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デ ュ ル ケ ム 社 会 学 に お け る 所 有 権 論 の 意 義
杉 山 由 紀 男
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デュルケム生誕百年を過ぎた一九六〇年以降︑デュルケム研究はフランス︑アメリカそして日本をはじめにわかに活況
を呈し︑それは今日まで続いている︒この研究の盛況の中から︑従来とは異なる新しいデュルケム像が姿を現わしつつあ
る︒こうした研究の進展に大きく寄与したのは︑周知のとおり︑﹃社会学講義﹄ト禽§恥§89ミo鷺軸(一九五〇年)nJ
‑C・フィユーの編集になる﹃社会科学と行動﹄卜黛句亀§亀8亀黛隷︑鳴こ.§︑︑§(一九七四年)︑そしてV・カラディの編
集にょる﹃テクスト﹄ぎ融三巻(一九七五年)の刊行であった︒これらにより︑これまで接することの困難であった
デュルケムの講義草稿や書簡︑討論記録などが研究の貴重な資料として加えられることになった︒
その中で︑﹃社会学講義﹄(以下﹃講義﹄と略記)はデュルケムのボルドー大学での講義集であり︑﹁習俗と法の物理
学﹂という副題が付されている︒ここには︑職業道徳︑国家︑所有権︑そして契約についての彼の講義草稿が収録されて
いる︒これらのテーマについての研究は既にわが国においても多いとはいえないまでも行なわれている︒しかし︑その中
にあって︑所有権に関する彼の理論は︑不当に閑却されたかの感をおぼえるほど︑これを正面から取り上げて論じたもの
は見うけられない︒若干の著書︑論文などで簡略的︑断片的に言及されているのみである︒﹁彼の財産についての理論は︑
契約の進化に関する彼の分析の力強さと説得力のいかほどももっていない︒彼の基本的方法は弱く︑支持しうる証拠が示
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されていない﹂がゆえに︑彼の所有権論は多くの労力と紙面とを費して研究すべき価値がないとでもいうのであろうか︒﹃講義﹄においてデュルケムは︑所有権の発生を宗教的信仰との関係で論じている︒そこには確かに︑哲学や経済学な
ど他の諸学において理解される所有の観念とは明らかに異なる際立った特異性が存在する︒しかし︑このこと自体がまず
われわれの興味を引かずにおかないものである︒加えて所有権の発生を論ずるに先立って行なわれる既存の諸理論の批
判︑所有権の定義などを含め︑これから検討を加えて明らかにしていくように︑彼の所有権論は︑古典派経済学と社会主
義の批判︑彼の宗教概念の発展との関係︑道徳的個人主義の思想との関わりなど︑多くの重要な契機を内包している︒
それらのうちで︑ここではまず︑デュルケムの宗教概念との関係について一言しておきたい︒デュルヶムは︑同時代の
M・ウェーバーとともに宗教研究の巨人といつてよい︒彼の宗教社会学に関する大著﹃宗教生活の原初形態﹄卜$誉︑§禽
"隷§§ミミ吻§壽ミ馬遷鳶鴫§恕(以下﹃原初形態﹄と略記)が世に出るのは今世紀になってからであり(一九一二年)︑
デュルケムの学問的活動の後期においてである︒しかし︑彼の宗教への関心がその活動の初期からのものであったことも
また周知のところである︒ただ﹃社会分業論﹄b鳴ミミミ鴇§§融ミミ︑89ミ(一八九三年)(以下﹃分業論﹄と略記)
あたりまでの初期の段階では︑宗教の演じる役割について必ずしも確たる見解はもっていなかったようである︒この時期
までに書かれたものからは少なくともそう思える︒しかし︑一八九五年になって︑これに大きな転機が訪れたようであ
る︒彼自身が述べているところを記してみよう︒﹁私が︑社会生活の中で宗教によって演じられる主要な役割について明
白な意識をもうたのはようやく一八九五年のことである︒この年︑はじめて私は宗教の研究に社会学的に取り組む方法を
発見した︒それは私にとって一つの啓示だった︒一八九五年のあの講義は私の思考の発展において境界線をしるした︒だ
( 2 )
から私の以前の研究はすべて︑これらの新しい見方と調和されるべく︑新たに手直しされなければならなくなった︒﹂そ・デ ュル ケム社会学における所 有権論 の意義
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ゐして彼はこの転換をロバートソソHスミスとその学派に負うと記している︒
デュルケムが所有権の問題について論じた箇所は﹃分業論﹄や﹃社会主義論﹄卜鳴魯職ミ蹄ミ鮎(一九二八年)︑そして二︑
( 3 )
三の書評などにも断片的にみられる︒しかし︑まとまって体系的に所有権を論じてものは﹃講義﹄のそれである︒この所( 4 )
有権についての講義は︑ほぼ一八九六年から一八九九年にかけてのものと思われる︒だとすれば︑これはデュルケムが宗教について大きく目を見開いたあとのことになる︒右の期間とほぼ同時期に彼は家族と社会主義についての講義も行なっ
ているが︑そこには宗教は正面から登場してはこない︒所有権論において登場するのである︒﹃原初形態﹄を見るまでも
なく︑﹁宗教﹂がデュルケムの社会学にあっていかに中心的な役割を演じているかを考えるとき︑彼が宗教について﹁啓
示﹂を得てのち︑事実上最初に直接的に宗教との関係を論じたこの所有権についての講義が閑却されていいはずはない︒
このように︑デュルケムの宗教概念との関係の問題一つを取り上げても︑この講義の重要性が看取されよう︒そこで本
稿でぽ︑デュルケムの所有権論が彼の社会学理論とその思想発展において︑いかなる位置づけをもつものであるかを少し
