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こぺる No.007(1993)

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25日(毎月 1回25日発行)ISSN曲19-4843

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NO. 7

部落のいまを考える⑤ 現代社会の中での同和事業 崎山政毅 ひろば⑦ 市民的権利と解放理論 梅沢利彦 乙べる刊行会 『特殊部落一千年史』の改題をめぐって① 『特殊部落一千年史j復刻によせて 脇 田 修 ~

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部 落 の い ま を 考 え る ⑤

崎山政毅

現代社会の中での同和事業

はじめに ここ二年ほど、京都市内部落の実態調査に関する研究 会に参加し、部落人口の変化を追ってみる機会にめぐま れた。以前から指摘されていたように、部落人口の変動 があることは知っていたものの、分析の結果にわたしは 大きなショックを受けた。ショックというのは、ここ二

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年ばかりの京都市内部落の人口は、主要に次の二つの 顕 著 な 傾 向 を 呈 ‘ し て い る と い う 事 実 に 関 し て で あ る 。 すなわち第一に、大幅な人口流出が起こっていること。 第二に、人口構成の点からは、老齢化の比率の上昇が 部落以外と比べて格段に進行していること。 少しばかり数字をあげてみると、京都市全体の一九七

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年における人口を一

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と し た と き 、 全 市 の 人 口 は 、 七 七 年 に 一

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二 了 二 、 八 四 年 に 一

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四 ・ 二 、 九 一 年 に 一 O 二・八と伝ぼコンスタントな状態を維持しているのに 対し、市内一一部落全体では、七七年八六・

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、八四年 七一・一、九一年六三・六という減少一辺倒である。同 時じ、高齢者世帯の占める割合がコンスタントに増加し ている︵ちなみに上記結果は、京都市が七年ごとに実施 し て い る 経 年 調 査 か ら え た も の で あ る ︶ 。 かつて山本尚友氏は、歴史的形成因から部落が多様な 存在形態を示しており、それらは基本的に﹁都市型﹂

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﹁ 農 村 型 ﹂ ﹁ 都 市 ス ラ ム 型 ﹂ の 三 類 型 に 分 類 可 能 で あ る と 提起された︵山本尚友﹁部落 U 貧困の再検討﹂、旧﹃こ ぺ る ﹄ 一 一 一 八 号 所 収 、 ﹃ 部 落 の 過 去 ・ 現 在 ・ そ し て ・ : ﹂ に収録、阿昨社︶。たしかに、一九八四年までの京都市 内部落に対しては、この三類型も適用できるものと思わ れ、わたしもそのように指摘したことがあった︵﹁人口 ||部落の類型化の試み﹂﹃京都市部落実態調査中間報 告 書 ﹄ 、 京 都 市 部 落 実 態 調 査 研 究 会 、 一 九 九 二 年 ︶ 。 だ が 、 今や、そうした類型さえもあてはまらなくなるほどの全 体的な減少が起こっているのである。 このような状況を、一体どう考えればよいのだろうか。 この間は、同和事業というファクターを考えあわせたと き、これまでの論議に再考を迫るものではないか、とわ たしは考える。とくに、京都という場所の特質を考えれ ば、都市における||集合住宅建設をはじめとした|| 同 和 事 業 を ど の よ う に 把 え る の か 、 は と お れ な い だ ろ う 。 本 稿 は 、 ひ と つ の 試 論 で あ る 。 という評価を避けて この点に照準をあわせた 人口流出から見えてくるもの 先の二つの傾向は、互いに独立した現象ではなく、深 い連闘をもっていると考えるのが、おそらくもっとも妥 当な理解だろう。というのは、京都市が行っている経年 調査や人口統計が示している数値は、三

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才 l 四

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才 の若い世代、および、それらの年代の夫婦の子供たちが、 部落から流出していることを表しているからである。 こうした人びとは、一般的には核家族を構成する層と いえる。つまり、部落が一個のコミュニティを形成して いるとするならば、そのコミュニティの中で誕生し育つ 子供たちが、若い年齢層の夫婦︵子供がいる・いないに 関係なく︶が部落外に流出することによって、ますます 減少することを意味しているのだ。その結果、部落の中 には、ますます老人がふえていく事態が生まれているわ け で あ る 。 とすれば、問題の根本に横たわっているのは、部落が 老齢化しつつあることというよりも、若い世代の流出が 起こっていることにあると把えることができるだろう。 従来の部落解放運動の論理からすれば、かかる事態は同 和事業進行の遅れ、言葉を換えれば﹁差別行政﹂に帰さ れるものだった。若い夫婦が世帯分離をして閉じ部落内 に住む条件が整備されていないことが、問題だとする見

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解 で あ る 。 と こ ろ が 、 住 宅 建 設 を は 、 じ め と し た 同 和 事 業 が実施・進行されているにもかかわらず、流出が起こっ て い る の で あ る 。 ここでこれまでの﹁部落と事業﹂という問題設定の枠 組みをふりかえってみれば、運動の論理として部落差別 の存在が強調されることによって、なべての事象が差別 との関連で説明されてきた。つまり、問題の構成は﹁運 動と事業﹂をめぐってつくられてきたといえる。だが、 この枠組みを前提とし、差別をすべての事象の決定因と すれば、人口流出という厳然たる事実を目の前にして上 述の論は、事業の責任か運動の責任かを問わざるをえな くなるに違いない。ならば、このような﹁責任の所在﹂ をめぐる論議が、はたして適正であるか否かが、まず問 わ れ な け れ ば な ら な い だ ろ う 。 集合住宅の︽貧困︾と事業の﹁責任﹂ 京都市は、全国でもいち早く改良住宅が建設された都 市であることは、よく知られている。同和事業というカ テゴリーの施策ではなく、建設省のモデル・ケ

