• 検索結果がありません。

幽霊屋敷の主

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "幽霊屋敷の主"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)105. 幽霊屋敷の主. 幽霊屋敷の主. 一. 條. 由. 紀. 「幽霊や吸血鬼の詰まったロマン派の武器貯蔵庫を惜しみなく利用(1〕」しているというロ ジェ・カイヨワの指摘を待つまでもなく、『マルドロールの歌』には超自然的怪奇がしばしば顔を. 覗かせているが、果たしてそれは、カイヨワの言うように、ある種の文学作品を人々が「軽蔑し 非難するように」仕向けるためだけなのであろうか。. 我々はすでにゴシック文学の再利用について繰り返し論じてきた(2)。『マルドロール』におけ. るゴシックの道具立て・構造は、暗黒小説の荒唐無稽さを告発すると同時に、新たな文脈に組み 入れられることによって、異なった働きをすると考えられる。我々は特にゴシック的空問に着目 し、それが脳髄の比楡として機能し、マルドロールの記憶の問題や読み手と書き手の問題と密接 に関わっていることを明らかにしてきた。. ところで、幽霊や吸血鬼が「ロマン派の武器貯蔵庫」だけでなくゴシックの城にも潜んでいる ことは言うまでもない。ゴシックの核が古域のような閉鎖的空問であるとすれば、亡霊はゴシッ クの必要条件ではないとしても、頻繁に登場し、重要性を持っていることは否定できない(例え、 ラドクリフ的小説では、結局は合理的説明によって打ち消される存在でしかないとしても)。そこ. で、『マルドロール』とゴシックの関係性を考慮に入れつつ、亡霊のテマテイックを検討してみて. はどうだろう。ゴシック的空間と同様に亡霊もまた、告発するためにわざとらしく登場させられ るだけでなく、有効な再利用としてテクストに織り込まれているのではないだろうか。. 実際、幽霊・亡霊は第1の歌第10ストロフ以降、頻繁に登場する。ざっと見渡しただけでも、 亡霊を意味する語はfant6me(s)が9回、spectre(s)が3回数えられるほか、死者の霊を意味する. manesが第6の歌で1回使用されている。14回使用されているombre(s)も、そのうち少なくと も1回は亡霊を意味すると解釈できる一もちろんこの語は、文脈によっては影・亡霊両方を意 味すると考えられるので、そうすると亡霊の登場頻度はもっと高くなるだろう(3〕。また、eSprit. も「霊」と解釈できる場合が少なからずあるが、原則的には「亡霊」よりもむしろ「精霊」「悪 魔」と解釈した方が適当かと思われる。例えば、「地獄の霊」という表現が2度使われているが、. これは怨霊のようなものよりはむしろ悪魔的存在を指すかと思われる。ちなみにapparition, reVenantは(幽霊という意味では)使用されていない。以上のように『マルドロール』のテクス ト空間には、しばしば霊が出現するのだが、これから論を進めてゆくに当たって、本稿において.

(2) 106. は便宜的に作品中で使用されたf釦tome,spectre,ombre,manesの語に、それぞれ「お化け」 「幽霊」「亡霊」「死霊」の訳語を当てることにす乱. さて、『マルドロール』は度々自己同一性や分身を問題にしているが、亡霊のテマティックもま. た、ある意味ではこの馴染みの問題に関わっている。この点を明らかにするために、まず、第2. の歌第ユ5ストロフー亡霊を意味する語が最も頻出するストロフである一を、次いで、鏡像が 主題になる第4の歌第5ストロフを検討し、最後に読むこと・書くことと他者の問題に関わる亡 霊のイメージを分析しよう。. 人生には、風だらけの髪の人問が、眼を据えて、空問の緑の膜に野獣のような視線を投げ かける時聞がある。というのも、お化けの皮肉な罵声が前の方に聞こえる気がするからだ。. 彼はよろめき、頭を垂れる。聞こえたのは良心の声なのだ。そこで彼は狂人のようなスピー ドで家から飛び出し、呆然自失状態のまま最初に向かった方向に進むと、田園地帯の岩だら けの平野を突っ走っていく。(p.183、)(4). このような文章で始まる第2の歌第15ストロフでは、大雑把に説明すると、お化け=良心によ る人間の狩りだし、マルドロールと創造主の戦い、マルドロールと良心の対決が語られる。ここ. ではお化けは、良心に他ならないと言われているように、人問に内在するものであるが、そのこ とは、デュラン=デセール(5)によれば、ふたりの登場人物の類似によって強調されている。この. 良心のストロフは、上記引用文が示すように、短いプロローグの後に「そこで」で始まる文章が. 逃走と狂気のテーマを導入するという点で、狂犬病の犬たちが登場する第1の歌第8ストロフを 参照させるが、実際「そこで」で始まる二つの文章は、語彙のレベルでも似通っていると言える。. そこで、犬どもは猛り狂って、鎖を引きちぎり、遠くの農場から逃げ出す。彼らは、狂気に 捕らわれて、田園地帯のあちこちを駆けまわる。(p.107.傍点引用者). 従って、第2の歌第15ストロフの良心に苛まれる人間は犬と同一化される。一方で、お化けも また犬と同一化される。なぜならば、「お化けは、追跡をやめようと自分に言い聞かせるためであ るかのように、舌打ちすると、とりあえずは犬小屋のほうへ戻る」(p.184.傍点引用者)からだ。. このように、犬の特性を介して人問とお化けの同一性が示されているが、ということは、お化け =良心=犬の「恐ろしい吠え声」は、人間=犬が発するものにほかならない。後者は内部の声に. 駆り立てられて逃げ出すのだ。ところで、人問狩りの繰り広げられる場は「空間の緑の膜」と描 写されているが、「膜(membr㎝es)」は解剖学用語としては「生物体内の器官を包み、隔てる薄. い層」を意味する。実際、空間は「闇のヴァギナ」であり、そこからは「巨大な暗い精子の群が.

