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学習権と教育内容

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(1)

学習権 と教育内容

社会科教育教室

糸田 (―

)学

習権の意義

「教育 を受 ける権利」 につ いては憲法26条第

1項

で「すべて国民は

,法

律の定めるところにによ り

,そ

の能 力に応 じて

,ひ

としく教育 を受 ける権利 を有す る」 と規定 しているが

,そ

の趣 旨は憲法 第25条の生存権 の文化的最低 限度の生活 を営む権利の文化的側面 に関 して教育を受 ける機会の平等 を憲法上認めたもので あるとされるす)さ らに教育 は民主主義国家 にあっては きわめて重要 な事柄で あり

,民

主主義 的政治機構 の運営 は

,自

覚 あり且つ或 る程度の見識 を備 えた個人の存在を前提 とす ること

,か

かる文化的政治的教養 を持 った国民で なければ人民の政治は善 い政治にな り得 ない こと 等 か ら民主政治は

,そ

の文化面 につ いていえI封国人の教育 を出発点 とし

,近

代的民主国家は教育 に 対す る関心 を増大 させて来 たので あり

,か

かる近代民主国家の存立要件 と

,生

存権の文化的側面 と しての教育の必要性 を

,教

育の機会均等 により制度的 に保障 したものが本条第

1項

で あ り

,従

って, その者の属 す る階級

,父

兄の経済的社会的地位等 によって教育 を うける機会 に差別 をつ けられぬ こ と

,即

,よ

り具体的 にいえば,「人種

,信

,性

,社

会的身分

,経

済的地位

,又

,門

地 によっ て教育上差別 されない」 ことで あり

,そ

れは「法の下の平等 とい う思想の教育の面 における発現で あるとい うことがで きる。」とし教育 を受 ける「権利」 につ いては,「国家 が教育の機会均等 につ き配 慮すべ きことを国民の41か ら権 利 として把握 したもので ある」)とす るのが一般的見解で ある。 しか し筆者 は

,教

育 を受 ける権利 を

,教

育の内容 は ともか く

,教

育機会 を差別 なくすべての人 に 開放す ること

,就

学条件の整備 を求 めること等の受動的経済的条件整備 を求めるだけの権利 として とらえるのは不充分 と考 える。す なわち

,明

治憲法で は

,教

育 を うける権 利 を合めて教育条項 はま った くなく

,教

育憲法 としての教育勅話 において も

,教

育 を うける権 利の思想は一片す ら見出 され ず

,教

育 は

,天

皇制国家 に忠誠 をつ くす臣民の育成 を目的 とす るもので あ り

,教

育の権利主体は天 皇 と国家で あ り

,そ

して臣 民は

,親

も子 も合 めて

,義

務の担い手で しかあ りえなかつた。 しかるに 戦後教育 を受 け ることが明治憲法下の義務 から国民の権 利 になった とい うことの意味 を正 しく捉 え るならば

,そ

の教育の内容 がどんなもので あつても

,機

会均等 に受 けられ さえすればいいとい うこ とにはならないので ある。教育 を受 ける権利は

,人

間の生来的 自然法的学習権 の現代的発展 とい う 教育条理上の必然性 をになうもの と解すべ きで ある。すべての国民 とくに「子 ども」 は

,生

まれな がらに して

,教

育 を うけ学習す ることにより人間的 に成長・発達 して い く権利 を有す る。この子 ど もの生来的権利 は

,現

代 に生 きる人間 として その能 力を全面的 に発達 させ うるよ うな教育がうけら れるよ うに

,国

家 に対 して積極的 な条件整備 を要求す る社会権的積極的能動的人権で あ り

,子

ども (国民

)が

自己 自身 を形成 してい く主体的自然権 的人権 として とらえられるべ きで ある。 哲

(2)

かく して筆 者 は「教育を受 ける権 利」 に積極的内容 をもり

,そ

の主体的積極 的表現 として子 ども の「学習権」 とい う用語 を使用す るこ とにする。 (二

)学

習 権 の 歴 史 的 背 景 現代 における学習権の性格 を正確 に把握す るためには

,ま

ず「教育 を うける権利」保障の歴史的 発展 の過程 を見て お く必要 がある。 「教育を うける権不喝 思想の発展 につ いて堀尾氏 はつ ぎのよ うにいっている。 「『子 どもの教育 を受 ける権 利』 と『教育義務』の結びつ きの萌芽形態 は

,近

代思想その もの に 内在 していた。 たとえば

,

コン ドルセ においても

,公

教育が『社会の義務』 で あることは度 々指摘 されているので あ り

,さ

らに人権思想 を中心 とす るフランス革命期の諸憲法 は,『教育が

,す

べての 人にとって不可欠の もの』 (1791年憲法

)で

あり,『すべての人の要求』 (1793年ジロン ドおよび ジ ャコバ ン憲法

)で

あることを規定 し

,そ

のためには『無償 の公教育』 が組織 されねばならず (1791 年憲法),『社会は

,す

べての構成員 に対 して

,平

等 にこれをひ き受 ける』 (ジロン ド

),な

い しは 『社会 は……教育 をすべての者の手の届 くところに置かねばならない』 (ジャコバ ン

)と

規定 され ている。」そ して

,こ

の市民革命期 に現 われる

,権

利 としての教育の思想 と教育への公的配慮の思想 はやがて労働者階級の中に引 き継 がれて行 ったとし,「チャーチズムの指導者の一人W。 ラヴェ トは, 教育が人間の『解放の道具』で あ り,『人間の尊厳 を高め

,そ

の幸福 を進め るための普遍的 な道具』 であり,『社会 それ自身に由来す る権利で あ り

,

したがって国民全体 に教育手段 (機会

)を

配慮す る ことが政府の義務で ある。』とのべている。最初の第四階級の革命 といわれる二 月革命のときにも, 臨時政府 に対 して

,す

べての市民の生存 と労働の権利 とともに

,全

市民の教育 を受 ける権利 (drOit de tous ies citoyens a lノ inStruction)が 要 求 された。マルクスも また

,教

育は国民の『権 利』

であ り

,国

家 が教育の機会 につ いて配慮 すべ きことを主張 している」」このよ うに「教育 を受 ける」 権利思想はフランス革命の時期 には存在 していたので ある。 しか し

,い

まだ明確 な人権 として自覚 されたものではなかった。 フランス革命当時 もっとも革新的で あったモ ンタニヤールの1793年の憲 法第22条で「教育 は

,す

べての ものの要求である。社会は

,そ

の金力をあげて一般の理性の進歩 を 助成 し

,教

育 をすべての者の手の届 くところに置かなければならない」 とのべてお り

,教

育 はすべ ての市民の権利で あるとい う思想 をよみ とることはで きるけれども

,ま

だ人権 として明確 に表現す るにはいたっていない。教育 を受 ける権利が基本的人権 として各国憲法の規定のなかに明確 に位置 づ くのは20世紀以後 の ことで ある。 「教育 を うける権 利」 を一国の憲法 に明記 したのは

,社

会主義革命 をへて

,1986年

のソヴィエ ト 憲法 (いわゆるス ター リン憲法

)第

121条

が最初で あった。同憲法第

121条

には「 ソ連邦の市民は 教育 をうける権利 を有す る。 この権利は

,7年

制の普通義務教育

,中

等教育の広汎 な発達

,中

等 お よび高等教育 をふ 〈めたあ らゆる教育の無料制

,高

等の学校 における優 秀 な学生 に対す る国家的給 費の制度

,学

校 における母語 による授業

,な

らびに工場

,国

営農場

,機

,

トラクター・ステー シ ョンおよびコルホーズにおける動労者 に対する生産・技術 および農業の無料教育組織 によって保障 される」 と規定 されている。 もっとも

,1918年

の「勤労被搾取人民の権利宣言」 には教育 に関す る 規定がなく

,同

年の憲法 (いわゆるレーニ ン憲法

)等

17条には,「知識 を現実 に うることを動労者 に 保障す るために

,ソ

ヴィエ ト連邦は

,完

全で全般的 な教育 を無料で労働者 と農民 に与 えることを国

(3)

鳥取 大学教育 学部研究報告 人文 ・社会科学 第27巻 第1号

53

家 の任務 とす る」 と規定 され て いた が明確 に「 教 育 を受 ける権 利 を有 す る」 と規 定 されたの は

,ス

ター リ ン憲法 の段 階 においてで あ る。 この権 利はその後

,第

二 次大戦 をへ て

,ス

ペ イ ン

,ブ

ラジル, 日本

,中

,ビ

ルマ

,東

ドイ ツ

,ル

ーマ ニ アなど十数 か国の憲法 に規定 された。 かか る動 向 を背景 に して

,1948年

の国連総会 の世 界人権宣 言 第26条 第

1項

には「何 人 も教育 を うける権 利 (right

to education)を

有 す る。教 育 は少 な くとも初等 の かつ基礎 の課程 で は無 料で な くては な らない。 初 等教 育 は義 務 とす る。」と書 かれ た (出席 56国 中48国 が賛成)。この世 界人権 宣 言 は

