1 I.はじめに 歯科医師が臨床において最も注意を払うべき ところは,咀嚼能力を左右する咬合(かみあわ せ)と顎関節の関係であるといっても過言では ない。う蝕で崩壊した歯の修復,義歯(入れ歯), インプラント(人工歯根)治療などあらゆる歯 科治療において重要である。歯科口腔外科では さらに,顎変形症という疾患に対して顎骨全体 を含めた咬合治療を行っている。 顎変形症とは先天的あるいは後天的原因によ り生じた顎の形態異常で,審美,咀嚼,言語障 害を主訴とする疾患であり,これに対する手術 を外科矯正手術(orthognathic surgery),手術 前後の歯科矯正治療を含めた全体の治療を顎矯 正 治 療(orthognathic treatment) と い う。 一 方,顎関節症は,顎関節や咀嚼筋の疼痛,関節 (雑)音,開口障害ないし顎運動異常を主要症 候とする障害の包括的診断名である。顎顔面の 骨格異常が軽度の場合,一般の歯科矯正治療だ けでも可能であるが,大きな場合には外科矯正 手術が多く行われている。下顎骨に対する術式 として下顎枝矢状分割術(Sagittal split ramus osteotomy: SSRO) と 下 顎 枝 垂 直 骨 切 り 術 (Intra-oral vertical ramus osteotomy: IVRO)
があり,特に SSRO は全世界的に頻繁に用い られている1,2)(図 1)。SSRO は分割した両骨 片を固定した場合の接触面積が大きく,また術 後の合併症の少ない優れた方法である。近年, 分割した骨片間をワイヤーによる囲繞結紮法な どによる柔軟性の高い固定法からスクリューや プレート等による比較的強固な固定法を使用す る傾向にあり,これにより顎間固定期間の短縮 が図られた反面,顎関節への影響がより問題と なってきている3–5)。すなわち両骨片の固定時 に下顎頭を含む近位骨片が変位する結果,下顎 頭位が関節窩に対し微妙に変化し,顎関節に持 山梨医科学誌 28(1),1 ∼ 15,2013
顎変形症における顎関節の重要性
─外科矯正手術における顎関節に関する議論─
上 木 耕一郎
山梨大学大学院医学工学総合研究部医学学域歯科口腔外科学講座 要 旨:顎変形症とは顎骨と咬合異常を有する疾患であるが,同時に顎関節症状を伴うことがあり 顎変形症手術(外科矯正手術)の際には注意を要する。顎変形症手術において,顎関節における下 顎頭の位置は術後安定性,術後顎関節機能をより向上させるために重要であるが,根拠に乏しい経 験的概念が多く用いられている。顎顔面形態異常と顎関節構造の関連性は非常に重要であるにも関 わらず,科学的に解明されているとは言い難い。そこで,顎変形症における顎顔面と顎関節の関連 性を形態学的,力学的に解析し検討することを目的に研究を行ってきた。今回,今までに発表され てきた論文を検証するとともに,我々の研究結果を交えながら顎変形症手術における術後の理想的 な下顎頭位置に関して論じたい。 キーワード 顎変形症,顎関節,外科矯正手術,下顎頭総 説
〒 409-3898 山梨県中央市下河東 1110 番地 受付:2013 年 3 月 4 日 受理:2013 年 4 月 2 日続的に負荷がかかることが主な原因であると言 われている。その防止のため,近位骨片(下顎 頭を含む骨片)を完全に 3 次元的に術前の状態 に戻すという完全復位の考え方が出現した6)。 しかしながら,術後の下顎頭の位置決定は未 だ議論がわかれるところで,「理想的な術後の下 顎頭位置はどこか?」とういう問いに対する答 えは見つかっていない。それどころか,術前の 様々な顎骨と咬合様式における関節円板を含め た顎関節形態に関しても論じられていなかった。 本総説は顎変形症における顎関節に関わる文 献を基に外科矯正手術における理想的な下顎頭 位置を検証することを目的とした。 II.様々な顎骨形態と咬合様式における 顎関節形態 顎関節円板 顎関節において関節円板転位は頻繁に認めら れる異常所見であるとされている。通常,前方 転位,前外方転位,前内方転位が一般的である。 「正常」な顎関節では,閉口位において両凹型 の関節円板の後方肥厚部は下顎頭の上方に位置 すると言われてきた7–11)(図 2)。しかしながら, 「正常」な顎関節は様々な顎骨形態や咬合様式 で異なった像を呈していることが認識されなが らもこのような定義は顎骨と咬合様式に関する 記載がない過去の研究を基に根拠なく述べられ 図 1. A)下顎枝矢状分割術 左:術前,右:術後,下顎枝を矢状面で分割し予定した咬合に設定し た後骨片固定する.B)下顎枝垂直骨切り術 下顎枝を垂直に骨切りした後に骨片固定は行わ ない.下顎頭の前下方への移動により,下顎頭と関節円板位置の関係が変化する.
