江戸時代における孝行の具体相
‑ 『 官刻孝義録』の分析一 鈴 木 理 恵
TheA na l y s i so fKo ‑( Fi l i a lPi e t y ) i n t heEd oPe r i o d : Thr o u g h Ka Bho kL l ‑ K0 ‑ g: ho hL T
Ri e SUZUKI
はじめに
儒教 的イデオ ロギー に基づいた古代律令 国家以来、為政者 、国家や地方 自治体 な どがお こなって きた民衆表彰例 は彪大 である。 なかで最 も多いのが孝子‑の褒賞である。配偶者 や兄弟姉妹 を持 たない人 間はいても、親 を持 たない人間はいないか ら、親孝行 は一般的で 身近 な人倫である。明治
2 3
年( 1 8 9 0 )
に出 された教育勅語 でも 「父母二孝」 を諸徳 目の トッ プに置いて、古今 中外普遍 の徳 目とした。 しか し、 「孝」 そのものが儒教的概念 であるか ら 中外 に及ぶ普遍性 があるはず はない。 日本列 島に視座 を置 いて も何 をもって孝 とす るかは 時代 によって異 なってい る。8世紀 には親 を亡 くして悲嘆の余 り痩せ細 った ことが孝 とし て顕彰 され てい る(1)が、 これ は天皇が崩 じた際 に挙哀 の儀 がお こなわれ た ことに象徴 され るよ うに喪葬時の哀 が尊重 され ていた古代 な らではの事例 とい えるだろ う。本稿 では、『官刻孝義録』 (以下 『孝義録』 とす る )を素材(2)として、江戸時代 の孝行 の 具体相 を明 らかにす ることを 目的 とす る。『孝義録』は、寛政元年
( 1 7 8 9 )
に老 中松平定信が 善行者 として表彰 され た事例 の書上提 出 を全 国に求 め、儒官 らが編集 して享和元年( 1 8 0 1 )
に刊行 された善行集録 である。善行 (孝行 ・忠義 ・忠孝 ・貞節 ・兄弟睦 ・家内睦 ・一族睦 ・ 風俗宜 ・潔 白 ・奇特 ・農業出精)者
8 5 7 9
名の約6 4%
にあたる5 5 1 6
名(3)が孝行者 で、その うち「殊 に勝れたる者
」(
『孝義録』凡例第一条)5 7 9
名 については伝文 (以下 「孝行伝」 とす る ) が立 て られ て4 9 8
文 に収 め られ てい る。孝行伝 の最古の事例 は正保3
年( 1 6 4 6 )
、最新 は寛政9
年( 1 7 9 7 )
の ものである。『孝義録』 は、民衆がそ こに集録 され た善行事例 を読 んで善行者 を模範 とす ることによ り、風俗 が向上す ることを意図 したものであった とされてい る。 しか し、効果 のほ どは疑 念 が持 たれ る。 まず高価 ゆえに売れ なかった とされ てい る(4)か ら、一般民衆 の手 に届かな かったのではないか と思われ ることが理 由の一点 である.第二 に、た とえ民衆 が読 んだ と して も、善行事例 は人び とに とって他人事 に過 ぎなかった と考 え られ るか らである。 とい うのも、前稿(5)で明 らかにしたよ うに、『孝義録』 に収 め られ た孝行者 は、貧困、障害、年 少 ・高齢 、奉公人、独 り身こ女性 な どの社会的 ・身体的なハ ンデ ィを抱 えなが らも、障害 や病気 で手厚 い介護 を必 要 とす る親や祖父母 を、困難 な状況 にひたす ら堪 えて心 を尽 くし て養育す る、 とい うことが称揚 され ていた。従 って、 これ らの極端 な事例 は一般 の人 び と に とって称賛の対象 とはなって も 目標や模範 とは成 り得 なかった、『孝義録』刊行 の 目的が
風俗の向上 にあった として も実際にその役割 を果 たす ことはできなかった、 と考 えた。
そもそも記録 に残 され た善行事例 は実態 を示すのだろ うか。古代 の場合、坂本太郎氏 に よって、孝 が当時の 日本 の実態 とは帝離 した観念であ り、律令政府 の宣揚 にもかかわ らず 民衆 に浸透 しなかった ことが指摘 されている(6)。また、武 田佐知子氏は 『続 日本紀』 に記 載 された表彰者の 「事二男姑‑」 といった事績が中国の列女伝 な どを引き写 しにした潤色 であると指摘 し、 「孝子 ・順孫 ・義夫 ・節婦の表族 は、その規定 を中国に借 り、恩詔 に表族 を唱導す ることも中国の例 を踏襲 し、あまつ さえ表族の対象 となった事績 まで、中国の正 史に倣 ったものであった」 と述べている(7)。良吏伝 の場合 にも元 になった とみな され る表 現が亀 田隆之氏 によって中国の正史のなかに見出 されてい る(8)0
以上のよ うな古代の研究成果か らみて、『孝義録
』
孝行伝 の場合 にも潤色の可能性 はじゆ うぶんに考 え られ る。実際 に孝行伝 の内容 には漢籍 に書かれ た孝の内容 に一致す るものが あるし、列女伝 に似 た事例 があることもすでに指摘 されている(9)。しか し、少 な くとも 『孝義録』 に書かれた ことが為政者 によって奨励 され る内容 であっ たことは確 かだろ う。何 をもって孝 とす るかについて為政者側 が中国の書籍 に拠 りなが ら あ らか じめパ ター ンを設定 し、それ に似 た事例 を選 んで表彰 した、あるいは伝文 を書 く段 階で実態 をパ ター ンにはめ込んで記述 した とい うことではないだろ うか。いずれ にしても 顕彰 され る孝行の内容 は、それぞれの時代 の理想、為政者 の意図を如実 に反映 したもの と いえるだろ う。
以上のよ うに、『孝義録
』
が民衆教化 に果 たした役割 は決 して大 き くはない し、そこに書 かれ た善行事例 が実態 を示す もの とは言い切れ ないが、本稿 ではあ くまでも孝行 の具体相 を為政者の 目指 した民衆教化の具現化 されたもの として取 り扱 う。『孝義録』 に関す る先行 研究 は菅野則子氏や柳谷慶子氏 によって蓄積 されてい るので、それ らに負いなが ら進 めて い きたい(10)01 孝行の具体相
