東京外国語大学で長らく教鞭をとられていた二宮宏之先生が、主に一九七〇年代後半から一九八〇年代前半に刊行された様々な文章が収められている同書は、専門や世代を超えて多くの人々を魅了してきた。同時期は、「アナール学派」の様々な成果が、日本に紹介されまた受容されるようになっていった時代だった。二宮先生は、この歴史学の分野における「異文化交流」の第一人者であり、本書でも、同学派について多くの紙幅が割かれている。しかし、その叙述は、史学史に関する概論的な語りとは一線を画するものであり、日本とフランスの歴史学に触発されながら形成された二宮先生の生き生きとした思想と研究を顕にするものである。先生は何を私たちに伝えようとしたのだろうか? どのような歴史学をめざされていたのであろうか?
タイトルに注目するのであれば、それは、「全体を見る眼」の息づく歴史学であるといえる。このような観点が、 一九二九年にマルク・ブロックとリュシアン・フェーブルによって創刊された雑誌『アナール』の掲げた「生きた歴史学」に連なることは、本書第一部(「全体をみる眼」)に収められた論文に詳しい。彼らは二〇世紀初頭フランスのアカデミズムにおいて支配的だった歴史学に文字通り闘いを挑み、それが、細かな事実の考証に専心し、また細分化された研究分野のなかで歴史学の真の対象である「生きた人間たち」を見失ったことを批判した。もっとも欠けていたのは「全体を見る眼」だというのはフェーブルの評であるというが、かくして、当時の「実証主義的歴史学」が陥っていた陥穽を乗り越えるべく「人間たちがその生の営みによって創り出した歴史的世界を、その多様性においてまるごと捉える」必要性が主張されたのである。 このような系譜に自らを位置づけながら、二宮先生は、本書の「あとがき」において、「全体を見る眼」という「漠
とした表現のなかに歴史家の営みにとってもっとも大切な、そして保ち続けることが決して容易ではない心がまえが秘められている」と記している。歴史家の職業にとって、それを体得し常に保持することがいかに肝要であるかが強調されているのである。そうした観点は、対象とされる社会や事象の全ての側面をひたすら精緻に明らかにしようとする「全体史」とは趣を異にし、むしろ上記したフェーブルの考えとより近い関係にあると思われる。
本書の第二部(「歴史家の仕事場」)は、二宮先生の歴史学の個別研究の実践の一端を示す論文で構成されている。アンシアン・レジーム社会の社団的編成を鮮やかに描き出した「フランス絶対王政の統治構造」は、絶対王政の古典的なイメージを大きく修正し、日本のアンシアン・レジーム研究に大きな影響を与えたが、ひとつの時代の全体像を捉える試みとして卓越したものといえよう。たしかに権力秩序を論じたこの文章のなかでは、「生きた人間たち」が表立って論じられているわけではないが、彼らへの関心は、常に書き手のなかで保持され続けており、それが叙述全体に緊張感や力を与えている。第二部のその他の論文そして第三部(「社会史断章」)に収められた批評やエッセイは、「集合心性」「祭りと叛乱」「家」「捨児」「ソシアビリテ」「シャリバリ」「民衆文化」といった刺激的なテーマを通じて、 主に一六世紀から一八世紀に生きた無数無名の人間たちの身体と心そして共同性のあり方を照らし出している。ドミニク・カリファは、二〇〇五年に刊行された論文のなかで、一九六〇年代に「希望の場」として登場した民衆に関する研究が、徐々に「論争の場」となるなかで後退していったことを跡づけている。『全体を見る眼と歴史家たち』は、そういった歴史学の軌跡を遡行し、初心に戻るためにも有効な手引書となると思われる。
せりう・なおこ 総合国際学研究院准教授 フランス近世史 二宮宏之『全体を見る眼と歴史家たち』
芹生
尚子
文献案内二宮宏之『全体を見る眼と歴史家たち』平凡社ライブラリー、一九九五年(初版:木鐸社、一九八六年)。平凡社ライブラリー版には、一九九三年に刊行された論文が追加されている。同書については、平凡社ライブラリー版に所収された岸本美緒氏によるものを含め、阿部謹也氏また森本芳樹氏、最近では小山哲氏による優れた書評や解説がある。本稿を執筆する際に参照した。
DominiqueKalifa,«Leshistoriensfrançaisetʻlepopulaireʼ».Hermès, La Revue,42,2005,p.54-59.[disponibleenligne:https://doi.org/10.4267/2042/8982]
「 生 き た 人 間 た ち 」 を 捉 え る 眼
顫える名作、不穏な古典
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