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芥川竜之介初期作品に関する一考察 : 作中人物を中心に

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(1)Title. 芥川竜之介初期作品に関する一考察 : 作中人物を中心に. Author(s). 西原, 千博. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 42(1): *17-32. Issue Date. 1991-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4223. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 一部A)第四二巻 第 一号 平成三年七月 北海道教育大学紀要 (. 芥川龍之介の初期作品に関する 一考察 ー ー, 作中人物を中心 にー ー.. 西. 原. 千. 博. は、何 も残 ら な い。し て見 ると、劉 は即酒虫 、酒虫 は即劉 であ る。. だ から、劉 が酒虫 を去 った のは自 己を殺 した のも同 然 であ る。. 「酒 」) と いう の が 、 過 剰 な も こ の よ う な 「劉 」 に お け る 「酒 虫 」 (. 中 人物 を中 心 に考 察 し て いき た い。 これら の作 品 の中心的 な作 中 人. 具体 的 に作 品 の分析 を通 し て、 こ の過 剰 な も の の持 つ意味 に ついて. も指摘 でき る のであ る。 ただ、 これ は謂 わば 仮 説 であ り、 これ から. 劉 L の存在 証 明 な のであ 劉」 そ のも のであ り、謂 わば 「 虫 」 とは 「 る。 そし て、 こ のような例 が こ の他 の初 期 の作 品 の作中 人物 た ち に. 酒 酒虫 は即劉 であ る」と いう よう に「 のと言 え る のであ る。そし て、「. 物 た ち には、 いく つか の共 通 した特 徴 が指摘 でき る のではな いか。. 考 察 し て いきた い。 さら に、 そ こから作 中 人物 そ のも の へと考察 を. 「 新 思潮」大 三 ・五) か 老年 』 ( 芥川龍 之介 の初 期 の作 品、特 に 『 「 新 小説 」大 五 ・九) ま で の代表 的 な七作品 に ついて作 ら 『 芋粥』 (. そし て、 そ の代表 的 な も のとし て、 皆何 ら か の過 剰 なも のを持 って. 房 さん」 の存 在 証 明 にも な って いると考 えら れ る ので て、 これが 「. 。 と いう の が 、 「房 さ ん 」に お け る 過 剰 な も の で は な いだ ろ う か そ し. 放蕩 と遊 芸」 は 「一生を放 蕩 と遊 芸 に費 やし た」のであ った。 こ の 「. 。 ん 」で あ る 。 こ の 「房 さ ん 」の過 剰 な も の と は 何 だ ろ う か 「房 さ ん 」. 房さ 老年』の中 心的 な作中 人物 は 「 老年 』から始 めよう。 『 まず 『. 広げ て いきた い。. 。 与 え ら れ て い る ) と 言 う こ と が で き る の で は な いだ ろ う か ー いる (. さら ににそれが そ の作中 人物 た ち の存 在 を支 え て いる、あ る いは存 在を証 明 し てく れ るも のー アイデ ンテ ィテ ィを証明 し てく れ るも の ー にな って いるの であ り、 また逆 にそ のよう な も のを持 たな い場 合 は、そ の存 在 が 不安 にさら さ れて いて、確 立 し て いな いことがあ る。 第 四次 酒 虫』 ( 但 し、 こ こ で言 う過 剰 な も のと いう のは、例 えば、 『 「 「 酒 L) の 酒虫 」 ( 六) の中 の次 の 一節 にみら れ る 「 新 思潮 」 T五 ・ よう なも のであ る。 第 三 の答 。 酒虫 は、 劉 の病 でも なけ れば 、 劉 の福 でもな い。劉 は、 昔 から酒ば かり飲 ん で いた。劉 の 一生 から酒 を除 けば 、 後 に. 一七.

(3) . . 西 原 千 博. あ る。. 「 房 さん」 は 「 十 五 の年 から茶 屋酒 の味を おぼえ て」 から、 「 玄米 問屋 の身 上 を す ってし ま い」 いろ いろな職業 を転 々とす る。 幸 い縁 つづ き の料 理 屋 に引 き取 られ て、 「 楽 隠 居」 の身 の上 にな って いる。 そし て、 現在 は 「 もう、 当節 は から意 気地 が な く なり まし て」 と い う 状態 であ り、 「 中 州 の大 将 L は、 「 ああも変 わ るも のかね、辻 番 の 老 爺 の よ う に な っち ゃ あ 、房 さ ん も お し ま いだ 。」と 言 って い る 。「房. さん」 は 「 放蕩 と遊芸 」 から遠 ざ か っており、 そ のた め にそ の存 在 が希薄 にな って いると とも言 え る のではな いだ ろう か。これ は、「 放 蕩L が 「 房 さん」 の存在 証 明 であ る ことを逆 に証 明 し て いると考 え ら れ る 。 と こ ろ が 、 「一中 節 」を 聞 い て い る う ち に 、 「昔 の夢 を 今 に」. 見換 えし始 め る のであ る。 ことば. 女 の姿 はど こ にも な い。 ( 中略 ) 房 さん は禿 頭 を柔 ら かな猫 の毛 に触 れ るば かり に近 づ け て、 ひとり、 な まめ いた語 を誰 に云う と もな く繰 り返 し て いる のであ る。 「 房 さん」は、猫 を相手 に 一人 で 「 な まめ いた語 」を話 し始 め るの. 一八. て、 そう した光 景 のす べてを、 作者 は雪 の中 に封 じ込 め て終 る。 『 『 老年 』 『ひ ょ っと こ』・ー 下 町世界 と の対応ー. 芥 川龍 之介 」ー・. ー初期作品の展開ー』所収). け れ ども こ のよう な生 き方 を 「 欺岡 」 と か 「不毛」 と いう のは、. 単 に 一つの価 値 観 に基 づ いた評価 でし かな い。 そし て、 少 な く とも こ の作 品 にはど ちら の語 も出 てこな い。確 か に 「 放 蕩 」 を す る こと 「 は 「 欺 圃L と言 え るかも しれな い。例 えば 『 青 年 と死』 ( 新小 説 」. 大 三 ・八) の次 のよう な 一節 のよう に。. お前 はす べて の欺 圏 を破 ろう とし て快楽 を求 めな が ら、 お前 の. 求 めた快楽 そ の物 が や はり欺 問 にすぎ な いのを知 ら な か った。. 「房 さ ん Lの快 楽 も また 「 欺 問」に過ぎ な か った かも し れな い。 し かし、 こ の 『 老年 』 と いう作 品 におけ る価 値観 はどう だ ろう か。 一. 概に 「 欺 岡L と のみは言 えな いのではな いか。 また、 石割 氏 は 「 誰 も」と言う が、 こ こ に集 ま った中 で、 「 中州 の大将 」や 「小川 の旦那」 はどう だ ろう か。彼等 は 「 放 蕩 と遊 芸」 に余 り耽 って いるよう には. 見 え な い。 ま た 、 「 身 上 」も す った り は し て いな い。 む し ろ 「房 さ ん 」. と は対 照的 な生 き方 を し てき た人物 とし て描 かれ て いる のではな い. か。 いわば 「 放 蕩 など し な か った 「 房 ん が彼 な の ではな い 等 さ 」 L か。 このこと は、 こ の 二人 が、 三 中 節 L の順番 が近 付 く と、 「 意気. であ る 。. 従来 から こ のよう な 「 房 さ ん」の人生 に対し て、 「 欺 岡 の人生Lと いう 見方 があ る。例 えば 、 駒 尺喜 美 氏 は、. 地 な く酒 を飲 もう と抜 け出 し た りす ると ころ に良 く 現 れ て いる。 」 「 小川 さん、内緒 で 一杯 や ろうじ やあ、 な いです か。 ( 中 略) し. 「 私 も生 玉子 か、冷酒 で い っぱ いひ っかけようと思 って いた所 で、 御同様 に酒 の気 が な いと意気 地 があ り ません から な。」 こ の 二人 は、 他 はともあ れ こ の芸事 に ついては 「 房 さ んL と は比 較 にな ら な い俗物 であ る。こ の 二人 の俗物 さ に比 べれば か つて の「 房. ら ふじ ゃあ、第 一腹 がす わり ま せんや。し. 『 老年 』 『ひ ょ っと こ』 は哀 れな欺 圏 の人生 を生 き た人間 の味気 な さを、 そ のまま照ら しだ し て見 せ て いる のだ ろう。 「 ( 習作 に ついて」ー 『 芥 川龍 之介 の世界 』 所収 ) と、述 べて いる。 ま た、 石割 透氏 は 「 不毛 な生 」 とし て いる。 一生 を放 蕩 と遊 芸 に費 やし、 身 上をす り、 死を前 に過去 の情事 の追 憶 で生 の実感 を 一時 回復 す る老 人 の不毛 な生 は、 こ の尺講 に 集 ま った衆 の誰も が いず れ持 つ生 の姿 かも知 れな い。 ( 中略 )そし.