3 顎変形症における顎関節の重要性
てきた12,13)。
Fernandez Sanroman は, 顎 関 節 円 板 転 位 の 発 生 率 は,Class I 前歯部開咬では 11.1%, Class III では 10.0%,Class II では 53.8%(15/28
関節)と報告している14)(図 3)。Schellhas は 100 人の下顎後退症患者の中度∼重度の顎関節 病態を MRI にて分析した結果,Class II の顎 顔面形態は中度∼重度の顎関節病態あるいは関 図 2. 顎関節の構造模式図 A)「正常」顎関節では関節円板が関節窩,関節結節 と下顎頭の間に介在する.B)関節円板前方転位. 図 3. アングルの不正咬合分類 Class I は正常骨格,Class II は下顎後退症あ るいは上顎前突症,Class III は下顎前突症あるいは上顎後退症.
節円板前方転位と強く関連しており,顎関節の 退行性変化の程度は直接的に下顎後退の重症度 と相関していると結論付けている15)。Link と Nickerson も 39 人の外科矯正患者の 38 人に術 前の円板転位を認め,開咬症のすべてと Class II の 88%の患者に両側顎関節円板転位を認め たとしており,その他にも同様な報告がなされ 外科矯正手術における下顎後退症に円板転位が 多く認められることが明らかになった16)。 MRI の使用によって下顎前突症例の関節円 板組織における分類として,関節円板前方転位 Anterior displacement の他に,従来の正常な 位置の円板を Anterior type とし,これに下顎 前突症患者特有の円板が下顎頭を全体的に被覆 している Fully covered type,関節円板が下顎 頭の比較的後方に位置する Posterior type. を定 義した17)(図 4)。さらに,左右非対称を伴う 下顎前突症は左右対称の下顎前突症よりも顎関 節障害が生じやすく,このことは左右顎関節形 態の差異に大きく関連しており関節円板前方転 位は下顎偏位側に多く認められることも判明し た16–20)。 一方,顎骨形態咬合に関する記載はないが, 顎関節症状のない,顎運動機能異常もない患者 にも顎関節 MRI を撮影したところ 33%に関節 円板前方転位が認められた。このことから,円 板前方転位を示す顎関節は高率に顎関節症状を 示すが,必ずしも進行性の病的な状態ではなく 解剖学的多様性の一つあるいは機能的に適応し た状態であるとも考えられる21,22)。 III.術前の下顎頭位 関節窩内での下顎頭の位置は関節結節と下顎 頭間における関節円板の厚みなども含めて多く の因子に関連しており,関節窩内での下顎頭位 置はその形態にも影響しているかもしれない。 Elias と Demetrios は下顎頭と関節窩の形態は 顎骨形態,咬合様式により異なることを示し た23)。Class III はより長い前方に傾斜した下顎 頭とより広く浅い関節窩を有し,下顎頭は関節 窩の最上方部に近接している。Class II division 1 と 2 は関節窩の下顎頭の位置においてのみ 異なっていて,Class II division 1 では下顎頭 はより前方位に適している。また Burke らは Class II を 2 群に分け,下顎頭形態を angled, concave,convex,fl at に分類評価したが,2 群 間に差はなかったとしている24)。