異常原子価をもつ 4 d ,5 d 遷移金属酸化物の物質探索及び物性測定 Search for 4d, 5d Transition Metal Oxides with Anomalous Valence and
Measurement of Their Physical Properties
物理学専攻 寺田 俊彦 TERADA Toshihiko
1. 序論
パイロクロアは、一般組成式 A2B2O7式を持つ 遷移金属酸化物であり、結晶構造は立方晶系の空 間群Fd3mに属する。B原子のみに着目すると、
B原子の正四面体が頂点共有した三次元ネットワ ークを形成する。これをパイロクロア格子という。
この格子では隣接する B 原子の持つ電子スピン 同士が反平行を向きたがる反強磁性相互作用が 働く場合、安定なスピン配置をとれず幾何学的フ ラストレーションが生じる。このフラストレート 構造が起源の興味深い現象が多く発見されてい る。その一つにスピングラス現象がある。低温で 磁性体に出現する相の一種で、スピンが規則的な 秩序を示さずそれぞれがランダムな方向に向い たまま運動が凍結した状態のことをいう。
本研究の目的は、大きく分けて二つあり、一つ めは、理想的なハイゼンベルグスピン系と考えら れる Ca2Ru2O7におけるスピングラス現象の起源 の解明である。二つめは、新規パイロクロア Ca2Ir2O7の合成を目指した研究である。
2. 実験方法
物質合成には水熱合成法を用いた。また構造解 析は粉末 X 線回折により行い、組成分析には
SEM−EDSを用いた。磁化率測定にはSQUID磁束
計を用いた。中性子回折測定は米国 NIST の J.
Gardner 博士に測定していただいた。非線形帯磁
率は大阪大学の谷口先生に測定していただいた。
3. 結果
3.1. ルテニウム酸化物
3.1.1. Ca2Ru2O7の大量合成法の開発
合成条件を改良し、一度の合成で多くの試料が 得られる方法を発見した。一番の改良点は、溶媒 に酸化剤として2M-H2SO4を用いたことである。
その理由は、Ru をまんべんなく酸化させ、未反
応の RuO2の量を極力減らす事ができると予想し たからである。この試みは成功した。ただし、不 純物として未反応の CaO の粉末と CaSO4の結晶 が生成される。これらの不純物を取り除くために、
0.1 mol/ℓのHClに1~数日浸し、水に溶かすこと
で、不純物の除去に成功した。
3.1.2. 中性子散乱
図1は2 KにおけるCa2Ru2O7の中性子回折の結 果である。図からQ = 1.05、1.98、2.05Å-1にピー クが確認できるが、これらはそれぞれ結晶格子に よる(111)、(311)、(222)ブラッグ反射である。こ の観測において、磁気的なブラッグピークは見ら れない。このことから 2 K において、Ca2Ru2O7
磁気モーメントは長距離秩序を持たないことが わかる。スピングラス状態においてスピンが完全 にランダムなら、ブラッグピークは観測されない はずであるので、この結果はその予想と矛盾しな い。
図1 Ca2Ru2O7の中性子回折の結果。3本のブラッグピーク が観測できる。図中のくぼみは装置による影響。
3.1.3. 非線形帯磁率
実験の目的は、グラス転移温度付近での非線形 帯磁率の測定から臨界指数を求め、ユニバーサリ ティークラスを議論することである。スピングラ スにおいては磁化と磁場は非線形性を示し、
H nl
T T
H M
H T H
T H
T M
2 2 0
5 4 3 2 0
) ( ) ( /
) ( )
( )
( (1)
という関係が現れる。ここで、0 は線形帯磁率、
2、4は、非線形帯磁率である。また臨界指数、
、、は以下のように定義される。
nl(T Tg、H)~H2/ (2)
q T T g)
(
~ (3)
2~ (T/Tg 1、 0) (4)
スピングラス転移点での臨界現象は、幅広く研 究されており、次元性や対称性などのスピングラ スの特徴ごとにグループ分けされる(このグルー プをユニバーサリティークラスという)。それらの 結果と今回得られた結果とを比較することで、
Ca2Ru2O7 がどのタイプに当てはまるのかを調べ てみる。
図2に、臨界指数を求めるためのlog-logプロ ットを示す。若干ばらつきはあるが、~1.6程度 になっている。図3に、臨界指数を求めるため、
Tg = 24.5 Kでの、nlとHのlog-logプロットを示 す。スピングラス転移の臨界領域についての議論 から[1]、[2]、の値は低磁場領域で決定すべきな ので、H < 300Gの弱磁場での測定を行っている。
