• 検索結果がありません。

贈与としてのケアの可能性 [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "贈与としてのケアの可能性 [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

贈与としてのケアの可能性

キーワード:ケアの倫理, 純粋贈与, 教師のバーンアウト, <やりがい>の搾取, 感情労働 教育システム専攻 郡山 翔平 【目次】 はじめに 1 部 ネル・ノディングズ 1. ケアリングとは 1.1. ケアリングとは 1.2. ケアする人の意識状態 1.3. ケアされる人の意識状態 2. ケアする人の搾取というケアリングへの批判 3. ケアする人の搾取問題に対するノディングズの反論 4. <やりがい>の搾取 5. 教師のバーンアウト 6. ノディングズの「自己へのケア」 7. ノディングズのケアの限界 8. ケアの倫理の研究動向 8.1. ケアの倫理への批判 8.1.1. ギリガンへの批判 8.1.2. ノディングズへの批判 8.1.3. ケアの倫理への批判の突破口 8.2. 海外におけるケアの倫理の研究動向 8.3. 日本におけるケアの倫理の研究動向 8.4. ケアする人のバーンアウトを防ぐための研究動向 8.4.1. コフートの共感 8.4.2. スピリチュアリティ 8.4.2.1. ノディングズとスピリチュアリティ 8.4.2.2.「知性的な信仰者」を育てる学習 8.4.2.3. 学校の日常のなかの「スピリチュアリティ」 8.4.2.4. ブーバー 2 部 矢野智司の贈与としてのケア 1. 矢野智司の贈与としてのケア 1.1. モースの贈与 1.2. 蕩尽としての純粋贈与 1.2.1. バタイユの消尽 1.2.2. 矢野の蕩尽としての純粋贈与 1.3. 非―知の体験と溶解体験 1.3.1. 非―知の体験 1.3.2. 溶解体験 1.4. 歓待―弔いの作法 1.4.1. 歓待 1.4.2. 弔い 1.5. 体験と経験 1.6. 深い記述 2. 矢野の教育とは 2.1. 矢野の教育とは 2.2. メディア 3. 矢野の純粋な贈与者としての教師 4. ケアの概念の曖昧さ 5. 贈与としてのケア 6. 純粋贈与の暴力性―『貝の火』の分析より― 7. 供犠 8. 西平直 8.1. 西平から矢野への批判 8.2. 西平のスピリチュアルケア 9. ノディングズのケアリングと「感情労働」としてのケア おわりに はじめに 本稿の目的は、ネル・ノディングズのケアリングをモース の贈与交換の応用だと捉えた矢野智司の論理を読み解き、 ケアにおいては純粋贈与と贈与交換の両方が生起している ことを認識し、両者の不当な縮小も拡張もせず、ケアの範囲 を定めることが重要であることを指摘することである。ケ アの贈与交換の側面ばかりが強調されれば、ケアに過剰な 感情労働が求められ、その結果としてケアする人がバーン アウトに至ってしまう危険性があると考える。感情労働と はアーリー・ホックシールドが述べている、感情をコントロ ールする必要のある労働のことである。一方ケアの純粋贈 与の側面ばかりを強調すればここにもバーンアウトに至っ てしまう危険性がある。ケアにおいて純粋贈与と贈与交換 の両方が生起していることを認識し、両者の不当な縮小も 拡張もせず、ケアの範囲を定めることは、教師のバーンアウ トを防ぐための示唆を得ることに繋がる。 ケアという言葉は、「気遣う」「心配りをする」「心遣いを する」「いたわる」「手助けをする」から、「育てる」「世話を する」「面倒をみる」そして「教育をする」「介護をする」「看 護をする」に至るまで、幅広く使われている。それは、人が 人に対してその人のために援助する多様な事象を表現する

(2)