孝行伝 は、‑事例 につ き、短いもので300字程度、長い もので2200字程度 にわたって、孝 行者の状況 (家の経済状態 ・家族構成 ・職業な ど)、孝行の具体的内容、表彰の経緯や褒美、
表彰後の孝行者 の よ うすな どを記 している。た とえば、肥前国百姓久右衛 門の伝文 は次の よ うである (下線等 は引用者 による)0
久右衛 門は嶋原加津佐村津波見名 のものな り、父 を助左衛 門 といふ、 もと筑前の国小原 村 のものな りしか、此所 に うつ りて四男一女 を うめ り、久右衛 門ハ その長子 な り、助左 衛 門ハ村老 な りしか、四十年 はか り‑てその事 を久右衛 門にゆつ りLに、父母の齢七十 をもこえたれ は別屋 をつ くりcl⑨ て養‑ り、家 もとよ り貧 しとい‑ とも、 ミつか ら耕 作 の事 をつ とめてをこた らすb、父 もその顛難 を ミるにしのひす、久右衛 門 をよひてワ れおいた りとい‑ ともカいまたに衰‑す、汝 かために草 をもとりてその労 をたす けん と いふ に、久右衛 門驚 きあハて ゝ其 ことハ りをの‑、父の手 をして鋤鍬 をとらしめす、埋 る所の ものハ必父 に とひ聞て己か心のま ゝにセす d、また己か田そ こは くをわかちつ く り父母 を養ふ料 とLbて、飢寒 に及ふ とい‑ とも、父の料 はい さ ゝかもか‑ りミす、室 ことの貢物ハ人 よ りさきにお さめ、あ‑てか く事な くh、或は水草 の年 にあひて、な り
(辛)
ハひあ しき事 あ りとい‑ とも父母の耳にいる ゝ事 なL f、つ とにおき夜 ハ にいね、冬の
寒 きに起 出て安否 を とひcl③ 、夏 は床 を木 か けに うつ して涼 ませcl⑦ 、風烈 く雷 な れハ走 りゆきて ともなひ帰れ りg、近 きワた りに出 とい‑ とも告 され はあ‑ て出す、 出
(呼)
て帰れ は必 つ く、或ハ公事 につ きて よハ る ゝ事 あれハ其事 をつ け、事 をハれ は帰 りてま 主堕 d、外 にてめつ らしきもの を見、又 は人 よ りい さ ゝかの晶 を得 てもちかへ りてす ゝめ C2② 、い とまあれ は草履 をつ くりcl⑤ 置 て父母 の寺 院 にま うてん とす る時、ふ るき をす て ゝ新 らしきをはか しむ、公法 をつ ゝし ミ守 り、近里 の交ふか く、‑村 の人 ミな し たひ よれ りh、此 よし領 主 に聞 えて褒美 の銀 をあた‑課役 をゆるせ しハ、延宝八年 四月 め事 となん、
孝行伝498文 について、孝行 の内容 を以下のaか らhの8項 目に分類 した(ll)。上記 の久右 衛 門の事例 であれ ば、 それ ぞれ の傍線部 の後 に記 した よ うに、bcdfghが該 当す る。
a先祖供養 ・親 の弔い ・形見尊重 (以下 (先祖供養) と略す) ‑‑‑死後 に葬儀 を営む。,形 見 を大切 に守 る。墓参す る。忌 日に拝礼す る。霊前 に供 え物 をす る0
b生計維持 ・家 の存続 (以 下 (生計維持) と略す) ‑‑∵農事 に励 み、 あ るい は奉公 に出 る な どして、生計 の手立 て を得 る。家族 のため に糧 を得 る。
C親 の扶養 (以下 (扶養 ) と略す) ‑‑ 衣食住 の 日常生活 に関わ る世話 、看病 、老親 の介 護 な どの実質的援助 。好物 を進 め る、耳 目を楽 しませ る、 な どの親 の心 を慰 め るこ とを
目的 とした精神 的 なケア。 (c1(∋〜⑨ 、C2① 〜⑥ の分類 につ いては後述 。)
d親 ‑ の服従 ・家族道徳 の励行 (以 下 (服従) と略す) ‑‑・なに ご とも親 の意 に従 う、言 いつ けに背 かない。ひ どい仕打 ちを受 けて も恨 まない。礼 を尽 くす。家族 の和睦。
e親 を最優先 (以下 (親優先) と略す) ‑・t・孝行 の妨 げにな るこ とをおそれ て結婚や再婚 を しない。親 の気 に入 らぬ配偶者 を離縁す る。配偶者や子 に犠牲 を強い る。孝行 を妨 げ る公務 を勤 めない。
f親 に苦労 を見せ ない (以 下 (苦労見せず) と略す) ‑‑家 の貧 しさや孝行者 の苦労 ・病 気 ・悲嘆 を悟 られ ない よ うに努 めて、親 に心配 をか けない よ うにす る。
g非常時 の救済 ・親族 の養 育 (以下 (救済) と略す) ‑‑‑火事 ・雷 ・水 害 ・猪狼来襲 な ど の災難 時の付 き添 いや救助 。親族 (兄弟 ・叔 父 な ど )の世話 。
h公儀 の遵守 ・奇特 な行 い (以下 (奇特) と略す) ‑‑‑年貢や 公役 を滞 りな く納 め る。按 を守 る。貧 しい人 び と‑ の施 し、近 隣や村 ‑ の貢献。
図1 孝行の内容別の割合
l286O4Oy00000%%%%%o
・′ガ:
‑ ■■先■ 苦見せず労 ■‑
rF
・:謡.:争.pt一. ■ ■ ■
先祖供養 生計維持 扶養 服従 親優 救済 奇特
孝行者 の善行 はほ とん どの場合複数項 目が組 み合わ され てい るが、aか らhのいずれかひ とつ に限 られ る事例 が
2 6
例( 3 1
名 )み られ る。 (先祖供養) のみが2
例 、 (生計維持) のみ2
例 、 (扶養) のみ9例 、 (服従) のみ3例 、 (救済) のみ10例 (15名) である。項 目の組 み合わせ数 は、2項 目が91名 、3項 目208名 、4項 目153名 、5項 目72名 、6項 目23名、7項 目1 名 となった。最 も多い組 み合 わせ はbcdで82名 が該 当す る。次いで、bc40名、cd31名、bcde 25名、bcdh25名、abcd20名 と続 く.
