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現代日本語の希望表現と助詞

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(1)

現代日本語の希望表現と助詞

著者 竹内 美穂子

雑誌名 三重大学日本語学文学

巻 5

ページ 37‑48

発行年 1994‑05‑29

URL http://hdl.handle.net/10076/6469

(2)

現代日本語の希望表現譲助詞

竹内美穂子

.ゝrL

、PJ.▼ぺ∴

l

はじめに

「水を飲む」ことを希望する場合には.、「水が飲みたい」

「水を飲みたい」という二適カの表現方法がある。この二通り

の表現が両方とも正しいものであるということは、線材明(一

九五七)によって初めて広く認められるところとなり、それ以

後しばしばこの両者の違いが論じられてきた℃両者の表現が共

に存在する以上、そこには必ず何らかの差があるはずであるり

それにもかかわらず、由者の違いは現在でも諭起きれていない。

本論では、希望表現としてこの「タイ」をとりあげる。■タイ

の意味に注目して検討を加え、従来の指摘では論じきれていな

い「ガ…タイ」と「ヲ・J・タィ」の差について、・新たな観点から

の説明を提供することがで虐れば、幸いである。

儀を進めるにあたって、引用文の漢字については現行字体に 改めたっまたハ参考文献はまとめて後に記した?文中の用例の 中で出典のない虻のは作例である。

従来の研究.

この丁†たい」の動詞部分が他動詞であっ′た場合、その対象

を表す名詞は助詞にガをとる場合とヲをとる場合がある。「水

が飲みたい」か「水を飲みたい」.かとして論七ちれることの多

いこの問題は、ノタイについて諭七る上で七ばしば指摘されてき

た。

動詞がタイと結び付いた時にガ格を上ることは、・早くは吉岡

郷甫(丁九〇六)で指摘されている。⊥Jめ後、ガ臥格は何か、

ということが論じられるようになった。主格である土主張した

のは三矢重松(一九二六)、吉沢義則(一九三二)、積木進吾

〓九三八)、三上章(一九五三)らであるが、このほか木枝

(3)

増一(一九l三)が客格、柴谷方良(一九七八)、久野錘(一

九七三)が目的語、時枝誠記(一九四一)が対象語と主張し、

現在まで定説といえるものはない。本論では、この格の問題を

論じるのは目的ではないため、便宜上、「いわゆる対象語」と

いう意味で「対象語」の用語毯用いたいと患う。 ヲ∵・タイせい皇貢い方は、菖沢(l九三二)では否定されて

いるが、松村明(一九五七)はこれが古くから日本語の中にあ ったことを証明した。松村生乳五七Yは室町時代からの肝例

をあげ、古くからガ…タイと孝…タイは混同して使われてやた

こと澄示しているヵそして、舷村こ九五七)はさらに両者の

区別を試みている。.

水が飲みたい…水が+(飲みたい)

水を飲みたい…水を+飲み+たい

これは、ガ…タイとヲ…タイの基本的な区別として最初にあ

げられるもので為る。この松村(一九五七)以後、ガ…タイと

ヲ…タイの区別を問うものが多く見られるようになる。阿部源

歳〓九五八)、山田巌(一九五七) (一九六四)、田村すゞ

子(一九六九)、村木新次郎(一九七五)、大江三郎(一九七

九)、森田良行(一九八〇)、朴在擢(一九八七)などがある

が、その代表的な指摘点は次のようなものである。 ①対象語上潮詞+タイの間に萬句を挟んでいると、ヲをとり やすい。 このこと借、∴松村(一九五七)・がその集めた用例について言 っているこ上であるが、〆その他にも阿部・三九五八)、由村 (ユ.九六九)∴朴(」九八七).・等多くで指構されている。由部. (一九五八)∴は「rがしとの取離が速くなればなるはど、rた い」の、rが」を要求する形容詞的な機能は弛緩して、逆に文 脈を十貫阜せ等つとする論理的な意識が強心働いて、∴自然▲㌧rをし を要求することになる。」と述べている。国立国語研究所(一 九六四)ではガ…タイの八例申すべて、朴(一九八七)でも六 例申すペてがこの距離がな←動詞と直接結合している場合であ ったとして扮鷺て確かに、距離がある場合はガをと軒にくい傾 向があるようだ。 ∵しかし、一′ガ・」・タイのすペてが直接結合しているわけではない。 例えば副詞を挟んでいる場合にはガ壬タイをとる場合もある。▼ このことは後でもう少し詳しく見ヰっ。