(3) 幽霊屋敷の主. 107. 絶えず大河のように流れ出し、陰蕾な天空に飛翔して、その蜆嬉の翼を大きく広げて自然全体を 覆い隠す」(p.183.)。つまり、追跡の舞台は人体内部であり、良心との戦いが内的なものである ことが暗示されているのだ。. 以上のように、お化けは人問の内にいる存在であることが灰めかされているが、一方で、外部 から侵入してくるものとしても描かれている。もちろん、単に、良心が人問とは異なる存在とし て擬人化され、ひとりの登場人物に仕立て上げられているから、それは侵入する他者なのだと主. 張したいのではない。問題は、お化けが創造主の使者だと定義付けられている点である。ご存知 のように、マルドロールは創造主を攻撃し続けている。そして、その戦いの理由のひとつは、神 が遠慮会釈なしに「容赦のないメス」で「知性の白い地下納骨堂」を探りに来るから、眠ってい る人問の知性を捕らえ、意識を覗き込むからである(第5の歌第3ストロフ)。その苦痛は、生皮 を剥がれ、死の銃弾に撃たれることだと形容される。第2の歌第ユ5ストロフでも、マルドロール は創造主と戦っている。彼は400の吸盤を持つ蛸(6)に変身し、神の血をたっぷり吸い取り、叫び声. を上げさせてやったのだ。しかし、だからといって創造主がすっかりまいってしまったわけでは ない。その叫び声は腹に姿を変え、人問に噛み付いては血管に毒を注入するのだという。その目. 的は「地上の住民たちにとって有害な芽を彼ら自身の胸から取り除く」ことだと説明されている から(p・185・)・この腹(の毒)も良心の一形態であろうか。いずれにせよ、良心は侵入するもの. なのだ。なぜなら、お化けもまた、人間の「最も秘められた思考や行為」を覗きに来るのだし、 「その恐ろしい吠え声は人間の心に侵入する」からだ(p.184.)。. ところで、マルドロールもまた、ある者にとっては侵入する声であった。第1の歌第11ストロ フで、少年エドゥアールを誘惑するため家に入り込むのは、マルドロール自身ではなく、彼の「こ の上なく悲痛な苦痛の長く引き伸ばされた叫び」であったことに注目しよう(p.120.)。「悲痛な」. と訳した語poignanteは一義的には「突き刺すような」の意である。声は少年の心に入り込む穴 を開けるため、爪を突き刺すのだ。エドゥアールは「お母さん、あの爪を見て」と言うだろう。. 忍び入るものたちは、そのために突き刺し、切り裂く武器を備えている。マルドロールの声は爪 を、眠る者の意識を覗き込む創造主はメスを持っている。同様に、お化け=良心も爪を持ってい るのだ。. この詩的な議論を細かく展開する機会が訪れ、それを利用するつもりが私にあれば、良一亡、よ. りも藁の方が重要だとさえ思っていると付け加えるだろう。というのも、藁はそれを反甥す る牛の役に立つが、良心は鋼鉄の爪しか誇示する術がないからだ。(p.ユ86.). そもそも、この武器はすでに「その恐ろしい吠え声は人問の心に侵入する(p6n6trer)」という. 表現のうちに灰めかされていたのではないか。p6n6trerは「障害となるものを貫き通して深く入.