,前

文 に もある よ うに,「すべ ての人民 とすべ ての国 が達成 すべ き共通 の基準 と して公布す る」 とあるこ と

,

また, この権 利 を規定 した憲法 は

,社

会主 義 国

,資

本主義 国

,人

民民主主 義国 に わた って い るこ とによっ て,「教 育 を うけ る権 利」 と「 義 務教 育 の無償 制」 とは第二 次大戦後 において一 般 的 に承 認 された も の とい うことがで きよ う。 か く して基 本的人権 と しての「 教育 を受 ける権 利」 が憲法 上一 般 に保障 され るにいた ったの は第二 次 大戦 後 とい うことが出来 る。 その後1966年 第21回 国連 総 会で採 択 され た国際 人権規約 第13条 第

2項

(c)で

は「 高等教育 は

,す

べ ての適 当 な手段 によ り

,特

に無償 教育 の 漸進 的 な採用 によ り

,才

能 に応 じす べ て の者 に等 しく開放 され なけれ ば な らない。」と規定 された。 この よ うに「教育 を うける権 利」 は「教育の機 会均等」 と「教育 費の無償」 の思想 と密 接 不可分 の関係 で考 え られて来 た もので あ り

,第

二 次大戦後 は明確 な基本的人権 と して 自覚 された もので あ る。 か くして教育 を うける権 利 は

,

まず 第一 に

,す

べ ての児童生徒 が均等 な教 育機 会 を保 障 され る権 利で あ る とされ る。 その主 な方途 が

,義

務 教育学制 と義務公教育の無償制 で あ る。 しか し

,現

代 で は「教 育 を うけ る権 利」 の内容 を「 教 育の機 会均 等」 と「 教 育 費 の無償」 と して と らえ

,そ

の現実的方法 と して「 義務教 育制度 の拡 充」 とその「無償化」 と してだ け考 える ことは 極 めて不 充分 で あ り

,そ

こには社会権 的基本 的人権 と しての積極 的意味 が も られ なけれ ば な らない と考 える。 この ことは

,わ

が国 の戦 前 の義務教 育の性格 をみ れば一層 明 らかで ある。 明治憲法 下 の 日本 にお いて は

,公

教 育 を うける こ とは臣民 の権 利で は な く

,む

しろ国家 に対 す る義務 で あった。教 育義務 は兵役 ・納税義務 とな らんで臣 民の三大公義務 と考 え られて いた。義務 の主 体 は臣民 た る児童 およ び その保護者で あった。 かかる教育義務 の具体化 は

,わ

が国で はほぼ一貫 して独立命令 た る勅今 に よって いた。1872年 (明治

5年

)の

学 制頒 布 によって

,日

本 の近代的学校制度 力治む設せ られ

,学

制 第21章 には「小 学校 ハ 教育 ノ初 級 ニ シテ人 民一般 必 ス学ハ ス ンハ アルヘ カ ラサ ルモ ノ トス」 と規定 して義務教育制度 が行 なわれ ることになったが,「帝1学 学費 ノ事」 の第89章 で は「但 教 育 ノ設ハ人 々 自 ラ其 身 ヲ立 ルノ基 タル ヲ以 テ其 費用 ノ如 き悉 ク政府 ノ正租 二仰 クヘ カラサ ル論 ヲ待 タス……。然 レ トモ方今 ニ アツテ人民 ノ智 ヲ開 クコ ト極 メテ急務 ナ レハー切 ノ学事 ヲ以 テ悉 ク民費 二委 スルハ時 勢未 夕然 ル可 カ ラサ ルモ ノア リ……」 と規定 し

,義

務 教育の無償 は行 なわれて いなかった。 ただ第 24章 で は「貧 人小学ハ貧 人子弟 ノ自活 シ難 キモ ノヲ人学セ ンタメニ設 ク」 とか

,

さ らに

,第

94章 で 1よ「但 相 当 ノ受 業料 ヲ納 ル能 ハ サルモ ノハ戸長里正之 ヲ証 シ学区取締 リヲ経 テ其 学校 二出 シ許 可 ヲ 受 クヘ シ」 などの規 定 は あった。 けれ ども

,こ

れ ら規定 には

,子

どもの教 育 を うける権 利 の保障 の 思想 は全 く見 られず

,義

務 教 育の義務 は

,子

ども を教 育すべ き国家・社会 の義務 で は な く

,臣

民 の 義務 で あった。 明治38年 か ら授 業料 がや っ と不徴収 とな り

,就

学 率 が向上 した。 昭和16年国 民学校 令 にお いて は

,第

12条 によ り「 学齢 児童 ヲ使用 スル者ハ其 ノ使用 二依 リテ児童 ノ就学 ヲ妨 クル コ ト ヲ得 ス」 とされ

,第

36条 で は「 国民学校 に於 テハ授業料 ヲ徴収 スルコ トヲ得 ス」 と規 定 された。 し

(4)

たがって

,明

治初期 に比べて

,義

務教育 にたいす る国家の積極的配慮 が増 し

,子

どもの教育 を うけ る機会はより多 くなったのは確 かで ある。 けれども

,そ

れをもって教育 を うける権利 が保障 された と見 ることはで きない。 なぜ な らば

,そ

の時の教育は軍国主義 と全体主義の教育で あ り

,そ

れを強 制 された といえて も「教育 を うける権 利」 の名に値 いするものではなかったか らで ある。特 に「小 学校」 が「国民学校」 と改め られた昭和16年 か らは

,そ

の教育 も「皇国 ノ道二則 リテ」行 なわれる ことになり

,国

家の文教政策 をいよいよ軍国主義の方向 にもりたて

,教

育は政府の思 想統制の一翼 をにない

,国

策の具 と化 して

,滅

私奉公の精神 を子 どもたちに注入 した。 したがって

,子

どもた ち は

,戦

前 においては

,

このよ うな天皇 と国家 に忠誠 をつ くす教育 を「臣民の義務」 として受 けさせ られていたので あ り

,義

務教育の意義 もその無償制 も決 して「教育 をうける権利」 の思想 か ら生れ たものではな く

,そ

れとは全 く無縁 の ものであった。 しか し

,戦

前わが国 において教育 を うけることは「社会成員の義務では なく

,権

利で ある」 とい う思想や主張 が全 く存在 しなかったわけで はない。 すなわち

,す

で に述べ た如 く (第

3章

)わ

が国 において「教育 を権利」 として とらえる思想 は, すで に明治維新以後の自由民権運動の中 に うまれている。 その代表的論者 として中江兆民・植木枝 盛の教育思想 をみ ると

,公

費 による普通教育の必要・教育的価値 を国家 が決定 しない こと

,女

子解 放のための学校 を開設す ること

,教

育機会の均等化等の教育 を権利 として とらえる思想が明 らかに 伺 がわれるので ある。 また横山源之助 は明治31年 にその著「 日本の下層社会」 で

,劣

悪 な労働条件 の もとで

,た

えがたい肉体的・知的荒廃 をなめている年少労働者の状態 を克明に書 き

,教

育問題 を, 労働者の生存 と権利の問題 として とらえよ うとしている。す なわち

,当

時 の労働者の実状分析 に立 って

,横

山は,「貧民学校」 を起 こす必要 を説 くので あると「貧民は生活上の不如意者」 で あると同時 に「思想の欠陥者」で あ り

,教

育機会 を奪 われているもので あって

,こ

の なかか ら,「健 全 なる普通 の人民 を得ん とす るは

,蒔

かぬ種 より実 を望む」 よ うなもので あるといい

,教

育費の無償 は

,授

業 料金廃 にとどまらず

,労

働者の生活全般の根本的改善 によらねばならぬこと

,そ

して

,富

家 による 貧家の児童 にたいする差別意識 をうみだす社会的関係 にまで論 をすすめて いる。 さらに明治30年12月片山潜 らによって倉J刊された「 労働世界」 は