②内的感情の直接的表現の場合は、ガをとりやすい。

大江(一九七九)、朴(†九八七)が迂成東「内的感情の直

接的表現」としてあげているのはハ′ 「ああ・㌻タイ」という形で ある。大江(一九七九)は「「ああ水が飲みたいL rああカレ ーライスが食べたいJ等切ガをうにかえて(堅いづとかえっ

て不自賂になってしまう。」と述べている。ガ…タイに比べて、

(4)

ヲ・・タイの数が圧倒的に多いことは国立国語研究所(一九六四)

や朴(一九八七)とよって明・セかにされているが(注一)」こ

め場合はガ…タイの埠っが自然にとることができる。このこと

から考えて、.ガ…タイはい■つやヲ…タイ上人れ替えることがで

きるものではなく、ガ・}タイ独自の意味を持っ乞いることが予

想jれるのだが、大江六一九六九)朴(一九八七)七もにそこ

までは述べていない。・∴

③対象吾が有情物の七き、ヲをとりやすい。

このことは阿部(一九五八)、村木(一九七五)、森田〓

九八〇)、朴六#九八七)な.ゼで指摘されている。ノ.その理由は、

森田六」九八〇)によれば、対象語部分に「人間が立つ場合に は∵ノ.軍れそれが…したいLとな一∧つて、CÅ=対濠葦バ自身が

希望主体となっ七しまうため、ガ文型は成り立ちにくい。」

(()・内 相両)というも.のである。対象悪だけでなく、動作

の主体が対象語の前にガをとって現れる場合も対象語はガをと

サ龍くい。・ごガ・J■ガとガが重なるのをふせぐためと考えられる。

④タイの後に「…と患う」 「・・宣言っ」等が兢くと号ヲを

とりやすい。

ラ…タイを認めない吉沢(一九三二)は、・・丁・・と思う」など

が後に続けばヲ・・・タイがありうる、と述べている。また朴〓

九A七)滝八、∴数の上から「…上思う」 丁・と考える」「.丁・圭一一口

う」等が続く場合はヲが多いこ之を明らかにしでいる。・朴の例 を借りれば、「何かヲ(伝えたい1と)患う阜、のような引用の 意識が生まれ、∴その結果ヲをとややすくな?ているというので あるソ

⑤慣用表現にタイがつくとき」ヲをとりやすい。

対米∵〓九七五)に「慣用句も、.ヲがガに交替しません』上

指摘があるはか、朴(†九八七)世→対象語と動詞の結合力が 強い彗亡もヲが用いられてい.ると述べているや同じよケに大

江(一九七九)一でも、「[Z・0 く]という旬におけるNとⅤ

の結びつきの固さも、タイ構文中のガの生起庭対して重曹な要

因である。」 (N=名詞、Ⅴ=動詞という注がある)と七てい

る。次の例を見てみょう。・

(l)足を洗う.(購しい勤めをやめて堅気になる、の意) 恩粛いたい/?鼠釧洗いたい

(2)ピアノを弾く

ピアノを弾きたい/ピアノ粥弾きたい

こめ両者を比較すると、一対象語部分の名詞と動詞の結び付き

がガのとりやすさに関係していることは確かであろう。

⑥「漢字熟語動名詞+する」∴隼タイがつくと書、ヲをとりや

すい。

「薮字熟語動名詞+する」は田村±九六九)の用語である

が、田村は「漢字熟語動名詞十する」が一般的濫ヲを七ちやす

いものであるとは述べていない。しかし、久野(一九七三)で

(5)

は「口語化されていない漢語系の動詞」、朴(一九八七)では

「漢字合成動詞」 (両者とも同じものを指していると思われる)

