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昭和期の外国史教育

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昭和期の外国史教育

社会科学教育研究室 満 井 隆 行

昭和初年から同20年(1945),終戦にいたる迄の外国史教育について検討すろ。

1 動向一教授要目を軸として

昭和6年(1931)9月,満洲事変が勃発,この頃から我が国に於けるファシズム強化期 に入る。それまでは,まだ大正デモクラシーの名残があり,教授要目(中学校)も明治44 年(1911)以来のものであった。20年間も教授要目(現在では学習指i導要領)がそのまま であった。しかし,学生の思想善導に対する施策はすすめられ,すでに大正10年直轄諸学 校に対する文部省内訓があり,昭和2年11月,中学校令施行規則が改正されて,日本歴史 は国史と改められ,昭和4年6月,文政審議会は文部省の諮詞に答申して,「殊二国民道 徳ノ養成二意ヲ用ヒ,建国ノ本義ト国体ノ尊厳ナル所以トヲ会得セシメ忠孝ノ大義ヲ明二 シ,其ノ信念ヲ輩固ナラシムルヲ期スヘキコト」とのべ,修身,国語,漢文,歴史,地理 等の教授内容を改めることを主張,「歴史ノ教授ハ徒二細密ナル事実ノ穿馨二流ルルノ弊 ヲ防クニカメ特二国史教授ノ充実ヲ期シ外国歴史ハ梢々之ヲ簡約ナラシムルト共二常二国 史ト密接ナル連絡ヲ保ツコトニ留意シ高学年二於テ審二国史ヲ授クルコト」と指摘してい る(「明治以降教育制度発達史」,第7巻)。国史教育偏重のこの主張は文部大臣岡田良平 の次のことばによくあらわれている。「思想界を善導するには,国史の事実によって穏健着 実な思潮を促して行くことが,目下の急務」 (国史教育の尊重「歴史教育」1の1,大正15 年11月号所収)。こういう教育的歴史思想こそ,国民大衆にあたえた影響力の絶大なものが あり,近代日本の実証主義史学(歴史主義)は,この前には何らの力をも持ち得なかった,

本来合理的科学的方向に志向すべきアカデミズム史学は,その思想的痴呆性の故に,国家権 力による天皇中心の歴史思想を批判するものとしてはほとんど役立つことがなかった(家 永三郎,大正昭和の歴史思想,昭和38年刊,「日本に於ける歴史思想の展開」所収)。昭和6 年1月,中学校令施行規則改正。 同年2月,中学校教授要目の改正。改正施行規則で,「歴 史ハ歴史上重要ナル事蹟ヲ知ラシメ・一特二我ガ国運進展ノ ヲ詳ニシ建国ノ本義ト国体

ノ尊厳無比ナル所以トヲ知ラシメ大義名分ヲ明ニシ国民精神ヲ涌養スルヲ以テ要旨トス」

とし,改正教授要目では,「外国史中東洋史ハ我ガ国ノ文化二直接重大ナル関係ヲ有スル

事実人物ヲ主トシテ教授シ西洋史ハ西洋文化ノ性質及発達ヲ概括的二授クルト共二列国ノ

(2)

86       茨城大学教育学部紀要第十三号

国民性二就キ其ノ由来ヲ知ラシメ且我ガ国ノ文化二影響セシ顯著ナル事実及世界大勢ノ変 遷二関スル事蹟二重ヲ置クモノトス」とあるQ

甲乙両案があり,毎週教授時数は左の如くである。

〔甲〕

学年1・ 2i 3   4 15 学矧全1全1・ 劉一・・31全

科 目

国 史 東洋史 東洋史

シ洋史

西洋史.

西洋史 国 史 国 史

時数1・r・[各・1・1212i2

〔乙〕

学年1・1 ・ 1 3 1415

学期1全1・− Pλ3i・い3「全1全

国史ヲ背 w景ト

国史ヲ

文化ヲ中

科 目

景トシタ 挙圏m史

圏m史 シタル 西洋史 西洋史 国 史 国 史

心トシタ 牛綜j概

西洋史

時数1・1各・12 2 212「・

歴史教授上の注意として,「東洋史ヲ授クルニハ我ガ国二関係アル事項,特二文化二関 スル史実二重ヲ置キ其ノ他ハ努メテ簡略二取扱ヒ錯綜セル事件難渋ナル辞句等ハ努メテ之 ヲ避クベシ 西洋史ヲ授クルニハ近世以後二重ヲ置キ各国家ノ成立変遷ヲ詳ニシ現代文化 ノ趨勢ト世界ノ大勢トヲ知ラシメンコトニカムペシ」と。ついで,「外国史ヲ授クル際各 国家ノ国体国民性等二就テハ其ノ我ガ国ト異ナル所以ヲ明ニシ,生徒ヲシテ誤解ヲ生ゼザ ラシメンコトヲ期スベシ」。この点外国史教育上当局ノ最モ強調したところである。以上 を通じて,国体ノ尊厳無比,国民精神,国民性云々の辞句は明治44年のものには見えない。

国史の時数が増しただけ,外国史の時数はへらされ,とくに東洋史は全く軽視され,国 史の従者たるの感が深い。東洋史は西洋史に対して世界史の一半を形成するという三区分 法成立当初の性格とは全くはなれてしまった。

中村孝也博士は,国史はリーダーで,東洋史,西洋史は国史にリードされつつこれを援

助する立場にある,これらを独立不羅たらしめることはできないとし,国史を中心とする

一元綜合的な歴史教育を主張(例えば,論語の伝来を機会として,支那先秦時代の歴史を教

える),これによって皇室中心の国家体制が如何に合理的なものかを教え,外来文化を摂取

して自己を養い来った我が国民の同化力が如何に強いかを教える,天照大神は全世界,全人

類を遍く温かく照らしたもう無差別博愛の大神であって,到底パレスチナ(筆者注,ユダヤ

人の選民思想をさす)の比ではない,この比較対象は祖国愛と国民的自信と,世界に対する

(3)

指導精神を養うに十分である云々と論じた(L国史を中心とする歴史教育,「歴史教育」7 の7,昭和7年10刀号所収)。当時文部省図書編修官であった藤岡継平も譜通教育の外国 史は国史を明らかにするための教科にすぎないと言った(歴史教育に於ける諸般の批判,

「教育」1の2所収)。

有高巌博士は,この改訂では東洋史は国史の付属物となると批判,西洋史には独白の重 要性をもたせながら,東洋史独自の使命目的を無視している,東洋史が生徒に好まれない 理由は地名人名がむずかしい,王朝の交替がはげしいなどのほか教授者がこれを国史の補 助学科に近いものとしていることによると論じ,東洋史に於ても近世現代を一一層詳記すぺ きこと,社会経済吏を重視すべきこと,近,現代東洋の歴史を多方面(政治・外交・学術・

思想・社会・経済等)に説明すべきことを主張した(中等科東洋史教授事項0)根本的改善 に関する私見,「歴史教育」7の5,昭和7年8月号所収及び同氏著「歴史教育」昭和11年刊)。

同博士は,「東洋史教育の革新」(昭和11年刊)に於て以上の論旨を更に詳述,具体的に 教授要目の改正を主張している。これらに見られる東洋史教育論は,満洲事変の勃発に伴 い,東洋の盟主として永遠の平和を確立すべき責任(国策逐行上)からと,東洋史学の進 歩に伴い新教材を補説すべき必要を痛感されたからであった。

新見吉治博士も,この要目を改悪であるとし,これでは東・西洋史の教授時間が減じた のみならず,その教授が低学年になったために外国史では文化史教材を探りにくくなった とのべ,また東・西洋史は各々独自の発展を主眼として立てるぺきである。三分科法のよ いところは,比較研究によって歴史の普遍性,規則性を把握させるにあるとした(「歴史教 育論」昭和9年刊)。有高・新見両博士はともに,小学校の歴史科に外国史教材を加味すべ

