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横浜在留華僑の特質に関する若干の考察(その1)

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(1)関︶ 恵. Study. the Chinese. on. Shuhei@ YAMAMURO@. る. 華子宝. 留若山 在. 横 A. Yokohama. in. (I. and@ Masuo@ KAWAMURA. While》he《tudy{f,hina|y゛apanese《cholars”as{btained‖]umber{f valuab. resu s,@the@investigation@ into@the@Chinese@people@ residing@in@Japan so far One reason, among{thers, that the basic@materials@ for@the@Chinese@ residents@ in@Japan@ have@ not@ been@ published Ⅰ. Ⅰ. has]ot‖lways|een active. up. to. now. is. ・. ・. The@present@authors,@ taking@ that@fact@into@consideration,@ applied@ to@ the authorities@concerned@and@ were@ granted@permission@ to@look@into@the@complete data@of@those@Chinese@living@in@ Ⅳ6ka@Ward@of@Yokohama,@containing@the@famous ",hinatown・ which have]ever been released but…an be considered most authentic@ in@every@detail@at@ the@present@time. ・. This@article,@which@constitutes. Part@I@of@our@report,@ is@mainly@ based@upon@the@said@materials@and@deals@with the@sex,@ age,@ occupation,@year@of@settlement,@birthplace,@qualification@for@residence,@ and@family@ relations@ of@ the@ Chinese@in@question , means@ of@ cross@ tabulati n@ based@ on@ the@ above , mentioned@. The@ authors@are. statistics,. The、ppendix is》he|rief‖ccount{f〉esearches,|y[aking「se{f{ther materials,@into@the@Chinese@who@ have@ been@ naturaized@in@Japan@and@ live@in. Yokohama. and other parts. of. 目. 緒 言 1 地域的分布 Ⅱ 性別・年会則構成 正 出 生 地 W 出身地一一本国の 佳所 V 来日 Q上陸許可 ) の 年. 緒. Kanagawa Prefecture. ,. 次 在留資格 職 業 Ⅷ 勤 務 地 Ⅸ 続柄関係 Ⅵ W. あ. 竹輪. と. が. ぎ. 華僑の日本帰化について. 言 わが国の中国研究が 極めて高い水準の 幾多の成果をあ げていることは 周知の事実であ. る. が,もっと身近な国内に在留する 華僑にたいしてはそれ 程の関心を示さなかつたのみなら ず ,諸外国の華僑研究にたりして 立 遅れの感すらないではないのであ る。 すなわち戦後に おいて単行本として 刊行された社会学的研究に 限るとしても ,米国在留の華僑については.

(2) 周. 2. ぬ室. 平・河村十寸 穂. Lee , R , H ,, The@ Chinese@ in@ the@ Unted@States@of@America. 1960;. Kung,. S.W.,. Ch 油 ese ㎞ Amehcan. ・. Hong@Kong@Univ. , Press. Ⅱ fe. Univ. of Washingt0n. 1962. また 二 , 一 ・ジイランドの 華僑については , Fong,. N.B.,. The. Press,. Chinese. 油 New. Zealand, Hong Kong Univ. Press, 1959. タイに関しては , C0ughlin, R.J., D0ubIe Iden はty, The CEnese in Modern Thailand. Ho Ⅱg Kong Univ. Press, 960 や Skinner, G.W., Chlnese Society in Tha れand, CorneIl Univ. Press, 1957. また シ ンガポール こ関しては Kaye, B., Upper Nankin Street Singapore. A Sociological Ⅰ. 帝. Study@. of@ Chinese@. Househ0ds@. liⅤ ng@ in@ a@ Densely@. Malaya. Press, 1960 等があ り, とくに Kaye のものはシンガポール 市の華僑密集地区の. 精密な実証的調査にもとづく 注目すべき成果であ る ・ケイ. 『. シソ ガポール華僑 街. Popul. ted@ Area. ・. Univ , of. ( 山室周平,早瀬利雄「バーリ. 密集地帯における 華僑世帯の社会学的研究』. ソ トン. (書評 ). 横. 浜市大経済研究所「経済と 貿易」 Feb. 1963. 参照 ) 。. その間, わが国においても 内田直 作 「日本華僑社会の 研究」同文館, 1949 や 県主馬 「華僑木質の 分析 華僑の社会学的研究 」,アサヒ社 , 1961 のごとき成果を 出して いることも事実であ るが,前者は日本における 華僑団体の主として 文献資料にもとづく 手 堅い成果であ り,また後者は 華僑社会に関する 一般論の企てであ るが,著者自身の直接的 な体験に裏 打ちされているとしても 主として既存の 文献資料にもとづくものであ ったので る。 わが国最大の 華僑集結 地 の一 つ であ る山下町 (通称「南京 町 ) をもっ横浜の 四つの大 学 (横浜国立大学,横浜市立大学,関東学院大学および 神奈川大学 ) の連合学会社会学部 会は昨年来文部省の 科学研究費の 交付を ぅけ , 目下華僑の総合的な 研究に従事中であ るが, 当初からわれわれの 目指したのも ,山下町を中心とする精密な現地調査であ ったのであ る。 しかるに最初に 当面しなければならなかったのが 計画樹立の双提となるべき 基礎的資料の 欠除,ないし不備ということであ った。 あ. 」. すなわち,われわれは横浜華僑総会の 厚意に よ り,山下町に 在留する華僑の 名 して現地調査の 予備的作業に 入ったのであ るが,間もなく ,その記載が極めて 不 ,到底われわれの使用目的には 適さないことが 明瞭となったのであ る。 り. 元来 留 日華僑の全国的統計としてわれわれの 利用できるものの 一 つに 国勢調査があ るが,. その結果と外国人登録法にもとづく 登録人ロとの 間には著しい 隔 があ (例えば 1950 年 9 月末現在朝鮮人の 登録人口が 54 万 2 千であ ったのにたりし ,同年10 月 1 日現在の 国勢調査による 人口は 46 万 4 千であ り,その間に 7 万 8 干にのぼるひらきがあ ったとい うことであ 飛鋪 安平「覚国人登録法逐条解説」 1957 年, 17 頁参照 。 現に , 1961 年 2 月末現在の華僑の 登録人口が 4 万 5 千をこえているのにたいして , 若干の時期 的な ズレ はあ るが 1960 年 10 月 1 日 現在の国勢調査 (1% 抽出 ) によれば 3 万 6 千 6 百 人にすぎない ) 調査洩れが少なくないことが 予想されるので 余り期待するわけにはいかな り. り. ぃ 。 しかも特定の 地区をかぎって 華僑人口を問題にしょうとする 場合はなおさらのこと 国 勢調査に期待ずるわけにはゆき 難く,結局自治体の統計資料に依存せざるを 得ないのであ.

(3) 横浜在留華僑の 特質に関する 若 千の考察. 3. しかるに自治体の 資料も総数はともかくとして ,年会,職業,続柄等の 綱目にわたる 分析は行なわれておらず ,資料の閲覧も許されない現状にあ るのであ る。 それらの間において ,外国人登録法にもとづく 登録 ヵ一ドは 日本に在留する 外国人一人 る。. 一人の生年月日,性別,国籍,国籍の 属する国における 住所または居所,出生地,職業, 上陸許可の年月日,在留資格,在留期間,居留地の 地番,世帯主の氏名,世帯主との続柄, 勤務所または 事務所の名称および 所在地,その他の 20 項目と,それらの異動とを逐一 記 蔵 した現在のところもっとも 信頼度の高い 資料であ るが,遺憾ながらこの 場合も総数の 公 表 以外は秘扱いであ り,局外者の 閲覧が許されていないのであ る。 しかしながら ,われわ れの切なる懇請と. ,関係当局者の学術研究にたいする. 理解にもとづく 特別の取り計らいに. り,横浜市中区在住の 華僑の,しかも前記の諸項目にかぎるとともに 統計的観察に 留め , 個々の力 一ドの 内容にまで立ち 入らないという 条件のもとに , 1962 年 9 月 13 日から 10 月 3 日の間において ,われわれ自身の手で必要な部分を 転記し , 集計することを 許された よ. のであ った。 われわれがここに 横浜市在留の 華僑に関する 従前に類例のなかった. ,. 極めて信頼度の 高. 集計結果を,今後における 留 日華僑の研究推進のための 基礎資料の一つ として報告することができたのは ,ひとえに関係当局者各位の理解と支援の 賜物であ り,. い資料にもとづく. この機会にわれわれ 一同の衷心よりの 敬意と謝意を 表しておきたい。. なお,本稿ににおいては取りあ えず単純集計の 結果の報告に 併せて若干の 他地域の資料 との比較を試みておいたが ,今後さらに項目間の相互関連 や ,世帯をユニットとする分析 結果,その他を続編として報告したい。 本稿における 執筆者の分担は ,緒言,Ⅱ, W, Ⅷ, Ⅸ,あとがき ( 山室 ); 1, Ⅲ, W, V, W, (河村 ) であ る。 なお,別の資料にもとづく 華僑の日本帰化に 関する若干の 考察 (担当者 河村 ) をも行論として 収録しておいた。 併 せ 参照願いたり。. 1.. 地域的分布 日本に在留する 外国人は,法務省入国管理局の 統計に ょ れば,. 1962 年 12 月末現在で , 総数 645.043 人であ るが,その圧倒的多数 (88.2%) は朝鮮・韓国人であ って, 569,360 人に上っている。 中国入 は 47,096人で,在留覚国人全体の 7.3 % にあ たる。 このよう に,日本における中国人 (華僑 ) はその絶対数からいつても ,また人口比率からいつても , 南方諸国のそれに 比べればはなはだ 僅少であ るが,国内の分布状況からみると ,神奈川県 は東京・兵庫・ 大阪に次いで 第. 4. 位にあ る。 (表. I. 一 t 参照 ). 在留華僑は, 1960 年 12 月末現在で 5,M6 人であ るが,そのうち横浜市 4,698 人を占めており ,これは神奈川華僑総数の約 85 % にあ たる。 (表 1 一 2. 神奈川県下の のみで. 参照 ). 4,698 人のうち,その約 73 % にあ たる 3,418 人は中区に集申して おり,鶴見区・ 南区がこれに 次いでいるが ,中区に比べれ性間頭にならない。 (表 1 一 3 この横浜在留華僑. 参照 ).

