教育学におけるニーチェ受容史に関する研究 : 1890-1920年代のドイツにおけるニーチェ解釈の変容
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(2) 目次. 目次 序章. 研究の課題と視座 1. 研 究 の 課 題. 2. 先 行 研 究 の 検 討 3. 研 究 の 視 座. 第 1章. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10. 1890年 代 ド イ ツ の ニ ー チ ェ ブ ー ム. 第 1節. ニーチェ受容の前史. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 8. 1. ニ ー チ ェ の 生 涯 と 思 想. 2. 同 時 代 人 の 無 反 応. 第 2節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 8. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 8. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20. 青年とニーチェブーム. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22. 1.ニ ー チ ェ ブ ー ム の 到 来. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 2. (1)予定調和史観の相対化. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22. ( 2 )ニ ー チ ェ ブ ー ム ・ ニ ー チ ェ 派 を 示 す さ ま ざ ま な 呼 称 2. ニ ー チ ェ ブ ー ム の 風 景 一 小 説 『 超 人 ク ラ ブ 』 よ り 3. ニ ー チ ェ ブ ー ム の 分 析. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25. (1)社会現象としてのニーチェブーム. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25. ( 2 )受 容 行 為 と し て の ニ ー チ ェ ブ ー ム. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26. 小括. 第 3節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27 年長世代の反応. ニーチェ派/反ニーチェ派の対立構図. ・・・・・・・・・・・・・ 28. 1. ニ ー チ ェ ブ ー ム に 対 す る 危 機 意 識 一 反 駁 書 の 成 立 経 緯 と 概 要 2. 批 判 さ れ る 「超人 J 思 想. 3. 喧 喋 の 時 代 第 2章. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 1. 1890年代アカデミズムが見たニーチェ思想、. 第 1節. ・・・・・・・・・・ 29. 若き社会学者テンニースの反応. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40. 1. 若 き テ ン ニ ー ス と ニ ー チ ェ 思 想 、 - 1 8 7 3・ 1 8 8 3年 (1)ニーチェ初期思想との避~. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40. .......................................40. ( 2 )熱 狂 的 ニ ー チ ェ フ ァ ン と し て の テ ン ニ ー ス. 2. 後 期 思 想 、 に 対 す る 批 判 - 1893年 以 降. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 1. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43. 3. 1890年 代 ア カ デ ミ ズ ム の 限 界 ーテンニースのニーチェブーム批判から. 第 2節. 精神病理学的な関心. 1. テュノレク. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47. 2. ノルダウ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 3. シ ュ タ イ ナ ー ....................................................49 4. 精 神 病 理 学 的 ニ ー チ ェ 論 の 意 味 第 3節. ニーチェ思想、の学問化. .................................... 5 1. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 52.
(3) 目次. 1. 喧 喋 か ら の 距 離 の 確 保 一 批 判 か ら 分 析 へ. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 3. (1)形式的側面. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 3. ( 2 )内 容 的 側 面. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 4. (3)喧喋からの距離の確保. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 5. 2. 学 問 化 さ れ る ニ ー チ ェ 思 想. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 5. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 5. (1)時期区分の作業. ( 2 )意 味 づ け や 権 威 づ け の 試 み. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 7. (3)学者としての自覚. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 8. ( 4 )喧 喋 か ら 研 究 へ. 第 4節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 6. 教育学におけるニーチェ受容の前史 ウルゼンとツィーグラーの場合. ー ノf. 1. 教育学者パウルゼンが見たニーチェ思想、 (1)年長世代と青年世代の断絶 ( 2 )テ ン ニ ー ス と の 書 簡 か ら. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 9 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 0. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 0 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 0. (3)知的アナーキズムとしてのニーチェブーム. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 1. 2. 教育学者としてのツィーグラーとニーチェ思想、 (1)教育学者としてのツィーグラー a )へ ル バ ル ト 批 判. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 2. b )学 と し て の 教 育 学 へ の 志 向. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 3. ( 2 ) W一 般 教 育 学 』 に お け る ニ ー チ ェ へ の 言 及. 小括 第 3章. .........................'64. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 5. 「教育学者ニーチェ」 の 発 見. 第 1節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74. E .ヴ ェ ー パ ー 教 育 学 の 特 質. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74. 1. ヴ ェ ー パ ー の プ ロ フ ィ ー ル と 研 究 動 向. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74. 2. ヴ ェ ー パ ー の 人 格 的 教 育 学 一 教 師 の 地 位 向 上 を 求 め て. ・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 5. 3. 新 教 育 運 動 へ の 批 判 - 1 9 1 0年 論 文 「 キ ャ ッ チ フ レ ー ズ 教 育 学 」 より. 4. 学 問 的 な 確 実 性 の 必 要 性. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 7. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 8. 5. 教 育 学 の 自 律 性 を 求 め て - 1 9 0 5年 論 文 「もう一度『実験教育学 ~J より 舌 小t. 第 2節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 9. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 1. 1 9 0 7年著作『若きニーチェの教育学的思想、』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 1. 1. 成 立 経 緯 と 構 成. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 1. 2. ニ ー チ ェ の 初 期 思 想 へ の 限 定 化 (1)ヴェーパーの基本姿勢. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 3. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 3. ( 2 )回避される「超人」思想、. 一 生 物 学 的 「 超 人 J解 釈 と 教 育 学 者 ヴ ェ ー パ ー の 選 択. 3. r 教育学者としてのニーチェ」 という解釈モデ、ルの提示 (1)教育学の歴史への位置づけ. ・・・・・・・・・・・・・ 8 5 ・・・・・・・・・・・・・・・ 8 6. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 6.
(4) 目次. ( 2 )ニーチェ思想、の教育学的意義一「人格的教育学 J ••••••••••••••••••••• 8 8 第 3節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 9. 「教育学者 j モ デ ル の 同 時 代 的 意 味. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 9. 1. 比 較 対 象 の プ ロ フ ィ ー ル と そ の 妥 当 性. 2. ヴ ェ ー パ ー 以 前 の 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 評 価. 3. 初 期 思 想 の 限 定 的 受 容 と い う 戦 略 第 4章. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 1. 「教育者としてのニーチェ」論の成立背景. 第 1節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 90. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 2. 「教育学者」 モデ、ルに対する違和感. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 2. 1. 1907年 以 後 の 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 論. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 2. 2. ハ ー ヴ ェ ン シ ュ タ イ ン に よ る 批 判 的 書 評. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 3. (1)プロフィールと 1906年 著 作 の 概 要. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 3. ( 2 )1 9 0 7年 書 評 の 分 析. ーニーチェが学問研究の対象とされることへの違和感 第 2節. ニーチェ思想、の人格化ーコンラートの場合. 1. 自 然 主 義 文 学 運 動 と コ ン ラ ー ト. 2. 1 8 9 0年 代 の 喧 喋 と そ の 批 判. (1)反ニーチェ派に対する批判 ( 2 )ニ ー チ ェ 派 に 対 す る 批 判. 3. 学 問 化 か ら 人 格 化 へ. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 8. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 9. 第 3節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 9. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 0. (3)ニーチェ思想、の脱学問化=人格化 小括. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 6. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 0 6. (1)学問化の試みに対する一定の評価 ( 2 )学 問 化 へ の 違 和 感. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 1. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 2. 「教育者 J の 条 件. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 2. 1. i教育者」 概 念 の 意 味 内 容 ( 1 ) i 教 育 学 者 J ではなく 教 師 j ではなく ( 2 ) i. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 3. 「教育者」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 3. 「 教 育 者 」 一 点r z i e h e r “概念の同時代的意味. 教育者としてのニーチェ」 と い う 表 記 の 問 題 2. i 第 4節. ・・・・・・・・・・・・・ 1 0 5. ・・・・・・・ 1 1 4. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 5. 青年におけるニーチェ受容形態の変遷 - 1890年 代 の 熱 狂 的 ブ ー ム か ら 1910年 代 の 静 か な 読 書 へ. 1. ニ ー チ ェ ブ ー ム の 終 駕. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 7. (1)ツィーグラー ~19 世紀の精神的社会的思潮』のプロフィーノレ. ( 2 )ニ ー チ ェ ブ ー ム が 現 在 形 か ら 過 去 形 へ か わ る と き. (3)歴史的事実としてのニーチェブームの終君 2. ニ ー チ ェ 読 書 の 普 及. ・・・・・・・・・ 1 1 7. ・・・・・・・・ 1 1 7. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1 9. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 0. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 1. (1)エーラーの論文「ニーチェは本当に死んだのか?J ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 1 ( 2 )1 9 1 0年 代 の ニ ー チ ェ 読 書 の 普 及 を 示 す 状 況 証 拠. (3)労働者階級のニーチェ読書. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 3. 3. ニ ー チ ェ 読 書 と い う 行 為 の 特 質 (1)ニーチェ読書のススメ. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 2. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 5. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 5.
