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非体験者による被爆をめぐる語りの課題と可能性

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非体験者による被爆をめぐる語りの課題と可能性

―― 平和案内人の実践を手がかりに

冨永佐登美

1.はじめに

長崎に原爆が投下されて66年が経過した。被爆者は高齢化し、その数を減じている。現時点 では、被爆体験を語る方々がご存命であるため、私たちは彼らの体験談に直接触れることができ る。しかし、その機会は遅くとも十数年のうちにほとんどなくなってしまうだろう。タイムリミッ トが迫るなか、長崎でも、被爆体験をめぐる記憶を次の世代(非体験者)が語り継ぐためのさ まざまな試みがなされてきた。20年代に入ると、被爆者の語りを引き継いだ非体験者による新 しい形の活動も開始された。非体験者が別の非体験者に向かって被爆に関する語りをおこなうと いう活動である。

こうした実践のうちで、最も広く認知されているものの一つが平和案内人という市民ボラン ティアによる活動である。平和案内人は、修学旅行生や観光客に対して資料館や被爆遺構をガ イドすることを通して、長崎における被爆の実相を伝達する役割を担っている。この制度は、被 爆者の高齢化が深刻な問題として認識されたことを背景に、(公財)長崎平和推進協会によって 4年に設立され、運営されている。平和推進協会は、長崎市から原爆資料館の運営を委託され ているなかば公的な組織である。すなわち、長崎においては、被爆をめぐる語りを発信する中心 的な拠点として認識されている。

このように、被爆者から非体験者への継承活動が活発に試行される一方で、報道では「被爆体 験の風化」という表現がしばしば見受けられる。つまり、被爆体験の継承は喫緊の課題として認 識されているにもかかわらず、それがいまだ解決されぬまま、被爆者の高齢化が進んでいるので ある。

原爆による被害を直接体験した人の呼称は、被爆者、ヒバクシャ、被爆当事者、生存者など複数あり、使用す る主体により定義も異なっている。たとえば、17年に施行された「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」

によれば、被爆者とは被爆者健康手帳の交付を受けた人のことである。昨今では、「被爆体験者」という言葉 が、被爆者健康手帳の発行対象地域外にいながら心身への被害を受けたと主張する人々の自称となりつつある。

このように、「被爆を体験した者」の定義や用法は、使用する主体やその時代によって変化する。こうした現 状を踏まえて、本稿では、被爆者健康手帳の所持や、被爆の記憶の有無にかかわらず、主体が「被爆者」と自 覚している場合は「被爆者」と表記する。

本稿では、「被爆者」ではない人、すなわち、被爆したと自覚している人以外の人を表す。

長崎市の施設である長崎原爆資料館と国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館のこと。本稿では、以後、「資料館」

という表記によってこの両館を表す。

官民一体の財団法人として設立されたが、21年に公益性が高いことを理由として、公益財団法人へ移行した。

本稿では以後、「平和推進協会」と表記する。

(2)

ある出来事の体験者がその出来事について語る場合と、その語りを引き継いだ非体験者が語る 場合とでは、出来事の表象をめぐる語りの構造という点に大きな違いがある。非体験者に視点を 置けば、この差異は次のような問いを必然的に導くことになる。すなわち、「非体験者がおこな うことのできる被爆の語りとは何をどのように伝達するものであるのか」という問いである。

この問いへの答えを見出すために、本稿では、まず、平和案内人の実践を取り上げ、その語り を検討し、継承を困難と感じさせている原因を明確にする。そのうえで、平和案内人の中から生 まれてきた新しい語りの兆候とその可能性を指摘する。その際の理論的立脚点となるのは、歴史 の物語り論である。歴史の物語り論は、出来事は主体により想起され再構成されることではじめ て認識され、その出来事が物語り行為を通して歴史的出来事として間主観的に共有される、とい う理路を持っている。考察のデータとするのは、平和案内人によるガイドの実践における語り、

