岡倉天心による﹁泰西美術史﹂講義
︵明治二十九年︶についての考察︵その二︶
︻資料紹介︼廣 瀬 緑
本論文は
﹁
五浦論叢﹂
第十五号︑︵
二〇〇九年︶﹁
岡倉天心による﹃
泰西美術史﹄
講義︵
明治二十九年︶
についての考察︵
その一︶﹂
の続きである
︒
前回の論文においては
﹁
泰西美術史﹂
のうち︑
序文︑
埃及︑
メソポタミア︑
印度についての講義内容を見てきた︒
今回はそれに続く希臘︑
羅馬
︑
中世史︑
ゴシック時代を見ていき︑
最後にこの﹁
泰西美術史﹂
講義全体の考察を試みたいと思う︒
二
―
五 希臘この項は香田ノートの中で最もページ数の多い部分で
︑
天心がいかにギリシャ美術について強い関心を持ち︑
学生に多くを教えようとしていたかがよくわかる内容となっている
︒
前半は彫刻︑
後半は絵画︑
工芸についての解説となっているが︑
天心がギリシャ彫刻と陶器を高く評価していることが授業の内容から読み取れる
︒
この章では平凡社版︑
菅ノートと共通する内容が多いが︑
菅ノートでは建築から始まり︑
平凡社版では
﹁
ギリシャは小国だが西洋文化の源であって︑
美術というものは国の大小に関係ないので日本も小国だからといって悲観しなくてもよい
﹂
という内容で始まっている︒
また︑
ギリシャの陶器についての解説は香田ノートのみに見られる内容である︒
香田ノートは次のようにギリシャ美術の起源から始まっている
︒
﹁
希臘技術ハ実ニ泰西美術ノ発スル根元︵
源︶
ニシテ此史ノ攻究又従テ必要ナリ其史前事詳カニ考フヘカラズ紀元前ノ千七百七十 年代ホーマーノ詩ニテ考フレバ未ダ完全ナル発達ナク貴重セル楯甲武器ノ如キハ多クハ亜細亜亜非利加ナドヨリ輸入セルガ如ク其建築ハ粗雑ナル柱ヲ用イ彫刻ノ如キハ後世ノ発達アルニ係ラズ一モ見エルコトナシ
﹂
ギリシャは泰西美術の根源であるが
︑
ホーマーHomer us
の詩によると初期のギリシャ美術は完全でなく
︑
粗雑なものであったため貴重な武器類の多くはアジア︑
アフリカなどからもたらされていたと述べている
︒
泰西美術の源は結局アジアやアフリカにあるという内容である︒
これは天心が参照したと考えられているリュプケLü bke
の︽ Histor y of Ar t ﹁
西洋美術史﹂︾
にも同様のことが記されている︒
﹁
其後オリンピアノ初歩ノ美術ハ何レヨリ来リシカ一説ニ埃及ヨリ入リシト云ヒ一説ニハ亜西利亜ヨリスト雖モ其彫刻ヲ執テ之ヲ埃及ニ較フレバ其跡ナキニ係ハラズ建築ニ於テハ線ヲ適セリ又其建築ヲ以テ之ヲ亜西利亜ニ比スレバ全ク其線ヲ断チ寧ロ彫刻ニ於
テ其跡ヲ連ヌ之ニヨリテ之ヲ見レバ建築ハ埃及ニ取リ彫刻ハ亜西利亜ヨリ入リシナラン
⁝ ﹂
ここでも再び泰西美術の源は確かにギリシャであるが
︑
その根本をたどっていくと建築はエジプト
︑
彫刻はアッシリアに源があると述べている︒
続く内容は︑
ギリシャの彫刻は最初︑
簡単な木彫の神像に衣とかつらを被せただけのものであったこと
︑
それをダイダロスDaedalus
が道具を発明して彫刻を進歩させ︑
次第に象牙︑
琥珀などによって装飾も加えるようになったこと
︑
また当時は楯などの武具は職工が作るのではなく︑
