持律者ウパーリの出家
岩 田 朋 子
はじめに
仏典には,仏弟子達が各々の役割を与えられ描写されている。例えば,舎 利弗
( S
ぉiputra/Sariputω はブッダの後継者すなわち第ーの智慧著或い は僧院生活の模範的存在として,また,阿難(瓦nanda)は釈尊の従者すな わち第ーの聞法者として説かれている。同様に,ウパーリ (Upali/優 波 離)は,教団規則やその遵守について釈尊と会談するなどし,釈尊からも第 一の持律者 (aggarpvinayadharanarp)と賞賛される。このことは,よく 知られている。しかし,仏滅直後に開催された第一結集に於いて,主宰の大 迦葉 (MahakaSyapa/Mahakassapa)やダルマを諦出した阿難と比べて,ヴィナヤを諦出したウパーリに関しては断片的な研究が殆どである。例えば,
赤沼智善氏はウパーリの登場する資料を挙げ,剃髪師であったこと,持律第 ーであること,戒の制定について釈尊から教示されている場面について触れ ている。中村元氏は,十大弟子の一人としてウパーリを挙げ,また教団内部 に平等主義を確立するために下層出身者を積極的に受け入れた適例として彼 の出家の場面を紹介している。 ReginaldRay氏によってパーリ語聖典を中 心に代表的な仏弟子の記述が整理されているが,ウパーリについては大迦葉 の項目で第一結集と関連して触れるのみに留まる。つまり,管見の及ぶ限り では,従来,ウパーリを単独で扱った研究は殆どない。『仏本行集経』を典 拠とし,ウパーリが仕えていた釈迦族の青年達よりも先に受戒したのは,彼 が先んじて釈尊を訪ねたからだと一般によく知られている。
開hu
持律者ウパーリの出家
時優波離。弟JI髪髪師。見諸稗子。各往諮白父母之時。使即捨彼所施理略。
即詣悌所。項前劃沸足。却住一面。其優波離。住一面巳。而白悌言。善哉 世尊。唯顕聴我随悌出家0・・・(大正3.900c2‑6)
そのとき優波離制髪髪師は,諸々の釈迦族の青年達がそれぞれに[家 に]往き父母に[出家することを]相談するのを見て,ただちに彼は [青年達から]施された嘆洛を捨て,仏のところに赴き仏足を項礼し,
後ろに退いた。優波離は一方に座しおわって,仏に申し上げた。「善き 哉,世尊よ,ただ願わくは,私が仏に随い出家することを許可して下さ い」と。...
しかし,律文献には彼が青年違よりも先に受戒した原因は,青年達からの要 望であったという記述があることは殆ど知られていない。また,ウパーリの 出家の動機について,青年達の出家に関わったことで命の危険を感じたこと が契機となったという特徴的な記述がみられることも言及されていない。
さらに,先行研究では殆ど触れられていないが,党本『根本説一切有部 律』のあryanasanavastu!こは,ウパーリが上座の比丘たちにヴイナヤを教示 する場面が見られる。この出来事は,釈尊がヴィナヤの性質やヴィナヤの保 持者の特徴について説示したことがきっかけとされている。ウパーリは,
「敬意を有する上座である比丘達が,ヴィナヤを理解することになる」と考 えて上座たちに教示することを始めたが,体力を消耗して疲れ果ててしまい 教示どころではなくなった様子が描写されている。ここでは,ヴィナヤの説 示に際して,説示を授ける側と説示を受ける側の行動が規定されている。加 わえて,釈尊在世時,ヴィナヤを彼が直接説示するのではなく,釈尊からの 要請もなく仏弟子であるウパーリが他の比丘たちに対してヴィナヤを説示し ていることが伺える。このことは,ヴィナヤ制定とその因縁とに精通した者 が,仏滅後の教団統制(主として現前サンガの秩序維持)の役割を担ってい
くという問題にも波及するのである。
従って,仏教教団に於けるウパーリの位置づけを仏典より再確認すること
‑ 52一
で,ヴィナヤの保持者(vinayadhara)の在り方を明らかにしたい。その第 一段階として,本研究においては,仏教教団運営の基盤であるヴィナヤ請出 の責任者という役割を担って登場するウパーりの事績,中でも特に彼の出家 の場面に焦点を当て,律文献毎に記述の比較を行い各々の相違点を検討する。
〈ウパーリの出家の場面が説かれる律文献〉
• Hermam Oldenberg, ed., Culla叫rgaVIL Vinaya Pitaka1!l vol ,IlPTS, 1981, pp. 180‑184.
・仏陀耶舎共竺仏念等訳「四分律』巻第四・十三僧残法之三
(No. 1428,大正22,pp. 590b13‑591c16)
・・仏陀什共竺道生等訳『禰沙塞部和睡五分律』巻第三・初第二,十三僧残法之二 (No.1421,大正22,pp.16c21‑17c14)
・義浄訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』巻第九
(No.1450,大正24,pp.144b06‑147b23)
ここに挙げた四つの律文献以外にも,広律には r十諦律』と『摩詞僧祇 律』があるが,『十調律』にはウパーリの出家について説かれる箇所は見ら れない。そして,『摩調僧紙律』では他律の受戒瞳度に相当する箇所に僅か に名前がある。その官頭より釈尊の成道後五年に随時制戒を為し始めたこと が説かれ,「…次度摩詞迦葉隅陀迦留陀夷優波離次度稗種子五百人。…」と 仏弟子の受戒の順番を挙げるのみで,ウパーリが釈迦族の青年達五百人より も先に出家したことが読み取れる程度である。彼の出家の動機については説 かれていない。このことは,ウパーリに関する事績全体および,アヌルッダ やデーヴァダ、ッタなど彼と同時期に出家したとされる仏弟子達の事績を通し て論ずる問題となろう。よって,今回は,ウパーリの出家について詳細に説 かれている『パーリ律』・『四分律』・『五分律』・『根本説一切有部律』を検討 の対象とする。これらの律文献に共通して挙げられるウパーリの共通点は以 下の知くである。
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持律者ウパーリの出家
〈共通して描写されるウパーリ〉
①釈迦族の剃髪師
②仕えている釈迦族の青年達の出家に伴い,装飾品や衣服を受け取る
③出家することを決意して,貰い受けた装飾品などの所有を放棄する
④仕えていた釈迦族の青年達よりも先に具足戒を受ける
これらの共通点に則して,各律の如何なる箇所でウパーリの出家が説かれて いるかをも含め,順次見ていく。
1 .