,わ

が国 における最初 の労働運 動の機関紙で あるが

,当

初 の改良主義的

,労

働協調的傾 向か ら急速 に脱 し

,社

会主義 的主張 が

,は

っきりして くるよ うになる。 わが国の歴史 の上で

,労

働者階級の立場 からは じめて「教育 を うける 権利」 をあ きらかに したのは

,こ

の「労働世界」 で あったといわれる )「労働世界」 第

9号

(1898

-明

治31・ 4。

1)は

,そ

の社説「富者の教育上の圧制」 において

,労

働者階級 の教育批判 と教育 要求 を展 開 し

,教

育を「社会的」「普及的」 なものであ り

,社

会の「公有物」 と し

,人

間は自然的人

権として「教育をうぐべき権利」があり

,

しかもそれは「無価」にて行なわれるべきであるとする

考 えを示 しているが

,当

時 としてはす ぐれた思想で あったといえる。 またわが国は じめての社会主義政党「社会民主党」 は,(安部磯雄

,片

山潜

,幸

徳秋 水

,本

下尚江 らによって

,明

治34年に倉」立 されたもので あるが

,そ

の党の進むべ き理想 として

8項

目を「宣言」 としてかかげ

,そ

の中で「人民 を して平等 に教育 を受 け しむる為 に

,国

家 は全 く教育の費用 を負担 すべ きこと」 とぃ う理想 にむけて

,当

面,「高等小学 まで を義務教育年限 とし

,月

謝 を全廃 し

,公

費 を以て教科書 を供給す ること」,「学齢児童 を労THllに従事せ しむることを禁ず ること」 を実現 してい こ うと した。 そ して宣言が

,教

育 をうける権利 としての平等の要請 が

,労

働者の権 利の確立 との関 連 において主張 されているのは社会主義政党の綱領 として当然のこととして も,「教育 を人生活動の

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号

55

泉源」 とし「 人々をして平等 に教育 を受 くるの特権 を得せ しめ ざるべ か らず」 として いる点は注 目 に値 い しよ う。 その他

,安

部職雄 は,「国家は其の経済の許す限 り無代価 にて人民 に教育 を施す覚悟 なかるべ か ら ず」 とのべ

,久

津見蕨村 は

,子

どもには「親 に育て られる権 利」「教育 を受 くべ き権利」 の あること を説 きμ幸徳秋水 は,「社会主義神髄」

(1903=明

治36年

)に

おいて,「学校の設 くる多 くして

,人

は 教育 を受 くるの 自由 を有せ ざる」現状 を批判 して

,親

が子 にたいす ると同様 に

,社

会は

,人

間の生 存の条件 としての食・衣・住 と教育の保障 をす るとい うもっとも緊急 な問題 か ら費用 を支出 してい かねばならないと論 じ

,教

育の無料化 を主張 した。 かくの如 く「教育 を うける権利」 の思想は明治維新当時すで に自由民権思想の中にみ られ

,つ

づ いて社会主義運動 との関連 において

,労

働者の権利の確立

,生

存の要求 と一体 となって主張せ られ たので あったが

,富

国強兵政策 を強力に進めることとなった

,明

治政府 は社会主義運動や左翼思想 の弾圧 に乗 り出 し,「治安警察法」 を制定 して社会主義思想の浸透や活動の発展 を阻止 し

,教

育 にお いても

,上

か らの国家主義教育 を強行す ることになり

,昭

和年代 に入 って

,政

府の権 力的思想弾圧 は強化せ られ

,治

安維持法 を制定 して左翼思想や社会主義運動 を押 える法的措置が整備 されてゆ く にしたがい

,せ

っか く芽ばえた人間の権利 としての「教育 を うける権利」 の思想はその後みの るこ となく

,枯

れて しま うことになるので ある。 か くして戦前の教育は満州事変 か ら支那事変・第二次 大戦 と戦争の拡大 につれ

,人

間の権利 として とは全 く逆 の「臣民の義務」 として

,軍

国主義・国家 主義の思想の下 に

,天

皇 ・国家 に対する忠誠 をつ くす教育が展 開せ られたので ある。 (三

)学

習 権 と 自 然 法

教育 を うけ る権 利 は

,生

来 的権 利 ・基 本 的人権

(fundamental human rights,Menchenrechte,

drois du citoyen)の

一 つ と して

,近

代憲法 の中 に規 定 せ られ るに至 って い るが

,こ

の基本 的人 権 の思 想 的根 拠 となったの は 自然 法 にも とづ く自然権 の思 想 で ある。 したが って教育 を うけ る権 利 の性格 を正確 に把握 す る為 には

,そ

の思 想的基盤 と しての 自然法 。自然権 の思想 をみて お く必要 が あろ う。 自然法 の観 念 は

,ま

こ とに多義 的で漠 然 と した もので

,ひ

と し く自然法 とい う言葉 で 表現 され な が らも

,

きわめて異 なった種 々雑 多な意味 に解 されて きた。時代 的 には

,古

代 自然法

,中

世 的 自然 法

,近

代 的 自然 法

,内

容 的 には

,ス

トア的 自然法

,ロ

ーマ法 的 自然法

,ク

リス ト教的 ス コラ的 自然 法

,啓

蒙 的 自然法

,ゲ

ゼ ル シャフ ト的 自然法

,ゲ

マ イ ンシャフ ト的 自然法

,

さ らには プロ レタリア 的 自然法 さえ指 て きされて い る。 その原 因の一 つ は,「自然」 の観念 その ものの多義性 にある。 自然 が精神 に対比 され るとき

,自

然法 は精神 と関係 な く

,精

神 をもたぬ動物 を も支配す る法 と解 され, 歴 史 に対比 され ると きには

,歴

史 的 に変化 す るこ との ない永久 不変 の法 と され

,社

会 に対 比 され る と きには

,社

会以前 の 自然状 態 に妥 当す る法 とされ

,人

為 に対 比 され る と きには

,人

定法 で ない客 観 的 な法 と され

,ま

た人 間的 なものの全体 に対比 され る と きには

,神

法 と解 せ られ る。他 方 にお い て

,自

然 は事物 の基準

,本

質 を意味 す るもの と解 せ られ

,そ

こか ら自然法 の宇宙 の法理

,一

切 の人 間社会 を永遠 不 変 に律 す る秩序 の法 あ るいは理念 の法 と しての 自然法 の観念 も生 まれて くる。 例 えば,「自然法 は人 間 その もの に適 用 され る法で あ る。実定法 も人間 に適 用 され る法で は あるが, 人 間一般 に対 してで は な く

,特

定 国家の公民 に適 用せ られ る」「 自然法 はすべ ての時代 及 び国 民 にお

(6)

いて

,各

人の基礎 をなす 人間の一般概 念 に出来す る法 で あるか ら

,

この原則 はすべ ての時代 及び国 民 に適 用 され るf)と した り,「我 々は 自然法 をもって

,正

義 の理 念 を内容 と した ところの超 実定法 的 な法律 で あって

,理

念 は時空 的現実 の彼方 に妥当す るところの価値 で ある とい う意味 において永久 不変の普遍妥 当性 を持 った法律 で あ ると解 すべ きで あるザ)又は,「名 は法 で あ るが実 は法 を超 越 す る 何 らかの価値 理 念で あるご]と い うの もこれ を意味 す るもの と思 われ る。 ところで

,自

然 法 はそれ 自体他 の領域 においては考 え られ ない幾 多の特色 を有す るもので あるが, その中で特 に重要 なるもの と しては

,第

一 にその普遍 妥 当性 が考 え られ る。実定法 は時 間 と空 間の 制約 におかれ るの に対 して, 自然 法 は

,名

は法 で あって も

,実

は法 を超越 す る何 らかの普遍 的 な価 値 理念 で あ る とい われて いるが

,何

が普遍 的 な価値理念 で あ るかは各時 代 の思 想 によって一様 で は ない。例 えば

,古

代 の 自然法 は プ ラ トンや ア リス トテ レス によって代 表 され る最 も道徳 的色 彩 の強 い もので あった。 ギ リシャの哲 学者 が 自然理法 と呼 び

,プ

ラ トンや ア リス トテ レスが正義 と名づ け た もの は実 は

,最

高 の道徳 原理 にほ かな らなかった。 中世で は

,法

の基礎 に道徳 を考 えて い るが, 道徳 の根 本 は神 の意思 にあ りと した宗 教的 な自然法 がアウグステ ィヌス (Aurelius Augustinus,

