養成、「競争と協同」の合意形成などにみられるボロ ーニャの都市経済の特徴はこれを支える独自の支援システムによるものである。

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全国職人企業連合CNAは、1946年に創設された職人企業と中小企業の協会の連合体であり、 ファシズムによって倒された職人の協会が復活し、全国組織となった非営利団体である。エミ リア・ロマーニャ州内には135,000社の中小・職人企業が存在するが、このうち75,000社が加盟 している。現在この支部には2,500人の職員が勤務し、220のオフィスで活動しており、中小・ 職人企業に対する会計・税務サービス、製品開発・技術指導等で年間1,500億リラに上る事業 活動を展開して「産業地区」における「競争と協同」の合意形成の中心的役割を果たしている。 さらに、新技術の導入やノウハウの普及と継承、創造的人材の育成に果たす大学と工業専門 学校の役割が重要性を帯びている。新規産業の創出における大学、研究機関と企業とのネット ワークの形成はアメリカのシリコンバレーにおいても指摘されているところであるが、ボロー ニャ大学と多様な技術学校が新規産業の創出や科学的知識をもった熟練労働者を養成する上で 重要な役割を果たした。900年の歴史をもつ世界最古のボローニャ大学は自然科学、社会科学 の双方において世界的な学問的集積をもち、とりわけ、物理学、工学分野では地域産業に決定 的な影響力をもってきた。大学とともに工業学校の存在も特筆される。アルディーニ・ヴァレ リアーニ工業学校は絹工業の危機から脱出するためにはイギリス、フランスなどから先進技術 を導入・移転することが不可欠であると考えたボローニャ大学出身の物理学者のアルディーニ と経済学者のヴァレリアーニの2人が自ら学んだイノベーション情報を地域に定着させるた め、ボローニャ市と大学、さらに職人企業連合の協力のもとで1844年に設立されたものである。 この学校は工学と物理・化学の2分野を3年間教育し、学生が単なる機械操作知識だけでなく、 機械が設計される技術的背景を学びとることに力点をおいている。大学のみならず、工業専門 学校が、研究開発センター、職人企業連合CNAや各種の協同組合などの非営利組織と協力して 産業面の創造力を高めている。このような開かれた自由で水平的なネットワークが産業創造の 基盤となり、さらにそれらを州政府が出資するエミリア・ロマーニャ州経済発展公社ERVET や自治体の創造的産業政策が支援システムとして機能しているのである。 産業政策においてはとりわけ州(regione)が重要な役割を果たすことになる。1970年6月 に最初の州議会選挙が行われ、州には法律制定権を持つ大幅な自治権が認められた。特に、中 小企業、職人企業、技術教育、職業教育、市場・見本市など、中小企業支援政策に関する中央 政府の権限が州政府に委譲された結果、各州政府による支援機関が相次いで設立され、こうし た支援機関を中核にして、産業地区ごとに組合や地域の協会、地域企業との共同で、地域毎に 支援機関が設立されることとなった。自治体(コムーネ)には職人企業に関する権限は法律で 明記されていないが、各種技術学校や研修制度を運営してこれを支援している。 ERVETは1974年にエミリア・ロマーニャ州が主体となって設立した株式会社(第3セクタ ー)で、当初は州が株式の90%を保有していた。その後、93年に新しい法律ができ民間の参加 株数を増やすことになり、現在、州政府75.45%、地元銀行18.7%、職人企業連合などの事業者 協会4 . 0 5 %、商工会議所1 . 0 %となっている。とくに、中小企業、職人企業の分野において ERVETは私企業と州政府との間のコーディネイト機関として位置づけられている。 80年代のERVETは、需要が多様化し質的な向上が求められる時代になったことを認識し、

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地域の産業特性にマッチした産業地区支援サービス(こうしたサービスを「リアルサービス」 と呼んでいる)を行う新しいシステムを創設した。これが「ERVETシステム」といわれるも のである。具体的にエミリア・ロマーニャ技術開発機構ASTER等の産業支援機構を設立して、 州内各産業地区に密着したERVETシステムを構築しており、この他にも下請けネットワーク RESFOR、輸出促進センターSVEX、途上国農工業専門家訓練センターCETASなどを設立し、 これらの機関と協力して経済発展政策を推進している。これによって、特色のある特定の地域、 あるいはその業種に対応する支援サービスの集合体が生まれた。 90年代に入り、ヨーロッパ市場の統合によりターゲットとなるマーケットが世界市場に拡大 し て き た こ と 、 生 産 面 で 製 品 の 品 質 が 高 度 化 し 、 消 費 者 の レ ベ ル も 向 上 し た こ と 、 ま た E R V E Tのようなコーディネイト機関が提供するサービス内容も向上したことから、生産技術 の向上と工業製品の完成度の品質が重要なファクターとなってきた。こうしたなかで、90年代 のERVETは3つの主要テーマの下で具体的な支援を展開している。 第1は質の改善である。これは製品の品質管理、品質証明だけでなく、ERVET自身の事業 内容の質の向上も兼ねている。 第2はイノベーションで、具体的には新技術の開発や新しい事業の発案である。 第3は資金調達である。これから行われる事業を企業が世界市場において展開するための資 金の確保が大切になっている。 90年代後半には、バッサニーニ法のもとで各分野の中央政府の権限が州と自治体に委譲され つつあり、産業政策の面では従来の職人企業レベルにとどまっていた対象範囲が、一括して全 企業レベルに拡大されることとなり、その見直しが進められているが、大企業優先ではなく、 あくまで、零細企業を優先した行政に基本が置かれている。 ここでボローニャ経済の成功物語の要因をまとめると、次のようになろう。 第1に、ボローニャ大学や各種の技術学校を核とした技術やノウハウの普及、熟練労働者の 育成によってフレキシブルな生産システムが形成される一方、州内の多様な消費財生産を支え るエンジニアリング産業が発展することにより、域内産業連関の形成と顧客ニーズ対応型ノウ ハウの継承が行われる。つまり、革新的創造的産業文化の集積と交流である。 第2に、各種協同組合、職人企業連合体、コンソルチオ等非営利組織を通じたネットワーク の形成が、「競争と協同」の理念を実現することにより、「競争と協同」を理念とする社会シス テムが強固なものとなる。さらに、零細企業を支える効果的な公共部門の支援システムとして、 ERVET、ASTER、CITERなどによる創造的産業政策が展開される。つまり、グローバリゼー ションに対抗し、零細企業を支える「地域の制度的厚み」の存在である。 このようなボローニャの経済システムについては、先に、詳しく取り上げたところであるが (佐々木、1997)、以下に、21世紀にかけての新たな動向をみておこう。 フィレンツェ大学教授べカティーニ(G. Becattini)とモデナ大学教授ブルスコ(S. Brusco) が明らかにした1970−80年代における中小企業の「競争と協調」に基づく「産業地区」の牧歌 的な姿は大きく変化しており、90年代には国際競争が激化し、M&Aやグループ化が進行して

