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華僑華人

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Academic year: 2022

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華僑華人

−グローバルとローカルのダイナミズム 特 集

特集の趣旨

本特集は、 年 月 日より長崎大学で開催した世界海外華人研究学会

(International Society for the Study of Chinese Overseas ISSCO)第 回地域会 議(主催:ISSCO、中国華僑華人研究所、日本華僑華人学会、長崎大学)と、ISSCO に先立ち関連行事として長崎歴史文化博物館が同月 日に開催した講演会「連綿 と続く長崎と中国の絆」(主催:長崎県、長崎歴史文化博物館、長崎大学多文化 社会学部、長崎県日中親善協議会)の一部を編集し収録した。

ISSCO は 年、世界華僑華人研究の先駆者である王賡武や王霊智教授らに より、研究・学術交流の促進を目的にアメリカのサンフランシスコで設立された。

ISSCO では全世界の華僑華人研究者が一堂に会し、年一回の国際学術研究会議 を開催しており、これまでにアメリカ、フィリピン、デンマーク、シンガポール、

マレーシア、中国、カナダ、南アフリカ、パナマの世界各地で国際学術研究会議 を開催してきた。ISSCO の会議は、研究者による学術研究の面だけとっても、

社会、政治的領域から構成される国際社会にとって重要な意義を有する。

研究会議は ISSCO が創始以来、初めて日本開催である。テーマは「華僑華人

−グローバルとローカルのダイナミズム」であった。このテーマの背景と意義を 以下に示す。

第一に、グローバル化がますます進むなかで、各地域におけるローカル化の動 きも活発化しており、社会の多元化・多様化が顕著となってきたことである。と くに近年、ヨーロッパに押し寄せる難民の波は、学際領域や政府の意思決定など の面において、知識人層にとっての難題となり、西洋の歴史や経験をベースに打 ち立てられた多文化理解の枠組みや社会実践が新たな挑戦を受けている。第二に、

長崎の地域性との関連である。 年で ISSCO は創設 周年になり、日本で初 の開催となる ISSCO 長崎会議は日本三大中華街が立地する歴史都市・長崎 だけではなく、日本華僑の発祥地でもあり、「世界の中の日本」という視点から 大きな意義を有する。長崎の独特な歴史性によって、日本華僑華人社会における 中心と周辺、日本におけるグローバルとローカルが融合するモデル地域である。

特 集 2

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長崎は現在、日本の華僑華人の中心地ではないが、日本及びアジアにおける華僑 史を研究するためには欠かせない土地柄である。

年は「長崎県・福建省友好県省締結 周年」という記念すべき年であった。

長崎と福建の交流の歴史は古く、いわゆる鎖国の唐人貿易時代にまで遡る。歴史 上、福建出身の商人、文化人、僧侶(鄭成功、隠元、および近代の華商泰益号)

などの経済的、文化的な活動は長崎の地域社会だけではなく、日本社会の全体に 様々な影響を与えてきた。ISSCO 長崎会議はこうした特徴を持つ長崎・福建 交流史を鑑みて、関連行事として、長崎歴史文化博物館で、泉州海外交通史博物 館による「海のシルクロード――ザイトン(刺桐)の帆影――」をテーマとする 展示企画と「連綿と続く長崎と中国の絆」をテーマにしたシンポジウムを開催し た。泉州は宋代から明清代を中心に貿易港として繁栄していた。当時は東アジア における交通の要衝であり、人、モノ、文化の交流で重要な役割を果たしていた。

泉州はまた華僑華人の故郷としても有名であり、長崎華僑の歴史にも深く関わっ ていた。長崎歴史文化博物館の企画展示とシンポジウムは、長崎と泉州との交流 の歴史及び長崎を発祥地とした日本華僑社会の変遷を主要なテーマして企画した。