および平和案内人とのインタビューを録音し、トランスクリプトに書き起こしたものである。

2.平和案内人による被爆をめぐる語り

6年、平和推進協会は語り部に対して、文書「よりよい『被爆体験講話』のために」を配 布した。この文書において、平和推進協会は、政治的な問題や歴史認識に関する発言を自粛する よう語り部に要請していた。そのため、この文書は語り部たちや研究者たちからの批判を受ける ことになり、半年後に撤回された。しかし、本稿ではこの点については割愛し、この文書に掲載 されたもう一つの項目に注目する。すなわち「被爆体験を語ることは唯一被爆者にしかできない ことであり」という一節である。上の箇所とは対照的に、この一節に対して、語り部や研究者た ちから批判が生じることはなかった。すなわち、〈被爆体験を語ることは唯一被爆者にしかでき ない〉という認識は、平和推進協会のみならず、語りをおこなう主体にとっても違和感のないも のなのである。しかし、この認識は自動的に、〈被爆者以外(非体験者)は被爆体験を語ること ができない〉というテーゼを導き出すこととなってしまう。とすれば、非体験者に求められる「被 爆の語り」とはどのようなものになるのだろうか。

2. 1.平和案内人制度の特徴

平和案内人は、修学旅行生や個人の観光客とともに、資料館や被爆遺構を巡りながら、その解 説をするボランティアガイドである。平和案内人となるには、

!

8歳以上であること、

"

約15回 の平和案内人育成講座の80%以上を受講すること、が条件であり、被爆体験は問われない。すな わち、平和案内人とは、非体験者にもできる被爆をめぐる物語り実践の一つなのである。22年 1月現在、第4期生までの14名が登録されている。「平和案内人事業実施要綱」により、彼ら の活動場所と内容は、資料館と被爆遺構におけるガイドに限定される旨規定されている(長崎平 和推進協会 24)

本稿においては、語り部とは、平和推進協会が運営する「被爆体験講話」をおこない自身の被爆体験を語る被 爆者のことを意味する。

9年5月26日に、筆者が平和推進協会の係員からいただいた資料による(長崎平和推進協会 27)

(3)

しかし、平和案内人制度が設立された当初、平和推進協会は必ずしもガイド事業による運営を 企図していたわけではないようである。この制度の設立の経緯と理念について、平和案内人第1 期生が以下のように述べている。

S:最初の立ち上げ自体がよくなかったのね平和案内人もね。なにをするっていうー目的

がないままただ、こういうものを作ってみましょうから始まったので、1期生の時はほんと に何をするかわかんなかったのね、(一同:うん、うん)(冨永:ふーん)

[……]

冨永:え、じゃ最初からその、碑めぐりとか資料館の案内を

S:目的はしてないと思う

[……]

SG:O

さんとしては、被爆者の人たちが年齢どんどん上がっていって、このままだと原 爆を語り継ぐ人たちがいなくなるから……なんとかその、伝えていかないとっていうものが あるので、そのー、最初は平和案内人ては言ってなかったけど、(S:そう)、勉強、する人 たちをその、(N:うん)、集めたい(N:うん)っていうことを言って、始まったの。(2 年3月25日)

S

さんや

SG

さんの発言にあるように、平和案内人制度は、当初、原爆や被爆について学習する 機会を作るとの理念で設立された。その時点では、平和案内人の活動は具体的にイメージされて いなかった。つまり、SGさんが話しているように、体験の伝達を第一の目的としていたため、

主体的で多様な語りが実践される可能性もあった。ところが、育成講座を修了した時点で、平 和案内人の活動は資料館と被爆遺構のボランティアガイドに特化された。平和案内人は、一人称 的な語りをおこなうより、三人称的な語りによって被爆に関する知識・情報を提供する方法をと ることとなった。すなわち平和推進協会は、非体験者である平和案内人が主体的に被爆をめぐる 語りをおこなうことを回避したのである。平和案内人たちが非体験者としていざ語りだそうとし たとき、〈被爆体験を語ることは唯一被爆者にしかできない〉との前提が壁となって彼らに立ち はだかったと言い換えることもできる。

しかし、その一方で、長崎において、平和案内人は被爆体験を継承する主体として位置づけ られている。その結果、彼らは、設立当初の「自身で勉強し[主体的に]原爆を語り継ぐ」との

Sさんは40代女性で、平和案内人から派生した自主活動グループの代表もつとめている。

SGさんは平和案内人第1期生の50代女性。SGさんの発言中あいづちをうっているNさんは60代女性で、平 和案内人活動もおこなっている。Sさん、SGさん、Nさんへはトランスクリプトをお渡ししたうえで本研究 への使用の承諾を得ている。

