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雅 美

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(1)

㈲歴史主義とは何か①歴史主義の意味②歴史主義の難点③本論文

の問題と私の解する歴史主義の内容l格率としての歴

史主義

目歴史主義の徹底による歴史主義的懐疑論克服の試み佃ディルタイの歴史主義論②トレルチの価値論目領域的価値論①精密自然科学の領域②哲学及びそれと親近性を持つ学問の領域③宗教・芸術・道徳・慣習などの領

四歴史主義批判の根拠lその一超越的価値論佃リッケルトの価値論②シェーラーの価値論

③超越的価値論の批判︵以上前号︶

国歴史主義批判の根拠lその二ファシズムの体験と反省

歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶

歴史哲学の諸問題︵二

l歴史主義の問題︵二︶

前章でみた価値の超越性︑事実と価値の原理的二元性を主張する

超越的価値論は︑二十世紀初頭に新カント派と現象学の一派の中か

ら現れた﹁価値哲学﹂の根本思想をなすものである︒この哲学は一

時はドイツ語文化圏で支配的な哲学として栄えはしたが︑価値の歴 い歴史主義批判が求めているもの

㈹知識社会学者による歴史主義的懐疑論克服の試み①スタークの包括的人間学の試み②マンハィムの視座換算・相対的動的総合の試み③知識社会学に対するポパーの批判と第六章のまとめ︵以上本号︶

( 1 )

国歴史主義批判の根拠lその二

ファシズムの体験と反省 ナチズムと歴史主義②ファシズムの体験と反省に映じた歴史主義的相対主義の危険の具体相⑧新し

( 1 )

ナチズムと歴史主義

雅美

(2)

207

史的相対性の事実の前に間もなく自己の無力をさらけ出し︑根本思

想としては過去のものとなって既に久しいと言える︒これは否定し

難い哲学史上の事実である︒だがそれにも拘らず︑歴史主義に対す

る批判はその後も止むことなく続き︑あるいはむしろ再燃した︒批

判の根は別にある︑あるいはむしろ新しく生じたからである︒それ

は何かと言えば︑第一次大戦以降のファシズムに係わる生々しい歴

︵1︶史的政治的体験とそれへの反省である︒従って︑﹁良き積極的な意味

での歴史主義﹂を擁護しようとする者は︑この体験と反省が示すも

のとの取り組みを避けることができない︒このことを弁えない歴史

主義擁護論は底が浅く説得力のないものであるばかりか︑超越的

価値論に基づく反論と同じように︑アナクロニズムのそしりを免れ

まい︒そしてこうした取り組みの場合に問題になるのは︑自然法思

想に対する﹁対立概念﹂ないし﹁闘争概念﹂である歴史主義が自然

法思想の伝統と対抗したことから直接間接に生じた様々な結果l

あるいはむしろ︑上記の体験や反省を踏まえようとする者の眼に︑直接間接の結果と映ったものlとファシズムとの関連であ一雄.

このうち︑本論文の中心テーマである﹁歴史主義I相対主義・懐疑

主義﹂という批判ないし嫌疑とファシズムの体験と反省との関連に

ついては第二節以降に譲り︑第一節では︑ファシズムのドイツ的形態である極端な国家主義lナチズムーと歴史主義との思想的な

内的関連に論点を絞ることにする︒問題をこのように分けるのは︑

ファシズム体験に基づく歴史主義批判には︑H自然法と対立する歴

史主義にはナチズムとの思想的内面的関連という危険な傾向が含ま

れていると言えるのではないかということが︑ファシズム体験によ︑︑︑って新たに問題として意識されるようになったという面と︑口自然 歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶

法と対立する歴史主義の含むl従来から言われていたl相対主︑︑︑義の危険が︑同じファシズム体験によって改めて強く意識されたと

いう面の二つが含まれているよ︑フに思われるからである︒

︵注︶第一次大戦以降の歴史的政治的体験に基づく歴史主義批判には︑

﹁自然法思想﹂に対するアンチテJゼとしての歴史主義に向けられる

もののほかに︑歴史科学方法論上の﹁自然主義﹂に対するアンチテーゼとしての歴史主義︵第一章第一節参照︶に関するものもあ魂︒その

主旨は要するに︑H歴史認識にとって大切なのは集団現象であるこ

と︑口集団現象の正確で充分な認識11例えば︑社会のどんな状態とか構造とかがナチスの支配を許したのかといった認識lを可能

にするのは︑歴史主義が主張するような個別的歴史事象の個性記述

的理解的アプローチではなく︑﹁構造史﹂的アプローチなのだという

ことである︒だが︑このタイプの批判には︑本論文の中心テーマと

の関連が薄いので︑立ち入らないことにする︒

自然法思想は︑モナド的に理解された個人や個々の国民に意味を

認める代りに︑人類や世界市民の理念に意味を認め︑個人や国民の

個性を重んずる代りに︑共通の人間性やその本質としての普遍的で

規範的な理性を重んじ︑また特殊で個別的な規範や価値をではなく︑

普遍的な規範や価値を追求しようとする態度であった︒これはスト

アによって宣くられ︑ローマに受け継がれ︑カトリックの教理に移

された後︑十七世紀には世俗化した自然法理論の形で復興して︑人

間の尊厳と自然的I合理的人権の思想の形を取り︑十八世紀にはフ

ランス革命の原理となった︒こうして自然法は近代の人道主義︑民

主主義を根底において支えるもの︑近代市民生活と道徳の原理にな

ったのである︒こうした自然法の伝統が歴史主義によって駆逐されずにまだ生きていた問は︵あるいは︑歴史主義がこの伝統に含まれ 一一

(3)

るよきものと相補的関係に立ちうるような一種の格率の域に立ち止

まる自制があったとすれば︶︑例えば国民という観念にしても︑それ

を普遍的な人間性の理念と両立する形で考えることが可能だったは

ずである︒なぜなら︑国民なり国民性なりの自由な歴史的形成を人︑︑︑間性の具体的実現につながるものと考えることができ︑また祖国の

自由の要求も︑偏狭なo言匡ぐ冒涜目や一宮琶尉目と結合させること

なく︑かえって他国の自由の承認と結び付けて考えることができる

からである︒従ってまた諸国民の個性の多様性の上に︑それらの調

和と統一がより優れたものとして想定されるか︑あるいは︑少なく

とも両者が相補的に結ばれ合うものとみなされることが可能だった

はずである︒事実マイネッケによれば︑一方では国民と人類︑国民

国家と世界市民主義︑国民性と人間性などの内的総合の理念が︑他

方では国家の集団的権力と国民一人一人の自由や個性との調和の理

念が︑﹁ゲーテの時代の神聖な遺産﹂として十九世紀中葉にはまだ生

きていたのであ駒一

だが︑普遍に対する個の優位︑ないしは個による普遍の否定を主

張する﹁主義﹂・﹁世界観﹂としての歴史主義が︑原理的に相容れな︑︑︑︑い﹁主義﹂・﹁世界観﹂とみなされた自然法の伝統に原理的に対抗しI従って︑その対抗が行き過ぎるようなことになるならばl例