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ス と し て 錦 林 地 区 に 新 し い 住 宅 が 建 て ら れ た の は 、 一 九 五 三 年 ︵ 昭 和 二 八 ︶ の こ と で あ る 。 西山卯三氏らを中心と

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で一九三七年︵昭和二一︶に 実施された精織な部落の実態調査をふまえて竣工された のは、東京大学建築学科の吉武研究室が設計した﹁ 5 1

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型公営住宅﹂をモデルにしたものだった。この錦林の 新住宅が、後に同和事業枠で展開される、京都市内の部 落 に お け る 改 良 住 宅 の 原 型 に な っ た こ と は 間 違 い ・ な い 。 51C 型住宅は、今でいえば

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の形態をとってお り、ダイニング・キッチンという独特の住空間を生み出 し 、 後 の

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型へと連続するパターンの先駆けをな した。しかし、このモデルは、集まり住むという論理が 配 慮 さ れ た も の で は な か っ た 。 建築学者の布野修司氏の言葉をかりれば、このモデル は﹁冬至 4 時間日照を条件とする平行配置といった単純 か っ 貧 困 な 論 理 ﹂ ︵ ﹁ 日 本 の 集 合 住 宅 の 軌 跡 ・ 解 説 ﹂ 円 建 築文化﹄一九九三年四月号︶に従った、人が住む箱にほ か な ら な か っ た の で あ る 。 もちろん、新住宅が建設された当時の部落の人びとに す み か とって、新しい住宅がそれまでの住処に比べて、どれほ ど素晴らしいものだったかは、想像にかたくない。しか し、戦後はじめて建てられた貧困な箱としての改良住宅

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のあり方は、そのまま現在につらなっている。 部落の様相に多大な変化をもたらした高度経済成長期 をはさんで、﹁大きいことはいいことだ﹂とばかりに、 生産力主義まるだしの高層集合住宅が建てられたこと、 そして、その場合に想定されていた住民像が、作り手の 善意がいかにあふれでいたとしても、﹁合理的要求の束 としての人間観﹂に支えられていたことは、問題だと言 \ わ ざ る を え な い 。 かように、集合住宅、とりわけ、同和事業で展開され たそれにかかわる人間の問題の︽貧困︾さは拭うべくも ない。だが、それをもって、 f すべてが行政の責任とする にはあたらない、とわたしには思われる。 なぜならば、ほかならぬ部落の人ぴと自身、運動自身 が、つぎつぎと建設されていく集合住宅をよしとしたこ とは間違いないのだから。たとえばそのことは、京都市 内で最初の高層住宅が回中部落に建設されたとき、﹃解 放新聞﹄︵全国版︶が賞賛の記事を載せたこと一つをと っ て も 、 明 ら か だ 。 しかし現在の田中の高層住宅は、夜ともなれば、櫛の 歯が抜けたように明かりのともらない部屋がめだっ。部 落の集合住宅は、同時に実施されたさまざまな事業の成 果とあいまつで、終の住処として構想されたはずだった ろう。そして、運動の側もそれを歓迎したのだった。と ころが、若い人びとを中心にして、終の住処が建設きれ る 端 か ら 、 ﹁ 流 出 が 起 こ っ て い る の で あ る 。 L とすれば、プラスの評価の点で相呼応しあった事業→ ←運動の双方ともが予想もしていなかった問題が生起し ている、と考えざるをえない。行政にすべての責任を求 める論は、その意味において、説得力をもっているとは とうてい考えられない。では、運動に責任を求めるとい う こ と に な る の だ ろ う か 。 ﹁ 共 同 性 ﹂ の崩壊と運動の ﹁ 責 任 ﹂ すでに多くの論者が指摘しているように、運動からす る事業の要求を支えた考えの根幹に、部落の停滞性・低 位性という部落観があった。しかし、停滞・低位という 部落観が現実を表象したものではなかったことも、周知 のことであろう。前掲の山本論文によれば、次のように 述 べ ら れ て い る 。 : ・ 明 治 末 期 以 降 に 居 住 の 自 由 が 確 立 さ れ て い ら い 、 部落から社会的上位の層が流出するかわりに下位の

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層が流入するという、人口の循環現象が認められる のである。そしてこのことが、明治以来、間断なく 続けられてきた生活向上の努力を、その成果が上が った層が流出することにより無に帰し、被差別部落 の貧困があたかも固着しているかのような外観を与 え て き た と い え る 。 この停滞性・低位性という考え方は、﹁被差別部落の 貧困があたかも固着

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ているかのような外観﹂を基礎と して、部落の﹁共同性﹂と結びつくものではなかったか。 それが、部落から流出していく人びとの存在を覆い隠

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て い た よ う に も 思 わ れ る 。 人ぴとがある空間に生き・住むことは、その時代と社 会の状況を映じ出す鏡でもある。その場における住み方 は、そこに住む人びとの生活総体を構成する、文化のネ ッ ト ワ ! 1 クの態様だといえる。そのネットワークはコミ ュニティ形成という点からは、住民である﹁われわれ﹂を 求め生み出すだろう。この場合の﹁われわれ﹂、ーすなわ ち住民が帰属する集団のアイデンティティは、その集団 の構成員一人ひとりの存在と位置を確認する紐帯である と同時に、その集団から切れてしまえばアイデンティテ ィ そ の も の が 不 安 に さ ら さ れ る ﹁ 縛 り ﹂ と し て も 機 能 す る 。 部落に視点を絞れば、こうまとめられる。 ﹁ 部 落 U 貧困﹂をひとつの共通項とした、社会的な象 徴としてのアイデンティティ﹁われわれ H 部落民﹂が再 生産されつづけることが可能であった、そのような時代 と社会の中で、集まって住むことと住んでいる人びとの アイデンティティとが併存してきたのである。同和事業 が開始されて以降は、集住と主体のアイデンティティを つなぐ媒介項こそが、目に見えるモノとしての﹁事業の 成果﹂だったのではないか。 だが、時代は移り変わり、社会もその相貌を変化させ てじまった。たとえさまざまな問題が未だに存在してい るとはいえ、部落の環境も確実に改善され、変化してき ている。そして、同和事業は、元来、部落に集まり住む ことを福祉国家の下に保障する施策の︵時期を限った︶ 体系であった。このことを認めるならば、人口流出とい う事実は紛れもなく、運動も事業もともに前提していた これまでの﹁集まり住むこと﹂が崩れてきていることを 示 し て い る 。 そして、それは同時に、これまで一の運動を支えできた と考えられてきた集団的なアイデンティティの崩壊とも つながっているだろう。これは、従来の運動が予想もし

