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1 三 多 摩 地 域 を 中 心 と し て

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Academic year: 2021

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(1)

生 協 活 動

1三多摩地域を中心として 今 日的意味

笹  部 公 子

  今日の生協活動をみると︑その理念︑組織︑運動をめぐって多くの問題が横たわっている︒最近の生協の大型

合併をめぐってこれらの諸問題が一時に噴出してきた感がする︒

  例 えば最近︵五一年八月︶神戸灘生協のロングライフミルク︵L・Lミルク︶導入問題をめぐっての問題など

は その一例である︒これは今日の生協活動を考える上で︑その典型例を呈示していると考えられるので︑まずこ

の ことを最初に取上げてみよう︒このL.Lミルクにはそれ自体多くの欠点がある︒例えばL・Lミルクは一五

o 度の高温殺菌により処理されるから︑蛋白質は分解され︑牛乳の風味・栄養がそこなわれるとともに︑酸化に

よる変質が起りうるとか︑パック容器のエチレンポリマ−−が︑牛乳に流出し︑中毒症等の人体への危険が起りう

るとかの問題である︒ミルク自体の問題はともかくおくとしても︑L・Lミルク出現にょり︑中小零細農家・小

H 場 が 撤

退 し︑日本国内の酪農は衰退することは目に見えている︒これは生産者保護の思想に相反する︒これら

幾 多の問題があるにもかかわらず︑昨年夏神戸灘生協は︑L・Lミルクの導入を決行した︒それについて理事者

側 は

つ ぎのような理由を挙げている︒すなわち︑ω職員の労働時間節約︑②近郊牛乳ではその供給は賄ないきれ

な い︑③L.Lミルク導入により起こる中小零細農家の没落については︑農林省が策を講ずべき性質のもので︑

生 協 に

は 関係がない︑④中毒事件で問題になった森永乳業に製造を依頼した件についてはこれまで続いた信頼関

係によりこれを行なったなどがその理由である︒これらの理由をみると経済合理性のみが強調されており︑商業

利潤追求を目的とするスーパーなどと本質的にどこが違うのか疑問が生ずる︒また︑協同組合原則としてうたわ

一 33一

(2)

れ て

い るI人I票制︵民主的運営︶は︑官僚主義的独善に毒されて︑これでは生協の使命も遠く置き去りにされ

て しまうのではなかろうか.

  また以上挙げた諸問題の他に︑生協をめぐる問題として︑生協と中小小売店との関係がある︒今日物価値上げ

に よる生活の逼迫により︑消費者の生協に対する関心の高まりから︑生協の多店舗展開が︑各地で行なわれて

い る︒が︑この多店舗展開もまた︑多くの矛盾をかかえている︒それは︑員外利用︑目玉商品の安売り︑ビラ︑

チ ラシ等の点で生協と中小小売店とのトラブルが生まれ︑生協は大手スーパーと同様︑中小小売店の敵であると

考 える商店側と︑生協は組合員自身が行なう生活を守るための運動であるとする生協側との溝である︒生協は︑

有害商品を排したコープ商品の開発を目差し︑一方に於いては︑多店輔展開︑員外販売︑チラシ広告︑安売りと︑

一 面

大 手スーパーと同様の行為を協同組合の理論をかかげ︑正当化している点は︑小売店にとっては︑むしろ大

手スーパー以上に問題を含む存在であると思われる︒今日︑生協運動促進の単なる手段にすぎない多店舗展開に

多く力が注がれている︒

生 協活動とは︑本来組合員自身の活動によって行なわれる運動であり︑一部の活動家に︑まかされるべきもの

で はない︒この点から言うならば︑生協の官僚主義を持たらすものは︑組合員自身の怠慢から生ずるところが大

あ り︑これが︑何よりも︑真の生協運動のさまたげとなっているものなのである︒スーパーは︑低コスト化を

大 チ

ーン化︑大量仕入により︑可能にするが︑生協は︑効率追求を大衆運動という組合員自身によって行なう

ものである︒

以 上 は 生 協

活 動の全国的傾向であるが︑三多摩地域ではどのようになっているであろうか︒つぎに若干そのこ

とをみてみたいと思う︒そこでまず︑三多摩地区の生協運動の戦後から今日までの歩みを振返ってみよう︒

昭 和二十1二十三年までの間に︑まず職業別労働組合が出来︑後︑職業にかかわらず︑この地域的横断組織と

しての地区労が生まれ︑昭和二十三年頃は︑三多摩労協が起った︒昭和二十三年頃は︑物資の不足した時代であ

一 34一

(3)

