奈良教育大学学術リポジトリNEAR
文学視について ― 文学教育の現代的課題(2)
―
著者 横田 利平
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 5
ページ 85‑95
発行年 1969‑02‑28
URL http://hdl.handle.net/10105/6176
文 学 祝 に つ い て
文学教育の現代的課題12)
横 田 利 平
文学拾よび文学教育に蜘けるコトバの問題に移る前に,前章の終りの方でわたくしが使った用語
「文学椥の現代的意味と性格について,一歩立ち入って触れて倉きたい。
ω 「イ1/ドではすべてがあからさまだ。すべてが呈示され,すべてが人に,それに『直面する』
ことを強いる。生も死も,そしてあの有名在貧困も。最初に訪れた都市ボンベイは,美しい町だっ た。その汚らしさも含めて,言うに言われず美しいのである。街路のどこを区切っても,そのまま 絵に在る。昔,英国女王や総督がここから上陸してインドに入った壮麗な海門がホテ1レのすぐ前に 見えるが泥色に笹立ったアラブ海の中で,倦総のその凱旋門風の門のまわりに,さまざまの色 のサリーの女,頭に荷を負った女,漆黒の乞食白衣の水兵たちが,色彩のゆたかな一クプロオを 作り上げる。私が『絵』というのは,そればかりではない。ニューヨークの街路の人たちば,ただ 立って歩いているだけ旭しかし・ここでは・人々はただ立って歩いているのでぱない。歩く者・
立止る者パしゃがんでいる者,寝ている老,バナナを食べている者,とびはねる子供,高い台の上 に座っている老人,これに白い聖牛がカロわり,犬が加わり,鳥籠の憂萌が加わり,蝿が加わり,緑 濃い木々が加わり,赤い攻一バンや美しいサリーが加わる。加わって,動いて,渾然として,一瞬 一瞬に完成して又移り変る『生』の絵を描くことに力を合わせている。ともすると,『生』という もののもっとも可視的在定義は,そこにフレームを与えて,ただちに絵に在るもの,ということに 尽きるかもしれない。絵にならないものは,いわば本当に生きてい凌いの旭 (中略)ボンベイで 見たインド舞踊の一人の娘浸とは,そのまま日本へ遠れて帰りたいようで,私はゲエテの『東方詩 集』の掃情を思い出した。サ11一からあらわれた長い細いエレガソな腕の美しさ,一瞬の手足の動 きは逆行した瞳の動きの一まばゆさ,一歩の前進の間に,いそいで首を横へ向けて戻す余計在動きが ぱさまれると,その肢体は,厳密な規制と蝶の気まぐれとを,刹那のうちに同時に呈示する。 (中 略)犠牲台の着欝にはさまれて悲しみの叫びをあげる、」、牡羊,_理の下に切り落される首,__
そこには,本来人間が直面すべきもので,近代生活が厚い衛生的な仮面の下に隠してしまった,人 間性の真紅の真相がのぞいている。私はこの国の仏教の衰滅を思うごとに,洗練されて,哲学的に 体系化されて,普遍性を獲得した宗教というものが,その土地の『自然』の根源的な力から見離さ れてゆくという法則を思わずにはいられなかった。(後略)」
これは,作家三島由紀夫が昭和42年10月23日付の毎日新聞(大阪)夕刊に寄稿したrイン ド通信」の一部を抜奉したもので,紀行文のたぐいの文章であるが,単なる行きずりの旅行考とし てのイつの中にも,この作家の麿き上げられた「文学視」ぱ見るものをすべて明確庄イメージと して捉え,それに更に知的照明をあてながら一層鮮明在映像として浮び上らせ,一種金属的な密度 の高い文体と相まって,インド捨よびインド入の本質的断面を表現することに成功しているのであ
る。
(2j 「………地域的に東から西まで,この細長い寝そべった列島にあって,彼らの文化の地域的に
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純粋単一な分布圏の拡大は在せであろうか。これこそ彼らの生活が,すなわち道であったからであ る…一・・同一尖底鉢の文化でありながら,東西に交流するいろいろの紋様の土器の要素が,わずか 二,三尺の層位のなかに混然と埋もれているのは,流れていく彼らの文化の,漂泊の泊として選ば れた一つの地点としか考えられないだろうパー一一形式の土器が遠く播布されると同時に,いろ いろの形式の±器は,その泊り泊りにおいて時聞的にいれかわって交流したのだろう。その点,そ の泊たる遺跡は小さく,しかも点々と連なり,それはそのまま彼らの漂泊の道でもある。この『何 くら はこ
