おもちゃ絵画家・人魚洞文庫主人川崎巨泉のおもちゃ絵展
とその画業の周辺について-
附 ・ 川 崎 巨 泉 年 譜
(稿)・「これがおもちゃ
絵 だ ! 」 関 連 講 演 会 レ ジ ュ メ -
森 田 俊 雄 ( 中 之 島 図 書 館 ) 〔 1 〕 人 魚 洞 文 庫 と お も ち ゃ 絵 1- 1.人魚 洞文庫の展示について 当 館 で は 2006(平 成 18)年 10 月 11 日 か ら 10 月 26 日 ま で 、3 階 文 芸 ホ ー ル に お い て「 こ れ が お も ち ゃ 絵 だ ! - 巨 泉 玩 具 帖 に 見 る 大 正 ・ 昭 和 初 期 の 郷 土 玩 具 - 」 展 を 開 催 し た 。 今 回 の 川 崎 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 の 展 示 は 、本 年 5 月 に 巨 泉 の 肉 筆 画 帖『 巨 泉 玩 具 帖 』『 玩 具 帖 』 に 描 か れ た 全 て の お も ち ゃ 絵 を 「 人 魚 洞 文 庫 デ ー タ ベ ー ス 」 と し て デ ジ タ ル 化 し 、 当 館 ホ ー ム ペ ー ジ で 一 般 公 開 し た こ と を 記 念 す る 意 味 が あ っ た 。 人 魚 洞 文 庫 と は 『 巨 泉 玩 具 帖 』『 玩 具 帖 』そ し て『 索 引 』の 116 冊 を 指 す も の で 現 在 は 貴 重 書 に 指 定 し て い る 。人 魚 洞 文 庫 の デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 化 の 経 緯 は 2002( 平 成 14) 年 度 、 T A O 事 業(1)で 全 画 像 を デ ジ タ ル 化 し た こ と か ら 始 ま っ た 。2003( 平 成 15)年 度 は 玩 具 帖 に 記 載 さ れ た 巨 泉 の 解 説 を 翻 刻 し 、 玩 具 の 製 作 県 の 特 定 な ど を 調 査 す る た め に 費 や さ れ た 。 そ の 際 、 節 句 と 人 形 ・ 玩 具(以下「 玩具」は「郷土玩具」を指す。)の研究家としても知られる石沢誠司氏(現京 都 文 化 財 団 京 都 府 立 文 化 芸 術 会 館 館 長)に玩具製 作県の特定などでご協力を得、人 魚洞文庫デ ー タ ベ ー ス が 完 成 し た 。 人 魚 洞 文 庫 が 当 館 に 寄 贈 さ れ た の は 1942(昭 和 17)年 11 月 、 巨 泉 没 後 2 ヶ 月 ほ ど あ と の こ と で あ る 。寄 贈 さ れ た 玩 具 帖 が 展 示 さ れ た の は 1943( 昭 和 18)年 9 月 の こ と で あ っ た の で 今 回 は 63 年 ぶ り の 一 般 公 開 と な っ た 。因 み に 1943( 昭 和 18)年 の 展 示 記 録 と し て は『 川 崎 巨 泉 画 伯 遺 墨 人 魚 洞 文 庫 絵 本 展 覧 会 目 録 』( 昭 和 18 年 9 月 12 日 発 行 )A5 サ イ ズ 、33 頁 の 小 冊 子 を 大 阪 府 立 図 書 館 (現 大 阪 府 立 中 之 島 図 書 館 )が 編 集 発 行 し た も の が 残 る 。 展 示 内 容 は 巨 泉 が 生 前 制 作 頒 布 し た『 巨 泉 お も ち ゃ 絵 集 』『 巨 泉 漫 筆 お も ち ゃ 箱 』な ど を 始 め と す る 主 要 な 画 譜 の 全 て 、 そ し て 寄 贈 さ れ た 人 魚 洞 文 庫 、 ま た 巨 泉 の 愛 用 の 東 京 犬 張 子 、 八 戸 木 馬 な ど の 郷 土 玩 具( 以 下「 玩 具 」)8 点 、他 に 玩 具 を 神 祇 、武 器 、武 者 人 形 、鬼 退 治 、軍 用 動 物 、猛 獣 、不 倒 、経 済 力 、増 産 、海 上 輸 送 、人 形 総 動 員 、大 東 亜 共 栄 圏 及 同 盟 国 の 12 の 主 題 に 別 け 、 戦 争 遂 行 に 見 立 て て 展 示 し て い る 。 展 示 期 間 は 巨 泉 の 一 周 忌 を 記 念 し 9 月 12 日 か ら 14 日 の 3 日 間 開 催 さ れ た 。さ て 今 回 の お も ち ゃ 絵 の 展 示 で あ る が 、 巨 泉 と 同 時 代 人 で 彦 根 の 玩 具 コ レ ク タ ー 高 橋 狗 佛 の コ レ ク シ ョ ン の う ち か ら『 巨 泉 玩 具 帖 』『 玩 具 帖 』に 描 か れ た も の と 同 じ 玩 具 や 貯 金 玉 ( 貯 金 箱 ) 等 38 点 を 、 所 蔵 す る 彦 根 市 立 図 書 館 か ら 借 用 し 、 あ わ せ て 国 宝 ・ 彦 根 城 築 城 400 年 祭 実 行 委 員 会 の 後 援 を え て 開 催 の 運 び と な っ た 。 高 橋 狗 佛 に つ い て 研 究 家 藤 野 滋 氏 の 論 考 に よ り な が ら 紹 介 し た い 。高 橋 狗 佛 は 本 名 敬 吉 。 1874(明 治 7)年 、 井 伊 家 彦 根 別 邸 の 家 職 高 橋 要 の 次 男 と し て 現 在 の 彦 根 市 に 生 ま れ た 。 滋 賀 県 立 尋 常 中 学 校 (現 滋 賀 県 立 彦 根 東 高 等 学 校 )卒 業 後 、 滋 賀 県 立 蚕 糸 業 組 合 立 簡 易 蚕 業 学 校 (現 滋 賀 県 立 長 浜 農 業 高 等 学 校 )の 教 員 を 経 て 、1907(明 治 40)年 、33 歳 で 私 立 日 本 済 美 学 校 の 中 学 の 理 科 教 師 と な る 。 1916(大 正 5)年 こ ろ 井 伊 家 当 主 直 忠 に 懇 望 さ れ 当 時 7 歳 の 双 子 の 兄 弟 直 愛 、 直 弘 の 家 庭 教 師 兼 訓 育 係 と な り 東 京 麹 町 の 井 伊 家 に 入 る 。 環 境 の 変 化 に よ り 神 経 衰 弱 と な り か け た 狗 佛 を 救 っ た の が 玩 具 (お も ち ゃ )だ っ た 。1922(大 正 11)年 三 田 平 凡 児 が 始 め た 我 楽 他 宗 に 参 加 し 、 犬 の 玩 具 蒐 集 家 と し て 知 ら れ た 。 狗 佛 の 蒐 集 品 :「 鯛 車 」 (図 1) 巨 泉 画 :「 大 阪 製 鯛 車 」(図 3) 狗 佛 の 蒐 集 品 :「 虎 乗 り 加 藤 」 (図 2) 巨 泉 画 :「 虎 乗 り 加 藤 」 (図 4) 1944(昭 和 19)年 蒐 集 し た 玩 具 を 彦 根 市 立 図 書 館 に 寄 贈 し た 。 そ の 数 2376 点 。 玩 具 の 大 半 は 1924(大 正 13)年 か ら 1936(昭 和 11)年 の 間 に 蒐 集 さ れ た も の で あ る 。1953(昭 和 28)年
に 亡 く な る ま で 井 伊 家 の 教 育 係 り と し て の 職 責 を 全 う し た(2)。 展 示 会 場 の 3 階 文 芸 ホ ー ル の 中 央 に 置 か れ た 8 面 の 可 動 式 展 示 ケ ー ス を 東 北 、 関 東 、 中 部 、 近 畿 、 大 阪 、 中 国 ・ 四 国 、 九 州 の 7 つ の 地 域 の 分 け 、そ れ ぞ れ に 巨 泉 玩 具 帖 や 玩 具 帖 と 狗 佛 の 玩 具 を 並 べ た 。 壁 面 の 展 示 ケ ー ス に は“ 巨 泉 を 知 る ”と し て 錦 絵 集『 大 阪 名 所 』『「 大 阪 名 勝 十 六 景 』、引 札 、絵 図 、印 譜 、個 人 誌『 人 魚 』、『 お も ち ゃ 画 譜 』 『 お も ち ゃ 十 二 月 』 な ど を 配 し た 。 師 で あ り 義 父 で も あ っ た 浮 世 絵 師 中 井 芳 瀧 の 画 業 の 紹 介 と し て『 浪 花 百 景 』や 役 者 絵 を 中 心 に 並 べ 、 図 録 (図 5) お も ち ゃ 絵 の 系 譜 と し て は 江 戸 時 代 の 玩 具 絵 本『 江 都 二 色 』、明 治 ・ 大 正 の 玩 具 絵 本 『 う な ゐ の 友 』、 お も ち ゃ 絵 関 連 と し て 淡 島 寒 月 の 『 お も ち ゃ 百 種 』、 有 坂 与 太 郎 の『 日 本 玩 具 集 お し ゃ ぶ り 』、玩 具 研 究 誌『 片 言 』、『 鳩 笛 』な ど を 展 示 し た 。ま た 国 宝・彦 根 城 築 城 400 年 祭 実 行 委 員 会 関 係 と し て 2007(平 成 19)年 度 彦 根 市 で 開 催 予 定 の 国 宝 ・ 彦 根 城 築 城 400 年 祭 の 案 内 パ ン フ や 高 橋 狗 佛 の 紹 介 と 狗 佛 コ レ ク シ ョ ン の 貯 金 玉 も 併 せ て 紹 介 し た 。 展 示 図 録 ( A4 版 12 ペ ー ジ 、 表 紙 は カ ラ ー 、 中 の 写 真 は 白 黒 ) は 巨 泉 、 芳 瀧 の 説 明 に 始 ま り 展 示 さ れ た 地 域 の 主 要 な お も ち ゃ の 解 説 、巨 泉 の 略 年 譜 等 を 掲 載 し た 。3000 部 を 作 成 し 会 場 で 頒 布 す る と と も に 都 道 府 県 立 図 書 館 等 に 寄 贈 し た 。 1- 2. 人 魚 洞 主 人 川 崎 巨 泉 に つ い て 人 魚 洞 文 庫 の 主 で あ っ た 川 崎 巨 泉 は 本 名 を 末 吉 と 言 い 、1877( 明 治 10)年 川 崎 源 平 の 三 男 と し て 泉 州 堺 の 神 明 町 坊 ノ 前 で 6 月 2 日 呱 々 の 声 を 上 げ た 。 兄 は 『 住 吉 ・ 堺 名 所 并 ニ 豪 商 案 内 記 』 を 自 ら 書 き 出 版 し た 川 崎 源 太 郎 。13 歳 (16 歳 と い う 説 も あ る )で 大 阪 の 浮 世 絵 師 中 井 芳 瀧 の 門 に 入 り 、 浮 世 絵 を 修 行 し 摺 物 画 、 引 札 、 風 俗 錦 絵 な ど を 手 が け 、1897(明 治 30)年 代 に は 商 業 広 告 、新 聞 広 告 の 下 絵 な ど を 制 作 し 民 間 の 図 案 家 と し て も 活 躍 し た(3)。 浮 世 絵 師 、 お も ち ゃ 絵 画 家 、 デ ザ イ ナ ー で も あ っ た 。 雅 号 は 巨 泉 、 別 号 と し 巨 泉 肖 像 (図 6) て 人 魚 洞 、芳 斎 、碧 水 居 、碧 水 軒 、虚 僊 、碧 水 が あ り 、別 に 人 魚 生 や 巨 の 字 、 碧 、 碧 水 坊 な ど も 使 っ た 。 巨 泉 の 雅 号 は 和 泉 の 堺 に 生 ま れ た こ と か ら 付 け た も の 。1899(明 治 32)年 芳 瀧 の 息 女 ハ マ 子 と 結 婚 し 、1903( 明 治 36)年 頃 に お も ち ゃ( 郷 土 玩