り︑たばこ︑衣類︑酒等は︑配給でキップ制をとっていた︒また︑特売としての米︑酒は︑肉体系と事務系の労 働

者 とでは︑一人当りの配給量が異なり︑肉体労働者に配給が多かった︒このような状況下︑最初の生協運動と

して︑みそ︑醤油を共同購入するため︑三多摩地区労組協議会︵三労︶が中心となり︑生産者から消費者への共

同購入が行なわれた︒三多摩地区の醤油の場合︑千葉醤油との特別契約により︑指定日れた酒屋に醤油を置き︑

組 合

員 は職場で受けた利用券をこの指定店で買う運動を行なった︒これは地区の労働運動として出発し︑後︑賃上

げ︑首切り反対︑権利要求等の生活苦を打開する積極的運動である労働運動面が活発化し︑これによって得た金

を使う消費面である消費運動については︑物資が︑豊富な時代に入ると︑下火となり︑ここに︑労働運動と︑消

費を共同購入により︑有利にしようとする消費活動とは分離した︒

三 多摩の消費活動については︑この米︑みそ︑醤油等の消費者運動をひき継ぎ︑社団法人三多摩福祉センター

とする別組織を作り︑活動を行なった︒後︑消費物資拡大により︑これとは別に︑有限会社を作ったが︑その内

容 は︑福祉センターと同じものであった︒後︑労働者の住宅問題の要求が起ったが︑これを扱う上で不動産の許

可 が 必

要 とされ︑社団法人とは別に︑株式会社を作る必要があった︒又︑墓地の造成︑スキ−学校︑海の家のリ

クリェーシ・ン等についてもこれを文化部門とし︑扱った︒また︑三多摩内の地区労は創立当時︑生協設立指導︑

コ −プ商品の斡旋等と︑地域生協育成の援助を行ない︑調布︑多摩︑立川︑西多摩︑北多摩生協が設立された︒

三 多摩福祉センターは︑指導団体であり︑労組が加入してはいるが︑本来地域生協とは︑地域住民を会員とし︑

営 されるものである︒一部︑地域に於ける労働組合生協を会員としているもの︵立川生協︶もある︒以前︑地

域・職域・学生生協と分れていたものが︑近年混ざり合う傾向にある︒これは︑ ︵東京重機生協︑国際電気生協︑

日立武蔵生協等︶職域生協に於ける事務量の増大︑安売り競争により︑専従職員の経費がかさみ︑職場で希望を

募り︑地域生協に申し込む方法が︑一部にとられた︒

三 多摩地区では︑生協が出来たのは︑ここ四︑五年である︒現時点に於いては︑生協の組織の一本化︑合同を

一 35一

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考える段階には至ってはおらず︑生協が設立し︑経済的影響力を持つことが出来るようになってからの一本化を