(4) 4. 山室周平・河村十寸 穂. 都道府県別 表 1-1. 表 1-2. 日本在留華僑 数 (1962年12月末現在. ""一 一一. "". ). 市部別 神奈川県在留華僑 数 (1960年12月末現在 ). 14.63. 東 京 兵 庫 大 阪 神奈川 福 岡 京 都 長 崎 その他. (綴. Ⅰ. 8,96 6,405 5,86. 1). 丁. (19.1). Ⅰ. (13.6) (12.4). 882 8,005 47, ㏄6 人. く. 浜 崎. 横須賀. Ⅰ. 茅ケ崎. 32. その他. 88. 計. 表 1式. 区別横浜市在留華僑 数 (1960 年 12 月末現在 ). 女男. 計. 合. 戸塚. 保土ケ谷 金 沢 計. 24. I7. 6. 7. 7. (6.の. 45. 2,237 4,698人 (100⑨ 2,461 --""""--""" (第 40 回横浜市統計 書 , 1962 に よ る ). " "一. 19%. (1㏄・0) 一 ㏄年版に よ る ). われわれが当面問題にするのは ,. 171 139. 21. 3.0). (. 5,546 人. (神奈川県統計 書. 神奈川. 64 67 66 50 41 34. ・. (法務省入国管理局調べ ). 区. ( 5.5). 3㏄. 00 0). Ⅰ. (84.7). 4,698. (16.9). (. Ⅰ, 084. 横 川. 大 和 鎌 倉 藤 沢 小田原 相模原. 2.7) ( 2.3) ( 1.9). Ⅰ, 267. 計. ・. この中区在留の 華僑であ るが,調査 当時において 最も新しい資料に よ れ. 八 であ った。 このうち,約 70 % に. 2,423 人が山下町に 集中して おり,残りの約 30 % は中区内の各 あ たる. 地 にかなり広範囲に 分散している。 (表 1. 図. 1. 一 4 参照 ) これを図示すれば のようになるが ,堀川をへだて. て 山下町に隣接する. 元町をはじめ ,. 山下町の玄関の 一 つ であ る吉浜 橋か ら 本紋方面にかけての. 市 に 最も多く,また野毛・伊勢佳木町に 代表される都心の 商業地域にもかなり 進出している。. いまかりに山下町と 元町の間を流れる 堀川を以つて 中区を西北部の 商業ビジネス 地域と東 南部の住宅地域 ( もしくは住宅商業地域 ) に二分してみると ,華僑人口は,山下町を除き, 西北部商業地域 374 人,東南部住宅地域 668 人となり,その比はおよそ i:1.8 であ る。 ところで,行政区域としての 山下町は相当に 広い地域であ って,官公庁・ 学校をはじめ , 病院・公団アパートなどが 建ち並び,また日本人の住宅や 店舗も多い。 華僑は行政上の 山 下町全域に均等に 居住しているのでほなく ,山下町の一角をなすいわか ろ 中華街 ( 南京 町 ).

(5) 5. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察.

(6) 山室周平・河村十寸 穂. 6. 図 華. Ⅰ. 券 右図 (横浜市中 ). 拍. 沃. 油 大甘 田. 申. 束 京 溝.

(7) 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 図 2. 山下町企図. 7. N 干. mmn 特に 華 僻の多い地域. (本曲. は俺痒 市大. 山口 秩 授の調査に色うところが 舞い. ). に 集中的に住んでいるのであ る。 中華街というのは 通称であ って,したがつて中華街を一 つの単位とした 公式統計 は 存在しない。 ヱ コロジカル な 意味での中華街を 正確にどこから. どこまでと規定することは 極めて困難であ る。 山下町内の番地によって 定義づけようとし た 試みもあ るがり,必ずしも 現実に即しないように 思われる。 しかし中華街の 一応の輪郭 を 示すことは可能であ り,それは大体図 2 のようになる。 ただ中華街といっても 華僑ばかりが 住んでいて日本人は 全くいないというのではなく ,. むしろ数的には (正確な人口比を 示すことは困難であ るが ) 日本人の方がやや 多いと思わ れる。 横浜市立大学の 山口辰男教授の 調査に ょ れば,中華街界隈の構成は華僑商店舗 28.4 啄 , 日本人商店舗 43.4%, 華僑住宅 13.2 %, 日本人住宅 15.0 % となっており ,「結局 中華街とほいえ 華人店舗住宅が 41.6 %, 口 入関係が 58.4 % となって華僑 色 : 日商 色の 比は 4: 6 になっていて ,華僑の中に日商が入ってるのではなく ,日商の中に華僑が入り こんでる」 2) という形になっている。.

(8) 8. 山室周平・河村十寸 穂. つまり山下町総人口日華併せて 約 8,000 人的のうち,華僑は 2,400 人余であ り,いわ ゆる中華街に 限定しても日本人の 方が若干上まわると 考えられるのであ る。 この点,全人 口の約 3/4 を華僑が占めている シソ ガポールでは , CMnatown の人口の 94% までが 華 僑 であ り,その Ch 油 atown の心臓部ともいうべき UpperNankinStreet 。 ) が全く中 国人の街といつてよいのに 比べれば,同じ中華街といつても 実質においてかなりの 相違が あ ることを知っておく. 必要があ る。. 1) 「横浜市定稿,風俗編 1932, p.571 によ ると,山下町 120 一 160 番地の区域が 中華街と考え 」. られている。 もちろんこの 番地の区域は ,. 中華街の中心部に 相当するけれども ,. しかし ヱコ口. ジカルな観点からみると ,必ずしも十分な 規定とはいえないであ ろう。 2) 山口辰男「横浜中華街の 生態研究 (3) 丁経済と貿易田 N0.81, 1963, p.12) 3) 横浜市中区役所の 町制世帯茂人ロ 表 (1962 年 10 月 1 日現在 ) に よ ると,山下町全体では 2055 世帯,人ロ 7,994 人となっている。 4)@ Kaye,@ B , ,@Upper@ Nankin@ Street@Singapore , 1960. 」. 11. 性別・年余 別 構成 t. 性 別 構. 成. 本 資料によると 性別人口,並に性上ヒは表 ⅡⅡのごとくであ る。 表 11-1 中区華僑の性別構成 これにたいして , 男. 女. 下 町 Uu 下町以外. 1,250. 中区合計. 1,811. 山. 561. 100. 女 る男の割合 に対す調査の. 毬7. 106.6 1 7.3. 1,660. 109.1. Ⅰ. , Ⅰ 73. Ⅰ. 1960 年度国. ¥%. く. 抽出結果 (総理府統計局 ) にょ れば全国の華僑人口は 男 18,900 ,. 女 17.700 で,その性比は 112.4 で、 あ り 同 じ 国勢調査の 1% 抽出 結 果 による横浜市の 華僑を含む総人口. は男 680.200 , 女 661.300 で,その性比は 102.9 となる。 ただし,国勢調査には本稿の. 緒言において 付言しておいたごとき 欠陥がないではないので ,むしろ登録人口によ る性比 との関係において 位置づけられるべきであ ろう。 すなわち 1962 年末現在の神奈川県下の 華僑人口 (法務省入国管理局調 ) は 男 3,142, 女 2,719 で, その性比は, 115.6 となつ ており,山下町の性比が平均 よ り若干下廻っていることが 注目されるが ,横浜全市の性比 ( 国勢調査の 1% 抽出結果に ょ れば前記のごとく 102.9 となるが, 横浜市「市政概要」 1960 年版に よ れば 1960 年 1 月現在において 102.2 となる ) に比べればなお 上廻ってい るといつて差支えないであ ろう。 外国においては , 1951 年度における. 過剰を示すところがあ. る 蛉と. 二. , 一 ・ジイランドの. 193.2 のごとく著しく 男性. 同時に,他力シンガポール市の華僑密集地帯 UpperNankin. Street のごとく逆に 92.2 で女性人口が 上廻っているところもあ. る ( ただし,シンガポー. ル 全市の性比は 121.9 であ り, 山下町と横浜市の 関係とは逆になっている においては 1950 年以降急速に 緩和したといわれているが , いて, 133.1 であ り,都市別にみると New. 幼. 。. また米国. なお, 1960 年度の全米にお. York City (169.の C ㎡ cago. (165.3) Los. Angels (129.3) San Francisco (130.3) Honolu ㎞においては 近年 異 民族との 通 婚が んに行なわれた 結果 105.0 まで低下したといわれている 勒が,なお山下町とほぼ同 種.

(9) 9. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 度 に留つている。 l) Fong, N.B., The Chinese in New Zealand, 1956, p. 133 の 表 より算出 2)@ Kaye , B ,, Upper@Nankin@Street. , Singapore , 1960 , p. 0. 28.. ・. 3) Kung, S.W ., Chinese in American Life, 1962 p, 40 なお,全米の 1950 年は 189.6 で あ るが,さらに遡って 1940 年には 295.3, 1930 年 394,7, 1920 年は 695.5 にの便り, 1890 年 のごとぎ実に 2,678,9 にたつしていたということであ る。 (P.33). 2. 年. 会 構 成 本 資料によると 山下町および 山下町以外の 中区の年会構成は 表Ⅱ -2 にみるごとくであ. る。. 表 11イ. 山下町並に中区華僑の 年会構成. 山下町以外 生 下女. 町計. 2. 8. (0.2) 36. 5. 年 Ⅰ. 1893. 一. 1883 年. (2.9) (1.3). 1903. 一. 1894 年. (7.3). 1913∼ 1904. 56. 81. 51 147. (1488) 11311 .279 上上・. の. (. 女. 計. ⅠⅠ. 千 Ⅰ. 7. 8. (1.2)@ (1.6) 3Ⅰ. (5.5) 59. 21. (4.3). Ⅰ5. 52. Ⅰ. 99. 58. 157. 71. 88. Ⅰ. 86. 75. 161. (9.0). 1923 1914 年 (10. 134 の (12.3) 278 (17.6)@(11.9). 03. 上村. 1933∼ 19初年 (11.4) 142 (13.8) 162 304. (12.7)@ (18.1). 59. 区 合 計 女. 計. 3. 9. (0・の. (0,の. 43. 2 、3. 66. 122. 77. 199. 2f㏄. 175. 233. 202. 4品. 213. 250. %3. 321. 311. 632. 189. 408. 2. 2. (2.4 Ⅰ. 44. (10.5). 男 6. 0 2) ・. 8). ㏄・. 男. 中. (1.4). (6.7)@ (4.6). (11.4)@(10.5) (12.9)@(12.2) (11.8)@(15.1). 玉 %2. ミ. (17.7) (18.の 1943一 1934 年 235 8.8)(20.1) 236 471 (15.3) (15.の 1953 1944年 (24.6 307 (25.5) 299 606 (25.0) 40 (26.5) 129 269 (%7 接 7)(25.8) 428 875 く. Ⅰ. ∼. Ⅰ. Ⅰ. 1963一 1954 年 (12.1) 151 は126 0 277 ・の. 無. 記. 2. 入. ・. 68 ( 2. ) Ⅰ. Ⅰ. 36 く工. 2.9. Ⅰ Ⅰ. 3. Ⅰ. 219. (12.1)@(11.4). 2. (0.1). 計. 山下町の性比は 前項でのべたごとく 106.6 であ ったが,この表でみると, 50 才以上の 年会層において 137.7, 20 ∼ 40 才 台 においては逆に 94.3 となるが, 10 才以下の年会層 において再び 107.8 となっており ,. 町 以外の中区でほ 30. 才台. 年会層による 出入の多いことを 示しているが ,. において女性の 超過がみられるにすぎない。. 山下.