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て こ な か っ た 問 題 で あ る 。 このことはすなわち、運動に責任ありとする論もまた 問題解明の核心とはなりえないことをあらわしている。 運動があるにも関わらず流出が起こっているのではなぐ、 これまでの運動の思考の範曙からこぼれおちていた現象 が、無視することのできない問題として浮上してきたの である。重要な点は、運動の存立基盤とし疋そのままに 続くと思われていた﹁共同性﹂、つまりはがムラの中で の 紐 帯 μ が、かつての意味を失ってきている、というこ と に あ る 。 さらに視野を広くとれば、伝統的にムラの中での紐帯 が存在してきた、とする考えも、歴史をこえて維持され る確実な実体を備えたものではなかったことも明らかだ。 すなわち、二疋の歴史的条件の下で再生産可能であった ねつぞう グ ム ラ の 紐 帯 d という﹁伝統の担造﹂︵

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・ホブスボ l ム︶が、解体される時代と社会が到来したと言ってもよ い。これは何も部落に限ったことではない。﹁青年がい るにもかかわらず、青年団のなり手がいなくなった、以 前は若者は誰でも青年団に入ったものなのに﹂と嘆くあ る年齢層より上の人びとが、都市でも農村でもあちらこ ちらにいるのである。部落のみを切り離して取り扱うよ うな考え方は、その点で、問題を嬢小化するものでしか な く な っ て い る 。 このように考えた場合、﹁事業と運動﹂という問題設 定の枠組みをいったん解きほぐし、現代社会そのものの 分析から再び問題を構成する必要があるのではないか、 と わ た し に は 思 わ れ る 。 現代社会の中での ﹁ 運 動 と 事 業 ﹂ 戦後の部落解放運動は、労働運動と同様に、組織的な 運動構成員を背景とする、政治的意志表現として展開し てきた。ところが、労働運動の凋落に端的に見られるよ うに、こうした運動は、かつてのような﹁未来を切り拓 く主人公﹂としての役割をもちえなくなっている。 従来の運動では、﹁確立された主体﹂が構造的にも動 機的にも確定した実体として立ち現れ、解決されるべき 問題は主体が働きかけるべき外部にのみ存在しているよ うに考えられできた。そして運動の状況は、解決目標に いかに近づいているかという、時代を超えて普遍的なも のとされる﹁進歩﹂の観点から評価された。しかし、現 在の社会は、このような従来の運動が自明としてきた場

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所とは異なる次元で展開している。 現代社会では、ある時点で確立され、そのままに維持 されることを求められる存在は、時代に取り残される宿 命に甘んじることを免れえない。運動の常套句であった、 ﹁確立した主体﹂によって確たる目標に着実に−向かう ﹁進歩﹂などは、あっという間に過去へと流し去られて しまうだろう。常に刷新されるものだけが生き続けられ る。そして、刷新され続けるものの中でもとりわけで強 靭 な 生 命 力 を も つ の は 、 言 、 つ ま で も な く 、 情 報 で あ る 。 現代社会にあって運動が情報を追わねばならないという のも、社会の側からすれば、情報が運動を支配し追い立 て て い る 証 左 と い え る 。 一方で、情報が支配する社会は、情報自体が自ら新た な情報を生み出すという自己増殖を延々とくりかえすと いう点で、社会政策の面における今までにない難問を生 み出すようになってしまった。たとえば、八

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年代以降 の社会政策と社会運動の分析を精力的におこなっている イタリアの社会学者、アルベルト・メルッチは、以下の ご と く 述 べ て い る 。 われわれの日常的な生存は、問題を確認し、その解 決を提案する専門家|この専門家の数はますます増 えていっているにとって、注視の的となりつつあ り ﹀ ま た 、 介 入 の 領 域 と な っ て き て い る 。 ・ : 日 常 生 活の全領域にわたって、警報は、警報自体によって 盛り上げられた問題を解決することをめざした介入 にともなって増殖してゆく。︵﹀

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呂 町 日 ロ の 口 ﹁ C 巳 4 ・ ] F m w

h w − ︶ メルッチが指摘しているのは、次のようなことだ。一 ﹁警報︵アラーム・シグナル︶﹂とは、ある人びと一 ︵とくに集団を形成する社会運動︶が自分たちの生活に一 かかわるさまざまな領域において見て取る矛盾と考えれ一 ばよい。そのとき、提起された矛盾に対じて、国家権力一 は解決のための施策を講じ、その施策に対応する専門家一 たちの登場と介入が要請される。この場合の専門家とは、一 たとえば行政の同和対策担当者である。彼らが問題解決一 のために提出するシナリオを通じて、それまで 1日常生活一 の中で正常と思われていた領域が、問題ありとされるよ f 一 うになるのである。そして、その新たな問題の解決のた一 めに提出されるシナリオが、さらに新たな問題を産み出一一 していく。かくして、問題が問題を呼ぶ無限の循環が生一 ま れ る 。 一 同 ロ ミ H h H b r r