具 ) に 興 味 を 持 ち 始 め 、 そ の 後 玩 具 の デ ザ イ ン ・ 製 作 、 お も ち ゃ 絵 の 製 作 ・ 販 売 な ど で 明 治 末 期 か ら 大 正 、 昭 和 前 期 に か け て 活 躍 し た 。 主 な お も ち ゃ 絵 集 に 『 巨 泉 お も ち ゃ 絵 集 』 『 お も ち ゃ 百 種 』『 巨 泉 漫 筆 お も ち ゃ 絵 集 』『 お も ち ゃ 画 譜 』 な ど が あ る 。 ま た 個 人 誌 『 人 魚 』を 1921(大 正 10)年 2 月 に 創 刊 し た 。同 時 に 郷 土 玩 具 を 研 究 し『 郷 土 趣 味 』『 旅 と 伝 説 』 『 郷 土 研 究・上 方 』『 鯛 車 』な ど に 文 章 を 発 表 し た 。俳 諧 、川 柳 、詩 を 好 ん で 作 り 、落 語 好 き で も あ っ た 。 趣 味・遊 び の 世 界 で は 高 橋 好 劇 が 1919(大 正 8)年 に 創 始 し た 浪 華 趣 味 道 楽 宗 の 第 11 番 札 所 ・ 碧 水 山 虚 僊 寺 で ご 本 尊 は 人 魚 と お し ゃ ぶ り と し た 。 ま た 浪 華 趣 味 道 楽 宗 か ら 分 派 し た 娯 美 会 、ま た 面 茶 会お も ち ゃ か い、お も ち ゃ 十 二 支 会 な ど 皆 そ れ ぞ れ に 趣 向 を 凝 ら し た 遊 び の 会 に 積 極 的 に 参 加 し た 。 娯 美 会 で の 呼 び 名 は ハ マ 子 婦 人 の 亭 主 で “ ハ マ の 亭 主 ” と 呼 ば れ た 。 漢 字 で 書 く と “ 浜 野 禎 州 ”、 別 に “ 種 野 禎 州 ” と も 号 し た(4)。 1942( 昭 和 17)年 9 月 15 日 逝 去 。法 号 は「 幽 谷 院 芳 雲 巨 泉 居 士 」。墓 は 堺 市 の 大 安 寺 に あ る(5)。 な お 雅 号 の 人 魚 洞 の 人 魚 は 人 形 の こ と で 、“ に ん ぎ ょ う ” を “ に ん ぎ ょ ” と 地 口 で 洒 落 た も の で あ る 。 人 魚 洞 と 名 乗 る だ け あ っ て 、 人 魚 の 人 形 、 錦 絵 、 ポ ス タ ー 、 レ ッ テ ル 、封 筒 、絵 葉 書 、燐 寸 、外 国 雑 誌 、絵 画 な ど 人 魚 の も の な ら 何 で も 集 め た 。“ 魔 の 海 や 人 魚 の 肌 の う つ く し き ”(巨 泉 )。こ の 他 に も 巨 泉 は 、お 守 り 、御 影 、縁 喜マ マ物 の 由 来 書 き 、一 枚 摺 り 、 小 冊 子 。 各 地 名 所 の 名 所 図 ・ 案 内 図 、 神 社 仏 閣 の 古 図 (木 版 、 石 版 、 銅 版 )な ど を 蒐 集 し た(6)。 生 前 巨 泉 が 日 本 民 族 玩 具 協 会 の 雑 誌 『 鯛 車 』 6 巻 5 号 の 記 事 「 愛 玩 拾 遺 (一 )」 の 設 問 に 答 え た も の を 引 用 す る 。出 版 年 は 巨 泉 が 亡 く な っ た 年 の 1942(昭 和 17)年 5 月 1 日 発 行 で あ る 。 川 崎 巨 泉 (一 ) 職業:日本画家。 (二 ) 生年月日:明治十年六月二日。 (三 ) 出生地:和泉 堺。 (四 ) 玩 具 研 究 の 動 機 : 絵 に 書 け そ う な 郷 土 玩 具 を 集 め て ス ケ ッ チ し て 置 い た の が 動 機 と な り 、 明 治 末 期 よ り 其 蒐 集 に 全 力 を あ げ て 進 む 。 (五 ) 秘蔵の民玩:何回も何回整理せし故に今手元に残せしものは自分の好きなものだ け 、 其 多 く は ス ケ ッ チ 帖 百 四 五 十 冊 に 納 め た り 。(筆者注:このスケッチ帖が人魚洞文 庫
の 巨 泉 玩 具 帖 と 玩 具 帖 で あ る) (六 ) 編著書:自販としては、巨泉おもちゃ絵集、おもちゃ箱、郷土の光、おもちゃ画譜 、 肉 筆 お も ち ゃ 千 種 、 又 、 京 都 木 戸 氏 蔵 版 の 起 上 り 小 法 師 画 集 の 図 画 。 其 他 頼 ま れ た も の に は 、 お も ち ゃ 十 二 支 、 お も ち ゃ 十 二 月 、 郷 土 紋 様 集 、 お も ち ゃ 博 覧 会 等 其 他 種 々 あ り 。 (七 ) 関 係 団 体 : 之 迄 は 種 々 の 趣 味 の 会 に 加 入 せ し も 、 時 局 下 、 何 れ も 休 会 の も の 多 く 、 至 っ て 淋 し 。 (八 ) 趣味:人形や玩具を集めることが酒や甘いものより先にたつ。 1929(昭 和 14)年 に 出 版 さ れ た 島 屋 政 一 の 著 書 『 日 本 版 画 変 遷 史 』(7)に 巨 泉 の 紹 介 が あ る 。「 巨 泉 氏 は 姓 川 崎 、 名 は 末 吉 、 師 芳 瀧 の 長 女 濱 子 を 娶 り て 、 大 阪 南 区 鰻 谷 に 住 し 漁 人マ マ 洞 と 号 し 、 後 ち 西 成 区 有 楽 町 に 移 住 し た 、 明 治 大 正 よ り 昭 和 の 今 日 に 至 る ま で 版 画 に 精 進 し 、 特 に 明 治 大 正 時 代 に 於 け る 石 版 々 画 家 と し て 第 一 流 の 名 が あ っ た 、 殊 に お も ち ゃ 絵 に 秀 で 、 そ の 作 品 少 な か ら ず 、 又 昭 和 六 年 に は 『 芳 瀧 画 集 』 を 自 家 版 と し て 発 行 せ し が 如 き は 、 そ の 美 挙 真 に 推 称 す べ き で あ る 。」 『 芳 滝 画 集 』 の 出 版 年 月 日 は 1931(昭 和 6)年 6 月 10 日 。 印 刷 所 は 株 式 会 社 大 阪 国 文 社 。 個 人 誌『 人 魚 』も こ こ か ら 出 し た 。大 和 綴 。寸 法 は タ テ 約 22cm×ヨ コ 約 15cm。内 容 は 巻 頭 に 芳 瀧 の 肖 像 写 真・賞 印・画 印 が あ り 、中 の 図 版 は 白 黒 で 21 枚 挿 入 さ れ 、そ れ ぞ れ に つ い て 巨 泉 が 巻 末 に 解 説 を し て い る 。 こ の 解 説 が 芳 瀧 を 知 る 好 材 料 と な っ て い る 。 巻 末 の 「 小 冊 子 に つ い て 」 で 巨 泉 は こ の 本 の 出 版 意 図 を 語 っ て い る 。 な に よ り も ま ず 師 父 芳 瀧 へ の 報 恩 で あ る 。 芳 瀧 の 作 品 に つ い て は 借 用 す る 暇 も な く 自 分 の 所 蔵 品 に よ っ た こ と 。 ま た 門 人 た ち が 物 故 し た こ と で 逸 話 や 記 録 が な い の で 十 分 な 内 容 と は い え な い が 小 冊 子 と し て 250 部 を 作 っ た 。「 又 此 時 代 の 絵 師 の 作 品 の 片 影 と も 見 て 頂 く 事 が 出 来 れ ば 幸 い と 存 じ ま す 。」 と 結 ん で い る 。 な お 巨 泉 の 業 績 や 思 い 出 を 綴 っ た 本 に 下 記 の 3 冊 が あ る 。 (1)『 郷 土 玩 具 界 の 先 覚 川 崎 巨 泉 翁 を 偲 ぶ 』川 崎 巨 泉 翁 供 養 会 編 発 行 村 田 書 店 製 作 昭 和 54 年 内 容 : 小 谷 方 明 「 川 崎 巨 泉 翁 の 思 い 出 」、 川 口 栄 三 「 著 作 解 題 」、「 川 崎 巨 泉 画 伯 略 伝 」、 「 略 年 譜 」、「 川 崎 巨 泉 翁 供 養 会 々 則 」 (2)『 第 一 回 巨 泉 忌 』 奥 村 寛 純 編 川 崎 巨 泉 翁 供 養 会 発 行 村 田 書 店 製 作 昭 和 54 年
内 容:「 巨 泉 生 誕 百 年 と 三 十 三 回 忌 法 要 」を 1979(昭 和 54)年 9 月 15 日 に 川 崎 巨 泉 翁 供 養 会 々 長 小 谷 方 明 、 郷 土 玩 具 文 化 研 究 会 代 表 朏 健 之 助 、 全 国 郷 土 玩 具 友 の 会 近 畿 支 部 長 浜 口 新 次 が 呼 び か け た も の 。 堺 の 大 安 寺 と 海 会 寺 で 行 わ れ た そ の 報 告 書 。 (3)『 お も ち ゃ 画 譜 』 復 刻 版 川 崎 巨 泉 著 奥 村 寛 純 校 補 ・ 解 題 村 田 書 店 昭 和 54 年 内 容 は 巨 泉 の お も ち ゃ 画 譜 10 巻 と 小 谷 方 明「 お も ち ゃ 画 譜 を 出 さ れ た 頃 」、中 山 香 橘「「 お も ち ゃ 画 譜 」復 刻 を 祝 し て 」、「 川 崎 巨 泉 先 生 の 想 い 出 」、小 宝・太 田 健 次 郎「 川 崎 巨 泉 先 生 を 偲 ん で 」、奥 村 寛 純「 解 題:“ お も ち ゃ 絵 と 川 崎 巨 泉 画 伯 ”」、「 川 崎 巨 泉 画 伯 略 伝 」、「 略 年 譜 」 が あ る 。 な お (1)(3)の 巨 泉 略 年 譜 の 内 容 は 同 一 で 、そ の 元 資 料 は 1943(昭 和 18)年 の 大 阪 府 立 図 書 館 作 成 の 『 川 崎 巨 泉 画 伯 遺 墨 人 魚 洞 文 庫 絵 本 展 覧 会 目 録 』 所 収 の 略 年 譜 で あ り 、 そ れ を 若 干 追 加 訂 正 し た も の で あ る 。 さ ら に 民 俗 玩 具 研 究 家 奥 村 寛 純 氏 の『 浪 花 お も ち ゃ 風 土 記 』(村田書 店発行 昭和 62 年 ) は 大 阪 の 近 世 か ら 現 代 に 渡 る 「 大 阪 の 町 に 息 づ い て 来 た 」 玩 具 の 歴 史 な ど に つ い て 、 巨 泉 を は じ め 大 阪 の 玩 具 に 関 係 し た 人 た ち の 思 い 出 を 交 え て 詳 述 さ れ て い る 。 巨 泉 作 の 「 楠 公 子 別 れ 土 人 形 」な ど 珍 し い 写 真 も 掲 載 さ れ 、「 湊 土 人 形 と 津 塩 政 太 郎 翁 」の 項 で は 、巨 泉 考 案 の 土 鈴 の 名 前 が 挙 げ ら れ て い る 。 巨 泉 に 関 し て も 貴 重 な 文 献 で あ る 。 1- 3. お も ち ゃ 絵 と は 何 か 今 回 の 展 示 の タ イ ト ル と し て 掲 げ た の は 「 こ れ が お も ち ゃ 絵 だ ! 」 で あ っ た 。 サ ブ タ イ ト ル に 「 巨 泉 玩 具 帖 に 見 る 大 正 ・ 昭 和 初 期 の 郷 土 玩 具 」 と し た の で 、 ご 覧 に な っ た 方 た ち は 郷 土 玩 具 絵 の 展 示 と 理 解 し て く だ さ っ た と 思 う も の の 、 こ れ が 「 こ れ が お も ち ゃ 絵 だ 」 だ け で あ れ ば 、 日 本 近 世 以 来 の お も ち ゃ 絵 に つ い て ご 存 知 の 方 は 全 く 別 な も の を 想 像 さ れ た と 思 う 。 そ の お も ち ゃ 絵 で あ る が 、 前 川 久 太 郎 氏 は お も ち ゃ 絵 と は 「 一 枚 刷 り の 子 供 用 錦 絵 」 と 定 義 し て い る(8)。前 川 氏 に よ れ ば 、大 阪 で は お 馴 染 み の 立 版 古 も お も ち ゃ 絵 で 、寛 政 年 間 (1789― 1801)に “ 組 上 げ ” と よ ば れ る お も ち ゃ 絵 が 出 現 し た が 、 そ れ が 立 版 古 に 当 た る と い う 。 立 版 古 に つ い て 元 関 西 大 学 教 授 肥 田 晧 三 氏 の 詳 細 な 説 明 が あ る の で そ の 一 部 を 紹 介 す る 。 「「 た て は ん こ 」〔 立 版 古 、立 版 行 な ど と 表 記 す る 。「 は 」を 濁 音 に し て「 た て ば ん こ 」と も い う 。〕は 、浮 世 絵 版 画〔 錦 絵 〕の お も ち ゃ 絵 の 一 種 で 、切 り 抜 い て 組 み 立 て る こ と が 出