(4) . 芥川龍之介の初期作品に関する一考察. う か。 また、 それが過 剰 な も のであ った ことが 「 房 さん」 の魅 力 に も な って いる のではな いか。 ( あ の平 凡 で俗物 の 「 中 州 の大将 Lた ち に較 べてみよ。)ただ し、 そ れ はあ く ま でも、物 語 世 界 の中 に於 いて. 隠 居 と いう のは読者 にと っては偶然 でも、作者 には計 算 だ った筈 」 であ る。)それ でも や はり 「 女Lではなく、猫 を相 手 にし て いる 「 房. 品 は箱庭 的 な閉 ざ され た完成 美 はあ るが、ダ イナ ミ ックな ド ラ マは. ん」 は完 全 に作者 に支 配 され た存 在 に過ぎ な い。 それ ゆえ、 こ の作. さん」 の生 き方 の方 にこそ読者 は ひかれ る のではな いか。少 なく と も作 品 にお いて 「 房 さん」 の人生 が、 必ず し も否定 的 に書 かれ て い ると は言 えな いのであ る。 こ のことは、 結 果論 だ とし ても 「 房 さ ん」 が「 楽隠 居」でき て いる こと にも現れ て いる。 ( 楽 さら に言 えば こ の「. さ ん 」 は 儒 し いと 言 え る か も し れ な い。 し か し 、 む し ろ こ れ は い ま. であ る。 この作 品 の物 語 世 界 が雪 によ って閉ざ され て いるよ う に、 こ の作 品 は作者 によ って閉 ざ さ れ て いる。作中 人物 とし ての 「 房さ. また 「 房 さん」 が 「 放 蕩L の世 界 に戻 った ことを 示し て いる のでは な い か 。 そ れ 故 、 こ の 「房 さ ん 」 は あ の 「辻 番 」 の よ う な 「房 さ ん 」 と は 違 って、 遥 か に生 き 生 き と し て い る の で あ る 。 さ ら に、 こ こ で. が、作 中 人物 とし て の機能 を十 分 果 た し て いると は考 え られ な いの. し て いると は言 えな いのであ る。 「 房 さん」と いう作中 人物 は、 作者 から与 えら れた過 剰 なも の、 即 ち 「 放蕩 」 に対 し て従順 にし た が っ た に過ぎ な いと言 え る のであ る。 そ の結 果自 己充 足 し た安定 はあ る. があ る のではな いか。 けれ ども こ の作 品 にお いては、作者 から自 立. らな い。 そし て、 や はり作 中 人物 た ち は作者 から自 立 し てこそ魅力. あ る。 こ の点 では作 者 と作 中 人物 たちと の関係 に注 目 しなけ れば な. も言 え な いのであ る。作 中 人物 た ち は物語 世界 内だ け の存在 ではな く、作 品全体 の構造 にお いて作 中人物 と いう機能 を果 たす存 在 でも. な いのであ る。 ( ただ、 そ れ は 『 老年 』と いう表 題 に呼応 し て いる。) ま た、読者 はこ のた め に、 外 から 「 房 さんL を包 み込 むよう な作者 の存 在 を意識 す る こと にな る。 これら のことは作 品 にと って 一概 に マイナ スと は言 えな いが、 一方 、作中 人物 とし ては自 立 し て いると. の 「 房 さん」 は相手 を すら必要 とし て いな いのかもし れな いのであ る。自 分 の世 界、 即 ち 「 放 蕩 」 の世界 の中 に入 り込 ん で いて、完全 に自 己充 足し て いる のではな いか。 ま さ に 「 放 蕩Lと いう のが、 「 房 さん」 の存在 証 明 だ った のであ る。今 ま た 「 房 さ ん」 は それを取 り 戻 した のであ る。 けれども、 このよう な自 己充 足的 な生 き方 そ れ自 体を 「 欺問 と か 「 不毛 と かと いう見方 を す る ことも でき る。 が、 」 L それはあく ま でも外 から見 た見方 に過ぎ な い。( 座 敷 の外 であ り、作 品 の外 でもあ る。) 「 房 さん」自身 にと っては、存在 証 明 を全 う した よう な生 き方 と言 え る のであ る。 し かも、 あ た かも そ の 「 房 さん」 の世界 を外 から隠 す よう に、ま た包 み込 む か のよう に、「 雪 は や むけ し き も な い。 ・ :」 と いう 一行 で 作 品 は 終 わ って い る の で あ る 。. 中 人物 た ちもそ の存 在 を意識 し て いな いはず であ る。物 語世 界 にお. であ る。( 換言 す れば 、前 述 のよう に読者 には作 者 の存 在 が意 識 され ると いう こと であ る。物 語 世界 にお いては作・ 者 は存在 し ては いな い。 あ た かも読者自 身 が自 ら の作 者 の存在 を意識 し て いな いよう に、作. この 『 老年 』と いう作 品 にお いて、 「 放 蕩 」と いう のが過 剰 なも の であ り、 それが 「 房 さ んL の存 在証 明 にな って いた の であ る。 そし て、 最後 に いた ってまたそ の世界 に浸 り込 ん でおり、自 己充 足し て. の存 在 を忘 れると いう こと であ る。無 論、同時 に読者 も作者 の存在. いて作 中 人物 た ちが生 き て いる十 十十 自 立 し て いるー と いう のは、 作者. いる のであ る。 そ こには不安 は存 在 し て いな い。 この点 でこ の作 品 は、初 期 の芥川龍 之介 の作 品 の中 では例 外 と言 え る のではな いだ ろ. 一九.

(5) . を忘 れな ければ ならな い。 そし てそ のよう な作中 人物 にこそ魅 力 が あ る のではな いか。). 次に『 青 年 と 死 』に つ い て考 察 し よ う 。 こ の作 品 に は 「A 」と 「B 」. と いう 二人 の作中 人物 が 登場 す る。 こ のう ち 「A」 の方 は 「死を 予 死」 想 しな い快楽 ぐら い、無 意 味 なも のはな いじ ゃあな いか。」と常 に「 に ついて考 え て いる。 一方 、 「B」は 「 僕 は無 意味 でも何 でも死な ん 死」 を無 視 し て いる。 ぞを予想 す る必要 はな いと思う が。」 と、 「 男 」 が登場 し、 まず 「B」 死」 と名 のる 「 これ に対 し て最後 に 「. 二〇. 、 死」に イ デ ン テ ィ テ ィ と 呼 び た い。 「A Lが生 き残 れ た のは こ の 「 対 す る意識 があ った から であ り、 「死」 に対 す る意識 こそ、 「A」 の 存在 証 明) だ った のであ る。 し かも、 そ れは か アイデ ンテ ィテ ィ ( 放蕩 Lと同 じ様 に 房 さ んLの 「 なり過 剰 な も のと言 え る のであ る。 「. 過 剰 な も のと言 え る のであ る。 こ のこと は換 言 す れば 、 こ のよう な. 過剰 な もの が、作中 人物 た ち のアイデ ンテ ィテ ィにな って いるとも. 言 え る のではな いか。 し かし、 こ こで注意 した いのは、 「ALの存 在 は実 は こ の 「 男 」 に支 配 さ れ て いると いう点 であ る。 自 ら そ の生 を 獲得 し た のではな く、 こ の 「 男 」 によ って単 にそ の存 在 を許 さ れた 房 さ ん」 老年 』 の 「 に過 ぎ な い。 あ る いは保 証 された に過 ぎ な い。 『. し て いな いのであ る。 ただ、 「お前 の努 力次第 だ。」 とあ るよう に、. もまた支 配 され て いると言 え る のであ る。 物 語世界 の中 でさえ自立. 青年 と死』 では、 は物 語 世 界 の中 では自 己完結 し て いた が、 こ の 『 男 」に支配 され、 「A」 す で に物語 世界 にお いて、 まず 「BLが こ の 「. お前 は今 日ま で己 を忘 れ て いた ろう。 己 の呼 吸 を聞 かず に いた. これ から の可能 性 は示 され て いる。 これ から自 ら の手 で存 在 証 明 を. に対 し て 、. 千. ろう。 お前 はす べての欺 岡 を破 ろう とし て快 楽 を求 めな が ら、 お. 博. 原. 前 の求 めた快楽 そ のも のが や はり欺 岡 にすぎ な いのを知 らな か っ. 道楽 は飲 む 一方 で、 酒 の上 はど ちら かと云う と、 まず い い方 で. の 「嘘 」 で あ る 。. 「 帝 国文 学 」 大 四 ・四) に ついて考 察 し よ 続 いて、 『ひ ょ っと こ』 ( 平 吉 」 におけ 平吉 」 であ る。 こ の 「 う。 こ の作 品 の中 心的 人物 は 「 酒」 ( 酔 っぱ らう こと) と ふだ ん のとき る過 剰 なも のと いう のは、 「. 他 の作 品 にも同様 に指摘 でき る のであ る。. 獲得 す ること によ って、 自 立 し て いく 可能 性 は残 され て いる のであ る。 また、 こ のよう な作 中 人物 た ちを支配 す る他者 の登 場 は、 そ の. 西. 莫迦 な事 を 云うな。 よ く己 の顔 を見 ろ。 お前 の命 を助. た。 と 言 う 。 そ れ 故 に 「B 」 は 死 ぬ こ と に な る 。 死」 を常 に意識 し て いた た め に生 き る こと そ れ に対 し て 「A Lは 「 に な る。. 第 三 の声. けた のは お前 が己を忘 れな か った から だ。 し かし己 はす べて のお 中 略 )これ からも生 き ら れ るかどう 前 の行 為 を是認 し て いな い。 ( かは お前 の努 力次第 だ 。 つま り 、 こ の作 品 に お い て は 「死 」、 あ る い は 「死 L に 対 す る 意 識. 存 在 )を決 め て いる の であ る。 こ と いう ことが、作中人物 の生 死 ( のよう な作中 人物 た ち の生 死を決 定 す るも のを、作 中 人物 たち のア.