354-430)や

トーマ ス・ ア ク ィナ ス

(Thomas Aquinas,1225-1274)等

に よって とな え られ た。 この よ うに

,自

然 法 は

,古

来 多 くは他 の法則 と融合 して説 明 されて いたが

,近

世初期 の 自然法論者 は純 然 た る法 の立場 か ら

,自

由 人の 自由社会の秩序 を自然法 と考 え

,こ

れ を圧迫 す る専制主義 の実 定法秩序 を変革 しよ うと した点で

,政

治的色 彩 をおびて いる。社会生活 における各領域 は

,孤

立 的 で な く

,結

局 は人 間 によって統 一 され るので あ るか ら当然 そ こには共通 の普遍 的 な原理 が求 め られ る。 しか し一 面 において

,自

然 法 が法 で ある以上

,強

制 力を欠 いて も

,正

義観 念 を基礎 とす るもの で ある以上

,そ

れ 自体独 自の領域 を有 す るもので あ り

,ま

,同

時 に この正 義観念 は

,直

接 に表現 され る と否 とにかかわ らず

,理

性 を有 す る人間 にとって は 自明の理 で ある。 そ して それは

,人

間の 本性 自体 の要 求で あるか ら,時 代 と場 所,人 種 をこえて妥 当 し

,人

間性 が変 らない限 り万古 不変で あ ると され る。 第二 は

,実

定法 と異 なって

,そ

れ が国家 によって保障 された もので は な く

,法

の価値理念 と して は

,時

と所 を こえて妥 当性 を有す るが

,そ

れ 自身強制 力 もな く

,従

って また それ 自身 と しての実効 性 は も ちろん ない。 これ に対 して実定法 とは

,イ

エ リネ ックが,「すべ ての法 には効 力が必要 な標 準 になって い る。法規 が有効 な場 合 にのみ法秩序 の構成要 素 となる。 すで に無効 になった法 や まだ一 度 も適 用 され ない法 は

,真

の意味 の法で は ない。……・従 って法 の実定性

(die Posin

tat des

Rechtes)は

結 局 は その効 力 に対 す る確信 に存 す る」」といって ぃ るよ うに

,国

家 によ り制 定

,承

認 せ られ

,そ

の効 力 を保障 された法 で あって

,こ

の点 自然法 とその性格 を異 にす るもので あ る。 第二 は

,上

に述 べ たよ うに自然法 は普遍 妥 当性 を有す るが

,そ

の効 力は保障 されて いない。 これ に対 して実定法 は

,効

力 は有 す るが普遍 妥 当性 を有 しない。従 って両者 は お互 いに相容 れ ない二律 背 反 の立場 にあ るよ うに考 えられ る。 しか し両者 は ともに法 と しての規範 で あ る以上

,何

ん らかの 関係 を有 して いるこ とは歴史 の示 す ところで ある。 ところで

,両

者 の関係 で考 えられ る重要 なる点は

,自

然法 は

,既

存 の

,国

家 における実 定法 的秩 序 に対 して

,絶

えず新 しい社会的要求 に応 じ

,批

判 的原理 及 び指導原理 と して主張 され援 用 され る, 現存 す る実定法 と対立 し自己の人間的発展 のため新 しい社会的政治 的諸制度 及 び

,こ

れ に伴 う法体 系 を必要 とす ると きは常 に批判原理 及 び指導原理 と しての作用 を発揮 しうべ きもので あ り

,

また こ の ことは

,新

しい社会的要求 が激 化す ればす る程 よ り多 く

,強

く主張

,採

用 され るもので あ る こ と

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号

57

は,「自然 法 は・… …それ よ りももっ と しば しば現存 の法 に急進 的 な改革 を施 そ うとす る革命 的 な改革 の 目的 に役立 ったので ある」 とい うグル ヴ ィッチの言葉 によって も明 らかで あ る。 ところで

,自

然法 が一度 び実定法 化 され る と過去 の古 い実定法 に対 して は勿論

,

と きには新 しい 社 会的要求 に対 して も自己 を擁 護 す るため

,或

は 自己を権威 づ けるための理 論 と して主張 され るこ ともあ り うるが

,

と くに

,重

要 な点 は

,絶

えず新 しい社会的要求 が同 じ理 論 によって主張 され ると ともにその実定法 化 を求 めてや まない とい う必然的 な現象で ある。 この よ うに自然法 とは

,人

の社会生 活 に関す る当然 の道理 と して人の行動 を規律 す る永久 的

,普

遍 的 な法則

,な

い しは規範 で あって

,歴

史 的制度 に対 して理 想的意義 をも ち

,

しば しば実定法 の理 念 的法源 ない しは批判 の基準 と考 え られて きた抽 象的 な観念で ある。 しか し

,何

が永久 的

,普

遍 的 な法則 で あ り規範で あるかは歴史 的 にみて必ず しも一様 では ない。 自然法 はつ ね に

,あ

る特定 の時 代 に

,特

定の社 会 的

,経

済 的構 造 の上 に

,特

定 の社会的

,階

級 的利害

,要

求 を反映 し

,そ

れ を実現, 確立 す る理 論 と して主張 されたので あ る。 したがって現存 の実定法秩序 が

,根

本 的 に肯定 され

,何

らの不都合 も しめ さない と きには

,自

然法 は主張 され る必要 はないので あ って

,現

実 の否定 にた っ て

,自

己及 び 自己 と同一 階級 の人間的階級 的発展 のため新 しい

,あ

るべ き社会構 造 ・政治制度 ・法 体 系 を必要 とす る と き

,

この実定法秩序 を批判 す る原理 と して 自然法 の観 念 が支配 的 となるので あ る。つ ま り

,い

い か えれば 自然法 の観 念 は あるもの に対 す るあるべ きもの

,理

,理

念 で あ る。 自然権 とは

,各

人 が生 まれ なが らに固有す る権 利

,即

,実

定的 諸権 利 に対 して 自然法 によって 認 め られ る権 利で あって

,古

くか ら

,自

然 法 の一 部 と して考 えられたが

,普

通 には近 世初期 の社会 契約 説 で人 間 が社会状態 に入 る前 の 自然状態 において もつ 自由平等の権 利で

,天

賦 の もので あ り, た とえ

,そ

れ が

,発

現 す る方 面 によって生命

,身

,自

,財

産 などの幾 つ かの型 に分 け られ るこ とが あって も

,人

間の出生

,生

存 に ともなってそなわる当然 の単一不可分 の人権 で ある。 ホ ッブス は,「自然権 とは各人 がその本性 を維 持 す るために

,自

らの 力 を欲す るまま行使 す る自由 をい う。」と し

,ロ

ックは,「それ は 自然 法 の範 囲内 において他 人の許可 を乞 うた り

,そ

の意思 に服従 す ることな く

,自

分 が適 当 と思 う通 りに行動 し

,そ

の財産 及 び身体 を処理 しうる完 全 に 自由 な状 態 で あ る。 そ れ は また平等 な状態 で あ り

,そ

こで はすべ ての権 力 と裁半J権 は相互 的で あ り

,何

人 も他 人 よ り多 く の もの を持つ ことは ない。……。人 々 は互 い に月R従 させ られた り従属 させ られた りす るこ とな く平 等 で なければな らない1」と して

,自

由平等 の 自然権 を主張 して いる。 そ して具体 的 には生命

,自

由,

財 産

(L ife,Liberty and Estate)を

保 持 す る権 利 と

,自

然法違 反者 を処 罰 す る権 利で あ るとす

る。 ルソーの い う自然権 もまた 自由平等 の思想 が中核 で ある。要 す るに自然権 その もの は あるべ き 社 会

,理

,理

念 と して の 自然法 を具体 化す るための当然 の主張 で あ り

,

自然法 とともに

,つ

ね に あ る特定 の時 代 に

,特

定 の社会的

,経

済 的構 造 の上 に

,特

定 の社会的

,階

級 的利害

,要

求 を反 映 し, それ を実現確 立す る論理 と して特定 の作用 をなす もので あったので あ る。 か くして教育 をうけることは人 間の当然 の生来 的 自然的権利 としてとらえる「 教 育 を うける権 利」 の思想 と

,そ

の実定法化 は

,そ

こに自然法 ・ 自然権 の思想 を背景 に した もの とい うこ とが出来 る。 ところで教育 とは

,人

格 の完 成 をめ ざす もので あ り

,そ

の出発点 を「現 実 と しての人格」(Sein) にお きそのFll達点 を「 理想 と しての人格」

(Sollen)に

お くもの で あ る。何 が理想 と して の人格 で あ るかは それ を判 断す る人 々の立場 によ り

,又

は各時代 によって必ず しも一様 で は ない。例 えば プ ラ トンは青年時代 につぶ さに国政 の索乱 と利 己主義の横行 を体験 す るこ とによって

,彼

の生涯 の 関心 は善美 なる国家生活 の原理 と方法 とを探求 す ることに向 け られ

,そ

こに「理 想国家」 とその構

(8)