きことを主張している。これは主として国体観念の養成上からの主張ではあるが,現在の 社会科(とくに中学校)における世界史教育の先蹴として注意すべきである。(註1)

昭和12年(1937)7月,日華事変が起った。同年3.月,中等諸学校の教授要目が改訂さ

れた。この改訂は国体観念の明徴と教学刷新の趣旨に副うためで,このことは文部当局が

各地方長官宛に発した通牒に明らかである(近代日本教育制度資料第2巻 以下教育条例

にっいてはこれによる)。中学校の歴史教授方針に,「世界二於ケル我ガ国ノ使命ヲ自覚

セシメ国民的信念ヲ強固ナラシムルコトヲ要ス」とある点,従来のものにはない。国史に

っいては,「高学年二在リテハ……諸外国ト比較シテ我ガ国体ノ世界無比ナル所以ヲ悟ラ

シメ大義名分ヲ明ニシ又我ガ国ガ如何二外国文化ヲ摂取醇化シ新ナル文化ヲ創造セシカヲ

明ニシ云々」と強調,外国史については,「東洋史及西洋史ノ史実並二精神ノ特性ヲ明二

スルト共二国史ト密接ナル聯関ヲ保チ国史ノ理解ヲ明確ナラシムル如キ史実二留意シ之ヲ

我ガ国ノ立場ヨリ批判スルノ用意ヲ怠ルベカラズ 然レドモ徒二自尊排他ノ弊二陥ラシメ

(4)

88       茨城人学教育学部紀要 第卜三}ナ

ザルコトヲ要ス」「諸外国ノ国家成立ノ由来 国民性等ハ機会アル毎二比較考究セシメテ 其ノ我ガ国ト異ル所以ヲ明ニシ以テ日本国民タルノ自覚ヲ啓培スベシ 各時代ノ特色ヲ知 ラシメ特二現代文化ノ趨勢ト世界ノ大勢トヲ明ニシ以テ世界二於ケル我ガ国ノ地位ヲ自覚 セシメ大国民タルノ資質ヲ育成スルコトニカムベシ」と。「自尊排他ノ弊二陥ラシメザル コト」といい乍ら,「我ガ国体ノ世界無比」という,矛眉である゜諸外国と我が国との異 なる所以を明らかにすると主張しているが,このような教授方針で果して「大国民タルノ 資質ヲ育成」できるであろうか。

毎週教授時数は昭和6年の甲案と1司じ。教授要目の形式について従来と異なるところは,

単に項目をあげただけでなく,内容の規定までしていること,及び「東洋史ノ意義」「東 洋史上ヨリ観タル我ガ国ノ使命ト国民の覚悟「西洋史ノ意義」「西洋史上ヨリ観タル我ガ 国ノ使命ト国民ノ覚悟」が加えられたことである。内容規定を例示すると,東洋史では,

「上代ノ支那及印度」の項で,「支那ノ国家成立ノ由来 変遷と制度 学術ノ発達トヲ述 べ・・…特二日支国情ノ差異 儒教及仏教ノ起元二就キテ詳述スベシ」とあり,西洋史では,

「自由主義及国民主義ノ発展」の項で,「神聖同盟組織セラレ反動政治時代ヲ現出シ自由 主義ト国民主義トガ拾頭セシコトヲ述べ又欧米列強ノ国情,国民性等ヲ説明シ我ガ国トノ 異同二就キテ比較考察セシムベシ」と。こういう内容規定では,教科書の性格が形は検定 でも内容は国定とあまり変らないものとなるのは自然であろう。要目の内容についてみる

と,東洋史が中国史中心であるのはともかく,その線は更に西よりも東に移り.満洲,朝 鮮とくに日本との関係が益々重視せられ,全くの狭義の東洋史となり了ったことは,西洋 史が一応世界史的な幅をもって構成せられているのと異なっている。教授上の注意として,

徒らに事実を羅i列して教授が煩項にならぬこと,皮相の説述に流れぬこと,史実の精神を 捉へて綜合的具体的に教授すべしといい,外国史で「新思想等二就キテ授クルニ当リテハ 誤解ヲ生ゼシメザルヤウ常二正シキ批判ヲ与フルコトヲ要ス1とあり,思想善導の性格で

あるQ

昭和12年5月,文部省はこの改正教授要目にっいての解説のなかに,大項目主義とし,

教授上特に徹底を期すべき主眼的精神(内容規定)を附加えたが,これは知識の分量を如 何に多く注入するかということに熱心で,人格の陶冶,国民性の滴養ということが第二義 的になっていた従来の弊を矯めるためで,この主眼的精神を体得させるためには,教授者自

ら国体の本義に徹してその燃ゆるが如き日本精神によって教材に躍動する生命をあたえ,

被教育者の魂を揺り起すことが根本であると説明している。史実の精神とはこの主眼的精

神(内容規定)であり,人格の陶冶,国民性の酒養を目的とする,端的に言えば日本精神

による国史・外国史の把握ということになるものであろうか。

(5)

昭和15年,文部省は各教科ごとに五種の教科書に限定することとし,検定済教科書のう ち「五種選定」を発表,各学校はこの五種のうちから選ぶこととした。一つには用紙不足 のためもあった。 (文部省,「学制八十年史」昭和29年刊)

日華事変の発生以来,日本の国際的立場は益々険悪となり,昭和16年(1941)12月,遂 に太平洋戦争に突入,昭和18年1月,中等学校令が出た,「中等学校ハ皇国ノ道二則リテ 高等普通教育又ハ実業教育ヲ施シ国民ノ錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」となり,中等学校の 教科書は文部省が著作権を有するものを使用すぺしとされた。教科書の国定である。

ついで同年3月,中学校教科教授及修練指導要目が出た。「国民科歴史ノ要旨」として,

「国民科歴史ハ中外ノ歴史二付テ習得セシメ国体ノ精華ト東亜及世界ノ推移トヲ明ニシテ 国民精神ヲ酒養シ皇国ノ歴史的使命ヲ自覚セシメ実践二培フモノトス 国民科歴史ハ東亜 及世界ノ変遷ト皇国進展ノ大勢トニ付テ授クベシ」。教授方針として,

1.皇国ノ主体的立場ヲ明確ニシ皇国ノ歴史ト東亜及世界ノ歴史トヲー体的関聯二於テ把握セシメ 歴史ノ視野ヲ拡メ識見ヲ長ジテ国民的実践ノ根抵二培フペシ

1.国史ノ成跡ガ肇国精神ノ顕現ナル所以ヲ詳ニシ……其ノ世界史的展開ヲ究メテ皇国ノ大生命ヲ 感得セシメ国民的自覚ヲ深カラシムベシ

1.皇国ノ歴史ト諸外国ノ歴史ノ異ナル所以ヲ究メテ国体ノ本義ヲ閲明スルト共ニ……挙国一体ノ 奉公,国民ノ海外発展ノ事歴ヲ重視シテ国防及産業二関スル史実二付適切ナル指導ヲ為スベシ 1.東亜及世界二於ケル諸国家諸民族ノ興亡盛衰ヲ大観シテ其ノ現勢二及ビ特二東亜諸民族ノ活躍

ノ事歴ト欧米ノ東亜侵略ノ真相トヲ究メテ大東亜建設ノ歴史的意義ヲ閲明シ皇国ノ使命ヲ体得セ シムベシ

2. 日本文化ノ伝統ヲ究メ東西文化ノ消長ト其ノ特質トヲ明ニシテ皇国ヲ主体トスル新文化創造ノ 精神ヲ酒養スベシ

とある。

毎週教授時数は次のようである。

学年 ・ 1 2 1 3  4

内容陣亜及世劉全 訓皇国(繍前)卜調繍後)