(5) 目次. ( 2 )個 人 的 行 為 と し て の ニ ー チ ェ 読 書. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 6. (3)ニーチェ読書と 「教育者 I 概 念 の 整 合 性 第 5章. 「教育者ニーチェ」 の誕生. 第 1節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 2 8. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 5. ハマーの 1 9 1 4年著作『教育者としてのニーチェ』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 5. 1.青年運動家ハマーとニーチェ思想、. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 5. 2. ~教育者としてのニーチェ』の概要. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 6. 3. r 教育者としてのニーチェ J という解釈モデル. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 9. (1)ニーチェ読書による 「自己教育」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3 9 ( 2 ). r 自己教育 j の 象 徴 と し て の. 「超人」 思 想. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 1. 4. 自 己 教 育 の 成 功 例 ー ニ ー チ ェ 読 者 の 証 言 か ら ニ ー チ ェ 読 書 の 弊 害 一 青 年 の 「自殺 J 問 題. 第 2節. 1. r 毒殺者」 としてのニーチェ. 3. ニ ー チ ェ 読 書 禁 止 令 と そ の 限 界 第 3節. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 4. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 5. 2. ニーチェ読書による 「自殺 J の メ カ ニ ズ ム. 小括. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 3. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 6. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 7. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 9 「教育者」 モ デ ル の 特 質 と 意 味. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 4 9. 1. r 教 育 者 」 か 「 毒 殺 者 Jか ー ニ ー チ ェ 読 書 へ の 高 い 依 存 性. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1 4 9. 2. 優生学的思想、としての「超人」 ーニーチェ解釈上の内的連関性の希薄さ. 5 1 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1. 3. 教 育 者 と し て の ウ イ ン タ ー ス ポ ー ツ ー 煽 動 者 と し て の ハ マ ー 4. ハ マ ー の 1 9 1 4年 著 作 『 教 育 者 と し て の ニ ー チ ェ 』 の 意 味 第 4節. ハ ー ヴ ェ ン シ ュ タ イ ン の 「 教 育 者 と し て の ニ ー チ ェ J論. 1.1 9 2 1年論文・ 1 9 2 2年 著 作 の 成 立 経 緯 と 概 要. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1 5 2. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1 5 4 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1 5 6. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 5 6. 2. ヴェーパーの「教育学者」モデ、ルの批判的克服. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 5 8. 3. r 教育学者」と「教育者J - 2つのニーチェ解釈モデ、ルの特質と意味. 結章. 教育学とニーチェ思想、との関係性再考. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 6 1. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 7 7. 1.総括一教育学とニーチェ思想、との関係性の歴史的検討. ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 7 7. 2. 1 8 9 0 ・ 1 9 2 0年 代 の ド イ ツ 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 の 特 質. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1 8 1. 3. 教育学とニーチェ思想、との関係可能性 一受容史研究のアクチュアリティ. 8 3 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1. 参考文献. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 8 9. 関連年表. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 200.
(6) 序章. 研究の課題と視座. 主 早. 序. 研究の課題と視座. 1. 研 究 の 課 題 本研究の課題は、ニーチェ ( F r i e d r i c hN i e t z s c h e,1 8 4 4・1 9 0 0 )の思想が世に影響を与えはじめ た 1 8 9 0年代初頭から「教育者としてのニーチェ」という解釈モデ、ノレが一般化する 1 9 2 0年 代までのドイツに目を向け、ニーチェが当時の教育学にどう受容されたのかを解明するこ とである。. 92 0世紀転換期のことである。 教育学がニーチェの思想と最初に関わりを持ったのは 1 ・. 以来ニーチェ思想は、ドイツ語圏や英語圏、日本において教育学研究の対象とされてきた。 例えば『ツァラトゥストラ』や「超人J思想が自己教育論や自己形成論として教育学に受 容可能だというのである o しかし周知の通り、ニーチェは教育家でもなければ体系的理論 学 j的 な 存 在 で あ る 。 そ も そ も 教 育 学 は ニ ー チ ェ 家でもなく、その意味でまさに非「教育 Jr 思想を受容できるのか。教育学はニーチェ思想、といかなる関係を結びうるのか。こうした 問題を歴史的に検証する作業が今まさに進められつつある。ニーマイヤーを筆頭編者とす. 1 9 9 8 )吋 の 疑 問 符 が 象 徴 し て い る る 研 究 論 文 集 の タ イ ト ル 『 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ ?~ ( とおり、教育学がニーチェ思想を受容する行為それ自体が問われているのである。 なかでも注目を集めているのが、 1 8 9 0年 代 以 降 に は じ ま る ニ ー チ ェ 受 容 史 の 草 創 期 で ある。この時期のドイツ教育学におけるニーチェ受容は、ちょうど新教育運動期だったと いうこともあり、ノールに代表される伝統的な新教育運動の歴史記述を手掛かりにして、 「ニーチェの初期思想→青年運動→新教育運動」と予定調和的な受容展開を遂げたものと 推測されてきた。後の教育運動へと直結する青年運動の全プログラムが、「青年の生の解 放」を訴えるニーチェの初期思想に予告されているというのである。これに対してニーマ イヤーらは、青年の多くがじつは過激な後期思想、に熱狂していたこと、ニーチェが危険思 想の持ち主として教師や親から忌避されていた事実などに注目し、ニーチェの初期思想、が 当時の教育学によって意図的に選択されたものであると説明する。 たしかに、これまで見落とされてきたニーチェ反対派の言動に注目することによって通 説だった予定調和的な受容史を「選択の歴史」と書き換えたニーマイヤーらの功績は無視 できない。また、ニーチェの実妹エリーザベトやアルヒープ経営陣がニーチェの遺稿集等 に手を加えていた事実に注目し、ニーチェ受容史を「歪曲の歴史」と特徴づける見方も、 当時のニーチェ解釈の限界性を裏づける試みとして評価できる。しかし、 1 8 9 0年代から.
(7) 序章. 研究の課題と視座. 1 9 2 0年 代 ま で の 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 の 実 態 は 必 ず し も 十 分 に は 解 明 さ れ て い な. い状況にある。 第一に、ニーチェ反対派の存在を強調する彼らの研究視座は、従来の歴史記述の修正や 相対化を意識するあまり、かえってニーチェ反対派/賛成派という安易な二項対立図式に 陥りやすく、例えば、等しく教育学の文脈でニーチェを評価した解釈者間に見られるはず の「差異 J が見過ごされるなどの問題を招いている。第二に、妹やアノレヒーフの罪を暴露 する歪曲史観は、ナチズムによるニーチェ受容の無根拠性を主張するなどの成果をあげて いる一方、当時の諸文献に真のニーチェ理解を求めること自体が無理であるというニヒリ ズム的な見解を招き、ニーチェ受容史を構成する史料群の価値を不当に軽視するという一 面を持っている。つまりこれらの研究手法は、結果的に受容史記述を単純化するという欠 点を抱えているのである。なかでも問題だと思われるのは、教育学におけるニーチェ受容 史上もっとも注目すべき r1907年 j の意味を見逃している点である。 1 9 0 7年というのは、具体的に言えば、 E .ヴェーパー ( E m s tW e b e r,1873・1948)によって「教. 育 学 者 と し て の ニ ー チ ェ J という解釈モデルが示された年である。 1 8 9 0年 代 に は ニ ー チ ェがまだ「青年の危険な誘惑者 J として忌避されていたことを考慮すれば、ヴェーパーの この論は、. ドイツ教育学への本格的なニーチェ受容を刻印づける記念すべき「終着点」と. 見なすことができる。しかしこの 1 9 0 7年 は 、 新 た な 受 容 史 の 閉 幕 を 告 げ る 「 出 発 点 」 で 9 1 4 もあった。結論を先取りするなら、 1907年 の 「 教 育 学 者 (Padagoge)J 論 へ の 違 和 感 が 1. 年以降の「教育者 ( E r z i e h e r )J モデ、ル成立のひとつの要因となったのである。 9 0 7年は、教育学におけるニーチェ受容史上の「分節点」 以上を踏まえれば、もはや 1. と考えなくてはならないだろう。ところがニーマイヤーらは 1 9 0 7年を素通りしてしまう。 彼らの受容史研究は、肯定(受容)か否定(非受容)かを問うだけの単純な二項対立図式や極 端な歪曲史観にもとづいているため、戦争という外的要因にばかり目が向き、結果的に 1 9 1 4年 や 1 9 1 8年 が 受 容 史 上 の 分 節 点 と 見 な さ れ て し ま う の で あ る 。 本 研 究 で は 、 注 目 す 8 9 0年 代 の 「 青 年 の 危 険 な 誘 惑 者 J → 1 9 0 7年 の 「 教 育 べきこの時期のニーチェ受容史を 1. 学者 J → 1914年以降の「教育者」というニーチェ解釈モデ、ルの移行期と措定し、これら の解釈モデルが有していた意味や機能を具体的に検討することによって、当時のドイツ教 育学におけるニーチェ受容の実態解明を目指すことにする。. 2. 先 行 研 究 の 検 討 教育学におけるニーチェ受容史それ自体をテーマとする本研究の独自性と意義をより明 確にするために、あらためて各方面における先行研究の整理と検討を行っておきたい。. -2-.
