『伊勢物語』の異本章段Aに関する一考察
著者 木戸 久二子
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 2
ページ 59‑69
発行年 1991‑06‑02
URL http://hdl.handle.net/10076/6440
『伊勢物語』の異本章段Aに関する一考察
はじめに
今日、普通に目にすることができる『伊勢物語』は、二百九
首の和歌を持ち盲二十五章段からなる藤原定家が書写校訂した
系統の本である。中でも、定家が天福二年正月に書写したいわ
ゆる天福本を、三条西実隆示臨写したものとされる現学習院大
学蔵本が最善本とされ、多くの訳注書の底本となっている。
しかし平安時代後期、藤原清輔が『袋草子』に「本々不審」
(注1)と書き、顧暗か言今集注』に「伊勢物音ノ中ニハ、
事外こ歌次第モカハリ廣略ハベル中ニ、普通本トオポシキニハ、普通二タガヒタル本ニハ
」
(注2)と記したように、当時『伊勢物語』には種々の伝本が併存していた。中世以降の
定家僧奉に伴い、多くの古典同様『伊勢物萬』も、定家本が主
流をなし流布するようにな.ったのである。
『伊勢物籍』伝本研究の基礎右築いた池田亀鑑博士の『伊勢
物語に就きての研究〔校本篇〕』(注3)では、「定家本に見
えずして他本に見ゆる章撃として十九の章段が掲載きれてい 木戸久二子
る。これは、同書刊行の昭和八年当時存在の確認されていた二
本の広本のうち、まず大島雅太郎氏旧蔵伝為氏筆本に見える順
に定家本官二十名草段以外の十七草段を抽出し、さらに続けて
神宮文庫本のみに見える二幸段を掲げたのであった。
その際、十九の異本章段に池田博士は章段番号を使用されな
かったが、後に関良一氏が「伊勢物帝散快音本管見」(注4)において便宜上、イ・ロ・ハ…の符号を当てはめられ、岩波・
日本古典文学大系(注5)では、辞世の歌の第百二十五段の後
に掲載することから第首二十六段・第百二十七段…と表わさ
れた。また、広本系の伝本をはじめとする新資料が多数紹介さ
れた状況を應まえて上梓された『伊勢物寓に就きての研究〔補
遺篇〕』(注6)では、AからSまでのアルファベット記号が
用いられ、中田武司氏『伊勢物清泉州本の研究』(注7)ではぁ段・い段…、小学館・日本古典文学全集(注8)や旺文社
文庫(注9)では異本一段・異本二傑…と表わされているか、
伝本研究においては『伊勢物語に就巷ての研究〔補遺篇〕』で
使用されたアルファベット記号を用いるのか一般的なようであ
‑59̲
る。したがって、本稿でもアルファベット記号を用いることと
した。
清輔の『袋草子』や顕昭『古今集注』、さらには定家本の奥書にもその存在が記される、顔勢斎宮の段(定家本第六十九段)
を冒頭に持ち空ゆく月の段(定家本第十一段)で終わるという
小式部内侍本に閲し、さまざまな考儀が試みられている。散侠
本であって断片的な資料から推測する以外ない小式部内侍本で
あるが、古来謎とされる『伊勢物育』の題号由来と結びついて
いる点、初冠本とどちらが原初形態であったのかという点など、
『伊勢物籍』の成立と成長の過程を追究する研究者の興味を引
いてやまないのである。
しかし、異本章段一つ一つの検討となると、ほとんど手付か
ずと言ってよいのではないだろうか。古注・旧注はもちろん、
伝本研究が進んだ今日においても、異本章段を載せる注釈書は
数えるほどしかない。異本章段は業平作と確認できる歌を一首
しか含まず、後人の増補によるものと見なされていることが影
響しているのであろうが(注10)、定家本一辺倒の中世以来の
