殉教者宗教 としての キ リス ト教
持 田 行 雄
DasChristentumalsM畠rtyrerreliglOn
YUKIO M ocHIDA
は じ め に
倫理学 は 「規範 の学」 で あるとい う。歴史的社会 におけ る人 と人 との関係 (人間の行為の在 り方) につ いて問 う学問で あ るとい うと1)しか し,「規範 」 とは何 か。
一般 には,Ⅰ.Kant以来,普遍妥 当的な (無 時間的,超歴史的な)道徳法則が,倫理 的規範 と考 え られて きた。 それ は, 「絶対的 ・直接的に」 ,それ故 に, 「客観 的に」意志 を規定す る 実践的規則で あ り, それ 自体無条件 的であ って,定言的 に実践的 な先天的命題 として考え られ る もので あ ると2)倫理学 (または道徳哲学 ) は, このよ うな道徳法則 に関す る問題につ いて考究 す る学 問で あ るといえ る。
しか し, いま考 えてみたいのは, そのよ うな原理 や原則を哲学的 に考究 す る倫理学で はなく, もっと 日常的 レベルの倫理領域 を研究対象 にす るよ うな倫理学で あ る。 日常生 活の中 に (私達 が それ と共 に生 きて い るもの,例 えば,文学,宗教,芸術,歴史書,記 録 文書 な どの中 に), 人間の倫理的 な生 き方 や死 に方 (倫理的実存 の可 能性) を探 ることはで きな いか。 た とえ倫理 学 を正規 に学 ばなかった と して も,また,倫理 を学 問的に追求 しなか った と して も,倫理的 に 生 きた人間 は必ず存 在 して いたはずで あ る。 また, そのよ うな人間の生 きた痕跡 も必ず ど こか
に何 かの形で存在 して いるはずであ る。本小論 は, そのよ うな確信 を前提 と して始 まる。
普通,何 か困難な状況 に遭遇す ると,人 は しば しば,過去 に偉大 な生 き方 を示 した人物 の言 行 (それ らは文献や記録 の形で保 存 され, 日常 の生活圏 に存在 してい る) を 自己の行為 の規範 と して行動 す る。 その場合,行為 の モデル (鑑) にな った人物 は,一般 に,偉人,聖人,賢人, 君子な どと呼 ばれ る。彼等 の残 した言行が困難な状 況 に打 ち克つ意志 的行為 の規範 とみな され るか らであ るO無 論,その際,彼等 の示 した行為 と語 った言葉 とは,一体 にな って,一つの実 践的 な規範 に され るわけで あるが,一般 にはその どち らかが強調 され る ことにな る。 その規範 性 の垂心 は,意志 や行為 をよ り強 く規定す る方 向に傾 くので ある。
彼等 の語 った (とされ る)言葉 に, より一層 の規範性 が認め られ ると,その言葉 は しば しば その人物か ら離 れて一人歩 きを始 め,専 らその言葉 の表現す る内容の規範性が強調 されて,言
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糞 その もの は,やがて金言 ・格言 にな る。 そ して,そのよ うな形 で 日常生活の中に定着 し, 日 常 の倫理的行為 の規範 と して尊重 され るよ うにな るのであ る。
他方,彼等 の行 な った (とされ る)行為 に, よ り一層の規範性が認め られ る と, その人物 は しば しば偉人化 された り聖 人化 された りす る。彼等 の行為 が 日常 性を破 る行為 (一般人 の行為 とは異 な った偉大 な行為) と して考 え られて,伝説や奇跡 物語 などを生み出すか らであ る。 こ のよ うに して,偉人 や聖人 な どの残 した言行 は,その倫理 的規範性 を強めて い くので あ る。
しか し,やがて人々は, 日常 性を超え た彼等 の偉大 な生 き方 か ら,その生 き方 の背 後 にあ っ て, それを可能 に した何か神秘的 な力を認 め る。 そ こか ら,彼等 の言行 は倫理 的規範性を一層 強めて,つ いに宗教的規範性 を獲得す るO事実,宗教 は最 も強 い社会 規範 の一つで あ る(03)やが て宗教的 に高 い規範性を得た偉人 や聖人 の生涯 は,意志 的行為 の倫理的規範 とい うよ り も,む しろ,崇拝 (よ り具体 的 には礼拝 )の対象 とな って, 日常性 か ら超絶す る。 そ して,信仰や服 従 を要求す るよ うにな る。 しか し, そ うな った場合で も, た とえ間接的 にで あれ, や はりそれ は倫理的行為 の規範 で あ り続 けていよ う。宗教 的信 仰に支持 されて いるとい う点 か らみれば, む しろ,最 も強力な規範です らあ るといってよい。
ここで考 えて みたいの は, そのよ うな宗教的信仰 によ って補強 され た聖人崇拝 が もつ倫理的 規範性 の問題であ る。 もし倫理学 が 「規範 の学」で あ るな らば, このよ うな問題 もまた,充分, 倫理学的 テーマの一 つ にな り得 る し, また,な らなければな らないで あろ う。
ところで,過去 の宗教的人物 を聖人 と して,信仰 に近 い崇拝 を行 な う傾 向が最 も強 い宗教は, 多分, キ リス ト教で あろ う。 と りわ け, 自己の信仰 のために敢然 と迫 害 に耐 え,死地 に赴 いた 殉教者 に対す る崇拝 は,キ リス ト教史 に極 め て 目立 った傾 向で あ る。事実, ユ ダヤ教 を別 にす れば,キ リス ト教 は,他 の宗教 に比べて,世俗権力 によ る迫害 の時代が最 も長か った宗教で あ る。 キ リス ト教 は,数百年 に も及ぶ長 い迫 害時代 に, 自らの信条 の制定 と教義の確立 と教会組 織 の形成 とを行な って,教勢 の伸長を図 って きた。 その迫害の長 さ と苛酷 さと, それ に耐 えて 自 らの拡大 に努 めた信仰の情熱 とは,全 く他 に類をみない ものであ る。 キ リス ト教倫理 につ い て考 えるとき, これ は決 して忘れてはな らない史実で あ る。従 って, ここで は,迫 害 時代 のキ リス ト者の思考 と行為 (及 びそれ に対す る後代 の評価す なわち殉教者崇拝) が, キ リス ト教倫 理 を形成 した決定的要因 の一 つで あ った とい う視点 か ら,殉教者崇拝 の問題 を取 り上 げること にす る。殉教者崇拝 は,決 して千数百 年前 の情熱で あるに留 ま らな い。極めて強い倫理 的規範 性を もって今 なお 日常生活の中に生 き,偉人崇拝 の一 つの典型 と して働 いてい る。それはまた, 例 えば殉教録 な どの よ うに, 文書 と して も大切 に保存 され, 今 に伝 え られて, 日常倫理の指針 の一 つ と もな ってい る。無 論,殉教 その ものの現実 に 日常性 を見 るわけで はない.殉教者のよ うな人物 を崇拝す る偉人崇拝 (人物崇拝)の現実 に 日常性を見 るので ある。殉教者 のよ うな人 々の 「生 きざま」 を偉大 な生涯で あると認 め る現実,彼等 の言行 が書 き留 め られ て語 り継がれ てい る現実,彼等の殉難 日が記念 日にされて いる現実,彼等 にゆか りの場所や遺物が寺院 ・教 会建立の根拠 とされ, また,記念碑 や墓石が置かれて,参拝 を受 けてい る現実, そ うい う現実 に 日常性を見 るので ある。