Iiパーリ律」に説かれるウパーリの出家場面『パーリ律』では,健度部のCullav唱,rga中,第7の破僧健度の官頭に釈 迦族が集団で出家する場面が記されている。そこにはウパーリが出家する場 面が描写されているが,仕えていた釈迦族の青年達は,出家することを周囲 に悟られることなく城外に出るため,普段と変わらない行幸を装って外出し ようとした。ウパーリは,この外出に随行したことが発端で出家することに なったといえる。
釈迦族のマハーナーマ (Mahanama/摩詞男)とアヌルッダ (Anuruddha /阿那律)という二人の兄弟が,自分たちの家系からは未だ誰も出家してい ないから,どちらかが出家をするべきだと会話している。二人の内アヌルツ ダが出家することが決まると,そのことを母親に願い出るが,母親は彼の出 家を望んでいないため,「あなたの友人であるパッディヤ王 (Bhaddiya Sa‑ kyaraja)が出家をなさるならば,あなたも出家しなさい。」と王が出家す
ることは不可能だと考えて条件を出した。しかし,アヌルッダはパッディヤ 王との聞で「七日の聞に王が為すべき事柄などを兄弟達に引き継ぐから待つ ように」と一緒に出家する約束を取り付ける。その後,ウパーリは以下のよ うに出家をしようと城を出てきたパッディヤ王やアヌルッダ達の従者として 登場する。
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atha kho bhaddiyo ca sakyaraja anuruddho ca anando ca bhagu ca kimbilo ca devadatto ca upalikappakena sattama yatha pure ca pure ca caturaIi.giniya senaya uyyanabhumirp niyyanti evam eva catura白・
giniya senaya niyyirpsu. te durarp gantva senarp nivattetva par. avisayarp okkamitva abharal).arp omuncitva uttarasa白ge bhal).cli‑ karp bandhitva upalikappakarp etad avocurp: handa bhal).e upali nivattassu, alan te ettakarp jivikaya 'ti. (Vinaya II, p. 182.26‑33) そのとき,釈迦族の王パッディヤ, アヌルッダ, アーナンダ,パグ, キ ンビラ, デーヴァダッタは,弟JI髪師のウパーリと七人でいつものように 四種の軍隊を率いて,聞に出遊するように, そのように四種の軍隊を率 いて出掛けた。彼らは遠くへやって来てから軍隊を[城に]帰還させて,
さらに領地内より外にやって来て,装身具を取り外し[それらを]上着 衣に包んだ。[彼らは]剃髪師のウパーリに言った。「さあ, ウパーリよ,
帰りなさい。 これらは[あなたの]生活を[支えるに]充分で、あろう。」
と, [包みをウパーリに渡した]。
ここでは, 王達が兵団を王宮に帰還させた後, ウパーリによって釈迦族の青 年達が剃髪される場面は明記されていない。 また,残らせておいた剃髪師の ウパーリに自分たちの装身具を今後の生活の糧にといって渡している。 ウノf 一りはそれらを受け取り一旦は帰ろうとするが, 次のような行動にでる。
atha kho upalissa kappakassa nivattantassa etad ahosi: ca叫akho sakiya, imina kumara nippatita 'ti ghatapeyyum pi marp. ime hi nama sakyakumara agarasma anagariyarp pabbajissanti, kim a白ga panahan t i.so bhal).clikarp muncitva tarp bhal).clarp rukkhe alag‑ getva yo passati dinnarp neva haratu 'ti vatva yena te sakyakumara ten' upasarpkami. (Vinaya II, pp. 182. 34‑183. 1)
そのとき,剃髪師のウパーリは,帰ろうとしたそのとき[次のような]
‑ 55一
思いが浮かんだ。「釈迦族は暴悪である。よって『あの青年達を殺した』
といって, [彼らは]私を殺すであろう。実に彼の釈迦族の青年達は,
家を捨てて出家なさろうとしている。私もまたともに[出家]しよう。」
[と。]彼は包みをほどいて,それらを樹木に掛けて,「もし[これら を]見るものがあるならば,与えよう。持ち去るがよいけといって彼 の釈迦族の青年達のいるところ,そのところへ近づいていった。
このように,ウパーリは受け取った装身具などを樹木に掛けるなどして全て を捨てて,彼らと一緒に出家しようと考えた。その理由は,青年達の装身具 を携えた自分一人だけが王宮に戻ったとしても,暴悪な (cal)cla)釈迦族達 はウパーリが青年達を殺したのであろうと,思って,彼を殺してしまうと考え たからだとしている。この『パーリ律』では,ウパーりの直接的な出家の動 機を命の危険から身を守るためだったと読みとることができる。直後に続く 会話でも「ウパーリよ,戻ってきたのは良いことだ。釈迦族達は暴悪で、ある。
よって『あの青年達を殺した』といって,おまえを殺したかもしれない。
(satthu bhal)e upali akasi yam pi na nivatto, cal)cla sakiya [imina kumara nippatita 'ti] ghatapeyyum pi tan ti.) J と青年達が語っている。
このことから,青年達はウパーリを連れて,釈尊のもとを訪れて次のように 出家することを願いでる。
atha kho te sakyamumara upalikappakarp adaya yena bhagava 旬n' upasarpkamirpsu, upasarpkamitva bhagabantarp abhivadetva ekaman,tarp nisidirpsu
,
ekamantarp nisinna kho 民 sakyakumara bhagabantarp etad avocurp: mayarp. bhante sakya nama manassino. ayarp bhante upalikappako amhakarp digharattarp paricarako. imarp. bhagava pathamarp. pabbajetu, imassa mayarp. abhivadanarp. paccutthanarp. anjalikammarp. samicikammarp. karissama,
evarp. am‑hakarp. sakiyanarp. sakiyamano nimmaniyissati.