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いるというのが、フェラーラ大学教授ビアンキ(P. Bianchi)の見解である。彼は、「産業地区」 の特徴であった中小企業によるフレキシブルな分業システムは、変化の激しい不安定な需要 (市場)のもとでは適していたが、EURO導入によって需要(市場)が大きく拡大した場合に、 零細企業の合併や企業グループ化に向かう傾向が強まるのは当然で、例えば、ボローニャの隣 のタイル産地、サッソーロ地区では3つの大きなグループの形成が進んでおり、ボローニャで もパッケージング企業の間でM&Aが盛んであり、単一通貨EURO導入はこうした傾向に拍車を 掛けるだろうとの見方をしている。 そこで、グループ化の内実を探るべく、代表的なケースを調べてみると次のような傾向が見 られた。 パッケージング・バレーを代表する中核企業であるIMA社の場合、1961年にティーバッグの 包装機械メーカーとして設立され、76年からは薬品包装機械の分野にも進出し、85年から次々 と関連技術を持つメーカーをM&Aによりグループ化し(最近10年間で従業員が1,000人増加し て、1,700人となった)、急成長を続けている。ティーバッグで世界1位、薬品包装で世界2位 のシェアを誇る同社は、「小さな」世界企業から名実ともに世界企業になったと言えるだろう。 創業者の息子で、重役のバッキ(D. Vacchi)によると、合併後もグループ企業はそれぞれ経 営の独自性を保持しており、そのことが、効率的なプロダクション・システムに繋がっている という。また、部品供給業者(サプライヤー)との関係は、グループ内の有力なコーディネー ター企業に任せ、「信頼関係に基づく生産ネットワーク」を形成して、生産計画・品質・納期を 一緒に考えるようにしており、全体の70%を外部から調達して結果的にコストダウンに繋がり 下請業者にもメリットが出ているということである。 一方、IMA社のような中核企業を中心とするグループ化とは異なって、同等レベルの小企業 がグループを形成しているケースがあり、その一例がPulsar社(従業員24人)とそれが属する βグループ(合計7社、従業員114人)である。Pulsar社はコンベヤシステムやオートメーシ ョンの設計を専門とするエンジニアリング・デザイン事務所を開業していたフランザローリ (M. Franzaroli)が1990年に設立した若い企業で、フレキシブル・コンベヤシステムを得意と している。彼は自社と技術的関連の深いコンベヤ部品の専門メーカーであるBett-Sistemi社 (従業員35人)のベタッチ(T. Bettati)とパートナーを組み、1995年にやはり関係の深い他の 専門メーカー1社と部品メーカー3社、販売会社1社からなるβグループを設立した。7社は それぞれ独自の経営者による有限会社で、資金を出し合って株式会社を設立したが、その大き な理由は、零細企業では資金調達が困難であるということであり、グループ化によってその障 害が取り除かれると、95年以来、売上高が4倍に増加したと言う。 こうしたケースは他にも見られ、ロボットによる自動荷造り包装機械のROBOPAC社(従業 員200人)とPETボトルのパッケージングを得意とするDIMAC社(従業員63人)、さらに充填機 械メーカーであるWEITEK社(従業員44人)とがAETNAグループ(海外子会社を含めて従業 員356人)形成してロボットによるPETボトル自動荷造り包装機械を開発したが、この場合に は資金調達と海外市場への進出のためにグループ化を選択したのであって、経営権は各社のオ

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ーナー達に残されたままである。 この他、Marchesiniグループなども「水平的グループ化」の代表と評価されており、IMA社 とは異なるタイプの企業グループ化が進行しているのだと言えよう。Pulsar社のFranzaroliの言 葉を借りれば、このような中小企業間の協調的ネットワークの背後にあるのは「相互信頼に基 づく人間的ネットワークである」ということになるが、この地域の経営者・職人の大多数がア ルディーニ・ヴァレリアーニ工業専門学校の出身者であり、日本的に言えば「同じ釜の飯を食 った間柄」とでも言える先輩後輩の繋がりが経営にも生かされているとも考えられる。 日本的常識で考えれば、小企業がグローバル競争で淘汰され、敗者が勝者に買収されて、大 企業化が進むということになるが、「第3のイタリア」では以上のような新しい中小企業のネ ットワーク化が進行している。ボローニャの研究者や経済政策担当者の口からM&Aや企業グ ループ化の傾向は従来の「産業地区」の良さを損なうものではないと言う意見をしばしば聞い たが、こうした「協調的水平的グループ化」によってグローバル競争の荒波に対抗していく、 「地域の制度的厚み」を増そうという戦略のようである。