騰1 ・ 1 ・ 1 2 1 ・       1

「教授上ノ注意」のなかに,「質疑応答其ノ他適当ナル方法ヲ講ジテ生徒ノ自発的学習ノ

態度ヲ育成スベシ」とあるのは,まことに当然ではあるが,国体をダブーとする歴史教育

で真の意味の質疑応答や自主的学習がなされ得ないことは皮肉である。この改正要目によ

る外国史教科書は,昭和19年(1944)5月,文部省が発行した「中等歴史一」があるのみ

となった。

(6)

90       茨城大学教台学部紀要 第十三号

2 東洋史教科書

(1)時局のとらえかた 我等の使命

満洲事変が起ると,東洋史教科書はその狩立を当然のこととし,この前提の上で日支提 携,東洋の平和を説くものが多い6

「新制外国歴史教科書東洋之部」甲表準拠(文学博士,・1・山久四郎,昭和6年刊,同7年2月修正 再版)は「東洋に於ける我が国」の章で,蒋介石を首席とする南京政府の現状,また新文 化運動や新旧思想の対立にふれ,梁啓超,羅振玉,劃適の名をあげて,その多事不安定な ことは政局のそれと同様であるとし,っいで,印度における自治及国産使用の運動を記し,

印度に対する英国政府の統治方針は不変であり,このほか東洋諸国はいずれも多事多端で あると記す。

中国の新しい動きや,インドの民族運動に言及しているのはこの当時の教科書ではめず らしい。民国や印度等の国情の安定如何は,東洋の平和に関係する所深く,その間に於け.

る我が国の地位の重且大なることを思へば,我等は心から民国,印度等の幸福安全を希望 し,共存共栄の実をあげたい,これはやがて西洋諸国の為めにも貢献し得る最大義務の一 つであると説く。日本の使命観が共存共栄ということばで表現されているのは,アジアの 強国たる日本の主導権を前提としたものではあるが,ここにはまだ欧米との協調妥協の線 がある。

「新説東洋史」(九州帝国大学教授,重松俊章,昭和7年9月刊)は,支那国民は余りに国 権恢復運動に熱心なる為,ややもすれば常規を逸して過激なる手段に訴ふる傾向ありとし

ながら,ガンジーの民族運動をのべて印度の覚醒と題している。このような差別観は,中 国こそが日本の直接の大陸政策の対象であったからであろう。このような叙述は他の東洋 史教科書のほとんどがそうで,中国の国権恢復運動を押えているのである。英米両国,労 農ロシアの対支活動をのぺて東亜の危機を訴え,若き臣民に対して新たなる覚悟と奮起と を期待するとのぺている。こういう危機意識も亦昭和初年の東洋史教科書にほとんど共通 している。満洲事変,満洲国の独立は年表にはあるが本文にはない。

「中学甲号東洋史」(学習院教授,文学士,白鳥清,昭和6年刊,同9年修正4版)は・巻首に東 洋諸国沿革表がある,支那と朝鮮の二本立てで,これに神代以来の日本がそえられている。

古代以来の朝鮮半島と日本との関係が重視せられているが,その取扱いは植民地支配の色 が濃い。「ロシヤとの戦役の後わが国は韓を保護国としたが,程なく明治天皇はこれをわか国に併せ,

…・ V智天皇が朝鮮半島を棄てられてからこの時まで約千二百五十年……これからわが国民の満洲

での活動が甚だ盛になり……」と記す。

(7)

こういう筆法は中国に対しても向けられ,日露戦後の日本と欧米列強との協商をのべ,

「清は既に自分の力で自分の国を保つことができなくなっていた」とし,中華民国現代の 新らしい文化は多くわが国から支那に伝わったのに,支那人はわが国を侵略国と誤解し云

々と詳述,古代以来の日本文化の母国としての中国は消され,両者の位置は逆転した。満 洲事変,満洲国の建国についても,15億の投資,百万の居留民の居る満洲,張政権の横暴,

自衛のための出兵,張氏没落により地方政権は相ついで独立などの調子である。(註2)

満洲事変を機として世界の歴史は転回し,今後は太平洋時代が現出しようとしていると記 す。このような時代転回認識は他の教科書にもしばしば出る。

「改訂新制東洋史」(内藤虎次郎,昭和9年刊,同10年訂正版)は,緒言に,歴史教育は多 数民族の綜合より成る人類の生命ある経歴を如実に認識させることにあるとし,従来の東 洋史教科書の欠点はこの注意が十分でないことにあるとする。本文について見ても,暗 記をさけ,実証的分析的で,歴史的思考の陶冶ということが随所にあらわれている。学術 的香気が高い,しかし,二十一ケ条の条約も支那の保全の事実を条約としたものであり,

民国の排日は政治家が位置を作る題目であるとし,「我国は民国に対して平和の裡に殆ど独立 国たる事実を保ち得ざるに至った」とする。中国の国権回収運動を空漠たる機会主義と断じて

いる。

満洲事変も張学良の挑戦によるとし,東洋の平和は日支の提携が行われて始めて常道に かえる,満洲国の育成ということは日支の紛争を絶ち,日支両国の保全を確保,東洋の平 和を確立するものであると説いた。こういう論法の教科書が多い。

「改訂新体東洋史」(京城帝国大学教授,鳥山喜一,昭和8年刊)は,朝鮮の歴史が詳しい。

満洲事変満洲国建設については白鳥の前掲書と似ている。民国の危機を,英米による財政上 の実権イギリスによるチベット,ソヴィエトによる外蒙古の分離,内は軍閥の抗争,共 産党軍の活動,国権回収熱の結果としての日本との不和,満洲国の独立をあげ,「未だ光明

を見られない有様」とする。日本は国際聯盟を脱退,民国をはじめ多くの国々から経済上の 圧迫を被むって,そのおかれた地位は重大であると記す。民国の将来に悲観的であるのは その当時の教科書に通ずるものであり,民国の困難について日本の圧迫にふれないのも同 様である。ここではむしろ日本が被圧迫国となっている。

「新編中等東洋史」(及川儀右衛門,昭和9年刊),は巻頭に東洋史対象年表がある。「日本

(朝鮮)」「支那」「其の他」の三本立である。例言に,東洋史に対する国民的常識は,支那

の国情国民性,満洲及朝鮮の変遷これらと我国との関係を理解することが原理であると記

し,当時の教科書の性格を適格に表現している。我が国は東洋平和を国策とし,ワシント

ン会議でも支那の国権の尊重,その国力の伸張を援助する方針をとったのに,満洲国の独

(8)

92      茨城大学教育学部紀要第十三号

立をたすけると支那各地にはげしい排日運動が起りと記し,満洲国の成立は,満洲の民衆 が儒教の王道の精神にもとずき,民衆の楽土を建設,以て東洋の平和を進めようとするも のであるから,わが国は大義の上から列国に先んじてこれを承認したと記す。日清・日露 戦争義戦観と同軌である。インドの民族運動(中国の新文化運動は記していない)を説い て,アジア人のアジアを目標とするものとし,現代はアジア復興の黍明期であるとしてい

る。

「修正綜合東洋.史」(東京帝国人学助教授,文学†専士,中村孝也,昭和6年刊,同11年9刀訂IE 3版)

の性格は,全く国史の従属物としての東洋史で,綜合ということも国史を以て綜合するの 意である。ワシントン会議などで我が国は日支親善を旨としているのに,支那はとかく我 が国を排斥,満洲事変を引きおこしたと記す。近世史(清以降)はうすい。

「最新中等東洋史」 〔甲要日川〕(有高巌,昭和9年刊)は,同氏の東洋史教育刷新の意見 が十分に生かされている。例言に,満洲国の建設にともなう大アジヤ主義や東洋精神の再 吟味などを提唱,東洋史は空前の重要性を帯ぶるに至ったとのべ,近世史(清以降)には 凡五分の二の頁数をあてている。最近の東洋では,民国の内治のみならず文化及社会,思 想界の変動「各方面に自由なる研究が行はるると共に,社会主義,共産主義の蔓延により 旧来の家族制度を破壊・一」にも及び,産業の開発にもふれ,蒙古,チベットをめぐる国 際関係,インドやフィリッピンの独立運動など幅が広い。