(6) . 芥川龍之介の初期作品に関する一考察. あ る。 ( 中略) ・. ふだん の平吉 と酔 って いる時 の平吉 とは ちがう と云 った。 そ の ふだ ん の平吉 ほど、 嘘 を つく人間 は少 な いかも し れな い。 「 平吉」は 「そ の酒 が崇 って、卒 中 のよう に倒 れた」ことがあ った が、酒 は止 められな か った。そ の結 果花 見 の船 の中 で酔 っぱ ら って、 馬鹿 踊りを 踊 って いる最中 に倒 れ てし まう こと にな る。 す ると そ の時 、呼吸 とも声 とも わ からな いほど、かす かな声 が、 面 の下 から親方 の耳 へ伝 わ って来 た。「 面をー :面をと ってくれ:;:. 意識 が 「 酒」や 「 嘘 」を必要 とす る理由 と し て考 えら れ る。)そ の試. 練 によ って こ の 「 平吉 」と いう作 中 人物 は死 ぬこと にな る のであ る。 ( IY 面」 の方 な のであ る。 そし て残 った のは作者 によ って与 えら れた 「. 『ひ ょ っと こ 』 は 「平 吉 」 の 死 か ら 始 ま って いた 。 「平 吉 」 の 死 は. あ ら かじ め予定 され て いた も のであ った。 この死を導 き出 す た め の. 過剰 な も のと いう 見方 も可能 であ ろう。 し かし、 それ は物 語 世界 に おけ る 「 平吉 」にと って悲劇 であ る。 「 平吉 」は自 ら の生 を証 明 す る た め に酒 を飲 み、 そ のた め に死 ぬこと にな る。 これ は 「 平吉 Lが作. し かし面 の下 にあ った平吉 の顔 はもう、 ふだ ん の平吉 の顔 では. 者 と戦 わな ければ ならな いのであ る。( そし てそ のほと んど は敗 北 す. 明 できな か った のであ る。作 中 人物 たち は自 ら の生 のた め に常 に作. 者 に完 全 に支配 さ れ ており、 そ の生 死を握 ら れて いる ことを 示 し て いる。 「 平吉 Lは そ の作者 の手 から逃げ ら れず 、自 ら の手 で存 在 を 証. なく な って いた。 ( 中 略 ) ただ変 わらな いのは、 ( 中略 )静 に平吉. 面 を 。L頭 と親方 と は ふるえ る手 で、 手拭 と面 を外 した。. の顔 を 見 上 げ て い る 、 さ っき の ひ ょ っと こ の 面 ば か り で あ る 。. る の み であ る。)では何 故 、作 者 はそ のよう な過剰な も のを与 え る の か。 そ れ は、 作 品 の主題 が素 面 の 「 平吉 よりも、 こ の過剰 な も の、 」 面」にこそあ った からだ と考 えられ る。 「 平吉Lは作者 にと っ 即ち 「. 持 って いる何 ら か の過剰 なも の の反映 も考 えられ るだ ろう。た だ し、. こ こ で 言 う 「面 」 と いう の は 、 前 述 の 「平 吉 」 の 「酔 い」 や 「嘘 L. を象徴 し て いる のであ ろう。常 に 「 面」 を付 け て自分 を偽 ってきた 「 平吉 」 が最後 に、 死 ぬ時 ぐら いは素 面 で死 にた いと いう こと であ 平 吉」 の人生 も 「 る。 ま た このよう な 「 欺 問」 の人生 と言 え るだ ろ. こ の点 に ついては最後 に述 べること とし た い。. こ こでもう 一度 先 の引 用 に戻 って指 摘 し ておきた いことが あ る。. ては主 題 を導 き出 す道 具 に過ぎ な か った のであ る。 さら に、 作 者 の. う 。 し か し 、 「平 吉 し に と って 「酒 」 も 「嘘 」 も そ れ な し で は 生 き て いけ な いも の に他 な ら な い。「面 」が な く て は 生 き ら れ な い の で あ る 。. 平 吉 」自 身 ではなく て他 の人 であ った と それ は、 「 面」を外 す のが 「 いう点 であ る。仮 に 「 面」 を取 る こと によ って、素顔 を さら す こと. で確 立 できな か ったと いう こと であ り、 また見方 を替 え れば 、 そ れ だ け この 「 面」 と いう のが 「 平 吉L の存在 と結び付 いて いる と いう. は 「 平吉」自身 の手 によ って ではな か った のであ り、 所詮、 他 者 に 平吉 」 の存在 は最後 ま で自 分 依 存 し て いる のであ る。 こ の こと は 「. によ って、 「 平吉」の本当 の顔 、 本当 の自 分が現 れた とし ても、 そ れ. とす るならば 、 むし ろ 「 平吉」 の存在 を証 明す るも のであ る 「 酒」 嘘 」 が、過剰 なも のであ った こと にこそ、悲 劇 の原 因 があ る の や 「 ではな いか。 「 平吉 」は自 ら の存 在 を証 明 す るた め に、 過 剰 に酒 を飲 む。 けれど も、 そ のた め に死 ぬ こと にな る のであ る。 見方 を替 え れ ば、 これは作 中人物 が作者 によ って課 せら れた試練 とも言 え る ので あ る。何 故 なら こ のよう な設定 を し た のは作者 に他 な ら な いから で 平吉 」 の他者 に対 す る過 剰 な あ る。 ( 物 語世界 の中 で言 う ならば 、 「. ニ ー.

(7) . . 西 原 千 博. こと でもあ る。 これ は 『 青 年 と死』 のよう に他者 に支 配 され て いる わけ ではな いが こ こ にも類似 の他者 の姿 があ る。 V 「 次に 『 羅生 門』 ( 帝 国文 学 」大 四 ・十 一)を 取 り上げ よう。 こ の 作 品 の中 心 的 な人物 の 「下人」 には過 剰 な も のがあ るだ ろう か。 最 初 一見し て、 そ のよう な も のは指摘 できな いのであ る。 そし て、 そ のた め に 「 下 人」 はそ の存 在 が確立 し ておらず 、 不安定 にな って い る のであ る。 そ れ は 「四五 日前 に暇 を出 され た。」た め に行 くと ころ がなく て 「 盗 人 」 にな ろう とす る 羅 生 門」 にや って来 て、 そ こ で 「 が 「 勇気 」 が出 な い、 と いう最初 の状 況 によく現 れ て いる。 下人 は、 手段 を選ば な いと いう事 を肯 定 しな がら も、 この 「 す れば 」 のかた を つけ るた め に、 当然 、 そ の後 に来 る可 き 「 盗人 に な るより ほ か に仕 方 が な いL と 云う事 を、積 極 的 に肯 定 す るだけ の、勇気 が出ず に いた のであ る。 {. 「下 人 」 に ど う し て 「勇 気 」が 出 な い の か 、 と いう こ と に つ い て は. 従来 から問題 にされて いるが、ここでは簡 単 に触 れておく に留 めた い。 下 人 が こ こ では 一番 弱 い存 在 そ こ で 一つだ け指 摘 し た いのは、 「 」 であ ると いう こと であ る。 「 下 人」が 「 羅 生 門」 に来 た のは、 「 人目 にかか る倶 のな い、 一晩楽 に寝 ら れ そう な所 があ れば、」と思 って来 た のであ った。 つまり、 弱 い 「 下 人」 が いわば 「 羅生門」 に逃げ て 下 人」 に盗 みな ど で 来 て いるよう な も のな のであ る。 そ のよう な 「 き るはず が な い。 「 勇気 」 が出 な いのも当 り前 であ る。 「 勇気 」 が出 羅生 門L にな ど来 な か った のであ るく ら いな ら何 も最初 から こ の 「 下 人」の弱 さ は単 に肉 体的 な も のだ け ではなく、 存在 そ る。 ま た、 「. 一三. 主 人Lに暇 を出 された こと によ のも のの持 つ弱 さ であ る。 そ れは、 「 下 人」 と は呼 べな くな って いる こと にも関 係 し て いる。 りす で に 「. 自 ら のアイデ ンテ ィテ ィを喪 失 し て いるとも言 え る の ではな いか。 それが 「 盗 人 」 にな れば 回復 でき ると いう見方 も でき るだ ろう。 け. れ ども、 す で に指 摘 し たよう に、 こ の 「 下人」の存 在 の不安定 さは、 「 下 人」 に過剰 なも のが な いこと にも関係 し て いる の ではな いか。. さら に言 えば 「 気 と いう のは、過 剰 なも の のこと ではな いだ ろ 勇 」 ある あ る強 い感 情 」とあ るよう に、 「勇気 」と は 「 う か。作 品中 に 「. 強 い感 情 」 の 一つであ り、 言 い換 え れば過 剰 な感情 とし て捉 えら れ る の であ る 。. 「 下人 は最初 、存 在 が 不安 定 であ るが 「 老婆 」に出 会 う こと によ っ 」 青年 と 死』 におけ る他 者 の て 「 勇気 」 を得 る こと にな る。 これ は 『 介在 ) であ る。 「 下人」 は 「 老婆 し 存在 と はま た違 った他者 の存 在 ( に出会 いこれを捕 まえ る。. 下 人 は始 め て明白 にこ の老婆 の生 死 が、 全然 、自 分 の意 志 に支. 配 され て いると 云う 事 を意 識 し た。. 「 生 下 人 は こ の作 品 で初 め て自 分 より弱 いも のに出 会 い、 そ の 「 」 死 を支 配 す る。 これ によ って 「下人 に 「 勇気 が生 ま れ る。 作 L L 」 品 では厳密 には こ の後 の 「 下人 の 老 婆 」 の言葉 を聞 いて いる中 に 「 心 には、 あ る勇気 が生 まれ てきた」 と いう こと にな る。 し かし、 先 ほど の引 用 では 「 下 人」 は 「 老婆 の生 死L を支 配 し て いた のに対 し て、 こ の言 葉 の後 では単 に着 物 を引剥 す るだ け であ る。 も し 「 老婆 L の言 葉 が決定 的 な も のな らば 、 これ は逆 にな って いて然 る べき では. な いか。 「 下 人L の 「 老 婆 」 に対 す る関 係 は 「 老 婆 」の言 葉 の前 のほ 「 生 死」を支 配 す る こと に較 べれば 、「 引剥」 う が強 いの ではな いか。( は何 と ささや かな行為 だ ろう か。 し かも髪 の毛 は残 し て いく の であ.