(8) 序章. 研究の課題と視座. (1)ニーチェ思想の教育学的意義を論じる研究. 教育学におけるニーチェ受容史を考察対象とする本研究にとって必ずしも直接の先行研 究にあたるわけではないが、教育学的な関心からニーチェ思想を論じる試みがあるという ことをまずは確認しておきたい。 イスラエルのローズナウは、ニーチェ思想、が現代の英語圏諸国とドイツ語圏諸国の教育 学においてどう扱われているかを比較調査し、その成果を論文 I~ 教育者としてのニーチ. ェ』対『教育学におけるニーチェ?J l( " N i e t z s c h ea l sE r z i e h e r “k o n t r a" N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k ? “ )J ・ 2 において発表した。ローズナウのこの論文タイトルが示すように、過去の姿勢を. 反省しつつ受容史研究に取り組むドイツ語圏とは対照的に、英語圏の教育学においてはい まなおニーチェ思想の現代的意義が積極的に論じられていると言えるべ わが国においても、ニーチェ思想の教育学的意義を論じようとする試みはしばしば発表 されてきた。高橋勝の I F . W .ニーチェ一『自己教育』思想、の開拓者 J '4 を は じ め 、 初 期 思 想に見られるニーチェの教育観を論じたものペニーチェの思想、を自己教育論や自己形成 論として読み解こうとするもの刊など、その数は少なくない。 英語圏と日本のニーチェ論に共通して言えるのは、ニーチェ受容史への関心が薄いとい うことである。むろん、ニーチェ思想の教育学的意義を検討すること自体に問題はない。 むしろニーチェ思想のアクチュアリティを追求する姿勢や問題関心は重要であろう。しか し、これまでの試みが期待通りの成果を収めているわけではないこともまた事実である。 それは、ニーチェ思想、の教育学的意義を検討した論文がこれまで数多く発表されているに もかかわらず、同種の体系的著作がほとんど出版されていないという研究状況に象徴され ている。少なくともわが国においては、相津伸幸の学{立論文『ニーチェと人間形成論一近 代 ド イ ツ の 教 育 学 的 人 間 形 成 論 の 系 譜 に お い て -l J (東北大学 2002年 :2008年現在で未刊 行)を除いて、ニーチェ思想の教育学的意義を論じた研究書は発表されていない。こうし た研究状況を生んだ原因のひとつは、ニーチェ思想、の非「教育 JI 学 J的 な 性 格 に 対 す る 無 関 心、このようなニーチェ思想を教育学が論じることへの無自覚に求められるのではないか。 本研究の出発点には、このような根本的とも言える問題関心が存している。. ( 2 )ニ ー チ ェ の 初 期 思 想 → 青 年 運 動 → 新 教 育 運 動 [ 予 定 調 和 史 観 ]. すでに述べたように、本研究が考察対象とする 1 8 9 0年 代 以 降 の ド イ ツ 教 育 学 に お け る ニーチェ受容については、ちょうどこの時期が新教育運動の成立・発展期にあたることか ら、精神科学的教育学派による運動史記述においても触れられてきた経緯がある。なかで も有名なのは、『ドイツにおける教育運動とその理論』におけるノールの次のフレーズで ある。「ニーチェの第 2の『反時代Jl (※引用者注: ~反時代的考察』の第 2 論文)の結論 を想起してほしい。そこにはすでに青年運動の全プログラムが記されている. -3-. ' 7. このよ.
(9) 序章. 研究の課題と視座. うにニーチェ思想、と青年運動との関係が象徴的に語られることによって、この時期の青年 におけるニーチェ受容は「教育的」な意味を持つ運動であったと推測されてきた。それと 同時に、ニーチェの初期思想が青年運動を経て新教育運動へと順調に受容されていくとい う「予定調和の物語」も完成したのである。 シャイベの『新教育運動 1 9 0 0・1 9 3 2年』も、『反時代的考察』第 2論 文 を 取 り 上 げ つ つ 8 「この著作の最後の数ページはすべての希望を託された青年たちへの力強い訴えである J・. と述べ、ニーチェの初期思想→青年運動の予定調和的な影響関係を強調している。またフ リットナー/クドリツキ編の『ドイツ新教育(第 1巻)一教育運動のパイオニア -j 均やレ ールスの『国際的運動としての新教育ーヨーロッパにおける新教育の生起と展開. j '10 に. おいても、新教育運動との関係性という観点からニーチェ思想が取り上げられているが、 いずれもニーチェ思想を典型的な「文化批判」と把握している点など、基本的には従来の 予定調和史観を継承していると言える。 たしかに青年運動や新教育運動におけるニーチェ受容とその意味は、巨視的に見る限り、 ノールらのように説明することが可能であろう。しかし、当時のドイツにおけるニーチェ 受容の状況を微視的に分析すればわかるように、従来の歴史記述は修正を必要とするもの 8 9 0年 代 の ド イ ツ で ニ ー チ ェ 思 想 に 夢 中 で あ る 。 詳 細 な 考 察 は 第 1章 に 譲 る が 、 例 え ば 1 になったのは、ノールらの歴史記述から推測されるような、ヴアンダーフォーゲルに参加 する健全な青年だけではなく、大都市のカフェで酒や煙草を味わう不健全な青年も含まれ ていた。この事実ひとつをとっても、予定調和史観がこれまでのように通用しないという ことは明白であろう。本格的なニーチェ受容史研究が求められているのである。. (3)ドイツ教育学によるニーチェ受容史研究一『教育学におけるニーチェ ?j. [教育学におけるニーチェ受容史研究の確立] 教育学以外に目を向けるなら、いわゆるニーチェ受容史研究への関心は比較的早い時期 から示されていた。デーツの著作『ドイツにおけるニーチェ像の展開~ ( 19 3 3 )・ 1 1 をはじめ、. 19 4 3 )町、エーレントライヒ デ、ルネグロの論文「ニーチェと現代ーニーチェ像の変遷一 J (. の論文「数十年来のニーチェ像の変遷 J ( 1 9 51 ) ・ 13、 ピ ュ ッ ツ の 著 作 『 フ リ ー ド リ ヒ ・ ニ ー 19 6 7 )ペ フ ィ リ ッ ピ の 学 位 詰 求 論 文 「 世 紀 転 換 期 ド イ ツ の 雑 誌 出 版 界 に お け る ニ チェ j ( 19 7 0 )ペ シ ュ テ ッ フ ェ ン 編 の 論 文 集 『 ニ ー チ ェ 一 作 品 と 影 響 -j ( 19 7 4 )切 な ーチェ像 J (. ど、ニーチェ受容史そのものをテーマとした本格的な研究も少なくない。 それに対して、教育学の分野に特化した本格的なニーチェ受容史研究が開始されたのは 比較的遅く、 1 9 9 8年 の こ と で あ っ た 。 ニ ー マ イ ヤ ー を 筆 頭 編 者 と す る 研 究 論 文 集 『 教 育 学におけるニーチェ ?j がドイツで公刊されたのである。 本書に収録されている論文のテーマを具体的に挙げれば、以下のとおりである。教育学 におけるニーチェ受容史研究の意義と課題を示した「ニーチェとドイツ(改草)教育学ドペ. -4-.