状況を反映もしているのである。
本稿では、異本章段の中からA段を取り上げ、一つの解釈の
可能性を示してみたいと思う。 A段を有する伝本は、
大島雅太郎氏旧蔵伝為氏筆本(国立歴史民俗博物館蔵)
神宮文庫本
阿波国文庫旧蔵本(宮内庁書陵部蔵)
谷森善臣旧蔵本(宮内庁書陵部蔵)
日本大学総合図書館蔵本(注目)
一誠堂伝為相筆本(日本大学総合図書館蔵)
泉州本
山田孝雄氏旧蔵本
屋代弘贅校訂『参考伊勢物語』所引伝為家筆本(注12)
の九本である。
取りあえず、大島為氏本により本文を掲げよう。
あめのいみしうふりくらしてつとめてもなをいみしうふるにあ
る人のかりやりし
ふりくらしくつるあめのをとをつれなき入の心ともかな
返し
やゝもすれは風にしたかふあめのをとをたえぬ心にかけす
もあらなん
高橋文二氏は、一冊の講座『伊勢物音』所載の「定家本以外
の章段」において(注13)、
雨が終日、小やみなく降り続き、翌朝になっても降り止む
気色もない。雨音の絶え間なさに耳傾けながら、男はすげ
ない女の心を思いやって女のもとに歌を詠んで遣る。
と、「ふりくらし」の歌は男から女への贈歌であると説明され
る。A段では本文中七「男」とも「女」とも記されていないが、
たとえば福井貞助氏の小学館・日本古典文学全集でも、
「つれなき人」は無情冷淡な人。相手の女をさす。
としておら、「ふりくらし」を男の歌とし「や〜もすれは」を
女の歌とするのが一般的な解釈のようである。
しかt高橋氏は、
右の如きが一応の順当な解釈であろうが、地の文に男、女
の明示がないということから、歌の贈答を女から男へのも
のと受けとることもできるだろう。
とも述べられ、その根拠として「雨の音」を含む用例を塊示さ
れる。
『枕草子』の三巻本では、「心ときめきするもの」の項に、
待つ人などのある夜、矧叫骨、風の吹きゆるがすも、ふと
おどろかる(注14)。(傍線筆者、以下同じ).とある。また、『和泉式部日記』には、
五月五日になりぬ。雨なほやまず。一日の御返りのつねよ
りももの思ひたるさまなりしを、あはれとおぼし出でて、
いたう降り明かしたるつ上めて、「今宵の矧叫甘は、おど
ろおどろしかりつるを」などのたまはせたれば、 夜もすがらなにごとをかは思ひつる撃っつ矧叫蘭を聞きつつ
かげにゐながらあやしきまでなむ」と聞こえさせたれば、
なほ言ふかひなくはあらずかしとおぽして、御返り、
われもさぞ思ひやりつる矧叫骨をさせるつまなき宿は
いかにと(注1■5)
という贈答歌が見えている。
人を待っている夜は、雨や風の音にさえはっとして胸が躍る
という『枕草子』の例、宮が訪れて戸をたたく音を連想させる
雨音を、一人切なく夜通し聞いたという『和点式部日記』の例、
どちらもA段の贈歌の心情と共通するものがある。
雨を男の訪れとたとえる例として闇、『大和物語』の第八十
三段に、′
ぉなじ女、内の曹子にすみける時、しのびて通ひたまふ人
ぁりけり。頑な牒ければ、殿上につねにありけり。雨の降
る夜、曹子の蔀のつらに立ち寄りたまへりけるも知らず、
雨のもりければ、むしろをひきかへすとて、
息ふ人雨と降りくるものならばわがもる床はかへさざ
となむうちいひければ、あはれと聞きて、ふとはひ入りた
まひにけり。(注16)という章段がある。この歌は『古今和歌六帖』第丁あめ(四
八〇)に「つらゆき」として、下旬「もるわかやどはあはせざ
‑6・1‑
らまし」で載るものである(瀧17)。訪れて釆ない男を雨にな
ぞらえ、あのつれない男か絶え間なく降るこの雨のようであっ
たなら、と詠む点がA段の贈歌と共通しているし、一人さびし