その頃、原爆資料館では「モデルガイド」という雇用事業がおこなわれていた。モデルガイドは、資料館内の 配置された場所で、来館者たちに解説をおこなう定点ガイドであった。この事業の経験があったため、平和案 内人の事業をガイドとすることは一つの選択肢ではあった。モデルガイドについては、同日のインタビューに おいて、SGさんをはじめ、複数の方々よりご教示を得た。

1年12月11日におこなわれた平和案内人全体会議において、ある語り部により配布された資料には「平和案 内人は最も身近な被爆体験継承者」という一節が記されている(廣瀬方人 21)

(4)

理念と、「ガイドとして知識・情報を提供する」という現実とのあいだで矛盾を抱え込むことに なる。そのため、「語る主体としての私」をガイド活動のなかにどのように位置付ければよいの かわからなくなる人もいる。元平和案内人の

C

さんもその一人であった。

C:こう……自分が体験していないことを、

(冨永:うん)、……自分が体験したかのよう

にというのは、ちょっと語弊があると思うんですけど。(冨永:あぁぁぁ)なんていうかな、

それと、同じには無理でしょうけど、そこに近づけるような、説明とか案内とか…しなきゃ いけないって多分私が思って、いたんですけど、(冨永:うん)、というか…ねぇ……自分が 感じたことをつ、なんか今言ってしまいますけど、その通り言ってる、言うわけではないの で……。(29年4月4日)

C

さんは平和案内人第1期生であり、設立の理念に沿って「原爆を語り継ぐ人」となるべく、育 成講座を受講した。講座修了後、平和案内人の活動がガイドの形態になったため、Cさんは、ガ イドをしつつ、語り部に近づくような語りをしたいと一度は考えた。しかし、語り部と平和案内 人とでは、語りの方法が全く異なるため、彼女は自らの試みの実現に困難を覚えた。そのうえ、

ガイドの実践に際しては、自分が感じたことではなく勉強したことを語ることが要請される。C さんの話は、実際の平和案内人としての活動が、彼女が思い描いていた「被爆体験の継承者」イ メージからどこか本質的に隔たったものであったことを示唆している。Cさんは、2年間の活動 ののち、平和案内人活動を辞退した。

C

さんの事例を念頭に入れて平和案内人の登録状況を見ると、他期生と比較して、第1期生で は辞退者の割合が明らかに大きい。講座を修了しながら21年4月時点までに活動から辞退した 人数は、第2期生から第4期生をあわせても11名中8名であるのに対して、第1期生からは7 名中30名の辞退者が出ている。このことは、第1期生には、Cさんと同様に自分の言葉で語る 人になろうと平和案内人を志したものの、ガイドとしての活動に戸惑いを覚え、離れてしまった 人が他にもいることを示唆している。つまり、Cさんたちが活動から撤退した背景には、平和案 内人の役割が、既成の知識や情報を〈公正・中立・客観〉を旨として提供するガイド業務に限定 されたことがある。その原因として、まず、被爆体験を語る権能が被爆者のみに与えられること が自明視されており、そのため、では非体験者は何をどのように語ればよいのか、という問いが 根底から問われることもないという状況がある。

2. 2.実践例の検討

次に、二名の平和案内人によるガイド実践のトランスクリプトをテクストとして、彼らのガイ

Cさんは平和案内人第1期生の30代女性である。活動から辞退した理由などを中心に4回のインタビューをお こなった。Cさんからは録音およびトランスクリプトの研究への利用について承諾を得ている。

平和案内人の制度では2年毎の登録更新制度がとられている。第1期生と第2期生が3回の登録更新を経てい るのに対して、第3期生は2回しか登録更新を経ておらず、また、第4期生はまだ更新の時期を経ていない。

そのため、今後もそれぞれの数は変動していくと考えられる。とはいえ、第1期生では最初の登録時に講座を 修了した71名中56名が登録したに留まっており、他の期生とは異なる動向を示している。

(5)