Akahane ら は乾燥頭蓋骨を用いた研究で,Class III 群は Class I に比べフランクフルト(FH)平面に対 し小さな関節結節であったと述べている25)。ま た,左右非対称を伴う Class III 症例では非偏位 側に対し偏位側で有意に大きい関節結節を有し ていると報告されている17)。下顎頭位に関して は,Ricketts と Pullinger らは,ClassII division 1 では下顎頭は前方に,Class III では後方に 位置する傾向があると述べているが26),Elias と Demetrios は Class III では中央に,Class II division 2 では後方に位置する傾向があると報 告している23)。つまり,顎骨形態咬合によって 下顎頭位は異なっている事が考えられる。 IV.術前の下顎頭長軸水平角 Westesson らは,「正常」顎関節円板位の下 顎頭長軸水平角は平均 21.2 度であったのに対 し,非復位性円板前方転位関節では 29.7 度, さらに退行性変化を伴った関節では 36.5 度で あったと報告している27)(図 5)。Fernandez Sanroman らは,Class II の平均下顎頭水平角 は有意に大きく,関節円板前方転位や退行性 変化が原因である可能性を示唆している14)。 Class III 左右対称症例では反対に右側 12.0 度, 左側 11.8 度と低い値を示す傾向がある17)。こ れらの所見は,顎骨形態の分類が異なれば関節 円板,下顎頭位,下顎頭長軸水平角を含めた顎 関節も異なることを強く示唆している。 V.術前の咀嚼運動と下顎頭運動軌跡 アキシオグラフ(下顎頭の運動軌跡を描出す る機器)にて Class II の下顎頭の前方運動カー
5 顎変形症における顎関節の重要性
ブは Class I に比べ有意に長く,Class III の下 顎頭の前方運動や内方運動軌跡の角度は Class II や Class I に比べて有意に平坦である。また, Class III は Class II よりも有意に前方移動の変 化が小さいことが示されている28)。Zimmer ら は,Class II の関節結節後方斜面の急傾斜は下 顎頭の前方への力に対応して適応していると示 唆している。Class II 咬合と大きな水平被蓋の 患者は前歯を咬合させるために,下顎前方運動 範囲を大きくとらねばならず,このことがさら 図 4. 顎変形症(下顎前突症)における関節円板の分類 A)円板前方転位
(Anterior displacement),B) 前 方 型(Anterior type)C) 全 被 覆 型 (Fully-covered type),D)後方型(Posterior Type).MR 画像検査は,
GE 社製 Signa1.5Tesla MRI 装置と 3 インチ Dual Surface Coil を用いた. 水平断にて下顎頭最大径を描出する像を選択し,下顎頭内側極と下顎頭 外側極を結んだ下顎頭長軸に垂直な矢状断スライス面上にて,閉口位 (TR2000/TE20,スライス厚 3 mm,スライス間隔 3 mm),開口位(TR1000/ TE20,スライス厚 3 mm,スライス間隔 3 mm)として撮像を行った.