言葉として機能している。しかも、このケアの対象は人に限 られていない。動物や植物などの生き物を含み、さらには芸 術家にとっての作品や研究者にとっての研究に至るまで、 その対象の成長や発展を願い、そのために専心できるすべ ての事象にわたる。 教育・介護・福祉・看護・医療など、人への援助に関わる 領域では、「献身」や「愛」の名の下に、ケアする人に対し て感情をコントロールする「感情労働」が強いられてきた。 一般にこれらの職場では、客にいつでもどんな状況でも笑 顔で接するように、と指導を受ける。どんな理不尽な要求に 対しても、自分の感情を抑えて接客することが求められる。 サービス業があふれる現代社会では、笑顔や元気さといっ た本来は商品ではないものが、事実上売られているのであ る。「心からの笑顔」「元気な声」「明るい表情」といった感 情をコントロールする必要のある労働を、ホックシールド は「感情労働」と呼ぶ。 感情労働はそれ以外の労働と比較して、バーンアウトに 至る危険性が高い。そのため教師、看護師、介護士などはバ ーンアウトの割合が高い職業である。これらのなかでも本 稿では、教師のバーンアウトを扱う。 教師のバーンアウトを谷島は「長期間にわたるストレス の結果、慢性的な情緒的消耗感の状態に陥り、同時に同僚や 児童・生徒との関わりを避けるようになり、達成感を味わう ことができなくなる状態」と定義している。また新井は「教 師が理想を抱き真面目に仕事に専心するなかで、学校での さまざまなストレスにさらされた結果、自分でも気づかぬ うちに消耗し極度に疲弊をきたすに至った状態」と定義し ている。 教師のバーンアウトの要因には、個人差的要因と環境的 要因がある。個人差的要因としては、教師の仕事は理想に燃 え、自我関与しなければ勤まらない仕事であるが、教師の仕 事に適性を持つ人がバーンアウトし易いということが挙げ られる。環境的要因としては、教師の仕事に切れ目が無い、 自分で自分の仕事をコントロールできない、孤立を起こし 易い、人を教える立場として疲れを口に出すことは恥だと いう教師文化、行政上の仕事が多く生徒との関わりが少な くなっている、家庭や地域からの過度の期待にさらされて いるなどが挙げられる。教師のバーンアウトの要因は多岐 にわたるが、これらのなかでも本稿では、教師が生徒を熱意 をもってケアすることによるバーンアウトを扱う。 本稿では、自身の数学教師としての経験に基づき、ケアリ ングを学校教育の中心に位置づけ直すことを提唱した、ネ ル・ノディングズの議論を検討する。初めてケアリングを理 論として体系化させたノディングズは、ケアリングの原点 とされている。 しかしながら、単にケアリングの重要性を教師に呼びか けたり、ケアリングを個々の教師の能力や技術の問題に還 元してしまったりすると、個々の教師の負担を増やすこと になり、結果としてバーンアウトを引き起こしかねない。 ケアリングへの批判として、ケアする人の搾取というも のがある。これに対してノディングズはケアする人とケア される人の協力によってケアする人の搾取に対抗できると 反論するが、彼女には、本田由紀が提唱した、雇う側と雇わ れる側の共犯関係によって無意識的に成立する「<やりが い>の搾取」の視点が欠けているのではないか。「<やりが い>の搾取」とは、低賃金労働であるにもかかわらず、いろ いろなまやかしのやりがいがあり、従業員は自発的に自己 実現に邁進しているように見えるが、実は気がつかないう ちに搾取されているという状況を指す。ノディングズのケ アリングには雇い主は出てきておらず、雇い主と雇われて いる人(ケアする人)とのあいだにある搾取問題は考えられ ていない。ケアする人は雇い主との関係とケアされる人と の関係との両方の関係において、搾取される可能性がある。 本稿では、彼女に欠けた視点を補い、ケアリングの結果とし て生じるバーンアウトを防ぐ方法を模索する。彼女のケア リングがケアする人の搾取を招く理由は、彼女には金銭を 貰って職業としてケアリングを行うという視点が欠けてい たからではないか。これを補い、ケアにおいては純粋贈与と 贈与交換の両方が生起すると考えた矢野を参考にする。 矢野は、ノディングズがケアリングを「互酬性」の倫理と 定義していることから、これをモースの贈与交換の応用だ と捉えている。しかし他方、矢野は、ケアリングを互酬的な 贈与交換としてだけではなく、一切の見返りを求めない贈 与としても捉え、これを純粋贈与という言葉で表現してい る。また、彼は純粋贈与には暴力性が内在していることにつ いて述べている。だが、矢野は純粋贈与によってケアする人 が被る暴力性については論じておらず、これを本稿にて論 じることで矢野の論理をより発展させることができる。 第1 部においてはノディングズのケアリングとそれに関 連する研究について述べる。第2 部においては矢野の研究 から贈与としてのケアの可能性について述べる。 1 部 ネル・ノディングズ ノディングズは、ケアリングにおいてケアする人の意識 状態を「専心没頭」「動機づけの転移」という言葉を用いて 表現している。専心没頭とは、ケアされる人への開放的で、 選り好みをすることのない受け容れの状態を意味する。動 機づけの転移は、私たちを動機づけるエネルギーが、他者と 他者の課題に向かって流れ出すことを意味する。 ケアリングへの批判として、ケアする人の搾取というも