「新制中等東洋史」 〔甲表〕(松井等,昭和6年刊,同10年9月訂正4版),も古代を簡略,

近世が詳しい。日清戦争や韓国併合は自衛のため,口支条約(二十一ケ条々約)は日支提 携のためとしている。満洲事変については他書と同軌,欧米列強の対支画策をのべて国民 の戒心をうながしている。

「中学新東洋史」〔甲表〕(矢野仁一,昭和7年刊,同11年訂正3版)は,序言に,近世史特に 最近世史は歴史発達の最近の段階で,これを聞明することこそ歴史の使命とのぺている。

本文も近代(清以降),最近代(支那共和国成立以降)が詳しい。しかし中国を中心とす る政治史,外交史で,日中関係では非を彼に帰し,満洲国成立についても他書と同軌。

「最新東洋歴史」(三島一,昭和10年9月刊),歴史叙述に科学的色彩が濃い。東洋の平和な どいう使命観はない。二十一ケ条々約の問題についても,先方を攻撃していない。r支那人は この条約に深く不満と屈辱を抱き……」と正確な叙述である。民国の現勢をのぺて,「北伐後

・政局は常に動遥し,一般人民の生活は極度の不安に脅かされている。一方革命以来,外国思想殊

に社会主義,共産主義の影響を受け,排外,排軍閥の思想は,社会上文化上の民衆運動となって現は

れ,中でも数年前組織された共産軍の為に政府の討伐軍が到る所で悩まされている。」と記し,新

らしい中国の動きを簡潔,適確に把えている。それも支配者の立場でなく,単に政権の争

(9)

奪でなく,民衆運動として把握したところは他書に見られない。しかし,満洲帝国の成立 については,やはり非を民国や張学良に帰し,「王道楽土を理想とする満洲国……しかるに国際 聯盟は……わが主張を認めないためわが国は聯盟脱退……」とする。この程度の叙述は検定にし ばられる教科書としてはやむを得まい。この教科書には,国体,忠君思想の宣揚などの文 句はない。全体的に教授要目の趣冒とは遠い感じ,検定をパスしたかどうか今の所不明で

ある。

「新東洋史」〔甲表〕(早稲田大学教授,清水泰次,昭和11年10月刊)は,簡略平易で論評めい たものはない。満洲国成立については他書と1司軌。近世史は欧人の勢力がアジヤを圧到した が,「大日本帝国はこの際に興隆し,東洋の平和を維持し,広く亜細亜人の中に自重の念を喚起したり」

と,一面の真実をのべている。

「新東洋史」〔甲〕(杉本直治郎,昭和11年2月刊,同年11月訂正再版)は,外国史教授の立 場から,国体の明徴,我が文化の由来,我が国の使命を明らかにし,国民としての自覚を促が すことに最も留意されている。巻頭に,日満支を柱とした年代対象表がつけられ,満洲族 の変遷を大きくとりあげている。中国の排日,満洲国成立について,「新しく生れ出たこの 王道楽土の建設のため我が国は……有らゆる犠牲を払って来たが幸ひ着々として国礎定まり……」,

「西洋人の侵略を受けたアジア民族は,日本の興隆に刺戟されて,漸く起たんとしている。西洋文明の 行詰りの声高き折柄,万国無比の国体を戴く日本民族が東洋の復興,東洋精神の再建に適進すべき時 代が来た」,「アジア復興の機運は動く一…日・満・支三国の協力と共栄とこそ真に望ましい時代と なった」と。ここに西洋文明の没落云々というのは,シュペングラーの「西洋の没落」Der Untergang des Abendlandes,2B de.(1918−22)に見られる近代西洋文明に対する西洋 人の懐疑を背景にしたものであろう。これに対応するものが東洋精神の再建となる。(註3)

この当時,西洋流の覇道をしりぞけて王道楽土の満洲国が一般国民の問にうたわれたこと は今も我々の脳裡にまざまざと残っている。

       4

ネ下,昭和12年の改正要目による教科書について。

「新制東洋史教科書」(東北帝国大学教授,文学博士,岡崎文夫,昭和8年刊,同12年7月修正3版)

は,巻首に東洋史諸国紀年比較表があり,日本,朝鮮,支那,塞外民族と立て,朝鮮と支 那の間に満洲族の系列をはさんでいる。これも満洲重視のあらわれ。全体的には科学的色 彩強く,教訓的傾向はない。それでも,韓国併合については「韓人の中往々我が恩威を離とす

るものあり,我が国は遂に韓の懇請を納れて,東洋の平和のためと,且つ又かの国人の幸福のために 之を併合」と記す。自衛のための併合とするほうがまだましである。排日は支那の政客の 叫びとされ,その他満洲国の成立については他書と同軌。日・満・支が提携して「欧米と異

なれる特色をもって世界文化に貢献……」と説く。

(10)

94       茨城大学教育学部紀要 第十三号

「中学校川新制東洋史」 (斎藤斐章,昭和12年刊,同13年3月訂正再版)は,その例言に,日 本国民たる自覚の啓培,大国民たる資質の育成を強調。東西文化の融合,世界文化の建設を 論じ,支那や印度をやさしく導いて実力ある東洋人たらしむるは恩義にむくゆる美徳であ

るとしながら,そのためには国民の総親和,総努力による国力の充実が必要と説く。こう いう表現については昭和13年3刀,国家総動員法が成立した時代背景を想うべきである。

「新編東洋一史」〔中学校用〕(東京帝国大学教授,加藤繁,昭和13{「11刀刊)は,朝鮮併合を謳歌 して, 「朝鮮が平和の裡に文化の恵沢を受け,また張作森全盛時代にもその侵略を免れ,労農露国 の掩乱をも免れつつあるのは,皆併合の賜である」と記す。こういう考えかたは今の我々の間 にも残っているのではあるまいか。我々は併合後の朝鮮の実状,日本政府の対朝鮮政策を

もっと検討する必要がある。日華事変の勃発については,「支那は日本を仇敵とし,共産勢力 と結んで口本を打ち倒さんとし,遂に避くべからざる衝突を来した。今や日本は朝野文武一丸となり,

全国力を挙げて征戦に従事しつつある,その国民政府を倒し,親日防共を主義とする新政府(筆者註,

これは日本の工作によって成立した中華民国臨時政府や中華民国維新政尉をさす)と協力して,東亜 の天地を晴朗ならしめるのは決して遠い将来ではない」とし,我等はEI本国民の伝統的精神に立 って倦むなき努力を捧げねばならぬと結ぶ。日露戦争中の東洋史教科書のような素朴さ明 朗さはない。

「最新中等東洋史」(有高巌,昭和12年刊,同16年8月修正4版)は,新要目の精神を尊重し,

旧著の大修正を行ったとあり,国体明徴,大義名分,外国思想の批判を重視などというこ とは,昭和9年の旧著には見えない。巻首の東洋諸帝王朝・諸民族興亡表は,大日本〔旧 日本,朝鮮〕,満洲国〔東三省・熱河省〕,支那本部,蒙古,中火亜細亜,印度の立てかたで ある。最近の東洋の章で,印度,フィリピン,シャム(泰),仏領印度支那,蘭領東イン

ドの独立運動を記し,わが国は大東亜共栄権の樹立を宣言した,この蕨古の聖業は必ず吾 等の手で成し遂げねばならぬと説く。

      ●

u改正新東洋史」〔中学校用〕(杉本直治郎,昭和12年刊同16年8月修正4版)も,「現代の 東洋」の章で,涯精衛による南京の国民政府におよび,我が国は同政府を承認,日・満。

支三国は善隣として東亜新秩序建設のために提携するに至ったとのぺ,大東亜共栄圏の確 立を説いては,南方諸国のナショナリズムの進展を記す。

「中等東洋史」〔中学校用〕(文学博士,羽田亨,昭和12年刊,同16年9月修正再版)は,国史理 解のための東洋史というものではない。科学的水準が高い。しかし,中国の国権恢復運動,