(10) 序章. 研究の課題と視座. 1890・1914 年 の ド イ ツ 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 を ニ ー チ ェ 反 対 派 の 言 説 か ら 再 構 成 し. た 「 青 年 誘 惑 者 と し て の ニ ー チ ェ - 1890・1914 年 の 危 機 的 状 況 と 教 育 学 側 の 攻 勢 一 」 哨 と いうニーマイヤーの 2論文のほか、. 1世 紀 に 及 ぶ 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 を 概 観 し. た論文明、「教育学の歴史」におけるニーチェの位置づけについて検討した論文切、教育学 者 パ ウ ル ゼ ン の ニ ー チ ェ へ の 反 応 を 扱 っ た 論 文 m 、「教育学のクラシカー J とニーチェと の相違点を強調した論文切、受容史研究の視座からニーチェの教育論を批判的に分析した 論文句などであるぺ なおニーマイヤーは同様の研究成果を、教育学雑誌切やニーチェ研究書・ 26、 青 年 運 動 研 究の年報・27 等において精力的に発表し、 2002年 に は 『 ニ ー チ ェ 、 青 年 、 教 育 学 』 切 を 公 刊 した。ホイヤーもまた、学位請求論文「教育理論家としてのニーチェ」をもとに『ニーチ ェと教育学~ ( 2002)・ 29 を上梓し、その第 1章 に お い て 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 を 概. 説している。「教育学におけるニーチェ受容史研究」という新たな研究分野が今まさに確 立期を迎えているのである。. [教育学がニーチェ思想、を受容すること自体を疑うパースベクティブ] ニーマイヤーらによって受容史研究が開始される以前のドイツにおいては、むしろ今日 の英語圏やわが国に近い関心を持つ論者の方が一般的であった。. ドイツにもニーチェの教. 育学的意義やアクチュアリティを示そうとする試みは存在したのである。具体例を挙げれ ば 、 シ ョ イ ア ー ル 編 『 教 育 学 の ク ラ シ カ ー 』 第 2巻(1979)に収められたコケモールの「フ リードリヒ・ニーチェ (18441900)J .30、 レ ー ヴ の 著 作 『 ニ ー チ ェ ー ソ フ ィ ス ト お よ び 教 育 ・. 者一~ ( 1984)・ 3 1、 フ ィ ッ シ ャ ー / レ ー ヴ ィ ッ シ ュ 編 『 起 源 か ら 現 代 ま で の 教 育 学 的 思 想 』. ( 1989)に収められたレーヴィッシュの「フリードリヒ・ニーチェ」切などである。 彼らは、例えば「教育学にとってのニーチェの意義はその教育哲学的批判の過激性のう ちに存している」引といった観点から、ニーチェを「教育学のクラシカー」や「教育者」 として積極的に評価した。しかし、コケモールのこうした見解は受容史研究者によって「誤 謬 j と診断される。「あらゆる教育学をも不可能にしてしまうであろう過激な道徳批判に. 対して教育学は手を出せなしリ引。エルカースも言うように、そもそもニーチェは「確実 な教育学的テーマを、つまりクラシカーとして承認されるだけのテーマを持ち合わせてい ない j 引のである。 ニーマイヤーらの研究論文集『教育学におけるニーチェ?~は、まさしくその「疑問符」. が物語っているように、教育学がニーチェ思想、を受容すること自体を問い直す試みなので ある。. [予定調和史観を相対化する選択史観] 彼らの受容史研究が想定していたもうひとつの意図は、従来ほとんど疑われることのな かったノールらによる予定調和的な受容史記述を批判的に特徴づけ、修正することであっ. -5-.
(11) 序章. 研究の課題と視座. た。ニーマイヤーらによれば、ノールの『ドイツにおける教育運動とその理論』は、ニー チェの「教育学的規格化 ( p a d a g o g i s c h eN o r m a l i s i e r u n g )J '36 か 、 あ る い は ニ ー チ ェ 思 想 の 「 脱 過激化 ( E n t r a d i k a l i s i e r u n g )J '37 にほかならない。すなわち、ノーノレらの歴史記述に描かれて いるニーチェ思想やその受容プロセスは、必ずしも当時の「実態Jを伝えるものではない というのである。 ヴアンダーフォーゲ、ルや青年運動への望ましいニーチェ受容を強調する従来の歴史記述 は 、 「 ニ ー チ ェ フ ァ ン j の 耳 に は 心 地 よ く 響 く 反 面 、 「 実 態 を 項 末 化 ・ 単 純 化 す る J とい う側面を持ち合わせている。こうした観点から、ニーマイヤーらは、これまで隠匿されて き た 「 危 険 集 団 と し て の 青 年 Ougend a l sR i s i k o g n 中戸川や「青年誘惑者としてのニーチェ ( N i e t z s c h e a l sJ u g e n d v e r f u h r e r )J の 存 在 に 目 を 向 け る 明 。 当 時 の 青 年 が じ つ は 過 激 な ニ ー チ ェの後期思想に熱狂していたこと、ニーチェの思想、が年長世代や教師から忌避されていた こと、これらの事実からニーマイヤーらは、ニーチェの初期思想が「予定調和」的にでは なく、当時の教育学によって意図的に「選択」されたものだと説明するのである。 ニーチェ反対派の存在に注目し、従来の予定調和史観を相対化した点は、たしかに大き な功績である。しかしながら彼らの研究は、「賛成派」対「反対派」という対立図式を強 調することによって、逆に考察の視点が単純化されるという事態を招いている。等しく教 育学の文脈でニーチェを評価した解釈者間に見られるはずの差異、とりわけ「教育学者と し て の ニ ー チ ェ 」 と 「 教 育 者 と し て の ニ ー チ ェ 」 と い う 2つ の 異 な る 解 釈 モ デ ル の 存 在 が 看過されるといった問題はその一例である。すなわち、 1 8 9 0年 代 か ら 1 9 2 0年 代 ま で の ド イツ教育学におけるニーチェ受容の実態は、いまだ十分には解明されていないのである。. ( 4 )実 妹 や 資 料 館 に よ る 担 造 の 歴 史 [ 歪 曲 史 観 ]. ニーチェの実妹エリーザベトを中心とするニーチェ資料館の動きに注目しつつ、いわば 資料批判的な観点からニーチェ受容史を描き出す試みがある。この立場を代表する研究は. M.リーデルの著作『ワイマールのニーチェJl ( I9 9 7 )・ 39 である。リーデルは、 1 0 0年 に も 及 ぶニーチェ受容史、とりわけナチズム期以降のニーチェ資料館周辺の動きに目を向けて、 ニーチェ受容の歴史がし、かに「真のニーチェ J か ら 遠 ざ け ら れ て い た の か を 解 明 す る 。 本 書の各章題からも読み取れるように、リーデルの研究目的は、いわば「ニーチェ資料館の 哲学 ( P h i l o s o p h i ed e sN i e t z s c h e A r c h i v s )J、 ニ ー チ ェ 資 料 館 に お け る 「 哲 学 抜 き の ニ ー チ ェ 主 義( N i e t z s c h e a n i s m u s ohne P h i l o s o p h i e )Jや 「 ニ ー チ ェ 哲 学 の 一 面 化 ( Ha l b i e r u n gvon N i e t z s c h e s P h i l o s o p h i e )J を 暴 露 す る こ と 、 す な わ ち ニ ー チ ェ 受 容 史 を 「 歪 曲 の 歴 史 」 と し て 描 き 出 す ことにある。本書の意図は、恒吉良隆らによって訳出された本書の邦題『ニーチェ思想の 歪曲. 0 0年 の ド ラ マ 受容をめぐる 1. 』を見ても明らかである。. 9 1 4年 か ら 1 9 1 8年 ) の 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 を 論 じ た ニ ー 第 l次 世 界 大 戦 時 下 (1 9 9 9年 論 文 明 に お い て も 、 エ リ ー ザ ベ ト の 戦 略 が 批 判 的 に 取 り 上 げ ら れ て い マイヤーの 1. -6-.