確 か に倫理 は 「人間存在 の理法」で あ り,倫理学 はその理法 を原理 的 に解明す る学で あ る。
しか し, そのよ うな原理か ら出発す る倫理学 に対 して は, 現実 か ら出発す る倫理学 を考 え るこ と もで きる。倫理学 が他 の学 問か ら異 な る特質 は, この 日常性 か ら出発す るとい う点 にあ るか らで あ るto4)従 って,次には, その 日常生活の 中か ら何を具体 的 に取 り上 げて考察 を進 めてい く かが問題 にな る。 そ して,本小論で は,聖人崇拝 の倫理的規範性, とりわ け, キ リス ト教 に見
られ る殉教者崇拝 の それを考 えてみよ うとす る もので ある。事実,倫理学が 「規範 の学」で あ
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るな らば, この 日常生活の中に見 られ る聖人崇拝 (偉大 な人物 への崇拝)の論理構造(logical structure)を解 明す る仕事 もまた,倫理 学 の一 つの課題 にな ってよ い, また, な るべ きで あ ろ う。
1. 殉 教 者 崇 拝
本小論 は,歴史上 に見 出せ る (それ は 日常 の手近 な文書 な どに見 出せ る) 規範 と しての聖人 崇拝‑ 歴史 的規範 と して今 日まで 日常生活 の中に生 き続け る聖人崇拝‑ につ いて考 えてい く。 とりわ け, キ リス ト教史 に見 られ る殉教者崇拝 につ いて考 えてい く。 しか し, それが 「い つ, どこで, なぜ成 立 したか」 は問わない。 そ う問 うのは歴史学 の仕事 であ る。 ここではただ, それが 「どのよ うにあったか」あ るいは 「あ るか」 を問 う。従 って, それが存在 していた とい
う事 実 は, (す で に歴 史学 が証拠づ けた, あるいは ,全 く素朴 な確信 か ら)歴史的事実 と して 前提す る。 そ して,専 らその事実の対 内 ・外的な論理構造の説明 を求 めてい く。同時に, そ こ
にその説明の客観性 ,科学性 を認 めてい くと5)
従 って,私達 は, まず,殉教者 に対 して高 い崇拝 が行 なわれて きた こと, その崇拝 が キ リス ト者の倫理 的行為 を強 く規定 して きたこと‑ それを歴史 的事実 として確 認 してい こ う。 そ し て次に, そ うした殉教者崇拝 が歴史 の中に示 した倫理 的規範性 の特質 (その 論理構 造)につい て考察 して いこう。
まず, 「崇拝」の一般的な意 味 につ いて考 えてみよ う。キ リス ト教 にお いて 「崇 拝」 は さま ざまな意味 を もつ。 しか し, それ らは, ローマ ・カ トリック教会 の教義 によれば,およそ次 の よ うに大別 され る。
① まず,最 も大切 な崇拝 (devotlO,献身) は,無論,神 に対す る礼拝 (latria)で あ る。
これ は,普通,三位一体 の神 に対す る 「絶対的 ラ トリーア」 と,神 に関す る事物 や表現な どに 対す る 「相対的 ラ トリーア」 とに分 け られ る。
④ 次 は,聖母 マ リアに対す る特別 な崇拝 (hyperdulia,完 さ等崇)で あ る。 この マ リア崇 拝 (Manolatry)は,聖書 に起源 を もっていない。 カ トリック教会 が女性的 な ものを神学的 な もの と して認 めるよ うにな ってか ら成立 した。 しか し, この礼賛 は, マ リアを神 で も人で もな い暖味な存在 に変型 し, 同時 に, キ リス トの人格 性を希薄化す る結果 を招 いた。
④ 最後 は,天使及 び人間 に対す る崇拝 ,特 に聖人 とその遺物 に対す る崇拝 (dulla,崇敬) である。 ローマ教会 で は,殉教者や特別 に信仰 と徳 とに優 れた死者 な どを, 教皇の権 限におい て 「聖人」 (Saint)と宣言 し,教会暦 にその祝 日を定 め る。彼等の功徳 が信 者の救 いに有効で あ るとみな されて,崇敬 の対象 に され るので あ る。 これが教会の 「列聖」 (canr)onlZation)で ある。最初 に列聖 された聖人 は,南独Augusburgの司教Ulrich (890‑ 973)で あ った とい う。
この聖人崇拝を, プ ロテスタ ン ト教会 は聖書 に根拠 が ないと して排斥す る。 しか し, 「か ら だ」を神への 「供 え物」 にす るとい う思想 な らば,「ロマ書」 に も見 出す ことがで き る。パ ウ ロは, 「あなたが たのか らだを,神 に喜 ばれ る,生 きた,聖 な る供 え物 として ささげなさい。
それが, あなたが たのなすべ き霊 的な礼拝で あ る。」(12:1) と勧 めて い る。
殉 教者を聖人 と して崇拝す る傾向が現れ る最初の文献 は,『ポ リュカルボスの殉教』(ca.156) で あ ると6)その後,聖人崇拝 は,殉教者への崇拝 と して次第 に普及 したO やがて,Origenes(ca. 185‑ 254)が 『聖徒の交わ り』 にお いて, この崇拝 に神学的基礎 を与 え る。 4世紀 には更 に 一般化 した。 そ して,典礼 の中 に取 り入れ られ, 6世 紀以後 は ミサの中 に も導入 され る。聖人
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で あろ う。 そ して,数 多 くの殉教録 の作成 が これ に続 いてい る。無 論, それ らは必ず しも迫害 時代 に書かれ た作品 ばか りで はない。公認後 に全 く新 しく作 られた もの, 内容が適宜 に書 き変 え られ た もの,あ るいは,原初 の殉教 とは関係 のな い新 しい事 柄 が 付加 され た もの な ど もあ ると12)この事 実 は, 何 よ り もまず, 殉教録が決 して史実の正確 な記録 な どは意図 していなか っ た ことを物語 って い る。