」今、

叶 巾 B H L 巾 H U 可 町 ﹄ 司 主 H U H目白血

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おそらくは、同和事業︵とくに住宅︶と運動、そして 人口流出との関係は、このような無限循環の中でも、と くに悪しきパターンにはまりこんでいるだろう。 運動が要求する住環境の整備・改善のために、住宅が 設計され、建設される。ところが、できあがったものは、 終の住処としての価値をみたすものではない。狭いとか、 天井が低いとか、画一的だとか、少しばかり想像しても すぐに思いつくさまざまな価値は、とうてい満足される ものではないのである。その他にも、グ子どもの教育 H やか持ち家が欲しい d といった、改良住宅自身とは別の 次元での判断もあろう。それらが必要な価値として選択 された結果、人が流出する。ここで生まれる問題の責任 が運動によって行政に帰されるならば、次に続くのは、 さらに改良をせよという運動側の要求と、それへの事業 による回答である。より﹁改善された﹂住宅が構想され、 −新たに建設がされる。ところが、それでも必要な価値は 満たされることはない。建設が構想された時点で考えら れなかった新しい価値をめぐる問題が生まれてきている からである。その結果、さらに人が出てゆく。再び問題 点の指摘が起こり、またもや改良が実施される。ところ , 刀 ・ ・ ・ 。 はたしてこうした蟻地獄の穴にはまったような状態か ら抜け出す方策はないのか。その可能性を追求する際に 考察すべきは、悪循環の過程に内在する問題としては扱 われてこなかったが大きな影響力を持って人口流出を促 している、価値選択というファクターだろう。流出する 人びとが、いかなる存在として、その結論を選びとって い る か に 注 目 し た い 。 価値選択と新たなアイデンティティ 現代社会においては、自律的個人または自律的集団が 必要とされる。というのは、現代社会は、高密度の情報 ネットワークであるため、ネットワークがうまく働くに はその構成要素として個人や集団の自律性が要求される か ら で あ る 。 だがこの場合、管理という点からは、社会と自律的個 人︵または彼らから形成される自律的集団︶との関係は デイレンマを抱えざるをえなくなる。 社会は自律的個人を必要としながらも、自律的個人を 管理しもなければならない。一方、自律的個人は、自律的 であることによって、社会的拘束から自由たらんとする

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ノJ が、この自律性自体は、社会がさま、ざまな領域をネット ワークに統合することではじめて可能になる。 このヂィレンマは、はなはだ逆説的だが、社会の運行 を阻害するベクトルとはならず、進行させるベクトルを 有するものとなっている。こうした奇妙な運行原理を支 えているのは、個々人が行為する存在として自律性を獲 得することによって、多一な価値から巳の仕方を選択で きるという状況である。国家にしても自治体にしても、 スムースな施策を可能にするためには、この多様な価値 選択の自由を保証することが必要条件といえる。ただし、 ここでいう自由とは、︽複合社会︾によって形成された 多様な価値の中から選択を行えるという意味での﹁自 由﹂である点を強調しておこう。 すでに述べたことからもわかるように、こうした社会 に生活する人びとは、そのアイデンティティを安んじて 決定し維持できるような集合的・確定的な拠点をもって いない。アイデンティティはたえざる変化の中におかれ ており、移り変わらざるをえないのである。日々の生活 において、さまざまな面での満足をえるためには、社会 の流れの中に身をおき、流れとともにありながら、その 時どきの状況の中で自らの道を選んでゆくしかない。ア イデシティテイに付与された﹁確固として揺るがない参 照基準﹂という︽物語︾は解体し、かわってフレキシブ ル︵可変的︶なアイデンティティが、座を占めるに至っ て い る の で あ る 。 ところが、同和事業をめぐっては、ことはまったく正 反対に動いていると思われてならない。 従来の部落解放運動がその依って立つ基盤としてきた のは、確固たる集合的アイデンティティにほかならなか った。ところが、ムラから出てゆく若い世代のあり方は、 ﹁確固とした主体﹂の基盤が存在することを証明するど ころか、フレキシブル・アイデンティティの方へと傾い ている。そして、残念ながら、この新しいアイデンティ ティを語る言葉を運動はもっていない。かつてのまま、 ﹁確固たる主体﹂という存在しない主人公が、!あたりは ばかることなく閲歩している。 また、事業を実施する行政の方も、価値選択の自由を 実現する方向での計画は、皆無に近い。逆に事業は、一 つしか存在じない豆港択﹂を迫るものになっている。た とえば、住宅については、﹁住むこと﹂が﹁選択﹂とな っている。だが、現在は、どのように住むのか・どこに 住むのか等々という多様な選択肢こそが重要になってい

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る の で あ る 。 これでは、たとえば人口流出ひとつとっても、アプ ローチする糸口さえもつかめない。運動・行政どちらに とっても、存在しない﹁集団﹂を後生大事にすることを やめて、まず流出を選択する契機となった、さまざまな 問題を具体的かつ丹念に拾い上げることが必要である。 その際に、ムラにとどまることを選択する契機について の切り口もつかむことができるのではないか。 もはや、運動にとっても事業にとっても、一括した集 団に対する﹁ l す べ し ﹂ ﹁ l しなければならない﹂とい った考え方をときほぐし、そうした考え方に至上の価値 を与えるのをやめることが課題となっている。個人を基 本的な単位とした、自由で自律的な選択の結果として、 目標が満足されるように事業が設定されるようになるこ と が 重 要 な の で あ る 。 おわりに 以上、これまでの﹁運動と事業﹂という枠組みでは、 新たに起こってきている問題を内在的に把えられない段 し ゆ っ た い 階が、出来してきていることを述べてきた。だからと いって、かつての﹁共同性﹂を基盤とする状況へもう一度 戻ることは、もはや不可能だろう。それよりも、現在生 起しているさまざまな問題をおさえた、新しいアプロー チをつくりあげることが求められていると思う。この立 場から、同和事業に関する新じい視座を考えてみよう。 従来、同和事業に関しては、運動は要求をすればよく、 行政は要求を実現すればよかった。結果として生起した 問題は、実は運動側の要求の論理にも、行政側の事業推 進の論理にも想定されていないものとしてあらわれてき た。事実上、結果にあらわれた問題は、行政の責任とし て語られてきたが、行政は要求に応えただけではなかっ たのかーもちろん、要求を鵜呑みにしてきた責任はある に

