が︑そこではやはり近世初期の問題に限定されており︑この次の時代になるとどうなるのか︑その展開への著者の見解を知りたいところである︒とりわけ︑次第に主役の座から去ることになる仏教は︑その後どうなるのであろうか︒もし吉宗が﹃開運録﹄を受容しているとすれば︑仏教が権力のイデオロギー的基盤として消滅するわけでもなさそうである︒そのあたりのきめ細かい検討が次の課題となるであろう︒ 青野正明著
﹃ 帝 国 神 道 の 形 成
││ 植民地朝鮮と国家神道の論理 ││﹄
岩波書店 二〇一五年七月刊A5判 ⅵ+三七九+一五頁 六〇〇〇円+税
菅 浩 二 表題の﹁帝国神道﹂の語が目を引く︒副題によればその﹁帝国神道﹂形成は﹁植民地朝鮮﹂および﹁国家神道の論理﹂と関係するとみられる︒本書の劈頭に︑この点に関する著者・青野氏の課題意識が︑次のように端的に記されている︒
本書の課題は次のとおりである︒すなわち︑朝鮮総督府の神社政策の分析を通じて︑植民地朝鮮における神社神道の変容を帝国史的な視野で捉える︒帝国史的な視野に立つとは︑神社神道と国民教化との関係を見るうえで︑帝国日本という視野の中で︑国民国家として単一民族のみならず多民族的な帝国主義的ナショナリズムの形成をも見据える立場である︒
この立場から︑本書では植民地朝鮮において︑変容する神社神道が天皇崇敬システムと結びつく地点から国家神道の論理を抽出し︑その論理の実体化が試みられたことを論じていく︒それは﹁内地﹂ではベールに覆われて見えにくかった国家神道のより本質的な姿︑つまり多民族帝国主義
Ⅱ 国家神道論理の実体化││一九三〇年代後半第四章 天照大神と神社・神祠の統制││朝鮮版神社整理第五章 ﹁洞祭﹂をめぐる神社政策
││増設のための﹁洞祭﹂利用言説付論 植民地朝鮮における﹁類似宗教﹂概念 ││国家神道の論理により排除される信仰者の群れ終章 民族宗教の枠を超える帝国神道論
神社非宗教行政は︑紆余曲折を経て明治中期に制度的に確立した︒しかしその後も︑神社が宗教という私的次元を超えているのか︑宗教に値しないのか︑世俗道徳か︑単なる国民儀礼か⁝をめぐる多重な﹁非宗教﹂解釈が共存し︑更には神社非宗教論と宗教論の間のせめぎあいも続く︒多民族帝国・日本が成立する時代のこの状況を視野に入れつつ︑評者はかつて一九一〇︱二〇年代の朝鮮における神社・宗教政策について︑大正十四︵一九二五︶年の官幣大社朝鮮神宮鎮座に向かう時期の祭神論︑特に皇祖神と檀君に焦点を当てて研究を行った︒本書も言及する︵五六頁︶ように︑朝鮮神宮鎮座の直後にはその初代宮司に対し︑総督府内務局長が神社による思想善導や朝鮮神宮創建そのものすら﹁時代錯誤﹂のように語り︑両者が激論となった事実もある︒しかしこの事実が象徴する神社行政の形骸化から十数年後には︑総督府は神社参拝による社会教化を強制的に試み具体化している︒この間に一体︑何が起きていたのか︒日本︑朝鮮︑宗教︑神道︑政治︑思想︑社会︑そして帝国︑国民国家︑植民地︑民族⁝と︑様々な主題意識からのアプローチが可能な 的ナショナリズムに立脚した国家神道の姿を露わにする作業でもある︒このような姿の国家神道を本書では﹁帝国神道﹂と呼ぶ︒ ︵一頁︶