でも峻う人々』は同時に『土器を搬ぶ人々』であり,また国土は拾さ在くして,水沢はひろく処女 林は深く,彼らのために残された可能なる漂泊路は内海の島々や,深い原始林の緑の海辺丘陵端で あり,また深林と山頂との間に横たわるわずか在草原,峠,谷頭にすぎなかったのである。平野や 深林地帯が,彼らと問近いものになるのぱ,さらに彼らがいくどか原始の衣をぬぎすてて,これと 闘いうるにいたった後のことである。とまれ『土器を搬ぶ人々』の道は,われわれの生活からは遥 かに遠い,ちょうど獣たちの通りつづけた『かもしかみち』の継承であり,またこれを追うための 道でもあった。やがてそれも上下にぱりめぐらされて,道ば住居を連絡するものとなるであろうが われわれの知りうる最古の道は,このように獣たちのそれにひとしく,道ば住居であり,同時に住 すみか
屠は道路であったのである。みちは縦横にある。別れでは合し,もつれてぱからみあい,人の穣の ところのかぎりの地の果てまで,網の目のようにぱりめぐらされている。そして,人々と文物は,
そのうえを時間にのって無限に流れていく。そうした久しいわれわれの祖先の頃から流れ去って,
いまぱむなしいあらゆる文物,これを左もうと,その幻想のあやしさぱただ狂わんばかりである。
・・やがて生活の道は,ところどころにたまりを形成し,そのたまりぱ,ついで住居と在り集落 となって,多少はあれ生活の安定をみるにいたり,みちは初めて固定して集落間をつなぎ,泉へあ るいぱ猟場へと,みずからのうちに踏みかためられてゆくのである。それはあたかも,日本に拾い では縄文式文化の一応確立する前。中期においてのことであると拾もわれる。・・……・山野を戯渉す
るのに,まずもっとも容易在歩き方ば同じ腰高をたどることであろう。しかも,この文化の第二階 程においては,森林帯と草原帯との間の帯にこれが慣用され,それは同時に狩猟採集生活のもっと
も好ましい拠点であり,みちぱ集落を育て,集落ぱみちをつくり,かくして日本の道の第二期の方 向がいろいろな制約をうけ在がらも発展していくのである。この単純な法則が全国的に破れて,横 の流れに交わる縦の流れの加わるとき,これば,一つの遥かに高さを越えて彼方へと,はじめて意 識されて個性づけられた峠と在り,一つぱいままで荘然としてとらえがたかった平野への道ともな るので,それはわれわれの間で,末期縄文文化と唱えられる時期に桧こる事がらと思われるのであ
る。」
これば,考古学者藤森栄一氏の名著「かもしかみち」の中からところどころを抜華し,別行にす べきところもつづけて引用したものであるが,研究論文とは違って,学問的研究成果を基礎にふIま えて書かれたエッセイ的文章である。考古学的発掘による部分的,むしろ断片的な資料をもとにし て,白本列島に拾けるわれわれの祖先の原始の人々の生.活と文化の発展の歴史が,その軌跡ともい うべき「道」の形成されて行くさ まをさながら眼前に見る如く見事に描き出すことによって語られ ている名文であるが,この文章を真に名文たらしめているところのものこそ,わたくしのいうとこ ろの「文学祝」であって,ここでわたくしが特に強調しておきたいことは,著者の鋭い「文学祝」
がこのようにすぐれた名文章を生んだということ以上に,このような「文学視」が著者の考古学者
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としての研究活動を豊かに幅広いものにするとともに研究の道先案内としてどれほど大き在役割を 演じたか測り知れないものがあるに違いないということであ&
(3〕 「夜明け まえの暗闇に眼ざめながら,熱い『期待』の感覚をもとめて,辛い夢の気分の残って いる意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウィスキーの存在感のように,熱い
『期待』の感覚が確実に体の内奥に回復してきているのを,拾ちつかぬ気持で望んでいる手さぐり は,いつIまでもむなしいまま魅力をうしなった指を閉じる。そして,体のあらゆる場所で,肉と 骨のそれぞれの重みが区別して自覚され,しかもその自覚が鈍い痛みにかわってゆくのを,明るみ にむかっていやいやながらあとずさりに進んでゆく意識が認め&そのような,体の各部分に拾い て鈍く痛み,連続性の感じられない重い肉体を,僕自身があきらめの感情に拾いて再び引きうける。
それがいったいどのようなものの,どのようなときの姿勢であるか思いだすことを,あきらかに自 分の望まない,そういう姿勢で,手足をねじ咳げて僕ば眠っていたのである。
眠ざめるたびに,うしなわれた熱い『期待』の感覚をさがしもとめる。欠落感ではなく,それ自 体が積極的な実体たる熱い『期待』の感覚。見つけることができないと納得すると,あらためて再 度の眠りへの斜面に自分を誘導しようとする,眠れ,眠れ,世界は存在しない。しかし今朝は,い かにも強い毒が体のなか全体を痛くして眠りへの渤行を妨たける。恐怖心が噴出しようとする。陽 がのぼるまで一時間はあるだろう。それまでは今日がどのような日であるかを把握でき庄い。胎児 のように,一なにもわからないで暗闇のうちに横たわっている。かつてぱそのような時・性的な悪習 が便利たつ旭しかし二十七才,既婚,養護施設にいれた子供までいる現在では,手淫をする自分