年 月 日から 日間の日程で開催した長崎会議では、北米、アジア、ヨー ロッパ、オセアニア、ラテンアメリカ、アフリカ各地域の カ国から様々な学術 分野の 名程の研究者が参加し、華僑華人の多様かつ共同的な歴史的経験、社 会的実践を踏まえて、学際的な議論が交わされた。それぞれの議論における共通 の特徴の一つとして、華僑華人研究の原点回帰が挙げられる。研究の対象や地域 が歴史に帰するというより、むしろ研究の意識や視点を歴史の中で深め、展開し ようとすることである。

長崎県知事、長崎市長、中華人民共和国駐長崎総領事もオープンセレモニーに 出席し、それぞれの立場から、日本での開催にあたってご祝辞を頂戴した。 つ の基調講演の後、ユネスコ無形文化財である、福建省泉州地域の伝統音楽南音の 演奏が披露された。基調講演の後、ISSCO 周年、長崎県・福建省友好県省締結 周年の記念行事として、長崎華僑による「長崎華僑が語る歴史的交流」という 記念講演会が開催された。閉会式には、ISSCO 初代会長・王賡武教授が ISSCO 周年を記念したスピーチがあり、ISSCO の歴史及びその展望、華僑華人の役 割について新たな期待を述べて会議が終幕した。

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本特集では ISSCO 長崎会議及び関連行事の趣旨を以下の つのテーマからま とめてみたい。

.歴史的視野からの華僑華人研究とそのグローバルな展開

華僑・華人と呼ばれる中国系移民は現在、全世界で 千万人を超えている。人、

モノ、カネ、情報、そして文化が越境移動するグローバル化の潮流のなかで、中 国系移民の活動は質量の両面において一段と活発化し多様化している。とくに、

中国の国際社会における政治的・経済的台頭によって、中国ネットワークと中華 文化様式の拡大が世界的な現象として各地域で確認できる。いわゆるグローバル 化による「華人世界」、つまり中国系新移民(華人)を「ひきつけた世界やグロー バルは『中華』そのものというべき汎世界」というものである(浜下 )。日 本でも 万人を上回る中国系移民は、政治、経済、社会の各領域で日本国内はも

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ちろん世界各地少なからず影響を及ぼし、学術的な関心も一段と高まりを見せて いる。華僑華人研究はさらに多様化し、国家を超えて世界各地域に重層的に広が り、とくに中国歴史研究と華僑華人研究が複合化し、そして総合化しながら広域 化してきた。華僑華人研究では現在、 つの課題が提起されている。

)グローバル化が進む現在、膨張する「華人世界」の状況について、いかに 国家や地域との関係において、歴史的根拠に支えられた、より広い広域圏システ ムの動態を解明していくのか。

濱下の論文ではグローバルスタディという視点が提起された。それはグローバ リゼーションをひとつの人類社会における新たな局面として捉え、それ自身が新 たなひとつの理念であるという捉え方である。濱下によると、このような研究に は二つの特徴がある。まず、従来の個別テーマがどのようにしてグローバルな背 景を持ち、グローバルにつながっている中で登場しているかという、方法的にグ ローバルなテーマに結びついていることを論ずる方向である。もう つはグロー バルなテーマそのものを検討することである。すなわち、人類と自然の長期の関 係をも扱う「大歴史 Big History」や気候変動と人類社会の関連を扱う領域など、

さらには、地球規模の問題を、地球規模の視野から扱う交易史、移民史、環境史、

疾病・疫病史、資源史など、あらたなテーマの開拓が見られる。国家を単位とし てそこから拡大するのではなく、ひとつの原理としてのグローバルな視野と方法 に基づいた研究である。歴史研究分野ではこれらの特徴をもつ研究がグローバ ル・ヒストリー・スタディーズと呼ばれる。このような研究ではアジアの歴史的 位置づけに関して、従来のヨーロッパを念頭に置いた「近代世界」の形成ではな く、アジアとヨーロッパは異なる地域モデルであるとされ、アジア地域の歴史的 役割が強調される。このようなアジア研究は世界で不可欠の部分を構成するアジ アであると同時に、グローバルな世界と絶えず往還し、一方では地域主義を主張 し、他方では自己世界を自己完結的に定義されるグローバル化した地域世界であ る。さらに、かつては国家の下に閉じこめられてきたローカルな事象を、グロー バルに自己表現しようとするアジアである。濱下はこれら内外多層的なアジア文 化論をアジア地政文化と名付け、このような特徴をもつ華僑華人研究が特に重要 であると指摘した。