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ても。この意味では、事業が行われていく。プロセス のどこにも、現実におこった問題に対して何らかのかた ちで最終的な責任を負う存在はなかったといえる。 しかし現在では、評価軸におかれることが求められて いるのは、すでに述べたように、自律的な個人による自 由な価値選択となっている。とするならば、責任のとり あ え ず の ﹁ 主 体 ﹂ は 、 個 人 の 自 律 性 に お か れ る わ け で あ ここで言う﹁自律﹂とは、たとえば、行政依存しない ﹁主体﹂というような時代遅れの倫理的な意味ではない。

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何度となく行政依存に対する批判がなされてきたが、な ぜその多くが﹁作風﹂とか﹁腐敗・堕落﹂といった人格 的・道徳的命題に終始してきたのか。重要な点は、行政 依存が構造的に発生していることにある。むしろ、自律 を可能とする条件が社会的に整備されてこなかった点が 再考されなければならない。この考え方からすれば、同 和地区指定を解除してほ!しいという意識も、運動の利益 に対立するイデオロギーとして考えられるべきではない。 ﹁自律﹂が現在の社会の中で基本的なファクターとして 働いている状況が、その底流にあると考え、それを自ら の課題に転化していくべきなのだ。 こうした事情を十分に勘案すれば、﹁自律﹂をめぐっ て、運動と事業︵行政︶との聞の緊張関係が生まれるこ と が 必 要 で あ る 。 つまり、次のようなことだ。﹁自律﹂は命令されたり 与えられたりするものでも、勝手に身につくものでもな い。日常的にーーより正確には日々繰り返される

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一 \ 人ひとりが自ら選択し、その選択行為を自分以外の誰に も預けないことから、新しいアプローチははじまるだろ う。繰り返し生まれる個大的選択を基礎におき、その選 択の結果をつづいての選択に組み入れていく、試行錯誤 4 を厭わない繰り返し習得される学習のプロセスこそが、 ﹁自律﹂の内容をつくりあげていくにちがいない。ムラ に住み続ける人びとを支えていくような新しい集合的ア イデンティティも、こうした作業の中にこそ生まれる可 能 性 が あ る だ ろ う 。 その意味で、わたしとしては、このプロセスがっくり あげる問題設定にあてはまらない事業を、行政は一時停 止した方がよいと考える。同時にその際、ひとしなみに ﹁与えられる﹂ような事業は、それがいかに既得権利に 思われでも、捨て去るという選択が運動の側にも求めら れるだろう。これまで、核心ともいえる問題を考えてこ られなかったという現実を、もし真剣にとらえなおすの ならば、ここに述べたことは最低限の条件だと思う。 こうした考え方に対して、﹁現実はきびしいのだ﹂と いう批判もあろう。だが、京都市の中からも、この新た な状況を正面から受けとめようとする部落に住む若い世 代があらわれてきているのもまた、現実なのである。そ こに何を見出すかということも、ひとつの価値選択であ る限り、わたしは、困難ばかりが存在しているような現 状の中に希望につづく可能性を見ることを選ぴとりたい と 思 っ て い る 。

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ひろば⑦

市民的権利と

解放理論

梅沢利彦

部落解放理論の入門書をひもとくと、まず﹁差別の本 質﹂として、被差別部落民に﹁市民的権利が行政的に不 完全にしか保障されていない﹂ことが説かれる。その市 民的権利として、﹁就職の機会均等、教育の機会均等、 居住の自由等の基本的な権利﹂があげられ、朝田理論は この中でも特に就職差別を重くみて、いわゆる﹁しず め ﹂ 論 を 展 開 し て い る こ と を 知 る 。 朝団理論に関するさまざまな議論は別として、ここで は市民的権利の内容について考える。結論をあらかじめ 書いておくと、市民的権利を﹁就職・教育・居住﹂と狭 めたことに疑問を感じるということである。もちろん、 ﹁基本的な権利﹂と限定がつけられており、六

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年代の 運動スローガンとして有効であったことを認めてである。 本論は私事からはじめる。ぼくはここ五年くらい、日 本 の 諸 制 度 を 外 国 の そ れ と 比 較 す る 作 業 を し て き た 。 , 初は刑事司法の分野、つづいて行政手続の分野である。 刑事司法の分野だが、英米では被告人が有罪であるが 無罪であるか決めるのは、市民の代表である十二人の ﹁陪審﹂である。これは憲法が保障する被告人の権利で あって、裁判に市民が関与するのである。日本では職業 裁判官がすべてをとりしきり、国民には口出しもさせな いシステムになっている。これらについては﹃陪審制| 市民が裁く﹂と﹃お白州裁判の鼎装置人権低国の刑事 訴訟法批判﹄で書いているので、詳細は省略する。 行政手続では明治期の足尾鉱毒事件、戦後間もなくの 蜂の巣城事件︵ダム建設にからむ用地収用︶、現在も続 く成田空港問題を調べ、土地収用手続を欧米のそれと比 較した。日本では戦前戦後一貫して、計画・実行段階で 住民の意志を問うことをしていない。国益︷公共の利 益︶なるもので押しきっている。たしかに戦後は﹁聴 聞﹂︵公聴会︶などの制度が導入されているが、土地収 用法の聴聞は行政側が必要と認めなければ、聞かなくて