来 る よ う に 、 あ ら か じ め 、 人 物 や 家 屋 な ど を 描 い た 錦 絵 を 、 ハ サ ミ で 裁 ち 、 糊 で 張 り 合 わ せ て 、 台 紙 の 上 に 芝 居 の 舞 台 面 の よ う に 組 み 立 て る 。 出 来 上 が っ た そ の 作 品 を 、 夕 涼 み の 床 机 の 上 、ま た は 揚 げ 店 の 上 に 蝋 燭 の 火 を と も し て 飾 る 。江 戸 時 代 か ら 大 正 の 中 ご ろ ま で 、 子 ど も の 夏 の 遊 び と し て 大 い に 流 行 し た 遊 戯 玩 具 で あ っ た 。」「「 た て は ん こ 」は 、正 し く は 「 切 組 灯 籠 」 ま た は 「 組 み 上 げ 灯 籠 」 と い い 、 も と も と お 盆 の 供 養 に 作 ら れ る 灯 籠 が 、 江 戸 時 代 の 中 ご ろ に 玩 具 化 し た の が 起 源 で 、 以 後 、 浮 世 絵 師 の 手 で 多 く の 作 品 が つ く り 出 さ れ た 。」(9) 一 方 上 野 晴 朗 氏 は 「 子 供 向 け 手 摺 り 版 画 の 、 決 し て す べ て を お も ち ゃ 絵 と 言 い 表 わ し た も の と は 思 わ な い 」 と し な が ら 、 お も ち ゃ 絵 は 美 し い 言 葉 で あ り 「 わ が 国 独 自 に 発 達 し た 純 日 本 式 の 産 物 」 で あ る と 紹 介 し 、「 お も ち ゃ と い う の は モ テ ア ソ ビ で 」「 モ テ ア ソ ビ は 、 手 あ そ び も の と も い わ れ て い た 。 江 戸 の 絵 草 紙 の 引 き 札 な ど に は 、 お も ち ゃ を 現 わ す も の は 手 遊 物 と い う 表 現 が 多 く 、 そ の 多 く は 季 節 の 祭 り や 年 中 行 事 な ど に 結 び つ い た も の で 、 た ま に は 万 翫 物が ん ぶ つ類 な ど と い う 言 葉 も 見 か け る 。」 と 述 べ 、 吉 田 暎 二 氏 の 定 義 「 お も ち ゃ 絵 は 、 子 供 の 手 遊 び 用 に 描 か れ た 版 画 を 指 し て い う 。 そ の 種 類 は 千 差 万 別 で あ る が 、 い ず れ も 子 供 の 享 楽 の た め に 、題 材 が 選 ば れ て い る こ と に 変 わ り は な い 。」を 紹 介 し 、お も ち ゃ 絵 の 発 生 は 相 当 に 古 い が 、「 い わ ゆ る お も ち ゃ 絵 と し て 、版 画 史 に 位 置 を し め る の ほ ど に 一 群 を な し た の は 、 安 政 前 後 か ら 明 治 に か け て の こ と で あ っ た 。」 と し て い る(10)。 権 田 保 之 助 は「 玩 具 絵 の 話 」で 、世 の 中 に は 玩 具お も ち ゃを 描 い た も の は 何 で も 玩 具お も ち ゃ絵え と 考 え 、 「 其 為 め に 往 々 玩 具 を 描 い た 刷 り 物 例 え ば 是 真 や 椿 山 の 如 き も の ま で も 、之 を 玩 具お も ち ゃ絵え と し て 見 て 居 る の で 」あ る が 、そ れ は「 玩 具お も ち ゃの 絵 」で あ る と し 、玩 具 絵 は 鑑 賞 の 主 体 が 子 供 で あ り 版 画 で 作 ら れ た も の と 言 う 。 更 に 玩 具 絵 の 第 1 義は 「子供の享楽の目的に 協か なう も の 」 で そ れ は 「 武 者 絵 、 姉 さ ん 絵 」 な ど で あ る 。 第 2 義は「 他に主要目的が有って、夫れが又 享 楽 の 対 照 物 と な る も の 」で「 疱 瘡 絵 、教 訓 絵 、名 馬 尽 し 、虫 尽 し 」な ど で あ る と 言 う(11)。 玩 具 絵 は 安 政 (1854)前 後 か ら 盛 ん に な り 、 明 治 維 新 ま で 発 達 し 、 維 新 以 後 他 の 版 画 は 凋 落 し 、 玩 具 絵 の 天 才 芳 藤 が い て 玩 具 絵 は 生 き 残 っ た が 、 印 刷 物 の 変 遷 と 絵 具 の 粗 悪 が 原 因 で 1877(明 治 10)年 辺 り を 最 後 と し て 滅 亡 し 、そ れ 以 降 の も の は 芸 術 的 価 値 が な い も の と な っ た 説 明 し て い る 。 ま た 有 坂 与 太 郎 (明 治 29 年 生 。本 名 正 輔 。大 正 か ら 昭 和 期 の 郷 土 玩 具 研 究 家 。)は『 お し ゃ ぶ り 』 古 代 編 の 解 説 で 、「 お も ち ゃ 絵 と は 好 事 者 間 で 勝 手 に 呼 ば れ て ゐ る 名 称 で あ っ て 、 事 実 上 お も ち ゃ 絵 と い ふ 名 目 の あ っ た 訳 で は な く 、 畢 竟 は 児 童 向 き の 錦 絵 に ほ か な り ま せ
ん 。」 と 解 説 し て い る(12)。 次 に 巨 泉 の 立 版 古 の 思 い 出 を 紹 介 す る 。 「 又 立 版 古 、 (大 阪 で は 組 絵 と も 言 う )劇 の 一 場 面 を 錦 絵 摺 り に し た も の で 、 是 れ に 裏 打 ち を な し 、 人 物 、 背 景 等 何 れ も 合 印 が 附 し て あ る の で 、 此 合 印 に 合 せ て 板 の 上 に 貼 り つ け れ ば 其 場 面 が 出 来 上 る 仕 組 み に な っ て い る 。 是 れ は 、 カ ナ リ 古 い も の で 、 一 枚 も の 、 二 枚 も の 、 三 枚 も の か ら 、 五 枚 位 い の 大 物 も 出 来 て い た 。 組 み 上 が っ た も の は 、 夕 涼 み の 縁 台 に 持 ち 出 し 、 商 家 な ど で は 店 先 き に 出 し て 置 い た も の で 、 近 所 の 子 供 等 は 集 っ て 来 て ワ イ ワ イ と 騒 ぐ の で あ る 。是 れ に も 、前 記 の ヒ ョ ー ソ ク( 筆 者 注:以 下 巨 泉 の 説 明 、「 土 製 の ヒ ョ ー ソ ク は 灯 心 幾 筋 か 、又 は 糸 を 幾 筋 か 束 ね て 中 央 に 差 し 込 み 、種 油 を 注 い で 点 ず る 土 器 」) に 灯 火 を 点 じ 、中 に も 雨 は 銀 線 を 幾 筋 も 斜 に 引 っ 張 っ た も の も あ り 、大 が か り の も の に は 、 廻 り 道 具 、即 ち 芝 居 の 廻 り 舞 台 を 其 儘 模 し て 場 面 を 時 々 変 え て 見 せ た も の も あ っ た 。」(13) 小 摺 り の お も ち ゃ 絵 」 (図 7) 「 切 小 絵 」 (図 8) 魚 』6 号 で 紹 介 し て い る 。 ペ 版 行 式 の も の が あ っ て そ れ は 裏 打 ち を し て 「 巨 泉 が 小 さ い こ ろ 遊 ん だ「 小 摺 り の お も ち ゃ 絵 」に つ い て『 人 ー ジ に 小 摺 り の お も ち ゃ 絵 の 一 片 が 貼 り 付 け て あ る 。 左 図 の 猫 の 小 摺 り の お も ち ゃ 絵 は タ テ 3.7cm×ヨコ 2.7cm の小さなものである。 小 摺 り を 切 り 抜 い て 小 箱 に 貼 っ た り 、 中 に は 立 切 り 抜 き 、 そ れ ぞ れ の 合 印 に あ わ せ て 薄 板 に は る 。 団 扇 屋 や 小 間 物 店 が あ っ て 、 小 さ な 屋 台 を 作 っ て 並 べ 軒 先 に 持 ち 出 し て 小 砂 利 を お 金 に 見 立 て て 「 商 い 遊 び 」 を し た と 言 う 。 大 阪 で も 明 治 14、 5 年 こ ろ ま で は 毎 月 新 し い も の が 出 版 さ れ た 。 東 京 で は 歌 川 芳 藤 が 、 大 阪 で は 長 谷 川 貞 信 、 長 谷 川 小 信 、 歌 川 芳 信 、 笹 木 芳 光 が 流 行 期 に 描 い た と 書 い て い る 。 こ こ に い う 貞 信 は 初 代 の 長 男 、 二 代 貞 信 、 小 信 は 二 代 小 信 で 二 代 貞 信 の 長 男 で あ ろ う 。 ま た 笹 木 芳 光 は 巨 泉 の 師 中 井 芳 瀧 の 実 弟 で 嘉 造 の こ と で あ る(14)。「 我 が 大 阪 の も の に は 柾 四 つ