えば国民の観念は個的性格の一面的誇張によって︑モナド的に解さ

れた国民的個性といった観念に変質することになる︒そのとき︑そ

れは普遍的などんな法にも優先する独自の規範を持てるものとみな

されよう︒だからこうした変質は︑自国の排他的な利害のみに意を

用いることこそ︑個体としての国民への義務であるとする政治的現

実主義︑力の倫理︑権力国家の思想︑粗野なナショナリズムへの堕

歴史哲学の諸問題︵ご︵関雅美︶

落の危険を孕んでおり︑そしてここから生物学的人種差別の思想への転落までは︑ほんの一歩の歩みでしかない︒考えられるこうした様々な堕落の可能性を最も極端な形で現実化したものが︑ナチスの思想だったことは言うまでもない︒だから自ら意図したかどうかは別にして︑歴史主義が少なくとも結果的にはナチズムを誘発ないしは助長促進させ︑ナチズム支配への道を思想的に開いたと批判され︑従ってまた︑ナチズムと対決し克服する方途を歴史主義に期待することはできないと考えられたとしても︑それはそれで止むをえない面があると言えるかもしれない︒こうして︑今日の多くの西欧思想家にとって︑歴史主義は一般的にはファシズムのlとりわけ︑それを世界の歴史と政治の決定的要件たらしめたドイツにおけるその勝利形態としてのナチズムのl忌わしい記憶や良心の痛みとつながっているようにみえるのである︒比較的最近の歴史主義批判は︑主として︑第一次大戦以降のこうした生々しい歴史的政治的体験と反省に基づいているのであって︑第四章で述べたような哲学的価値論のレベルで抽象的に理解された限りでの超越的価値論とか︑その時節外れの残照とかだけに基づいているのではない︒

もっとも︑議論を精密にするために言っておかなければならない

のは︑歴史主義をファシズムとりわけナチズムの体験や反省に基づ︑︑︑︑︑いて批判する場合でも︑それを政党ナチスの勝利lいわゆるナチ︑︑︑ス革命lという現実の政治権力上の出来事の直接的原因とまでみ

ているわけではない︑ということである︒ナチス勝利の基本的な外

的原因としては︑ベルサイユ条約がワイマール共和国に苛酷な戦争

責任と背負い切れぬほどの賠償を課したことと並んで︑世界恐慌が

ドイツの国民生活に破滅的な打撃を与えたことが挙げられる︒中小

一一一

(4)

ブルジョワの多くは企業と財産を失い︑都市小市民層の多くも没落していわゆる臓陽綴分子となった︒労働者層も︑例えば重工業部門

の生産が六割から八割がた減少したといった事態などが生じたため︑

﹁餓死賃金﹂と四十%を超える首切りに襲われた︒農業恐慌と工業

恐慌のダブルパンチを浴びた農民層の打撃も大きく︑土地を失う者

が続出した︒こうして拡がった現状への不満と危機意識のために︑

労働運動は急進化し︑共産党の影響力が大きく伸びる一方で︑ナチ

スをはじめとする右翼勢力も急速に成長した︒

こうした中で︑ナチスが単に左翼勢力だけでなく︑他の右翼政党

をも追い抜くことができた原因として︑様々なものが考えられる︒

外的原因としては︑共産主義の進出に危機感を抱いた重工業資本と

金融界の一部反動勢力がナチスに資金援助をしたことや︑国防軍が︑

首脳と下級青年将校の双方の側からIあるいは再軍備の大衆的基

盤をナチスに求め︑あるいはそれによるドイツの救済を期待してl

ナチスに接近したことなどが挙げられる︒ナチス自体に根差す内的

原因としては︑大衆の政治参加の欲求や大衆社会的状況の利用︑近

代的大衆伝達手段の徹底的行使などによる巧妙なプロパガンダとテ

ロの併用︑指導者ヒトラーのカリスマ性ないしカリスマ信仰の醸成の成功︑及びこれらによって可能となった組織の統制の固さ︑など

が挙げられる︒これらによって︑不安定なワイマール体制に代る統

一と規律と能率を持った強力な政権を待望していた一般大衆にアピ

ールして︑ナチスは大衆運動の波に乗ることができた︒

以上のほか︑もっと一般的な国制上政治上の原因としては︑一時

的にもせよ完全な独裁権を行使できる大統領制が存在していたこと︑

国会が政府選出能力を失って︑大統領の任命による大統領内閣の出

歴史哲学の諸問題︵二︵関雅美︶

現を許したこと︑ナチスと根本的に対立する立場にある労働者階級の分裂l即ち社会民主党と共産党の対立lと︑それぞれの側が

犯した路線上戦術上の様々な誤り︑などが挙げられる︒

普通歴史家たちによって指摘されているナチス勝利の原因は大体

︵4︶以上のようなものであり︑歴史主義はその中に加えられていない︒

シェーラーが言︑フように︑一般にイデアールな因子は生成する歴史

的事象の内容の規定因子ではあっても︑実現因子でなく︑それはレ

アールなものと結び付いてはじめて間接的な実現力を持ちうるもの

︵5︶だとすれば︑優れてイデアールなものと言える歴史主義が普通原因

の中に数えられていないのは当然であるとも言える︒

だから︑歴史主義はナチス革命というよりもむしろ思想としての

ナチズムに関連して批判されているのだが︑その理由は︑ナチズム︑︑︑の体験と反省に深められた洞察によって︑次のような認識が事後的

に得られたからだろ︑7︒㈲ナチズムへの抵抗・批判の原理になれる

のは︑自然法思想ではあっても︑歴史主義ではないこと︒口歴史主

義は自然法思想と闘争関係に立つことによって︑ナチズムに対する

抵抗力を弱める機能を果たす可能性を持つこと︒日それどころか︑

それは更に同じ理由によってナチスと結び付き︑それを許容する可

能性を持ちかねないものであること︒もっと厳しくみれば︑ナチズ

ムを誘発ないし助長促進する可能性を持つこと︒四あるいは更に歴

史主義はナチズムを代弁し理由づけるイデオロギーに堕するか︑そ

のように悪用されるかする可能性も持っていること︒

こうした認識が事後的に生じたのは︑ナチズムの次のような内容.

特徴からみて止むをえないことである︒その一般的特徴は︑情感と

行動の優位︑非合理性の優位l換言すれば主知主義・合理主義の

(5)

否定Iと︑行動における倫理的抑制の否定などである︒こうした

一般的特徴は︑対外的には極端で粗野なナショナリズム︵極端な排

外主義︑民族的利己主義Iマキァベリズム︑国粋主義︶として︑対

内的には専制主義︵指導者原理に貫かれた一党独裁︶︑全体主義とし

て具体化される︒いずれの場合にも︑思考・行動様式の野獣性を伴

って現れる︒こうした専制主義や全体主義によって踏みにじられる

のは︑具体的には議会制デモクラシー︑政治的平等主義︑言論・出

版・集会の自由などであり︑もっと根本的には︑人間の良心の自由

︵倫理的自己決定の自由︶である︒だがもっと基本的なものとして︑人間の品位・名誉の感情を挙げなければならない︒勝利の見通しを

全く持てない時にあってさえ︑ナチスへのレジスタンスを止めなか

った少数の人々を根底において支えていたのは︑人間としての品位.