成者 としての二つの階級 を想定 し

,そ

れぞれに応 じた「理想的人格」 を考 え

,

さらにア リス トテ レ スは国家生活 における有徳 な人間その ものを

,

トマジウスは人間の幸福 なる共同社会の構成者 とし て

,誠

,適

宜性

,正

義の三原則 を身 につ けた人間をもって「理想的人格」 としてかかげた。 一方 わが国の上世 においては公家が宮廷 生活者 として容姿端麗で あること

,服

装 につ いては

,公

家 として品位 を示す こと

,

さらには

,才

として学問と芸能 を身につ けることを要求 されていた。 こ のよ うな教養 をもった人間が「 あるべ き姿」 として描 かれた。 中世で は

,武

士 を中心 とした時代で あるので

,先

ず武士の求めたものは

,武

士の姿 として

,威

厳 をもった猛 々 しさで あった。 そ してまた

,武

士はその立場上

,武

術 にす ぐれた腕 をもつ ことが必要 で あったので この訓練のため多 くの工夫 を重ねた。つ まり

,こ

のよ うな社会では高い武技 をもった 人々は常 に立派 な教養 を身につ けた人間 として

,い

いかえればこの時代 における人間の「 あるべ き 姿」 として考 えられていた。 近世 においては

,新

興市民階級 として町人がたい頭 し

,営

利をこととし

,取

引 を研究 し

,そ

れに よって

,自

己の経済的発展 のみ に努めていた。 したがって

,こ

のよ うな時代 にあっては

,読

み書 き 算盤 を基礎的知識 として身につ け営利 にさとい人間をもって「 あるべ き姿」

,「

理想的人格」 とし て とらえた。 明治時代 になるやわが国は

,近

代国家 をめ ざして

,急

激 なる社会変革が生 じ

,こ

れに伴 って教育 上の人間像 にも大 きな変化が生 じた。 とくに天皇絶対主義の確立 と

,そ

の永続化のため

,教

育勅 語 が澳発 されて以来それを貫 く「忠君愛国」 の思想 をもって教育の本源 とされて きた。 敗戦後新 しい憲法 が制定 され

,教

育 もまた根本的 に改革 されるにいたった。 その結果新 たに教育 基本法 が常1定され我 が国教育の進 むべ き方向が明 らかにされた。それによると

,従

来の非民主的, 軍国主義的国家 とその教育 にかわって

,新

しく民主的で文化的な

,

したがって平和的 な国家社会 を 建設す ることをもって理想 とし,(前文第一段

)「

真理 と正義 を愛 し

,個

人の価値 をたっとび

,動

労 と責任 を重ん じ

,自

主的精神 に充 ちた心身 ともに健康 な国民」(第一条,を「理想的人格」 として把 握 した。 そこで,「教育」 とは

,そ

れぞれの理想 とす る国家社会の形成者 として

,そ

れ にふ さわ しい 人格 を有す る人々の育成す る作用

(Aufheben)で

あ る とい うことになる。 したがって

,自

然法 も教育 も

,

ともにあるべ きもの

,つ

まりは理想主義的 なもので あるので

,必

ず しも否定 さるべ き社会の現実的な要求 にとらわれないもので ある。特 に教育が人間形成の理想 を ふ くむもので あるとい う点 につ いては

,社

会本位 の教育 を主張 したデュルケム

(Durkheim,1858

-1917)自

身で さえも,「教育は

,個

人 を本性 にしたがって発達 させ

,出

現 の機会 を うかがってい る潜在的能 力を開発す るだけにとどまらない。教育は

,人

間の うち新 しい人間 を倉J造す るので ある。 しかも

,こ

の人間はわれわれにとって最良の ものすなわち生命 に価値 と尊厳 とを与 えるもの によっ てつ くられる。い うまで もな く

,こ

の倉J造力こそ人間の教育のもつ特権で ある倒 として

,結

論 とし て教育は理想 として社会の現実 を超 えるもの としている。 しか し

,教

育はもちろんの こと

,自

然法 自体 もあるべ き一つの理想

,理

念 として現実 を超 えるも ので あると同時 に

,そ

れ らの本質上

,そ

の体制 に応 じなが ら

,こ

れと対立 し

,矛

盾 す るもので ある ことは歴史の示す ところで ある。 したがって

,現

実が厳 しければ厳 しいほど

,そ

れ に反比例 して両 者 はよ り理想的になるもので

,

ともにユー トピア的な性格 を有するもので もある。 したがって

,教

,

なかんず く近代教育は

,

自然法的

,普

遍 的性格 をその主要 な特色 としているとい うよ り

,む

し ろ両者 は本質的にはその性格 を同 じくす るもので あるとい うことがで きるllllのではなかろ うか。教

(9)

鳥取 大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第27巻 第1号

59

育が人間のあるべ き姿 と して客観 的普遍 的理想 を求 める限 りは

,自

然法の性格 と一致 し教育 を受 け る権利は自然法の理念で あ り

,自

然権 として強固 な根拠 を有す るのであるので ある。 か くの如 く

,自

然法は教育 とともに

,あ

るべ き理想

,理

念 としての性格 を有す るもので あるが, それはまた同時 に重要 なる三つの機能 を有 しているもの と考 えられる。 その一つは リッチー も指 て きしたよ うに

,自

然法は

,既

存の国家秩序

,法

秩序 に対 して批判的機能 を有す る。第二 に近代憲法 を成文法た らしめた定型的機能 とで もい うべ きもの

,第

二 に新 しい社会的要求 に対 して指導的機能 を有す る。そ して これ らの三つの機能 は合 して

,社

会の改革 をもた らし

,基

本的人権 を実定法化す るにいたるものである。す なわち

,人

は人間的 自然的要求の実現 を妨 げている一切の諸制度 を改廃 しよ うと欲す るとき

,そ

こに

,新

たな人間的要求 を基礎づ けるための理論 が要求 される。 そ うして, 自己の人間的欲求 を正当化す るための理論は

,現

存す る秩序

,制

度 が強固 なものであればある程 そ の権威 の あるものが要求 されることは当然である。 そこで それにこたえたのが「 自明の真理」

(We

hold these truths to be selfe

dent)と

して怪 しまれなかった自然法

,自

然権の理論で あった。 したがって

,こ

の点よ りすれば

,自

然法 とこれにもとず く自然権 の理論は

,社

会改革の指導理念 と しての面 をも有す ることになる。 か くして自然法

,自

然権の理論は

,近

代社会の中にあって

,そ

の 憲法 を成文化た らしめ

,従

来の ともすれば道徳的

,政

治的要求 にす ぎなかった

,人

間的要求 を実定 法化す ることによ リー応 不動的 なもの として確立す るにいたったので あ り

,教

育 を うける権利 も自 然法

,自

然権 の思想 を背景 に人間が人間 として当然 にもっているとされる固有の

,そ

して不可譲 な 自然的生来的本質的権利 として近代憲法の中 に明記 されるに至ったもので ある。 か くして西欧 における「教育 を うける権利」 の保障 の歴史 をふ まえ

,教

育 と自然法・ 自然権 の一 体性 を考 え合せ るとき

,現

在の通説 として教育 をうける権利の内容 を「教育の機会均等」 と「 公教 育の無償」 と してだけ把握す るのは極 めて不充分 な理解 といわなければならない。すなわち「教育 をうける権利」 の内容 はかかる外部的経済的教育条件の整備 にとどまらず

,そ

の教育の内容 が人間 が人間 として人間 らしく

,よ

り幸 に生 きる為の普遍 的客観的理想的なもので あり

,普

遍 的真理 に さ さえられたもので な くてはならないことになり

,か

かる教育 を主体的 に積極的に要求 し学習す る能 動的 な権 利 として把握 さるべ きで あ り

,

このよ うな立場 から

,筆

者 は「学習権」 とい う概念 を使用 するもので ある。 (四

)諸

外 国 憲 法 に お け る学 習 権 学習権 の性格 を考 える前 に

,近

代主要国の憲法 が「教育 を受 ける権利」 をどの様 に規定 してい る かを先ず見 ることにす る。 ソヴイエ ト憲法第

121条

の規定 は さきに記 したところで あるが

,ブ

ルガ リヤ憲法第79条第

1項

は 「市民は教育 を受 ける権利 を有す る」 と定め

,北

鮮憲法第18条第

1項

は,「公民は教育 を受 ける権 利 を有す る」 と規定 し

,東

独憲法第35条は「いずれの市民 も

,教

育 を受 け

,且

つ 自己の職業 を自由 に 選択す る平等の権利 を有する。青少年の教育並 びに国民の精神的及び専門的 な更に進 んだ教育 は, 国家的及び社会生活のすべての領域 にわた り