Ⅱ.ボローニャの文化政策と文化協同組合

すでに見たように、ボローニャの都市経済を中心とする「第3のイタリア」はポストフォー ディズムの典型的成功例として全世界的に注目されているが、文化政策の面においても産業政 策に対応した創造的な政策を展開してきた。 ボローニャ市は新しいミレニアムを迎えた2000年の「ヨーロッパ文化都市」にブリュッセル 等など8都市とともにE U から指定を受けて約一年間に渡る多様な文化イベントを展開した。 まず、その概要をボローニャ市の公式報告によってまとめておこう。 1995年11月20目、EU文化閣僚委員会は、<西暦2000年のヨーロッパ文化都市>として、ア ヴィニヨン、ベルゲン、ボローニャ、ブリュッセル、クラクフ、ヘルシンキ、プラハ、レイキ ャビク、サンチャゴ・デ・コンポステラを指定した。21世紀への入口となる重要なこの年、初 めて東欧の都市を含め、9つの都市がヨーロッパの文化を代表することになり、各都市は、 「西暦2000年のヨーロッパの文化空間の構築に一致協力して参加するために」それぞれ独自の 努力と企画を推進するよう、EUから明確な要請を受けた。 ボローニャ2000は、ボローニャ市長が議長を務める委員会によって組織され、イタリア政府、 エミリア・ロマーニャ州、ボローニャ県、ボローニャ大学、商工会議所が参加し、また、コミ ュニケーション政策のアドバイザーとしてジャーナリスト、エンツォ・ビアージが招かれたほ か、企業との連絡担当にはフェラーリ社社長でありボローニャ見本市の実行委員長でもあるル ーカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロが就任、また、コミュニケーション特別委員会のコ ーディネーターとしては、著名な作家で記号論学者のウンベルト・エーコ、ボローニャ大学教 授が任命された。欧州連合がイタリアに与えた課題である<情報とコミュニケーション>を考 えるこの委員会では、情報とコミュニケーションというテーマの幅の広さ、浸透性についての

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プログラムを準備した。 ボローニャ2000委員会の総合的な目標は、「権利としての文化」を確立するような文化構造 を築き上げ、そのためのさまざまな催しを実現することにあり、その際、とくに重点を置くポ イントは、①若い世代の市民層の積極的な参加を図ること、②市民の文化消費のレベルを上げ るにとどまらず、文化生産・創造の発展をめざすこと、そして、③文化的観光都市としてのボ ローニャの地位を確立することであった。 主要プロジェクトについてみると都心に2000年の「創造的な文化空間」を創出するため、ボ ローニャ市では1,700億リラ(100億円)の資本を投入し文化的なインフラ整備を行うとともに、 300のコンサート、230の展覧会、260のコンベンション、125のラボラトリー等、合計2000時間 に及ぶイベントを展開した。ここで、日本と対照的な点は、文化施設の建設のために古い建物 を完全にスクラップするのでなく、内部には新しい機能を加えるが、外観と構造については伝 統的街並みを維持するために保存修復を徹底していることである。 例えば、市の中心部、マッジョーレ広場に隣接する旧食物取引所は保存修復工事により、コ ンピュータ・ネットワークにリンクされた900以上の座席をもつ、イタリア最大の図書館とし て生まれ変わり、屋内ロビーにはさらに400の座席をもうけ、マルチメディア設備も利用でき るようになり、館内においては、ウンベルト・エーコの監修のもとに、あらゆる情報源にアク セスすることができる<テレマティック・アーケード>プロジェクトも実現される予定であ る。この新しい図書館は、市庁舎の建物に連結し、将来は市民の文化的ニーズに応えるために、 市文化局の機能を徐々に移転してゆく計画となっている。 同じくマッジョーレ広場に面する建物で、旧食物取引所の近くにある、レンツォ王の館(パ ラッツォ・ディ・レ・エンツォ)や行政長官官邸(パラッツォ・デル・ポデスタ)は建築素材 までを含めた科学的修復の対象とされ、催事、コンベンション、会議のための施設として蘇り、 これによって、コンベンションと見本市の町としてのボローニャの機能がさらに強化されるこ とになる。実際、国際児童図書展、チェルサイユ(タイル・インテリアの国際見本市)、コスモ プロフといった世界的催事が開かれるボローニャの見本市会場は、ヨーロッパ第4位の規模を ほこっている。 また、やはり町の中心部の北西に位置する産業考古学的区域には、文字どおり、ヴィジュア ル・アートと演劇のための「創造空間」が出現した。すなわち、旧タバコ工場(この区域には、 ほかにも、古い運河・港や、塩の貯蔵庫、旧パン製造所などが含まれる)に、市立フィルム・ ライブラリーが新設されることになり、この施設には、教育講座や映画関係資料を復元した資 料館も併設され、また、ウンベルト・エーコが指導するボローニャ大学コミュニケーション学 科の学士号コースの新教室、芸術性の高い映画の上映のための市立映画館2ホール、3,000枚 を超える映画ポスターのコレクションを所蔵するヴィジュアル・アートおよび演劇資料館、音 楽および演劇学科の学士コースのための音楽・演劇・映画・ビデオ用ラボ、そしてヨーロッパ の若手アーチストのためのスペースが開設される。この区域は第2次大戦の際に爆撃で被害を 受けたため、改修工事にあたって、それ以前の建築様式への復元が合わせて進められている。