(8) . 芥川龍之介の初期作品に関する- -考察. る。) つまり、 す で に 「 下人」が 「 老婆 L を捕 まえ た時 点 で 「 勇気 」 が出 る条 件 は揃 って いた のであ る。 そし て、 「 下人」は「 老 婆」によ っ て 「 勇気 Lと いう 「 強 い感 情」、 即 ち過剰 な も のを得 て 「 羅生 門」の 外 へと出 て行 く のであ る。 こ の作 品 におけ る過剰 なも のとは 「 勇気 」 であり、 そ れを得 る こ と に よ って ア イ デ ン テ ィ テ ィ が 確 立 し た の で あ る 。 や は り 、 こ こ で. も過 剰 な も のが作中 人物 の存 在証 明 とな って いる。 ま たす でに指 摘 した よう にそ こには 「 老婆 」 と いう他者 の介在 があ った。 全 てが自 分 の手 によ って成 さ れた のではな く 「 老婆」 の存 在 に依 存 し て いた のであ る。( 紐畿調、自 分 一人 の力 だ け で完全 に自 立 す る ことな ど現実 には有 り得ず、何 ら か の他 人 の力 に頼 らざ るを得 な いが、 こ こ では それ が全 部 老婆 の登場 にか か って いる のであ る。し かも、こ こ で「 老 婆」 に出 会 う のは偶 然 であ る。無 論作者 にお いては 「 老婆 」 の登場 は計 算 さ れたも のだ ろう が。物語 世界 では偶 然 に過 ぎ な い。 つまり 偶然 に依存 し て いると いう ことな のであ る。) さ ら に、 こ こ の作 品 に お い て も 『 青 年 と 死 』 に お け る 「男 」 の よ. う な存 在 が いる。作 品中 に登場 す る 「 作者」 であ る。 作者 は さ っき、 「下人が雨 や みを待 って いたLと書 いた。 ( 中略) だ から 「 下 人が雨 や みを待 って いた」と 云う よりも、 「 雨 にふり こ めら れ た下人 が、行 き所がな く て、途方 にく れ て いた」 と云う ほ う が、適 当 であ る。 こ の引 用 に あ る よ う に、 「下 人 」 は こ の 「作 者 」 に よ って 全 て を 支. せられ た課 題 ( 試 練)とも言 え る のであ る。結局 「 下 人Lは 「 老婆L に出会 い 「 勇気」 を持 つことが でき て、 こ の課 題 を越 え る ことが で きた。 そし て いわば こ の 「 作者 」 の手 を離 れ て 「 羅 生 門」 の外 に飛 び出 し て いく のであ る。 「 下人 の行方 は、 誰 も知ら な い と いう 最. 後 の 一文 にお いて、当 然 この 「 誰 も」 の中 に 「 作者 」 も含 ま れ て い る のであ る。物 語世界 の外 に いて作 品を支 配 し て いた はず の「 作者」 すら 「 下人 の行方 」を知 らな いの であ る。 これ は 「 下人」が 「 作者」 の手 を離 れ て自 立 した ことを示 す のであ る。 作中 人物 が自 立 す ると いう のは、当 然 そ の物 語世 界 の中 におけ るも のであ るが、 こ の作 品. では物 語世界 から外 へ出 ると いう 形 で自 立 し て いる のであ る。( さら には作 品 の外 へ出 て い った とも言 え る の であ る。)これ は単 に「 下人」 のアイデ ンテ ィテ ィと いう よりも、 作中 人物 と いう存在 のアイデ ン. テ ィテ ィが確 立 し た と さえ言え る のではな いだ ろう か。. 「 次に 『 鼻』 ( 新 思潮」大 五 ・二) に ついて。 こ の作 品 におけ る過 剰なも のと いう のは いう ま でもな く、 「 禅 智 内 供Lの長 い 「 鼻 Lであ. る 。 そ し て 、 「内 供 」 は 、 こ の長 い鼻 を 持 て あ ま し て いた の で あ る 。. と ころが、「 内 供 の用を兼 ね て、京 へ上 が った弟 子 の僧 が、知 己 の医. て、わざ と そ の法 もす ぐ にや って見 よう と は云 わず に いた。( 中略 ) 弟 子 の僧 にも、内 供 のこ の策略 が わ からな い筈 はな い。 し かし そ れ に対 す る反感 より は、 内 供 のそう 云う策 略 を と る心 もち の方 が、. 。 者 から長 い鼻 を短 くす る法 を教 わ って来 た。 L のであ る 内 供 は、 い つも のよう に、鼻 な どは気 にかけな いと云う 風 を し. 場す る 「 作者 」 と いう名前 の作 中 人物 であ る。但 し こ の 「 作者 は 」 物 語世界 の外 に いて 「下人Lを支 配 し て いる のであ る。 それ ゆえ 「 勇. よ り強く この弟 子 の同情 を動 かし た のであ る。. 配 され て いる。無 論 この 「 作者 」 は芥川龍 之介 ではなく作 品中 に登. 気 」 が 出 る か ど う か と いう の は こ の 「作 者 L に よ って 、 「下 人 」 に課. 二三.

(9) . . 西 原 千 博. 内 供」 の長 い鼻 は短 くな ることが でき こ の弟 子 の方 法 によ って 「 内供 」 は以前 よ り 「つけ つけ」 と咽 た。 し かし、 そ のた め に逆 に 「 鼻 の短 く な った のが、かえ っ わ れ るよう にな る。それ によ り自 ら も 「 て恨 めし くな った。」のであ る。 け れど も そ の後 、 鼻 は またも と の長 鼻 内 供」は今 度 は そ の長 い鼻 によ って 「 さ に戻 ってし まう。 ただ、 「 が短 くな った時 と同 じ よう な、 はれば れ し た心 も ちが、 ど こから と も なく帰 って来 る のを感 じ た。」 のであ る。 そ し て、 ー こう な れば 、 もう 誰 も晒 う も のはな いにちが いな い。 内 と、思 う のであ る。 し かしす で に三好 行 雄氏 によ って、 こ の 「 。 供 の思 いが錯覚 に過 ぎ な いと いう指 摘 が な さ れ て いる 」 明 ら か に錯覚 であ る。 今 日 から は ま た、 長 く な った鼻 を内 供 は 笑 わ れねば な ら ぬ筈 であ る。 こ の錯覚 に被 害 者 とし て の内供 のあ わ れが あ り、 ふしぎ な ペー ソ スが にじ む のであ る。 芥 川龍 之介 論 』 所収 ) q負 け犬 」ー 『 内 供 」 はま た長 く な った鼻 を笑 わ れ るであ ろう。 また読 確 かに 「 者 も同じ よう な錯覚 を し てしまう かも し れな い。 ただ読 者 が錯覚 す る のは単 にこ の部 分 だ け ではな く、 こ の前 に描 かれ て いる朝 の描 写 内 のすが すが し さ に ひかれ る から であ ろう。こ の朝 の描 写 が最後 の「. 二四. 内 供」 が笑 われ こ のこと は決定 的 な違 いではな いか。 同 じ よう に 「. 。 る にし ても、 心 も ちは変 化 す る のではな いか 少 な く とも そ のよう. 内 な 可能性 を残 し て作 品 は終 わ って いる のであ る。単 にこれま で の「. 内 供」 供 」像 によ って錯覚 と のみ読 む こと は、 そ の錯 覚 の先 にあ る 「 の心 も ち の違 いを 見失 わ せ る こと にな る のではな いか。 笑 われ る こ と の意 味 が変 わ る のであ る。. 禅 智 内 供 」 の長 い鼻 が存 在 証明 にな って いるこ これら のこと は 「 内 供 」の鼻 が短く な って不安 にな る のは単 と にも つなが って いる。 「 内 供」 の存 に回 り の人達 に笑 わ れ るだ け ではな く、 こ の長 い鼻 が 「. 。 在 証 明 であ り、 そ れを失 った こと によ る のではな いだ ろう か そし. て、最 後 にもう 一度 そ れを取 り戻 す る こと によ って安 心 す る のであ 内 供 」 は作者 によ って初 め長 い鼻 と いう過 剰 な も のを る。 つまり 「 内 供 」 の存 在 証 明 にな って いた。 与 え ら れ て いた。 同時 にそ れが 「 し かし、 それが過 剰 なも のであ るた め に、 持 て余 す こと にな ってし. 内 供 L は そ の鼻 を短 ま った のであ る。 ただ 、 す で に述 べた よう に 「 内 供 」 が自 ら の鼻 を コント くす る方法 を知 った のであ る。 これ は 「. ロー ルし始 めた ことを示 し て いる のであ る。 作者 の支 配 から 一歩 抜 晴 内 供L の 「 け出 し た と さえ言 え る かも し れな い。 これが、 あ の 「 れ晴 れとし た心 も ち」 の背景 にあ る のではな いか。 また、 これら の こと は、 見方 を変 え ると、 こ の過 剰 なも のこそが作 品 を動 かし て い た とも言 え る のであ る。. 。 弟 また こ の作 品 にも他者 の介 在 が認 めら れ る のであ る 先 ほど の「 内 供」 は存 在 証 明を 一度喪失 子 の僧 」 であ る。 こ の他者 によ って 「. 供 」 の心持 ちを暗 示 し、 強 調 し て いる のであ る。 内 供 」は常 に 内 供 」が他 者 を気 にし続 け るう ち は、 「 ただ、当 然 「 内 供」に於 け る他 者 と いう認識 は、 但 し、 「 笑 われ続 け る であ ろう。 ( 。 そもそも こ の長 い鼻 によ って生 み出 され たも のではな いか 自 分 と 他 人 と の相違 が まず先 にあ り、 それが他 人 と いう も のを認識 さ せる. 内 子 の僧 が、善意 でそれを行 って いると いう点 であ る。 な にも 「 」 内 供」 の為 供 」 の存在 を脅 かそう とし て いた のではな い。 むし ろ 「. 、 す る こ と に な った の で あ る 。 た だ こ こ で 注 意 し た い の は こ の 「弟. 内 供 」のア ンデ ンテ ィ 内 供 」の長 い鼻 は 「 のであ る。 こ の意 味 でも 「 内 供 」は鼻 を短 く す る方 法 を知 っ テ ィと言 え る のであ る。)し かし、 「 短 い時 間 であ った にし ても 一度 は短 く できた のであ る。 た のであ る。.