く考察することにする︒そして主にこれを︑彼の宗教概念の発展と︑古典派経済学批判︑社会主義批判を含む彼の個人主
義思想との関連で行ない︑デュルケム理論の一層の理解に与したいと思う︒
二
右に述べたように︑デュルケムの所有権論はほとんど正面から取り上げられることがなかった︒そこで︑ここでは彼の
理論の紹介もかねつつ︑﹃講義﹄の論理展開に即して問題に接近してみたい︒﹁習俗と法の物理学﹂の副題をもつ﹃講義﹄
の目標は︑デュルケムによれば︑制裁(ωきo菖8)を伴う行為準則から成ることを一般的特徴とする道徳的事実(富蹄ω
ヨo鑓q図)の研究にある︒彼は︑この準則には︑万人に無差別に適用されるものと︑特定の人間の資質に関わるものとの
二種がみるという︒そして前者はさらにニグループに区別されるコ我々一人ひとりの自分自身との関係に関わるもの︑い
わゆる個人道徳と︑我々が他の人々との一切の特殊な集団的結合を捨象して取り結ぶ関係︑いわゆる人間道徳に関わるも
のとである︒そしてこれらニグループを両極とする中間領域に︑先の後者の諸準則が存在し︑全体として︑この制裁を伴
う諸準則の特性の相異に即して︑個人道徳にはじまり︑家族道徳︑職業道徳︑市民道徳を経て︑人間道徳におわる︑いわ
( 5 )
ぽ道徳の階梯が考えられている︒所有権についての彼の理論は︑この階梯の最後にあたる人間道徳の第二︑﹁所有の侵犯を禁ずる諸準則﹂の考察として登場する︒
そこでまず︑デュルケムの対象研究のこの出発点に注目しなければならない︒所有の問題にアプローチする場合︑哲
学︑経済学︑法学などにおいてそれぞれの視角からする特有のアプローチが存在することはいうまでもない︒その中にあ
ってデュルケムのそれは︑みたように︑所有という事実のもつ道徳性の問題を中心的に捉える︒彼が第一に問題とするの
( 6 )
は︑﹁人格の所有物を︑不法な侵犯から保護するところの諸準則(中略)︑この準則の確立をうながした原因はなにか﹂である︒すなわちそれは︑所有のもつ人間主体にとっての哲学的意味の解明でもなければ︑様々な生産様式の変化に関連し
た特定の所有形態についての説明でもない︒彼が目指しているのは︑所有という事実がなにゆえ法的準則によって保護さ
れるといった道徳性を帯びて現象しているのか︑その原因の実証的な解明である︒これは︑彼自身が述べるように︑必然
的に所有権の発生の問題となる︒
どころで︑こうした視角から所有の問題を考察することは︑いうまでもなく︑﹃社会学的方法の規準﹄ト禽︑磯︑翁§貯
ミ瓜ミo§旨9ミ轟鳶ミ(一八九五年)(以下﹃規準﹄と略記)において定式化された﹁社会的事実﹂(富津ω09巴)として
所有という対象を捉えることである︒このことは﹃講義﹄では明示的に述べられてはいないが︑まずもってこの点が確認
されなければならない︒つまり彼の場合︑所有という事実が法的な所有権として確立されて存在し︑それが個人にとって
﹁﹁外在性﹂と﹁拘束性﹂という性質を帯びて現象していることにその着眼点があるわけである︒換言すれば︑彼が所有の
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デ ュル ケム社 会学における所有権論 の意義
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問題を取り上げるのは︑主に所有権という現象形態においてなのである︒こうした彼の方法的態度は︑所有の問題につい
ても初期からの一貫したもめであることを次の﹃分業論﹄の言葉が示唆している︒﹁道徳学者がいうように︑他人の所有
を尊重するということは正しい︒だが︑この所有は︑たとえば相続とか︑時効とか︑あるいは添付とかから生ずるよう
に︑それぞれの法規定に一致したばあいにのみ取得できたものである︒だから︑そこから所有権がじっさいに生じてくる
さまざまな根拠がもし道徳的でないか︑あるいはたんに無道徳的であるとすれば︑所有ということそれ自体がいったい︑
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いかなる道徳的価値をもちうるだろうか︒﹂ここには︑私的所有の起源を略奪に求める理論などとの好対照が見出されよ( 8 )
う︒﹃分業論﹄の書評を試みたある研究者は︑﹁所有に関する形而上学的理論の風変わりな変形物﹂と評している︒我々はデュルケムの所有権論の是非について︑かくも簡単に評価を下すまえに︑彼が社会的事実として所有の問題にア
プローチすることをまず積極的に評価したい︒そこには︑M・ウェーバーのものなどとは異なる︑独自の社会学的視点に
よる本格的な所有権論の先駆けとしての意義があるからである︒ただ︑デュルケムはこうしたアプローチの仕方をもって
所有の問題がすべて論じ尽されると考えているわけでは無論ない︒彼は述べている︒﹁これは︑所有権の発生という問題
にほかならないが︑それを望みどおりの方法で扱うためには長期にわたる研究が必要であろう︒ここでは︑少なくとも若
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干の重要な点は指摘できょう︒﹂こうした点を認めたうえで︑なお彼の理論に矛盾や欠陥があれば︑それは大いに批判されるべきである︒これから彼の展開するところを詳しく検討してみよう︒
三
デュルケムはまず︑彼が第一に取り上げる所有権の発生の問題について︑既存の諸説の批判から出発している︒彼が批
判の矢を向ける学説は二つである︒すなわち︑所有の源泉を①人間の労働に求める理論と②人間の意志の行為に求める理