翻 刻 ・ 「延 宝 以 来 御 飛 脚 筋 其 他 手 細 」
蘇 村 潤 一 郎
紀州七里飛脚関係史料として'国立史料館所蔵「松阪雑某(三井高遂蒐集史料)」(文書記号二六
p )
の内で'史料番号四四の三冊中のH「延宝以来御飛脚筋撞'笠松御陣屋江飛脚出し侯取扱'山廻り進退'病気断
'
御目付中白子二両書状箱取出し申侯撞'伝馬渡し方極」と'⇔「(延宝以来御飛脚筋撞其他手相)」の七里飛脚関係分を翻刻す
る。
以下Hを甲本tOを乙本'南本以外のものを丙本と称する.甲本は末尾を欠いているLt丙本は首尾共に欠けたも
のである。翻刻は甲本五五丁の内の四七丁分'乙本は九六丁の内の三五丁分を翻刻した。
三本はボール紙の簡易峡に収められている。峡の背'表に「伊勢松阪及近郷旧書類雑某十二と塁苔の題是があり'
裏にタイプで「第十1峡'1'延宝以来御飛脚筋極其他手相」と書いた紙が貼ってあるO
甲本は縦約九・六センチ×横約1八・六センチ'乙本は約九・九×1八・八'丙本は約1〇・二×約1八・六であ
る。
甲本は表紙表に「志んま/ちミつ/井け」と'兎の画との'両朱角印が捺され'裏表紙に「
C
二四四新七三」のラベルがある。乙本には表紙裏に前記の両朱角印'本文最紙丁に原島陽一氏のご教示によると「昭和/八年」の文字の
翻刻・「延宝以来御飛脚筋其他手相」(藤村)七三
史料館研究紀要第一九号七四
朱角印が捺され'裏表紙内に前記のラベル'背にタイプ朱書「別口郷土資料」の題茶が貼ってある。また裏表紙に「昭和八年三月十七日寄託」のラベルが貼付けられている。丙本は背に前記「別口郷土史料」'最終丁に「昭和七年
十月三日寄託」のラベルがあり'最終丁に「昭和/八年」の朱角印がある。なお三本共に「史料館
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6P/念」のラベルがある。
以上の事からすると'蒐集に際して甲本と丙本は同一と考えて処理されたと考えられるが'寸法が異なる点から別
本である。甲本は昭和七年寄託であり'乙本とは別の時期の蒐集である。
本史料は新町三井家の三井高遂が蒐集Lt昭和七・八年に三井文庫に寄託され'同二六年に国立史料館に収蔵され
たものである。
両本の原蔵者は不明である。作成者と作成場所も紀州藩の松坂御城代'勢州奉行'松坂町奉行'松坂常詰御目付関
係のものか確定できず'紀州家松坂領で作成されたとする以上には不明である。
またその出典である覚帳'日記'上日記'東・西日記'証文帳'東若山状留'東・西状留'東願留がどのようなも
のかも不明である。
記載事項の年代は'甲本は寛延四年四月が、乙本は宝暦三年正月が下限である。従って寛延末‑宝暦初年に作成さ
れたものではあるまいか。丙本は宝暦七年五月である。なお乙本の省略部分には'松坂領'三領在々'他所、組家'
白子慣'田丸領についての火事が記るされているので'これらの地域に関心が排われている事を附記する。
紀州七里飛脚について'甲乙両本に共通する記事があるが'共に良質の写本ではない。対校すると'文章が欠けて
いる部分が南本共にあり'順序も異なり'何れかを底本として校訂するよりも'両本を翻刻する事が望ましいと考え
た。両本共に行間の取り方に問題があり'一連の文章であるにかかわらず'各項毎に一行空けている。これは写本の
仕方かもしれないが'翻刻に当っては適宜処理した。また乙本では元禄九・延享三年の二事項が重複しているが'そ
の儀にした.