も の ら し い 流 行 し た と 上 野 氏 は 説 明 し て い る が 、 芸 術 的 価 値 は さ て 置 く と し て 、『 お も ち ゃ 百 種 』 『 も 玩 具 た せ た つ も り で で“ お も ち ゃ 絵 ”と い う 言 葉 を 使 用 1- 4. お も ち ゃ 絵(玩 具の絵)の 始まり と し て も 、 そ れ は 子 供 に 向 っ て 描 か れ た も の か と 切 り で 立 絵 又 は 横 絵 、 二 つ 割 、 三 つ 割 、 六 つ 、 十 二 、 二 十 四 、 三 十 二 、 四 十 八 割 や 或 は 九 十 六 に 区 分 し た 細 か い も の も で き て い た 、 模 様 は の ぞ き か ら く り 、 猫 芝 居 、 犬 芝 居 、 化 物 づ く し 」( 筆 者 注 : 以 下 は 注 記 に 譲 る ) な ど と 様 々 な 模 様 を 列 記 し て い る(15)。 雑 誌『 此 花 』が 切 小 絵 (図 8)を 紹 介 し て い る 。「 天 明 の 末 頃 よ り 盛 ん に 行 わ れ た 、 今 現 存 し て 居 る 古 絵 中 に も 、 其 頃 の 川 勝 派 歌 川 派 絵 師 の 筆 に 成 っ た も の と 認 む べ き も の が 多 く あ る 、 も と よ り 子 供 の 玩 弄 た る 千 代 紙 に 過 ぎ な い が 、 大 阪 の 浮 世 絵 師 が 発 明 し た と い う 立 版 古 、即 ち 切 組 灯 篭 絵 な ど は 、此 切 小 絵 の 進 化 し た も の と 見 て よ 可 ろ う 。」こ の 記 事 は 特 に 大 き さ な ど に は 触 れ て い な い が 、 巨 泉 が 遊 ん だ 小 摺 り の お も ち ゃ 絵 の 原 型 と な っ た も の だ ろ う か(16)。 お も ち ゃ 絵 は 維 新 後 に 、 1877(明 治 10)年 生 ま れ の 巨 泉 に は お 馴 染 み の 遊 び 道 具 で あ っ た 。 巨 泉 の 著 作 に “ お も ち ゃ 絵 ” と 付 く の は 『 巨 泉 お も ち ゃ 絵 集 』 の み で お も ち ゃ 国 絵 図 』『 お も ち ゃ 十 二 支 』な ど あ と は 全 て“ お も ち ゃ ”で あ る 。巨 泉 は 近 世 以 来 の お も ち ゃ 絵 を 知 っ て い た の で お も ち ゃ 絵 と タ イ ト ル を 付 け た の は1 冊 に止 めたのか も 知 れ な い 。 巨 泉 自 身 玩 具 の 絵 を お も ち ゃ 絵 と 書 い て い る 場 合 も あ る が 、 1926(大 正 15)年 5 月 に 大 阪 三 越 呉 服 店 で 開 催 し た お も ち ゃ 絵 の 展 覧 会 名 は「 巨 泉 玩 具 絵 展 覧 会 」と し て い る 。 我 々 が 使 っ た 意 味 の お も ち ゃ 絵 に つ い て 、民 俗 玩 具 研 究 家 奥 村 寛 純 氏 は 巨 泉 の 復 刻 版『 お ち ゃ 画 譜 』 の 解 題 「 お も ち ゃ 絵 と 川 崎 巨 泉 画 伯 」 で 次 の よ う な 説 明 を さ れ て い る 。 「 こ ゝ に 言 う 「 お も ち ゃ 絵 」 と い う の は(中 略 )古 く か ら 日 本 各 地 に 伝 わ っ て き た 郷 土 の 衒 い の な い 淳 僕 な 味 に ひ か れ て 、 そ れ 等 を 描 い た も の で 、 い わ ば お も ち ゃ の 写 生 画 で あ る 。 肉 筆 画 も あ る が 、 版 画 に し て 何 枚 も 作 ら れ た も の も あ り 、 そ れ が 更 に き り 絵 、 は り 絵 な ど の 新 し い 試 み も 見 ら れ 、 時 に は 収 録 さ れ 冊 子 に し た り も す る 。」(17) 今 回 我 々 は 敢 え て そ の “ お も ち ゃ 絵 ” を 使 っ て タ イ ト ル に イ ン パ ク ト を 持 あ っ た が 、そ の 意 味 は「 玩 具 の 絵 」、「 お も ち ゃ の 写 生 画 」で あ っ て 、「 一 枚 刷 り の 子 供 用 錦 絵 」 と 言 う 意 味 で の “ お も ち ゃ 絵 ” で は な か っ た 。 こ こ で も「 玩 具 の 絵 」「 お も ち ゃ の 写 生 画 」と い う 意 味 す る 。 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 は 玩 具 の 絵 で あ っ た
い 泉 が 自 画 の お も ち ゃ 絵 展 を 最 初 に 開 い た の は 1916(大 正 5)年 で あ る 。 そ れ を 『 日 本 印 刷 こ こ で お も ち ゃ 絵 と 言 っ て い る い わ ゆ る「 玩 具 の 絵 」、 そ 『 江 都 二 色 』 (図 9) ・ 味・遊 び の 中 か ら 生 ま れ た も の で あ ろ う え ば そ う で は な く 大 人 た ち 、巨 泉 も 使 っ た 大 供お お ど もか も し れ な い 。(大供は 1909(明治 42)年、 清 水 晴 風 、 林 若 樹 、 久 留 島 武 彦 ら が 「 人 形 玩 具 に 関 す る 知 識 」 の 交 換 会 と し て 作 っ た 大 供 会 に 由 来 す る 。 そ の 機 関 誌 が 「 大 供 」 だ っ た(18)。 人 形 玩 具 を 愛 す る 大 供 ( お と な ) に 向 け 出 版 さ れ 、 あ る い は 自 筆 の お も ち ゃ 絵 を 販 売 し た 。 巨 界 』 大 正 5 年 3 月 号 の 記 事 は 「 巨 泉 氏 道 楽 的 な る 」 と 表 現 し て い て 、 世 間 は ま だ 図 案 家 巨 泉 の 余 技 と 見 て い た の で あ る(19)。2 日 間 だ け の 展 示 会 で あ っ た が 好 評 で 、お も ち ゃ 絵 に 対 す る 世 間 の 関 心 の 高 さ を 確 認 す る 形 に な っ た 。 そ し て 2 年 後 の 1918(大 正 7)年 に 最 初 の お も ち ゃ 絵 集 『 巨 泉 お も ち ゃ 絵 集 』 を 版 行 し た の で あ る 。 れ を 集 め た 玩 具 絵 本 が 世 に 出 た 始 め は 、 江 戸 期 の 1773(安 永 2)年 に 出 版 さ れ た 『 江 都 二 色え ど に し き』 で あ る と 言 う 。 木 村 仙 秀 (明 治 18 年 生 。 明 治 か ら 昭 和 期 の 江 戸 文 学・風 俗 研 究 家 。)に よ れ ば 編 者 は 卯 雲 で 、お も ち ゃ 絵 は 北 尾 重 政 が 描 い た 。 卯 雲 は 本 名 木 室 七 左 衛 門 と い う 武 士 で 、 白 鯉 館 卯 雲 と 名 乗 る 。 江 戸 の 狂 歌 の 先 覚 者 天 明 狂 歌 壇 の 長 老 で あ っ た 。蜀 山 人 が 随 筆『 奴 師 労 之や っ こ だ こ 』で 卯 雲 の 狂 歌 を 賞 賛 し た と い う 。出 版 年 か ら 重 政 は 江 戸 の 小 伝 馬 町 の 書 肆 ・須 原 屋 三 郎 兵 衛 の 長 男 で 、号 を 碧 水 、紅 翠 軒 な ど と 称 し た 浮 世 絵 師・初 代 重 政 で あ る(20)。山 東 京 伝 (政 演 )や 鍬 形 蕙 斎 (政 美 )は 重 政 の 弟 子 で あ る 。 な お 『 江 都 二 色え ど に し き 』 の 解 説 に は 、 仙 秀 の 稀 書 複 製 会 刊 行 『 稀 書 解 説 第 七 編 上 』 や 「『 江 戸 二 色 』 の 編 者 」 が あ る(21)。 書 名 の 『 江 都 二 色え ど に し き』 と は ど の よ う な 意 味 な の か 。 仙 秀 が 引 用 し た 柳 亭 種 彦 の 考 証 随 筆 『 還 魂 紙 料 』 に そ れ が あ る 。「 古 き 新 し き を 分 か た ず 、 そ れ と か れ と 二 色ふ た い ろづ つ あ つ め て 江 都 二 色え ど に し き と 題よ べり 」(22)。 掲 載 の お も ち ゃ は 「 編 者 卯 雲 が 幼 時 目 撃 し た も の ば か り で 」 あ り 、 当 時 の お も ち ゃ 集 め た 書 物 と し て 大 切 な も の だ 、 と は 仙 秀 の 言 葉 で あ る 。 こ の『 江 戸 二 色え ど に し き』は い わ ゆ る 江 戸 の 文 人 た ち の 趣 。 白 鯉 館 卯 雲 こ と 木 室 七 左 衛 門 は 大 田 南 畝 や 朱 楽 菅 江 同 様 典 型 的 な 文 人 で あ る 。 大 沼 宜
し て い る 。米 山 堂 が 出 版 し た 稀 書 複 製 会 復 刻 版 11 た 有 坂 版 と も い う べ き『 江 都 二 色え ど に し き』は 1930(昭 和 5)年 4 月 18 日 規 氏 に よ れ ば 「 安 永 ・ 天 明 年 間 に は 、 狂 歌 の 会 か ら 発 展 す る か た ち で 「 宝 合 会 」 も 開 か れ る よ う に な っ て い る 。」と さ れ(23)、狂 歌 集 団 が 文 人 趣 味 の 会 を リ ー ド し て い た か ら 、恐 ら く 卯 雲 周 辺 に も お も ち ゃ を 趣 味 と す る 仲 間 が あ り 、 絵 師 重 政 も そ の 一 人 で あ っ た の で は な い だ ろ う か 。 安 永 の 「 宝 合 会 」 は 塙 保 己 一 、 大 田 南 畝 、 唐 衣 橘 洲 ら が 「 宝 に 似 て 非 な る 物 を 持 ち 寄 り 、 そ の 由 来 を も っ と も ら し く こ じ つ け た 文 を 披 露 」 し た も の で あ り 、 そ の 成 立 が 1773(安 永 2)年 と も 1774(安 永 3)年 と も い わ れ 、そ れ が『 江 戸 二 色え ど に し き』の 版 行 年 代 と 一 緒 で あ る の は 偶 然 で は な く 、 当 時 に 様 々 な 趣 味 の 会 が 盛 ん で あ っ た と 考 え る 材 料 と な る の で は な い か(24)。 ま た 1783(天 明 3)年 4 月 25 日 の 「 宝 合 会 」 に は 、『 江 戸 二 色え ど に し き』 の 浮 世 絵 師 北 尾 重 政 の 弟 子 た ち 、北 尾 政 演 (山 東 京 伝 )や 北 尾 政 美 (鍬 形 蕙 斎 )が 展 示 物 を 持 ち 寄 り 、『 狂 文 宝 合 記 』の 挿 絵 も 描 い て い る 。浮 世 絵 師 と し て は 他 に 喜 多 川 歌 麿 、弟 子 の 行 麿 が い た(25)。 狂 歌 集 団 と 浮 世 絵 師 の 交 流 も 注 目 さ れ る 。 因 み に こ の『 江 都 二 色え ど に し き』を 当 館 は 3 冊 所 蔵 2 冊 と 有 坂 与 太 郎 が 狂 歌 の 翻 刻 と 解 説 を 付 し 、 郷 土 玩 具 研 究 会 が 発 行 し た 1 冊 で あ る 。 1924(大 正 13)年 1 月 28 日 発 行 の 稀 書 複 製 会 版 は 和 紙 ・ 和 装 。 寸 法 タ テ 16.4cm×ヨ コ .5cm。