を考えると恥かしさが湧き拾こってたちまち欲望の胚子をひねりつぶす。眠れ,眠れ■それができ なければ眠った人間を模倣せよ。不意に暗闇のうちに,昨日人夫たちが浄化槽をつくるために掘っ た直方体の穴ぼこが見えてくる。痛む体のなかでは荒廃した苦い毒が増殖して・耳と眼・鼻・口,
虹門 尿道から,チュτブ入りのゼリーのようにゆるゆるぱみだそうとしている。」
これは,日本の現代文学を代表する前衛的旗手の一人,大江健三郎の小説「万延元年のフットボ ーレ」の冒頭の部分である。作者の想像力に富んだr文学視」が現代青年の内面意識を.現実の壁に 衝撃させることによって造形した詰屈で苦渋に充ちた現代的イメージの文章であるといえよう。一
口に要約すれば,安保闘争後の表面的には一応の安定を保っている大衆社会化状況下にある現実の 暗闇の中に捕われびととして幽閉され進むべき方向を見失いながらも,そこからの脱出に身構えて いる姿勢に拾ける青春像を見事にイメージ化したものである。小説の主人公である「僕」す在わち 根所蜜三郎は右眼の視力を失っている。「右眼がそのようになった事情の奥底にひそむものを僕は いつ理解できるだろう? それは駅らしく無意味主事故である。ある朝,僕が街を歩いていると,
伝えと怒りのパニックに拾ちいった小学生の一団が石礫を投げてきれ僕は片眼を撃たれて舗道に 倒れたまま,この事故についてなにひとつ理解することがなかった。僕の右眼は,白眼の部分から 黒眼の部分にまたがって横に裂け,視力をうしなった。現在にいたるまで,あの事故の本当の意味 を理解したと感じたことはない」という「僕」ぱ,必然的に,健全右左眼ていっ何時またあの厭ら しく無意味な石礫が飛んでくるかも知れない「荒あらしさのみがむきだし」の外部世界としての現 実をみつめ,今一方の充血した暗闇に開いた失明の右眼で,「自分の内部の夜の森」の荒涼たる風 景に向って「斥候」のように見張りをするのである。この同時に外と内に見開いた「眼」こそ,現 代文学に拾ける最も大き庄課題の一つであるイメージと想像力の問題を解く鍵であり,鮮烈で現代
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的なイメージに充ちた大江健三郎の文学の創造的からくりの核心をなすものであると言えよう。
以上わたくしは紀行文と平ツセイと小説のジャン レから三2の文章を引用することによって,わ たくしのいう「文学視」の現代的典型を示そうとしたのであるが,主として小・中学校に拾ける文 学教育を論ずるこの文章の中で(3〕の如き引用は不適当ではないかという非難があるかも知れないの で,一言すれば,少くとも高等学校の段階に拾いでは,これくらいの文章や作品が理解され得るよ
う在「文学視」を育て上げたい,というのが,わたくしの文学教育のプログラムなのである。
「文学視」ぱ,以上によってもわかるように,「見えるもの」と対話する眼であると同時に,Iま た「見えないもの」と対話する眼でもある。わたくしぱ前章に拾いて,「文学とは日常の利害や打 算に汚されない純粋でハダカの人問の眼で人間性と現実(人生)の普遍性とリアリティを探求」す るものであると書いたが,更に「習慣に汚されない眼で」ということも書き加えるぺきだったと思 っている。われわれの眼は,日常開いているようでも案外物を「視」てぱいないのでぱないか。
たとえば日常使っている自分の机や椅子を本当の意味で視ているだろうか。朝出勤して自分の席に 近づく。自分の見馴れた机と椅子がある。たしかに見えてはいる。しかし眼に映るカ峡らない間に
「ああ自分の机と椅子だ」と,習慣と記憶にもたれかかって判断しているだけで,机そのもの,椅 子そのものを「祝」ることば余りしてい在いのでぱない加それとは反対に,日常のそうした習慣 性をすてて,椅子浸らその一つの椅子そのものをみつめ,その視覚をどこまでも徹底させて二次元 の平面に収まるように椅子の視覚像を純粋につきつめた時に,椅子の絵画が生まれる。ゴッホのあ の強烈左個性的な眼で凝視された椅子の絵をみていると,絵をみるわれわれ自身が逆にゴッホの強 烈な眼でみつめられているような気がしてくるのは,その絵が純粋な芸術視の所産であるからであ
る。それぱべ レグソンのいう「純粋知覚」の所産であるからである。
(4〕苑のなかわれの知り・をる鹿ひとつこの鹿も角を伐られてみじめ 前 川 佐美雄
この歌をよんで、少しオーバーな言い方をすれば,わたくしぱ樗然としたのである。わたくしも 奈良へ通いぱじめてすでに二十年を越え・奈良公園の鹿ば殆んど毎日といっていいくらい見ている ぱずであるが,曾て「白ちゃん」と愛称された,額のところに白い冠毛のある鹿を除けば,見覚え のある鹿在ど現在に至るまで一頭もい庄いのである。ところが,すぐれた「図形認識力」の持主と いうか,鋭どい「文学視」でつねに対象をみすえているこの歌の作者にはちゃんと凌じみの鹿の顔 がわかるのであって,そうした鋭どい「文学視」によってみつめられることによって,初めて次の