名誉を踏みにじられた屈辱感と︑それを回復したいという願いl

およそ人間の品位・名誉に対する感受性を備えているほどの人なら

ば︑宗派信条などの違いを超えて共有しうるものlであったろう︒

要するに︑ナチズムによって踏みにじられ︑従ってまたそれへの批

判の原理となりうるものを︑人間の尊厳と人間性への信頼を中核と

する人道主義︑自由主義︑合理主義などであると要約できるとすれ

ば︑これらはいずれも自然法の伝統につながるものであると言える︒歴史主義がこうした自然法に対する闘争原理として立つ限り︑上記

の批判は自然なことと言えよう︒だから︑例えばドイツを襲った﹁恐

ろしい破局の一層深い原因を問う﹂て﹃ドイツの悲劇﹄を書いたマ

イネッケが︑終生歴史主義者であることを止めなかった自己の立場

を堅持しながらも︑そこでは自然法思想へのかなりの接近を示して

いるのは当然と言迩蕊︒

歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶

︵注︶マイネッケは﹃ドイツの悲劇﹄において︑H権力国家的マキァベ

リズム的思考を意識的に理論づけ世界観的なものにまで高めようと

する傾向がドイツにあったこと︑口社会主義の運動と国民的運動︵自

民族の地位を権力政治的に高めようとする運動︶の二つが︑十九世

紀後半以降大衆社会的状況と結合して大衆運動の二つの大波となっ

たが︑Hの傾向を持つドイツにおいては︑この二つが権力国家︑全

体主義国家を肯定する形で融合したことによって︑﹁ゲーテの時代の

神聖な遺産﹂︵古典的自由主義︶が破壊されたことl主としてこの

二つにドイツの破局の﹁深い原因﹂をみようとしていて︑歴史主義に原因をみていな︵甲もっとも︑彼は﹃近代史における国家理性の

理念﹄や﹃歴史主義の成立﹄の著者でありながら︑﹃ドイツの悲劇﹄に

おいては︑歴史主義にも自然法にも︑名指しの形では一切触れるこ

とをしていない︒終生歴史主義者であることを止めなかった彼の立

場の屈折した反映を︑そこに見るべきなのであろうか︒ともあれ︑

彼がこの書物で事実上自然法思想へのかなりの接近を示しているこ

とは明らかである︒

ただそうは言っても︑歴史主義がその内容上︑思想としてのナチ︑︑︑ズムの内容と生起と経緯とに果たしてなんらかの影響を現実に持っ

たかどうか︑一つ前のパラグラフで言われた︒と日と囚の可能性が

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

果たして現実のものとなっていたかどうかは︑かなり疑わしいので

はなかろうか︒換言すれば︑歴史主義がもし存在しなかったとすれ

ば︑ナチズムの内容が変っていたか︑それへの抵抗がもっと力強く

生じていたかどうかに関して︑ウェーバーのいわゆる﹁客観的可能性判隆をしたと仮定した場合の結果について︑私はかなり否定的︑︑︑︑︑な印象を持っている︒察するところ︑これらについての明確な肯定

的判断がまずあって︑そこからはじめて歴史主義批判が生み出され

ているのではなく︑ナチズムの体験と反省の一環として歴史主義に

(6)

含まれる危険な可能性が事後的に洞察されただけなのに︑それがナ

チズム以前からあった歴史主義批判を倍加させたことによって︑そ

れとナチズムとが実態以上に密接に関連づけられて意識され︑事後

的に気付かれたにすぎない可能的なものが︑既に存在していた現実

のものであるかのようにみなされる結果になったというのが︑真相

なのではなかろうか︒両者の密接な現実的関連の意識は︑ナチズム

体験の生々しさと反省の切実さの反映として︑それなりに評価でき

る面はあるにしても︑実態の正確な把握とは違︑フのではなかろうか︒

本論文での私の主題は歴史主義I相対主義・懐疑主義の批判に答

えることなので︑歴史主義とナチズムとの思想的な内的関連の問題

にこれ以上立ち入ることはできない︒ただ最後に付け加えておきた

いことは︑歴史主義がナチズムと実態以上に関連づけられて非難さ

れることがあるとすれば︑その原因の一つは︑歴史主義が自然法原

︑︑︑︑︑理に対する闘争原理・世界観として振舞い︑ザッヘに即して必要な場合には自然法的見方とも相補的関係に立つことのできるような格

率︵本論文第一章第三節参照︶として振舞わなかったこと︑歴史主義の

本質をこうした格率にみるべきことが洞察されていなかったことに

求められねばならないということである︒もっとも︑格率へのこう

した抑制は︑歴史主義にとってだけでなく︑自然法にとっても同じ

ように必要である︒対立する二つの見方のいずれか一方だけが百%

正しいということはありえない︒両者は長短相補うべきであり︑そ

︵注︶れには両者共に原理から格率へ変らなければならない︒マイネッヶの言う﹁ゲーテの時代の神聖な遺産﹂は︑それと意識することなし

に共に格率へと自己を抑制していた限りでの歴史主義と自然法との

相補的関係によって支えられていたのではなかろうか︒私が本論文 歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶

の中心テーマとずれるだけでなく︑上述のような漠然とした推測的

な結論しか示すことができない問題なのを承知の上で︑ナチズムと歴史主義の関連の問題に敢て触れた理由の一つは︑歴史主義と自然

法を相補的格率へ転換する必要性をこの問題に関連して指摘してお

きたかったためである︒そしてこの必要性は次の注でもっとはっき

りすると思う︒

︵注︶仲手川狼雄氏は多くの鋭い洞察を含む﹃ブルックハルト史学と現

代﹄の中で︑歴史主義と自然法を比較して次のように述べている︒

前者は行動と断絶した観想性を本質とするもの︑歴史に現れた個性

の豊かさを単に美的に静観するだけのものであるのに対して︑後者は本来的に実践性を内包するもの︑現状批判と改革の基準や理想と

なるもの︑換言すれば︑氏が引用しているA・P・ダントレーヴの

言うように︑現在の梗桔を打破して獲得さるべき﹁権利の理論﹂であって︑単なる﹁法の理論﹂ではないl仲手川氏のこうした指摘

は︑﹁ナチスの暴政と第二次世界大戦とを経験したあと﹂での﹁ナチ

ズムと歴史思想との関連﹂についての氏自身の省察を色濃く反映し

ている︒

これに対してA・スターンは自然法について︑これは牙旨との○室①己

を混同し︑前者から後者を引き出せると考える論理的欠陥を持つこ

と︑自然法論者が﹁自然﹂から引き出したと称するものは︑彼ら自

身か彼らの﹁委託者﹂l例えば国王lかの意志に基づくものに

すぎなかったことを指摘す麺とともに︑仲手川氏と全く違う意見を

述べている︒彼は尺ンス・ケルゼンが示したように︑歴史の流れ

の中では︑自然法が人民に対する専制政治の強化の理論的基礎とし

て使われたことの方が︑専制政治に対する人民の保護に役立ったことよりも︑はるかにしばしばであっ範と言い︑ホッブス︑プーフ

ェンドルフ︑グロティウス︑カントの所説を証拠として引用してい

る︒だから彼によれば︑﹁自然法は進歩よりもむしろ反動の名分に用 一ハ

(7)