に前方位を促進する28)。
下顎前突症の咀嚼運動では,左右非対称を伴 う Class III 症例は左右対称の Class III 症例よ りも顎関節内障の発症率が有意に高いことから も区別して扱う必要がある21)。非対称を伴う 症例では,非対称な矢状顆路角,前方下顎頭軌 跡の長さ,湾曲においても非対称であると報告 されている29–31)。それ故,下顎前突症の顎骨形 態と顎運動機能の関係を,左右対称性を考慮し 評価することは重要であると言える。 VI.各顎顔面骨格形態型における 顎関節の応力解析 生体力学的負荷が成長において骨や関節の外 部,内部形態を決定する要因であることはよく 知られている32–34)。O’Ryan と Epker は異なっ た顎顔面骨格型の顎関節の負荷様式は同じでは ないことを提唱した35)。Class I,Class II 開咬, Class II 過蓋咬合の下顎頭骨梁パターンを通し て,機能時負荷様式は有意に異なっていると推 察した。しかしながら,彼らの研究では骨梁構 造だけを検索したのみで,顎関節円板は扱って いない上,力学的解析の裏付けもなかった。 顎関節は負荷対応器官とみなされており,下 顎運動機能時には明らかに生体負荷を受けてい る。機能時の顎関節負荷は,顎関節軟骨の発達 にも重要な役割を担っている。顎関節に関する 生体力学研究は様々な方法で行われてきた。主 に有限要素法(FEM)を用いた下顎頭運動や 応力変化に関するものが歯科領域では広く行わ れている36–41)。しかし,顎変形症の顎関節に 関連した研究はなかった。Tanne らは,3 次元 FEM を 用 い gonial angle,mandibular plane angle が大きい骨格性開咬症例では標準的咬合 のモデルに比べ下顎頭では 2 から 5 倍,関節 窩では 1.5 から 4 倍大きい負荷が生じ得ること を示した42)。正面頭部X線規格写真を用いた FEM の 結 果 か ら Buranastidporn ら は, 顎 関 節症状のある側と正面での occlusal plane の傾 斜の程度に有意な関連性を見出した43)。しか し,多くの研究での有限要素モデルはある 1 例 の典型的な正常咬合,骨格を有する症例の顎関 節画像情報を基に作製されており,顎顔面およ び咬合様式により顎関節形態が異なることを考 慮していない。FEM では多くの材料定数を設 図 5. A)軸位頭部X線規格写真での下顎頭長軸水平角.B)(+)角度増加方向は内方回転で増加,(−) 角度減少方向は外方回転となる.
7 顎変形症における顎関節の重要性 定する必要があり,Buranastidporn らの研究 でも一つのモデルを用いて顎関節部の形態は一 定に,咬合と下顎骨体部の位置と傾斜を変えて 行った結果であると推測される。一見,非常に 綿密に解析が行われているように見えるが,計 算力学解析では実際に,現実との精度の差異を 知るすべはなく臨床的な知見でのみ整合性を検 討するしかないのが現状である。 一方,剛体ばね理論モデル(RBSM)を用い て(図 6),Class III の顎関節応力と顎関節形 態の関連性を検討した結果,円板形態,位置 が顎関節に加わる負荷の方向に一致する可能 性を見出した44)。また側面頭部 X 線規格写真 を用いた顎顔面骨格形態の分類 Class I, II, III と,顎関節に生じる負荷方向の傾向が力学的解 析により示唆された。つまり Class II の下顎頭 の応力方向は Class I に比べ前方に向く傾向に あり,Class III は Class I よりも上方に向く傾 向があった45)(図 6)。これらの所見は,過去 の顎顔面形態,咬合様式による顎関節症状の発 現頻度に関する報告との整合性を示唆するもの であった。顎関節円板の役割の一つに応力干渉 作用があると考えれば,Class II 症例の円板前 方転位症例が多いという事実も力学的な適応に 図 6. A)剛体ばね理論(RBSM)による顎関節応力解析 咀嚼筋全体の力(Pm),歯列での反力,下 顎頭応力の大きさ(Ph),方向(Ah)が算出され,力学計算過程でのパラメーターが出力される.B) アングル不正咬合分類による顎関節応力の方向 Class II の下顎頭の応力方向は Class I に比べ前 方に向く傾向にあり,Class III は Class I よりも上方に向く傾向がある.