(12) 、‘ 序章. 研究の課題と視座. る。「妹の精神からの戦争哲学者ニーチェの誕生」というフレーズが節題として使われて いることからも推察できるように、この論文においてもニーチェは明らかに実妹による歪 曲 の 「 犠 牲 者 J と し て 描 か れ て い る 。 す な わ ち 、 ニ ー マ イ ヤ ー の 論 文 を 読 む 限 り 、 1914 年から 1918 年 ま で の ド イ ツ に お け る ニ ー チ ェ 受 容 は 、 実 妹 に よ っ て 強 引 に す す め ら れ た. n s t r u m e n t a l i s i e r u n gN i e t z s c h e sf t i rd i eK r i e g s p o l i t i k )J 「戦争政治のためのニーチェの道具化 O. 叫. l. と一義的に印象づけられてしまうのである。しかし、このような把握によって、果たして この時期のニーチェ受容を語り尽くしたことになるのだろうか。 た し か に 、 エ リ ー ザ ベ ト を 「 主 犯 格 J とする恋意的なアルヒーフ経営戦略、とりわけニ ーチェの遺稿集から幻の主著『権力への意志』を担造したことは、リーデ、ルやニーマイヤ ーが主張するように、ニーチェ受容史上見逃しえない重要な事実である。しかし、裏を返 せば、『ツァラトゥストラ』や『善悪の'彼岸』、『道徳、の系譜』など多くの著作はほとんど 「無傷 j だ っ た わ け で あ り 、 当 時 の ニ ー チ ェ 受 容 者 が 「 担 造 さ れ た ニ ー チ ェ J を存在する 唯一のテクストとして読んだこと、さらに、その唯一のテクストから賛否も含め多種多様 な解釈がうまれたこともまた事実である。 だとすれば、現在の研究水準から見て信じられないような読解、すなわち極度に窓意的 かっ宇義通りの単純なニーチェ解釈が横行したことの「罪」を、すべて実妹に着せるわけ にはいかないだろう。「主犯格」の特定によって、ニーチェ受容という「事件」のすべて が解決するわけではないし、またそれぞれの現場でニーチェ思想と向き合った「実行役J の行為が不同に付されでもならないのである。. ( 5 )第 l次 世 界 大 戦 を ニ ー チ ェ 受 容 史 上 の 分 節 点 と 見 な す 研 究. 1890 年代から 1920 年 代 ま で の ド イ ツ 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 の 展 開 や 特 質 を 考. 察するに際して、本研究では、ヴェーパーによって「教育学者としてのニーチェ」という 解 釈 モ デ ル が 示 さ れ た f1907 年 」 に 注 目 し 、 こ の 年 が い わ ば 受 容 史 上 の 「 分 節 点 J の役 割を果たしたとの予備的仮説にもとづいて考察をすすめる。この点を強調するのは、従来 の ニ ー チ ェ 受 容 史 研 究 者 が f1907 年」の重要性を認識せず、「戦争」などの外的要因のみ に よ っ て 安 易 に ニ ー チ ェ 受 容 史 の 「 時 期 区 分 J を 行 っ て い る か ら で あ る 。 と り わ け 第 1次 世界大戦は、これまで多くの研究者によって、ニーチェ受容史上の「分節点」と見なされ てきた叫。 例えば、クルメルの 2 巻本『ニーチェとドイツ精神~. ' 4 3. の 対 象 時 期 は 、 第 1巻が f1867. 年から 1900年まで」、第 2巻が f1901 年から 1918年まで」となっている。クノレメル自身 が 必 ず し も 明 確 に 述 べ て い る わ け で は な い が 、 本 書 の 副 題 か ら 、 1900 年 は 「 ニ ー チ ェ が 死んだ年 J、 1918 年 は 「 第 1次 世 界 大 戦 が 終 結 し た 年 J という理由から設定されているも のと推測できる。ノルテの『ニーチェとニーチェ主義』叫は、 1890年代から 1914年まで、 す な わ ち 第 1次世界大戦が勃発する年までを考察対象としている。またアシュハイムの『ニ. -7-.
(13) 序章. 研究の課題と視座. ー チ ェ と ド イ ツ 人 J・ 4 5 においても、その第 2章が r1 8 9 0- 1 9 1 4年 の ド イ ツ と ニ ー チ ェ 論 争」と題されており、 1 9 1 4年 の 第 1次 世 界 大 戦 勃 発 が ニ ー チ ェ 受 容 史 上 の 分 節 点 と 見 な. 9 9 8年に公刊されたケスターの著書『禁じられた哲学者一ドイツ・ されている。さらに、 1 カトリック界におけるニーチェ受容史研究(18 9 01 9 1 8 )一 』 “ も 第 1次 世 界 大 戦 の 終 結 ま で ・. が考察対象となっている。 教育学におけるニーチェ受容史研究においても同様の傾向が見られる。例えばニーマイ ヤーは 2 0 0 0年論文において、 2 0世 紀 の 教 育 界 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 を r 1 9 1 4年までの. 1 9 1 4年から 1 9 1 8年 J r1 9 1 8年から 1 9 3 3年 J r1 9 3 3年から 1 9 4 5年 ま で J r1 9 4 5年 か 時代 J r ら今日まで」という 5つ の 時 期 に 区 分 し て い る 。 彼 は 、 第 1次 世 界 大 戦 、 ナ チ ズ ム 政 権 の 誕 生 、 第 2次 世 界 大 戦 な ど 、 ニ ー チ ェ 受 容 史 の 外 部 で 起 こ っ た 出 来 事 を 「 分 節 点 」 に し て 考察を進めているのである。より詳細な考察を試みた論文を見ても、各サブタイトルに明 記されているとおり、 1 9 9 8年 論 文 「 青 年 誘 惑 者 と し て の ニ ー チ ェ 一 1 8 9 0・1 9 1 4年の危機的 状 況 と 教 育 学 側 の 攻 勢 -J ( N i e m e y e r l 9 9 8 b )が 1 8 9 0年代から 1 9 1 4年までを、 1 9 9 9年 の 論 文 r~ 略奪兵 j- 第 1 次世界大戦期の教育学におけるニーチェ受容- J ( N i e m e y e r I 9 9 9 a )が. 1 9 1 4年から 1 9 1 8年 ま で を 考 察 対 象 と し て お り 、 ニ ー マ イ ヤ ー が 第 1次 世 界 大 戦 の 開 戦 を ニーチェ受容史上の「分節点」と想定していることは明白である。このように、従来の研 究において r 1 9 0 7年 J は 、 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 史 上 き わ め て 重 要 な 意 味 を 持 っ ているにもかかわらず全くといってよいほど無視されており、その結果、 1 9 1 4年 に 発 表 された「教育者としてのニーチェ」論の存在や意味もまた、十分に検討されないまま今日 に至っている状況にある。. ( 6 )日本におけるニーチェ受容史研究の状況. 次に、ニーチェ受容史に関するわが国の研究状況を確認しておきたい。まず教育学にお けるニーチェ受容史に関する先行研究であるが、ノールによる予定調和史的な記述を紹介 しているか叫7、 過 去 に 『 教 育 学 者 と し て の ニ ー チ ェ 』 や 『 教 育 者 と し て の ニ ー チ ェ 』 と い う著作を執筆したことのある人物としてヴェーバーやノ¥マー、ハーヴェンシュクインの存 在に触れる程度で明、拙論 w を 除 け ば 、 受 容 史 そ の も の を テ ー マ に し た 本 格 的 な 研 究 は 見 当たらない。 次に、教育学に限らずに、ニーチェ受容史に関するわが国の先行研究を概観しておこう。 わが国のニーチェ研究者の中で、もっとも早い時期にニーチェ受容史それ自体に対してア カデミックな関心を寄せたのは、西尾幹二である。西尾は、 2部 作 の 自 著 『 ニ ー チ ェ 』 の. 8 9 0年 代 第 1部 に 「 日 本 と 西 欧 に お け る ニ ー チ ェ 像 の 変 遷 史 」 と 題 す る 序 論 を 用 意 し 、 1 以降のドイツと日本におけるニーチェ受容史の草創期を概観した。「当時ひとびとはどの ようにニーチェを『誤解』していたか、いまはそれを問うことがむしろ大切である。誤解 による興奮、非難や批判の類もまた、ニーチェという伝説形成にこれまでに大きく寄与し. -8-.