ようなすぐれた鹿の歌が生 まれるのである。
(51浅き水をすすぎ風さと走るさ 、拾どろきやすく鹿の子のゐる 前川佐美雄
Iまた,こんな歌がある。
㈹白きシ.ツに黒き二つの眼が澄みてしずかに人の瞬きをする 四賀光子
四貨光子は歌人太田水穂の未亡人であった。この歌ば臨終近い病床の夫を春とっているときの歌 である。今作者に見えているのは,真っ白いシーツと,その上に仰向いて並んでいる二つの瞳だけ である。その瞳ぱrつくづくと蟻見つめてわが来つるひとみと思ふこの黒き国とも詠まれてい るように,半世紀にわたって生活を共にして来た夫のものであり,それは同時に妻である作者の全 生命と全人生にも相当するものである。その二つの黒い瞳が,やがて「生」から,そして分身であ
る自分から別れようとしつつ「人間の またたき」をするのを作者は発見する。このとき,作者は,
人間としてのハダカの眼で臨終の夫の「二つの劇そのものを真に「祝」ているのである。瞳たけ
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を「視」ているのである。だからこそ,その黒い二つの瞳が白いシーツの上でまたたくのをみて,
rああ人間のまたたきをする」と深い感動に襲われるのだ。普通の常識で言えば,人間である夫の 眼が人間のまたたきをするのぱあたり前すぎる事柄である。しかしそれは,日常的には真に視てい るというよりぱ,見たと拾もってすましているのである。今は作者は一人の人間の全生命をこの一 点に凝集するようにして「純粋知覚」のハダカの眼でみつめている。それはシーツの「白」の上の 異様な二つの「黒」の丸いものである。それが「ハチ,ハチ」と動く。「ああ人間のまたたきをす る!」死のうとしてい・る夫の瞳なのである。この時の作者の視線こそ,わたくしのいう真のr文学 視」である。
は
(7〕亡き吾子にかかぱる会話危ふくて妻は林檎に光る刃をあつ 木 摂 修
これば愛児を亡くして間もないころの歌である。悲歎に神経をたかぶらせている夫婦。避けよう と努めていながらも,二人きりになるとつい触れてしまう亡児のこと。話し合いながら,林檎の皮 をむいている妻の手の果物ナイフの光るのをみて,夫である作者は一瞬「危うさ」一妻が自ら傷 つけぱしまいかという風な一を尖った神経で反射的に感じて怖れているのである。
(8〕視覚を少しずらしてみれぱこの山もつまらぬ線をもちて傾斜す 斉 藤 史
この歌の視線は,先の二つの歌の深刻左それとは違って,悪戯っぽい,皮肉柱視線である。この 悪戯っぽさは,作者と現実との間に存するあの種の「違和感」から由来している。今流行のことば で言えば,・疎外された人間の立場からみた自然観である。こ磁護ぼさが更に昂じて深刻化する
と,現実否定となり,現実批判の視線とな&
はし
19)その位置に礫かれてゐるぱ我にしてたちまちくろし貨車疾走りすぐ 斉 藤 史
。⑪車輔の下に仲されし皮の手袋がえたい知れざる次元を指せり 〃 ω 神官,警官ともに町湯の螢光にシャツ脱ぐと両手ささげし俘囚 塚 本邦 雄
⑫硝子の儀に棲めぱみじかき壮年のわれらがシャツの藍のたてじ ま 〃
㈱ テレヴイ。ア;/ナナ病める林に菊りは満ち六月の黄色自治領 ・ o④人無き埠頭にて極地への脱出の荷の中の周りやまざるミシン 4
(4)〜(7ゆ歌と,(8)と,(9〕〜ωの歌の三つのグIレーブの間には,作者の「文学視」の質に拾いて云 い換えれば,作者(主体)との対象(現実)との関わり合い方に,微妙な,そしてある意味てば明 確在推移と変化が見られる。これらの歌の今一つ前にいわゆる写生短歌と称されるリアリズムを加 えて置きならべ,その展開をやや図式的に要約してみると,ω対象(現実)それ自体への素朴実在 論的な信仰の上に立つ立場から,121芸術家にとって大切なのは,対象そのもの,物それ自体てば注
く,それが作者の眼に映じるところのものである,とする近代芸術観の出発点を在す立場(31それ が定着し徹底した「仮象」性への関心と興味,ωそこから更に進んで現実否定の上に立つ虚構性 と虚像への指向一といった「文学椥の変質と展開がみられる。そしてこれは正に,日本の現代 文学の展開の道すじとも一致しているのである。
「特別急行列車は満員のまま全速力で駈けてみた。沿線の小駅は小石のやうに黙殺された。」
(「頭ならびに腹」…傍点は筆者。)
この上記似21に相当する新感覚派の闘将横光利一の三行の文章は,日本の現代文学に拾けるr文 学視」の革命ともいうべき衝撃を与えたのである。西洋美術の印象主義の影響と刺戟の下に生れた 新感覚派文学は,印象主義と同様,物それ自体よりも主観の眼に映じる映像を重んじる点に拾いて