よるものとも考えられる。また,正面頭部X線 規格写真を用いた研究で,左右非対称を伴った Class III 症例では両側の下顎頭にかかる応力 方向の差が,下顎骨偏位の大きさと相関するこ とがわかった46)。これらの研究は,顎関節円 板と下顎頭位置,形態が顎顔面骨格と咬合を考 慮した時に正常かどうか判断する上で一助にな ると思われる。 VII.術後下顎頭位 Luhr らは外科矯正手術の下顎枝矢状分割術 において,下顎頭復位装置の使用を提唱した。 本装置は両側の下顎頭を中心位におくことを確 実に行い,咬合スプリントと顎間固定によって 咬合を確立するのに必要なものであると述べて いる47)。しかし,中心位をどのように記録す るのか詳細は述べられていない。歯科領域にお いて,中心位とは関節窩内で下顎頭が最上後方 に位置する下顎位であるとしている。この位置 は,義歯などの補綴治療,インプラント治療を 必要とする無歯顎患者の機能回復治療において 使用される。中心位という概念は歯科独特の機 械的視点を基盤とした古い概念であり,義歯作 製を始点として発展してきて以来,約 26 もの 異なった定義があるとも言われている。それは 生理学的位置ではなく再現性を考慮した境界位 置とも言える。Long centric は中心位接触と咬 頭嵌合位の間で,咬頭干渉がなく,また咬合高 径を変えることなく,中心位かあるいはそのわ ずか前方に下顎が開口する自由域のことであ る48–53)。そもそも中心位とは本来,下顎骨周囲 のあらゆる筋力がバランスをとった中立の位置 で存在する。よって,顎骨が分割されることは 一切想定されていない。下顎枝矢状分割術では, 1 つの遠心骨片,左1側右 1 側の近位骨片の 3 つの骨片に分割され下顎頭と歯列の位置関係が 変化するにもかかわらず,中心位とういう概念 を当てはめようとするところに無理がある。 下顎頭復位装置の使用により下顎頭位が完全 に再現されることは筋弛緩薬投与下では一時的 に可能かもしれないが,骨片の移動により完全 に筋肉の付着位置,走行が変化するため術後筋 力が発生した状態では困難で,その効果にも議 論が多い5,54–56)。Costa らは,多くの論文を検 証し術前の中心位の再現を目的とした下顎頭復 位装置の使用に科学的根拠はないと結論付けて いる57)。この概念には術後の顎関節の力学的 因子の変化や生体適応能力が考慮されていな い。実際に,下顎頭位が術後変化するという報 告は多く,わずかに下顎頭位が変化しても顎関 節症状,顎運動機能に問題がない事が多い58–61)。 しかし,下顎枝矢状分割術で著しく下顎頭位が 変化した状態で骨片間の強固な固定を行った場 合には,強固でない固定法を行った症例に比べ 顎関節症状の発症率が高くなったとの報告もあ る61,62)。過度な下顎頭の変位が生じた状態での 強固な骨片固定により顎関節の適応範囲を逸脱 する可能性もある。 VIII.術後下顎頭水平角 下顎頭長軸水平角も下顎頭位の変化を見る 上で重要であり,Class III 症例に対する SSRO 後に下顎頭長軸水平角は増加する傾向があるこ とが報告されている63–65)(図 7)。しかし,我々 は骨片固定法を調節することで下顎頭復位装置 を使用しなかったが,術前後で下顎頭長軸水平 角,下顎頭内外側,前後的位置においても有意 な変化は認められなかった66)。術後顎関節症 状も軽減できた。極端な下顎頭位,下顎頭長軸 角変化が生じなければ,完全な下顎頭復位は必 要としないことが示唆された。一方,IVRO に おいては,下顎頭長軸水平角は減少することが 判明した67)(図 7)。IVRO は顎関節症状を減 少させるだけでなく関節円板前方転位の改善も 得られる。Westesson らの示した下顎頭長軸水 平角が大きい顎関節に円板前方転位や退行性変 化が出現しているという報告8)を考慮すると IVRO による下顎頭長軸水平角の減少は,より 生理的状態に顎関節を導いている可能性がある。
