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会計上の客観性

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(1)

会計上の客観性

その他のタイトル On Objectivity in Accounting

著者 松尾 聿正

雑誌名 關西大學商學論集

15

3‑4

ページ 259‑281

発行年 1970‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021175

(2)

会 計 上

松 尾 車 正

会計上の客観性,それは提唱されて久しく,これまで財務会計では相当の 地位を与えられてきたように思われる。しかし,最近では,会計情報に関す る論議の台頭により「有用性」の影に隠れ,その存在意義が薄くなりつつあ るような感さえ抱かせる。しかしながら,少なくとも,外部報告を担当する 会計領域にあっては,依然として,相当の意義を有しているように思われる。

ペイトン・リトルトンは「英国における職業的な監査の初期の発展がもたら した重要な貢献の一つは,記録された取引を裏づける客観的な証拠の重視で

(1) 

あった。」 とのべている。

ところが,この客観性の意味・内容に関しては,必ずしも意見の統一を見 ていないように思われる。本稿はこのような客観性を検討しようとするもの である。

(1)  ¥V. A. Paton 11nd A. C. Littleton ・"An Introduction to  Corporate Accounting  Standards",  1940.  p.  18.中島省吾訳本「会社会計基準序説」 29

II 

(1) 

ところで客観性とは何か。広辞苑によれば「客観的であることをいう」

とある。では客観的とは何か。同辞書によると「特定の個人的主観の考えや

(2) 

評価から独立で,普遍性をもつことについていう語」とあり,また,ウェ ブスターによれば「実態 (reality)の性質をそれが自意識から離れているもの

(1) 新村出編「広辞苑」 553 (2) 前掲書553

(3)

260 (66)  会 計 上 の 客 観 性 ( 松 尾 )

として強調したり,表現すること。事象あるいは現象を個人的意見あるいは 感覚によって影響されるものとして取扱うのでなくて,そのような意見ある

(3) 

いは感覚の外部にあるものとして取扱うこと」と定義されてある。このよ うな辞書的定義から客観性の一般的な意味を要約すると,それは観察された ものが当該観察の主体とは離れて,もしくは独立して (apart from又は in dependently)意味をもつということになろう。同じことはコーラーについて

もいえる。すなわち「調査人,調査人の経験あるいは環境の特殊性から離れ て意味をもつか,あるいは離れて適用され,独立した調査人の決定によって

(4) 

実証され,あるいは実証されうる」と。ただ,コーラーにあっては後段で 検証可能性を打ち出している点で前掲の定義とは異なるが,かかる概念は個 人的意見の影響を受けないという意味で生ずる不偏性(freedomfrom personal  bias)概念と共に,観察されたものの観察者からの独立性から輝らされる概念 ではないかと思う。このことはさておき,客観性をこのように規定した場合,'

では,かかる客観性が会計において可能か,もっと広くいえば,人間行為の 諸側面の研究を担当する社会科学において可能か,ヴォイダックの言葉を借 りれば「特定の個人はもとより集団としての人間からの完全独立性」を意味

(5) 

する「純粋ないしは形而上的客観性」が可能かという疑問が自然科学者によ り提起される。バークはこのような疑問に答えようとする。すなわち「会計 担当者は動機,名声,特殊な利害,慣習の支配等によって常に影響されるだ ろうと自然科学者はいう。……これらが会計上生起しうるとしたところで,

そのことが客観性が可能ではないという主張を十分に支持することにはなら ない。この主張は客観性の態度理論に変えうる。利己心,偏見等の特質を克 服するためには,会計担当者にとって,観察可能な事象間に種々の関係が確

(6) 

立されるある手続ルールに固守することが必要である」と。かくして,バ (3)  Webster's Third New International Dictionary Unabridged,  1961, p.  1556  (4)  Eric L. Kohler,  "A Dictionary forAccountants"  3rd ed.,  1963, p.  340  (5)  Joseph F.  Wojdak, "Levels of Objectivity in the Accounting Process",  The 

Accounting Review, Jan.,  1970. p.  89. 