,公

の施設 によって確保 される。」とし

,ユ

ー ゴス ラヴ ィア憲法 も第38条第

1項

で「学校及びその他の教育及び文化施設への入学 を全人民層 に保障す る」 と規定す る。中華人民共和国憲法第94条は,「中華人民共和国の公民は

,教

育 を受 ける権 利 を有す る。 国家は

,各

種の学校 その他の文化教育機関 を設 け

,逐

次拡大 して

,公

民の この権利の享有 を保障 す

(10)

る。国家は

,

とくに

,青

年の体 力及び智 力の発達 に関心 を有す る。」と規定 している。 これ等の社会 主義国家や人民民主主義国家の憲法 に対 して

,中

華民国憲法第21条は,「人民は国民教育 を受 ける権 利 と義務 を有す る」 とし

,韓

国憲法第16条もこれに類似 した規定 を設 けているがイタリヤ共和国憲 法第34条第

1項

は「学校 は

,す

べての者 に解放 される。」としている。世界人権宣言も

,

このよ うな 教育 に対する世界の情勢 を背景 としなが らその第26条第

1項

において「各人は

,教

育 を受 ける権利 を有す る。」と規定 した。 このほか国家の側 から国民の教育 に関 して配慮 をなすべ きもの と しては, ワイマール憲法第

143条

1項

の「少年 を教育す る為 に公の営造物 を設置す ることを要す。 その設 備 に付 ては国

,各

,公

共団体之 に協 力する。教員の養成 に関す る規定は一般高等教育 に適用せ ら るる原則 に従 い全国 を通 じて統一的に之 を定む」 とす る規定や西 ドイツ憲法第

7条

1項

の「すべ ての学校制度

(Schulwesen)は

国家の監督 を受 ける」等の規定 にこれを見 いだす ことがで きる。 これに対 してイギ リスでは周知の ごとく不成文憲法の国で あるので これにつ いての

,直

接の規定 は な く

,ア

メリカ合衆国憲法 もその「原憲法第

5条

に基 き

,連

邦議会 によ り発議 され

,各

州の州議会 で批准 され た

,ア

メ リカ合衆国憲法の増補及び改正箇条」 第10条「憲法 によって合衆国 に委任 され ず

,且

つ憲法 によって州 に対 して禁止 されていない諸権限は

,夫

々各州及び国民 に留保 される。」と い ういわゆる「留保権 限」

(Reserved Powers)に

よって教 育 を各州 の権 限 に委ねているので, 直接の規定 を設 けてはいない。 ところで以上述 べた

,代

表的国家の「教育 を受 ける権利」 及びこれに関連 した者千の規定 を検討 すればほぼ次の ことが言 えるで あろ う。すなわち

,社

会主義国家

,人

民民主主義国家 における憲法 は,「教育 を受 ける権 利」 を具体的 に保障す るため

,例

えば

,ソ

ヴィエ ト憲法第

122条

2項

,東

独 憲法第35条第

2項

の ごとく

,ま

たは

,ブ

ルガリヤ憲法第79条第

2項

∼第

4項

,北

鮮憲法第18条第2 項∼第

4項

,東

独憲法第36条∼第39条等のごとく義務教育

,奨

学金

,教

育施設の充実

,公

民教育等 に関 して詳細 なる規定 を設 けるとともに

,ブ

ルガ リヤ憲法第79条 第

1項

において「教育は神聖で あ り

,民

主主義的且つ進歩的な精神 に貫 かれたもので ある」 と し

,或

はまた東独憲法第37条第

1項

の 「学校 は青少年 を憲法の精神 によって訓育 し」 とい うごとく

,国

家の性 質上社会主義政治の体制の 確立 を目ざす意味 において

,憲

法制度 の精神 に反する方向においてその権利 を行使す ることは許 さ れないとい う規定 を設 けていることで ある。資本主義国家の憲法で は「共和国 は競争試験 によって 付与 されねばな らない奨学資金

,家

族 に対す る手当その他の配慮 によって

,前

項 の権利を実効 あら しめる」 とい うイ タリヤ共和国憲法第33条第

3項

やワイマール憲法第48条の第

1項

「各学校 に於 て は ドイツ国民性及び国際的協調の精神 を以て道徳 的修養

,公

民 としての思想

,人

格及び専門的才能 の完成 を努むべ し。」とい う規定の中 にブルガリヤ憲法第79条第

1項

や東独憲法第37条第

1項

とほぼ 同様の傾 向 を認 め ることがで きるので あるが

,こ

れ らの憲法の規定は

,

ともに

,資

本主義 と社会主 義 との妥協 によって生み出 された改良主義的 な国家の性格 によるもので あるといえよ う

,

したがっ てこの傾 向は資本主義的色彩の強 い日本国憲法 をは じめとす る中華民国憲法や

,韓

国憲法等では と うてい見 い出す ことので きない規定で ある。 しか し

,い

ずれに しても

,社

会主義国家や

,人

民民主 主義国家の憲法 に比 してその規定 が具体性 と明確 さを欠 くことは

,否

定出来 ない。 さらに教育 を うける権利保障の内容 としての「教育の機会均等」 を各国憲法 の主 な規定でみ ると, ワイマール憲法第

146条

3項

は「資産 の乏 しい者 を中等学校および高等学校 に進学 させ るために, 国

,邦

および公共団体は公共の手段 を施 し

,殊

に中等学校 および高等学校 の教育 をうけるに適 して いると認 め られる児童の両親 に対 し

,そ

の教育 を終 るまで学 資を補助す る。」と し

,イ

タリヤ共和国

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号

61

憲 法 第34条 第

3項

は「 才能 に恵 まれた優 秀 な生徒 は

,た

とえ生 計の手段 を有 しない場 合で も

,最

高 度 の勉 学 の段 階 に達 す る権 利 を有 す る。」と し

,そ

の 第

4項

で は

,奨

学 資金制 度

,家

族 手 当制度 その 他 の措置 によ りこの権 利 を実効 的 な もの とす る。 これ らは

,競

争試験 に よ り与 え られ な けれ ば な ら ない。」と規定 し

,

日本憲法 も第26条 第

1項

で「 すべ て国民 は

,法

律 の定 め る と ころ によ り

,そ

の能 力 に応 じて

,ひ

と し く教 育 を受 け る権 利 を有 す る。」と し

,こ

れ に もとづ いて

,別

に教育基 本法 を設 けその第

3条

で「 すべ て国民 は

,ひ

と しく

,そ

の能 力 に応 ず る教育 を受 け る機 会 を与 え られ なけれ ば な らないもので あって

,人

,信

,性

,社

会 的身分

,経

済 的地位 または門地 によって教 育上 差 別 され ない。」と して い る。 ソ ヴ ィエ ト憲 法 第

121条

2項

は「 この権 利 は一般 的義務 的初 等教育,

7年

制 教育の無料制

,高

等 学校 にお ける優 秀 なる学生 の国家的給費の制度

,学

校 にお け る母 語 によ る授 業並 び に工場

,ソ

フ ォーズ

,機

,

トラク ター配給所 および コルホ ーズ にlo・け る勤 労者 の無料 の生産

,技

術 および農業 教 育 によ って保 障 せ られ る。」と し

,ブ

ル ガ リヤ憲法 は第79条 第

4項

で「 教 育 を受 け る権 利 は学校

,学

習場

=教

育研究 所

,大

,並

び に奨学金

,学

生 の た めの寄宿舎

,秀

才 の ための援 助 および特別 な奨励 によって保障 せ られ る。」と し

,東

独憲法 第39条は「 いず れの児童 にも, その肉体 的

,精

神 的及 び道徳 的能 力 を全面 的発展 させ る可能性 を与 えな けれ ば な らない。 青少 年 の 教 育過程 は

,両

親 の家 の社 会 的地位 及 び経済 的状 態 によって左右 されて は な らない。社 会 的 関係 に よって不利 な立場 にい る児童 た ちに は

,む

しろ特別 な配慮 を与 えなければ な らない。専 門学校

,高

等学校 及び大学へ の通 学 は

,人

民 の すべ て の層 の才能 あ る者 に対 して可能 に され な けれ ば な らない。 …… 専門学校

,高

等学校 及 び大 学へ の通 学 は

,必

要 あ る場 合 には

,生

計補 助 及 び その他 の措 置 によ って支持 され る。」と規定 して い る。 この教育の機会均等 とは

,そ

の者 の属 す る階級 や

,父

兄 の経済 的社会 的地位 等 によって教育 を受 け る機 会 に差 別 をつ け られぬ こ とを意味 す る。教育 は

,民

主主義国家 に とって は きわめて重要 な こ とが らで あるがそれ にもま して

,現

今 で は生存権 の立場 か ら把握 されて い るので

,国

民 に とって は きわめて緊要 な事柄 で ある といわなければ な らない。 したがって

,そ

れ は国 民 が「 ひ と しく」 教育 を受 ける ことを意味 す る。 ひ と し くは お よそ

,そ

の国 の国民た る者 は「 すべ て」 平等 にとい うこと で あ る。 また「 ひ としく」 とい うことは,「ひ と しき教 育」 す なわ ち画一 的 な教育 をい うので は ない。 能 力 と個性 に応 じた教 育 を