がガをとりにくい、としている。

以上が、これまでのガ…タイとヲ…タイに関する主な論点で

ある。

ここで①についてもう少し詳しく述べておきたい。確かに対

象語とタイの聞に語句を挟み距離ができると、ヲをとりやすい。

しかし、次の例ではどうか。

(3)熟むしょうに飲み患い。

,(3)⊥ギ漣ガ世良然である。副詞港挟逸に場合は、距離があ

Pてもガをと挙Jとがで巷る。ただ七、これはど珍副詞にも言

ぇる事ではない。 (4)?恵粥ちびちびと飲みたい。/観劇ちびちびと飲み

たい。 ゝ「むしょうに」.「ちびちびと」の違いは、「ちびちびと飲む」

が言えるのに対して「むしょうに飲む」と言えない点にある。

つまり、「むしょうに」は「飲みたい」とタイまでの全体にか

かっていく副詞なのである。他にも、「どうしても」なども

「むしょうに」と同じ性質の副詞であるヤ松村(一九五七)が

説明したように、動詞+タイ全体にかかっていくのはガ…タイ

の場合なので、こういった副詞が付く場合はガをとりやすいの

である。 こ丸まで、ガ・1タイとマ・タイの差は、使われている音量な

ど外見上の文の形塵に関して述べ一られていることが多かった。

しかし、文の上に現れる現象だけを見ていては、ガ≡タイとヲ

…タイの差につ車て」バ般的に述べること偲できない。

本論ではノタイの持つ意味をいくつかに分偏し」そこからガ …タイ上ヲ…タイの意味的な遠心を明らか芯んてい.きたいと患

,つ。

タイの意味と助詞ガ・ヲ濫ついて

■・‑■

(こ′ヲ…タイを用いる場合のタイの意味

1

「妹曲」を表わすタイト∴∴

(ち)まずはじめに、私は、私の友人膏あや、・.編者であ渇

ジーヨイス一・ジョンソンに感謝の意劃表したい。人口 ンヽコギック 『7月4日に生まれてL)

.(5}一では、タイはどのような意味を持」ているのだろうか。

「感謝の意を表Lたい」√と言った場合、その読者は、その後に

「感謝の意を表する」具体的な行動があることを予想しない。

なぜなら、「感謝の意を表したい」と言う事そのものが、「感

謝の意を表する」という行動となっているからである。例えば

「水が飲みたい」と言った場合、・その後に「水を飲む」という

(6)

行動があることを予想できることと比較すると1はっ・ぎ打と違

いが見られる。 この違いは、実はタイを働いた場合にもみられるものであ電

このような現象についての検討は、J・L・オーステイン(一

九七八)定よって行われている。オーステインは次のような例

をあげている。

「そうします。〓d〇.) (すなわち、私はこの女性を、 私の法律上婚姻関係にある妻と認めますご」 ただし、

結婚式の進行の中で言われた場合。

オーステインはこれらの文・発言を名付けて、▲「行為遂行的 文(琶許⊇ati諾SentenCe)ないし、行為遂行的発言曾r旨

mati扁utte【賀Ce)、あるいは、簡単に′‑『遂行文』ないし′r遂 行的発言』人馬rfOr邑i邑、と呼ぶことを提案したい。」とし

ている。ここでもそれにしたがってこれらの文を「遂行文」と

呼ぶことにしたい。(注二)

さて、これらの文にタイが付いた場合のことを考えてみよう。

(5)は、タイをつけて希望の形をとっそはいるが、「言う事」 によってすでにその行為が実現している「夢付さである。タ

イの表わす希望の意味が、未だ実現していないことの実現を廠

ぅことであるとすると、(5)の遂行文においてはすでに行為 は実現しているわけであるから、「希望している」文であると

望一口い難い。つまり、「遂行文」にタイがついている琴タ

イは希望の意味を持っていないのである。次も「遂行文」の例

である。、 ∴・六6)…、小・.小説というジャンルに関心を抱く文学者たちに ・も芸試をーすすめたい。(本多勝一‑感業としての

ジャーナリスト』)

それでは、この場合のタイの役割とはどういうものなのであ

ろうか。(5)で「感謝の意を表する」と言い切った場合を考

えると、「表したい」といった鱒つが断定的ではない。‑すでに

行為は実現しているものの、未だ実現していない意味を含む

「実現を希望する」意味のタイを使うことによって、断定的な

口調を和らげているといえる。この場合のタイは、「娩曲」と

でも呼ぶべき役割を果たしているといえよう。そしてこの場合、

ガ…タイの形を用いるのは不自然である。.