丙本の飛脚関係部分を次に抄記する。
享保三成冬
1御鷹野二勢州111領江被為成'白子'田丸へも被為成候御事tT巻別帳有
享保三成
一所々へ御届之儀有之'町飛脚等之品'証文帳二記有
一津亀山へ町人足
7神戸庄野へ同断
一小林鳥羽へ同断
一四日市長嶋へ同断
一桑名へ
右所々へ町飛脚出ス
延享五辰四月廿三日
一岩千代様宰相様
御嫡子二被仰出侯御事 東日記
翻刻・「延宝以来御飛脚筋其他手相」(藤村)
史料館研究紀要第一九号
御目付中才呼出しこて'麻上下着罷出候処'御城代中二中流供事
一三領へ之通有之慎
一頭取中示合'御悦飛札指上候事
右は例之通'町奉行中こて'飛脚雇遣被申'書状箱等両役へ一所取集、目録添'町奉行中へ為持遣ス
寛延四未正月三日
一御代参之御車
御城代
山本十郎右衛門
長上下着
殿様
宰相様
公方様御前厄御祈祷両
官へ被仰付'御代参被仰付'被相勤御飯御献上被為遊'若山才御徒格壱入
組弐人才領として'若山
A
例之通'人足召連参供'尤長持壱悼之箸之処、弐梓二成'才領壱人加へ'長持之人足弐人、松坂二両申付侯様へ十郎右街門方被申開、才領ハ小頭へ申付させ、人足ハ町年寄共へ、小頭へ申付させ'
江戸へ遣候事
一道中六日ふりこて'九日二是悲着之等'右は四日朝'松坂出立'道中用意全借渡侯事
寛延四末五月東
一御代参之御事
御城代
山本十郎右衛門
長上下着
公方様御前厄之仰祈祷被仰付'御代参被仰付'御飯御献上被為遊'若山
才
御徒壱人組才領弐人'人足召連参涙雨'江戸へ御飯'御城代中才遣被申侯事
一長持壱樟ニ'此元二両新二出来申侯処重ク、若山表二両乗り参、入札落申侯とハ殊外相達致侯'殊二日限詰り居
中儀二付'賃銀之儀顧侯得共、了簡難成侯'然共御用指支之程難斗旨'才領中二付'右三人へ前借致させ、若山
こて勘定可致旨申させ'召付近させ'御代官中へ右等之趣ニ'元通有之候事
寛延四未五月十九日
一御代参之御事
御城代
山本十郎右衛門
大御所様御所労御然快為御祈祷'御代参被仰付'御飯御献上被為遊侠御儀'廿三日こ、江戸着才領組申付'長持
壱樟持人足申付侯様'山本十郎右衛門被中間'両組小頭へ申付'夫々取斗せ候'右長持ハ急二御作事方こて出来
翻刻・「延宝以来御飛脚筋其他手相」(藤村)
史料館研究紀要第一九号
致侯、松坂十九日昼七時頃出立致'廿三日昼八過江戸着致侯旨 七八
最後に甲乙本の翻刻に際しては'平出'拾頭'欠字はその儀とLt変態仮名は現行の字体に改め'古体'異体'略
体の文字は現行の文字に改めたものが少なくない。文字の通じ難い箇所'若くは原本の俵に従ったことを示す場合に
は(ママ)と傍証した。文字の読み方の判然としない箇所は(カ)と傍註'判断不明の箇所は口を以って示し'(読
不明)の傍註を付した。本文中'欠損の箇所は口を以って示し'(破損)と傍証した。全文に
亘
り原本にない句読点を補った。
延宝以来
御飛脚筋極
笠松御陣屋江
飛脚出し侯
取扱
山廻り進退
病気断 御目付衆中白子二而書状
箱取出し申候極(̲)伝馬渡し方極
」
(本文)
延宝八申年
一午年両度御飛脚箱封印達侯儀二付'松坂御飛脚九兵衛
親子、上野村善書牢合致候処'白状不致侯二付'いつ
方へも不参'御領分こて御過仕供様ことの儀二而'二