濱下はグローバル世界において流動し再編される地域空間関係を無中心(脱中 心)ネットワークと特徴づけた。これまで国家を基準としてそれより上位の地域 と下位の地域に序列化されてきた地域関係と異なり、そこで意味されるグローバ ル・グローバリゼーションは世界を地球規模にまで拡大しただけではなく、歴史 的な地域空間の関係をすべて解きほぐし、それらを非序列関係に置きなおすこと

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である。したがって、地域研究の多様な関係性が前面に登場することになり、そ こにおける地域とはローカルな地域だけではなく国際的な地域関係をもその視野 に含む、いわゆる「グローカル」となる。

グローバルな視角から華僑華人問題の位置づけを見なおすことが求められてい ると同時に、その課題への取り組みを可能にする歴史的条件を明らかにすること が強く要請されていると考えられる。その視角からみると、現在の華僑・華人研 究の主題は、東アジアをめぐる広域圏の動向に密着し、地域社会レベルの広域ネッ トワークの分析を基本に、グローバル=ローカルの往還を把握することになるだ ろう。

華僑・華人ネットワーク研究をグローバルな視野の下に置くことの方法的な課 題のひとつは、「中国」を基点に放射状に派出する移民ネットワークではなく、

これまで、ナショナルなテーマとエスニシテイの視点から検討されてきた華僑華 人研究を、相対的かつ独自に、グローバルに機能するネットワークとして、すな わち移民や流動そのものをグローバルスタディの研究対象として措定するという ことである。そのモデルとして、濱下は歴史的にアジア金融市場全体を拡大する 役割を果たしてきた華僑送金ネットワークのダイナミズムについて検討した。最 後に、歴史的な華僑華人ネットワークは、現代のグローバリゼーションの動きに 対応しうる、歴史的であると同時に現代的・ネットワーク的な地域形成と、地域 関係の蓄積を持つグローバル世界の中で機能する歴史モデルであるとし、グロー バルスタディの視点をもつ華人華僑研究の展望を提示した。

)世界現象としての「中華文化」の拡大と、移民の役割をどのように解釈す るのかという課題である。ISSCO 長崎会議では、歴史上長崎と関係の深い福 建泉州から伝統音楽南音の奏者を招くことができた。南音の代表的伝承者である 蔡雅芸氏と陳思來氏による南音の演奏会が、ISSCO 長崎会議だけでなく、長 崎歴史文化博物館、とくに南音にもっとも相応しい長崎最古の唐寺である興福寺 でも開かれた。南音は南曲、南管、朗君楽、五音などと呼ばれ、泉州を発祥地と する「中国音楽史の生きた化石」として現存する最古の漢民族音楽の つであり、

年にユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録された。南 音は漢唐代から明清代までの古代音楽の要素を残しており、閩南 地域における 梨園劇、高甲劇などの劇音楽の基礎となっている。南音は古代の歌舞音楽、詞曲 音楽、劇音楽と密接な関係があり、長い間、地域の他の民間音楽と融合しながら、

発展し、今日に至っている。泉州地域をはじめ、台湾、東南アジアなど閩南出身 閩南とは福建の南地域の略称である。

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の華人が居住する地域にも広く伝わっている(王維 )。とくに 年以降、

泉州を中心に国内外の閩南人コミュニティに新たな南音ブームが起こった。王連 茂論文では、移民文化交流史の視点から南音の歴史をふまえたうえで、海外にお ける南音や梨園劇など、閩南地域の芸能文化の伝播・受容と閩南出身者が果たし てきた役割、さらに今日の新たなグローバルな動きが論じられている。そのなか で、かつて唐人屋敷で演じられた劇が泉州の梨園劇と南音と関連性があり、泉州 や漳州地域の商人によって長崎にもたらされた、という泉州と長崎との文化交流 史を研究するための新たな手掛りが提示された。