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もよい仕組みになっているため、いまだかつて聞かれた ことがない。その他の制度も単なる形式として運用され ているのが実態である。裁判に訴えても、裁判所は行政 権力によって作られた既成事実を適法と追認するだけで、 適 正 手 続 ︵ デ ュ l ・プロセス︶が守られたかどうかにつ いては、﹁我関せず﹂である。さらに悪いことには、法 律が住民の関与を難しくする方向︵収用権の強化

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に ど んどん改悪されている︵例公共用地取得特別措置法︶。 アメリカでは﹁連邦行政手続法﹂があって、行政処分 ︵行政庁による規則制定を含む︶については、事前に住 民の意向を聞かなければならないことになっている。そ れもただ聞き置くといったものではなく、裁判形式で、 行政の計画に対する住民側の主張が審理される︵準司法 手 続 ︶ 。 こ の 審 理 記 録 ︵ 証 拠 ︶ に 従 っ て 決 定 が な さ れ る 。 抽象的な説明では分かりにくいので、イギリスの例を みてみる。﹁地方実施計画の策定、原子力発電所・空 港 ・ 幹 線 道 路 な ど の 設 置 決 定 の 際 に は 、 公 衆 の 参 ノ 加 手 続 である公開審理が︵利害や関心をもっ多数の者が参加し て︶開催﹂される。審理は﹁公正の確保を考慮して、裁 判官または勅任弁護士の中から選任﹂された審問官が主 催するが 1 調査の徹底を期して﹁審問弁護士を使い、職一 権で証人を喚問し、調査を専門家に依頼﹂する。そして一 ﹁詳細な報告書が作成され、それを受けて国会で討論が一 行なわれる﹂のである︵榊原秀訓﹃法律時報﹄八

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一 一 号︶。日本には行政手続法がなく、閣議決定・事業認一 定・収用手続・機動隊に守られた強制収用と、住民を探一 蹴して土地収用が行なわれる︵この問題については﹃行一 政 手 続 の 民 主 化 ﹄ と し て 刊 行 予 定 ︶ 。 − 言いたいことは]日本人は総体として低レベルの市民‘− 的権利しか享受していない状況にありながら、そのこと一 に大半の人が無感覚であるということである。自分たち一 の人権だけでなく、在住外国人の人権を保障じていく問一 題もある。スウェーデンの選挙権付与・民族差別オンブ一 ズマン制などをつぎのテ 1 マにするつもりだ。解放同盟一 の

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に も 注 目 し て い る 。 解放理論は、日本の人権状況が総体的に低位であるこ とを根底にすえて構築されるべきだと思う。この場合、 天皇制と短絡的に結ぶのではなく、いわゆる明治維新で 確立した官僚制が現代日本人の意識構造に及ぼしている ︸ 作 用 に 注 目 す る 必 要 が あ ろ う 。

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﹃ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹂ の 改 題 を め ぐ っ て ①

岩波文庫の一冊に、高橋貞樹の名著﹃特殊部落一千年 史﹄が復刻されました。世界文庫社本で読んでいました が、今、改めて通読して迫力にうたれました。良い本が 文庫になったことを喜びたいと思います。 ところでこの本が﹃被差別部落一千年史﹄と改題され て刊行されたことや解説をめぐって、で﹂ぺる﹄誌上で 師岡佑行さんの提起によって、校注者沖浦和光さんとの 議論が交わされ、また編集を担当された岩波書店の平田 賢一さんの文章が載りました。この論議には多くの問題 がだされており、私にとっても勉強になりました。藤田 敬一さんから、これについて感想を求められましたので、 少

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述 べ さ せ て 貰 い ま す 。 ﹃特殊部落一千年史﹄について、私の対象とする前近 代史の内容は、当時の研究と︿に喜聞貞吉の研究をふま

復刻によせて

えて書かれたものですから、現在の研究水準とは異なっ ているところがあるのは当然です。その一々について校 注や解説をつけることは、限られた紙面では無理だとい うことはわかっているのですが、残念なことに校注はほ と ん

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個別の語句についてなされており、解説は高橋貞 樹の生涯について書かれていて、それはそれとして教え られましたが、﹃特殊部落一千年史﹂そのものの解説と は な っ て い ま せ ん 。 部落差別の現状や部落史研究の到達点を J 考 え る な ら 少なくとも部落起源説にかかわる箇所については、現在 の水準とあわせて説明して頂きたかったと思います。本 書における人種起源説・職業起源説・宗教起源説にかか わる記述をどのように評価するか、また﹁特殊部落の形 成﹂を中世においているのは明らかに現在の研究水準と !

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は異なりますし、出村・産所・餌取などの理解は、今日 の研究成果とあわせて解説する必要があるでしょう。な お金剛太夫の校注は塚田孝の研究があり、訂正する必要 があります。読者は部落問題に関心をもつものだから、 このような解説はなくともわかってもらえると考えられ たのかも知れませんが、起源説についてなんらの言及も ないどとは、部落史研究の成果を無視されたことになり、 理解に混乱を与えるおそれがあると思います。 さ で 、 ﹃ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹄ が ﹃ 被 差 別 部 落 一 千 年 史 ﹄ に改題されたことについてですが、私は今回の改題につ いて反対です。たしかに﹁特殊部落﹂という語は差別性 をもっていますが、歴史の現実のなかでは﹁水平社宣 言﹂の冒頭に使われるなど、これは差別語として見るに は、微妙な状況にありました。このような状況について は師岡さんが詳しく書いておられますし、こニでは触れ ません。私自身、一九五三年九月﹃日本史研究﹄二

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号 に掲載された高尾一彦さんと共作の論文では、河田村 ︵特殊部落︶としています。そのころでは差別語として の意識はなく、普通の名辞として使っていたのは明らか です。これを差別語として教えられたのは、 一 九 五 五 年 / ノ 九月﹃日本史研究﹄二五号に書かれた﹁部落史の課題﹂ という東上高志さんの評論でしたが、なお劣悪なものの 比聡に使われ右ことへの警告という受けとめ方が強かっ たと思います。七