いられた方が多かったのであるから︑それを放棄しても自由の大義

のためにあまり大きな損失にはならないわけであ鼬lこのよう

に主張するスターンはナチスの﹁人種法﹂の適用を受けた人である︒

その辛苦の体験を踏まえて書いている彼が︑仲手川氏と全く違った

結論に到達しているのは興味深い︒E・H・カーは一九一九年から一九三九年までの二十年間の国際

政治の理論及び実際の危機に関する実証的な研究書である﹃危機の

二十年﹄で︑自然法の主要な難点を︑それが保守主義者にも革命家

︵昭︶にも︑同じように安易に使用される二面性を持つ点にみているが︑

これはスターンに近い見方であろう︒またC・アントーニは︑今世剛禦調蕊川戟艫藻纈鋤蕊帥浮鴎熊鮭

の自然法思想の主知主義的功利主義﹂が︑﹁生存の安全﹂と﹁福祉﹂

のために︑個人の自由を国家に﹁譲り渡してしまったこと﹂を批判

しているが︑これもスターンの自然法批判に近い・だが︑私は﹁自然

︑︑法は本来保守的なものなのか︑進歩的なものなのか﹂といった議論

や︑﹁自然法が歴史上進歩的に機能したケースと︑保守的に機能した

ケースとのどちらが多かったか﹂︑といった議論に立ち入るつもりは

ない︒ここでは上の四氏の意見も考慮しながら︑次のことだけを指

摘しておく︒自然法が様々な批判を免れて進歩的に機能することができるため

には︑まず第一に︑原理や世界観であることを止めなければならな

い︒即ち﹁立法的自然﹂や﹁人間自然の普遍的合理的本性﹂などを

︑︑実在とみて︑貯旨とぎ﹈︸①国の結合を主張する結果になることを

止めなければならない・第二に︑それは﹁立法的自然﹂なり﹁共通

の普遍的理性﹂なりに支えられた﹁普遍的規範﹂の存在の主張を︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑事実に関する主張から格率へl思考の存在拘束性をできるだけ克

服して普遍妥当的なものの獲得を促す格率へl転換させねばなら

ない︒そしてこの意味での格率が本当に成果を挙げるためには︑そ

歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶ れは逆のもの︑つまり思考の存在拘束性の事実の積極的探索を命ずる格率としての歴史主義と結び付かねばならない・第三に︑それは

︑︑︑︑

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑﹁普遍的合理的本性﹂の主張を︑人間の間の不合理な差別を無くす︑︑︑︑る方向で現実の批判と改革を行うための一種の作業仮説︑ないしはそうした改革を促す格率としてのみ︑﹁生けるもの﹂であると考えねばならない・第四に︑この格率に導かれたせっかくの改革の努力が︑現存の不合理.古い差別に代えるに新たな不合理・差別を以てするような古来多くみられた逆説に陥ることがないようにするために︑この格率も第二の場合と同じように︑現状を批判する自己自身の立場の存在拘束性をも積極的に探索しようとする格率としての歴史主義と︑やはり相補的に結び付かなければならない︒なぜなら︑こうした逆説が生ずる原因の一つは︑後に第七章第二節で明らかになるように︑思考の存在拘束性のためだからである︒要するに︑歴史主義的知識社会学的知見が拡がる中で︑自然法思想を今なお﹁生けるもの﹂とするためには︑これらの修正補強が必要なのである℃そして次章以降で取り上げる思想家たちの思想の中にも︑意識されることなしにではあるが︑修正補強された自然法思想が生きていると言えるかもしれない︒

このように考える私からみて示唆的なのは︑クローチェの﹁絶対

的歴史主義﹂の思想である︒これは歴史的状況によってその内容が

その都度具体化されるような自然法的絶対的規範の存在を主張する

もので︑歴史主義と自然法思想を総合しようとしたものである︒つ

まり︑﹁自由の促進﹂を普遍的人間性に根差す絶対的規範とみ︑その

具体的内容l何に﹁自由の促進﹂の意味を持たすべきかということlは︑人間の自由を巡るその都度の歴史的状況によって明らか

︵脂︶にされるべきだと考えるものである.この種の思想が有効に機能す

るためには︑上の四つのことが必要だと私は考える︒

要するに︑ナチズムの体験と反省に基づいて歴史主義を批判する

のに急な余り︑自然法思想の問題性や歴史主義思想の有意味性及び

(8)