2

意思表示を表わすタイ

(7)Iめでたくも幸せな女として物語っているのであろう

.∴か。それ劇次に見てみたい。(駒尺喜美 r紫式部

のメッセージ』)

この例でもやはり、ヲをガに変えることには不月然さが使う。 しかし、妄の理由は「見てみたい」とテ+補助動詞が用いられ

(7)

て対象語とタイとに罷礁があるというこ上のみで増税明できな

い。次の例では、ガ欄自然である℃

(8)植物のスケッチ糾してみたくて、..水彩画を候補宜あ げたこともあった。(朝日新聞19針㌣9・29)

やはり、(7)と(8)のタイの意味に違いがあるために、

(7)ではガをとりにくいのだと考えられる。

次に、(7)あ使われている場面について考えてみよう。

(7)は、論説翁の文の中に見ちれたものでへ筆者が書きたい と希望している内容を述べたもの去年っているごJれと同じよ うな場面で用いられた例を挙げてみる∵

(9)その▼.Jと劃、・つ式部の家集である『紫式部集≒・ふら見

てゆきたい。(駒尺喜美 ヨ累式部のメッセ」ジ≡

(10)その幾人か句インタビューのエピソードを通じて

紹介しておきたい。(木村太郎 ≡ユースヘの挑

戦』)

これらをガを用いて言い換えてみると、(7)と同じように

どれも不自然さが感じられる。これらの例の前後を見てみると、

「…たい」として運べられた内容が、このすぐ後の論で詳しく

述べられている、という点で共通している。

(7)、(9)」 (10)㌧の文を読んだとき、、その読者は、単ノー

に「筆者がそういう希望をもっている」ととらえるのみではな

く、「この後にそういう内容が詳しく述べられているのだ」と まで判断するこ上ができる。すると、とこで用やちれているタ イは単に希望を表わすタイだということはできない1希望遼表 わすことは表わしているが、さらに、これから論を展開すると いう前置巷のような役割をも果たじているのである。言葉を換 えていえば、一、どうい.う論を展開するかという「意慮表示」であ ると言える。

ガを用いた場合、この意思表示の意味を含ませることができ ない。ニュへ 甘)、.■{嬰でガが不眉然に感じられたのは、 この事っな理由によると考ろられる。. ∵ま屯‑・タイがこの意思表示の意味を持つのは、・補助動詞を用

いた場合だけではない。.∵

、J∵J′≠

「∴ゝ

(11)…、私が謝罪すべ巷だと主張しておりますが、土れ

に対する論告劇展開したいと存じます。(木村太郎

ウニチースへの挑戦』)・

この場合も、後に論が展開きれているのだが、そのことはこ

れらの文を読めば容易に想像できる。そしてここでも同じよう

に、ガを用いることは不自然に感じられる。同じ動詞を用いて

意思表示の意味を含まない文を作れば、ガを自然にとることが

できることからも、ガの不自然さはこのタイの意味に起因する

ことが分かる。∴

∴先に、「遂行文」におけるタイは、希望の形をとりながら、・

(8)

希望の意喋を失っている」ということを述べた。「遂行文」で

は、言うことで行為を行っていることを明らかにしているため

であった。一方、この意思表示を表わすタイは、述べている内

容はその文の後で実現しているため、「遂行文」におけるタイ

とは建つて、希望の意味を含むことができる。しかし、あくま

でも実現することが前提となっているため、その希望の意味は

あまり感じられなべ克っているのである。

七かし、実際にはこの両者の間を明確に区別する上之はでき ない。果たしてその文が、「行為を行っていること」妄明らか

にして小るのか、「後に述べること」.を明らかにしているのか

を区別できな心境合があるからである牒

(12)……、それは我々の国内の問題だということ引、あ

えて舌っておきたいですね。私たちがある社会を建

設するのは、我々の自由ですが、同時に他の人々が

その国の中で何を築こうとしようと」それは私たち

には関係がないことなのです。(木村太郎

『ニュ

ースへの挑戦』一I)