(4) 108. り込む」ことであり、「(剣などが)突き刺す」という意味でも使用されるのだから。また、この. 語は性的な意味では「挿入」と訳されるだろう。良心による人問狩りが象徴的な人体内部で行わ れていたことを思い出していただきたい。空間が「闇のヴァギナ」であるならば、その「緑の膜」. が何を指すかは言わずもがなである。そこからは「巨大な暗い精子の群が絶えず大河のように流 れ出し」ている。従って、人問がお化け=良心に爪を突き立てられることは空間=人体の破瓜に 対応する。. このように、良心は執働に侵入者として描写される。それは鋭く尖ったものとして人間に突き. 刺さる。お化けは完全には同化されない異物である。マルドロールはそいつを鞭で追い立て、撃 退するだろう。しかしながら、果たして彼は完全に良心(COnSCienCe)をやっつけたと言えるの だろうか。他のストロフでは、意識(COnSCienCe)を守りたいという願いを繰り返し表明してい るのに。. 言っておくが、僕はおまえ(=創造主)が僕を観察して、その潮笑するメスを僕の意識に刺 しこむのがわかるくらいなら、熱帯の波がその泡立つ懐に抱いてこの辺りの海域へと運んで くる、いずことも知れぬ未開の島の海草をがつがつ食べるほうがましなんだ。(p.173.). すでに述べたように、創造主は、人聞の意識を見張り、そのなかへ分け入ってくる侵入者であ. るが、マルドロールは、意識を守れないくらいなら、動物的生を選び取ると言う。彼はCOn− SCienCeを神から守りつつ、それを神の手先として攻撃するという矛盾を犯している。この過ち はCOnSCienCeの二重性に由来すると考えられる。良心は自我を裁く能力であり、それが作用する とき、自我意識は裁く者と裁かれる者に分裂する。ConSCienCeの二重化が起こる。つまり、マル ドロールは後者を守ろうとしつつ、前者を攻撃しているということになる。良心が人間に内在す. るのか、外部から侵入してくるものなのか、という暖味さはそのためなのだ。彼がConSCienCeに 固執する限り、侵入者は幾度でも現われ、意識は錯乱するだろう。. そのような危機は、分身関係が明示される第4の歌第5ストロフに顕著である。ストロフは、 亡霊に話しかける語り手の独白から成る。. 私の寝室の壁に、いったい何の亡霊が、比類のない力強さで・その硬く強張ったシルエッ トの幻灯のような映像を描き出しているのか?(p.232.)(7). 語り手は「この気狂いじみた無言の疑問」を自らに問うが、彼にわかるのは、亡霊が過去の犯 罪のせいで頭皮を剥がれていること、彼よりも「性悪」であり、邪眼を持っているということぐ らいだ。自らを「邪悪さにおいて亡霊に敬意を抱く弟子」と規定する語り手もまた、邪眼を持っ.

(5) 幽霊屋敷の主. 109. ている。ただ、彼の眼差しは少女を湖底に沈めるだけであるのに対して、亡霊のそれは諸都市の. 全住民を滅ぼすほどの力を持つと言う。蓋し、語り手は邪悪さの師匠である亡霊の足元にも及ば ないのだ。とは言え、「邪悪さ」「邪眼を持つ」という特性を介して、ふたりが似たもの同士であ. ることは明らかだ。いや、分身と言っても構わないだろう。というのも、ストロフの最後で亡霊 の正体に合理的説明をつける語り手によれば、それは鏡に映った彼自身の姿でしかなかったのだ。 記憶の混乱のせいで事実が若干食い違っているが(8〕、彼が亡霊に負わせていた罪は彼白身が犯し. たものであり、頭皮を剥がれたのも実は彼だった。そして、邪眼についても、語り手は諸都市を 荒廃させる以上の力を実は持っていたのだ。. 私は、自らの眼差しに宇宙を回る惑星にも死をもたらす力があることを、知らないふりをし ているのだから、私には思い出す能力がないと主張する者がいても問違ってはいないだろう。 (p.236.). 彼は鏡を粉々に砕くだろう。「満足できない」(9〕真実を、分身を否定するかのごとく。しかし、. 彼は、己の二重性というこの恐ろしい真実を始めから予期していたのではないだろうか。亡霊が 語り手の鏡像・分身であることが明らかになった今、もう一度始まりの文章を読み返してみると、. そこにはすでに亡霊の正体を示唆する表現があったことがわかる。第一に「幻灯のような (fantasmagorique)」という語である。幻灯(ファンタスマゴリア)とは、19世紀に流行した、ガ. ラス板に描いた絵などに強い光をあて、拡大映写する見世物であるが、光学を応用して映像を見 せる技術自体は17世紀に発明され、その後改良されたものである。1799年にはロベールソンが、. 元カプチン派僧院の廃壊で亡霊の大写しを見せる見世物を上演したそうだ。映像をスクリーンの 裏から映し出し、幻灯機を動かしたり、光源を複数にするなど工夫して、亡霊を動かすというも. のであった。ファンタスマゴリアの語源にギリシャ語で幽霊を意味するphantasmaが入ってい ることからもわかるように、それは何よりもまず「亡霊を見せる術」であった。以上を考慮に入 れると、『マルドロール」で用いられている「幻灯のような」という語は、亡霊が実は、ファンタ. スマゴリアの良くある見世物のひとつでしかないこと、光学的幻影でしかないことを灰めかすも のであろう。また、そのことを認めるかのように、ストロフ末尾で語り手は「尭享あ曲汁乏三と のできない法則によって、自分自身の像を見間違えるという事態に直面することがある」と言う (p.236.傍点引用者)。亡霊など存在せず、カラクリは合理的に説明がつくのだ。第二に、亡霊が. 壁に描き出す「映像(prOjeCtion)」とは、幻灯機が映写することと同時に、語り手自身が外部に. 白己を投射していることを示している。亡霊=光学的幻影は分身の現れだということだ。彼は、. 自分が惑星を滅ぼすほどの力を持っていることを否認して、外的存在としての亡霊こそ最も恐ろ しい邪眼の持ち主だと主張していた。ファントム(お化け)はファンタスムなのだ。最後に、「亡.