②ファシズムの体験と反省に映じた歴史主義的

相対主義の危険の具体相

歴史主義が近代市民生活と道徳の普遍的な原理であった自然法の

伝統に対抗して﹁ヘラクレイトス的革命﹂を企てた以上︑それだけ

で歴史主義は︑競合する諸価値や思想の正否の客観的・間主観的決

定不可能性や無規準性︑更には一切の人間的事象の無常性a弓のの︲

註昌億百己を説く相対主義であるという印象を与えかねないわけであ称缶前章で扱った超越的価値論からの批判にも︑前述の価値哲

学的発想のほかに︑恐らく自然法の伝統への帰依の心情が働いてい

たことだろう︒一方前節で述べたナチズムの一般的特徴は︑同時に

広義のファ︑ンズムの一般的特徴でもあるが︑それは要するに自然法

の伝統の破壊と言えるものであった︒だから︑自然法との関係でも

ともと歴史主義に掛けられていた相対主義の危険という前述の嫌疑

が︑こうしたファ︑ンズムの体験と反省に深められた者によって改め

て深刻に意識されることになるのだが︑その場合︑その危険は具体

的にはどんな形のものとして意識されるであろうか︒新しい根拠か

ら生ずる相対主義の批判から歴史主義を救えるかどうかの検討は︑

この特殊な体験に相対主義の危険の具体相として映るであろうもの

の詳しい確認作業から始めなければならない︒

この場合︑歴史主義は自然法思想と違って︑それ自体において価

値あるものに組したり︑あるいは︑それを生み出そうとする信念や

努力を喪失させるもの︑とみえるだろう︒これが恐らく批判者の眼

に映るであろう相対主義の危険の最も基本的な姿であり︑以下に述 両者の相補的関係設定の必要性などを見落してはならないと思う︒

歴史哲学の諸問題︵二︵関雅美︶

くるものは︑すべてその具体化とみることができる︒

まず実践のレベルにおけるその具体化は︑大きく二つに分けるこ

とができる︒それは︑Hすべてを歴史の無限の流れの中の過ぎ行く

一瞬のものとして眺めやるのみで︑特定の価値や立場との係わりを

少なくとも実践的には放棄する態度か︑口特定の価値や立場と特殊

な係わり方をする態度かである︒前者は主として人間的事象の無常

性︵I相対性︶の意識の反映と言えるものだが︑これはその真蟄さ

の度合いに応じて︑例価値あるものが赤裸々な権力政治に踏みにじ

られてゆく様を︑悲痛な想いに打ちひしがれながらも︑承認し難く

また抗し難いこのものも﹁やがては過ぎ行く無常のもの﹂と見通し

て︑その消え行く時を沈黙の裡にただひたすら待ちわびる形か︑いこうした歴史の歩みを真面目にとらず︑﹁浅薄鰔曹説銚﹈にすぎぬ

︵肥︶

もの︑すべてはただ﹁成り行き次第﹂︵守図画のぎの己︶に成り行くに

すぎぬものとして︑心の痛みもなく︑ただ投げやりに傍観する形か

の︑いずれかになることが考えられる︒これら二つのものの間には︑

内面的な態度の真蟄さの度合い︑価値ありと思われるものとの観想

的な係わりの有無︑ないしは︑そうした係わり方の誠実さの程度︑

などの点では大きな違いがあるにしても︑不作為によってファシズ

ムを為すに任せることになる点では同じである︒一方︑特定の価値

や立場と特殊な係わり方をする口の態度は主として決定不可能性︑

無規準性︵I相対性︶の意識の反映と言えるものだが︑これも真筆さ

ないし真面目さの有無や度合いに応じて︑次の三つに区別される︒

例その時々の優勢な時事的︵異冒の三傾向に︑内面的な傾倒なしに

巧妙に迎合して︑つかの間の利益にありつこうとする﹁機敏で無原

則なオポチュニズム﹂︵の旨言言己の門匡己腎ロ且切質旦○mの再○壱○門目︲

(9)

︵岨︶

己の皀匡m︶の形︒これは真筆さの完全な欠落形態で︑相対主義的意識

の徹底・堕落である︒㈱その時々の﹁被投的﹂状況に︑受動的にご

く自然に順応する形︒前の例と比べると︑ここには少なくとも素朴

な真面目さがあると言えるかもしれない︒これは︑狂信的にファシ

ズムを信奉したわけでも︑ファシストの宣伝のすべてを真に受けたわけでもないが︑しかし﹁いわば静かに支持し勘社会の平均層に

ダスマン

最も多く見られるものだろう︒﹁世間的平均性﹂の支配下にあって

自律的決定ができない無規準的︵I相対的︶な人々の態度である︒

最後は︑伽脇圭平氏が﹃知識人と政治﹄でE・ユンガーについて述べているよう玲一﹁行動主義的ニヒリズム﹂とか﹁ニヒリズムとして

の決断﹂とかが︑実存主義的ないわゆる﹁状況への決意﹂と結合す

る形で︑相対性の意識の徹底としてのニヒリズムなしには不可能なものである︒これは特定の価値なり理想なり目的なりのために︑何

かあるものに﹁参加﹂するのではなく︑なんであれ﹁被投的﹂な時

事的状況としてたまたまそこに在るものに盲目的に決断して﹁参加﹂

し行動すること︑そのことに陶酔し︑自己の存在の充実感を覚えよ

︑フとするものである︒目的や理由についての一切の倫理的問題提起

とそれに基づく自律的選択の態度が欠落した盲目的で偶然的な決断

と行動がlあるいはむしろ︑これらに伴う情念の燃焼と興奮のみ

がl自己目的化しているこのケースは︑ファシズムの体験と反省

の立場からみて︑恐らく最も恐ろしい結果を生むケースであろう︒

これは私が第二章で﹁歴史主義の徹底による歴史主義的懐疑論克服

の試み﹂と呼んだものとは全く別のものである︒私はそれを支えるものが真蟄さと情熱であることを指摘した︒その限り今の場合と似

ているようにみえるかもしれない︒だが前の場合は要するに︑自己

歴史哲学の諸問題︵こ︵関雅美︶ の歴史的現実を踏まえよ︑フとする主体にとって絶対的妥当性を持つ

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑と信じざるをえないものの自律的選択の立場であり︑真蟄さと情熱は︑この選択の自律性と不可分のものであった︒これに反して今の場合は︑盲目的な興奮と遭遇の偶然性が結び付いている︒そこに︑相対性の意識が懐疑主義を突き抜けてニヒリズムにまで徹底したこ

の立場の危険性がある︒

以上が︑ファシズムの体験と反省に深められた者から歴史主義に

掛けられるであろう相対主義の嫌疑の基本相から︑実践のレベルに

現れてくると思われるものだが︑同じものが歴史叙述のレベルに現

れると︑G・リッターが﹁高度な歴史叙述﹂aのの○三o胃の︑︒言巴言品

きぎ門の国の三巴や﹁男性的な学問﹂︵目雪国屋︒言雲厨切の自切o富津︶と

しての﹁真の歴史﹂と区別して︑﹁卑屈な歴史叙述﹂︵gの国の弓罠︽の

ショぐ○国○①︑o宣︒ごm切○言巴言品︶とか﹁弱々しく精神的にあやふ

やな性格の歴史﹂︵雲切さ風のの︒言墨︒ごぎぎ同巨己旨国の再匡昌匡ご巴︒−

︵塊︶

言局の局○富国宮の門︶と呼んだものになると言えよう︒彼はこれにつ

いて詳しい説明をしていないが︑私はこれを価値判断に関する態度

によって︑次の四つに区別したい︒Hどんな事象が対象であっても︑

その生起の歴史的必然性を示すような充足理由律的因果連関の説明

に叙述を限定し︑一切の価値判断を回避するもの︒これはすべての

生起を因果必然とみることによって︑一切を相対化することになる

わけで︑歴史叙述の客観性擁護の名の下に︑︵羽1ツターの言う﹁官官

的な局外中立﹂︵の自国匡○言昌呉蔚zの員目三聟︶を守ろうとする立場

である︒口価値判断を回避することはないが︑事象の生起の歴史的

必然性の理解から︑直ちにそれを引き出すもの︒これは︑どんなも

(10)

199

その実例である︒﹁出来上がった事実の神化﹂︵くの門悪茸の門口長居時

ぐ○一一画○mの国のご弓画訪四○言︶と言え秘︒日いわゆる﹁勝てば官軍﹂︑﹁力

は正義﹂︵皀答どの国警こ式の価値判断を行うもの︒﹁成功の礼拝﹂

負昌詳号︑向風○億のの︶であり︑﹁歴史的に実現されて成功する力を ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