それ ぞれ の項 目に該 当す る孝行者 が579名 中に占め る割合 を図示 したのが図1であ る。最 も割合 が高いのが (扶養) で91,2%、 (生計維持)77,5%、 (服従)62,5%と続 く。残 りの5 項 目に関 しては (苦労見せず)の14,0%を除 くと、 (奇特)24,7%、 (先祖供養)24,0%、 (戟 優先)22,1%、 (救済)21,4%はほ とん ど差 が ない。
(扶養) お よび (生計維持) が高い割合 を占め るのは、親 の健康状態 が悪 い事例 が多い ためであ る。前稿 で明 らか にした よ うに、孝行 の対象者 である親838名 の中で、病気 ・障害 を持つ割合 は30.2%、老衰12.3%、すでに死亡3.0%、看病 中死亡21.6%、孝行 中死亡8.8%、 不明11.8%で、特 に病気 のない状態 にい る親 は12.3%に過 ぎない。 この よ うに親 の6‑7割程 度 は病気 ・障害 ・老衰 な どで介護 ・看病 の必 要 な状態 にあった こ とが明 らかで あるか ら、
子 は、働 けず家 の こ とも思 うに任せ ない親 を (扶養) しなけれ ばな らない し、親 を支 える ためにも子 が生 きるためにも働 いて (生計維持) しなけれ ばな らなかった。 この よ うに (扶 秦) (生計維持) は親子 の生存 に関わ るか ら高い割合 になるのは当然 だが、 (服従) が6割 を こえてい るのは注 目され る。親 ‑ の服従や家族道徳 を強調す る ことで、孝行 が単 な る表面 的行為 に とどま るもので はな く、親 を敬 う気持 ちが伴 って こそ孝 とい えるこ とを示そ うと
した ものだ ろ う。
それ ぞれ につ いて具体 的 な事例 をあげれ ば、次 の よ うであ る。 なお (扶養) に関 して は 後 に詳述 す る。人名 の あ との ( ) 内数字 は表彰 時の年齢 であ る。
(先祖供養)
・若狭 国百姓亦兵衛 (48)は、父親 が生 きてい る うちに手形 を紙 に写 し取 り表具 を して、死 亡後 はそれ を形見 として持仏 堂 に掛 けて朝 夕 に拝礼 した。
・出羽国町人妻 くの(30)は極貧 のなか、母 の七 回忌 のために黒髪 を切 ってその料 にあてた。
・肥後 国医者義仙 (50)は、20年 間毎 日どんな天候 の 日も父 の墓 に詣 でた。
(生計維持)
・越 中国百姓娘 か よ(17)は、毎 日、病気 の養母 を背負 って近所 を物乞 い して歩 き、施 しを 得 た。
・伊予 国町人娘 げん(37)は、幼 い頃 よ り人 の小使 をして小銭 を稼 ぎ米代 とした。成人 して か らは昼 は 日雇 に出て働 き、夜 は手業 を営 んでその価 で油 を買い求 めた。
(服従)
・出羽 国町人清太郎 (54)の父親 は病気 であったが、清太郎 とその妻 ろ く(47)は家 の内外 の こ とまですべ て父親 の言 う旨に従 い 「父子 の道」 に背 くこ とはなかった。
・越 中国百姓件大三郎 (29)は、父親 が禁獄 され てい る間 自らも粗末 な食 事 をして身 を慎 ん だ。
(親優先)
・陸奥 国百姓倖権右衛 門(49)は婿養子 として妻 とともに病気 の義父母 の世話 を していたが、
貧苦 に迫 ったため、二人 の息子 を奉公 に出 した。
・上野国百姓清五郎 (42)は病気 の母親 を抱 えて農業 も怠 りが ちだったので近所 の人 に 「看 病 の助 けにもな る‑ し」 と勧 め られ て妻 を迎 えたが、母親 が 「鞭 のつ か‑ さまあ しゝ 」
と言 うので離縁 して出 した。
(苦労見せ ず)
・大和 国年寄百姓平三郎 (54);は、子 どもを亡 くした とき父親 が平三郎の嘆 きを思いや って 悲 しんだので、 自分 の嘆 きを忍 んで小歌 な どを歌 って父 を力づ けた0
・美濃 国町人甚次郎(45)は、父親 に家が貧 しい ことを知 らせ ない よ うにし、借金取 り立て の声 を聞かせ ない よ うにした。
(救済)
・山城 国町人清七 (18)は、天 明8年 (1788)の大火 の ときに継 父 を助 けて難 を逃れ た。
・土佐 国百姓娘 かね(33)は、洪水 の際 に夫 と協力 して中風 の父親 を寺院に連れ て行 き水 を 避 けた。
(奇特)
・武蔵 国按摩取娘 さよ(28)は、実母 と盲 目の養父 と三人で暮 らしなが ら、近所 の女子 に手 習いや琴 を教 え、 「女の道」のあ らま しを諭 したので、女童の行 いが よ く親 たちも心安 ら かになった。
・讃岐国百姓新蔵 (55)は常 に公法 を守 り、年貢 を納 めるまでは家の飯 にあてなかった。人 夫 に出 るときにもお く・れ なかった。
なお、・aか らhの うち (救済)のみ に該 当す る事例 は、以下の よ うに突発的事件 ・事故か ら親 を守 った とか、親 の罪 を代 って受 けることを望 む とい う特異 な事例 である。
・常陸国町人政右衛 門妻 は、井戸 に落 ちた母親 を女 の身であ りなが ら飛び込 んで助 けた。
・信濃国百姓樺色松
( l l )
は、父親 が狼 に襲 われ た とき、幼 いのに命 をかえ りみず助 けた。・陸奥国検断肝 煎件妻
( 1 5 )
は若 い女の身であ りなが ら、酒狂 か ら父 を守 った。・加賀 国町人二男仁太郎(12)の父親 は、罪 を犯 して禁獄 され ていたが病気 が重 くなってい た。仁太郎 は父の罪 を 自らが受 けるので父 を許 してほ しい と願 い出た。
孝行 の内容 のなかで最 も高い比率 を占めていた く扶養) について、cl実質的援助 とC2 精神的ケアの視点か ら分類 した。実質的援助 に該 当す るのは500名、精神的ケアに該 当す る のは400名 である。
実質的援助 (
C1)
の分類①食事 ‑‑‑食料 の入手、調理、給仕 、介助。
②排壮介助 (以下 (排壮) と略す) ‑‑‑二便時 に廊‑行 く手助 け。二便 で汚れ た衣服や 寝具 を取 り替 える、洗 う。
③親 を顧 み る (以下 (顧親) と略す) ‑‑・仕事先 ・奉公先 か ら親 の よ うす を見 るために 帰 る。外 出時 に親 の ことを近所 の人 に頼 む。家 を空 けない よ うにす る。
④看病 ‑・・・・医者 に診せ、薬 を投与す るな どの治療 を受 け させ る.看嘩す る。
⑤衣服 ‑‑‑衣類 の入手、洗濯、着脱介助。 その他 の身 につ ける物 の入手 な ど。
⑥寝床 ・‑‑会 を用意す る、寝床 を快適 に保つ。
⑦夏冬 (寒暑) に応 じた世話 (以下 (寒暑) と略す) ・‑‑寒暑 に応 じた衣服 を着せ る。
肌 で暖 める、蚊 を追い払 う、夏 に涼 し く過 ごさせ る、 な ど。
⑧ 身体衛生 (以下 (入浴) と略す) ‑‑入浴、手足 を洗 う、手水 を使 う、・な どの世話。
⑨ その他 ‑‑・そばに付 き添 う、起伏介助、髪 を結 う、家の建築 ・修理 、家の中をきれい にす る、 な ど。
clの① か ら⑨ の項 目に該 当す る孝行者 が500名 中に占める割合 を図示 したのが図2であ る。最 も高いのが (食事)で64.6%、次いで (寒暑) と (その他)がそれぞれ40.8% と続 き、
(看病) (顧親) (排壮) はいずれ も30%強で並ぶ。 (衣服)が17.6%、 (入浴)が15.6%で、
(寝床) の8.6%が最 も低い。実質的援助9項 目の うち1項 目のみ該 当す る者 は99名 で、その うち (食事) のみ に該 当す る者 が22名 を占める。 2項 目が113名 、 3項 目が129名 、4項 目 が99名、 5項 目が45名、6項 目が12名、7項 目が3名 となった。 2項 目以上 に該 当す る場合 に は、特定の組 み合 わせ に集 中す るわ けではない。それ ぞれの具体 的な事例 は次の よ うであ る。
図
2
扶養 (実質的援助)の内容70% 60% 50% 40% 30%
21000%%% ■ .