(6)  Edward J.  Burke, "Objectivity and Accounting",  The Accounting  Review,  October 1964. p.  843. 

(4)

会計上の客観性(松尾)

ークは観察の対象となる諸事象間の関係を法則化し,それを遵守することに よって観察者の偏向を縮少しようとする。すなわち客観性を確保しようとす る。そこでは観察されたものの完全独立性すなゎち純粋な客観性は会計では 望むべくもないために,そのことを避けて,あるいはそのことに代えて,観 察者の偏向の可能な限りの排除によって客観性を確保しようとする。それは

(7) 

言い換えると,バークのいう如く,観察者の態度の客観性といいうるだろう。

スタンレーのいう客観性も基本的にはこのような観察者の態度の客観性と考 えているのではないだろうか。彼は客観性には演繹的確実性の意味での客観 性と個人的偏向がないという意味での客観性があり,前者は理論の問題であ って,そこでは演繹的論理Jレールによる首尾一貫性が要求されるのに対して,

後者は実務の問題であって経験的事実が重視される。そして,これら両者共,

その基底には特定の個人に依存しないという考え方が存在しているという。

すなわち「演繹的論理をある表明に適用することによって,その表明に含ま れている意味が決定される場合,演繹的論理Jレールが周知であり,かつ正確 に適用されると仮定すると',論理家として行動する総ての人々は同じ結論に 到達するだろう。その場合,かかる結論は個人的偏向によって影響されない

(8) 

だろう。その例として,数字が挙げられる。」 このことを会計理論について

(9) 

いえば,それは複式簿記構造と評価理論から成るが,評価についてほ純粋な 現金主義解釈にもとづく原価法,阪売市場価値 (exitmarketval tic)法,購買

(10) 

市場価値 (entry‑marketvalue)法はそのいずれもが勘定への認識計上時の市 (7) 客観性に関するこのような見解は青柳教授にも見られる。 (青柳文司著「会計

士会計学」 219

(8)  Curtis Holt Stanley,  "Objectivity in Accounting," 1965. p. 3. 

(9)  スタンレーは費用,収益を資本 (proprietorship)のもとに統一して,複式簿記 を貸借対照表等式に限定して考えているようである。 (Ibid.,pp. 2024) 

(10)  Ibid., p.  53. 

純粋の現金主義会計とは現金が測定単位であるだけでなく,それが唯一の資産で もあって,配当支払,負債の返済以外の現金支出の都度,費用が認識され,増資・

借入以外の現金収入の都度,収益が認識される会計をいうとスタンレーはのべてい (Ibid.,p.  38) 

販売市場価値評価は保有資産の販売市場価値に変動がある都度,かかる変動の記

(5)

262 (68)  会計上の客観性(松尾)

場価格を基礎に置いているという意味で特定の個人に依存していないために,

それらが簿記構造と結合される限り,簿記構造は「その手続が首尾一貫した,

(11) 

演繹的に確実であるという意味で客観的である」ので,かかる会計理論は演繹

(12) 

的に確実であるとのべている。また後者については,「2人以上の実験者が同 じ操作を行なって,その結果が適度に一致する可能性があれば個人的偏向が ないということが論証されることになる。そこでは,『反復可能性』がこの種

(13) 

の客観性の存在を決めるテストである」という。その場合,客観性概念は手 続的性質を有することになるとして,次のようにのべている。 「現在,財務 会計実務で用いられている客観性概念によれば,それは明らかに手続的性質 を有しており,その適用が独立した検証を行なうことのできる結果を齋らす

(14) 

ような手続規定に関係がある」と。そして,財務会計実務では,財の内部的 変形,消費には見積りを伴なうので,そのような見積りに対して,妥当性 (reasonableness) 適当な証拠による裏付けというテストを課することに よって,客観性概念を「財務会計実務で採用される手続は,理性ある熟練し た会計担当者であれば誰でも,同一の条件を与えられると,実質的に同一の 結果に達することができるような方法で,測定可能な財務的事実を反映する