排日,満洲国成立についての記述は他書と同軌,日華事変の勃発も拡大も共に支那側の責

任とすることも同じ,「東洋の現状と国民の覚悟」の章で,「社会の風潮も改まり,一般に守旧

の念が薄らいで,新しさを追う傾向となり,欧米風の教育が進み文化の程度も高まって来た」としな

(11)

がら・「これと共に社会は却って安定を失ひ,混乱の状態を呈するに至った」とし,日独伊防共 協定の威力をたたえて・「共産主義は現存の国家組織を破壊するもので,我が国体と根本的に相容 れざるもの……」とし, 「日独伊三国同盟が結ばれ,独伊両国は東亜に於ける我が国の,我が国は欧 洲に於ける両国の指導的地位を認め・互に新秩序の建設につき協力すべきことを約した」と記す。

後進帝国主義と先進帝国主義の勢力圏の縄張り争いを新秩序の建設というスローガンでお しすすめ,更にこれに国体論をかぶせて八紘一宇の聖戦とされたその真相はここでは語ら れない。国民の覚階として,「欧州大戦は今や匿界を動乱の中にまき込もうとする形勢……我が 国民は時局を正視し万難に屈せず……国運の隆昌と東亜の共栄延いては世界人類の福祉を図ること を使命として進まねばならぬ」と・この教科書には所謂八紘一宇の使命観や,世界文明の指 導などの表現はなく・事実をのべたという感が濃い,しかし事実そのものがすでに誤った 宣伝によったものであるから,「時局を正視」することにはならなかったQまた一面その当 時国民の自由な発言は当局によってきびしく取締られていたことを思いかえさねばなら ない。検定を要する教科書であれば,すべては国策のらち外から出ることは許されなかっ た・東洋史教科書に,しばしば正義によってこれを導き(とくに中国を対象として)とあ るこの正義は日本人の独善的正義であって,それは国策(軍国主義帝国主義)遂行のため の正義であった。ここに改めて反省の要がある。

東西文明の融合が国民の使命として説かれたことは,一般的に大正期より一段とすすみ,

ことに満洲事変以後は東洋精神の復興となり,この東洋の文化,東洋の精神は我が国民が よく摂取淳化して今に伝えている,我が国体,日本精神による同化融合であるとし,そ の淵源をきわめることにこそ東洋史の教育的価値があると強調した。国体が指導理念とな っている。世界文化の創造,さらに世界文化の指導が説かれる。中村孝也は,これを学術的 使命と表現しているが,単にそうではなく,これは同時にアジア復興,日本によるアジァ の掌握と結ぶものであった。満洲事変を契機として,次第に強くなるのが,東洋対西洋,

東洋の優越意識であった。明治以来,欧米の近代文化を謳歌して,それを受容したことに よる国家の発展(中国人はその採用を怠ったとする)を誇示し,日英同盟に随喜した東洋史 教科書が,今や亜細亜に復帰,アジア主義,大東亜共栄を説いた。しかし,これは日本の 制覇を前提とする興亜意識であった。こういう一連の構想が,フアシズム期の教科書に見

られる我が国民の使命としての東西文明の融合論である。

②時代 区分

大正期をうけて,上古,中古,近古,近世,現代(或は最近世史)とするものが多い。現代

を中華民国以降とするもの,日清戦役以降とするものにわかれる。後者の場合は,日本の

発展を主眼としている,桑原階蔵の「中等教育東洋史教科書」(昭和2年版)は現代期(日

(12)

96      城茨大学教育学部紀要 第十三号

清戦後以後)を日本勃興時代としているが,この線をうけて,杉本直治郎の新東洋史〔甲〕

は,1.漢族興起時代(上古期,秦の統一まで),2.漢族優勢時代(中古期,唐末まで,これは また北秋興起時代とされる),3.北秋優勢時代(近古期,明末まで,これはまた西力興起時 代である),4.西力優勢時代(近世期,日清戦争まで,これは東力興起時代である),5.東 力優勢時代(現代期,日清戦争以降,東力とは日本をさす)とする。この時代区分は,南北闘争 史観と東亜交渉史観(近世以降)とによったもので,中国中心の狭義の東洋史では南北闘 争史観も一・応可能であるが,近世では東西交渉史観をとりいれたものである。中国史の時代 区分に立つものであるが,内藤虎次郎の「新制東洋史」が,宋代以後を近世としたことは,

中国史の時代区分上,画期的な意義を有することは人々のみとめるところである。同書 に,政治・学術・文化などが一般に対して解放されることになった。この一般的というこ

とが支那の近世文化の特色であるとある。王朝の交替や,民族の対立でなく,民衆生活の 発展という立場に立つものであった。古代(漢末まで),中世(唐末まで),近世の三区 分である。また,松井等の「新制中学東洋史」は前者とともに昭和期における時代区分に 光明をなげた。1.古代(亜細文化各別「派生」時代,漢末まで),支那と印度との文化 が別々に発達,この別々の発達を派生という。2.中世(亜細亜文化交流時代,三国一 明),支那と印度との文化が主として仏教によって結ばれ,ペルシャ文化も東伝する,殊に 支那文化は深い影響を我が国に及ぼし,支那・朝鮮・日本の三国が互に密i接な関係を結ぶ。

3.近世(欧亜文化混成時代,清一現代),欧米の勢力が広く而細亜に及ぶと共に,西 洋文化が強く影響して亜細亜文化に混入,現状を呈す,と説明がある。この時代区分は,

早く同氏著の「東洋史概説」(昭和5年刊,同23年16版)に適用されている。同書の序言で・

歴史に於て考察の対象となるものは人間生活変遷の流動の姿で,ここに見られる変化が時 代区分の根拠となるとし,従来の中国史時代区分を否定,また従来の中国史の時代区分を 東洋史に適用することを避けねばならぬと説いている。内藤虎次郎の区分は中国史の時代 区分に立つ。しかし,歴史を以て人類の生命ある経歴の認識とする点,松井等と共通すると ころがある。こういう史観は,ペルグソン(1859−1941)の生命の流動の哲学を連想させ る。岡崎文夫の「新制東洋史」の時代区分は内藤の線にそうもの。宋以来を近世としない

ものでも,宋代文化の性格の記述に内藤の説を入れているものが多い。

(3)文化史,社会・経済史

この期になると,儒教的尚占史観,停滞史観は数少なく,中国史を科学的発展的にとら

えようとする傾向が眼立つ,従来東洋史教科書の特色であった孔明や需飛など史上の人物

の逸話・伝記は多くの教科書に見られるが,そのとりあげかたは,前期にくらぺて減じて

いる。歴史学の本質上そういうものは不必要とする論者もあり,それらを全然とりあげな

(13)

い教科書も多い。股の甲骨文字の写真説明はほとんどの教科書に載っているが,白鳥清の

「中学甲号東洋史」には写真もなく,説明もない。これは白鳥の主張からであるらしい。(註4)

鳥山喜一の「新体東洋史」(大正15年刊)の序に,従来とかく看過されがちであった美術風 俗・経済等の方面についての記事資料の按配にも注意したとあり,前漢の重農抑商主義,

限田説,後魏の均田法についても記述されている。土地制度がとくに注目されている。大 正末期の教科書に,経済史教材を一応重くとりいれたことは注意すべきであろう。内藤虎 次郎の「新制東洋史」(昭和9年)になるとさらに顕著である。緒言に,従来の東洋史教科書 の非科学性を指摘,この書は東洋史最新の研究に基礎をおいたと記す。尭舜を儒家による 架空の人物とし,禅譲も周代に理想的な革命様式として考えられたものにすぎないとする。