く雨音を聞いている心情が先にあげた『枕草子』や『和泉式部
日記』の例とも響き合うのである。
以上のような例を見てみると、A段の「ふりくらし」の歌は
女の歌ととる方が自然であり、そう考えた方が贈歌に詠み込ま
れている切ない気持ちも実感を伴って生きてくると思われるの
である。
しかしそうすると、「ふりくらし」の歌は女が「ある人」に
贈った歌ということになる。一体、「昔男」が唯一無二の主人
公であると見なされていた『伊勢物膏』・において、「昔男」の
ことを「ある人」と呼ぶことが可能なのであろうか。女が主人
公の歌物語になってしまってよいのであろうか。 伊勢物琴云」として引かれており(注18)、異本章段の中では最もポピュラ1な章段であったらしいのである。
むかし満とこ女をぬすみてゆくみちにみつのあるところに
てのまんととふにうなつきけれはてにむすひてのますさて
ゐてのほりけりおとこなくなりにけれはもとのところに
へりゆくにかのみつのみしところにて
おほはらやせ.かゐの水をむすひつゝかくやといひし人
はいつらは(大島為民本付載小式部内侍本)
二
この点に関しては、同じ異本章段のB段からヒントが得られ
そうである。
B段は、ほかの異本章段とは違って広本系統のみに見える章
段ではない。略本の塗龍本や官二十五段本の真名本にも唯一の
異本章段として含まれているし、顕昭の『袖中抄』にも「考二 傍線を付した部分について諸本の異同をあげると、
おとゝけゝなくなりにけれはもとの所へかへりゆくに
(天理為家本付載小式部内侍本)
おとこはかなくなりに万れはもとのところにかへりゆくに
(泉州本)
男はかなくなりにければ、もとの所へかへりゆくに
(『柚中抄』)
もとのところにかへりゆくに(大島為民本付載皇太后宮越
後本・神宮文庫本系統・参考為家本)
もとのところへかへりゆくに
(一誠堂為相本付載皇太后宮越後本)
をむなはかなくなりにけれはもとの所へゆくみちに
(塗籠本)
墓蒋成壮士本所江遠爾(真名本)
のようになっている。
小式部内侍本・泉州本と『袖中抄』■の本文では、死んだのは
男である。それか皇太后宮越後本や神宮文庫本系統、参考為家
本では「おとこなくなりにけれは」の部分が消え、塗籠本にな
ると「をむなはかなくなりにけれは」と女が死んだことになり、
真名本でも「壮士本所江遺爾」のように元の場所へ帰って釆た
のは男だということを強調するようになるのである。
これは、もともとは女の歌を中心とした物萬であったものか
『伊勢物語』中の一章段として組み込まれたことにより、『伊
勢物萬』の主人公である「昔男」が物語の途中で死んでしまっ
ては困るために生じた異同なのであろう(注19)。広本系諸本
が巻末近くにB段を有するのに対し、塗龍本が第」ハ段の芥川の
段の次に、真名本が第二十九段と第三十段の間に位置させてい
jのを見ても、塗籠本と真名本がB段を「昔男」の物寓に取り
込むために改変を加えたものであ富ことが想像できるのである。
また、大島為民本及び天理為家本巻宋付載の小式部内侍本部
分しか持たない異本の1段は「昔男」が登場せず、「むかし在
原行平といふ人いましかりけり女のもとに」と語られるように、
行平が主人公の章段である。この1段の例、そして先程のB段
の場合を考えると、小式部内侍本は必ずしも「昔男」が主人公
でない物語産も含んでいたらしい(注20)。そうすると、A段
もまた、本来は女が主人公の歌物帝であったのではないかと推 測されるのである。
ところで、このA段は小式部内侍本に存在していた章段なの
であろうか。