考 えるべきであろう︒

今 日の生協活動は︑地域で組織された一︑全国生活組合連合︑二︑学生生協︑三︑職域生協の三形態であり︑地域的

に は︑全国都道府県に連合会を持っている︒例えば︑東京都には東京都生協組合連合会等︑都道府県団体に加入

している全国組織があり︑これらは︑各党派の影響を受けている︒しかし︑各生協は︑政治的影響下にある事は

語 りたがらないが︑むしろ︑この事こそが問題なのである︒現在︑日本の生協の約八十%は︑全国生協系例下に

置 か れ て

い るが︑その横断的活動はまだ成されてはいない︒今日︑党派の対立が︑生協の中に強まり︑日共系︑

反 日共系︑中立と三派に分かれ︑同じ生協連合会に属しながらも︑それぞれ対立しているものも存在する︒調布

に つ い て

見 るならば︑一︑共産党が指導する三多摩市民生協︑二︑社会党による生活クラブ生協︵本部が在り後

は す べ て 支 部 の

形 をとる完全単一組織︶︑三︑単協である調布生協︵多摩生協︑立川生協と協力関係にある連合

組 織︶の三つがある︒調布に於いては︑この三組織が︑組合員組織化の際対立し︑競争が激化している︒

  最 近︑大資本を仕入れ先として︑取り引き単位を大きくし︑単価を下げる事により︑消費者の経済メリットを

て る全国連合の運営に反対し︑全国連の商品を使わず︑自分たちの手で開発する運動が起っている︒以上のよ

うに︑日本の生協の大部分をしめる全国生協に対する単協︑そして︑全国連合の運営に反対する生協という意味

か ら関心をもたれる多摩生協についてつぎに見ていきたいと思う︒

  多摩ニュータウン内に在る多摩生協は発足してからまだ五年ほどの若い組合である︒ここでは班を基礎とした

共 同購入が行われている︒組合員約三五〇〇名で︑一班十名位を単位とするが︑班によっては一棟一班が普通で︑

五 四

〇 の 班 に 分

か れ︑この班を最小単位として活動を行なっている︒この上に永山︑諏訪︑藤の台︑愛宕︑鶴川

三︑四丁目︑鶴川二丁目︑鶴川五丁目︑鶴川六丁目︑桜ケ丘︑寺尾台の︵現在活動を行なっているもの︶十の支

部 を置き︑討議機関であるこの支部の推薦を受けて︑各委員︵牛乳︑米︑グロサリー︑魚肉︑野菜︑灯油︑パン︑

一 36一

(5)

卵等︶を一︑二名ずつと︑各委員会に一名の理事が出る︒各委員の任期は一年であり︑次年も又︑重ねて

これを行なう事が可能であり︑委員会は購入品目の選定︑価格決定から︑注文用紙を作成し︑発注までを行ない︑

品 物

の 決定権は︑この委員にある︒注文をとり︑集計・配達を行なうのは︑六人の専従が行ない︑この他︑非常.

勤一名︑理事会は︑人事と対外関係等を行なっており︑最高の決定権を持ち︑総会の決議に基き︑理事会が運営

される︒しかし︑実際の運営は専従と常任理事によるセンター会議が開かれ︑行なわれる︒

  多摩生協は︑日生協に見られるような︑全国的組織の形をとらず︑単協の形をとっている︒では︑多摩生協は

今 日︑生産者と消費者をつなぐ役目を自覚し︑協同組合の必要条件としての自主性︑民主的運営にょる活動を行

ない︑組合員の要求から生れた組合員自身の活動を行なう真の協同組合といえるだろうか︒また︑それだけの自

覚 が

高 まっているだろうか︒﹃贅沢な生活をし︑物事を考える事なく昭和元禄的上調子でβ働けば金になると

多くの人が考える中では︑生協運動は真に大衆の苦しみから生れたものではなく︑自分自身の生活を守る運動と

しての真の運動には成り得ないでしょう﹄とは三多摩福祉センター理事長の猪瀬氏の話である︒組合員自身︑消

費者自身がこうした自覚をもつ条件は今日まだ整っていないように思える︒このような条件が︑客観的にも主観

的にも整ってはじめて生協活動が軌道に乗ることができようが︑今はまだ組織を拡大し︑乱立傾向さえみられる︒

  そうした中から今日様々な矛盾が生まれてきているが︑今必要なことは消費組合の初心に帰ることである︒一

八 四

四 年︑ロッチデール公正開拓者組合により定められた運営原則︵ロッチデール原則︶は︑今日に至るまで協

同組合の重要な原則として受つがれている︒いま消費組合運動の初心に帰ってこのことを考え直してみることも

意 味 の

あ ることではないかと思われる︒この原則とは一︑生協加入の意志を持つ者は︑思想︑宗教︑人種のいか

ん を問わず加入を認め︑脱退を希望する者には圧力を加えないとする︑加入脱退の自由︑二︑出資高に関係なく︑

一 人l票制の平等な議決権を認める︑三︑資本を使っても資本に使われないとする考えに立ち︑民主的運営を経

済的側面から支える出資金に対する配当制限︑四︑利用高に応じ組合員に平等に還元しようとする利用高に応じ

一 37一

(6)