事実,迫害時代 のキ リス ト教 文学 に,史実 の正確 な記録 を意図 した作品を見出すの は,極 め て困難で あ る。 当時のキ リス ト者達 に,過去 の出来事 を未来のため に記録す るとい う歴史 意識 は存在 して いない。彼 等は,天国への復活を待望 しつつ,専 ら,帝 国 の皇帝 や官憲 に上書 して 早 く迫害を終結 させ るため に, あ るいは,信者達 に対 して迫害 に耐 え抜 く勇気 を与 え るために (公認後 は薄 れ行 く信仰の情熱 を鼓舞す るために)書 いた。前 者の 目的を実現す るために,護 教家達 (Aristides,Justinus,Tertullianusな ど)は,ローマの権威 者達 に対 して, キ リス ト者 の不正 な取扱 いに抗議 し,迫害を中止す るよ う求 め る 「弁明書」(ApologetlCuS)を書 き, そ して,後者の 目的を実現す るために, キ リス ト者達 は,殉教者 の物語 を書 いたので あ る。 それ は, 「もっぱ ら他 の教会 に宛 てて,迫害を終 わ らせ るとい う望みを もってで はな く,彼 らに共 通の危険を警告 し,殉教者の 「栄光 ある勝利」にな らうよ う励 ま し,教会 を内部 か ら, また相 互 の関係 にお いて強固 にす るため」で あ った£13)
このよ うに,殉教録 は,専 ら実践 的倫理 的要求 に基づ いて記述 され た。従 って, それ らは決 して史実を正確 に伝 えよ うと して いたわけで はない。史的正確性 は二義的な ものにす ぎなか っ た。殉教録が書 き残 され,今 日まで教会 に生 きて働 いて きたのは, キ リス ト者達 が, そこに彼 等 自身の生 (及 び死 ) に対す る倫理 的規範性 を認めて きたか らで あ る。事実 ,例 えば,古代乃 至中世 の教会 において,膨大 な 「聖人伝」(Actasanctorum)の編纂 が釆 なわれ たが, それ ら の編纂 の主眼 は,専 ら修徳 や建徳 とい う倫理的側面 に置かれ,史的正確性 は, ほとんど考慮 さ れなか った。無論,聖人伝 に登場す る人物 には神 の前 に執成 しを して くれ る者 とい う優れて宗 教的 な性格 が付与 されて,(14)彼等 自身 が信仰の対象 にな ってい るが, しか し, そのよ うな超人 格的な宗教 的性格が考 え出 されたの は, 多分, ず っと後 の世 にな ってか ら (事 によ るとキ リス ト教 が世俗権力 と調和す るよ うにな ってか ら) の ことで あろ う。古 代か ら今 日まで,聖人崇拝 の根底 に流れ て,殉教録の価値 を支 えてきたの は,殉 教者 の生 ・死 の 認識 こそ,信 仰生活 や 日 常生活 の中に,最 も優 れた倫理的実存の可能性を開示す るとい う意識で ある。キ リス ト者達 は, 殉教録 の中 に 自己の意志的行為 の倫理的規範 とい う性格 を読 み取 っていたので あ る。
キ リス ト者 にとって,殉教 は天 国への入国許可証 であ った。永遠 の生命 との引換券であった0 殉教 の死 は軽 く, その意味 は重 か った。現代 は,その死 の意味が失 われ た時代 であ る。殉教 の 倫理 も,殉教者崇拝 の倫理的規範性 も, そのままで は もはや何 の意味 も持 って いな い。しか し, それ らが典型的 に代 表す るよ うな聖人崇拝 (一般 にい う偉人崇拝 ・英雄崇拝 )の倫理 は,今後, 私達 の 日常倫理 にとって重 い課題 にな って くるのではないか。現代 社会 は,す っか り大衆 化 さ
れて,構造的 に聖人 や英雄 が出現 しに くくな った社会 であ る。 その傾 向は これか らも一層強 ま ろ う。 しか し,そ うであれば こそ,同時 に,「人間化 し卑俗化 した」現代社会 の中に ,(15)聖 人 や 英雄 に関す る課題 も高ま って こよ う。 また,高 ま って きて よい。 そこに こそ,聖人崇拝 の倫 理 が もつ問題点 を客観的 に しっか りと見極 めて い く倫理学が要求 され る理 由が あるのであ る。
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2.消 極 的 評 価
ところで,殉教者崇拝 の倫理的規範性 を問 うことは, キ リス ト教倫理 の本質 を理解す ること にな るのか。一般 に,聖人崇拝 は, キ リス ト教信仰の倫理 にと って本質的な事柄 で あ るのか。
‑ これ らの問 いその ものは (す ぐ次 に見 るよ うに),私達 の当面 の問題 にとって はあ ま り重 要で はな い。 しか し, これ らの問 い (とい うよ り も, む しろそれ に対する答えとしての評価 ‑ そ して, ま さにそれが評価で あ る ことが問題 なので あ るが ‑ ) についての考察 は,聖人崇拝 の もつ特質 やその問題点 な どを一層 明 らかに して くれよ うO従 って, ここに取 り上 げることが で きる。 また,取 り上げて よいので ある。
これ らの問 いに対す る答 え (す なわ ち歴史 的評価) には, さまざまな見解が見 出せ る。 しか し,理解 を容易 にす るために,敢 えて次の二 つに大別 して考 えて い くことに しよ う。
① 聖人崇拝 は,原初の キ リス ト教信仰に,後か ら付加 された もので あ り,周辺民族 の習俗 や宗教 (とりわ けギ リシア思想) の影響 を受 けて成立 した, キ リス ト教 に とって は異質的な信 仰で あ り,従 って,二義的な もので しかない。‑ この評 価 を仮 に 「消極的評価」 と呼んで お
こう。
④ この情熱 は, キ リス ト教信仰 の精神史的 な底流 をな した もので あ り, これを抜 きに して 紘, もはや キ リス ト教の何で あ るかを語 り得 ないほど, この宗教の理解 には本質 的な もので あ って, この宗教の世界観 を形成 し, その性格を規定 してい る。‑ この評価 を仮 に 「積極的評 価」 と呼 んで お こ う。