)グローバル化が進む現在、増大する「華人世界的」(華僑的な)状況の中 で、華僑華人の役割及び華僑華人研究の意義をいかに再認識するのか。ISSCO 初代会長王賡武は、中国史に関連し、華僑(華人)の概念と今日まで果たしてき た役割をふまえ、ISSCO の歴史を回顧しながら、その課題と今後の展望を述べ た。華僑華人に関連する歴史は 世紀の漢代まで遡ることができ、 世紀から東 南アジア各地にチャイニーズ・コミュニティや商業ネットワークが形成されてき た。しかし、 世紀まで各王朝は、海外の華僑コミュニティに対して関心あるい は記録がほとんどなく、海外に居住しているチャイニーズに関する固有名称もな かった。

華僑という言葉は、清末と民国初期の中国で、 世紀のアヘン戦争以降に生ま れ、 世紀以降に広く使用されるようになった。華僑問題が注目されるようになっ たのは、 年の辛亥革命以降である。その後 年間、中国は内戦や外来侵略な ど様々な危機にさらされてきたが、中華民国政府にとって華僑は重要な政治的存 在でもあった。この時期、華僑は「愛国華僑」と表現されていたように、ナショ ナリズムを象徴する強い政治性を帯びていた。しかし、 年代からその意味は 何重にも変化を遂げていく。第二次大戦後の東西冷戦体制下で、東南アジアで新 興の民族国家が相次ぎ誕生し新たな国際秩序が胎動するようになると、華僑は新 中国(中華人民共和国)、台湾、移住国の三者それぞれのナショナリズムと華僑 独自のアイデンティティが相互に関連した複雑な状況にあった。東南アジアの華 僑の多くは経済活動を展開しながら、生活の基盤を置く移住国にも忠誠を誓い、

華僑から華人へとつまり現地化への道を選ぶしかなかった。その結果、 年代 までは、東南アジアにおける華僑という概念は、脱政治的または非ナショナリズ ム的なものとなっていた。華僑の役割は主に居住先の国家の建設に経済的貢献す ることでもあった。

この時期において華僑に関する数少ない研究が、ISSCO の先駆者達によって 歴史学と人類学の分野のみで行われていた。 年代末から 年代にかけて、

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東南アジアやアメリカで開催した国際研究会議が、ISSCO 設立の契機となった。

年代以降、中国の改革開放政策によって中国系移民の新たな移動に伴い海外 華僑華人社会にも変化がもたらされた。華僑華人は中国本国の経済発展に重要な 役割を果たすようになると同時に、次第に学際的研究のテーマとして注目を集め るようになってくる。華僑華人研究が東南アジアだけでなく、グローバルな視座 からアプローチするようになってくる。これは ISSCO が設立する重要な背景で ある。

年代よりさらに多くの中国系移民が海外へ渡るが、これまでの移民と異な り、高学歴で技術、資本を持つものが多くなり、移動のパターンも今までにない グローバルな広がりを持つようになっていく。こうした状況のなかで、中国にとっ て華僑華人の存在はどのような意味を持つのか、かれらはどのような役割を担う のかが大きな課題となる。王賡武は講演の末尾で、世界各地にいる華僑華人が移 住国の状況を熟知している立場から、中国が国際社会を理解し国際貢献するため の橋渡し役を果たせるとの期待を述べている。カネ、投資といった経済的な橋渡 し役の機能だけではなく、国際社会で通用する考え方と知識の担い手として華人 華僑が大きな貢献が期待できるのである。ISSCO は引き続き重要な役割を果た すことができると指摘する。