全体を通じて,社会・経済史観点,文化史的観点,政治史的観点が綜合せられ,漢民族の社会 が発展的に語られている。それも単に文献的方法のみでなく,考古学的方法を以てせられて いる(例・般の社会の立証)。従来の東洋史の通念に束縛されない。例,従来しばしば秦檜 を姦物,岳飛を忠臣として是非した教科書とちがって,「宋の実情は戦ふ力なく,天子を始めとして 一般の人々は平和な生活を楽しむことを望み・・…・この時秦檜は主和論を唱へて権力を得,・…・岳飛等 の主戦論を抑へた」。周の井田法についてもこれを否定,これは周代の徹の制度を儒家が理 想化して考へたものと分析している。ついで有高巌の「最新中等東洋史」(昭和9年刊)は,

文化史の叙述を多くし,殊に社会・経済事項を各時代に付加して上下全階級の歴史(実際 生活の)という意義を徹底させることに留意されている。古代では,北京人猿の説明がで ている。各時代については,社会・経済が節として構成されている。東洋史学の進歩に応 じて,考古学的の資料が多く紹介され,昭和16年刊の同名書は更に新しい材料が加えられ ている。三島一の「最新東洋史」も,社会・経済史的内容が多い。それも支配者側からの制 度などではなく,人民の側からの観点が見られる。春秋戦国の社会で,「一般農民は戦乱と重 税に苦しみ……」或は, 「漢代に土地の兼併が盛となり……農民の中には子女を売って奴碑とな し,或は……他国に流浪……国家では農業を重んじて商業を抑へたが,・・…却って貴族,官僚軍人 は商人と結んで利をむさぼった」。宋の神宗の財政改革で,「国初以来商人の力が著しく発展し

・政府は外戦に失敗,財政に苦しんだので専売制度を設け,商人に重税を課した,これがやがて一一 般人民の困窮を招くこととなり,流民が増加……」という記述はこれを証する。加藤繁の「新編 東洋史」は周代以降の各王朝の社会・経済的の制度にくわしく,羽田亨の「中等東洋史」

は,東西交通史,塞外史にもくわしく,社会・経済史の面も相当詳述されている。中国史も 清朝の盛時迄は発展的叙述である。宋代は儒学の面目一新,庶民の生活程度高まる,明代は 教化の広く及んだこと,自治組織の高まったこと,清代は君主権愈々発達,考証学の発達,

漢族の社会は激変を見ることなく発展をつづけたと記す。

(14)

98       茨城大学教育学部紀要第卜三号

昭和期の特色はこのような社会・経済史方面の拾頭が特に注目されねばならない。文化 史材料も大正期をうけて更に豊富となり,それも思想史の面ではなく,主として考古学的,

書誌学方面の新しい材料がもられていることである。更に,最も注意すべきは中国文化の 日本への伝来,それの日本化が強調されている。孔子を以て,万代までの師表と仰がれる とする白鳥の教科書,儒教の精神をよくとりいれて,正直に実行した点では我が国民がは るかにまさっているとする及川の教科書,とくに中村孝也の「修正綜合東洋史」の古代史 観は儒教流であるが,唐代の文化については,書道の如き奈良平安時代の日本の記述で,

日本文化史である。唐代文化の日本への影響は強調されすぎて,その世界的性格はとらえ られていない。白鳥の「中学甲号東洋史」に,宋代に日本から金,砂金,真珠,白扇など が伝わったことを記し,杉本直治郎の「改正新東洋史」は,「入宋僧成尋の如き,彼の地 に赴いて,常に我が国の立派さを誇ってゐた」と記すような日本文化の逆輸入を説いたの は,正しく日本的自覚にもとずくものといってよい。

㈲ 国体,忠君思想

国体尊重は大正期より強烈。国体,日本精神,忠君思想,国民の使命などにふれぬもの もあるが,強弱の差はあるが多くはこれを説いている。上代の支那をのべて,日支国体の 比較(禅譲放伐と関連して)をしたものが多い。外国史教育の意義として,諸外国の国体 の不安定なことと比較して,我が国体の優秀なことを悟らせるということが強くとかれ,

支那では忠孝は必ずしも一致しないが,日本では忠孝一致,日本が家族国家であることを説 くものもある。中山久四郎の「新制外国歴史教科書」は,支那の革命は民主々義の革命では なくて英雄主義の革命であると説いて,ヨーロッパ流の革命と比較しているのは興味があ る。大正デモクラシー期の残光であろうか。斎藤斐章の「新制東洋史」の古代史は全く明治期 の十八史略的色彩が濃い。夏の桀王は「人民からの税を重くして……日夜宴楽に耽った,肉で111 を造り,酒の池をほってそれに舟を浮べて三千人の臣にこれを飲ませて喜んだと言ひ伝へらる」,

股の紺王は「姐己(ダッキ)といふ婦人を愛し……刑器を酷くし,炮烙(ハウロク)の刑といふを

行って姐妃と共に見てこれを楽しんだ」と。「伯夷叔斉1という節を設け,「しかし支那にも伯

夷叔斉(シユクセィ)の様な義人もあった」と記す。このような記述は,生徒に対し,中国人に

対する蔑視感をあたえるものである。中村孝也の「修正綜合東洋史」は個人についての逸

事が多く,日本との連絡に留意している。例,伯夷叔斉と徳川光囹,呉越の争,臥薪嘗胆

と児島高徳,鄭成功と国姓爺合戦。このような例は他にも見られる。杉本直治郎の改正新

東洋史は岳飛と橋本景居をあげている。有高巌の「最新中等東洋史」は,歴史は生きた学

問,被教育者に教訓をあたえ,将来の血肉となすとして,古人の嘉言善行をあげ,東洋史を

学んで支那を中心とする諸民族の国情,国民性を知ることが必要としている。ここに国民性

(15)

がでてくるが,この点は西洋史教科書に於て更に大きくとりあげられている。

四 結  び

この期の教科書はますます狭義の東洋史となり,日本史との関連が従来以上に強化され た。ほとんどが口語体となった。東洋史学の発達を反映して,考古学的,文化史的の資料が 多くかかげられた。とくに社会・経済史的内容が盛られたことは最も注目すぺきである。尚 古史観は弱くなり,多くが科学的叙述となる。内藤虎次郎の教科書のようにこれを分析,

批判するものがでた。問題はやはり近・現代史の取扱いである。満洲国の成立はもれなく これを謳歌している。国策に忠順である。忠順ならざるを得なかったと共に,時代を反映 して,激動する時代の中にあって,多くの東洋史学者の信念そのものがそうでもあった。

中国古代史の虚像は漸くうすれたが,近・現代の中国・満洲・朝鮮の虚像は従来よりも更 に強くなり,それが理論的に支持強調せられるという傾向,アジア主義,大東亜共栄圏の 虚像へと急速に拡大された。

文弱をさけ,武強を重んずる筆致(宋の文弱,成吉思汗の英武など)は従来とかわらな いが,倭憲については,その勇武を単に謳歌する教科書(加藤繁)もあるが,分析的批判 的となり,「これはほとんど中国の乱民」(杉本の教科書),「乱民の日本人を装うて劫掠」

(羽田の教科書),「不良の徒」(有高の教科書)として表現するものが見られる。松井等の 教科書が従来の所謂長髪賊の乱を「大平天国」と題したことは現在の世界史教科書の先蹴

として注目すべきではなかろうか。

3 西洋史教科書

(i)時局のとらえかた 我等の使命

皇運扶翼,東洋の平和,ひいては世界の平和,人類の幸福に貢献という使命感は,東洋 史の場合と共通している。満洲国成立についての記述も相通じている。東西文明の融合や,

国民性論は西洋史がより強くとりあげている。西洋史にはアメリカ合衆国が,大正期のも のをうけて更に大きくとりあげられ,ドイツのナチスやイタリアのフアスシスチが新しく 登場した。