ドが実際にどのように行われているかを検討する。最初に取り上げるのは、第4期生

A

さんの ガイド実践における語りである

はい、ここからが、資料館の中でございます。えー、ね、できれば15分ほどで、終わらし ていただきたい、というわけでちょっと時間オーバーになる場合もありますのでぜひ、熱が 入るともう喋っちゃうんですよ(Mへっへっへ)そういう時にはあの、どうぞお許し下さ い。えー、ここはまだ、原爆前です。えー、まぁ長崎の原子爆弾が落ちる前の、もう様子で すね。で、中心地はだい、もう私がいま、この辺だそうです。で、えー、ここは、どこと思 われます?これも被爆してるんですよ、長崎市内で(Fあ、なん)(Aさん:Fの言葉を遮 る)これが有名な、浦上天主堂です。はい、えー、これももう完全にやられて、なんにも残っ ておりませんでした。

[……]

はい!さきほど申しましたこれが瓦です。こちらかぶっているところ、触ってよかですよ。

これが、あー、その、20度みたいな温度で溶けたと言われる瓦の表面です。ざらざらして ますでしょう?ま、これが、当時の、瓦と、言われております。(21年5月14日)

この語りを録音したのは、21年5月14日、Aさんたち第4期生が平和案内人として登録されて から2週間ほどの時であった。にもかかわらず、彼の語りの方法には、すでに平和案内人の語り の特徴が現れている。まず、展示物の解説が1つずつ細切れであり、文脈の連接が見られないこ とである。Aさんは、ある展示物について説明をした後、「はい」という言葉で区切りを入れ、

次の説明へと移行する。聴衆は、展示物と展示物の関係性が見出せぬままに、それぞれの説明を 受ける。次に、聴衆とのコミュニケーションによってガイドの内容や方法が変更されないという 特徴が挙げられる。Aさんが、「どうぞお許しください」や「どこと思われます?」「ざらざら してますでしょう?」などといった言葉で、聴衆に語りかけることはあるが、その後の聴衆の反 応を受けて、相互作用的なコミュニケーションにまで移行することはない。伝聞形式の文末表現 をしばしば使用することも平和案内人の語りによく見られる特徴である。引用した部分において は、「もう私がいま、この辺だそうです」「瓦と、言われております」がそれにあたる。

次に、第3期生、Bさんのガイド実践を検討する

事例1

であとこちらのですね、ディスプレイの中に、あの、私がご紹介しているの、岩のように

活動実践におけるトランスクリプトにおいて、 )内の言葉は聴衆から発せられたものを記載している。M は男性の聴衆、Fは女性の聴衆の発言を示す。

Aさんは60代男性で平和案内人第4期生である。被爆当時は長崎市郊外にいたため、ご自身を「被爆体験者」

と呼ぶ。Aさんが案内した来館者(聴衆)は、年輩のご夫婦であった。

Aさんからは、録音と本研究へのトランスクリプトの使用の承諾を得た。

Bさんは平和案内人第3期生の40代男性、他県出身者で被爆二世ではない。

Bさんにはトランスクリプトを郵送し、録音と本研究へのトランスクリプト使用の承諾を得た。

(6)

あの、固まった赤土というのをご紹介しています。で、当時ですねこの、このー地域にです ね、宮崎さんという方が住んでおられました。でその方はですね11時2分その時には仕事に 出ておられて、難を、あー助かってるわけなんですけれども、えー被爆したあと、家があっ たんで、家族を探しに戻られました。でも、あのもうー何もないわけですね家もなければー もう家族も残ってないと。で当時その、じぶ、ご自宅のー庭のですね、土がこういう風に赤 い色の岩のようになったと、いうことでこれをーあの、家族はもうこの岩になったんだろう ということで、保管されてて、まぁ時が経って(M:うん)あのー、資料館に寄贈していた だきました。(21年5月14日)

事例2

こちらでご紹介しているのはこのー岩の上に固まった赤土を紹介しています。(F:熱く て)当時ですねこの近くに宮崎さんという方(F:えぇ)住んでおられました。(F:はいは い)でその方はその(F:ねぇすごいね)11時2分の時に仕事に出ておられていて、難をの がれてました。ご家族を探しに戻ってきてですね(F:はい)この家の、家ももう木っ端微 塵に壊れて(F:はい)あとかたもなかったと、で家族の遺体もないし(F:はい)で自分 のところにあった庭の土がですね(F:はい)こういう赤い、岩になってると、いうことで、