(10) . 芥川龍之介の初期作品に関する一考察. にした のであ る。 それが結果 とし て 一時 存 在証 明を失 わせ る こと に な った のであ る。 こ の他 者 の介 在 は、 構 造 と し ては 『 羅生 門』の 「 老 婆」 に近 いも のであ る。 し かし、 こ の 「 弟 子 の僧 」 には 「 老婆 」 に な い善 意 があ る。 そ こ にこの両者 の違 いがあ る。. 「 続 いて 『 酒虫 』 ( 新思 潮」大 五 ・六) を取 り挙げ よう。 こ の作品 の中 心人物 は 「 劉」であ る。 この 「 劉」の過 剰 な も のと いう のは 「 酒L であ る。. こ の男 の道楽 は、 酒 を飲 む 一方 で、 朝 から、 ほと んど、 盃 を離. つの答 えが書 かれ て いる。 いささ か長く な るが引 用 し よう。. 第 一の答。 酒虫 は劉 の福 であ って、病 ではな い。 ( 中略). 第 二 の答 。 酒虫 は劉 の病 であ って、 劉 の福 ではな い。 ( 中 略) そ こで、 も し酒虫 を除 かな か ったら劉 は必ず 久 し からず し て、 死 んだ のに相 違 な い。 し て見 ると、貧病 、迭 に至 る のも、 むし ろ、. 劉 に と って は 、 幸 福 と 云 う べ き で あ る 。. 第 三 の答 。酒虫 は劉 の病 でも なけ れば 、福 でもな い。劉 は、昔. から酒ば かり飲 ん で いた。 劉 の 一生 から酒 を除 けば 、後 には、何. も残 らな い。 し て見 ると、 劉 は即酒虫 、 酒虫 は即劉 であ る。 だ か ら、劉 が酒虫 を去 った のは自 ら己を殺 し たも同然 であ る。つま り、. 酒 が飲 めなく な った 日 から、劉 は劉 にし て、劉 ではな い。. これ は読者 の価 値 観 に左右 さ れやす いも のであ る。例 えば、 酒 を飲. こ の三 つの答 え のう ちど れ が正 し いかは こ こでは問題 とし な い。. と ころが、 「 宝幅寺 に いる坊 主L が来 て、 「 劉 」 が酒を飲 む のが病. 鋤 」 を執 るよう な生 活 のほう が より人間 的だ と いう見方 もあ るだ ろ. した と 云う事 がな い。 気 だと いう の であ る。「 腹 中 に酒虫 が いる。そ れを除 かな いと、こ の 病 は癒 り ま せん。貧道 は、貴 方 の病 を癒 し にき た のです。」と言 う の であ る。そ こで治療 をす る こと にな り、「 裸 で、炎 天 の打麦 場 にね こ. う。これら は みな読者 の価 値 観 による のであ る。( 但 し、これ ら は皆. のな のであ る。 し かも それ ( 酒を飲む こと) は過剰 なも のに相違 な いのであ る。 こ こでも 「 劉 」 と いう作 中 人物 は作者 から過剰 なも の を与 えら れ、 し かも そ れが存在 証 明 にな って いる。 さら に、 『 鼻 』の 「 内 供」が、 や は り長 い鼻 を失 ってから そ のこと に気 付 いたよう に、. こ こ に書 か れ て い る よ う に、 ま さ に 「酒 虫 」 は 「劉 」 の存 在 そ の も. ここで特 に取 り挙げ た いのは、最初 にも引 用 し た第 三 の答 であ る。. 文化的 コード であ り、厳密 には読者 個 々 の個 人的 な価 値観 ではな い。 無 論 それはす で に述 べた 『 老年』 の 「 房 さんL に対 す る 「 欺 園 の人 生」 と いう読 み の場合 も同 じ であ る。). ん でも酔 えな いと いう ことが幸福 かどう か、 また金持 ち であ っても 何 も す る ことな く酒ば かり飲 ん で いる のと、 貧乏 であ っても 「 手に. ろ ん で い る L こ と に な った の で あ る 。. す ると、 そ の途 端 であ る。 劉 は、何 とも知 れな い塊 が、 少 しず つ胸 から喉 へ這 い上 が って来 る のを感 じ た。 ( 中略 )今度 は いきな り、鱒 か何 か のよう にぬるりと暗 い所 を抜 け出 し て、勢 いよく外 へとん で出 た。 「酒 虫 」 は 「劉 」 か ら 出 て い った 。 そ の お か げ で 「劉 は 「そ の 日 」. から、ば った り酒 が飲 めな くな った」 のであ る。 し かもそ れば かり ではなく、健康 が衰 え、「一年 の中 に、何度 、床 に つく か、わ からな いくら いだ そう であ る。」と いう 具合 にな る。 また 「 劉 の家 産 も とん とん拍 子 に傾 」 いてし ま った。 そし て、 こ の こと に対 し て最後 に三. 二五.

(11) . . 西 原 千 博. る だ ろ う 。 し か し 、 こ れ 以 外 に も 「五 位 」 の存 在 証 明 と し て 考 え ら. のであ る。こ の欲望自 体 は、さ さや かな も のであ る かも し れな いが、 作中 の 「五位 」 の置 かれ て いる状 況 からす れば 、過 剰 な欲 望 と言 え. 二六. あ る。. 「 劉」 劉Lも また そ のこと に気 付 かず に失 ってし まう。 そ のた め に 「 劉自身 」 でなく な り、家 産 も健 康 も なく し てし ま った ので もまた 「. れ るも のがあ る。 「 赤鼻 」 であ り、臆 病 であ る。 五位 は、風采 のはな はだ揚 が ら な い男 であ った。第 一背 が低 い。. 容 易 に事実 とな って現 れ た。 そ の始終 を書 こう と云う のが、 芋 粥. 芋 粥 に飽 かん」 事 は、存 外 し かし、 「五位 」 が夢想 し て いた、 「. 内 供L の長 い鼻 のよう に 鼻』 の 「 る。 そし て、 これら はあ た かも 『 「五位 」 の存 在証 明 とな って いる ことが考 えら れ る。 し かし、物 語 は先 の欲 望 を 巡 るプ ロット に集 中 し て いる。. があ る。 こ の貧 乏 にし ても、 臆病 にし ても、 かな り過 剰 なも のであ. 「 赤鼻 の五位 と いう言 葉 も使 われ て 赤 鼻 に関 し ては こ の後 に 「 」 」 五位 」 の貧 乏 いる。 また、 これら の状 況 の中 心 には何 と言 っても 「. 臆 病 な人間 だ った のであ る。. 彼 は、 一切 の不 正 を、不 正 と し て感 じな いほど、意気 地 のな い。. 中略) (. そ れ か ら 赤 鼻 で 、 目 尻 が 下 が って い る 。. し かも、ここ にも、『 鼻 』と おな じよう な善 意 の他者 の介 在 があ る。 劉 の病 を直 そう とし て いた のであ る。 あの 「 蜜 僧 はあく ま でも 「 」 」 。 q は ー 〉え ‐ロ 「 子在 証 明 こめ に 明を であ って 「 を失 う ので ある か る。 の存 うの にか えっ その 劉 のた 意 そ の善 」 はそ 劉」 の存 在証 明 が過 剰 な も の であ った こと また こ のことは、 元 々 「 蛮僧 L から始 ま って いる。 それが過 剰 なも のであ ったた め にこそ、 「 によ って治療 され る こと にな り、 結 局 それを失 う こと にな った ので あ る。 こ のこと は、 こ の作 品 も また こ の過 剰 な も の によ って動 かさ れ て いた と いうが でき るだ ろう。. 「 芋 粥』 ( 新 小説 」 大 五 ・九 ) を取 り挙げ よう。 この作 品 最後 に 『 の中 心的 な作中人物 は、 「五位 」 と呼ば れ る侍 であ る。 こ の 「五位 」 芋 粥 に飽 かん」 事 であ る。 の存在 証 明 と呼 べるも のは、 「. の話 の目的 な のであ る。 「 芋 粥 に飽 かん」と いう のは、 作 者 によ って明確 に設 定 さ れた存 在 証 明な のであ る。 そ れ ゆえ、 こ の欲 望 と いう存在 証 明 が喪 失 す る過 程 を描 こう とす る のが、 こ の作 品 の 「目的L と言 い換 え ても よ いだ ろう。し かしな が ら、作 者 が そ の欲 望 の背景 とし て設定 し た、「五位 」. そ こで芋 粥 をあ き るほ ど飲 ん で見た いと云う事 が、 久 し い前 か 中 略 )いや彼自 身 さえそ れが、 ら、彼 の唯 一の欲 望 にな って いた。(. 支 えな いほど であ った。ー人 間 は、時 とし て、充 され る か充 され. 風采 、 臆 病、 貧 乏 な ど)も また、 「五位 」の存 在 の過剰 な人物設 定 (. であ ろう。 が事実 は彼 が そ のため に、 生 き て いる と云 っても、差. 彼 の 一生 を貫 いて いる欲 望 だ とは、 明白 に意 識 し て いな か った事. な いか、 わ から な い欲望 のた め に、 一生 を捧げ てしまう。 そ の愚. 証 明 な のであ る。 むし ろ、 物 語 世 界 にお いて、 こちら の方 が よ り存 、 ま さ に 「芋 粥 を 飽 き 」. いてはま た後 に触 れよう 。. 在 証 明 とし て の機能 を 果 た し て いるとも考 え られ るが、 こ の点 に つ. を晒う者 は、 畢覧 人生 に対 す る路 傍 の人 に過 ぎ な い。 「そ の た め に、. 生 き て い る 」と あ る よ う に. るほど飲 ん でみた いと いう欲 望 こそが 「五位 」 の存 在 証明 と いえ る.