(10) 10. 山室周平,河村十寸穂 図. 8. a (山下出 ). 図 3 b. す. 男. ・. 女. ・. 田. Ⅰ. 4. Ⅰ・. 4.6. 1 Ⅰ・ 4. 10.5. 2.9 11.8 Ⅰ7 7. 12.2 15.. 24. 12.. 8 12455 l l. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. 8.7 ⅠⅠ Ⅰ. Ⅰ. 0 ・Ⅰ. 00 ・. ・. 3a および. 0 .2. 0 .8 2.4 6.7. 坤. 図. 区) 女. 男. ・. 穏田乍および以前 0 " 1893 ∼ 毬荻年 2.9 年 7.8 1913-1 A年 1.8 ㎎ ∼ 19U4 年 10 . 7 19% ∼ 1%4 年 11.4 194% ∼ 1㏄4年 18.8 ㎎ 63@194 Ⅱ午 24.6 '" 。"' 12.1 無 記 入 00. 為. (中. b は ,表 Ⅱ -2 によって作製したものであ. るが, この図でみると 仮字金屑. の収縮がこの 地区の著しい 特徴となっている。 この点は 1963 年度の出生者が 事実上ブランクになっていることにも 原因があ るので, 法務省入国管理局調べに ょ 8 1962 年末現在の 14 才以上および 13 才以下を境とする 神 奈川県下の華僑人ロ と ,山下町のそれを比較したのが 表 Ⅱ -3 であ り,山下町における 低 年会層の収縮は 依然として特徴的であ る。 なお念のため 表 Ⅱ イ には昭和 35 年度国勢調 査の 1% 抽出に よ る横浜全市をも 掲げておいたが , ただこの部分は 15 才以上および 14 才 以下で 1 才の ズレ があ る点をお断りしておく。 なお, シソガポール 全市 およ. Nankin よび. る. A.低 年会 層 B.中高年会 層. Upper. Street の年会構成 お. OJ 下町 (華僑 ). 1950年度のアメリカ 在留. 神奈川県. (華僑 ). 市 に示しておいた。 いずれの場合一一 横 --浜 も低 年会層の占める 割合が. 表 11-4. 相違すること ,およびシン. I11. 出. 生. 地. 華僑の出生地についての 概略は表Ⅲ -1 の通りであ. 1.73. 339,6 ㏄. 1,001,900. 2.95. 同市華僑南米国華僑 女. 才 @. 20- 29 才 10"19 才. 18 20. 9 才以下. 23. 明 計. 6. I0 15 16 22 27. ⅠⅠ. 17. 不. 3. Ⅰ・Ⅰ. 0. 0. 100 Ⅰ. 3. 茨. 1. 8. 7. 3. 13. 5. 12. 13 18. Ⅰ6. 9. ⅠⅠ. 9. 15. 15 26 16 24. 2. 30 ∼39 才. 女. 男 播. Ⅰ 上. 60 ∼ 69 才 ∼. 側に近い傾向を 示している 点が注目される。. 3,683. 拓. 70才以上. 3.83. Ⅰ. シンガポールおよび 米国華僑の年金構成. 下町のそれが ,米国華僑の 50 4049 59 6 3. 対照的に相違しており , 山. 2.73. 男. ガポール華僑 街 と米国華僑 の 高年会 層 における性比が. 1,92. ・シソガポール 市 @. と. B. :. 502 Ⅰ. のそれを参考までに 表 Ⅱ 4. 相当高い点において 中区. A. ・. び 華僑密集地区であ. 表 11-3 年会構成の比較. 一. 8. 16 18 28 0. 00 100. 0. %. 0. 100. る 。 これによって 明らかな よう に日本生れの 二世,三世が圧倒的に多く ,総数の 63.8 %.

(11) 1t. 横浜在留華僑の 特質に関する 若 千の考察. 表 11I-1 中区華僑の出生地. 山 広東省 蘇 省 漸 狂 者 江. 福. 建. ・. 省. 安 徽 省 河 北 省. 山東省. T. 男. 女. 236. 161. 町. 計. (者別概況 ). 山 男. 下. 町. 以. ,. 中区合計. 計. 。 女. 397(16.4) 149@ (6.1)@. 30@. 39 (3.7). 15. 5. 31@ (1.3). 8. 3. 2. 0. 65. 外. 112(10.7). 47. 91@ 52 15. 58@ 37 16. 3. 2. 5. 12. 5. Ⅰ7. 5. ヰユ. 5. 0. 5. 9. 6. 509, (14.7)(40. の. 51(4.9)@ 200(5.8)@(15.9) 20(1.9)@ 109(3.1)@(@8.7) 42(1.2)@(@3.4) 1 (1.0). 21. Ⅰ. 2. 7. 6. 23. 15. 釦. 湖 湖. 北 南. 省 省. 3. 3. 6. 0. 0. 0. 6. 0. O. 0. 2. 0. 2. 2. 河. 南. 省. lⅠⅡ. 1. 2. 0. 0. 四. 川. 省. 1. 0. ll Ⅰ. Ⅰ ヰ. ヰエ. 2. 3. 90. 4Ⅰ. Ⅰ・. Ⅰ. 63@. 51. 114 (4.7). 黒竜江省. 0. 0. 0. 吉 林 遼 寧. 3. 0. 6. 手上. 1. 0. ユ Ⅰ. ユ Ⅰ. 湾. 台. 旧. 省 省紳. 勲同省 み ** 連 古. 大 蒙 者名無記入. 1. Ⅰ・Ⅰ. 0. 2. 131(12.5)@245(7.1)@(19.6). エ Ⅰ. 0. 3. 0. 0. 0. 3. 7. S. ム. l. 6. 13. 1Ⅰ,. 0. 0. 0. Ⅰ. 0. 0. 0. 2. 2. 0. 0. 0. 2. 2. 1. Ⅰ. 10. 4. 14. 0. ⅠⅠ. ⅠⅠ. ジソ 7. 18. あ. 3. 3. 6. 0. 0. 0. 0. Ⅰ. l. 1. ガポール. 0. 0. 0. 0. 2. 2. ラ. 0. エ. f. 0. O. 0. ⅠⅠ. ヤ. フィリ ピソ. 安 朝. 南 鮮. サイパ. ソ. 木. 不明・無記入. 合. 計 *. 15. @J. 日Ⅰ Ⅰ ヰ. 日. ・. 港. 香 漢 マ. よ ヰ. ヰ. 31. 2. ヰ上. 上 Ⅰ. 0. I.I. 0. 0. O. Ⅰ 工. O. 0. 0. 0. 工. 干@@. マ上. Ⅰ よ. 2. 3. 2. ・Ⅰ. 甘. 3. 6. Ⅰ 上. 1. 2. ⅠⅠ. Ⅰ 1.. 2. 4. 736@ 809@ 1545(63.8)@320@ 350@ 0. lム Ⅰ. ⅠⅠ. 2. 670(63.9)2215(63.8). 1.1. 3. 4. 12501173払お (1 0) 561 毬7 1048(100.0)le3471(100.0) ㏄・. 石欄外の数字は 日本生れおよび 不明・無記入を 除く 1252 人を 100 とする拓を示す。. 蒋 @日満州南部一帯で ,円安東省・ 奉天 省 ・錦州省などがふくまれる。. *** 旧勲 河 省は現在,遼寧省・ 河北省などに 分割統合されているが ,調査察では何省 に統 合されているのか 不明なので,そのままにしておいた。.

(12) 周. 12. 田 室. 子・河村十寸 穂. を 占めている。 この比率は山下町でも 山下町以外の 地域でもほんど 差がない。 しかし男と 女 とを比べると 若干の差があ る。 すなむち甲匠 全体の男のうち , 日本生れは 58.3 % であ るのに対して ,女では日本生れが 69.8 % と若干高くなっている。. 比較資料としてアメリカ 在留華僑をこついてみると (表皿戟 参照 ), アメリカでは 従来 アメリカ生れの 華僑が少なかつたのであ るが, 1940 年に至ってはじめてアメリカ 生れの 者が過半数を 占めるよさになり ,以後その比重は増大してきている。 .しかしこれを男女別 にみると,男ではなおアメリカ 生れの方が若干少ない。 ( ただしその比重は 増しっつあ る③ これに対して 女では従来通りアメリカ 生れの方が相当多い。 その他の地域についてもこう した傾向が見られるかどうかはわからない。 また横浜の場合,長期間の 歴史的変化を 知る 表 111-2 アメリカ在留華僑の 出生地 別 比率 男. ( 51.9) ( 毬 1). 即 , 262. 37,242. ・. 39,109. ( 65.4). あ , 702 31, ㏄ 7. ( 佃 8) ・. ( 55.2). 14,560. ( 72.4). 5,555 ( 27.6). 117,140@(100.0)@76,725@ (100.0)@ 40,415@. (100.0). in American Life, p.40 より引用。 原義には 1910 年以降の数字があ るが,煩雑になるおそれがあ るので 1930 年 からに限った。 a│III-3@ Upper@ Nankin@ Street@ f). 華僑の出生地 出 生 地. 実. ラ. マ. 笈. (5の ( 4). 58. ヤ. 国 申 港 香 インドネシア. (40). M8 8. 1. 工. イ. 1. Ⅰ. タ. 本. 日. 中国一十. (1. Ⅰ. ガポール船上 計. 1,608 人. p.. Ⅰ. 27). 462,226. 293,946. 79 48. %. ㏄ 7,583. 合. 計. 1,190 , 014. 756,172. 63. %. %. 1930 年センサス @ ㏄ tor, W.J., EconomlcC Positionofthe ChiInese in the NetheI.land Indies, 1936, 成田 節 資料 :. 男 ・吉村泰明共訳,「華僑の 経済的地位一 東 印度」 1942, p, 59 より 弓 @ 。 女の方が相対的に 現地生れの比率が 高 い. (100@%). (Kaye,@ Upper@ Nankin@ Street@ Singapore,. 幣 2, ㎎ 1. 債. 資料は残俳ながら 持ち合わせていない。. Ⅰ上. t. シソ. 、ジャワ. 外. The. 4. ⅠⅠⅠ 卜百 ー. Y漢. 数 886. シソ ガボール. 表 111-4 l日蘭印華僑の 出生地比率 (1930年 ). (1955 年). ということについては ,若干の推論的な. 理由が考えられないでもないが ,いまの 段階でほ尚早な. 緒論はさし控えたい。.