(14) 序章. 研究の課題と視座. ているからである。」明西尾のこの見解は、ニーチェ受容史研究の目的と意義を示すもの として首肯されうる。なお本論の構成は、① r1890年代」、② r1900年一 1920年」、③「第. 1次 世 界 大 戦 - 1930年」、④ r1930年 一 第 2次世界大戦」となっている。 恒吉良隆による「表現主義におけるニーチェ受容(I)(II)J ・ 5 1 や「ニーチェ資料館とエ リーザベト・フェルスター・ニーチェ(I)(II)J 切 な ど の 論 文 も 、 わ が 国 に お け る 数 少 な い ニーチェ受容史研究の一部と考えてよい。「本来ならば、自己のうちに育んできた想念や 思考が、多かれ少なかれ他者のうちに見い出された(※引用者注:下線部は原文ママ)時に 初めて、正当な影響関係が成立すると見るべきだろう。然るに、当人が他者のうちに見つ け出したものが、一方的に偏ったものであったり、時にまったくの曲解や誤解であったり することも当然起こりうるわけである。ニーチェの場合には、その思想や概念が多義的な 解釈を許容するがゆえに、そのような広義における『影響』もまた決して軽く見過ごすこ とはできないと思われる。 J 明 恒 吉 の こ の 見 解 は 、 曲 解 や 誤 解 も 含 め た 幅 広 い 影 響 関 係 に 目を向けるべきというニーチェ受容史研究上の視座を示したものと言えよう。しかし、こ れまでの彼の研究成果を見る限り、恒吉自身の関心はむしろニーチェ資料館やニーチェの 実妹エリーザベトの行為に向いているように思われる。なお先にも述べたように、恒吉は リーデルの『ワイマールにおけるニーチェーあるドイツのドラマーJl (邦題『ニーチェ思 想 の 歪 曲 一 受 容 を め ぐ る 100年のドラマーJl )の訳者である。 「ニーチェと十九世紀後半のドイツの状況(I)(II)J ・ 5 4 や「ニーチェのドイツ文学に与 55 の 著 者 で あ る 舟 越 清 に も 、 ニ ー チ ェ 受 容 史 へ の 関 心 は 認 め ら れ る 。 た えた影響史論考 1 ・. だ 、 前 者 に お け る 舟 越 の 関 心 は む し ろ 19 世 紀 ド イ ツ の 自 然 科 学 の 動 向 に 向 い て お り 、 ま た後者においても、ドイツにおけるニーチェ受容史研究の動向や内容の紹介は見られるも のの、舟越自身による受容史そのものの分析はなされない。舟越自身の言葉を借りれば、 「ニーチェのドイツ文学に与えた影響に関する総合的な研究成果を概観した」引にとどま っている。なお舟越には「ニーチェの教育観」という論文・ 57 もある。 また、『現代思想の源流』に収められた三島憲一の「ニーチェー力への意志のモルフォ ロギ一一 J ・ 58 も、ニーチェ受容史を検討することの重要性を示した試みである。三島は、 「現在におけるニーチェの意味を考えるとき、解釈の歴史を切り離すことはできなしリ・日 と述べ、アクチュアルなニーチェ受容史研究のー形態を提案している。青年運動における ニーチェ受容の特徴も概説的に示されているぺ 拙論を除くわが国の研究状況をいまいちど整理しておくならば、教育学におけるニーチ ェ受容史に関する研究は皆無であり、また恒吉による数本の論文を除けば、ニーチェ受容 史そのものをテーマにした本格的研究も、管見の限り見当たらないという状況にある。. (7)その他のニーチェ受容史研究. ヒ レ プ ラ ン ト 編 著 の 『 ニ ー チ ェ と ド イ ツ 文 学 一 1873 1963 年 の ニ ー チ ェ 受 容 に 関 す る 資 ・. -9-.
(15) 序章. 料- j ・ 6 1 は、ニーチェ受容史研究の先駆的存在であると同時に、. 研究の課題と視座. ドイツにおけるニーチェ. 受 容 史 研 究 を 試 み る 者 に と っ て は 貴 重 な 資 料 集 で も あ る 。 ヒ レ プ ラ ン ト 自 身 に よ る 50 頁 ほどの解説論文も注目に値するが、本書の特筆すべき点はやはり、 1873 年から 1 9 6 3 年ま でに発表された 209編 の ニ ー チ ェ 関 連 文 献 を お よ そ 300頁ほどの紙幅を害IJし、て抜粋掲載し ていることであろう。完全網羅的な資料集とは言えないまでも、本書をドイツ文学界にお けるニーチェ受容史の縮図と言うことは許されるはずである。恒吉も以前、 190 年間のニ ーチェ受容の歴史を一眺のもとに烏服できるという点で、かつてない有用な文献資料であ り、今後の受容史研究には欠かせぬもののひとつとなると思われる J '62 と述べ、本書の意 義を強調している。 なお、本研究では原則として第一次史料(原典複写を含む)をもとに分析と考察を行って いるが、史料自体の劣化や紛失等の事情により図書館からの借用ないし閲覧許可が下りず、 一部入手できなかった文献もある。このわずかな欠損を補完する点において、このヒレプ ラント資料集は参考になった。なお本研究においては、こうした文献から引用をする場合 には、ヒレプラントからの再引用であることを注記する。 ヘ ル フ ル ト の 「 渡 り 鳥 の 巣 (Wandervogelnest)におけるツァラトウストラの鷲ードイツ青 年 運 動 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 の 形 態 と 位 相 -J '63 は 、 青 年 運 動 資 料 館 発 行 の 『 年 報 』 に 掲 載された論文であり、必ずしも本研究のテーマと直接関わるわけではないが、『教育者と してのニーチェ』の著者ハマーに関する記述などについては少なからず示唆を得ている。 グッツォーニ編の『哲学的ニーチェ受容 100年史』引は、プランデスから、ハイデガー、 6名 に よ る ニ ー チ サルトル、フーコー、ノレカーチにいたるまで、著名な哲学者や思想家 1. ェ論を収録した論文集である。本書においては、文学や芸術の分野、青年運動における熱 狂的な受容とは一線を画す「厳密な意味で理解される哲学的なニーチェ像」の諸相が明ら かにされている。 ま た 、 カ ン ツ ィ ク の 著 作 『 文 献 学 者 と 崇 拝 対 象 』 切 に お い て は 1890 年 代 か ら 第 2次世 界大戦までのニーチェ受容史が「崇拝J として、シルマー/シュミット編による研究論文 集『矛盾一初期のニーチェ受容- j・ 6 6 においてはニーチェ受容の多面性が「矛盾 J や「対 立 J として、それぞれ特徴づけられている。. 3. 研 究 の 視 座 上述の課題にこたえるため、本研究では以下の諸点を研究の視座として設定する。 第一の視座は、「超人 J 思 想 へ の 着 目 で あ る 。 先 述 し た よ う に 、 ニ ー マ イ ヤ ー ら は 当 時 の ド イ ツ 教 育 学 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 を 「 選 択 J と特徴づけ、従来の「予定調和」史観を 相対化することに成功した。これは紛れもなくひとつの功績である。しかし、「選択J と. -1 0-.
(16) 序章. 研究の課題と視座. い う 言 葉 で 説 明 し き れ る ほ ど ニ ー チ ェ 受 容 史 は 単 純 で も な い 。 ニ ー チ ェ 思 想 (A, B, C …)の a )→ A、 受 容 者 ( b )→ B、 受 容 者 ( c )→ C …ではなく、受容 「選択的受容」には、受容者 (. 者( a )→ A,、受容者 ( b )→ A2、受容者 ( c )→ ん … と い う 事 態 が 想 定 さ れ う る か ら で あ る 。 つまり「有用な部分だけを取り上げた J という「選択」の結果だけではなく、ニーチェ思 想のある部分を有用なものと解釈する「選択的受容 j のプロセスもまた問われるべきなの である。そこで本研究では、ニーチェ思想、の具体例として、後期思想に属する「超人 Wbermensch)J に注目することにした。というのも「超人」思想は、 1 8 9 0年代以降のドイ. ツ に お い て 多 様 な 解 釈 が 試 み ら れ た 重 要 な 言 葉 で あ り 、 「 選 択 的 受 容 J のプロセスを問う 上で興味深い対象であるにもかかわらず、その実態が近年の受容史研究者によって全く解 明されていないからである。本研究においては、 1890年代の大都市の青年(第 1章)、教 育学者ヴェーパー(第 3章)、青年運動家ノ¥マー(第 5章)らに目を向け、各ニーチェ受容者 が「超人 J という言葉とどのように向き合ったのかを詳細に検討することによって、「選 択」の実態解明を試みる。 第二の視座は、青年におけるニーチェ受容形態の多角的分析である。当時のドイツにお いてニーチェ思想ともっとも近い位置にいたのはいつも青年たちであった。彼らのニーチ ェ受容形態や行動様式は、よい意味でもわるい意味でも、当時のドイツにおけるニーチェ 解釈モデ、ルの成立や展開にとって重要な役割を果たしたと考えられる。そこで本研究では、 青 年 に お け る ニ ー チ ェ 受 容 を 「 現 象 j と「行為 j の 両 面 か ら 捉 え つ つ 、 多 角 的 な 分 析 を 行 8 9 0 年代と 1 9 1 0年 代 に お け る 青 年 の ニ うことにした。とりわけ大きな焦点となるのは、 1. ーチェ受容形態の相違である。かりに青年とニーチェ思想、との関係性が、 1 8 9 0年代の「ニ ーチェブーム」に見られるような通俗的かつ表層的な受容形態であれば、おそらく「教育 者 と し て の ニ ー チ ェ j という解釈モデルは成立していないはずである。 1 9 1 0年代以降、 従来の熱狂的なブームが過ぎ去り、個人的かっ沈潜的な受容形態としての「ニーチェ読書 J が普及したからこそ、「教育者としてのニーチェ」という解釈モデルは成立し得たのでは ないか。本研究ではこのような仮説に基づき、 1 8 9 0年 代 の 熱 狂 的 ブ ー ム か ら 1 9 1 0年代の 静かな読書へと変貌を遂げる青年のニーチェ受容形態を分析していく。 第三の視座は、「教育学者 J と 「 教 育 者 」 の 相 違 点 に 留 意 す る こ と で あ る 。 こ れ ら 2つ のニーチェ解釈モデルは、例えば「教育(学)者としてのニーチェ J '67 という表記の存在が 象徴しているように、これまでほとんど同定されてきた。この一因はおそらく、われわれ の注意が「教育学者ニーチェ J や「教育者ニーチェ J という表記の「教育 j の部分に向け られるからである。哲学者や思想家として紹介されることの多いニーチェが等しく「教育 J の文脈で評価されているという、両者の「共通項」が強調されてしまうのである。しかし、 共 通 項 の 「 教 育 J を 削 除 す れ ば 明 ら か な よ う に 、 「 教 育 学 者 」 と 「 教 育 者 J という両解釈 モデルには、「学」の有無という相違が存在する。言い換えれば、ここには、ニーチェを 「学説 j として評価するか「人格 j と し て 評 価 す る か と い う 、 解 釈 上 き わ め て 重 要 な 問 題 が 含 ま れ て い る の で あ る 。 本 研 究 で は 、 「 教 育 学 者 」 と 「 教 育 者 J という 2つのニーチェ. -1 1-.