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もちろん全てが古建築物の保存再利用ではなく、新しい現代美術館もオープンする予定で、こ のプロジェクトは、近年逝去した偉大な建築家アルド・ロッシが手がけた最新作品のひとつで もあり、建築界から熱い注目が寄せられている。また、一方で、カタロニアの建築家リカル ド・ボフィルが設計を進めている新しい国鉄駅舎に対しては、その高層化に関して市民の間で 批判的な意見が多数を占めている。 さらに、中心部のパラッツォ・サングィネッティには、音楽博物館がオープンされる予定で、 ここには、当初、すでに市政当局が保有している歴史的な文献や古代の楽器や絵画などの世界 有数のコレクションが収められることになっており、ボローニャが生んだ20世紀の最も重要な 画家の一人であるジョルジョ・モランディの生家近くのサンタ・クリスティーナ修道院には、 女性の文化に関する資料センターおよび女性のための国立図書館をはじめとする、さまざまな 歴史資料館が設置され、また、2000年には、ボローニャ大学は、古い歴史をもつ科学史博物館 が置かれているパラッツォ・ポッジの修復を終えて、ここには現代音楽、演劇、ダンスのため のサービスセンターが開設されることになっている。 このようにして、伝統的な町並みを保存しつつ、都心を「新しい文化の創造空間」とする試 みが展開され、すでに40以上の美術館・博物館、200の図書館そして市立オペラハウスを始め とする12の劇場が置かれ、全国規模の出版杜が活躍するこの都市に、さらに新しい施設が加わ ることになり、こうした施設が、イタリアの市民一人当たりの文化消費額が最も大きい都市ボ ローニャを支える文化構造を織りあげている。 これらの新しい文化的インフラを文字通り「創造支援インフラストラクチュア」として活用 するために、若手の文化クリエーター集団と文化政策担当者のコラボレーションが国際演劇 祭・映画祭・音楽祭などで展開されている。 従来から、ボローニャは芸術の香り高い都市で、文化の消費レベルをみても全国平均の2倍 ほど高く、個人の支出パターンをみても軽い娯楽よりは演劇その他の舞台芸術が好まれ、無数 のシネ・クラブが育てた演劇・映画愛好者が多数存在している。 戦後には映画やテレビの普及でボローニャの演劇は一時衰退するが、70年代に新しい動きが 出てくる。ボローニャ大学に芸術音楽演劇学部DAMSが開設され、ダリオ・フォー(1997年ノ ーベル文学賞受賞者)がヌーヴァ・ シェーナを率いて活躍をはじめる。これに刺激を受けて、 演劇や映画の協同組合(Cooperativa)は、失業者の多い青年層の間で急速に広まっていたの である。当時、協同組合が発展した分野として、①演劇・音楽など芸術文化分野、②「生活の 質」を高める分野─住宅等、③社会サービス分野─高齢者・障害者の介護などが挙げられる。 いずれも、財政危機を背景とした「福祉国家の後退」を補う形で協同組合やボランティア・グ ループなど民間の非営利セクターのイニシャチィブによって行われ、従来のような経済目的で はなく社会目的で活動している点に特徴があり、とくに演劇分野の活躍がめざましく、若い芸 術家に活躍の場を与え、文化の分野での企業家精神の発揚がみられたのである。彼らが協同組 合形式を選んだ理由は、誰か一人が有力なリーダーとなるのではなく、全員が民主的に運営に 参加するための形態であったからである。現在、ヌーヴァ・シェーナは大衆的、古典的、実験

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的の3領域の演劇をバランス良く展開している。この他、サンレオナルド劇場は著名な演劇人 ベラルディニスを中心とする実験的で詩的な舞台が展開され、ドゥーゼ劇場ではシェイクスピ アなど古典的な演劇が上演されている。 実演芸術に対する公的助成はイタリアでは従来、オペラを中心になされてきたが、1975年か らはこうした新しい演劇分野への助成が始まった。市役所に助成を決定するため専門家の委員 会が作られ、芸術的評価と経済的評価の両面から議論されて助成額が決定されてきたが、現在 は文化担当参事が決定している。 ここで2つの代表的な演劇協同組合の活動をヒアリング調査に基づいてまとめておこう。 今や、世界的に有名な劇団となったヌーヴァ・シェーナ(Nuova Scena)は大学闘争と労働 運動が高揚した1968年の「暑い秋」にダリオ・フォー、ビットリオ・フランチェスキ等によっ て設立された前衛劇団である。1975年に協同組合・共済組合連盟LEGA Coop(ボローニャ支部) の援助を得て協同組合化し、民衆のための劇団をめざすことになる。 1977年にはレガLEGAとヌーヴァ・シェーナから市役所(Comune)に市が所有するサン・レ オナルド劇場の使用を提案するが、コムーネが断ると地区評議会に働きかけて、使用契約を結 ぶ事に成功したのである。1980年にはコムーネが芸術活動の実績を評価して契約を結び、市が 所有するテストーニ劇場に移り、観客が倍増した。こうして、コムーネと協同組合のパートナ ーシップによる芸術創造活動がスタートし、15年間の実績が評価され、太陽劇場アレーナ・デ ル・ソーレに移ることになった。市街地の中心に位置するアレーナ・デル・ソーレは歴史的建 築物として市のイニシァチブにより大掛かりな修復工事が行われ、950人と300人収容の2つの ホールを持つ現代的な劇場に再生した後、1995年にゲラルディーニ等によって柿落公演が成功 裏に行われたのである。以来、200回を越える公演を行い、60万人の観客動員を記録している。 現在、劇団員(組合員)105名は全員プロフェッショナルで、劇団は養成システムとして、 民間演劇学校との特別契約で俳優養成コースをもち、ボローニャ大学芸術音楽演劇学部DAMS から理論・批評の講師派遣の援助もえている。財政面では年間予算80億リラで運営され、その うち、助成金がコムーネから6億5000万リラ 国・州から30億リラとなっている。 もっとも、近年、コムーネの財政引締めにより運営助成金が伸び悩んでいるため、劇団側は 別の協同組合Arteを作り、公演の行われない期間に劇場をコンベンションやファッションショ ーに貸し出すことによって使用料収入を得て、自己財源を確保する努力を行っている。(以上 は、Nuova Scenaのディレクターであるパオロ・カッキオーリ氏からのインタビューに基づい ている) もう1つの代表的協同組合であるラ・バラッカ(La Baracca)は1979年に子どもたちのため の演劇活動を展開する少人数の劇団としてスタートした。当時のイタリアには子供向けの劇場 はなかったので、ベンチャー劇団とも言えるもので、レガの支援で協同組合化することになり、 1983年に劇場を要求する運動を起こし、コムーネとの間で以前のヌーヴァ・シェーナのフラン チャイズであるサン・レオナルド劇場の使用契約を結ぶことになった。そして、1987年には国 が児童演劇を正式に認める法律を制定し、全国で15劇場に達するまで発展したのである。