持った一切のものを︑その道徳的品位に係わりなく尊敬する﹂現実主義であ跡︶︒四その時々の優勢な時事的傾向に迎合した価値判断を行

うもの︒これは日と本質的には同じである︒叙述の対象が叙述者の

立つ時と場所から離れていて︑時事的傾向との関連づけの可能性が

少ないほど前者に向かい︑多いほど後者に近づく︒

口から側までのものは︑価値判断を回避しない点で㈲と違ってい

る︒だがこの違いは表面だけのもので︑Hから口以下への移行は容

易だろう︒なぜなら︑第一の立場に何か大義名分があるとすれば︑それは恐らく歴史叙述の客観性の擁護l﹁事実への忠実さ﹂l

︑︑

であろうが︑口から四までの価値判断が歴史的事実を判断基準とす

るものである限り︑﹁事実への忠実さ﹂と矛盾しないと弁明できる

からである︒価値判断の有無に拘らず︑﹁事実への忠実さ﹂という点

は共通なのである︒㈲は﹁事実への忠実さ﹂を名分として価値判断

を行わず︑︒以下は同じ名分によって﹁事実﹂を基準としそれに責 であるとか︑魔女火刑は中世の価値基準に合致した慣行で銃ったから︑中世はそれをする正当な権利を持っていたといった主張などが︑ のも起こるべくして起こった以上︑起こった時点においてはすべて︑︑︑正当な存在理由を持っていたと考えるわけである︒だからすべての事象は︑合理的・必然的とみられたその歴史的現実性そのものによって︑正当化されていることになる︒暴力によってすべての自由を抑圧した中世の専制君主たちも︑ただその時代に忠実であったまで

歴史哲学の諸問題︵二︵関雅美︶

任を転嫁する価値判断を行うわけである︒このことは同時に︑︒と

日四の区別がなんら本質的なものではないこと︑口は容易に日四に

移行ないしそれらと結合し︑フることをも示していると言えよう︒そ

して︑名分として利用可能なこの意味での﹁事実への忠実さ﹂とい

う共通の特徴を持つところに︑これらすべての立場の卑屈さ︑弱々

しさ︑あやふやさが現れている︒なぜなら︑この特徴は﹁それ自体

において価値あり﹂と信ずるものを持ちそれに即して価値判断を行

う毅然たる態度の欠如の反映と言えるからである︒この意味で以上

の四つは︑﹁それ自体において価値あるものに組したり︑あるいはそ

れを生み出そうとする信念や努力の喪失﹂状態の︑歴史叙述のレベ

ルでの具体化であると言える︒従ってまた︑これらのものが実践の

レベルでの同じ状態の前述の具体化と本質的に対応するものである

ことは明らかである︒

リッターが﹁高度な歴史叙述﹂と﹁卑屈な歴史叙述﹂を対比して

いるのは︑一九五五年にローマで開かれた第十回国際歴史学会での

報告の中でであるが︑同じ報告で彼は︑ファ︑ンズムの下でのドイツや

イタリアでは︑ソビエトの勢力圏で今日なおそうであるように︑﹁全

体主義的国家権力﹂が﹁政治・経済史を自国の権力目標に奉仕させ

たり︑また宣伝手段として役立たせたりするように努力した﹂こと

︵︶を指摘している︒またH・ピレンヌは一九二三年にブリュッセルで

開かれた第五回国際歴史学会での開会講演で︑第一次大戦の全期間

を通じて︑交戦国が歴史学と化学の二つの学問を﹁徴用﹂したこと︑

後者は爆薬と毒ガスを︑前者は戦争の﹁大義名分︑正当化の根拠あるいは弁解を提供した﹂ことを指摘してい蕊︒国家権力が歴史学を

自己の権力目標に奉仕させようとする傾向は︑戦時下と全体主義国

(11)
(12)
(13)

︵犯︶という﹁アルキメデス的要求﹂に︑本質的な内容や発想の点では適

うものでなくてはならない︒この種の原理がその都度の状況なり︑

もっと広範な歴史の経緯なり︑種々の伝統なりl要するに広い意

味での﹁歴史的なもの﹂lについての反省や変化と関係するのは︑

次の二つの場合に限られる︒第一はその確立過程においてである︒

それは広い意味での﹁歴史的なもの﹂の在り様やその推移と︑各自

が半ば無意識的無批判的に抱いていた主観的な印象や信念との︑応

答対話の繰り返しの中で︑絶えず変容を繰り返しながら少しづつ形

成されていくものだからである︒第二は︑確立後にその本質的内容

を実現するための戦術的な面とか︑本質的内容の個別的具体化とで

も言︑フベきものとかを考える場合である︒これらは状況の変化につ

れて変りうるからである︒問題の原理が﹁歴史的なもの﹂の反省や

変化と係わるのはこうした二つの場合だけである︒その本質的内容

や発想そのものは︑ひとたび確立した上は︑それと抵触するよ︑フな

時事的状況に抗し︑また特にそれを堅持することの自己にとっての

利害的状況の変化に抗して︑解釈と行動のアルキメデスの点になら

なければならない・本質的な点での変化がもしあるとすれば︑それ

は例えば﹁歴史的なもの﹂のトータルでラディカルな変化とか︑異

質の文化との接触によるラディカルな文化的衝撃とか︑あるいはな

んらかのきっかけによって﹁歴史的なもの﹂への全く新しい見方・が

著想されたことなどによって︑本質的に新しい洞察が開示されたこ

とによるべきで︑それに抵触するような強力な時事的状況の出現や

利害的状況の変化などによるべきではない︒また戦術面や個別的具体

化の面での変化も︑変化した状況Iそれも自己にとっての利害的

状況とは異質のものlと原理の本質的内容との対話によって起こ

歴史哲学の諸問題︵一︶︵関雅美︶ るべきものであって︑単なる利害的状況の変化から生まれるべきも

︑︑

のではない︒要するに求められているのは︑内に省みて変節による良心の痛みなしにはいかなる変化も不可能な原理なのである︒ファシズムへの反省を篭めて︑﹁歴史主義I相対主義・懐疑主義﹂と非難されるとき︑人々が実践のレベルで求めているのは︑こうしたアルキメデス的原理である︒この種のものを持つことと︑﹁それ自体において価値あるものに組したり︑あるいはそれを生み出そ︑フとする信念や努力﹂の存在とは︑前述のように別のことではないであろう︒