9 顎変形症における顎関節の重要性 IX.術後顎関節円板位 関節円板と下顎頭の位置関係は顎関節形態 を評価する上で非常に重要である。Class II 症 例での SSRO による下顎前方移動術後の顎関 節 MRI で の 評 価 で,Gaggl ら は 術 前 38 関 節 の関節円板前方転位が術後は 28 関節に減少し たと報告しているが68),Saka らは術中に下顎 頭を関節窩の中心に固定させなかった群では 28 関節中 15 関節,下顎頭を関節窩の中心に 固定させた群では 28 関節中 3 関節で関節円板 が正常(生理的位置)から前方転位となった と報告している69)。一方,Class III 症例での SSRO による下顎後方移動術では,顎関節円板 の位置を有意に変化させたという報告はなかっ た。Gaggle らの報告が SSRO において唯一関 節円板の位置の改善を見たとする報告である。 Class II 症例で下顎前方移動を行い強固に骨片 固定された場合に下顎骨の後方への後戻りの力 により下顎頭は関節窩の後上方に位置しやす い。Class II の関節空隙は比較的大きいことも, 関節円板組織の可動性を容易にしていると思わ れる。このことは Saka らの報告で裏付けられ ている。円板の前方位をとりやすい Class II の 顎関節円板は SSRO 後にさらに前方転位を生 じやすくなったものと思われる。Class III で は下顎骨長が大きいため上下顎中切歯間で最大 開口距離を得るのに下顎頭の蝶番運動だけで滑 走運動距離が少なくても可能である。アキシオ グラフの下顎頭の前方移動の軌跡でも,Class III は Class II に比べ有意に短いことが証明さ れている37)。つまり,SSRO 後の下顎頭運動 は Class III では比較的制限されていることも 術後の関節円板位の変化が生じない原因の 1 つ と考えられる。
一方,IVRO では Condylar sag と言われる 下顎頭の前下方への位置変化が術直後に生じ, 経時的に復位傾向を示すが,下顎頭位が術後明 らかに術前とは異なる症例が存在する67)。こ のような症例では IVRO 後には関節円板前方 転位の改善を生じ得る事が示されている(図 8, 9)。術後の下顎頭位は術前のそれと同じである べきという仮説が真実であれば,関節円板前方 転位の改善は得られなかったと考えられる。 X.顎関節症状 顎変形症患者における顎関節機能障害の兆 候,症状に関して多くの報告がある16,70–72)。様々 な報告から,特に Class II 症例と左右非対称 症例の偏位側では顎関節の円板前方転位,退 行性変化を有しやすい傾向があると考えられ る14,15,17)。外科矯正手術での顎関節症状の変化 に関しても多くの報告がされている。我々の調 査 で は,IVRO 後 に 88 %,SSRO 後 に 66.7 % の顎関節症状改善を認めた73)。SSRO は IVRO よりも顎関節症状の改善率が低いと言える。し かし SSRO でも顎関節症状を改善し得る。こ のことは,顎関節症状が円板転位だけに依存し ていないことを示しており,円板転位関節の下 図 7. 術後下顎頭長軸水平角の変化 A)下顎枝矢状分割術(SSRO)後には内方回転を,B)下顎枝垂 直骨切り術(IVRO)後には外方回転を生じる傾向にある.
顎頭と円板の位置関係の是正が必ずしも必要で はないと考えられる。 XI.術後の咀嚼運動と下顎頭軌跡 外科矯正手術は形態的だけでなく機能的改善 図 8. 非対称を伴う下顎前突症の口腔内写真 A)術前,下顎が前突し左方偏位している.B)術後, 上下咬合関係は正常咬合に改善した. 図 9. 図 8 の症例の左側顎関節矢状断 MRI A)左:術前閉口時,関節円板は前方転位している.右: 術前開口時,関節円板は復位していない.B) 左:術後閉口時,関節円板は前方型に改善している. 右:術後開口時,関節円板は復位している.撮影条件は図 4 に同じ.