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現実否定とまでは行かないが,ある種の懐疑主義のかげりをその表現の衣裳のはなやかさのかげに 内包していた。横光の僚友であり,新感覚派の今一人の代表作家であった川端康成は,出発当初は 横光ほどのぱなぱなしさは左かったが,物自体よりも自分の感覚への信仰を徹底的につきつめて感 覚世界をそのままに精神の高さにまで昇華し得た稀有の作家として大成するに至ったのであるが,現 実(人生)の「仮象」世への執拗なまでの彼の偏向と追求は,彼の人生観の底を流れるニヒリズム
と新感覚派そのものが本来的に内包していた認識論的懐疑主義のかげりと,そして更に日本文学の 伝統を貫流する「もののあわれ」...(無常感)の精神とをこん然一体化することによって,人生の哀 歓を美しく歌い上げる独自の川端文学を確立させたのである。川端文学の「仮象」への指向性は,
夜行列軍の窓硝子に写る映像をみつめる名作「雪国」の序章の部分に,象徴的に表現されている。
「国境の長いトンネ レを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
同側の座席から娘が立って来て,島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。(中略)
もう三時問も前のこと,島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めでは,結局 この指だけが,これから会ひに行く女をなま在 ましく覚えてみる,はっきり思ひ出そうとあせれぱ あせるほど,つかみどころなくぼやけてゆく言己i意の頼りなさのうちに,この指だけは女の触覚で今 も濡れてゐて,自分を遠くの女へ引き寄せるかのやうだと,不思議に思ひ在がら,鼻につけて匂ひ を嗅いでみたりしてゐたが,ふとその指で窓ガラスに線を引くと,そこに女の片眼がはっきり浮き 出たのだった。彼ば驚いて声をあけさうになった。しかしそれは彼が心を遠くへやってゐたからの ことで・気がついてみればなんてもない・同側の座席の女が写ったのだった外は夕闇が拾りてゐ るし,汽車のなかば明りがついてゐる日それで窓ガラスが鏡になる。けれどもスチイムの温みでガ
ラニ糾二ぶら姑敏叙七携ぶら,駄舳去七托銚垂か二足ゐ走二走。
娘の片眼だけは覚で異様に美しかったものの,島村は顔を窓に寄せると,夕景色見たさという 風在旅愁顔を1裁つくりして,掌でガラスをこすった
娘ば胸をこころもち傾けて,前に横たぱった男を一心に見下してみた。肩に力が入ってゐるとこ ろから,少しいかつい眼磁毫さへしかほどの真剣さのしるしだと知れた。男は窓の方を枕にし て,娘の横へ折り曲げた足をめげてゐた。三等車である。島村の真横ではなく,一つ前の同側の座 席だったから,横寝してみる男の顔は耳のあたりまでしか鏡に写らなかった。
娘は島村とちゃうど斜めに向ひ合ってゐることになるので,ちかにだって見られるのだが,彼女 等が汽車に乗り込んだ時,なにか涼しく刺すやうな娘の美しさに驚いて目を伏せる途端,娘の手を 固くつかんだ男の青黄色い手が見えたものだから,島村は二度とそっちを向いでは悪いやうな気が
してゐたのだ った。
鏡の中の男の顔色は,ただもう娘の胸のあたりを見てゐるゆゑに安らかだという風に落ちついて ゐ旭弱い体力が弱いながらに甘い調和を漂ばせてゐた。襟巻を枕に敷き,それを鼻の一下にひっか けて口をぴったり覆ひ,そ棚・らまた上になった頬を包んで,一種の頼かむりのやうな工合だが,ゆ
るんで来たり,鼻にかぶさって来たりする。男が目を動かすか動かさぬうちに,娘はやさしい手つ きで直してやってゐた。見でみる島村がいら立って来るほど幾度もその同じことを,二人は無心に 繰り返してみた。また,男の足をつつんだ外套の裾が時々開いて垂れ下る。それも娘ば直ぐ気がつ いて直してやってゐた。これらがまことに自然であった。とあ÷ろたし七壷睡と∴ふ込と去志え差
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ぶら,土入a巣し差〜差〜ぺ合そ毛ああ曇あ÷らだ恵注九も云と走二も毛札ふゑ島舟吐姦しふを 見てゐるといふつらさぱなくて,夢のからくりを眺めてゐるやうな思びだった。
ネ恵義差歯あ失ふみど二足二走姑七毛砧ら。
轟と産たな参会もふ涜λそあ七,ら去らξ乞毛6と毒手壷二易㍉ 映由と土童毒じる÷らだ歯〜ゐ 走二走。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しふ毛大曲ム姦出とぽふ差き七,風
如壬姑あ幻姑差涜λそ,抽土らふ紬紬去ふらとと紬らふ哀壷と缶鼻垂癌らそふ走。象 た如鮎走走去ふ曲山ゐハし火ふと毛二毛献 壬,島紬差え以ポ法しき脇拙え