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年代に入って、この語の差別性はき びしく指摘されるようになり、勤務先で最初に差別事件 と し て 問 題 と な っ た の は 、 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ 発 言 で し た か ら 、 私 に は 忘 れ ら れ な い も の で す 。 しかし当時からこの語のもっている歴史性をおさえな がら説明されることはほとんどありませんでした。今回 も書名を改めるという﹁配慮﹂をされながら、解説はあ りません。近年は﹁特殊部落﹂の語の差別性については、 社会にも浸透したと思いますが、それでも﹁特殊部落﹂ の語が歴史のなかで、どのような形で使われてきたかを 説明せず、差別性を指摘するだけでは、説得的ではあり ませんが、どうもそのようにはなっていません。 一 つ の 、 例をあげますと、高校の日本史教科書には﹁えた・非 人﹂の記述はあるのですが、﹁特殊部落﹂については記 されていません。水平社宣言も史料として入っていない ものが多く、宣言の後半が載っているのも、私の知るか ぎり一点です。教科書は高校生の水準を考えて、内容も

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限られていますから、取捨選択があるのもやむを得ない ことですし、まして﹁特殊部落﹂の語のゆえ入れていな いとは思いませんが、あの熱い思いをもった宣言の内容 が、きちんと入っていないのです。それは今回のことと あわせて、今後考えるべきことではないでしょうか。 高橋の書物は古典の地位を占めており、著者が﹁特殊 部落﹂の語を使った意味を明らかにする上でも、原題に すべきであったと思っています。それは改題では解決が つかないことであるばかりではなく、古典の扱いを誤つ ており、歴史理解の上で重要な意味をもっていることを 消したことになりますし、じっさいに先のような状況が あるなかでは歴史の否定につながるでしょう。 校注者や岩波書店が改題されたのは、注記もないまま、 広告に書名が出ることによって、﹁この言葉の差別性が 見遇されたままひとり歩きしてしまう可能性﹂をおそれ たということです。高橋は﹁名称はいかほど変じても、 実質は依然として変わらない。普通民の頑迷なものは、 今もこれらの種々なる名称によって差別する﹂︵二

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ページ︶と書いています。彼の考えからすれば、このよ うな解決法は望まないでしょうし、また校注者らも他の 古典について、このような措置は取られないでしょう。 このようなことは部落問題解決の観点から見でも、安易 な解決法だと思います。それはまた﹁特殊部落﹂の語に ついての近年の状況を引き継いだものですし、この理由 も 納 得 し が た い も の で す 。 一 工夫をすれば、差別性を見過ごさないように示唆する一 方法だつであったのではないでしょうか。﹃初版日本資一 本主義発達史﹄という本も出ていますが、たとえば原骨一 ﹁特殊部落一千年史﹂とするか、﹃特殊︵被差別︶部落一一 千年史﹂とするならば、現在では﹁特殊部落﹂の語の差一 別性はかなり知られているのですし、改めて注意を喚起 することにもなったでしょう。さらに﹁被差別部落史の一 古典﹂といった解説をつけるならば、書名広告が一定の一 効果をもち、かえって問題性が鮮明になったかも知れま一 せん。これは思いつきですが、古典を尊重する方向で、一 も う 少 し 考 え て 欲 し か っ た と 思 い ま す 。 ともあれ私なども、近世史のなかで械多をはじめとす一 る差別的歴史名辞を扱っていますから、今回のことでは一 色々教えられました。今後の教訓にしたいと考えていま一 す 。 一

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謹 啓 不順な天候がつづいておりますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。 おうかがい申し上げます。 本日は、突然にお手紙を差し上げます失礼をお許しください。さっそくで恐縮では ございますが、私どもはこの四月以来、一九九二年二一月一六日に発行されました岩 波文庫﹃被差別部落一千年史﹂︵原著名﹁特殊部落一千年史﹄、高橋貞樹著、沖浦和光 校注︶をめぐり、古典的著書の書名変更・テキストクリティ l ク の 問 題 な ど に つ い て 、 師岡佑行さん︵京都部落史研究所所長︶と沖浦和光さん︵桃山学院大学教授︶との往 復書簡を掲載︵同封の﹃こぺる﹄をご参照ください︶するとともに、合評会などで議 論を重ねてまいりました。 また、このたび、同書を担当されました岩波文庫編集部の平田賢一さんより、文庫 編集部の﹁見解﹂が寄せられ、で﹂ぺる﹄九月号に掲載させていただくことになって おります。︵同封の校正刷をご参照ください︶ 歴史的遺産としての古典の世界とどのようにむかいあうかは、とりもなおさず現代 に生きる私たちの文化の深部、その基底にふれる問題、だと、私どもは考えます。 つきましては、同書の書名変更をめぐって、ご感想、ご意見を﹁こぺる﹂誌上でぜ ひお聞かせいただきたく、おしつけがましいお願いであることを承知しつつ、お手紙 させていただいた次第です。字数、枚数の制限はございません。ご多忙のこととは存 じますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。 なお、大変お手数をおかけいたしますが、同封の葉書にて諾否のご返事をたまわり ますれば幸甚に存じます。 とりいそぎ右、お願いまで。ご無礼の段ございましたらお許しください。 敬 一 九 九 三 年 八 月 ﹁ こ べ る ﹄ 編 集 部 ︵ 編 集 責 任 ︶ 藤 凹 敬 具 鴨水記 マ大型台風で開催が案じられま した第日田部落問題全国交流会 も、山陰方面や役所関係の方を 除き一二 O 名 の 方 の 参 加 を 得 て 、 多様な議論が重ねられました。 マ今月のメイン論文は、京都大 学農学部にお勤めの崎山政毅さ ん、﹁ひろば﹂は、日本工業大 学講師の梅沢利彦さんからいた だ き ま し た 。 マ編集部ではこの八月に、上記 のお手紙︵こぺる購読者の方は 文面が少し異なり告すが︶をお 出しして、ご感想やコメント、 論文をお願いいたしました。今 後﹁﹃特殊部落一千年史﹂の改 題をめぐって﹂として掲載させ ていただきます。今月は、大阪 大学で日本近世史を講じておら れます脇田修さんです。︵森︶ ﹁ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 十月三十日︵土︶午後二時 i ト 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー j 第二会議室 m O 七 五 | 四 一 五 | 一 O 二 一 O 編集・発行者 こペる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上ル四丁目鶴山町14 阿件社 Tel. 075 256 1364 Fax 075-211 4870 第7号 1993年10月25日発行