(13) 13. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 表 111-5a 広東省 T. 女 U@@. 59. 局. 明. 49. 南. 海. ト. 。. 町. 男. 中. 県 ・市制分類 ( 出生地 ). 山下町以外. 中区合計. 計. 43. 7 2. 省. 県 市 利分類 ・. 20. 24 Ⅰ. 0. 139 102 55. (出生地 ). 16. 36. 工 0. 中.

(14) 4. ⅠⅡ. 嫡. ・河村十寸 田室 平 穂 表 111-5d 福建省. 県 ・市制分類. (出生地 ). 中区合計 27 5 6 4. 42. 表 111-5e 台湾 l. T. 山. 肝r. 県別分類. (出生地 ). 山 男. 台. Ⅱ ヒ. 台. 中. 9. 台 商 新. 南 雄 竹. 37. 不 そ. 明 他. の. *. 17 11. 1.1. 8. 347. 51. の1 横神. 奈浜 城外. 」. 1. 一足 戸 一. 20. 37. 34. 20. ,. 51. 43. 以. 外. 54. 97* 30. あ. 28. 14. 目木 県 ・市制分類. 中区合計. 27. 47. 114. -. 26 12. 41. 基隆 10 をふくむ。. 表 111-5f. 東 神. 町. 18. 8 8. 4071 63. 計. 計女. 下. (出生地 ). Ⅰ. 31. ぬ5.

(15) 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. 15. 現地生れの者が 中国 ( およびその他現地以覚 ) 生れの者より 多いというのは ,移住の初期 の時代を除いては ,ほぼ一般的に見られる現象であ って,移住開始後相当な年数を経て定 看 的形態をとっている 地域ではほとんどそうであ る。 シンガポールの Upper Nank 田 St. reet についても,ほぼ 同様の傾向が 見られるし (表皿 -3 参照 ), 資料はいささか 古いが 領 印度 (今のインドネシア ) でも同様であ る (表 Ⅲ -4 参照 ) 。 この場合, 生れの比率がジャワにおいて 特に高く, 外領 において低いのは ,恐らく外領 がまだ新しく 移住の余地をより 多く残していたからではないかと 思われる。 ところで中国 ( 香港その他日本以外の 地をふくむ ) 生れのうち約 40 % は広東省生れで あ り,以下台湾・ 江蘇・ 漸江 ・福建の各省が 続く (表 ⅢⅡ参照 ) 。 一般に中国人したが っ てまた華僑を 問題にする場合,彼らの生れた省のみならず ,少なくとも県の段階まで 考. 慮 する必要があ ることほ多くの 文献の教えるところであ る。 したがつて比較的多くの 華僑 を 出している省については , さらに 県 ( もしくは 市 ) まで調べた。 その結果は表 皿 -5a ∼ e に 示す通りであ る。 ただこれらの 結果は次に述べる 彼らのく出身地 ノの 数字とかなり 関. 係が深いので ,次節において一括して取り 上げることにしたい。 日本生れの者 2,215 人のうち,圧倒的多数 (77.9%) は横浜生れであ る (表皿 -5f 参照 ) 。 横浜生れについては , さらに中区ないし 山下町生れの 割合を知りたいと 努めたが,資料不 完全のために 断俳せざるを 得なかった。 しかしいずれにしても 横浜華僑がかなり 高度の自 給陸 をもった集団を 形成していることがわかるであ ろう。 なお, 日本生れの女のうちには ,華僑と結婚した血統的意味での 日本婦人が含まれてい る。. しかし名前だげからはいずれとも 判断しかねる 場合もあ り, 数 的にも大勢に 影響する. ほどではないと 思われたので , ここではこの 問題を無視したことを 付言しておく。. IV,. 出身地一一本国の 住所. ここで く 出身地 ノ ないしく本国の 佳所 ノ というのは若干説明を 要する。 原資料ではく 国 籍の属する国における 佳所または居所 ノ という表現が 用いてあ るが, これは必ずしも 明確 な 概念ではない。 日本でい j 本籍地というような 意味をもっことも 考えられるし ,また現 在 もっとも近い 血縁者が住んでいる 本国の場所という 意味にも解される。 いずれにしても , 現在もし華僑が 帰国するとすれば 恐らくそこに 落ち着くであ ろうような場所を 指すものと 考えてよかろう。 これを一応出身地 ( 本国の住所 ) と呼ぶならば , これは 必 らずしも前述 のく出生地 ノと 同じではない。 すなわち日本生れの 華僑も,その両親特に父の 系譜に従っ て ,本国のどこかを自己の出身地とするわけであ るし,また同じ中国でも出生地が 台湾で 出身地は広東省というようなことがあ り得るからであ る。 さて出身地の 概略は表ⅣⅡに 示されている。 香港・喚問・ジンガポールなどは 厳密に はく本国 ノ とはいいかれるが ,華僑にとっては,いわば第二の本国として意識されている のであ ろう。 次に前節の出生地の 数字を考慮しながら 問題点を指摘しておきたい。 日本生れでないもの (不明・無記入を 除く ) 1,252 人を基礎とすると , く 出生地 ノによ る区別では広東省 40.7 %, 江蘇 省 15.9%, 湘江 省 8.7%, 福建省 3.4 %, 台湾 t9,6.

(16) 16. 山室周平,河村十寸穂 表 IV-l. 甲匠 華僑の出身地 (本国の佳所 ) 一省 別 概況 T. 山. 田r. 下. 町. 以. 外. 計. 計. 512(48.9)@ 1848(53.2). 安 河 山 湖 湖 貴. 徽 北 東 北 南 州. '. 10. 48(・. 312(・. 58(. 200(. 5.5). 5.8). 省. 7. 9. 省. Ⅰ9. 15. 1. 5. 5. 6. 34 11. 4. 省 省 署 省. Ⅰ3. 14. 27. 26 39 38. 0. 0. 0. 3. エ Ⅰ. 2. 0. ll Ⅰ. 黒竜江省 省 省. 円熟同省. 2. 1. 3. 0. Ⅰ. 土. l. 1. 0. ⅠⅠ. 寸エ. 連. 古. 263(25.1)@ 516(14.9). 117. 0. 0. 1.1. 0. 1. I. 0. 0. 2. 0. 2. 2. 4. 6. 1. 7. 3. 0. 2 2. 2 1.1. @. ⅠⅠ. 0. Ⅰ. 000. 0. ⅠⅡー・Ⅰ. Ⅰ・. Ⅰ・Ⅰ. 川崎京阪廃部 岡他. 2. 伊コ. (鴨田俊雄「神戸と. 19,429 在留中国人コ , 1954 による ). 44.あ 1. 1.1 1.1. の. の一 合. 華. 身 ) 出. 新︶ 出一 身一. 日本における 新日月Ⅱ華僑 数 (1952 年 5 月末現在 ). 24,822. 1 3. 0. 0. l. Ⅰ. 表 IV-2. 国. 全. 00. 9. 0. 0 4. 古. Ⅰ. Ⅰ・. ハリ マエ. 46. 1. 0. 刻工1Ⅰ 9 , 11250. ソ 香襖シユ. 大 蒙. 29. 2. Ⅰ. 林 寧. 19. 29 29 5. 台 吉 遼. 56(@5.3)@ 347(10.0).

(17) 周. 山 重. 山. 表 IV-3a T. 17. 千・河村十寸 穂. 広東省. 県 ・市制分類 (出身地 ). 肺. r. 山. 下. 町. 以. 外. 甲匠 合計. 弼鰍祇憾㎎W花托㏄ Ⅰー. 1732008 2. 146. ". 644. 1336. 一. ". 一. 262. 250. 512. 解 Ⅰ. 692 - 一一. "一一. 賦一町. 計. 32. 149. の計. % であ るが (表 Ⅲ -1 参照 ), く 出身地 ノ では広東省 53.2%, 江蘇 省 10.0%, 漸江省 9.0 膠 ,福建省5.8 %, 台湾 14.9 % となり, 多少の ズレ はあ るが大体において 相関してい る 。 ただ大陸出身であ りながら, 日本渡航の便宜上,一応台湾に 渡り,しかも後に来日す る者がかなり 多いという話をきくが ,あるいはそ う いつた事情から 台湾を出生地とする 者 の比率が, これを出身地とする 者の比率より 若干多いという 結果になっているのかも 知れ ない。 しかし, もとよりそれを 断定し得る証拠はない。 日本在留華僑について 特に注意する 必要があ るのは台湾出身者であ る。 彼らは敗戦まで.

(18) 18. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 表 IV-3c. 漸江省. 県. ・. 市別 分類 (出身地 ). 中区合計 0@ 7. !@ ;. 6. 16. 71 96. 15. Ⅰ4. 2. 表 IVづ d. * 基隆 27 をふくむ。. 福建省. 県 ・市制分類 (出身地 ). 16.