へたほどだった⊃
なごり
遥かの山の空はまだ夕焼の名残の色がほのかだったから,窓ガラス越しに見る周、景は遠くの方ま でものの形が消えてばゐなかっ旭 しかし色はもう失ぱれてしまってゐて・どこ咳で行っても平凡 嫡山の姿が尚更平凡に見え,なにものも鮭って注意を姦きゃうが左いゆゑに,反ってたにかぼ
うっと大きい感情の流れであった。無論それは娘の顔をそのなかに浮べてゐたからである。姿が写 る部分だけは窓の外が見え庄いけれども,娘の輪郭のまぱりを絶えず夕景色が動いているので,娘 の顔も透明のやうに感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは,顔の裏を流れてやまぬ夕景色 が顔の表を通るかのやうに錯覚されて,見極める時がつかめないのだった・
汽車の左かもさほど明るくぱなし,普通の鏡のやうに強くはなかった。反射がなかった。だから 見入ってゐるうちに,鏡のあることをだんだん忘れてしまって・夕景色の流れのなかに娘が浮んで ゐるやうに思ばれて来た。
き沁ふ島,壷去あ姦あ去春起毛し人ふとぺ走6走二走、どる島あ細紬念あ麻紅毛し入
壬糾壷鉦差ふ二足。業し^映鮎糺れ差谷二毛。ま;しそ業し姑壷如如差ふ 去就そ姑と走;走。しふし疲如姑遇轟ふ易÷ら差ととaし去去二も駄〜如央七
ふ;走。ふき∴由る壬ほら去壱らニニ由乏〜し失ふら,ら垂ら症あ由と入三ふ量去;走轟由,壷女 の眼ば夕闇の波間に浮ぶ,妖しく美しい夜光虫であった。
こんな風に見られてゐることを,1 葉子は気づくぱずがなかった。彼女はただ病人に心を奪はれて ゐたが,たとへ島村の方へ振り向いたところで,窓ガラスに写る自分の姿ば見えず,窓の外を眺め
る男など目にも止まらなかっただろう。
島村が葉子を長い間盗見しをがら,彼女に悪いといふことを忘れてゐたのは,夕景色の鏡の非現 実な力にとらへられてゐたからだったら㌔ (中略)
その1言号所を通るころぱ,もう窓はただ闇てあっ地向うに風景の流れが消えると,鏡の魅力も 失はれてしまった。葉子の美しい顔はやはり写ってゐたけれども,その温かいしぐさにかかはらず ぬぐ
島村は彼女のうちになにか澄んだ冷たさを新しく見つけて,鏡の曇って来るのを拭はうともし左か
った。
と〜二ろがそれから半時間ばかり後に,葉子達も思ひがけなく島村と同じ駅に下りたので,彼はま たなにか起るかと自分にかかぱりがあるかのやうに振り返っ走が,プラット・フォウムの寒さに触
二軸二
れると,急に汽車のなかの非礼が恥じくなって,後も見ずに機関車の前を渡った。
男が葉子の肩につか まって線路へ下りようとした時に,こちらから駅員が手を上げて止めた。
やがて闇から現はれて来た貨物列車が二人の姿を隠した。」 (傍点は筆者。)
「雪国」の文章を長長と引用したのは,ガラヌに写る「仮像」への川端康成の異常圧 までの執心 ぶりを示すとともに,人間の「眼」に映ずるもの,見られているものは,それがすでに「もの」そ のものではなく,「もの」の「仮象」であるとすれば,ガラス(鏡)に写る「もの」の映像ぱr仮 象の仮象」であり,このいわば「仮象の仮象」と「仮象」とを重層的に二重写しに,あるいは絢い
ませることによって,一種妖しい現実感をもった美的世界を構築する川端文学の精随を示さんがた めであった。人間も,この世の現実も,つまり人生そのものが無常の流れに写る「仮象」に過ぎ ぬことを,観念的にでぱ在く,純粋感覚を通しでわれわれの前に現前せしめる川端文学の根底を流 れるものぱ,やはりニヒリズムとしか云いようのないものである。この川端文学のニヒリズムは何 に由来しているものなのであろうか。わたくしぱ先に,新感覚派文学がそれ自らの中に内包してい る懐疑主義のことを云ったが1この懐疑主義は新感覚派という一つの文学流派の表現そのものの中 に内包されているものでぱあるが・それと同時に・r漠然たる不安」を抱いて芥川龍之介が自殺に 追いつめられた大正末年から昭和初頭にかけて日本の特に知識層を包んでいた「時代の不安」と無 縁のものでは決してなかったぱずである。芥川が自殺したのは昭和二年七月二十四日未明であるが この報を駅のプラットフォームで知った川端ぱぱげしいショックのために卒倒したという伝説があ る。川端の初期の名作「伊豆の踊子」が発表されたのは大正十五年(昭和元年)のr文芸時代」の 二月号と三月号であるが,「雪国」が完成したのは昭和二十二年である。その間に二十年の歳月が 流れてい銚初期作品「春ば馬車に乗って」から「機械」如よび「上海」へと「時代」への敏感さ を作品の上に示して行った横光にくらべると,川端はむしろ消極的であったが,彼の関心は「時 代」の動きにあるより,も,当初好むと好まざるとに関わらず彼の文学精神をゆさぶった「不安」を,