(12) . 芥川龍之介の初期作品に関する-考察. 粥 に飽 か ん 」 ま で飲 ま せ て も ら う こ と に な る 。 と こ ろ が 、 いざ 明 日. この 「 五位 」 の 「 芋 粥 に飽 かん」と いう 欲 望 は、 「 藤原利 仁」と い う他 者 の介在 によ ってかな え られ る。 これ は言 う ま でも なく、 『 鼻』 の「 弟 子 の僧 」や、 『 酒虫 』 の 「 蛮僧 」と同 じ構 造 であ る。 ただ、 こ の 「 藤 原利 仁」 の場合 は必ず しも善意 とは言 え な い。 「 利 仁 」は 「 生 活 の方 法 を 二 つし か心得 て いな い。 一つは酒を飲 む事 で、他 の 一つ は笑 う事 であ る。」と いう人物 で、鉦蛍珊こ の 「五位 」に対 す る のは後 者 の方 には いるだ ろう。 「 五位」は 「 利 仁 Lの申 し出 によ って敦賀 ま で出 かけ、 そ こで 「 芋. れ る 。 「芋 粥 Lを め ぐ る プ ロ ッ ト (「そ の始 終 L)は こ こ で 終 わ って い. わ ってし まう のであ る。これは先 の引 用 にあ った よう に、作者 の「目 的L が 「 芋 粥L と いうプ ロットを描 く こと にあ った からだ と考 え ら. 、作品 は い つ 一部 し か描 けな い( だ から こそ、 人 は主 人公 にな れ る). う欲 望 を失 って生 き て いけ る のだ ろう か。 し かし、 作 品 は ここ で終. し て 生 き て いく のだ ろ う か 。 ま た 、 「そ の た め に、 生 き て い る 」と い. 『 老年 』 の 「 房 さん」 のよう に自 己充 足 し て いた 「五位 」 のこと で あ る。 け れども、存在 証明 を失 った 「 五位 」 は これ から ど のよう に. た こ と に気 付 いた の で あ る 。 ま た 、 こ の 「幸 福 な 彼 」 と いう の は 、. た のであ る。 そし て、失 って初 め てそれが 「五位 Lの存在 証 明 であ っ. 飲 ま し て も ら う こ と に な る と 、 か え って 「五 位 」 は 不 安 に な って し ふ 平 やっ0. る のであ る。 けれども、物 語 世界 にお いて 「五位 」 はまだ生 き て い 「五 かな け れば な らな い。 もし く は、読者 にと って の「五位 」の人生 ( 位 L のプ ロット) は終 わ って いな いのであ る。確 か に小説 は人生 の. どう も こう 容 易 に 「 芋 粥 に飽 かん」事 が、 事実 とな って現れ て は、折角今 ま で、何 年 となく、辛 抱 し て待 って いた のが、如何 に も、無 駄 な骨折 り のよう に、 見 え てしまう 。. か終 わ らな け れば な らな い。 し かし、 「 五位Lは いま そ の存 在 の危 機 の真 っ只中 に いる のであ る。当 然 、読者 はそ の先 を知 りたく な る の で は な いだ ろ う か 。. こ こ に は 、 単 に 「芋 粥 L と いう欲望 が簡 単 にかな えられ過ぎ るこ. と への不安 と いう だけ ではなく、自 ら の存 在証 明 が喪 失 す る こと に. に よ って 指 摘 さ れ て い る 。. の下等 さv を見 て いた のであ る。. た め に 、 生 き て い る 」と か 、 「一生 を 捧 げ て し ま う しと 書 か れ て い た 。. 確 かに 「 五位 」が生 き て いく た め には、別 の存 在 証 明 が必要 であ り、何 かしら見出 す可能 性 はあ る。 け れども、 先 の引 用 には 「そ の. 「負 け 犬 ー 前 出 ) ( 」. れ る にちが いな い。 そう したす べて に、龍 之介 は 〈世 の中 の本 来. の 一生 を貫 く欲望 v を見 つけ るだ ろう し、 そ れもま た た やす く破. 五位 は また 〈 芋粥 に飽 かむ〉ことと同様 に手軽 で、 し かし、 〈彼. ただ し、 こ の点 に ついて の答 え と言 う べきも のが、 す で に三好 氏. 対 す る潜在的 な 不安 も隠 され て いる のではな いか。 また翌 日大量 の 「 芋 粥」. を前 に食 欲 を無 く す のも、 単 に生 理的 なも のや、 心理的 な も のだ け ではな く、 存在 証明 を失 う こと への潜 在 的あ る いは本能的 な抵 抗 の現 れ と し ても捉 え られ る のではな いか。 さら に 「 利 仁L は この 「 芋 粥L を狐 にま で飲 ませ る。 五位 は芋 粥 を飲 ん で いる狐 を眺 めながら、 ここ へ来 な い前 の彼 自身 を、 な つかし く、心 の中 でふり返 った。 ( 中略 )し かし、 同時 にまた、芋 粥 に飽 き た いと云う欲望 を、 ただ 一人大事 に守 って い た、幸福 な彼 であ る。 「五位 」は 「 藤 原利 仁 Lと いう他 者 によ ってそ の存在 証明 を喪失 し. 二七.

(13) . . 西 原 千 博. 五位 」 がま た こ のよう な欲望 を 見 つけ これ から すれば 、 果た し て 「 られ る かと いう疑 問も残 る。 あ る いは単 に作者 の書 き方 が大げ さな だけだ とも いえ るかもし れな い。 また、 三好 氏 の指摘 にもあ るよう に、 こんな欲 望 に 一生 を捧げ る こと のお愚 かさを呈 示 し て いると い う読 みも でき るだ ろう。し かし、これら の考 え方 こそ先 の引 用 にあ っ た 「 人生 に対 す る路 傍 の人」 の立 場 ではな いだ ろう か。 少 なく とも この作 品 に於 いては そ のよう な立 場 を拒 否 し て いた筈 であ る。 こ の. 二八. 証 明 と いう意 味 を裏 切 って いる のであ る。 つま り、 も し それが本当. に 「五位 の存 在 証明 な らば 作 品 が ここ で終 わ る筈 は な い。 あ る い 」 は 「五位 」 は存 在 しなくな る ( 死 ぬ)筈 であ る。 にも か かわらず 、 作 品 は 「五位 」 と関係 なく終 わ ってし ま って いる のであ る。 それ は. 所 詮、前 述 のよう に 「五位 」 が道 具 であ って 一個 の人間 とし て捉 え ら れ て いな いからだ とも言 え るだ ろう。 し かし、物 語 世 界 にお いて 「五位 」 は そ の過 剰 な人物 設定 によ って、 し ぶとく生 き て いる の で 芋 粥」と いうプ ロット の面白 あ る。 それ ゆえ にこ の作品 の魅 力 は、 「. を超 え るとき ではな いだ ろう か。 そし て、 そ のよう な作中 人物 た ち. 。 さよ りも、 こ の 「五位 」 の人物 像 の方 にあ る のではな いだ ろう か 目的」 作 品 が読 者 を惹 き付 け る のは、 作 中 人物 た ちが時 に作者 の 「. こそが生 き て いると言 え る の であ る。. よう な欲 望 にす が って生 き て行 かなけ れば ならな いと いう状況 にも 注 目 す べきだ ろう。 や はり、作 品 の終 わ った時点 におけ る 「五位 」 は、自 ら の存 在 の危 機 に瀕 し て いる と考 え ら れ る のであ る。 と こ ろが、実 際 の作 品 に描 かれ て いる 「五位 L にはあ まり切迫 感. 最後 には失 ってし ま った り、 ま た、 取 り戻 し た りも し て いる。 そ し て、 それら の過 剰 な も のはど れも、 作 中 人物 た ち の存 在 証 明 にな っ. いて、あ ら かじ め作者 によ って作 中 人物 に与 えら れ て いた のであ り、. 長 い鼻 と いう外 見的 なも のや、 酒 を の み過ぎ ると いう生 理的 なも の 羅生 門 の 「下 人」 の み な ど形 は様 々であ った。 ただ、 そ の中 で 『 』 下 そ のた め 「 は、 最初 そ のよう な過 剰 なも のを も って いな か った ( 人 は最初 存 在 が安 定 し て いな か った)。 け れども、 最後 には「勇気 」 」 羅 生 門 』を除 と いう過剰 な も のを手 に いれ て いる。 そ れら は また、 『. た ち には、 皆何 ら か の過 剰 な も のを持 って いた のであ る。 そ れ は、. き た。 す で に述 べてき たよう に これら の七作 品 の中 心的 な作中 人物. 芥川龍 之介 の初 期 の七作 品 に ついて、作 中 人物 を中 心 に考 察 し て. 駅. は感 じ ら れ な いのであ る。 これは何 故だ ろう か。 「五位」は生 き て い く希 望 を失 った のではな いのか。(いや、逆 に言 えば この切迫 感 のな さがあ の三好 氏 のような読 みを生 む のでもあ る。)こ こで注 目 す べき は最後 の 一行 であ る。 五位 は慌 てて、 鼻 を おさえ ると同時 に銀 の堤 に向 か って大 き な 噂を し た。 、 。 こ こ に は ま さ に 風 采 の揚 が ら な い 「五 位 し の姿 が あ る つま り. 赤 鼻 し に代表 され 欲 望 と いう存 在 証明 は喪 失 し ても、 も う 一方 の 「 る風采 や、 臆病、 貧 乏 と い った存在 証 明が残 って いる のであ る。 こ れが 「五位 」の存 在 を支 え て いる のであ る。 「五位 」の過 剰 な貧乏 こ そが 「五位 」の存在 証 明 にな って いた のであ る。 ただ作 者 は こ の 「五 芋 粥 と いう プ ロット の展開 のた め の道 具 にし て いた に過 位 を、 「 L 」 芋 粥 に飽 ぎ な いと言 え る のであ る。 だ から読者 が作 者 の設 定 し た 「 かんL と いう存 在 証 明 にのみ捕 ら わ れ るな らば、先 に述 べた よう な 疑問 を持 つはず な のであ る。逆 に言 えば 作 者 は自 ら の設定 した存 在.