(17) 序章. 研究の課題と視座. 解釈モデルの相違にも着目して、当時の教育学におけるニーチェ受容史を詳細かっダイナ ミックに描出したいと考えている。. 注. *1) Niemeyer,Ch./Drerup,H./Oelkers,J.lPogrell,L.v.(Hrsg.):NietzscheinderPadagogik?Weinheim1998. *2) Rosenow,E.:"NietzschealsErzieher'“kontra"NietzscheinderPadagogik“? EinVergleichder ・a m e r i k a n i s c h e nundd e rd e u t s c h e nN i e t z s c h e I n t e r p r e t a t i o n e namVorabendd e s2l . Ja h r h u n d e r t s .I n :Z e i t s c h r i f tf u r a n g l o. P a d a g o g i k462000,S . 8 6 7・8 7 9 .. *3)例えば次のものを参照。 Gordon,H.:Nietzsche'sZarathustraasEducator.In:JoumalofPhilosophyofEducation 1 4NO.21 9 8 0,pp. 18 1・1 9 2 . C o o p e r , D . E . :OnR e a d i n gN i e t z s c h eonE d u c a t i o n .I n :J o u m a lo fP h i l o s o p h yo fE d u c a t i o n1 7 N O . l1 9 8 3,p p . 1 1 9・1 2 6 . Golomb, J . J . :N i e t z s c h e ' sE a r l yE d u c a t i o n a lThought .I n :J o u m a lo fP h i l o s o p h yo fE d u c a t i o n1 9 p . 9 9 ・1 0 9 . H i l l e s h e i m, J . W . :S u f f e r i n ga n dS e l f C u l t i v a t i o n .TheC a s eo fN i e t z s c h e .I n :E d u c a t i o n a lT h e o r y N O . l1 9 8 5,p 36NO.2 1 9 8 6,p p . 1 7 1・1 7 8 . A l o n i, N . :TheT h r e eP e d a g o g i c a lD i m e n s i o n so fN i e t z s c h e ' sP h i l o s o p h y .I n :E d u c a t i o n a l 41 9 8 9,p p . 3 0 1・3 0 6 . H i l l e s h e i m, J . W . :N i e t z s c h e a nI m a g e so fS e l f O v e r c o m i n g :R e s p o n s et oRosenow.I n : T h e o r y39No. ,. E d u c a t i o n a lT h e o r y 40 NO.2 1 9 9 0,p p . 2 1 1・2 1 5 . S a s s o n e, L . A . :P h i l o s o p h ya c r o s st h eC u r r i c u l u m .A D e m o c r a t i c N i e t z s c h e a nP e d a g o g y .I n :E d u c a t i o n a lT h e o r y 46No. 41 9 9 6,p p . 5 1 1・5 2 4 . J o h n s t o n, J . S . :N i e t z s c h ea sE d u c a t or .A R e e x a m i n a t i o n .I n :E d u c a t i o n a lT h e o r y48No. 11 9 9 8,p p . 6 7 ・8 3 .. *4) 高 橋 勝. rF.W.ニ ー チ ェ ー 『 自 己 教 育 』 思 想 の 開 拓 者 一 J 天 野 正 治 編 『 現 代 に 生 き る 教 育 思 想 第 5. 巻(ドイツ②)Jlぎょうせい、 1 9 8 2年、 1 3・ 4 7頁 。. *5) 例 え ば 以 下 の も の を 参 照 。 森 野 衛 「 ニ ー チ ェ 初 期 作 品 に み ら れ る 教 育 観 J ~沼津工業高等専門学校 研究報告』第 2 1号 、 1 9 8 7年 、 2 3 3・ 2 4 1頁 。. 麦 倉 達 生 「 初 期 ニ ー チ ェ の 教 育 観 J ~滋賀大学教育学部紀要. :人文科学・社会科学・教育科学』第 3 9号 、 1 9 8 9年、 1 1・ 3 4頁 。. 森本倫代「初期ニーチェにおける教育. 5号 、2 0 0 1 論ーギムナジウムにおける教養教育と自己教育思想一」青山学院大学教育学会編『教育研究』第 4 年 、 1 ・ 1 4頁 。. 松田幸子「ニーチェの『教育者としてのショーベンハウアーJlJ ~上回女子短期大学紀要』. 第2 7号 、 2 004年 、 1 ・ 9頁 。. 大川勇「ニーチェの教養理念一『われわれの教育機関の将来について』にみ. られるフンボルトへの回帰一」京都大学大学院人間・環境学研究科社会システム研究刊行会編『社会シス 、 2006年、 1 ・1 1頁 。 テ ム 研 究 』 第 9号. 内藤貴 ( 2 0 0 6 a )r 初 期 ニ ー チ ェ に お け る 陶 冶 論 と 教 育 論 -B i l d u n g. 理解を中心として一」三田哲学会編『哲学』第 1 1 5号 、 2 006年、 1 ・ 2 3頁 。. *6) 例 え ば 以 下 の も の を 参 照 。 宮 津 知 江 美 「 ニ ー チ ェ に お け る 自 己 教 育 一 学 校 教 育 を 包 括 す る も の と して一 J ~関東教育学会紀要』第 18 号、 1991 年、 53・59 頁。. 宮津知江美「ニーチェにおける言語と自己. 形 成 の 問 題 J ~教育哲学研究』第 67 号、 1993 年、 86・99 頁。. 相j 宰伸幸(19 9 8・ b ) r~ ツァラトゥストラ』に. み る ニ ー チ ェ の 自 己 形 成 思 想 J ~教育哲学研究』第 78 号、 1998 年、 1 ・ 16 頁。. 内藤貴「ニーチェにおける. 遠 近 法 主 義 の ダ イ ナ ミ ズ ム ー ニ ー チ ェ の 自 己 形 成 論 に 関 す る 一 考 察 一 J ~慶磨、義塾大学大学院社会学研究. -1 2-.