(15) 

財務諸表を齋らすべきであることを要求するのが客観性である」と定義す 録を行なう方法で,かかる変動を起す原因として,生産,保有,交換があると指摘 している。 (Ibid.,pp. 404I) 

購買市場価値評価は購買市場価値に変動がある都度,その変動を記銀する方法で,

その要因として,交換と保有をあげている。 (Ibid.,  pp. 4243) 

スタンレーは以上のほか,資産の取得原価を,その資産の各年度の使用価値現価

(当該資産からもたらされる各年度の将来収入の期待値を適正利子率で割引いた額)

に応じて配分する事前的発生主義会計(これは上記の純粋の現金主義と並んで原価 評価の両極に位置するとしている)と使用価値評価(将来正味受取額の割引現価,

この価値を変動させる要因として時間,交換,将来用役の期待値,利子率を挙げて いる)を評価方法として挙げている。 (Ibid.,pp. 3247) 

(11)  Ibid.,  p. 30  (12)  Ibid.,  pp. 1853  (13)  Ibid., p.  4.  (14)  Ibid.,  p. 82  (15)  Ibid.,  p. 83 

(6)

ることができるとのぺている。このようにして,スクソレーは客観性を特定 の個人に依存しないことと規定した上で,では如何にしてそのことが可能か を追求する。そこでは,基本的には,会計を行なう人(観察者)に関して,

個人の非個人化を目差そうとしているのではないだろうか。かかる点で,ス クンレーも観察者の態度の客観性を念頭に置いているように思われる。客観 性概念を構成する不偏性の要因はこのような観察者の態度の客観性を意味す るのではないだろうか。そして,かかる不偏性は観察者の精神的中立を意味 する点で公正性 (fairness)に通ずる概念であり,これの最も典型的な現われ が監査における適正性となるのではないかと思う。モウツ・シャラフほ監査 における適正表示(presentfairly)について「財務諸表表示の適正性を判定す るには,監査人はある基準を持たねばならない。これは一般に是認された会

(16) 

計原則によって提供される。」 とのべた後「このことを仮定しなければ,監 査ほ財政状態と経営成績が財務諸表に適正に表示されているかどうかを判定 するための何等の基準も持たないことになろう。一般に是認された指針が全 く存在しないならば,監査人の意見は誰にとっても殆んど価値をもたないほ

(17) 

ど個人的なものになろう」とのべている。すなわち,不偏性ほ会計を行なう 人の倫理に係わる問題であり,それは会計処理総てに底流する概念ではない かと思う。

ところで,これまでの議論から推察されうる如く,客観性を被観察要素と の関係でみると検証可能性の概念がクローズアップされてくるように思われ る。スクンレーの見解は見方によっては,この検証可能性の異なる表現と解 せられるだろうし,また井尻教授の客観性を合意 (consensus)と解する立場 もこの検証可能性の異なる表現であろう。井尻教授ほ「客観性の定義を,知 覚する人間から独立した客親的要素の存在ということに依存させないで,親

(16)  R. K. Mautz and Hussein A. Sharaf,ThePhilosophy of Auditing," AAA. 

Monograph. No. 6,  1961. p.  47.

(17)  Ibid., p.  48. 

(7)

264 (70)  会 計 上 の 客 観 性 ( 松 尾 )

察者または,測定者のある集りのなかでの合意というふうに考えるほうが現

(1) 

実に即している」とのべた後,「客観性のこの定義は独立した第三者による

(2) 

検犀可能性という通常の定義と基本的には一致する」と注記されている。

そして,この合意の度合は(1)測定の対象となる目的物(object),(2)測定規則と 測定道具からなる測定システム (measurementsystem),,(3)測定者 (measurer)

'(3) 

に依存するとして,その関係を次のように図示されている。そこで,この図 を手掛りとして,検証可能性の問題に検討を加えてみよう。

I測 定 者 I

I測 定 シ ス テ ム 三I測 定 値

(インプット) (測定過程) (アウトプット)