著者はこの課題意識に基づき︑一九三〇年代の朝鮮総督府下の神社政策および関連する宗教政策等の立案・成立および展開過程とその影響を︑本書における解明と考察の主要な対象とする︒焦点となるのは︑一九三五︵昭和十︶年に提唱され翌年に本格化する総督府﹁心田開発運動﹂︑および同じ一九三六年の京城神社・龍頭山神社の国幣小社列格と神社制度改編︑そして﹁神社﹂および小規模の﹁神祠﹂︵本書で﹁神社施設﹂と総称︶と﹁洞﹂即ち村落を単位とする祭祀の扱いである︒加えて著者は︑これらの動きを生み出す母体となった農村振興運動や︑また後の﹁皇民化政策﹂期の状況にも︑課題に沿う範囲で目を配っている︒宇垣一成総督により導入された﹁心田開発﹂とは︑農村振興運動を承けつつ︑朝鮮民衆の信仰心の向上そして﹁宗教復興﹂により︑自力更生の実を上げようとした運動である︒
本書の構成は以下のとおりである︒ 序章 帝国史における国家神道Ⅰ 国家神道論理の形成││一九三〇年代前半第一章 農村振興運動期の神社政策││﹁洞祭﹂への関心第二章 国体明徴と心田開発運動
││国民統合を目指す神社政策第三章 ﹁敬神崇祖﹂と国家神道の論理の確立 ││皇祖神に﹁帰一﹂する始祖神
い︒だが︑崔南善が提唱する朝鮮中心の汎東アジア的な祭祀文化観と朝鮮神職会の対抗関係のように︑朝鮮在来信仰と神社との起源共有の主張も一様ではなく︑同時代的な政治的駆け引きに対応していたこと︑祭祀による農村集落民統合の思想から試行された政策展開と江原道の事例︑その動向がやがて︑第四章後半部で論じられる﹁一面一神社﹂に向かう経緯が︑資料を駆使して提示される︒先行研究が殆どない部分に関する先駆的な考察であり︑今後大いに参考とされるべきであろう︒
第五章の前史となるのが︑第一章である︒すなわち農村振興運動期に﹁敬神崇祖﹂に基づく村落祭祀への関心から︑日本人の神社施設と朝鮮人の洞祭の双方が注目され︑また満洲事変以降の時代的背景による﹁東亜民族﹂論の下に︑両者の共通起源論が徐々に前景化する︒日鮮同祖論的視座から︑神社祭祀の下に﹁古韓の神々﹂復活を主張した﹃神社と朝鮮﹄の著者小山文雄が︑総督府の神社行政担当者だったことはかねて論じられてきた︒一方︑筧克彦の影響を受け︑農本主義思想を持つ山崎延吉が農村振興運動の中で果たした役割とその活動の波及については︑新しい知識であった︒当時の農本主義とアジア主義には︑思想的広がりを共有する部分があり︑独自の活動的連携関係も存在していたので︑この方面での研究深化の手がかりを与えるものと思われる︒なお本書では神道思想家として︑筧克彦および加藤玄智の名前が随所で参照されているが︑この点についての評者の見解は後述する︒
次に第二章および第三章で論じられている﹁国魂大神﹂についてである︒評者は朝鮮神宮祭神論における檀君奉斎論の延長 がら︑従来あまり明確ではなかったこの近代史の一階梯について︑著者は皇祖神崇拝と神社非宗教論とに注目しつつ︑朝鮮神宮祭神論争と十年後の﹁心田開発﹂と関わらせて論じる視点の重要性を述べる︒
﹁心田開発﹂は︑非宗教を標榜する統治権力が︑被統治者側異民族の精神世界に介入し生産性向上を目指す特異な動きであり︑本国政府の﹁国体明徴﹂声明とも重なって︑﹁皇民化﹂に向かい﹁外地﹂神社の性格が大きく変容する画期であった︒評者もかつて︑かかる﹁外地﹂の状況を概観し︑それが逆に﹁内地﹂社会に及ぼした影響の可能性にも触れたが︑大枠によって示唆する以上のことはできなかった︒しかし本書では︑総督府の政策や︑神道家や官僚らの言説が︑当時の朝鮮社会に内在する諸要因と如何に関わったか関わらなかったのか︑特に村落社会の祭祀・信仰︑祖先祭祀とどのように切り結んだのか︑そしてそのことの﹁内地﹂への影響について︑いくつかの重要な指摘が為されている︒資料的制約の中で著者が続けてきた探究・試論の成果がまとめられ︑その内的要因や構造にも光が当てられたことを喜びたい︒