使う者が自分で作っていたということが述べられている
︒
この内容は平凡社版にはなく︑
菅ノートに同じような内容が少し記録されている︒
続いて︑
﹁
紀元前六百年頃一大発明アリ及チサモス島ニテセオドラス︵
ママ
︶
カ鋳造之レナリ或ル説ニハ埃及ヨリ輸入セルヲ元来自負心深キヨリシカ云ヒシナラン﹂
この部分は菅ノートではセオドロス
Theodor os
の代わりにグータ デスあるいは一説にはサモス島のリヨコスが鋳造の技術を発明したとなっている ︵1︶
︒
紀元前六百年頃に鋳造の技術が発明されたということだが
︑
別の説によるとその技術はエジプトから来たと述べられており︑
ギリシャ文明の起源はアフリカ︑
アジアにあることがここでも再び繰り返して述べられている
︒
この続きの内容は紀元前七世紀︑
六世紀頃にはホンパロス︵
ペロポンネソスのことか
︶
がメロス︵
ミロス島のことか︶︑
パロス島より大理石を切り出して彫刻するようになったこと︑
パロス島の大理石は非常に良質であること
︑
日本においても大理石は採れるが質的には班紋が多いこと︑
またギリシャ特有の金牙彫刻というものが発明されたことが述べられている
︒
この金牙彫刻は木彫に金や象牙の断片を被せるようにして用いるもので︑
象牙はアフリカから輸入していたということである
︒
以上の三つの発明︑
つまり鋳造︑
大理石の使用︑
金牙彫刻によってギリシャの彫刻は大いに発展したと述べている︒
しかし︑
こ れら全ての発展がアジア︑
アフリカの技術や材料によって支えられていたことを何度も強調する内容となっている︒
﹁
五世紀ノ始メ六世紀ノ終リヨリ希臘美術大ニ興起セリペルシヤノ侵入セシハ紀元前四百七十年頃ナリ此ヨリ以前五百年頃ヨリ美術ノ色ヲ現ハセシ如シ五百八十年頃ヨリソーロン出デ盛ンニ工業
ヲ起シ発達亦著シカリシ
︵
略︶ ⁝
此盛事ノ起リシハ全クペルシヤノ凱陣ニ基キタルモノナリ就中尤モ盛ンナルハ亜ゼンスニシテ次ニイジーナナドナリ亜テアルゴスヨリモ大家ヲ出セリ就中亜ゼンスヨリ空前絶後ノ偉士ヲ出スフェダスト云フ其他カラミスピサゴ
ラスマイロンナドノ名工輩出セリ
⁝ ﹂
ギリシャ美術は紀元前五世紀の初めから発展し
︑
政治家のソロンSolon
が工業を推進したためさらに進歩した︒
特にアゼンス︵
アテネ︶ Athens ︑
イジーナ︵
アイジナ島︶ Aegina ︑
アルゴスAr gos
から彫刻の大家が出て︑
アゼンスからはフェダス︵
フェイディアス︶ Phiduas
が輩出したとある︒
フェイディアスが人の恨みを買って苦労したこと︑
楯に彫刻した名士勇将の中に自分の姿を入れたため投獄されたことなどは平凡社版と同じ内容となっている
︒
香田ノートではさらに彫刻家のカラミスKalamis
は馬の彫刻に優れ︑
ピサゴラスPythagoras
はオ リンピアで開かれたスポーツ大会の勝利を表した躍動的な作品があることが述べられている︒
マイロン︵
ミュロン︶ Myr ôn
作のラダス像については平凡社版にも記されているが
︑
香田ノートでは打ち倒れたところを表現しただけではなく︑﹁
悉ク呼吸スルモノナリト其近ニ写シタルコト知ルベシ
﹂
と動きの表現とともにその写実性の優れていることについても触れている︒