(6) 110. 霊(ombre)」が影をも意味しうる点に注目しなければならない。影もまた光をあてることによっ. て映し出される光学的現象だ。従って、この語も、亡霊が幻でしかないことを示すとともに、そ れが自己の投射であることを示唆していると考えられる。以上のように、ストロフ冒頭ですでに、. 亡霊とは結局、語り手の自我が外部に映し出されたものでしかないことが灰めかされていたのだ。. 亡霊は鏡像すなわち自分自身の姿であるが、それは鏡に映る姿のようにオリジナルと「全く同 じ」ではない(語り手の邪眼は、少女を湖に沈めるだけなのか、亡霊と同じく諸都市を破壊する. のか、あるいはそれ以上なのか。牢獄に閉じ込めたのは20年間かそれとも5年問なのか。彼は正 確な年数を忘れたと言う)。それは外部に、あるいは他者に投影された自分である。ひと睨みで諸 都市の住民を全滅させるという亡霊の姿は、「好きなときにコレラを送って都市を荒廃させたり、 死を送って老若男女を問わず爪にかけて運び去らせたり」して人問を苦しめる創造主の姿(10〕その. ものであり、語り手が誰と自分を重ね合わせているのかは一目瞭然である。ついでに言えば、第. 5の歌第4ストロフでも、創造主は語り手の投影として現れ、自ら「おまえ[=語り手]自身の 幽霊」と名乗るだろう。. 第2の歌第15ストロフのお化けが、内部にいるはずの良心であるのに外部からの侵入者という 性格を強く持っていたのに対して、第4の歌第5ストロフの亡霊は、他者であるようでいて実は 己の鏡像であった。いずれにせよ、幽霊が内部にいるのか外部に属するものなのか慶昧である。. 幽霊は生者の世界に介入する死者であり、その点で、あの世とこの世をつなぐもの、境界上にい るものだと言える。だからこそ、似て非なる自己(=分身)や、裁くものとしての自我(=良心). を描くときに、そのように暖味な領域に属する存在を登場させたのではなかろうか。そして、幽 霊の属性の暖昧さは、『マルドロール』において他の点でも利用されていると考えられるのだ。. マリー=ルイーズ・テレによれば、前方にその声が聞こえたはずのお化けに追われる人閻のよ うに、詩人は「自分の前には、彼を狙う通常言語の紋切り型、後ろには彼を追いまわす文学の長 い伝統の様々なモデル(11)」という状況に置かれている。そして・バシュラールやプレネが指摘す るように、『マルドロール』が文化を姐上に乗せる場であることを考慮に入れれば(12〕、テレが「文. 化的亡霊」として書き直しの問題を扱うのは驚くにはあたらないだろう。彼女の議論一ユゴー. の『死刑囚最期の日』の書き直しについて一とは異なり、本稿では特定の作家・作品との比較 を行うわけではないが、「文化的亡霊」という概念は一考に価する。というのも、『マルドロール』. において、読むこと・書くことと亡霊のイメージは密接に結びついているからだ。. とりあえずは書くこと、そして読むことについて検討してみよう。レイモン・ジャンは、『マル ドロール』における傷つけることと書くことの親和性を指摘し、「そこではエクリチュールは『書. きこまれ、刻まれた文字』の生き生きとした力、『刻み目』そのものの生き生きとした力を担って いる(13〕」と述べた。執撤に繰り返される、切り裂く行為の描写によって、エクリチュールそのも. のが刻み込まれるというわけだが、一方で、書く行為は切りつけ、刻みつけるイメージを用いて.