むしろ「時代」性の枠を超えて,人間性そのもの,人生そのものの永遠相にまで昇華せしめること にあったと思われ,「雪国」以後の「千羽鶴」「山の音」「古都」などの一連の名作はそのことを ある面てば証ししているといえる。それは正しくノーべ1レ賞に輝く川端文学の「達成」でぱあるが
しかし,その反面,川端文学を象徴する現実の仮象を写す夜行列車の窓ガラスの向う側てば,この 二十年の間にめまぐるしく現実は動いたのであり,川端文学の鏡には,もはや現代の現実を写し切 れないような断絶の深淵が大きく彼と現実とを引き裂いて下っていることも蔽うことのできない今 日的事実である。「川端文学には思想がない」などと云われるのはこの点にも関連している事柄で あって,(わたくし自身は川端文学に「思想」がないとは決して考えてはいないが)現代の疎外さ れた人間と現実との間に横たわる深淵に橋を架け,積極的な生の方向を見失った現代人を明日べっ き動かしてくれるようなアクチュアリティを求めている現代性の視野の中てば,それは明かに川端 文学の「限界」性を示すものであると云わなけれぱならなし(。この架橋の役割は,少くともそれへ
の意欲は,「文学視」の発展過程の上でこれを捉らえるとすれば,戦後,想像力によるイメージ派 としてぱなぱなしく登場して来た大江健三郎野間宏,埴谷雄高,安部公房らを待たねぱならなか ったのである。もっともこれらイメージ派の目標は,川端の仮象文学よりも一歩以前の日本文学を 代表する志賀直哉のリ了リズム,す在わち「私小説」的自我世界の殻を突き破ることにあったので (註1)
あるが文学方法と「文学視」の発展の流れの上では,その間に,川端文学の仮象の次元性と,こ
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こでぱ紙数の余裕がないので省略を余儀庄くされた堀辰雄の新心理主義の「鏡」に写る意識の流れ への内面視とが,イメージ文学開花のための中間項的役割を果たしていることも見逃がし得ない事 実である。すなわち,「文学視」に拾ける「仮象」から「虚像」へ,「感覚」から「意識」へ,
「懐疑」から「否定」への変質と,飛躍と,価値転換とを,われわれは見据えなけれぱならないの である。
現代文学を特徴づける想像力によるイメージの「文学視」の性格を明かにするために,わたくし ぱまずピカソの絵画を例にとって説明したい。特にイメージの「虚像」性を明確にするために。ピ
カソに牛の頭蓋骨の絵がある。1942年ナチヌ占領下のパリで描かれたもので,同じモチーフの ものが二つある。そのいずれでもよいが,ここでは星形の花のある方にして拾く。この絵について 曾てわたくしぱ次のように書いている。
「この頭蓋骨や水仙に似た星形の花を蒙るやや太い黒線はただの線ではない。それはネガチーヴ の視線が捉えた極めて摘象的な線であって,澄み切った知性の透明さとともに,透明さそのものが 内包するカゲリを感じさせる。それはまた現実がピカソのいのちに投げかけるカゲリでもあるわけ だが,画面全体から戦争的現実に対する一芸術家のはげしいレジス項シスを感じさせられるように 私には思われた。」
この絵のモチーフは人問の「死」,それも自然死てば在く,戦争が人類にもたらす悲惨で不自然 在死であり,それに対する作者の限りない憤りとか存しみがこめられている。牛の頭蓋骨は憤りに 歯を喰いしばり,花はかなしみにうち震えているようにみえる。しかしここにぱ表だった作者の絶 叫はない。現実に対してあくまでも冷厳で,明断な,批判的で否定的な,ネガチーグの視線が感じ られる。ここに描かれた花を現実の次元にひき移して何の花と考える必要はない。これはどこ一 ワで
もピカソの花であり,ここに表現されてあるものがそのすべてなのだ。この花を象どる太く黒い抽 象的な線はこの花を現実の次元から裁然と区別している全くの「虚線」であり,作者のイメージそ のものρ輪郭線なのである。ここに描かれている世界は現実とは全く独立した別の次元であり,世 界である。しかもそれでありながら,これを描くことによって,ピカソは他の誰よりも鋭どく世界 的現実と向き合っていたのである。
今一つ別の例をとろう。曾て問題作と在りた土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」の中に,石炭 産業合理化法によって閉山された炭坑,いわゆる廃坑の入口を盗掘と事故防止の目的で厚く塗り固 めたコンクリートの巨大な栓が,二頁の見開きに大きく拡大された写真がある。背景のボク山より も遥かに大きく,ボク山を殆んど蔽い隠してしまう位にまで画面一杯に拡大されたこの巨大なコン クリートの栓の姿は,現実離れして不気味とも怪異とも醜悪とも云いようのないグロテヌク在印象 を与えるが,現実的には極めてありふれた一個のコンクリート栓をひとつの視角から極度にクロー ズ.アップ(これば一種のデフォルメである)することによって,炭坑閉鎖にからまるもろもろの 社会問題,生活問題を含めて現実を批判的に冷厳にみつめる写真芸術家の唄と,非情なレノズの眼 が一庫となって,ここに現代的かつ鮮烈なひとつのイメージを創り出しているのである。この怪異 にして巨大た栓の輪郭線は,物の実線であると同時に,イメージを象どる虚線でもあり得ているの