これがもう家族になったんだと思ってー(M・F:あー)後生大事に(F:はぁ)保存されて て(F:ははぁ)、で時が経って資料館に寄贈していただいたんです。(M・F:あー)(2 年5月14日)

事例1と事例2を比較すると、物語りの流れ、言葉の選択などが非常に相似していることがわか る。事例1は聴衆からの反応がほとんどなかったケースであり、対して事例2は聴衆からの反応 が活発であった。この二つの事例において、聴衆は異なる反応を示している。にもかかわらず、

B

さんは語りの方法を大きく変化させることはしないままにガイドを進めた。このことは、彼 が、聴衆と相互に作用しながら語りを構築していくよりは、あらかじめ作っていた語りの忠実な 再現を優先していることを示している。

2. 3.平和案内人に課せられるもの

A

さんと

B

さんのガイド実践における語りから、平和案内人は、正確な情報の伝達を課せら れるがゆえに定型的な語りを反復しがちであり、そのため、聴衆との相互作用的コミュニケーショ ンが築かれにくい状況が生まれていることがわかる。先に触れたように、平和案内人が正確な情 報の伝達を要するガイド業務に役割を限定せざるをえなくなったのは、被爆体験を語る権能を被 爆者のみに帰すことが当然のこととされているからであった。つまり、平和案内人の語り実践に おいて、被爆をめぐる語りに関する非常に根源的な問題に反省的なまなざしが向けられていない ことが、聴衆との相互作用的コミュニケーションが阻害される結果を生んでいるのである。

Bさんは、引用外の部分では事例1、2の双方において、聴衆と言葉をやり取りしている。ただしそれは、「平 和公園には行かれましたか?」「長崎駅、見られました?」などの確認であり、すぐに元の語りに回帰した。

(7)

くわえて平和案内人は正確な情報を伝達すべきという自明性にもとづいて、平和推進協会は、

公的に認証された数値を中心とした情報のマニュアルを平和案内人に与えている。このマニュア ルは、平和案内人にとって解説をやりやすくしてくれる便利な道具である。しかし、マニュアル の配布は、同時に、平和案内人が、指示された実相や数値の伝達により重点を置くべきと考える 結果をも生み出している。

また、公的に認証された事実を伝えることを目的としているがゆえに、平和案内人は伝聞表現 を利用しがちとなる。そこで、平和案内人による語りの文末表現に、伝聞形式がどれほどの頻度 で使用されているかを検討した。対照のために、平和案内人グループから派生した自主活動グルー プ・ピースバトンナガサキの実践における語りについても同様の作業をおこなった。その結果、

自主活動グループであるため発言に対する公的な制約が相対的に少ないピースバトンナガサキの メンバーによる伝聞表現の使用割合が3.7%であることに比べ、平和案内人が伝聞体を使用する 割合は8.3〜8.8%であった。栗山昌子は、日本語における伝聞表現が及ぼす作用について、

!

話者が伝達する内容を客観化する、

"

発話者は、語る内容について、自分が知っているわけでは ないが価値のある情報だと伝えようとする、と整理している(栗山 22:17−11)。この知 見を援用するなら、平和案内人は、なかば公的な機関である平和推進協会から派遣されたガイド として、自身の語りに公的な権威を帯びさせると同時に、その内容に対しては主体的には関与し ていないことを暗示するという言説の力学を働かせていると解釈できる。

以上のように、平和案内人は、活動をガイドという方法に限定されているがゆえに、中立的な 立場から客観的に被爆の実相を伝達するという役割を担うことになる。その結果、自身の考えで はなく、公的な権威によって認証された事実を伝達することを選択せざるをえない。そのことが、

結果的に、彼らに聴衆とのコミュニケーションを困難にさせる要因の一つとなっているのである。

2. 4.別様の語りへ――新しい可能性のきざし

平和案内人の活動が客観的な解説に限定されるのは、それが、関係諸主体にとって、〈被爆体 験を語る〉という行為の可能性と当為に反省的なまなざしが向けられることのないままに、自明 のものとなっているからである。しかし、「歴史の物語り論」の立論からすれば、主体=主語=