I
(食事) (排稚)
・伊勢国百姓娘 よね (40)は、痔病 と中 風で歩 くこともできない父親 に、食 物 を晴めて食べ させ、二便の世話 を
した。
・伊予国百姓政六 (67)は眼病で 目の見 えない老いた継母 に、食物 を好みの ままに調理 して進 め、廊‑の通いに も背負 って付 き添 った。
(顧親)
・陸奥国百姓蔦右衛 門 (40)は12歳 よ り寺 に仕 えていたが、母親 が病気 になった時は、昼過 ぎに主人 に暇 をも らって二里離れ た家 に夕方 に帰 り、夜 に母親 の世話 を して暁 に寺 に戻 る とい う生活 を一夜 も怠 らず30日間続 けた.
・越後 国大庄屋村之助 (52)は、勤 めの合 間一 日に三度か ら五度帰宅 して病気 の父親 をかえ りみた。
(看病)
・伊勢国百姓妻 りよ (25)は、義母 が病気 で危険な状態 にあった時、昼夜薬 を進 めて寝ず に 看病 したおか げで姑 は一命 を と りとめた。
・伊予国百姓平八 (42)は、父親 の腫物 に薬 をつ け、痛み をやわ らげるために膿 を吸い出 し て介抱 した。
(衣服)
・信濃国た よ (46)は、衣服 を 自ら織 って姑 に着せ た。
・肥後 国庄屋枠銀 次 (15)の母親 は、病気 のせいで衣服 を汚す ことが多かった。それ を銀次 は 自ら洗 い清 めた。
(寝床)
・越後国百姓妻せ き (30)は、家が貧 し くて蒲団 もなかったので、病気 の両親 のために人 か ら藁 をも らい受 けて毎 日敷 き替 えた。
(寒暑)
・信濃国百姓市左衛 門 (42)は、暑 い頃 にはあおいで涼 し くさせ、寒 い夜 は柴 と炭 とを焚 い て寒苦 を凌 がせ た。
・越後国百姓甚兵衛 (45)は、貧 し くて暖かい夜具や蚊帳 を持 たなかったので、寒い ときに
は母 の手足 を 自分 の肌 で暖 め、夏 には夜 もす が ら母 の臥所 で蚊 を追 い払 った。
(入浴)
・陸奥 国町人林右衛 門(73)は、母親 (91歳 とい う高齢 に加 えて 目と手足 が不 自由) の手足 を洗 い、髪 を結 い、冬 には月 に二 、三度、夏 は毎 日湯 を使 わせ た。
(その他)
・和泉 国町人勘六 (42)は、朽 ちて傾 いた家 を、借銀 して大工 に頼 んで建 て替 えた。
・武蔵 国町人勝 三郎 (59)は、昼 は仕事、夜 は寝ず に実母 の側 に付 き添 って腰 をなで足 を さ す った。
図
3
扶養 (精神 的ケア)の 内容70yo 60% 50% 40%
堪雛:き;≡ 這淫.W :才説:メ 30% 20%
100%% l l l .‑ .阿
精神 的 ケア (C 2)の分類
(9噂好 品 (酒 、煙草)や好物 を進 める (以下 (好 物) と略す)0
②土産 を持 って帰 る、他家で出た珍 しい ものを持 ち帰 る (以下 (土産) と略す)。
③ 耳 目を楽 しませ る (以下 (耳 目) と略す)0
④行 きたい ところ‑連れ て行 く、 したい ことをさ せ る (以下 (付添) と略す)0
⑤親 のための神仏への祈 り、参詣 (以下 (参詣) と略す)。
⑥ その他 ・・・‑親 を励 ます、慰 める、喜 ばせ る、安 心 させ る、 な ど。
C2の① か ら⑥ の項 目に該 当す る孝行者 が400名 中に 占め る割合 を図示 したのが図3であ る。
最 も高いのが (好物)60.0%、次いで (付添)34.3%と (耳 目)33.8%がほぼ同率で続 き、
(土産)21.5%、 (参詣)10.8%、 (その他)8.3%の順 になった。 これ らのなかで1項 目のみ 該 当す るのが207名 であるが、 (好物) のみ該 当す るのが104名 と最 も多 くなった。2項 目が 124名 、3項 目が58名 、4項 目が10名 、5項 目が1名 となった。
(好物)
・出羽 国百姓久右衛 門(40)は、母親 が 山鳥 を食 べ たい と言 えば山に入 り、酒 を飲 みたい と 言 えば六里 の道 を夜通 し走 って求 め帰 った。
(土産)
・筑前 国盲人歌仙 (47)は、三味線 を弾 いて門辺 に立 ち物乞 い をしていたが、出 るたび に菓 子や飴 な どを土産 として母親 に持 ち帰 った。
(耳 目)
・陸奥 国町人弥野右衛 門 は、老母 が草花 を好 んだので常 に色 々の草花 を植 えて喜 ばせ た。
夜 は母親 が眠 るまでなに くれ と世 間話 を語 って聞かせ た。
(付添)
・備後 国百姓 文蔵 (22)は、病気 の父母 が寺詣 に行 きたい と言 えば、片親 を背負 って連れ て 行 き、 も うひ と りの親 には妻 を側 につ けて世話 を させ た。
(参詣)
・出羽国町人娘 とゑ は、父親 が重病 を受 けた ときに 自らの命 にか えて父 を助 けるよ うに祈 っ
た。父親 が快復 した後 、 自分の命 を差 し出すべ く薬 を断 って龍 った0 (その他)
・奥国町人倖熊次郎
( 1 5 )
は、父親 が 自分の病気 のために年端 もいかぬ熊次郎 を働 かせ るこ とを嘆 くので、人並みな らぬ 自分 を雇 って も らえるの も人 び とが父 を養 ってい ることを 憐れ んで くれ てい るか らで父のおかげだ、病気 を治 して ともに働 こ うと励 ま した。2
孝行者の状況か らみた遠い2‑1
家の経済的状況 との関係まず、家の経済的状況 と孝行 内容 の関係 をみてみ る と、図4の よ うになる。孝行者 の経 済的状況 については孝行伝 の記述 か ら判断 した結果 、貧 困層
3 9 3
名6 7. 9 %
、中間層 (孝行伝 か ら貧困 とも富裕 とも判断できない場合)7 2
名1 2. 4 %
、富裕層4 4
名7. 6%
、不明 (孝行伝 から経済状況が判断できなかった場合) あるいは経済的状況が変化 した者が
7 0
名 (不明5 0
名 ・ 変化2 0
名)1 2. 1 %
となった。図
4
家の経済状況別にみた孝行の内容…●
l2864OOy00000%%%%%o
田 先祖供養 凶 生計維持 口 扶養 ロ 服従
■ 親優先 日 苦労見せず 吐 救済
□ 奇特
■ ■ ■ ‑ 1
‑ . . . . ‑ . . . 1