(3)

のがある。これに対してノディングズはケアする人とケア される人の協力によってケアする人の搾取に対抗できると 反論するが、彼女には、本田由紀が提唱した、雇う側と雇わ れる側の共犯関係によって無意識的に成立する「<やりが い>の搾取」の視点が欠けているのではないか。ノディング ズのケアリングには雇い主は出てきておらず、雇い主と雇 われている人(ケアする人)とのあいだにある搾取問題は考 えられていない。ケアする人は雇い主との関係とケアされ る人との関係との両方の関係において、搾取される可能性 がある。 本田は「<やりがい>の搾取」を構成する要素として 1. 趣味性2.ゲーム性3.奉仕性4.カルト性の4 つを挙げている。 本田によると、教師という職業は「<やりがい>の搾取」が 起き易い職業の1 つとされている。そこで、「<やりがい> の搾取」という視点から教師という職業を分析してみる。 1 つには、教師という職業を選んだ人には教師の仕事が好 きだったり、子どもが好きだったりする人が多い。これは本 田の言う1.趣味性に相当すると思われる。 また、部活動の指導に多大の時間を費やし、自分の健康を 損ねる教師がいる。これは指導の結果が試合などの成績と なって現れ、その成績が良ければ、指導教師の学内外での評 価が高まるということが一因ではないだろうか。これは、本 田の言う2.ゲーム性に近いのではないか。 また、自分の専門能力を発揮した結果が、そのサービスの 対象者である生徒に受けとめられることに喜びを感じる教 師は多いのではないか。これは本田の言う 3.奉仕性に相当 すると思われる。 ノディングズは、ケアリングの対象の種類の視点から、自 己をケアすること、内輪でのケアリング、見知らぬ人や遠く 離れた他者へのケアリング、動物や植物や地球をケアする こと、人工の世界をケアすること、理念のケアリングという 6 つの領域からなるカリキュラムを構想している。教師のバ ーンアウトを防ぐためには、まず自分の置かれている状況 を認識するセルフケアが必要である。自己へのケアリング や仲間同士のケアリングを行うことが大切である。 ノディングズがケアの限界を設定していることは強調し ておきたい。彼女は、倫理的自己を維持できる範囲内でケア リングを行うことを次のように主張する。「ケアするひとは、 他者が故意に自分の身体的自己や倫理的自己にたいする明 確な脅威とならないかぎり、ケアするひととして他者に接 しなくてはならない」。これは言い換えれば、一定の条件を 満たす場合には、ケアする人の判断でケアを中止して良い ということであると考える。 2 部 矢野智司の贈与としてのケア ノディングズのケアリングがケアする人の搾取を招く理 由は、彼女には金銭を貰って職業としてケアリングを行う という視点が欠けていたからではないか。これを補うもの として、ケアにおいては純粋贈与と贈与交換の両方が生起 すると考えた矢野が参考になる。矢野によれば、ケアは見返 りを求めず「時間を与える」という純粋贈与の出来事である。 しかし、ケアが継続性を持つ場合には、そのケアは贈与交換 となるだろうし、さらに制度化されたりすると市場交換が 必要となる。この交換は複雑に結びついて複合的な姿をと っており、「ケア」と呼ばれている事象のどのような次元を 取り上げるかで、ケアの姿は異なってくる。それでも、ケア の関わりには、いつも純粋贈与が働いている。そしてこの次 元を外してしまうと、それはケアではなくなるのだ。 彼が言うには、贈与と交換という観点からとらえたとき、 これまでのケアの理論は、一方でケアの概念を不当に拡張 しているのだが、また同時に不当に縮小してもいる。ケアと いうことを、無心に「時間を与える」という出来事としての ケアにとどまらず、職業としての教育・介護・看護・医療に まで拡張することは、ケアの範囲を貨幣の領域まで拡張し てしまうことになる。そのことによって、貨幣に換算できな い譲渡不可能な人格に深くかかわるものまで、サービスと して取り込まれていく危険性にさらされている。その結果、 譲渡不可能なあり方をも、「感情労働」の名のもとに貨幣と の交換で、他者に対して差し出すように要請される。 しかし、他方でケアの不当な縮小もこの場面で生じてい る。この貨幣による汚染から自身を守ろうとすることで、本 来この職業と分かちがたく結びついているケアの贈与的あ り方を切り離し、貨幣交換のみに縮減することで、その職業 が持ち得る豊穣さを極限にまで貧しくする。「私は職業とし てこの人間に関わっているのであって、それ以上ではない。 だから私の譲渡不可能なものを差し出す必要はない」とい ったようにである。彼によれば、このようにして、ケアはそ の本来の見返りを求めず「時間を与える」という過剰な贈与 としての力が弱められてしまう。 ケアの定義におけるケアの縮小が、ケアと呼ばれる事象 の範囲の拡大を促し、反対にこの適用範囲の拡大が、ケアの 定義を変容させ、ケアが何であるかを分からなくしている。 教育・介護・看護・医療の場では、たしかにケアが生起する が、それ自体はケアでない。ケアが生起するところでは贈与 が生まれている。職業倫理としては、贈与交換・市場交換が 重要な意味を持つが、職業倫理として求められていない次 元で働く純粋贈与を付随的なものととらえるべきでない。 矢野の言うように、ケアは互酬的な贈与交換であるだけ でなく、見返りを求めず「時間を与える」という純粋贈与の 出来事でもある。両者の不当な拡張も不当な縮小もしては