まず, 「消極 的評価 」か ら検討 してみよ う。 この評価 の特徴 は,聖人崇拝 が,第一 に,原初 の キ リス ト教信仰 には見出せ ない情熱で あ るとい うこと,第 二 に, ギ リシア化 の一 つ と して キ リス ト教内 に後か ら取 り入 れ られた思考で あ るとい うこと,第 三に,教会 の典礼儀式 などには 豊富 に採用 され たが, しか し,最 も肝要 な教義 の形成 には,決 して中心的 な位置を 占め る こと が なか った とい うこと, な どで あ る。 これ らの ことにつ いて もう少 し具体 的に考 えてみよ う。
例 えば,E.Troeltschは次のよ うに考 え る。‑ 降誕祭や復活祭 といったキ リス ト教の大祭 礼 は,祭 の期 間や儀式 の点 でギ リシアの諸礼拝 に倣 った り, それ らに移植 された り したよ うに 見え る。殉教者 や聖徒 たちの礼拝 が,古代 の多神教,死者や英雄崇拝 を継続 し, あの古代 と同 様余 りに も超越的 とな って しま った絶対的 なる もの と人間の欲求 との問 に割 って入 ってい る。
以上の ことは,今 日に至 るまで, すべての カ トリック礼拝 に満 ち満 ちてい るb16)‑ これは,彼 が, 教会 の現実性を満た した救済理念 の言語 と思想 が実 は 「ヘ レニズムに由来」 して いるとい う視点か ら 「キ リス ト教独得 の精神」を追求 して得 た一 つの結論で あ った97)トレルチは,殉教 者や聖人へ の崇拝 は純粋 にキ リス ト教的な精神 に根差す もので はな いと考 えるので ある。
このよ うな (negativな)評価 の最 も代表的な ものを,私達 は,A.Yon Harnackの思想に見 出す ことがで きる。‑ルナ ックは次のよ うに語 る。‑ 第二世紀 の教会史 におけ る最大 の事 件 紘, ギ リシア思想 ・ギ リシア精神 の注入 と福音 のそれ との結合 で ある。 そ して,第四世紀 の前 半 になる と,このギ リシア文化 の全体 は,教会 内にその地位 を 占め,こうして聖人崇拝 (Heiligen一 山enst)とい う, いわば低級 なキ リス ト教 (einechristlicheReligionniedererOIdunung)が 成立 した。(18)‑ ‑ ナル ックは,第二世 紀以来 のキ リス ト教 史 を 「急 激 な ギ リシア化 運 動」 (akuteHellenisiemng)の歴史 と して捉 え, その歴史的 に変化 す る諸形式の中に,常 に妥 当 す る もの (lmmerGiiltlgeS)と して福音 をみ る。 そ して, (この ギ リシア化運動か ら) 「キ
リス ト教 」が残 るため には 「原始 キ リス ト教 」が去 らなければなか った と語 るiユ9)この教義史 家 の 目か ら見 ると,教義 の形成 に直接かかわ る ことが少なか った聖人崇拝 の情熱 は,キ リス ト
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教 に と って は,ヘ レニズムの影響下 に成立 した非本質的 な要素で あ り,「低 級 な 」宗教 で しか なか ったので あ る。
このよ うな彼の消極的評価 は, その後 もキ リス ト教研究 に長 く影響 を与え,現代で も,彼 の よ うな評価 を行 な う研究者 が少な くない。例えば, その中の一人 にW.Walkerがいる。 彼 は, ハルナ ックに従 いなが ら,次のよ うに考え る。‑ 四世紀 (公認後) に,人 々は,迫害時代を 英雄 時代 と して, また,殉教者 をキ リス ト教 レースの選手 と して振 り返 り, その生涯 に対 して は従来 あま り高 い評 価を与 えて こなか った殉教者 を,今度 は特 に献身的 に崇敬す るようになる。
そ して,四世紀が終わ る前 に,長 い間祈 りと礼拝の うちで殉 教者 に関す る思 い出を認めて きた 民衆 の心情 は,殉 教者 こそ神へ の執成 しを して くれ る者 と して, また,彼等 を崇敬 して きた人 々を保護 し,癒 し,助け得 る者 と して祈 られ るべ きで あるとい う感覚 へ と移 って いった。 こうし て, いわゆ る 「第二 ランクの民衆的 キ リス ト教」 (a popularChristianity of thesecond
rank)が生 じたの で あ る。殉教者 は,民衆 に とって,古 い神 々や英雄達 に代 わ り,都市 の守 護神 ,商人 の保護者,病人の治癒神 になっていった。(2山一 ウォーカーは, このよ うに‑ルナ ック の史観 を祖述 す る。
「キ リス ト教のギ リシア化」を解 明す る仕事 は, キ リス ト教倫理 思想史研究 にとって,極 め て大 きな (多分,最大 の)研究 テーマの一 つで ある。 しか し, こうした研究方 向には反対 す る 研究者 もいる。最近で は,0.Cullmanにそのよ うな傾 向 が見 られ る。 クルマ ンは, ギ リシア 的な 「霊魂 の不滅」 とキ リス ト教的な 「死者 の復活 」 との問 に根 本的相違を見 出 して,‑ 聖 書的見解 に関 して言 えば, ギ リシア思想が 「救済史」の見解全体 に従属 させ られ てい る限 り, 本 来的な意味 におけ る 「ギ リシア化 」を語 ることはあ り得 ない‑ というと211そ して, む しろ (救 済 史 の意 味 にお いては) ギ リシア思想 のa Christianhistorizationを言 うことが, もっと 正確 であろ うとも語 ると22)
もっとも, その クル マ ンがまた 「純粋 なギ リシア化 は,後の時期 に, は じめて起 こった」 と して,新約時代後のギ リシア化を認めて しま うと23)しか し,「後の時期」 にもまた彼 の い う 「キ リス ト教的歴史化」が,更 に進 め られたので はなか ったか。先進文化の ギ リシア思想 をキ リス ト教化 し得 たか らこそ, キ リス ト教 は今 日の キ リス ト教 にまで な り得 たので はなかったか。私 達 は,「キ リス ト教のギ リシア化」 についてよ りも, む しろ,「ギ リシア思想の キ リス ト教化」
につ いて語 るべ きで はないのか。 一体,‑ ルナ ックの言 うよ うに, もしキ リス ト教が単 に急激 なギ リシア化 の結果で しかな いな らば, ど うしてキ リス ト教 は‑ レニ ズム文化 の一発展形態 と してで はな く, ま さにキ リス ト教 その もの と して西洋 文化 の伝統 にまで発展 し得たのか。 もし キ リス ト教が単に 「ギ リシア化」 とい う受動的 ・消極 的な変型で しかな く, 「キ リス ト教化」