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1995年には、現在のテストーニ劇場に移り、観客が23,000人から48,000人に増加している。 公演内容は午前中が学校(13歳以下)を対象としたものが80%、午後・週末には家族向けとな り、①3歳以下②6歳以下③12歳以下④中学生以下の4レベルでの公演が行われている。青少 年向けワークショップや音楽・ダンス・テレビ・マルチメディアなど多彩なジャンルで創造活 動を展開中である。 劇団員は62人(21人専任、内8人が事務)で、財政面では行政からの補助金30%となってい る。ボローニャ大学DAMSの卒業生を採用したり、最近はマルチメディア系人材を採用するな ど雇用面でも地域社会に貢献している。また、新しい芸術産業の創出という点で興味深いのは 別会社(51%株主)を作り子供向けのテレビ番組を作成し、質の良い演劇を子どもたちに提供 しようとしていることである。現在、マルチメディア技術を導入して劇場の改装を行い、今後 は①子供向けのテレビ番組②マルチメディア③コンテンツ④教育の分野へ進出しようとしてい る。(以上は、テストーニ劇場のディレクターであるルチオ・アメリオ氏からのインタビュー に基づいている) 以上のように当時、若手演劇人たちが、協同組合という組織形態を選んだ理由として、最低 9人の出資者により設立可能という結成し易さと、税制面での優遇措置に加え、公平な作業分 担と利益分配、相互扶助の精神などの「協同組合精神」と新しい演劇活動の理念とが合致して いたと考えられる。「協同作業に基礎を置く集団活動による演劇創造」という新しい劇団の理 念と共通するものをそこに見出したからであろう。現在、ボローニャの文化協同組合は18組合、 組合員数967に到達し、売り上げ高54億リラ、総資産約30億リラとなっている。 従来、イタリアでは、舞台芸術における公的助成は圧倒的にオペラに集中し、ミラノ・スカ ラ座を筆頭に全国1 3 都市に国立の独立公団が設置され、専属オーケストラのみならず舞台装 置・照明係に至るまで公的に雇用された上で、4,446億リラ(1992年度)に達する手厚い国家 助成がされてきたことが特徴であった。ボローニャ市においても、294億リラの国家助成を含 む総額350億リラの公的助成によってオペラハウスが運営されてきたのである。一方、近年に なって新しい演劇協同組合には無料で劇場が貸し付けられ、助成金も支出されるようになった が、国立オペラ公団の財団化により一部独立採算化が進むオペラハウスと比較すると未だ極め て少額である。 このように、事実上、高率の助成金を中央政府から得て公的運営を続けるオペラ公演に対し て、民間主体の演劇創造活動は少ない文化予算で多様な市民の文化的欲求を満たし、より多く の芸術家に仕事場を提供できる「生産を指向する文化政策」と評価されている。深刻な財政危 機のために文化予算の低迷が続く中で、演劇協同組合との連携(コラボレーション)によるこ のような新しい文化政策が注目を集めている。 同時に、この文化政策は、景観保存運動が残した古い宮殿や劇場という文化ストックを前衛 的な演劇活動や先端的な研究教育活動の「新しい創造インフラ」として再生させたと評価でき よう。 また、教育局において1981年に始められた青年プロジェクト(Progetto Giovani)は失業比

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率の高い青年層に、経済的に独立する機会を提供するものであり、創業をめざす若い職人企業 家に対しては「転換工房(Bottega di Transizione)」と名づけられる事務所スペースを3年間 無料で貸与し、伝統的な技能やハイテク研究を支援し、文化的企業家に対しても、施設の使用 許可を与え、メディアにアクセスできるようプレスセンターを開設するなど、「創造空間」を 提供する「生産を指向する文化政策」というコンセプトが生きているのである。成功例として、 古い映画フィルムの修復を行っていた若手職人企業家から全ヨーロッパ的な企業CINETECAに 発展したケースが挙げられる。 更に、最近ではマルチメディア産業の集積により「マルチメディア産業地区」を形成する MAMBO(Multimedia Area Macello Bologna)プロジェクトが進行中であり、その契機となった のは、都市の衰退地区に新産業地区を移植することを目的とする1997年の大都市圏を対象とし た法律266号の14条であった。98年に産業省の省令225号によって予算化され、本来は南部地域 を対象とするものであったが、マルチメディア産業を対象とするものへと変更になり、22億リ ラが基金となり、その内半分を企業に、残り半分を施設に投じる計画である。企業への補助金 は再生・成長促進と移転促進の2種類であり、コムーネが直接企業に補助金を支出することが でき、5 0 %を上限に返済免除、銀行利子の半額保障となる。ボローニャでは工場跡地である Pilastra-Roveriを対象地区に指定し、現在75件の応募があったが、最終的に30企業に絞る作業 を進めている。 この他、SOHOやマイクロ企業のインキュベータ施設としてLibraがある。もともとはEU補 助金(社会基金)によって女性企業のスタート支援として1994年に古いレンガ製造工場跡の一 角に設立され、その後、一般のマイクロ企業スタート支援施設となる。企業が独立するために 何を必要としているかを把握し、希望者にビジネスプランを作らせ、最初の3年間を指導援助 する。全国職人企業連合CNAと協同組合連盟Lega Coopを協力団体として事業を実施し、共同 マーケッティング・マネージャーやCheack-upマネージャーを派遣する。この施設のサービス 哲学は、①個人の発想を大切にし、②企業家としての独立を支援することにある。5年間で50 企業をスタートアップさせた実績があり、既存企業の支援を含めると130から150社が支援を受 けて自立している。業種はサービス業、広告・グラフィックなどが多いが、最近は環境関連プ ロジェクトも多くなっている。 以上のように、いずれも近代産業遺産である工場跡や歴史的街区の空家を「創造空間」に転 換するものであり、産業遺産や文化的集積のなかでこそ新しい感性を備えた職人や芸術家が養 成されると考えたからである。産業遺産や歴史的街区が産業と芸術のインキュベータとなるの であり、これらは新規の有望な職人企業と芸術家を生み出す、都市に集積した「文化資本」と 考えることも出来よう。