第 3 期 第 15 回 配 本 。印 行 300 部 の 内 第 103 号 は 本 文 が 15 丁 か ら 始 り 27 丁 の 丁 付 け で 終 わ る も の で 奥 付 も 欠 け て い る 。仙 秀 の 解 説 に も こ の 復 刻 版 (武 蔵 屋 本 )は 15 丁 か ら 始 ま り 27 丁 に 終 わ る と し て い る 。次 に 1931(昭 和 6)年 11 月 28 日 発 行 の 稀 書 複 製 会 版 は 和 紙・ 和 装 。 寸 法 タ テ 16.4cm×ヨ コ 11.5cm。 第 7 期 第 13 回 配 本 。 印 行 500 部 の 内 第 166 号 は 、 序 文 の 前 に 「 円 圏 内 に 一 老 人 が 若 き 画 家 に 口 伝 す る さ ま を 画 い て ゐ る 」 図 が 挿 入 さ れ 、 奥 付 も あ る 。全 27 丁 。こ れ が「 昭 和 6 年 に 至 っ て 、稀 書 複 製 会 が そ の 完 本 を 大 阪 の 某 氏 か ら 得 た 。」 本 で あ ろ う(26)。 有 坂 与 太 郎 が 解 説・翻 刻 し 発 行 さ れ た 。 こ の 本 に つ い て 仙 秀 は 「 墨 線 だ け を 木 版 と し 手 彩 色 で 行 っ て ゐ る の で 、 原 本 の 趣 き が 少 し も 見 出 さ れ な い 。」と い う(27)。有 坂 版 は 手 彩 色 で 色 付 け を し た か ら 原 本 の 趣 を 失 っ た の だ ろ う が 、 多 色 で あ る こ と も そ の 要 因 で 、 さ ら に は 玩 具 の 顔 つ き も 原 本 に 比 べ て 下 手 で あ る 。 本 文 は 13 丁 (丁 付 け な し )、 解 説 9 丁 。 寸 法 タ テ 18.5cm×ヨ コ 13cm。 解 説 で 有 坂 は 「 二 色 づ ゝ 取 り 合 わ せ て 描 か れ た 玩 具 の 種 々 相 こ そ 、 実 に 本 書 の 貴 重 視 せ ら れ る 所 以 で あ る 。 享 保 時 よ り 安 永 ま で の 児 童 生 活 を 知 る に 唯 一 は 無 二 の 好 資 料 で あ り 、 而 も そ の 内 の 数 種 が 、 な ほ 今 日 ま で 残 存 さ れ る 事 を 知 れ ば 、 何 人 も 覚 え ず 微 笑 を 禁 ぜ ら れ ぬ で あ ろ う 。」 と 記 し て い る(28)。
『 う な ゐ の 友 』 絵 : 清 水 晴 風 (図 10) 新 後 の 1891(明 治 24)年 玩 具 絵 本 『 う な ゐ の 友 』 の 初 編 が 刊 行 さ れ た 。『 う な ゐ の 友 』 の 』 は 清 水 晴 風 の 死 後 、 西 沢 笛 畝 (明 治 22 年 生 。 旧 姓 石 川 、 本 名 昂 一 。 日 本 画 1- . お も ち ゃ 絵 を 描 い た 人 た ち 雑 誌『 鳩 笛 』創 刊 号 に「 玩 具 の 絵 に つ い て 」(30)を 書 き 7 年生。本名 満明。画家、 号 維 初 編 の あ と が き に よ れ ば 、清 水 晴 風 (嘉 永 4 年 生 。“ 玩 具 博 士 ”と 呼 ば れ た 玩 具 研 究 家 。) が 1880(明 治 13)年 の 春 、 竹 内 久 遠 (本 名 九 一 、 号 九 遠 。 安 政 4 年 生 。 明 治 の 彫 刻 家 。 東 京 美 術 学 校 教 授 。)の 向 島 の 竹 馬 会 に 出 席 し そ こ で「 手 遊 乃 品 」(筆 者 注:お も ち ゃ )を 見 て 美 術 に 目 覚 め 、友 を 通 じ あ る い は 自 ら 日 本 各 地 の 手 遊 品 を 集 め 始 め た 。蒐 集 を 始 め て か ら 12 年 、数 は 300 点 を 超 え 、種 類 は 100 余 種 に な っ た 。そ れ を 眺 め 暮 ら し て い た が 、「 木 村 ぬ し 」 (筆 者 注 : 木 村 仙 秀 か )に 勧 め ら れ 1 人 で 楽 し む よ り も 広 く 人 々 に 知 っ て 欲 し い と 出 版 を し た の で あ る 。 『 う な ゐ の 友 家 。大 正 昭 和 期 の 人 形 玩 具 の 蒐 集・研 究 家 。)が 引 継 ぎ 、1914(大 正 13)年 に 全 10 編 を も っ て 完 成 し た 。『 う な ゐ の 友 』は 日 本 各 地 の 郷 土 玩 具 を 絵 に 描 い て 残 そ う と し た 仕 事 で あ り 、 玩 具 絵 の 販 売 が 目 的 で は な い 。な お『 う な ゐ の 友 』の「 う な ゐ 」と は 、「古 語 で 子 ど も の 髪 形 (髫 髪 )を い う 、ひ い て は 子 ど も の 意 と な り 、「 う な ゐ の 友 」と は 、幼 い 子 供 の 友 、つ ま り 「 お も ち ゃ 」 を 指 す 言 葉 で あ る 。 」(29) 5 巨 泉 は 1925(大 正 14)年 、郷 土 玩 具 お も ち ゃ 絵 を 描 い た 人 た ち に 言 及 し た 。 晴 風 の 『 う な ゐ の 友 』 を 評 し て 世 間 が 玩 具 の 絵 に 注 目 し 始 め た の は な ん と い っ て も『 う な ゐ の 友 』が 広 が っ た こ と に よ る こ と 。『 う な ゐ の 友 』に は「 写 生 に も の た り な い 処 や 、名 称 の 間 違 っ て い る 処 は あ る と し て も 」晴 風 翁 は「 土 俗 玩 具 の 趣 味 を 一 般 に 紹 介 し た 第 一 人 者 」 で あ る と し て い る 。 写 生 が も の た り な い と 書 か れ た 晴 風 で あ る が 、久 保 田 米 所(明治 米 斎 。 米 僊 の長 男 。)に よ れ ば 、 晴 風 は 自 分 の 絵 こ そ 「 真 の 玩 具 の 絵 」 と 自 負 し 、 自 分 は
具 は 解 説 に も 違 い が あ る 。 晴 風 の 『 う な ゐ の 友 』 を 晴 風 版 と い お う 。 晴 風 版 百 種 』、『 お も ち ゃ 千 種 』、 巨 泉 自 身 の お も ち ゃ 版 画 集 、『 お も ち ゃ 絵 の 作 者 と し て 、 晴 風 の 他 に 人 形 を 好 ん で 描 い た が 世 間 で あ ま 島 寒 月 は 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 版 行 に 対 す る 東 京 に お け る 最 大 の 理 解 者 で あ り 協 力 者 で あ 画 家 で は な い か ら 技 術 は 劣 る が 、 玩 具 作 者 も 絵 を 描 く 自 分 も 素 人 だ か ら お 互 い 会 い 通 じ 合 っ て 本 物 の お も ち ゃ 絵 が で き る 、玩 具 の 絵 に 技 術 は 反 っ て 邪 魔 を す る と 語 っ た と い う(31)。 そ の 後 に 名 前 が 挙 が る の は 淡 島 寒 月 で あ る 。 寒 月 の お も ち ゃ 絵 は 「 翁 一 流 の 俳 書 風 の 玩 絵 」 と 紹 介 し て い る 。 次 に 西 沢 笛 畝 の 『 雛 百 種 』 の 書 名 を 掲 出 し 、 そ の 作 品 の 価 値 を 高 く 評 価 し て い る 。 と こ ろ が 笛 畝 が 引 き 継 い だ 『 う な ゐ の 友 』 の 続 編 に は 名 称 の 間 違 い が 多 く 作 品 考 証 に 問 題 あ り と し 、 出 版 社 の 意 向 で は 仕 方 が な い が 、 晴 風 の 『 う な ゐ の 友 』 と は 別 個 の 物 と し て 出 版 し た ほ う が 良 か っ た と し た 。 こ の 言 葉 は 笛 畝 が 晴 風 の 折 角 の 名 著 『 う な ゐ の 友 』 を 貶 め た と 言 う こ と で あ ろ う 。 こ の 巨 泉 の 反 感 を 深 読 み す る と 、 晴 風 が 画 材 に し た 玩 具 の 多 く は 晴 風 自 ら 多 年 に 亘 り 蒐 集・研 究 し た も の で あ る が 、笛 畝 (笛 畝 は 西 沢 家 の 入 婿 )が 描 い た『 う な ゐ の 友 』の 玩 具 は 養 父 西 沢 仙 湖 が 蒐 集 し た 玩 具 を 素 材 に し た も の で あ り 、 笛 畝 自 身 が 蒐 集 し 研 究 し た も の で は な い か ら 結 局 貴 方 の は 付 け 焼 刃 だ ね 、 と こ う い い た い の だ ろ う 。 晴 風 と 笛 畝 と で は お も ち ゃ 絵 に 簡 単 な 解 説 が 付 し て あ る 。 一 方 笛 畝 版 は 、 お も ち ゃ 絵 と は 別 に 巻 頭 に 解 説 ペ ー ジ を 設 け 本 格 的 な お も ち ゃ 画 譜 を 志 向 し て い る 。 体 裁 を 整 え た 笛 畝 版 で あ っ た が 巨 泉 は 気 に 入 ら な か っ た 。 そ し て 寒 月 の 『 お も ち ゃ 千 種 』、「 お も ち ゃ 箱 」、 田 中 緑 紅 の 「 ス テ ン シ ル 版 の お も ち ゃ 絵 」、 山 内 神 斧 『 壽 壽 』 な ど は 全 て 『 う な ゐ の 友 』 に ヒ ン ト を 得 た も の で 、 そ れ は 一 般 好 事 家 の 周 知 の こ と で あ る と い う 。『 う な ゐ の 友 』以 降 の お も ち ゃ 絵 集 は す べ て『 う な ゐ の 友 』を 親 と し て 生 ま れ た 子 供 と い う こ と の よ う で あ る 。 先 の 久 保 田 米 所 は お も ち ゃ り 知 ら れ て い な い か ら と 、 京 都 の 森 寛 斎 と 土 佐 派 の 画 家 名 古 屋 の 大 石 真 虎 の 名 を 挙 げ て い る 。 寛 斎 は 御 所 人 形 を 描 き 、 真 虎 に は 名 古 屋 地 方 の 玩 具 を 写 し た 玩 具 絵 巻 が あ る と い う (32)。 ま た 奥 村 寛 純 氏 は 復 刻 版 『 お も ち ゃ 画 譜 』 の 解 題 「 お も ち ゃ 絵 と 川 崎 巨 泉 画 伯 」 で お も ち ゃ 絵 を 描 い た 人 と し て 、 清 水 晴 風 、 淡 島 寒 月 、 巌 谷 小 波 、 川 崎 巨 泉 、 清 水 桂 月 、 西 沢 笛 畝 、 宮 尾 し げ お 、 武 井 武 雄 の 名 前 を 挙 げ て い る 。 そ し て 版 画 の 中 に 郷 土 玩 具 を 取 り 上 げ た 画 家 と し て 棟 方 志 功 、 徳 力 富 吉 郎 、 桝 岡 良 と い っ た 人 た ち い る と 記 し て い る(33)。 淡