11 顎変形症における顎関節の重要性 も治療目標と考えられている。しかし Aragon ら,Boyd ら は SSRO に よ る 下 顎 骨 前 方 移 動 術後には下顎の前方,側方運動は術前のレベ ルには回復しないと報告している74,75)。一方, Nagamine らは下顎前後的滑走運動と側方滑走 運動域は Class III 下顎後方移動術後に有意に 増加したと報告している76)。Youssef らは咀嚼 時の滑走運動域と咀嚼運動が術後変化したと述 べている77)。習慣性咀嚼運動軌跡の解析では 咀嚼パターンの有意な変化は生じなかったが, SSRO および IVRO 後の下顎頭長軸水平角の 増加が下顎側方運動域,切歯路角の増加と有意 に相関していたことが示された78)。また下顎 非対称症例に対する IVRO での下顎偏位の改 善後に,下顎頭滑走運動距離と下顎頭位の改善 も生じ得ることが示された。つまり IVRO 施 行後,下顎頭位の変化により顎関節機能を改善 させることができる79)。 XII.外科矯正手術前後の顎関節応力解析 外科矯正手術において顎関節の応力解析を 用いた手術シミュレーションに関する報告は なかった。そこで,我々は剛体ばね理論をも ちいた顎関節応力解析をもちいた手術シミュ レーションを開発してきた80)。側面頭部X線 規格写真を用いたモデルでは下顎骨移動術後に は,下顎頭の男に加わる応力の大きさ方向が変 化することが明らかになり,計算力学上の変位 量が手術シミュレーションにおける何らかのパ ラメーターになることが示唆された97)。正面 頭部X線規格写真による下顎骨非対称の左右側 顎関節応力の結果から,顎関節の負荷の大き さ,角度の左右差が顎骨非対称に関連している ことが示唆された。また,外科矯正手術により 顎骨および咬合の改善を行うことで,左右顎関 節の応力バランスが改善されることが示唆され た81)(図 10)。 顎関節の形態は生体力学に左右される可能性 がある。それゆえ外科矯正手術シミュレーショ ンは単なる画像情報だけでなく力学的情報を加 味するべきであると考えられる。 図 10. 下顎非対称(下顎左方偏位)正面頭部X線規格写真を用いた顎関節応力解析 A)術前,顎関節 の応力は非偏位側が偏位側よりも大きく,両側ともやや偏位側方向に傾いている.B)術後,偏 位側,非偏位側の応力の大きさは均等になり,上方に向いている.
XIII.結 論 近位骨片復位装置による術前の下顎頭位の復 元は,術前の下顎頭,関節円板,関節窩の位置 関係が術後も変わらないという固定概念に起因 している。咬合と様々な筋肉の付着する顎骨の 位置が変化するということは顎関節に加わる応 力分布も変化するということである。熟練した 口腔外科医は近位骨片の位置決定において,近 位骨片の応力の大きさや方向を感じとり,以前 の経験からくる下顎頭の位置を覚えている。下 顎頭復位装置使用による煩雑さだけでなく,顎 関節の適応能力や単に位置情報だけで術後下顎 頭位が決定されることへの疑問から,最近は装 置を使用しない施設が多い。精度の高い 3DCT による手術シミュレーションにおいても,顎関 節,下顎頭位に関しては術前と同じ設定で行わ れている。しかし,より好ましい術後の関節円 板,下顎頭長軸水平角を含めた下顎頭位は,術 前のそれとは明らかに異なる。顎関節症状を有 する顎変形症患者や非対称症例などにおいて顎 機能の改善を目指す場合には特に考慮すべきで ある。過去の文献と我々の研究から最も好まし い顎関節は力学的に安定した下顎頭と円板の位 置関係を有する必要があると考えられる。つま り,術後の応力集中が最も小さくなるよう分散 し退行性変化を生じさせない位置であり応力対 応によるリモデリングが最小限で達成し得る位 置である。今後,顎顔面形態と咬合だけでなく 術後の顎関節適応能力まで数値化し予測できる 外科矯正手術シミュレーションの開発に期待し たい。 謝 辞 本総説内容の研究に携わっていただいた先生 方,資料を提供していただいた患者様に深く感 謝するとともに,歯科口腔外科の臨床に関する 文章を掲載していただきました山梨医科学雑誌 の関係各位に感謝いたします。 文 献
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