1 博士論文要約
急性期病院を経て療養病床で働く中堅看護師のライフストーリー 大宮 裕子
Ⅰ.序論
日本の 65 歳以上の高齢者人口は 3,300 万人に達し、高齢化率も 26.0%と過去最高とな った(内閣府,2015)。このような急激な高齢化は医療と介護の両方を必要とする高齢者の 増加を招き、出来るだけ住み慣れた地域で暮らせるための支援が必要となっている。療養 病床は、急性期病院での治療終了後も継続して治療が必要な高齢患者を多く引き受け、在 宅や施設に移行する機能を持っている。しかし、入院患者のほとんどが後期高齢者で、医 療と介護の必要性が高く在宅復帰や介護施設への入所が困難となっているのが現状である。
今後、高齢者の在宅復帰等の社会的ニーズを満たすためには看護実践の向上が求められ、
その中心的役割を担う存在は看護師である。療養病床で働く看護師の 8 割以上は療養病床 以外での就業経験があり、そのうち約 6 割は急性期病院での勤務経験を有しているとされ
(播磨・生野, 2012)、経験豊富で実践能力が高いことが考えられる。しかし、研究者自身 の経験も含め、急性期病院から療養病床に異動した看護師の多くは、高齢患者の多さやこ れまでの看護実践との違いに戸惑いや不満を感じ(磯倉・小林・深谷他, 2015)、看護師の 高齢者観や介護職とのコミュニケーション不足がケアに影響し、不全感を持つことがある と報告されている(坂井・田所・清水他, 2008)。そこで、研究者は療養病床での看護に葛 藤している中堅看護師を対象に高齢患者の生活行動への援助に関する研究を行った結果、
中堅看護師に看護実践へのやりがいと自信をもたらすことができた。しかし、その数年後、
参加者であった中堅看護師が皆退職したことを聞き、自らの体験をもとに高齢患者の生活 行動の改善を目指したが、彼女らの思いを自分はどこまで理解できていたのだろうかと疑 問を持った。療養病床における中堅看護師の思いを深く理解するためには、これまでの経 験との繋がりも踏まえた上でどのような思いをもって看護を実践しているのか深く探求す る必要があると考えた。しかし、療養病床に勤務する中堅看護師の研究は少なく、急性期 病院での経験やライフイベントとのつながりの中で療養病床の看護を実践する際に抱く思 いを明らかにした文献はなかった。
Ⅱ.目的
急性期病院を経て療養病床で働く中堅看護師がどのような経験を経て療養病床へ入職し、
入職後どのような思いを抱きながら看護実践を行なっているのかライフストーリーを用い て明らかにすることである。それによって、急性期病院を経て療養病床で働く中堅看護師 の思いを、急性期病院での経験やライフイベントとのつながりの中で重層的に捉えること ができる。さらに、療養病床でやりがいを持って働くために必要としている教育、管理等 組織としての具体的な支援が明確となる。
2
Ⅲ.方法
研究デザインはライフストーリーの研究方法を用いた質的記述的研究である。研究参加 者は、臨床経験5年以上かつ療養病床での勤務経験が3年以上あり、年齢45歳まででリ ーダー業務、委員会活動、教育・指導に従事しているが管理職には就いていない者とした。
参加者はネットワーク標本抽出法を用いて募集した中の同意が得られた者とした。データ 収集は、McAdams(1993)のライフストーリー・インタビューを参考に、参加者一人につ
き1回60~150分程度のインタビューを2~3回行った。インタビューの内容は、承諾を
得たうえでICレコーダーに録音した。データ分析は、Habermas & Bluck(2000)のライフ ストーリーにおける時間的・因果的・主題的一貫性の概念を分析の枠組みとした、Pals
(2006)の分析方法を参考に行った。インタビューで得たデータを逐語録に起こし、丁寧 に読んで全体の内容をつかんだ後、時間の流れに沿って再構成し、看護を実践する際に抱 く思いについて抽出、コード化、パターンの構成の3段階を経て行った。倫理的配慮につ いては、日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会で承認(No. 2013-81)を得て実施した。