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者 か ら H それは差別で は ないか H とか H 差別の拡大・助長につ なが る H と指摘されても平然とし、 H 差別とはなにか、なぜこ れが差別になるのか H と議論をたたかわせられる人はめったに いない。まして H ある言動が差別にあたるかどうかは 、 そ の 痛 みを知つでいる被差 別 者にしかわからない 勺 差 別する側に立 っ てい る 者に、被差 別 者の思いなどわかるはずがない H といわれ て、なおかつ 対 話を試みようとする人はめずらしい﹂ 。 ︵ 本文より ︶ このような立場 ・ 資格が、差別 ・ 被差別の双方から固定化 ・ 絶 対 化 さ れているとしかいいようがない現実は、実は、差別| 被 差 別 の隔絶された関係の反 映 ともいえる 。 いま、大きく変貌を遂げつつある被差別部落の現実を直視し 、 既 成の理論や思想の枠組みそのものの検討を、自由な対話をと おして積み重ねられてこそ 、 この隔絶された関係の蘇生への道 が聞かれるのではないだろうか 。

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U − 内 容 ・ 執 筆 者 紹 介 部 落 青 年 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー ︹ 座 級 会 ︺4 7 岡 順 二 + 中 島 久 恵 + 灘 本 昌 久 + 山 城 弘 敬 + 山 本 尚 友 常 織 の 再 検 討 部 落 H 貧 困 の 再 検 討 ・ ・ ・ ・ 山 本 尚 友 不利益 u 差 別 の 再 検 討 ・ 灘 本 昌 久 現 在 を 考 え る 同 和 事 業 総 括 の 一 一 視 点 : 山 本 尚 友 ﹁ 差 別 語 ﹂ と い か に 向 き あ う か − − ・ ・ ・ ・ 梶 本 昌 久 図 書 館 の 自 由 と 差 別 表 現 : ・ 高 木 奈 保 子 今 日 の 実 態 的 差 別 と は 何 か ・ 住 回 一 郎 差 別 と 言 葉 の 狭 間 吉 武 外 骨 と ﹁ 昌 司 事 ﹂ の 語 ・ 師向 佑行 差 別 と い う こ と ぱ ・ 山 本 尚 友 そ し て : 被 差 別 部 落 民 の 内 面 ・ ・ 住 田 一 郎 差 別 ! 被 差 別 の 現 在 を 凝 侵 す る : ・ : 藤 田 敬 一 あ と が き − こ べ る 編 集 部 編

− 四 六 判 ・ 並 製 ・ 三 O 四 頁

+ − 定 価 一 二 六 O 円 ︵ 本 体 ニ 0 1 七 円 ︶

同和は

わい考

藤 田 敬 一 著 定 価 八 二 四 円 発行以来すでに 六 年 。 そ の 簡 に 多くの読者に支 え ら れ 、 数々の論議を生ん だ 。 そ し て いまなお新たな 読者を 獲 得している 。 部落解放運動の存在根拠 そ の ものを 、 差別 ・ 被 差 別 の 関係総体の中 に 問 い 直 し た 本書は 、 ﹁ 共 同 の 営 み ﹂ と しての運動 の 創出を強く訴 え る 。

同和はこわい考を

読む

こ ぺ る 編 集 部 編 定価一七 二 O 円 ﹁ 批判の拒否は、結 局のところ 自らが d m の 王 様 H に なる道しか残されていない と 確 信 す る : : : 都 世 帯 民 で な いお前に何がわかるかな ど と は 決 し て 言う ま い ﹂ ︷ 本書 よ り ︶ 。 ||解放運動あ る いは部落問題やさら に 諸 差 別 の 問 題 に か か わ り 、 そ の 主 体 の 有 価 帽 を 深 ︿ 考 え よ う とする人々によ っ て 論 議 さ れた機々な織鎗を収録 。

光あるうちに

|中世 文 化 と 部 落 問 題 を 追 っ て | 横 井 清 著 定価 二 三 六 O 円 ﹁ 現 実 の 部落問題に つ い て はむろん の こ と 、 部落史そ の も の に つ い て も 、 今 後は多数の人前で自 ら の 音声を つ うじて語る こ と も 敢 え て し なければ、読者に活 字 を と お し て ・ : 告げる こ と も ま た i ﹂ ︵ 本書 ︶ 。 ひ た す ら に 内なる心音の伝 え来る差別意 識の波長に耳傾け て き た 著 者 が 、 遂 に こ の 一 書に独 句 作 み 、 自 ら の 軌 跡 を 問 う 。

阿陀社

京 都 市 上 京 医 寺 町 今 出 川 上 ル 四 丁 目 鶴 山 町 + T E L 室 よ 一 一 1 一 = 一 否 FAX 由 主 l − 一 − 一 1 突 七 号 一 九九 三 年十月 二 十 五日 発行 ︵ 毎 月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九九 三年五 月 二 十 七 日 第 三 種郵便物 認可 定 価 三 百

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