(4)

ならないことを認識してケアの範囲を定めることが、バー ンアウトを防ぐことに繋がると考える。また、純粋贈与の持 つ暴力性についても認識し、ケアする人がその暴力性によ って傷つく可能性があることを知ることも大切であると考 える。矢野は純粋贈与の暴力性について宮澤賢治の『貝の火』 から分析している。矢野の分析によれば、宮澤はホモイの受 けた罰の過酷さによって、純粋贈与が交換の環を破壊する 暴力性(過剰性)を表現している。『貝の火』は、純粋贈与 (ひばりの子を助ける)という交換を超えた出来事で始ま り、供犠(ホモイが眼を失う)という交換を超えた出来事で 終わる。この二重の暴力が、交換の環に隠された贈与の瞬間 の力を示している。 矢野の言う純粋贈与と贈与交換が同時に生起するケアを 認識する際には、「見返りを求めない純粋贈与」は原理的に 成り立ち得ないという西平から矢野への批判を踏まえてお く必要がある。ただ、純粋さの強迫観念によるバーンアウト を防ごうとする西平の試みと、ケアにおいて純粋贈与と贈 与交換の両方が生起していることを認識し、両者の不当な 縮小も拡張もせずケアの範囲を定めることでバーンアウト を防ごうとする矢野の試みとは、その目指すところは一致 しているのではないだろうか。西平によれば、自我への執着 から離れる方向へと自分を向けてゆくことがバーンアウト を防ぐことに繋がる。ここで留意すべき点が2 つある。第 1 に、「離れようとしていること」であって、「自我から離れ ることができること」ではない。離れようとする、というこ とは、完全に離れた後にではなく、離れる方向に自分を向け ていると、新しい状況が生じてくる、という点が重要なので ある。第2 に、この新たに生じてくる「事態」は大切だが、 しかしそれを直接的に求めてはいけないのである。 加えて、三原が提唱しているノディングズのケアリング と「感情労働」としてのケアの使い分けで矢野の論を補える のではないか。ノディングズのケアリングではうまくいか ない場合、「感情労働」としてのケアを使うことも教師のバ ーンアウトを防ぐひとつの方法であろう。 ホックシールドの言う感情労働は演技をともなうが、そ れは「表層演技」と「深層演技」に分けられる。表層演技は 魂ごとではなく、眉をつり上げたり口を硬く閉ざしたりと いうように、筋肉を使って怒りや悲しみを表すものである。 それに対して、深層演技は、客室をあたかも自分の家のよう に思ったり、手に負えない乗客は、心に傷を負っている昔の あの人だと思って、何を言われてもひたすら優しく接した りするものである。 おわりに ケアリングへの批判として、ケアする人の搾取というも のがある。これに対してノディングズはケアする人とケア される人の協力によってケアする人の搾取に対抗できると 論じているが、彼女には、本田が提唱した、雇う側と雇われ る側の共犯関係によって無意識的に成立する「<やりがい >の搾取」の視点が欠けているのではないか。