とい う能動的 ・積極的な形成で はなか ったな らば, ど うしてキ リス ト教 は周辺民族 の宗教や哲 学 を圧 して, 西洋 におけ る 「世界宗教」 にまで発展 し得 たのか。 ‑ 「キ リス ト教のギ リシア 化」 とい う研究方 向を採 る限 り, これ らの問題 は全 く解明 され ないままになろ う。 周囲の異質 文化 か ら影響を受 けて容易 に変形 して しま うよ うな信仰や思想 には,歴史 に伝統文化 を形成 す
る創造 的精神 などあろ うはずがな いので あ ると24)
従 って,歴史的さと変化す るキ リス ト教 の諸形式の中か ら恒 常的 なもの (キ リス ト教 の本質) を抽 出 しよ うとす る‑ ナル ック的方法 は, キ リス ト教信仰の中に倫理的規範 を求 めよ うとす る 私達の課題 に とっては, あま り有効 的ではない. キ リス ト教の信仰 内容 の一つ一つ と, 当時の 他の類似 した信仰や思想 との対応 を考 え るのは,それ ほど困難 な ことで はな いで あろ う。 しか し, 両者 の問に類似性 や相互関連が指摘で きる とい うことと,両者 の間 にそのよ うな相互浸透 が実際 に も存在 していたと主張す ることとは,本来, 全 く別の事柄で あ る。‑ルナ ックは,聖人
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崇拝 を四世紀頃にヘ レニズム化運動 の影響 を受 けて成立 した 「低級なキ リス ト教」であ ると し なが ら,他方,殉教者崇拝 の基本文献 ともなった 『ベルペチュアとフェリキタスの殉教』や 『リ ヨン教会 か らの手紙』 につ いては,ギ リシア化 の影響を全 く認めな い。む しろ,彼 はこれ らの 作品の中に 「福音 は自らを維持」 し, キ リス ト教信仰 の純粋性が保 たれたと語って いると25)こ れは全 く矛盾を犯 した発言 ではないか。
従 って, ここで私達 はむ しろ,次のよ うに問わなければな らない。‑ 聖人崇拝 を生み出 し た殉教の死への情熱 は,キ リス ト教倫理を形成 した中心的 な情熱 であったのか。 それ と も, そ れは単 に二義的な情熱であ ったにす ぎなかったのか。
A.Schweitzerによれば, イエスは遅れてい る神の国の到来を強 いるために,迫害を招来 し なければな らな いと考え, 自ら進んで十字架 に上 ったとい う。 そ して,それ こそが 「受難の秘 密」で あるというと26)このよ うな 「メシアと受 難の秘密 」に関す る彼の解釈 は, その後, さまざ
まな批判 にさらされてきたto27)しか し,イエスが 自分の死 に何 か特別 な意味を考えていたのは確 かな ことであ る。 そ して,彼の弟子達 もまた彼の死 に,単 に政治犯の刑死 とい うに留 まらず, 何 か もっと別 の意味を認めていたの も確かな ことである。事実,新約の人々にとって, イエス は天父の真意を証 した最初の証人 (殉教者, martus,黙示録1:5)であ った。 しか も彼 は, まさにその死 を もって天父 の経給の証明者 とな った (Ⅰテモテ6:13)。イエス自身が最初の殉 教者 として理解 されたのである(.281そして,迫害を招来す る殉教 は神の国の到来 を強い ることに な り, 同時 に, その神の国 に復活 して永遠の生命を得 ることになるという殉教観 は,やがて迫 害時代のキ リス ト者 に,殉教 への情熱 を駆 り立てて い くことになるt291例えば,テル トゥリアヌ スは 「キ リス ト者達の流す血 は種子である」 とい う。地上 に流 された殉教者の血 が,播かれた 種子 のよ うに新 しく発芽 して,改宗への一層の推進力 にな るとい うのである(.30)キプ リアヌス も
「殉教 は百倍 もの結果を生 み, 自発的独身 は六十倍 もの結果 を生む」と説 く(O31)また,オ リゲネ スによれば, (すでに見 たよ うに)妻子や財産 を棄 てた殉教は 「百倍」を受けて永遠の生命 を 得 るためで あ った。多 くの いわゆる 「自発的殉教者」 (vduntarymartyr)が出たの もこの迫 害時代 の ことであ る。
従 って,殉教への情熱 は, イエスの死以来 (あるいは,それを身代わ りの死 ・麿罪の死 とみ る解釈 が始 まって以来), キ リス ト教の中に常 に一貫 して存在 し, キ リス ト者の生 と死 とを規 定す る決定的 な力 と して働 いていた といってよい。 しか も,聖人崇拝 は, (すでに見 たよ うに)
このよ うな殉教を, やがてその運命がそ うなるだろ う人々の訓練 と実践 とのために祝 うとい う 倫理的,実践的な要求か ら始 まっているので あ る。固 より,殉教 の 日を誕生 日と して祝 う慣習 や, その祝 日の儀式 などは, ヘ レニ ズム化運動の影響下に発展 した もので あろ う。 しか し,聖 人崇拝の中 に流れている生 ・死への倫理的な情熱 (先進文化のギ リシア思想 を もキ リス ト教化 す るよ うな実践的な情熱)は, キ リス ト教本来の ものであ る。殉教者崇拝 のキ リス ト教 は決 し て 「低級なキ リス ト教」で も, 「第二 ランクの民衆的キ リス ト教」で もなか ったので あ る。
聖人崇拝のよ うな極 めて倫理的性格の強い信仰内容 (教義の形成 ・発展 との関わ りよ りも, 信者の 日常生活の意志的行為 を規定す る倫理的規範 との関わ りの ほ うが一層強いよ うな信仰内 杏) を理解 しよ うとす る場合 には,単に歴史科学 的なアプ ローチに留 まらず, 「規範 の学」 と
しての倫理学か らのアプ ローチ もまた行 なわれなけれ ばな らな いで あろ う。
3.積 極 的 評 価
次 に,聖人崇拝 に対す る 「積極的評価」 につ いて考 えてみよ う。
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最近,托 Musurilloが,迫害時代 の殉教 を伝 え る 『殉教者行伝』(Actamartyrum)の校訂 本 を出版 した(0Ⅹford,1972)。 これには,28篇 の殉教録や殉 教を伝 え る手紙 な どが収められ, 厳密 に校訂 された本 文に,彼 自身 によ る英訳 ,詳細 な脚註,豊富 な参考 文献 な どが付 され てい
る。 また,長 い序 文 には,全般 にわ たる解説 に加 えて,28篇 の各書 に関す る丁寧 な説 明 もある。