(.12)の「言っておきたい」では、「我々の国内の問題だ」

ということをすでに言っているのだ上とらえるこ上もできるし」

その後の「私たちがある社会を建設するのは…」月下を述べる

ことの意志表示であるととらえることもできる。このネつに両

者にまたがった例が見られることから、厳密に区別することは

適当ではなく、蓋世を持っ七いるも吸どすることができよう。

また、意息表示のタイも、仮にタイがなかったとしても余り

意味が変わらない、という点でも妹曲のタイと共通している。

しかし、.やはりタイのついたほうが、断定的でなく、筆者の意

志であることを強く感じることができる。この点からしても、

嫉曲のタイと意恩表示のタイは共通点があり、連続性を持って

いるといわぎるを得ない牒

前に、「遂行文」の断定的な口調を避けるために、希望を表

すタイを形式的に用いることで娩曲の意味を表していると述べ

た。しかし、この意思表示のタイと結び付けて考えてみると、

もう少し違った見方ができる1タイは単なる希望だけではなくへ

ここで見たように意志を明らかにすることもあるため、タイを

用いることで、断定するのではなく意志を明らかにするのだ、

という意味を含ませることができ、それで娩曲の意味が出てく

るのだともいえるのではないだろうか。つまり、「遂行文」で

タイを用いることができるのは、、タイが意志を明らかにすると

いう意味を持っているためである、とも言えるのである。タイ

が単に「希望」の意味しか持たなければ」すでに行為の実現し

ている・「遂行文」にタイを用いることにはかなり抵抗が感じら

れるはずである。

3

意志・、判断を含むタイ

(9)

今まで、「娩職」のタイ、「意思表示」∴のタイを見て凄たが、

これらは、希望の意味が塞いか、または稀薄なものとな.って小

て、いわばタイの中でも限られた用法と言える滝のであうた。

これらめ場合は対象語にはヲしかとるこ七ができない上とが分

かったが、それでは、こ¢はかめ大部分のタイ、つまり希望の

意味を表しているタイでは、ガとヲの関係はどうなっているの

だろうか。そのてせにつ車てここで考えてみたいぺ

(13)私は、.毎日30種類の食品劃食べたい。(大塚製薬

ポスター)

(14)

「味噌汁が食べたい」と、妄号たっ「(堀内貴和・

一『僕が嘘をついた理由L)一

(13)

人H)・尤伺七「食べスごという動詞を使った例であり、

また、どちちも希望を表していると言える。それにもかかわら

ず、(13) (14)のガとヲは無条件で交換できるわけではない。

(、14)はガせヲとしてもそれ程不自然さはないが、(柑)、でヲ

をガとすると、不自然である。′ガにすると、「30種類の食口巴

が食べたいという心からの欲求があるように感じられる。むか

し」30種猿の食品がむ七亨つに食べたい、.などという欲求は考

えにくいため、不自然に感じられるのである。

ここから、同じく希望を表すタイでも、その希望の意味に違

いのあることが分かる。つまり、ガ…タイは心の中かち湧いて

出てきた自然の.ままの希望を表し、ヲ…タイは考えたうえでの 希望を表すので属蕎人.13)は、▼ 「30種類の食品を食べたい」

という欲求があったというよりむしろ、「健康のためには食品

を30種類食べなくてはならない」と考えたうえで、希望してい

ると見葛ペきではないだろうか。(13)の希望は、自分で考え、

判断し、「食べよう」という意志を持った希望なのである。こ

の様に、希望を表すタイは、意志や判断を含むものと、それを

含まない∵頁然のままの希望を表わすタイとの大きく二うの区

別ができるのである。(注三)

次に意志i判断を含むとはどういう事かを」もう少し考えそ

いきたい。

よ路)・イ雀を弱い仲間だから信じたいと患いますが、、しかじ、

信℃られる雀だと、だれが保証できましょう。(水 ・上勉∵▼.『ブンナよ、木からおりてこいLJ

n(15)・は主久公の蛙の患いである。蛙は、雀も他の動物に食

べられてしまう弱い仲間だから、と判断して、■信じたいと患う。

しかしそのすぐ後に、▼・信tられるとだれが保証できるだろう、

つまり、信じられないと言っているのである。「信じたい」と

いうのは、▲「信じるベノきだ」、「信じた方がよい」.という判断

の意味を含んでいると考えられる。しかしその判断は、信じら

れないという自分の心とは反対のものとなっている。

このように→意志・判断を含むタイは1感情ではなく考えた

こと(・つまり意志木判断)に基づいて希望している。すると、

(10)