主観=subjectを透明化した語りは自らを間主観的な相互作用のネットワークに連接していくこ とはできない。「歴史の物語り論」においては、想起‐再構成をおこなうためには、語り手の主 体性が必要不可欠となるからである。だとすれば、被爆者であれ、非体験者であれ、まず、語り 手が身体と経験を有した主体=主語=主観として語ることが、被爆という出来事を歴史的出来事 として構築することの前提になる。すなわち、今後も長崎において被爆をめぐる語りが継続され る可能性を見出そうとするなら、平和案内人を含む非体験者もまた、「客観的な解説の語り」と は異なった語り、出来事を物語ることがまた同時に一つの出来事となるような語りを模索するこ とからはじめなければならない。

そもそも、語り手が主体性=主観性を全く出さずに語ることは難しい。下記はそのことを証す る平和案内人

B

さんのガイドにおける語りの一節である。

(8)

あとこの吉田勝二さん、えーと、昨年まで、昨年4月1日に亡くなられました。でーそれ まではですね、わたしと一緒にこのばい、あ、バイトじゃないです。バイトじゃないですよ!

(来館者複数:アハハハハ)まちが、ボランティアです。を一緒に、されてました。でー非 常にですね、顔残念ながら大ヤケドされてます。ただ目鼻、め、目とは、鼻とかしたらすご くー、あのー、あのー、美男子ですもんねー。でこうやってご紹介されるとー、本人がうし ろから うゎっ ってこう来てね(笑)、(来館者男性:あー)

hh、これがおれの顔って、(来

館者複数:あー)ヤケドせんかったらあのキムタクだからーって。そういう茶目っ気のある 方ですね。(来館者女性:ふーん)当時(…1秒…)こう、こういう、すごい(来館者男性:

あぁ)。一緒に私と広島の研修に行きました。(来館者女性:あぁー、他:あぁ、女性:キレ イ)すごく元気な方でした。(21年5月14日)

ここでは、最初に

B

さんが「バイト」と間違って言いかけたことから、ガイドとしての三人称 的な語りにほころびが生じ、それによって、Bさん自身が思わず自分の体験と感想を語るという 展開となっている。Bさんの語りがこのような形で主観性をあらわにしたとき、多数の来館者 が立ち止まり、その語りに耳を傾けた。10名ほどの大きな集団が自然発生し、その中ではしばし ば感嘆の声があがったのである。筆者が参与観察した範囲では、ガイドの対象者以外の来館者が 立ち止まり一定時間説明を聞くような状況は稀にしか生じない。つまり、この時の

B

さんの語 りは、通りすがりの人をも捉える語りだったのである。

この事例における語りの特徴として二つの点が挙げられる。まず、ステレオタイプ化された被 爆者のイメージとは違う、剽軽でいきいきとした語り部の姿を目の当たりにすることができたこ 、もう一点は、平和案内人自身の体験が、「私」の視点で、すなわち一人称的に語られている ことである。この二点は、どちらも平和案内人による被爆の語りの定型からは逸脱している。し かしながらこの語りが聴き手に強い印象を残したのである。Bさんの語りは、語る主体としての 平和案内人による新しい実践の可能性を示唆している。

実は、筆者も受講を修了し平和案内人として登録されている第4期生の一人である。平和案内 人としてガイド活動に従事することもある。筆者がガイドをおこなう際に最も実感するのは、対 象物に関する解説に誤りがあってはならない、という心理的な圧力の強さである。そのため、語 りの内容(解説文)をほぼ定型化させているし、気付けば「〜と言われています」「〜だそうで す」などの伝聞表現を多用する。しかし、そのような筆者も、「私」の体験に基づく語りをおこ