,平

均 平 等 的 にで は な く

,配

分平等的 に うける とい うことで ある。 この教育 を うけ る権 利 につ いては

,ワ

イマ ール憲法 が「 中等学校 および高等学校 の教 育 を うける に適 して いると認 め られ る児童 は」 と し

,

日本 国憲法 が「 その能 力 に応 じて」 と規定 し

,東

独憲法 の「 人民のすべての層 の才能 ある者 に対 し」 と規 定す るごと く

,能

力 によ る差 別 を認 めて い る。能 力 (ability,Fよ

higkeit,Eignung,capacitO,habiletO)と

,一

定 の条 件 下 で なしうる反応 の可 能性 で あ ると解 されて い るが

,

と きには

,知

能 (intelligence,Intelligenz)と 同意 義 に用 い られ るこ ともある。 ここで い う「能 力」 とは

,教

育 を受 け るに足 る能 力す なわ ち教 育 を受 け る に足 る精 神能 力 と身体 的能 力 とを意味 す るもので あ る とい えよ う。 ところで

,通

説 は

,

この「能 力」 を固定 的 な もの と して と らえ

,教

育 を受 け るに足 る「 能 力」 を「知識 ・技術 の修 得 能 力」 と解 して い る。 した が って

,教

育 を受 け る権 利 は

,そ

の現 在的能 力の如何 によって

,受

くべ き教育 の内容 も程 度 も おのず か ら異 なって くるものが なければ な らない とい う理論はかも

,考

え られ ないで は ない。 けれ ど も

,人

間の能 力は先天 的素 質 を全 く除外 して考 えることはで きないに して も

,そ

れ らのほ か

,環

境 や生活 条件等

,い

わゆ る後天 的 な要 素 が複 雑 な関係 を保 ちなが ら

,年

令 と とも に順 次発達 す る もの で あ る。 したがって

,人

間の能 力 は必ず しも固定 的 な もので は な く

,組

織 的 計画 的 な方 法 で それ を

(12)

発 見 し

,教

育 的配慮 の ある環境 によって それ を引 き伸 ばす ことも可能で あ る。 この よ うな計画的, 組織 的 な行為 が教 育で ある。 も とも と教 育

(Education)と

い う言葉 がひ き出す

(Educare)と

い う語源 にも とづ くもので あ るとい うこ とは

,こ

の意味 において理 解 す ることがで きる。 されば こ そ

,民

主主義 教育 の諸原則 にかんす る憲 章 は「 学校 は

,児

,青

少年の能 力 を確 認 す ることだ けに とどまっては な らない。教 育の期 間中

,男

女 青少年各 人の能 力 を発展 させ るもので なければ な らな い。」と規 定 した。 したが って

,現

在的能 力 を基準 と して教育 を受 け る権 利 を制 限 す るので は な く「 能 力」 に応 じた教育 を うける「 権 利」 は発展 可能 な「学 習能 力」 に適 した教育 を うける権 利 と解 す べ きで あろ う。勿論,「能 力 に応 じ」 を「親 の経済 的能 力 に応 じ」 と解 す る ことの不 当 なの は い うま で もない。 さ らに教育の機 会均等 を保障 す る奨学制度 も国家 。公共 団体 の財 政上 の制 約 か らい まだ 充分 に行 なわれてぃない等 の問題 点 が あ る。 つ ぎに教育 を うける権 利保障 の い ま一つ の側 面で あ る「 義務教育 の無償 制」 につ いての各国憲法 の主 なもの を見 ると

,ワ

イマ ー ル憲 法 は第

145条

で「 就学 は一級 の義務で ある。就学義務 の履 行 は,

8年

以上 を有 す る小学校 に修 学 し

,引

続 いて満 18年 に至 るまで補 習学校 に修 学 す るこ とを原則 とす る。小 学校 および補 習学校 にお ける授 業料 および学用 品 は無償 で ある。」と し

,フ

ラ ンス第四共和 国 憲 法 もその前 文 第13段 で「・…・・。無償且つ非宗教的 な公の教育組織 は全 ての階程 を通 じて

,こ

れ を 国 家の義 務 とす る。」と規 定 した。 イ タ リヤ共和国憲法 は第34条 第

2項

で「 少 くとも

8年

間 にわた る 初 等教 育 は

,義

務 的且つ無償 で ある。」と し

,

日本国憲法 は第26条 第

2項

で「 義務教 育 は無償 とす る。」 と規定 した。 ソヴ ィエ ト憲 法 は第

121条

2項

で「 この権 利 は一般 的

,義

務 的初 等教 育

,7年

制 教 育 の無料制…… によって保障 せ られ る。」と し

,ブ

ル ガ リヤ憲法 第79条 第

2項

は「初 等教育 は義務 的 で あ り

,且

つ 無料で あ る。」と規 定 し

,ユ

ー ゴス ラヴ ィア憲法 第38条 第

4項

は「初 等教 育 は義務的で あ り且つ無料で ある。」との規定 を設 けて い る。 か くして

,義

務教育制 を憲 法で定 め ることは現代国 家 の共通 の現 象で あ り

,ま

,そ

れ を無償 とす ることは現代国家の当然 の義務 となってい る。 それ は義務教育 を現実的 に保障 す るため に必要 で あ り

,理

念 的 にも国家経 費 は国 民労/Ellの変形 した もの で あって

,そ

れが国民 にその よ うな形 で か えって くるの は国民の当然 の権 利で あ るか らで ある。 か くの如 く,「教 育 を うける権 利」 保障 の具体 的内容 と して「教育の機 会均 等」 と「 義務教育 の無 償」 は各国 の憲法 に掲 げ る ところで あ り

,わ

が国 もその例 外で はない。 しか し「 教 育 を うけ る権 利」 の現代 的意義 はその歴史 的思想 的 (自然法 的

)背

景 を考 え合せ ると きかか る教 育 の外的経済 的条 件 整備 が な され ることをもって甘 んずべ きで は な く

,如

何 な る教育で も (例えば戦 前 の 日本 の教育) ただ機 会均等 に無償 に受 ければ教育 を うけ る権 利 が保障 された と考 え得 る もので は ない。 問題 は「 ひ と しく」 保障 され る「 教育の内容」 で あ り,「教育 の 質」 で ある。 この「 教育 を うけ る権 利」 保 障 の「 教育 の内角 につ いて憲法上規 定 して い る国 はブル ガ リヤ憲法 。東独憲法・ ワイマ ー ル憲法等 極 めて少 ない。 これは「 教育 を うける権 利」 の保障 が第二次大戦以後 にな された新 しい権 利 と して 主 と して「教 育の平等」 を制度 的 に保障 しよ うとす ることに重点 が置 かれて いた為 と思 われ る。 し か し今 日で は「教 育 を うける権 利」 の内容 はもっ と深 め られ るべ きで あ り

,そ

の受 け る「教 育 の内 容」 が検討 さるべ きで あ ると考 える。

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第27巻 第 1号

63

(五

)学

習権 の性格

一一生存権との関連を中心に一一

教育 を うける権利 (学習権

)が

,い

かなる根拠 によ り

,い

かなる性格 の権 利 として保障せ られる もので あるかとす る点 につ いては

,現

在つ ぎの三説 をあげることが出来 ょう。 第一 は教育 を うける権利の本 質は

,主

権者国民の民主政治的能力の拡充のために国家の条件整備 を求め る権利 にほかならないとする。す なわち現代の民主主義社会は

,国

民のすべて に高 い政治的 能力を要求 している。そ うい うもの を国民一人一人が持たなければ

,こ

の社会が自由 と平等 と友愛 を実現 しつつ

,国

民 を幸福 に してゆ くことは出来 ないのである。要す るに

,国

民一人一人が教養の 高い

,正

しい判 断力を持 った政治的国民 とならなければ,「人民の政治」

(Popular Government)