時には(ほ)のように感情に無いこと、感情とは反対のことを 希望す局濁含もあ蕎

∵「…夕■ィと患う」、丁・タイと考える」などのとき、〉 「患う」

「考える」に引かれてヲをとりやすい、とするのが従来の説で

あったが、タイが意志・判断の意味を含めることを考えると、

従来の説明では不十分なように思う。「…タイ」のところで意 志や判断を持って忌」ったり「考え」たりしているから、後 ろや「と思う」や「と考え浸が付きやすいという屈もあるの

だと考えられる。

この意志・判断を含むタイ鳥∵前述の意思表示のタイと繋が

りを持っている。

(16)会うとしヰb、車ちばん最後碇会う。々う小う方法

劇貫いていきたいと患っています。(本多勝一 逼業としてのジャーナリストし)

意思表示のタイは、√希望している内容がその後に実現するこ

上が予測でき、実優に実現さ弟ている、上いう性質を持ってい

た。、(16)では、恐らく希望してい.る廟容が実現する・であろう、

とは予測できるが、夷際に実瀕しているかどうかは分からない。

このように、完全な意思表示のタイになちない場合は、ただ、

意志に革ついて希望ゑ述べて一いる、というだけの意味の意志・

判断を含むタイに近いので透る。(16)は意思表示のタイと意

志・判漸を含むタイめ中間に位置するものセあると考えられる。 1では次に」盲然な徴求を表すタイ」について詳しく見てや きたい。

(二) ガ…タイを用いる場合のタイの意味

l

自然な欲求を表すタイ

(沼)不意に、昨夜は不在だった日光の友人夫婦の士鼠聞

きたくなった。 (堀内貴和 ヨ僕が嘘をついた理

.由』)、

すでに述.べたように、対象語がガを.とる時、タイは意志・判 断を含まない、月然な欲求を表すァ自然な、上小うのは、心の 中の感嘩欲求に忠実で、善悪などの判断を合せない、といっ た意味である。(17)では、由いた琴つがいいという意志や判

断はまったく感じられない。

ガべタイの例は非常に少数であるが、このように独自の意味

を持っており、したがって稜極的にガをとる場合もある。

よ18)あああ大きな落日が見たい叫■ (梶井基次郎+七梓 壕』)

̀ゝ

・W(朋) 「ああ・り蒐い」のように、話者の感情艮そのまま展に

出す場合は、従来も指摘されている通や、ガをとりやすい。そ

れは、このタイが眉然な欲求を表しているためだといえるので

ある。

また、「どうしても」.「むtように」・などの副詞が付く場合

(11)

は、これらの潮詞が動詞+タイ全体にかかっていくものである

ため、ガをとりやすいということがあった。⊥かし、これちの

副詞が自然な欲求を表わすときによく使われる副詞であること

も、ガ…タイになりやすい理由功一つと考えることができよう。

また、ガ…タイは心の中の召然な欲求を表すため、そこで使

用され通勤溺磁自ずと願ちれてく渇嶺向にある。つまり、畏ま

った丁寧な感烏めするものよりほ、日常生活に密着した使用頻

度の高いも切にぎ:タガが使用されやすいようである。

ただし、眉溶な欲求を表わしていてもかなちずガをとるとは

限らない。

J

ll

(柑)是非とも、、そこのあたりが知りたい。鳴呼、アウケ

ートをとりたい。(氷室冴子 『冴子の東京物語』) (空で、「アンケートがと乃たい」として為せくに不魯然

を感じるわけではないが、「アンケートをとる」というきまっ た言い方があるため、考えてガをと愛しとをしなかったのであ

ろう。

(19)で見たように、うガ落穂橿的にとる場合であっても、、

「この場合は必ずガをとる」、と言うことはできない。ガの使

用は第一章で触れたように様々な条件によって制限されている

ため、タイの意味の上ではガをとるところでも、ヲをとらざる

をえない泣ころも見られる。そのためガ…タイの本来の意味は

見えにくくなることが多いが、しかし、ここで見てきたタイの 意味が、ガとヲの養いに大きく関わっていることは確かである。

このガをとる場合とヲをとる場合の養いは、松村(一九五七)