(扶養) に関 してはいずれの層 でも高い割合 を示 してい る。また、 (服従) も経済的状況 に関係 な く6割 か ら7割 を占めて比較的高 くなってい る。経 済的状況 が悪 くなるほ ど (坐 計維持) (親優先) (苦労見せず) の割合 が高い。 これ は、貧 しい孝行者 ほ ど懸命 に働 かね ばな らない し家族 に犠牲 を強い ることも多いが、その苦労 を親 に見せ ない よ うに務 めた こ とが顕彰 された、 とい うことだろ う。経済的状況 が良 くなるほ ど (先祖供養) (奇特) の割 合 が高い。特 に、豊 かな者 には貧窮 の者 に金銭 を貸 し与 えるな どの奇特 な行 い を した こと が記 され る例 が多い。その点 では 「奇特者」 として表彰 されてもよかったのだが、 「孝ハ人 の重 しとす る所 なれ は、他 の善行多 Lとい‑ とも孝行 をもて題す
」(
『孝義録』凡例第二条)とい う孝行優先 の原則 によって 「孝行者」 に入れ られ てい るのである。変化 ・不 明の場合 には他 の層 に比べ て (救済) を除 く項 目すべてが低 めになってい る。 これ は不明のなかに、
先述 した よ うな突発 的事故 か ら親 を守 る とい う特異事例 が
1 5
名含 まれ てい るためである。家の経済的状況 と (扶養) の関係 についてみてみ る と、図5 ・6の よ うにな る。図5は 実質的援助 との関係 をみたものである。孝行 の内容 に実質的援助 を含 む孝行者 のなかで、
貧 困層 は
3 4 4
名、中間層 は6 7
名、富裕層 は4 0
名、変化 ・不明は4 9
名 である。特徴 をあげれ ば 次の よ うになる。富裕層では他 の層 に比べて (食事) (寒暑) が低 く、 (看病) (その他)が高い。いずれの 層 で も (食事) の割合が高いが、豊 かな層 では少 し低 めになってい る。下部 を抱 えてい る 富裕 な孝行者 の場合 には、食事 の用意 を下部 に任せ るのが一般的だったためではないだろ
うか。 それ だか らこそ 「も とよ り家 も富 さ・か えて下部 な と数 多 め しっかひ しか、母 にす ゝ む る飲食ハ朝 夕手つ か ら調 し、病 あ る時 は心 を尽 して看病 しけ り」 (陸奥 国百姓甚 内) とい
うよ うに下部 がお りなが らも食事の調理 を子 が 自らした ことが称 え られ たのであろ う。 (寒 暑) の割合 が低 いの は、蚊帳や冬 の暖 を準備 す ることが富裕層 では当然 だ ったか らあえて 記す必要がなかった とい うことか もしれ ない。富裕層 で (看病) の割合 が 目立 って高 くなっ てい るのは、経 済的 に豊 か な層 であ るほ ど親 の看病 に専念 で き、 また経済力 を背景 に病気 の親 を医者 に診せ 、治療 を受 け させ ることがで きたためだろ う。 た とえば、陸奥 国肝 煎半 右衛 門(42)は病気 の母親の ために仙 台か ら医者 を招 いたO 同国大肝 煎千坂仲 内 (40)は母親 を治療 のために仙 台 に行 かせ た。 同国町人倖善兵衛 (34)の家 は 「家産又全 か りき」 とい う 状態 で下部 も抱 えた豊 か な家 であったため、入手 しに くい よ うな薬 も求 めて病気 の親 に進
め るこ とがで きた。富裕層 の (その他) には、親 に下部 を付 ける、下部 が親 を扱 うよ うす に気 を配 る、 な ど下部 の管理 に関す る内容 が含 まれ るのが特徴 的で あ る。 これ も豊 かだか らこそ可能 であった。富裕層 で意外 に (排湛) の割合 が高 くなってい る。 この よ うな こ と は下部 に任せ ていたのではないか と考 え られ がちであ るが、む しろ親 の最 も身辺 的 な こ と であ るか らこそ下部 に任せず 自ら行 なった こ とが評価 され たのだ ろ う0
貧 困層 の特徴 としては、 (排湛) (入浴) (その他) が低 く、 (顧親) (衣服) が高い ことが あげ られ る。 (排醒) (その他) が少 ないのは、 この層 に奉公 に出た者 の割合 が高 か ったか らであ る一。後述す るよ うに、奉公人 は親 と離れ ざるを得 ないので排浬や起 き伏 しの介助 を す るこ とは困難 であった。 (顧親) (衣服) の割合 が高いの も奉公人 が多か った こ とと関係 す るC
図5 家の経済状況別 にみ た扶養 (実質的援助 )の 内容
80yo 70% 6500%%
40%0 ∴>ま 田 食事□ 排港口 顧親□ 看病
30%
20%
100%.% ; +.ぎ >l十二・.B S確l 『I 転1 折 ● 衣 服□ 寝床田 寒暑□ 入浴■ その他
図
6
家の経済状 況別 にみ た扶養 (精 神 的ケア)の 内容70yo 6500%% 4300%%
200^ :>). EE□ 耳 目□ 付添3土産j好物
図 6は、家 の経済的状況 と精神 的ケア との関係 をみた ものである。孝行 の内容 に精神 的 ケアを含む孝行者 のなかで、貧困層 は273名、中間層 は53名、富裕層 は34名、変化 ・不明は
4 0
名 である。富裕層 では、他 の層 に くらべて (好物) の割合が低 く、 (耳 目) の割合が顕著 に高 くなってい る。貧 困層 は他の層 に比べて (土産) が高 めで (耳 目) (付添) が低 めであ る。富裕層 では 日頃か ら満足 な食事や好物 が進 め られ たか ら、 あえて (好物)や (土産) を強調す る必 要がない とい うことであろ うか。貧 困なれ ば こそ、そのなかで努 めて親 の好 む物 を進 め、土産 を持 ち帰 って親 の心 を慰 めた ことが称揚 され たのだろ う。富裕層 の (耳 冒) には、姑 の好 む桃梨 の類 を屋敷地 に多 く植 えて花盛 りに楽 しませ た (陸奥 国百姓妻 さ と( 4 0 ) )
といった経済的負担 の大 きい もの もあるが これ は例外 的で、 ほ とん どの場合 には 話 を聞かせ る とか本 を読んで聞かせ る とい う内容 であって貧 困層 と変 らない。 それ で も富 裕層 にこの割合 が高いのは、生活 に余裕 があって親 の世話 に専念 で きたか らなのか もしれ ない。2‑2