‑ 56‑
(Vinaya II, p. 183. 9‑18) そのとき,彼の釈迦族の青年達は,剃髪師のウパーリとともに世尊が居
られるところそのところに近づいて,近づいて後に世尊を礼拝してから 一方に坐した。一方に坐して後,実に彼の釈迦族の青年達は世尊に対し て次のように語った。「世尊よ,私達釈迦族は高慢な心を有しておりま す。世尊よ,この剃髪師のウパーリは私達に長年にわたって仕えており ました。世尊よ,まず彼を出家させてください。私達は彼に敬礼し,尊 重し,合掌し,恭敬致します。このようにして,私達釈迦族の高慢な心
を取り除きたいのです。J [と。]
この後,釈尊ははじめに剃髪師のウパーリを出家させ,それから釈迦族の青 年達を出家させている。ここで釈尊に出家を願い出た青年達は,釈迦族には 高慢な心 (manassino)があることを認識している。その高慢な心を取り除 く解決策として,教団に於いては彼を年長者として敬う自分たちの姿を他の 釈迦族に示すことを挙げている。そのためにも,長年にわたって仕えた剃髪 師のウパー1)を自分たちよりも先に出家させるように,釈尊に対して願い出 ているのである。他にウパーリの出家因縁謂を伝える『衆許摩詞帝経』や
『イム本行集経』の経典があるが,ウパーリは単独で 釈尊のもとを訪れ出家す ることを願い出る。そのタイミングが釈迦族の青年達が釈尊を訪ねるよりも 先に設定されており,ここには釈迦族の青年達からの要望はない。後から具 足戒を受けた青年達がウパーリを敬礼することを初めは拒んで いる様子が見 られる。この態度に対して,釈尊自らが「あなたたちは出家したのだから,
ウパーリを上座として接するべきである」と直接注意している。
一方,律文献である『パーリ律』においては,ウパーリが釈迦族の青年達 よりも先に出家した出来事は,釈尊の意志ではなく在家者である釈迦族側か らの要望であったと解釈される。つまり,具足戒を受ける順序によって仏教 教団内の長幼が決定する点からいえば,出家を望む在家者が自分の従者を先 に出家させ上座にしたという記述は,律文献において象徴的な事柄といえる。
‑ 57‑
以上が『パーリ律』に説かれるウパーリの出家に関する記述の特徴である。
1 1 .
r四分律」に説かれるウパーリの出家場面r四分律』では,ウパーリの出家の様子が釈迦族のパッデイヤ王やアヌル ッダ達の出家の場面で語られることは,前述の『パーリ律』とほぼ同じであ る。しかし,この因縁謂は,健度部中の破僧健度相当箇所ではなく,経分別 中の「十三僧残法」を制定する箇所に挿入されている。さて,ウパーリは出 家をしようと城を出てきたパッデイヤ王達の従者(優波離剃髪師)として登場 する。
時阿那律稗子。蹴提稗子。難提稗子。金毘羅稗子。難陀樺子。政難陀稗 子。阿難陀稗子。提婆達稗子。優波離剃髪師第九各浮洗
i
谷巳。以香塗身 杭治費髪著珠嘆洛。乗大象馬出迦毘羅衛城。…〈中略〉…時諸樺子乗大 象馬費其界内下象。脆衣服理E各具井象。奥優波離語言。汝常依我等以自 存活。我等今者出家。以此費衣井大象輿汝用自資生活。(大正22,p. 591a21‑b03) そのとき,阿那律樺子,践提碍子,難提樺子,金毘羅稗子,難陀裡子,
蹴難陀稗子,阿難陀稗子,提婆達碍子,優波離剃髪師の九人が各々
i
争ま りj先i
谷しおわって,香を以て身体に塗り,重量や髪を杭かし整えて,珠や 理格をつけて,多くの象や馬に乗り迦毘羅衛城を出発した。…〈中 略> ...そうして諸々の稗子達は多くの象や馬に乗り[彼らの治める街]の境界にまでbやってきて[彼らは]象から下り,衣服や嘆洛などの装身 具を脱ぎ. [それらと]そして象を優波離に与えて[次のように]語っ た。「おまえはいつも私達に付き従うことで生きて来た。私達はこれか ら出家してしまう。だからこの宝と衣服そして多くの象をおまえに与え よう。[これらを]用いて自分で生活の役に立てなさい。」と。
口 百
戸hu
ここでも,『パーリ律』同様に阿那律をはじめ釈迦族の青年八人と剃髪師の ウパーリが,出家するために郊外へとやって来たと記されている。普段の外 出の通りに身支度をし隊列を組んで、移動している様子が伺えるが,ウパーリ によって釈迦族の青年達が剃髪される場面は明記されていない。また,青年 達は剃髪師のウパーリに自分たちの装身具を今後の生活に役立てるようにと いって象までも渡しているが,ウパーリを王宮に帰らせたという記述はない。
そして,青年達と別れた後,ウパーリには次のような考えが起こる。
優波離在後心自思念。我本由此稗子得自存活。今日以信柴捨我従世尊出 家。我今寧可随逐出家。若彼有戸府専我亦嘗得。時優
i
皮離即以所得賓衣理 洛以白星裏之懸著高樹。念言。其有来取者奥之。(大正22,p. 591b03‑09) 優波離は後から心に[次のように]思念した。「私はもともとこの稗子 によって自分の生活を続けることができた。今日[稗子達は]信楽によ って,私を捨てて世尊に従って出家[されるという]。私はいまむしろ [彼らの]あとからつき随って出家すべきである。もし彼に得るところ があるならば,私もまたまさに得ょうJ[と]。そこで優波離はすぐに [稗子から]貰い受けていた宝や衣服や喫洛を白い布で包んで,これを 高い樹木にぶら下げたり引っかけた。[そして次のように]思って言った。
「ここにやって来て取るものがあればこれを与えようJ[と]。