の説明とも符合するものである。「水が飲みたい」は「飲みた

い」と希望している状態を最初から意識した言い方であるりそ

れに対して「水を飲みたい」は「水を飲むkが先にあって後か

らタイをつ財たものであるので、「水が飲みたい」よりも動作

を意識して言うことができる。その結果、ガ…タイは希望⊥支

いる状態を表しているため、欲求や感愕のみ壷表すことになり、

ヲ…タイは希望する動件を意識できる分、そこに意志や判断の

意味を含ませるよーワになったと考えられるのではないだろうか。

以上見てきたように、ガ…タイとヲ…タイの差は、この希望 している気管に意志・判断がみられるかどうかという点に大

藩く由来している。そもて、その意志の部分の意味が大きぺな

り、希望の意味が稀薄になっているのが盲娩曲」 「意思表示」

の二つの意味であると考えられる。

おわりに

タイは、意味的な面から、意志・判断を含んでいるか、自然

な欲求を表しているか、という点で大きく分けられることが分

かった。意志や判断を含むタイはヲをとりやすく、自然な欲求

を表すタ了はガをとりやすかった。さらにヲ…タイは、意思表

(12)

.示を表すタイ、娩曲を表すタイという、希望の意味が稀薄かほ

とんど見ちれない、限られたタイの意味も持っていた。これら

と意志・判断を含むタイは互いに連続性を持っており、一「意志」

があるという点で共通する用法であると言うこ、とができる。ガ …タイとヲ…タイの問題を考える彗㌧従来言われていることの

‑まかに、この意味の違いという点も考慮にいれてよいであろう。 としても、そこが結婚式の填でなければ、」結婚という行為を遂 行した「遂行文」にはなら克い。発話時の状況によってかなり 左右されるのである。このような点についてもオーステイン {‑元七八)「は哲学者としての立場から詳細な検討をしている。

【注】

(庄一)国立国語研究所(一九六四)では二〇七例中ガ…タイ

は八倒、朴(一九八七)では二六五例申六例となっている。

(注二)オーステ√ン(一九七八)はこの後さらに論を展開し、

発語行為・発語内行為という理韓に辿個着て。ここでは「行為

遂行的/事実確認的の厚別に関する見解は、発語行為と発語内

行為に関する見解に対して、特殊理論と一般理論の関係にある。

」としている。▲しかしここではオーステインの理論にそこまで

は立ち入ちず、「顕在的な行為遂行的動詞」とされている概念

だけを取り上げるこ上芯する。さらに言えば、「遂行文」、かど

ぅかを判断するのは、かなり微妙な問題で滝ある?例えば、こ

こで引用したような意味で「そうします。(‑dO.)」と言った (注三)宮本勝・孝志華(一九八九)はタイが含まれた表現に ついて考察し、′「…たくなる」について次のように述べている。

ナ…左くなる」の場合は、生理現象を表れす動詞にノつ式

とき、動作主体が㌫自然にそういう希望を持つようになる」

意を表わすが意志動詞につく場合、乱作主体か「意静的に

そう希望している」意を表わす。

タイのなかにこうい、つた意味を見出だしでいる点は興味深い が、宮本・李(」九八九)打指摘は「・・・…たくなる」の項にと

どまっている。そtて意味の違いの板拠を動詞に求めているが、

同じ動詞であってもこの意味の違いが見られるのは、ここで見

た通りである。また、宮本・李±,九八九)の趣旨はタイの用

法を明らかにすることのみにあるため、ガとヲの・問題には触れ

ていないゎ∴

(13)

■.【参考文献】

阿部、源蔵(一九五八) 「.・宗‑たい』から㌧署」たい▲』へ」

『国学院雑誌』五九」一〇・⊥一 大単三郎(完七九)・〜 「麒嘗のタィの前でのヲ七ガの交替」

還御集日本語研究7助動詞』 有精堂.

木枝

増」

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【付記】 書店

これは一九九三年度卒業論文として提出したものを書き改め

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二九九四年三月卒業}

参照

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