筆者は同日にBさんのガイドにもう一度同行したが、その際には吉田さんについての語りはおこなわれなかっ た。

元平和案内人Cさんにとって最も印象深かった語り部はこのBさんの語りで言及される吉田氏であった。C さんもまた、吉田氏の明るさに強く感銘を受けたと話してくれた(27年9月11日;29年4月4日)。生前 の吉田氏を知る平和案内人に問うと、皆一様に、彼の明るさとバイタリティに力を貰ったと語る。吉田氏は自 身の被爆体験を中学生に紙芝居にしてもらい、その紙芝居を持った平和案内人(白鳥純子氏)を自身の被爆体 験講話に同道していたという(20年7月3日、白鳥氏より口頭でご教示を得た)。このことは、悲壮感をもっ て原爆の悲惨さを訴える語り部の姿が一般的とされていること、それに対して、非体験者たちは、そのステレ オタイプ的な悲壮感に覆い隠されることのない動態的な被爆者と語りにこそ被爆という出来事のリアリティを 感じていることを表しているのではないだろうか。

(9)

うことがある。ある先輩平和案内人から聞いた言葉を紹介するのである。それは、「こんなふう にいろんな数値があるけれども、本当のところはわからん。死者数にしたって、このガラスにへ ばりついた手の白骨はどうして数える?一体かね?本当の怖さは 本当のことはわからない、知っ ている人は皆死んだ というところにある」というものである。これは、平和案内人の語りとし ては非常に逸脱的な語りである。しかし、筆者が先輩の言葉を紹介し、「私もそう思います」と 語ると、聴衆は強い関心を示してくれる。

3.結論

長崎における被爆をめぐる語りの現場においては、〈被爆体験を語ることは唯一被爆者にしか できない〉というテーゼが自明のこととして共有されているがために、平和案内人の活動は、資 料館と被爆遺構のガイドというスタイルに限定されてしまっている。しかも、なかば公的な存在 である平和推進協会の運営のもと、ガイドのためのマニュアルも配布されており、平和案内人は、

自身が提供する情報に誤りがあってはならないという心理的な圧力を感じている。そのため、平 和案内人のガイドにおける語りは、数値を中心とした事実を客観的に提示する解説文を事前に準 備し、そのとおりに語るものになりがちである。しかし、吉田勝二さんに関する語りをおこなっ

B

さんや、筆者に印象的な語りを聞かせてくれた先輩平和案内人、そしてその先輩の語りを 引き継ぐ筆者の実践からは、平和案内人としておこなう語りの新しい可能性を読み取ることがで きる。それは、ハプニング的に、あるいは意図的に、定型的な語りから逸脱し、主体的に被爆に ついて語る可能性である。

平和案内人は、長崎において、今後もその活動が注目を集める発信力の強いグループであり続 ける。平和案内人の制度を運営する平和推進協会が、被爆をめぐる語りを継承する活動の中心だ からである。現在のところ、平和案内人の活動がガイドという方法に限定されるがゆえに、語り に制約が付され、それにより伝達が難しくなっていることは、平和推進協会にも平和案内人自身 にも明確に認識されてはいない。しかし、平和案内人が今後も被爆を語り続けるならば、いずれ は非体験者としての被爆の語りのありようについて、改めて検討を必要とする時期が来る。その 時点まで、個々の平和案内人は、ガイド活動において、それぞれに定型から逸脱した語りを含め た多様な語り実践の体験を積むことができるはずである。その体験の蓄積は、非体験者として被 爆をめぐる語りをおこなう平和案内人の活動を再考する際の貴重な資源となる。

[主要文献]

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廣瀬方人 21 「平和案内人・被爆体験講話資料」 (21.2.1付配布) 石原千秋ほか 11 『読むための理論――文学・思想・批評』 世織書房。

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(10)

[参考サイト]

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(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2006/139.html, 2012.1.24) 葉柳和則ほか 23 「自主講座:歴史・物語・倫理」

(http://hayanagi-semi.web.infoseek.co.jp/zemi/jishukoza.html, 2012.1.5) 長崎平和推進協会 27 「ピースウィング長崎」

(http://www.peace-wing-n.or.jp/, 2012.1.23)

栗山昌子 22 「日本語の伝聞形式と話法――日本語学習者の習得し難い点」 『人文学研究:福岡女学院大 学人文学研究所紀要』 第5巻 pp.0。

長崎平和推進協会 26 「より良い『被爆体験講話』を行うために」 (26.1.0付配布)

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野家啓一[16]25 『物語の哲学』 岩波書店。

岡真理 27 『記憶/物語』 岩波書店。

桜井厚 22 『インタビューの社会学 ライフストーリーの聞き方』 せりか書房。

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