ムス リロが これを行 なったのは,「教会 に関す るどのよ うな研究 も,初期の殉教者行伝 につい て論 じることな しに完全であ ることはで きない」(P.xi)と考 えたか らに はかな らない。 こう した基礎 的研究 は,殉教録 な どを身近 な ものに して, そ こに見 られ る聖人崇拝の倫理を解明 し て い くことに大 きく貢献 してい るのであ る。
聖人崇拝 (特 に殉教者崇拝) とそ こに見 られ る禁 欲 とを, キ リス ト教 に と って全 く本質 的 (sehrwesentlich)で あったとして最 も積極 的に評価 す るのはJ.Burckhardtで あ る。彼 は遺 稿 (Nachlass)の中で次のよ うに語 るO‑ キ リス ト教 は,多分,あ らゆる宗教 の中で,キ リ ス ト教 を独 自に推進 して きた ものを,告 白者や殉教者 に捧 げた礼拝儀式 によ って,最 も強 く記 憶 に留めて きた宗教 であろ う。仏教 は単 に仏陀 自身が遺 した ものだけを崇 拝す る。個 々の伝道 者 については何の特別 な記憶 を も持 たない。仏教で は,本来 あ らゆる個 人的 な ものが価値 を持 たないか らで あ る。 これに反 してキ リス ト教 は,各個人 の救 いとい うことを真剣 に取 り上 げた か ら,個 々の使徒達 を も極 めて高 く讃美 し,彼等 の遺物 や墓 の上 に礼拝儀式や神 についての考 えの大部分 を直 ちに転用 したのであ る。 そ して,人 々は証明で きない処 に もそれを要請 し, そ れ らが明 らか にされ るにちが いない ことを期待 した。 これ は聖 な る もの の最 も強 力 な場 所 化 (ver6rtlichung)で あ り, このや り方 は,ギ リシア神話 中 のそれ と比較 で きる. イス ラムの 巡礼 の聖 地がわずか に これ に並んで いる。 しか し, それ も特殊 な恩恵の得 られ る場所で はな く て,単 に思 い出の場所 であ るにすぎない。 イス ラムは, ア ラーの活動 を,場所 や人物 に配分 す るよ うな ことは しな いので あ る。
ここで キ リス ト教 は,全 く本質的 に, この宗教 を告 白 したため に死 ん だ人 々によ って生 きて いる。 キ リス ト教 は完全 に殉教者宗教 (M左rtyrerreligion)にな る。 それは,告 白者か ら何 も 奮 い取 ることな く,原初の伝道者 を単 に神話的 に しか考えて いな い古代の宗教 に対 してはまさ に正反対 の意味 にお いてで あ る。皇帝達 の迫害 は, キ リス ト教 が全 帝 国 内の至 る処 で 直 ちに
「古 くか らの足場 」を失 うよ うに考慮 したためで あ った。 その点 か らいえ ば, デ ィオ ク レテ ィ アヌス帝 の迫害のあの法外 な非合 目的性 もまた,殉教者礼拝儀式の慣行が昔 か ら続 いてい るこ とに対 してな された もので あ る。
次 に,禁欲 とその位 置 とについて いえば,禁欲 は,仕事 ‑の奉仕, つま り,後代 に初 めて成 立 した ものか ら成 り立 って いるので はない。 また,現世の生活 にお いて償 いの時間を持 てない 他人の ための身代 わ りの償 い (これ もまた後代 の解釈 である) と して成 り立 ってい るので もな い。 む しろ,禁欲 は, キ リス ト教 の うちに存在 す る真のPessimismusが正 しく現実 に刻 印 され た ものなのであ る。独身生 活が完全 に首尾一貫 してい るの は, よ く考え られて きた ことで はあ るが,決 して単 に長い間感性が否認 され てきた ことによ ってばか りで はな くて, (感性的快楽 はキ リス ト教 に直接 に対立す る ものであ り, この点 で キ リス ト教 は最 も強 く自然宗教 か ら引き 離 されて いるが),む しろ人類の生 き残 ることが決 して望 ま しい ことで はな いか らなのである。
四, 五世紀 には,帝国の表面 的な運命 とは全 く関係 な く,最 も高貴 な天性の もとに人類絶滅の 意志 が存在 してい る。 しか し, これ と共 に, あ らゆ る苦境 のま っただ中に いなが らなお狂信的 に円形劇場遊 びに熱中 して い る賎民 もまた生 活 していると32)‑ 殉 教 も禁 欲 も 「高貴 な」天 性 (Natur) によ る。「低級 な」人間 のよ くな し得 る ことで はな い。 ブル ック‑ ル トによれば, 殉教への憧 れや殉教者へ の崇拝 は, キ リス ト教 に とって全 く本質 的な ことであ り, む しろ, 辛
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リス ト教の性格 その ものです らあ る。
ブル ック‑ル トは,歴史の 出発点 を 「耐え忍 び,努 力 し,行動す る人間」 にみ る。 そ して, 心 に響 き,心か ら納得で きる 「練 り返 えす もの恒常的 な もの類型的な もの」 (文化) を考察す る。 従 って,彼 は,世界史 を究極 目標 に向か う理 性的発展 とみ るヘ ーゲル流の歴史哲学を拒否 して,歴史 はその始源 と終末 とを明 らかにで きない中間段 階を情念論的 に取 り扱 うもので あ る と主張す る。 そ して, 「私達 は経験 によ って≪ いつ の 日にか≫賢 くなろ うとす るので はなくて, む しろ≪ いつの 日に も≫賢 くあろ う」 と願 うのであ る。 この彼 の倫理的要求 は,国家 と宗教 に 対 して文化 を重視す る脱政治的な文化 主義 を一貫 して い るム33)
と ころで, この 「耐 え忍ぶ人間」 とい う表現 は, ブル ック‑ル ト史 観 に極 めて特徴 的である。
彼 は 「権力 はそれ 自身 が悪 で あ る」 と考え る。 そ して, それ 自身悪で あ る権力 (国家や宗教 は そ うした権力的存在) の支配 によ って, 自由な精神か ら生 まれ る高 い文化が失 われ るばか りで な く, かけが えのな い人間 の生命す ら犠牲 にされ る歴史 の歩 みに対 して深 いペ シ ミズムを抱 く。
それ に も拘 らず,彼 は, そ うした権力的存在 を,文化 によ って, よ りよい方 向へ と流動的 に変 えてい くことに,歴史的世界 におけ る精神 の意味があ り, それだけが唯一 の移ろわ ない もので あると考 え るので あ るt34)
