三木君の聖なる霊へおくる
著者 浅見 篤
雑誌名 仏語仏文学
巻 8
ページ 1‑1
発行年 1975‑12‑10
URL http://hdl.handle.net/10112/00017539
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三木君の聖なる霊へおくる
浅 見 篤
三木君は関西大学ひとすじに生き,関西大学のために精魂をからし,尽 すだけつくし終えると,さっさと,定年などは待たずに,満足しておさら ばを告げて去っていってしまったという,どこか殉教者を忍ばせるいさぎ よさを感じさせてくれる。
それだけに君の突然の死も,悲しまれるよりはむしろ,讃えらるべきも のであるように思えてならない。
三木君が生前愛していたパスカルの次の言葉がそのまま君の死にあてほ まりそうに思える。
「したがってその死ほ魂の至福への戴冠であり,肉体の至福への戴冠で もある。」
お葬式は君の愛唱したという讃美歌の繰返えし句, 「わがつみをあらい て,雪よりしろくしたまえ」にふさわしく,もろもろの純白な花々に埋め られていともすがすがしく,しかも君の昇天に立会わんものと参集した人 々は堂にあふれんばかりであった。これも君の徳のいたすところであり,
君もまたあのような大勢の人々にそれが認められたことを心から喜んでい たにちがいないと思われる。
生前の君にほいろいろお世話になり,感謝していることをおくればせ ながら申し上げたい。君とはまだまだ一緒に飲み.かつ閑談する機会にめ ぐまれようと,それを楽しみにしていたのだが,それも今はほかない夢と なり終ってしまった。
最後に,君の死に対する私の心境をのぺて,君の御魂におくる言葉とし たい。
君の死をいたずらに悲しむかわりに,私ほ今後,私の死もまた聖ならん ことを君の死から学びとりたい。
(京都外国語大学教授)