居住形態 との関係図7は孝行者 と被孝行者 が同居 してい るか否 かで孝行 の内容 が異 なるのか どうか をみ る ためのものである。居住形態 は、同居が 8割 をこえ (471名 )、別屋 ・別居 ・一時別居 (以下
「別居」 と略す) が約
8
%(45名 )、奉公や一時奉公 のための別居 (以下 「奉公」 と略す) が約 8 %(48名 )である。残 りの15名 は居住形態 が対象者 によ り異 なる者 (た とえば父親 と は別居で母親 とは同居 といった事例 )や不明の者 であるが、 これ は数が少 ないので図7‑図9では省 略 した。
図7 居住形態別にみた孝行の内容
0 90% 8700%% 60
%
50
%
40%
30%
20%
100%%
『
1【
ロ 先祖供養闇 生計維持0 扶養ロ 服 従■ 親優先口 苦労見せずd 救済ロ 奇特奉公 l
同居 別屋 .別居 奉公 .一時
(先祖供養) (服従) (奇特) の割合 には居住形態 による違 いが さほ どない よ うだが、同居 の場合 に比較 的 (苦労見せず) が高い、別居 では (救済) が高 く (生計維持) (扶養) (演 優先) が低い、奉公で (生計維持) (親優先) が高い、 とい う特徴 がみ られ るC別居 の場合 が特異であるのは、 この中に突発 的事故 か ら親 を守 るとい うよ うな事例 が
5
例8
名含 まれ てい るためである。図 8は居住形態 と (扶養) (実質的援助)の内容 との関係 をみ るための ものである。実質 的援助 に該 当す る孝行者 のなかで、同居 は411名、別居 は36名、奉公 は46名 である。いずれ の居住形態 で も食事の割合 は 6割 をこえてい る。 同居 で (緋鯉) (寝床) (寒暑) の割合 が
比較 的高 くなってい ることか ら、親 の側 で細や かな世話 をす ることが称揚 されてい るこ と が うかがえる。別居や奉公 な ど親 と離れて暮 らしてい る場合 に (顧親) の割合 が顕著 に高 い。奉公で (看病) の割合 が比較 的高 くなってい るのは、病気 の親 を抱 える割合 が高いた めであろ う。二親 とも病気 がないのは、同居 してい る孝行者 で12名 、別居 してい る孝行者 で4.名 であるが、奉公の場合 には該 当す る例 がない。奉公 しつつその合間や仕事 のない夜 に家 に帰 って病気 の親 の世話 をした とい うわ けである。成 し難 い ことをす るか らこそ顕彰 され るのである。 (衣服) は奉公の場合が若干高めだが、 これ は奉公先 か らも らった衣類 を 親 に送 った り、奉公 で得 た銭 で衣類 を買い求 めることができたか らであろ う。
図8 居住形態別にみた扶養 (実質的援助)の内容
90yo
8700%%0 □ 食事圃 排,V
60yo 50%
432100000%%
% %
% I l 口 顧親□ 看病■ 衣服E]寝床薗 寒暑□ 入浴■ その他同居 別屋 .別居 奉公 .‑
図
9
居住形態別にみ た扶養 (精神的ケア)の内容70% 60% 50% 40% 30% 20%
100%% ロ 好物園 土産□ 耳 目
□ 付添
■ 参詣□ その他
I l
同居 別屋 .別居 奉公 .一時奉公
図9で居住形態 と精神的ケア との関係 をみてみ よ う。精神的ケアに該 当す る孝行者 のな かで、同居 は337名、別居 は25名、奉公 は33名 である。同居 の場合 に比較的 (好物)が高 く、
別居 で (耳 目) が顕著 に高 く、奉公 で (耳 目) が低 い傾 向 にあ る。親 と別居 していて も図 8で見た よ うに親 の元 に通 って安否 を確認 していたか ら、その際 には親 を喜 ばせ るために 話 をす ることが多かった。た とえば、讃岐国百姓新蔵
( 5 5 )
の父母 は隠居 し新蔵 は別家 に暮 らしていたが、毎 日何度か父母 を訪ね夜 には さま ざまの物語 をして慰 めた。豊後 国町人幸 蔵 は養子 に出 され た ものの、実父が病気 になる と日夜 その家 に通 って介抱 し実父の好む昔 今 の物語 をした。大隅国無 田百姓 次郎左衛 門 とその弟休右衛 門は、父親 が独 りで暮 らす家 に通 って好む食味 を進 め夜 は添い寝 して物語 をした。 同 じ く親 と離れ て暮 らす奉公人の場 合 にも、図8で見たよ うに親 を顧み る割合 は顕著 に高かったが、奉公の合間 をぬって帰宅 してい るわ けだか ら物語 をす る余裕 がなかった とい うこ とだろ う。
2‑ 3 孝行者数 との関係
孝行者 の数 によって孝行 の内容 に違いが出るのは当然 だろ う.579名 の うち、一人 で孝行 者 として表彰 され てい る者 は446名、2人以上で孝行伝 に載せ られ た者 が133名 である。一 人 で表彰 され ていて も実際 には夫婦 で孝行 をしてい る場合 もあるが、いちお う孝行 の内容 を比較 してみ ると、以下の よ うになる。それ ぞれの項 目について前者 が一人 の場合、後者 が二人以上の場合 である。 (先祖供養)25.8% :18.0%、 (生計維持)79.6% :70.7%、 (秩 秦)91.9% :88.7%、 (服従)58.9% :75.2%、 (親優先)23.3% :18.0%、 (苦労見せず) 14.8% :ll.3%、 (救済)24.4% :ll.3%、 (奇特)25.6% :21.8%で、 (服従)以外 は総 じ て一人 の方 が割合 が高い. (扶養) の実質的援助 に該 当す る一人孝行者 (388名) と二人以 上の場合 (112名) については、 (食事)64.7% :64.3%、 (排惟)28.6% :41.1%、 (顧親) 34.5% :24.1%、 (看病)37.1% :21.4%、 (衣服)16.8% :20.5%、 (寝床)8.2% :9.8%、