.グローカル化する長崎華僑史

日本初の ISSCO で長崎が開催地に選ばれたのは、ほかでもなくその地域 性である。長崎の華僑社会には、長崎の歴史性から、他の地域の華僑社会に見ら れないいくつの特徴がある。まず、世界の華僑の中でも最も旧い歴史を有する地 域が長崎である。かつては、唐人貿易とともに、長崎の華僑によって日本を含む 東アジアにおける広域貿易ネットワークが広がっていた。多くの歴史資料が残存 する長崎は、日本はもちろん北東アジア、東南アジアにおける華僑史を記録し研 究するうえで不可欠の場所である。海外の華僑が築いた最古の唐寺と祭祀伝統は、

長崎の社会に今なお息づいている。かつて、中国大陸沿岸部の出身地域ごとに三 つの唐寺が華僑によって建立された。これらは在留唐人の祭祀・文化の空間であ る一方、他方では華僑社会と地域社会の「出会いの場」、すなわちコンタクトゾー ンとしても機能していた。現在は、多様な異文化的特徴を混在させる長崎文化を 象徴する観光名所になっているが、現代に至るまで伝承された唐人文化も、長崎 の地域文化を特徴づける「くんち」、「精霊流し」の中に取り入れられている。華 僑の伝統祭祀は、同郷組織の長崎福建同郷会によって維持・保存されてきた。崇

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福寺には、中国本土では見られなくなった儀礼形式の「普度」という行事が残っ ており、全国に組織を展開している福建同郷会の親族や同郷者が一堂に会して、

華僑を結束させる機能を担っている。さらに、地域社会と中華街と祭祀行事の融 合は世界に類例のない長崎固有の特徴である。華僑と日本人が一体となって、中 国文化をベースに観光振興と地域発展を目的に中華街を形成してきた。長崎とア ジア海域交流の歴史的なチャンネルを再現した「ランタンフェスティバル」は、

華僑が現地社会と融合していくダイナミズムを表現した代表的な地域文化のひと つである(王維 )。

以下の つの論文を通して、グローバルな華僑華人の動きと地域社会の双方の 視点から、長崎華僑の特徴およびそれに関連した日本華僑華人社会の特徴をより 浮彫りにすることができる。

野上論文では「陶磁器からみる長崎と海外とのモノ交流」が、 世紀と 世紀 にグローバル化の文脈の中で生まれた港市であるマニラと、長崎を拠点とした東 西交流のグローバルとローカルのダイナミズムが描かれている。長崎はポルトガ ル船の来航によって開かれ、鎖国時代の対外交渉・交易の窓口として多くのモノ が行き交った。肥前磁器はその一つである。肥前磁器のグローバル性とローカル 性は唐人と唐船に関わっていた。明から清へ王朝が交代する過程で中国国内社会 が混乱し、その煽りを受けて中国磁器の輸出も減退した。代わって、肥前磁器の 輸出需要が増加した。中国磁器の代替品として世界各地に大量輸出するために、

技術革新による質的向上が必要になり、技術を唐人から学んだほか、唐船がもた らす中国磁器に品質を近づけるために独自開発した技術もあった。肥前磁器は長 崎港で積み出されて、唐船でマニラまで運ばれ、マニラを経由して、スペイン船 によって中南米など世界各地に輸出されたことが指摘されている。つまり、肥前 磁器というローカル産業の発展が、近世のグローバル化の過程と連動していた。

このモノの交流過程では唐人(アジア系商人)や唐船、そして 世紀以前よりマ ニラで貿易活動をしている華商、特に福建華商およびそのネットワークの役割が 不可欠であったことが考えられる。

廖論文は、福建ネットワークと長崎の歴史的関係を俯瞰しながら、今後蘇らせ ていく港市としての長崎の課題とその可能性を提示した。具体的には、日本とア ジアの関係史の視点から、長崎の対外貿易及び文化交流にとって重要な役割を果 たしてきた福建華僑(華商)の経済的、文化的、社会的ネットワークの形成と展 開、そして長崎地域社会や文化との相互影響などについて議論した。廖によると、