(7) 幽霊屋敷の主. 111. 語られる。それは鶴腐を突き立てることであり、また「分析のメス」を駆使する行為である(14〕。そ. して、このようなエクリチュールを読む者は、想像力に傷をつけられ、烙印を押される。. あなたがたは、それ[=このストロフコが含んでいるものに注意を払いなさい、そしてそれ が烙印のようにあなたがたの動揺した想像力に残さずにはおかない辛い印象に気をつけなさ い。. (p.110.). 書くことは読む者の頭に刻みつけることにほかならない。『マルドロール』では、頭(精神・知 性・意識など)はしばしば閉じた空間として表象されるが{15〕、書く者にとっては、その空閻に傷 をつけ侵入することが重要なのだ。. ところで・ペデラストのストロフが示すように、登場人物マルドロールに誘惑される少年たち. は読者の寓意にほかならないが、それに対して、マルドロールは、第2の歌第2ストロフで歌を 書くための「ペンを手にとる」と描かれているように、しばしば作者としての身振りをする。そ のため、作品中の人称使用の複雑さと相侯って、彼は単なる登場人物としてではなく、作者ある. いは少なくとも「書くという行為」を問題にするためぺ一ジに書き込まれた作者の表象、といっ た様相を呈することになるだろう。実際、彼は書くことについて様々な意見を述べている。. 私の恐るべき霊感は洞れることがないだろう!. それは私の不眠を苛む気違いじみた悪夢で. 身を養っているのだ。(p.140.). ここで注目すべきなのは「悪夢」という言葉である。というのもマルドロールは、特に眠りを めぐる他者との闘争のなかで、度々悪夢に苛まれる者として描かれるからである。. しかし、時には私も夢を見ることがある。だが、一瞬たりとも私の人格の生き生きした感覚 と自由に動く能力を失うことはない。知っておいて欲しいのだが、暗がりの燐光を放つ隅に. 隠れている悪夢、その欠損した翼で私の顔に触る熱、その血まみれの爪を立てる不浄の動物. の1匹1匹、さて、自らの恒常的な活動に安定した食料を与えるように、こいつらを輸に なって回らせているのは私の意志なんだ。(p.259.傍点引用者). マルドロールは、書く者として読む者に傷をつける一方で、引き裂く武器=爪をもつ悪夢に悩 まされている。それは、悪夢によって自らを養うためには、彼が読む者としては傷を受けねばな. らなかったことを示唆している。傷というマイナスのイメージが示すように、読書はある意味で. は害のあるものだ。そもそも『マルドロール」の読者は作品冒頭ですでにその危険を宣告されて.

(8) 112. いた。警戒を怠れば、作品の発する痒気は読者を病気にしてしまうだろう。書物が害悪をもたら すという考えが別に奇妙なものではなかったことは、『悪の華」とrボヴァリー夫人』が相次いで. 風俗秦乱の廉で告発されたことや、新聞小説が阿片のような魅力でもって大衆の想像力を過度に. 刺激することが当時問題視されていたことを思い起こせば納得できるだろう。読書の悪影響は 『ポエジー』でも問題になっており、授業でヘブライ語に翻訳させられたミュッセの詩のせいで、. リセの生徒が悪夢に悩まされるというエピソードが挿入されている。. 動物と人問の性質を持つこれらの傷のせいで、彼はひと月のあいだ病気になり、医務室で過 ごした。私たちは知り合いだったので、彼は母親を介して、私に来て欲しいと頼んできた。 無邪気にではあるが、彼は私に、夜になるとしつこい夢に一悩まされるのだと語った。彼には、. ペリカンの群れが彼の胸に襲いかかり、引き裂くのが見える気がするのだ。(『ポエジーI』・ P.340.). 少年を悩ますペリカンとは、もちろん『新詩集』所収の「5月の夜」に登場するそれである。 『ポエジーI』はミュッセなどロマン派詩人やゴシック作家を「ぶよぶよの大頭ども」と呼び(p.. 339.)、彼らの作品を読むことの弊害を繰り返し訴えている。この挿話は、読書だけでなく修辞学. をも問題にしているのだろうが、『マルドロール』でも使用されているイメージで書物の影響を. 語っている。デュカスの読書観が、ある意味で一貫していることを示すものであろう。挿話の少 隼は、文学作品を読むことで「傷」を受け、「病気」になり、「悪夢」を見る(ユ6〕。しかも、夢に. よって二重に引き裂かれるのだ。マルドロールが悪夢に襲われるように。. しかしながら、一方で、傷つけるエクリチュールは書く者の糧となる。書く者としてのマルド ロールの霊感の源は、悪夢であると言明されていた。読書が作者をつくりあげる。『マルドロー ル』や『ポエジー』が様々なテクストの書き直しを組織的に行うことによって成り立っているこ. とは、今さら指摘するまでもない。デュカスの詩学は「生きたネズミの背に、他のネズミの体か ら切り離された尻尾を移植する(17)」ような方法で実践される。あるいは、吸血の比瞼で語ること. もできよう。第5の歌第5ストロフで、少年読者との合体願望がヴァンピリスムとして表象され るように。語り手は少年に接吻し、血を吸う。書物の放つ痒気によって病気に感染するように、. 吸血された読者もまた吸血鬼になるだろう。「ロートレアモンのテクストのようなある種のテク ストにおいては、文学は亡霊あるいは吸血鬼のやり方で戻ってくる{工8〕」のだから。fant6meは比. 楡的な意味としては「記憶につきまとう(hanter)思い出、過去の事物や人問」を意味するが、 文学作品は読者の頭にとりつくことによって文字通り亡霊になるのだ。. 彼らが付け加えて言うには、昼も夜も、止むことなく休みなく、ぞっとする悪夢が口と耳か.