(18) 序章. 科紀要』第 5 2号 、 2 0 0 1年 、 6 3・70頁 。. 研究の課題と視座. 溝 口 隆 一 「 誘 惑 と 自 己 教 育 ー ニ ー チ ェ 哲 学 の 教 育 的 属 性 一 j 同志. 社大学哲学会編『哲学論究』第 1 7号 、 2002年、 2 3・42頁 。. *7)Nohl,H.:DiepadagogischeBewegunginDeutschlandundihreTheorie.FrankfurtamMain(I935)195,'7 S.13.Vg.l Nohl, H . :Dien e u ed e u t s c h eB i l d u n g .( 19 2 0 )I n :P a d a g o g i ka u sd r e i s i gJ a h r e n .F r a n k f u r tamMain1 9 4 9,S . 1 4 .. *8) Scheibe,W.:DiereformpadagogischeBewegung19001932.Weinheim,Basel (1969)1974,S.19. *9) Flitner,W.lKudritzki,G.(Hrsg.):DiedeutscheReformpadagogik.Bd.l.DiePionierederPadagogischenBewegung. 4. ・. S t u t t g a r t1 9 8 2 .. *10) Rohrs,H.:DieReformpadagogikalsintemationaleBewegung.Bd.l. 1980. レ ー ル ス の 著 作 は 、 ニ ー チ ェ の 後期思想を紹介している点において一歩踏み込んだ試みと評価することもできるが、飽くまでもそれは ニーチェの「生の哲学」を解説するための紹介であって、ニーチェの後期思想が当時のドイツにいかな る影響を及ぼしたのかを明らかにしているわけではない。. *11) Deesz,G.:DieEntwicklungdesNietzsche-BildesinDeutschland.Wurzburg1933. *12) Del-Negro,W.:NietzscheunddieGegenwart:WandlungendesNietzschebildes.In:DeutschlandsEmeuerung26 1 9 4 3,S . 3 4 6 3 5 4 .. *13) Ehrentreich,A.: Wandlungen des Nietzsche-Bildes in den letzten Jahrzehnten. In: Die Sammlung 6 1951, S . 1 4 0 ・1 4 8,S . 2 3 9 ・2 4 8,S . 2 7 1・2 7 7 .. *14) Putz,P.:FriedrichNietzsche.Stuttgart(1967)1975'. *15) Philippi,J.:DasNietzsche-BildinderdeutschenZeitschriftenpressederJahrhundertwende.(Diss.) Saarbrucken 1 9 7 0 .. *16) Steffen,H.(Hrsg.):Nietzsche.WerkundWirkungen.Gottingen1974. *17) Niemeyer,Ch.(1998・a):Nietzscheunddiedeutsche (Refoロn・)Padagogik.VoruberiegungenzurBehebungeines F o r s c h u n g s d e s i d e r a t s .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S . 1 3・3 8 .. *18) Niemeyer,Ch.(1998b):NietzschealsJugendverfuhrer.Ge hrdungslageundPadagogisierungsoffensivezwischen 白. ・. 1 8 9 0und1 9 1 4 .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S . 9 6 ・1 1 9 .. *19) Hoyer,T.: Uber 100 Jahre Padagogische Literatur zu Friedrich Nietzsche - mit einem Exkurs zur 9 9 8,S. 39 ・5 5 . s c h u l t h e o r e t i s c h e nR e z e p t i o nd e sP h i l o s o p h e n .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?Weinheim1. *20) Prondczynsky,A.v.:HistorischeKonstruktionen.ZurRezeptionNietzschesin"GeschichtenderPadagogik“ In: N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S . 5 6 7 9 .. *21) Uhle,R.: Der Nietzsche-Kultus in der Wahmehmung philosophischer Padagogik- das Beispiel Friedrich . 8 0・9 5 . P a u l s e n s .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S. *22) Oelkers,J.: Einige Bemerkungen Friedrich Nietzsches uber Erziehung und der Status eines "Klassikers der “ .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S . 2 1 1 2 4 0 . P a d a g o g i k. *23) Weiβ,E.: Nietzsche und seine padagogikhistorische Problematik. Theoretische und rezeptionsgeschicht1iche i n e rp r o v o k a n t e nB i l d u n g s r ef 1e x i o n .I n :N i e t z s c h ei nd e rP a d a g o g i k?1 9 9 8,S . 2 4 1・2 7 9 . Bemerkungenzue. *24) 本 研 究 の テ ー マ と 直 接 の 関 係 は な い が 、 こ の 研 究 論 文 集 に は 上 記 以 外 に も 、 ニ ー チ ェ 思 想 、 と ナ チ P i e c h a, D ., S . 1 3 2・1 9 4 )、教育学とニーチェ思想との関係性(とりわけその希薄さ) ズムの関係性を論じたもの (. -1 3-.
(19) 序章. 研究の課題と視座. をインターネットの検索結果から分析したもの ( K e i n e r , E ., S . 3 5 7 ・ 3 6 9 )など、興味深い論文が収録されている。. *25) Niemeyer,Ch.(1999-a):"PlundemdeSoldaten".DiepadagogischeNietzsche-RezeptionimErstenWeltkriegIn: Z e i t s c h r i f tf u rP a d a g o g i k4 51 9 9 9,S . 2 0 9・2 2 9 . Niemeyer , C h .( 1 9 9 9 ・ b ):N i e t z s c h e sV o r t r a g eむ ,b e rd i eZ u k u n f tu n s e r e r B i l d u n g s a n s t a l t e n ' imK o n t e x . tK r i t i s c h eAnmerkungena u sr e z e p t i o n s g e s c h i c h t l i c h e rP e r s p e k t i v em i tS c h w e r p u n k ta u f Wagner ,L a g a r d e und L a n g b e h n .I n :V i e r t e l j a h r s s c h r i f tf u rw i s s e n s c h a f t l i c h eP a d a g o g i k7 5 1 9 9 9, S . 1 7 3・2 0 7 . Niemeyer , C h . :Wiewurdem i tN i e t z s c h eim20. Ja h r h u n d e r tB i l d u n g s p o l i t i kg e m a c h t?E i nR u c k b l i c ka u fg u te i n h u n d e r t i s s e n s c h a f t l i c h eP a d a g o g i k7 62000 ,S . 1 1 7・1 3 8 J a h r eR e z e p t i o n s g e s c h i c h t e .I n :V i e r t e l j a h r s s c h r i食 品 rw. *26) Niemeyer,Ch.(2001-a):Nietzscheals ,ProphetderJugendbewegung‘ -einMisverstandnis?In:Reschke,R. ( H r s g . ) :Z e i t e n w e n d e- W e r t e w e n d e .B e r l i n2 0 0 1,1 8 1・1 8 7 .. *27) Niemeyer,Ch.(2001b):Nietzsche im Schrifttum derdeutschenJugendbewegung?EinkleinerTestaufeine ・. g r o s eT h e s ea n h a n dvond r e iJ u g e n d b e w e g u n g s z e i t s c h r i f t e n .I n :J a h r b u c hd e sA r c h i v sd e rD e u t s c h e nJugendbewegung 2 0 0 1,S . 1 1 9 ・1 4 5 .. *28) Niemeyer,Ch.:Nietzsche,dieJugendunddiePadagogik.EineEinfuhrung.Weinheim,Munchen2002 *29) Hoyer,T.:NietzscheunddiePadagogik.Werk,BiografieundRezeption.Wurzburg2002. *30) Kokemohr,R.:FriedrichNietzsche(18441900).In:Scheuerl,H.(Hrsg.):KlassikerderPadagogik.BdユvonKarl ・. Marxb i sJ e a nP i a g e t .Munchen1 9 7 9,S . 3 4 ・ 4 5 .. *31) Low,R.:Nietzsche,SophistundErzieher.-PhilosophischeUntersuchungenzumsystematischenOrtvonFriedrich N i e t z s c h e sD e n k e n .Weinheim1 9 8 4 .. *32) Lowisch,D.J.:FriedrichNietzsche.In:Fischer,W./Lowisch,D.J.(Hrsg.):PadagogischesDenkenvondenAnfangen b i sz u rG e g e n w a r t .D a r m s t a d t1 9 8 9,S . 2 1 2 ・2 2 6 .. *33) Kokemohr,S.34. *34) Prondczynsky,S.59. *35) Oelkers,S.213. *36) Prondczynsky,S.74. *37) Niemeyerl998a,S.16. *38) Niemeyerl998b,S.9697. *39) Riedel,M.:NietzscheinWeima. rE i nd e u t s c h e sD r a m a .L e i p z i g1 9 9 7 . (恒吉良隆・米津充・杉谷恭一訳『ニ ・ ・. ーチェ思想、の歪曲. ・. 0 0年のドラマ』白水社、 2000年) 受容をめぐる 1. *40) この論文 (Niemeyer1999-a)には「略奪兵 (PlundemdeSoldaten)J というタイトルが付けられているが、 それは『人間的、あまりに人間的』に収録されたニーチェ自身の次のような言葉に由来している。「最悪 の読者というのは、略奪兵のように行動するものである。彼らは、自分が使えるものだけをいくつか選. S. 43 6 ) これは、ニ び 取 り 、 そ れ 以 外 の も の は 汚 し 、 撹 乱 し 、 そ し て 全 体 を 冒 涜 す る の で あ る 。 J (KSA2, ー マ イ ヤ ー が こ の 時 期 の ニ ー チ ェ 受 容 を 「 犯 罪 J 行為として捉えていることを意味している。. *41) NiemeyerI999-,a S.222. *42)フ ィ リ ッ ピ (Philippi,J.)の学位請求論文「世紀転換期ドイツの雑誌出版界におけるニーチェ像 J(1970) は 、 1 8 8 9年 お よ び 1 9日 年 と い う 年 を そ れ ぞ れ ニ ー チ ェ 受 容 史 上 の 重 要 な 分 節 点 と 設 定 し て い る 。 そ の 理. -1 4-.
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