小式部内侍本の投影が指摘されている参考為家本第二部と山
田氏旧蔵本巻末付載部分には、A段は存在している。しかレ、
小式部内侍本の代表的資料である大島為氏本付載の二十四章段
及び天理為家本付載の十八草段には含まれていないのである。
大島為民本の識語には、「戎本云これよりしもはこの本に
なきをえりていて、かきつらねたるなり」と記されている。底
本を指す「この本」は、重複する章段が存在するのを見ても大島為氏本の本体部分ではあり待ないのであるが(注聖、此校
した底本にすでにA段か存在したために抽出対象から省かれた
のだという推定が可能であり、小式部内侍本にはA段か含まれ
てい.たと考えられるのである(注22)。
ー63‑
三
以上、A段の歌は女から男への贈答歌ととる方かびったりす
るのであり、元来はそうであったのではないかと述べてきた。
しかし、「昔男」を主人公とする『伊勢物寓』の中に組み込む
以上、「ふりくらし」は「昔男」の歌と見るほかないであろう。
それならば、男から女への贈答とせずに、男同士で恋歌の贈
答のように歌を詠みかわして楽しんでいるものと考えられない
であろうか。たとえば『伊勢物音』中で語られる業平と有常の
ような、男同士の風雅な交友と見たいのである。
年ころをとつれさりける人のさくらのさかりにみにきたりけれ
はあるし
あたなりとなにこそたてれ櫻花年にまれなる人もまちけり
返し
一けふこすはあすは雪とそふりなましきえすはありとも花と
みましや(第十七段)
むかしきのありつねかりいきたるにありきてをそくきけるによ
みてやりける
君により思ならひぬ世中の人はこれをやこひといふらん
返し
ならはねは世の人ことになにをかも態とはいふと、ひし我
しも
(第三十八段)
例として第十七段と第三十八段を掲げた。第三十八段は紀有
常という実名が登場するのだから当然男同士の贈答歌と考えら
れるが、第十七段は「あるじ」が男か女かで解釈が分かれてい
る。契沖が『勢萬臆断』で男説せ打ち出して以来、折口倍大氏・
竹岡正夫氏(注讐などが男同士の贈答と見た方が面白いとさ
れており、筆者もそれに従っておく。第十七段は定家本官二十五章段中、『伊勢物語』冒頭の常套
句「むかし」を持たない唯一の章段であり、その点でA段と一
致している。「むかし」を欠いているのは、それ以外の伝本を加えても塗籠本の孝一十九段と、大島為氏本及び一誠堂為相本
巻末付載の皇太后宮越複本のD段しかない。
A段と第十七段のこの共通点は興味深い。「むかし」がない
ことにより、第十七段を前の第十六段に続くものと仮に考えて
みる。第十六段は「むかしきのありつねといふ人有けり」と始
まる。妻が尼になると言っても貧しい有常には何をしてやるこ
ともできず、友人である「昔男」が夜具の類まで贈ってやった
という内容であり、業平と彼の舅である有常との交友を寄る章
段であると解されているのである。
また、紀有常の実名が登場する第三十八段には、「…のもと
へ」という意の「がり」が定家本中唯一の例として見えている
が(注聖、A段にも「あるひとの引やりし」とあった。
偶然であるかもしれないが、A段と同じく冒頭に「むかし」
を持たない第十七段、「がり」という語を含む第三十八段が紀
有常と関係する章段であるのは興味深い。『伊勢物譜』ではも
ケ一例、紀有常という実名が登場する章段があるが、それは大
島為氏本などでA段の後に続く第八十二段なのである。
四
姦伝本におけるA段の配列順序を見ると、大島為氏本・神官
文庫本・阿波国文庫本・谷森本・日大本・一誠堂為相本・泉州
本の七本ではすべて、〜77・78・79・80・81・A・82・83〜