Ⅳ.結果
研究参加者は、療養病床を有する病院に勤務する40歳代前半の女性3名で、急性期病 院での経験は6~10年、療養病床での経験は3年半~8年であった。研究参加者は仮名を 用いて、久保田さん、加納さん、齋藤さんとした。
1.久保田さんのストーリー:母親から子育ての協力を得ながら急性期病院で働き始め た久保田さんは、次々に降りかかる患者の緊急事態に、皆で協力して患者のために手際よ く動ける看護に楽しさを感じ、患者の状態が改善することに達成感を持て、母として妻と してだけではない看護師としてできる自分を感じていた。しかし、勤務異動により、慣れ ない病棟で状況がよく理解できないまま、病棟責任者の役割を与えられた。病棟責任者と して、患者や家族のための看護を目指して必死で取り組んだが、医師等の他職種だけでな く看護スタッフとも関係性が取れず、初めての師長代理で協力が得られない辛さを感じた。
さらに子育てをしながら夜勤も行わなくてはならない管理職に疲弊して、異動を願い出た。
しかし、異動した療養病床では、意思疎通が図れない高齢患者の急変に動けない自分を感 じ、他の急性期病院に転職した。そこでは充実して楽しかったが、母親の病気でやりたい 看護と子育てを両立する難しさを感じ、他の療養病床へ異動することになった。療養病床 での久保田さんは、医師が病棟に来ることはほとんどなく、生命に関わる重篤な状態に心 電図モニターもつけず、誰にも看取られずに亡くなる高齢患者がいることに疑問を抱き、
看護師としての無念さを感じていた。久保田さんは、若い看護師に高齢患者の看護が伝わ らない難しさを感じながらも、その一方で久保田さんは高齢患者の異常の早期発見などを 通して、急性期病院へ心が揺らぐ中で気づいた看守る看護を得た。
2.加納さんのストーリー:社会人から看護師になった加納さんは、患者や家族のため の看護で得た周囲の承認によって看護師である自分を感じていた。しかし、多忙な病棟で
3
のシフトに加えて、委員会や係りの活動や学生指導やプリセプターなどの役割も加わり、
中堅看護師になるに従って徐々に大きくなる負担感に私生活も削られ疲労困憊した。自分 に自信を持てずにいた加納さんは、与えられた役割に対してできない看護師だと周囲に思 われたくないという思いが強く、さらに不安や負担が増えていった。その上、母親の介護 も重なって徐々に追い込まれ、療養病床へ異動した。しかし、加納さんにとって、療養病 床での患者の多くは高齢患者で認知症等のためにコミュニケーションが困難な上に家族も 高齢で面会が少なく、信頼関係の構築は難しかった。さらに、医師との上下関係や准看護 師との間に壁を感じた加納さんは、高齢患者や家族のことで相談や意見交換ができる関係 になかった。加納さんの意見はなかなか通らず、これまで培ってきた看護師としての判断 が認められない不満や患者のための看護が伝わらないもどかしさを感じていた。しかし、
急性期病院で取り組んでいた看取りケアを活かして実践した内容を詳細な記録として残し たことをきっかけに、他の看護師たちも同様な関わりをしていたことを知ることができた。
また、そのことを医師や看護師長から認められ、加納さんにとってとても嬉しい出来事と なった。今組織全体を変えるのは難しいかもしれないが、まずは自分一人から始める高齢 患者中心の看護に気づき、その実践を進めていこうとしている。
3.齋藤さんのストーリー:患者がケアの中心にいない個人病院で、患者の状況を理解 できないまま医師の指示に従って対応してきた齋藤さんは、急性期病院での看護実践を通 して、患者の状況を理解した看護できる充実感を得て自分の成長を感じていた。しかし、
多忙な病棟でのシフトに加えて、委員会活動や後輩への指導等の役割も加わり、看護への 向上心と強い責任感が、結婚や引越しというイベントも重なる中で自身を追い込み、一人 で背負う仕事の負担感に体調を崩してしまった。休息を取って看護師の仕事と私生活のバ ランスを模索し、療養病床に転職した齋藤さんは、高齢患者の状態の悪化に十分な検査や 治療を施さない実態に驚き、高齢患者の状況を理解できないまま関わる戸惑いを感じた。