(9) 幽霊屋敷の主. 113. ら彼[=マルドロール]に血を流させているのだ。また、幽霊どもが彼のベッドの枕もとに. 座り、心ならずも何だかわからない力に突き動かされて、あるときは優しい声、あるときは 載闘の怒号に似た声で、容赦ない執渤さで、あの依然として根強く残る、忌まわしい仇名、. 字宙と共にしか滅びないだろう仇名を、彼に面と向かって投げつけるということだ。(p. 121.). マルドロールは悪夢に苛まれるだけでなく、幽霊にとりつかれる。さらに、ここで話題になっ ている仇名とは吸血鬼である。霊感を養う悪夢も幽霊も他者のテクストの残像のようなものだ。. 我々は本稿前半で意識や自己同一性の問題に触れたが、自我のなかの他なるものとしての亡霊と. いうイメージは、読むこと・書くことの問題と無縁ではない。書く者は、他者のテクストを吸収 し、自らのものとするからだ。マルドロールが頭のなかに押し入ろうとする創造主に悩まされて. いたこと、また、書く者が読者の頭にエクリチュールを刻み込まねばならないことはすでに指摘 したが、マルドロールはエクリチュールをめぐる闘争のなかで、創造主によって、まさに頭に傷 を負わせられる。彼は、歌を書くためのペンを手にしたとき、落雷を受け、額に烙印を押される. のだ(第2の歌第2ストロフ)。創造主、創造を行う存在とはまさしく作者一こう言って良けれ ば大文字の作者一である。時として他者のテクストは詩人を圧倒し、書くことを妨げてしまう だろう。マルドロールは指が麻痒してペンを動かすことができない。彼を攻撃したのは「自分よ り強い何者か」なのだ。しかし、額の傷から流れた血こそが彼のインクになるのではなかろうか。. こうして、書く者は読書の記憶という亡霊にとりつかれる。そもそも、亡霊や吸血鬼は『マル ドロール』をつくりあげたエクリチュール・文学作晶そのものに頻繁に登場するではないか。『マ. ルドロール』は、ゴシック小説・ロマンテイスムの道具立てを大いに利用して書かれたが、これ らの文学は二重の意味で亡霊を生み出すのだ。. 晶のない作家どもがいる、危険な道化で、黒人の血が4分の1混じったほら吹きで、陰気 な欺臓好きで、本物の狂人で、ビセートル精神病院に住みつくのがふさわしいようなやつら. だ。瓦が1枚剥がされた彼らの痴呆化する頭は、巨大な幽霊たちをつくりだし、そいつらは 昇るかわりに降りていく。(『ポエジーI』、p.334.)(19〕. 作家のつくりだす幽霊とは、もちろん直接的にはその作品中に現れるものを指すのだろうが、. また、文学作晶が読者の記憶にとりつくのであれば、比楡的な意味でも作家は亡霊をつくりだす のだと言える。「瓦が1枚剥がされた」という表現は、『マルドロール』と同様に『ポエジー』に. おいても、デュカスが、頭の象徴として閉じた空間・家のイメージを用いていることを示してい る。作家の頭は幽霊屋敷なのだ。それは自らお化けを生み出すことによってと同時に、おそらく.