(19) 19. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 は 国籍上日本人であ. ったのであ り,それが戦後中国籍となった。 一般に大陸出身者を 旧華 僑,台湾出身者を新華僑と呼び ,新旧華僑は多くの点でかなり 性格を異にするといわれて いるのであ るが, この問題を詳しくとりあ っ かぅ のは当面の目的ではないので 後の機会に. ゆずることにする。 ただ横浜華僑についてみた 場合,台湾出身者の数は比較的少ない。 い ささか古いが 1952 年の資料 (表 IV-2) にみられる よう に, 東京・大阪・ 兵庫などに 比 べて,神奈川では長崎とともに 旧 華僑が圧倒的に 多い。 このことは横浜華僑の 特徴を把え るのにかなり 重要な意味をもっのではないかと 思われる。 ただし山下町と 山下町以外とを 比べてみると ,台湾出身者は絶対数ではあ まり変らないけれども ,比率からみると山下町 では 10.4 % にすぎないのに 山下町以外では 25.1 % を占めている。 中区以外の華僑では 台湾出身者は 恐らくもつと 高率を示すであ ろうと想像される。 したがつて中華街 は 最も旧 華僑的色彩が 強いということができるであ ろう。 その他注意すべき 点は,南方華僑と異 って,江蘇省 華僑が比較的多いこと ,河北省. ・. ・. 漸江 省を中心とするいわゆる 三江. m 東 省などの華北出身者が 多少含まれること , さらに 少. 数 ながら旧満州地区出身者が 見られることなどであ る。 これらの事実は ,地理的・政治的 関係から当然理解され 得る現象であ ろう。 主要な省に関する 県 市 別の詳細は表 IV-3a ∼ e の通りであ る。 この結果は出生地の 場 合 (表皿 -5a ∼ e) とほとんど同じ 傾向を示しているが ,各省について極く 簡単に解説して おこう。 広東省出身華僑は , ふつり広東 ヂ ルタ周辺出身の 広東人 (広州 八 ), 潮州・池頭を 中心 とする潮州 入 ,同省東北部の梅県を中心に 各地に散在する 客家人,海南島出身の海南人の 四大バループに 分けられるが ,横浜の広東省華僑は,その出身県から知られるよ う にほと んど広東人 (広州 入 ) であ り,潮州入 ・客家人は数人にすぎず ,海南人は皆無の状況であ ・. る0. 表 IV-4 南洋各国における 出身地 別 華僑比率 (戦前概況 ). シャム 州 南 家 東 建. 人 人 人 人 大. 広. 西. 人. 60. ㎝,頭人) (墳 刑人 ) (広州 八 ). 15 55. 80. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 1㏄ 拓. 100%. 100%. Ⅰ. 1,7㏄千人. 1.234千人. 381千人. 112千人. 0 20. 数. 1. 11. 00%. 2,500f 人. ". 00%. 4周 タ弓 |. ス Ⅰ く@ 力l Ⅱ コ 口. 総. Ⅰ. 50 20. らⅡ僑 な﹂華. 僑. 0. 18 24 34. 6浮橋 9南華 はⅡる 計雄げ 合為於 の量に 一高国 レ マト l 粉 領資 英. 華. 6. 8. 2. 計. フィリピン. 10. 10. 合. 仏領印度シナ. 0. Ⅰ0. 上海人・寧波 人 ・その他. 蘭領印度. 12. 11. 潮 海 客 広 福. 英領マレー.

(20) 穂 寸 N よ,. 十 Y Ⅰ. キ干 丁. 平 周 室 山. 0 2. 米 岡谷. 地. 身 l ⅡⅡ @ l け, 上. 華. 僑. 主. 要. 4. 図.

(21) 21. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. 福建省出身者についていえば ,南方華僑で福建 人 というのは 慶 門を中心とする 同省南部 の 出身者を指すのがふつうであ るが,横浜では虜 門地方出身者は 極くわずかであ り,南方 ではむしろ亜流に 属する福州・ 福 清人すなわち 同省北部出身者がほとんどであ る。. 江蘇 省 では上海附近および 鎮江周辺出身者が 多く,また湘 江 省 では寧波を中心とする い わゆる寧波 人 が圧倒的であ るが,これら玉江華僑は南方にはわずかしか 出ていない。 また台湾では 台北面および 台北県がもっとも 多く,台中・ 高雄・台南などの 諸 県がほぼ 同列でこれに っ づいている。. いま比較のために ,少し古いが南方華僑の出身地 別 構成の概略を 表 IV-4 に示しておく。 これによって 横浜華僑の出身地の 傾向・特色がわかるであ ろう。 なお主要な華僑出身地の 大要を図 4 に示しておいた。 広大な 申国 では同じ省内でも 地域によって 言語 (Dialect) を異にし, 別々の 朋 alect Group は移住 地 においても別々の 公所や会館 (Association) を形成している。 そしてこ のような同郷団体が 華僑のあ らゆる活動の 重要な基盤になっていることは 多くの論者が 述 べているところであ る。 さらにいく っ かの 県 出身者を結合した 団体が作られている 場合も. 広東会館・玉江公所・ 台湾同郷会などは 大単位の同郷団体であ るが,同じ広東人グ ループでも,たとえば白山・開平・ 忠平・ 新 会の四県出身者からなる 四目公所,順徳・ 南 海・ 番 黒の三県人を 構成員とする 三色公所,高要 ・高明・ 鶴 山の三県出身者からなる 要明鶴 同郷会などはいわば 下部同郷団体であ る。 四色公所 (Sze Yap DistrictAssociation) や 三目公所 (Sam Yap District Association) はアメリカにも 存在している ,, 。 これらの 同 あ る。. 郷 団体は華僑社会の 構造を知るためには 極めて重要な 存在であ るが,本稿ではいま 詳しく. 論及する余裕がなり。 なお華僑出身地が 主として華南の 海岸地力に集申して。るという点については 多くの論 者によって種々の 原因が挙げられているが 2), これについても 詳論するのは 別の機会にゆ ずることにする。 1)@ Lee@R. , H ・, The@ Chinese@ in@ the@U , S , A ,@1960 , p , 145. ・. 2) たとえば疎達 (満鉄調査局 訳 ) 「南洋華僑と 福建広東社会」 (「南洋華僑叢書」第 政次「 南 支の農業・農村」. V,. 来日. (上陸許可 ). 6 巻 ) 1939; 沼田. 1942 など。. の年. 中区全体の華僑のうち , 日本以外の土地で 生れたものは 1,252 人で,全体の 36.1 膠 にあ たるが,彼らが日本に来たのはいつごろであ ったか。 調査の基礎になったのは ,法律 的意味での上陸許可の 年であ って,現実の来日時期とは 若干くいちがいがあ るかも知れな いが,それを確かめる方法はなかった。 また記載された 上陸許可の年が 彼らの最初の 来日 を示すものなのか ,それとも来日後一度あるいは二度以上帰国して 再入国した年なのかは よ くわからない。 しかし UpperNank 油 Street の調査に よ れ ば , 来 住者の 78 % は最 初の来任俊一度も 帰国しておらず ,特に比較的新しい時期の来住者は 大部分帰国した 経験. をもっていないので ", 横浜の場合も 記載された年を 最初の来日時期と 見てそれほど 極端.

(22) @22. 山室周平・河村十寸 穂 表 V-1. 1898 年 99 年 19 ㏄ 年 01 年 02 年 03 年 04 年. 中区華僑の来日. (上陸許可 ). の年. 山. T. 町. 山 下. 町 以. 外. 男. 女. 計. 男. 女. 計. 中区合計. 1. 0. ヰ土. 0. 0. 0. Ⅰ. 0. 0. 0. 0. 0. 0. O. l Ⅰ. ム Ⅰ. 0. 1. 0. 0. 0. 1. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. O. 0. 0. 0 0. 0@. 0. 0. 0. 工. 0. ll. 1. 3. 1. 4. 0. 0. 0. 05 年. 0. 0. O. 0. 0. 0. 4 0. 06 年 07 年 08 年 ㏄ 年 1910 年. 3. 0. 3. 0. 0. 0. 3. 3. 2. 5. 0. 0. 0. 5. 工. 0. 工. O. 0. 0. ⅠⅠ. 0. Ⅰ. %1. 0. 1. 1. 0. ム Ⅰ. Ⅰ. ll. 0. Ⅰ. 年. 2. 1. 3. Ⅰll. 0. Ⅰ. 12 年 13 年 14 年 15 年 16 年 17 年 18 年 19 年 1920 年 21 年 22 年 23 年 初年 25 年 26 年 27 年 28 年 29 年 1930 年 31 年 32 年 33. 年 34 年. 2. 0. 2. ユ Ⅰ. 0. Ⅰ. 5. 0. 5. 0. O. 0. 0. Ⅰ よ. Ⅰ. 0. 1.1. 1. Ⅰ 土. 2. 0. 1 Ⅰ・. 1. 5. 2. 7. ⅠⅠ. 0. ⅠⅠ. 5. 3. 8. 8. 0. 8. 11. ⅠⅠ. 7. ム Ⅰ. 9. 4. ナ. @. '6@ (0.5). ,11 (0 9) ・. 1. 2. 2. Ⅰ・. ⅠⅠ. 0. 寸土. 0. 0. 0. 8. 0. 0. 0. 13 20 15. 6. 2. 8. 6. 0. 6. 2. 0. 2. 8. Ⅰ6. 4. 11. 4. 16. 3. Ⅰ9. 6. 0. 6. 17 12. 6. 23 20. 5. 2. 7. 2. 1. 3. 13 25. 4. ⅠⅠ. 4. 工. 5. 30@ 23. 8. (0・ け. 8. 5. 15. Ⅰ0. 11. 6. Ⅰ. 7. 3. 3. 6. 13. 8. 21. 4. 0. 4. 6. 8. 3. 3. 5. 14 10. 0. 5. 2. 2. 4. 8. 2. Ⅰ0. 1 Ⅰ・. Ⅰ. l. 2. 9. 8. 4. 2. 6. 23. 8. Ⅰ0. 17 I8. 4. 3. 7. 25. 5. 119@ (9.5). 次頁へつづく.

(23) 為. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 T. 町. 山. 男. 女. 計. 男. Ⅰ. 7. 1. 6. 23 14. 11. 6. 。. 外 計. 女. Ⅰ7. 7. 3. I2 10. 34. 5. 2. 7. 41. 5. 2. 7. 27. 1. 7. 18. 11. 25. 10. 22. 32. 9. 4. Ⅰ3. 11. 20. 11. 8. Ⅰ9. 9. 3. 13. 2. 15 15. ⅠⅠ. 12 12. 7. 1. 8. 6. 2. 3. 5. 3. Ⅰ. 13. 17. 2. 4. 6. 1. 2. 3. ⅠⅠ. 0. 8 4. 0. %. 48 年. 3. 4. 49 年. 上. ⅠⅠ. Ⅰ. 1. 甘土. 1. 7. 4. 6. 5. ⅠⅠ. 10 3. 6. ィ. 2. O. 2. ウ. 9. 10. 7. ⅠⅠ. 2. 9. Ⅰ0. Ⅰ. 7. 19 22 19 13 16. 12 12. 3 Ⅰ. 16 22. 4. 4. 8. 4. 3. 7. 8. 8 2. 2. 6. Ⅰ2. 5. 3. 29. 2. Ⅰ4. 3. 5. 8. 61 年. 13. 勿. 8. 2. Ⅰ0. 62 年. 20. 1% 1%. 31. 6. 5. 工. 451 63. 333 30. 7双. 23%. 93. 8. 明. O. Ⅰ ユ. 2. れ. 736. 8㏄. 不 本 生. ⅠⅠ. 15%. 108@(8.6). 25. Ⅰ2. 無記入 (中国生 ). 38. 23@. 年 19 ㏄ 年. Ⅰ. 5. 1. 4. 19. 152(12.1). Ⅰ ll. Ⅰ0. 2. 27 14 ぬ ㏄. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ2. 0. 27. 176 ( 4.1). 1 @@6 4. Ⅰ2. 2. 7. 来日・上陸者計. 甲金匠 計. 4. 59. 日. 以. 20 36. 97. 1950 年 51 年 52 年 53 年 54 年 55 年 56 年 57 年 58 年. 町. 8. 15. 8. 下. 1. 1935 年 36 年 37 年 38 年 39 年 1940 年 41 年 42 年 43 年 44 年 45 年 46 年 47 年. 山. I. 42. 20 16. 350 24. 1135. 1. 3. 4. Ⅰ 17. (9.3). 2215 駿71. * 石欄外力 ッコ 内の数字は,来日者と 中国生れの無記入者の 合計 1252 人 を 100 とする茨を示す。. な 間違いはないのではないかと 想像される。 さて彼らの来日時期は 表 V Ⅰに示されるよさに , 1920 年以降が多く , 特に 1935 ∼ 39. 年 05 年間はもっとも 多い。 1931 年の満州事変,. 1937年の日華事変の 勃発にも拘らず ,.