(寒暑)36.6% :55.4%、 (入浴)15.2% :17.0%、(その他)41.0% :40.2%で、(食事) (衣 服) (寝床) (入浴) (その他) で差 が小 さく、 (排浬) (寒暑) では二人以上の場合の方が高 めで、 (顧親) (看病) では一人孝行者 が高い。 (扶養) の精神的ケアに該 当す る一人孝行者 (314名) と二人以上の場合 (86名) については、 (好物)60.5% :58.1%、 (土産)21.7% : 20.9%、 (耳 目)30.3% :46.5%、 (付添)33.1% :38.4%、 (参詣)10.5% :ll.6%、 (その 他)8.3% :8.1%で、 (耳 目) に顕著 な差 が見 られ る。
2‑4 性 ・年齢 との関係
図10は、女性孝行者157名 について10歳刻 みの年齢別 に孝行 の内容 との関係 をみたもので ある。20歳以下の若年層 と51歳以上 の高齢層では、他 の層 に比べて (先祖供養) (親優先) (苦労見せず)が低い。若い層 ほ ど く救済)が、高齢層 ほ ど く扶養) (奇特) が高い傾 向に ある。20代 か ら40代 で (親優先) が高 く、30代 か ら40代 で (先祖供養) が高い。
図10 性別 ・年齢別 にみ た孝行の内容 (孝行者が女性の場合)
0
0 90% 87650000%%%%
432100000%
%
%%% [ □ 先祖供養田 生計維持□ 扶養ロ服従■ 親優先□ 苦労見せず■ 救済□ 奇特20歳 21‑ 31‑ 41‑ 51歳 不 明 計
図11は男性孝行者422名 について年齢別 に孝行 の内容 との関係 をみたものである。20歳以 下の若年層 に (救済) が高 く、高齢層 ほ ど く奇特) が高い傾 向にあ る。30代以上 で (親優 先) が、30代 か ら50代 に (苦労見せず) が比較的高い。
前稿 で明 らか にしたよ うに、男女 ともに最 も数 が多いのは40代、次いで30代 であった。
孝行者 の中心 は男女 ともに30代 か ら40代 にか けての層 とい えるが、図10・11でみ るよ うに、
これ らの層 では (生計維持) しなが ら (扶養)す るとい うパ ター ンになってい る。それ に 対 して、若 い層 ほ ど突発 的事件や事故 か ら (救済)す るとい うパ ター ンである。高齢層 で は男女 で傾 向が異 な る。
図
1 1
性別 ・年齢別 にみた孝行の内容 (孝行者が男性の場合)0
80% 60% 40%
̀200%% ∩ ∩ E固 生計維持□扶養□ 服従■親優先日 苦労見せず囲 救済ロ 奇特j先祖供養
∩
IIII ぎ
J蔓
【
l■■『∃ l一 『
.臥
2 0
歳2 1
‑3 1‑ 4 1
‑5 1‑ 6 1
歳 不 明 計図
1 0
と図1
1で男女の比較 をしてみ ると、 (扶養) は男女 ともに高いが、 (親優先) (苦労見 せず) (救済)以外 はすべて男性 の方 が高 くなってい る。 (生計維持)・では1 5 %
近い開 きが あ り、 (服従) では1 2 %
余 り、 (奇特) では1 5 %
余 りの差 がある。図
1 2
は (扶養) (実質的援助)の内容 を男女別 に比較 したものである。実質的援助 に該 当 す る孝行者 のなかで、女性 は1 3 8
名、男性 は3 6 2
名 である。 (食事) (排壮) (衣服) な どで女 性 が高めにな り、 (顧親) (看病) (寝床) で男性 が高 めになってい る。なかでも (顧親)で み られ る開 きが最 も大 き く (ll. 5 %)
、 (排醒) で9. 7 %
、 (食事) で8. 8 %
の差 がある。図
1 2
性別 にみ た扶養 (実質的援助)の内容0
70% 6500%%
43210%0%000%%% ≡
l l I I e J I
tl
図
1 3
性別 にみた扶養 (精神的ケア)の内容80%
・65473120000%0%000%%%%%% ≡ [
「
∴
I ださ■= I.「」 ■「
図13は (扶養) (精神 的ケア) の内容 を男女別 (女性96名 ・男性304名) に比較 した もの である。女性 の方 が (好物) で10.1%、 (付添) で12.5%高 くなってい る。
図10か ら図13に現れ た男女差 は、性別 に原 因す る とい うよ りも、女性 に奉公や別居 の割 合 が少 ない ことや、富裕層 に属す る割合 が低 い こと、複数 で孝行す る割合 が高い ことが影 響 してい ると考 え られ る。す なわち、経済状況 については富裕層 が女性6名3.8%:男性38 名9.0%、居住形態については別居が女性9名5.7%:男性36名8.5%、奉公が女性7名4.5% : 男41名9.7%、孝行者数 については二人以上の場合が女性49名31.2%:男性84名19.9%となっ てい る。 この ことか ら、孝養 の役割 に性別 による質的 な違 いは前提 とされ ていない よ うで ある。数の上か らい えば、『孝義録』 に収 め られた孝行者5516名 中男性 が約73%を占めてい ることにあ らわれ てい るよ うに、男性 による孝養 が積極 的 に評価 され てい る。現代社会 に おいて老親介護 の任 が女性 に負 わ され てい ることや、明治以降の孝子や節婦 な どを集大成 した 『日本孝子伝
』
で も70‑80%を女性 が 占めていた(1カの と大 き く様相 が異 なってい る.柳谷慶子氏が指摘 してい るよ うに、近世社会 においては親 の介護 を含 めた孝養 の責任者 は 一家 の主人 とみな され ていたのである(13)。
孝行 を奨励す るあま り、為政者 の方針 と矛盾す る事例 もみ られ る。 (親優先) に該 当す る 128名 (女40名 ・男88名) について性別 にその内容 をみ る と、次の よ うになる。前者 の数字 が女性 で後者 が男性 である。非婚 (孝養 のために夫 または妻 を迎 えない、あ るいは嫁入 り
しない)65.0% (全女性 の16.6%):44.3% (全男性 の9.2%)、再婚拒否11.4% :17.5%、 離婚0.0% :27.3% (全男性 の5.7%)一、子の犠牲17.5% :8.0%、公務拒否0.0% :6.8%、そ の他2.5% :10.2%。