ここでも『パーリ律』と同様に,ウパーリは青年達から貰い受けた衣服や装 身具を捨てて所有権を放棄して青年達のところへ行く決心をしている。ただ,
ウパーりが青年達を殺害したと疑われ命の危険に晒されるというような事情 は記されていない。むしろその動機は,自分の生活を成り立たせていた釈迦 族の青年達の存在である。その青年達が釈尊のもとで出家するのであれば,
自分も彼らに付‑き随えばこれまでとは別の何か得るものがあるであろうとい う思いである。従って,『パーリ律』同様『四分律』においても,ウパーリ
‑ 59‑
が出家に際して,釈尊あるいは仏法に対する信を抱いている状況は明確に読 み取れない。
さて,ウパーリは釈迦族の青年達のもとへと辿り着き,共に釈尊に出家す ることを申し出る。その際,青年達は以下のことを依頼する。
時諸障子及優
i
皮離。相特詣世尊所顕面鵡足却住一面。白偽言。世尊。我 等父母己聴出家。願大徳聴我出家。唯願世尊先度優波離。何以故。我等 多 有 僑 慢 欲 除 情 慢 故 。 ( 大 正22,p.591b12‑16) その時,諸々の釈迦族の青年達および優波離は,一緒に世尊の[おられ る]ところへ行き頭面礼足してからさがって一方に坐した。[彼らは]仏に対して[次のように]申し上げた。「世尊よ,我らの父母はすでに [我らが]出家することを許可されました。願わくは大徳よ,我々の出 家を許可してください。ただ,世尊よ, [私達よりも]先に優波離を受 戒させてください。なぜなら,我らには多くの高慢(僑慢) [な心]が
あります。[その]高慢な心を取り除きたいがためなのでhす」と。
ここでも,釈迦族の青年達がウパーリを自分たちよりも先に受戒させるよう にと釈尊に要請している。この理由として挙げられるのは「我等多有情慢欲 除僑慢故」であるが,この高慢な心をもっていることが『パーリ律』のよう に釈迦族全体に及ぶか否かは不明である。しかし,青年達自身が高慢な心を 持っていると自覚しており,それを除くため自発的にウパーリを自分たちよ りも上座に置こうとしている点は波目すべきである。これが『四分律』の特 徴といえる。
これを踏まえて,『四分律』ではさらに, r爾時世尊即先度優波離次度阿那 律。次政提稗子。次難提稗子。次金毘羅障子。次難陀稗子。優
i
皮離受大戒最 盈よ座。(大正22,p. 591b16‑19) J とある。‑ 60一
I I I .
Ii五分律」に説かれるウパーリの出家場面『五分律』でも rパーリ律』や『四分律』と同様に,ウパーりの出家の様 子は釈迦族のパッディヤ王やアヌルッダ達の出家の場面で語られる。しかし,
この因縁語は,『四分律』と同じく僧残法に配当されており,「僧残法第十破 僧違諌戒」を制定する箇所に挿入されている。
この因縁謂の中で,ウパーリは出家をしようと城を出てきたパッディヤ王達 に連れられてきた剃頭人優波離として登場する。
王言。我等長者加何便得率爾而去。嘗設方便巌駕出遊園此徴行乃可得耳。
汝今便可語阿難陀等令知此意。阿那律即宣語五人。五人欣然莫逆於心。
即便寛夜殿四種兵。極世儀飾長朝出遊。轟遊観己。密終剃頭人優
i
皮離。捻諸債従至隠僻慮。資衣奥之。令其剃髪饗服而去(大正22,17a21‑28) [阿那律に対して,蹴提]王は語った。「我らのような在家のものは,
どのようにして突然に[家を]去ることが出来るのであろうか。まさに 計略をたてて厳かに駕して,城外へと出遊すべきである。このようにさ とられることなく外出するならば[家を去ることが]できるのだ。あな たはいますぐに阿難陀達にこの計画を伝えて知らせなさい」と。阿那律 はすぐに五人に伝え広めると,五人は欣然として心に反対の意志はなか った。そうして直ちに四種の兵(象兵・馬兵・車兵・歩兵)を厳かにか ざり,この世の最高の作法に則った装飾を施し,島朝に出遊してすべて を遊観しおわった。[その後に,蹴提王達は]ひそかに剃頭人の優波離 を引き連れて他の諸々の従者達を斥けて,隠避処に到着した。そして宝 と衣装を優波離に与えて,彼に[自分たちの]剃髪をさせて衣を着替え て去っていった。
ここでは,紋提王と阿那律を含めて七人の釈迦族の青年達が出家するために,
‑ 61‑
平時の遊観と見せかけるような計画的を立てていることが詳しく語られてい る。他の従者とは異なり,ウパーリ(剃頭人優波離)は青年達の剃髪をなす 役割で残されたとある。『パーリ律』や『四分律』と同じく,青年達の装飾 品や衣服はウパーリに譲渡されている。青年達が去った後,剃頭人のウパー
リには次のような考えが浮かぶ。
優j皮離作是念。諸稗豪強。若知剃諸人髪。必嘗殺我。如此貴族尚能捨家。
我今何為不捨剃具及諸費衣随彼而去。即自剃頭。以諸賓衣掛著樹上。作 是 念 須 者 取 之 。 ( 大 正22,p. 17a28‑b03) 優波離はこのように考えた。諸々の釈迦族達は豪強である。もしあの 方々の髪を剃ったことが知られれば,必ず私を殺すに違いない。この貴 族のようにやはり家を捨てよう。わたしはいま剃髪道具そして諸々の宝 や衣装を捨てて彼らに従って去ろう。J[と]。そうして[優波離は]自 ら剃髪して,諸々の宝や衣装を樹木の上にぶら下げ掛けて,このように 思った。 r[欲しいと]思う者は,これを取るがよい。J[と。]