(24) 勿. 山室周平・河村十寸 穂. 来日者の数は 必らずしも顕著な 減少を示しておらず. ,苛烈な太平洋戦争中にあってもかな. りの来日者があ ったことがわかる。 しかし 1945 年の敗戦の直双・ 直後はさすがに 少なく, この時期の特異性を 物語っている。 1950 年以降は再び 相当数の来日者が 続いており,太平 洋 戦争後 (1946 年以降 ) の来日者は 399 人に達し, これは来日者総数の 31.9 % を占める。 山下町居住者とそうでない 者とを比べてみると. ,全般的に山下町の方に古い時期の 来往. 者が多く・山下町以外の 者は 1940 年以降において 顕著であ る。 この点からみても 山下町 とそれ以外の 地域との性格的相違が 認めら 表 V り Upper Nankin. Street の華僑の 来 住の 年 (1955年 ). 最初のマラヤ 来 住の 年. 実数. 履. の 6.6). ∼ 1904. 11. (. (33.9) ( 7.2) ( 0.9). (. Ⅰ. 905. ∼. 1914. Ⅰ. 915. ネリ. Ⅰ. ィ. 1934. 44 109 221. 1944. 225. 1925 1935@. 924. 48. 1945. 不. 明. 6. I. (16.4) (33.3). れる。. また男女を比べてみると ,古い時期の来 日者には男が 多く , 女の来日者が 男と バラ シ スする よう. になるのはほぼ 1930 年以降. とみてよい。 比較のために Upper. Nan ぬ n Street の. 場合をみると , 表 V-2 のようになるが , 戦後の来住者が 横浜に比べて 少ないことが. 特徴であ る。 来 住 者 計 664A@│@(100.0)移民の来住は 当該両国間の 政治的・経済 (Kaye,B., Upper Nankin Street Singapo酌関係に多く 規定されることはいうまでも re, p.. 133 による ). ないところであ り, たとえばアメリカでは. 1882 年の移民排斥法の 成立によって , その後の華僑入国者は 激減したし, また太平洋戦 事後アメリカ 政府の方針にもとづいて 大量の中国婦人が 入国した 2)。 そして,さらに来住 と 同時に移民の 本国への帰還を 間 題 としなければならない。 留 日華僑は満州事変や 日華事 変で本国に引揚げた 者も多く, 当時の在留華僑は 半減したということであ る。 ただ 19% 年に約 40,000 人の中国人労務者が 日本国内の労働力不足を 補 う ために強制的に 動員移入 された。 また台湾出身者は 終戦時に約 28,000 人いたといわれる。 敗戦後本国への 引揚げ が 行なわれたが ,大陸出身者約 20.000 人,台湾出身者約 17,000 人が残留したとされて いる 8)。. 横浜華僑の場合,本国への帰還を逐年正確に. 把握し得ていないが. ,来日・帰国をふくの. て 華僑の移動に. 関する詳しい 分析は今後に 侯 つべきところが 多く,ここでは極めて簡単に 事実の一端を 概観するに止めておく。 したがつて,たとえば 来日者の出身地や 職業と来日. 時期との関係,来日動機の. 問題など具体的な 内容の検討は 別の機会にゆずらざるをえない。 l) Kaye, B., Upper Nankin Street Singapore, pp. 132 一 134 2) Lee, R.H., The Chinese in the U.S,A., pp. 21 一 23 3) 平凡社販「人口大事典」 1962, p. 703. VI.. 在. 留. 資. 格. 華僑ないし一般に 在留外国人の 日本における 活動を理解しょうとするにあ たって , 法に.

(25) 25. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察 よる規制の態様を 知っておくこともまた 不可欠な一要件であ. るといわねばならない。. 特に. 出入国管理会にもとづく 在留資格および 在留期間の規制は , 彼らの日本における 活動を, その根源的な 点において限定し ,規制するものとして重要であ る。. ,われわれは原資料の集計結果にもとづき 横浜市中区在留の 華僑にお いて,どのような在留資格,在留期間をもつものが ,どのような割合で含まれているかを 表 W-3 において示したが ,それにさきだち,出入国管理会にもとづく 在留資格および 在 そのような意味で. 留 期間に関する. 規定の概略を 一覧表にして 参考に供しておく 表 VI-1. 1 一. 123. 4一. 4. VI-1 参照 ) 。. 在留資格および 期間に関する 法的規定. 該 フテ. 一一. 丁Ⅰ. 1.1. 条. 444. 第. 項一一. 在留資格. (表. 当. 在留期間. 者. 外交官もしくは 領事官またはこれらの 者の随員。 日本国政府の 承認した外国政府または 国際機関の公務をお ぴ る 者。 通過しょうとする 者の. 無. 期. 限. 無. 期. 限. I5. 日. 60. 日. 1. 年. l 観光客。. 本邦でもつぱら 熟練労働に従事しょうとする 者。 者。. l. 永. 久. 3. Ⅰ ユ 1. 3. ⅠⅠ. 4. 4 一 1 一 16 一 3. 一じ. l 本邦に永住しょうとする. 世. 4 一 1 一 14.

(26) 周. お. 田 室. 表 VI-2 在留資格別入国者数 (1960 年 1 月一 12 月 ) 在 資格 留 ""総数にたいする. -. 子・河村十寸 穂. このような在留資格および 在留期間が 1960 年 雙 において,華僑を含む全人国者に , どのような. 割合で通用されたを 法務省入国管理局「出入国管 理 のしおり」 によってみるとっ ぎ のごとくであ. 一. る。. 4. 一. 1. 4. 一. 工一 4. 47.1. 4. 一. 1. 一. 5. 10 2. 4. 一. 1. 一. 6. 0.4. 4. 一. Ⅰ. 一. 7. 0よ. この表によってみると ,中区全体を通じて永住 者が過半数を 占め,とくに山下町の場合 66 膠に. 4. -@. 1 -@ 9. 0 8. のぼっていることは ,山下町の華僑人口の,歩く. 3. 8.1. ・. ◆. 4 一 工一 10. 1.. 4 -@ 1 --11. 0 2. そ. Ⅰ. ・. の 他 計. 20.2 100( 実数 146. ㏄ 1). これにたいして ,山下町およびその他の中区在. をみられたい。. 留の華僑については 表 W-3. も 日本における. 定着性を示すものとして 洋目 さ れ て よい だろう。 他方, 4-1-5 す なむち貿易, 事 と. 業 ,投資を目的とするものの割合が比較的少ない ことは,それらが主として一一少なくとも 人口の. Ⅰ. 注. 1.. 注. 2.. 「. 86. Ⅰ. 51. 昭 26 政令 319 一 22」「永住」および「 P.R. 」は 4 一 Ⅰ一 14 に一括計上した。. 」は該当資格がないので 不明とした。 なお,「4 一 1 一 15 一 5 」は「 4 一 1 一 5 」・の配偶者と 未成年の子の 意味 (4一 1 一 15 一 (5) ) とのことであ るので,一応「4 一 1 一 15 」に計上しておいた。 「. 4 一 1 一 6 一 2 」「 4 一 1 一 15 一 2 」「 4 一 1 一 16 一 13. 337.

(27) 27. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. 点で 永住者によって 営まれていることを 示唆しているとみてよいだろう。 横浜市大山 口教授の現地調査によれば 横浜市の中華街界隈に 存在する華商は 204 店にのぼっている ということであ る ( 山口辰男「横浜中華街の 生態研究」 (3)「貿易と経済」 N0.81. 1963 年 2 月, p.10)。 また,永住者についで 多いのは 4-1-16-3 であ るが, この部分には 目下 整 理を考慮中の 暫定的なものが 多数含まれているとのことであ は,. るので,その限りにおいて. この表はなお 未 確定な点を残しているといわぬ ぼ ならないであ ろ. 他の国々に在留する 華僑の法的地位については. ,それぞれの特殊事情があ. って比較する. ことが困難であ るが, 1945 年度における New Zealand 在留の華僑は 4,940 名であ り, また 1948 年度において 永住権 を与えられているものは 1,408,そのうち十国生れが 1,000 各 であ ったということであ り, (Fong, N.B., The Chlnese in New ZeaIand, 1959, p, 33. 58), 仮 りに両者の間の 割合を求めるとすれば , 29.5% で,中区の 62.2%, 山下町の 66.0 % に比べて著しく 低率を占めているにすぎない。 VII.. 職. 業. 華僑の職業別構成 は表 W-l にみられる通りであ る。 この場合,原資料の記載がはなは だ陵昧 であ って,産業別分類と 従業上の地位とがはっきり 区別されずに 漠然と記されてい. るために,集計結果は必 みずしも一貫した 体系的分類になっていないのは 止むを得ない。 たとえば料理 業 についても,経営者か従業員かを区別したいと 思ったが,大部分は不明で あ った。 他方,会社員や事務員については 産業上の分類ができなかった。 以下そのような 不完全さを双提とした 上で若干の考察をしておきたい。 まず有業者と 無職者との割合をみると. ,学生・子供および無記人のものを 除いて,男で. は全体 ( 中区 ) の 17.2 % が無職であ り,女では逆に 有業者は全体の 12.7 % にすぎない。 女の場合,いわかる家族従業者が 実際にはもっとあ るのではないかと 想像されるが ,断定. できる資料はない。. なお有業・無職の 割合 は ,山下町と山下町以外ではあまり顕著な差は. ないようであ る。 有業者全体を 100 としてみると ,料理業が 33.7 % で中華街の シソボル にふさわしい 地 位を占めている。 これに飲食店・ / -- カ フ , 一 ・キャバレー・ 喫茶店などをふくめると , 飲食物サービス 業関係 は 44.2 老になる。 ト. 従来,華僑の職業を代表するといわれたく 三万 ノ 事業,つまり 料理 (庖丁 ), 理髪 ( 剃 刀 ), 洋服 (裁断 欽 ) のうち,料理は上述の通り ぜ あ り,また洋服 業は 7.8 %/0 を示してい るが,理髪業は美容をふくめても 1,5 % にすぎない。 貿易業は全体の 7.2 形であ る。 華僑貿易商の 実態を明らかにするのは 本稿の目的ではな いが,「日本の貿易商社が販路を 海外に大幅に 拡張したので ,華僑はその圧迫を受けたが , 日華両国の貿易は 順調に進展している。 台湾を相手としている 華僑の貿易商 信 ,依然従来. の業績を保持しているが ,東南アジア地域を相手とする 貿易商は,フィリ ピソ / イソ シァ 等各国の民族主義的圧迫を 受けて依然苦境の. 中に事業を継続している。. ドネ. 日本全土にあ. る数百の大小華僑貿易 茉は ,,華僑の事業のうち 極めて重要な 役割を演じている」, ). という.