江戸時代 は、人 び とがそれ ぞれ の職分 に応 じて 自らの家 を継続 させ ることによ り身分制 が維持 され る仕組 みになっていたか ら、為政者 に とって も民衆 に家 を継承 させ ることは最 優先 され るはず であった。家の継承 を最優先すれ ば、嫁 に出 るな り妻 を迎 え入れ るな りし て後継者 たる子 を残す ことが称揚 され るはずである。 だが女性 の場合、婿 を親 が気 に入 ら ない、嫁 に出れ ば親 を見捨 て ることになる、あるいは親 の世話 が行 き届 かな くなる とい う 理 由で嫁入 り ・婿取 りを避 けてい る例 がある。男性 の場合 にも、親 が妻 を気 に入 らない、
妻 に心 を奪われ て孝心が変わ る、親 の見苦 しい さま を他人 に見せ た くない、妻 を迎 え入れ るとます ます貧 困にな る、親 の世話 がお ろそかになる、な どの理 由で孝養 に支障 をきたす ことを心配 して独身 で通 してい る事例 が少 な くない。男女いずれの場合 にも、親子水入 ら ずのなか に他人 が入 ることで波風 が立つの を恐れ てい る。病気や 障害 で身体 の 自由が きか ない親 を抱 えてい るか ら、配偶者 を迎 えれ ば肉体 的負担 は軽減 され るはず だが、他人 が入 ることで煩わ しい思い をして気 を遣 うことになれ ば精神 的負担 は増す ことになる。 それ よ りも独 りで 「心のまま」 に、 そ して親 に気苦労 をさせず に安 らかな心持 ちを保 って も ら う ことが重要視 され てい る。わずかな割合 ではあるが、公務 を勤 めない ことも孝行 のためな ら許 され てお り、いっぽ うで公役 を重 ん じ年貢 を滞 りな く納 め按 を守 る とい った (奇特) な行い を称揚す る立場 と矛盾 してい る。
おわりに
近世社会 において、単婚小家族 (直系家族)が社会 における経済単位 として 自立 し経営 ・ 教育 ・老親介護 な どの諸機能 を担 うよ うになる と、家 は人が生 まれ一人前 にな り子 を育て
老 いて死んでい くための拠 り所 となった。社会福祉制度が未整備 だった江戸時代 において 為政者 は、孝行者表彰や 『孝義録』刊行 とい う手段 を通 じて、病気や障害 を抱 えて、歩行 がで きない、起 き伏 しや立居 が困難 、手足不 自由、足腰 が立 たない、寝 たき りといった要 介護度 の高い人び とを扶養す る責任 をそれ ぞれの家族員 に転嫁 した。 このために、江戸時 代 の孝 の特徴 は、親 の扶養 ・介護 とそれ を支 えるための生計維持 とい う実際的な行為 とと
もに親‑の精神 的服従 を強調 した点 にあった。
註
( 1 )
『続 日本紀』
神護景雲2
年2
月壬辰 日条。古代律令 国家 において孝行 とい えば生前の孝 養 よ りも死後 の哀悼 に重 きが置 かれ た (田中徳定「
『続 日本紀』 にみ る孝思想一一儒 教 の孝 と仏教 の追福‑‑ 1、『駒沢 国文』第4 0
号、2 0 0 3 )
0( 2 )
菅野則子校訂 『官刻孝義録』上 ・中 ・下巻 、東京堂出版、1 9 9 9
0( 3 )8 5 7 9
名・5 5 1 6
名 とい う数字は菅野則子氏による。前掲註( 2 )
『官刻孝義録』下巻の付表 「国 別徳 目別表彰事例件数」。伊東 多三郎氏 (「近世道徳史の一考察」、伊東多三郎編 『国民 生活史研究』5
生活 と道徳習俗、吉川弘文館、1 9 8 5( 1 9 6 2
第一刷))によれば8 6 1 4
名・5 5 2 7
名 となる。(4)船戸美智子 「江戸 の孝行実録」、『研究叢書』第
1 4
冊 (共 同研究文芸の中の子供)、共立 女子大学文学芸術研究所、1 9 9 6
。小栗純子 「近世 における理想 的女性像 と良民政策 との 関係」、片倉比佐子編 『家族観 の変遷』 (日本家族史論集6)
、吉川 弘文館、2 0 0 2
(も と は笠原一男博士還暦記念会編 『日本宗教史論集』下、吉川弘文館、1 9 7 6 )
。( 5 )
鈴木理恵 「江戸時代 の民衆教化‑ 『官刻孝義録』 による孝行 の状況分析「 、『長崎 大学教育学部社会科学論叢』第6 5
号、2 0 0 40
( 6 )
坂本太郎 「飛鳥 ・奈 良時代 の倫理思想‑ とくに親子 の間の倫理思想 について」、『古典 と歴 史』、吉川 弘文館、1 9 7 2
0( 7 )
武 田佐知子 「律令 国家 による儒教的家族道徳規範 の導入一一孝 子 ・順孫 ・義夫 ・節婦 の 表族 について「 竹 内理三編 『古代天皇制 と社会構造』、校倉書房、1 9 8 0 、3 9 ‑4 0
頁。( 8 )
亀 田隆之 「良吏政治」、『日本古代制度史論』、吉川弘文館、1 9 8 0 0
(9)前掲註(4)。 た とえば、『礼記』 には 「凡 そ人 の子 たるの礼、冬 は温かにして夏 は槍 し く し、昏 に定 めて農 に省 み る」 (新訳漢文大系 『礼記』上
、1 8
頁) と寒暑 に対応す るよ う に記 されてい るが、 これ は 『孝義録』 に具体 的事例 として頻繁 にあ らわれ る。(10)菅野則子氏 には 『孝義録』 を扱 った研究 に、「幕府権力 と女性‑ 『官刻孝義録』の分析 か ら‑「 (『村 と改革』、三省堂
、1 9 9 2 )
、 「養生 と介護」 (『日本 の近世』1 5
女性 の近世、中央公論社
、1 9 9 3 )
、 「十七 ・十八世紀の 「孝」 について‑ 『官刻孝義録』
にみる「(
『帝京史学』第1 2
号、1 9 9 7 )
、『江戸時代 の孝行者 「孝義録」の世界』 (吉川弘文館 、1 9 9 9 )
、「「老」 を捉 える女 と男の意識差」 (桜井 由幾 ・菅野則子 ・長野ひろ子編 『ジェン ダーで読み解 く江戸時代』、三省堂、2 0 0 1 )
、な どがある。柳谷慶子 「近世社会 における 介護役割 と介護思想」、『総合女性史研究』第1
0号、1 9 9 3 0
(ll)菅野則子氏 によ り示 され た分類観点 をも とにした (前掲註(10)『江戸時代 の孝行者』). (12)折井美那子 「近代 日本 にお ける老人 の扶養 と介護」、『歴史評論
』5 6 5、1 9 9 7
.(13)柳谷慶子、前掲註(10)論文O