本書が提示する見解の中で︑評者の視点から重要かつ学ぶべきと思われるいくつかを記してみよう︒評者が最も関心を持って読んだのは︑第五章﹁﹁洞祭﹂をめぐる神社政策﹂である︒﹁天地神壇﹂祭神の﹁天地大神﹂が︑神社神道における神の総称としての﹁天神地祇﹂と重なると解釈された︵二六五頁︶となぜ言えるのかなど︑記述に個別の疑問点がないわけではな
理由を正当化できるに足る相当な考証が附随しなくては︑このような﹁一座への変更﹂は通らない話だと思われる︒仮に﹁外地﹂においては︑このような﹁変更﹂が儀礼上の簡素化という理由と書類上の手順とで可能だったとすれば︑そのこと自体が極めて﹁モダニズム﹂的かつ﹁帝国神道﹂的な問題だ︑ということになるだろうか︒
付論﹁植民地朝鮮における﹁類似宗教﹂概念﹂においては︑宗教行政と公認団体以外の宗教系団体との関係について︑著者は︿取締り﹀と︿懐柔﹀の二つの分析枠組みを設定する︒白白教事件のような極端な例もあり︑秘密結社に対する行政側の︿取締り﹀は治安と秩序維持を目的とする問題として︑その枠組み設定に納得がいく︒だが非公認団体に対する︿懐柔﹀は︑どこへ向かうものなのか︒副題に﹁国家神道の論理により排除される信仰者の群れ﹂とあるので︑その﹁論理﹂による排除から包摂の方向へ向かう︿懐柔﹀なのであろうが︑当方の不勉強もあり今一つ理解が進まなかった︒しかしながら朝鮮統治において形成された﹁類似宗教﹂概念と用語が︑文部省に逆輸入された可能性の指摘は︑大変興味深い︒
ともあれ︑かつてまま見られた︑天皇・皇祖神崇拝の強要ばかりを植民地統治と神社の関係の本質として強調し告発する一方で︑そのような事態がどのように導かれたのか︑についての具体的な検証は欠如したままの政治的決めつけが︑学術の世界でもまかり通った状況は︑もはや過去のものとなりつつあることを実感する︒特に当初移住した﹁内地﹂日本人の崇敬対象として設立され︑制度が導入された朝鮮の神社が︑﹁非宗教﹂行 に︑内地と朝鮮を貫く国幣小社の論理を提示した上でこの神格を論じたので︑もっぱら檀君あるいは﹁始祖及建国有功者﹂の読み替えとしての﹁朝鮮国魂神﹂が﹁朝鮮﹂の国名を外され︑地方化した神名とみなしていた︒それに対し著者はこの﹁始祖﹂を︑朝鮮人の﹁崇祖﹂の観念的対象と捉え︑その﹁祖﹂が帰一する対象が天照大神である︑という﹁敬神崇祖の論理﹂を読み取る︵一六五頁︶︒ここでも筧克彦の神道説が参照されているが︑また穂積陳重と柳田国男の祖先祭祀論にみる﹁国家﹂﹁共同体﹂﹁家﹂の三つのレベルを︑︿皇祖神﹀︿氏神﹀︿家の祖先﹀の三種の祭祀対象と読み替える視点も援用されている︒この三つのレベルは︑評者が研究対象とする経済学者・難波田春夫が戦時期に提唱した﹁家・郷土・国体﹂の三重構造論とも重なる︒