結果として、~3.3となった。次に、図4に臨界 指数を求めるためのプロットを示す。q(T)には、
転移温度Tgを入れる。その結果、~0.85と求め られた。
以上をまとめると、~1.6、~3.3、~0.85と なった。個々の数値について見てみる。まずカノ ニカルスピングラスと呼ばれるAuFeでは~2.0、
~3.1、~1.0である[2]。一方絶縁体スピングラ スY2Mo2O7では~2.8、~4.7、~0.8である[3]。
比較から Ca2Ru2O7 はカノニカルスピングラスに 近いと言える。つまり、Ca2Ru2O7のスピングラス は、カノニカルスピングラスと同じユニバーサリ ティークラスに属している可能性が高いことが 分かった。
Ru5+の電子状態は(t2g)3なので、軌道の自由度が
なくスピンは等方的(ハイゼンベルグ的)であるこ とからもハイゼンベルグ型スピングラスである カノニカルスピングラスと同じユニバーサリテ ィークラスに属するという今回の結果は不自然 ではない。
図2 臨界指数の評価。
図3 臨界指数の評価。H < 300Gの弱磁場における測定。
図4 臨界指数の評価。
3.1.4. 熱電能
次にこの物質の電子輸送現象について調べる。
この物質は金属としては異常な電気抵抗率の温 度依存性を示すことが報告されているが、電子状 態が金属なのか、キャリアーの起源はどこから来 るのか不明であった。そこで熱電能の測定を行っ
た。熱電能の挙動はボルツマン方程式による取扱 いにより以下のように表される。金属の熱電能は
e F
T S kB
ln ( )
3
2 2
(5)
と表され半導体の熱電能は
e h B
h e
h e B
m m T k e
S k ln
|
|
2
(6)
と表される。ここで、()はエネルギーの関数と しての電気伝導度、h(e)、mh(me)はそれぞれホー ル(電子)の移動度および質量、はバンドギャップ の大きさである。これらの式から、ある物質が金 属状態ならゼーベック係数はTに比例し、半導体 状態ならTに反比例する。また、キャリアーが電 子ならS < 0、ホールならS > 0となる。また、絶 対値|S|は、キャリア密度に反比例する。
ゼーベック係数の測定結果を図5に示す。100 K 付近に現れている値の飛びは測定機器による問 題である。高温側では温度にあまり依存していな いが、温度の低下とともに値は0に近づいている ことがわかる。測定温度全体にわたって負の値を とっているので、キャリアーは電子であることが 分かる。また、温度が0 Kに近づくにつれて熱電 能も0に近づく挙動から、この物質はフェルミ準 位に有限の状態密度を持つ金属であることが分 かる。スピングラス転移温度の24 Kの低温領域 は、測定機器の温度コントロールが難しいため、
測定精度は高くない。実際、図5ではスピングラ ス転移温度の24 K付近で異常があるようにも見 えるが、繰り返し測定を行うと再現されなかった。
そのため、今回の実験では、グラス転移温度で伝 導電子の異常は確認できなかった。この結果は、
伝導電子とスピンに相互作用がない事を必ずし も意味しない。伝導電子の散乱の時間スケールと スピン凍結の時間スケールが必ずしも一致しな いので、グラス転移温度で異常がなくても不思議 はないからである。
また、図の挙動が理論式のようにTに比例せず に下に凸になっている原因として、フォノン・ド ラッグ(phonon drag)効果の影響が考えられる。フ ォノンは、物質間に温度勾配があると高温から低
温に向かっての流れを生ずる。この時、フォノン がキャリアーを散乱し、キャリアーをフォノンの 流れに引きずり込む。この結果、キャリアーが低 温側にたまり、余分な熱起電力が生ずる。次に、
室温付近での熱電能の絶対値、|S|≒15 V/Kにつ いて考察する。一般的に良伝導金属の熱電能は数
V/K なので、それよりは大きい。熱電能が大き いという事はキャリアの密度が小さいことを意 味する。
T (K)
S (V/K)
Ca2 Ru2 O7
0 100 200 300
-15 -10 -5 0
図5 Ca2Ru2O7の熱電能の温度依存性。全温度領域でS < 0 であった。温度が0 Kに近付くにつれてSは0に近づく。
3.2.新規パイロクロア型イリジウム酸化物の探索 新規パイロクロアCa2Ir2O7である黒色粉末の合 成に成功した。
3.2.1. X線構造解析
得られた黒色粉末の粉末 Batch #187のpowder patternとISCD のVisualizer を用いて計算した仮 想物質Ca2Ir2O7と比較した。すると、よく一致し ていることがわかった。よって、構造解析の立場 か ら は 、 得 ら れ た 物 質 は 新 規 パ イ ロ ク ロ ア Ca2Ir2O7であると判断した。