ノディングズ のケアリングには雇い主は出てきておらず、雇い主と雇わ れている人(ケアする人)とのあいだにある搾取問題は考え られていない。ケアする人は雇い主との関係とケアされる 人との関係との両方の関係において、搾取される可能性が ある。本稿では彼女に欠けた視点を補い、ケアリングの結果 として生じるバーンアウトを防ぐ方法を模索した。彼女の ケアリングがケアする人の搾取を招く理由は、彼女には金 銭を貰って職業としてケアリングを行うという視点が欠け ていたからではないか。これを補い、ケアにおいては純粋贈 与と贈与交換の両方が生起すると考えた矢野を参考にした。 矢野の言うように、ケアは互酬的な贈与交換であるだけ でなく、見返りを求めず「時間を与える」という純粋贈与の 出来事でもある。両者の不当な拡張も不当な縮小もしては ならないことを認識してケアの範囲を定めることが、バー ンアウトを防ぐことに繋がると考える。また、純粋贈与の持 つ暴力性についても認識し、ケアする人がその暴力性によ って傷つく可能性があることを知ることも大切である。 また、教師のバーンアウトを防ぐためには、まず自分の置 かれている状況を認識するセルフケアが必要である。ノデ ィングズも自己へのケアリングや仲間同士のケアリングを 行うよう勧めており、状況によってはケアリングから撤退 する可能性があることを述べている。 加えて、三原が提唱しているノディングズのケアリング と「感情労働」としてのケアの使い分けで矢野の論を補える のではないか。ノディングズのケアリングでは上手くいか ない場合、「感情労働」としてのケアを使うことも教師のバ ーンアウトを防ぐひとつの方法であろう。 ケアにおいて純粋贈与と贈与交換の両方が生起している ことを認識し、両者の不当な縮小も拡張もせず、ケアの範囲 を定めた上で、これら複数の手立てを個々の教師の置かれ た状況に応じて使用することが、教師のバーンアウトを防 ぐことに繋がるのではないか。 主要参考文献 ホックシールド, アーリー2000『管理される心』世界思想社. ノディングズ, ネル 1997『ケアリング』晃洋書房. 西平直編著2013『ケアと人間』ミネルヴァ書房. 本田由紀2011『軋む社会』河出文庫. 矢野智司2008『贈与と交換の教育学』東京大学出版会.

参照

関連したドキュメント

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

る、関与していることに伴う、または関与することとなる重大なリスクがある、と合理的に 判断される者を特定したリストを指します 51 。Entity

口腔の持つ,種々の働き ( 機能)が障害された場 合,これらの働きがより健全に機能するよう手当

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい

いしかわ医療的 ケア 児支援 センターで たいせつにしていること.