ここでは,剃頭人優波離の立場が明確に示されている。それは,青年達の剃 髪を為したのが自分だと釈迦族に知られてしまえば,きっと殺されると考え た点である。既に多くの釈迦族の家系から出家したものが出ているにも関わ らず,ウパーリの様に従者が出家に関わった場合,罪に問われ処刑にまで発 展する問題として捉えられていたことがわかる。それを避けるため,ウパー リは青年連を追いかけて共に出家したいと訴えた。こうして,釈迦族の青年 達はウパーリも含めて八人が釈尊を訪ねる。
七人即受。同詣悌所頭面趨足。白言。世尊。我等今欲出家
i
手修党行。而 優波離是我等僕。願悌先奥受具足戒。然後度我。嘗令我等及諸糟種於彼 入 所 破 大 情 慢 。 悌 即 先 度 七 人 後 度 。 ( 大 正22,17b04‑08) 七人は, [優波離を]すぐに受け入れて,一緒に仏の所へ参詣し,頭面内L
PO
礼足した。世尊に[次のように]申し上げた。「私達はいま出家して正 しく党行を修めたいと思います。そして優波離はこの私達の僕でありま した。願わくは仏よ,さきに[彼に]受具足戒を与えて,その後に私達 を受戒させて下さい。まさに私達,および諸々の釈迦族達が,あの人 (剃頭人優波離)に対する大いなる高慢(情) [な心]をうち砕くこと ができますように。J[と。]そうして,仏はさきに[優波離を]受戒さ せ, [釈迦族の]七人は後から受戒させた。
ここでも,釈迦族の青年達は剃髪師のウパーリを自分たちよりも先に受戒さ せるように,釈尊に願いでている。その理由として,青年達は自分たちを合 めた釈迦族全体が,ウパーリに対して持っている高慢な心をうち砕くためと 説明している。この点からいえば,高慢な心を有している存在は,『パーリ 律』では釈迦族, r四分律』では青年達自身,『五分律』では青年達も含めた 釈迦族全体という若干の相違が見られる。また,『パーリ律』と「四分律』
同様に「五分律』においても,ウパーリを先に受戒させたことは釈尊の思慮 でないことがわかる。また,釈尊は青年等を受戒させた場所がカピラヴァス トゥから近いので,釈迦族達が彼らの出家を思い留まらせる妨害を見越して,
彼らに六根の無常を説いている。それによって,八人中六人が阿羅漢果を獲 得し,阿難陀は仏に従事するため煩悩を尽くすことなし提婆はただ虚しく 煩悩を尽くすことはなかったとある。これが『五分律』の特徴である。
I V .
F根本説一切有部律J に説かれるウパーリの出家場面『才艮本説一切有部律』では,他律の破僧健度に当たる『根本説一切有部毘 奈耶破僧事~ (= r根本有部破僧事.1)中,釈迦族が集団で出家する場面が記 されている。他律では,ウパーリが出家する場面は,釈尊の父浄飯王が総勢 五百人の釈迦族の青年達の出家を命令した出来事の後,誰一人出家者を排出 していない家系のアヌルッダ {Anuruddha/阿那律)が中心となって出
つd
家する箇所に語られている。しかし,この『根本有部破僧事』では,父王に よる勅令とアヌルッダ達の出家の因縁諦が一指して扱われている。そのため,
剃髪人のウパーリ(部波離)はアヌルッダ達の従者ではなく,父王によって 勅命を受けた五百人のための剃髪師として登場する。
爾時父王勅鄭
i
皮離。汝往尼拘陀園。為彼稗種賢王等五百人剃除額髪。時 賢王等加法洗頭以次而坐。時郎波離。欲剃賢王髪時。悲涙晴泣数数傷歎。而為剃髪。賢王見巳間部波難。汝今何因数散時泣。時鳥s1皮離胡脆悲
i
展答 賢王言。我従昔来。於贈部洲常事賢王。王今出家無所依佑。轄事悪玉寧 死不生。賢王語部波離言。我今知汝賓是誠心。不須悲傷。我今令汝不事 悪玉。時郎波離心生歓喜。従脆而起聞剃王頭。剃王頭巳。(大正24,p. 145b15‑24)
そこでそのとき,父王は部波離に[次のように]勅した。「おまえは尼 拘防園に行き,彼の釈迦族の賢王達五百人のために重量と髪を剃り除きな さい。J[と。]そうして,賢王達は司法に従って頭を洗い次席に従って坐 した。そして,部波離が賢王の髪を剃ろうとした時, [蹴波離は]声を あげて悲しみの涙を流しながら幾度も傷歎して,剃髪をなした。賢王は [彼の様子を]見て,部波離に尋ねた。「あなたはいま何が原因で幾度 も声をあげて泣いたのか。J[と。]そのとき部波離は胡脆して悲しみの 涙を流しながら賢王に語った。「私は昔より今まで,贈部洲において常 に賢王にお仕えして参りました。王がいま出家なされば,頼るところが 無くなってしまいます。状況が悪くなり,悪王にお仕えするよりはいっ そ死んでしまい生きるのを止めてしまいのです。J[と。]
ここでは,これから出家する賢王に対してウパーりがその忠誠を示し,また その後の自分自身の生活を憂いている場面である。これに対して,王は悪王 に仕えさせるようなことはしないと語りかけてウパーリを喜ばせ剃髪を終え させる。その直後,賢王は出家する五百人の釈迦族に向かつて次のように宣
‑ 64‑
言する。
賢王起立普告五百稗種。汝等諦聴。此部
i
皮離昔来事我。無有資財。汝等 稗種。宜可各各股上衣及荘厳具。随是一物置於艶上。何以故。我既出家。所有俗衣及諸理務。不感更用。奥郎
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皮離爾時賢王作是語巳。五百糟種所 有衣服及諸理格。皆投白艶輿郎i