のように、第八十一段と第八十二段の間にA段が挿入されてい
る。
文化十四年刊行の『参考伊勢物萬』に引かれる伝為家筆本は、
申院大納言卿の筆にて、黄門卿の手をへざる本を写されし
を、櫓山地斎が、われに贈りしなり。これも又、殊のほか
にたがへるなり。
と弘蜜が記しているように「殊のほかにたがへる」非定家本系
統の伝本であったらんいのだが、その後現在まで行方の知れな
い散侠本である。弘賢が冒頭に載せる為家本の段序によると、〜01・80・81・A・14・64・15〜
と、A段が第八十一段の次に置かれている点は大島為氏本など
と同じである。ところが、小式部内侍本町投影が指摘され定家
本と全ぐ異なる章段配列を示す琴一部に含まれるため、A段の
次は第八十二段ではなく第盲十四段になっている。
山田氏旧蔵本のみは、小式部内侍本によるという巻末の付載
部分で、 K・A・F・M・P
のように全くほかと異なる配列を示している。山田氏旧蔵本か
載せるA段のみ冒頭に「むかし」を有しているのであるが、そ
の点からも、山田氏旧蔵本のA段は第八十一段から切り離され
抽出されたこ.とにより、改変を受けたものであることが想像で
きるのである。
広本系の伝本における異本章段は、このA段以外、すべての
章段が物語の終わり近くに集中している。たとえば、神宮文庫
本系統は合計十の異本章段を有するかA段以外はすぺて終焉段
の第百二十五段以降に掲載されているし、やはり十の異本章段
を含みながら第盲二十五段で終わる泉州本でも、第膏段と第盲
一段の間にH段が入る以外はすペて第召十七段以降に挿入され
ているのである。このような状況を見ると、異本章段の配列におけるA段の異質性を考えざるを得ないのであ告
A段の後の第八十二段からは惟喬親王関係の章段に入るので
あり、第八十一段と第八十二段の間は適格性が弱く、他章段が
挿入される閑除があったように思われる。.それは、塗龍本が第
八十一段と第八十二段の間に第盲十四段を有していることから
もうかがわれる。塗籠本の場合は、第八十一段と第盲十四段が
「おきな」で共通し第首十四段と第八十二段が「狩り」でつな
がるという具合に、第盲十四段が挿入されている理由が説明で
きる。しかし、第八十一段とA、Aと第八十二段の間には直接
的関係がなんら認められない。
‑65‑
A段は冒頭に「むかし」が存在しない章段であり、たとえば
大島為民本では第八十一段に完全に続けて書かれている。その
上、定家本とは全く異なる配列を示す参考為家本の第二部でも
「80・81・A」との配列は一致しているのであり、第八十一段
の後に置かれる強い要因が存在するように思われるのであるが、
その理由か理解できないのである。
ただ、大島為氏本以下の七本がA段を有している第八十一・
八十二段のL前後を眺めると、二つの章段で一セットとなってい
る場合が目につく。
第七十七・七十八段は、文徳天皇の女御であった多賀幾子の
葬儀の法要が舞台であり、A段に続く第八十二・八十三段は惟
喬親王の登場する章段である。
第七十九段は、在原行平の娘で清和天皇の更衣である文子か
貞数親王を出産した際のエピソードである。そしてそれに続く
第八十段は、在慮氏をにおわせる「おとろへたる家」の男が雨
の中、藤の花を折ってある人物にそれを奉る。権門の廟庶民に
対する落塊斜陽の在原氏の追従との解釈もなされる章段である。
広本の神宮文庫本系では本文末尾にすでに、「これもおなしみ
きのおと〜そ」と藤原基経のことであると記されているのであ
る。そうすると、第七十九段と第八十呪は、在原氏のことで†