人間の歴史 を 「苦悩 の歴史」 (Leidensgeschichte)とみ るブル ック‑ル トのペ シ ミズムは, キ リス ト教 古代の殉教者崇拝や修道院制度 に関す る理解 の うちに も投影 され る。彼 に とって, ペ シ ミズ ムとその具体的発現 と しての禁欲 とは, キ リス ト教 の展 開の最 も重要 な要 因で あ る。
しか し, あ る時代 にその時代 の精神史的特質 と してペ シ ミズムを確認す る ことと, その時代の 人 々がペ シ ミズムか ら生 きかつ死 んだか どうか (ペ シ ミズムが彼等 の意志 的行為 を規定す る倫 理的規範 を性格づけて いたか ど うか) を問 うこととは, おのず か ら別 の問題で ある。確 かに殉 教者達 は,進 んで処刑 され た。 しか し,それ は彼等が この世 を厭 ったか らで はない。 この殉教 がやがて種子 となって百倍 の結果を生 み,神 の国の実現 を促す。 この世 はそ うした希望 を持つ ことがで きる世界で あ る。彼等 はそ う確信 して死 ん だ。 この世 に絶望 した (この世 に生 きるこ とを厭 った) か ら殉教 したのではない。そこには,さめた厭世観的絶望で はな くて,燃 え るよ う な終末 論的希望が あったのであ る。‑ もっとも, そのよ うなキ リス ト者の生 き方 や死 に方 ま で も, なおペ シ ミステ ィ ックで あ ると規定す るな らば,それ もまた別 の問題 にな る.‑ しか し,現代 的な感覚 か ら見 れば,殉教者 の生 と死 (そ して, それ に対す る崇拝 と, それを支え る 禁欲 と) をペ シ ミズムとみ る理解 よ りも, む しろ,殉教や禁欲 の うちにまで希望 とい う倫理的 規範 の原理 を見 出 さなければな らない現実理解 の方 が, はるかにペ シ ミステ ィックな (字義 ど お り, この世 を最悪 とみ る)世界観 か ら由来す る理解であ るといえ るので はなかろ うか。
ブル ック‑ル トは,旧来 の歴史哲学 が ほ とん ど例外 な く持 っていた一つの傾向 (歴史過程 の 背後 に神の摂理の よ うな歴史を超 えた支配力を認めよ うとす る傾 向) に反対す る。 そ して,世 界史が最後 に実現すべ き究極 目的 とい う観念 を捨て る。遠 い未来の結果 によ って精神の 自由が 制限 され ることを拒否す るのであ る。 文化 は 自由で あ ることを条件 と して発展す るものだか ら で あ る。 こうして ブル ック‑ル トは, 自由を制限 し,文化 を破壊す る 「悪」 に対 して精神 の戦 いを戦 って い く。従 って, ヘーゲル流の歴史哲学 が,究極 目的 に向か って必然的理 性的な発展 を示す歴史 の年代記 的な 「縦 断面」 を取 り扱 うのに対 して,彼 は,専 ら歴史の中か ら繰 り返 え す恒常的類型的 なものを摘 出す る歴史の 「横断面」 を取 り扱お うと考 え る。 「予知 された未来 は不合理 その ものに はかな らな い」 のに対 して,「ホメロスや フイデ ィアスは今なお美 しい」
のであ ると35)
確 かに, ブル ック‑ ル トが考 え るよ うに,歴史過程 の中 に,必然的理性的発展 とその最終 日
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的 とを認め ることは,すで に現代人の思考 には,現実 に困難 な ことであ る。 しか し,一般 に, 私達 の文化 はどのよ うに形成 されて きたかを縦断面的 に考 え ること も, その文化 の理解 には極 めて大切 な ことで あろ う。現代文化 の もつ歴史的所産 と しての性格 を知 ることは, その文化 の 形成 におけ る人間 の努 力を知 ることで あ り,その文化 の歴史的形成 の認識 は, やが て新 しい文 化 を創造す る可能 性を も自覚 させ ることにな るはず だか らであ る。 このよ うに して私達 は,覗 存す る文化 の保存 と新 しい文化 の創造 とに努 力す る ことがで きるの であ る。 そ して, それ こそ
ブル ック‑ル トが最 も望 んで いた ことで はなか った か。
従 って, 文化の歴史 は,単 にその横断面 にお いてばか りで な く, その縦断面 において もまた 考察 されなければな らない。 しか し, それは, 決 して歴史を必然的理性的発展 の過程 と して見 ることにはな らないはずで あ る。む しろ, 歴史 をその縦断面 において考 え る ことは, 歴史の形 成 に人間の努力の跡 を知 る ことによ って,歴史 に合理的必然性を認め る思考 を打 ち破 り,歴史 の宿命 論か ら人間の精神 の 自由 (思考 の 自由)を解放す る ことにな ろ う。私達 の 日常生活 を支 え る文化が人間の努 力によ って形成 され てきた歴史的所産で あ る ことの認識 は,やがてその文 化 を保存 した り改変 した りす る人 間 の努 力の可能性 と,それに基づ く新 しい文化 の創 造の可能 性 とを (人間 文化へ の自由を)私達 に開示す るはずであ る。 あ る文化が人間の努 力 によ って形 成 されて きた とい うことは, その文化 が これか らも新 しく創 造 され る可能性 を もってい るとい うことを意 味す るか らで あ る。 まさにそ うい う意味 において,歴史 を縦断面で捉 え ることが求 め られて こよ う。 それはまた,歴史認識 を倫理的な実践 に結 びっ け ること (知 ることと生 き る こととを一つ につ な ぐこと) で もあろ う。一般 に,認識 は,倫理 的行為 を誘発 す る認識 に至 っ て初め て真 に認識 といえ るか らで あ る。
しか し, このよ うな視点 か ら,殉教者崇拝 の倫理的規範性 を問 う問題 を考 え るな らば,聖人 崇拝 はキ リス ト教史 に本質 的 な ものか とい うこれまで考察 してきた歴史的評価の問題 は,語義 どお り 「どち らで もよい」 (gleichghltig)こと,全 く副次的 な (nebensachllCh)ことになろ う。
私達 の当面 の問題 は,歴史学的 な (または歴史哲学的 な) 問 いで はな くて, む しろ,倫理学 的 な問 いだか らで ある。 ここに目指 されて い るのは,聖人崇拝 に見 られ る倫理 的規範 性を明 らか にす るととによって,私達 自身の倫理的実存 に何 らかの可能性を開示 しよ うとす ることなので あ る。従 って,聖人崇拝 はキ リス ト教 の発展 にと って本質 的な ことで あ ったか とい う 「歴史的 評価」 は,全 くど うで もよ い ことにな るので あ る。