測定システムと測定者との関係については,測定道具すなわち測定尺度が 与えられているとすると,測定規則の詳細さの程度に応じて測定者間の判断 領域が伸縮し,その結果.測定値に差異が生じ,合意度を異にする。ただ測 定者が会計専門教育によって高度に同質化されているとすると,測定規則と 測定者との関連で高い合意度に達するには測定規則を可能な限り詳細に規定 することが必要になってくる。しかしこの場合.測定規則の詳細さのあまり 標準化あるいは統一化の方向に進みすぎて画ー的となり,企業の実情に応じ

(4) 

た処理に支障を来すようなことがあってはならないだろう。現実には.この 測定規則は一般に是認された会計原則の継続適用と内部統制組織の充実が重 要になってくると思う。先に.不偏性との関係で挙げた「一般に是認された 会計原則」はこの意味で検証のための重要な用具であろう。この場合「会計 の法則,ルール,勧告は時々修正を必要とするだろうし,あるいは古いもの

(1) 井尻雄士著「会計測定の基礎ー数学的・経済学的・行動学的探究ー」 181一182

(2) 井 尻 雄 士 著 前 掲 書 182 (3)  II  182

(4)  この点に警告を発した論文としてベービスのものがある。 (HermanW. Bevis, 

"Progress and Poverty in Accounting Thought," The Journal of Accountancy,July  1966, pp.  3440) 

(8)

が知識の進歩を認識する新しいもののために廃棄される。会計方法は社会の

(5). 

要求をみたすように適応せねばならない」というバークの主張に注意を払う 必要があろう。

内部統制組織についてほ,グレイディーは AICPA監査手続委員会の見解 から「内部統制ほ資産を保全し,会計資料の正確性と信頼性を照査し,営業 能率を増進し,既定の経営諸方針の遵守を促進するために,企業内で採用さ

(6) 

れた組織計画と総ての調整方法及び手段から成る」と定義した。日下部教 授はこの見解に対して「それは企業内における資産の保全や会計記録の正確 性保持などの会計的領域に関する管理制度ばかりでなく,能率増進を中心と する業務管理面をも内部統制の範疇とするものであって,いわば企業内にお けるセルフ・コ`ノトロール・システムを包括する総合的な概念と考える広義 の解釈である。」 従来監査論においては内部統制組織の範疇を主に内部牽制 制度と内部監査制度とに限定する狭義の解釈が取られており,そこでは主と して会計の手続や方法を通じて行なう管理方式を指し,それは歴史的にも内

(7) 

部統制の「固有の領域」であったと説明されている。サルモンソンが「内部 統制組織が充分であれば,定められた測定ルールが正しく適用されているか どうかを有能な人に確認させるようにすることによって会計測定値の客観性

(8) 

を増大させるのに役立つだろう」といっているのはこの狭義のものであろ ぅ。またバークが企業の組織階層における会計担当者の役割をのべて,客観

(9) 

性のテストの1つとして挙げているフィード・バック情報への信頼もこの内 部統制組織のことを意味しているのではないかと思う。

次に測定尺度については,これまで測定の対象物総てに共通する単位ある いはそれらを同質的に表現する「公分母」であるという理由で貨幣が用いら

(5)  E. J. Burke, op.  cit.,  p.  847. 

(6)  Paul  Grady,  "Inventory  of Generally Accepted  Accounting  Principles  for  Business Enterprise", AICPA, ARS. No. 7,  1965. p.  37.日本会計研究学会スタデ

イ・グループ黒沢清監訳「会計原則研究」63 (7)  日下部与市著「新会計監査詳説」 173174

(8)  R. F.  Salmonson, "Basic Financial Accounting Theory," 1969, p.  60.  (9)  E. J. Burke, op. cit.,  p.  848. 