次に歴史叙述のレベルで求められているのは︑リッターが﹁高度

な歴史叙述﹂とか︑﹁男性的な学問﹂としての﹁真の歴史﹂と呼ん

︑︑︑︑︑︑︑︑

でいるものである︒これは要するに︑歴史事象を客観性への意志に

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

基づいて理解した後に︑それに対する毅然たる価値判断を回避しな

いもののことである︒リッターが言うように︑﹁一切を理解すること

は︑決して一切を是認することを意味するのではない﹂から︑﹁歴史

を真剣に形作ろうとする者は︑まさしく判断することを余儀なくさ

れているのである﹂・しかもそれは前節で言われた﹁事実への忠実さ

を名分として利用できるような価値判断﹂であってはならない︒理

解された対象を崇高なものとか卑劣なものとかと判断し言明するこ

とが︑時事的l特に政治的に時事的なl状況からみて﹁目先の

成果﹂弓品のの①民○億︶を生まないだけでなく︑不利で危険な場合で

あってさえ︑敢てそうするような毅然たる価値判断が必要なのであり︑それができる﹁男性的な学問﹂が﹁真の歴史﹂なのであ魂︒ウ

エーバーの﹁学問における価値自由﹂の主張に引き付けて言えば︑

歴史家は歴史事象を科学的に認識した後︑認識と評価の区別や自分

が信ずる価値基準やそれを信ずる理由などを明らかにした上で︑そ

一一一一

(14)

の基準に忠実な評価を責任をもって行うことl要するに︑明蜥さ

と知的誠実と責任感とに貫かれた歴史叙述を行うことが︑今求めら

れているものなのである︒前述のように︑国家権力が歴史学を自己

の権力目標に奉仕させようとする傾向があることを考えると︑それ

に利用されやすい類の歴史的事象が対象である場合ほど︑こうした

叙述の必要性が高いと言える︒そして︑﹁出来上がった事実の神化﹂

や﹁成功の礼拝﹂や﹁優勢な時事的傾向への迎合﹂などとは全く異

質なこの毅然とした男性的な価値判断の手掛かりl価値判断基準

lになるのは︑上で﹁解釈と行動の原理﹂と呼ばれたもの以外に

はないであろう︒ファシズムへの反省を篭めて人々が歴史叙述のレ

ベルで求めているものと︑実践のレベルで求めているものとは︑根

底においてつながっているのである︒

以上によって明らかなように︑求められているのは︑確固とした

積極的で自律的な解釈と行動と価値判断のアルキメデス的原理であ

る︒だがこれを得ようとする努力と︑私が擁護しようとする格率と︑︑︑しての歴史主義lとりわけ︑思考の存在拘束性︵I個別性︶の事

実を積極的に探索するように促すものlとは︑果たして積極的に両立するだろうか︒これが新しい根拠に基づく批判から歴史主義を

守る︑フとする私の問題点なのである︒もしこの原理が全く個別的・

主観的なものでよいのなら︑両立は可能である︒また普遍性が要る

としても︑同じ﹁存在﹂・﹁立場﹂に拘束されるごく限られた人々に

だけ当てはまる程度の普遍性l思考の存在拘束性の枠内で自然

に生ずる程度のものlで済むのなら︑やはり両立は可能だろう︒

だが︑もっと広範な普遍性を努力して求める必要があるような場合

には︑両立は難しそうにみえる︒それは例えば優勢な時事的状況に

歴史哲学の諸問題︵ご︵関雅美︶

抵抗するような歴史的実践の場合である︒これは問題の原理に自覚

的に支えられることが特に必要なケースであるが︑行為が有効なた

めには︑階級なり階層なり党派なりの狭い枠を超えたできるだけ広

い連帯が必要である︒だから︑解釈と行動の原理は︑ミクロ的にみ

れば︑異なる様々な﹁存在﹂に拘束されてはいても︑マクロ的には︑

具体的実践への連帯を可能にする最大公約数的共通項的﹁存在﹂を

共にする多くの人々に広く当てはまるような︑相当程度の普遍妥当

性を必要とする︒原理のこの意味での普遍性と有効性は相伴うと言

えるが︑これは共通項発見の努力l即ちミクロ的﹁存在拘束性﹂

克服の努力lなしには可能でない・

歴史叙述のレベルでの価値判断についても︑似たようなことがあ

る︒歴史主義が言うように︑価値判断は所詮は主観性・個別性を免

れえない・だがそのことと︑できる限り普遍妥当的であろうと努力

することとは別である︒とりわけ︑優勢な時事的傾向とか国家の権

力目標とかに抗するような毅然とした男性的な価値判断であればあ

るほど︑またその種のものが必要なケースであるほど︑普遍性への

努力が要請される︒そうでなければ︑それは歴史家の象牙の塔的孤

独な営みを越えて広く訴える力を持ちえない・学問と実践を直結さ

せることには慎重でなければならないのはもちろんであるcしかし︑

国家の権力目標に歴史学を奉仕させようとする傾向の存在は︑それ

に利用されやすいタイプの事象を扱う歴史家の政治的社会的責任の

問題を引き起こさずにはいない・優勢な時事的傾向と関連する事象

を扱い︑しかもその傾向に批判的であらざるをえないと考える歴史

家の場合なども同様である︒﹁科学﹂や﹁学問﹂の名の下に︑権力や

時流に積極的に迎合したり︑あるいはそれに無自覚的に流されたり

(15)

する歴史家が過去に存在した厳然たる事実を想うとき︑このように

言わざるをえない︒そして︑歴史家の責任は認識の客観性への努力

だけでなく︑価値判断の男性的性格と普遍性への努力によっても果

たされねばならないのではないか︒だから彼は自己のミクロ的﹁存

在﹂からの拘束と戦ってへ共通項的﹁存在﹂を発見しようと努めなければならないのである︒どれほど慎重な自己批判的な熟盧を重ね

て普遍性を目指したかが︑所詮は個別性を免れえない価値判断の真

筆ざのバロメーターの一つであり︑これによってはじめて一定限度

の普遍性が可能になる︒そしてこうした努力は何よりもまず︑それ

を支える判断基準としての原理の普遍性へ向けられなければならな

い︒

このようにみてくると︑問題の原理獲得の努力と歴史主義とはl

後者が自然法と対立する原理であるときはもちろんのこと︑それと︑︑︑︑︑相補的でありうる格率へと抑制された場合でもなおl指向する基

︑︑︑︑︑︑︑︑

本的方向そのものからして互いに矛盾するもののように思われてく

る︒新しい根拠に基づいて再燃した相対主義の非難はそれだけ説得

力を増すようにみえるわけだが︑本当にそうかどうかを知るために︑

この問題と関係があると思われる思想家の考えを検討するのが︑次

の仕事である︒第六章の狙いは︑思考の歴史的相対性︑存在拘束性

という歴史主義的意識を思想的な拠所としている知識社会学者たち

による歴史主義的懐疑論克服の試みを分析することによって︑思考

の存在拘束性の事実を積極的に指摘することと︑普遍妥当性獲得の︑︑︑︑︑︑努力とが︑実際は積極的に両立することを︑抽象的一般論の形で示

すことである︒第七章の狙いは︑普遍妥当的な解釈と行動と価値判

断の原理に当たるものを実際に提唱した思想家の思想を分析するこ

歴史哲学の諸問題︵二︵関雅美︶

とによって︑この種の努力と格率としての歴史主義と︒が︑積極的に︑︑︑︑両立するのみならず︑前者に後者が不可欠であることを︑具体的に示すことである︒もしこれらの狙いが果たされるなら︑歴史主義は第一次大戦以降の体験と反省に映じた危険の具体相として第二節で示されたものを生み出すどころか︑同じ体験と反省が求めているものの実現にとって不可欠の要因であることが示されることになる︒そしてそれは﹁歴史主義I相対主義・懐疑主義﹂の非難から最終的