さらに、高齢患者に対するスタッフの態度や関わりが、高齢患者の視点に立ったものでは なかったことからも違和感が大きくなっていった。療養病床での医療に困惑し、私生活を 優先させていた斎藤さんであったが、3年を経て委員会活動に参加したことがきっかけと なり、高齢者と家族を中心に据えた病院の理念を理解し、それに向って組織が取り組んで いることを実感した。さらに、レクリエーション等を通した高齢者との関わりの中で、高 齢患者の可能性や変化を感じることができ、また無理に検査や治療を行なうことでその人 らしさが奪われ、QOLが下がってしまうことがあることにも気がついた。そのことによっ て齋藤さんは、高齢患者の尊厳と可能性に働きかける看護への気づきによって看護を再構 成し、率先して高齢患者と家族中心のケアを多職種で取り組み、多職種連携の中で高齢患 者と関われる満足感を得ていた。
Ⅴ.考察
1.急性期病院における看護師としての有能感:参加者 3 名にとって急性期病院での看
4
護は、患者を中心に皆が協力し合い、肯定的なフィードバックを受け、患者の状況が理解 できる中で自律的に実践できるといった看護師としての有能さを感じ、内発的に動機づけ られた経験であったといえる。しかし、中堅として仕事での役割が増えていく中で、私生 活との両立が困難となり心身ともに疲労困憊し、自律して看護実践できる有能感を持てな くなる経験でもあった。
2.療養病床で揺るがされる看護師としての自分:私生活との両立を可能にするために 療養病床に異動した参加者は、患者や家族のためにと信じて実践してきた看護が行えない ことに、看護師としての自己を大きく揺るがされることとなった。そのため、これまでの 自らの看護を周囲に伝えられず、周囲との関係性もうまく機能しないことから、自律して 実践できる自分を感じることができず、自分を守ろうと仕事の役割から距離を置いていっ たと考える。
3.自分が信じる看護に向き合うことで見出された新たな気づき:参加者はこれまでの 急性期病院での経験との違いに戸惑いながらも、自分の信じる看護を振り返り意味づけな がら、自ら信じる看護を療養病床の看護に活かす新たな気づきを得ていった。気づきを得 た参加者が療養病床での仕事の役割や責任を引き受けるようになったことから、仕事から 距離を置くということは、苦痛を伴いながらも看護師である自分を再確認する機会になっ ていたと推察する。そして、人生という長いスパンを通して、自己を取り巻く状況がさま ざまに変化する中で自分の信じる看護に向き合うことが、自分らしく看護師を続けていく ために重要ではないかと考える。
4.療養病床で活き活きと看護が継続できるための示唆:急性期病院を経て療養病床に 異動した中堅看護師がやりがいを持って働くために、管理者や教育担当者は、急性期病院 から異動してきた中堅看護師の思いに寄り添いながら共に振り返ることが必要である。こ れまでのプロセスからどのような看護師人生を送りたいと思っているのか、中堅看護師自 らが最も大切に思っている看護について理解しておく必要がある。そして、急性期病院と 機能が異なる中で、看護実践の方向性を確認しながら高齢患者と家族を中心としたQOL やADLに視点を置いた看護実践の意味づけを行い、自らが大切に考えている看護を活か せるよう気づきや認識の変化を促すことが必要である。さらに、看護実践の改革に向けた 組織体制の見直しも必要であると考える。
Ⅵ.結論
急性期病院を経て療養病床で働く中堅看護師 3 名は、私生活と両立させながらこれまで 自らの信じてきた看護を実践したいという思いを持っていた。彼らがやりがいを持って働 くためには、仕事や私生活を包含した人生という長いスパンを通して、看護のやりがいを 柔軟に捉えながら自己の信じる看護に向き合い、これまでの経験を活かした看護の気づき や認識の変化が促されることが必要である。