それ故, ここで問わなければな らないのは,殉教者崇拝 とい うキ リス ト教信仰 が もつ倫理 的 規範性を問 う問題,すなわち, それが どのよ うな文化 (私達が今 に生 きる文化) を生 み出す人 間的行為 (努 力) の動因 にな ったか とい う問題 であ り, 同時 に, それを知 ることによ って私達 の未来 にどのよ うな倫理的実存 の可能性が開示 され るか とい う問題で あ る。 次節 で は, その こ
とが問われよ う。固 よ りそれ は, これ までの歴史的評価 に関す る考察 を無益 な努 力 に して しま うことを意 味す る ものではな い。 む しろ, これ まで に明 らかに されて きた諸問題 を,倫理学 の 対象領域 に移 し替 えて考察 す ることを意味す るはずで あ る。
4.殉 教者崇拝 の倫理
上記 の問題 (聖人崇拝 は, どのよ うな文化 を生み出す人間的行為 の動因 にな ったか, また, それを知 ることは私達 にどのよ うな未来 の可能性を開示す るか) を,以下,二点 にわ たって考 えてみよ う。
① 聖書 の神 は,様 々に語 られ る。
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まず, 旧約 の神 は,偶像 に対 して 「ねたむ神」 (出エ ジプト20:5)で あ り, もろ もろの民に 対 しては 「正義の神」及 び 「裁 きの神」 (詩篇9:8)であ り,神意 に背 く者 に対 して は呪 いを 行 な う 「怒 りの神」 (申命28:1以下)で もあ る。
次 に,新約の神 は,無論, 旧約以来 の神で あ るが,同時に, 「父 よ」 と呼 びかけ ることので きる神 (マタイ11:25‑27,他)であ り,「愛の神」(ロマ5:8,Ⅰヨハネ4:7,他)であ り, また, 死 を滅 ぼ して永遠 の生命 を与 えて くれ る 「救 い」の神 (ロマ6:23,ヤコブ1:12,他)で もある。
こうした様 々な神観の中にあ ってその当時 の人々を最 も強 く捉 えて いたの は,多分,神の救 い ・救 いの神 とい う観 念で あった ろ う。事実, イエス は滅 びに至 る者の あ ることを告 げ る (マ タイ10:28)。そ して,ユ ダは 「滅 びの子」 (ヨハ ネ17:12), 背教者 もまた 「滅 びの子」 (Ⅱテ サ ロニケ2:3)であ った。 この背教 によ って 「滅 びに至 る」 ことを恐れ,信仰 によって 「救 い に至 る」 ことを求め る情熱 は,原始教団乃至迫害時代後 も, キ リス ト教史の中を一貫 して流れ てい る。無 論,集団的殉教が起 こるよ うな こと もあったが, しか し,殉教 その もの はあ くまで も個人的行為 で あ る。従 って,滅 び (背教) か救 い (信仰) か とい う行為 基準 は, この殉教行 為 に対 して最 も強 く作用 した倫理 的規範で あ った。
しか し,そのために,聖書 の神 は,やがて 「怒 りの神」 や 「愛 の神」 とい う観念 が背後に退 いて,専 ら 「救 いの神」が強調 され るよ うにな る。事実,迫 害時代 の殉教 を伝 え,公認後 は教 会 の典礼 用 などに使用 された数多 くの殉教録 には, この迫害か ら解放 して救 いを もた らす神へ の信仰を告 白す るとい う傾 向が特 に目立 ってい る(.36)ぁたかも人間 には滅 びに至 る者 と救 いに至 る者 としか存在 していないかのよ うにであ る。従 って, この神の救 いの強調 とそれ に伴 う 「滅 びか救 いか」 とい う意志 的行為規範 の強調 とは, 「殉教者宗教 と してのキ リス ト教」 に見 られ る最 も大 きな特徴 の一 つで あ った といえよ う。
こうした傾 向は,中世 に入 るとますます強 め られ る。聖書 の神 は, 「怒 り」 や 「愛 」な どの 神が この世 か らす っか り遠 ざけ られ, その機 能が,専 ら神の 「救 い」の機能 に限定 され る。 そ こか ら, 自分 は前 もって救 いには予定 されて いない と思 い込んだ人々が現れた。彼等 は,神 に よ るすべての世界保証 を奪 い取 られたために,今度 は,神 に代 えて, 自己自身を絶対化せ ざ る を得な くな り, 同時 に,世界 の根底 にそれ 自身の原理 と して合 理 性 や有 効 性 を もつ反 対世 界 (G三genWelt)を作 り上げざ るを得 な くなった。 こうして世界 はそれ 自身で完結 した (それ 自 身 の内部 に 自足的な説明原理が見 出せ る)世界 ‑ と変 わ って い く。科学や技術 は, この 自己主 張を行な う人間が, その 自己主張の プ ログラムを実現す るために考 え 出 した道具で あ った。 そ こか らやがて 自然科学や社会 科学 が形成 され る。近代の誕生で あ る。近代 の科学 は, 中世の神 学 的絶対主義 に対 して,近代理性 の人 間 学 的絶 対 主 義 が行 な った 「自己主 張 」の結 果で あ っ た(D37)その意味において,近代の諸科学は,全 くキ リス ト教的西洋世界に特有の歴史的所産なのである。
④ 聖書 の神 はまた,天地万物 を創造 した 「天地 の主」 (創世記1:1以下,マタイ11:25)で あ り,人間の歴史 に働 きかけて, これを救 いの完成へ と導 く 「歴史の主 」 (イザヤ40:10)であ り, また,邪悪で不義な この世 (マ タイ16:4)を終わ らせて, 神の国を実現す る 「終末の主」
(マル コ1:15)で もあ る。
このよ うに,人類の歴史 には,始源 (前枠 ) と終末 (後枠) とが きちん と定 め られてあ り, その枠 内を舞 台 に,神ヰこよ る人類救済 の壮大な ドラマが展開 され る。 しか し, その全体 の流れ の方 向や速度 は, 人間の努 力 に一切 かかわ りな く,専 ら神の意志 によ るもの と考 え られている。
こう した聖書 の神観 は,原始教団時代乃至迫害時代 も決 して変 わ って いな い。事実,殉教録 などに見 られ る神 は,何 よ りもまず 「天 と地 との主な る神」で あ る。殉教録 には 「使徒行伝」 の章句(4:24)やそれに類似 した語句 が しば しば引用 され る。 「天 と地 と海 と, その中のすべ
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