Ⅲ.ボローニャの福祉行政と社会的協同組合

ボローニャは、文化分野に劣らず、福祉分野においてイタリアの都市の中でトップクラスの

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行政水準にある。とりわけ、職人企業の担い手である女性の役割を高く評価し、女性の就業を 支援するため保育所や老人介護など社会サービス事業に努力しイタリアの都市の中で高い水準 にあると評価されているが、80年代以降、協同組合との連携によるサービス供給が成果を挙げ つつある。現在ボローニャ市は6 5 歳以上の高齢者向け在宅サービスとディケア・サービスの 100%と保育園(3歳∼6歳)の20%を外部に委託しているが、その際、社会的協同組合が大 きな役割を演じている。 社会的協同組合(cooperativa sociale)とは70年代後半から80年代にかけて先駆的に登場し、 公的福祉が取りこぼしてきた様々なニーズに答えるものとして発展を遂げ、1991年の法律381 号によって法的位置づけを与えられた「人間発達ならびに市民の社会的統合というコミュニテ ィの全般的利益を追求する」協同組合であり、社会・保健サービスおよび教育サービスを運営 するAタイプと、ハンディキャップを持つ人々の就労を目的に農業・工業・商業・サービス業 等多様な事業を実施するBタイプとがある。タイプBはAと違って、税の減免が受けられ、委託 契約時に入札が必要無しという優遇措置がある。他に、非営利団体への優遇措置として企業・ 個人・基金などからの寄付金が受けられる。 90年代に入るとエミリア・ロマーニャ州全体で倍増して100に達し、さらに大きな成長を遂 げるようになった社会的協同組合が急速に発展した背景としては、需要サイドの要因としては、 高齢者・障害者の増加による行政ニーズの増大もかかわらず、財政危機のもとで外部委託が進 められたこと、その一方で、供給サイドの要因として人文系の大学卒業者が就職難のために協 同組合に就業の道を選び、そこで自己実現の機会を求めるケースが増加したことにもよる。 ここで、ボローニャにおける代表的な社会協同組合の現状ををまとめておこう。 CADIAIは1974年に設立され、翌年から活動を始めたイタリア最初のAタイプの社会的協同組 合である。27人の女性がフェミニズム運動の一環として設立した組織であり、従来フォーマル な職業として認められていなかった介護や育児に関わる女性の仕事を社会的に認知させる目的 を持って活動を展開してきた。現在、組合員290人、年間売上260億リラ、従業員460人の組織 に発展し、その87%が女性である。それまで、社会サービス活動は公的機関が担当するか、ま たは教会系のボランティア活動によるものと一般的に考えられてきたのに加えて、活動の初期 には自己資本が乏しかったため、最初は在宅サービスから始め、私的にクライアントを探した。 1976年には公的仕事へ参加する最初のケースとして、ローマのリビア大使館との契約によって リビア人の介護、特に幼児の介護の契約を締結した。しかしながら給与支払いが遅いので80年 にはこの契約を打ち切ったという。 飛躍の契機となったのは、深刻な財政危機のため1977年の法律によって地方政府が赤字を改 善せずには新規に公務員を採用できなくなり、住民の社会的ニーズの高まりに対応できなくな ったことである。そのような新たな状況のもとで、公的機関とのコンタクトが始まり、80年に は老人在宅サービス事業においてボローニャ市と委託契約を結んだ。当時、老人介護は質的に 低い福祉サービスと考えられていたこともあり、86年まではCADIAIが行政との契約を独占し、 料金を有利に決めることが可能であったために、この時期に経営資源を蓄えることが出来た。

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しかしながら、80年代後半に入り、当該市場に後発の協同組合や民間企業が参入し競争が厳し くなっため、公共部門への過度の依存を避ける目的で新たに個人向けの独自の障害者向けサー ビスや、さらには高齢者向け居住施設の運営等の多角化・専門化を試みる段階に入った。21世 紀に向けてCADIAIは過去に蓄えたストックを活かして寝たきり老人の介護、ディサービスを 提供する施設やリハビリ施設、重度障害者施設など新規分野の投資を展開するとともに、専門 的で多様な人材を雇用し、サービスの質の高さと専門性で勝負しようという経営戦略を立てて いる。 同じく現在AタイプのNuova Sanitaは労働者の健康診断と職業病関連を担当する医師のグル ープによって一般の協同組合として1979年に設立され、社会サービスと医療の2分野で活動を 展開してきた。1984年に協同組合本部(Lega coop)に社会サービス部門が創出されて以来こ れと関係を持つようになり、89年に設立者の医師グループが抜けて、医療分野を削減し、社会 教育分野のサービスのみとなった。10年前から、市内にホームレス・麻薬中毒者・売春婦のため のディ・センター(施設は市が提供し、運営費は市との委託契約による)を開設し、最初の7 年は貧者救済センターとして、3年前からは社会復帰プログラムを行政に提案し、社会適合の ためのセラピーをも開始した。80年代前半は行政からの委託が増えて、経営は安定するが、後 半からは社会サービス市場が民間に開放され、入札制度が導入されたため競争が激化し委託料 金が下がり、経営を圧迫し始める。そのような中で、経営重視で臨み、在宅介護、老人介護、 麻薬中毒対策、ホームレス対策、移民対策、障害者・未成年への教育サービスなどの社会サー ビス活動を展開して、1995−96年には、従業員300人、サービス供給額80億リラ、クライアン ト2020人の規模に達した。 ところが、97年には経営の危機を迎え、98年に理事会総入れ替えにより新たに社会的協同組 合として再出発し、組織改革により従業員170人体制とし、「量」より「質」の向上をめざす経 営方針への転換を行った。この時、130人はCADIAIなど、他の社会的協同組合に移籍した。こ の時期、倒産する協同組合も発生したため、その後、行政において入札システムの改革が行わ れに、契約に当たって「料金」のみで無く「サービスの質」を少なくとも50%までは評価する 制度の改善がなされたが、社会的協同組合の経営安定のためにはまだまだ改善の余地がある。 現在、社会的協同組合は相互に競争するのでなく協同する方向に向かっている。EU基準で は20万ユーロ以上の契約は入札が必要だが、それ以下の金額の場合には各行政機関が決められ る。Nuova Sanitaの場合には公的機関からの委託事業が100%を占めているため、入札制度の 更なる改善を要求する一方、新規事業を行政に提案することにも力を入れている。理事会では 今後、麻薬中毒・ホームレスの対策と、在宅介護サービスの分野を伸ばしていきたいとの意向 があり、前者について、麻薬中毒者向けキャラバンを組織し、センター窓口に来ない人達に働 きかける実験的サービスを1年半前から開始し、効果があがっている。