っ 雑 記 』 の 「 編 纂 を 終 へ て 」 で 斉 藤 昌 三 が 「 大 正 末 期 に 『 椿 岳 漫 画 』 の 上 梓 が あ っ 絵 集 に 『 十 二 支 画 帖 犬 乃 巻 』 (伊 正 15)年 2 月 23 日 に 寒 月 が 没 し た 後 、同 じ 年 の 9 月 19 日 大 阪 の 天 下 茶 屋・楽 園 で や 三 田 平 凡 た 。 巨 泉 に と っ て は お も ち ゃ 絵 の 先 達 と し て 、 ま た そ の 人 柄 と 共 に 敬 愛 す べ き 人 物 で あ っ た だ ろ う 。 寒 月 の 著 書 『 梵 雲 庵 雑 記 』 に 内 田 魯 庵 の 「 淡 島 寒 月 翁 の こ と 」 が あ る 。 そ れ に よ れ ば 寒 月 は 晩 年 に な っ て 玩 具 を 蒐 集 し 始 め 、 そ の 数 は 3000 点 ほ ど あ っ た 、『 オ モ チ ャ 千 種 』 描 い て 頒 布 し た 、 ま た 、 そ の 蒐 集 範 囲 は 外 国 の も の が 多 く 意 外 な も の を 所 蔵 し た な ど と 書 か れ て い る 。「 父 親 は 、力 の 画 家 椿 岳 で 、浅 草 絵 と 言 ふ の を 描 い て 居 た が 、そ れ を 真 似 て 、 天 性 の 器 用 さ か ら 、 翁 も 色 々 絵 を 描 い て 矢 張 バ サ ラ 絵 と 呼 ん で 居 た 。 元 来 落 書 が 好 き で 、家 の 中 に は 、所 き ら は ず 落 書 し た り 紙 を 貼 り つ け て い た 。」と 生 前 の 様 子 を 伝 え て い る(34)。 『 梵 雲 庵 た 筈 に 記 憶 し て い る 。」と 書 い た 、そ の『 椿 岳 漫 画 』は 大 阪 市 南 区 に あ っ た 木 村 旦 水( 旦 水 は 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 の 同 好 の 士 )の 出 版 社 兼 書 店“ だ る ま や ”が 1919(大 正 8)年 4 月 28 日 付 け で 発 行 し た も の で あ る 。そ の 絵 の 奔 放 な 筆 致 に は 鳥 羽 絵 風 に 手 足 の 長 い も の も あ り 、 描 線 の 長 短 、 連 続 と 断 絶 の 複 雑 な 直 線 と 円 弧 の 筆 跡 は 、 お も ち ゃ 絵 と し て 整 っ た 描 線 を 見 慣 れ た 目 に は 絵 が 画 面 か ら 飛 び 出 す よ う で あ り 、 椿 岳 の 絵 を 見 た 後 で 寒 月 の お も ち ゃ 絵 を 見 る と 整 い 過 ぎ て い る と い う 印 象 さ え 受 け る の で あ る 。 淡 島 寒 月 が 日 本 と 外 国 の 犬 の お も ち ゃ を 描 い た お も ち ゃ 勢 辰 商 店 大 正 10 年 12 月 11 日 発 行 )が あ る 。こ の 本 に は 寒 月 と 親 交 が あ っ た シ カ ゴ 大 学 の 人 類 学 者 で 日 本 で は 御 札 博 士 で 通 っ て い た フ レ デ リ ッ ク ・ ス タ ー ル や 、 斉 藤 昌 三 が イ ン ド の 王 族 と 呼 ん だ Gureharn Singh の 寄 せ 書 き が あ る 。 以 下 は ス タ ー ル の 文 章 で あ る 。 “ Kangetsu shows constant versatility , industry and skill in his dogs as in his earlier interesting works. May he long keep at his art. Taisho 10. 5.20. Frederick Starr” 1926(大 追 悼 会 が 行 わ れ た(35)。 主 催 し た の は 蘆 田 止 水 。 蘆 田 は 本 名 安 一 。 大 正 か ら 昭 和 前 期 の 大 阪 を 代 表 す る 趣 味 家 の 1 人 。 身 辺 雑 記 風 の 個 人 誌 『 和 多 久 志 』 を 発 行 し た 。 『 和 多 久 志 』は 1920(大 正 9)年 11 月 創 刊 、創 刊 号 は 秋 の 巻 。こ れ に は 淡 島 寒 月 寺 (趣 味 山 平 凡 寺 )が 寄 稿 し て い る 。本 名 は 安 一 と 書 い て ヤ ス カ ズ だ と 紹 介 し 、「 私 の 道 楽 」 で 四 酔 山 温 学 寺 ( こ れ は 三 田 平 凡 寺 が 開 祖 の 趣 味 人 の 会 「 我 楽 他 宗 」 の 山 号 と 末 寺 名 。 1919(大 正 8)年 に 会 員 を 募 集 。 会 員 は そ れ ぞ れ 止 水 の よ う に 山 号 と 末 寺 名 を 自 称 し た 。 止 水 の 本 尊 は 観 世 音 菩 薩 。 天 下 茶 屋 の 蘆 田 別 邸 に は 「 日 本 、 支 那 、 印 度 、 そ の 他 各 国 に 渉 る
あ っ た 。 止 水 は 同 じ 趣 味 久 夢 二 と お も ち ゃ を 結 び つ け る 人 は そ う 多 く は な い だ ろ う 。 児 童 文 化 史 研 究 家 ア ン ・ ヘ 年 生 ま れ 。2 人 の 共 通 点 を 挙 げ る と 土 俗 玩 具 等 の 蒐 集 を 以 て 堂 内 に 充 つ 。」 と 書 い て い る 。 当 館 は こ の 雑 誌 を 11 号 夏 の 巻 、 1928(昭 和 3)年 8 月 発 行 ま で 11 冊 所 蔵 す る が 、 こ の タ テ 15cm×ヨ コ 11cm の 小 型 の 雑 誌 に は 、カ ッ ト や 表 紙 絵 を 大 阪 の 竹 久 夢 二 と も 称 さ れ る 大 正 期 の 抒 情 画 家 宇 崎 純 一 (ウ ザ キ・ス ミ カ ズ )や 大 阪 の 女 流 日 本 画 家 木 谷 千 種 が 描 い て い る 。こ れ は 止 水 の 自 慢 か も し れ な い 。そ の ス ミ カ ズ に つ い て 、 肥 田 晧 三 氏 は 「 宇 崎 純 一 の 画 業 」 で 「 ス ミ カ ズ の 画 風 は 、 従 来 の 写 実 的 な 日 本 画 風 の 挿 絵 の し き た り を 破 っ た 、 自 由 と 呼 ぶ の が ふ さ わ し い ス ケ ッ チ 風 の 大 胆 な 省 筆 に 特 色 が あ る 。」、 ま た ス ミ カ ズ の エ ハ ガ キ は 竹 久 夢 二 や 加 藤 ま さ を の 作 品 に 「 劣 ら ぬ 魅 力 に 富 む 出 来 ば え の も の で あ る 。」と 紹 介 さ れ て い る(36)。我 楽 他 宗 仲 間 で は 河 村 目 呂 二 が 止 水 の 似 顔 絵 や 第 7 号 の カ ッ ト ・ 表 紙 絵 を 描 い て い る(37)。 止 水 の 実 姉 の 夫 で あ る 永 田 好 三 郎 (有 翠 )も 大 阪 の 著 名 な 趣 味 家 で 人 と し て 有 翠 に 好 意 を 寄 せ た 。 有 翠 は 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 の 同 好 の 士 で も あ っ た 。 有 翠 は 巨 泉 の『 お も ち ゃ 千 種 』が ま だ 刊 行 中 の 1921(大 正 10)年 9 月 に 死 去 し 、最 大 の 理 解 者 の 1 人 を 亡 く し た 無 念 を 巨 泉 は 『 人 魚 』 2 号 に 吐 露 し て い る 。 さ て 止 水 は 寒 月 を あ ら ゆ る 趣 味 家 の 最 高 峰 の 人 物 と し て そ の 全 人 間 像 を 愛 し 尊 敬 し た 。 そ れ 故 こ の 追 悼 会 を 発 案 し た の で あ る 。 寒 月 追 悼 会 の 発 起 人 は 石 割 松 太 郎 、 濱 忠 次 郎 、 友 野 祐 三 郎 、 渡 辺 虹 衣 、 川 崎 巨 泉 、 高 安 月 郊 、伊 達 南 海 、中 井 浩 水 、南 木 萍 水 、山 田 新 月 、蘆 田 止 水 、木 村 旦 水 、三 宅 吉 之 助 、 三 好 米 吉 で あ る 。 こ こ に 参 加 し た 虹 衣 ・ 萍 水 ・ 旦 水 ・ 吉 之 助 ・ 米 吉 は 皆 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 の 愛 好 者 で あ る 。 止 水 の 「 翁 が ど ん な に 広 い 趣 味 を 持 っ て い た か 、 ど ん な に 深 い 造 詣 が あ っ た か 、 ど ん な に 高 い 人 格 者 で あ っ た か 」 今 更 言 う ま で も な い だ ろ う と 言 う 寒 月 を 敬 慕 す る 言 葉 は 、 参 加 者 全 員 の 思 い で あ ろ う 。 御 札 博 士 フ レ デ リ ッ ク ・ ス タ ー ル も 前 橋 通 訳 を 伴 い 参 加 し て い る 。 当 日 の 写 真 を 見 る と 24 名 が 会 し た よ う だ(38)。 竹 リ ン グ 氏 は 夢 二 が 「 郷 土 玩 具 、 伝 統 玩 具 に 対 す る 一 般 の 関 心 が 最 も う す か っ た 時 代 に 、 夢 二 は 古 く か ら 伝 わ る お も ち ゃ の 価 値 を 、 明 治 の 末 期 に す で に 見 直 し て い た 文 化 人 の 一 人 で あ っ た 。」と し 、「 巌 谷 小 波 、『 う な ゐ の 友 』の 清 水 晴 風 、西 沢 笛 畝 、有 坂 与 太 郎 な ど と 並 ん で 、竹 久 夢 二 を 郷 土 玩 具 の 再 発 見 運 動 の 先 駆 者 の 一 人 と み な す こ と は 、十 分 可 能 で あ る 。」 と 評 価 し 、「 夢 二 が 子 供 の た め の 挿 絵 な ど に 伝 統 玩 具 を 積 極 的 に 取 り 入 れ よ う と し た 点 は 、 も う 少 し 評 価 し て よ さ そ う で あ る 。」 と い う(39)。 巨 泉 と 夢 二 。夢 二 は 巨 泉 よ り 7 歳 下 の 1884(明 治 17)