(14) . 芥川龍之介の初期作品に関する-考察. た ち の多 くは何 ら かの特 徴 的 なも のをも って いるだ ろう。( 但 し、主. べき であ ろう。) 確 か に、 芥 川龍 之介 の作 品 に限 らず 、 小説 の主人 公. 心 に考 え る のな ら、何故与 えら れな け れば ならな か った か、 と言 う. 在証 明が過 剰 なも のでな ければ ならな いのか。(いや、作中 人物 を中. のを、 これら の作中 人物 たち に与 え た のだ ろう か。 ま た、何 故 、存. て いた のであ る。 し かし、 それ では何 故作者 は そ のよう な過 剰 な も. 時 に物語 世界 の住 人 でもあ る。 そ こ でも彼等 には存 在 証 明 が必 要 な. のを描 く ことだ った のでは な いか。)また、 一方 で作中 人物 た ち は同. 物 観 が反映 し て いると考 え ら れ る。作 者 にと って小説 と は特 殊 なも. いるも のもあ るだ ろう。 そ れ ゆえ、 ここ には作者 の小説観 、作 中 人. な らな いと いう ことはな い。逆 に特 徴 のな いことを存在 理由 にし て. 捉 え てはな らな い。( ただ、必ず しも作中 人物 が特 徴 を持 たな け れば. た ちと の差異 であ る。 こ の過 剰 なも のと いう のは そ の差異 を 示 すも. の機能 を果 たし て いるのであ る。 主 人 公 の指標 と は、他 の作 中 人物. も言 え るだ ろう。 つまり、 こ の過剰 なも のは、 主人 公 の指標 とし て. て いる のは、彼 等 が主 人公だ から、或 いは小説 の作中 人物 だ から と. つの答 え にも な るだ ろう。 こ の作中 人物 た ちが 、過 剰 な も のを も っ. 物 た ちとし て描 かれ ること にな る のであ る。 これ は、先 の疑 問 の 一. いう 言葉 を使 いた い。)さら にそ の特徴、個性 によ って小説 の作中 人. れま で中 心的 な人物 と呼 ん できた。 ここでは便 宜 的 にこ の主 人公 と. 余 り は っきり書 かれ て いな い作 品 す らもあ るだ ろう。 ここ に取 り上. 小説 にお いて、作中人物 た ち の存 在 証明 が過剰 な も のとし て書 かれ て いるとは考 えら れな い。いや、物 語世界 におけ る存 在 証 明自 体 が、. と の関係 はす で に述 べた通 りだ が、 後者 にお いては必ず しも多 く の. わ って いる のであ る。前者 の意味 にお いては過 剰 なも のと存 在証 明. て こ の言葉 を用 いてきた のであ るが、前 者 の意味 も こ の言葉 には係. 在 証 明 にな って いる のであ る。本稿 では主 にこ の後者 の意味 にお い. て いるが、後 者 の意味 にお いても彼 の生命 に係 わ ると いう意 味 で存. と って酒 を過 剰 に飲 むことは、前 者 の意味 にお いても存在 証 明 にな っ. の であ る ( ま さ に我 々 と 同 じ よ う に )。 例 え ば 、 『 酒 虫 』 の 「劉 」 に. のな のであ る。 ただ、 問題 な のは、 それが作中 人物 た ち の存 在証 明. 人 公 と いう言葉 は未 だ に定義 が定 ま って いな い。 そ こ で本稿 では こ. にな って いると いう こと であ る。 主 人公 とし て の指 標 が必ず しも存. げ た七作 品 は そ の作中 人物 た ち の存 在 証 明が明確 に呈 示 され、 し か も、 それが過 剰 なも のであ ると こ ろ に大 きな特徴 があ る。 こ こ で、. こ の疑 問 に ついて、過剰 なも のが作者 によ って与 え ら れた も の、. 在 証 明 であ る必要 はな い。 と いう よりも、 こ こ で言 う存在 証 明 とは 人物 とし て の存 在 証明と、物 語 世界 におけ る、 謂 わば 一個 の人間 と. そ のこと自 体 が実 は問題 な のではな いだ ろう か。 これ は逆 に言 えば. もう 一度 先 の間 に戻 る こと にな る。. し ての存在 証 明、 と いう 二重 の意味 があ る のだ 。 あ る作 中 人物 が小. 作中 人物 たちが自 ら の手 で存在 証 明 を確 立 す る こと の困難 さ こそ が. 二重 の意味 を持 って いる のであ る。 つまり、作 品構 造 におけ る作中. 説 に描 かれ る理由、 即ちそれが作中 人物 とし て の存 在 証 明 と いう こ. 呈 示 され て いると考 えら れ る のであ る。但 し、 こ の作中 人物 た ち の 存在 証 明 の困難 さと いう のは、 『 羅 生 門』を はさん で前 の三作 品 と後 の三作 品 では そ の示し方 が 異な って いる。前 の三作品 では そ れは作. と にな る のであ る。 そ の人物 に過剰 な も のがあ ると いう のもそ の 一 え な いのであ る。 そし て、描 かれな いかぎ り作 中 人物 た ち は存 在 で. 中 人物 を支 配す る他 者 の存 在 とし て、自 立 し て いな いこと に表 さ れ. つな のであ る。何 ら の特徴 を持 たな いも のは作 品 の中 に描 いても ら きな いのであ る。小説 の作中 人物 た ちを ア ・プ リ オリな も のと し て. 二九.

(15) . . 房 さ ん」 のよう に作者 の支 配 から脱 し て いな い。結 局 これ ら の た 「. に支 配 さ れ て い た と 言 え る だ ろ う 。 『ひ ょ っと こ 』 の 「平 吉 」も 、 ま. 『 房 さん」は作者 によ って完 全 に支 配 さ れ ており、自 己 老年 』の 「 男」 青年 と死』に於 いては 「A」も 「BLも 「 完 結 し て いた と言 え る。 『. る。. ており、 後者 では善 意 の他者 の介 在 によ る喪 失 と いう形 にな って い. 考 えられ る のであ る。 即 ち、作 中 人物 た ち の持 つ過 剰 な も のと は、. では、 そ れが過 剰 なも のだ った から こそ、喪 失 す る こと にな った と. 確 立 し たも のではなく、自 立 した存 在 とな って いな い。後 の三作 品. るが、作中 人物 た ちが他 者 に支 配 さ れ て いた よう に、 そ れは自 分 で. な って い る の で は な い か 。. にそれ によ って他 人を傷 付 け る こともあ ると いう、 善 意 の否定 にも. 三〇. 作中 人物 たち の存 在 は、 作者 を中 心 とす る他者 に依存 し て いる ので 下 人」 が作中 の 「 作者 」 の 羅生 門 』 の 「 言 えな いのであ る。 唯 一 『 下 人」は最初 、 アイデ ンテ ィテ ィ の 支 配 から脱 し て いる。 し かし、 「 作 者 」の支 配 から逃 れ た後 の「下 人」 危 機 に見舞 われ て いた。 また、 「. 何 ら か の過 剰 なも のを持 って いた ことも考 えら れ るだ ろう。つまり、. 不安 に駆 ら れ て いた から であ ろう こと が考 えら れ る。 また、 作者 が. 存在 証明 へのこだ わり があ っただ ろう。 そ れは、作 者 自身 が存 在 の. こ のよ う に前 三作 品 では過剰 なも のと いう存在 証 明 は最後 ま で残. あ る。彼 等 は自 ら の手 で存在 証 明 を獲 得 できず 、自 立 し た存 在 と は. 単 に存在 証 明を 示す と いう こと にとど ま らず 、 むし ろ存 在証 明 を過 剰 なも のにす る こと によ って、逆 に作 中 人物 たち のアイデ ンテ ィテ ィ. の姿 は描 かれ て いな い。 つまり、 自 立 し た姿 は描 かれ て いな いので 弟子の 内 供 」 は善 意 の他者 であ る 「 鼻』 の 「 後 の三作 品 のう ち 『 僧 」 によ って、 そ の存在 証明 であ った長 い鼻 を 一時 的 ではあ るが失 酒 蛮 僧 」によ って 「 酒虫』の 「 劉」は これも善 意 の 「 う こと にな る。 『 芋 粥』 の 「五位 」も 「 利 仁」 によ って 虫 と いう存 在 証明 を失 う。 『 」 「 存 在 証 明) を失 ってし まう の であ 芋粥 L に飽 きた いと いう欲望 ( る。 これ ら後 の三作 品 で作中 人物 たちが、過 剰 な も のと いう存 在 証. す で に吉 田俊 彦氏 によ ってな され て いる。. う。 けれども、芥 川龍 之介 に ついて の こ のよう な点 に関 す る指摘 は. 在 証明 は偽物 に過 ぎ ず 、 やはり存 在 証 明 は自 ら の手 で確 立 しな けれ. 在 を許 す こと にな った から であ る。 所 詮作者 によ って与 えら れた存. た と言 わな け れば な ら な い。. 危 機的 原 質 を、 す で に見定 め て いた と言 え る のであ るが、 こう し 自 己本来 の主 体 的生 の獲 得 は、焦 眉 の課題 であ っ た芥 川 にと って、. 周 囲 の思惑 を過 剰 に意識 し なが ら生 き て いかねば な らな い己 の. 『 芥 川龍 羅生 門 の地 上的 、 動物 的 イ メ ージ と我執 の解 放 」ー 『 ( 』 之 介 ー 『愉 盗 』 への道ー 』 所収 ). ば なら な いのであ る。 また、 こ の三作 品 を 比較 す ると、段 々と善 意. て いた筈 であ る。 これ は善 意 と いう のが絶 対的 な も のではな く、 時. 五位 Lには当初善 意 とし て映 っ 仁 」は必ず しも善 意 とは言 えな いが、「. 芋 粥 』の 「 利 の裏 にあ る エゴ イズ ムが強 調 さ れ てく る のが わ かる。 『. こと であ り、 そ れを そ のま ま芥 川龍 之介 に還元 す る のは危 険 であ ろ. ただ、 ここ で言 う作者 と はあ く ま でも作 品 から想定 され た作者 の. れ る こ と に な った の で あ る 。. 過剰 なも のを与 えた のであ り、 そ れ によ って作中 人物 た ちは翻弄 さ. 明 を失 う のは、 それが過 剰 であ ったた め に持 て余 し、 結 局他 者 の介. 作 者自 身 のアイデ ンテ ィテ ィ の危 機 が、 作中 人物 た ち にこ のよう な. の確 立 が いか に困 難 かを 示 し て いる のであ る。 そ こ には当然 作 者 の. あ る。. 西 ‐原 千 博.