(28) 28. 山室周平・河村十寸 穂 表 VII-. Ⅰ. 中区華僑の職業 山 下. 洋. 理. 業. 215. 服. 業. 56. 繊. 維・洋品 商. 洋. 裁・縫物 業. 運. 輸. ・. 料. Ⅰ3. 町. 以. 外. 228. 0. 業. 食品加工業 製. 菓. 業. 二ロ. 柿Ⅰ. 業. 食 品 卸 商 電 気 節 商 食 料 品 商 菓 子 商 雑 貨 商 海産物雑貨商. タ /ト. 自. コ. 商. 0. 2. 転 車 商 0. 薬 質 魚、 商 靴 ・皮 革 商 商 業 塗 装 業 職 人 家政・派出婦 女中・家事手 広 貸家アパート 経営 映 画 館 主 旅 館 業. 0. 1. 0. 0. 4. 0. ・Ⅰ. ヰ. ⅠⅠ. ⅠⅠ. 0. 0. 0. 1. 0. O. 0. 1. 0. 3. 0. 3. 3. 1. 1. 19@. 0. 0 0. 11. 2. 0. 2. 1. 1. 0. 1. 2. 3. 0. 0. 0. 3. ⅠⅠ. 0. I.I. Ⅰ. 0 0 5. ⅠⅠ. 3. 8. 0. 0. 1. 2. 次頁へつづく. (2.0).

(29) 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. 会 事. 社 務. 員 員. 29. 41 15. 幼稚園保母 技. 術. 者. ことであ る。 その他見るべきものとしては ,海産物・雑貨商を中心とする自営の 雑業者が多いこと , 遊技場・旅館業などに 若干進出していることなどであ. る。 総じて横浜華僑の. 特色は旧中間.

(30) 30. 山室周平・河村十寸. 穂. 層 的な自営業者,それも飲食サービス 業を中心とする 商業者が多いことであ ろう。 会社員・事務員・ 銀行員・店員などのホワイト・ヵラ ー 的被傭者層は 全体で 15.9 % を 占め,これに教員をふくめれば 18.9 % になるが,他方注目すべき 特色としては 工場労働 者がほとんど 見られないことであ. る。 単純労務者をふくめて ,いわゆる労働者階級 ( ブル. 一 ・カラ づ は横浜華僑にあ っては 極く 僅かしか存在しない。 この点は,在日朝鮮人の 職. 業 構成において 日雇労務者 18.4 %, 工業労務者 12.6 %, 土建労務者 10.3 %, その他 の 職業 ( 日雇的と思われるもの ) 23.8 % に上っている 2) のとはなはだ 対照的であ る。 表 VII-2 無 理. 人. その他販売従事. 者 事 務 従 事 者 貿 易 従 事 者 その他技能工・ 生産工程従事者 娯楽・遊戯場の 接客 理 髪 師 美 容 師 医. 療. ・. 健. 523. ス. 348 278. 保. そ. の. 洋. 服. サ. 仕. 一. 主. ビ. 裁. その他専門的職 自. 776 550 538. 理的職業従事者. 教 単. 2,238 1,561 1,230. ・. 管. 他. 純 労 働 動 車 運 転. 断 業 員 者. 198 164. 手. の. 他. 運 集. 記. 輸. 15. 66 54 48 43. 採. 業 類. 総. 不. 4. ヒ巳 3 冊. 計. 特に顕著な特色という 程のものは見出せな いようであ る。 すなむち全人口に 対する 有 業者の比率もほとんど 同じであ (横浜市 中区 29.6 %, 全国 28.2 %), 職業従事 り. 者の分布も大体において 同様の傾向を 示し ていると見てよい。 ただ横浜の場合,料理 業 関係が相対的に 多く ,. 逆に貿易 業 ・理髪 少ない。 表 W で は 1 と 2 で職業のカテゴリーが 異 るので 厳. 叢 生産工程従事者などが. 密な比較はできないけれども , 論. 全般的な結. としては,横浜華僑は 全 留 日華僑とほぼ. さなど, 若干の横浜的特色を 示していると. 採. ・. 横浜華僑の場合,. 115. 49. 鉱. ,. 同じ傾向を見せながら ,. 者・編 者 家 教 古木 古物・屑鉄販売従事者 職 洗 濯 ガ 丁て 術. 漁 分. と 比較してみると. 153 98 89 77. 林. 農 そ. 参照 ). 32,009 3,266. 職. 料. これを留日華僑全体の 職業構成 (表 W リ. 留 日華僑の職業別構成 (1959 年 4 月 1 日現在 ). @ 佃 599 人 ・. 料理業の相対的 高. いつてよいであ ろ. なお戦前の職業構成 県 在留華僑 ). (1941年末,神奈川. をみると, 料理職 320 ,. 仕立. 職 175, 会社・商店員 100 ,家事使用人50 , 料理店従業者 48, 理髪 職 39 (以上いずれ. ), 業主としては 牛講 料 麗美 36, 西洋料理 業 2, その他の飲食業 27, も 職人ないし被傭者. 6 などが主なところで ,. 被傭者が多い。 そ. して, かなりの被傭者 は 戦後従属的立場を 離れて, 経済混乱期を 切り抜けあ るいは 利 崩 して独立し, 料理飲食業を 中心とする サ. 資料 : 法務省入国管理局調べ ,長田五郎. 引用. 比較のためにシンガポールの UPpe. 「. N㌃.

(31) 横浜在留華僑の 特質に関する. 31. 若 千の考察. nk 油 Street, における華僑の 職業についてみると ,学生・子供を除いて,男では全体の 88.4 % (336人 ) が職業をもっており ,女でも 54.4 %(340 人 ) が働いている。 これは横 浜華僑の女がほとんど 無職 あ. る。. ( 主として無業の. さらに有業者全体のうち. もっている。. 主婦 ) であ るのに比べて 著しく相違する 点で. ,自営業者は 14 %. であ. って, 76% は非家族的雇傭関係を. ,比較的多くの従業者を含 (15),小売店員 (14),露店 商 (12),洋服. 具体的な職業内容 は 極めて多様性に 富んでいるが. むものは,男では行商 (19),モーター整備 工. (11),大工 (10),会計事務員 (9),水道管取付 工 (9)などであ り,女では土工 (52),. 尾. (Rubber Grader,43), 包装 工 (26),臨時雑役 (21),ゴム皮剥ぎ (19), (17), ゴム選別 工 (13), 野菜行商 (13), 梱包点検 工 (11),車 押し (11)などで. ゴム・グレーダー 裁縫 工. あ る ( カッコ内はいずれも 実数 ) 。 これを見てもわかるよ. 生産および商業活動に 従事しており. に,男女ともにかなり広範囲の ,特に女では半熟練ないし 非熟練労働者が 多い。 日本 う. において特徴的な 料理 業 ・サービス業などが 極めて少ないのも 対照的であ アメリカ華僑は 特に第二次大戦後,各種の職業分野に進出しつつあ 一 と工場労働者を 合わせると有業者の 約. る。. る". 。. ホワイト・カラ. 1/3 を占めると思われるが ,目ぼしいものに料理. 業 ・洗濯業があ る。 1960 年には Chinatown を含めて. New. York 全市で料理 業 555. 人,洗濯業 2,654人に達しており ,その他小売の期商業,輸出入,船 貿易,養鶏業,銀 行 ・保険・株式ブロ 一ヵ一などが 注目されるとともに. 他の知的専門的職業にも 戦後大いに活躍している. ". ,科学者・技術者・. 医師・教師その. 。. ところでこのような 職業に従事している 華僑が,かつて本国ではどんな 仕事をしていた かという問題であ るが,この点については 現地調査による 油 ter㎡ ew が今のところ 実施 困難の状態なので 明らかにすることができない D そこでどの程度参考になるかはわからな いが, 1937-38 年の間にタイに 入国した華僑 28,344人についての 統計を一応紹介してお. く。. 70 % 近くの 19.510 人が商人と答えており ,以下一般労働者,家事 労 ,農業と答えたものは 375 人にすぎない。 これについて R.J. Coughlin. これによると. 働などがつづき は,. 彼ら入国者の 大部分は零細な 兼業小農民であ ろうと推定し ,「中国の農民にとっては ,. あ る程度の手職. (Craft)をもち商売をやるのは 珍しいことではない。. それによって 彼ら. る㈲」と述べている。 彼らがやがて 移住 地 るいは商人として 成功する基盤が ,移住前におけるその雑多な兼業経験の. は不十分な農業収入を 補 において職人あ. う. ことができるのであ. なかに見出されると 解釈しているわけであ る。 ただしこの点に 関して K.P.Landon は , 「これらの移民は , 自分達が従来やってきたことよりも , 将来やりたいと 思 う 職業を述べ たに相違ない。 でなければ,農業従事者の 割合がもっと 大きくなるはずであ る 7) と述べ て 批判的見解を 提出している。 」. 1) 長田五郎・田仲盗品「 暦 日華僑経済の 動向 (1) " 華僑経済年鑑 " を中心として と 貿易 J No. 79, 1962, p.2) 2) 村巷 一 「在日朝鮮人に 関する綜合調査研究」 1957, p.69 3) 内田直 作 塩脇 幸四郎共編「 留 日華僑経済分析」 1950 , pp.10gH13 4)@ Kaye , B , Upper@ Nankin@ Street@ Singapore , pp , ・. ・. 5)@ Kung,@ S W ,@ Chinese@ in@ American@ ・. ・. Life,@ 1962.@ pp , 179-196. 」. (「経済.