市内(Via del Porto)にあるホームレス・麻薬中毒者・売春婦のためのディ・センターを見学し たが、この施設は91年から開始されており、毎日12時30分からオープンし、昼食サービス・休 息娯楽室などがある。従業員7人体制で常時3人が駐在して、平均60−80人程度のクライアン

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トの面倒を見ている。最初は40−60歳のアルコール中毒者が多かったが、最近は30−45歳の麻 薬中毒者が増加しており、男女比は9:1である。担当者はいずれも極めて情熱的で、演劇や 絵画など芸術を活用し、社会適合セラピーを実施している。 この他、Aタイプの社会的協同組合にCSAPSAがある。名称は心理学的社会学的応用分析研 究センターの略、1978年11月にボローニャ大学の児童心理学者・社会学者ら10人ほどで設立し、 翌年から活動を開始した。精神障害者の社会適合のための講座と職業訓練の施設運営を中心と している。81年に児童向けの収容施設を開設し、現在市内に2室運営している。82年に社会復 帰のための職業訓練を始める―アフリカ人やジプシーも対象としている。 COpAPS(組合員4人)はボローニャ郊外のSasso Marconiで活動している。理事長のサンド リ(Lorenzo Sandri)は大学の農学部出身で、父親が聾唖者であったため、障害者問題に関心 があり、農業経営と結びつけた訓練施設を開設し、この仕事にのめりこんでいる。 1979年、社会活動と農業経営研究そして障害者を持つ家族の3グループが協力して前身の農 業協同組合を設立し、既に20年の歴史がある。生産活動を通じて障害者の職業訓練を行う、半 農半学の組織を目指して出発し、81年から活動を開始した。元来この地域は牧畜が主体の地域 であるが、ここでは小麦・果樹・野菜を中心に出来る限り多種類の農産物の生産を行う。その理 由は知恵遅れの子供達に多様な発達機会を与えるために多様な作物を選んでいるのであり、地 域社会との交流を広めるとともに、割高な作物を卸売市場に出すよりは経済性があるという理 由から直売システムを採用している。経営面積は30haで、うち栽培可能耕地は27haを占める。 この土地はOpera Piaというキリスト教信者達が寄進した土地を管理する財団(現在はコムー ネが管理している)があり、この組織から借りている。社会目的を持ったビジネスであると言 う理由から、優先的に借りられるが、価格は市場価格である。 1983年には職業訓練活動を始めるが、社会に閉ざされた訓練センターではなく、実際の企業 活動を通じて職業訓練を行う新しい理論モデル(70年代末にリグリアで開発される)に基づい て「職業訓練の場であり、仕事の場である」ことを目指しており、ボローニャでは最初の実践 的ケースである。85年から89年までは試行錯誤の時期で、85年にはフランスの先進例に学び、 花卉栽培(重度障害者にも可能である)を取り入れ、88年にはアグリツーリズモに登録し、89 年からアグリツーリズモのIl Monteとして活動を開始した。また、同年から訓練コースは従来、 ①健常者と障害者合同、②軽度障害者のみ、③重度障害者の3コースだったものを障害者のみ とすることになる。 1991年に社会的協同組合に関する法律が施行され、タイプAとBを選択する必要が出てきた ため、重度障害者向けディサービスは独立してCoop. Attivita SocialiというBタイプの社会的協 同組合となり、両者は最初2年間は密接な協力関係を持った。COpAPS自体は社会的目的を持 った農業協同組合という性格で障害者を雇用しているので、申請すれば補助金を受給できるが、 組織の自立性を大切にするため現時点では申請していないという。現在、公的事業収入(訓練 生受け入れ)と民間事業収入(農産物販売)の割合が45%:55%とバランスのとれた経営にな っている。さらに、97年には木工細工とゴミリサイクルの社会的協同組合であるMastrociliegio