に救われることになる︒

︵2︶

︵3︶

︵4︶ ︵1︶

︵6︶

︵7︶︵8︶

5

︵9︶

︵蛆︶ ぐ哩・司凰巴凰昌冨の旨の︒言︾富の旨の︒百三の異のゞ淫.重逸シ茸の苧屋畠︵矢田俊隆氏訳﹃ドイツの悲劇﹄︿﹃世界の名著﹄第五四巻所収﹀四二三〜五六二頁︶︑アントーニ﹃歴史主義﹄新井慎一氏訳第一章︑仲手川良雄氏﹃ブルックハルト史学と現代﹄一六七︑二○七頁参照岸田達也氏﹃ドイツ史学思想史研究﹄三○○〜三○三頁参照室①旨の︒言.8.o夢い困霞.︵上掲訳書四三六〜四三七頁︶﹃岩波講座世界史﹄第二四︑二六︑二七︑二八巻所収のファシズム関係論文︑林健太郎氏﹃ワイマル共和国﹄三画澱め︒言︸の曙・の①の︒冒冒の岸の言の異の︑司冒言崖呈品の.田.昌.の.四つ︷戸ぐ巴.富の旨g言.︒?g辱忌.一ヶ甘口●︾﹄8画4﹃・冨煙閤雪のすの厚の①m四日目の扉のシ罠︑騨圃の田巨同君厨切のご切目画津切一①写門の︑厚旨のシ昌一侭の︾の.画忠津︵森岡弘道氏訳﹃歴史は科学か﹄一七七頁以下︶仲手川氏上掲書一六八〜一六九︑二○九頁

シ罵門の﹂の扇門Pの①mo三.胃切己三さ切○も三の匡口αごくの局吾門○z①冒画切扇函

〜屍史細谷︑船橋︑小林三氏訳﹃歴史哲学と価値の問題﹄二四八〜

二五六頁︶

(16)

313029

へ へ へ へ へ へ

282726252423

… ー … ー ー ー

22212019

… ー ー ー

1 8 1 7

161514

ー … ー

131211

夢丘︲の息誤︵上掲訳書二五二頁︶

い﹄認︵二五六頁︶

両讐ご画吋g西昌一の茸○画旬厚ヨゴの弓弓のごどく①画吋の画○国切厨︒﹄の﹄の〜﹄の四の.

?ご史井上茂氏訳﹃危機の二十年﹄二三二頁︶

アントーニ上掲書一八八〜一八九頁

同書一九一〜一九二頁

ぐ四・宍画匙三四国ロゴ凰昌霊切さ風切目匡切.の.閉︵シ同︒宣く霞旬の○且匙葛︲

﹈切の①自切o富津ロ己のON旨言○三芽.国巳包.ご︵森博氏訳﹃歴史主義

・保守主義﹄六三頁︶国のoざ四①自己罵○且の.国ご言シ呈畠の肋.

隠買森氏上掲訳書二二○頁︶

添画ユ罰.勺○℃での厚弓ゴ①○もの︒の○s①ご回国匹胃厨国どの冒后m︑ぐ○一.四・

℃・雪叉武田弘道氏訳﹃自由社会の哲学とその論敵﹄四○三頁︶

句.富の旨の○百.く○日頤のめ○三︒︾三舎のご四国ロ自国巳ぐ○目盟冨国匹の門

扉伽○三○三のゞ切匡︵中山治一氏訳﹃歴史的感覚と歴史の意味﹄八頁︶

三号の.届︵上掲訳書八頁︶

脇圭平氏﹃知識人と政治﹄八頁

同書一六五〜一六七頁︑なお一五五〜一五六頁参照

悪同言昌蚕雰の葛.F言且侭の諄晶騨晶の弓①農切易里.︵岸田達也

氏訳﹃現代歴史叙述の問題性について﹄四七〜四八頁︶号匙︲切路員上掲訳書四六頁︶

く四・酔野①圃冒ゞ8.・夢の巴麗面麗︵上掲訳書二六二︑三○八頁︶

号匙・・の皇程︵上掲訳書二六四頁︶

の巴潭︵上掲訳書二六四頁︶

p観雰の筍.8.o詳喝の.弓貝上掲訳書二九頁︶

ブロック﹃比較史の方法﹄高橋清徳氏訳一○○〜一○一頁︵高橋氏

の解説︶三四具旨西の匙の頤閉門.のの旨匡ご匹圃の算.ゆき︒sレーヴィット﹃ョIロッパのニヒリズム﹄柴田治三郎氏訳八○頁

三・西の匙の頤頤の可.○も.o詳割耽爲

歴史哲学の諸問題︵二︵関雅美︶

W・スタークによれば︑﹁包括的人間学﹂︵︒o目胃の言国凰ぐの画胃ご︲

○言一○空︶とは︑歴史主義者や知識社会学者が示す﹁相互に異質な観

念の世界﹂とか︑異なった種々の﹁真理の並存﹂とかの事実l要するに︑人間的事象の歴史的相対性という否定し難い事実を︑それ

に暴力を加えることなく克服しようとするものであぶ︒これは﹁相

互に異質な観念の世界を調停し︑いわばその上に屋根を渡そう﹂と

するもので︑﹁歴史主義を遙かに超える﹂もののようにみえるけれど

も︑しかし実は﹁歴史主義的思惟が絶えず探究しようとしてきた方向に横わる﹂ものだとスタークは考え魂︒

彼によれば︑これは歴史の過程の中で具体的な形をとって現れた

﹁人間そのもの﹂言四口凹めの匡昌︶の研究であ魂︒もし人間そのもの

︑︑︑の個々の歴史的具体化の把握を﹁部分的真理﹂と呼び︑人間そのも

のの把握を﹁全体的真理﹂と呼ぶならば︑この人間学の狙いは次の

ようになるl普段は時間空間に拘束されて部分的真理しか捉えら

れない人間の認識能力をその時空的拘束から解放し︑全体的真理の

把握を可能にすること︒換言すれば︑個々の歴史的多様のそれぞれ

が部分的でしかないけれども互いに相補的な真理を宿すことを見抜

き︑部分を通じて全体が現れ出るようにそれらを扱︑うことによって︑

3332

㈹知識社会学者による歴史主義的懐疑論克服の試み

佃スタークの包括的人間学の試み

司.富の旨の︒言々8.o津・ゞ切届︵上掲訳書九頁︶P璽雰の旬.8.o算●︑の.麗里.︵上掲訳書四六〜四八頁︶ 一一ハ

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