(10) 114. は過去の書物の亡霊にとりつかれることによって幽霊屋敷になるのだろう(20)。書物が害をもたら. すという考え、そして『ポエジー』では特にロマンティスム・ゴシック文学が批判されているこ とを考慮に入れるならば、混乱・不安・憂欝などを読者に感染させるべきではないという意味で、. 幽霊屋敷になった頭を持つ作家とは確かに危険な存在であろう。しかしながら、一方で、デュカ. スの作晶は積極的に他者のエクリチュールを利用してつくりあげられたものだ。テクストの幽霊 にとりつかれることは必ずしもマイナスにはならない。. 私の文学的石膏を陰蜜に粉砕するのに用いた、私の両肩から伸びる信じられないほど貧弱な. 2本の長い腕を、もしも死が止めるようなことがあったら、少なくとも、喪に服した読者が 心のなかでこんなふうに言うことができるといい。「彼を正当に評価しなければならない。彼. は僕をずいぶん痴呆化してくれた。もっと生きていられたら、何でもやってのけただろう. に!僕の知る限り最高の催眠術の先生だ!」これらの感動的な言葉を、私の墓の大理石に 刻み込んで欲しい。そうすれば私の死霊は満足するだろう。(pp.312−313.). 作家は催眠術の先生である。彼は読者を夢遊状態に置くことができるが、彼もまた、書く者で ある以前に読む者であり、催眠術をかけられたのだ。単なる登場人物ではなく、作者としても振 る舞うマルドロールは、幾度も意識の混乱に見舞われていた。被術者になることによって催眠術 を良く学んだものこそが、作者になる。今度は彼が先生として生徒=読者を教えるだろう。新聞 小説と『マルドロール』を比較したナタンは、『ロカンボール』の作者について、「冒険小説をた くさん読んだ者だけが、小説の主人公をつくりだすことができるのだ(21〕」と述べる。また、ゴ. シック小説の作者たちも、ジャンルの紋切り型を積極的に再利用していた。『マルドロール』の作. 者についても同様のことが言える。テクストは、他の諸々のテクストを参照する。書物の亡霊に とりつかれた作者は、複数性を獲得するだろう。上で「死霊」と訳したm餉eS(22)はラテン語で. 「死者たちの霊」を意味するmaneSを語源とし、基本的に複数形で用いられる。特に先祖崇拝に おける祖先の霊たちを指すようだ。作家は、彼自身もまた幽霊になり、読者にとりついて、他の テクストを生み出す原動力のひとつになるのだろう。. *. *. *. 以上のように、『マルドロール』において、幽霊は単なる荒唐無稽な存在ではなく、様々な問題. 提起を行うための重要な装置のひとつである。境界を越えて生者の世界を訪れる力や、他者にと りつくという特質が、ひとを恐がらせることだけを目的とした怪奇物語とは異なった文脈で利用. されている。それは、自己の内なる他者性として、あるいは作者につきまとう他者のテクストの.