世紀末から 世紀中期まで、福建ネットワークと長崎の関係は、長崎貿易をめ ぐって展開されたものであり、アジアの歴史の持続性、内発性、自律性を示して

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いる。福建ネットワークは開港以降も新たな時代状況に柔軟的に対応しながら持 続的に発展し、 世紀後半以降、さらにグローバル的な展開を見せた。このネッ トワークは単に交易の遂行に伴う経済的役割を果たしたのみならず、黄檗文化や 唐通事に見られるようなさまざまな文化伝播、交流や融合などの文化とアイデン ティティ形成の役割、及び華人の社会組織の広域的連携とローカル社会への定着 などの社会的役割も果たしてきた。このような華人ネットワークは東アジア地域 における重要な公共財とみなすことができる。今日に至って、福建ネットワーク を活用した長崎の地域文化創造は、地方をコアに国境を越えた新たな歴史、文化、

生活、政治空間を生み出すことの可能性を示している。長崎は、福建ネットワー クを含めて、多様な歴史資源を活用し、一地方都市としてではなく、世界に向け て開かれた港市として、中国、日本、そして世界を幅広く収斂する可能性が秘め られていると指摘する。

曽論文では、ローカル華僑社会の文化受容について、民俗学の視点から長崎や 横浜華僑の事例を挙げながら華僑年中行事と習俗についての特徴が述べられてい る。曽によると、民俗学的に見れば日本華僑には主に つの特徴がある。 つは、

東南アジアの華僑・華人社会と比べて人口規模が小さいため、移住先である日本 の民俗文化、民俗信仰との混交、習合がみられる点である。 つ目は華僑の日本 への同化が進み、日本の民俗との習合がみられる半面、方言集団ごとの違いも残 されており、特に長崎や九州一円に多い福建北部出身者が故郷の民俗信仰を最も よく伝えている点である。主に福建人で占められる長崎華僑の場合、地域色(福 建色)を色濃く残し華僑色を出しながら、長崎人としても受け入れられている。

この特徴は海外(中国)との長い交流を通じて醸成された国際都市として長崎の 歴史土壌に帰結できるだろう。

長崎を発祥地とした日本華僑は長崎以外の地域でそのコミュニティやネット ワークをどのように形成、展開していくのか。陳論文では、移動と定住をキーワー ドに、横浜華僑の長崎との縁を紹介しながら、横浜中華街の歴史的な変遷につい て論じている。この変遷は華僑華人の移動と定住の問題が関係する。長崎から横 浜に移動した福建系もいたが、横浜は長崎と違って福建系が少なく広東系が多く 定住する。このため、広東系を中心とするローカルコミュニティが形成された。

しかし、最近の福建からの新華僑の移動によってコミュニティの変化が起こり、

構成員に広東系老華僑から福建系新華僑への交代がみられる。中華街には老華僑 の世代交代、新華僑の参入のみならず、非華人である日本人の参入も増加してい る。移動と定住によって中華街が異種混交しながら多様化しており、今後どのよ うに展開していくのかが注目される。

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このように、長崎の地域性は、日中関係はもちろんのこと東アジア国際関係や 将来展望についての再認識を促し、世界華僑華人研究に貴重なモデルを提供でき る。同時に、ISSCO 長崎会議は、長崎華僑研究及び長崎地域研究の重要性と 課題を提示した。前述のように、長崎は歴史的にも中国を含むアジアとの交流史 が最も長く、関連する未知の資料や遺跡が多く残された歴史資源の宝庫でもある。

長崎華僑研究あるいは長崎地域社会そのものが今後いっそう国際的な関係性を強 化しようとするなら、過去の歴史を見据えて、とくに中国とアジアとの関係構築 の側面から、これからのグローバルヒストリーの構築が重要な課題となる。

(王 維)

参考文献

濱下武志( )『華僑・華人と中華網 移民・交易・送金ネットワークの構造と展開』岩波 書店

王賡武( )「華人・華僑与東南亜史」「東南亜華人身分認同之研究」『王賡武自選集』上海 教育出版社

王維( )「中国の伝統音楽「南音」とその周辺」『香川大学経済論叢』 ‐ ,

)『華僑の社会空間及び文化記号』(中国語)中山大学出版社(中国・広州)

参照

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