(9)

266 (72)  会計上の客観性(松尾)

(10) 

れてきた。ところが, AAA1966年の報告書ー以下「アソバット」という一 で会計情報の有用性を増大させるという旗印のもとに会計における経済活動 の表現は貨幣のみである必要ほなく,物量によっても差支えないという立場

(11) 

を打出してきた。ここに至ってほ,会計において貨幣を用いる理由を再考せ ねばならなくなってきた。すなわち,それは「公分母」であるという理由だ けであるのかどうか。他に理由があるとしたら,それは何かを検討する必要 があると思う。

もし貨幣が「公分母」すなわち,価値表現としての作用しか持たないとし たら,会計計算において算出される利益の中味は何かが尋ねられねばならな い。会計ほ企業の経済的行為を対象とし,ある期間におけるその成果たる利 益を算出する。ところが,もし会計において用いられる貨幣が単なる価値表 現ないししま一般的交換手段にすぎないとしたら,その利益は貨幣の殻を被っ た実物を正体とするものであることになろう。ところが,会計は企業の経営 活動の描写であるといわれる。としたら会計の対象である企業の経済的行為 の成果たる利益の内容は実物であることを意味する。このことは企業はその 経営活動において実物としての利益を得ることを目標としていることになる。

果してそうであろうか。われわれの経済社会は貨幣が実物経済に能動的な作 用を及ぽす貨幣経済であるといわれる。そこでは貨幣は価値表現ないしは一 般的交換手段のほかに価値貯蔵機能を有し,貨幣のかかる機能の具体的な発

(12) 

現型態が銀行の信用創造作用として知られている。このような経済社会にお いて,企業の経営活動ほ G‑W‑G'という資本の循環運動を繰り返えしてお り,そこでは投下資本の維持,増殖を目差しており,従って利益をそのよう な増殖された貨幣量として考えられているのであって,実物として考えられ

(10)  W. A. Paton and A.  C. Littleton,  op.  cit.,  p.  13.中島訳本20 Maurice Moonitz. "The Basic Postulate of Accounting", AICPA, ARS. No. 1,  pp.  1718. 佐藤孝ー・新井清光訳本「会計公準と会計原則」51‑52

(11)  A.M. Committee to Prepare A Statement of Basic  Accounting Theory, "A  Statement of Basic Accounting Theory," 1966, pp. 1113.飯野利夫訳本「基礎的 会計理論」 18

(12)  佐藤豊三郎著「新しい経済学」169‑173

(10)

会 計 上 の 客 観 性 ( 松 尾 )

ているのではない筈である。勿論,企業の経営活動において貨幣の背後にほ 実物が存在している。しかし,ここでいわんとするのは実物が貨幣と並んで 経済活動の 2大要因であるとしても,貨幣が支配力を持つ社会が会計の対象 である企業の経営活動が置かれている経済環境ではないかということである。

かくの如くして,会計における貨幣は単なる「公分母」にとどまらず,もっ と実質的な意義をもつ貨幣であり,また,このことから会計計算は最終的に ほ貨幣という枠の嵌められた計算になるのであって,ここに会計が勘定等に おいて統計的思考を有するものの,純然たる統計とは区別される所以がある のでしまないかと思う。ただ,会計における貨幣表現は数量X単価=金額とい う計算様式によるために,数量の側面を精緻化していくことほ会計計算の精 製•発展に寄与するところ大であると思われるが,このことから物量が貨幣 に取って代って測定尺度になるということにはならないと思う。

ところで,測定尺度としての貨幣に関連して,上述の貨幣観から,原価主 義評価の意義が明らかになると思われる。すなわち,原価主義評価の積極的 根拠ほ貨幣経済にあるのであって,客観性にあるのではない。原価主義ほ計 算確実性すなわち客観性を根拠としているということが, しばしば,主張さ れ,そのことが時価主義論者の原価主義に対する攻撃の糸口になっているこ とがある。成程,客観性も原価主義評価の根拠には違いないが,それが主要 な根拠になっているというのではない。かくして,会計においてほ測定尺度 どして貨幣を用いることになる。