3.2.2. 組成分析
EDS による組成分析では Ir の比率が若干大き く、場所によって多尐ばらつきはあるが、大ざっ ぱに見ればCa:Ir = 1:1であった。また、バッチに よる比率の大きな変化はなく、Irの比率は毎回Ca よりも若干多く現れる。Ca2Ru2O7の場合でも、Ru の比率がCaよりも若干多く現れるので、1:1から のわずかなずれは EDS の手法の特性と判断し、
上述した粉末X線回折の結果と合わせて、得られ た黒色粉末は新規パイロクロアCa2Ir2O7であると
結論づけた。これまでにCaとIrで構成されるパ イロクロアとして、Y2Ir2O7 に Ca をドープした Y2-xCaxIr2O7が報告されているが[5]、ドープ濃度は 最高でx = 0.6までで、純粋なCa-Ir-Oのパイロク ロアは現在のところ報告されていない。
4.2.3. 磁性測定
磁化率の温度依存性を図 6 に示す。測定では、
まず2 Kまでゼロ磁場冷却を行い、磁場を印加す る。その後300 K までの昇温過程でZFC(ゼロ磁 場冷却)測定を行い、300 Kから2 Kまでの降温過
程でFC(磁場中冷却)測定を行った。
磁化率は室温で2.8×10-4 emu/molという値をと り、100 Kから300 Kまではほとんど温度依存を 示さない。100 K以下では温度が下がるにつれて 磁化率が大きくなり、約70 KでFC、ZFの分岐 が起こる。約70 KでZFCはブロードなピークを 示す。一方、FCは70 K以下で緩やかに立ち上が っていく。また、ZFCがピークを示すとき、一度 FC の磁化率より大きい値を示す温度領域が見て 取れる。これらの異常が起こる温度はバッチごと にやや異なっている。この原因として、酸素分子 の影響を考えた。試料の周囲に酸素ガスが残って
いると約50 K付近でこぶのようなピークが現れ
ることがある。そこで、装置近辺を窒素発生装置 で発生させた窒素で満たし酸素が混入しないよ うに配慮したうえで測定をやり直した。しかし、
結果はほとんど同じであった。したがって FC、
ZFCの分岐は本質であると考えられ、この物質で もスピングラスが発生している可能性がある。
室温付近での温度によらない常磁性の値はχ0
=2.8×10-4 emu/molとなった。この値は典型的な 強相関金属のパウリ常磁性の値に近く金属的電 子状態が予想される。
5. まとめ
パイロクロアCa2Ru2O7の大量合成に成功した。
中性子散乱の測定から2 K において Ca2Ru2O7磁 気モーメントは長距離秩序を持たないことがわ かった。非線形帯磁率の測定から臨界指数γ~1.6、
δ~3.3、β~0.85が得られた。この値はカノニカ ルスピングラスの臨界指数と近く、ハイゼンベル
図6 Ca2Ir2O7の磁化率の温度依存性と転移点付近の拡大図。
100K以上ではほとんど温度に依存していない。約70K以下 でFCとZFCの分岐が起きている。
グ型スピングラスのユニバーサリティークラス に属することがわかった。熱起電力の測定から Ca2Ru2O7のキャリアーが電子であり、キャリア密 度が小さい金属であることがわかった。また、新 規イリジウム酸化物 Ca2Ir2O7の合成に成功した。
磁性測定から約70 K以下でFC、ZFCの挙動が分 かれるスピングラス的挙動が観測された。
参考文献
[1] H. Bouchiat : J. Phys. (Paris) 47(1986) 71.
[2] T. Taniguchi and Y. Miyako : J. Phys. Soc. Jpn. 57 (1988) 3520.
[3] M. J. P. Gingras, C.V. Stager, N. P. Raju, B. D.
Gaulin, and J. E. Greedan : Phys. Rev. Lett, 78 (1997) 947.
[4] T. Munenaka and H. Sato : J. Phys. Soc. Jpn. 75 (2006) 103801.
[5] H. Fukuzawa and Y. Maeno : J. Phys. Soc. Jpn. 71 (2002) 2578.
Ca2 Ir2 O7
T (K)
(emu/mol Ir)
FC
ZFC
FC
ZFC
0 100 200 300
0.0005 0.001 0.0015 0.002
0 40 80 120
0.0004 0.0006 0.0008 0.001