なお一九三六年の京城神社・龍頭山神社の列格に関し︑評者は総督府の当初案の資料のみを参照して﹁天照大神と国魂大神が一柱ずつ別座に奉斎されている﹂と記述したが︑これは著者が指摘する通り︵一二四頁︑一七一頁︶評者の誤認である︒実際には列格前に主神は一座に改められている︒しかし京城神社・龍頭山神社とも︑天照大神と国魂大神は別個の神体を以て祀られている︑と読むことができる資料がある︒個別の神体を以て祀られる複数の神格全体を﹁一座﹂と改める例について︑著者は台湾の嘉義神社が国幣小社に列格した際の神祇院資料を挙げ︑書類上の﹁修正﹂により奉幣の対象を儀礼上も簡素化させる︑という手順か︑としている︵一七六︱七頁︶︒だが神社祭祀論からすれば︑ことが皇祖神にかかわる重大事でもあり︑
だ︒ましてや国家神道体制のもとで帝国神道が形成され︑神社神道は皇祖神に﹁帰一﹂する天皇制イデオロギーとしての言説へと変容を遂げた経験までも有している﹂とする︒そして﹁民族宗教を自称しながら︑単一民族主義ナショナリズムを担う存在意義を主張﹂する神社神道は︑﹁多民族帝国主義的ナショナリズムを目指した国民教化を担う帝国神道期を経た経験﹂を論理的に克服する道を模索しながら︑国際化に対応すべきである︑とする︵三五四︱六頁︶︒
﹁多民族帝国﹂において土着性と国民教化が相反する方向に向かい︑神社がその相剋の場となった事実︒この歴史から目を背けて︑神社神道の﹁国際化﹂などあり得ないのは︑その通りであろう︒神道が日本の土着文化の要素を含んでいたとしても︑現代日本の神道は﹁先住民性﹂﹁固有性﹂を表象しているとは言えず︑逆説的な﹁文明化された先住民宗教﹂の様相を呈しているとの解釈もある︵木村武史﹁気候危機の時代の哲学へ││地球への土着性の覚醒と宗教としての神道﹂﹃共存学3﹄弘文堂︑二〇一五年︑所収︶︒﹁神道とは何か﹂﹁日本の民族宗教だ﹂のような本質還元論が︑ここで意味を為さないことも︑もちろん理解できる︒
ただし︑神社神道が実体ではない︑とは︑文脈からすれば﹁これは神社神道である/ではない﹂との判断は︑過去を参照しつつも常に共時的な言説空間において為されているに過ぎず︑その範型は現在からの仮象であり︑時間を遡っても原初に不動の実体として存在したわけではない︑という意味であろう︒そうでなければ︑本書第Ⅱ部の﹁国家神道論理の実体化﹂ 政の範疇に留まることなく︑支配者側の﹁宗教﹂的文化としても在来の農村集落社会に影響を及ぼそうとした具体的過程については︑今後いかなる研究者も︑本書が指摘した諸点を無視して論じることはできないであろう︒
しかし︑そのような研究史上の本書の重要性と︑本書が掲げる課題の評価︑そして本書の論理構成の評価とを別に考えたい︒結論を述べれば︑評者は著者が主題で掲げる﹁帝国神道﹂という新たな問題設定に賛同するし︑本書がその設定に沿う形で︑その﹁形成﹂過程について︑諸々の重要な問題提起と指摘を行っていることを高く評価する︒しかしながら副題にある﹁国家神道の論理﹂に関し︑本書の考察は不十分であるように思う︒﹁国家神道﹂の語が人口に膾炙しているが故に︑この語を用いてその﹁論理﹂の形成・確立・実体化を論の構造とするのであれば︑より精度の高い議論が求められると考える︒この点は︑評者と著者の﹁立場の違い﹂のような問題に相対主義的に還元すべきではない︑重要な学術的課題をも含んでいると思われる︒