皮 離 。 ( 大 正24,p. 145b25‑c02) 賢王は起立して全ての五百人の釈迦族[に向かつて]告げた。「あなた 方,心から聞きなさい。この部波離は昔よりこれまで私に仕えてくれま したが,資財をもっていません。あなた方,釈迦族の方々よ,是非とも 各々の上衣及び荘厳具を脱ぎ捨てて,私に随って少しの物でも[ここに 敷いた]敷物の上に置いていくべきである。なぜなら,私はすでに出家 し,すべての世俗の衣服や諸々の理格を当然のことながら使用すること はない。よって,郎波離に与えるべきである。」と。そこでその時,賢 王がこのことを話しおわると,五百人の釈迦族はすべての衣服や諸々の 理務を残らず白い敷物の上に入れて郎波離に与えた。このように,賢王はその場で剃髪する自分以外の五百人に対しても,剃髪を 担当するウパーリにすべての持ち物を与えるように促し,それによって彼は 膨大な量の衣服や装身具を受け取ることとなった。その後,王をはじめ釈迦 族達は僧衣を纏って去って行き,残されたウパーりは再び次のような思いに 駆られる。
時鳥E波離即便思惟。五百稗種尊貴如是。尚捨圏域妻子珍資衣服剃髪出家。
況我種姓卑族昔来供事。於此衣服而生食著。又復右手拓頬作是念言。我 若 不 是 卑 族 。 亦 合 出 家 得 阿 羅 漢 果 。 ( 大 正24,p. 145c04‑08) その時,郎波離はそうして[次のように]考えた。「五百人の釈迦族達 はこのように尊賞であられでもなお,国と城,妻子,珍宝,衣服を捨て て剃髪して出家された。まして私のような種姓,身分の低いものが,
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[あの方々に]昔よりこれまでお仕えしてきたにも関わらず, [与えら れた]これらの衣服に貧著を起こしてしまっている。J [と。]さらに [彼は]右手で頬づえをついて,このように,思って言った。「私がもし このような身分の低いものでなければ,あるいは[彼ら]とともに出家 して,阿羅漢果を獲得するかもしれなかった。」と。
ここでは,剃髪師のウパーリが自分の出自が原因で,釈迦族から受け取った 品物に食欲を生じ,出家することもできないことに苦悩している様子が描写 されている。この記述は,先に挙げた『パーリ律~ Ir四分律~ rr五分律』では みられず,『キ艮本有部破僧事』にのみ確認できる。これに続いて,出家する 前のウパーリの思念の内容を彼と舎利弗(舎利子)との会話でもって詳細に 示している。
具欝舎利子。知部波離心之憂悩既知見巳詣部
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皮離所。到巳語部波離言。何故拓頬而懐憂悩。時部波離白舎利子言。大徳。我今云何不生憂'1箇。今 見賢王及五百稗子。悉捨王位圏域妻子。無量無法珍賓衣服。今皆棄捨出 家修道。我今貧著必堕悪道。大徳。我若不生卑族之中。於偽所脆毘奈耶 中。必得出家勤加精進讃羅漢果。時舎利子語部
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皮離言。偽正法中不簡卑 族及少聞等。但依偽教修持j手戒威儀無快。便得出家。是偽正法。汝欲出 家。於偽正法毘奈耶中。受具足戒成基甥性。汝聴奥我往世尊所。加来必 室全生直室。時郎波離聞此語巳。心生歓喜。所有珍賓上妙衣服。悉皆棄 捨知棄沸唾泊 (大正24,p.145c09‑23) 具寿舎利子は,郎波離の心の憂悩を知り,そして知見しおわってから郎 波離の所に赴いた。[舎利子は彼のもとに]到着してから,郎波離に語 った。「なぜ[あなたは]頬づえをついて憂悩した顔つきでいるのか。」と。その時部波離は舎利子に[次のように]申し上げた。「大徳よ,私 はいまどのようにすれば憂悩を生じることがないようにできるのでしょ うか。[私は]ただいま賢王および五百人の釈迦族の青年達が,悉く王
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位,国と城,妻子,はかり知れない程の珍宝や衣服をお捨てになり,い ますべてを棄捨して出家して修道される[様子]を目の当たりにしまし た。しかし,私はいま貧著してしまい,きっと悪道に堕ちるでしょう。
大徳よ,私がもし身分の低いものの中に生まれなければ,仏が説かれる 見奈耶に則して, [私は]必ず出家して努力してそのうえ精進を重ねて 阿羅漢果を体得することになったかも知れないのです。」と。そして,
舎利子は部波離に語った。「仏は正法において身分の低いことや少聞で あるということなどは問題にはなされない。ただ,仏の教えに依って浄 戒を修持して,威儀に欠くところがなければ,出家することができる。
これが仏の正法である。あなたは出家することを望むのであれば,仏の 正法,見奈耶に基づいて具足戒を受けて比丘(志努)と成りなさい。あ なたは,私とともに世尊のところへ行くべきです。知来は必ずあなたを 出家させることでしょう。」と。その時,郎波離はこの言葉を聞きおわ って心に歓喜を生じ,涙や唾を捨てるようにあらゆる珍宝やこの上なく 素晴らしい衣服をすべて棄捨した。
このような二人の会話は,他律では挿入されていない。他律においては,弟JI 髪師のウパーリが出家を望む理由は,主人である釈迦族の王や青年達の出家
に関わった彼の身に命の危険があると考えたからであるとされる。しかし,
この「根本有部破僧事』においては,ウパーリが自ら起こした執着が出家を 望むこととなった原因とされている。さらに,彼はこの執着によって悪趣に 堕ちてしまうと考え,そして,身分の低さゆえに出家することも叶わないと 苦悩している。この文脈には,ウパーリが命の危険を感じている描写はない。