す 絵 集 に 『 十 二 支 画 帖 午 の が 、 広 瀬 菊 雄 編 『 十 二 ま れ 。郷 土 玩 具 研 究 家・郷 土 史 家 。)が 1925(大 正 れ ば 、 共 に デ ザ イ ン に 関 わ り お も ち ゃ に 関 心 を 持 ち 、 方 法 は 違 う が 玩 具 を 図 画 化 し た と い う こ と だ ろ う 。 ま た 共 通 の 知 人 に 大 阪 ・ 柳 屋 書 店 三 好 米 吉 が い た こ と も そ う で あ る 。 柳 屋 は 夢 二 の 版 画 や 絵 封 筒 な ど を 販 売 し て い た 店 で あ り 、1921(大 正 10)年 頃 夢 二 は 柳 屋 に 出 入 り し て い た と い う か ら 、 巨 泉 と 相 知 る 機 会 も あ っ た か も し れ な い(40)。 夢 二 が 玩 具 に 関 心 を 寄 せ そ れ を 描 い た 行 為 は 、 お も ち ゃ 絵 に よ る 玩 具 の 保 存 で は な い し 、 巨 泉 の よ う に 玩 具 を 独 立 し た 作 品 と し て 表 現 し よ う と し た も の で も な い 。 夢 二 が 描 こ う と し た 世 界 に 、 愛 ら し い 小 物 ・ む か し ・ 郷 愁 な ど の コ ー ド と し て 取 り 込 ま れ た の で は な い だ ろ う か 。 ア ン ・ へ リ ン グ 氏 が 紹 介 し て い る 夢 二 の 『 夢 二 ヱ デ ホ ン 』 に 描 か れ た 鳩 や 猿 、 雀 は イ ラ ス ト 風 で 大 変 可 愛 ら し い も の で あ る 。夢 二 を そ の 先 駆 者 と す る な ら 、巨 泉 は 運 動 に は 関 わ ら な い が 、 結 果 と し て 郷 土 玩 具 の 再 発 見 者 の 1 人 と な っ た と い っ て よ い 。 児 童 文 学 者 巌 谷 小 波 も ま た お も ち ゃ 絵 を 描 い た 。 馬 の お も ち ゃ の 巻 』 (伊 勢 辰 商 店 、 大 正 7 年 9 月 15 日 発 行 )が あ る が 、 こ れ は ビ ル マ 、 イ ン ド 、 ロ シ ア 、 イ ギ リ ス 、 フ ラ ン ス 、 ド イ ツ 、 東 京 、 会 津 、 京 都 な ど 世 界 と 日 本 各 地 の 馬 の 玩 具 が 描 か れ て い る も の で あ る 。 横 版 の 彩 色 木 版 画 で あ る 。 何 故 馬 な の か 。 小 波 の 四 男 巌 谷 大 四 が 書 い た 小 波 伝 『 波 の 跫 音あ し お と』 に よ れ ば 、 小 さ い 頃 か ら 蒐 集 癖 が あ っ た 小 波 は 、 自 身 が 1870(明 治 3)年 の 午 歳 生 ま れ の こ と も あ り 、1906(明 治 39)年 か ら 午 歳 に 因 ん で 古 今 東 西 の 馬 の 玩 具 な ど を 集 め 始 め 、1918(大 正 7)年 に は 1000 点 を 超 え た と い う 。蒐 集 品 を 展 示 す る 千 里 閣 な る 建 物 を 寄 付 で 建 て 、 無 料 で 一 般 公 開 す る と い う 徹 底 ぶ り で あ っ た 。 な お 、 小 波 は 『 巨 泉 お も ち ゃ 絵 集 』 の 第 11 巻 か ら 15 巻 の 題 僉 を 書 い た 人 で あ る(41)。 吉 田 永 光 、 久 保 佐 四 郎 、 島 尻 是 空 の お も ち ゃ 絵 が 掲 載 さ れ て い る 支 画 帖 亥 子 丑 之 巻 』 (伊 勢 辰 商 店 大 正 11 年 12 月 8 日 発 行 )で あ る 。 吉 田 永 光 は 亥 (い の し し )、久 保 佐 四 郎 は 子 (ね ず み )、島 尻 是 空 は 丑 (う し )を 描 き そ れ を 一 帖 に し た も の で あ る 。 こ れ も 横 版 ・ 彩 色 木 版 摺 り で あ る 。 永 光 に つ い て は 、田 中 緑 紅 (明 治 24 年 生 14)年 6 月 発 行 『 鳩 笛 』 4 号 の 「 お も ち ゃ の 蒐 集 (4)」 で 「 東 都 に 於 け る 羽 子 板 師 と し て 特 に 有 名 な 方 で す 。」「 以 前 午 年 に 百 馬 会 を 催 し 、 小 さ い 土 俗 玩 具 の 馬 を 百 種 一 ヶ 年 に 渡 っ て 配 布 さ れ 大 変 精 巧 で 、佐 四 郎 人 形 と 陳 び 賞 せ ら れ ま し た も の で あ り ま す 。」と 紹 介 し て い る 。
“「 小 型 達 磨 」 と 「 小 型 夫 婦 達 磨 」” (図 11) “ 佐 四 郎 氏 の 描 き し も の [ 起 上 り 三 種 ]” (図 12) 久 保 佐 四 郎 (明 治 5 年 生 。 明 治 か ら 昭 和 期 の 人 形 作 家 。 )が 作 っ た 達 磨 が 『 巨 泉 玩 具 帖 』 第 3 巻 8 号 15(イ ン タ ー ネ ッ ト「 人 魚 洞 文 庫 デ ー タ ベ ー ス 」の 巻・号・通 し 番 号 ) に 佐 四 郎 作 の 「 小 型 達 磨 」 と 「 小 型 夫 婦 達 磨 」 と し て 描 か れ て い る 。 小 型 達 磨 は 画 面 中 央 右 下 の 目 入 り の 達 磨 、夫 婦 達 磨 は 画 面 左 上 の も の 。ま た『 玩 具 帖 』第 12 号 18(イ ン タ ー ネ ッ ト「 人 魚 洞 文 庫 デ ー タ ベ ー ス 」 の 号 ・ 通 し 番 号 )に は “ 佐 四 郎 氏 の 描 き し も の [ 起 上 り 三 種 ]” と し て 巨 泉 の 模 写 が あ る 。 上 図 の 姉 様 人 形 に 挟 ま れ た 小 さ な 3 体 の 絵 が そ れ で あ る 。 島 尻 是 空 は 日 本 画 家 。 有 坂 与 太 郎 の 著 書 、1926(大 正 15)年 、 郷 土 玩 具 普 及 会 発 行 の 日 本 玩 具 集 『 お し ゃ ぶ り 』 第 一 編 の 本 の 装 幀 者 で あ る 。 1- 6. 玩 具 と 戦 争 お も ち ゃ 絵 に は 古 い 玩 具 も あ れ ば 新 し い 玩 具 も あ る 。 そ の 描 き 方 も 自 由 で あ る 。 古 玩 を 描 い た に し て も 古 さ を リ ア ル に 描 い た も の で は な い 。 そ れ は 過 去 の 時 代 に 出 来 た と い う こ と で あ っ て 、 お も ち ゃ 絵 を 見 て 古 玩 と 判 断 す る こ と は 出 来 な い し 、 ま た す る こ と も な い 。 晴 風 の 絵 は 真 面 目 な 型 崩 れ し な い 律 儀 な 絵 に 見 え る 。 お も ち ゃ 百 種 に 見 る 寒 月 の 絵 は 巨 泉 の 言 う 俳 画 風 と い う 味 わ い と 、 上 手 と か 下 手 と か 分 別 臭 く 見 る こ と を 嗤 う が 如 く 、 た だ そ こ に あ る 絵 を 楽 し む 、 味 わ う 、 良 寛 の 書 を 見 る よ う な 気 持 ち に さ せ る 。 巨 泉 の 肉 筆 画 の お も ち ゃ 絵 は 丸 み を 帯 び た 柔 ら か な 線 、 ま る で 網 の 上 で 焼 か れ て い る 餅 が ふ く っ ら と 膨 ら ん だ 時 の よ う な 味 わ い が あ る 。 版 画 に な る と 、 初 摺 の も の だ ろ う が そ の 線 は も っ と し か っ り し た も の に な る 、 そ れ で も 何 処 か は ん な り し た 雰 囲 気 が あ る 。 小 波 の 絵 に な る と 、 そ の 雰 囲 気 は 寒 月 の 父 椿 岳 の 漫 画 の よ う に 元 気 、 元 気 で 絵 が 踊 っ て い る 。 各 人 各 様 の お も ち ゃ 絵 を 楽 し む こ と 、 こ れ は 玩 具 の 楽 し み 方 と は ま た 違 っ た も の で あ ろ
う 。 そ れ は 玩 具 と お も ち ゃ 絵 の 用 途 の 落 差 と し て 現 わ れ て く る 。 そ の 極 端 な 例 が 太 平 洋 戦 争 時 に 現 れ た 玩 具 の 戦 争 協 力 と い う ア ジ テ ー シ ョ ン で あ っ た 。 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 し 玩 具 運 動 の リ ー ダ ー 有 坂 与 太 郎 や 日 本 民 族 玩 具 協 会 の 有 志 た ち は 玩 具 も 進 ん で 戦 争 遂 行 に 奉 仕 す る こ と を 訴 え た 。 大 東 亜 共 栄 圏 の 班 主 と し て 南 方 ア ジ ア に 侵 攻 し て 行 く 日 本 。 日 本 の 玩 具 は も は や 郷 土 玩 具 で は な く 、 日 本 民 族 の 民 族 玩 具 と な っ て 戦 争 に 奉 仕 す る 任 務 を 進 ん で 担 お う と し た 。 ま た 一 方 で 民 族 玩 具 を 唱 道 し た 彼 ら が 見 た 夢 は 、 ア ジ ア 南 方 圏 の 人 々 の 意 識 を 引 き 上 げ 、 彼 ら に 玩 具 を 提 供 し 、 玩 具 を 通 じ て 相 互 交 流 を 楽 し む と 言 う 観 念 的 玩 具 ロ マ ン チ シ ズ ム を 抱 き 、 日 本 と ア ジ ア の 玩 具 楽 土 を 夢 み て い た の で あ る(42)。 1943(昭 和 18)年 当 館 が 行 っ た 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 と 玩 具 の 展 覧 会 は 、玩 具 を 民 族 芸 術 と い う 名 の も と に 有 坂 の 言 う 戦 争 遂 行 に 奉 仕 す る 道 具 と し て 展 示 し た も の で あ っ た 。 そ れ が 、 「〔 1〕人 魚 洞 文 庫 の 展 示 」で 紹 介 し た 玩 具 を 神 祇(=天 皇・万世一 系)、武器 (=武器)、武 者 人 形(=兵 隊)、鬼 退 治 (=鬼畜 米英退治)、軍用動物 (=忠誠心 )、猛 獣(= 勇猛果敢)、不 倒(= 神 国 の 負 戦 神 話)、経 済力(=経 済力)、増 産(=増産 )、海上輸送(=兵站線・支援)、人 形 総 動 員(一億総 動員)、大東 亜共栄圏及同盟国の 12 の主題(カッコ内が見立て)に別けて展示し た も の で あ る 。 太 平 洋 戦 争 下 に お け る 玩 具 の 模 範 的 展 覧 会 で あ る 。 巨 泉 も 玩 具 の 南 方 進 出 を 歓 迎 し た 。 巨 泉 も ま た 南 方 進 出 が 戦 争 に よ っ て 生 じ て い る こ と の 是 非 を 問 う こ と は な い 。 玩 具 を 与 え る こ と に よ っ て 現 地 の 子 ど も た ち を 未 開 か ら 「 文 明 の 子 ど も 」 へ と 導 き た い と 願 っ て い た の で あ る(43)。 た だ し 巨 泉 の 共 振 を 有 坂 と 同 じ イ デ オ ロ ギ ー 圏 の 響 き と 考 え る 必 要 は な い が 、 巨 泉 の 根 底 に は 、 日 本 固 有 の 玩 具 へ の 絶 対 的 信 頼 が あ り 、 そ れ が 玩 具 を 絶 大 化 さ せ 、 玩 具 に よ る 人 間 の 啓 蒙 と い う 玩 具 精 神 主 義 的 考 え を 呼 び 寄 せ た の で あ ろ う 。 戦 争 遂 行 を 輔 弼 す る 玩 具 、 一 方 お も ち ゃ 絵 は 遊 び 心 を 映 し た 玩 び 品 と し て ひ た す ら 平 和 な 時 を 待 っ て い た の だ ろ う か 。 1- 7.おも ちゃ絵の出版と販売 巨 泉 が 描 い た お も ち ゃ 絵 は 次 ぎ の よ う な 形 態 で 出 さ れ た 。(1)販 売 形 態 は 一 般 に 書 店 を 通 じ て 販 売 さ れ た も の 、事 前 に 購 入 者 を 募 り 販 売 し た も の 、一 種 の 会 員 制 。(2)出 版 形 態 は 自 費 出 版 と 出 版 者 に よ る 出 版 (3)書 籍 の 形 態 は 洋 装 、 和 装 、 折 帖 、 軸 物 な ど 。 (4)印 刷 形 態 は 機 械 印 刷 、 木 版 摺 り 。 そ れ と 肉 筆 が あ っ た 。 会 員 を 事 前 に 募 っ て お も ち ゃ 絵 を 売 る と い う や り 方 が 何 時 か ら 始 ま っ た の か わ か ら な い