さて次に,測定対象物と測定ジステムの関係であるが,測定システムにつ いては前述の如くであり,ある測定対象が特定の測定尺度によって関連する 測定規則に準拠して前期と同じ方法で処理されたかどうかの問題であろう。

ところが,それ以前の問題として当該対象物が証拠を以って裏付けられてい るかどうかが重要になる。通常,検証可能性の意味で論ぜられる客観性はこ の点に関する論争ではないかと思う。ペイトン・リトルトンが「検証力ある 客観的証拠」において「検証力ある証拠」とは「事実を打ちたてるのに助け となるような性質を備えた証拠であり」,「客観的な証拠」とほ「非個人的で その当事者の根拠なき意見または希望と対象的に,もっとも関係の深い当事

(11)

268 (74)  会 計 上 の 客 観 ` 性 ( 松 尾 ) (13) 

者にとって外的な証拠である」として,具体的には,証拠を売手と買手とが 同意しあった交換取引による市場価格に求め,かかる交換による対価を「価

(14) 

格総計 (priceaggregate)」と称して,損益計算を中心とする原価主義会計を 展開したのはあまりにも有名である。

この測定対象物の検証可能性に関する論議にあたって,そこには 2つの意 味が含まれているのではないかと思う。その1つは,ある事象ないしは現象 を会計の対象とするに際しては,それ相当の証拠による裏付けがなくてはな らないということである。ところが,第2に,検証可能性についてほ,独立 した調査人,有能な調査人,更にはまた,第三者による検証が可能であると か,あるいほ「資格ある人々が互いに別個に独立して仕事をしても,同じ証 拠,資料あるいは記録を検査すると,本質的に同様の測定値ないしは結論を

(15) 

引き出す」といわれる。そこでは,検証可能性は上述の会計記録を行なう に当って,記録の対象にするにたるだ・けの証拠をもって行なうという段階か らある種の会計記録の存在を前提として,当該記録が十分な証拠を以って裏 付けられているかどうかの検査に重点が移っているように思える。言い換え れば,ある証拠を以って会計行為として認識・記録する問題から,そのよう な認識・記録の背後にある証拠の問題に重点が移っているように思われる。

前者の問題が財務会計の問題であって,後者の問題は監査の問題ではないか と思う。監査人は企業と利害関係者の間にあって,企業の財務諸表が当該企 業の活動内容を適正に表わしているか否かに関する意見を表明することによ って,当該財務諸表がそのような利害関係者の判断資料に資することを,彼 等の活動の主たる任務とするために,そこでは,そのような意見表明の端緒 として,絶えず,記録の背後にある証拠を求め,それによって当該記録の正 当性を検証する問題が浮かび上ってくる。従って,監査においては,監査証 拠に関する理論,ひいては検証可能性の概念が非常に重要になってくる。モ

(13)  W. A. Paton and A. C. Littleton,  op.  cit.,  p.  19.中島訳本30 (14)  Ibid.,  p.  12.中島訳本 19

(15)  AAA Committee to  Prepare A Statement of Basic Accounting Theory,  op.  cit.,  p.  10.飯野訳本 15‑16

(12)

ウツ・シャラフはその著 ThePhilosophy of Auditing"の冒頭で当著のきっ かけとなったのは監査証拠の性質に寄せる彼等の関心であったことを披歴し

(16) 

ている。そして,彼等の理論構造の中で検証可能性を監査公準として捉えて 次のようにその重要さをのべている。 「もし財務資料が検証可能でないなら

(17) 

ば,監査はその存在理由を何等持たないことになる」と。

以上,検証可性性について検討してきた。不偏性が観察者に係わる概念で あったのに対して,それは観察者の扱う被観察要素に係わる概念である。勿 論,検証可能性を高めるための要素の一つとして観察者がある。しかし,か かる要素は高度の会計専門教育による観察者間の観察能力の同質性の向上を 通じての彼等の検証結果の合意度を引き上げるということに関して検証可能 性に関連するのであって,彼等が対象物に接するに際して要求される精神的 中立性の問題は不偏性に係わる概念であると思う。