(16) . 芥川龍之介の初期作品に関する‐考察. こ れ は 『ひ ょ っと こ』に つ い て 述 べ た も の で あ る が 、 『ひ ょ っと こ 』. 青年 と死』 の 「 前 の三作 品 に介在 す る他者 は 『 男Lや、 『 羅 生 門』 の 「 作者 L のよう に超 越 的存在 であ る。 し かし、後 の作 品 に登 場 す る. す る余裕 は本稿 にはな い。 そ れ故 、 ここ では作 品 から想定 さ れた作. に連想 に過ぎ な くな る恐 れが あ る。 と は言え、 こ の点 に ついて考察. あ る。 こ のよう な メカ ニズ ムの解 明 が な されな い以上、 これら は単. 者 の中 でど のような作 用 によ って作 品 にな る かと いう メカ ニズ ム に. し かも、 そ の他者 が善者 であ った ことも こ の関 係 を思 わ せ る のであ る。)問題 な のは、 仮 にそ のよう な ことがあ った とし ても、 そ れが作. な ど に反対十介 在ー し て いた祖 父母 など の存 在 を指摘 できるだ ろう。. 物 た ち に介 在 し、 そ の存在 証 明 を失 わ せ る他者 にし ても、結婚 問題. 摘 に過ぎ な いと いう こと であ る。( こ のような類似 であ るなら作中 人. ら想定 された作者 と、芥 川龍 之介 と いう 別 のテ ク ストと の類 似 の指. と言 え るだ ろう。 し かし、 ここ で注 意 し た いこと は、 これは作 品 か. 言 い方 をすれば、 これら の作 中 人物 た ち はど れも芥川龍之介 の分身. 主体 的生 」と いう のは本 稿 で言 う存在 証 明、 アイデ ンテ ィ う。特 に「 テ ィとほぼ同じ意味 の言 葉 であ ろう。「周囲 の思惑 を過剰 に意識 す る」 主体 的生 」 を獲得 しよう とす る ことは、 これら の作 こと、 そし て 「 中 人物 た ち にも共通 す るも のであ る。従来 よく使 われ てきた陳腐 な. ま でもな く、 そ のよう な作中 人物 た ち こそが、 生 き て いると呼 ば れ. し て い る の で あ る 。 こ こ に は 、 も う 一つ の ド ラ マが あ る の だ 。 言 う. えら れ る のではな いだ ろう か。 そし てこ の三人 は作者 を超 え よう と. な いか。 作 品 とは こ の作中 人物 たち と作者 と の戦 いの場 とし ても捉. 横 の関 係 にな って初 め て こ のよう な ことが可能 にな ってく る の では. る の であ る。 テ ィ テ ィ へと 変 え よ う と し て い る こ と へも 反 映 し て い・. 弄 され るだ け ではな く、 むし ろ、 そ の過剰 なも のを自 ら のアイデ ン. の で あ る 。 こ れ は ま た 、 『羅 生 門 』 の 「下 人 」、 『鼻 』 の 「内 供 」、 そ. あ る。)まさ に、他 者 の介 在 と いう こと は こ のよう な ド ラ マの現 れな. 中 州 の大将」たちはただ見 て いるだ け で ちと の間 にドラ マはな い。 「. れる。 そ のた め に、 後者 のほう がよ り人間 同士 のド ラ マが生 ま れ や 老年』 では 「 房 さん」 と他 の作中 人物 た す いのであ る。 ( 例 えば 、 『. 配ー 被 支 配 と いう縦 の関係 から、横 の関 係 へと移 行 したとも考 えら. が 一つ の タ ー ニ ング ・ポ イ ン ト に な って い る の で あ る 。 そ れ は 、 支. 以外 の作 品 に ついても同様 な ことが 反映 し て いると考 えられ るだ ろ. 芥 川龍之介 と いう テク ス 者 に ついて の考察 に留 め る こと と した い。(. と言 っても これら の作中 人物 た ちは、まだ る べきも のな のであ る。(. 鼻 の「 のは、 『 弟 子 の僧 のよう に、物語 世界 に住 む同じ よう な作 』 」 下人Lが、 「 作者 」 中 人物 な のであ る。 これ は、 『 羅生 門』にお いて 「. トと の関係 に ついては いず れ稿 を改 め て考 察 し た い。 また、 本稿 の. の後 の三作 品 と では、作 中 人物 の描 かれ方 に違 いがあ る。 そ の代表. 羅生 門 』 以前 の三作 品 とそ す で に述 べたよう に、 これら の作 品 は 『. ここ では、 共通項 ではな く違 いに ついて述 べておきた い。) た い。 (. 最後 に、 これら 七作 品 の相 互関 係 に ついて、簡単 にま と め ておき. し かも、作者 の意 図 を超 え とし て考 えら れ る のではな いだ ろう か。(. のと いう のは、 す で に何 度 か触 れたが、作 品を動 かし て いる原 動 力. たち こそが、魅 力 を持 つのであ る。 もう 一つ、 作品 の構造 に ついても触 れ ておきた い。 こ の過 剰 な も. 充 分 に自 立 し て いると は言 え な いが。)そし て、 こ のよう な作 中 人物. し て、 『 芋 粥』の 「五位 Lが単 に作者 から与 えら れた過 剰 な も の に翻. と いう超 越 的 存在 を越 え た こと によるのではな いだ ろう か。『 羅 生門 』. 基本姿勢 は、 あ く ま でも作中 人物 た ち の味 方 な のであ る。). 的 な例 とし て、物語 世界 に介 在 す る他 者 の位 置 の変 化 があげ ら れ る。. 三 一.

(17) . 博 千 原 西. て機能 し て いる のであ る。)こ の過 剰 なも のが、作 品 にゆが みを作 り、 『ひ ょ っと こ』) や、 それを解 そ のゆが み に引 きず り込 ま れ るも の ( 『 『 消 し よう とす るも の( 鼻 』)、 ま たそ のゆが みを バネ にし たも の ( 羅 生 門』、 『 芋粥 』)な どがあげ ら れ る のであ る。 つま り、 こ の過剰 な も のによ って、物 語 世界 に於 いて作 中 人物 た ちが動 かさ れ、 さら に作 品全体 が動 かされ て いく のではな いだ ろう か。 テ ク ストと はあ く ま でも静態 的 なも のではな く、動 態 的 な も の のことな のであ る。 こ の 過 剰 なも のと いう のは作 品 の構 造 を形成 し、作 品を 展開 し て いく エ ネ ルギ ー にな って いる のであ る。 こ の過 剰 な も の によ って生 み出 さ れるド ラ マにも、 読者 は魅 かれ る のであ る。 このよう に、 これら七作 品 の魅 力 と は、 ま さ に、 これら の作 品 に あ る過剰 なも の によ っても た ら されたも のな のであ る。. へ注 v. 「 ( 1) この 「 面」の持 つ意味 に っいては、すでに拙稿 「『ひょ っとこ』試解」 ( 稿 本近代文学 平 一・十 一) に於 いて、論及した のであ 。 も る し ( 羅生門 の 「 2) 『 羅生門』試解ー 「 下 下人 の弱 さに ついては、す でに拙稿 「『 』 」 「 人」と 「 作者」ー 」 ( 稿本近代文学」平 二・ 十 一) で、詳しく論じた ので本 稿 では簡単 に触 れるに留 めた。因 みに 「下人Lの弱 さは、存在だけ ではなく 社会的な弱さもあ ることを付け加え ておきた い。. ( 本学講師 札幌分校). 三二.

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