が 、 大 正 時 代 に は 巨 泉 の 他 に 人 形 師 の 久 保 佐 四 郎 も 同 様 の や り 方 で 人 形 や お も ち ゃ 絵 を 頒 布 し て い た 。1925(大 正 14)年 10 月 発 行 の 柳 屋 画 廊 の カ タ ロ グ『 柳 屋 』28 号 に 、巨 泉 の「 十 二 月 玩 具 絵 の 会 」 の 案 内 記 事 と 共 に 佐 四 郎 の 「 御 殿 玩 具 」 と 「 郷 土 玩 具 絵 」 の 頒 布 会 の 記 事 が 掲 載 さ れ て い る 。 巨 泉 に つ て は 「 現 代 玩 具 絵 界 の 権 威 巨 泉 川 崎 氏 の 肉 筆 十 二 ヶ 月 の 玩 具 絵 は 諸 氏 の 熱 望 す る と こ ろ で あ り ま す 今 回 我 々 の 乞 を 入 れ て の 御 揮 毫 。」と あ る 。佐 四 郎 の お も ち ゃ 絵 は 、色 紙 形 絹 地 に 原 寸 大 で 彩 色 も そ の ま ま 描 い た も の で 、 30 枚 1 組 。 毎 月 3 枚 宛 頒 布 。 入 会 費 5 円 。 10 回 ま で 各 5 円 で 合 計 55 円 と 記 載 さ れ て い る 。 こ の よ う に 当 時 の 玩 具 趣 味 家 た ち に お も ち ゃ 絵 や 人 形 を 頒 布 す る 方 法 の 1 つ と し て 会 員 制 が あ っ た 。 大 正 時 代 の お も ち ゃ 絵 の 制 作 方 法 は 木 版 又 は 肉 筆 が 主 で あ り 、 そ の 形 態 は 和 紙 の 一 枚 も の や 、 佐 四 郎 の 色 紙 型 絹 地 に 描 く な ど 手 作 り の 風 合 い を 味 わ う も の で 高 度 に 趣 味 的 で あ っ た 。 だ か ら お も ち ゃ 絵 を 描 い た 人 た ち に は 最 初 か ら 石 版 や 機 械 印 刷 で 出 版 し よ う と い う 考 え は 毛 頭 な か っ た と 思 わ れ る 。 そ の 意 味 か ら も 一 般 書 籍 の よ う に 出 版 出 来 る も の で は な か っ た し 、 ま た 趣 味 性 が 高 く 購 入 層 も そ う 広 く は な い お も ち ゃ 絵 を 仮 に 出 版 依 頼 し て も 、 受 注 し よ う と い う 出 版 社 は 多 く は な か っ た 筈 で あ る 。 巨 泉 の お も ち ゃ 絵 で 自 家 版 以 外 の 出 版 は 、 1 冊 を 除 い て す べ て 巨 泉 の 強 い 支 援 者 で あ っ た 木 村 旦 水 の だ る ま や が 引 き 受 け て い る 。 そ の 形 態 は 和 紙 和 装 本 で あ っ た 。 購 入 者 が 限 定 さ れ て い た お も ち ゃ 絵 で あ る が 、 巨 泉 は 1919(大 正 8)年 に 大 阪 三 越 で 最 初 の お も ち ゃ 絵 展 (恐 ら く は 即 売 も し た と 思 わ れ る )を 開 催 し て い る 。 そ の 後 1925(大 正 14) 年 に も 展 示 会 を し て い る 。 大 正 中 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て デ パ ー ト を 使 っ た お も ち ゃ 絵 や 人 形 、 玩 具 の 販 売 形 態 が 定 着 し て 行 き 徐 々 に お も ち ゃ 絵 が 一 般 に 浸 透 し て 行 っ た の で あ ろ う 。 1- 8. 巨 泉 の 自 家 版 と も か く 巨 泉 は お も ち ゃ 絵 を 肉 筆 や 木 版 摺 り で 出 す こ と に 拘 っ て い る 。 例 え ば 毎 年 干 支 に ち な ん で 制 作 し た も の に 「 土 俗 玩 具 の 春 懸 け 軸 物 会 」 が あ っ た 。 自 筆 で あ る だ け に 描 き き れ な い と 巨 泉 を 嘆 げ か せ た 肉 筆 掛 軸 頒 布 会 で あ る 。 考 え て み れ ば 、 肉 筆 で 10 も 20 も 同 一 の お も ち ゃ 絵 を 描 く と い う 行 為 は 写 生 の 優 れ た 技 術 は 言 う に 及 ば ず 、 精 神 的 に も 相 当 な 負 担 で あ っ た ろ う 。 巨 泉 は 肉 筆 お も ち ゃ 絵 集 『 お も ち ゃ 千 種 』を 書 く に 当 た り 、20 作 以 上 は 首 が ち ぎ れ て も 描 き ま せ ん と 悲 壮 な 決 意 表 明 を し
て い る か ら で あ る(44)。 巨 泉 の 自 費 出 版 物 ( 自 家 版 ) は 彩 色 、 紙 の 選 定 な ど 何 れ も 凝 っ た 作 り に な っ て い る が 、 そ れ は 購 入 者 の た め で は な く 、 巨 泉 自 身 の 謂 わ ば 自 己 満 足 の た め の 作 法 で あ ろ う 。 自 家 版 を 制 作 す る 意 図 に つ い て 、 文 章 に な っ た 巨 泉 の 言 葉 は な い が 、 版 画 家 武 井 武 雄 の 次 の よ う な 私 刊 本 の 哲 学 が あ っ た の だ ろ う と 想 像 す る 。「 私 刊 本 と は 自 分 の た め に 一 冊 を 作 る も の だ 。 し か し 版 画 と 同 じ よ う に 自 然 に 複 数 出 来 ざ る を 得 な い も の だ か ら 、 最 も 印 刷 効 果 製 作 効 果 の い い 部 数 だ け を 作 っ て 、自 家 一 冊 の 外 は 同 好 の 士 に 頒わ かつ べ き だ 、と い う わ け で あ る 。こ れ が 本 当 の 私 刊 本 と い う も の の 面 目 だ と 思 っ て い る 。」「 読 者 に う け る 必 要 の な い 、 評 判 な ど を 全 く 気 に し な い 、 自 分 に 飽 く ま で 忠 実 な も の 」 こ れ が 「 私 刊 本 の 背 骨 」 で な け れ ば な ら な い 言 う 。 そ し て 「 私 刊 本 は 個 性 的 で あ る べ き だ 。 従 っ て 独 善 的 だ と い う 非 難 は 甘 ん じ て 受 け る べ き で あ る 。」 と い う の で あ る(45)。 巨 泉 が 自 家 版『 お も ち ゃ 千 種 』(1921(大 正 10)年 )に 書 い た 言 葉 が あ る 。お も ち ゃ 千 種 を 描 く 発 意 は 、 日 本 伝 来 の 土 俗 玩 具 が 西 洋 か ぶ れ の 模 造 品 に よ っ て 駆 逐 さ れ て い く の は 日 本 人 と し て 残 念 至 極 で あ る 、 せ め て 土 俗 玩 具 、 絵 馬 、 縁 起 物 を 描 い て 残 そ う と い う こ と に あ っ た 。 巨 泉 の こ の 企 て に 賛 同 し て く れ る 同 好 の 士 を 全 国 に 募 り 自 家 製 作 を 開 始 し た の で あ っ た が 、 こ の 企 て は 武 井 武 雄 が 言 う 本 来 は 「 自 分 の た め の 一 冊 」 で あ り 「 自 分 に 飽 く ま で 忠 実 な も の 」 を 作 品 化 し そ れ を 頒 布 す る 行 為 で あ ろ う 。 作 品 の 購 入 者 は 同 時 に 金 銭 的 支 援 者 と い う 関 係 性 も 成 立 す る こ と に な る の で あ る 。 次 の よ う な 例 が あ っ た 。 巨 泉 の 代 表 的 自 家 出 版 物 に 『 郷 土 の 光 』 が あ る 。 こ れ の 刊 行 開 始 が 1916(大 正 15)年 9 月 、完 成 が 1928(昭 和 3)年 5 月 で 1 年 9 ヶ 月 の 間 毎 月 刊 行 し た 。『 お も ち ゃ 千 種 』 も 2 年 、 巨 泉 の 自 家 版 は 容 易 く 出 来 る も の で は な い 。 作 品 完 成 ま で は そ の 作 業 に 心 を 砕 く わ け で 、 収 入 も ま ま な ら な い こ と も あ っ た と 思 わ れ る 。『 郷 土 の 光 』 が 第 9 集 ま で 出 た と き 、 巨 泉 は 出 版 の た め の 資 金 繰 り に 『 巨 泉 漫 筆 お も ち ゃ 箱 』 の 購 入 依 頼 を 会 員 に 申 し 出 て い る 。お も ち ゃ 箱 は 200 部 限 定 で 頒 布 し 若 干 残 部 が あ っ た の だ ろ う 。「 一 時 払 い 、分 売 と も に 一 方 な ら ぬ 御 援 助 を お 願 ひ し た 事 を 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す 。」と 個 人 誌『 人 魚 』6 号 の「 郷 土 の 光 に つ い て 」に 書 い て い る(46)。こ の よ う に 各 地 に 散 在 す る 巨 泉 の 同 好 の 士 = 会 員 は 篤 く 巨 泉 の 芸 術 活 動 を 支 え た の で あ る 。 1- 9. 巨 泉 自 家 版 ・ お も ち ゃ 絵 集 、 お も ち ゃ 箱 、 お も ち ゃ 千 種