更に,検証可能性を高めるための要因として,前述の観察者の能力のほか に,測定ヽンステムと測定対象物があった。測定ヽンステムの内,測定規則につ いてはその精緻化が重要となり,測定尺度については会計では貨幣が用いら れる。測定対象物についてはそれが測定対象となることを裏付けるに十分な 証拠を有することが条件であった。このように検討してくると,検証可能性 は最終的には測定値に関する問題に集約されるが,この前段階として,対象 物の証拠による立証が要求され,次に測定システムの妥当性とその適用の継 続性が要求されてくるように思われる。

では,会計において何故検証が必要なのであろうか。言い換えると,会計 記録は何故検証されねばならないのだろうか。この点を考察するに当って,

本稿の冒頭において引用したペイトン・リトルトンの言葉を想起しよう。そ れは英国の初期の監査が記録された取引を裏付ける客観的証拠の重視に貢献 したということであった。この考え方を顕著に反映したのが先に引用したモ ウツ・シャラフの見解であった。彼等は同じ箇所で「『監査可能』とうい意味 を伝えるためにどのような言葉が選択されようと,監査人は彼が吟味する財

(16)  R. K. Mautz and H. A. Sharaf. op. cit.,  p.  vii  (17)  Ibid.,  p.  43. 

(13)

270 (76)  会 計 上 の 客 観 性 ( 松 尾 )

務諸表の信頼性に関する意見を表明するための基礎を自分(監査人)に提供

(18) 

してくれる何かがなければならない」とものべているのである。すなわち,

会計記録の検証を必要とするのは,財務諸表に信頼性を付与するためである ということになろう。

IV 

客観性は不偏性と検証可能性から成る概念であり,前者は公正性に通じ,

後者は信頼性に通ずる概念であるということがこれまでの検討から明らかに なった。では,このような客観性概念が会計において何故必要なのだろうか。

それは企業規模が複雑・高度化すればする程,企業の活動が社会に及ぼす影 響が大きくなり,それに呼応して企業の経済活動を描写する会計についても かかる側面の重要性が主張されてきたことに帰因していると思う。従って,

かかる意味で客観性は外部報告を担当する財務会計において重要な意味をも つことになる。

では,客観性は会計理論構造上どのような位置にあるのであろうか。スク ンレーは「演繹的確実性の意味での客観性」は論理的一貫性という会計理論 の目標との関連で,その重要性が保証され,反復可能性によってテストされ

(1) 

る客観性は真実性という財務会計実務の目標達成に役立つという。従って,

スクソレーにあってほ,いずれの客観性も目標達成を促進する概念として受 け取られているようであるが, 2つの意味の客観性がどのような関係にある のかが明らかにされていないように思われる。ただ「演繹的確実性の意味で

(2) 

の客観性は実務の基礎にある理論の関心事であるために……」とのべ,理論 と実務の関係について,理論は実務の理論的正当化のほかに,実際には,何 等適用されないこともあると思われる理論問題の枠組み内に含んでいる他の

(3) 

意味を有するとのべているところから,「演繹的確実性の意味での客観性」は

(18)  Ibid., p.  43. 

(1)  C. H. Stanley, op. cit.,  pp.  109110. (2)  Ibid., p. 107. 

(3)  Ibid., p.  5 

(14)

実務の土台にあって,当然の要件と解した上で,反復可能性をテストする客 観性の必要を説いているとも解せられる。そして,この 2つの意味の客観性 は会計原則の範疇に含められると思う。

また,ペイトン・リトルトンほ客観性を「会計の底にある基礎概念あるい は仮定」であるとし,かかる基礎概念あるいは仮定は「会計諸基準の討論に

(4) 

適切な基礎を供するものである」として,公準的役割を与えているように 思われるが, リトルトンはその後のモノグラフ No. 5 Structureof Ac‑

counting Theory"で「客観的決定ということを強調する意図は,勘定資料を 検証し,再吟味しうる事実と結合させることによって,主観的・個人的意見 以上に出ない不確実な根拠に基づく要素を排除することにある」として,こ の中には「完全なまた,理解し易い取引資料の記録の必要性」という会計上