なぜなら,すでに「爾時父王勅郎波離。汝往尼拘陀園。為彼稗種賢王等五百 人剃除髪髪。」とあるのを見たように,ウパーリは剃髪師として釈尊の父王 によって正式に任命されているため,処刑されることはありえない。したが って,「根本有部破僧事』においては,ウパーリの出家因縁語を示すにあた
り,他の動機を設定する必要があったと考えられる。
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また,ウパーリに比丘になることを舎利弗が説得した出来事は,彼に出家 を決意させたのである。この直後に,ウパーリの出家を釈尊に進言する舎利 弗の行動が続く。
時舎利子。輿郎
i
皮離倶往偽所。到巳項鵡世尊襲足。時合利子白言。世尊。此郎波離。於悌正、法見奈耶中。堪得出家受具足戒成芯錦性。世尊慈悲令 得 出 家 。 ( 大 正24,p. 145c23‑25) そして,舎利子は郎波離とともに仏の所へ赴いて,到着すると世尊の両 足を頭でもって礼拝した。その時,舎利子は[次のように]申し上げた。
「世尊よ,この部波離は仏の正法,昆奈耶に基づいて出家して具足戒を 受けて比丘となることができるでしょう。世尊よ,慈悲によって[彼
を]出家させて下さい。」と。
このようにして,舎利弗の助言によってウパーリは出家することを釈尊から 許可される。その際,釈尊の言葉は「善来応、修党行。」であり,白四掲磨で はない。賢王をはじめとする五百人の釈迦族の青年達は,白四掲磨によって 受戒式を終えており,ほぽ同時期の出家について差違を確認できる。また,
釈尊の出家許可によって,ウパーリの髪や髪が自然に落ち,僧衣(僧伽眠 / sanghati)を着けた姿はすでに七日を経過したもののようであり,さら に鉢を携えた様子は完全なる威儀を整えており受戒してから百年は経ってい る比丘のようであると讃えられる。
結 び
これまで,ヴィナヤの保持者(vinayadhara)とされたウパーりについて,
特に彼の出家の場面に焦点を当て検討を加わえた。律文献毎に記述の比較を 行った結果以下のことを指摘できる。
『パーリ律~ w 四分律~ w五分律』といった律文献において,ウパーリの出
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家の動機は殺害を逃れるためであったとされている。ここで,問題となるの は「クシャトリヤによるシュードラの殺害」と「阿羅漢の殺害」についてで ある。前者については,シュードラがクシャトリヤを殺害したことに対する 処刑の意味合いが含まれているため,出家する以前のウパーリを殺害したと しても当時の一般的な法解釈の範曙である。しかし,出家した直後,既に阿 羅漢果を獲得したウパーリを殺害するとなれば,五無開業 (pancanantar‑ iyakamma/五逆罪:①父を殺すこと,②母を殺すこと,③阿羅漢を殺すこ
と,④仏身より血を出すこと,⑤僧伽を破壊すること)を行うこととなり,
これらの罪を犯した者は無間地獄に堕ちるとされる。ω
先の r五分律』の事例でも触れたように,ウパーリは出家した直後に釈尊 から法を聞いて阿羅漢果を獲得している。従って,仏教徒となった釈迦族に とっては,仮にウパーリの処刑が実行されたとすれば,その殺害に関わった 者は悪業を積むことになってしまう。そして,その中から後に出家を望むも のが出てきたとしても,具足戒を受けることは許可されず出家修行者の道は 閉ざされるのである。ω
最後に触れた『根本有部破僧事』においては,他律とは異なるウパーリの 出家の動機が語られ,また出家するまでの過程に舎利弗を登場させ,彼が当 初から出世間的果報を願っていたことが詳細に語られている。さらに,破僧 健度に相当するこの箇所に,他律では確認できないウパーリの様子を語るこ とにより,『根本説一切有部律』においては,持律第ーのウパーリを一層象 徴する住置づけが意図的に為されたと考えられる。
註
(1) Therag, VV̲ 981‑1017; AN. 1, pp. 23‑25; w増ー阿合経Jr弟子品第四J(大 正2,pp.557a・560c)。なお,パーリ語文献についてはPTS版を用いる。
(2) Ray, Reginald. A, Buddhist Saints in /ndia: A S,仰の inBuddhist Values and Orienfations, New York‑Oxford: Oxford University Press, 1994, pp. 131‑136.
(3) Therag, vv.1018‑1050; AN. 1, pp. 23‑25; r増ー阿合経Jr弟子品第四J(大 正2,pp.557a‑560c)。
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持伴者ウパーリの11¥家
(4) 他, r烏i皮梨,烏波間ft郎波離,和利」という漢訳名が見られる。赤i召智普
~~n 度仏教固有名詞辞典』京都:法蔵館, 1967, p.7080
(5) Vinaya 1 , 325f.
(6) Therag, vv. 249‑251; AN. 1, pp. 23‑25; ~増ー阿合経~ r弟子品第四J(大正 2, pp.557a・560c)。
(7) Therag, VV. 1051‑1090. Ray, ibid, pp. 105‑118.