著者は本書結論部分で︑﹁神社神道が日本人の民族宗教であるとする主張﹂の問題点について論じている︒大濱徹也が﹁国家の祭祀体系﹂と開拓民の﹁大地の祈り﹂を対峙させ︑後者︵土着性︶を﹁日本人の神まつりの原初的形態﹂と述べていることを批判し︑﹁実体をともなう神社神道像が自明化される傾向にあるが︑実は神社神道は実体があるものではなく︑﹁原初的形態﹂︵大濱︶のように言説空間の中で想起されるものなの
ョナリズムに基づく土着信仰包摂﹀の試みでも良いのであって︑わざわざ﹁国家神道の論理﹂と呼ぶ必要性があるようには思えない︒極めて煎じ詰めれば︑本書における概念措定の不安定さは︑著者が序章で︑植民地を含む﹁国家神道﹂の論理の解明という課題を設定するうえで依拠している磯前順一と︑考察範囲を限定するため︑朝鮮神宮祭神論争評価に対する批判的参照の対象とした中島三千男の間の﹁国家神道﹂概念の差異を︑十分に吟味できていないことによるのではないか︵この部分の記述には評者の名前もあるが︑評者は﹁国家神道﹂概念を用いていない︶︒
管見の限り︑磯前と中島はどちらも︑﹁内地﹂のみならず帝国規模での神社神道の展開を論じている︒そして酒井直樹および西川長夫の議論を手掛かりにしていることの説明︵二九頁︶に示される通り︑磯前の議論にみる﹁国家神道﹂は今日のポストコロニアル状況から多民族帝国たる敗戦前の日本の内部社会全体を見渡し︑抽象化した上に成立している︒したがって彼の﹁国家神道﹂概念は︑植民地の多くの神社における事象を含んで︑むしろその多民族帝国ナショナリズムから﹁内地﹂︵および﹁戦後﹂日本︶の単一民族ナショナリズムをえぐり出す方向に議論が向いている︒一方︑中島の研究では﹁国家神道﹂は︑ほぼ近代日本の資本主義的発展とともに﹁内地﹂においていったん成立した体制が︑改めて多民族帝国の成立・展開に応じて拡張し︑地歩を論理的に確立して行く︑との方向で議論が展開しているように思う︒両者の﹁国家神道﹂は重複する部分もあるだろうが︑その内的ベクトルが異なっている︒少なくとも中 という題名自体︑︵著者自身が本書の議論を通じて﹁実体化﹂を図っているという以外の︶理解が難しくなる︒著者は﹁国家神道﹂を﹁神社を通して天皇制ナショナリズムを国民に教化しようとする戦前の社会体制﹂とし︑本書で﹁神社神道における宗教性の揺らぎ具合を跡づけ﹂ると述べている︵一八頁︶からだ︒ 評者はかねて︑この﹁国家神道﹂概念は研究の進捗に伴い︑今日では極度に肥大化しており︑この概念を用いた学術的コミュニケーションが有効に作用するためには︑その分節化が必要である︑と述べてきた︒また﹁国家神道﹂の語は︑学術上の目的に照らし︑近代日本宗教史を論じるうえで包括的概念が必要であり︑文脈上その効果が十分なことを明確にした上で用いなければ︑却って議論をあいまいにする︑との﹁目的・効果基準﹂を提唱している︒国内外の研究者が︑近代日本宗教史のある部分を大づかみにする上で共通語彙が必要だ︑という場合などは︑未だこの基準に見合うと考える︒本書とも関連する著者の共著書﹃植民地朝鮮と宗教││帝国史・国家神道・固有信仰﹄︵三元社︑二〇一三年︶の用例も︑そうした例であると思われる︒評者自身も英語論文等で用いた例はあるが︑自説が誤解を受けないという自信があまりないので︑基本的には使わない︒