(5) 

の高度の目標を含んでいるとものべている。

更に,ムーニッツはそれを公準としながらも,それは「であるべき事柄

(目標, 目的,基準)を強調するが故に『当為的なもの』として言及される」

(6) 

とのべている。

このようにみてくると客観性は目的に通ずる概念ではあっても,公準では ないようである。なぜならば,会計上,それは努力目標に関連する概念では あっても,「自明の理」ではなく,規範として作用する概念であると考えられ

(7) 

るために。サルモンソンは「客観性は公準ではないと主張されうる」とのベ ている。

ところで,会計理論構造上の客観性の位置について,形式的にほ,これと ほ異なった見解がヘンドリクセンによって示されている。ヘソドリクセンは 彼の演繹的理論構造上において客観性を制約(constraint),より詳しく言えば,

目的,公準から実務上の行為指針としての原則を抽出するにあたって,実際 上に存する環境の不確実性のために必要とされる理論から実践への掛け橋と

(4)  W. A. Paton and A. C. Littleton,  op. cit.,  p.  7.中島訳本 12

(5)  A. C.  Littleton,  "Structure of Accounting Theory,''AAA. Monograph No. 5.  1953,  pp.  192193.大塚俊郎訳本「会計理論の構造」285

(6)  M. Moonitz, op.  cit.,  p.  38.佐藤,新井訳本 76 (7)  R. F.  Salmonson, op.  cit.,  p.  61. 

(15)

272 (78)  会計上の客観性(松尾)

考えている。すなわち「原則を公準から論理的に抽出しようと思えば抽出で きるが,特定の限定をつけないと,その原則ほ容易に是認されないことがあ り,またその原則は会計目的達成に有用でないこともあろう。したがって,

限定あるいは制約が明らかにされるべきであり,原則の抽出にあたって,そ れが考慮されるべきである。しかし,制約が原則を決定するのではなく,そ

(8) 

れは基本原則の修正を要求するだけである」として原則の抽出に際する制約 の機能をのべた後,掛け橋となる様を説明していくのであるが,その前に,

ヘンドリクセンは会計における不確実性発生原因として,(1)継続企業の仮定 から生ずる期間配分に伴なう見積りの必要性と,(2)不確定な将来の金額の見

(9) 

積りの必要性を挙げている。そこで,かかる不確実性に対処するにあたって 客観性が必要であるという。すなわち,不確実性のない世界を想定すると,

そこでは富と富の変動に関する総ての項目は将来の交換にもとづいて報告さ れる。将来の交換価値はいくつかの経済要素の結合したものから引き出され うるために,その場合でもやはり,特定の資産及び負債への配分を必要とす るだろう。しかしながら,資産及び負債は少なくとも全体としては将来交換 価値の割引現価によって測定され,利益は増価法 (accretionmethod)によっ て,資本取引修正後の純資産価値合計のある時点から他の時点までの変動を 計算することによって測定されうることだろう。そこでは,利益が経済学的 な意味で獲得されるや否や,すなわち価値が組織体によって追加された時に,

かかる利益が報告されるような原則が公準から論理的に導き出されるだろう。

ところが現実には,不確実性が存在するために,この不確実性の存在が原則 の抽出に対して制約要因として働く。もし将来の交換価値が著しく不確実で あるなら,かかる将来の交換価値にもとづく現在の見積りは著しく当てにな らないものになる。従って,信頼性がないということは,信頼性のない資料 を信頼できると仮定して,その資料に基づいて,ある意志決定がなされるな らば,その意志決定を恐らく貧しいものにするだろう。言い換えれば,もし

(8)  Eldon S.  Hendriksen, "Accounting Theory," 1965, p. 89.水田金ー監訳「ヘ ンドリクセン会計学」(上巻) 127

(9)  Ibid., pp. 8990.水田訳本 128

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