(8) 平川彰「仏滅後の教団における阿難の位置J~仏教研究~ 10, pp. 31‑49;並 川孝義『ゴータマ・ブッダ考』東京:大j歳出版, 2005, pp. 170‑181等。
(9) 赤沼智普『印度仏教固有名詞辞典』京都:法蔵館, 1967, rUpali 1J, pp. 708‑709.他, G. P. Malalasekera, Dictionary
0 1
Pali Proper Names, Orig. pub., 1937‑1938; Reprint ed., New Delhi: Munshiram Manohar1al Publishers Pvt Ltd., 1995, rUpali TheraJ, pp.408‑410.(
10) 中村元『中村元選集決定版第13巻仏弟子の生涯』東京:春秋社, 199 ,1 pp. 534‑535, pp. 581‑591。
(11) 中村元『中村元選集決定版第11巻 ゴータマ・ブッダ 1 ~東京:春秋社,
1992, pp. 648‑654。他,菅沼晃『ブッダとその弟子』東京:京都:法蔵館,
1990, pp. 106‑108。 (12) 註(2)を参照。
柚 The Gilgit M am協 cript
0 1
the Sa.抑叫sanavas,伽 ω~d the Adhikara加 型α'Stu Being the 15th and 16th Sections0 1
the vi初 旬α0 1
the Mul,α'Sar官邸,
tivadi悦,edit巴dby Raniero Gnoli, Roma: Istituto Italiano per i1 Medio ed Estremo Oriente, 1978, pp. 47. 1‑48. 16.
(14) ~摩詞{曽紙律』巻第二十三「明雑諦政渠法之ー」偽告舎利弗。如来所度阿若 僑陳如等五人。普来出家善受具足。共ー戒ー克一住ー食一撃ー設。次度
i
雨慈子 等三十人。次度i皮経奈城善勝子。次度優楼頻螺迦葉五百人。次度那提迦葉三百 人。次度伽耶迦葉二百人。次度優i皮斯那等二百五十人。次度汝大目連各二百五 十人。次度摩言可迦葉隅陀迦留陀夷{憂波離次度鰐種子五百人。次度政度帝五百人。次度群賊五百人。次度長者子善来。知是等如来所度普来比丘出家善受具足。共 一戒一覚。ー住一食ー穆一設。…(大正22,pp. 412c22‑413a02)
(1日 間上太秀氏は,出家修行者達のi出家の動機を原始仏教経典を中心に挙げられ,
社会的要因や仏教への傾倒といった個人的要因を様々に分類されている。 (r原 始仏教教団における出家の動機についてJ~駒津大学仏教学部研究紀要~ 29, 1971, pp. 113‑142)しかし,ウパーリについての詳細な検討は為されていない。
また,前困惑学氏によって,テーラガーターとテーリーガーターを中心とした 仏弟子の出家の動機に関する検討がある。 (r仏弟子における出家の動機とさと りの様態‑Theragatha,Therigathaの世界一」雲井昭善編『業思想研究』京 都:平楽寺書ー底, 1979, pp. 231‑264)
‑ 70‑
(
16) Vinaya II, p. 183. 8‑9.なお, [ ]内は (p.182.35)からの補いである。
仰 『衆許摩言可帝経』巻第十三(大正3,pp.974c2‑975c15); w仏本行集経』巻第 五十三「優i皮肉tf因縁品第五十五上J(大正3,pp. 899c.901a)
(
18) w衆許摩詞帝経』巻第十三「爾時世尊告大衆言。今出家者。可依夏臓次第守 其草卑。乃至未来躍不得闘。於是烏i皮梨平祝諸緯。時彼賢王次第鵡衆。至烏波 梨前不肯撞奔。来白世尊。今烏波梨是承事人。今我稽者是不順也。作品言。汝既 出家蛍除我相。彼是上腿宜伸鵡敬。…J(大正3,pp.974c27‑975a03)
(19) 爾時世尊作是念。迦維羅衛去此不遠。諸緯知者或有留難。便将八人詣抜提羅 城。住網林樹下為設妙法。限無常色無常眼識娘縄線鰯因縁生受無常乃至意無常 法無常意識意絢意鰯因縁生受無常。汝聖弟子。感作是観生厭離心得解腕智。所 作己嫌発行巳立不受後身。設是法時。六人漏議得阿羅漢。阿難侍仰不蚤諸j属。 調達一人空無所獲(大正22,p. 17b08‑16)
側 賢王語部i皮離言。我今知汝寅是誠心。不須悲傷。我今令汝不事悪王。時部波 離心生歓喜。従脆而起即剃王頭。(大正24,p. 145b21‑24)
白1) W衆許摩詞帝経』では,ウパーリは「時浄飯王有承事人。名烏波梨。善能剃 髪。王即遺奥稗衆剃髪。…(大正3,pp.974c2‑975c15)Jと登場している。他,
『仏本行集経』巻第五十三「優波離因縁品第五十五上J(大正3,pp. 899c‑901 a)では,青年連が宝石などを譲渡するに相応しい人物としてウパーリを指名
していることが語られるのみで,王からの命令はない。また,青年連はウパー リに宝石類を渡した後に各々の父母に出家の許しを請うているため,ウパーリ が生命の危険を感じている記述も見あたらない。これら両経典とも,ウパーリ の出家の動機は,彼が自分の起こした執着から離れるためとされている。
開 爾時世尊作是語己。時都i皮離。重量髪自落法服著身。如出家己経七日者。執持 聴器具清
i
手戒。威儀固i
雨知一百臓芯努。既出家巳却住一面。爾時合利子即設頚 目。世 尊 告 彼 言 善 来 衣 幾 迦DJ&髪髪落諸根寂静恰然住以偽力故具威儀 (大正24,pp. 145c27‑146a03) 倒 Milinda仰 倣a,p. 25.詳しくは,藤田宏達「原始仏教における惑の観念JW仏
教思想2 悪』京都:平楽寺書庖, 1976, pp. 115‑156。杉本卓州『五戒の周辺 インド的生のダイナミズムー』京都:平楽寺書底, 19990
側 『十議律~ (大正23,p. 154a) ; W 四分律~ (大正22,p. 813a) ; W摩詞僧紙律』
(大正22,p. 413b) ; W根本説一切有部昆奈耶~ (大正23,p.879a)
キーワード ウノfーリ,出家の動機,パーリ律,四分律,五分律,
根本説一切有部律
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