さて副題に現れ︑その形成と実体化が議論の背骨となるはずの﹁国家神道の論理﹂について︑本書におけるその概念措定はかなり不安定であるように思う︒少なくとも第五章を読む限り︑その歴史動態を通じて何かが実体化しようとしていたとしても︑それは︿共同体祭祀の東アジア的共有﹀や︿多民族ナシ
物である︒本書では終章でも﹁一九三〇年代において筧の﹁古神道﹂言説︑祖先を神格化する加藤の神道論︑筧の影響を受けた山崎の農民版﹁天皇帰一﹂論が強い影響力をもって朝鮮に流入していた﹂﹁その結果︑他の﹁外地﹂以上に︑植民地朝鮮では神社神道が皇祖神崇拝を中心とする天皇崇敬システムと結びつくことになる﹂︵三五〇頁︶と︑あたかも︿筧克彦決定論﹀の如く︑その思想が当時の朝鮮の神社思想と実践を塗りつぶしたかのように語られるが︑これは妥当な評価なのだろうか︒
例外者的立場にあった人物の影響らしき用語を帝国のフロンティアに見出し︑当時の朝鮮の神社行政が特異な熱を帯びていたかのように錯覚している訳ではないと思うが︑資料的制約もあるので不安は残る︒他に参照されている神道思想家が︑活発な活動家ながら明らかに神社関係者の主流ではない小笠原省三や川面凡児くらいであり︑それも表面的な参照しか為されていないことも気になる︒筧や加藤の神社宗教論的言説︑特に筧の所説が︑強くこの時期の朝鮮に独占的に影を落としたのだとすれば︑その原因は何なのか︒個人間の影響関係はもちろんのこと︑それ以上に︑中心/周縁︑全体/部分︑一般/個別のような重層的相関の構図を踏まえ︑社会構造からその原因を論じることも必要であろう︒逆にその原因こそが︑まさに著者のいう﹁帝国神道﹂形成の重要な要因だったのではないか︒
ともあれ︑本書による問題提起により︑評者のナショナリズムと宗教研究の一つの課題として与えられた﹁帝国神道﹂概念の有効性・有用性という問題を︑今後も考えていきたい︒ 島が朝鮮神宮鎮座を以て確立を確認した﹁国家神道の論理﹂は︑同じ言葉でも︑そもそも著者が求めている﹁論理﹂とは重なっていない︒
著者の主題である﹁帝国神道﹂の形成を論じるにあたり︑﹁国家神道﹂は必ずしも必要な概念ではないのではないか︒﹁国家神道﹂は基本的に今日の視座からの考察対象であり︑言説の多義性を織り込んだうえで︑尚且つ何かを確かに伝えることができる文脈で用いる必要がある︒またこの言葉には明らかに︑日本近代の特殊性を想定した含みがあるので︑国民国家や多民族帝国に関する近代ナショナリズムの一例として日本の事例を扱う場合︑注意を払わなければ日本特殊論の落し穴にはまる可能性もある︒そして﹁神社神道﹂や﹁宗教﹂概念も歴史の中で揺れ幅を持っているので︑神社神道に見る宗教/非宗教の線引きの揺れを記述するはずが︑﹁国家神道﹂の語を据えることにより︑逆に視座全体が持ち込み解釈によって振れてしまうことになりかねない︒
この点で︑先述のように筧克彦と加藤玄智という二人の︑特に筧の名前が本書のあちこちで参照されていることには︑注意を要すると思われる︒評者も︑朝鮮神宮鎮座当時の総督府地方課長・石黒英彦に筧克彦の影響があることや︑その石黒が台湾に異動したこと︑本書の議論と同時期の台湾総督府神社行政に︑加藤玄智の用語の影響がみられることを指摘したことがある︒二人はそれぞれ別個に影響力を持った学者ではあるが︑他方でどちらも当時主流の神社非宗教論解釈からは外れ︑国家エリート教育の現場に立ちつつも独特の立ち位置にあり続けた人