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を設立した。 Riparaggiはボローニャの中核病院である国立マッジョーレ病院の直ぐ近くにオフィスを構え るBタイプの社会的協同組合であり、理事長のマエストラーリ(Alessandro Maestrali)は全国 筋ジストロフィー患者家族協会の書記長で、患者用の電動車椅子の修理を専門に担当する協同 組合を組織することにした。電動車椅子はイタリアでは型式が標準化されておらず、互換性が ないので修理に手間取り、かつ料金も高い。そこで、コンサルタント会社に依頼してビジネス プランの調査作成を依頼したところ、州内に車椅子は2600台あり、交換部品の数は180,000個 という状況が分かり、事業として3年で収支が取れると判断して98年1月16日に設立した。組 合員11人、うち障害者が半数にのぼる。現在、従業員2人プラスパート1人で活動している。 公的福祉サービスを担当する地域保健機構USLとの間で、契約を結び、USLが無料で貸し付け る電動車椅子が故障した場合、患者の自宅で修理するか、またはそれと交換に新品を貸して古 い車椅子を修理し、USLに戻すという事業内容となっている。また、修理用の交換部品につい てはUSLに患者から使用後に戻された古い電動車椅子から取り出してストックしており、部品 のリサイクル・システムを構築している。 以上のように、ボローニャの社会的協同組合は、全国に先駆けて女性の社会的地位向上や障 害者の発達保障など基本的人権の拡大をめざす草の根の住民運動を基盤として自発的に組織さ れ、大きな社会的運動を作り出す中で、「社会的協同組合」として公共的に認知される新しい 法律を創造する段階にまで到達した。そして、「福祉国家システムの見直し」の潮流が進む中 で、新たな「分権的福祉社会」の担い手として期待されるに至っている。 これら社会的協同組合の組織論的な特徴として、構成メンバーの多様性が挙げらる。従来の 労働者協同組合や生産協同組合は、職種や階層、社会的境遇が比較的等質なメンバーによって 構成されてきた。倒産企業の労働者が自主管理で再建する場合や、失業者を対象とした職業訓 練コースの修了生たちによる「仕事おこし」、また失業が集中する若年層や新卒採用に恵まれ ない大卒者が仲間たちと事業をおこすなどの場合、すでにみた演劇協同組合のように社会的な 立場が比較的近いものや専門的職能を持った人達によって事業が構成されており、この場合に は比較的安定した経済基盤を保ちうる。(田中,1998) これに対し、いわゆる社会的協同組合の場合、Bタイプでは障害を抱えた人の雇用が前提と なり、そこに親の会、無償、有償のボランティア、事務局、一般の雇用者と質的に複合的なメ ンバー構成となる。また、Aタイプについても、(就労組合員としてではないが)障害に苦し む人々による自助的な組織として出発しているケースも少なくなく、こうした人々の参加を保 障しようとする傾向が強い。このように立場の異なるものが対等・平等に参画するという理念 は実験の真っ最中で、当然「効率と平等」のジレンマをどこでも抱えているのが現状である。 このため、経済的な基盤について以下のような傾向が指摘できる。 Aタイプの場合、コムーネやUSL(地域保険機構)からの受託事業が主であり、当初、協 同組合の側は、経営基盤強化のため、公的部門の受託に積極的に乗り出したが、自治体の財政

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危機から入札制度が導入され、民間企業との競争が激しくなると、組織の危機を迎え、現在は 新しい段階を迎えている。 つまり、一方では協同組合のアイデンティティと関わる「仕事の質」に自治体からの受託金 額が見合わないため、徐々に民間の直接的な事業へと比重を移そうとしている協同組合があり、 他方で、単なる自治体の下請けではなく協同組合らしい「仕事の質」にこだわった料金体系を 自治体に対して求めていく運動を進めたり、あるいは新規事業を自治体に提案していく協同組 合もある。 いずれにしろ、経済的な基盤強化と、民間営利企業とは異なる協同組合のアイデンティティ にのっとった「仕事の質」を維持・開拓していくために、公的部門への過度の依存から脱却し、 民間へとサービスの対象を拡大し、住民ニーズに対応したサービスの多様化を図ろうというの が、ボローニャの社会的協同組合の課題であり、戦略である。

Ⅳ.分権化と広域的環境管理―ボローニャの創造的行財政システム

以上のように、協同組合を軸にした文化政策・福祉政策を通じて新たな産業と雇用を創造す る試みは分権化による住民自治の進展と無関係ではない。1964年に全国に先がけてボローニャ で実験的に導入された「地区住民評議会」は(後に、1976年の「分権・参加法」によって人口 4万人以上のコムーネに設置が義務づけられる)市内9地区(最初は18地区)に設置され、福 祉、幼児教育、文化、スポーツなど地域住民のあらゆる要望にこたえる権限をもち、図書館、 保育園、老人の憩いの家、地域劇場等を運営し、住民参加により分権社会の基礎となっている のである。 新地方自治法(法律142号)が1990年に成立したことにより、90年代にはいると財政面でも 分権化が進行し、コムーネの自主財源として不動産税(I C I )が導入され、8 0 年代半ばまで 70%以上を中央政府からの依存財源に依存してきたものが、自主財源比率が65%を越えるまで に上昇している。70年代以降財源的には中央政府への依存が強まったイタリアの地方財政は現 在に至る様々な「改革の失敗」を乗り越えてようやく制度的に安定してきたようである。(図 1∼3参照) また、新地方自治法(法律142号)に基づき全国の12都市を「大都市圏Citta Metropolitana」 に組み替える大都市圏計画が進められている。大都市圏計画とはローマ・ナポリ・ミラノなど 大都市圏を対象にした広域的都市行政の制度を導入することで、国の法律では州に計画作成権 限があるが、エミリア・ ロマーニャ州では県(P r o v i n c i a )にそれを委ねている。県は州 (Regione)とコムーネ(Comune)の中間にあり、現在は制度的にも中途半端であると言われ ている。1942年の段階でコムーネが8,150あり、1970年に州が20新設され、1995年に県が大都 市圏計画の中で新たな役割を演ずるようになった。全国的には9県60コムーネがその対象で、 エミリア・ロマーニャ、マルケ、ウンブリアなどの州で取り組みが進んでいる。1993年に新法 が決まり、1995年に新制度が発足すると、この州では半年後にスタートする体制となり、新し

(20)

いボローニャ大都市圏は計画対象面積3,700km,人口950,000人(うち,ボローニャ市385,00人) となる。計画では住民投票を実施して、国の出先機関としての性格の強い「県」を廃止して、 新たに大都市圏政府として広域行政を担当することになる。その際、ボローニャ市では、「地 区評議会」を新たに行政区単位のコムーネに格上げして、広域行政の展開と同時に狭域自治を 進めようとしている点に特徴がある。 現在、新制度への移行を前提にして大都市圏計画の策定が進められている。その内容は高速 図1 ボローニャ市部門別経常支出 図2 ボローニャ市経常収入 図3 ボローニャ市部門別資本支出

参照

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