セットになっていると言えよう。、
さて、第八十一段は、左大臣源融の河原院が舞台である。十
月の禾、菊の花と紅葉の美しいころ、親王たちが集まって夜通 し遊んだ。夜が明けて河原院をたたえる歌を皆が披露したとき、「かたゐおきな」は「しはかまにいつかきにけむあさなきにつりするふねはこ〜によらなん」と詠んだのである。
この第八十一段には、二つで一セットになるペき章段が欠け
ている。そのため、第七十九段の後に雨の出て来る第八十段が
続くのに習って、雨を含むA段を持って釆たのであろうか。あ
るいは雨関係の章段で第八十一段の前後を囲んだのであろうか。
五
A段で歌に詠まれている「雨の音」という語に関しては、高
橋文二氏が、
歌育として・は王朝中末期の歌の中に散見するか、古いもの
には見えないようである。「時雨する音」などというもの
書い
(例えば『古今六帖』木部「竹」所載歌に「時雨する
音は聞けどもなよ竹のなぞ世とともに色の変.わらぬ」とある)などから、あるいは「雨声」という漢語から連想され
た青葉であるのかもしれな.い。諸橋氏の「大漢和辞典」に
も「雨音」の項はない。
と述べられている(注25)。
平安時代初期、唐詩を学んだ表現として落葉の音を雨の音にたとえる技法が広く好まれていた(注26)。漢詩文の例には、
寒撃落葉簾前雨
(『文筆秀麗集』巻下滋野貞主「奉レ和レ寧一落葉こ)
成レ両案磐胤・
(『纏国集』巻十三丹治此文雄「奉レ試賦二秋興こ)
(注27)
などがあり、和歌の例としては『寛平御時后宮歌合』■の、
真の夜のまつばもそよと吹く風はいづれか雨の声にかはれ
る
(夏歌二十番こハ四)
秋の夜のあめときこえて降りつるは夙に散りつる紅葉なり
けり
(秋歌二十番・九五)
などがあげられる。「真の夜の」の歌は『新凍万葉集』巻下・
夏歌(三一七)にもとられているが、
真之夜之松葉牟曾与丹吹風者
五十人達顛司血計丹
殊成
のように、「雨之音」と記されているのである(注錆)。
「古いものには見えないようである」と言われる「雨の音」
であ嵐か、このような漢詩の技法の影響下に生まれた青葉だと
考えることかできるのである。
A段の前に置かれる第八十一段は、「神な月のつごもりがた、
菊の花うつろひさかりなるに、もみぢのちぐさに見ゆるをり」
と設定されている章段である。その季節から連想される落葉を、
雨にたとえる技巧により第八十一段に付されたのがA段だと▼は
考えられないだろうか。 異本章段には、同じく風と雨.を心の喩として詠んでいるF段
がある。
むかしありけるいろこのみなりける女あきかたになりにけ
るぁとこのもとに
いまはとて我にしくれのふりゆけはことの葉さへそう
つろひにける
かへりこと
ひとをおもふ心の花にあらはこそかせのまにまにちり
もみたれめ(泉州本)
雨と風、そして木の葉の関連はこのF段からもうかかわれる
以上、『伊勢物葡』の異本章段Aに関して考察を加えて一きた。
付加的な章段と見なされて無視されがちな異本章段であるが、
初冠本『伊勢物帝』からはみ出る章段の存在など、その検討は
『伊勢物萬』の成立と成長の過程を考える上で有効なヒントを
与えてくれると思われるのである。
しかし、本稿はあぐまでも解釈の一つの可能性を示したに過
ぎない。偏った考え方をしている部分も少なくないと思われるD
大方の御教示を仰ぎたい。
‑67‑
(注)
(1)藤原清輔『褒章子』上巻。佐佐木僧綱氏『日本歌学大
系』第二巻(風間書房昭31)三一夏。
(2)顕昭『古今集注』巻十一・恋一(四七大・四七七)。
久曽神昇氏『日本歌学大系』別巻四(風間書房
昭55)