は決 して「善 い政治」

(Good Government)1引

まならないので ある。専制政治

,独

裁政治 におい いては

,政

治権 力を行使す る一部の特権者 が優 れておれば

,権

力の対象 に過 ぎない一般国民は

,そ

れほど高い教養 が無 くて も政治は一応運用せ られる。 しか し

,民

主政では

,一

般国民が主権者 とし て

,主

体的 に政治 にか与 し

,そ

の多数の意志で事 を行 うもので あるから

,国

民一人一人の政治的教 養が直 ちに政治の優劣 となって現 われるので ある。 か くの如 く

,民

主主義の政治は

,国

民一人一人 の政治的教養

,政

治的能 力を

,あ

くまで基盤 として成 り立 っているので あ り

,こ

の政治的教養

,能

力の養成 を計 るためには

,国

民 にひと しく教育が うけられるよ うに保障 しなければな らないとす。 この説 には

,公

教育 を民主政治 と直接 にむすびつ けて考 えるとい う特色 があるが

,と

くに日本国憲 法下 において国民主権 と国民教育 とのむすびつ きを重視する考 え方 がふ くまれている。 す なわち

,明

治憲法 においては天皇主権 の一部 として教育大権 が存 し

,臣

民 にはもっぱ ら教育 を うける義務 が課 されていたの に反 し,「日本国憲法 にあっては

,主

権者国民が教育権 を有 し

,子

女国 民は真 の主権者た りうるよ うに憲法理念 に即 した教育 を うけることを権利 として国家 に要求で きる よ うになったのだ」3と説 かれる。 しか し主権者国民の自由は重要で はあるが

,教

育の目的 には,「平和的 な国家及び社会の形成者 と しての国民の育成」 だけで な く各個 人の「人格 の完成」 があげ られる (教育基本法第

1条

)の

で あ って

,主

権者国民の育成 とい うことのみが教育 を うける権利の主 たる保障理 由ではな く

,そ

の一面 をいっているもの と解す る。 第二 は教育 を うける権 利は憲法第25条の生存権 の教育・文化面へのあ らわれにほかならず

,人

の 生活能 力にかかわる教育 を貧 しい国民もなるべ くうけ られるよ うにす るために

,国

家 が教育の機会 均等化の経済的配慮 を行 な うべ きこと

,を

意味す るとする説側で ある。 この説は従来の憲法学説の主流 をなして来たもの と考 えられるが

,こ

こで教育 を うける権利 と生 存権 との関係 を検討 してみ ると,

一般 に生存権

(right of life,right to life,Recht auf Existenz)と

は「生存 又は生活 のた めに必要 な諸条件の確保 を要求する権利」0,「生 きる権利」

(das Recht zu Dben,right to live

),「人間として健康で文化的な最低生活 をいとなむ ことを国家 にたい して要求 しうる国民の権 利」,

「人間 に値 す る生存 の保障 を要求す る権利」0等といわれている。生存権 は

,生

活権 ともいわれてい るが

,そ

の区別 は必 らず しも明 らかにされていない。 けれども生存権 は「生活権」 よ りも

,よ

り緊 急且つ緊要的な強度 と意味 とをもって理解 されるのが一般で あり、憲法上問題 となるの もこの意味 の生存権で あるよηところで このよ うな生存権 の内容 と しての生存

,生

活のための必要 な条件 と して,

(14)

積極 的 に生存 の維 持

,発

展 に役立 つ もの と

,消

極 的 に生存 自体 に対 す る危害 及 び障害 を除去 す るこ とに役立つ もの とがある。 自然権 と しての生存権 が現 実 に実現 され うるため には

,何

よ りも個 人の 活動 に国 家 が干渉 しない こ と

,つ

ま り「 国家 か らの 自由」 が保障 され なければ な らない とい うの が, い わゆ る18・ 19世 紀 の「 レッセ 。フェール」 の原理で あったので あ る。 したがって

,一

方 で は財産 権 の不 可侵性 を明確 にす るとともに

,他

方 で は個 人の生命

,身

,そ

の他 の 自由 を一般 的 に保障 し て い る18・ 19世 紀 の憲法 も消極 的意味 の生存権 を保障 して いた と考 え得 る面 がある。 しか し

,そ

の 後 資本 主 義経 済 の進展 が現実 的 な矛盾 を深刻 化 し

,国

民 の 間の貧富 の差 が激 しくな り

,無

産 大衆 の 生活苦 が '曽 大 す るにつ れ て「 レ ッセ ・ フ ェー ル」 の原理 はつ い には破綻 せ ざるをえな くなった。 そ こで新 しく従 来 の消極 的生存権 を利用 しつつ

,こ

れ に積極 的 な意味 を与 えて

,個

人 の生存 の維 持, 発展 に役立つ 条件 につ いて も

,国

の公共 的配慮 が な さるべ きで あるとす る理論 が主張 され るにいた ったので ある。 しか して社会 の発展 は絶 えず新 しい知識 と技 能 を要求 して止 まないので

,社

会 の落伍 者 とな らず, さらに個 人の生存 を維 持 し発展 させ るため には社会 の進展 に応 ず る知識 と技能 を修 得 す る自由

,す

なわ ち教育 を受 ける権 利 が人 間の生活生存 に とって きわめて重要 なこととなる。 この こ とは

,す

で に1793年

4月

24日

,ロ

ベ ス ピエ ルが コ ンヴ ァンシ ョンに提 出 した ジャコバ ン憲法 の草案 第22条 で社 会権 の 芽生 え と して「教 育 は

,す

べ ての者 の需要 で ある。社会 は

,そ

の金 力 をつ くして

,公

の理性 の進歩 を促 進 し

,教

育 をすべ ての市 民 に保 障 しな くては な らない。」と し

,

さらに1848年の フ ラ ンス 憲法 の前文 第

8段

の「 共和国 は

,市

民 をその一 身

,そ

の家庭

,そ

の宗 教

,そ

の所有権

,そ

の労働 に おいて保護 し

,か

つ すべ ての者 に不可 欠 な教育 を各 人の手の届 くところ に置 か な くて は な らない」 との規 定

,

をみ て も明 らかで あ る。 しか し生存権 の 問題 は

,ヘ

ーゲルの指 て きをまつ まで もな く

,資

本 主義 社 会 にお け る自由競争 の もた らす必然 的現象 と して

,本

来 は労働 者大衆 の保護 を契約 と して考 え られた もの とい うことが出 来 よ うと したが って

,そ

れは

,主

と して

,社

会主 義

,共

産 主 義の傾 向 に属 す る思想家 によって主張 された が

,そ

の もっ とも代 表的 な者 はオース トリヤの社会法律 学者 ア ン トン・ メ ンガー

(Anton

Menger,1841-1906)で

あ っ た。彼 は

,有

名 な著 書「 全労Tall収益権史 論」

(Das Recht auf den

vollen Arbeitsertrag in geschichtlicher Darstellung,1886)に

お い て,「人 間 は欲望 充足 の

ため労働 す るもので ある。 したがって労働 と労働収 益

,欲

望 と充足 とは

,人

間の経 済 生 活 にお け る 二 つの囚果の系列

(Kausalreihen)を

な して い る。 も し今 日の法律秩序 が

,労

lrll者にその全収 益 を与 え

,現

存物 資 に応 じて欲望 を充足 させ るな ら

,財

産 法 の理 想 は達成 され る。 ところが現 在の財 産法 は この 目的 に反 し

,第

一 に労lall者に全労働収 益 を保 障 せず に

,不

労所得 か ら生 じた財産 を保 障 し

,第

二 に現存物 資 に応 じた欲望 の充足 を計 ることな く

,個

人 の生活維 持 に欠 くことので きない物 資 や労働 さえ も与 えるこ とを規 定 して い ない。」そ こで「 この二つ の経 済 目的 を達 す るた め に二 つ の 『経済 的基本権』 (dic ё

konomische Grundrechte)を

主 張 す る。 その第一 は全労働収益権 (das

Recht auf den vollen Arbeitsertrag),第

二 は生存権 (das hecht auf E

stenz),第

二 は 労働権

(das Recht auf Arbeit)で

あ る∫」と してぃ る。 ここで 問題 となるのは第二 の生存権 で あ るが

,彼

は生存欲望 (E

stenzbedurfnisse)を

分 配 の標 準 と しな が ら,「生存権 とは各 人 に無 条

件 に認 め られ る権 利で あ るが

,具

体 的 には各 人 によって内容 が異 なって くる。 す なわ ち未 成 年者 は 秩養 及 び教 育 を受 ける権 利

,幼

年者 は ただ秩 養 を受 け る権 利 を有 し

,成

年 有権 者 は相 当の労THll義務

参照

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