(11) 115. 幽霊屋敷の主. 影として出現する。幽霊屋敷と化した作者の頭から抜け出した霊は、テクストの荒野を紡僅い、. 読者のもとへとやって来る。ある者は悪夢に襲われ、また、ある者は霊にとりつかれてしまうだ ろう。次の犠牲者は、あなたかもしれない。 註 (ユ). Roger. Cai11ois,《Prξface亜,Comte. de. Lautr6amont,α刎〃θ∫co伽ρ肋ε8,Jos6Corti,1953,pp.87−106.. (2〕以下の拙論を参照。「『マルドロールの歌」におけるゴシック的空間の諸相」、rフランス文学語学研究』、第 21号・2002・pp.2ユー37.「入れ子の秘密」、rフランス文学語学研究』、2003,pp,2ユー33.. (3)ombre(s)が影か亡霊かどちらの意味に取られているのか調べるため、以下の日本語訳を参照した。石井洋二. 郎訳『ロートレアモン. イジドール・デュカス全集』、筑摩書房、2001。藤井寛訳『マルドロールの歌j、福武. 文庫、ユ991。石井訳では第4の歌第5ストロフでのみ、「亡霊」と訳されている。藤井訳では「亡霊」と解釈 されている箇所はなく、上述のストロフでは「影」となっている。 (4)ぺ一ジ数は以下の版に基づく。∫8ωoγeD刎oα8塒工θ0o伽士θdθムα刎γ6α伽帆ムθ80厄α伽dθ〃αldoγoη. Po68紙ム鮒θ8,Edition6tablie. etamot6eparJean−Luc. Steinmetz,GF−F1ammarion,1990.以降の引用も同様. である。 (5). Li1iane. Durand−Dessert,Lα0切θ〃召∫α伽嶋ムα刎炉6α伽o刎ε〃8ωo焔1〕㏄oαs嶋ムθo伽焔d880んα棚8dθ〃α1−. doγoηt.1−2,NancX. Presses. Universitaires. de. Na皿cXユ988,t.1,pp.477−500。参照。. (6)蛸は第1の歌第10ストロフにも登場するが、400の吸盤を持つという点で、ユゴーの『海で働く人々』の蛸と. の関連が注釈者たちによって指摘されている。第2の歌第15ストロフには、他にもユゴーとの照応関係が見ら れる。「懲罰の眼」は『諾世紀の伝説』に収録されている「良心」を参照させる。また、「受刑者の声」という. 表現やギロチンのシーンが『死刑囚最期の日』の書き直しのひとつだという指摘もある(Marie−Louise ムθ80んαη始伽〃α工doγo㍗Zθエ. r賜Po68伽8∫θ. Terr概. ∬d惚ωoγθD㏄08s昌0o伽θdθムα伽か6α㎜刎,Gauimard,co1工.《Fo−. 1iothさque毘,1997。参照)。. (7)「亡霊」と訳したombreは、ここでは「影」の意ではないかと思われるかもしれないが、fant6meとも呼ば れているので、敢えて「亡霊」としておく。註3も参照のこと。 (8)亡霊が頭皮を剥がれたのは、彼が「20年間」牢獄に閉じ込めていた者に復讐されたからだそうだが、語り手 は彼に友情を拒んだ者を「5隼間」幽閉したのだそうだ。 (9)「秘密は明かされた。でも、率直に言うと、僕はそれで最大の満足を得たわけじゃない。」(p,236.) (ユO) (11). 第2の歌第12ストロフ(p.170.)。 Marie−Louise. TeITay. oρc拡,p.38.. (ユ2)バシュラールは、デュカスの作品には「文化のドラマ、修辞学級のなかで生まれたドラマ、文学作品のなか で解決されるべきドラマ」があると述べている(Gaston 1986,p.74.)。また、以下の文献も参照。Marce1in. Bache1ard,ムα刎r6α仰≡㎝士,nouve1le6dition,Jos6Corti, Pleynet,Lα伽γ6α㎜刎,Seuil,1967.. (ユ3)R・㎜o・dJ・・皿,ムθ伽閉伽d6・仏Se・i1.1977,P.100.. (ユ4)第2の歌最終ストロフ及び第4の歌第3ストロフ参照。 (15)例えば「僕の知性の白い納骨堂」(p.259.)「あなたの精神の柱廊」(p.275.)といった表現がある。. (16)読者と病気のイメージの関わりについては本稿では紙数の都合で詳しく説明できないが、例えば第5の歌第 1ストロフで・語り手は読者に病気の治療法を解説している。 (17)第5の歌第1ストロフ(p.25ユ.)。読者も同じことを実践しなければならない。この問題については、以下 の文献に詳しい。NaruhikoTeramoto,TrαUα刎肋ぬγ66c㈹肋θ肋伽ムθ8o㎞伽伽〃α肋γor肋Lα伽姉6α肌㎝エ, Presses. Universitaires. du. Septentrion,Vi11eneuve. d. Asc㌦2000,pp.414−422、. (18)Je㎜一Miche101ivi飢〃ωγ6α㎜㎝屯胎彪脇伽りα㎜ρ㈹,Lausame,L. Age. d. Homme,1981.p.14..

(12) 116. (19)ベニエ版全集(Librairie. G6n6ra1e. Frangaise,coll.魚Le. Liwe. de. Poche亜,ユ992.)の註によれば、「黒人の血が. 4分の1混じったほら吹き」という表現は、黒人の祖母を持つデュマヘの当てこすりであるが、ここで問題に なっている作家どもとは、『ポエジーI』で繰り返し批判されているロマン派・ゴシック・大衆小説の作家た ちであろう。. (20). さらには幽霊そのものになるのかもしれない。ゴシック作家アン・ラドクリフは、『ポエジーI』で「頭の. おかしい幽霊」と郡楡される(p.339.)。 (21). Michel. Champ. (22). Nathan,Lαωγ6αηoo刎,力刎棚θ童o伽8彪α伽o肋αgθ,suivi. V劃1on,colL魚Ch班np. de碓Po6sies. et. Po6tique》1992,p.88。. この単語は丁マルドロール』のなかで、この1箇所でしか使用されていない。. po6tique甫par. Roger. Be11et,.

(13)

参照

関連したドキュメント

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

に着目すれば︑いま引用した虐殺幻想のような﹁想念の凶悪さ﹂

○ 4番 垰田英伸議員 分かりました。.

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

いしかわ医療的 ケア 児支援 センターで たいせつにしていること.

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

第一五条 か︑と思われる︒ もとづいて適用される場合と異なり︑