∩=∪釆二印之御飛脚∩∪有之刻限∩∪ハ継(破損)(破損)之御飛脚□程'道悪口中刻限之通、(破損)(破損)(破損)□持届可申旨'□老江兼而申∩HU処'(破現)(破現)頃日も弐印∩∪付'弥前方被中ロ候通相心得'二印之目標無相違様可持届を為中越侯間'川俣筋御飛脚之者共へも'其段被申渡候様'御代官中へ可申開旨'辰三月廿八日若山率行中才被中越候二付'右同日松村小十郎'浅井九左衛門方へ通ル
元禄十五午五月
丁桑名領松寺村之外'往還才三十問斗西'柳原二御飛脚箱打割有之由、五月五日中上刻頃'松寺村清左衛門才(破鏡)泊村庄屋平兵衛かたへ中越'折節平兵衛口合不申侯ニ(破損)(破損)付'吉村□速彼地へ罷越口上'御飛脚箱書(破損)
状□為持'五月七日夜四ツ過'庄三郎松坂へ参侯二付、
翻刻・「延宝以来御飛脚筋共他手相」(藤村) 月十一日出牢
(破損)
∩日日∪辰三月(破損)(破損)(破損) 大崎与惣左衛門方へ達'右相政人目録致、翌八日酉ノ(破損)(破損)刻'三印にて和歌山へ口峡'委細之品日付有'∩HU(破損)(破損)右妹之儀有之∩∪道代り二両近し□候'三印ハ(読不明)
遠□可致事
元禄十五年午七月
1頃日打続雨天二付'尾州地木骨川大水出'佐星才上堰切'宮迄之通路無之処'二印之御飛脚'午ノ七月朔日之夜'和歌山才江戸へ通侯処'右之通故滞有之二付'桑名より熱田へかり舟にて渡申様可致哉と'御飛脚之者共より浅井九左街門方へ申参侯由二付'早々かり船二両通候様こと先申付侯'右場所通路無之内ハ'弥かり船にて渡中桟可申付我と'九左衛門方才被中越慎二付tかり船にて無滞御飛脚通候様'尤通路成申義被間
合候而成次第'かり舟相止'持屈中桟可被申付之旨'同二日相継にて九左衝門方へ中退ス
元禄十六未十一月
七九
史料館研究紀要第一九号
一江戸十一月廿三日亥中刻出'三印之御飛脚'同廿六日
七過此元通り申侯道中にて'十八時滞供由'右老地震'
箱根より小田原迄之問'家壱軒も無之'ゆり潰し'小
田原城才出火'漬家とも不残焼侯由之晶書記有
宝永二酉正月覚帳
一松坂御飛脚之老'先年は所請故'御領分他領とも明松
焼候由之儀無之侯、近年若山
才
御飛脚之老丙人参務申侯'就夫津町杯通候節も
明
松焼役
人も
'兎角と申侯由にて'和歌山奉行中江及
相
談侯虚 ' 蝋燭
代年中二銀百目程遺し受切を中等'尤向後明松堅焼不申筈極ル
宝永四亥二月
一江戸和歌山往来之御飛脚健二方々状等附遣候儀'重高
無之様との儀'委細淡輪新兵衛方才申釆'諸向へ通院
晶書記有
宝永七寅正月 八〇
一正月十一日成上刻'和歌山出之通イ箱壱荷'同酉上刻
出樽壱荷'右ハ同十三日夜松坂へ至着二付'当所御飛
脚之者'津領にて馬を雇'右通イ箱井樽壱荷共'馬二
附'上野へ遣侯処'右通イ箱之錠前つぼ打ぬけ.箱之
ふた明有之二付'上野村御飛脚之老兄改、白子役人中
へ持参'右役人中被致吟味'右通イ箱井上野村御飛脚
之者馬士共'此方へ一所二被指越侯'彼是吟味之上'
右御飛脚箱壱荷二錠鍵新敷申付、鍵をハ別二状箱二人'
御飛脚箱之上へ附'江戸長坂儀兵衛方へ指遣侯、和歌
山才おろし来院鍵ニッも'是又江戸へ遣侯
右之趣'和歌山へも申達由之委細書記有
正徳弐辰三月日記
1三印役所才出侯儀'有之節ハ'熊野へは三印出侯事
正徳弐辰十月
1此節御飛脚往来多侯二付'川俣筋名手才佐屋迄'壱ヶ
所へ一人ツ、増人指遣'金川より官迄ハ、江戸