二四九貢。
(3)池田亀鑑氏『伊勢物語に就きての研究〔校本篇〕』
(大岡山書店昭8)。昭和33年、有精豊から再刊。
(4)関良一氏「伊勢物帝散快音本管見」(『山形大学紀要
〔人文科学〕』第三号昭26・3)
(5)大津有丁農島裕両氏『伊勢物語』(日本古典文学大
系9
岩波書店
昭32)
(6)大津有一氏編『伊勢物帝に就きての研究〔補遺・索引・
囲録篇〕』(有精堂昭36)。〔校本補遺篇〕は福井貞
助氏の担当。
(7)中田武司氏『泉州本伊勢物語の研究』(白帯社
昭43)
(8)福井貞助氏『伊勢物萬』(日本古典文学全集8
小学 館 昭47)
(9)中野幸一氏『伊勢物寓』(対訳古典シリーズ旺文社
平2)
(10)
片桐洋一氏「伊勢物帝の成長と構造1参考伊勢物萬
所引為家本をめぐって1」(『国語国文』第二十七巻
第十二号第二盲九十二号昭33・l・2)、山田清市氏 「伊勢物寓小式部内侍本の成立について」(『平安朝文
学研究』第七号昭37・l)など。
(H)『伊勢物薔に就きての研究〔補遺篇〕』刊行後、日本
大学総合図書館蔵本が柳田息則氏によって紹介されてい
る。「伊勢物語異本に関する一考察‑日本大学総合図
書館蔵神宮文庫本系統伊勢物萬について‑」(『萬文』
第三十四輯昭46・3)。
(12)
屋代弘贅校訂『参考伊勢物語』(岩波文庫昭3) (13)
高橋文二氏「定家本以外の章段・伊勢物寓の鑑賞14」
(一冊の講座『伊勢物萬』日本の古典文学2有精堂
昭58) (14)
萩谷朴氏『枕草子上』(新潮日本古典集成11
新潮 社
昭52)。なお、能因本と前田家本では「雨の音」で
はなく「雨のあし」である。
(15)
藤岡忠美氏『和泉式部日記』(日本古典文学全集18
小学館
昭46) (16)
高橋正治氏『大和物萬』(日本古典文学全集8
小学 館
昭47) (17)
和歌の引用は『新編国歌大観』による。以下同じ。
(18)
顕昭『袖中抄』第十「野中のしみづ」の項の「せがゐ
のし水」。久曽神昇氏『日本歌学大系』別巻二(風間書
房 昭33)
〓ハ七貢。
(19)
片桐洋一氏「伊勢物育と汎伊勢物萬」(『専修大学図
書館蔵古典籍影印叢刊刊行会会報』第三号由54・10)
内田美由紀氏「願昭『古今集注』所引の伊勢物帝本文に
っいて」(『百舌鳥国文』第九号平1・10)で指摘さ
れている。
(20)
(往19)参照。
(聖
片桐洋一氏『伊勢物語の研究〔研究編〕』(明治書院昭43)第七篇第一章「平安時代の伊勢物語」など。
(22)
渡辺泰弘氏か復元を試みられた小式部内侍本にA段は
含まれている。「伊勢物語小式部内侍本考‑その形態
と成立に関する試論I」(『武蔵大学人文学会雑誌』
十四巻一号昭57・10)参照。
(讐
折口倍夫氏『伊勢物語』(折口億夫全集ノート編13
中央公論社昭45)、竹岡正夫氏『伊勢物寄金評釈』
(右文書院曙62)など。
(讐
ただ、第三十八段の「きのありつお引いきたるに」
の部分か、大島為民本や神宮文庫本系統、塗寵本、真名
本、参考為家本では「きのありつねものにいきて」となっていて、肝心の「かり」という薄か含まれていないロ
(25)
(注13)に同じ。
(26)
小島意之氏言今集以前』
(塙選書糾塙書房昭51)
第四章。
(㌘
『文筆秀麗集』(『覇書類従』文筆部巻首二十四)、
『経国集』(『群書類従』文筆部巻盲二十五)。 (錆)『万葉集』でも、「音」は多く「こゑ」と読まれて小
る。
〔早稲田大学大学院生・一九八八年三片卒業〕
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