「新編西洋歴史」(東京帝国大学教授,斎藤清太郎,昭和3年刊)は,列国と交わるに礼を 厚うし,親密を固うすると共に,皇運を扶翼,東亜の平和を擁護,東西の文明を融合して 更に優秀なる文明をつくることをいう。

「新見西洋歴史」(広島文理科大学教授,文学博士,新見吉治,大正15年刊,昭和6年1月訂正6版)

は,共産主義ロシヤの支那方面への進出,英米の世界政策の不一致に言及,我国の責任は,極

(16)

100      茨城大学教育学部紀要 第十三弓

東及び太平洋上に永遠の平和を保障するにありとする,アメリカは,領土は広大,国富は 世界に冠絶,自主独立の精神に富む,進取敢為,計画施設の大規模なるヨーロッパを凌駕 するとし,日露戦争後の日米外交(対日妥協と圧迫)を詳述。(註5)

家族的共存共栄の精神こそ東洋文明の精華,これを拡充して世界文明を永久平和の理想 郷に導くことは国体の精華と一致,人種無差別の正論を以て人類の協調をはかることを主 張した(日本が提案した人種平等案が破れた当時である。)ここに国体を基盤としそれを 拡充することという使命観が見られる。尚同氏は歴史教授について,現在に於て尚傾重す べき説をのぺている(註6)

「中等西洋歴史」〔新制版,甲・乙両案準拠〕(文学博士,瀬川秀雄,昭和6年刊,同7年言」正再版)

は,「世界に於ける我が帝国の使命」の章で,中華民国を指導するは我が帝国の任務であ るとし,アメリカは何事にも世界第一主義,汎米主義更に帝国主義を唱えて極東問題に干 渉,万世一系の皇室をいただく9千万の民衆は,正義人道を守り,隣邦との親和,恒久の 平和を維持することは列聖の宏誤を奉戴する所以と説く。

「中等新西洋史」(文学士,山中謙二,昭和6年刑,同7年訂正再版)も,東西文明の融合 を説く,我が国は国土は狭小,富源は貧弱,極東問題,太平洋問題の難局を控え,この間 に処する我が国民は大なる覚憎がなければならぬと説く。

「綜合西洋史」(文学博士,中村孝也,昭和7年刊)は,「東洋の天地には風雲の変絶ゆることなく・

太平洋の浪も亦必ずしも穏かではありませぬ。私共はこの間に立って東洋の平和を双肩に担ひ,世界 文化の進歩に貢献するためには,非常な大覚悟を要するのであります」。これらに見える正義人 道や大覚悟こそ問題である。

「新編中等西洋史」(及川儀右衛門,昭和7年刊)は,「君民一致して国体の精華を発揮,王道を宣 布,正義人道の実現につとめたならば世界の平和,人類の幸福に貢献することは疑いない…・・我が帝 国に伝はる東洋文化の精華を世界に弘めるのは我等の責任」とする。

「新制西洋歴史教科書」(東北帝国大学法文学部教授,中村善太郎,昭和7年刊)は,我が国は今 や国威の向上と共に孤立無援である,しかし,正義人道(日本の精神文化)を目標として 国運の発展と国威の発揚とが真の国際協調である所以を実証せねばならぬと記す。ここに はまだ国際協調の雰囲気があった。ところが,

「新制西洋歴史」(浅野利三郎,大正14年刊,昭和8年修正3版)は,我が国は現在,世界的不 況の影響で,経済国難,思想国難(個人主義,物質主義,社会主義,共産主義),この国 家非常時に当って益々国民精神を発揮して世界各国民を同化して行く覚悟が必要であると 強調,さらに,

「新編中等西洋史」〔甲乙併用〕(京都帝国大学教授,時野谷常三郎,昭和9年刊)は,国民的自

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覚の上に国際主義の態度で日本文化を一層高め(筆者注,ここまでは穏健)世界文化を指導,東

・西洋史の学習で人文発展の真相を究め世界を動かす日本文化の中枢をつくらねばなら,ぬ 日本精神,日本正義を世界精神,世界正義にまで高めることが緊要であると痛烈である。

(傍線は筆者)

「中等新西洋史」(文学博士,内藤智秀,昭和9年刊)は,国民の覚悟として,太平洋制覇 を究極の目的とする,それには海軍力と共に沿岸各地に民族的経済的政治的の進出を完成 すること,即ち汎アジア主義を第一次の目標とする。アメリカ合衆国の汎米主義を競争相手 としている。それには地理的文明史論が伏線とされる。世界の文明は河川文明,内海文明,

海洋文明に発展するとし,文明の中心はナイル河から地中海,次に大西洋に移る,一方 ガンジス文明は黄河文明と合し,我が国に渡来して東洋文明が完成,今や両文明は太平洋 で融合せんとす,太平洋の争覇こそ東西文明を合一して究極的な文化を創造せんとするも の,我が国こそこの使命をおびると説く。こういう地理的史観は西欧の地理的史観を援用

したものであり,その東西文化融合論も,国体・日本精神を基本とするものであった

(註7)。

「新修中等西洋史」(斎藤清太郎,昭和12年刊,同13年訂正版)は,現代文化は合理的機械的物 質的であるとし(同氏著,昭和3年刊,「新編西洋史」にはこの文はない),ヒトラーについて,「国 民主義に反対する自由主義者,共産党,ユダヤ人等を弾圧して国家的統制を強化…・吟やドイツ人は 彼の下に国権伸張に遇進…・・」と記し,ムッソリニについて, 「国粋主義のプアシスチ党を率い て社会主義者を制圧,独裁権下に国家的統制を強固にすると共に,外に向っては国勢の発展に力め…

・・

vと記す。

「新制中学西洋史」(今井登志喜,昭和12年刊)は,現在の世界の理解を眼目とし,近世史が 詳しい。穏健平静な筆致で,「西洋史上より観たる我が国の使命と国民の覚1吾」の章で,西 洋文化は近代に於て自然の征服には大なる成績をあげたが短所も少なくない,その長を採 り短をすてそれによって我が伝統の文化を豊富にし,一層優秀な文化を創造して世界を向 上せしめることを言う。世界文化の指導とは説かない。国民精神の振作如何は国家の盛衰の 根底となる,我国の使命を果す覚悟をもたねばならぬと記し,国体や国民精神による東西 文化の融合ではない。他書と比ぺて淡々としている。フアスシストについて,極端な国家 主義と表現。

「最新中等西洋史」(中川一男,昭和12年刊)は,国際的協調は必要であるが,正義に立

って圧迫をようちょうと言い,日本文化の発展をはかり世界文化を指導するを皇運扶翼の

道であり,世界につくす大国民たる道であるとする。ドイツ・イタリアの国家主義について

は,民族精神をたかめ,国家の歴史と光栄とを尊び,その伝統文化を強調,国運隆昌をは

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102       茨城大学教育学部紀要第十三号

からんとすと讃美的である。昭和2年刊の同氏著,「歴史学及歴史教育の本質1の論調と はその性格がちがってきた。

「新編中等西洋史」(時野谷常三郎,昭和18年刊,修正4版)は,我が国の使命として東亜 新秩序の建設,世界新秩序建説を説く。

この期の西洋史教科書の時代区分は大正期のものとさして変っていない。

(2)革新文学 ルソー観

大正期のものをうけているが,ファシズムの進行するにつれて幾分異なった色彩がでて くる。「新編西洋史」(斎藤清太郎,昭和3年)は普通の叙述。神聖1司盟について,「ドイツの学者,

学生等が祖国の統一を叫び,専制政治に反対,民権の伸張を唱へたが,メッテルニヒは革命運動を抑 圧,大学を監視し,学者の言論を抑圧……」と述べ,自由主義を擁護,大学の自由を守る筆致で ある。「新見西洋史」(昭和6年)は,革新文学には好意的筆致,フランス革命について,「国 王の政策如何によっては,避けることのできない程致命的なものではなかった」としている。瀬川 の「中等西洋史」(昭和7年)は,フランス革命の原因について,特権階級が中産階級を威圧,