次に続く部分もほとんど平凡社版と同じで
︑
まとめると次のようになる︒
ペルシアとの戦争に勝ったギリシャは︑
それを記念するために神殿の大工事を行う
︒
それを指揮監督したのはフェイディアスで︑
特にパルテノン神殿のアテナ・
パルテノス立像は有名であること︑
パウサニアス
Pausanias
の記録によると︑
アテナ・
パルテノス立像は金と象牙で作られ︑
頭のヘルメットの中央にはスフィンクス︑
左右にはグリフォンが配置され
︑
胸には魔物のメドゥーサの頭が付けられていること︑
手には楯と槍を持ち︑
その楯の側には蛇がいることなどが記されている
︒
また︑
オリンピアのゼウス像についてはフェイディアスが非常に苦心して作り︑
天意を問うため神に訴えたところ雷雨が起きたこと
︑
この像には金と象牙が用いられ︑
台座も金︑
銀︑
象牙︑
黒壇が用いられていることなどが記されている︒
菅ノートにはアテネの誕生とネプチューンとの戦い ︵
2︶ について
︑
また平凡社版にも同様のことが少し記されているが︑
香田ノートではパルテノン神殿の破風についても以下のように詳細に記されている
︒
﹁ ⁝
此破風尤モ要用ニシテ正面ニハ﹁
パラスアセニー﹂
ノ生ル所アリ此神ハ智ノカミニシテ﹁
チュース﹂︵
ゼウス︶
ノ頭裂ケテ出タリ而レトモ此ノ如キ所ハ彫刻ニ顕
︵
表︶
シ難キヲ以テ只ニ神カ生レ来リテ今出ント云フ所ヲ示シタリ恰モ大自在天ノ頭ヨリ枝︵
伎︶
藝天ノ出シト云フノト同一ナリ破風ハ破裂弾ヲ蒙リ尤モ大ニシテ非常ニ破レタリ故ニ首ナキ像ニシテ形ノ尤モ壊レ多ク之レ ハ東ノ破風ナリ西ノ破風ニハ﹁
ポセードン﹂
ト﹁
アセニー﹂
トノ争アリ︵
略︶ ⁝
之等ノ彫刻ハ大理石ナレトモ彩色ノ跡今ニ残リテ多ク半肉彫ナリ
⁝ ﹂
ここではアテナ誕生の破風と
︑
アテナとポセイドン︵
ネプチューン︶
が争っている西側の破風について述べているが︑
アテナがゼウスの頭から誕生する様子については
︑
大自在天王︵
シバ神︶
の髪の生え際から生まれた天女である伎藝天に例えて﹁
大自在天ノ頭ヨリ伎藝天ノ出シト云フ
﹂
と表現している︒
この部分は平凡社版では﹁
この破風にはパラスの此の世に生るゝや恰も我が技藝天の如く ︵3︶
﹂
となっている︒
現在︑
東京藝術大学には﹁
伎芸天立像 ︵4︶
﹂
という作品が所蔵されている︒
この作品は明治二十一年から東京美術学校に雇われ︑
二十四年から教授となっていた竹内久一が制作したもので
︑
香田ノートの筆記された年の三年前に当たる明治二十六年︵
一八九三年︶︑
シカゴ・
コロンブス世界博覧会に出品された
︒
竹内は日本の伝統的木彫を世界に見せるために︑
特に諸芸の祈願を納めるという伎芸天女を題材にしたと言われている
︒
したがって﹁
伎芸天﹂
は学生たちにとっても馴染みのあるテーマであったことであろう︒
もちろん︑﹁
伎芸天﹂
と﹁
アテナ﹂
の誕生の仕方が非常に共通しているという前提があってのことだが
︑
ここにも身近な例を引き合いに出した天心の教育的な配慮が感じられる
︒
香田ノートの序文には﹁
欧州ニ於テar t
ト云フハ技藝ヲ云フ﹂
という一文があったことは拙論︵
その一︶
で述べた︒
西洋の智の神﹁
アテナ