た 剰 余 金

分 配︑五︑組合員に対する教育活動の重視︑六︑政治的・宗教的中立である︒

  わが国の消費組合運動はその組織上の拡大発展は第二次大戦後である︒三多摩の場合でもみたように︑戦後で

さえ消費組合運動は重視されず︑労働組合の賃上げ︵富の分配︶面の活動に終始したといってよい︒労働者の消

費生活面がとり上げられるようになったのはごく最近のことである︒しかし消費組合運動はおろか︑労働組合運

で さえ正常に行いえなかった戦前においても共働社の活動に見られるような地道な消費組合活動が進められて

い た︒大正八年成立の友愛会から脱退した純労働者組合は︑同年成立の岡本利吉による企業立憲協会と共に資本

と労働の結合︑労使協調の立場から︑労働問題の解決を計り︑資本主義経済の改善を行なおうとする消費組合運

動 としての共働社を設立した︒大正十年︑この共働社と月島共働社︑東京共働社の共同仕入機関として︑消費組

合 連 盟 が 成

立 し︑これに︑博文館共働社︑田町︑高輪共働社他を加え︑大正十五年七月︑関東消費組合連盟︵関

消連︶に発展した︒この関消連は︵共働社時代の︶日本鋳鋼所︑大島製鋼所等の労働争議に対し︑会社側を不当

圧 とし︑組合員を支持し︑労働者から︑その活動への理解を得た︒又︑第一次大戦から生れた物価上昇︑長時

間労働︑生活の貧困化︑米価に伴ない︑焼き打ち︑襲撃等の暴動が頻繁に起った︒関消連はこの末組織の労働者

を1つの力に結集︑組織し︑農林省との交渉に当り︑要求の一部を条件つきで獲得し︑その成果を成し︑世間に

知 らせた︒賃下げ︑失業などの生活上の不安を労働組合によって又︑労働組合を経済面︑物質面から兵砧部とし

援 助する消費組合の一体化が実現したのである︒関消連は︑労働者消費組合運動の申心となり︑消費組合組織

は︑労働組合の系統︑政党を越え発展し︑労働者階級を確立し︑戦前に於いては︑ここにロッチデール公正開拓

者の理念である自主独立性︑組合員間の相互扶助︑無党派性その他が受け継がれている︒それでは戦後に於いて

は このような理念はうけっがれたであろうか︒戦前の組織︑活動家が戦後の消費運動に影響していると思われる

か らそこには連続しているものがあると思う︒第二次大戦期には︑戦争の影響から︑生産能率を上げる上から︑

政 府の押しつけによる産業報国会が計画され︑成立した︒これによって︑第二次大戦期︑労働組合に︑この産報

一 38一

(7)

が︑とって変わり︑労働運動︑生協運動は停滞した︒戦後の生協運動は︑日本協同組合同盟︵日協︶に代表され

るが︑これは戦前からの賀川豊彦等の協同組合主義者︑そして︑この世話人として︑志立幹次︑有馬頼寧等の貴

族 と称される上層部の人であった︒加えて︑昭和二十一年1二十三年にかけて︑食糧危機が深刻となり︑労働組

合︑生協の再建が成され︑日協に於いても関東食糧民主協議会︵民協︶を結成し︑戦後の生協運動は︑食糧獲得

闘争として展開された︒戦後の生協運動はロッチデール公正開拓者組合の理念を受けついだ戦前の消費組合運動

を何らかの形で継承してきたのではなかろうか︒しかし今日生協が︑大型化の道をたどりながら︑初期の協同組

合の理念を忘れ︑やたらと組織の拡大と経営合理化の面に終始しているように思われてならない︒組織の民主的

営 は︑官僚主義的傾向によりねじ曲げられ︑組合員の自主性は︑空論にすぎないものとなる︒今日︑協同組合

に とって︑最も重要であるロッチデールの理念は忘れ去られようとしているのではなかろうかe

今 回生協問題をとり上げて︑生協の経営規模の大型化が︑果してこのままの形で進められて良いものだろうか︒

より良質の品をより安く消費者の手に供給することを保証し︑同時に地域の産業者の保護を目ざす地域内自給方

式 は 今

後 どのように展開していくのだろうか︒生協問題を調べ︑考えていくにつれ︑私の疑問はますます広がっ

い くばかりである︒

( なお︑この論文のうち︑三多摩の生協の戦後の歩みについては︑三多摩福祉センター理事長猪瀬和寛氏より

1参考文献−   伺った話を基にまとめたものであることをおことわりしておく︶

奥谷松治﹁協同組合と共同経営﹂御茶の水書房︒

奥 谷 松 治﹁日本生活協同組合史﹂民衆社︒

ウェッブ夫妻﹁消費組合運動﹂一九二五年︑同人社︵Oonsum°rs Co−operative Movement︐ 1921

の 山村喬による監訳︶

一 39一

(8)

近 藤 康 男﹁協同組合の理論﹂御糸の水書房︒

r 現

農 業﹂一九七六年十二児号︵大崎正治﹃生協だからといって安心できない﹄︑

  菜 の 地

域 内自給﹄︶農山漁村文化協会︒ 山口照雄﹃大きく広がる野

40−一

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