国王は特権階級と結ぶ,下層の平民は中産階級と策応してその窮状を打開せんとすと説述 している。こういう社会階級関係を明確に分析したのはめずらしい。人権宣言について詳 記し,革命を意義ずけている。前向きの性格である。山中の「中等新西洋史は」,革新文学の 意義を積極的に認めている。フランス革命の勃発そのものは肯定しているが,革命が空理空 論によって動かされたこと,特にその暴虐過激な行動(国王の処刑),恐嚇政治を非難する筆 致,このような傾向は大正期以来のもの。及川の「新編中等西洋史」(昭和7年)は,フラ

ンス革命について,「元来感情に動き実際を離れて純理を尊び,空想に走り易いフランス人は,ア メリカ合衆国が独立したのを見て…・・一気に新しい国家を建てようとした」と記す。革命を警戒し ているQ

昭和初年と昭和ファシズム昂揚期とを比較するために,斉藤の「新修中等西洋史」(昭和 13年)を見ると,西洋史の意義について,我が国体が西洋諸国と異なって,世界無比であ ることの事実を認識することを怠ってはならない,西洋史に屡々起る革命のいかに畏るべ く,人道の為に防止すべきものかを知ることを要する,社会の変遷は発達によって起り,

創造せらるるものではないと説いた。こういう記述は昭和3年刊同氏著の「新編西洋史」に はない。昭和12年の改正教授要目の趣旨にそったものである。「革新文学は総べてが歴史的 発達によるものたるかを思はず,古来の制度及び習俗を不合理として……」と記し,フラ

ンス革命における国王の処刑を「わが国には夢にもあり得ない暴虐」と記す。傍線の部分 は前著にはない。革命の原因についても,旧制度,下層人民の困窮がのぺられていない。

神聖同盟を反動保守としながら,前著にはあったドイッの学生運動ははぶかれている。中

(19)

川の「最新中等西洋史」(昭和12年)は「ルソー・モンテスキューは明治時代に大いに議論された が,国体,国情の適せざるため盛とはならなかった」と記し,ルソー思想の永遠性,一般性を

とらえていない。

(3)社会主義,共産主義

明治期の教科書では,これらの問題がとくに警戒的,否定的に取扱われていない。大正 期になると急激な社会主義,共産主義を排して,国家による社会政策が推されている。昭 和期になるとこの傾向をうけつぐと共に,社会主義を学問的に分析する傾向と共に,ハッ

キリこれを排斥する傾向が見える。

斎藤清太郎の「新編西洋歴史」(昭和3年)は,ロシヤ革命について,「過激派ボルシェヴィキ の首領レニン…一市民を煽動……」「露国は政権の過激派に帰して後,古来の政治及び社会組織は一 変せられ,彼等に疾視せられたる貴族並に有産階級は甚しき迫害を被り,廃帝ニコラスニ世も皇后,

皇子と共に彼等の為に害に遭いぬ」。これは人民の側からの革命観でなく,皇帝・資本家側か らの革命観である。

一般に,産業革命以後の労働者の悲惨な生活には同情的であるが,社会主義,とくにそ の過激なものについては警戒的である。カール・マルクスは資本家に対する反感を宣伝し たというような表現がある。しかし,瀬川の「中等西洋史」(昭和7年)はオーエン,フーリ エ,ルイ・プランを説き,カール・マルクスにおよび「理想的の社会主義を改めて実際的なもの となし……労働者を解放するためには,政治⊥では民主主義,経済上では共産主義を唱へた……」と 詳記している。ロシヤ革命について,「多年専制政治の積弊を憤ってゐた労働者や農民等は,こ の機会に軍隊と力を協せて終に革命を起し・…・・」と記し,労農ロシヤについても, 「アメリカ合 衆国がまだこの国の独立を承認しないのは遺憾である」とする。批判的警戒的ではない。大正9 年刊の同氏著「中等西洋歴史」に1比べてはるかに進んでいる。山中の「中学新西洋 史」(昭和7年)も,空想的社会主義と理論社会主義とを区別,その極端なのは現今の国家 組織と相容れないから,諸国は多くこれを排斥しているが,社会の弊害を矯正する必要を 認めて社会政策を行っているとのぺ,限界はあるがその意義をみとめている。

中村の「綜合西洋史」(昭和7年)は,社会問題を資本家と労働者,地主と小作人の利益 の衝突と表現,社会主義の運動は,「現在の国家組織と相容れないところがありますから,漫りに これに動かされてはなりませぬ」と記す。労働者・小作人のみじめな生活はかえりみられな い。これでは全くの事なかれ主義,政府追随の修身書である。浅野の「新制西洋歴史」(昭和 8年)は,労働者は常に多数の力を以て資本家に当りとか,「マルクスが出て社会主義を唱へ        ■

驍竅C徒らに労働者を刺戟して資本家を敵視せしめ……社会や経済上の不安は一層深められた」と記

す。これは全く資本家階級の代弁者である。以上二者のような記述は社会主義批判の極端

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]04      茨」成大学教育学部紀要 第卜三号

のものであろう。こういう教科書は昭和期の一つの特色であるようである。思想菩導の線 にそう極端なものであるQ

㈲ 国 民性

要1]にしたがって,多くの教科書が西洋諸国(イギリス,フランス,ドイツ,イタリア,

アメリカ会衆国)の国民性を説いている。これは従来にみられなかったところである。ア メリカの国民性の記述については,前述の「新見西洋歴史」,瀬川の「中等西洋史」などに 見られる通りであるが,内藤の「中等新西洋史」が,民主的,自由を尊び,労働を神型視,平和 と人道を愛好,世界文化の開発に貢献としているのは新しい感覚を思わせる。しかし,近 時帝国主義的行動を逞しうせんとするは甚だ遺憾としている。しかし,日本の大陸政 策,帝国主義には何らの反省がなく,認識もない。この点,東・西洋史を通じての欠かん であろう。東洋の平和,国民精神による世界文化の建設,人類の平和などは全くの美辞麗 句となってしまったのである。ドイツの国民性について,瀬川の「中等西洋歴典」は掴 民は勤倹尚式……不擁不屈……独立独行を信念とする,梢々驕慢て執着心が強い,万難を排しても勇 往逼進する,将来おそるべき国民」とし,ロシヤ人は極端にはしるといった筆致である。昭和 3年刊の本書ではまだドイツに批判的なところが見える。斎藤の「新修中学歴史」(昭和1 3年)になると,ドイツ人は,剛健,闘争心,愛国心,研究心強く,勤勉努力と統制を尊重する精 神は著しく国力を増強せしめたとし,ファシズム批判でなく,肯定的筆致であり,ロシヤ 人は民族的自覚心は強いが,鈍重,空想的,極端に奔る風あり,西欧思想に感染して革命 党を生じたと記す。革命否定である。

一般にイギリスの国民性については,穏健着実,常識的で急激な改革を好まぬ,健全な政 党政治,社会道徳発達などと記し,なかに利害の打算に長ずるとするのもある。中村の「綜 合西洋史」(昭和7年)は,「我が国も久しくこれと同盟を結んで,東洋平和を保持しましたが,

今でも親密な友邦として互に尊敬しあってをります」と。まだ米英撃滅ではない。アメリカ合衆 国の国民性は最も重く評価し,世界の最有力国としているのは一般的で,昭和の日本人の 最も関心を示した国であることをよくあらわしている。

結  び

この期における西洋史教科書の特色は,その東西文明融合論にあり,東洋史のそれより もスケールが大きい。物質の西洋,精神の日本であり,はっきりと国体,国民精神を中核と し,世界文化の指導を打ちだす。それは帝国主義としては意識されず,皇道による世界の 指導となる,こういうことを,理論的に強調する。戦争ごとに日本の国際的地位が向上し たとすることは,東・西洋史に共通であるが,西洋史では最近文明の章で兵器の発達など

参照

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