(32) 周. 32. 山 宝. 4 1. 94. p.21.. ㏄国 ㏄イ Ⅰタ d, ﹁. の華僑﹂. 1941. ese. rn 題Thallan. ぬ問. №太. d,. hines. C. en ha. Th はa がT it n ti Iden. 地. Chi. 務. ubie Dhoe ,T. 勤. J. 田田. ㎎血 ㏄. K n 1? n h06. p.. 67. VII1.. 手・河村十寸 穂. 調査会釈. この項のデータ (表 W-1) は外国人登録法第 4 条第 19 項「勤務所又は 事務所の名称 及 び 所在地」にもとずいて 記載されたもののうち「名称」の 部分についての 記載を省略して 集計したものであ る。 職業のあ るもので記入していないものが 少なくないのみならず ,「名 称 」のみをあ げて「所在地」を 明記していないものもあ ったが,集計者において本 ・支店, 表 VIII-1. 中区華僑の勤務地 居住地. 仙 下町以 勤務地 -て -. 横浜市中区 ". 山下町. ク. 西区. ". 神奈川区. グ. 鶴見区. ". 南. ". 94 44. 6. 5. 2 6. 4 6. 区. 4. 文京区. ". 磯子区. 8. 3. ヰ. ・Ⅰ. Ⅰ 上. 11. 5. 五. 千葉市. 1 Ⅰ ヰ. 1. ユ. Ⅰll Ⅰ. 座間. 港. ". 新宿区 品川区. 区. 目黒区 " ". 3. 上 ・. ". ". 2 2. 前橋市. ". 1. 11. 1.1. 横須賀市 川崎市 大和市 鎌倉市 葉山町 高座郡 ". 47 I88. 台東区 杉並区 江東区. 2. 9. 26. 20. 5. 25. 5. 3. 8. 5@. 2 ⅠⅠ. 7. 3. 3. 3. t. Ⅰll. Ⅰ 上. ll4 ヰ. 1. Ⅰ・Ⅰ. 名古屋市. Ⅰ ヰ. 神戸市 工 Ⅰll. 不. 明. 剖 @. 一 Ⅰ. ・. 20. 4%. 11. 31. 230. 653.

(33) 33. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. ないしは出張所の 別,および,その 所在が明瞭と 判断されたものについては ,それぞれの 場所に算入しておいた。 いずれにもせよ , この項のデータについては 充分改正確さを 期待 し 難いと考えるが. ,ともあれ,中区,とくに 山下町および 東京都の一部の 区. ( 中央,千代. 田 ,港の各区に集中する傾向を 示していることは 一応注目してよいだ る. なお,この種の資料を外国の 文献にもとめることは 困難で. 表 VII1-2UpperNankin. あ るが, シンガポールの 華僑 街 における佳所から 勤務地への. Street 華僑の通勤時間. 住居. 往復に要する 時間ほ 表 W-2 のごとくであ ったということで あ る。 (Kaye, B., ibid., p. 204) 。. 5. 分以内. 5. IX.. 続柄関係. 16 ∼ 30 分 60 分 31. ( 因みに. 16.1 %,. 25 175 232 69 2. まず,世帯主自体の 内部において ,文世帯主が多いことが 問題になる。 すなわち,山下町の場合男世帯主にたいするそ 山下町以外の 中区においては ,. 54 人 39. 分 ∼ 15 分. 6. 世帯主にたいする 続柄を集計した 結果は表Ⅸ _ 。 にみる ご と くであ る。. 0 割合は, 22.4%,. 内. 不. 定. 計. ㏄. 672. 中区全体において ,. 20 2%. 1960 年度国勢調査の 1% 抽出結果から 算出した全国の 割合は 15.4 % であ. ・. るカ. であ り, とくに山下町における 割合が問題であ るが,その内容については ,年会,職業, 世帯構成 (表 Ⅸ -1 にみるごとく 有夫の女世帯主は 少数であ るが,単身ないし 独身であ る か ,寡婦その他であるか, 育 子であ るかどうか等について ) 等との関連において 理解する ことが必要であ るが,単純集計の 段階では,それらの点はなお明瞭でない。 ともあ れ,両者を通じての一世帯主当平均世帯員数は , 山下町 4.099 人, 山下町以外 の中区 3.6399 人, 中区全体としては 3.949 人であ り, これにたいして 1960 年 1 月 現 在の横浜市においては 4.23 人 (横浜市「市政概要」 1960 年版 235 頁 よ り算出 ) であ り, またシンガポール 華僑 街 においては 2.87 人 ((Kaye, ibid.,p. 3n より算出 ) であ る。 な. 半ばにおいて お ,横浜在留華僑の出身地として ,もっとも関係者の多い広東省においては 1930 年代の. 26 年において 5.14) で る る が, 本土全体を通 じ て 商 業 が農業を含む 他の職業に比較してもっとも 戸口が多く,たとえば上海における 民国 23 年 5. ユ. ( 広州市は民国. 末 の錦戸 は 6.56 であ ったということであ および 670 頁参照 ) 。. る. (牧野 巽. 「支那家族研究」. 1949 年 650 , 653. つぎに, 表 Ⅸ づ においては 表 Ⅸ H でみた続柄関係を , (1) 核家族 (nuclearfa 血 ly). すなわち夫婦と ,その子 (養子を含む ) の範囲 と, ( Ⅱ ) 直系親族の範囲, (1D) その他の 親族および (IV) 同居人その他の 範囲に区分し ,それぞれの占める割合を 他の資料と比較 した。. このような区分,および 比較を試みたのは ,一つ には核家族化が 近代化,都市化の一指 標 として用いられているということからであ るが,他方において ,. 日本におけるがごとき. 一子相続制を 伝統的背景としてもたなかった 華僑 1 において,その本来の特徴をⅡや 皿に 留めているかどうかが 関心事であ ったのであ り,とくにⅢの 内容についてほ ,さらに表 Ⅸ.

(34) 34. m 室 周平・河村十寸 穂. ⅠⅠ. 日本の一子相続 制が ,資本の集中書 に有利に作用し. ,近代工業化の 促進に役立ったのにたいし. て,一見近代的ともみえる 中国の家産均分主義が ,かえってその 阻害条件の一つとなったとする 見解があ る (小関榛一郎「経済発展と 社会学」社会学評論, 的 発展と家族構造がどのように 関連しているかということも. る一視点といえるであ. ろう。 表 IXPl. 続柄. 中区華僑の続柄関係. m 下町 嵌下弗 中区 計 ・続柄山下町以外. 世帯主 (男 ). ". N0. 52. 昭 37. 2) が,華僑の経済 華僑研究上における 極めて興味のあ. (女 ). 夫. 一. (19.9) (23⑦ (21Ⅱ ) 108 40 148 八 女. (4.5)@(3.8)@(4.3) 3. I. 355. 161. Ⅰ・. 3. "一一5. 1. 1. (0.0). (0.0) 妹. 4. (0.1) (0.1) (0.1. 6. 3. 14. 8. 22. (0.6) (0.8) (0.6 Ⅰ. Ⅰ. (14.7)(15-4) (14.9. 貝. 1. 1 伯叔父. 1. 3. (0.0) 工. 長 長男の妻. (0, 017 (0.8)(0.7). (8.6)@(6.5)@(8.0). 4. (3 ぷ (3%(3% 義弟. 男 四. (0.5) 12 0 44 (. 男 ⅠⅡ. 男. セ. 男. 八. 男. 妹. ). 三男の妻. t:@. 2. 1. 1.1 1. ・. (0.0). 259@. 4 4. Ⅰ ユ. 118@. 377@ @@. (10.7)(11.3)(10.9). 28. 14. 13. 41. 7. l. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. (0.1)@(0.0) (0.2). (0.2). 65. (2.1)@(1.3)@(1.9). 1. (1.2)@(1.2)@(1.2). 女. 51. 3. (0.2)1@ (0.3)@ (0.2). (6%(5%(62% 義父 (3.7) 90(2.5) 26(3.3) 116 義 m・. 女. (0.0) 1. (0胡. ⅠⅠ. (0.2). (0.0). 女 田. (0 0). 5. 九. ロ. Ⅰ・. ・. 五. 長. 1. ヰ Ⅰ. (0.0). |. 妻. 516 巻. 60. 29. 5. 五 /ト. 女. 9. 2@. 11. (0.4)@(0.2)@(0.3)@ @@. (0.5)@(1.1)@(0.7). (100%)@ (100%)@ (100%).

(35) 35. 横浜在留華僑の 特質に関する 若干の考察. 続柄関係の構成比較. 表 IX-2. 世 帯. 妻. 主. ム. 注. lIII V. Ⅱ. I. Ⅰ. 息. 夫. 子. さる. 大. 都. 1.. 「世帯主」中女世帯主を 他資料との比較の 必要上から除き ,「息子」「娘 」の中に 泰英,養女を 含めている。 また『不明」は 便宜上「同居人その 他」に含めた。. 注 2. 市. (中区についても 同様に扱われている ぶ Buck, J, L., LandutilizationinChinap.. 82-3 牧野 巽 「支那家族研究」 昭. ・. 19. 636一 8 頁より引用。 なお, 申東部とは具体的には 安徽省 来安 ,無潮両県,湘 江 省鎮 漁具,福建省遠江 県 ,江蘇 省 江寧およ ぴ武 進の両県であ り,調査の対象 となったのが 農家であ ることに留意のこと。 注 3,. 戸田貞姉「家族構成」. 昭 , 12. 330 ∼ 1 頁より算出。. 注 4. 小山隆「世帯の 分析」一一昭和 35 年における世帯構造一一昭・ 37. 131頁 よ り 算出。 注 3% ょぴ 注 4 は,ともに 1% 抽出の結果にもとづいている。. 傍系親族の構成比較. 表 IX-3 。 日. 本 全 国. 日本東北六県. 姓n (注. 2). バッタによる 中国 (注 3) 河北名宝 県 (注 4) 日本全国 (昭 35). (注. 5). 山. (注. 6). 下. 申. 町. 兄. 弟 100 178 325 369. 53 63 73. 区. 注 1 大正 9 年度国勢調査に 注 2 同上 注 3. Ⅰ. 00. 4㏄. 68. 2097 1㏄. 100. 49. 47. 61 71. 36 24. 不詳 95. 2229. 36 128 143. ㏄. よ る。. パックによる 前述の中東部を 除く外,安徽省 懐遠 ,宿の両県,河北 省 平鯛,塩山 両県,河南省新鄭 ,開封両県,m 西 省試御県を加えた 7 省 16 県 2,640 家族の. 調査による。. 45 李小山隆,前掲書司 暴漢の河北署 より算出。5,255 ただし従兄弟姉妹は 家族をあ げている。 ,とりあげられてないので 「不詳」としておいた。. 洋洋. 定頁 県の場合は. 注 6 山下町および 中区の取り扱いかたは 第 2 表に同じ。. なお,この表の 前半については ,牧野巽 「支那家族研究」 626 頁の表を大綱にお していることを 記して著者に 謝意を表したい。.

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