であ」る。
更に今ひとつ,これは波多野完治氏の「映画の心理学」という本に引用されている例であるが,
カール岳グ レ ネの炭坑夫を扱った映画の中で,炭坑夫たちが更衣室で平常服を作業服に着替えて
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作業場へ向う場面がある。壁にかかった平常服の何んと哀れに見えること加しかし,それこそ正 しく本当の「人問」の姿であって,作業服を着て坑内に入って行ったのは「機械」であり,以聞 は今やカベにかかっているのである。わたくしの云う「文学視」 (この場合は映画視と云うへ勘・)
どは,正にこのように現実を見透かす眼であり,詩人は一瞬にしてカベにかかっている平常服が現 代人の象徴としての「人間」に見える視覚を持っていなけれぱならないのである。
r死者だちは,濃褐色り液に浸って,腕を絡みあい,頭を押しつけあって,ぎっしり浮かび,ま た半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて,堅固な,馴じみにくい独立感 を持ち,拾の右の自分の内部に向って凝縮しながら,しかし執拗に体をすりつけあっている。彼ら の体は殆んど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち,それが彼らの験を硬く閉じた顔を=豊 かにしている。揮発性り臭気が激しく立ちのほり,閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる 音の響ぎは,粘ばつく空気にIまといつかれて,重拾もしく在り,重盛に充ちる。
死者だちは,厚ぼったく重い声で播きつづけ,それらの数がずの声は交りあって聞きとりにくい。
時どき,ひっそりして,彼らの全てが黙りこみ,それからただちに,ざわめきが回復する。ざわめ きば苛立たしい緩慢さで盛上り,低まり,また急にひっそりする。死者たちの一人が,ゆっくり体 を回転させ,肩から液の深みへ沈みこんで行く。硬直した腕だけが暫く液の表面から差出されてい,
それから再び彼は静かに浮かびあがって来る。」
これば,大江健三郎の出世作の一つ「死者の蓉り」の書き出しり部分である。大学医学部の死体 処理室の水槽の中のア レコオル溶液に浸っている解剖用死体を描いているのであるが,ここで注意
しなければならないことは,これはいわゆる普通の「描写」でぱないということである。作者の
「文学視」はこの場合,濃褐色のア1レコオル溶液に浮んでいる死体の状況を通して,「監禁状態」
にある現代人の人間存在のイメージをr想像」しているのであり・先に説明したピカソの絵のr虚 線」に通い合う一種ネカチーグな作者の視線が感じられ之のである。
澄みまさり雲雀ひびかう基地近く飛び還りくる夜のふけのみと 高安国世 夜くだちに飛びきたり去る何の為朝は雲雀の声のみ満ちて
花々と麦畑なびき雲雀あがる清見幻 基地。傷兵と
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飛来する腹中に傷兵満ちて闇と暗さをきそう夜の鳥
たちまちに血の香あたりにひろげつつ雲雀のねむる夜を桧りたつ
この一連の短歌は,ベトナムの戦場から夜陰飛行機で日本の基地へ送られてくるアメリカ傷兵を うたったものであり,雲雀が舞いあがる麦畑の昼の平和な明るさと対照的な,普通の人の視線には 見られ難い日本の暗い夜の現実を,作者の「文学祝」ぱ鋭どくイメージ化しているのである。
以上幾つかあげて来た例によって,わたくしが特に言わんとしていることぱ,文学的イメ■一ジの 原動力となる想像力とは,普通常識的に考えられ易いように,現実を離れて夢想したり,空想した
りする精神活動若ぐは能力を云うのでは在く,少くとも文学的想像力とは,夢をら夢,第一次の発 想的イメージならイメージでもよいが,それはあくまでも素材であって,作家の想像力はそれらの 素材を出発点として,現実から離れるのとぱ正に逆に,現実り方向に向って立ち向い,現実との関 係づけをする方法であり,疎外された現代の人間が現実との間に橋を架ける唯一の道でもあるとい
うことである。繰返していえば,それは「現代」を透視する唄なのだ。
美術史に多少でも関心を持っている人在ら,わたくしの今まで使って来た「文学祝」という用語
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